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[資料] パトリク = ヴァクスマン「参加、コミュニ ケーション、多元主義」

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[資料] パトリク = ヴァクスマン「参加、コミュニ ケーション、多元主義」

その他のタイトル [Material] Patrick Wachsmann, Participation, communication, pluralisme

著者 村田 尚紀

雑誌名 關西大學法學論集

巻 50

号 4

ページ 814‑845

発行年 2000‑11‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00023599

(2)

ここにパトリク

1 1

ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

( Pa t r ic k Wa ch sm an n,   Pa r t i c i p a t i o n ,   co mm un ic at io n,   p lu r a li s m e,   L 'A c t ua l i te   j u r id i q ue ' D ro i at   dm in  

r a t i f ,  

20 

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 1998 

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I J

︑まヂフ拙

Hi

の本

'苺 密褐 玉訊

を快諾されたストラスプール大学教授パトリク"ヴァクスマン先生に感謝する︒

その人権論の教科書において﹁フランスの自由の法が︑ポジティヴな側面をもち︑進歩してきているにもかかわらず︑なお早く

なくなることが期待される不備や欠陥︑不完全さを残していること﹂

( Pa t r ic k Wa ch sm an n, i b   L e rt e s   p u bl i q ue s z• ,   e d . D a ,   l lo z   :'p. 

7)

を示そうとするヴァクスマン教授は︑フランスの多くの人権の教科書が欠落させている政治的権利を基本権として扱うこと︑

また言論・集会・アソシアシオンの自由を政治過程とのかかわりにおいて考察することを本稿で行っている︵なお

a ss o c ia t i on

は ︑

いうまでもなく︑通常﹁結社﹂と訳すが︑日本の憲法学上一般に使われている﹁結社﹂という言葉は︑フランス法でいう

a ss o c ia ,  t io n

よりも意味が広いので︑ここではその違いを意識して﹁アソシアシオン﹂という表現を用いることにする︒この点について︑ 訳者はしがき

︹ 資 料 ︺

﹁ 参 加 ︑

コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン ︑

パトリク

1 1

ヴァクスマン

村 田

多 元 主 義

尚 紀

一 九

0

( 八

一 四

︹ 訳 ︺ ︶

(3)

簡単には︑拙稿﹁フランスにおける結社の自由史試論﹂関西大学法学論集四九巻一号︶︒訳者が注目する所以である︒

訳出するにあたり条文や文献の既存の邦訳を参照ないし引用した場合は︵

︶内に記しておいた︒なお原文中の︵ ︶書き部分もそのまま︵ ︶内にその旨記しておいた︒必要に応じて原語を

︶書きにしてあるが︑誤解が生じる余地はないと判断した︒

訳注は[]内に記しておいた。読者の便宜のため、原文中の見出しを目次としてはじめに掲げておいた。ただし、「はじめに—

民主主義と基本権﹂は︑訳者があらたにつけた見出しである︒訳文に思わぬ誤りがないとは限らないが︑その責任はすぺて訳者に

一︑民主主義の条件

一・一︑自由な討議のための公的空間の存在を保証するものとしての表現の自由

一 ・

一 ・

一 ︑

公 的

部 門

一 ・

一 ・

ニ ︑

私 的

部 門

一・ニ︑民主主義への積極的参加の条件としての集会およびアソシアシオンの自由

一 ・

ニ ・

一 ︑

集 会

一 ・

ニ ・

ニ ︑

デ モ

一・ニ・三︑アソシアシオンおよび政党︑政治団体

二︑民主主義の実施

ニ・一︑選挙権と被選挙権

ニ・ニ︑定期的な自由選挙に参加する権利

パ ト リ ク

1 1

ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

1

民主主義と基本権 はじめに

︿ 目 次 ﹀

あり︑原著者にないことはいうまでもない︒

一 九

︵ 八

一 五

(4)

第五 0 巻 第 四 号

(1 ) 

基本権という視角から政治的権利を取り扱うことは珍しい︒若干の例外を除いて︑公的自由の教科書は︑政治的権利の研究が憲

法学に属するというように暗に考えていることは間違いなく︑この問題に手を着けない︒しかしながら︑人権の政治的側面は︑政

治的自由主義を基礎付けるテクストのなかで光を当てられている︒すなわちイギリスの権利章典やアメリカ合衆国の独立宣言︑フ

( 2)  

ランスの人および市民の権利宣言ーこれはきわめて明白な標題であるーは︑政治社会の民主的な基礎付けと権利保障による政

治社会の制限の承認とを結び付けている︒ここでは︑アメリカの独立宣言の次のテクストを引用すれば充分である︒﹁われわれは︑

自明の真理として︑すべての人は平等に造られ︑造物主によって︑一定の奪いがたい天賦の権利を付与され︑そのなかに生命︑自

由および幸福の追求の含まれることを信ずる︒また︑これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと︑そし

てその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる﹂︵高木八束ほか編﹃人権宣言集﹄︵岩波文庫︶

藤 真

訳 ︶

︶ ︒

︱ ︱ 四 頁 ︵ 斎

民主主義と自由主義は︑抑圧的な君主制に対する同一の要求のなかに統一されているが︑それにもかかわらず︑両者の関係は厄

一九世紀の自由主義思想が示すところである︒バンジャマン

1 1

コンスタンが古代の自由と近代の自由を対立さ

せたことは周知のとおりである︒前者は政治権力の行使への各人の効果的な参加を意味し︑後者は政治権力が立ち入ることを禁止

された私的領域の保護を意味する︒民主主義社会の不可避性を確信するトクヴィルは︑民主主義社会が自由の運命について感じさ

せる不安︑そして個人への退却と公共善への配慮とを調和させる可能性について感じさせる不安を隠していない︒︿自由民主主義﹀

という表現が︑二つの異なる要素の融合のなかで︑これらの問題を排除しようとする︒フランスに関しては︑第三共和制の到来に

よって︑民王主義の勝利が必然的に自由の保障を伴うのだという幻想が生まれた︒二 0 世紀は︑自由民主主義の脆弱さを示すこと

によって︑さらに二つの観念の結びつきを強化する︒クロード

1 1

ルフォールが正当にも書いているように︑﹁民主主義は︑欠点が 介である︒それは︑ 関法

はじめにー民主主義と基本権

一 九

︵ 八

一 六

(5)

あるにもかかわらず︑全体主義の抑圧に苦しむ人々にとって︑唯一の望ましい社会形態である︒なぜならそれは︑政治的自由と個

( 3)  

人の自由という二重の観念を保護するからである﹂︒

したがって自由すなわち古代の自由と近代の自由とは︑ついには接合する︵もっとも︑だからといって両者が矛盾しないという

ことではない︶︒国連憲章が確認する人権の最初のリストを打ち立てた世界人権宣言は︑市民的権利を宣言したのち経済的・社会的

権利を宣言する前に︑第ニ︱条において﹁何人も︑自国において︑直接に︑または自由に選出される代表者を通じて︑自国の統治

に参与する権利を有する﹂と規定し︑さらに﹁人民の意思が︑統治の権力の基礎でなければならない︒この意思は︑定期的に行わ

れる真正な選挙によって表明されなければならない︒この選挙は︑平等な普通選挙により︑かつ︑秘密投票または投票の自由を保

障するこれと同等の投票手続によって︑行われなければならない﹂と付け加えている︵高木八束ほか編﹃人権宣言集﹄︵岩波文庫︶

四 0 六頁︵高野雄一訳︶︶︒一九六六年︱二月一六日の市民的及び政治的権利に関する国際規約は︑第二五条において︑政治に参与

する権利︑投票する権利︑選挙される権利︑一般的な平等条件のもとで自国の公務に携わる権利を再度扱っている︒この権利は︑

平等に享受されなければならない︒また正当な理由なく制限されてはならない︒人権委員会は︑きわめてはっきりと次のように述

べている︒﹁第二五条は︑政治を構成する手続に参加する個人の権利を保障している︒それが保障する諸権利は︑個人の権利とし

(4 ) 

て︑第一選択議定書に基づく通知

( c o m

m u n c

a t i o

n s )

を 生

み 出

す ﹂

標題自体が政治的権利に言及している一九六六年の規約と違って︑ヨーロッパ人権条約は︑第一議定書以降はじめて政治的権利

カテゴリーを考慮している︒しかし︑条約の前文において︑署名国は︑﹁一方で真に民主的な政治体制に基づき︑他方で署名国が

援用する人権に関する共通の概念および人権の共同の尊重に本質的に基づくことによって維持される︵⁝⁝︶基本的自由に対する

深い愛着﹂を再確認し︑ついで署名国のものである﹁政治的理想および伝統という共通の遺産﹂への言及が行われている︒さらに︑

周知のことだが︑プライバシー権や家族生活の尊重の権利︑思想の自由︑良心の自由︑信教の自由︑表現の自由︑集会・アソシア

シオンの自由をそれぞれ保障する条約第八条ないし︱一条は︑これらの権利の制限は︑限定列挙された価値の保護のために﹁民主

パトリク"ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

一 九

︵ 八

一 七

(6)

る同意を示している︒ 第五 0

巻 第 四 号

主義社会において必要な﹂ものでなければならないと規定している︒

︵ 八

一 八

ヨーロッパ人権条約第一議定書第一二条は︑﹁締約国は︑立法府の選出に関して人民の自由な意見表明を保障する条件のもとで︑

合理的な間隔を置いて︑秘密投票による自由選挙を行うことを約束する﹂と規定している︒ヨーロッパ人権条約では公務就任権が

保障されていないこと︵ヨーロッパ人権裁判所は︑一九八六年八月二八日の

Gl as en ap

p

事件判決と

Ko si ek

事件判決において︑

このことを世界的な条文[世界人権宜言第二ご悉塑逼^ならびに市民的及ぴ政治的権利に関する国際規約第一弄

l

条]があるにもか

かわらず確認している︶︑そして右の控えめな規定においては︑選挙の問題が個人の主観的な権利という角度から考えられていな

いことが注目されよう︒しかしこの点に関して︑ヨーロッパ人権裁判所は︑第三条の適用の際に詳細に論じようとするであろう︒

Ma th ie

u

Mo hi ne t   C le r f ay t

事件一九八七年三月二日判決は︑第三条がヨーロッパ人権条約のシステム上有する﹁重要な意義﹂を

強調し︑条約前文中の文言を引いて次のような結論に至る︒﹁第三条の文言の﹃国家間的色合い﹄は︑条約および議定書の他の規

範的条項とのいかなる実質的な違いも表すものではない︒それは︑第一に約束にいっそうの厳粛さを与えようとする意思︑第二に

当該領域においては︑大部分の市民的・政治的権利のように国家が介入しない義務ではなく︑民主的な選挙を﹃行う﹄ために積極

的な措置をとる義務があるという事情︑という二点によってむしろ説明されるように思われる﹂︒ついで︑人権裁判所は︑第三条

によって保障されている権利の概念がヨーロッパ人権委員会の判例上たどってきた発展︑すなわち﹁自由選挙︵⁝⁝︶の﹃制度

的﹄権利という観念から﹃普通選挙﹄の観念へ︵⁝⁝︶︑そしてそれゆえに主観的な参加の権利という観念へ﹂という発展に対す

人権委員会とヨーロッパ人権委員会︑同人権裁判所︑米州人権裁判所による問題の扱い方は︑民主主義を基本権の観点から扱わ

なければならないということを示している︒それは︑自由社会の本質的要素にかかわる一連の条件を想定している︒ついでそれは︑

市民の利益を守る立場から︑政治権力の行使への積極的参加を市民に保障する権利を帰結する︒ 関法

一 九

(7)

一︑民王主義の条件 ヨーロッパ人権条約第八条ないし︱一条にいわれている民主主義社会の観念の意味を示さなければならなかったヨーロッバ人権 裁判所は︑寛容︑多元主義︑開かれた精神という文言を用いた︒これらは︑まさにカール

1 1

ポパーが﹁開かれた社会﹂と呼んだ社

会の特徴である︒ポパーは︑開かれた社会を閉ざされた社会︑あるいは呪術的ないし部族的な社会に対置した︒開かれた社会への

(5

(6 )

移行は﹁批判的討議の発明﹂を前提していると︑ポパーは普いている︒批判的討議は﹁公的論争の要請﹂を公的問題に適用するこ とを導くのであるが︑この要請が実り豊かであることは︑科学の方法が明らかにしているところである︒したがって︑個人責任に 基づく合理的な方法が問題である︒その本質は︑ペリクレスが︑トゥキデイデスによって伝えられる有名な弔辞のなかで︑すでに 示している︒そのなかで︑ペリクレスは︑アテネを次のように賞賛している︒﹁理をわけた議論は︑われわれにとって行動の妨げ

(7 ) 

ではない︒逆に行動に移る前にことをわけて理解していないことこそ行動の妨げである﹂︒

この民主主義概念のアクチュアリテは少しも変わっていない︒それは︑ 一九九六年に人権委員会が用いた次の定式によって証明

されている︒﹁表現および集会・アソシアシオンの自由は選挙権の効果的な行使に不可欠の条件であり︑全面的に保障されなければ

(8 ) 

ならない﹂︒この三つの自由は︑実際︑民主主義の機能に直接関連する︒

-•一、自由な討議のための公的空間の存在を保証するものとしての表現の自由

一 九

(9

マ ル

1 1

オレールは︑﹁平等原則と言論の平等な自由の原則の下に支配された民主主義国家の理念﹂を兄のおかげで理解できた

と述べた︒国際裁判所や憲法裁判所が表現の自由やその民主主義の維持との密接な関係の特別の重要性を認めたことが︑そこに反 映しているようにみえる︒この表現の自由の個人的側面と一般的利益の次元との関係を最も見事に表明したのは︑おそらく米州人 権裁判所であろう︒同裁判所は︑その意見五ー八五において︑次のように述べている︒﹁個人の表現の自由が違法に制限されると

パトリク"ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

︵ 八

一 九

(8)

第五 0 巻 第 四 号

一九八六年九月一八日判決の文言によれば︑﹁民主 一七八九年人権宣言第一一条が保障

︵ 八

二 0 )

き︑侵害されるのは個人の権利にとどまらない︒情報と考えを受け取る他者の権利もまた侵害されるのである︒したがって︑[米

州人権条約]第一三条によって保障されている権利は︑表現の自由の二重の側面が明らかにする特別な射程と性格をもっている﹂︒

その二重の側面は︑個人的次元と集団的次元に存し︑同時に保障されなければならない︒第二の集団的次元は︑民主主義の諸理念

に直接結びつくのである︒同じ意見は︑さらに次のように述べている︒﹁民主主義社会における公序観念は︑情報や意見のできる

かぎり広い伝達の保障と情報に対する社会全体の最大のアクセスを要求する︒表現の自由は︑民主主義社会の公序の根本的な第一

の要素である︒というのは︑自由な討議と異説が完全に聞いてもらえる可能性とがなければ︑民主主義社会は考えられないからで

ある︵⁝⁝︶︒すべての個人の自由に意見表明する権利と社会全体の情報を受け取る権利が丁寧に保障されているのも︑米州人権

条約に内在する民主主義的な公序のためである︒表現の自由は︑民主主義社会の存在そのものを左右する要石である︒表現の自由

は世論形成に不可欠である︒表現の自由は︑政党や労働組合︑学術文化団体︑一般に公的な影響力を振るいたいと考える人の発展

︑ ︑

︑ ︑

︑ ︑

にとって絶対不可欠の条件である︒要するに︑表現の自由は︑共同体が選択を行う際に充分な情報を得ることを可能にする手段で

( 10 )  

ある︒したがって︑情報がうまく行き届かない社会は︑真に自由な社会ではないということができる﹂︒

より簡潔に︑フランスの憲法院は︑一七八九年人権宣言第︱一条に宣言されている思想および意見のコミュニケーションの自由

( 11 )  

を﹁その存在が他の権利および自由と国民主権の尊重にとって不可欠の保障の︱つであるだけに貴重な基本的自由﹂と特徴付けて

( 12 )  

いる︒﹁表現の社会的文化的な流れの多元性を確保すること﹂が憲法的価値を有する目的であるとしたのち︑憲法院は︑次のよう

に述べた︒一七八九年の人権宣言第一一条が保障する自由は︑﹁これらの日刊紙の読者大衆がさまざまな傾向と性格を有する充分

な数の公刊物を持つことができなければ︑実質的とはならない︒結局︑実現すべき目標とは︑

する自由のおもな主体に属する読者が︑自由な選択を︑私益や公権力の決定に置き換えられることなく︑かつまた市場の目的にさ

( 1 3 )  

れることなく︑行えるようになることである﹂︒憲法院では︑私益と公権力がコミュニケーションの自由に与える諸々の脅威が

まったく正当にも同日に論じられていることが︑注目されよう︒多元主義は︑ 関法

一 九

(9)

一 ・

一 ・

ニ ︑

私 的

部 門

主義の諸条件のひとつである﹂が︑そのようなものとして︑放送分野においてはとくに多くを要求するものとなり︑私的部門と同

一般人が視聴する放送のプログラムは︑﹁情報の公正という要請の尊重のもとに多様な傾向

を表現すること﹂︵同判決︶を保障しなければならないのである︒

一 九

公的部門に関していえば︑公役務の存在に固有の平等性と中立性が支配し︑それがさまざまな仕方で多元主義の要請を滴たす︒

すなわち︑選挙キャンペーン期間中の政治団体の自由なアクセスや政府発表のあとの野党の反駁権︑議会審議の中継放送に対する

議院理事部のコントロール︑議会会派によって代表される政治団体への放送時間の付与︑全国レペルの代表的な職業組合組織への

放送時間の付与︑フランスにおいて行われている主な礼拝の日曜の朝の放送︑放送分野における権限ある独立行政機関に与えられ

た「とくに政治的な情報に関して」勧告~法院はこれに拘束力を認めたーや条件明細書に明記された見解により多元主義の

尊重を監督する権限によって多元主義の要請が満たされているのである︒一九八六年九月一八日判決から引き取られたこの明細書

は︑とくに一九九四年二月二日法によって補完されなければならない︒同法は︑各議院に対して︑それぞれの理事部の監督のもと

に︑﹁各議院に議席を有する団体の代表性を尊重するかぎりにおいて公開審議に代わりうる﹂活動報告の番組を制作し放送するこ

とを認めるものである︵コミュニケーションの自由に関する一九八六年九月三 0 日法追加四五ー一条︶︒この場合に︑議会機関の

行政機関に対する独立性により︑番組制作または放送のイニシアティヴが放送メディア高等評議会の許可権に服さないこと︑そし

( 14 )  

て同評議会との協約の締結を要しないことを指摘しておくことは注意を引く︒

私的部門における多元主義の尊重に関しては︑独立行政機関とそれが行うことになっている決定に本質的にかかっている︒憲法

院は︑表現の社会的文化的な流れの多元性の確保という目的が帯びると思われる最重要性を執拗に強調し︑民間放送事業者の選択

( 15 )  

が問題であること︑そして民間放送事業者と独立行政機関との間で結ばれる条件明細書中の義務が問題であることを強調した︒憲

パトリク

1 1

ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

一 ・

一 ・

一 ︑

公 的

部 門

様に公的部門においても原則となる︒

︵ 八

ニ ︱

)

(10)

法 院

に よ

れ ば

第 五 0

巻 第 四 号

︵ 八

二 二

一定のゾーンに︱つの周波数しかない場合︑独立行政機関は︑許可を受けた者に対して﹁思想およびさまざまな傾

向の意見の自由かつ多元主義的な表現を確保する義務﹂を課す権限を有する︒また﹁異なる放送事業者に属する複数の周波数があ

る場合でも︑それが多元主義を保障するのに不充分であるときには︑同じ義務が規定されなければならない﹂(‑九八六年九月一

八日判決︶︒一九九四年一月ニ︱日判決において︑簡略化された手続による許可の更新に関し︑やはり多元主義が強調された︒最

後に︑多元主義は︑単に支配的地位の濫用を禁止することを超えて︑集中を排除する規定を法律によって確立することを正当化し︑

さらには義務付けさえする︒限界値を定めるこの規定は︑一方で放送︑他方で政治的・一般的情報を載せる新聞に適用されるだけ

( 16 )  

でなく︑マルチメディアの集中にも適用される︒

二つの多元主義の結合︑すなわち放送分野における公的部門と私的部門の共存によって確保されるべき全体的な多元主義と独占

的または支配的な地位を占める公的放送事業者・民間放送事業者それぞれの番組編成において支配していなければならない多元主

義との結合は︑放送メディアが相当の影響力をもち︑その今なお主要な媒介手段である周波数帯が限られていることによって惹起

されうる危険の下︑民主主義の観点から重要な保障となっている︒

多元主義の要請は︑透明財政の要請でもある︒これに関して︑一九八四年一 0

月 一 0 │

︱日憲法院判決が述べたところによれ

ば︑この原則は︑放送会社の監督者︑その財政状況︑関連するすべての利害が公開されるべきことを要請することによって︑コ

ミュニケーションの自由の﹁効果的な行使を促進しようとする﹂︒それによって︑読者や視聴者は︑﹁きわめて自由に選択を行うこ

とができ︑また世論は自らに開かれた手段によって得た充分な情報に基づく判断を行うことができる﹂︵同判決︶︒ここで︑民主主

義は︑各人がお互いに顔を見ながら意見を表明する多元的な空間と定義されているのである︒あとは︑そこにおいて各人が各人の

思うように意見を表明することができるかどうかである︒

まさにここで︑ヨーロッパ人権条約の諸要請が決定的になる︒表現の自由を保障する第一 0 条は︑﹁民主主義社会において必要

な﹂制限だけを認めていることが想起される︒したがって︑前文が基本的自由の土台の一っとなしている﹁真に民主的な政治体 関法

一 九

(11)

一 九 九

制﹂は︑表現の自由のヨーロッパ的な観念の中心にある︒﹁共通の人権概念と人権の共同の尊重﹂という前文が言及している他の 土台に関しては︑その建設にあたるのは︑ヨーロッパ人権委員会とヨーロッパ人権裁判所の判例である︒

ヨーロッパ人権裁判所が︑﹁判例上[被告政府]所論の方法によって︑政治的討論と他の一般利益に関する議論とを区別するこ

と は で き な い ﹂

(T ho rg ei rT ho rg ei rs on   c .  Is la nd

e

事件一九九二年六月二五日判決︶ということをあくまでも認めるにしても︑こ

の命題は文脈のなかに位置付け︑﹁政治的問題の自由な討論という利益﹂

(O be rs ch li ck c .   Au tr ic he   (no 2)

事件一九九七年七月一日

判決︶にアクセントを置く他の判決に関連付けなければならない︒この命題は︑民主主義社会を特徴付ける自由な討論の空間は︑

厳密な意味での政治領域に限られるのではなくむしろ﹁一般利益をもつテーマ﹂

(B ar th ol

d

事件一九八五年三月二五日判決︶をす

べて包含するということを本質的に意味しているのである︒

しかし︑たしかにヨーロッパ人権裁判所の判例は︑政治家や政治評論家に対して特別大きな自由を保障しようとしてきた︒

Ha nd ys id

e

事件一九七六年︱二月七日判決において明らかにされた原則によれば︑﹁ヨーロッパ人権裁判所の監督という役割は︑

同裁判所が﹃民主主義社会﹄に固有の原則に最大限の注意を払うことを命じる︒表現の自由は︑民主主義社会の本質的な基礎の一

つであり︑その発展と各人の繁栄の主要な条件の︱つである︒第一 0 条第二項の留保の下︑表現の自由は︑歓迎すべき﹃情報﹄な

いし﹃観念﹄︑害のないそれ︑つまらないそれのみならず︑国家や人民の一定部分と衝突したり︑脅威や不安をそれに与えたりす るような情報や観念にもまた保障される︒それは︑﹃民主主義社会﹄の必須条件である多元主義・寛容・開放の精神が欲すること である﹂︒不幸にして︑ヨーロッパ人権裁判所は︑討論が発展の条件であることを認めて異議申し立てのリスクを引き受ける社会 のこの志の高いプロジェクトにいつも忠実であったわけではない︒しかし少なくとも︑人権裁判所は︑多くの判決が示しているよ

うに︑政治的アリーナにおける完全に自由な討論の可能性を常に保障してきた︒

一九九二年四月二三日に判決が下された

Ca st el ls c .   Es pa gn

e

事件は︑政府に対する侮辱の容疑で︑政府の訴追に基づいて刑事

責任を科せられたスペインの上院議員が当事者となった事件であった︒ヨーロッパ人権裁判所が全会一致で人権条約第一

0 条違反

パトリク"ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

︵ 八

二 三

(12)

んだなら︑執行権は支配的な地位を濫用したことになる︒ 第 五 0

巻 第 四 号

︵ 八

二 四

二 0

0

( 17 )  

を認定したことには︑民主主義の理想によって本質的にインスパイアされた理由がある︒伝統的に︑民主主義の理想は︑議員に所

( 18 )  

属議会における発言に関して全面的な免責を認めている︒しかし︑本件では︑プレスにおける発言が問題であった︒裁判所はいう︑

﹁各人にとって貴重な表現の自由は︑人民から選挙された者にとってとりわけ大きな価値がある︒選挙された者は︑有権者を代表

し︑有権者の関心を表明し︑有権者の利益を守る︒したがって︑原告のような野党の議員の表現の自由への干渉は︑人権裁判所に

対して︑最も厳格な統制の︱つを行うよう命じる﹂︒﹁法治国家におけるプレスの傑出した役割﹂を強調した

(O bs er ve r e t   G

ua

r  , 

di an   c .   Ro ya um

e  , U

ni

事件一九九一年︱一月二六日判決は︑より比喩的に︑プレスの﹁﹃番犬﹄という不可欠の役割﹂について

語ったが︑この定式は頻繁に繰り返されることになる︶後︑人権裁判所は︑次のように述べることにこだわっている︒﹁許される

批判の範囲は︑単なる一私人に対する場合や政治家の場合よりも︑政府に対する場合のほうが広い︒民主主義のシステムにおいて︑

政府の作為または不作為は︑立法権および司法権のみならず︑プレスと世論の注意深い統制に服さなければならない︒さらに政府

が占める支配的な地位は︑刑罰権の行使に関し謙抑的であることを政府に対して命じる︒とりわけ︑政府が対立勢力やメディアか

らの不当な攻撃や批判に応答する他の手段があるときにはそうである﹂︒したがって︑もし執行権が︑民主主義の領域に属する議 論をー~この事件の場合は、バスク地方のいくつかの過激派グループの免責と政府の干渉に関する議論である~判所に持ち込

C as t e ll s

事件においてなされた政治家のケースヘの言及は人権裁判所の判例につらなるのであるが︑

Li ng en

s

事件一九八六年七

月八日判決がそのリーディングケースとなった︒政治記者である原告は︑選挙後の論争の結果︑

Kr ei sk

総裁に対する名誉毀損に

y

より有罪となった︒

Si mo nW ie se nt

ha

ーが自由党議長の

P et e

r

氏のナチ党員の経歴を問題にしたところ︑総裁が

S . W ie se nt ha l

激 し く 批 判 し ︑

P et e

r

氏を弁護した︒これは︑

Li ng en

氏の側からいえば︑日和見主義・非人間的・不道徳という非難に値する︒

s

Li ng en

s

氏に対する有罪判決がョーロッパ人権条約第一 0 条に違反すると判断する前に︑人権裁判所は︑次のように強調した︒プ

レスは﹁政治的アリーナにおける論点に関する情報と見解を︑他の公益セクターに関係する論点の場合とまったく同様に︑伝えな 関法

(13)

二 0 ければならない︒それを報道するというプレスの職務には︑公衆の報道を受け取る権利が付け加わる︵⁝⁝︶︒さらにプレスの自 由は︑世論に指導者の見解や態度を知り判断する最良の手段の一っを提供する︒より一般的に︑政治的討論の自由なゲームは︑ ヨーロッパ人権条約全体を支配する民主主義社会という観念そのものの核心に見出される︒したがって︑許される批判の限界は︑ 政治家としての政治家に対する場合︑単なる私人に対する場合よりも広い﹂︒政治家は有権者とプレスの関心と注意深い統制に否 応なくかつよく承知のうえでわが身を曝しているという理由をもって︑裁判所は︑右の最後の命題を正当化している︒﹁したがっ て︑政治家は︑より大きな寛容の精神を示さなければならない﹂︒ついで︑裁判所は︑問題の話題をその文脈︑すなわちごく普通 の﹁激しい政治闘争﹂という文脈に位置付け︑オーストリアの裁判所が︑本件原告に対して︑事実ではなく価値判断の正しさの証 明を義務付けることによって︑不可能な立証責任を負わせたと非難した︒ヨーロッパ人権裁判所は︑全員一致で人権条約第一 0 条

( 19 )  

違反と判断した︒オーストリア関係の同類型の事件では︑毎回圧倒的多数で︑これと同じ判決が採択されている︒

( 20 )  

しかしまた︑民主的な討論は一般利益に関するあらゆる問題とかかわる︒たとえば︑サリドマイドの犠牲者の境遇︑ハンプルグ

( 21 )

2 2

)

2 3 )

2 4

)  

の獣医の夜勤計画︑警察や裁判所の職務︑暴力的で人種差別主義的なアウトサイダーの若者グループの存在などである︒

一般利益を有するテーマに関する意見の自由な交換に一定の制限を設けるべきではないのかどうかという問題がたしかに生じる︒

みられるように︑ヨーロッパ人権裁判所は︑この問題に関して︑きわめて自由主義的なアプローチをとっている︒明白な公序の侵

( 25 )  

害や公人の名誉に対する重大な侵害だけが︑この領域における表現の自由の制限を正当化する︒ただし︑裁判官批判のケースは︑

それほど自由主義的ではない解決をもたらしている︒人種差別主義の立場に関しては︑人権裁判所は︑必ずそれを有罪にしている︒

J er s i ld   c .  

Danemark事件判決において、次のように述ぺられている。「あらゆる形•あらわれにおける人種差別と闘うことは最も

重要である﹂︑問題の人物によって発せられた人種差別的な言葉は﹁狙われたグループの構成員に対する侮辱以上の言葉であり︑

ヨーロッパ人権条約第一 0

条の保障に値しない﹂︒この最後の結論を補強するために︑人権裁判所は︑ネガシオニスム

(n eg at io nn is me )

に関するヨーロッパ人権委員会の先例を参照した︒ネガシオニストの言論にナチズムの復権を目論む反ユダヤ主

パトリク"ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

︵ 八

二 五

(14)

会 第五

0

巻 第 四 号

義の本質を認めるヨーロッパ人権委員会は︑そのような言論のゆえに有罪となった人の申し立てには明らかに理由がないとしてつ

( 26 )

2 7

)  

ねにこれを斥けてきたが︑その際には︑とくに人権条約第一七条││この条約が認める権利および自由を破壊することを目的とす

る活動を行う権利を保障するものと条約を解釈することを禁止するーを参照している︒

( 28 )  

若干の逸脱は別にして︑ヨーロッパ人権委員会と人権裁判所の判例は︑公益に関する表現の自由を最大限保障してきた︒その点

は︑アメリカの考え方ときわめて似ている︒実際周知のように︑修正第一条は︑ジェファーソンの言葉が述べている自由民主主義

を特徴付ける理性の力に対する信念に従って︑合衆国連邦最高裁判所のとくに自由主義的な判例を生みだした︒﹁我々のなかに誰

かこの連邦[合衆国]を解体したり共和政体を変更したりしたいと思う者がいたら︑その者に意見を言わせるがよいo

彼ら こそ ヽ ( 29 )  

誤った意見でも享受できる寛容の印である︒ただしこの場合︑理性はこの誤った意見と自由に闘うことができる﹂︒

一・ニ︑民主主義への積極的参加の条件としての集会およびアソシアシオンの自由

集会およびアソシアシオンの自由と表現の自由との関係は明白で︑ヨーロッパ人権裁判所判例およびフランス憲法院判例によっ

て認められている︒いくつかのケースにおいて︑人権裁判所は︑第一

0

条を一般法と考え︑第一

0

条違反は︑﹁平和的集会の自由

( 30 )  

およびアソシアシオンの自由﹂への権利を保障する第一一条という特別法違反に吸収されると考えた︒表現の自由の問題が︑選挙

運動の一環として行われた平和的デモのなかでなされた言論に関連して提起されたケースもあった︒憲法院はといえば︑治安に関

する指導および計画法に関する一九九五年一月一八日判決において︑集会の自由を﹁思想・信条の集団的な表現の権利﹂すなわち

一七八九年人権宣言第一一条と結びつけた︒

一・ ニ・ 一︑ 集

ヨーロッパ人権委員会は︑平和的な集会の自由が﹁民主主義社会における基本的な権利であり︑表現の自由に対する権利と同様︑

( 32 )  

民主主義社会の土台の︱つである﹂と強く認めたことがある︒実は︑政治集会は政治の儀式の一部である︒参加者を納得させると 関法二

0 ニ

︵ 八

二 六

(15)

か︑メディアを通じて一般公衆やとくに反対勢力に伝えられるメッセージを打ち出すこととかが問題なのではない︒フランス法が

伝統的に行っている集会とデモの区別︵デモは公道上で行われる︶が︑ヨーロッパ人権条約第一一条でも先に引用した憲法院の判

( 33 )  

決でも認められていないことに注意するべきである︒公開の集会に関しては︑コンセイユ

1 1

デタの有名なバンジャマン事件判決が

ある︒この問題は︑最近数年︑ふたたび裁判になっている︒いくつかの市が︑極右の政治組織に集会用の部屋を貸すことを拒否し

たためである︒バンジャマン判決の法理を適用して︑行政裁判所は︑申し立てられている公共の秩序の混乱が適切な警察措置に

( 34 )  

よって容易に回避できる以上︑そのような拒否決定は違法と判断した︒

一 ・

ニ ・

ニ ︑

デ モ

デモに関しても同様に︑ヨーロッパ人権裁判所の判例は︑デモ参加者にも反対意見の人にも見解の表明を可能にする必要な手段

を最大限に行使させるように警察当局を義務付けている︒

Pl at fo rm

≪A .r tz e f i i r   das

  Le b e n≫  

事件一九八八年六月ニー日判決は︑﹁合

法的なデモを平和裏に行うことを保障するために合理的かつ適切な措置をとることは締約国の義務である﹂と宣した︒この事件で

は︑中絶に反対する意思のデモと賛成する意思のデモとの間に警察力を割り込ませることによって︑オーストリア政府はヨーロッ

パ人権条約を尊重したのであるが︑子どもの犠牲者が出ることを防ぐことができなかった︒コンセイユ

1 1

デタは︑最近の判決のな

かで︑中華人民共和国主席の訪仏に際して︑同国のチベット抑圧に抗議しようとする人びとによるデモを禁止したことを違法と判

断して︑これらの原則を適用した︒ヨーロッパ人権条約をにらんで︑判決は︑警察署長による全面的な禁止は﹁本件の状況におい

ては︑訪問時の公共の秩序維持の必要によって正当化される措置を超えていた﹂と指摘し︑公共の安全の混乱以外の理由︑この場

( 35 )  

合それと併せて申し立てられていたフランスの﹁国際関係に対する侵害﹂を理由として考慮することを拒否した︒比例原則統制

( co n t r6 l de   e  p r op o r ti o n na l i te )

の 士

Kg

は︑この分野における顕著な進歩である︒

一・ニ・三︑アソシアシオンおよび政党︑政治団体

アソシアシオンの自由といえば︑とくに政党結成の自由の問題が出てくる︒極端な主張を行う政党をとくに禁止したり解散した

パトリク"ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂ ︱

1 0

︵ 八

二 七

(16)

ばならないのか?

J

の問いへの答えは︑たしかに容易ではない︒

第 五

0 巻 第 四 号

︵ 八

二 八

りすることができるか?これを肯定する最も有名な例が︑ドイツ基本法第ニ︱条である︒同条は︑政党結成の自由の原則を規定し

た後︑﹁その目的またはその党員の行動からして︑自由で民主的な基本秩序を侵害もしくは除去し︑またはドイツ連邦共和国の存

一 八 二 頁 ︵ 初 宿 正 立を危うくすることを目指す政党」(樋口陽一•吉田善明『解説世界憲法集第三版』(三省堂、一九九四年)

( 36 )

3 7

)  

典訳︶︶の違憲審査権を連邦憲法裁判所に委ねている︒ワイマール共和国の終焉をもたらした出来事の再来を予防するために︑こ

( 38 )  

の条項は︑ドイツの学説によって︑﹁戦う﹂民主主義︑﹁防衛的﹂民主主義︑﹁武装﹂民主主義︑﹁価値関係的﹂民主主義という観念

を表すものとして描かれてきた︒同条が用いられたことは二度しかない︒一九五二年極右政党に対して︑そして一九五六年ドイツ

共産党に対してである︒したがって︑このような規定をそれが擁護しようとする体制の価値を脅かす危険を考慮しつつ効果的に用

( 3 9 )  

いることの可否という問題が提起されざるをえない︒

一九五八年フランス憲法第四条は︑﹁政党および政治団体は選挙による意思表示に協力する︒その結成および活動は自由である︒

政党および政治団体は国民主権および民主主義の原則を尊重しなければならない﹂と定める︒最後のフレーズは︑その命題が規則

的に行われるように︑ドイツ連邦と同じような体制を設けることを立法者に許すのか? 答えは︑おそらくそうであろう︒ただし︑

恣意に流れる危険を一切回避できる保障が明確にされるならばである︒問題として明らかに残るのは︑次に問題にする一九三六年

法を別にしてフランスの伝統にないこのような体制が適切なものかどうかということである︒攻撃的な民主主義の観念は︑ここで

サ ン

1 1

ジュストの﹁自由の敵に自由なし﹂という言葉を取り戻すであろうが︑これに対して自由主義的︵あるいは超自由主義的︶

といわれる民主主義の観念は︑民主主義の理念に固有の逸脱の危険に反対し︑どのような意見であれ︑さまざまな意見を突きつけ

あうことの美徳に対する理性的な信頼を押し出す︒この信頼は︑自由民主主義の土台にあるものなのである︒権威主義という批判

と精神的純粋主義という批判が︑この二つのテーゼそれぞれを待ち受けている︒民主主義は︑自らの消滅の危険を受け入れなけれ

しかしながら︑少なくとも︑強制的に自らを押し付ける政党や団体を受け入れることはできないという一点に関しては合意が成 関法 二 0 四

(17)

二 0 五

一 九

0 年以降﹁知られているように︑軍事的・警察

( 40 )  

立する︒民主主義が︑カール

1 1

ポパーのまったく正当な定式に従って︑流血なしに政府を排除できるようにすることと定義される

なら︑暴力に訴える者は︑民主主義体制とまった<相容れない立場にたつどころか︑あらゆる平和な社会形態と敵対することにな

る︒民兵組織に関する一九三六年一月一 0 日法は︑この考えと合致する︒同法は︑街頭における武装デモを煽動したり︑軍事的な

形態や組織によって民兵組織の性格を有していたり︑あるいは武力によって共和政体を攻撃する目的を有していたりするアソシア

シオンや事実上の団体を閣議においてデクレで解散することを定めているのである︒一九三四年二月六日共和制を激しく脅かした

リーグと闘うことを趣旨とする問題の規定は︑政党よりもむしろ SAC[

Se rv ic e  d ' ac t i on   c iv i q ue ]

のような政党に付属する組織

を狙いとしている︒論告担当官の

B 1

1 ジュヌヴォアは︑この組織について︑

的闘争形態を結合する国家転覆活動を行える組舶]になろうと思っていたと強調した︒テロリスト組織の場合も同じ論理に従う︒

ただし︑一九三六年一月一 0 日法の適用範囲はもっと広いことに注意しなければならない︒というのは︑それは︑国土の完全性

を侵害する目的やナチズムとの協力者を集めたり協力を賞賛したりする目的をもつアソシアシオンおよび事実上の団体ならびに差

別や憎悪︑暴力を煽動したり︑﹁差別や憎悪︑暴力を正当化したり勧めたりする思想や理論を広める﹂アソシアシオンおよび事実

上の団体を含むからである︒ここでは

1

人種差別的な行動や態度への煽動を除いてー︑告発されるのは︑運動によって実践さ

れたり賞賛されたりする暴力との関係ではもはやなく︑運動が引き合いに出す分離主義的なイデオロギーや対独協力的なイデオロ

( 42 )  

ギー︑人種差別主義的なイデオロギーなのである︒したがって︑共和国の不可分性の擁護や平等価値の擁護は︑綱領やデモにおい

て行った主張が明らかにそれらに反している政党を解散することになる︒この規定に基く国民戦線の解散の可能性が考えられる︒

同党の党首が人種間の不平等を自明のことのように信じていることを挑発的に肯定したり︑他の幹部も同様のことを述ぺているこ

とからすれば︑たしかに同党が人種差別や人種的憎悪︑暴力を正当化したり勧めたりする思想や理論を広めるとみなすことができ

る︒しかし︑このような仮説は︑そのような実践の正当性という問題︑すなわち自由主義的理念との適合性という問題をあらたに

惹 起

す る

パトリク ︒

1 1

ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

︵ 八

二 九

(18)

︵八 三

0 )

第五 0

巻 第 四

( 4 3

)  

ヨーロッパ人権条約第一一条の文言上︑アソシアシオンの自由に対する制限は︑﹁民主主義社会において︑国家の安全保障また

は公共の安全または秩序の防衛または犯罪の予防または健康もしくは精神の保護または他者の権利および自由の保護に必要な﹂も

のでなければならない︒表現の自由の制限の正当化理由のリスト︵第一 0 条第二項︶のなかに挙がっている国土の完全性への言及

がここにはないということは︑団体が自治主義的な目的をもっているというだけで解散することを許さないということであり︑こ

れによって

B a t t e s t i

判決の結論は批判される︒第一一条は︑これと逆に︑ファシストイデオロギーの影響を受けた団体を禁止ま

( 44 )  

たは解散することを認めているとつねに解釈されてきた︒人種差別主義的な考えの宣伝は︑いかなる形であれ︑ヨーロッパ人権条

約に定められている権利の保障を引き合いに出すことができないことも既定のことである︒それは︑人権条約の本質的な価値に抵

( 45 )  

触するからである︒

( 46 )  

最近の

P ar t ic om mu ni st e  u n i f i e   d e  Tu rq ui e  e a u t   t re s   c .   Tu rq ui

e

事件判決において︑ヨーロッパ人権裁判所は︑﹁民主主義の円滑

な機能にとって不可欠なアソシアシオンという形態をとる﹂政党に第︱一条を適用する可能性を再確認し︑﹁多元主義の維持と民

主主義の円滑な機能のために﹂不可欠な政党の役割を強調する機会があった︒したがって︑国家による政党の解散処分に対する人

権裁判所の統制は︑とくに厳しい︒右の事件においては︑大法廷

(G ra nd eC ha mb re )

がまさに全会一致で第︱一条違反と判断し

た︒大法廷は︑当該政党が活動を開始する前にトルコ憲法裁判所による判決が出され︑そのために同一の規約に基づく活動ができ

なくなった途端︑党は強固な土台を失ったと指摘した︒規約に表明されていた民主主義の要請を尊重するという意思︑﹁なかでも

政治的多元主義および普通選挙および自由な政治参加﹂を尊重するという意思は︑本件を従来のプロレタリア独裁を賞賛していた

共産党のケースとはっきり区別した︒クルド問題の分離主義的な解決とはまったく違う話し合いによる解決の意思は︑人権裁判所

( 47 )  

の目には︑真に民主主義的なやり方と映る︒﹁一国の直面する問題をたとえ厄介でも対話により暴力によらずに解決すること︒

じっさいに民主主義は︑表現の自由を栄養とする︒この関係において︑政治組織は︑一国の人民の一部の運命を公然と討論しよう

とするだけで危険視されることがあってはならないし︑民主主義のルールを尊重しつつすべての関係者が満足する解決を見つけ出 関法 二 0 六

(19)

市民資格に結びつく基本権は︑選挙権および被選挙権ならびに定期的に行われる自由選挙に参加する権利という二つの観念に 従って分類される︒これには︑選挙されない公職に就く権利も加えられるべきであろう︒ただし︑もしその権利が公務員に国家の 政策施行に関与する権利を与えているとしても︑政策を決定することは原則として許されない︒というのは︑民主主義は︑公務員

を除いて︑人民の代表と代表に責任を負う者とに決定権を与えるからである︒ る ︒ すために政治組織が国家の政治と融合してもならない﹂︒

︑ 民 主 主 義 の 実 施

二 0

P ar t i  c om mu ni st e  u n i f i e   d e  Turqui

e  e t   a u t re s   c .   Turquie

車 す

仕 り

一 九

九 八

年 一

月 三

0 日判決は︑民主主義について︑﹁ヨーロッパ人

権条約が考える唯一の政治モデルであり︑したがって人権条約と両立する唯一のもの﹂であると述ぺている︒すでに

Ma th ie

u, 

Mo hi n  e t   C l e rf a

事件判決が︑民主主義が人権条約前文の文言上基本的自由の支柱の︱つであるということを強調していた︒そ

y t

こで︑ここでは︑そのような政治体制の意味を基本権との関係において示さなければならない︒第一議定書第三条は次のように規 定している︒﹁締約国は︑立法機関の選出にあたって人民の意見の自由な表明を確保する条件のもとで︑妥当な間隔をおいて︑秘 密投票による自由選挙を行うことを約束する﹂︒市民的および政治的権利に関する国際規約第二五条に保障されている政治決定に

( 48 )  

参加する権利は︑さらに包括的であり︑それはフランスの民主主義の伝統からの帰結と同様である︒

政治決定に参加する権利は当該国の領域内に継続的にいるすべての人に与えられるものではないという本質的な事実を指摘しな

( 49 )  

ければならない︒この権利は︑国家が組織する政治社会の能動的な構成員である市民︑すなわち例外を除いてその国の国籍を持っ ているはずの市民に留保された権利である︒このことは︑人の権利と市民の権利を区別する一七八九年宣言の標題がよく示してい

パトリク

1 1

ヴァクスマン﹁参加︑コミュニケーション︑多元主義﹂

︵ 八

三 一

(20)

第 五 0 巻 第 四 号

ニ・一︑選挙権と被選挙権

︵ 八

三 二

一九五八年憲法第三条は次のように定める︒﹁国民主権は人民に帰属する︒人民は主権を代表を介しておよびレフェランドムに

よって行使する︒人民のいかなる部分もまたいかなる個人も主権を行使できない︒選挙は︑憲法の定める条件において︑直接また

は間接で行う︒選挙はつねに普通および平等および秘密である︒民事上の権利および政治的権利を有する成年男女のフランス国籍

保持者はすべて法律の定める条件により選挙人である﹂︒この規定をすべての公の位階および地位および職務への平等な就任の原

則を保障する一七八九年人権宣言第六条と対照する憲法院は︑そこから次のように演繹したことがある︒﹁市民資格は︑年齢もし

くは無能力もしくは国籍という理由または選挙権者の自由もしくは被選挙者の独立を保障するという理由から市民資格を剥奪され

( 5 0 )  

る人を除くすべての人に同一の条件で選挙権と被選挙権を与える﹂︒これらの憲法的価値をもつ原則には︑国際的な次元において︑

本質的に対応するものがあるが︑それは人権委員会の解痴どョーロッパ人権委員会が同人権裁判所の承認を受けて一九七五年五月

( 52 )  

三 0 日決定以来みずからのものとしている解釈とがあるからである︒国籍保持者のカテゴリーと市民のカテゴリーが一致しない場

( 53 )  

合︑市民資格を国籍保持者に認めない理由は年齢や無能力のような客観的かつ合理的な理由に限られる︒それは︑公務員および公

務員とみなされる人に対して︑過去三年間に三ヶ月以上職務を行った選挙区から代議士に立候補することを禁止するのが正当であ

るのと同じであ蛙︒国籍に関して︑憲法院のマーストリヒト第一判痴︵が︑フランス国籍保持者以外に市町村会議員選挙やパリ議会

議員選挙に参加する権利を与える条項の批准を事前の憲法改正に服従させた︒この結論は︑﹁元老院が議会として国民主権の行使

に参加する﹂ことが考慮され︑右の議員の選挙が元老院議員選挙へ影響するという理由から支持された︒したがって︑批准前に憲

法改正が行われ︑次のように規定する第八八ー三条が憲法に追加された︒﹁相互性の留保のもとにかつ一九九二年二月七日署名さ

れた欧州連合条約に定められた方式によって︑市町村会選挙の選挙権および被選挙権は︑これをフランスに住所をもつ欧州市民に

のみ与える︒フランスに住所をもつ欧州市民は市長職または助役職を行うことはできず︑元老院議員選挙の選挙人の指名および元

老院議員の選挙に参加することもできない﹂︒改正条文の文言は︑とくに制限的で︑非国籍保持者への市民資格の開放を最小限に 関法 二 0 八

(21)

つ か

る ︒

このような原則は︑さらに家族を基準にするような複数投票をいっさい許さない︒

二 0 九 一九八二年︱一月一八日判決は︑﹁選挙権者

または被選挙権者をカテゴリーによって区別することに﹂いっさい反対する選挙人団の同質性を力強く肯定した︒かくして︑この

判決は︑ミュニシパル選挙に関して︑﹁候補者リストに同性の人を七五パーセント以上載せてはいけない﹂と定めた規定を違憲と

判断した︒ジャン

1 1

プルイによって平等よりもむしろ同一性の観念に結び付けられるー﹁市民は平等であるがゆえに同一なので

( 57 )  

はなく︑むしろその資格において定義上同一であるがゆえに乎等なのである﹂ーーこの結論によれば︑連記投票式選挙の場合に女

性に留保するクウォータを導入するためには憲法を改正しなければならないということになる︒最近ふたたび出されているこの提

案は︑フランスの政治議会に占める女性代表の比率の低さという問題の解決を可能にするであろうが︑技術的な障害︵名簿に登載

するだけでは不充分で︑当選できる順位に位置しなければならない︶や固定される比率の不可避的な恣意性︑原則的な障害︵法律

は︑市民資格という抽象的な概念に生物学的な要素を導入することができるのか?︑自然発生的に起きるべき変化を押し付けるこ

とができるのか?︑なぜそれを性に関してだけ行うのか?︑クウォータによって選出される人のポストは充分であろうか?︶にぶ

さらにここでいう政治的権利は﹁すべての政治選挙について﹂(‑九八二年︱一月一八日判決︶すなわち国政選挙︑地方公共団

体の選出議員の指名︵憲法第七二条︶に関係する︒ヨーロッパ人権条約第一議定書第三条の適用範囲は︑それとしては︑かなり限

定的である︒すなわちそれは︑﹁立法府﹂の選挙に関するにすぎない︒

Ma th ie

u , M

oh in   e t   Cl e r fa y

t

事件一九八七年三月二日判決は︑

( 59 )  

地方レベルや超国家レペルで行使される権限の多さを考えると︑この言葉が﹁しかし必ずしも国家の議会についてだけ言われるわ

けではない︒この言葉は︑当該憲法の構造に即して解釈する羽目になる﹂と述ぺている︒ただし︑大統領選挙は第三条の適用除外

( 60 )  

事項になっている︒その代わり︑市民的及び政治的権利に関する国際規約第二五条によって保障された政治決定に参加する権利は︑

広く解釈されなければならない︒人権委員会はとりわけ直接民主主義的手続をそのなかに含めている︒

パトリク

1 1

ァ ク

ス マ

ン ﹁

参 一

加 ︑

コ ミ

ュ ニ

ケ ー

シ ョ

ン ︑

多 手

元 主

義 ﹂

しようという意思を表している︒

︵ 八

三 三

(22)

第五 0 巻 第 四 号

ニ・ニ︑定期的な自由選挙に参加する権利

︵ 八

三 四

以上のように理解される立法府の指名に関連して︑市民は︑民主主義の要請に応じた選挙を行うことを要求できる︒ヨーロッパ

( 61 )  

人権委員会によれば︑﹁人民代表の考えが多数意思の根本的な発展を表すように保証すること﹂︑人権委員会によれば︑確実に﹁政

( 62 )  

府の権威が︑たえず選挙民の自由な意思表示に基づいている﹂ようにすることが問題である︒

これらの定式︑とくにヨーロッパ人権委員会の多数意思の根本的な発展への言及は︑当該条項の起草者の意図に従って︑民主主

義の本質を表現していることが注目されよう︒もともと自由な選挙の権利はヨーロッパ人権条約の条文そのものに書き込まれるは

ずであった︒イギリスが︑世論を代表しない貴族院や民意を歪める重大な効果を有する小選挙区一回投票制のような由緒ある制度

( 63 )

6 4

)  

が問題にされると怖れたために︑問題が先送りになり︑最終的に採択されたような条文になったのである︒したがって︑立法府が

選挙人団の諸傾向の多かれ少なかれ正確なイメージを与えなければならないという観念に重点が置かれているのではなく︑むしろ

政府が選挙人団の支配的な傾向を表す議会の支持に正当性の根拠を求めなければならないという点に重点が置かれているのである︒

ヨーロッパの決定機関は︑国家体制の多様性や独自性に対してとくに寛容であり︑この点に関して︑ヨーロッパ人権委員会は

( 65 )  

﹁ヨーロッパ人権条約前文において言及されている政治的伝統の共通の遺産﹂を参照している︒

したがって︑﹁ヨーロッパ人権条約追加議定書第三条は︑特定の選挙制度を義務付けるものと解釈することはできない﹂のであ

( 66 )  

り︑多数代表制も比例代表制もともに施行可能なのである︒つまり︑人民の意見の自由な表明を侵害しないということを唯一の留

保~面は理論上の留保であるーとして、選挙制度の定義に入りうる目的の多様性が条約のシステムのなかで認められている

のであるが︑それでは規範に恣意的という汚点がつくであろう︒解釈の余地がきわめて広いということを付け加えるなら︵﹁当該

選挙制度を検討する際︑その全体的な文脈を忘れることはできない﹂と

Ma th ie u‑ Mo hi ne t   Cl e r fa y

事件判決は述べている︶︑小

t

( 67 )

6 8 )

6 9

)  

選挙区一回投票制や過疎の農村地方に多くの議席を配分する意思︑すなわち少数派の立場を考慮することになる特殊な制度

1

( 7 0 ) ( 7 1 )  

家にそうする義務があるわけでもないにもかかわらず̲│ーや立候補するために一定数の署名を集めなければならない義務︑候補者 関法

二 ︱

0

参照

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