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日本における中国辞書の輸入

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(1)

日本における中国辞書の輸入

その他のタイトル Importation of Chinese Reference Books to Japan

著者 大庭 脩

雑誌名 関西大学東西学術研究所紀要

巻 27

ページ 1‑23

発行年 1994‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/10112/16246

(2)

小学類の中に︑

と思

う︒

ると

いえ

よう

﹁字書﹂と標記する一群がある︒これは﹃説文解 文化の伝来︑智識の流入において︑書籍の輸入の果す役割は申すに及ばぬが︑書籍の内でも辞書の輸入は︑もっとも端的な効果があ

中国の辞書のわが国への輸入を大観しようと意図しているが︑そ

の前に中国の辞書について一般的に概念規定をしておく必要がある

中国の辞書は︑現在の中国書誌の分類からいうと︑経部小学類に

入っているものと︑子部類書類に入っているものと両方がそれに当

ると

思う

本題に﹁辞書﹂の文字を使用したが︑実は仮にこの文字によって

代表させたのであって︑もう少し詳しく概念規定をしなければなら

ない

ので

ある

日 ︒

本に

おけ

る中

国辞

書の

輸入

辞 書 の 概 念

日本における中国辞書の輸入

字﹄を筆頭にしたヶ漢字を調べるための字引クである︒いわゆる訓

詰の﹁詰﹂に当るもの︑ヶ字解クの為のもので︑本稿では﹁字典﹂︑

つまり文字典と呼んでおく︒﹃重修玉篇﹄︑﹃正字通﹄︑そして﹃康熙

字典﹄がそれで︑日本の現在の漢和字典がまさしく該当する︒﹁字

典﹂は漢字を部首別に分類し︑後さらに筆画法に展開する︒画引き

検字法を採用したのは︑一般に明の梅肩詐の﹃字彙﹄に始まるとい

うが︑福田襄之介氏は︑金の泰和八年(︱二

0

八︶に韓道昭が公に

(1 ) 

した﹃五音篇海﹄が最初であると主張している︒

つぎに小学類には﹁韻書﹂とよばれる一群の字引がある︒隋の陸

法言の﹃切韻﹄に始まり︑﹃集韻﹄︑﹃広韻﹄︑﹃韻府群玉﹄︑﹃五車

韻瑞﹄︑﹃侃文韻府﹄とつづくものである︒韻字によって文字を配

列しているが︑これを発音を中心にして文字を整理した字引と考え

ると︑﹃広辞苑﹄等︑五十音によって言葉を配列する日本語︑アル

ファベットによって言葉を配列する西欧語︑それに現代中国語の字

引は︑広くいえばこの範囲に入るものと見ることができ︑仮にこれ

大 庭

(3)

だ私

は︑

を「辞典」1ことば典ーー—と呼んでみるとしよう。漢字の労(つ

(2 ) 

くり︶に注目する藤堂明保氏の﹃漠字語言辞典﹄は︑この流れをも

小学類にはさらに︑訓話の﹁訓﹂に当る︑熟語または句の意味を

解説する字引がある︒﹃爾雅﹄︑﹃方言﹄︑﹃釈名﹄︑﹃広雅﹄︑﹃埠

雅﹄︑﹃経籍纂話﹄︑﹃経典釈文﹄などがそれで︑経書の枠をはずせ

ば﹃一切経音義﹄もそうである︒現在の漢和字典︑中国語辞典︑西

欧語辞典は︑みな句や熟語の意味をあわせて説明しているから︑

﹁訓﹂と﹁話﹂を兼ねた形態になっていることを改めて認識する︒

小学類にはもう一っ︑初学者に漢字を記憶させる訓蒙書が加わっ

﹃‑

︱一

字経

﹄と

か︑

古く

は﹃

蒼頷

篇﹄

るた

めの

字引

類書というのは︑事物を類別して一書に編んだもので︑事柄を知

﹁事典﹂である︒今日の百科事典の中国古代版と考

﹃修

文殿

御覧

﹄︑

﹃ 皇 覧

﹃ 芸 文 類 疑

﹃ 太 平 御

﹃永架大典﹄︑﹃古今図書集成﹄にいたる諸書がそれである︒

﹃隋書﹄経籍志では﹃皇覧﹄は子部雑家類に分類されている︒

﹁儒墨之道を兼ね︑衆家之意に通ず﹂るものだからであろう︒類書

類という分類をはじめて立てたのは﹃崇文総目﹄であるという︒た

﹃旧唐書﹄経籍志が︑

子部の中に﹃皇覧﹄以下二二部を

﹁右類事二十二部﹂と分類しているのを注目したいのである︒雑家

から類書へ分類が変化する途上に︑類事という概念があったことはの六種が並んでいる︒ 周興嗣次韻撰撰

丁 頗 撰

李逼注 そのうち小学家は第十にあり︑

東 舵 固 撰 宋 智 達

覧 ﹄ ︑ えてよいだろう︒

﹃千

字文

﹄を

筆頭

に︑

﹃急就篇﹄などがそれに当る︒ 二、奈良•平安時代における中国辞書

奈良時代とそれ以前については︑辞書の輸入については余り明か

ではない︒平安時代については︑

要な資料となる︒この書目は貞観十七年︵八七五︶の冷然院の焼失

の機会に作られた﹁本朝見在書﹂の目録であるが︑当時の渡来書は

ほぼこれ位と考えられる︒見在書目には易家より惣集家にいたる四

十の分類をたて︑一千五百余部︑一万七千巻余の書名が分類されて

掲げてある︒少数の和書があるが︑ほとんど全部漢籍で︑書目の作

﹃隋

書﹄

経籍

志よ

りニ

︱︱

‑ 0

遅れ

志に四十余年先だつので︑相互に存侠の比較が可能で︑書誌学上極

めて重要な文献である︒

博雅十巻曹恵注より始まって合計

百五十八家︑五百九十八巻が記録されている︒

︱ 一 蒼 一 蓄 嗜 喜 篇 一 巻 急 就 篇 一 巻 嗜

など常識的な書名のほか︑

啓蒙記扉鰈繹侍小学篇一巻江

と︑書聖︑画聖の訓蒙書があり︑千字文も

梁国子祭酒裔子雲注

てい

る︒

られ

た時

期が

﹃旧唐書﹄経籍 ﹃日本国見在書目録﹄の記載が主 受けているといえるだろう︒

( 3 )  

興味

が深

い︒

(4)

などは字典のようだが

書籍一一一巻嗜喜︱︱一巻筆勢集一巻気麟

一巻用筆陳図碑一巻江義

など筆法の書も含まれ︑

韻 林 二 巻 疇 韻 林 篇 十 巻 麟 然 韻音一巻四声指帰一巻麟瓢

+ 1

一 巻

林二巻

突蕨語一巻

説 文 解 字 十 六 巻 鴨

書林五巻

韻海鏡源五巻

清濁音一巻

また

な ど 韻 書 が 並 び 切 韻 は 五 巻 麟 麟 同 亨 虹 十 巻 岬 螂 五 巻 鴫 呆 同 疇 緬 同 麟 仙 同 註 岬 納 贔 贔 藍 同 繹 瓢 同 疇 虹 同 鰤 勺 晶 瓢 同 嗜 晶 蜘 同 遭 疇

と︑十六種が記されている︒

詩経十八巻

華梁二巻

詩 品 三 巻 詩 評 六 巻 文 軌 十 巻 文 軌 抄 六 巻 筆 札 文 諧 廿 巻 文 章 体 九 巻 文 章 体 例 一 巻 文 章 体 例 抄 一 文 章 体 様 一 巻 文 章 儀 式 一 巻 文 章 論 一 巻 文 章 要 決 一 巻

などが並記されているところから︑最初の詩経はもとより五経の詩

経ではなく︑詩︑文の作法に関する書も小学に含まれていることが

わかる︒そして

波斯国字様一巻

が存することは︑まさしく外国語の字典も含まれており︑唐の国際

日本

にお

ける

中国

辞書

の輸

韻圃五巻

韻 詮 十 巻 鯰

韻詮 小学家に分類されている書名は︑先に述べたように百五十八家にのぽるが︑この数は医方家百六十五家につぎ︑第一二位は五行家百五十六家で︑この三者が圧倒的に多く‑︱一家合計四百七十九家は︑見

在書目所収書の三分の一に当り︑当時の日本が如何なる漠籍に興味

を持っていたのかの大勢を知ることができる︒

次に類書はこの書目でも雑家類に配しているが︑

玉燭宝典十二直口瓢輝華林遍略六百廿巻麟麟鰐釦徐

三百六十巻畔虹類苑百廿顆繹畔亨参類文二百十︱︱︱

百翰苑舟巻鐸疇初学記一︳三噂群書治要五十紐徴

などの書名がある︒

﹃日本書紀﹄の編纂に際してこの書が参照

されたとする小島憲之教授の有名な研究がある︒輸入漠籍の利用に

(5 ) 

関する重要な研究である︒

そして一方では︑日本において字引が作られる︒その最初は空海

の﹃築隷万象名義﹄で︑﹃玉篇﹄を呼出して一五七︳︱‑四字をあげ︑

内一

00

九字には策書を示した︒ついで僧昌住が漠和字典といえる

﹃新撰字鏡﹄を編纂した︒ 芸文類緊については︑ 四声

筆勢論一巻江麟書評

また﹃文軌﹄十巻は︑正倉院文書の天平二十年︵七四八︶六月十

日付﹁寓章疏目録﹂中にあり︑奈良時代に存在したことが証拠づけ

( 4 )  

られ

る︒

ことを注目せねばなるまい︒

玉篇舟一巻疇闘虹開元文字音義舟巻︑字

的な一面を証するものであると共に︑それが日本にも伝来していた

修文殿御覧

芸文類豪

(5)

八 一 ︱

‑ 0

年には滋野貞主が﹃秘府略﹄一千巻を作り︑ついで源順が

﹃倭名類豪抄﹄十巻を作って︑二四部︱二八門に分かった日本語の

(6 ) 

類書を作った︒

また︑菅原道真が八九二年に六国志の記事を分類して﹃類豪国

史﹄二百巻を完成する︒

大隅和雄氏は従来国史の書と見られていた﹃類豪国史﹄を事典と

して位置づけた慧眼の士であるが︑﹁道真が﹃類豪国史﹄の編纂の

ために編み出した分類の枠組みは︑その後のさまざまな編纂事業の

基礎的なモデルとなった﹂とし︑﹁﹃類豪三代格﹄︑﹃類豪符宜抄﹄︑

(7 ) 

﹃政治要略﹄︑﹃朝野群載﹄などにその影響が見られる﹂とされる︒

しかし私は︑決して道真の創始ではなく︑中国における類書の盛行

の影響を受けたものと考える︒

同二峡十局

同七峡十局

御覧九峡十局

同十三峡十局 一

同十峡輝琴

i︱ 局

同十四峡九局 第廿九櫃

御覧一峡十房

同六秩十局

第舟櫃 同八峡十局

一合

字説

一一

秩上

宋韻一部五帖 つぎに平安時代末期の蔵書家の例として﹃通憲入道蔵書目録﹄の

中から辞書を拾ってみると左のようになる︒

一 合 第 十 二 櫃

説文解字一部十帖

同一

ー一

峡十

同四峡七局

同十一峡十局 同五秩十局

同十二峡十房

東宮切韻十二帖広益玉篇三帖

九種は辞書に関係がないので省略︶ 字宝前集二帖

となり︑第廿九櫃︑舟櫃の御覧は﹃修文殿御覧﹄であろうか︒総量

は比較的少ないと思う︒

︑ 鎌 倉

・ 室 町 時 代 の 辞 書

遣唐使が廃止された後︑日本人で中国へ渡航することを公式に許

可されたのは求法目的の仏僧たちのみで︑中国との関係は︑主に博

多に渡航する中国商人たちによって保たれたが︑平安後期︑宋の商

人は宋薬本を上級公卿に贈物として贈ることがあり︑藤原道長が五

臣注文選を贈られたり︑藤原頼長が東披先生指掌図二帖︑五代史記

十帖︑唐書九帖を贈られたなどという話がその日記にみえる︒

宋朝では最初は書籍類の海外移出を厳禁していたが︑南宋になる

とその禁も緩んだようで︑特に注目に値するのは︑宋版太平御覧が

日本に流入したことである︒

﹃太平御覧﹄が始めて伝来したのは︑治承一一一年(‑︱七九年︶で︑

平清盛が入手したが︑摺本一ーー百巻にとどまった︒ついで仁治二年

(︱二四一年︶︑入宋していた円爾弁円が帰国して内・外典をもた

らしたが︑その中に﹃太平御覧﹄一

0 1

一冊

があ

り︑

彼は

後に

京都

東福寺を開き︑第一世聖一国師として禅学の興隆に勤めたが︑この

﹃太平御覧﹄は今も同寺に伝えられ︑来歴の明らかな現存最古の御 一

唐韻四帖

︵ 他

(6)

侶が担当した︒この禅僧たちの問における漢詩︑漢文の盛行︑所謂

室町時代にどのような漠籍が輸入されたかということは︑記録に

日本

にお

ける

中国

辞書

の輸

五山文学の作詩について︑﹃韻府群玉﹄は重宝されたのであろう︒

五山版の中で辞書の出版は次のようなものがある︒ 博多で︑博多版とよばれる物の中にある︒ 町幕府の対明関係を始めとする外交文書は︑五山の一っ相国寺の僧 覧である︒そして文応元年︵ご一六

0

年︶の藤原師継の記録によれ

ば︑当時﹃太平御覧﹄は日本に数十部あったという︒武士の建てた

文庫︑金沢文庫旧蔵の慶元版﹃太平御覧﹄は︑相国寺の僧承兌の手

(8 ) 

を経て紅葉山文庫に入り︑現在宮内庁書陵部にある︒

正平

八年

︵ニ

ニ五

一︱

年︶に東福寺二十八世の大道一以が作った﹁普門院経論章疏語録儒

書目録﹂といい︑聖一国師の蔵書一二百一︱︱十九部一千余巻と︑奇山円

然の私本二十二部が著録されているが︑説文二部︑爾雅兼義︑玉篇

二部︑広絢二部︑校正鞄略︑韻関︑韻略のほか白氏六帖がみえ︑国

師の字引類を見ることがでぎる︒また︑啓割衿式︑万金啓宝の書名

も注目をひく︒

このほか︑鎌倉室町時代の舶載辞書として見逃すことができない

のは︑元の陰時夫撰︑陰中夫注の﹃韻府群玉﹄で︑古い典籍を蔵す

る文庫にはほぽ確実に所蔵され︑輸入量は極めて多かったものと想

像さ

れる

鎌倉時代︑建長五年(︱二五三年︶以後︑南宋の官寺︑五山十刹

に倣って鎌倉中心に五山ができ︑室町時代になると京都の室町幕府

を中心に京都五山もでき︑禅僧は文化の荷い手として活躍をし︑室 この時聖一国師が将来した書籍の目録は︑ よって明かにするのは困難である︒たとえば︑天文八年(‑五三九年︶と十八年(‑五四九年︶の二度︑遣明使として入明した禅僧策

﹃再渡集﹄などにも︑書籍をもとめた彦周良の入明日記﹃初渡集﹄

ことはわかっても︑何を求めたかは不明である︒しかし︑この時代

には︑禅僧の手択本が各地文庫に残って居り︑又一方︑五山版が刊

行されたこともあって︑書籍の実物による研究が可能である︒

先述の金沢文庫は︑文承七年(︱二七

0

年︶以後︑現横浜市にあ

る金沢郷に︑北条実時が作った文庫で︑室町時代には称名寺に移さ

れ︑散侠の厄に遇っても︑今日なお存続している︒またこれに並ぶ

文庫として︑永享四年(‑四一︱︱︱一年︶に上杉憲実によって設立され

た足利学校は︑栃木県足利市に今も保存され︑憲実の寄贈した宋版

十三経その他の貴重書がある︒

五山版は︑一三世紀中期から一六世紀にかけて︑先述五山を中心に出版された漢籍•仏典を総称し、その研究は川瀬一馬の『五山版

(9 ) 

の研究﹄が網羅的成果をあげたものである︒同書によれば仏典を除

き復刻された漠籍は︑経部︱‑︑史部六︑子部ニ︱‑︑集部一︱︱六種の

計六六種にのぽる︒なかには宋元版を底本にし︑多くは覆刻をして

いるのでその面目をよく伝えていること︑元の刻エが日本へ渡来し

て彫板したものがあることが大ぎな特色で︑殊に厳紹盪教授が推奨

する愈良甫の刻名のある書は八種を数える︒彼の活躍したのは主に

(7)

まず﹃韻府群玉﹄が出版されたのは当然であろうが︑﹃大広益会

玉篇﹄︑﹃増修互注礼部韻略﹄︑﹃韻鏡﹄︑﹃古今韻会挙要﹄︑﹃増広事

吟料詩韻集大成﹄︑﹃童編改正四声全形等子﹄などの韻書︑

字文

書法

﹄︑

﹃千字文注﹄などの千字文︑﹃重編設備砕金﹄︑﹃魁本

対相四言雑事﹄︑﹃増補新編翰林珠玉﹄などの簡便な類書などがそ

れで

ある

もと内藤湖南の蔵書で︑現在武田薬品株式会社︑杏雨書屋に蔵す

る︑宋紹興九年刊単疏本﹃毛詩正義﹄残本は︑国宝に指定されてい

るが︑﹁金沢文庫﹂の黒印のほか﹁香山常住﹂の黒印があり︑これ

は現山口市にかつて有った﹁香山国清寺﹂の旧蔵であったことを示

し︑この寺は広永年間(‑三九四ー一四︱︱︱︱‑︶に大内盛見が兄の義

弘の菩提の為に建立したものである︒大内氏は対明勘合貿易に従っ

( 10 )  

た有力大名で︑先述策彦周良も大内氏から派遣されたものである︒

内藤湖南の旧蔵書の中には︑北宋刊南宋補刻本﹃脱文解字﹄残本

にも﹁香山常住﹂の印記があるが︑一方紗本で国宝に指定されてい

る﹃説文解字﹄木部残巻がある︒この巻は莫友芝の旧蔵で︑同治七

年︵一八六八年︶曽国藩の長編の題詩以下多くの題祓がある︒この

両者は︑漢籍の伝来史を考える時の実物資料として解説に便利であ

る︒いかに天下に稀な唐紗本であっても︑日本に伝来した時期が新

しければ︑伝来史の史料としては宋版の﹃説文解字﹄香山国清寺旧

蔵本に劣るといわねばならなぬからである︒同じく陛心源面宋楼の

蔵書を継承している静嘉堂文庫も︑文庫の伝来が新しいから︑唐船

﹃四

体千

一四七七年から一五七三年まで︑約百年続いた戦国時代は︑織田

信長︑豊臣秀吉を経︑徳川家康にいたって平和が再来する︒徳川家

康は書籍に関心を持ち︑慶長四年(‑五九九年︶以後︑京都伏見に

おいて木活字を用いて﹃孔子家語﹄﹃三略﹄﹃六鞘﹄﹃貞観政要﹄

などを刊行︑慶長古活字版︑伏見版などとよばれた︒

また将軍職を息子秀忠に譲った後︑駿府︵今の静岡︶に引退した

が︑ここで﹃大蔵一覧集﹄﹃群書治要﹄などを銅活字で印刷︑駿

河版とよばれる︒彼は元和一一年(‑六一六年︶に病死し︑約一万冊

というその蔵書は︑遣言により︑一部を江戸城紅葉山文庫に送った

上︑残りを三分し︑尾張藩徳川義直︑紀伊藩徳川頼宣︑水戸藩徳川

頼房の一二子に与えられた︒これを世に駿河御譲本という︒この三家

の内御譲本を比較的よく今に伝えているのは尾張徳川家で︑その蔵

書は現名古屋市蓬左文庫である︒その中には御譲本総数一︱︱七七部︑

ニ八三九冊であったものの三分の二︑二六

0

部︑約

1 1 0 0

0

冊が伝

( 11 )  

来しており︑家康の蔵書の片鱗を見ることができる︒ただ本論文で

はその内容について論ずることは目的を逸脱するので︑将来に考え

るべき問題を指摘するに止める︒それは︑家康の蔵書には朝鮮版が

比較的あるという事実である︒これは︑豊臣秀吉軍の朝鮮侵略時代

四 ︑

江戸時代初期の渡来辞書

ー 蓬 左 文 庫 の 場 合

持渡書研究の直接史料にはならないといえる︒

 

(8)

︱一年︑翠巌精舎刊︑﹃新編事文類豪翰墨大全﹄元劉応李編︑明正

徳元年︑王氏善敬書堂刊があり︑この両者はほとんど同じ書であろ

う︒そして﹃新編古今事文類緊﹄は寛文六年︵一六六六年︶に和刻

版があり︑これが一

00

冊であるのに対し︑﹃新編古今事類全書﹄

全 一 ︱

1 0

冊が延宝五年︵一六七七年︶に和刻版が出ている︒元・明版

に多種の年代を異にする本が現存し︑さらに﹃事文類豪﹄の和刻版

が出たことは︑この種の事典がいかに一般的な需要があったかを物

日本

にお

ける

中国

辞書

の輸

心を払わねばならないであろう︒

明正統 ここで話題を辞書に戻して考えよう︒一九六

0

年代の初め︑山口

県徳山の徳山藩毛利家蔵書の調査で︑元︑泰定元年(‑︱︱︱二四年︶︑

建安の劉氏日新堂刊の﹃新編事文類要啓箭青銭﹄が発見された︒全

五十一巻である︒これは内閣文庫の﹃新編事文類豪啓節青銭﹄︑

十巻とは全く別の書であるが︑このような名称の書には﹃新編古今

事文類疑﹄六

0

冊︑︵内︑前集六

0

巻︑後集五

0

巻︑続集二八巻︑

別集

1 ‑

︱一巻︑宋︑祝穆編︑新集三六巻︑外集一五差︑元富大用編︑

目六巻︶元︑泰定一一一年︵二=二六年︶武湊書院刊の元版があり︑こ

の書には明刊経廠本︑明万暦一二五年︑安正書堂刊などの明版もある︒

また同類の書に︑﹃新編事文類衆翰墨全書﹄︑元劉応李編︑

に奪ったものとする説があるが︑なお定かではない︒その説の真疑

をも含めて︑我われは︑朝鮮半島を経由して到来した中国の書籍に

如何なるものがあったのか︒また︑朝鮮版の漢籍は中国の如何なる

版本を︑どのようにして継承したのかという問題について︑今後関

表︵表二︶をかかげる︒

ところで尾張徳川藩︑徳川義直の蓬左文庫には︑幕末にいたるニ

百余年の間に十種を越える文庫目録があり︑書籍の増加を年代的に

あとづけることが可能である︒これは同文庫が歴代いかに管理に努

力していたかを物語るものであるが︑同時に文庫成立︑発展史の貴

重な記録であるし︑

物語る資料であるともいえる︒その目録の中でも﹃寛永目録不分巻﹄

という一冊は︑最初に駿河御譲本のリスト︑次に元和年中(‑六一

五ー一六︱︱︱︱‑︶の購入または献上された書籍群のリスト︑最後に寛

永年中(‑六二四ー一六四一︱‑︶の購入分の年次別の記録がある︒要

するに蓬左文庫成立期の書籍増加記録があるのである︒

蓬左文庫は一九五一一一年に徳川家から名古屋市に移譲され︑

五年に﹃名古屋市蓮左文庫漠籍分類目録﹄を刊行︑同年︑この文庫

の整理と右目録の編纂に当った杉浦豊治氏の﹃落左文庫典籍鐙録

駿河御譲本﹄という手稿も刊行され︑同文庫の内容を調査するに便

宜が提供されたが︑この漢籍分類目録には︑﹃寛永目録不分巻﹄に

ある購入年が︑当該書に注記されている︒そこで︑類書に限ってそ

の情況を時代の出版︑書写年代別表︵表一︶と徳川義直購入時期別

一九

一面では江戸時代各期の書籍頒売業界の情況を 語るものであろう︒

(9)

弘治十八年刊

群 書 集 事 淵 海 存 四 十 六 巻 四 十 冊 明 関 名 撰 弘 治 十 八 年 洛 陽 劉 建 序宦官買性捐貿刊行黒口本欠巻四十七井弘治十八年長沙李氏

会稽謝氏両後序

正鶴

︳︳

︳年

修補

本 玉海二百巻附辞学指南四巻一百冊宋・王応麟撰元至元六年慶元 路儒学刊明正徳元年二年修補本有補紗

嘉靖十四年刊

錦繍万花谷前集四十巻後集四十巻続集四十巻二十冊宋・闊名撰

明嘉靖十四年徽藩崇古書院刊本

嘉靖

ー︱

‑+

五年

古今合壁事類備要前集存六十六巻後集八十一巻続集五十六巻別集九十

四 巻 外 集 六 十 六 巻 四 十 冊 宋

・ 謝 維 新 撰 別 集 外 集 虞 載 撰 明 嘉靖 三十 一年 至一

︱︱ 十五 年三 衝夏 相校 刊本

嘉靖四十三年刊

対類二十巻八冊明・閑名撰嘉靖四十一ー一年勿斎重刊本

万層元年刊

太平御覧一千巻目録十巻一百二十冊宋・李防等奉救撰

年侃柄刊十一行本

万層四年刊

楚 騒 綺 語 六 巻 四 冊 明

・ 張 之 象 撰 凌 迪 知 訂

刊本

万層五年刊

類焦三十巻十一一一冊明・鄭若庸纂輯

禎跛太学生江洪校刊本

万層十五年刊

焦氏類林八巻

六冊

明・焦紘撰 呂新校正 明万暦元

万暦四年呉興凌氏校

万暦五年西蜀王用

万暦十五年建業王元貞校刊本 万層十六年刊

四 六 難 龍 四 巻 二 冊 明

・ 滸 日 章 撰

年京陵周竹渾刊本

万層十七年刊

事類賦三十巻︱︱一冊宋・呉淑撰並注明万暦十七年苑応期序

徐守銘︹寧寿堂︺校寧寿堂刊十二行本

万層十八年刊

新箋決科古今源流至論前集十巻後集十巻続集十巻別集十巻四冊

宋・林胴撰別集黄履翁撰明万暦十八年書林宗文堂刊黒口本

異物彙苑十八巻六冊明•閲文振撰嘉靖十五年蘭荘閲氏刊万暦

十八年三河東濠居士跛活字印本

万層十九年刊

新撰古今類朕十八巻且閉洲先生挙業古今類腋十冊明・王世貞撰万

暦十九年呉之鵬序太末舒氏石泉集賢書舎刊本瑯瑯王氏家蔵

万層二十一年刊

新 纂 事 詞 類 奇 三 十 巻 十 冊 明

・ 徐 常 吉 撰 焦 紘 訂 陸 伯 元 注 井 編

︹万暦︺癸巳︵二十一年︶序繍谷周日校刊本

万層二十三年刊

山堂陣考宮集四十八巻商集四十八巻角集四十八巻徴集四十八巻羽集四

十 八 巻 四 十 冊 明

・ 彰 大 翼 撰 態 瑞 等 校 閲 万 暦 二 十 三 年 焦 紘 序 維 揚 彰 氏 刊 本 紗 配

彙苑詳註三十六巻一二十冊明・郷道元撰万暦二十三年車氏黄氏同

序部陵車大任捐賀普江郷氏刊本 万層

︱‑

+五 年刊 群書考索古今事文玉屑二十四巻八冊明・楊涼撰

暦二十五年新安狂延訥序南閲葉貴刊本

万麿二十七年刊 王世貞選

濃陽伝校閲 林世勤注

万 一 呉

万暦十六

(10)

新刻天下四民便覧一=台万用正宗四十一一一巻八冊明・金象斗撰

二十七年渾邑書林余文台雙峰堂刊黒口本附図

万層二十八年刊本

北堂書紗一百六十巻二十冊唐・虞世南撰明・陳萬誤校正井注

万暦二十八年海虞陳氏校刊本

新鋏燕台校正天下通行文林豪宝万巻星羅四十巻六冊明・徐会濠撰 万暦二十八年五雲豪士天楽生序書林静観堂倉聖膜刊本附図

万層

一︱

‑+

一年

刊本

唐 類 函 二 百 巻 四 十 冊 明

・ 撤 安 期 撰 徐 顕 卿 校 訂 万 暦 三 十 一 年 東

呉愈氏刊本

鋏労註事類捷録十五巻四冊明・部志膜撰万暦三十一年部氏序

書林幸慶堂余彰徳刊本

万層

I I H '

二年刊

経済類編一百巻一百冊明・潟埼撰凋環等校万暦一二十二年淮南

呉光義等浙虎林郡南屏山校刊本

事物紺珠四十六巻十冊明・黄一正撰呉中巧校万暦一︱

‑ + 1

一年

安呉氏校刊本

万暦

ー︱

‑+

四年

刊 事典孜略六巻六冊明・徐抱撰万暦一一一十四年予章饒景暉序萎州

孫学豪校刊本

万層三十六年刊

学海二百三十巻目録八巻九十五冊明・芽掏撰万暦一二十六年序

茅氏捐賀刊本

万層

一︱

‑+

九年

刊 新編事文類棗翰墨大全二日三十四巻二十六冊元劉応李撰

三十九年劉氏安正堂刊黒口本

劉氏鴻書一百八巻二十冊明・劉仲達纂輯湯賓手剛正

年宜城劉氏刊本

日本における中国辞書の輸入

万暦

一ー

一十

明万暦 万暦群書備考六巻続ニ︱︱一場群書備考三巻六冊明哀黄撰表搬註釈

哀徽撰︹万暦︺辛亥︵三十九年︶韓敬序考槃澗哀徽校編本

万暦四十︳年刊

図書編一百二十七巻一百冊明・章演撰万暦四十一年徐鏡源等刊

天啓三年岳元声即本

万層四十四年刊

‑=オ考略十一ー一巻四冊明・荘元臣撰万暦四十四年松陵荘氏森桂堂

校刊本

万暦四十六年刊

異 林 十 六 巻 二 冊 明

・ 朱 謀 埠 撰 万 暦 四 十 六 年 注 応 婁 序 臨 川 帥 廷

鎮桐城刊本

警 語 類 抄 八 巻 四 冊 明

・ 程 達 撰 注 元 標 校 万 暦 四 十 六 年 山 陰 周 氏

新安江氏後序刊本

事言要玄集天集三巻地集八巻人集十四巻事集四巻物集︱︱︱巻五十冊

明・陳懲学撰万暦四十六年按察司魏済序閲福唐陳氏刊本

二十四冊明・徐元太撰

明・謝肇瀕撰

明・葉向高撰

十四冊

徐脊慶校

︹万暦中︺刊九行本

林茂椀増定万暦中福唐葉氏刊

明・葉向高撰 万暦中刊本

喩林一百三十巻

氏刊十行本

五雑組十六巻五冊 説 類 六 十 二 巻 十 冊

稗存六十二巻︵説類︶

虞景台発兌

天啓元年刊

新編歴代懸鑑古事椅七巻即古今懸鑑︱︱一冊明・呉従先撰

天啓元年臨川毛氏序師倹堂薫少衝刊本

花史左編二十四巻即花国平章六冊明・王路撰 刊 本 払 花 軒 蔵 版

薫伯房訂 万暦中宜城徐

林茂棟増定

天啓元年李日華序 明書林

(11)

天啓六年刊

経世八編類纂二百八十五巻首六経図六巻図二巻

陳仁錫編天啓六年長洲陳氏序刊本

祟禎五年刊

潜確居類書一百二十巻六十七冊朗・陳仁錫編

祟禎十四年刊

新刻人瑞堂訂補全書備考三十四巻六冊

崇禎十四年富沙鄭氏刊本

明刊本

︹記事珠︺不分巻四冊明・不著撰人

敬徳斎刊黒口八行本

新刻四民便用不求人博覧全書十二巻

元和三年買本

新刻四民便用不求人博覧全書

元和中買本

太平御覧万暦元年侃病刊十一行本

︹記事珠︺不分巻明刊本︵元和末年︶

寛永四年買本

北堂書紗万暦二十八年海虞陳氏校刊本

唐類函万暦三十一年東呉愈氏刊本

異林万暦四十六年序刊 異物彙苑万暦十八年跛刊

彙苑詳註万暦二十一一一年序刊

寛永五年買本

四冊

明刊本 四冊 ー百二十八冊

崇禎三年刊五年印

明・鄭尚玄訂

明・周藩定組汝陽恭膿三世

明・不著撰人 口闘名撰

明渾邑書 明

四十冊 明・余昌詐撰

二百二冊 林態前漢刊本

精選故事釆眉十巻

坊刻本

新編古今品彙故事啓讀二十巻

武林読書坊刊本

新刻訂補彙解故事白眉八巻四冊

刊本

新刻交先生天禄閣彙編採精便覧万宝全書一︱︱十五巻

撰明末葉渾邑書林一︳一棟堂王泰源刊本

明紗本

冊府元亀一千巻

行本 附図四冊

四冊

六 冊 明

・ 交 南 英

明・余応軋撰

陳 継 儒 等 訂 明

那志膜校閲

明・郁志膜撰閲渾書林藻古堂校

宋・王欽若楊億等奉勅撰

1 0

古臨丘兆麟序

 

明紗 無界 十一

古今合璧事類備要

群書集事淵海百四十六巻四十冊

山 堂 陣 考 四 十 冊 万 暦 二 十 三 年 序 刊 焦 氏 類 林 六 冊 万 暦 十 五 年 刊

学海九十五冊万暦一二十六年序刊

事 言 要 玄 集 五 十 冊 万 暦 四 十 六 年 序 刊 精 選 故 事 釆 眉 四 冊 明 刊 本

寛永六年買本

錦繍万花谷百二十巻二十冊明嘉靖十四年徽藩崇古書院刊本

新纂事詞類奇一一一十巻十冊︵万暦二十一年︶序刊

図書編一百二十七巻一百冊万暦四十一年徐鏡源等刊

明嘉靖三十一年至三十五年三衝夏相校刊

天啓三年岳

(12)

明・遊日章撰

元声

印本

四六彫龍四巻二冊

年京陵周竹渾刊本古今懸鑑天啓元年序刊

新編古今品彙故事啓贖四冊

寛永

七年

王海二百巻附辞学指南四巻一百冊

寛永九年買本鋏芳註事類捷録十五巻四冊万暦一︱‑+︱年序刊

事典孜略六巻万暦三十四年序刊

寛永十年買本

稗存六十二巻十四冊明刊本

花史左編二十四巻六冊天啓元年序刊本

漢籍分類目録の類書類にあげられている書名は七九部︑この寛永

目録に記載されているものが三八部︑七九部の内で清朝の書が五部︑

和刻版ニ︱一部で︑合計一八部を除くと六一部中三八部︑六割一一一分が

この時期に集中的に購入されている︒これは徳川義直が蒐書に積極

的であったことを示すが︑それは当然のこととして︑もう少し当時

の事情を読み取ることができる︒

それは︑ここに購入された書のほとんは︑明の万暦年間に刊刻さ

( 13 )  

れた坊刻本であることをまず指摘せねばなるまい︒また︑﹃北堂書

紗﹄は明︑陳萬漢校注の万暦二八年刊本︑﹃太平御覧﹄は明万暦元

年侃柄刊本︑﹃冊府元亀﹄は明紗本︑﹃玉海﹄は元刊明修本で︑唐

宋の書もすべて明の本であることも注意を要する︒日本の元和元年

日本

にお

ける

中国

辞書

の輸

明正徳元年二年修補本

明刊

王世

貞選

林世

勤注

万暦

十六

明・

万暦

一二

十九

年宜

城劉

氏刊

万暦三十二年新安呉氏校刊本

太学

生狂

哄校

刊本

劉氏鴻書一百八巻寛永十一年買本

事物紺珠四十六巻寛永十二年買本

経世八篇類纂一百二十八冊

寛永十三年買本

経済類編一百巻一百冊明万暦一ー一十二年淮南呉光義等浙虎林郡南屏

山刊

類篤三十巻十一二冊明・万暦五年西蜀王用槙跛

潜確居類書六十七冊崇禎三年刊五年印行寛永末年買本

冊府元亀明紗無界十一行本

新刻

天下

四民

便覧

一二

台万

用正

万暦

1

十七

年刊

︵一六一五︶は明の万暦四一ー一年である︒従って︑万暦四六年(‑六

一八年︶序刊本の﹃事言要玄集﹄を寛永五年︵一六二八年︶に購入

したのは︑刊後十年目︑崇禎五年刊︵一六一︱

‑ 1 一 年

﹃ 潜 確 居 類

書﹄を寛永ニ︱一年︵一六三六年︶に購入することは︑刊後四年目に

当り︑明末の出版物が︑非常に早く渡来して日本の市場に出ている

事 実 を 認 識 せ ざ る を 得 ぬ

その上に蓮左文庫は︑この時期の漢籍渡来に関して重要な事実を

提供

する

︵天啓中刊本︶を寛永九年買本として保有し

ていることである︒この叢書は明の李之藻編︑徐光啓訂になる器編

十一種理編九種より構成された︑利珊賓を主とする明末イニズス会 それは﹃天学初函﹄

二十

天啓

六年

序刊

(13)

なお内閣文庫に蔵する旧幕府関係の書籍は︑昌乎坂学問所蔵書も 辞書は書籍の中では最も一般的なものといえるから︑その日本への流入の問題は相当広籍囲の調査が必要で︑簡単には議論できないように思う︒そこで︑全体像を明らかにする為のはじめのステップとして︑現在国立公文書館内閣文庫に所蔵する旧紅葉山文庫本の辞書について︑それが同文庫に収納されたのは何時であったかを調べて

みよ

う︒

︑ 江 戸 時 代 に お け る 辞 書 の 流 入

ーー紅薬山文庫の場合 士の著作集で︑器編は技術︑数理を主とし︑理編はキリスト教義を説いたもので︑江戸幕府のキリシクン禁制政策にともない︑寛永七年

(‑

六一

‑ 0

年︶に定めた禁書の筆頭にあがっている書である︒そ

の書が︑禁令の二年後に︑親藩の尾張藩で購入しているのだから驚

かざるを得ないのだが︑この本は寛永七年以後に長崎へ到着した品

物ではなく︑それ以前に既に日本国内に輸入されていたものと考え

るのが妥当であろう︒

以上の考察は︑江戸時代に禁教政策にともない︑長崎において禁

書の舶載を止める為に書物改を行なう直前の︑日本国内における漢

籍の流通の様子を明らかにしようとしたものである︒そして︑明末

の坊刻の事典の盛行とその日本への流入は︑日中両国の一六世紀末︑

一七世紀頭の文化現象として︑看過し難いものであろう︒ あわせて存在するので︑林道春の蔵書と認められるものも少くない︒又︑紅葉山文庫には佐伯藩主毛利高標の旧蔵書も幕府の蔵に帰し︑木村兼腹堂の蔵書も加わっている︒それらの書籍は当然紅葉山文庫の蔵書ではあるが︑今はしばらく旧蔵者のコレクションと見なして別に取扱い︑今回は本来の紅葉山本を限定的に観察したい︒

以下の書名は紅葉山本との印がついているものの中から唐本のみ

を抜き出したもので︑その下に注記する年代は︑上は﹃商舶載来書

目﹄に何年に舶来したと記しているかを︑下は東北大学狩野文庫所

蔵の﹃御文庫目録﹄に何年の入庫と記しているか︑その年代を注記

したものである︒﹃商舶載来書目﹄は長崎書物改役向井富・元仲が︑

家蔵の旧記にもとずいて作成した︑中国書の書名をいろは順に並べ

て年代を注記したもので︑甚だ貴重な情報原であるが︑書物改の始

まりを元禄六年としている為︑それより以前に伝来している書物で

も元禄六年以後に初めて伝来した場合は︑その年に初伝として取扱

っているので︑資料としての限界がある︒﹃御文庫目録﹄も向井家

の旧記にもとずいて作成された可能性があるが︑同じく書名をいろ

は順に整理した上で︑寛永十六年以後の年代別に分類記載するほか︑

い号︑ろ号などの中で︑寛永十六年の年代より前に書名を記載した

ものもある︒この年は︑紅葉山文庫が作られた年で︑同時に長崎で

向井元升が﹁従唐船持渡御書物御文庫納﹂のために春徳寺で行なわ

れている書物改に加わった年でもあり︑従ってこの﹃御文庫目録﹄

の年代は︑長崎から紅葉山文庫へ渡来書を納めた年と考えられ︑自

(14)

篇,韻ー~

0巻 五

~

二喜四 清覇趙宦明 、

〇巻 学須知五巻 光一二巻 〇巻附四

孫一巻明 =清嘉慶一

宋孟 ー巻 毛明

清玩一唐孫復 年刊雇刊刊明

i   l l

元校宏 刊明

墨慶刊明 清刊

霜 胃

禄 享保 延享和明享和

ニ ー一 年四年四年

年 年

字書類

0年刊

使 輿

清嘉慶六年刊

商舶載来書目

葉山文庫の成立史研究にとって重要な史料なのであるが︑一方︑ 亭の文庫に蔵された書名と考えられる︒したがってこの目録は︑紅 然寛永十六年以前の書名は︑紅葉山に文庫を新築する以前の富士見

万治三年

慶安二年寛永一六年以前 御文庫目録 ﹃商舶載来書目﹄の持つ元禄六年の上限を破る有力な資料でもある︒

まず小学類の訓詰を調べてみると表三のような結果となる︒

(15)

二巻

明朱雲輯築

明刊 林尚葵参広

清秦恩復校

明謝栄登明刊 清嘉慶一四年刊

一 鐘 鼎 字 源 五 巻 清 注 立 名 清 刊

広金石韻府五巻字略一巻孜古書伝一巻

策字 彙一

1

集 清 柊 世 男 編 清 刊 隷 韻 一

0巻碑目一巻碑目孜証一巻宋劉球撰

漠 隷 字 源 五 巻 宋 婁 機 撰 明 刊 草 韻 彙 編 二 六 巻 清 陶 南 望 撰 朱 桓 等 参 論 清 刊

六書故︱︱︱︱︱一巻六書通釈一巻元戴個撰明張弘徳校

六 書 統 二0

巻 濶 原 一

0巻

元 楊 桓 明 刊 重刻字原正誠説文字原一巻六書正調五巻明嘉靖元年序刊 六 書 精 蕩 六 巻 音 釈 一 巻 明 魏 校

︵ 音

︶ 明 徐 官 明 嘉 慶 一 九 年 跛 刊

六書本義︱二巻首一巻俗書刊誤︱二巻童蒙習句一巻明趙揖謙︵俗︶明焦拡

序刊六 書 通 一

0巻

明 閲 齢 仮 撰 畢 弘 述 築 訂 清 刊

同文備孜八巻首一巻明王応電明嘉靖︱︱一六年序刊

古 俗 字 略 七 巻 明 陳 士 元 明 刊 字 鑑 五 巻 元 李 文 仲 清 康 熙 刊

翰林重孜字義韻律大板海篇心鏡二0

巻 明 劉 孔 当 校 明 万 暦 二 四 年 刊

篇海類編

1

01

巻 附 一 巻 明 宋 漉 撰 屠 隆 校 明 刊

遵古本正韻石斎海篇新刻洪武元韻勘正切字海篇群玉二0

巻新鍋校正増切大蔵直音三巻 林 雖 孜 一 五 巻 明 黄 道 周 明 刊

重刊詳校篇海五巻明李登等校明万暦︱︱一六年序刊

精刻海若湯先生校訂音釈五侯鯖字海

1

01

巻 首 一 巻 明 刊 字 彙

︱ 二 巻 首 尾 各 一 巻 明 梅 膚 詐 音 釈 明 刊 字 彙 数 求 声

︱ 二 巻 検 字 一 巻 明 梅 膚 詐 虞 徳 升 清 康 熙 一 六 年 序 刊 正字通︱二巻首一巻十二字音︵満文︶一巻清膠文英(+)清麿綸磯瑛清刊 千字文註一巻附清書千字文一巻清孫呂吉撰哀士宗校︵附︶清尤珍書清刊 新 刊 女 四 字 経 明 刊

新刻釈義群書六言聯珠雑字 明末刊

明万暦三八年

正徳元年

元文五年

宝永七年 正徳元年︵

唐本 類書 考巻 中︶

安永

︱︱

一年

正徳元年 宝

暦ニ

︱一

享保︱一年 元文二年安永八年明和二年 安永八年正徳二年宝永二年

一四

延宝五年 正保

一︳

一年

慶安元年寛永一九年 寛永一六年以前寛

永︱

‑ 0

正保二年 寛永一六年以前正保三年承応元年 寛文二年寛永一六年以前

(16)

広 韻 五 巻 宋 陳 彰 年 等 奉 勅 撰 明 刊 大明万暦己丑重刊改併五音集韻一五巻金韓遣昭明万暦刊 大明万暦己丑重刊改併五音類豪四声篇一五巻金韓孝彦撰韓道昭編

古今韻会挙要︱︱

‑ 0 巻禅部韻略七音一二十六母通孜一巻元熊忠明刊

経 史 正 音 切 韻 指 南 元 劉 鑑 明 刊 洪武正韻一六巻附玉鍵釈義二巻明楽詔鳳等奉勅撰︵附︶明李畿明刊 洪 武 正 韻 賤 明 楊 時 偉 明 崇 禎 四 年 序 刊 新 編 篇 韻 貫 珠 集 八 巻 明 釈 真 空 明 正 徳 八 年 跛 刊

升庵韻書古音叢目五巻古音猟要五巻古音略例一巻転注古音略五巻古音余五巻古音附録一巻奇

字 韻 五 巻 明 楊 慎 明 刊 併 音 連 声 字 学 集 要 四 巻 明 陶 承 学 撰 周 格 校 明 万 暦 二 年 序 刊 音韻啓鍮古考四巻互考四巻類考二巻譜考一巻明徐守綱明刊 韻 書 通 用 字 考 五 巻 明 顧 起 滝 明 万 暦 三 四 年 序 刊

重刊併音連声韻学集成一1

二 巻 明 章 朧 撰 陳 世 宝 校 明 万 暦 六 年 刊 元 声 韻 学 大 成 四 巻 明 渡 陽 沫 明 万 暦 二 六 年 刊 直 音 篇 七 巻 明 章 嗣 撰 陳 正 宝 校 明 万 暦 六 年 刊 音 韻 日 月 灯 韻 母 五 巻 同 文 鐸

0三

巻 首 四 巻 明 呂 維 旗 明 崇 禎 七 年 序 刊 韻 譜 本 義 一

0巻明茅深.苑科明万暦一=二年序刊

古 今 字 韻 全 書 集 韻 一 五 巻 明 刊

顧氏音学五書音論三巻詩本音一0巻易音三巻唐韻正二0巻古音表二巻

等 校 清 刊 諧声品字箋清虞徳升撰

康熙甲子史館新刊古今通韻ご一巻首一巻

日本における中国辞書の輸入

古 今 韻 略 五 巻 清 部 長 衡 編 宋 至 校 清 刊 六 書 音 韻 表 五 巻 清 段 玉 裁 清 刊

清毛奇齢清康熙二三年刊 虞嗣集補清刊 書名

表 四 韻 書 類

清顧炎武撰 明刊

徐乾学 正徳1

一 年

享保︱一年

正徳二年

宝永二年・享保︱一年

宝永七年 元禄一五年元禄七年 明和四年 宝暦四年宝暦九年 商舶載来書目

宝永七年

一五

寛永一九年

宝暦四年元禄七年

承応二年寛永一六年以前 慶安三年万治二年 明暦元年宝暦八年慶安四年 御文庫目録

(17)

~~

0

8

目 〇

0

明況叔且浦南畠明

康清基

集前 前集後集六・刊明 〇新巻刻信 ー等奉農

徳ー二一三巻校田 後集・ 後九巻集 〇後集巻 塁各 一

明 蘭

四 明"八年刊後巻集七巻別集三 宋劉達;清‑

g

一 明 五〇四巻

:明 等

‑ I

— ・  巻

U

l l I

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旦 明

年 序

刊 二巻塁宋議闇編正徳明年序刊

集—別各

g

刊 世

集別 閤四 〇塁林胴編 ?魯 三ー畜!!II !!II 

Ill 

二且補南明 巻外集四万肩明

j集~

巻目 ^包 六七芦刊

a s   i

二巻万層=明 六巻 六巻外集一集欠ツ別 編明 一

‑層明天

a

宋眉

:

g

九年刊芦刊 明宜 明 六巻 余明

暦宝天明宝暦暦宝 永宝

享 保

ー ニ明和 ^、重刻‑暦宝 明二和 享保五 暦ー宝 寛保ニ

年四三年年四年四 七年 一 年 年 年九 年 二 年

年 元文^= 年

¥...I~  

永 寛永永

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年 六

年 ノ 以 前 '

ヽ 年ノ以前'ヽ ノ年以前' 

 

>

音学十書古韻総論一巻詩経飽読四巻露経飽読・楚辞絢読・宋賦飽読・先秦飽読・諧声表・入

声表・等飽叢説・唐韻四声正各一巻清江有詰清嘉慶刊

(18)

喩林 天 中 記 六0

巻 明 陳 耀 文 編 屠 隆 校 明 万 暦 ニ

1

年序

彙苑詳註︵彙書詳註︶︱︱一六巻明王世貞編郷道元校明刊

夏氏漱玉彙編一

0巻

明 夏 宏 編 明 万 暦 二 七 年 序 刊 新選古今類狭一八巻明陳世宝等編明万暦一九年序刊

‑=オ図会一〇六巻明王折編王思義続編明刊清修

又新纂事詞類奇︱︱

‑ 0 巻

明 徐 常 吉 編 焦 紘 校 明 万 暦

1 1

︱年 序刊 雅 余 八 巻 明 羅 日 褻 編 明 万 暦 二 五 年 序 刊 山 堂 陣 考 五 集 各 四 八 巻 明 彰 大 翼 撰 張 幼 学 編 明 刊

︵ 後 修

︶ 劉氏類山一

0巻明万暦一言一年序刊 事 典 孜 略 六 巻 明 徐 抱 編 徐 学 豪 校 明 万 暦 三 四 年 序 刊 劉氏鴻書一〇八巻明劉仲達編湯宝手校明万暦三九年序刊︵後修︶

図 書 編 一

1一七巻章斗津先生年譜一巻明章漬︵年︶明丘日敬等編明万暦四一年刊

︱ ︱

‑ 0

巻明徐元太編

明万

暦四

一一

一年

序刊

説略

︱︱

‑ 0 巻明顧起元編明万暦四一年序刊︵後修︶

事言要玄集天集一二巻地集八巻人集一四巻事集四巻物集︱︱一巻首一巻

名句文身表異録明王志堅清康煕四七年序刊 修 ︶

時物典彙1

一 巻 明 李 日 華 撰 魯 重 民 補 訂 明 刊

新錆古今事物原始全書︱︱

‑ 0

明 孫 丞 顕 編 明 刊 経世八編類纂1一八五巻六経図六巻図二巻目1一巻明陳仁錫編明刊︵後印︶

潜確居類書︱︱

‑ 0

巻 首 一 巻 明 陳 仁 錫 編 明 刊

芸林彙考棟宇篇一0

巻服 飾篇 一

0巻飲食篇七巻称号篇一1一巻清沈自南編

淵 鑑 類 函 四 五0

巻目四巻清張英等奉勅撰清康煕四九年序刊 格致鏡原一

00

巻 清 陳 元 龍 編 清 刊 経 伝 類 編 四 巻 明 徐 待 揚 編 明 万 暦 一 五 年 序 刊 経済類編一

00

巻明漏埼撰周家棟等校明万暦一︱︱︱一年刊

諸 経 纂 註 三 四 巻 明 楊 聯 芳 編 明 万 暦 四 一 年 序 刊

日本における中国辞書の輸入 明陳懲学編

清康煕二年序刊 明刊︵後

享保︱一年 享保九年享保四年元禄八年享保五年寛政六年 享保一八年 享保一八年 享保︱一年正徳元年正徳元年︵

類書 喩林

正徳

1一 年

宝暦七年 享保︱一年元禄六年

正徳

一一

一年

l七 慶安四年正保元年 承応元年 寛永一六年以前 万治二年正

保一

ー一

正保三年寛永十七年

承応

一ー

一年

(19)

明万暦刊 明陳子壮編明刊︵覆天啓︶ 明万暦九年序刊 新錆陳太史子史経済言︱二巻新刻陳太史経制考略八巻海

録 二 巻 明 葉 益 蕃 編 明 崇 禎 一 七 序 刊 新刊唐荊川先生稗編︱二

0巻目一二巻明唐順之編左添校

古 今 議 論 参 五 五 巻 明 林 徳 謀 編 明 崇 禎 七 年 序 刊 編 珠 四 巻 続

1一巻謝華啓秀八巻隋杜公瞳編清高士奇補︵続︶清高士奇編︵謝︶明楊慎編 清 高 士 奇 校 清 刊 秋 林 伐 山 二0

巻 明 楊 慎 明 万 暦 三 四 年 序 刊 典籍便覧八巻明苑祗編苑沫注明万暦一︱︱︱年序刊 事類 賦︱

︱‑ 0

巻宋呉淑編明嘉靖︱︱︱一年序刊

類事 読︱

‑ 0

巻首一巻明馬士斐編明崇禎一四年序刊 卓 氏 藻 林 八 巻 明 卓 明 卿 編 王 世 藻 校 明 万 暦 刊 群書考索古今事文玉屑二四巻明楊涼編明万暦二五年刊 事物紺珠四六巻明黄一正編呉中布校明万暦︱︱

1 1

年序

刊 事 物 別 名 三 巻 明 鷹 一 元 明 刊 古今類書纂要増冊︱二巻明聰毘玉編明崇禎七年序刊 刻芸局秘書一

1

巻 明 湯 賓 手 明 刊 新錆雅俗通用珠磯藪八巻明方某︵西湖山人︶撰明刊

甫曽太史彙纂蒸頭琢玉雑字

1 1 1巻 首 一 巻 明 曽 楚 卿 編 明 刊 諸経紀藪一八巻諸史紀数一四巻明徐墜明万膠四五年序刊 対 類 二

0巻

首 一 巻 明 刊 耕 志 二

0巻

明 陳 萬 膜 編 明 万 暦 三 四 年 序 刊 麗 句 集 六 巻 明 許 之 吉 編 明 天 啓 五 年 序 刊 分類字錦六四巻清何綽等奉勅編清康煕六一年序刊 詩 脩 類 函 一 五0

巻 明 愈 安 期 編 梅 鼎 詐 補 曹 学 徐 等 校 明 万 暦 三 十 七 年 序 刊 昭代 選屑

︱︱

‑ 0 巻

明 李 本 緯 等 編 明 刊

新増説文韻府群玉︱

‑ 0

巻 元 陰 時 夫 編 陰 申 夫 注 明 王 元 貞 校 類豪古今韻府続編四

0

巻 明 包 喩 撰 明 正 徳

︱ 二 年 刊 五 事 韻 瑞 一

0六

巻洪武正韻一巻明凌稚隆編明万暦刊

宝暦四年 宝暦一三年

正徳元年正徳二年 安永八年享保︱一年享保︱二年 元文元年宝暦一三年宝暦四年享保二0年二十番船積荷

嘉永二年新渡

︵甲

一一

一番

船新

渡︶

寛政七年

一八

琵 一

蒜 以

正保二年

(20)

こ か 十三経類語一四巻魯重民注︵附︶明何兆聖編明羅万藻編明崇禎︱︱︱一年序刊文選双字類要一二巻宋蘇易簡編明︵朱︶陸摺校明嘉靖二五年序刊文選錦字録明凌迪知編凌稚隆校明万暦五年刊このように整理してみると︑紅葉山文庫成立以前の富士見亭時代

に︑すでにいくつもの辞書が架蔵されていて︑現代までに伝えられ

ていることがわかる︒それらは︑ここに明らかになったもののほか

寛永十六年 寛永十九年

正保元年明

暦一

一一

万治

一︱

一年

承応元年享保五年

享保六年

寛永一六年以前

韻会小補

韻会小補二部

韻海全書八本

韻府続編大全

韻釈便覧五本

北堂書紗二十本

康煕字典四十本

康煕字典四十本

五音韻海

五音篇海

五車韻瑞

五音韻海五音類豪

五音篇海

日本

にお

ける

中国

辞書

の輸

寛永一六年 慶安元年 慶安四年

1, 

韻府群玉韻学大成

られ

る︒

にな

お︑

﹃御文庫目録﹄によれば︑次のような書物があったと考え

宝 永 四 年 古 今 通 韻 寛 永 一 六 年 以 前 許 氏 説 文

寛永二

0

年 玉 篇 五 本 慶 安 四 年 許 氏 説 文 六 本 正 保 元 年 字 略 五 本

慶安一一一年字学集要四本

明代以前の類書の中で︑最も注目に値するのは︑先述の宋︑祝稜

撰︑元︑富大用︑祝淵増補の﹃新編古今事文類豪﹄であろう︒それ

は︑前集六十巻︑後集五十巻︑続集二十八巻︑別集一︱‑+︱一巻︑新集

三十六巻︑外集十五巻︑遺集十五巻の合計︱︱︱︱一六巻︑二白冊の大部

を︑寛文六年︵一六六六年︶に京都の書津八尾勘兵衛友久が︑明の

万暦中金陵唐氏徳寿堂刊本を重刊したことでも明らかであろう︒

次に重要なものは﹃三才図会﹄であろう︒明の王折の撰︑百六巻

で︑天文・地理・人物︑時令︑宮室・器用・身体・衣服・人事・儀

制・珍宝・文史・鳥獣・草木に分け︑図解しているところが特徴で

あり︑絵入り百科事典というべきものである︒その初伝は何時か定

かでないが︑御文庫目録では︑寛永十七年︵一六四

0

年︑明︑崇禎

一三年︶に紅葉山文庫に収蔵されていることがわかる︒

ところが︑大阪在住の医者︑寺島良安は︑ し き 寛延二年

一 九 ﹃

‑=

オ国

会﹄

に模

し︑

(21)

表六 康熙字典元代落札価年代別表

享和3 天 保13 天 保13天 保13 天 保14天 保14天 保15(弘化1) 弘 化1

船 番 亥7 寅2 寅3 寅4、5 辰2 辰5

代(匁) 52.5  44  60  44  60  (44) 44  50 

落札値(匁) 230  126  97  90 

考 割滑共 大 本 寅3の品

袖珍 安田屋落

米債(訂噂 l

57.65  75.85  75.85  75.85  72.65  72.65  75.15  75.15  75.15 

弘 化2 弘 化3 弘 化4 嘉 永1 嘉 永1 嘉 永2 嘉 永2 嘉 永2 嘉 永2 嘉 永2

巳3、4、5午2、5、7未2、4 申3 申4 ・3 3 酉3 酉3 酉6

天草難船

44  44  45  45  50  50  45  55  40  40 

小 本 大 本 上 峡 取本

93.35  92.4  85.90  89.05  89.05  92.00  92.00  92.00  92.00  92.00 

嘉 永3 嘉 永4 嘉 永4 嘉 永5 安 政1 安政1 安 政5 安 政5 安政6 安政6

戌4 亥1 亥2、4 子1 寅1 寅1

40  48  40  45  45  60 

74.6  130  91.8  100.9 

小 本 峡 入

131.35  115.15  115.15  92.25  98.05  98.05  114.60  114.60  121.50  121.50 

方︑その後の舶載は︑江戸時代末にいたるま ばないことにする︒ 回はこの一一一書を代表として取あげ︑他には及 は﹃古今図書集成﹄ということになろう︒今 日本の項目を加え︑取捨を加えて﹃和漠一ニオ図会﹄百五巻を︑正徳から享保にかけて出版し︑説明は漢文ではあるが絵入りであったので︑多くの出版部数をあげ︑別版がある︒中

( 13 )  

国辞書の影響として特異な例といえる︒

江戸時代に舶載された辞書といえば︑字典

は﹃康熙字典﹄︑韻書は﹃侃文韻府﹄︑事典で

﹃康熙字典﹄は康熙五五年(‑七一六年︶

に編纂されたが︑日本に初めて渡来したのは

享保五年︵一七︱

‑ 0

年︶である︒この時の史

料はないので︑初渡本の消息は不明だが︑

﹃書物方日記﹄には︑享保七年五月七日に始

めて記事が見え︑同年四月九日に入庫したこ

とがわかる︒その後頻繁に利用されている一

で常に見られるが︑通常は一こ一部である︒

ただ︑宝暦九年︵一七五九年︶卯一番船に十

九部︑同十番船に十一部︑寛政十二年(‑八

00

年︶申二番船に十部︑文政十二年(‑八

0

参照

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