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クメール黒褐釉陶器の調査 -

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Academic year: 2021

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20 奈文研紀要 2014

1 調査に至る経緯

 クメール陶器研究は内戦終了後、タニ窯跡の発見によ り、急速に発展した。奈良文化財研究所は1999年から 2001年にかけて、灰釉陶器窯跡の一つであるタニ(Tani)

窯跡において、2003年から2007年にかけては、ソサイ(Sar Sei)窯跡の発掘調査をおこない、それぞれ報告書を刊行 している。しかし、黒褐釉陶器の生産窯跡はカンボジア 国内からは長らく発見されなかったため、当時アンコー ル王朝の領土内であった現在のタイ東北部に位置するブ リラム(Briram)窯跡などで黒褐釉陶器を生産し、王道を 利用しアンコールまで運搬されていたと考えられていた。

 ところが、2008年頃、M.ヘンドリクソンによりアン コールからプレア・カーン・コンポン・スヴァイへ続く 王道沿いに黒褐釉陶器窯跡の存在があきらかにされた。

奈文研でも独自に踏査をおこない、新たにヴィール・ス ヴァイ(Veal Svay)窯跡を王道沿いに発見し、2013年2 月より調査を開始した。調査にあたっては、2012年度か ら2013年度にかけて井上国際協力基金より助成を受けて いる。

2 窯跡の立地

 ヴィール・スヴァイ窯跡は、アンコールからベン・メリ アを通って、プレア・カーン・コンポン・スヴァイへと続 く、王道沿いに位置する。13°26′2.50″N, 104°22′9.20″

Eにあり、クーレン丘陵の南東に立地している。ヴィール・

スヴァイ窯跡の西北西約2.5㎞にはトープ・チェイ(Toap Chey)窯跡が存在し、APSARA(アンコール地域遺跡保護 整備局)とシンガポール大学の合同調査により発掘調査が 2012年末におこなわれた。また、ヴィール・スヴァイ窯 跡の東2.4㎞には、チュン・サムロン(Chung Samraong)窯 跡が発見され、APSARAとスミソニアン機構による合同 調査が2013年におこなわれた。王道沿いの極めて狭い範 囲に窯跡群が点在していることとなり、当地域が黒褐釉 陶器の一大産地であったことが推測される。

3 発掘調査の概要

 ヴィール・スヴァイ窯跡には2基のマウンドが存在す る。このうち、西側に位置するマウンドを1号窯、1号 窯より一回り小さな東側のマウンドを2号窯と設定した。

 第1次調査は2013年2月6日から11日に1号窯の測量 と、窯跡周辺地形図作成をおこなった。第2次調査は 2013年6月24日から29日に2号窯の測量と1号窯に3.5 m×6mのトレンチを設定し、焼成部付近の発掘調査を おこなった。第3次調査は2013年12月23日から31日にか けてマウンド周辺での発掘とマウンド構造を確認するた めの断ち割り調査をおこなった。

4 検出遺構

全体構造  測量調査の結果、1号窯は長楕円形を呈し ており、南南西に煙道部、北北東に焚口をもつ地上式の 窯体であることが判明した。煙道部は削平されている が、全体に良好な残存状況であった。

焼成部  東西に1枚ずつ残存高約20㎝の窯壁を検出し た。床面は1枚のみ確認したが、部分的に硬化する程度 の硬さで、さほど操業期間が長くない可能性が想定され

クメール黒褐釉陶器の調査

-ヴィール・スヴァイ窯跡の発掘-

図Ⅰ︲₁₇ ヴィール・スヴァイ窯跡位置図

図Ⅰ︲₁₈ 1号窯跡測量図

0 6 ㎞

(2)

Ⅰ 研究報告 21 る。焼成部の最大幅は約1.8mをはかり、窯壁表面には

築盛時の手指痕や草葉圧痕が確認された。

マウンド構造  窯体にかからない位置においてマウン ドの断面観察をおこなった。その結果、1号窯は焼土や ブロックを積み上げた人工のマウンド上に形成されたこ とが確認された。

5 出土遺物

 表面採集資料と出土資料から、ヴィール・スヴァイ窯 跡で確認された遺物は大きく2種類に分類できる。出土 遺物の大半は大型黒褐釉壺甕類であり、小型黒褐釉特殊 品は少量見受けられる。なお現在までのところ本窯跡か らは瓦の出土はみられない。

大型壺甕類  大型製品はそのほとんどが壺甕類であ り、典型的なクメール黒褐釉陶器壺甕類の形状を呈する ものが多い。特筆されるのが、黒褐釉貼付文壺片である。

円形と水滴形の貼付文を肩部に巡らせるもので、出土事 例が非常に少なく貴重である(図Ⅰ-20)。

小型遺物類  小型遺物としては、動物形製品がまずあ げられる。図Ⅰ-21は牛を象ったとみられるが、頭部と 脚部の一部を欠失している。先行研究において、クメー ル黒褐釉陶器では動物形容器を生産していたことが知ら

れていたが、実際に窯跡から出土した当遺物は特筆に 値する。そのほかに紡錘車状製品が出土した(図Ⅰ-22)。 当窯跡だけでなく、近隣のチュン・サムロン窯跡からも 同様の紡錘車状製品が出土しており、当地域で共通して 生産していたものと推定される。

6 ま と め

 当窯跡調査はアンコール地域における黒褐釉陶器生産 窯跡の先駆けとなる調査の1つである。3次にわたる調 査からヴィール・スヴァイ窯跡は大型壺甕類と動物意匠 などの小型特殊製品の生産に特化していた傾向が判明し た。また、これまでの調査ではクメール灰釉陶器窯跡は 瓦陶兼業窯であったことが判明しているが、ヴィール・

スヴァイ窯跡や周辺の黒褐釉窯跡からは瓦を生産してい た痕跡が見受けられない。今後、黒褐釉の陶器生産と瓦 生産についての関係性について留意しながら、引き続き 当窯跡の調査をおこなう予定である。  (佐藤由似)

参考文献

奈文研『タニ窯跡群A6号窯発掘調査報告』2005。

奈文研『カンボジアにおける中世遺跡と日本人町の研究』2008。

Hendrickson, M. 2008 New Evidence of Brown Glaze Stoneware Kilns along the East Road from Angkor. INDO- PACIFIC PREHISTORY ASSOCIATION BULLETIN 28.

図Ⅰ︲₂₀ 1号窯出土黒褐釉陶器貼付文壺片 図Ⅰ︲₂₂ 1号窯出土紡錘車形製品 図Ⅰ︲₂₁ 1号窯出土動物形製品

図Ⅰ︲₁₉ 1号窯トレンチ平面図 1:₂₀

0 5 ㎝

0 2 m

0 10 ㎝

0 5 ㎝

参照

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