孤児たちの物語
-トー・モリスン『マーシィ」に見る十七こ世紀後期のヴァージニア
磯部芳恵
はじめに
2009年に、アメリカで初のアフリカ系アメリカ人大統領が誕生した。バラ ク・オバマの「変革」という言葉は、経済危機や格差社会に幻滅した人々に、新 生アメリカヘの希望を与えた。オバマは、白人とアフリカ系アメリカ人を含むマ イノリティとの間の溝を埋め、一丸となってアメリカを再生しようと訴え、その 思いをこめた「一つのアメリカ」というイメージを国民に与えた。
これまで、アメリカは白人対黒人の構図でとらえられ、分断、対立というイ メージが強調されることが多かった。オバマは、「人種」を超えた統合こそが、
アメリカ再生への道であるということを訴えた。逆にいえば、「人種」という概
念こそが、アメリカの統合を阻んできたのである。アフリカから黒人が初めて強制移送されたのは、1609年だが、その後1865年
まで続いた奴隷制は、白人黒人それぞれのアイデンティティ形成に深く影響を与 えた。「一滴の血」の混入で黒人とみなされるアメリカでは、「人種」は脅迫概念
になっていたといえる。
オバマ大統領誕生によって、アメリカが「人種を超越した」社会に移行すると も考えられたが、実際には、根強い人種主義を指摘する有識者も多い。やはり、
「人種」は、いまだアメリカ社会を呪縛するものなのだろうか。
文学の世界では、これまで「人種」を主要テーマとして創作活動をしてきたト ー・モリスン(ToniMorrison)が、大統領選の年に建国前のアメリカを描いた 九作目の作品「マーシィ」(A肌岬,2008)’を発表した。モワスンは、大統領選 が始まった当初は、ヒラリー・クリントンを支持していた。オバマから支持を求 められたとき、いったんは断ったが、最終的にオバマを支持することを決めた。
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オバマの勝利について聞かれたとき、次のように答えている。
Thisn1orningldidn,tknowhowtenseIwasbutIfdtthisrelieflikesome- thingwasliftedEventhoughIlookfOrwardandrelishthehardworkof tllenextterm,IknowwecandoitoItmademefeellikethatphraseMartin
LutherKingJr・hadsaidaboutbeingtothemountaintoplcouldnever visualizetl1en1etaphoruntilnow、2
常に作品の中で差別に対して静かな抗議を表明してきたモワスンにとっても、
オバマの勝利は新生アメリカヘの期待を抱かせる出来事だったと思われる。さら に、この勝利が、アメリカ人の人種の概念について何を意味するかと聞かれて、
We,restillaveryactive,volcaniccountⅣWhichispartofitsexcitelnenLtlle reinventionofourselvesandtheconstantsearchforwhatdemocracy means・I,mkeenlyawareofthispeculiarityforthiscountry、3
と述べ、多民族社会アメリカは、絶えず自己を再創造し民主主義を追求すること
で変貌を遂げてきたことを指摘する。モリスンは『白さと想像力」(〃〃ノノZgj〃伽Dα戒W7jjte"CSM"。'伽Ljtemry
〃“川ノノ0",1993)の中で、「新llIt界で特徴的だったのは、第一に、自由の要求 と、第二に、民主主義の実験の中心にある自由のない人々の存在だった」と語っ
ている4.白人が、旧世界でどんな身分であったにせよ、新世界では「紳士」に
変貌することが可能であったのに対し、黒人は「奴隷制」により、非人間に艇め
られたのである。
モリスンは、アメリカ人が奴隷制に対して「国民的健忘症5」になっていると
述べたことがある。それは、黒人だけでなく白人も忌避する負の記憶である。し かし、『マーシイjについてのインタビューで、ドン・ジョーダン(DonJordan)
とマイケル・ウオルシユ(MichaelWalsh)の「白い積荷」(WZzj花Qz卿,2007)
を読んで、多くの白人アメリカ人の出自が奴隷であることを知って驚いたことや、
過去に奴隷制や農奴制に依存した社会が多く存在したことに触れている6゜これ
まで、アメリカの奴隷制に関しては、一方的に白人の非として論じられることが-16-
多かったが、近年の研究で、アフリカ人自身も奴隷貿易に加担していたことは周 知の事実である。
モリスンは、『マーシィ』を著わした理由について、「人種と奴隷制を切り離し たかった7」と述べている。アメリカ人は「人種」という語、またその概念にず っと呪縛されてきた。アメリカにおいては可人種の概念は奴隷制度と切り離して 考えることができない。
『マーシィ」の舞台は、17世紀後半のヴァージニアである。ヴァージニアは、
メリーランドと並んで、アメリカでもっとも植民時期が早かった地域である。
1620年代に、第一次タバコ栽培ブームがあり、その時期に植民地に労力として導 入されたのは、作品にも登場する年季契約奉公人であった。彼らは、一定期間の 労働契約を主人と結び、渡航費、植民地でのf'三活費、満期後の給付金を保証され た。しかし、肉体的懲罰が課されたり、期間内なら主人によって譲渡売買される こともあった。年季契約奉公人は主にイギリス出身だったが、ヨーロッパの他の 地域からの渡航者もいたし、アフリカから強制的に移住させられた黒人もいた8。
このように、この時期は、混沌としていたが、作品は、奴隷制度を確立しつつあ るヴァージニアやメリーランドを描いている。
モリスンの奴隷制を描いた作品は、実際に起きた女奴隷の子殺しを基にした
『ビラヴド』(Be/川α,1987)がある。「マーシィ」は建国前の1680年代と1690 年代、「ビラヴド」では、1850年から55年と奴隷解放後の1873年から74年を 描いている。二つの作品が記憶と母と子の愛をテーマとしているという点でも、
「マーシィ』は『ビラヴド』のプレリュードともいえる作品である。『マーシィ」
は、黒人奴隷の少女フローレンスを中心にしている。エミィ・フライホルム (AmyFrykholm)は、この作品が「奴隷制と自由の本質と、自分たちがどこか ら来て、誰なのかに関する黙想」で、「この小説で、奴隷制は外的かつ内的構成
要素であるが、単に法的身分というのではなく、世界と対決する方法である9」
とも述べている。「ビラヴド」とは、約二:2百年の乗がある時代蒜景を考察しなが ら、作品のテーマを探究したい。
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ヴァーク家の孤児たち
「マーシイ』に描かれているヴァージニアについて、モリスンはナショナル・
パブリック。ラジオのリン。ニーリィ(LynnNeary)とのインタビューで「流
動的9」な社会であると述べている。この時代には奴隷制は法的に整備されてお
らず、労働力は黒人奴隷よの、白人の年季契約■奉公人に依存していた。1680年 にはヴァージニアに一万一千人の白人年季契約奉公人に対し、黒人は三二F人にすぎなかった'0.労働力の供給源を黒人に依存するようになった原因の一つには、
作品にも描かれている1676年のベイコンの反乱がある。これはT資産家のフラ ンシス・ベイコンが、総督の独占する事業に参入できないことを不満に思い、ネ イティブ・アメリカンの紛争を利用して、農民らを武装させて、ヴァージニアを 攻撃したものである。ベイコンは、年季契約奉公人や奴隷を組織したが、急死し て、目的を遂げることができなかった。この「人民の戦争」で、多くのネイティ ブ・アメリカンが虐殺されただけでなく、白人の年季契約奉公人制度の代わりに 黒人奴隷制度が根付く契機となった'1。
…bygrantinglicenseanyWhitetokillanyblackfOranyreason;bycompen-
satingownersforaslave,smaimingordeath,theyseparatedandprotected allwhitesiim1allothersforever.(10)この戦争をみてもわかるように、ヴァージニアは「まだ混乱状態だった」(11)
が、この時期は、本格的奴隷制度と、白人中心社会が形成される揺篭期でもある。
この作品の主人公は、奴隷の黒人少女フローレンスである。彼女は一人称で、
常に現在時制で語る。モリスンはその理由を次のように説明している。
WhenshewaswithhermothershespokePortugueseoSheknowsLatiIL
SoIjustputallherlanguagetogetherandgaveheranindMdualvoicethat was“'''一firstperson-andveryvisualButalso,onceIrealizedthatIcouldmakeherspeakonlyinthepresenttense,itgavethenarrativeimnlediacy,
itmadedisciplinedinrevealingWhatshethought,anditgaveherakindof innocenceand,atthesametilne,akindofsophistication12
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作品は、フローレンスの告白で始まり、母親の告'二|で終わる。フローレンスは
母親のことを「ミーニャ・マンイ」と呼び(「ミイーニャ。マンイ」はポルトガ ル語で、「私のお母さん」という意味)、最終章は、フローレンスの母親が「トゥ ァ゜マンイ(おまえのお母さん)の言うことを聞いて」という言葉で終わる。読 者は作品のタイトルの意味を最後に理解する。フローレンスの最初の所有者は、
ポルトガル人プランターのドルテガだった。ドルテガは、英国系オランダ人のジェ
イコブ・ヴァークに金を借りたが、返却不TjJ能になったので、負債返済の一部と
して、ジェイコブにフローレンスを売り渡す。フローレンスの名前はポルトガル語で小銭という意味である。ジェイコブにとって、「人間は取引対象商品」(22)
ではなかったが、フローレンスの母親から「彼女を連れて行ってください」(26)
と懇願されて、取引に応じたのである。
ジェイコブの家には、妻のレベッカ、使用人のネイティブ・アメリカンのリナ
と、捨て子だったのを引き取ったソローがいる。それに年季契約奉公人のウィ ラードとスカリーが働きにきていた。ジェイコブは、ドルテガのように大きな屋 敷に住みたいと考え、家を建設するが、完成間近で天然痘に倒れる。続いて、女 主人のレベッカも天然痘にかかり、フローレンスは、家の建設を手伝った医学の 知識を持つ「鍛冶屋」の自由黒人を呼びに、彼の家に向かう。「鍛冶屋」に夢中 になっていたフローレンスは、レベッカの治療を終えて帰ってきた彼に胸中を告 白するが、拒絶される。フローレンスは「鍛冶屋」の家を飛び出し、レベッカの 家に戻る。フローレンスが「鍛冶屋」を探しにいく過程は「旅」と表現されてい る。モリスンの作品では、旅は登場人物の自己発見へとつながることが多いが、
フローレンスの場合も同様である。
作品は、12章から成り、奇数章はフローレンスの内的独白、偶数章は三人称 で登場人物について語られる。作品の冒頭で、フローレンスは母親について語る が、母親がなぜ自分をジェイコブに連れていってもらう子供として選んだのか理 解できず、この記憶は彼女の脳裏を離れない。結果として、母親の愛に飢えてい るフローレンスは、ジェイコブの家に移ってからは年}aのワナに、そして、「鍛 冶屋」に会ってからは彼に愛を求めるようになる。作品に反響するのは、愛を求
めるフローレンスの坤吟である。
フローレンスは孤児となるが、これは他の登場人物にも共通する。アメリカと
いう国は、ネイティブ・アメリカンを除き、もともとはヨーロッパという1日世界
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を捨てた人々によって作られた。彼らの多くは、本国での生活の向上を望めない ことから、見切りをつけ、家族と別れることを決意したのである。つまり、過去 を捨てた人々に建設された国であることを考えるなら、管場人物が孤児でも不思 議ではない。
ジェイコブの母は彼の出産時に亡くなり、父親は彼を捨てたので、ジェイコブ は救貧院で育った。アメリカに渡った後、地主になろうとしたが、そのためには 妻がいることが条件だったので、ジェイコブは妻募集の広告を出した。
そして、イギリスから海を渡ってきてジェイコブの妻になったのがレベッカで ある。レベッカの母親は反対したが、父親が「売却」に応じたのである。レベッ カは自分の将来の見込みが「使用人か、売春婦か妻」(77)と考えていたが、そ の中で一番安全そうな「妻」を選んだのだった。当時のロンドンは、騒然として おり、宗教的不寛容な町だったので、レベッカは新世界に対する不安を感じるこ
とはなかった。
BraWls,knifingsandkidnapsweresocoInInoninthecityofherbirthtllat
thewarningsofslaughterinanew,unseenworldwerelikethreatsofbad weatherX75)自分の将来がどんなものになるかは夫の性格しだいであるということは知って いたが、遠く隔たった土地での生活が現在の状況より悪くなることは考えられな かった。アメリカヘの航海は奴隷船を想像させるような厳しいものだったが、同 時に、新しい始まりでもあった。
Wretchedaswasthespacetheycrouchedin,itwasneverthelessblank WhereapastdidnothauntnorafUturebeckon(85)
新世界は新しい自分を創ることを可能にする世界なのだ。レベッカとジェイコ ブの結婚生活は順調だったが、三人の息子と娘を失ってしまう。
リナは、レベッカが来る前にジェイコブが広告を出して購入した使用人である。
リナが子供の頃、村の住民たちは伝染病に感染し、そのニュースを聞きつけた青 い制服を着た男たちがやってきて、村を焼き払った。ワナは家族を失って、長老
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派の信徒に育てられたが、14歳のとき、ジェイコブに買い取られたのである。
生き残ったということに対し恥を感じていたが、その思いは自分が慈しむものは 決して裏切ったり捨てないという醤いにかわる。ワナはフローレンスに母親的感 情をもって彼女を守りたいと考えるようになる。こうして、リナは、フローレン スに母親的な愛情を注ぎ、フローレンスもリナを母親の代替的存在として慕うよ うになる。一・人は、「マザーハンガー-母親になりたいか母親がほしいという欲 望」(63)を共有する。
この「マザーハンガー」という言葉は、モリスンの六作目の「ジャズ」(Jazz,
1992)にもあらわれる。「ジャズ」は、北部移住をしたジョーとヴァイオレット が、自分たちを捨てた母の記憶をもちながら、辛い過去に向き合う物語である。
ヴァイオレットは、子供を持たないと決めていたが、50歳になって激しい「マ ザーハンガー」を経験する。モリスンの作品に登場する人物は、おしなべて母と の別離を経験するが、リナもその一人である。しかし、ワナは過去の耐え難い記
」億に押しつぶされるというより、たくましく大地と調和し、薬草の知識を持つ誇 り高い女性である。スカリーはリナの中に純粋さを見る。
Herloyalty,hebelieved,wasnotsublnissiontoMistressorFlorens;itwasa signofherownselfLworth-asortofkeepingone,swordHonor,perhaps.
(151)
ネイティブ・アメリカンは、独自の宇宙観を持ち、誇り高い人々であるが、そ のことが彼らを奴隷として労働させることを困難にした一つであることはよく知
られている。ヨーロッパからの移民が殺到し、土地をめぐって抗争が起きるまで は、部族間の対立は時折あったものの、自然と調和し、平和的な生活をしていた。
リナの態度は、先住民としてのプライドは捨てないという強い意志を感じさせる ものである。
この作品はフローレンスを「''心としているが、彼女の庇護者的存在であるワナ の、現実を直視しながら冷静に判断をくだす姿勢は非常に印象的である。リナは、
レベッカの子供を取りlげる産婆役をこなす点で、モリスンの曾祖雌を妨佛とさ せる。モリスンの曾祖母は、ネイティブ・アメリカンの血をひく産婆で、民間療 法に通じていた。その点から、この作品はモリスンの先祖に対する献辞的作品で
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あるとも考えられる。
ソローは、過去の記憶がないので素性がはっきりしないが、浸水した船に-人 取り残されていたのを木挽き人に拾われソローと名づけられた。年中ほつつき歩 き仕事においても役にたたないので、木挽き人の妻が厄介払いしようとしたのを ジェイコブが引き取ったのだ。
ウィラードとスカリーは、家畜小屋で寝起きする奴隷とさほど変わらない生活 をしていた。ウィラードはまだ渡航費の支払いを終えていなかった。もともとは 七年間労働の予定だったが、懲さをしたせいで二二十何年かに延長された。スカリー の母親は「無節操と不服従」により植民地に送られた。母親の死によ')彼女の労 働契約がスカリーに移行したのだった。スカリーは、ウィラードやワナと違って、
奴隷状態が-罎生続くことはないと知っていた。二人は|可性愛者なので、ジェイコ ブは自分が仕事で家をあけることがあっても心配ないと考えて、二人を雇ったの である。
このように、ヴァーク家の人々は皆孤児で、彼らは家族のように暮らしていた。
次に、フローレンスの自己発見の過程をみる。
フローレンスの自己発見
母親と暮らしていたときのフローレンスは、常に靴をはかずにはいられない少 女だった。その習'慣は、ジェイコブの家に移ってからも続く。リナは、フローレ ンスの足が「役に市たない。いつだって、能きていくのにきゃしゃすぎて、決し
て強い足裏にならない。なめし皮よ')硬くてγ生活に必要なものなのに」(4)
と言って、フローレンスに対し、「奴隷の手をして、ポルトガル人女性の足を持 っている人が、この頃、他にいるかしら」(4)という。フローレンスは、八歳 か九歳の頃にジェイコブに引き取られたが、その頃の彼女は奴隷というものを理
解していなかったので、プランターのf女主人が履いている靴を欲しがったのだ。
ジェイコブがフローレンスを引き取ったのは、労働力を期待してというよりも、
長女パトリシアの死をまだひきずっているレベッカの慰めになると考えたからだ。
ジェイコブは、アメリカの良心を象徴するような善意ある人物として描かれて いる。ジュブリオと呼ばれるドルテガの屋敷に向かう途中、罠にかかったアライ グマの脚を罠からはずしてやる。アライグマ(raccoon)は、coonと表されるこ
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ともあり、coonは黒人を表すのにも使われる。この部分は、ドルテガ所有のフ ローレンスの母親とフローレンスの状況を象徴しY母親のとった行動の伏線とな っている。
Oncehesucceeded,tlneraccoonlimpedoffperhapstotllemotherforced toabandonitormorelikelyintootllerclaws.(11)
また、屋敷を出て宿屋に行く途中、馬を打っている男に出会う。ジェイコブは、
馬が負った痛みだけでなく、口もきけず、なすすべもない屈服に対し、怒りを感 じる。ソローを引き取ったのも、自分が孤児だったこともあり、家無し子になる ということがどんなに悲」惨な状況になるかを知っていたからだ。ジェイコブは、
弱者の立場を理解している人間である。
ジェイコブは、ドルテガとの取引を終えて立ち寄った酒場で、周囲の客たちが 砂糖について話をしているのを耳にする。そして、彼らの会話に加わったことで、
バルバドスの砂糖プランテーションに投資して--財産築くことを夢見るように
なる。
サンドラ・グスタフソンとゴードン・ハンターが指摘するように、2章で、モ リスンは自然世界をゴールドと同一視しているかのように描いている'3。「この 霧は、太陽に焼かれて、世界を濃く熱いゴールドに変えていた。その中を進むこ とは、夢の中を苦闘していくようなものだった」(9)「霧」はまた、「眼をくら ますようなゴールド」(10)「入江の温かいゴールド」(12)と表現される。ジェ イコブは、奴隷ビジネスを「堕落したビジネス」と考えていたが、ドルテガのよ うな濡酒な屋敷を建てたいと思い始めて、砂糖プランテーションに投資すること を決心したとき、「ジュブリオでわかった奴隷の集合体と、はるかかなたのバル バドスの奴隷労働とは、甚大な違いがあった」(35)と投資を正当化するのであ る。つましいジェイコブ生活に満足していたジェイコブが、ドルテガの屋敷に刺 激され,金もうけにめざめるのだ。
そして、「鍛冶屋」の助けを借りて、立派な屋敷を建て始める。ジェイコブの 家が完成する前に、門には、「鍛冶屋」が鉄で作ったコブラが飾られる。蛇は、
誘惑やこの世のあらゆるものに内在する悪を象徴するが'4、これはそれまでつつ ましい生活をしていたジェイコブが富への欲望を持ち始めたことを象徴すると考
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えられる。広義では、アメリカが奴隷制を基に贋本三JZ義社会へ向かい始めたとい うことを象徴すると考えられる。また、対になった二匹の蛇は、死を表すことか ら'5、ジェイコブの死を暗示しているといえよう。
デヴィッド。ゲイツが指摘するように、この作品はアメリカのエデンの園を描 いているともいえる'6.ゲイツは、ヨーロッパ人がもたらした二つの罪は、原住 民を絶滅しかけたことと、アフリカからの奴隷の輸入だと指摘している。アダム とイブが、蛇に誘惑されてリンゴを食べ、罪を犯して楽園を追放されたように、
ジェイコブが砂糖プランテーションに投資することで、富を築く夢の象徴として の家を建て始めたときに、彼の楽園追放は始まったといえるのである。ネイティ ブ・アメリカンのリナは、ジェイコブが家を建て始めたときに、悪い予感がする。
Killingtreesintllatnumber,withoutaskingtheirpelmission,ofcoursehis effOrtswouldstirupmalfOrtune(44)
ワナが危」倶したとおり、ジェイコブは、自分らがもたらした天然痘で、あっけ なく息を引き取る。
平穏に生活していた彼らだったが、ジェイコブが亡くなってから状況は一変す る。ジェイコブの生前は、家族のようにまとまっていた彼らが、彼の死により自 分たちの存在についての真実を認識する。
AslongasSirwasaliveitwaseasytoveilthetruth:thattheywerenota family-notevenalike-Inindedgroup・Theywereorphans,eachandall.
(59)
レベッカも病気になり、■Xjr-レベッカがジェイコブの後を追うような事態にな れば、リナやソローの「主人のいない女たち」は、家にそのまま残るなら「侵入 者や無断居住者」(58)になってしまうのだ。「私たちは決して世界を作る事は ないとリナは言う。世界が私たちを作るのだから」(71)。モリスンの作品には、
『スーラ」(S"JCII,1973)や「ビラヴMにみるように、圧倒的存'在感のある家母 長を中心に、男性の存在を必要としないような女性三人でなる家族がたびたび描
かれている。「青い目がほしい」(T腕Bノ川ccIye,1970)では、家族ではないが、
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三人の娼婦が社会の規範にとらわれない自由な楽園的世界を作り出している。
『マーシィjには、それらの家族に見られる強い絆は見られない。これは、互い が対等ではないことによるものだろう。リナの-言葉は、白人の男性中心社会で、
白人以外の女`性が自分の意志を持って人化を生きるということは不可能であると いうことを示している。
作品の舞台設定となっているヴァージニアは、イギリスの未婚の女Tlミエリザベ ス1世にちなんで名づけられたoし女性名であるのにかかわらず、女性にとって生 きるのが困難な場所となっているのが、逆説的である。
モリスンの作品に登場する場所の名は逆説的な場合が多い。「ビラヴド」で、
セサが奴隷として労働した農園は、スイートホームであり、『スーラ」で描かれ る黒人共同体は、丘の上にあるのもかかわらず、ボトムである。ヴァージニアは、
女王を讃えて命名されたが、実際は、I女性が人権を認められていない場所の象徴 となっている。ジェイコブ亡きあとのヴァーク家の女性たちは文字通り「主人の いない女たち」となり、社会で決定権を持たない非力な存在となるのが強調され
ている。
フローレンスは、レベッカに命じられて「鍛冶屋」を呼びに彼の家に向かう途 中、未亡人のイーリングの家に泊めてもらう。翌朝、何人かの白人がやってくる が、彼らは魔女狩りをしていた。フローレンスをみて驚く彼らに、フローレンス はレベッカが書いた手紙を見せる。彼らは、フローレンスに服を脱ぐように命じ、
彼女の体を調べる。フローレンスは家に残るように言われるが、イーリングの娘 のジェーンが案内してくれて、フローレンスはその場を立ち去る。この出来事は、
当時の宗教の不寛容さを示す証左となるが、同時にフローレンスが社会における 自分の立場を認識したことを示している。白人たちは、彼女の黒さにまず驚くが、
一緒に連れてきた幼い少f女がフローレンスを見ておびえる様子に、フローレンス と悪魔との関係を疑う。アメリカ社会では、内が善や美といった肯定的なものと 結び付けられているのに対し、黒は悪や醜悪という否定的なものと結び付けられ ている。フローレンスは黒さが自分の存在を否定するものであると気づく。
SometllingpreciousisleavingmeoIanlathingapart・WiththeletterI
belongandamlawfu1.Withoutitlamaweakcalfabandonbytheherd,a turtlewithoutshell,aminionwitllnotelltalesignslDutadarlmesslamborn
-25-
with,outside,yes,butinsideaswellandtheinsidedarkissInall,fCathered
andtoothy.(115)この経験はフローレンスにとって決定的である。ジェイコブがフローレンスを ドルテガから引き取ることを決めたのも、労働をあてにするというよ')、亡くな
った娘の代わりとしてレベッカの慰めになると考えたからであった。母親代わり のワナの存在もあり、ヴァーク家を離れるまでは、自分が白人とはまったく別個 の存在であると感じたことはなかった。しかし、フローレンスは、白人の庇護が あってはじめて存在する自分というものを認識するのだ。このような認識を得て、
フローレンスはやっと「鍛冶屋」の家にたどり着く。「鍛冶屋」は作品の中で名 前が与えられていない.「鍛冶屋」は自由黒人で、リナは、彼がレベッカの目を 見て話す姿に、彼がジェイコブのように権利や特権を持っていることに気づく。
彼は、医学の知識を持っていて、ソローやレベッカの病気を治したところから、
「救い主」であり、「医者」であった。「殿}台屋」は、金属や火という重要なもの と関連があるので、昔から造物主や創造とかかわる特別な位置を占めているとさ
れる'5。それゆえ、その仕事に対する多大な尊敬が皆を「鍛冶屋」と呼ばせると
考えられる。モリスンの作品では、薬草の知識を持っていて、病気を治す役割を 持つのは女性が多い。代表的なのは、『ソロモンの歌』(so咽Cl/、M0川",1977)
のパイラトである。「マーシィ』でその役割を果たすのは男性であるというのは
興味深い。女性の自我を育むのを阻むような時代では、その役割は男憾に与える
ほうが自然だということを、モリスンが強調しているのではないだろうか。フローレンスは、「鍛冶屋」を送I)出し、彼が預かっている子供マライクと留 守番をする。マライクがフローレンスの靴を隠したことで、フローレンスは彼の 腕をつかんで怪我をさせてしまう。そこに、「鍛冶屋」が帰宅して、傷ついたマ ライクを見て鴬情する。自分の言い分を聞こうとせず、子供の名前を呼ぶ「鍛冶 屋」にフローレンスはショックを受ける。フローレンスは「鍛冶屋」に自分の思 いを告白するが、彼は強く拒否し、フレーレンスに「おまえは奴隷になった」(141)
と言う。そして、意味が理解できないフローレンスに、「おまえの頭はカムらつぼ で、体はワイルドだ」と言う。さらに、「私はあなただけのもの」と言うフロー
レンスに、「女よ、自分を持て。俺たちにはかかわるな」(141)と言う。フロー レンスは、「鍛冶屋」の言葉に衝撃を受ける。二人はもみ合った後、フローレン
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スは彼の家を飛び出す。
「鍛冶屋」は、フローレンスが自分に対する熱情からその奴隷になり理性を 失った行動をとったことに対し、これらのi言葉を発したのだろう。また、バレ 'ノー・パブ(ValorieBabb)は、「鍛冶屋」がフローレンスを拒絶するのは、彼 女の盲目的な愛情を軽蔑するだけでなく、奴隷となっている彼女に接近しすぎる と、自分自身の爲由をも危うくするということを恐れるからであると指摘してい る'7.本格的奴隷制度に移行しつつある不安定で流動的な状況を考慮すると、パ ブの指摘は派しいといえるだろう。
母親に捨てられたと思ったことから、フローレンスは人一倍愛情に飢えていた。
フローレンスが、「鍛冶屋」の言葉に興奮し、ハンマーを振り回すのは愛を求め ての行為なのだ。この「ワイルド」な愛は、「ビラヴド』で、子供を守るために 子殺しをするセサの愛」情に通じるし、セサが殺した子供の幽霊が、母親の愛」情を 食いつくすかのように、攻撃的になるのを坊佛とさせる。さらに、’三1分の味方で ある白人のボドウィンを子供を奪いに来たと勘違いして、セサがわが子を守ろう とアイスピックを手に持って彼に向かって走っていく姿とも重なる。「ワイルド」
とは、荒々しい行動を意味するだけでなく、精神的な飢餓を表している。しかし、
度を失った愛が破滅を招くのは、セサの子殺しに示されている。
モワスンは、「ソロモンの歌」では、ミルクマンに対する過度の愛から自分自 身を愛せずに、最後には病気で命を落とすへイガーを描いた。また、「ジャズ」
では、その名も「ワイルド」という野生の女性がジョーの母親である。モリスン の作品において、「ワイルド」とは、極限的状況に置かれる登場人物の描写と、
彼らの充足することのない精神的な飢餓を表している。
11章では、家に戻ったフローレンスが、皆には内緒で、ジェイコブの建てた 新しい家に入り込み、自分の思いを壁に書き連ねる。そして、「鍛冶屋」の「人
を奴隷にして、野生に対してドアを開けるのは、内面が崩壊するからだ」(160)
という言葉を思い出し、旧分の崩壊は、未亡人のクローゼットで始まった」(160)
と考える。
また、フローレンスは、「鍛冶屋」が自分の愛に応える代わりに自分をずたず たにしたが、未亡人の娘ジェーンは、危険を冒して、自分を魔女狩りの白人たち から逃げるのを手引きしてくれたことを思い出す。
「鍛冶屋」の家に行く前のフローレンスは、きゃしゃで役に立たない足を持つ
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少:女だったが、家に戻ってきた彼女には変化が見られる。母親に対して、「私の 足の裏は糸杉のように堅いのだから嬉しいでしょう」(161)と語のかける。こ の「旅」でフローレンスは成長したのだ。自分の黒さが意味するものを知り、愛 する人から拒否される過酷な「旅」だったからこそ、フローレンスは成長したの である。
四フローレンスの母親の告白
最終章は、フローレンスの母親の告白である。母親は、アフリカで捕獲され、
中間航路を経て、カリブ海のバルバドスに強制移送されたことを回想する。捕獲 されたものは自分の部族だけでなく、他の部族もいたこと、白人を初めてみたと き、彼らが「病気か死んでいる」(164)と思ったこと、艦に入れられてから見 たのは、白人だけでなく、「自分たちを監視していたのも、売っていたのも黒人」
(164)だったこと、捕獲された者の中には海に飛び込んだものもいたこと。回 想の合間に、「身を守るすべがなかった」(162)という言葉が過去形で二回、
「身を守るすべはないんだよ」(166)と現在形で.二回語られる。
そして、フローレンスの父親が誰なのか知らずに柵産したことから、「この場 所で女でいることは、癒えることのないむき出しの傷であること」(163)と語 る。奴隷が女性の場合、肉体的搾取は性的搾取をも含むことが多い。『ビラヴM では、セサがこうむった苦難は背中に受けた鞭の傷に象徴されている。セサは、
奴隷監督の部下に凌辱されたうえにそれを女主人に言いつけたことで、鞭打ちの 罰を受けたのである。フローレンスの母親の言葉は、T女性の奴隷の状況を端的に 表現している。
フローレンスの母親が、バルバドスの砂糖黍プランテーションと、ドルテガの タバコプランテーションで知った事は、自分を売り買いしたものは自分たちを人 間とは考えていないということだった。しかし、フローレンスの母親は、「他の 人が何と言おうと、私は魂のない動物ではなかった」(166)と語る。これは、
奴隷制に関わった全てのものに対する黒人の叫びである。白人の誘いにのって同 胞の捕獲と売買で利益を了にしたアフリカ人は、これほどの過酷な運命が彼らに 待ち受けている事を予測しただろうか。
それでも、親切な牧師にフローレンスに読み書きを教えてくれるように頼んだ
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のは、読み書きができればなんとかフローレンスが樅きる道を見出せるのではな いかと考えたからである。「学ぶことには魔法のような力があるということを知っ ているんだよ。」(163)奴隷には、読み臂きを教えることが禁じられていた。無 知なままにしておくのが、奴隷を管理するには都合がよかったのである。自分に ふりかかる危険を顧みず、フローレンスに読み書きを教えた牧師が真に神の愛を 理解している人物として描かれている。
そして、最後に、ジェイコブがドルテガのプランテーションにやってきたとき、
フローレンスを動物ではなく人間の子供として見たことから、ジェイコブにフロー レンスを連れて行くように頼んだことが語られる。それまでの経験から、フロー レンスが大人の女牲に成長したとき、自分にふりかかった苦難を同じように味わ うだろうということが推察されるからである。ジェイコブの家で樅活するほうが、
フローレンスの人生が少しはましなものになると考えたのだ。「身を守るすべは ない」という言葉が、四回目には「身を守るすべはないけど、違いはある」(166)
という表現になる。この言葉から、ジェイコブに-緩の望みを託したことがわか る。子供を手放したのは、母親としての愛ゆえの行為だった。奇跡を期待しての 選択だった。しかし、それは奇跡ではなく、親切な行為であり、幸運だったのだ。
フローレンスの母親は、幼くして-手放した娘に、自分の.真意を知ってほしいと 願う。
…tobegivendonlinionoveranotherisahardthing;towrestdominion overanotllerisawrongthing;togivedominionofyourselftoanotherisa wickedthing.(167)
この-言葉は、奴隷制の根元にある人間の所有が悪であるということを告発する と同時に、奴隷の身分であっても、自らを精神的隷属状態においてはいけないと いうことを意味している。
モリスンは、奴隷制という極限的状況でも、黒人たちが独自のアフリカ系アメ リカ文化を創造したのは、自分を失わなかったからだと考えているのだ。たとえ、
身分は奴隷でも、精神的には隷属せずに正気を保った強靭な精神力があったから だということを伝えようとしているのだろう。
フローレンスの母親は、娘の状況が少しでも良くなればとの思いから、ジェイ
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コブにフローレンスを託したが、状況を好転させることは奴隷には困難なのであ る。レベッカは未亡人になったあと、フローレンスを売ることを決める。また、
ウィラードはレベッカがすぐ再婚するだろうと予想する。白人でも女性が■一人で 生きていくのは困難なのである。ウィラードとスカワーは片っ端からフローレン ス売却の広告を探してはがすが、教会堂のポスターははがしそこなう。
五終わりに
「マーシィ』は、奴隷制が本格化する前の時代に、黒人少女が母親との絆を引 き裂かれて、愛を求める姿を描いた。また、自分の黒さ=非人間性である社会で、
自分は無力な存在であるということを認識もする。それは、約二百五十年に及ぶ
アフリカ系アメリカ人の苦難の幕開けである。モリスンは、時代を掘り下げ、奴 隷貿易をも描いて、記憶の風化に抗おうとした。同時に、モワスンは、黒人だけでなく、過去を捨て海を渡ったヨーロッパ人と、
白人から土地や家族を奪われ奴隷となったネイティブ・アメリカンと、借金返済 のために奴隷と同じような生活をする年季契約奉公人も猫いた。彼らは、一様に
孤児で、アメリカの建国の物語には通常登場しなかった人々である。このような「見えない存在」に声を与えることで、アメリカはこうした人々の苦難のうえに 誕生したのだということを訴えたかったのだと思う。モリスンは、彼らすべての 苦難を記憶し思いを馳せることが、「一つのアメリカ」として再生することを可 能にすると信じているではないだろうか。モリスンが、「奴隷制」やそれ以前の 歴史を作品の中で描くのは、無論自らの歴史を伝えるという目的もあろうが、そ
れだけではないだろう。「奴隷制」というトラウマ的記憶に押しつぶされることなく、独自の文化を育んできたアフリカ系アメリカ人が今日あるのは、苦難をも
のともしない「希望」を持っていたからである。「マーシイ」には、母親や「鍛冶屋」に捨てられたと思い、絶望感にとらわれ
るフローレンスが描かれている。「鍛冶屋」を迎えに行く過程は、フローレンスにとって辛い体験となったが、それにより、彼女は精神的に成長する。ジェイコ
ブの死により、奴隷として、新しい主人の手に渡る運命から逃れられないということも示唆されている。しかし、フローレンスの人生に全くの希望が感じられな いわけではない。それは、フローレンスの母親が、牧師に頼んで、フローレンス
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に読み書きを教えてもらったことだ。
「ビラヴ1Jでも、モリスンは、セサの娘デンヴァーを、勉強好きな利発な少 女として、未来を切り開く可能性のある人物として描いた。この点から、フロー レンスが読み書きできるということは、そのことによの、自分の人生を幾分でも 変える可能性を持っているということだ。
と同時に、未亡人の娘ジェーンの助けにより、魔i女狩りの白人たちから逃れた ことを描くことで、人種を超えて共生することがこれからのアメリカに必要であ ると示唆していると考えられる。「ビラヴド」でも、逃亡中のセサが出産し、無 事にオハイオ河を渡るのを白人少女エミィが助ける。人種を超えて兵ftミすれば、
アメリカは再生し、互いに人生をよりよいものにできる可能朧があるという希望 も伝えようとしているのだろう。
20世紀の代表的アフリカ系アメリカ人作家の一人であるジェイムズ・ボール ドウィン(JmesBoldwin)は人種差別の激しい時期に生きたが、「次は火だ」
(〃cFj〃jWxt刀川,1963)の中で、問題意識を作りlこげなければならない比較 的意識の高い白人たちと、同じように意識の高い黒人たちが艤踏せずその義務を 果たすなら、人種問題の悪夢を終わらせ、自分たちの国を立派なものにし、世界
の歴史を変えることができるかもしれないと述べた'8.ポールドウィンが創作活
動した時代に比較して、状況は格段に進歩している。また、オバマが大統領に選 出された翌日、コンドリーザ・ライス国務長官は「この国で最も素晴らしいこと の一つは、予想がつかないということがあります。常に自身が再生しているという点です。これまで、どんな困難や予測をも打ち破ってきたという点にあります」
と述べた。常に新たな自己を創造するという特質により、アメリカは発展してき た。新生アメリカが、これまで以上に多様性を包含し、そのダイナミズムにより、
一層進化するかどうかは自分次第である。それにより、アメリカは危機を脱出し、
再生することが可能になるだろう。
モリスンは、『マーシィ」で、アメリカは孤児たちが作り上げた国であること
を指摘した。孤児だからこそ、生き抜くために、瓦いに寄り添い、共雑が必要な ことを示唆したかったのだろう。17世紀後期のヴァージニアを舞台にし、現在
のアメリカとの相違点と共通点を描くことで、アメリカが現在直面している危機 を脱出する手掛かりを得る一助となるかもしれないということを、モリスンは「マーシィ」で読者に語りかけているのだろう。
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)王
’ToniMorrison,AMBW(RandomHouse,2008)をテクストとして用いた。
本文中の引用は、特にことわりのない限り同書からとし、ljl用末尾のカッコ 内にページ数を記した。訳は筆者。
2JaminBrophy-Warren,(2008)“AWriter,sVote”TノieWZzノノSj川j〃〃"αノ
November7.(accessedAugust30,2011)
3JaminBrophyWarren,(2008)“AWriter,sVote”フルWIzlリノノS/川式/M川αノ
November7,2008(accessed2011/OS/30)
4ToniMorrison,HzZyj咽j〃伽Dα戒リノIMU"CSM〃伽Lノノ伽ry〃zZgj肌吻".
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6MicheleNorris,"ToniMorrisonFinds`AMercy,InSeWitude,'<http://www・
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