大安寺発掘調査概要
昭和引年9月、大安寺小学校の一泌が改築されることになり、に伴なう駁急発問制調作を条良県文化財保存剤師と協力して行った。訓官引を行った地域は、大安寺金症と議堂との川、ι・印アールである。この地域は、誹堂の陥段が位位する場所であり、また以前この地域で認められる焼土問から唐三彩の倣片が検出されており、今回それがさらに出土することが予山怨されたため、調査は主に金堂と誹立の山の改築地全而について行ない、さらに凶側の鈍桜にかけては、一刷4mのトレンチで発侃した。以下辿造物逃航、山土泣物について概要を報告する。
それ
Af
・.rhJ位
検出した主な逃桝(ml凶〉は、
mw誌
の商問階段と鑓般の正一川一まわりの地能石などである。階段まわりは削平が著しく、粉粋された獄灰岩が散乱しているのみで基由化粧は検出できなかったが、前回の雨務時と東側の出の出怖が確認された。燃は側石・政石が欠損しているが幅初回、深さmmである。階段の帆は、講堂中軸線から東側の併まで∞・Mmあり、全長冨ムmで講立中央の三川分が階段師となっている。階段の出については、講堂の基但にとりつく入間の部分が削平されているため確認できなかったが、昭和犯年の講堂調査で知り待た南面華町線か大安寺発掘調査概袈
建
研
究 ...
乏
造
物 歴研
究
F』主 史 ら約まで約M・∞mを測る。階段まわりには普通延石がめぐるから、際の出は約M-∞m内外と舵定される。講堂一と金主との川は千畑一而となっているが
、
講説階段より寸・mm
はなれ、伽臨中軸線上に捌立れがある。位は金堂と講堂聞の約三分の一の距雌にあたる。また、この平坦而上には浮い所で刊叩にわたって瓦・土総を多品に含んだ焼土問が一而に取開削している。この焼土問は延作品同日年(由HH)の大安苛講堂焼亡によるものであろう。錨後については、昭和泊年の調査で凶側基町の地型石が検出されているが、今回の調査では北側の地磁石と東側及び回廊に接する入間の部分の地担旧制り方を検出した。地組石が逃存していたのは東北と凶北川及び北側基一回の四部分、また延石が東北附に一・叩残っているほか他は完全に抜取られている。地出石及び延石の師はmmで、地磁の上には束石を立てる仕口(見付辺ω、
見込Hm、深さ羽目石の決りと同じ〉がある。東石の仕ロの中心より西側基砲の地袈石までの長さはω-
sm
ある。基問一弘ー
一帆は東西地部の端で巴・ιmある。
なお南北の長さは、南側が民家となっており不明である。基・むのつみ土は版築となっており、厚さも初回残っている。基出の抑制込み地業については、基国外まわりの削平が著しく確認できなかった。実
1
奈良国立文化財研究所年報 回廊から鐘楼にいたるつなぎ廊の部分は、廊西側基壇の地麗石の掘り方が検出された。
東側については凝灰岩の破片が認められるのみで
完全に削平されている。
2 出土造物
調査で出土した泣物は、唐三彩を始め施利陶様、土器、瓦類、金属総など多数にのぼる。これらの造物は、金堂と誹堂の聞に一面に堆抑制した焼土問の中から検出したものである。とくに説堂前には東西8m、南北ω・印m、深さ印叩の土披があり、このなかに造物が充満していた。これらの造物は延喜日年の講堂焼亡に関係し一括投棄されたものと考えられる。
造物のうちで注目されるものは、
NOO点におよぶ唐三彩の陶枕類の破片、二彩糊の種先瓦などの施利陶様、瓦類である。これらの造物は、
火災によって表而の馳薬が剥脱・
変色をきたしているものが多い。
我国における唐三彩の出土は稀有のものである。
次にその主なるものを紹介する。
A、 施利陶探
唐三彩〈第2図)はほとんどが陶枕で、表面に花文・唐草文・飛鳥文などを陰刻または型掠しを行ない、
その刷を緑・
貰・
白・
政糊などで彩ったものである。個体数にして却個以上が存在するが、そのうち全体の大きさがわかるものが数例ある。枇には大小2種類があり、ω
は小型のもので長辺芯ム側、短辺∞-mm、日さ印・ご山、中央の日さ5印であるが、他のものもほX同様の大きさである。
壁の一伴さは0・2山内外 で胎土は白く、非常に竪鰍に焼成されている。また、大型のものは長辺が明らかでなレが、短辺ロ-mm、高さ5・印叩、壁の厚さ1mに及ぶものである。枕の上面は普通中央部がゆるやかに山んでいるが、
ω
のように上回及び側面の両長辺が内方に凹んだもの、また上面・側面とも平坦で車方体をなすものもある。枕は6枚の粘土板をそれぞれ接着して密聞の箱としているが、各板の接着には接着面に部く粘土を位き抑圧して密着する。各 一
面の接着順序は、原則として短辺に長辺を重ね、さらに、上而・下回を接着する。箱の側而に
は必ず一カ所小穴を穿って焼成時の破損を防いでいる。
文様は
、
上而に宝相華文・
鳥文・
唐草文・
四業文を陰刻または型捺しし、その間を彩刺している。側面は三彩利を施したものが一般的である。宝相華文は、ωω
の如く、向き合った半パルメツ卜の二葉の抱合せを一単位として、それ
を述統させて文様を梢成するものと、糾例制のように連珠・唐草文で構成するものがある。ω川仰は臨刺を施してい
2
大安寺発侃泣+,w突抑l図
m1
図w
民当額所主主B話協4!rぬ〉十
ロロω一以汁叫町山J
.・
E比いお卦一一7d玄い叫ん首一己図⁝⁝
奈良国立文化財研究所年報
B︑瓦類
施紬の瓦類︵第3図︶では︑二彩紬の極先瓦︒緑紬の丸・平瓦がある︒極先瓦は︑地極・飛楯極の2種がある︒地極のもの仰は︑二彩紬で︑
直径扇.画叫厚さ﹈・画叩あり︑淡い黄紬の上に濃い緑紬で蓮排と周縁
を表現したものである︒中央にP品の釘穴を穿っている︒飛楯極の
もの②は︑復原すると縦型皿︑横岳.局の長方形で︑上下2ヵ所に釘
穴をもつ︒表面は濃い黄紬の地に緑紬で周縁などを表現した二彩紬で
あるが︑二次的な火を受けたりして全体の文様構成は明らかでない︒
これらはいずれも国産のもので︑や上軟質である︒
その他の施紬の瓦類では︑緑紬の丸瓦︒平瓦が若干出土している︒
以上施紬陶器︒瓦類について若干説明を加えたが︑このほかの出土
遮物には︑青磁︑須恵器︑土師器︑神功開宝︑鏡片︑ソーダガラス
片︑銅製品などのほか多数の瓦類がある︒
蕊琴
る︒四葉文②⑧⑨は︑四葉を市松風に型捺ししたものであるが︑それ
ぞれ四葉の大きさ︑配色に多少の変化が染られる︒②⑧は上面全面に
四葉を捺しているが︑⑨は上面の周縁幅1mを沈線で画し︑内方に子
桝をもつ四葉文を型捺しし︑周縁は三彩紬となっているが︑なかには四
葉の子房︒子排︒解をそれぞれ黄︒緑・白和の配色で︑四葉文の各間
が緑紬になっているものもある︒側面は三彩勅で彩っているのが普通
であるが︑例のなかには上面・側面とも四葉文を型捺しした例もある︒
⑪は多彩勅で︑上面を沈線で3区に画し︑内区を緑紬の単彩︑中区を
瞳︒白紬の一一彩︑外区を緑︒黄︒白・藍和で彩っている︒側面は黄・
白の二彩紬である︒⑫は上面の半分が欠損しているが︑や坐大型のも
ので長辺届.︑叩︑短辺呂・函皿︑高さ︑︒︑︑ある︒上面はまた二次的な
火を受けて紬が厚く融着しており︑全体の文様の構成︑彩色の状態が
明らかでないが︑側面は三彩の流斑文となっている︒③は︑二次的な
火を受け紬が剥脱しているが︑二羽の鳥が陰刻されている︒一一羽の烏
の頭部の間に花文をえがいているものもある︒
三彩陶とともに絞胎陶の陶枕もある︒絞胎陶は白土と赤土を練り上
げ︑表面に淡い黄紬を施したものである︒⑩はほ賃全体の大きさが分
るもので︑長辺忌.の迦短辺9m︑高さ②・四mある︒中央がゆるやか
に凹んでおり︑上面には三彩紬の施文がみられる︒なかには︑上面が
絞胎陶で側面が黄軸の単彩のものもある︒
これらの陶枕の底部は原則として無紬である︒
この他の施紬陶器には︑唐三彩の壷の破片︑国産のものでは三彩の
壷︑緑紬の四足壷・坪などの破片がある︒
4
3
}�i
五ロ一『ゴnH
大安寺発射凋技師悦別立
〈政1)状国における中国の彩紬陶の山土例は、宗像の沖ノ島祭紀追跡でそれと思われるものの出土例があるが、縦突な唐三彩が大白に発見され
大安"'r・:i:土三彩利11拘枕
た例は始めてであり注目される点である。また、山七した彩制陶の大部分が陶枕であることは、非川町山に特呉な例といわなければならない。陶枕は唐代には小形のもので、宋代には長辺刊叩に及ぶ大形のものがあり、…肌枕としての形態が定活する。狭間における陶枕は猿投山古楽跡で日世紀の集跡〔芯2)から数例が発見されている。いずれも大形のもので長辺がコ・品叩、知辺が叩仰、高さ∞ム叩あり、表面・側而に唐草・飛芸文が陰刻されている。これらは明らかに頭枕と考えられる。今回出土した小形の陶枕がいかなる目的のものであったか、にわかに決め雌いが、腕此として使用されたものもあると考えられる。
m41i1
註(1)『沖/山』(宗像神社復興期成会)】ヨ∞年(2)『愛知以ぷ役山凶府総+uqt…川-昨』(愛知川同教訂正KU会)忌匂年
八
f:t'.
一世)
r:: :)