• 検索結果がありません。

親−子ども関係の再構築に関する研究−子どもの養育主体形成について− [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "親−子ども関係の再構築に関する研究−子どもの養育主体形成について− [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)親−子ども関係の再構築に関する研究 子どもの養育主体形成について 親子の関係性. 主体形成. エンパワーメント 子 ど も 虐 待. 他者 発達・社会システム専攻 上村. 1 .問題の所在と研究の視点 1990 年の「1.57ショック」以来、少子化は社会問題として認知 され、さまざまな対策がとられつつも、少子化傾向はとどまると. あかね. ことができなかった層について、子どもの養育主体形成へ向 けてどのような取り組みが考えられるのか、久保孝子が主宰す る親子リトミックの活動を通して考察したものである。. ころを知らない。そうした中で、児童養護施設は常に満杯状態. また、久保の親子リトミックは、親子の関係不全という課題をと. で、新しい施設も数日で定員になり、児童相談所の一時保護. らえながら、それを対象化して解決を図ろうとするのではなく、. 所では、近年、乳幼児や小学校低学年の入所が目立つとい. 親と子どもがいっしょに活動する中で、関係改善を図ろうとして. う。今日、少子化で子どもの数が減っているにもかかわらず、. いる。こうした点からも、久保の親子リトミックに着目し、考察す. 家庭ではなく施設で暮らす子どもたち、しかも、幼少の子ども. るものである。. たちが増加する傾向にある。. はじめに、ことばについて整理をしたい。. 一方、家庭での子育てを見てみると、子どもに関心をもたな. まず、子どもの養育主体についてである。子どもの養育主体. い親、子どもの生理や心理を無視して自分の都合に合わせる. には、「親」と「養育者」の2つのことばが考えられるが、「養育」. 親たちのようすや、子どもの無表情のようすが、保育士や臨床. については、子どもにとってその主体は必ずしも限定されてお. 心理士たちから報告されている。今日、「未熟な親たち」の育. らず、親以外の、乳児院や児童養護施設などの施設(施設職. 児により、「子どもが危ない」状況が起きている。. 員)もその主体になりうる。一方、「親」は子どもにとって偶発的. 施設で育つ子どもが増加する一方、家庭で育てられると「子. な、しかし限定的な存在であり、だれもがとって替わることがで. どもが危ない」状況が起きる。いずれにしても、子どもの育ちに. きない、「代替不可能」な存在である。親子の関係において. おいて環境が良くないことは間違いないと思われ、一言でいう. は、こうした「代替不可能」な関係が築かれることが必要と考え. と、「親が子どもの養育をしない」現象が拡大していると考えら. られ、したがって、本論では子どもの養育主体について、一義. れる。. 的には「親」を想定している。. こうした事態について、子どもという「弱者」の問題であるため. 次に、「子ども」についてである。虐待を受けている子どもに. に、子育ては私的なことだから、済ますことはできない。だれ. ついて、「なぜ暴力被害にあう環境から逃げないのか」という疑. が、どのように、子どもの養育を担っていくのか、を考えること. 問がだされることがあるが、これは「9歳のかべ」という認知構造. は急務であると思われる。. の変化が影響していると考えられている。9歳以前の子ども. そこで本論では、子どもの養育について、だれがその主体と. は、今ある環境から離れた生活を想像できないが、9歳以降は. なるのか、どのような養育の在り方が考えられるのか、そうした. そこから離れた生活を想像することができ、そのため暴力被害. 養育を担う主体形成はどうするのか、について研究するもので. にあう環境から逃げるという発想ができる、というものである。. ある。. したがって、親の能動的な関わりがなくては生存が危ぶまれ. そのさい、久保孝子が主宰する親子リトミックについて、実践. る乳幼児、加えて、今ある環境下で生きざるをえない9歳以前. 分析を行っている。これまで、いじめや性的暴行、子ども虐待. の子どもにとっても、親の養育の在り方が重要な意味をもつこ. など、子どもへのあらゆる暴力について、防止という側面から. とは疑いない。よって本論では、「子ども」というとき、親元で生. 活動しているCAP(Child Assult Prevention)の取り組みを通し. 活せざるをえない、乳児から小学校低学年の子どもを想定し、. て、子ども虐待の解決について考察してきた。親の養育主体. その養育主体について考察している。. 形成という側面からは、「おとなセミナー」において啓発活動を. 次に、なぜ親子関係ではなく、「親−子ども」関係と表記する. 行ってきたが、それは主体的にセミナーへ参加する意志をも. のか、についてである。本論では、親子関係における親と子ど. つ層へ向けての活動であり、参加する意志のない層へ働きか. もの関係を考察するとき、はじめに「おとな−子ども」関係につ. けることはできなかった。本論は、こうした、これまで対象とする. いて、社会変動と関連させながら考察している。なぜなら、家.

(2) 庭における幼児期の教育は、その時代がどのような「おとな. 2.2項対立的「おとな−子ども」関係の成立−高度経済. 像」をもっているかに影響されるため、学齢期の子どもまで含. 成長を経て. めて、広く「おとな−子ども」の関係について考察する必要が. 3.「おとな−子ども」関係のゆらぎ−情報・消費社会の中. あると思われたからである。いい替えると、家族における「親−. で. 子ども」関係の構造と、家族を包摂する社会における「おとな. 4.「おとな−子ども」関係の衰退−高度情報・消費社会と. −子ども」関係の構造は、互いに影響するためである。. 「新自由主義のイデオロギー」のなかで. そうして考察する中で、おとなと子どもの間には、2項対立的. 5.「おとな−子ども」関係の再構築へむけて−子どもの. な関係があることが明らかとなり、その対立構図を表現する意 図を含ませて、「おとな−子ども」関係という表記を用いてい. 育ちを保障するために Ⅱ 「おとな−子ども」の関係の在り方−とくに親子関係に. る。したがって、親子関係においても同様に、「親−子ども」関. ついて. 係としている。なお、こうした表記については、高橋勝に拠っ. 1.子どもへの虐待に関する考察−「子どもの乱用」という. た。. 観点が示唆すること. さいごに、リトミックと親子リトミックについてである。リトミック教. 2.子どもの「操作可能性」と子育て. 育とは、音楽専門者養成の基礎的過程として、エミール・ジャ. 3.親の存在の「代替可能性」. ック=ダルクローズ(Jaque-Dalcroze,E)によって約70 年前に創. 4.「おとな−子ども」関係の再構築へむけて−子どもの. 始された、音楽教育方法のひとつである。リトミック教育は、音. 育ちを保障するために. 楽を聴きとり身体的に表現するリトミック、聴音や譜面から理解. Ⅲ 子どもの養育における親の主体形成の筋道. された旋律を音名で表現するソルフェージュ、ピアノなどの即. 1.エンパワーメントの教育による主体形成. 興演奏を3つの柱として成り立っており、身体の動きを通して. 2.親子リトミックとはなにか. 音楽を学ぶところが、従来の音楽教育方法と異なる点である。. 3.調査の視点と方法. 一般的には「幼児音楽教育」として理解されており、現在、多. 4.久保孝子が主宰する親子リトミックの実践. くの幼稚園や保育所、幼児向け教室で実践されている。子ども. 5.久保孝子が主宰する親子リトミックの実践分析. たちのリトミックでは、音楽的基礎能力を育てながら、集中力や. 6.久保の親子リトミックの評価. 反射能力、創造力、記憶力などを養うことが目標とされている. Ⅳ 新しい「親−子ども」関係の構築−子どもの養育主体. が、集団で取り組む学習であるために、1人よりも2人、3人と集. の在り方について. 団での音楽表現を通じて、その楽しみや喜びを味わうことも目. Ⅰ章では「おとな−子ども」関係の変容について、社会変動. 的とされている。したがって、リトミックは、人間関係をうながす. と関連させながら考察した。まず、高度経済成長以前の農村. 役割も担っていると考えられる。. 共同体的な社会では、親が明確な意図をもって子どもを教育. また、乳幼児の場合は、子どもが安心できる空間でリトミック. するという意識は希薄であり、子どもはおとなの生活を支える. を行えるよう、親が側で見守り、ときに参加することが求められ. 一員として労働に参加する中で、おとなの「見よう見まね」「模. る。親子リトミックは、こうした意味で、親子がともに取り組む音. 倣」によって、自ずと必要とされる内容を習得していた。そこに. 楽教育である。. 見られる「おとな−子ども」関係は同一線上にあると考えられ、. しかし、子どもの安心感を確保するための親子リトミックで. 「教える−教えられる」関係へと明確に分化していなかった。. は、親の参加は消極的な意味合いをもつ。こうした親の参加を. こうした関係が変容するのは、大正期に誕生した「教育する. 積極的に意義づけて実践を行っているのが、久保の親子リトミ. 家族」が、高度経済成長期を経て産業が第2次、第3次産業へ. ックである。久保は、親子リトミックのレッスン内容にできるだけ. 移行する中で、農村共同体的な地域が崩れ、サラリーマン家. 親の役割を大きくし、親子いっしょに楽しめるリトミックを目指し. 庭が圧倒的となってからである。産業社会における、限りない. ているが、こうした側面をもつ久保の親子リトミックは、子どもの. 「進歩」「成長」「発展」という意識は、子育てにおいても「将来. 養育について親の主体形成をうながし、新しい「親−子ども」. へ向けて」という未来志向的な感覚を浸透させ、親の子どもへ. の関係を構築する契機となると考える。そこで、本論では久保. の操作意識を強化させた。それを後押ししたのが、医学や発. の親子リトミックに着目し、考察したものである。. 達心理学を基盤とした発達観であり、ここに子どもを教育の対. 2.内容の概要. 象としてとらえる見方が普遍化し、「教える−教えられる」という. 本論の構成は以下の通りである。 Ⅰ 家庭生活と「おとな−子ども」関係の変容. 「完成したおとな」と「未熟な子ども」の2項対立的な「おとな− 子ども」関係が成立した。. 1.「おとな−子ども」関係の未分化. しかし、社会の情報化・消費生活化の進展とともに、こうした2. -2-.

(3) 項対立的な「おとな−子ども」関係は衰退することとなる。その. る「イノセンス」(子どもの要求や欲求、ときに逸脱や非行など、. 背景には、知識を「活字」から「情報」として受けとることが可能. 親の意のままにならないこと)を、親が「受け止める」ことで成立. になり、子どもが市場の格好の標的とされるなど、情報化と市. すると考えられる。. 場原理がおとなと子どもの区別なく社会を席巻したことで、子. つぎに、「受け止める」主体となる親の存在が、教育・保育サ. どもに「自己選択」の行動様式が定着し、おとなの子どもに対. ービスと「代替可能」であるか否かについて、ネグレクトの子ど. する優位性が崩れたことがあげられる。. もに見られる影響を参考にしながら考察した。ネグレクトの本. また、長期不況の影響で日本型雇用慣行が否定され、中年・. 質は、親が子どもに対して関心を向けないことにあり、こうして. 壮年男性の不安や葛藤が拡大し、それまで安定的だった「完. 親からの「見捨てられ感」を抱いた子どもは、他者と関わること. 成したおとな」像が、その担い手の内部からゆらいでいること. なく、自己の存在を無価値化させる。. も、背景としてあげられる。「完成したおとな」像とは、高度経済. よって、子どもの育ちにおいては、身体的な欲求が満たされ. 成長を契機として形づくられた、産業社会が要請する「おとな」. れば十分ではなく、親の情緒的な関わりや、子どもへ関心が. 像であったためである。. 払われることから、「自分はかけがえのない存在である」という. そして今日、「自己選択」「自己責任」という「新自由主義のイ. 感覚を子どもに育むことが重要である。いい替えると、子どもに. デオロギー」が社会に浸透する中で、「自己選択」の過程にお. 「他者」感覚を育むことであり、したがって、それは「代替不可. いてその価値を問うことを奪われているにもかかわらず、結果. 能」な関係において成立することとなる。. 責任だけは強く負わされる状況にある。しかも、生命の多様性. 今日の高度に情報化・消費生活化した社会においては、教. を前提としないために、「新自由主義のイデオロギー」はあらゆ. 育・保育や相談など、生活のあらゆる場面がサービス化される. る領域に浸透し、市場原理にさらされる子どもをも圧倒する。し. が、そこでの人間関係は、機能や役割としての関係である。人. かし、こうした状況は子どもにとって苛酷と思われ、何らかの保. 々を「代替可能」な関係がとりまく中で、親子関係において、お. 護や教育が必要であると考える。. 互いが「他者」として意識されることが必要であると思われる。. そこで子どもの教育について見ると、新自由主義社会では、. したがって、Ⅱ章では、子どもは「操作不可能」な存在である. 教育は「サービス」の提供という実質をもたざるを得ず、親や子. ために、「受け止める」ことで関係を築くことが必要であること、. どもはサービスを選択する行為においてのみ「主体化」される. また、それは「代替不可能」な関係であるために、親は一方的. 傾向にある。しかし、これは「あてがわれた枠組み」内において. なサービスの受け手となることなく、子どもとの関係を築いてい. の主体性の発揮でしかなく、受動的な側面を強く帯びる。. く必要がある。そのために、親の主体形成の在り方が問われる. したがって、子どもの養育や教育について、放棄ではなくそ. ことが、明らかとなった。. の内実を創りあげるには、子どもを教育の対象としてとらえるの. そこでⅢ章では、子どもの養育主体を形成する筋道につい. ではない、新しい「おとな−子ども」関係を構築することが必要. て、どのような学習の仕方が望ましいのか、そうした学習をうな. であり、そのためには、養育や教育を担う親の主体形成の在り. がす実践とはどういうものなのか、久保による親子リトミックの実. 方が重要となることが、Ⅰ章で明らかとなった。. 践分析を通して考察した。. Ⅱ章では、子ども虐待に関する知見に拠りながら、「教える−. 学習については、「教える−教えられる」関係での学びでは. 教えられる」関係ではない親子関係の在り方について考察し. なく、「エンパワーメント」による学びの必要があると思われる。. た。はじめに子ども虐待について、人間関係という側面に焦点. それは、親の意識を意図的に動かす「操作的」な学習ではな. 化する、子どもの「乱用」や「役割逆転」という概念を参考にし. く、親が自分に本来備わっている力量に気づき、その力量を. て、子ども虐待の本質は、子どもの存在や子どもとの関係を、. 信頼し、活性化させるような学びの在り方である。したがって、. 親の必要や欲求を満たすために利用することにあることが理. 学習を援助する実践が、「子育て」「教育」「親の学習」といった. 解された。こうして築かれた関係は、親子間において見られる. ことを、親に強く意識させてはならない。なぜなら、「エンパワ. だけでなく、子どもの人間関係をも規定することになる。. ーメント」な学びとは、親が自分の力量に気づくきっかけを提. こうした背景に、「子どもは親の意のままに管理統制できる」と. 供するに過ぎず、学習を援助する側は、きっかけを与えた後. いう、子どもを「操作可能」ととらえる見方があるが、これは、2. は、見守るしかないからである。厳密にいえば、きっかけは与. 項対立的な「おとな−子ども」関係において、前提とされた子. えるものではなく、親が自分で「きっかけだ」と思うことによって. どもの見方であったと思われる。しかし今日、新しい「おとな−. しか現れず、したがって、実践の在り方としては、親子いっしょ ... に活動することを通して、親と子どもが出会うきっかけを多く設 ... けることが考えられる。この出会いとは、単に親と子どもが同じ. 子ども」関係を築く必要があり、したがって、子どもの「操作可 能性」という前提は否定される。そこでの親子関係や子育て は、芹沢俊介の「イノセンス論」に拠って、子どもから表出され. -3-.

(4) 空間や時間を過ごすだけでなく、互いに気づく、互いを認識 ... する、「他者」として意識されるような出会いである。 こうした文脈から、「エンパワーメント」な学習を援助する実践. た学習援助者と実践の在り方は、「子育て」「親の学習」を強く 意図したものではなく、しかしこのことが、「エンパワーメント」な 学びに重要な側面であった。. として、久保が実践する親子リトミックの実践分析を行い、考察. 障害者の社会教育実践について、「楽しんで参加することが. を加えた。久保の親子リトミック自体は音楽教育の1つであるけ. 基本で、そのなかで力は伸びていく」「楽しさを経験して、それ. れども、「親の学習」「教育」を強く意識させるものではなく、レク. をもっと追求したいという気持ちから新たな学習に取り組むと. リエーションといった方が近いと思われる。. いうスタイルが大切」という考え方が提示されているが、親の主. 久保の親子リトミックは、久保の指示とピアノの即興演奏に合. 体形成においても、一番に参加が大切であり、そこでの実践. わせて、即時に身体で音楽を表現することを繰り返しながら進. から「きっかけ」を得て学びが深まる、そうした実践の在り方が. 行するが、実践の中では、親が動いて見せると子どももまねし. 考えられる。. て動くが、親が動かないと子ども動かないようす、親が楽しん. 久保は、まさしくこうした実践を行っている。「教育」という発想. でいると子どももまねしようとするようす、親が笑いかけると子ど. ではなく、「親子がいっしょに楽しむ」という発想と実践の中で、. もも笑い返すようすなどが見られた。. 子どもとの相互作用の喜び、応答の楽しさを経験することから. ここからわかるのは、親の気持ちを子どもは「見抜く」ことであ. 親は「きっかけ」を得て、自分の力量に気づき信頼し、子どもと. る。親が楽しそうであれば、子どもやってみたい、まねしたい、. の関わりを豊かなものにしていくことができると考えられる。こう. 楽しい、と自ずから感じると思われる。したがって、子どもに何. した実践の在り方が、今日の子育て支援や親の学習において. かを学ばせたいと思うとき、親が「気持ちを裸にして」手本を示. も、求められるのである。. すことが必要である。こうした親の姿が、子育てや子どもの教. これからは、親と子どもが、互いをかけがえのない存在とし. 育の基本的な形となると考えられるが、それは、育児方法やし. て、喜び、気遣い、支え合う関係、そうした「親−子ども」関係. つけ方というものではなく、親子の関係によって成り立つ教育. が構築されることが必要である。そこには「教える−教えられ. の形である。. る」関係に見られた2項対立的な関係ではなく、「する−まね. しかし、親は子どもに働きかけるだけではなく、子どもから得. る」「教える−学ぶ」のような、互いに能動的な働きかけを行う. られるもの、子どもが応答することによって引きだされるものが. 関係が考えられる。子どもが育つ、そして、養育者として親が. ある。ある乳児園で、入園中の幼児と面会にくる父親との関係. 育つとは、そうした能動的な働きかけの繰り返しによる結果だと. がうまくいかないとき、保育士が幼児に「パパ」と呼ぶことを教. いえるのではないだろうか。 したがって本論では、「親−子ども」関係の再構築をうながす. えると、「パパ」と呼ばれた父親は嬉しそうに幼児を抱きかかえ. ような親の養育主体形成について、親子がいっしょに楽しく活. る、ということがあった。 ここに示されることは、子どもの言動を親が喜ぶという、素朴. 動する中で「きっかけ」を得られるような、「エンパワーメント」な. な、しかし大切な親子の姿である。親は子どもに働きかけ、子. 学びの場をたくさん提供することが必要であること、つまり、親. どもはそれに応答する、そうすると、親は嬉しくなりさらに働き. の主体形成について学習を援助するとき、「対象化から主体. かけようとする。こうした繰り返しを可能にするような親子関係を. 化へ」学習者のとらえ方を転換する必要があることが明らかとさ. 築くことが、子どもの育ち、そして親の養育者としての育ちに. れた。. も、重要であると考える。 したがって、学習援助者の役割や実践の在り方が重要とな. 主要参考文献・主要引用文献. る。今日の親たちは、「教える−教えられる」関係によって育. 高橋勝『文化変容の中の子ども』東信堂 2002 年. ち、その関係が衰退した社会で生活し、子育てをしている。自. 田中智志『他者の喪失から感受へ』勁草書房 2002年. 分たちが育ってきた関係を子どもと築くことはできず、それに. 鈴木聡『世代サイクルと学校文化』日本エディタースクール出. 代わる新しい関係がすでに創造されているわけでもない。今. 版部 2002年. 日の親たちは、「親−子ども」の新しい関係を築いていく立場 にあり、そこでは、学習援助者の役割や実践の在り方が、ます ます重要な意味をもつと思われる。 そこで、親子リトミックにおける久保の役割に着目すると、久 保は自ら「気持ちを裸にして」親と子どもに手本を示し、いっし ょに動きを行っている。そして、リズムにのって身体を動かした り、歌ったりと、親子リトミックはなにより楽しい場である。こうし. -4-.

(5)

参照

関連したドキュメント

学校に行けない子どもたちの学習をどう保障す

1-1 睡眠習慣データの基礎集計 ……… p.4-p.9 1-2 学習習慣データの基礎集計 ……… p.10-p.12 1-3 デジタル機器の活用習慣データの基礎集計………

子どもが、例えば、あるものを作りたい、という願いを形成し実現しようとする。子どもは、そ

どんな分野の学習もつまずく時期がある。うちの

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

ユース :児童養護施設や里親家庭 で育った若者たちの国を超えた交 流と協働のためのプログラム ケアギバー: 里親や施設スタッフ

 ファミリーホームとは家庭に問題がある子ど

今回、子ども劇場千葉県センターさんにも組織診断を 受けていただきました。県内の子ども NPO