博士論文審査報告書
申請者: 施華強
論文題名:「不良債権処理における政府の役割:中国のケース」(Non-Performing Loans Resolution: The Case of China)
I.論文概要
本論文は中国の銀行部門における不良債権の 80%を占める 4 大国有商業銀行における 不良債権問題の実態を明らかにすると共に、背後にあるメカニズムを理論的かつ実証的に 検証するものである。アジア通貨・金融危機を教訓として、中国政府は深刻な不良債権問 題に対して、不良債権削減、資本注入、資産管理会社の設立、銀行部門に対する審査の強 化など様々な措置を適用してきたが、不良債権問題は改善していない。国際的には、深刻 な不良債権を抱える銀行は倒産に追いやられるが、中国では、実質的には存続不可能な銀 行が存続しているし、金融危機にも陥っていない。ただし、将来における中国経済の順調 な成長を実現させるには、不良債権問題を解消しなければならない。このような認識に基 づき、本論文では、具体的に以下の二つの疑問に対して分析を行っている。一つは、中国 政府の様々な措置にも関わらず、なぜ不良債権問題が改善しないのか、今、一つは、事実 上倒産している 4 大国有商業銀行は、なぜ倒産しないのかという問題である。分析では、
4大国有商業銀行と融資先である国有企業の両者における「二重のソフトな予算制約」の 存在が決定的に重要な役割を果たしていることが指摘される。この分析結果から、不良債 権問題の解決にあたっては、政府が4大商業銀行および国有企業に対して厳格な予算制約 の執行を強制することが不可欠であることが政策インプリケーションとして導出される。
従来の研究でも、国有企業におけるソフトな予算制約の問題は議論されてきたが、商業銀 行におけるソフトな予算制約も同時に考慮した分析はなく、その点が本論文のユニークな 視点である。以下、施論文の構成と概要を見ることにしよう。
II. 論文構成および内容
本論文は全8章から構成されている。
第1章 序章
1 経済発展における政府の役割
2 不良債権と政府の役割:中国のケース 第2章 中国の金融部門の特徴
1 中国における商業銀行の推移:1949年から2005年 2 中国における金融制度の特徴
第3章 国有商業銀行における不良債権、調整要素、および深刻な状況:1994年から2004 年
1 はじめに
2 国有商業銀行における名目不良債権比率
3 国有商業銀行における不良債権分類の変更と削減 4 調整済み名目不良債権比率の国際比較
5 国有商業銀行の不良資産および債権 6 結論
第4章 中国の国有商業銀行における不良債権、事実上の倒産、ソフトな予算制約 1 はじめに
2 不良債権と国有商業銀行の事実上の倒産
3 国有商業銀行の事実上の倒産とソフトな予算制約 4 文献サーベイ
5 国有商業銀行におけるソフトな予算制約の第1の形態:資金投入と債権削減 6 国有商業銀行におけるソフトな予算制約の第2の形態:中国中央銀行による融資 と利子率制約
7 国有商業銀行におけるソフトな予算制約の第3の形態:監督当局による猶予 8 ソフトな予算制約の経済的帰結
9 結論
第5章 ソフトな予算制約、国有商業銀行の不良債権の内部性および不良債権問題解決に 向けての政府の役割
1 はじめに
2 二重のソフトな予算制約および国有商業銀行の不良債権の内部性1:維持費用の 埋没費用
3 二重のソフトな予算制約および国有商業銀行の不良債権の内部性2:商業銀行に よる再生への賭け
4 二重のソフトな予算制約および国有商業銀行の不良債権の内部性3:国有商業銀 行に対する共有地の悲劇
5 国有商業銀行の不良債権の内部性および不良債権問題解決に向けての政府の役割 6 結論
第6章 プリンシプル・エージェント関係、政策の負荷、外部不経済:国有商業銀行によ るソフトな予算制約の理由
1 プリンシプル・エージェント関係と国有商業銀行によるソフトな予算制約 2 国有商業銀行によるソフトな予算制約の政策負荷
3 外部不経済、Too big to fail、国有商業銀行によるソフトな予算制約 4 中国における国有商業銀行によるソフトな予算制約の特徴
5 結論
第7章 金融部門改革の漸進主義と二重のソフトな予算制約の形成
1 金融部門の市場化における漸進主義:促進する要因と背後にある論理
2 中国における金融部門改革の漸進主義と国有商業銀行による二重の軟弱な予算制
約の形成
第8章 結論:ソフトな予算制約、国有商業銀行の不良債権の内部性、不良債権問題解決 に向けての政府の役割
1 国有商業銀行の不良債権の内部性および政府の役割 2 ソフトな予算制約の厳格化と国有商業銀行の改革 3 ソフトな予算制約の厳格化への挑戦と政府の役割 4 今後の課題
第1章は序章であり、本論文の主要テーマである中国の 4 大国有商業銀行における不良 債権問題と政府の関係について、幅広い観点から議論を紹介している。より具体的には、
政府の経済発展における役割や中央政府と地方政府の関係などについての議論の整理を行 い、本論文のテーマの重要性を議論している。
第2章では、中国の4大国有商業銀行の不良債権問題を分析するにあたって認識してお かなければならない、中国における銀行・金融制度について歴史的視点を踏まえて説明し ている。説明では、特徴として、間接金融、国家による所有(国有)、寡占および低利潤と いう側面を強調している。
第3章は、中国の4大国有商業銀行における不良債権の問題の実態を解明している。具 体的には、中国の4大国有商業銀行における不良債権比率、不良債権に関する分類を調整 した不良債権比率、不良債権問題の深刻性について、国内外の銀行との比較を行いながら、
分析を進めている。分析からは、不良債権比率は名目では縮小しているが、政府による不 良債権に対する様々な措置の影響を考慮すると、実際には不良債権比率は減少していない ことを明らかにしている。また、中国の4大国有商業銀行における不良債権問題は、国内 外の他の銀行と比べても深刻であることを見出した。
第4章は、中国の4大国有商業銀行が事実上破綻していることを数量分析から明らかに し、どのような理由から、事実上破綻している中国の4大国有商業銀行が継続的に存続し ているのかということについて、理論的に分析する。分析では、中央政府、財政当局、銀 行監督機関、預金者が4大国有商業銀行におけるソフトな予算制約を持続させていること が、不良債権問題の原因であることを指摘する。ソフトな予算制約という概念は国有企業 における経営問題の分析に適用されてきたが、本分析では、それを発展させ、国有企業だ けではなく中国の4大国有商業銀行においてもソフトな予算制約が存在することを指摘し、
それが問題の根幹であることを強調している。
第5章では、4大国有商業銀行における不良債権問題においては、4大国有商業銀行、
国有企業、地方政府の期待に関してソフトな予算制約が内部性を持つ形で形成されたこと が特徴的であり、かつ、重要な原因であることを理論的に分析し、政策提言を導出してい る。具体的には、サンクコストや復活当て込みの概念を援用して、なぜ 4 大国有商業銀行 が損失を出しながらも国有企業へ貸し出しを続けたかを説明する。そして中央政府と地方 政府の効用関数が一部重複しながらも異なると設定して、地方政府の保護下で国有企業が
国有商業銀行からの貸付を受け続けることができたと説明する。
第 6 章は 4 大国有商業銀行においてソフトな予算制約が実行されている理由を分析する。
分析からは、4 大国有商業銀行と政府との特別なプリンシパル・エージェントの関係、4 大国有商業銀行による国有企業のソフトな予算制約を支持する行動、そして 4 大国有商業 銀行が「倒産することにより生じる被害が非常に大きいこと(too big to fail)」などが 4 大国有商業銀行におけるソフトな予算制約の理由として挙げられている。これらの理由の うち、第一と第二の理由、つまり、4 大国有商業銀行と政府との関係および 4 大国有商業 銀行と国有企業の関係が中国における特殊要素であると論じている。
第7章では、4 大国有商業銀行における不良債権の問題を中国における金融部門改革と の関連で分析を行っている。中国では金融部門改革は過去 4 半世紀に亘って、実物部門で の改革を追いかける形で漸進的に進められてきた。金融部門および実物部門において改革 が進められているものの、4 大国有商業銀行の不良債権問題に現れているように、国有企 業(実物部門)と 4 大国有商業銀行(金融部門)の抱える問題は深刻であり、両部門にお けるさらなる改革が必要であることが議論されている。
第 8 章は本論文の結論部分であるが、中国における 4 大国有商業銀行の不良債権問題の 背景には中国の特殊事情が存在することから、他国で実施された措置は有効ではなく、し たがって、問題解決にあたっては、従来の措置とは異なった措置の適用が必要であること が強調されている。不良債権問題解消にあたっては、中央政府が 4 大国有商業銀行におい て厳格な予算制約を実現させるような措置を実施することが不可欠であることが指摘され、
具体的な措置として、4 大国有商業銀行をより小規模な組織に分割することが提案されて いる。さらに、4 大国有商業銀行の操業する環境をより競争的にするために金融改革を進 めることも重要であると締めくくっている。
III. 評価
本論文では中国の 4 大国有商業銀行における不良債権問題について経済モデルを構築し、
それを実際の現象の分析に適用するという学術的に適切な手法を用いることで分析が行わ れている。具体的には、国有商業銀行と国有企業という同国経済の根幹をなす大プレーヤ ーが、双方ともに、既得権を守るために、不良債権を減らすよりは現状維持を優先する行 動から容易に脱し得ないという「構造欠陥」を持っているという事実に焦点が当てられて おり、その構造は、施氏のいう「二重のソフトな予算制約」に集約されている。ゆえに、
その暗示するところは、「国有」という国家の特権所有・支配構造の打破なしに、この問題 の脱出は至難ということにある。
施氏が本テーマを選び、優れた論文を執筆できた理由は、本人の学究的かつ理論と実践 をともに尊ぶ性格と多大な努力に依拠していることは間違いないが、同時に、同氏が、金 融監督庁に高級幹部として勤務し、情報アクセス面で他の追随を得ぬほど有利であること、
さらに、実際の監査業務を通じて、国有商業銀行で大量の不良債権が生じ、政府が公的資 金を数次にわたり投入しても、時間をおかずまた大量の不良債権が形成される仕組みを日
常的に肌で感じているからといえる。そこで得られた情報、データは同国の機密情報ゆえ 本論文に使用できぬとはいえ、いわば、裏を取りながら、第3者には情報が得がたく、分 析しにくい本問題の核心に深く迫れるという利点を本人は持っている。とはいえ、論文に 掲載されている数字などは、すべて、中国の新聞、雑誌、書籍などで引用された文献から のものであり、職務上仕入れた知識を乱用して、検証しているわけではない。
本論文のテーマである中国の不良債権問題はきわめて多くの学者・実務家の関心を呼ぶ ものであり、すでに多くの先行研究がある。しかし、本論文の水準はそれらの先行研究水 準を超えていると思われる。具体的には、二重のソフトな予算制約という新しい概念を用 いて理論面から分析を行ったことと、不良債権の実状に関して綿密な数量的分析を行った ことが大きな貢献である。本論文の貢献は、本論文の重要部分が、中国でも金融分野につ いては最高水準にあるとされる『金融研究』(Journal of Financial Research)2005年12 月に掲載され、事情に通じた国務院の幹部など多くの中国人専門家が強い関心を示した一 事からも推察される。
上述したように、本論文では中国の 4 大国有商業銀行における不良債権問題を経済学的 な視点から分析することで、同問題の背後にある「ソフトな予算制約」と表現される経済 的メカニズムを明らかにすることには成功している。ただし、今後の課題としては、「ソフ トな予算制約」を生み出す根本原因までさかのぼって、この問題の発生、拡大のメカニズ ムを明らかにすることが挙げられる。
IV. 結論
我々審査委員会一同は、論文査読ならびに面接試験(2006年5月15日実施)の結果を 踏まえ、提出論文について、博士論文としての評価に耐え得るものと判断し、ここに満場 一致で承認する。
論文審査委員会委員氏名
主査 早稲田大学教授 Ph.D(経済学) スタンフォード大学 浦田秀次郎 副査 国際大学学長 博士(経済学) 一橋大学 山澤逸平 副査 青山学院大学教授 博士(経済学) 東京大学 中兼和津次 副査 早稲田大学教授 木下俊彦
2006年5月29日