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Academic year: 2021

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記憶の覆屋 : 筑波海軍航空隊跡地を利用したフィ ールドミュージアムの提案

著者 數見 賢太郎

出版者 法政大学大学院デザイン工学研究科

雑誌名 法政大学大学院紀要. デザイン工学研究科編

巻 6

ページ 1‑3

発行年 2017‑03‑24

URL http://doi.org/10.15002/00013693

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法政大学大学院デザイン工学研究科紀要 Vol.6(2017年3月)  法政大学

記憶の覆屋

-筑波海軍航空隊跡地を利用した フィールドミュージアムの提案-

HUT OF THE MEMORY

FIELD MUSEUM PROPOSAL USING THE SITE OF THE TSUKUBA NAVY AIR CORPS

數見 賢太郎

Kentaro KAZUMI

主査 渡辺真理   副査 陣内秀信・松本文夫 法政大学大学院デザイン工学研究科建築学専攻修士課程

    In the space confronting the memory of the place, information to understand it will be  necessary. However, I think it is important that you can feel the location of the place more than  that. In this design, by designing a building that draws out a place to the memory left behind in  modernity, it creates a place to confront memory.

Key Words : museum,memory,conversion

1 はじめに

 自分が体験していない昔の出来事に想いを馳せ、当時 暮らしていた人の気持ちに共感をすることは、とても難 しいことである。しかし人々の記憶が蓄積されたモノや 建築には、それを助ける力がある。下図は戦時中にある 特攻隊員が家族に遺書の代わりとして送ったアルバムで ある。そこには現代の彼らの世代(大学・大学院生)と 変わらない素顔が見て取れるが、内容には決定的な剥離 がある。若く未来のある人間が何故このようなことを書 かなければならなかったのか、この資料一点と向き合う ことで想いを巡らすことができる。このようなモノと向 き合う上で重要なのが、そのモノがどのような文脈の上 に置かれるか、ということである。ある時代全体の中で どのようにその「モノ」が現れたのか、その位置づけが 必要である。本研究では近代に取り残された軍事施設に 場所性を引き出す建築を設計することで、記憶と対峙す る空間を計画した。

図 1 特攻隊員が遺書として家族に送ったアルバム      

2 敷地概要

 筑波海軍航空隊跡地(現茨城県立こころの医療センタ ー)は、日本最大規模で現存する戦争遺構であり、かつ て陸海軍が行った「特攻」が最初に決定された場所であ る。戦後、学校、病院に転用された筑波海軍航空隊の遺 構は、旧司令部庁舎、号令台、滑走路、地下戦闘指揮所 などの他、2015年に地下応急治療所が発見されるな ど地域の中に広がって散在している。映画『永遠の0』

(山崎貫 2013)の撮影場所として使用され、戦後 70年であったことを機に、「筑波海軍航空隊記念館」

を、旧司令部庁舎を使用した期間限定のイベントとして 2013年12月に開館した。茨城県は元々庁舎を解体 する方針だったが、開館から2016年5月までに15 万人を超える来館者があり、ダークツーリズム(負の観 光拠点)としてのポテンシャルが見出されたため、今後 の方針を決定する、茨城県・笠間市・記念館の運営を務 める実行委員会の3者間の協議が現在行われている。

図 2 旧司令部   図 3 号令台  

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3 全体計画

 精神病院の敷地全体に広がる遺構を連続して体験でき るシークエンスを設計する。敷地を調査している際に印 象に残った、かつてここで働いていた隊員たちも見てい たであろう筑波山へのヴィスタをさらに延長すると、こ こで訓練した隊員が特攻へと飛び立った鹿児島県の鹿屋 基地へと至ることを発見した。この軸線と敷地北部を取 り囲む当時から残る塀を手掛かりとしたサークルをメイ ンのパスとする。遺構を理解するための情報は拠点とな る旧司令部に集中させ、周りの遺構は来訪者が周囲の環 境を自由に感じながら遺構と向き合えるものとする。

 さらに、遺構の調査を進めていくとこの軸を時間軸と も捉えられることを発見した。北東端の開隊当初の正門 から、兵士たちの日常生活のゾーン、兵士の訓練に関す る遺構、特攻が決定された建物、出撃前に祈祷した神社 というように南西にいくにつれて、戦時色の濃い遺構が 残っている。軸から遺構まで道を伸ばし、それを時間の 切断面として捉え、その間にかつての建物の位置を指し 示す様々なエクステリアを配置して、この敷地を回るこ とでその時代全体を感じられるようにした。

図 5  パスのダイアグラム      図 4  平面図     

日常 戦前

非日常 終戦

開隊 生活

訓練 決定

出撃

図 6   軸線を時間軸として捉える

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4 建築計画

 筑波山の周囲には「覆屋」という神社の本殿を風雨か ら守るための覆いが古くから作られてきた。その一部に 覆っているものの性格をより強調するものがある。現在 敷地に残る遺構は基礎だけしか残っていないものなど、

かつての風景を想像するのが難しい状態になっているも のが多い。そこで、リサーチを元にその場で当時の隊員 が感じたであろう方向性をドローイングし、その方向性 を最大化する「覆屋」を設計した。覆屋には、拠点とな る司令部以外は機能を持たせずに、遺構と向き合える場 所とする。また覆屋からすぐに外に出て周囲の環境をす ぐに感じられるように設計した。

5 終わりに

〈謝辞〉

本研究、設計は、両親をはじめとして先輩・後輩、様々 な方々の支えがあってやり遂げることができました。こ の場を借りて感謝申し上げます。また、設計指導の飯田 善彦先生、研究室指導の渡辺真理教授には、長時間熱く 議論をして頂き、熱心な御指導、大変感謝しています。

副査の陣内秀信教授、松本文夫教授からは、大変示唆的 なアドバイスを頂き、設計の大きな糧となりました。そ して実測調査に協力していただいた筑波海軍航空隊記念 館の皆様にも大変お世話になりました。重ね重ね御礼申 し上げます。

〈参考文献〉

1)ロバート・ヴェンチューリ『建築の多様性と対立性』

 伊藤公文訳、鹿島出版会、1982.11

2)長島明夫編『建築と日常 No.3-4 合併号』長島明夫、

 2015.3

3)磯崎新『建築の解体 ― 一九六八年の建築状況』美術  出版社、1975.4

4)竹沢尚一郎編『ミュージアムと負の記憶―戦争・公害  ・疾病・災害:人類の負の記憶をどう展示するか』 

 東進堂、2015.10

5)方喰正彰『もうひとつの「永遠の0」筑波海軍航空隊  ― 散華した特攻隊員たちの遺言』筑波海軍航空隊プ  ロジェクト実行委員会監修、ヴィレッジブックス、

 2014.7

6)友部町史編さん委員会編『友部町史』友部町、1990.3

〈図版引用〉

1)筑波海軍航空隊記念館展示 図 7   隊員が感じたであろう方向性のドローイング

図 8  記憶の方向性を「窓」として再解釈した覆屋 

参照

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