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自律を目指す教育に関する自然主義的研究

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Academic year: 2021

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

自律を目指す教育に関する自然主義的研究

宮川, 幸奈

https://doi.org/10.15017/4059965

出版情報:九州大学, 2019, 博士(教育学), 課程博士 バージョン:

権利関係:

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(様式3)

氏 名 : 宮川 幸奈

論 文 名 : 自律を目指す教育に関する自然主義的研究 区 分 : 甲

論 文 内 容 の 要 旨

被教育者の自律という近代的な教育目的は、様々な問い直しを受けつつも、依然としてその重要 性を失っていない。教育哲学においては、近代教育(学)批判を受け止めた上でなお、目指すべき 価値として掲げることができる自律概念を練り上げることが課題とされており、カントによる定式 化以来、自律と他律のパラドックスに関する考察も続けられている。すなわち、自律していない子 どもを自律させるためには教育という他律が必要だが、「自律せよ」という他者の命令に従う限り子 どもは他律状態から抜け出すことができないというパラドクシカルな事態を説明するために、様々 な議論がなされている。他方、人間諸科学は今日、「認知」や「進化」をキーワードとしながら、近 代以降の人間観の問い直しを求めるような知見を次々と産み出している。こうした状況の中で、人 間諸科学の知見と整合するかたちで自律という教育目的を理解・説明するべく、自律を目指す教育 をパラドックスとは異なる枠組みによってとらえ、その内実を探究することが、本研究の目的であ る。人間諸科学の知見を積極的に参照する本研究の方法を、自然主義と表現することができる。

第1章では、自律を目指す教育をパラドックスととらえることの問題点を指摘し、新たな枠組み を提示した。自律を目指す教育をパラドックスととらえる従来の議論は、他人に依存することとし ていないこと(自分自身で行為を決めること)の区別が明確であることを前提として、他律から自 律への跳躍について問うてきた。これに対して、土戸敏彦の〈ふり〉論に示唆を得て、他人に依存 している状態としていない状態ははっきりと区別できるものではなく、自律と他律がそもそも両義 的であることを論じた。そのうえで、自分自身で行為を決めることと他人に依存することを区別す るようになるという跳躍こそ、自律と他律をめぐって解明すべきものであると主張した。

第2章の考察の主題は、自律と他律の区別のもう一つの要素である、理性的であることと感性的

(感情的)であることの区別である。まずは、人間の認知に関する理論として支持を集めている二 重過程理論dual process theoriesを参照し、理性や意識と、感性や無意識という一見対立する諸要 素が、自律という教育目的の中で絡み合う様を明確に描き出した。さらに、理性と感性(感情・情 動)の区別を問い直すような諸議論を参照して、理性と感性(感情・情動)の分かちがたさと、そ れと関連する意識的であることと無意識的であることの分かちがたさを確認した。

第3章では、第1章・第2章を受けて、自律を目指す教育をとらえる、パラドックスとは異なる 枠組みについて考察を深めた。まず、心理学史研究者カート・ダンジガーの見解を参照しながら、

理性的であることと感性的(感情的)であることの区別についても、それらが区別されるようにな る過程を解明することが、自律を目指す教育を理解・説明するための鍵になると論じた。続いて、

自律を目指す教育の他の側面として、システム1のための教育とシステム2のための教育、他者か ら自律していると見なされるように導くことを挙げた。

第4章以降は、自律を目指す教育(自律と他律の区別を可能にするはたらきかけ)が、どのよう

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に実現されているのかを検討した。第4章で取り上げたのは、人間が自らの行為について意図や理 由を述べることである。はじめに、意図と理由をめぐる哲学的な議論を概観し、人間が意図や理由 によって自らの行為を説明することの意味をとらえ、それと自律と他律の区別との関係について考 察した。それによって、人間が意図や理由によって自らの行為を説明することにおいて、他人に依 存しているのではなく自ら行為を決めているのだ、しかも感情に任せた判断ではなく理性的な判断 を行っているのだ、という2つの区別が実現していることを明らかにした。続いて、進化の観点か ら人間の自由について検討しているダニエル・デネットの議論などを踏まえ、子どもがいかにして 意図や理由によって自らの行為を説明するようになるのか、その過程で大人はどのような役割を果 たしているのかを検討した。

第5節では、自律を目指す教育のより基礎的な過程として、叱責について分析した。この分析の 重要な導きとなる青山拓央の論考では、叱責が、進化の中で人間のみが獲得した営みであることに 目が向けられている。青山は、叱責に含まれる否定性を理解できるのは言葉を持つ人間のみであり、

人間は否定を理解するようになるからこそ、「~~ではなく○○ができた」という自由や可能性の下 で生きることができると論じている。自由と可能性の世界に生きていることは、自分自身で行為を 決めることと他人に依存することの区別をするための前提となる。そこで、大人(たち)が、初め は否定禁止も理解していない子ども(たち)に対して叱責を繰り返し、それによって彼らを自由と 可能性の世界に引き入れることを、自律を目指す教育の基礎的過程として描き出した。

終章では、第1章から第5章までの議論で明らかになったことをまとめるとともに、自然主義的 を掲げた本研究の意義と限界、今後の展望について述べた。

参照

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