三
學 の立場からシェイクスピアの作品に見える
いて論じた、 物につ 本豐吉『シェイクスピア
に 品考』(本稿〔上〕
出)では、「ロミオとジュリエット」に見える假死
「 を、
醉性の生
登場し、かつまた醫學史上、 」と捉えて、シェイクスピアの他の作品にも
醉性生
として名高い、
①マンドラゴラmandragora②コニウム(ドクニンジンhemlock)③アコニットaconium④ケシpoppy の四種を
げて、中世には、①、②、③とその他の
ませた「 をし 事を指摘した後、 醉綿」が用いられていた(Spongiasomnifera)
もっとも、一六世紀になると外科醫さえもこれを用いなかったようであるが、ともかくも、沙
時代には色々な睡眠
醉
法師の の存在が知られていたから、この劇においてロレンス
合した「眠り
」も、架空のものではなく、
く何かの根據が有るのであろう。 ら とする (1)。**「無雙傳」に見える「假死
」もまた、右の指摘と同じよ
代傳奇「無雙傳」に關する一考察
假死
を中心として (中)
子和男
うに 醉性の 品をイメージして作られたと考えてほぼ
いないであろう (2)。右記 材の中、特に①のマンドラゴラ(
man・drake)は、『シェイクスピア 語名マンドレイク ローマ時代に切開手 品考』によれば、古く では、そうした「 で用いられたとされるが、物語の世界 效」と共にその根の形が人
ことから、地面から引き に似ている じく、佛典に由來する曼陀羅 このマンドラゴラと同じナス科に屬し、マンドラゴラと同 。れる有名な植物である (3) それを聞いたものは發狂するか死んでしまうかすると傳えら く時にはろしい悲鳴を上げて、
が國初の てマンダラゲ(チョウセンアサガオ)がある。この植物は、我 の文字をあてられた植物とし 醉 を行った
岡 の時用いた 洲がそ(一七六〇~一八三五)
醉 「 仙散」(
沸湯)の重
加 こともまた、良く知られている。 原料であった 喜光『風水と身體』によれば、
岡 た 洲が自ら考案し 醉 の材料に、マンダラゲつまりチョウセンアサガオを
んだのは、一
にして改良したとされる(第三章「身體と中國醫學」三「謎の に西洋醫學書をヒントに中國醫學書を參考 醉 ―・開く・醫
の奇跡」)。 (4) チョウセンアサガオは、熱帶アジア原
で、江 國を經由して日本に傳わり、 時代に中 このチョウセンアサガオと共に、曼陀羅 る。 として栽培された植物であ
ていたマンドラゴラの の名を與えられ 以 報が中國にもたらされたのは、宋代 傳」の作 のことと言う。從って、マンドラゴラについて、「無雙 ・薛 一方、チョウセンアサガオに曼陀羅 は知ることはなかったと考えて良い。
遲くとも宋代、早くとも の名が與られたのは、
とから、この指摘 代をさかのぼらないと言われるこ りであるとしたならば、こちらを薛
北京大學文獻データベース―例えば、『 しかしながら、インターネット上に公開されている種々の ** 知っていた可能性が出てくる。 が や中央 詩電子檢索系統』
究院 電子文獻、あるいは「無雙傳」において
の一 である上
の本山である
!山からの使
からこの
を得たという記
"を手がかりとして、
タベース―を檢索しても、曼陀羅 關係の文獻デー 中國での呼び名である、風 のみならず、この植物の
#$・風
#兒・胡
#$・山
#$
(これは、
方の呼稱でもある)・山
#子・大閙楊
$・耆婆
・ 中國詩文論叢第二十二集 86
顛
・醉仙桃・酒醉
などいずれも、 (5)
代の文獻には
トしない。唯一、『 くヒッ 詩』卷三八七に收める盧仝「
歌」に、「時時對坐談眞如、因 放魚
十千天子事、
天雨曼陀羅 、、、 力當與刺史、
深 、
「是時天雨曼陀羅」とあるものをそのまま引いたものに 膝」と見えるのも、『法經・序品』に
ぎず (6)、これが實在のチョウセンアサガオを言うものとは思われず、ましてやその「效能」を意識した記
とは思い
曼陀羅として、その效能と 獻データベースの檢索を續けると、チョウセンアサガオが、 『風水と身體』を手がかりとして、さらに種々の文獻や文 い。
うになったのは、宋代以 せて文獻に實際に登場するよ とが分かる。それは、 の事である可能性がむしろ高いこ
①北宋の司馬光『
水記聞』卷三に、湖南轉
杜杞が、五溪蠻(湖南省西部、湖北省西部一帶に居 副使であった した非
族)が宋に反した時に、彼らを金品と官
飮ませて昏睡させ、凡そ數千人もの人々を皆 曼荼羅酒すなわち、チョウセンアサガオを原料とした酒を とでおびき出し、
②『水滸傳』や『醒世姻 いう話を載せていること。 (7) しにしたと
傳』など小
の中で、
林の好
がこの
を使って人を眠らせたり、
身を 錢をかすめたりする物語に出てくる「蒙汗 痺させて、金 」(現在の
その 、
なる分は未詳)
③この植物が オではないかとも考えられていること。 (8) 物の材料もまたチョウセンアサガ 醉 た宋代(竇材の とうざい の原料として中國の文獻に現れるのもま と言われる『扁鵲心書』に見える「睡 へんじやく
であるということ。 散」)
などから推せば、
サガオと言う 人一般に、假に曼陀羅=チョウセンア 識が根付いていたとしても、その眠り
れ 、痺
、さらには
醉 としての效能まで廣く
かどうかは、疑問と思わざるを得ぬからである。 識されていた
四
それでは、『シェイクスピア
にその作品にも見えるという他の三種 品考』でマンドロゴラと共
の はどうであろうか。シ(poppy) の中、④のケ
罌粟の栽培の史は極めて古く、中國を經由して日本へは室町時代には傳わっていたといわれる。
代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
!子)
87
良く知られているように、この罌粟から抽出されるのがアヘン(阿片、鴉片)であるが、この
物は有史以
( 年の
究では、紀元
たと考えられている)から人 四千年頃にヨーロッパ東部で生まれ、東西に廣まっ
らく一番初めに發見された によって利用されており、おそ 物と言われ、自然に生
め、發酵の知識を必 するた 製。またフランス人 八世紀、從來の三倍の效能を持つ「ブラック・ドロップ」を このアヘンが中國に大量に流入するようになったのは、一 ることは、ほとんど確實とされる。 とするアルコールの發見よりさかのぼ
することに 劑師ドロネがアヘンから鹽分を分離 功。一七七二年にイギリスの東インド會
ンドでアヘンの專賣制を開始し、中國を がイ たる ようになって以 出國とする 世紀とされているが、陳 のことと言われている。そのはじまりは七 (9)
臣『風よ雲よ』では、その經
を のように
べている (
。 )
じつは中國にアヘンが入ったのは、もっとふるい。
という名が見える。 也。―底迦 ていやか の乾封二年(六六七)、拂林という國からの獻上物に、 けんぷうふつりん 代 おなじ はアヘンにちがいない。 ギリシャ語でアヘンは、「テリアカ」というから、これ
じめにかけて、アラビア人が 代でも、すこしおくれて八世紀末から九世紀は
路で 入した。『新
―阿 に、 書』
ンという。それが訛ってアヘンになったのである ( とあるのがそれだ。アラビア語でアヘンのことをアフヨー 。
。 )
右に言う底也迦(『
『本 書』では「底也伽」)は、明・李時珍 綱目』卷五〇「獸部」には、『
本
「底野迦」と記 』を引用して、
時、南 。その『集解』では、「西戎より出ず」「宋 に或は亦之有り」としていることから、その
名が渡來したとされる 物の 代以來、『本
綱目』の
代に至るまで、知られていたことがわかる ( まれた明 本稿 。 )
11で補足したように、この陳
臣氏の記
「『新 のうち、
書』に阿
とある云々」という記
書を檢索した結果、見當たらなかったものの、それを は、實際に兩
いて考えても、アヘンが り引 代の比較
三代高宗の年號である)に中國に入ってきたとする記 早い時期(乾元は、第
がある 中國詩文論叢第二十二集
88
ことは
目されて良い。何となれば、曼陀羅
センアサガオよりも、「無雙傳」の作 つまりチョウ が、この
先ず第一に、テリアカは、陳 だが、この可能性にも問題點がないわけではない。 ** ていた可能性がより高いことになるからである。 物を知っ
臣氏の指摘とは
ヘンそのものを指すものではないと言う點は見 なり、ア 作る」とあり、今日の辭書例えば『廣辭 これは、『本綱目』の『集解』に、「豬肝を用ひて、之を とせない。
りでも、「theriacaラテン・底野迦獸 』あた(第五版)
毒に用いる膏 に咬まれた時の解 。
脂など數種の
劑を蜂蜜で
くる。」と り合せてつ 明されていることからも明らかである (
また、日本と中國の醫學思想史の 。 )
究 九州國際大學の石田秀實氏が、テリアカつまり底也伽は、 として知られる、
能
と
識されていた
品であり (
、アヘンはその )
あるとした上で、「(アヘンは)長く治痢劑・ 物で いられ、 として用 による
變容を目
ずっと後である。」と指摘している點も特に とするようになったのは
ろう ( 意すべきであ つまり、石田氏の指摘と、本稿 。 )
13で引用した解
とを
せ考えれば、假に
と言う名を知っていたとしても、それはあくまで 人一般が廣く底也伽(底也迦、底野迦)
能 ての名であって、 とし 物であるアヘンの、
て後に廣く知られるようになった の代表とし 惡心・嘔吐・めまいを生じ昏睡・呼 烈な效能―性中毒では
!痺に
"る (
しも一般 ―は、必ず #)
また、本稿 のである。 に知られるものではなかった可能性が極めて高い 11で
$に指摘したように、先ほど敢えて「
%
り引いて」考慮から除外した、阿
&
史に登場したのは、 '、鴉片の名が實際に正 (代以
)のことであり、中央
大な文獻データベースでも事 究院の膨
*は正史と
さらには、他ならぬ +く變わらないこと、
思われる『 人一般の知識を知る手がかりとなると +詩』などを檢索しても、阿
&
一例も見出し得ないことからも、 '、鴉片の語は 對する知識の度合いをうかがい知ることは極めて困 人一般のアヘンの作用に
それでは、 と言わねばならない。 ,である 人一般にとって、これら
あると言う 醉・睡眠の效果が 品は
+く無
ろうか。先行する論考の「そんな祕 -であったと言いきって良いのであ
らかにしないが」と言う發言を、ここで があったか否かつまび .すべきか否か。
代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
/子)
89
五
醫學の先
ア、そしてインドにおいて早くから手 地域であった古代エジプト、ギリシア、アラビ
ることは良く知られている が行われた痕跡のあ であり、中國においても、後
する手
に關する幾つかの有名な傳
他の國々同樣、 においても、その實施例が存在するとされている。その際、 ばかりではなく、後世 醉 乃至はそれにした
先に引いた石田秀實「見鬼 と考えるのは、むしろ自然のことと言って良いであろう。 物が用いられた
考」では、六
隋 出した腸の開腹 にも、露 合手 (隋・
元方『 病源候論』卷三六 (
や、桑の纖維絲による ) )
合手 ( ・王
おうとう『外臺祕
』卷二九 (
などの例に見られるように、樣々な手 ) )
うした手 が行われており、そ にあたって當然のように
醉 が用いられ、それと共に向 效果を有する方劑 作用 (
についての知見も )
石田氏は、そうした向 ていったであろうとする。 し
作用を有する
されているが、その 劑を種々考察 劑となる植物として、莨
ろうとう(ハシリドコロ)、防 ぼう
、(ボタンニンジン) き
、大 、 等の名を 陸(ヤマゴボウ)
げる。 このうち、向
るのは、大 の方劑として今日でも良く知られてい と莨 マルコポーロ『東方見聞 ** であろう。
』「山の老人」に登場する暗 アサ
シン 集團(イスラム
シーア
の分
イスマイリ
の更に支
ザリ であるニ 團)が、時の對抗勢力の
人暗
に際して、暗
與えた幻覺劑ハシシュhasishは、大 に 大 の一種であるインド の樹脂であった。このインド大
れるハシシュの向 と、それから作り出さ れを使用する人々は今日に至るまで後を 作用はアヘンと竝んで廣く知られ、そ
ここで改めて !たないこともまた、
しかし、今日の くまでもないであろう。
"究では、果たして中國の大
ンド大 に、右のイ
と同樣の向
なっているが、先に引いた加 作用があったか否かが論議の對象に
#喜光『風水と身體』では、
1中國の大
には 醉作用がなかったとする
向
される大含有するか否かによって三種に分 作用のあるTHCを(テトロヒドロカンナビノール)
ロッパ種、シベリア種、中國種はそれを合 の中、ヨー
あるTHCA(テトロヒドロカンナビノール酸)を含有しな $する酵素で 中國詩文論叢第二十二集
90
いCBDA(カンナビノールジオール酸)種である(松本明知『
醉 學のパイオニアたち』〔一九八三年 (
2中國の大 〕)。 )
にも
醉作用があったとする
①栽培種でなく野生種の大
の質ばかりでなく、量 育した種と、他の地域で生育した種ではカンビノイド においても、ある地域に生 同じ場 にもかなりの變動が見られる。
でも、季
②シベリア、中國(東北部)の野生種を によって變動がしい。
は、THCAの 體とするもの 驅物質であるCBDAを
いずれも向 と考えられる。この兩品種(THCA種とCBDA種)は、 分とする 活性の
ルに轉換する能力をもつ いテトロヒドロカンナビノー 合物群であって、大
としての 製品
整中や大
を保存したりするする
易に變 に容
するのである(以上、一
良行『
。〔一九八二年〕) 醉の科學』
という二
を紹介し、「後の
によれば、中國の
にも
作用のある可能性は完 醉 れる。」とする(第四章「身體と中國醫學」4「中國の大 に否定するわけにはいかないと思わ
には
醉作用があったか?」)。 石田秀實「見鬼
一つの醫學 ( 考」では、自『中國醫學思想史―もう
』を踏まえ、大 )
ばかりではなく、
の向
用が中國で古くから知られていたと 作
べ、中國本
學の
とされる『 源
農本經』に
に、
子(
の實)、
賁(一名を まふん
勃。陶弘景〔四五六~五三六〕の『名醫別 まぼつ
』の 明からすれば、
いなく
の
の樹脂から
分であると った、今で言えばハシシュになる部 べる (
の向) )
作用が
醫書を文字 べられているとし、各 り
!して、大
の根や
"にも
ことが知られていたとする ( #痛作用がある
。 $)
%時における中國大
の實際
な效能が果たして兩
に歸すべきかは、醫學、 何れ 學の
くの門外
&である引用
分かるすべもないが ( 'に
、少なくとも醫書の中で、それに向 ()
作用があるという
)識が古くからあったことは、
ことであろう。何となれば、實質 *目すべき かかわらず、そうした考えが共 な效能の有ったか否かに 大 ** 物語の世界では十分だからである。 理解されていさえすれば、
と共に向
の重
+な方劑として石田秀實氏が
た莨 ,げ
-はどうであろうか。
.代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
/子)
91
莨 とは、山崎幹夫『毒の話』では、
①マンドラゴラ(マンドレーク)、ベラドンナ(學名Atropabelladonna)と共にヨーロッパ
會で良く知られた向
②その種子には yoscyamusniger)がある。 作用のあるナス科の植物にヒヨスチアムス(學名はH
痛作用があり、
生じる作用、催眠作用があるとし、またその 用量によっては狂亂を
(ヒヨス ヨーロッパでは古くから重な生)
として 靜の目
③これは に用いられた。
二種の植物と同じく副交感
ロピンと同時にアトロピンに比べて中樞作用が 經作用があるアト
かも抑制 く、し
に働く爲である。
と
明する (
石田氏「見鬼 。 )
考」によれば、中國における莨
『史記』の倉公傳に、 の使用は、
意)が( 初の名醫として知られる倉公(淳于 川王・劉賢の美人〔妃嬪の稱號の一つ〕の) しせん
を莨 たとする ( で治すカルテが載せられているほど、古くから行われてい
。 )
代の莨 の使用例として知られているのは、安祿山が、
丹を騙し討ちにした際に用いた「莨
酒」であろう。
(安祿山)
肥大不任戰、
後十餘度欺誘
中 丹、宴設酒
莨 、
死、 子、預掘一坑、待其昏醉、斬首埋之、皆不覺 、、
度數十人(『
書』卷二百上「安祿山傳」)
これに對して、
時の ・姚汝能『安祿山事跡』卷上では、この 樣を、
酒中實毒、鴆
之、動數十人、斬大首領、函以獻捷。
と記すが (
、「鴆 )
」は、鴆弑、酖
して知られる鴆の とも言い、本來は毒鳥と もしくは血液を用いて
が ( すことを言った
、毒 )
その意と考えるべきであり、用いられた毒の種 の意に擴大された語であることから、右の記は、
『新 は特定されていない。 !は、ここで
を踏まえたものと見え、の記 書』卷二二五「安祿山傳」では、この『安祿山事跡』 中國詩文論叢第二十二集
92
自以無效而貴、見天子
開邊、乃紿
丹 毒焉、 酋、大置酒、
酣、悉斬其首、先後
數千人、獻馘闕下 (
。 )
として、ここでもこの時用いられた毒の
ては言 體な名稱につい 一方、北宋・司馬光『 されていない。
治 鑑』は、『
書』の記
支持して、この時安祿山が用いたのは「莨 を 記し、元・胡三省は、「莨 酒」であると明 」に關する詳細な解
て、 を引用し
のように記
する(〔〕
が胡三省
。)
安祿山
誘奚、
丹 飮以莨爲設會、 ,
酒、〔本
莨 曰、
子生 邊川谷、今處處有之。曲
高二三尺許、
地 與
、紅
等、而三指闊。四
開 、紫色。
夾
毛。五 有白
結實、有殼作罌子
、如小石榴。中子至細、
!白如米粒、毒甚。
"一二日而
甚。爲、于僞 #方生、以釀酒、其毒尤
$。下先爲同。飮、於鴆
$。莨、
%浪。
、
%蕩。〕醉而
&之、動數千人、函其酋長之首以獻
, 數四(卷二一六「 '後 紀三十二」玄宗天寶九載)
この時、實際に用いられた毒が本當は何であったかは、定 かではないが、それとはかかわりなく、ここでは、『
が、その時用いた毒を敢えて「莨 書』
にこそ 酒」と特定していること 目すべきであろう。つまり、少なくとも『
の書かれた時期に、莨 書』
の向 ()作用が、特別な醫學・
らないからである。 の知識を持たぬ人にも良く知られていたことの證左にほかな *學
それでは、これら向
()作用が確
+されている
雙傳」とが直接に結びついて「假死 *物と「無 れたと直ちに結論づけて良いのであろうか。 *」と言う發想が生ま
※本稿が
,るに當たっては、多くの方から
た。その -示をいただい
.ねは、本稿の
などに記すことが出來たが、
/能
*テリアカについてのいわば初動
0査に、貴重な
1
報を與えてくれたホームページに南川純
2こと
「ミステリにおける毒 3河純氏
*の 4究6」がある。同氏は
の 5學
4究が本業(專門はコロイド界面
5學、寫眞
『毒の話』のことを直接 であるが、本稿を書く上で非常に參考となった山崎幹夫 5の由學)
て、謝意を表したい。 -示して下さった。ここに記し 代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
6子)
93
なお、當該ホームページのURLは、http://homepage2.nifty.com/mizugame/poison6.htmである。
(1)同書
(2)死 25"ROMIOANDJULIET"九八~九九頁
を甦らせて、
が自由に使役するとして
中米ハイチの民 れられた も、ie實際は 信仰ブードゥーVoodooのゾンビzomb 醉性の
物を使用して人を昏睡
後、意識の朦朧とした 態にした な ずしも嚴密でない時代や地域にあっては、假死と死との明確 このことを考える手がかりともなろう。「死」の定が、必 態で使役したとされている事も、
なお、ブードゥー 別が今日ほど行われ得なかったと考えられるからである。
で使用される假死
はフグ毒の
として知られるテトロドトキシンであるとされている( 分
文 人
同氏のブードゥーお、な。mlht ~dbe.ne.jp//bambalaigook.loa.b參照。5/www:/tphtLRU 」dytuosodvo「究家である檀原照和氏のホームページ
究の ドゥー 果を纏めた『ヴー 大 』は、
目書 より
(3)最 る)。 く刊行予定とのことであ 、世界
祕密の部屋』でも、 『ハリー・ポッター』シリーズ第二部『ハリー・ポッターと に大ヒットしたJ・Kローリングス作の物語 人公・ハリーの在
するホグワーツ
法學校で、この世にも
ろしい植物から
品を抽出する實
が行われる場面が登場し、この
が物語展開に重
な役 擔わされている。この植物がいかに西洋の物語の世界で廣く を
(4)『あじあブックス』〇三四、大修 知されているかを知る證左になろう。
書は、この方面に關して、非常に 書店、二〇〇一年。本 5()チョウセンアサガオに關する 書を參照されたい。 意を表したい。なお、この方面に關する詳細については、本 とから、多くの手がかりと示唆を受けた。ここに特記して謝 密な考證を試みているこ
順天堂から得た。中でも、大學醫學部の新垣 報は、種々のホームページー
ページからは、非常に有な 雄氏のホーム
)6(陳貽 soyakuu.htm ld/1197/kouaih/k/o:/URrd.o.meawainok/www..jptphtL た。きを得ることがで報
!
"『
#訂
$釋 %詩』卷三七六(文
美 出版
(7)『叢書集 二〇〇一年)。 &、 初
"』文學部
(8)順天堂大學醫學部、新垣 '收。 雄氏の解
(による。本稿
(9)關西 照。 $5參 )擬國
*委員會北陸支部(金澤大學
+)作 ジ「國際 ホームペー tmを.hkuyama tpse統制」URLa/nd/~:/.jpneht.in2/wwwcl.
に參照。 中國詩文論叢第二十二集 94
( )同書〔上〕九八頁(
談
( 文庫、一九八五年)。 )ちなみに補足すれば、「拂林」は、『
と表記(卷一九八、西戎列傳、「拂菻國」の條)。また、『新 書』では、「拂菻」
國から 書』卷二二一下、西域下「拂菻」の條には、乾元中にこの 貢のあったことのみ記し、
拂菻はどこを指すかについては、 ない。 貢品にまで言してい 代以 いは東ローマ て言えば、①シリア、パレスチナなどのローマ東部領土、或 の文獻に關し 國の首
スタンの北部を言うとされるが、『新 コンスタンチノープル、②アフガニ
書』の右記の箇
の記
は、①を指すと考えられている(『アジア
八、 史大事典』
凡 また、『 、一九七五年初版第九刷)。 陳更に、 れる。 書』本文では、底也迦は「底也伽」と表記さ 臣氏の言う「『新
書』に、阿
という記 とある云々」
は、實際には現行の『新
書』には
たらず、正史においてこの語が出てくるのは、『 く見當 卷四九六「 史稿』
傳」の
樣である(中央
究院 アヘンの中國表記として一般また、 w/。參照)3wtms/fin-bftmsu.t.edicasin/www.:/tphtLUR 電子文獻 と同樣である(『 な「鴉片」もこれ 條以下の五三箇 史稿』卷一六「仁宗本紀」、嘉慶十五年の にぶ記
は、
て『
れる。また、同文獻データベースの他の文獻としては、『臺 史稿』中に見出さ 灣方誌』に集中
に二二箇
( 見出される他、用例を見ない)。 )この點については、
( に觸れる。
)その體
製法について、ホームページ「アラジン輪
(「名醫は !曲」
"
#徒」の項)では、種々の信
つつ〔 $できる文獻を引き
%〕、「テリアカの製法は場
や時代によって
いますが、基本 "なって には、アヘン、毒蛇の肉、
などの香料などを &香やシナモン 'り合わせて作っていたようです。最
毒蛇の毒液に特殊な (は )效のあることが確
*され、
究が 體の部分だったとされています。」と でいますが、テリアカに使われたのは頭と尾を切り離した胴 +ん リアカに關する詳細な ,明するほか、このテ 胃腸HPも傳えられ、後以明治「テリアカはでは、同た、 -報て參考になる。ま極めし、提供を
)
として携行されるようになりました。今でも、
.賀縣の
がこれを製 )局 蛇の肉もアヘンも入っていません。シルクロードの /しています。もちろん現代のテリアカには、毒
ある『カンゾウ(甘 )0でも も知られています)』をはじめとする種々の 0、西洋ハーブとしてはリコリスの名で
)0を せたものです。」との 'り合わ 1加
〔 tm.horctod htian_niglls/garand_abajkhttp://www.p/tt.URzaq.ne.jL -している。提供をも報
%〕 嶋信 『アラビアの醫
2』(中公新書
66、中央公論 、一九六五年)、
3波恆雄『和
ス、『イパ、スブーハ多義昭、本一九九六年)版、 )』(東方出招待のへ
方 代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
4子)
95
』(丸善、二〇〇一年)。なお、括弧
の出版
年は、 と刊行 この「アラジン輪 子が補った。
曲」は、國立民族學
物 夫助授の論文(シナイ の西尾哲 たものを、中東に關して馴染みの 島での民話分析など)をもとにし い一般
ムページの作 向けに、このホー 特に「名醫は りしたページが中心になっているとのことである。 である橘美穗氏がリライトしたりまとめた 徒」の記
は、西尾氏の校
る由であった。橘氏からは、當方の問い合わせに對して丁 を經てい
な示をいただいた。ここに記して謝意を表したい。(
)なお、テリアカの來
については、
嶋信 醫 『アラビアの
』が詳細に解
しているが、同書によれば、ローマ皇
ネロ(在位五四~六八)の侍醫のアンドロマルコスが工夫したとされ、さらに『
書』の記
より八年
に 修本 った『新 』(『 本 みに用いると良く效く」と記 「底野迦」について觸れた部分があり、「値段は甚だ高いが試 』)の我が國にのみ殘存している斷片に
( 二頁)。 (「毒と解毒」のうち「解毒劑テリアカ」の項參照。同書一四 なり早くから中國にその名と效能とが知られていたとする されており、このことからか )「見鬼
考」(『東方宗』第九六號、日本
助言もいただいた。ここに記して謝意を表したい。 〇〇年)。石田氏には、この論考をご惠與いただき、貴重な 學會、二〇 (
)『廣辭
()腸斷 』〔第五版〕「阿片」の項參照。
、兩腸頭見
、可
!續之。先以針縷如法、
(文淵閣四庫 !續斷腸
"書本『
( なみに、金瘡とは刀傷、切り傷を言う。 #病源考論』卷三六「金瘡」の項)。ち
$)剥取新桑皮作線
%之(文淵閣四庫
"書本『外臺祕
二九「 &方』卷
( '效金瘡或壓損斷裂方」の項)。 ()中樞
)經系に作用して
*) +態に影
した效果を有する ,を與える作用。そう
品としては、
-靜劑・睡眠劑・
劑・抑鬱治療劑・覺醒劑・幻覺劑などが *)安定 .げられる。向
*)
作用のある
( 散物由來の「五石」が良く知られている。 品としては、魏晉を中心として大流行を見た鑛 /)杉山二
0・山崎幹夫『毒の文
大中國の 1史』もまた、この立場から、
2には 文 2醉作用がなかったとしている(第四章「毒 1―東西への傳播」第一
3「 2醉とインド大
2」2「大
2
の分布」〔同書一〇一頁、學生
( 、一九九〇年〕)。
( 4)一九二頁(東京大學出版會、一九九二年)。 5)これについては、本
書に多樣な
( いる。 があることも紹介して 6)「 2勃」の名は、晉・葛洪『
7朴子』
或 にも、 篇卷一五「雜應」 8葛 9:秋芒 以 2勃刀圭方寸匕、忽然如欲臥、而聞人語之 と見える。この極めて有名な ;不決之事、吉凶立定也。
文獻に見出されることから、 中國詩文論叢第二十二集
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勃の名は醫學に
じた人のみならず、少なくとも『
を讀み得る階 朴子』
( には、廣く知られていたことがうかがわれる。
ら、後 )しかし、素人は素人なりの勘で物を言うことが許されるな
の の方が、より
( 專門家の示を待ちたい。 得力を有するように思われる。
)第四章「マドンナの瞳―アトロピン」第四
るを知らず」(同書四六頁~四九頁參照。中公新書 「走りて止ま この植物については、なお、本稿 八五年)。 781、一九
頭で引用した
吉『シェイクスピア 本豐 は見えないが有力な 品考』でも、シェイクスピアの作品に
( たとの指摘がある(同書九八頁)。 醉效果を有する植物として知られてい )參考までに、『史記』倉公傳の當該箇
を引用しておく。
川王美人懷子而不
(『索隱』に「
、生也」と
來召臣意。臣意 記)、 。飮以莨
(『正義』に「浪宕二
」と 記)
一撮。以酒飮之。旋
躁 。臣意復診其脉.而脉躁。
有余病、
飮以 石(
( 血如豆比五六枚(卷一〇五「扁鵲倉公列傳」)。 石)一齊(劑に同じ)、出血、
)曽貽芬校點、上
古 出版
( 、一九八三年。
)從來、この傳
るのが「定 の鳥は實在せず、正體不明の毒の總稱とす
た鳥があり、ac一九九〇らが、rheシカゴ大のJohnDumb ギニアで發見されたPitohui(和名モリモズ)屬と命名され 」一八三〇年にニューところが、となっていた。 年、偶然その
めて發見された毒性物質の に中毒し、毒性に氣付いた。彼らは鳥で初
ス』に報 !究を、一九九二年の『サイエン
"し、その表紙にも、毒鳥の圖が
毒鳥發見により、中國古本 #用された。この けられたと言う(北里東洋醫學 $等の鴆鳥にも新たな光が投げか
!究 ・醫史學
!究部
眞柳 屬、
%「『
眞柳ー學史の科「ここは中國ジームペ氏ホ章は、同文この &方の、一九九三年より。なお、號』四〇卷二臨床
!
究室です」URLhttp://www.hum.ibaraki.ac.jp/chubun/mayanagi.html收載の「目で見る
&方史料
'」(
59)「傳
の鴆鳥と世界初發見の毒鳥」を引用したとのことである。同ホームページには、その鳥のカラー寫眞を載せ、その解
( 非常に參考となる)。 も を斬首った ()ざむく意。「馘首斬る意。「馘闕下」とは、」は、あ紿「」は
)*へ +ったことを言う。
,代傳奇「無雙傳」に關する一考察(
-子)
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