• 検索結果がありません。

国会法の変遷と委員会制度の展開西)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "国会法の変遷と委員会制度の展開西)"

Copied!
25
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

第一章国会委員会制度の史的背景第一節帝国議会の国会への影響第二節帝国議会の委員会制度第三節帝国議会にみる議会改革の動向(以上、第百一巻第三号)第二章国会委員会制度の定着過程第一節国会制定過程にみる委員会制度第二節一九四八年改正による委員会再編(以上、第百二巻第二号)第三節一九五五年改正にみる委員会再編とその後第四節本会議自由討議制度の設置と廃止 はじめに

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)

国会法の変遷と委員会制度の展開西)

第五節審議機能としての委員会制度(以上、第百二巻第第三章一九六○年代の委員会制度改革問題第一節「日韓特別委員会」の設置と運営一「日韓特別委員会」の審議過程

第二節委員会改革案の特徴と先駆性一衆議院事務局「正常化試案」の概要二「審議の活性化」をめぐる議論三両議院の議長私的諮問機関にみる委員会改革案 傾向 「日韓特別委員会」にみる委員会審議の新たな 国会正常化の経緯

岡崎加奈子

四合併号)

(2)

一九五○年代までの委員会運営が、前章までに検証したように、国会法改正を繰り返しての変化を遂げてきたのに対し、’九六○年代では、大きな制度改正は影を潜め、代わって制度の運用によるいわば、非制度面で新たな事象がいくつかみられる。とくに、特別委員会を積極的活用や、個々の委員会審議日程の政治争点化が顕著になってくるの

はこの時期である。委員会制度・運用は、なぜこのような変化をしたのだろうか。(1) 「日本の議会主義の脆弱性と未熟さを公然と世界の前に暴露した「|結果となった安保紛争後に発足する池田勇人内閣では、国会審議において「寛容と忍耐」のスローガンの下にこれまでの対決姿勢から、一転した柔軟路線を打ち出

した。しかしながら、’九六○年代には、国会が紛糾する事態がその後もたびたび生じた。とくに、一九六五年一○(2) 月に開かれた、第五○回国今云(臨時国会)における日韓基本条約および関係協定(以下「日韓基本条約関連四案件」とする)をめぐる審議は、国会を深刻な機能不全に陥らせることになった。そのため、同国会においては、補正予算

をはじめ内閣提出の各案件はすべて廃案となり、次の通常国会に持ち越されている。

本章では、この一連の審議の際の、委員会運営の動向とその後の委員会改革案について取り上げる。この日韓基本 第四章第五章

第三章一九六○年代の委員会制度改革問題

法学志林第一○四巻第四号委員会審議の制度分析委員会の審議運営の特性 (以上、本号)第六章国会委員会審議の課題と展望

おわりに

ノ(

(3)

ひとつは、特別委員会の設置をめぐる議論である。第五○回国会(臨時国会)の冒頭から特別委員会の設置とその構成をめぐって、与野党が議院運営委員会を舞台に対立した。このとき設置された委員会(「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会」以下、「日韓特別委員会」とする)は、特定の議案を審議するために設置された特別委員会であること、複数の関連案件が一括審議とされたことなど、その審議形態において複合的な特殊性を有している。なぜ、このような審議形態を選択したのか。また、このときの審議が後の国会運営にもたらした影響

は何か、本章では、まずこれらの点について、焦点をあてていきたい。もうひとつは、一連の紛糾ののちに浮上した国会改革の存在である。この改革案は、「日韓条約国会」後の国会正常化の過程においてまとめられたものであるが、「国会紛糾」から「自粛」へ、という一連の流れから、さらに「改革案」の策定へ展開した点が、従来にない現象であった。しかも委員会運営に関しては、「審議の充実」という、新

たな視点が据えられており、その後の国会改革論の先駆けとなっている。(3) 本章では、「日韓条約国会」ともいわれている第五○回国会(臨時国会)の特別委員会のあり方に着目し、特別委員会の設置に関する議論を中心に、当時の委員会制度・運用の国会における役割とその変化について検証していく。 条約関連四案件の審議をめぐっては、与野党の激しい対立とその後の混乱をともなったが、委員会運営に関して重要な事象の表出があった。

一九六一年、第三八回国会における「政治テロ行為処罰法案」(坪野米男外八名提出、衆法第一六号)、「政治的暴

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一三九 第一節「日韓特別委員会」の設置と運営

(4)

特別委員会設題の経緯

第五○回国会(臨 法学志林第一○四巻第四号一四○

カ行為防止法案」(早川崇外七名提出、衆法第三九号)をめぐる与野党の対立では、国会は深刻な機能不全に陥った。(4) この正常化のために、翌第二一九回国会開会にあたって、議長斡旋による各党の申合せが取りまとめられた。申合せ

では、第一点として、国会正常化に向けた具体策と国会法改正をすること、第二点としては、国会法の遵守と議長の(5) 権威を高め「自粛協力」することが取り決められた。しかし、一九六一一一年、第四一一一回国会での「職業安定法及び緊急(6) 失業対策方の一部を改正する法律案」(閣法第八九号)では、ふたたび国〈云は紛糾し、混乱に陥った。「日韓条約国

会」は、こうした国会の状況下で始まった。

日韓国交正常化のための会談は、一九五二年一○月の予備会談と、翌年の第一次会談を皮切りに、条約調印に向け(【J〉て協議が断続的に進められてきた。長期化していた交渉は、佐藤栄作内閣成立後、実現に向けて活発化し、一九六五

年四月三日、日韓基本条約および関係協定の調印がおこなわれた。

韓国では、’九六五年八月二日に与党・民主共和党が委員会で日韓条約批准案件を単独で強行採決し、さらに八

月一四日には本会議に同様に単独で可決・承認させていた。しかし、これに対し国内では都市部の学生を中心に激し(8) い反対運動が活発化し、韓国政府は八月一一六日に衛戌令を発動する事態となっていた。

「日韓条約国会」は内外の緊張した状況下で開かれた臨時国会であった。

「日韓条約国会」の審議過程

(臨時国会)は、開会前から日本と韓国との国交正常化を目的とする基本条約とそれにともなう関連

(5)

図表3.1日韓条約協定をめぐる審議の主要な経緯 1965年10.05

10.19

第50回臨時国会開会

衆議院で「日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する 特別委員会」が設置

連日審議の動議が特別委員会で可決 衆議員特別委員会で承認・可決 衆議院,本会議(~12日まで)

衆議院,本会議で承認・可決

参議院「日韓条約等特別委員会」の設置 参議院特別委員会,地方公聴会を開催 参議院特別委員会,地方公聴会を開催 参議院,特別委員会で承認・可決 参議院,本会議で承認・可決

国会法の変遷と委員会制度の展開

10.26 11.06 1LO9 1L12 11、13 11.29 12.01 12.04 12.11

案件が、最大の議案となることが予想されていた。

このため、与野党臨時国会開会前から緊張状態にあった。日韓基本条約関連四案件をどのように審議するかについては、当初からの懸案事項とな

った。自民党は開会直前、特別委員会を設けて条約・諸協定および関係国内法案の一括審議を進めるか、あるいは関係委員会に付託して分割審議す(9) るか、とい一つ両方の場合を想定しており、特別委員会も視野に入れた上で(、)審議を構想していた。

開会日である一○月五曰、衆議院議院運営委員会理事会では、会期をめ

ぐって、自民党案の七○日に対し、社会党が四○から五○日、民社党は

「十分な審議時間」を主張し、調整が難航した。このため議長職権により衆議院本会議を開き、記名投票の結果、会期を七○日と議決した。参議院

はこの衆議院の動きをうけて、社会、公明両党が反発し、六日に持ち越された本会議でようやく七○日の会期が定まった。しかし、採決による会期

決定という議事に反発した野党の動向により、国会は翌七日から早くも空

転化することとなった。社会党は七日の国会対策委員会で、特別委員会設置の要求とともに、沖(Ⅲ〉縄対策についての特別委員公室(以下、沖縄特別委員会とする)を提案する

(四)(岡崎)一四一

(6)

日韓特別委員会の設置が決定した後は、委員会の理事の構成をめぐって再度、与野党が対立する。自民党が、民社(旧)党も理事に入れた変則的な理事構成を提案したことに対し、社会党が反発したのである。一○月二一日、本会議での(卯)趣旨説明および質疑がおこなわれたが、午前中に予定されていた委員の打ち合わせ会に先立っておこなわれた関係者 法学志林第一○四巻第四号一四二(吃)ことを決定した。この沖縄対策、加一えて、物価対策に関する特別委員会の設置については、日韓特別委員会の構成を(旧)巡る交渉においての社〈云党提案の骨格になってい/、。九日に開かれた衆議院議院運営委員会において、|一日に開会式、一三日に国務大臣の演説をおこなう旨の日程が決定すると、与野党の調整は、特別委員会の設置、さらにその際の委員会の構成に、移行する。

委員数をめぐっては、|六日に、同委員会理事会において、委員数を四○人にしたい自民党に対し、社会党、民社

(M) 党はいずれも委員数五○人を主張し、委員数をめぐる与野党の違いが鮮明となった。また、一八日に衆議院議院運営委員会理事会が開かれたが、このときは沖縄特別委員会の設置について与野党が対立した。自民党が日韓条約特別委員会の設置を最優先としたのに対し、社会党はここでも沖縄特別委員会の設置を要(旧)求し、さらに民社党も同様の意向を一示した。このため、休憩後の夜九時すぎに開かれた議院運営委員会で、委員五○(肺)人から成る特別委員〈室の設置を一九日の衆院本会議で議決することが決定した。衆議院では、一○月一九日、本会議において、特別委員会の設置が議決され、関連案件が付託された。委員長には、(m)・自民党の推薦により外》鞍委員長であった安藤覚が就任した。また一」のとき、沖縄特別委員会の設置については、衆議

院議院運営委員会において自民党の理事が、「最善の努力いたしたい」という発言をしたにとどまり、設置は見送ら

(旧〉れている。

(7)

採決をめぐる紛糾(犯)特別委員会は、一○月二六日に委員長職権によって開会されてから一一月一日までは連日審議となったが、日程をめぐって採決をいそぐ与党に対し野党側は、充分な審議を主張していた。この間、参議院の議院運営委員会理事会でも、審議一々法をめぐる議論が平行しておこなわれていた。しかし、五日に公明党が採決に賛成することを表明したこともあって、委員会審議の終了へと事態が動き、二月六日、特別委員会で与党が抜き打ちに質疑打ち切りの上、強(羽)行採決に及ぶと対決色は決定的になった。

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一四三 による非公式の会議で、理事の構成をめぐり対立、午後六時すぎにようやく第一回の委員会が開会された。しかし、社会党は、条約・諸協定の分割提出と、韓国における条約審議の議事録の提出の双方を主張し、再び対立する。さらに二五日に開かれた第二回では、案件の一括審議、すなわち一連の案件が一括提出、一括付託されたことをめぐって野党からの強い異議が唱えられた。社会党の辻原弘市からは、二体、一括承認を求められた場合、そういう一つ一つの独立したものについて、われわれ議院としての固有の権利である表決権をどういうふうにして行使するのか。」さらに、「とりもなおさず、これは行政府である政府が国会の立法府である国会の権限を侵すと同時に、議員個々の憲法上の表決権を制約するものである、こうわれわれは考えざるを得ないのである。」と、国会と行政との関係性に言及した疑義が呈された。これに対し、高辻正巳内閣法制局長官は承認を一括して国会に求める方式をとることには、憲法上の疑義はないこと、さらに国会での方式については、政府は申し述べる立場にないことを答弁してい(別)る。

(8)

法学志林第一○四巻第四号一四四

一一月九日の衆議院本会議において、野党は不信任案などの緊急動議の提出や、牛歩戦術により抵抗、連日の「徹夜国会」となった。日韓条約関連四案件は、案件には挙げられていたものの、あらかじめ議院運営委員会において議(盤)事の順序、方法に関する決定はなく、無協定のままの開会であったという。自然成立が可能な一一二日が目前に迫った、三日後の一一月一二日午前零時一八分から開かれた本会議で、議長職権により、日程の第一に挙がっていた石井法務大臣不信任案の議事変更の議決をおこない、さらに日韓条約等について一括して議題とした上、委員長報告省略にっ(鏑)いて可決した直後に、採決をおこない起立多数で可決に至るという前例を見ない事態となった。(鰯)しかも、この間わずか約四○秒ほどであったといい、その議事手続きの正当性については野党を中心として批判が(”) 噴出した。その後国会は空転し、院外においても一一月一一二日に総評がストライキを実施するなど、混乱は国会外に(班)も波及した。ほぼ一ヵ月が経過した一二月七日に、重宗・河野参議院正副議長が第一次調停案を、数時間後の八日未

明に第二次調整案を与野党に斡旋するものの不調に終わっている。この結果を受けて、同日、本会議に日韓条約関連

四案件を一括して議題とする動議が可決されるなど、参議院においても対立は続き、会期終了間近の一二月二日、(酌)本会議でようやく案件は、承認・可決された。

二国会正常化の経緯「日韓条約国会」では、野党の抵抗手段としては両院の本会議において、緊急動議として優先的な議事運営の対象となる、大臣や議長、副議長などに対する不信任決議案(あるいは問責決議案議案)を連発することにより対立審議

の先延ばしを狙い、さらに、採決時には牛歩戦術で日程の先延ばしと会期切れをめざした。これに対して与党は、強

(9)

与野党の正常化交渉

第五○回国会では、最大案件である日韓条約関連は通過したものの、第二次補正予算をはじめ、「健康保険法等の

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一四五 衆議院におけるこうした議長の議事運営については、清水睦が、「議会主義の原則違反と議事手続きにおける形式(釦)的準則違反(顕著な例が国会法五三条違反)が目立った。」と指摘しているように、のちに野党から批判をうけた。(弧)また、強行採決について、高坂正堯は野党の態度から二つに分けて類型化している。一つめは「野党が真実に徹底的に反対しなければ、その存在理由を失うと感じるような案件」である。もう一つは「それほど重要でないもの」であり、そのため「真実の対決というよりも芝居またはゲームに近いものとなる」ものであるとしている。さらに高坂は、この背景として、与野党それぞれの執行部の党内掌握を意識していたことを挙げ、強行採決↓牛歩戦術↓議長斡旋のパターン化は日韓国会前後から顕著に見られるようになったと指摘している。

審議日程をめぐる対立は、委員会レベルの審議運営にも現れている。日韓条約国会においては、特別委員会の設置

そのものが、大きな争点となったが、さらに委員会の委員数、理事の構成など、細部にわたり与野党のかけひきの争

点となった。委員会の設置後についても、委員会運営は、制度上では、委員長。および理事会での審議を経て委員会(鉈)において自律的に決定されるが、実際の決定過程を見ると、その主要な調整の場は議院運営委員会である。各委員今云

レベルの運営においても一定程度、議院運営委員会がコントロールしているといえる。 行採決や、前述した衆議』るという図式が見られた。 前述した衆議院本会議での議事日程の変更、委員長報告の省略などの議長職権による議事の進行で対抗す

(10)

翌年一月二八日の、第五一回通常国会における佐藤栄作首相の施政方針演説では、日韓条約国会の紛糾が国民に議〈調)今云不振を招いていることを懸念し、「良識と寛容に立脚した言論の府」の実現の必要性を訴える内容となっている。一九六五年一一一月の申合せをもとに、一九六六年三月に衆議院事務局が、「国会正常化試案」を提出した。’九六○年の「国会正常化決議案」以降、国会が紛糾するたびに打ち出されてきた正常化への試みであるが、これまで概念 法学志林第一○四巻第四号一四六一部を改正する法律案」(閣法一二号)などの重要法案がすべて審議未了に終わり、ついに正常化するにいたらなかったC社会党は正常化の条件として、①露へ議院正副議長の引責辞任、②「日韓」の採決について社会党の主張の受け(鋼)入れ、③補正予算の一部分割審議の一一一項目を提一示していた。第五一回国会召集の前日である一九六五年一二月一九日になって、ようやく事態の収拾を目的として、自民・社会は幹事長書記長会談の中で、正常化に向けた両党の申合せ(瓢)がおこなわれた。同一九日、船田、田中衆議院正副議長が辞意を表明するにいたり、日韓条約関連案件をめぐる紛糾は、一応の終焉をみた。申合せでは、①少数意見の尊重と、②物理的抵抗の回避の二原則が確認された。

一九六五年一二月一九日の申合せ

二)国会運営の基本として

(イ)言論の自由を確保し、とくに少数意見を尊重する。

(巳物理的抵抗はおこなわない。

(二)今後の審議は前項の精神でおこなう。

(11)

以上にみられるように、日韓特別委員会の設置をめぐる議論とその後の審議には、戦後の委員会制度・運用を検証

する上で、いくつかの重要な特性を有する。

まず、第一には、特別委員会の設置をめぐる動向である。議案の審査を目的として、特別委員会を設置することは、

重要外交案件を対象として、これまでも数例見られた(図表3.2)。

こうした先例の土壌があって、日韓特別委員会も設置されたと考えられる。五○人という大規模な委員会を設置し

た例は、第一二回国会の平和条約及び日米安全保障条約特別委員会以来、二回めのことであった。

日韓特別委員会の設置をめぐる過程を追うと、従来の常任委員会で個別に審議するのではなく、特別委員会という

舞台を設置することについては科社会党を中心とした野党が、より積極的であったことがわかる。また、五○人とい

う、衆議院において、いわば例外的に大きな規模に関しても、同様に、社会党が主に主張し、与党である自民党が弾

力的に対応していった結果であったといえる。さらに、委員会設置後も、理事の構成、審議日程について個別に争点

化し、日韓特別委員会理事会のほかに、議院運営委員会および理事会を主要な与野党の調整の場としている。

また、審議自体については、日韓特別委員会ではすべての案件が一括審議され、連日の集中審議がおこなわれたと

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一四七 三「日韓特別委員〈特別委員会の新たな役割 的・短期的であった国会改革の提言が具体的な制度改革の形を呈している点が注目に値するものであり、この内容については次節で詳しく検証したい。

「日韓特別委員会」にみる委員会審議の新たな傾向

(12)

図表3.2衆議院で議案の審査を目的として設置された特別委員会一覧 第1回~第50回国会(設置目的が複数の委員会は除外)

法学志林第一○四巻第四号

※はいずれも付託案件議決により消滅.

衆議院事務局『衆議院委員会先例集平成15年版」2003年,参照

委員会審醗の見直し

国会正常化の申合せにより国会内で空

洞化への歯止めと審議の充実についての 一四八

いう轄蝿域が見られる。こうしたスタイル、

すなわち、その国会における重要性の高い案件について、大規模な特別委員会を時限的に設置し、他の委員会より優先して日程を調整し、審議を集中しておこな

うという轌佳を持った特別委員会のスタイルは、日韓特別委員会ののちも踏襲さ

れた。沖縄返還問題、WTO協定加盟などに関する特別委員会など、こうした傾向は継続して見られ、今日では国会ごとに重要案件について、いくつかのこうした委(錨)員〈云を設置する傾向が強い。

国会同次 設置年月日’委員会名 委員数 第1向国会 1947年8月14日 皇室経済法試行法案特別委員会※ 20人 第12回国会 1951年10月10日 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会※ 50人 第16同国会 1953年5月19日 昭和28年度一般会計暫定予算につき

同意を求める件外六件特別委員会※

30人

第19回国会 1954年2月24日 補助金等の臨時特例等に関する法律案特別委 員会※

25人

第22回国会 1955年5月19日 補助金等の整理等に関する特別委員会 25人 第25回国会 1956年11月12日 日ソ共同宣言等特別委員会 35人 第34回国会 1960年2月11日 日米安全保障条約等特別委員会 45人 第43回国会 1963年6月14日 国際労働条約第87号等特別委員会 30人 第44回国会 1963年10月17日 国際労働条約第87号等特別委員会 30人 第46回国会 1964年4月23日 国際労働条約第87号等特別委員会 30人 第48回国会 1965年2月12日 国際労働条約第87号等特別委員会 30人 第50回国会 1965年10月19日 日本国と大韓民国との間の条約及び協定等

に関する特別委員会

50人

(13)

取り組みがはじまったことも、日韓条約審議のもたらした別の側面であるだろう。申合せ自体はこれまで国会が紛糾

するたびに正常化の一過程としておこなわれてきていた。従来と異なったのは、その後、衆議院事務局が中心となり

具体的な正常化への試案が作成された点である。このときにみられた「審議の充実化」という新たな潮流は、さらに衆参両院における議院協議会へと発展してくこととなる。いわば、日韓条約国会の審議とその後の過程は、官僚主導

で効率化を追及し続けた国会が、現状としてその傾向をいっそう深めつつも、その一方で、「審議の充実化」への取

り組みをスタートさせる転換点となったという側面も併せ持つのである。

(1)蝋山政道「議会主義再建の方途」「中央公論』第七五巻第一一号、一九六○年一○月、三九頁。(2)一九六五年一○月一九日、特別委員会の設置とともに、以下の案件が特別委員会に付託された。「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(条約第一号)、「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定の実施に閲する同協定第一条一の漁業に関する水域の設定に関する法律案」(内閣提出第一号)、「財産及び謂求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律案」(内閣提出第二号)、「日本国に移住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法案」(法律第三号)。(3)第五○回国会は、「日韓国会」とも称されるが、ここでは「日韓条約国会」に統一する。(4)国会正常化の過程における議長斡旋の役割については、福元健太郎『日本の国会政治I全政府立法の分析』璽泉大学出版会、二○○○年、一三三’一一一一六頁、に詳しい。(5)「各党は第二九回国会開会にあたり、国会の権威を保持し国民の信託に応え国会の正常化を期するため左の通り申合せする。|各党は、国会運営の円滑を期するため、速かに国会正常化の具体策を定め、次期国会を目途に国会法の改正を期すること。二各党は、国会法を遵守し、特に議長の権威を高め、議員の審議権、表決権を尊重し、秩序を重んずるよう自粛協力すること。」この申合せの合意にあたり、二五日に自民党から提出されていた懲罰動蟻は撤回された(『第三十九回国会衆議院議院運営委員会議録第二号』一九六一年九月二七且。この申合せ事項は、次の第四○回国会(通常国会)の冒頭における議院運営委員会においても、とくに「国会正常

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)’四九

(14)

、)沖縄問題に関する委員会は、第五五回国会から第五七回国会においては、「沖縄問題等に関する特別委員会」が継続して設圃され、さらに第五八回国会からは「沖縄及び北方問題等に関する特別委員会」が設題されている。(皿)このときは社会党は「沖繩対策特別委員会」としていた「読売新聞」’九六五年一○月七日夕刊)。宙)社会党がなぜ、日韓条約関連四案件に反対し、国会において対決姿勢を強く打ち出したかについては、朝鮮半島の分断につながるという理由のほかにも、党内の状況として、河野康子が、「江田派を含め、六○年安保と大衆動員の熱気が残っていたのではないか」と指摘しているとおり、(河野康子『日本の歴史第二四巻戦後経済と高度成長の終焉」識談社、一一○○二年、二二八’二一一一○頁。)院外闘争の経験と、院外・院内活動の連動性を考慮する必要があるだろう。また、空井護は、’九五○年代の政治経験をもとに社会党が大衆闘争を展開したことについて、「大衆闘争の重要性は、「議会内闘争」のそれをかならずしも否定しない。」と、議会内闘争と院外闘争との連動性について論じている。(空井護「もう一つの一九六○年の転換’一九六○年代日本社会党における野党化の論理」『思想』九三四号、二○○二年二月)。、)『朝日新聞』一九六五年一○月一六日夕刊。(旧)『朝日新聞』’九六五年一○月一九日。尼)『読売新聞」’九六五年一○月一九日。行)佐藤栄作首相は一八日の段階で安藤覚議員の委員長就任を決断したとしている。『佐藤栄作日記第二巻』佐藤栄作、伊藤隆監修、’九九八年、三二七頁。 月五日)(Ⅲ)沖師 法学志林第一○四巻第四号一五○

化に関する清瀬議長の発言」として案件に取り上げられ、各党が意見を交換している。(6)いわゆる「失業者対策法」の改正法案である。一九六三年七月一日に成立(昭和三八年法律一二一号)している。(7)日韓会談は、その後一九五三年に二回、一九五八年、一九六○年、一九六一年、一九六四年にそれぞれ開かれた。(内閣官房内閣調査室編集『日韓条約締結をめぐる内外の動向」一九七一年七月)。(8)八月二六日に術戌令が発動されると、軍隊が出動、ソウルに配備された。衛戌令が解除されたのは一ヵ月後の九月二五日であった。(9)『読売新聞』一九六五年一○月四日。n)その一方、一○月五日の開会当日に、「わが党としては社会党側が特別委員のメンバーをすぐ選出するという条件でなければ、特別委を設けるわけにはいかない。」と両院議員総会において、中野国対委員長が、見通しを示している。(『読売新聞」一九六五年一○

(15)

訂)高辻正己内閣法制局の答弁「お答え申し上げます。ご承知のように、条約は、憲法が規定しておりますように、その締結については国会の承認が必要であります。したがって、政府は、この大韓民国との猪協定につきまして、それぞれの締結についての承認を一括して、国会に求める形式をとっているのであります。したがって、政府の取り扱いが懸法上疑義を生じるということは少しもございません。問題は、個々の独立した条約を締結するについて、その方式いかんという問題でございますが、この問題は、実は国会自身がその方策についていろいろお考え願うべきであればお考え願わなくてはなりませんが、私ども政府といたしましては、どういう方式でやるかということを申し上げるのは、やや行き過ぎではないかと思いますので、それは控えさせていただきます。」(『第五十回国会衆議院日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会議録第二号(その一)」一九六五年一○月二五日)。亜)一○月二六日の委員会において、連日委員会を開会する旨の動議が出され、強行採決されている(『第五十回国会衆議院日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会議録第三号」’九六五年一○月二六且。(翌この間、議長斡旋により、本会議の審議では①人数制限を没けない、②社会、民社、共産各党の希望質疑者全員の質疑をおこなう、③討論を各党一名に限らない、という提案がおこなわれた。これにたいし、自民、民社は同調したものの社会党は委員会段階に審議を戻すことを主張したため不調に終わったという(船田中「日韓条約の採決を廻って」『自由』一九六六年一月、八三’八四頁)。五)船田中、前掲醤、八四頁。(妬)このときの状況について、船田中は、本会議直前に、「副離長の田中伊三次さんと相談して、いわゆる議長政権を使う以外にはないということ決断して、事務総長にも告げておいた。」と回顧しており、議長・副議長の判断があったことを示唆している(「インタピ

国会法の変遷と委員会制度の展開〈四)(岡崎)一五一 耐)社会党の中嶋英雄理事が、沖縄問題に関する特別委員会の設置を求める発言をしたのに対して、自民党の伊能繁次郎理事は、「今日の段階においては、まだわが党として了承という域に達しませんで、けさほど来理事会等においても、遺憾ながら賛成できないというお返事をせざるを得ない状態でございましたが、お話もございましたので、今後われわれとしては最善の努力をいたしたい、こういう決意を申し上げたいと思います。」と応じている(『第五十回国会衆議院議員運営委員会儀録第八号』一九六五年一○月一八且。(四)社会党は、一九日の国会対策委員会で、これまでの一条約提出阻止闘争」を国会審議中心とした「批准阻止闘争」に転換することを決定し、議員総会で了承している今朝日新聞」’九六五年一○月一九日夕刊)。命)ただし、質疑は日本社会党のみで、割り当て時間は一五分ほどであった(『第五十回国会衆議院議院迎営委員会議録第十九号」一九六五年一○月二一日)。

(16)

(羽)「朝日新聞』一九六五年一二月一五日。(弧)『朝日新聞」一九六五年一二月二○日。(錨)佐藤首相施政方針演説二九六一年一月二八日)「議会民主政治の発足後二○年が経過するが、昨年の国会迎営の混乱は、一部に議会不信を芽生えさせた。議会民主政治における政梅の相違は、秩序と規律を保ちながら解決されねばならず、政党が主義主張のみに固執し、いたずらに対立を事とするならば、民主主義の危機を招くおそれがある。国会の審議が、世論を正しく反映し、審議の過程を通じて、国論の統一が醸成されることが議会民主政治の真髄にほかならず、国会が良識と寛容の精神に立脚した言論の府となることが、 元)会議録では、本会議は午前零時一八分開会、一九分散会とある。(汀)与党は、この議事進行の正当性を、議長は必要と認めたときは討論を用いないで、議員に諮り議事日程の順序を変更することができるとする、衆譲院規則第一一二条においた。船田繊長は、このときのいきさつについて「私は一一日夜半熟慮の結果一大決心をし、議長職権をもって、一挙に採決に持込む以外に、他に適当な方法のなり」とを認め、田中副議長の法制的見解も求め、両者の意見は全く一致した。」と、回想している(船田中、前掲論文、八五頁)。しかし、当人も「認め」と述べているように、自民党サイドの意向、とくに一一一月一三日の会期終了日までに自然成立が可能なタイムリミットを見据えた上での判断だったと思われる。(躯)三宅憲介「批准国会の内と外l国会記者席からI」『世界」第二四二号、一九六六年一月、一五四’’五五頁。(羽)このときの自民党の強硬姿勢について、内田健三は、野党対策として慎重審議の立場をとる田中幹事長にたいし、中野国会対策委員長らの強硬派による突き上げがあったためと述べている(内田健三「佐藤体制の内幕」『中央公論」第八○巻第一二号、一九六五年一二月、一一一二-一二一一一頁)。詞)滴水腫『現代鍍会制の憲法柵造』勁草瞥房、一九七九年、一○四-’○八頁。清水は、「蟻長が、政府・与党一辺倒になって職権を振った著しい例」として、(一)第一九回会期延長問題、(二)第三○回国会瀞職法改正問題、(三)第五○回日韓条約問題、(四)第六一回健保修正案、大学法案問題、の四例を挙げている。(別)高坂正鞄「強行採決の政治学」「中央公論』第八二巻第一一一号、’九六七年一一月、五二’五六頁。(翌議院運営委員会の議事決定と国会運営への影響については、川戸貞史『日本の国会政治と政党政治」璽泉大学出版会、二○○五年、 11日韓国交月、一五四頁)。に詳しい。 法学志林第一○四巻第四号一五二日韓国交正常化成る‐新しい日韓協調時代へ(司会足立利昭、語る人船田中)」『月刊自由民主』第二四三号、一九七六年三

(17)

この「事務局試案」は、前年一二月におこなわれた自民・社会・民社三党による申合せを下敷きにした内容となっている。「申合せ」では、「少数意見の尊重」および「物理的抵抗の自重」が確認されており、さらに正常化の具体案を議院運営委員会において検討することが取り決められていた。このときの合意を具体化する趣旨で作成されたのが

「事務局試案」であった。 日韓条約国会後の国会正常化の一環として衆議院事務局により「国会正常化に関する試案」が一九六六年三月に提出される。従来の正常化案とは異なり、「審議の充足化」の視点を備えたものであった。その後、衆・参両院の議長による国会改革のための協議会が設置される。

一衆議院事務局「国会正常化試案」の概要一九六六年三月、衆議院事務局は、「国会正常化に関する試案」(以下、「事務局試案」とする)、を議院運営委員会(1) 理事会に提出した(資料一二・一)。前年の第五○回国会で、日韓条約批准に関して生じた紛糾の正常化の一環として

であった。 国民の信頼を確保することになるので、党派を超えた協力を期待する。」記)特別委員会の設歴については、次節で詳述する。

第二節委員会改革案の特徴と先駆性

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)

(18)

資料三・|衆議院事亟二)議院の審議方式

科学技術特別委員会を常任委員会とすること、社会労働委員会・内閣委員会をそれぞれ分割すること(六)行政府との関係における国会の権威の問題国会中心の立法へ移行するために審議の充実を図ることのほか、「個々の行政への関与を慎み、行政の監督については国会の立場において厳正に行うこと」、委員会における答弁は国務大臣・政務次官が責任をもって当たり、政府委員は例外的・補助的なものとすること(七)議院の政党的運営の成文化議院運営の全般にわたり、すでに政党的運営が慣習法として確立されているものは、国会法に成文化すること(八)会期延長問題と会期不継続の原則の再検討 杭を行わないこと。(三)議長の権威を高め》(四)議院の秩序を正す勢(五)委員会制度の改革 議院提出法案の増加と委員会修正の活用を図ること三)特定重要議案審議方式いわゆる対決法案をめぐる激突を避けるため、重要議案の提出は原則として、選挙の公約に掲げたものに限り、それ以外は各党の十分な事前の話し合いに基づくものとすること。特に重要な議案については、次のような特定重要議案審議方式を検討すること。すなわち、二)一会期一議案に限り、野党各派から一致して議長に要求した場合、及び議長が必要と認めた場合には議長が各党は幹部会議の意見を徴して、特別の審議方式を指示する。(二)この指示があった議案については、一定期間の質疑期間を保障するとともに、公聴会・参考人・連合審査会などの方式をふむこととし、強行採決・物理的抵議長の権威を高める措置を講ずること議院の秩序を正す措置を識ずること 法学志林第一○四巻第四号 衆議院事務局「国会正常化試案」要旨 一五四

(19)

この中で、国会審議の具体的提案がおこなわれているのは、③である。①の議院の秩序維持・議長の権限強化、お

よび②の会期延長に対する検討については、従来の「国会改革」でもみられた。しかし、③のような委員会制度への改革案が本格的に示されたのは、初めてであった。改革案としては、委員会の再編、議員提出法案の増加と委員会修

正の活用、委員会理事会の活性のための非公開化、討議の「円卓方式」といった項目が挙げられている。

詳細を見ると、まず委員会再編として、科学技術特別委員会を常任委員会とすること、社会労働委員会・内閣委員

会をそれぞれ分割することを指している(資料三・二)。また、委員会の理事会を非公開とすることや、既存の制度

でもある秘密会の一部領域における活用などの具体的施策が盛り込まれている。さらに、「円卓方式について」とし

て、討議を活性化させるために審議方式および委員室の見直しも提言している。これは委員間の活発な審議をめざす

国会法の変遷と委員会制度の展開西)(岡崎)一五五 委員会制度に関する提言(2) 「事務局試案」においては、①議院の秩序維持・議長の権限強化、②〈云期延長問題に対する検討、③委員会制度の改革の大きく三分野についての提案がされている。 従来、国会の混乱がほとんど会期延長問題に原因しているが、会期不継続の原則は過度に厳格に解する必要はなく、議員の一任期を限度として、会期に審議を終了しなかった案件は自動的に後会に継続することを認めるとともに、会期延長については各会派が一致した場合に限ることを検討するものとすること出典函衆議院・参議院編『議会制度百年史譲会制度編』一九九○年

(20)

法学志林第一○四巻第四号一五六ものである。のちに参議院からも提案される委員会における自由討彗蕊菜にも通じる提案であるといえる。

資料一一一・二事務局試案(委員会改革に関する項目)’九六六年三月

委員会の外交問題についての審議に当っては、秘密会の制度を活用すること。五、予算委員会の審査方法(1)総括質問を充実する一方、分科会の審査に重きを置き、中間的な一般質問については再検討する。(2)予算の修正についても、与野党の話合いにより弾力的に処理する慣行を樹立すること。六、決算委員会の審査方法決算の性格に関する報告説、議案説の論議もさること乍ら、決算の実質的審査に重点を置き、議院の行政監督機能の発揮に努めるものとし、審査については、第三五回国会昭和三五年七月二十日決算委員会決議による「決算の審査方針」の趣旨を 三、円真去梨梨について 第五委員会制度に関一、常任委員会の種類四、外交問題の秘密会 科学技術特別委員会を常任委員会とし、社会労働及び内閣委員会の分別について検討すること。二、委員会の非公開懇談の活用委員会の審査を円滑ならしめるため議運と同様に委員懇談会、理事会、小委員会を非公開として活用すること。

貫くこと。 将来の委員室の整備に伴い、委員会における与野党討議を活発ならしめるため円卓方式による審議をも検討すること。

出典ぃ衆議院・参議院編『議会制度百年史議会制度編』一九九○年

(21)

二「審議の活性化」をめぐる議論「事務局試案「|では、以前の「申合せ」には見られなかった特徴として、「審議の活性化」という観点が挙げられる。

これまでの「申合せ」は、院内秩序の強化と実力行使と物理的抵抗の排除が中心となっていた。これに加え、この 「試案」では議員立法の提出や与野党討議機会の増加といった国会の審議機能の向上を目的とした項目が並ぶ。議員 立法の増加は、一九五五年以降の内閣法案重視とは逆行するものであるし、審議機能重視についても、「審議能率の 向上」、「効率化」といったそれまでの国会改革でのスローガンとは正反対のものである。こうした提案の背景につい

(3)

ては、形式的かつ、政府に対して従属的機関と化した国今云の反省があったとの見解が、当時の報道で見られる。 一九五○年代にみられた物理的対決に代わり、一九六○年代では、与党の議長職権の活用と野党による日程戦術と

いう、国会の議事運営システムを駆使した駆け引きが、主流となってきた。とくに野党は、前節でみてきたように、

審議の過程を争点とした国会運営に転換をしていることがみてとれる。さらに、国会正常化の際には、政党間調整、 とくに自民・社会党間の調整は、非公式の国会対策委員会や幹事長書記長会談が実質的な調整の場と機能している。 こうした傾向を前提とした上で、「試案」では、委員会の非公式な懇談を活発化させる提案をおこなうなど、院外で の調整を院内にとどめようとする意図が見える。「事務局試案」は、六○年代半ばには、少なくともこうした空洞化 に対する危機感の表出であり、さらにこうした認識が定着しつつあったことを表すものである。しかし、こうした改 革案が示されたにもかかわらず、実際には周知のように、審議の空洞化は、ますます顕著になっていくこととなる。

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一五七

(22)

参議院における改革論議

参議院では、第六六回国会閉会後の一九七一年七月三○日に、河野謙三議長が「参議院問題懇談会」を設置した。この懇談会は、議長の私的諮問機関であり、有識者八名を委員とした。九月二三日、懇談会によって、「参議院運営

の改革に関する意見書」が提出されている。意見書では、①独自性と自主性の確保、②効率的な審議、③充実した審

議、④国民とともにある参議院の四項目について、それぞれ提言がなされた。 衆蟻院制度協蟻会の設置(4) 議会制度協議会は、衆議院において、一九六六年一二月に山口喜久一郎議長の私的諮問機関として設置された。’九六五年一二月の申合せと、議院の秩序を正す措置を講ずるとした一「事務局試案」を踏まえた設置であった。その後、’九七三年の協議会において、「当面、運営上改善すべき事項」および、「継続して検討すべき事項」がそれぞれ定められた。これはその後の検討課題とされ、さらに第七六回国会においては四項目が追加されている。第一○|回国会には、自民党により、「当面の検討課題」四項目が提案されている。審議拒否、実力行使などを自重するといった具体的な内容が並ぶ中で、委員会審議を活発化させることを目的とした条項が盛り込まれていることは注目すべきである。一九六六年の決定では、「当面、運営上改善すべき事項」として議員立法の活用、「継続して検討すべき事項」として委員会における委員相互の「自由討議」、「委員立法」に際しての党議拘束の緩和という事項が挙げられている。同様の特鶴》は次に挙げる、参議院の議長諮問機関による提言においても見ることができる。 法学志林第一○四巻第四号 三両議院の議長私的諮問機関における委員会改革案 一五八

(23)

委員会制度については、「効率的な審議」として、予備審査制度の導入、審議期間の確保を提言した。この予備審

査制度とは、衆議院で審議中のまだ送付されていない案件について、参議院で同時に審議を開始するための制度であ

る。衆議院に先に提出される案件が多い参議院では、審議時間不足が問題になっていた。また、審議期間の確保とは、

ここでは具体的には「一定の期日以降に送付されてきた議案は原則として継続審査または廃案とすること」を指す。

③の「充実した審議」では、おもに「公聴会」等の既存の委員会審議方法を充実させることにより審議を充足させ

ることを提案している。同時に委員会における「自由討議」の採用も盛り込まれている。一九五五年の改正において

実質的に活用されていないことを理由に廃止された自由討議が、審議充実の手段として再び脚光を浴びたのである。(5) これ以降、自由討議復活案は国会改革論において、しばしば浮上することになる。また、常任委員会全体の問題とし(6) て、タテ割による省庁との癒着についても一一一口及している。一九七七年一二月には、参議院改革協議会が設置されている。参議院改革協議会は、「参議院の組織および運営に(7) 関する諸問題を調査検討し、その改善策につき議長に報告することを目的とする。」ものであった。その後、歴代の

議長の下で参議院改革協議会は、設置され、提言をおこなっている。提言の中で、実現した内容だけをみても、調査

会設置などの参議院改革に連なるものから、通常国会の一月召集などの国会全体にかかわる改正と幅広い。参議院の

提言の中には、参議院での調査会設置や、押しボタン制の導入など、後年になって実現した施策も数多くみられる。

国会改革の問題性と先駆性

委員会制度自体への批判や、旧来型のイギリス方式への転換への提案などは、

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎) 一九五○年代に開かれた憲法調査会

一五九

(24)

法学志林第一○四巻第四号一六○

の審議の中でもしばしば見られた。しかし、国会正常化の対策として委員会の改革が具体的に挙げられることはほとんどなく、その意味において、「事務局試案」は、新しい「国会改革」の胎動としての意義を見出すことができる。

ただし、事務局案はすぐには実行に移されていない。「事務局試案」は、従来の「自粛」路線とは異なる国会改革

のあり方を提示した画期的な事例ではあるが、その実効性は低かったと考えざるを得ない。しかしながら、「事務局試案」で取り上げられた条項は、この後一九六○年代後半から七○年代にかけての衆参両

院における議会改革で繰り返し取り上げられるものも少なくない。いわば、その内容は、その後につづく国会改革の(8) 潮流の、先取りであったとい》える。

へ_

且旦頁一〆

月四日)(4)識へ (1)国会正常化試案については、松潔浩一「国会法改正」「法学教室』第二六号、一九九○年五月を、試案内容の詳細については、『衆議院・参議院編集『議会制度百年史恥議会制度編一一九九○年、を参照。(2)会期延長問題が国会の紛糾の直接的原因となることが多いため盛り込まれたという。『衆議院・参議院編集「議会制度百年史叩議会制度編』’九九○年、を参照。(3)「衆識院事務局がこのような試案を提出した背景には、立法府としての国会の権能は、近年になって形式的なものとなり、政府の従属機関と成りつつあることに対する反省があるが、与野党議員がどのような反応を示すか注目される。」(『読売新聞」一九六六年三

ご議会制度協議会が設圃当初から議長私的諮問機関であったという一般的な概念についての反対論もある。|協議会の迎営には、議長の意向が最も大きな影響力を持ったのは当然ではあったが、設立の趣旨からすれば各メンバーが同じ土俵で同等の資格で発言することが期待されていた。」(吉田文和一衆議院議会制度協議会I設圃から現状まで」『議会政治研究』第一六号、’九九○年一二月、八五

委員会自由討議については第六章で詳しく論じる。意見書の中では、常任委員長と各省庁との癒着防止として、「常任委員会の運営にあたっては、その所管を事項別に規定した参議

(25)

院規則の趣旨を尊重し、常任委員会と各省庁との癒着を防止するようにつとめるべきである。」とある(「参議院改革協議会設置要綱」(参議院事務局『参議院の改革の経緯と実績』一九九二年)参照)。(7)「参議院改革協議会設腫要綱」(参議院事務局『参議院の改革の経純と実績』一九九二年)。(8)たとえば一九八○年に二八年ぶりに行われた国会法の改正は、常任委員会の増設であるが、既に「国会正常化試案」で提起されている。また、「国会中心の立法の実現」の具体的手段として、議員どうしによる審議の活性化を模索している点は、一九九三年以降の迎立期において国会改革の一環として取り上げているものであり、注目に値する。

国会法の変遷と委員会制度の展開(四)(岡崎)一一ハー

参照

関連したドキュメント

第1回 平成27年6月11日 第2回 平成28年4月26日 第3回 平成28年6月24日 第4回 平成28年8月29日

二月八日に運営委員会と人権小委員会の会合にかけられたが︑両者の間に基本的な見解の対立がある

会  議  名 開催年月日 審  議  内  容. 第2回廃棄物審議会

[r]

そうした状況を踏まえ、平成25年9月3日の原子力災害対策本部にお

2013年3月29日 第3回原子力改革監視委員会 参考資料 1.

「事業分離等に関する会計基準」(企業会計基準第7号 平成20年12月26 日)、「持分法に関する会計基準」(企業会計基準第16号

VVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVV 5月15日~5月17日の3日間、館山市におい