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Vol.65 , No.2(2017)062上野 隆平「『大乗荘厳経論』の浄土観」

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(1)

眼前に広がる世界が浄土へと変貌すると説く IX.43 の用例は,国土清浄の理論を 考察する上で特に重要な意味をもつ.そこで,以下の考察は IX.43 を中心に,そ れと密接に関連する XI.40, 44–46 と XX–XXI.50 に限定して行い,国土を清浄にす るための修行法などを説く他の用例に関しては,別の機会に譲ることとしたい. 2.1. IX.43とその世親訳,及び無性・安慧の複注 【偈】対象と共に把握が転ずる時,国土の清浄に関して, 至極の自在性が得られる.実に,思い通りに享受を示現するためである. 【世親釈】対象が転じ,把握が転ずる時,国土の清浄に関して,至極の自在性が得られ る.それによって,思い通りに享受の示現をなすのである3) 【無性釈】「対象が転ずること」とは,色などの五境が転ずることである.「把握が転ずる こと」とは,眼識などの五〔識〕が転ずることである.〔それらが〕清浄でない状態の時 は,五境が別々に対象とされるように,転じた状態の時は,瑠璃などの清浄な国土が様々 に顕現する4) 【安慧釈】「対象と共に把握が転ずることによって,至極の自在性が得られる」というこ とに関して,「対象」の語は色から法までの六境をいう.「把握」の語は眼識から身識ま での五識身をいう.六境と〔五〕識身の両者が転依する時,二種の至極の自在性が得ら れるという意味である.「国土もまた思い通りに清浄であり,享受を完全に示現するので ある」ということに関して,諸々の外境が転じていない時は,峡谷,茨,砂利,瓦礫な どのように清浄でないものが顕現するが,いつであれ清浄となった時は,思い通りに, 瑠璃,水晶,黄金などの色による大地のように清浄なものとして顕現することになり, 諸々の対象はその自在性を得るのである.五識身が清浄でない時は,眼識もまた色を見 て色を享受する以上はできず,部分的な各々の境に働く以外は特にできないが,いつで あれ清浄となって転依した時は,五識によってその諸々の仏国土に甘露の池や如意樹な どの多様な享受を示現する.把握が転ずることによって,最高の自在性を得ることとなる5) 本偈は,仏の自在性(vibhutva)を説く IX.38–48 の中,転の区別によって自在性の 区別を論じる IX.41–48 の第 3 偈に相当する.偈の「対象」(artha)について,無性 は色声香味触の五境とするが(漢訳もこれを支持する6),安慧はそこに法を加えた 六境とする.一方,「把握」(udgraha)については,双方ともに眼耳鼻舌身の五識 身とする.いずれにしても「対象と共に把握が転ずる時」という文言は,瑜伽行 派に特有の八識の構造を念頭に置いて理解すべきで,第八のアーラヤ識が転じて 清浄となった時,同時に前五識と五境(六境)が転じ,国土清浄の自在性を得て, それまでの穢土が浄土と化すことを表わしている.ところで,本偈を含む IX.41– 47 は,偈の ab 句に「…が転ずる時,至極の自在性が得られる」(-parāvṛttau/vyāvṛttau

vibhutvaṃ labhyate param)という定型句を配する,この一段の各論ともいうべきもの

である.中でも五根などの有情の心的構造が転ずることで得られる種々の自在性 『大乗荘厳経論』の浄土観(上 野) (163)

『大乗荘厳経論』の浄土観

――瑜伽行唯識学派における国土清浄の理論――

上 野 隆 平

1.はじめに 

本稿は大乗仏教のメルクマールの一つとされる浄土思想が瑜伽行 唯識学派の教理において,どのように受容され,理論化されているであろうかと の関心のもと,『大乗荘厳経論』(Mahāyānasūtrālaṃkāra)の浄土観について考察を試 みるものである.ひと口に浄土といっても,大乗経典の中には,菩薩行としての 浄土(土を浄める)を説くものもあれば,他方世界としての浄土(浄らかな土)を説 くものもあり,一概に論じ得るものではない.しかし,藤田宏達博士が指摘する ように,前者の「土を浄める」に基いて後者の「浄らかな土」の完成があるとす れば,両者が無関係でないことも明らかである1).事実,瑜伽行派のテキストに 散在する浄土に関する教説を俯瞰してみると,清浄なる仏国土は,菩薩行の完成 をもって語られるのが常である.しかし,この学派の浄土観について述べた従来 の研究は,その多くが後者(例えば『摂大乗論』の十八円満や『浄土論』の三厳二十九 種荘厳)に関するもので,前者に関するものは意外にも少ない2).そのような中で 『荘厳経論』が浄土について言及する場合,その多くが前者に関するもので,先行 研究の不足を補うには最適と思われる.そこで,本稿では『荘厳経論』に見える kṣetra(国土)と√śudh(清浄)系の語が同一の文脈で登場する用例を手がかりにし て,瑜伽行派における菩薩行としての浄土(国土を清浄にすること.本稿では,これ を「国土清浄」と呼ぶ)について考察を行ってみたい.そして,それがこの学派の 浄土観を総合的に理解するための一つの前提となれば,と考えている.

2.国土清浄の理論 

『荘厳経論』において kṣetra と√śudh 系の語が同一の文 脈で使用される例は VII.7,IX.43,XI.43,46,XVII.13,XVIII.48,68,XIX.55, 62,XX–XXI.13,16,20 の偈頌ないし世親釈に認められる.このように複数の章 に跨って多数の用例が確認できるが,個々の用例はいずれも断片的で,別のテー マを論じる際に,必要に応じて浄土についても言及するといったケースが少なく ない.そのうちで菩薩の心が汚染の状態から清浄の状態へと転換すれば,かれの (162) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月

(2)

眼前に広がる世界が浄土へと変貌すると説く IX.43 の用例は,国土清浄の理論を 考察する上で特に重要な意味をもつ.そこで,以下の考察は IX.43 を中心に,そ れと密接に関連する XI.40, 44–46 と XX–XXI.50 に限定して行い,国土を清浄にす るための修行法などを説く他の用例に関しては,別の機会に譲ることとしたい. 2.1. IX.43とその世親訳,及び無性・安慧の複注 【偈】対象と共に把握が転ずる時,国土の清浄に関して, 至極の自在性が得られる.実に,思い通りに享受を示現するためである. 【世親釈】対象が転じ,把握が転ずる時,国土の清浄に関して,至極の自在性が得られ る.それによって,思い通りに享受の示現をなすのである3) 【無性釈】「対象が転ずること」とは,色などの五境が転ずることである.「把握が転ずる こと」とは,眼識などの五〔識〕が転ずることである.〔それらが〕清浄でない状態の時 は,五境が別々に対象とされるように,転じた状態の時は,瑠璃などの清浄な国土が様々 に顕現する4) 【安慧釈】「対象と共に把握が転ずることによって,至極の自在性が得られる」というこ とに関して,「対象」の語は色から法までの六境をいう.「把握」の語は眼識から身識ま での五識身をいう.六境と〔五〕識身の両者が転依する時,二種の至極の自在性が得ら れるという意味である.「国土もまた思い通りに清浄であり,享受を完全に示現するので ある」ということに関して,諸々の外境が転じていない時は,峡谷,茨,砂利,瓦礫な どのように清浄でないものが顕現するが,いつであれ清浄となった時は,思い通りに, 瑠璃,水晶,黄金などの色による大地のように清浄なものとして顕現することになり, 諸々の対象はその自在性を得るのである.五識身が清浄でない時は,眼識もまた色を見 て色を享受する以上はできず,部分的な各々の境に働く以外は特にできないが,いつで あれ清浄となって転依した時は,五識によってその諸々の仏国土に甘露の池や如意樹な どの多様な享受を示現する.把握が転ずることによって,最高の自在性を得ることとなる5) 本偈は,仏の自在性(vibhutva)を説く IX.38–48 の中,転の区別によって自在性の 区別を論じる IX.41–48 の第 3 偈に相当する.偈の「対象」(artha)について,無性 は色声香味触の五境とするが(漢訳もこれを支持する6),安慧はそこに法を加えた 六境とする.一方,「把握」(udgraha)については,双方ともに眼耳鼻舌身の五識 身とする.いずれにしても「対象と共に把握が転ずる時」という文言は,瑜伽行 派に特有の八識の構造を念頭に置いて理解すべきで,第八のアーラヤ識が転じて 清浄となった時,同時に前五識と五境(六境)が転じ,国土清浄の自在性を得て, それまでの穢土が浄土と化すことを表わしている.ところで,本偈を含む IX.41– 47 は,偈の ab 句に「…が転ずる時,至極の自在性が得られる」(-parāvṛttau/vyāvṛttau vibhutvaṃ labhyate param)という定型句を配する,この一段の各論ともいうべきもの である.中でも五根などの有情の心的構造が転ずることで得られる種々の自在性

『大乗荘厳経論』の浄土観

――瑜伽行唯識学派における国土清浄の理論――

上 野 隆 平

1.はじめに 

本稿は大乗仏教のメルクマールの一つとされる浄土思想が瑜伽行 唯識学派の教理において,どのように受容され,理論化されているであろうかと の関心のもと,『大乗荘厳経論』(Mahāyānasūtrālaṃkāra)の浄土観について考察を試 みるものである.ひと口に浄土といっても,大乗経典の中には,菩薩行としての 浄土(土を浄める)を説くものもあれば,他方世界としての浄土(浄らかな土)を説 くものもあり,一概に論じ得るものではない.しかし,藤田宏達博士が指摘する ように,前者の「土を浄める」に基いて後者の「浄らかな土」の完成があるとす れば,両者が無関係でないことも明らかである1).事実,瑜伽行派のテキストに 散在する浄土に関する教説を俯瞰してみると,清浄なる仏国土は,菩薩行の完成 をもって語られるのが常である.しかし,この学派の浄土観について述べた従来 の研究は,その多くが後者(例えば『摂大乗論』の十八円満や『浄土論』の三厳二十九 種荘厳)に関するもので,前者に関するものは意外にも少ない2).そのような中で 『荘厳経論』が浄土について言及する場合,その多くが前者に関するもので,先行 研究の不足を補うには最適と思われる.そこで,本稿では『荘厳経論』に見える kṣetra(国土)と√śudh(清浄)系の語が同一の文脈で登場する用例を手がかりにし て,瑜伽行派における菩薩行としての浄土(国土を清浄にすること.本稿では,これ を「国土清浄」と呼ぶ)について考察を行ってみたい.そして,それがこの学派の 浄土観を総合的に理解するための一つの前提となれば,と考えている.

2.国土清浄の理論 

『荘厳経論』において kṣetra と√śudh 系の語が同一の文 脈で使用される例は VII.7,IX.43,XI.43,46,XVII.13,XVIII.48,68,XIX.55, 62,XX–XXI.13,16,20 の偈頌ないし世親釈に認められる.このように複数の章 に跨って多数の用例が確認できるが,個々の用例はいずれも断片的で,別のテー マを論じる際に,必要に応じて浄土についても言及するといったケースが少なく ない.そのうちで菩薩の心が汚染の状態から清浄の状態へと転換すれば,かれの

(3)

である.〔第八の〕不動という一つの地においては二様に〔自在性があるの〕であって, 無功用にして無分別であるから ① 無分別に関して〔自在性〕があり,また仏国土が清浄 にされるから ② 国土に関して〔自在性〕がある.その他の地においては,一つずつの自 在性があるのであって,〔第九の〕善慧〔地〕においては,すぐれた無碍解が得られるか ら ③ 智に関して自在性があり,〔第十の〕法雲〔地〕においては,神通の働きが無碍で あるから ④ 働きに関して〔自在性〕がある9) 先ず,冒頭の XI.40 では,先の IX.43 において,それが転ずることで国土清浄の 自在性が得られるという「対象」「把握」が,虚妄分別の所取・能取を構成する三 要素のそれぞれ一つであるといわれる.つづく XI.44 では,アーラヤ識の転換に 伴って,虚妄分別の所取を構成する[1]環境,[2]対象,[3]身体が転じて無漏 界となることが説かれている.尚,安慧によると,ここでいう[1]環境(pada) は「器世間」,[2]対象(artha)は「六境」,[3]身体(deha)は「六根」を指すと のこと10).次の XI.45 では,今度は,虚妄分別の能取を構成する(1)意,(2)把 握,(3)分別が転じて四種の自在性となることが説かれている.ちなみに(1)意 (manas)が「第七マナ識」,(2)把握(udgraha)が「前五識」,(3)分別(vikalpa) が「第六意識」を指すことは,XI.40 の世親釈で説かれた通りである.そして最 後の XI.46 では,それら四種の自在性は,第八地において ① 無分別と ② 国土の 自在性が,第九地において ③ 智の自在性が,第十地において ④ 働きの自在性が, それぞれ実現すると説かれる.この中,② 国土の自在性が直接の根拠となって, 国土が清浄にされる点は重要である.さて,以上の内容を前述の IX.41–45 の所説 を踏まえてまとめると以下のようになる. 転依の前 転依の後 虚妄分別 能取 (1)意 四種自在性 ① 無分別の自在性 第八地 (2)把握 ② 国土の自在性 (3)分別 ③ 智・④ 働きの自在性 第九地・第十地 所取 [1]環境 無漏界 無住処涅槃 [2]対象 国土清浄 [3]身体 根の融通性・千二百の功徳 2.3. XX–XXI.50 とその世親釈,及び無性釈 【世親釈】〔四種の一切相〕清浄の分析について一偈がある. 『大乗荘厳経論』の浄土観(上 野) (165) について述べた IX.41–457)は,次に取り上げる XI.40, 44–46 とも関係が深い.詳 細を論じる余裕がないので,今は何が転じ,何に関する自在性が得られるのか, その点のみを示しておく. ○○が転じる時 ○○に関して,至極の自在性が得られる IX.41 五根(pañca-indriya) すべての根がすべての対象に対して働くこと 千二百の功徳が生起すること IX.42 意(manas) 自在性と連動する極めて無垢な無分別智 IX.43 対象(artha)・把握(udgraha) 国土の清浄 IX.44 分別(vikalpa) すべての智と働きがいかなる時も碍げなきこと IX.45 場所(pratiṣṭhā) 諸仏の汚れなき環境において無住処涅槃(という…) 2.2. XI.40, 44–46 とその世親釈 【偈】三種・三種の顕現,つまり所取・能取の相を伴う 虚妄分別が,実に依他起の相である(IX.40). 【世親釈】これ(虚妄分別)には,三種と三種との顕現が伴うというのが「三種・三種の 顕現」〔の意味〕である.その中,〔一つ目の〕「三種の顕現」とは,[1]環境としての顕 現と,[2]対象としての顕現と,[3]身体としての顕現とである.また〔二つ目の〕「三 種の顕現」とは,(1)意と(2)把握と(3)分別としての顕現である.(1)意とは,常 に汚染されたものであり,(2)把握とは,五識身であり,(3)分別とは,意識である. その中,一つ目の三種の顕現は所取の相を伴い,二つ目〔の三種の顕現〕は能取の相を 伴う.以上,このような〔三種・三種の顕現を伴う〕虚妄分別が,依他起の相である8) 【世親釈】解脱の探究について六偈がある. 【偈】種子が転ずることによって,[1]環境と[2]対象と[3]身体としての顕現が転ず ることが無漏界である.またそれは一切にゆきわたる依りどころである(XI.44). 【世親釈】「種子が転ずることによって」とは,アーラヤ識が転ずることによって〔との 意味〕である.[1]環境と[2]対象と[3]身体としての顕現を伴なう諸識の転ずるこ とが無漏界であり,解脱である.「またそれは一切にゆきわたる依りどころである」と は,声聞・独覚にもゆき届いている〔依りどころとの意味である〕. 【偈】というのも,(1)意と(2)把握と(3)分別とが転換することによって,その時, ① 無分別と ② 国土と ③ 智と ④ 働きとに関して,四種の自在性があるからである(XI.45). 【世親釈】「(1)意と(2)把握と(3)分別とが転換することによって」とは,〔それら が〕転ずることによってとの意味である.〔それら三者に対応して〕順次に,① 無分別と ② 国土と ③ 智・④ 働きとに関して,四種の自在性が存するのである. 【偈】また,その自在性は不動などの三地において四種である. 一つ〔の地〕においては二様に,その他〔の地〕においては一つずつの自在性があると 考えられる(XI.46). 【世親釈】また,その自在性は,不動などの三地において,以下の四種であると知るべき (164) 『大乗荘厳経論』の浄土観(上 野)

(4)

である.〔第八の〕不動という一つの地においては二様に〔自在性があるの〕であって, 無功用にして無分別であるから ① 無分別に関して〔自在性〕があり,また仏国土が清浄 にされるから ② 国土に関して〔自在性〕がある.その他の地においては,一つずつの自 在性があるのであって,〔第九の〕善慧〔地〕においては,すぐれた無碍解が得られるか ら ③ 智に関して自在性があり,〔第十の〕法雲〔地〕においては,神通の働きが無碍で あるから ④ 働きに関して〔自在性〕がある9) 先ず,冒頭の XI.40 では,先の IX.43 において,それが転ずることで国土清浄の 自在性が得られるという「対象」「把握」が,虚妄分別の所取・能取を構成する三 要素のそれぞれ一つであるといわれる.つづく XI.44 では,アーラヤ識の転換に 伴って,虚妄分別の所取を構成する[1]環境,[2]対象,[3]身体が転じて無漏 界となることが説かれている.尚,安慧によると,ここでいう[1]環境(pada) は「器世間」,[2]対象(artha)は「六境」,[3]身体(deha)は「六根」を指すと のこと10).次の XI.45 では,今度は,虚妄分別の能取を構成する(1)意,(2)把 握,(3)分別が転じて四種の自在性となることが説かれている.ちなみに(1)意 (manas)が「第七マナ識」,(2)把握(udgraha)が「前五識」,(3)分別(vikalpa) が「第六意識」を指すことは,XI.40 の世親釈で説かれた通りである.そして最 後の XI.46 では,それら四種の自在性は,第八地において ① 無分別と ② 国土の 自在性が,第九地において ③ 智の自在性が,第十地において ④ 働きの自在性が, それぞれ実現すると説かれる.この中,② 国土の自在性が直接の根拠となって, 国土が清浄にされる点は重要である.さて,以上の内容を前述の IX.41–45 の所説 を踏まえてまとめると以下のようになる. 転依の前 転依の後 虚妄分別 能取 (1)意 四種自在性 ① 無分別の自在性 第八地 (2)把握 ② 国土の自在性 (3)分別 ③ 智・④ 働きの自在性 第九地・第十地 所取 [1]環境 無漏界 無住処涅槃 [2]対象 国土清浄 [3]身体 根の融通性・千二百の功徳 2.3. XX–XXI.50 とその世親釈,及び無性釈 【世親釈】〔四種の一切相〕清浄の分析について一偈がある. について述べた IX.41–457)は,次に取り上げる XI.40, 44–46 とも関係が深い.詳 細を論じる余裕がないので,今は何が転じ,何に関する自在性が得られるのか, その点のみを示しておく. ○○が転じる時 ○○に関して,至極の自在性が得られる IX.41 五根(pañca-indriya) すべての根がすべての対象に対して働くこと 千二百の功徳が生起すること IX.42 意(manas) 自在性と連動する極めて無垢な無分別智 IX.43 対象(artha)・把握(udgraha) 国土の清浄 IX.44 分別(vikalpa) すべての智と働きがいかなる時も碍げなきこと IX.45 場所(pratiṣṭhā) 諸仏の汚れなき環境において無住処涅槃(という…) 2.2. XI.40, 44–46 とその世親釈 【偈】三種・三種の顕現,つまり所取・能取の相を伴う 虚妄分別が,実に依他起の相である(IX.40). 【世親釈】これ(虚妄分別)には,三種と三種との顕現が伴うというのが「三種・三種の 顕現」〔の意味〕である.その中,〔一つ目の〕「三種の顕現」とは,[1]環境としての顕 現と,[2]対象としての顕現と,[3]身体としての顕現とである.また〔二つ目の〕「三 種の顕現」とは,(1)意と(2)把握と(3)分別としての顕現である.(1)意とは,常 に汚染されたものであり,(2)把握とは,五識身であり,(3)分別とは,意識である. その中,一つ目の三種の顕現は所取の相を伴い,二つ目〔の三種の顕現〕は能取の相を 伴う.以上,このような〔三種・三種の顕現を伴う〕虚妄分別が,依他起の相である8) 【世親釈】解脱の探究について六偈がある. 【偈】種子が転ずることによって,[1]環境と[2]対象と[3]身体としての顕現が転ず ることが無漏界である.またそれは一切にゆきわたる依りどころである(XI.44). 【世親釈】「種子が転ずることによって」とは,アーラヤ識が転ずることによって〔との 意味〕である.[1]環境と[2]対象と[3]身体としての顕現を伴なう諸識の転ずるこ とが無漏界であり,解脱である.「またそれは一切にゆきわたる依りどころである」と は,声聞・独覚にもゆき届いている〔依りどころとの意味である〕. 【偈】というのも,(1)意と(2)把握と(3)分別とが転換することによって,その時, ① 無分別と ② 国土と ③ 智と ④ 働きとに関して,四種の自在性があるからである(XI.45). 【世親釈】「(1)意と(2)把握と(3)分別とが転換することによって」とは,〔それら が〕転ずることによってとの意味である.〔それら三者に対応して〕順次に,① 無分別と ② 国土と ③ 智・④ 働きとに関して,四種の自在性が存するのである. 【偈】また,その自在性は不動などの三地において四種である. 一つ〔の地〕においては二様に,その他〔の地〕においては一つずつの自在性があると 考えられる(XI.46). 【世親釈】また,その自在性は,不動などの三地において,以下の四種であると知るべき

(5)

が転ずることで無漏界が,「把握」を含む能取の三要素が転ずることで四種の自在 性が実現する.四種の中,国土を清浄にするための自在性は第八地で得られる. (う)仏果を得れば,対象の化現や変質に自在となり,無いものを現し出すこと や,存在するものを別のものに変えなすことが可能となる.これも国土を清浄に するためには必要な能力で,『荘厳経論』では『菩薩地』が神通力の一種と見なす この能力を,第八地の菩薩が得る自在性として受容し,仏地(第十一地)において 完全なものとする. 1)藤田 2007, 385.   2)従来の研究で,『荘厳経論』の国土清浄思想をまともに取り 上げたものは,小沢 1971 の一本のみである.同稿は『荘厳経論』に見える国土清浄の用 例を網羅的に取り上げた唯一の研究だが,凡そ半世紀前の僅か 4 頁という限られた分量 での考察であるため,今日の学術的な水準からいえば,十分とは言い難い.そこで,本 稿では関連する近年の研究成果をも取り入れて,この問題について再検討を行う.    3)MSABh 41, 11–14.   4)MSAṬ, D71b1–3, P79b8–80a2.   5)SAVBh, D127b1–6, P143a2–7.   6)T31, 605a14.   7)MSABh 41, 1–22. ただし写本に基づいて IX.41 の

manovṛtti°は parāvṛtti°に,IX.45 の acale は amale に改めた.   8)MSABh 64, 27–65,

5.   9)MSABh 66, 1–17. ただしレヴィ博士の訂正に基づいて校訂本の avikalpe na は

avikalpe に改めた.   10)SAVBh, D190b1–4, P210b7–211a3, Hayashima 1978, 112–113.

異読の取捨に関しては省略する.   11)MSABh 185, 21–186, 3.   12)MSU, D283b6–7, P342b6–7.   

〈略号〉

MSABh Mahāyānasūtrālaṃkāra-bhāṣya. Mahāyānasūtrālaṃkāra: Exposé de la Doctrine du Grand Véhicule. Tome I, Texte. Ed. Sylvain Lévi. Paris, 1907. Repr., Kyoto: Rinsen Book,

1983.

MSAṬ *Mahāyānasūtrālaṃkāra-ṭīkā. D no. 4029, P no. 5530. MSU *Mahāyānasaṃgrahopanibandhana. D no. 4051, P no. 5552.

SAVBh *Sūtrālaṃkāra-vṛtti-bhāṣya. “Chos yongs su tshol ba’i skabs or Dharmaparyeṣṭy

adhikāra—The XIth Chapter of the Sutrālaṃkāravṛttibhāṣya, Subcommentary on the

Mahāyānasūtrālaṃkāra, Part II.” Ed. Osamu Hayashima. 『長崎大学教育学部人文科

学研究報告』27 (1978): 73–119. 〈参考文献〉 小沢憲珠 1971「大乗荘厳経論における国土清浄思想」『仏教論叢』15: 167–170. 藤田宏達 2007『浄土三部経の研究』岩波書店. 〈キーワード〉 瑜伽行派,『大乗荘厳経論』,浄土,国土,清浄,浄仏国土,自在,転依 (龍谷大学非常勤講師,浄土真宗本願寺派宗学院研究生,文博) 『大乗荘厳経論』の浄土観(上 野) (167) 【偈】…(2)化現し変質せしめることにおいて,…自在性を得たものよ.あなたに敬礼 します. 【世親釈】ここに四種の自在性をもって,世尊の四種の一切相清浄が顕示されている.… (2)化現と変質との自在性をもって,対象の〔一切相〕清浄がある.…11) 本偈は讃仏偈の形式で「仏の功徳」を述べた XX–XXI.43–59 の第 8 偈で「四種の 一切相清浄」を主題とする.ここで注目すべきは,(2)対象(ālambana)の一切相 清浄で,世親釈によると「化現と変質との自在性」が根拠となって,認識の対象 が全面的に清浄たり得るという.本偈を引用する『摂大乗論』(X.17)の無性釈 は,この部分に次のような注釈を与えている. 【無性釈】(2)対象の〔一切相〕清浄とは,未だ〔生じてい〕ない色を化現することや, すでに生じている色を金などのものに変質すること,及び,あらゆる種類〔の対象の差 別〕を悟ることに関して,自在性を得ることである12) すなわち無性によると,無いものを現し出すことを「化現」(nirmāṇa)といい,す でに存在するものを別のものに変えなすことを「変質」(pariṇāmana)というのであ る.いずれも仏・菩薩が自身の享受するところを思い通りに示現するためには, 不可欠な能力である.ちなみに『菩薩地』「威力品」では,両者を一括して「神境 智通」(ṛddhiviṣaya)と称し,その働きについて仔細に論じている.中でも「変質」 の働きを説明する際に,菩薩が三昧の力によって,所観の対象を自在に「転変」 (anyathībhāva-karaṇa)し得る例として,信解すれば,砂利や瓦礫をマニ・真珠・瑠 璃・螺貝・玉石・珊瑚に変えなすことができると述べていることは興味深い.『菩 薩地』の当該箇所に「国土清浄」の語は見られないが,これは実質的に『荘厳経 論』の国土清浄思想の前段階を示すものと思われ,その点で重要である.

3.おわりに 

初めに述べた通り,本稿の目的は,瑜伽行派の浄土観を総合的に 理解するための前提として,菩薩行としての浄土(国土清浄)について,主にその 理論面を『荘厳経論』の用例をもとに考察することにあった.以下に,要点をま とめておく.(あ)菩薩は「対象」(五境/六境)と「把握」(五識身)を転ずること によって,国土清浄に関する自在性を得て,自らの享受するところを眼前に示現 することができる.尚,菩薩が転依の際に得る自在性は,国土に関するもの以外 にもいくつか存在し,国土清浄はそれらの自在性がもたらす複数の果徳の一つに 過ぎない.(い)「対象」「把握」は,所取・能取の相を伴って顕現する虚妄分別の 一要素であり,アーラヤ識の転換と連動して起こる,「対象」を含む所取の三要素 (166) 『大乗荘厳経論』の浄土観(上 野)

(6)

が転ずることで無漏界が,「把握」を含む能取の三要素が転ずることで四種の自在 性が実現する.四種の中,国土を清浄にするための自在性は第八地で得られる. (う)仏果を得れば,対象の化現や変質に自在となり,無いものを現し出すこと や,存在するものを別のものに変えなすことが可能となる.これも国土を清浄に するためには必要な能力で,『荘厳経論』では『菩薩地』が神通力の一種と見なす この能力を,第八地の菩薩が得る自在性として受容し,仏地(第十一地)において 完全なものとする. 1)藤田 2007, 385.   2)従来の研究で,『荘厳経論』の国土清浄思想をまともに取り 上げたものは,小沢 1971 の一本のみである.同稿は『荘厳経論』に見える国土清浄の用 例を網羅的に取り上げた唯一の研究だが,凡そ半世紀前の僅か 4 頁という限られた分量 での考察であるため,今日の学術的な水準からいえば,十分とは言い難い.そこで,本 稿では関連する近年の研究成果をも取り入れて,この問題について再検討を行う.    3)MSABh 41, 11–14.   4)MSAṬ, D71b1–3, P79b8–80a2.   5)SAVBh, D127b1–6, P143a2–7.   6)T31, 605a14.   7)MSABh 41, 1–22. ただし写本に基づいて IX.41 の

manovṛtti°は parāvṛtti°に,IX.45 の acale は amale に改めた.   8)MSABh 64, 27–65,

5.   9)MSABh 66, 1–17. ただしレヴィ博士の訂正に基づいて校訂本の avikalpe na は

avikalpe に改めた.   10)SAVBh, D190b1–4, P210b7–211a3, Hayashima 1978, 112–113.

異読の取捨に関しては省略する.   11)MSABh 185, 21–186, 3.   12)MSU, D283b6–7, P342b6–7.   

〈略号〉

MSABh Mahāyānasūtrālaṃkāra-bhāṣya. Mahāyānasūtrālaṃkāra: Exposé de la Doctrine du Grand Véhicule. Tome I, Texte. Ed. Sylvain Lévi. Paris, 1907. Repr., Kyoto: Rinsen Book,

1983.

MSAṬ *Mahāyānasūtrālaṃkāra-ṭīkā. D no. 4029, P no. 5530. MSU *Mahāyānasaṃgrahopanibandhana. D no. 4051, P no. 5552.

SAVBh *Sūtrālaṃkāra-vṛtti-bhāṣya. “Chos yongs su tshol ba’i skabs or Dharmaparyeṣṭy

adhikāra—The XIth Chapter of the Sutrālaṃkāravṛttibhāṣya, Subcommentary on the

Mahāyānasūtrālaṃkāra, Part II.” Ed. Osamu Hayashima. 『長崎大学教育学部人文科

学研究報告』27 (1978): 73–119. 〈参考文献〉 小沢憲珠 1971「大乗荘厳経論における国土清浄思想」『仏教論叢』15: 167–170. 藤田宏達 2007『浄土三部経の研究』岩波書店. 〈キーワード〉 瑜伽行派,『大乗荘厳経論』,浄土,国土,清浄,浄仏国土,自在,転依 (龍谷大学非常勤講師,浄土真宗本願寺派宗学院研究生,文博) 【偈】…(2)化現し変質せしめることにおいて,…自在性を得たものよ.あなたに敬礼 します. 【世親釈】ここに四種の自在性をもって,世尊の四種の一切相清浄が顕示されている.… (2)化現と変質との自在性をもって,対象の〔一切相〕清浄がある.…11) 本偈は讃仏偈の形式で「仏の功徳」を述べた XX–XXI.43–59 の第 8 偈で「四種の 一切相清浄」を主題とする.ここで注目すべきは,(2)対象(ālambana)の一切相 清浄で,世親釈によると「化現と変質との自在性」が根拠となって,認識の対象 が全面的に清浄たり得るという.本偈を引用する『摂大乗論』(X.17)の無性釈 は,この部分に次のような注釈を与えている. 【無性釈】(2)対象の〔一切相〕清浄とは,未だ〔生じてい〕ない色を化現することや, すでに生じている色を金などのものに変質すること,及び,あらゆる種類〔の対象の差 別〕を悟ることに関して,自在性を得ることである12) すなわち無性によると,無いものを現し出すことを「化現」(nirmāṇa)といい,す でに存在するものを別のものに変えなすことを「変質」(pariṇāmana)というのであ る.いずれも仏・菩薩が自身の享受するところを思い通りに示現するためには, 不可欠な能力である.ちなみに『菩薩地』「威力品」では,両者を一括して「神境 智通」(ṛddhiviṣaya)と称し,その働きについて仔細に論じている.中でも「変質」 の働きを説明する際に,菩薩が三昧の力によって,所観の対象を自在に「転変」 (anyathībhāva-karaṇa)し得る例として,信解すれば,砂利や瓦礫をマニ・真珠・瑠 璃・螺貝・玉石・珊瑚に変えなすことができると述べていることは興味深い.『菩 薩地』の当該箇所に「国土清浄」の語は見られないが,これは実質的に『荘厳経 論』の国土清浄思想の前段階を示すものと思われ,その点で重要である.

3.おわりに 

初めに述べた通り,本稿の目的は,瑜伽行派の浄土観を総合的に 理解するための前提として,菩薩行としての浄土(国土清浄)について,主にその 理論面を『荘厳経論』の用例をもとに考察することにあった.以下に,要点をま とめておく.(あ)菩薩は「対象」(五境/六境)と「把握」(五識身)を転ずること によって,国土清浄に関する自在性を得て,自らの享受するところを眼前に示現 することができる.尚,菩薩が転依の際に得る自在性は,国土に関するもの以外 にもいくつか存在し,国土清浄はそれらの自在性がもたらす複数の果徳の一つに 過ぎない.(い)「対象」「把握」は,所取・能取の相を伴って顕現する虚妄分別の 一要素であり,アーラヤ識の転換と連動して起こる,「対象」を含む所取の三要素

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