奈良バイパ ス路線敷地発掘調査概報
第 54.55,56.57次 調 査
昭和 44年 9月
奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所
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Ⅵ 第 57次 罰査地区の遺物
第 す ″家鋼 合 悠 ヒで出上 した竜 物 に虜′上 吾 く額 竜t墨 フ乾絶 陶基・ 上 節 騒
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竃上 る)・ 氏嬉貯 主爵 ぽど`の 上搬 岳 ,金属 毅盈・ 本穀 み・琢毬‑6‑
夕石製品 ′壮まび ′▼1頑てヽあ つつ`ラ木 鍮があ つっイとに
木妖 と壁累 (毛 毛̀ク リ)。 ヒョウタ レづど の植期 重体 ,鳥 の号 などがあつ。
これ ら1■
大怖 分が衆■)オ人 蹟 策標 の若ウ`ら』上 したもの く`あ っく
アとf乙後半 も`
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色土 馬のはも`′ 多なの滋紺間暴の海左7」X目 立 ってぃうぅ緑為 間 碁ぼ /ど 沙個 体 分 あつっ稜 資のも の と救 資 のもの と つヾあ リィ糀 (第又園 ひ)。 疫 続・工 (第 ユ図 工)。 綬IIL'二 足縫 (葬烹 画 θ 〉好ど の種 療 が あつ↑ 花文揉 之陰玄↓したもの か\欺η列ある 。及 給「3各,よ ュ タす纏粋各今乃 う。柩 双 耳枚ョ(霧 裁 園 ′
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核 皿・ 林 のほひフ涌払も,Iヽく まれ くしヽつっ
棄 三坊火 路 衆御 浅 出主の 上碁教 は
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琥 傷臨 奄と 上 すう か一 ア佐 紀約 齋の上吾に つつ`く算ィヾノ すなわ ち ″亡r乙ィ食羊から /つ と に前 半 にく`くす つもの であつ。径 内で`,生
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施へめ 工 るが これ│まど夕量 に 出上 したの│ま ′│よげめて であつ,今
可出上 した灰 相,gSIよ胎 上・釉・
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亡 籠 のれ めに 日常力十乙に滋相 生閑鼈 し′灰 約 宵 呂が隆 盛 し た の ほ′ /θ ピ術乙貯素ス時//亡
徳バ に勺`けて で`あ った と考 え られ てき に ゃしか し,今 回 の第 すタラス調査 の発冤 資料 によ って ′灰 約 商 番の盛期 之 ′=fζ
Aに
全力\のEちと つことを 可 含ヒにづ つた 。東 三方大路 表傾1洛で 出 上 した 上 義策 はィ◆後平学時べ の上零tと くに乾 絢 隠るの研 鬼 に密 大づ 蜀顧 之羅 態 す つで あろ う 。
氏痔
羅 風
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(路J団 3 )と
董 圏箕軒 地氏・立 電気 舞 平氏 (発 ゛函 2 )が ` あう。辱れ` ′「 壱 」のこユともつ董圏丈牽千九嵐が
/″К あつυ これ は ,難 液葛跡でつく出 上 じ′また a薗 客誅くも出上 してしヽつ民と同 斃である .薄 は′平戒参出主″
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金属投胎 参島投鵬には ,銅 参 第 ・ 時金具・▼表 0具 ・鉄 る街 ・左金興 銭金飾版・針全なた ` ん ヽ ` あつる
釧鏡 は ,和 尉踊水・ 島卑亀贅・
紳 的開 寮r睦平永賽・ 懲姦沖 磨 。ネ和‑7‑
魯 姿 。長 年火警・ 能 溢紳 賓,崇劾 永 費・ 乳卑大 寮 ′すな/1oち′ 蜜船 十二 宏 の うち,十 世能 にぞ くす う験後 の 三種 (整 邊重蜜 ・草托允人 質)之.の で`
く寸べ て 之網羅 してお1サ ン計 望少つ枚 あ ろ
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7/7の枚とがあつ .共 矩 室赤形の板 (象 表編 淘 ぃ
/卜)藤 ´影 ■
/,,♪ご 之 ′ 火焔
│ま詠彩 し ,室 な と筐持と之蓬〔えが【ゃ 下端
│と ,す締入のための央 出2つ くろ
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成 ち昧出上の本叙 涌 と此救 して そう│よつ`わ らな モ`。しり`し′下黙 の救が`多 ぃこと│よ gエ ラ てし`つυ
また
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駄 之菰 ・後方か らみ つ 近
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にみ ら く千夕式 にぞて す るもの び`大 多な 之 しの つ
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れも平威 修蘇 出上T14と 巽 な ろ煮であ つ く第2図
β〉ッ泰 和 ま尿ア個 答 倉 ある 。■ (第
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林 な こ`が ぁつっ 黒泰 とも`けにもの のraOヽ´ 寄鵞tミ派珠 左ウ`け たものが ス例 あう 。泰 器の夏 には,無
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出上 しくt\ つ。Ⅶ 完 55.56・ 57次 調査辺区出土木簡
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(夕 H丞日 現在 )の 本斎 空校』 していつ。選土木簡の主なもの 生灰下 り`
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第
2図 土器・木製品
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第 5図
瓦第
2図
第3図1・
2
灰 釉 陶 器3・ 4・
5
緑 釉 陶 器 漆 器 皿 盆57次
出土 軒 瓦57次
出土 軒 瓦3.57次
出土 鬼 瓦4.55次
出土 鬼 瓦 下57次
第 4図
銅 銭皇 朝 十 二 銭
和 同 開珠
和銅 元 年
(708) 2
高 年 通 宝天 平 宝 字
4年 (760) 3
神 功 開宝天 平 神 護 元 年
(765) 4
隆 平 永 宝延暦
15年 (796) 5
富 寿 神宝 弘 仁9年 (818) 承和昌宝 承和 2年 (335)
長 年大 宝 嘉祥元 年
(848)
8
鏡 益神 宝貞観 元 年
(359) 9
貞 観 永 宝貞観
12年 (870) 10
寛 平 大 宝延 喜 通 宝 乾 元 大 宝
ll
開通 元 費唐 、
12
元豊 通 費来 、
2年 (890) 8年 (9o8) 2年 (958)
武 徳
4年 (621)
元 豊 元 年
(1078)
平 と吾 徳 寛 延 天
とヽ
さ
つ 秋
も 深 ま り 奈 良 の 自 然 も 一 段 と 美 し く な て っ ま い り ま し た ︒ 皆 様 に は
︑ ま
す ま す 御 祥 清
の こ と と お 慶 び 申 上 し げ ま す ︒ か
ね よ て り 建 設 中 で あ り ま し た ︑ 国 道 払 号 線 奈 良 イ バ パ ス の
一 部 区 間 が こ
の た 完 び 成 し ︑ 十 月 一 日 よ り 開 通 を る み は こ び と り な ま し た ︒ 今
回 の 開 通 区 間 は ︑ 良 奈 イ バ パ ス の う ち ︑ 北 約 部 六
︑ 常 五
︵ 奈 市 良 尼 ケ 辻
町 か ら 京 都 府 相 楽 郡 木 津 町 ま で ︶ で あ り ま す が 路 ︑ 線 位 置 な ど に つ い て ︑ 奈 良 県 奈 ︑ 良 市 文 ︑ 化 財 保 護 委 員 会 な ど の ご 当 局 と 協 議 を は じ め て か
九 ら ケ 年 昭 ︑ 和 十 四 年 四 月 七
︑ 本 工 事 着 手 以 来 二 年 ニ 月 ケ
の 歳 月 を 要 し ま し た ︒
この間 関︑ 係 各 位 な らび に 二百 数十 名 に及 ぶ 用 提地 者供 の方 々の 御 理解 と御 協 力 よに り開 通 の日 を迎 るえ こと が きで 深︑ く 感謝 の意 表を す る次 第 あで り ま す︒ こ
の道 路 は︑ 更 に南
へ七 常 の建 設 工事 を残 し てお り ます
ので 引︑ き つづ き 完成 に努 力 す る所 存 であ り ます
ので ︑ 層一 御の 支 援 と御 導指 を 賜り ま す よう お願
いい た し ま す︒ 一部
開 通 にあ たり 儀略 な が ら︑ 書中 をも
てっ 御礼 申 上し げ ます
︒ 昭和
四十 六年 九 月 二十 五 日