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明治零年代後半における洋行官僚に関する一考察

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(1)

その他のタイトル Japanese Bureaucrats Returned from Western Countries : 1873‑1877

著者 柏原 宏紀

雑誌名 關西大學經済論集

巻 67

号 4

ページ 695‑710

発行年 2018‑03‑10

URL http://hdl.handle.net/10112/16867

(2)

論  文

明治零年代後半における洋行官僚に関する一考察

            柏 原 宏 紀 

1 .はじめに

 明治 6 年(1873)9 月岩倉使節団が正式に帰朝した。途中で方針を変更して進めようとし た条約改正の本交渉は断念せざるを得なかったが1)、使節団の目的は外交だけではなかった。

すなわち、西洋文物の調査というもう一つの大きな目的があり、各省から派遣された理事官 らが着実に進めて、その成果を日本に持ち帰っていた2)。新政府が西洋諸国に並び立つこと を目指していた以上、西洋諸国をモデルとして実地で学ぶことは当然のことであり、使節団 の目的はこのような方向性をよく示すものでもあった。

 五カ条の御誓文以来、新政府はこのような方針に沿って諸政策を展開し、分野により違い はあるが、多かれ少なかれ西洋を念頭に置いた近代化が進められてきた3)。そのことが、日 本の速やかな近代化の達成に少なからず関係しているとも言えるだろう。しかし、このよう

1 ) 坂野潤治「明治政権の確立」(井上光貞ほか編『日本歴史大系普及版 13 明治国家の成立』山川出版社、

1996 年)、57 ~ 63 ページ。

2 ) 大久保利謙「岩倉使節派遣の研究」(同『明治国家の形成 大久保利謙歴史著作集2』吉川弘文館、1986年)、

参照。

3 ) 拙稿「開明派官僚の登場と展開」(明治維新史学会編『維新政権の創設』講座明治維新第 3 巻、有志舎、

2011 年)、参照。

要  旨

 本論文は、日本の近代化が速やかに達成された理由を探るべく、明治初年の洋行官僚について 検討したものである。具体的には、明治零年代後半に時期を限定し、政府内各組織における洋行 官僚を抽出して表として掲げ、それらを集計して、人数や割合の変化について考察した。結果と して、当該期に洋行官僚は政府で高い価値を帯び、政府内に占める彼らの割合が、全体としても 各組織単位でも増加していたことが判明し、西洋を念頭に置いた近代化政策を進める人材が確保 されていたことが明らかになった。

キーワード:西洋化;近代化;洋行官僚;留学経験官僚;官僚制 経済学文献季報分類番号:01-12;04-20

(3)

に一般化して述べられる、近代化政策の推進はなぜ可能であったのだろうか。例えば、方向 性は確認できてもそれを実施する人材が揃わなければ、現実としては政策推進が難しい。し かも当時の官僚はまだ試験採用でもなかったから、必ずしもそのような人材が確保できてい たかは自明でない。本稿は、洋行経験のある官僚(以下、洋行官僚)に注目しながら、この 問題に関する基礎的な検討を目指すものである。

 かかる検討は、日本の近代化を考える上で必要な材料を提供するだけでなく、形成途上の 官僚制の実態解明に資する部分もあろう4)。従って、これまでも留学生を中心に洋行経験者 についての研究がしばしば進められてきたし5)、各省におけるそのような人材に関わる考察 も重ねられてきた6)。筆者も、明治初年段階での西洋化政策の担い手たる「開明派官僚」に ついて検討を加え、洋行経験者、洋学学習者、外交組織出身者などで構成される「開明派官 僚」が少ないながらも維新当初から局所的に存在し、明治 4 年夏以降に各組織に広がり、わ ざわざ名称で区別する必要がなくなって、各省の「官僚」になったことを指摘し7)、また明 治 3 年から 5 年までの政府内における洋行官僚の実態についても明らかにしてきた8)。その 意味では、本稿は「開明派官僚」の中核となった洋行官僚が、それ以降どのように展開して いるのかを、明治零年代後半を中心に検証するものでもある。

 具体的には、まず明治初年における洋行官僚について、彼らをめぐる環境も含めて概観し、

続けて零年代後半の政府各組織における洋行官僚を 1 年毎に抽出して、その動向を明らかに し、最後に数値や割合の変化を確認しながら、そのデータについて考察していきたい。

2 .明治初年の洋行官僚

 新政府発足直後から、既に政府内には洋行官僚が存在していた。幕末において少ないなが らも幕臣や諸藩士が洋行していたからである。彼らは、幕府の使節団に加わって欧米を視察

4 ) 明治初年の官僚制については、清水唯一朗『近代日本の官僚』(中央公論新社、2013 年)、鈴木淳「官 僚制と軍隊」(大津透ほか編『岩波講座日本歴史 15 近代 1』岩波書店、2014 年)などが、最近の研究 水準を示すものである。

5 ) 例えば、石附実『近代日本の海外留学史』(中央公論社、1992 年)、渡辺実『近代日本海外留学生史』上(講 談社、1977 年)、犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』(吉川弘文館、1987 年)、青山英幸「留学生と 岩倉使節団」(田中彰ほか編『「米欧回覧実記」の学際的研究』北海道図書刊行会、1993 年)などが挙 げられる。

6 ) 例えば、井上琢智「幕末・明治初期のイギリス留学生と大蔵省」(『黎明期日本の経済思想』日本評論社、

2006 年)、中村尚史『日本鉄道業の形成』(日本経済評論社、1998 年)、拙著『工部省の研究』(慶應義 塾大学出版会、2009 年)。

7 ) 前掲「開明派官僚の登場と展開」、参照。

8 ) 前掲『工部省の研究』第 8 章、参照。

(4)

に一般化して述べられる、近代化政策の推進はなぜ可能であったのだろうか。例えば、方向 性は確認できてもそれを実施する人材が揃わなければ、現実としては政策推進が難しい。し かも当時の官僚はまだ試験採用でもなかったから、必ずしもそのような人材が確保できてい たかは自明でない。本稿は、洋行経験のある官僚(以下、洋行官僚)に注目しながら、この 問題に関する基礎的な検討を目指すものである。

 かかる検討は、日本の近代化を考える上で必要な材料を提供するだけでなく、形成途上の 官僚制の実態解明に資する部分もあろう4)。従って、これまでも留学生を中心に洋行経験者 についての研究がしばしば進められてきたし5)、各省におけるそのような人材に関わる考察 も重ねられてきた6)。筆者も、明治初年段階での西洋化政策の担い手たる「開明派官僚」に ついて検討を加え、洋行経験者、洋学学習者、外交組織出身者などで構成される「開明派官 僚」が少ないながらも維新当初から局所的に存在し、明治 4 年夏以降に各組織に広がり、わ ざわざ名称で区別する必要がなくなって、各省の「官僚」になったことを指摘し7)、また明 治 3 年から 5 年までの政府内における洋行官僚の実態についても明らかにしてきた8)。その 意味では、本稿は「開明派官僚」の中核となった洋行官僚が、それ以降どのように展開して いるのかを、明治零年代後半を中心に検証するものでもある。

 具体的には、まず明治初年における洋行官僚について、彼らをめぐる環境も含めて概観し、

続けて零年代後半の政府各組織における洋行官僚を 1 年毎に抽出して、その動向を明らかに し、最後に数値や割合の変化を確認しながら、そのデータについて考察していきたい。

2 .明治初年の洋行官僚

 新政府発足直後から、既に政府内には洋行官僚が存在していた。幕末において少ないなが らも幕臣や諸藩士が洋行していたからである。彼らは、幕府の使節団に加わって欧米を視察

4 ) 明治初年の官僚制については、清水唯一朗『近代日本の官僚』(中央公論新社、2013 年)、鈴木淳「官 僚制と軍隊」(大津透ほか編『岩波講座日本歴史 15 近代 1』岩波書店、2014 年)などが、最近の研究 水準を示すものである。

5 ) 例えば、石附実『近代日本の海外留学史』(中央公論社、1992 年)、渡辺実『近代日本海外留学生史』上(講 談社、1977 年)、犬塚孝明『明治維新対外関係史研究』(吉川弘文館、1987 年)、青山英幸「留学生と 岩倉使節団」(田中彰ほか編『「米欧回覧実記」の学際的研究』北海道図書刊行会、1993 年)などが挙 げられる。

6 ) 例えば、井上琢智「幕末・明治初期のイギリス留学生と大蔵省」(『黎明期日本の経済思想』日本評論社、

2006 年)、中村尚史『日本鉄道業の形成』(日本経済評論社、1998 年)、拙著『工部省の研究』(慶應義 塾大学出版会、2009 年)。

7 ) 前掲「開明派官僚の登場と展開」、参照。

8 ) 前掲『工部省の研究』第 8 章、参照。

したり、幕府や藩が派遣する留学生となって、西洋で知識や技術を学んだりしていた9)  その内、井上馨や伊藤博文、岩下方平や寺島宗則など薩長出身者がいち早く官員となって いた10)。それに続いて、鮫島尚信、森有礼、井上勝、山尾庸三ら幕末から複数年留学して帰 国したばかりの薩長出身者と共に、馬渡俊邁、花房義質などの他藩出身洋行者、さらには西 周、田辺太一ら幕府の洋行経験者も新政府に採用されていき、洋行官僚はその数を増やして いったが、各省の奏任官以上の人数としては、明治 3 年(1870)閏 10 月段階で 30 名くらい であり、全体の 1 割を超える程度であった。その後も、政府の組織が整備されて官僚数全体 が増加していく中で、分野によって差があるものの、洋行官僚数も増えていった。前述した 通り、このような洋行官僚が「開明派官僚」の中核を占め、西洋化政策に着手していたので あった。

 勿論、幕末以降、明治になってからも一定の洋行者がいなければ、いくらこのような人材 の需要があっても、供給ができない。実際には、明治 4 年 6 月の廃藩置県まで存続していた 藩も留学生を西洋諸国に派遣していた。本稿で取り上げる洋行官僚としてはほとんど名前が 出てこないが、薩摩・長州・土佐・加賀藩などが留学生を派遣していた。何より新政府にお いては各省が視察や留学を目的として複数の官員を洋行させていたのであった。

 特にその大規模なものとして上述した岩倉使節団が挙げられる。同使節団は西洋文物の視 察も目的とし、各省官員が理事官以下、多数同行していたのであった。しかも 50 名近くの 留学生も随行していたから、極めて大規模な洋行集団であった。加えて、左院も遅れて明治 5 年 1 月にヨーロッパに視察団を派遣し、司法省も追加で同年 9 月に官員を派遣していたか 11)、その人数はさらに多くなった。各省理事官たちは調査を終えて一足先に帰国すること も少なくなかったが、使節団の正式帰朝は明治 6 年 9 月であり、この段階までに政府幹部に おける洋行経験者数が一定数増加することになったことは間違いない。

 その後、明治 6 年 12 月には政府派遣の留学生を管轄する文部省が中心となって、留学生 政策の見直しを実施した。すなわち、成果が挙がらず、悪い評判を呼んでいる留学生の情報 が日本にもたらされるようになったこともあり、一度すべての留学生を日本に呼び戻す方針 が決定された12)。結果として、明治 7 年頃に多くが帰国し、彼らの一部は官僚となったので、

9 ) 註 5 の諸文献、参照。

10) 明治初年の政府人事については、国立公文書館所蔵「官職通鑑」、修史局編『百官履歴』上・下(日本 史籍協会、1927 ~ 1928 年)、参照。また本稿では、洋行官僚の洋行・留学経験については、手塚晃編

『幕末明治海外渡航者総覧』(柏書房、1992 年)、富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補版(日 外アソシエーツ、2005 年)などを参照した。

11) 松尾正人「明治初年における左院視察団」(『国際政治』81、1986 年)、藤田正「明治五年の司法省視察 団」(『史叢』37、1986 年)。

12) 前掲『近代日本の海外留学史』第 8 章、参照。

(5)

留学経験官僚も増えていくことになった。

3 .明治零年代後半における洋行官僚

 本章では、明治 6 年から 10 年までの明治政府内における洋行経験者を抽出し、各年でそ れぞれ表にまとめて提示しながら、その動向について簡単な説明を加え、次章で行うこのデー タについての考察の前提とする。

 具体的方法としては、まずその対象について、明治政府の内、正院(太政官)、元老院、

各省使(省内各寮・各局含む)という、政府の政策形成・決定過程に大きく関わる組織に所 属する勅奏任官に限定した。現場に近い、或いは行政から離れるなどの理由から、軍部や警 察、検察、裁判官、地方官、各学校教師、修史部門などは除くこととした。

 そして、国立公文書館所蔵の「官員録」や「任解日録」、国会図書館所蔵の『職員録』な どを用いて、各年の 10、11 月頃における上記に限定した官員リストを作成して13)、対象とす る人名を明確化した。その上で洋行経験者について、『海を越えた日本人名辞典』、『幕末明 治海外渡航者総覧』などによって特定し14)、抽出することとした。その際、洋行経験者を灰 色で色塗りし、さらに留学した洋行経験者と、視察・調査など留学以外の洋行経験者を区別 すべく、前者を斜体表記で明示し、表 1 ~ 5 として掲げた。なお、洋行中の者については、

初めて洋行して集計時点で海外に滞在したままである場合は、原則として洋行経験者とは扱 わず(帰国時期と集計時点の前後が不明確な場合など洋行経験者として扱った例が若干含ま れる)、一度洋行して帰国し、再洋行で海外滞在中の場合は洋行経験者として扱った。

 まず、明治 6 年 11 月段階における洋行官僚をまとめたものが表 1 である。明治 5 年 12 月 段階と比較すれば15)、数値については次章で確認するが、色付部分の広がりを見るだけでも 全体として洋行官僚数が増えていることが明らかになる。確かに、外務省の山口尚芳、何礼 之、渡辺洪基、大蔵省の田中光顕、池田寛治、文部省の田中不二麿、中嶋永元、工部省の大 島高任、宮内省の香川敬三、東久世通禧など、多数の岩倉使節団随行者が省に戻ってきてお り、左院の西岡逾明、高崎正風、司法省の河野敏鎌、岸良兼養など、岩倉使節団より少し遅 れて派遣された視察団も順次帰国して各組織に戻っていた。また、大蔵省の大野直輔、大野 規周、文部省の市川文吉など、留学経験者も奏任官に任じられていった。

 次に明治 7 年 11 月段階における洋行官僚を示したものが表 2 である。それほど大きな変 化ではないが、洋行官僚数は少しずつ増えている。特に左院の尾崎三良、村田保、内務省の

13) 明治 3 年から 5 年までの洋行官僚データと揃えるために、当該年の 10 月から 12 月のデータにした。

14) 註 10、参照。

15) 明治 5 年 12 月段階の洋行経験者リストは、前掲『工部省の研究』288 ~ 292 ページ、参照。 

(6)

留学経験官僚も増えていくことになった。

3 .明治零年代後半における洋行官僚

 本章では、明治 6 年から 10 年までの明治政府内における洋行経験者を抽出し、各年でそ れぞれ表にまとめて提示しながら、その動向について簡単な説明を加え、次章で行うこのデー タについての考察の前提とする。

 具体的方法としては、まずその対象について、明治政府の内、正院(太政官)、元老院、

各省使(省内各寮・各局含む)という、政府の政策形成・決定過程に大きく関わる組織に所 属する勅奏任官に限定した。現場に近い、或いは行政から離れるなどの理由から、軍部や警 察、検察、裁判官、地方官、各学校教師、修史部門などは除くこととした。

 そして、国立公文書館所蔵の「官員録」や「任解日録」、国会図書館所蔵の『職員録』な どを用いて、各年の 10、11 月頃における上記に限定した官員リストを作成して13)、対象とす る人名を明確化した。その上で洋行経験者について、『海を越えた日本人名辞典』、『幕末明 治海外渡航者総覧』などによって特定し14)、抽出することとした。その際、洋行経験者を灰 色で色塗りし、さらに留学した洋行経験者と、視察・調査など留学以外の洋行経験者を区別 すべく、前者を斜体表記で明示し、表 1 ~ 5 として掲げた。なお、洋行中の者については、

初めて洋行して集計時点で海外に滞在したままである場合は、原則として洋行経験者とは扱 わず(帰国時期と集計時点の前後が不明確な場合など洋行経験者として扱った例が若干含ま れる)、一度洋行して帰国し、再洋行で海外滞在中の場合は洋行経験者として扱った。

 まず、明治 6 年 11 月段階における洋行官僚をまとめたものが表 1 である。明治 5 年 12 月 段階と比較すれば15)、数値については次章で確認するが、色付部分の広がりを見るだけでも 全体として洋行官僚数が増えていることが明らかになる。確かに、外務省の山口尚芳、何礼 之、渡辺洪基、大蔵省の田中光顕、池田寛治、文部省の田中不二麿、中嶋永元、工部省の大 島高任、宮内省の香川敬三、東久世通禧など、多数の岩倉使節団随行者が省に戻ってきてお り、左院の西岡逾明、高崎正風、司法省の河野敏鎌、岸良兼養など、岩倉使節団より少し遅 れて派遣された視察団も順次帰国して各組織に戻っていた。また、大蔵省の大野直輔、大野 規周、文部省の市川文吉など、留学経験者も奏任官に任じられていった。

 次に明治 7 年 11 月段階における洋行官僚を示したものが表 2 である。それほど大きな変 化ではないが、洋行官僚数は少しずつ増えている。特に左院の尾崎三良、村田保、内務省の

13) 明治 3 年から 5 年までの洋行官僚データと揃えるために、当該年の 10 月から 12 月のデータにした。

14) 註 10、参照。

15) 明治 5 年 12 月段階の洋行経験者リストは、前掲『工部省の研究』288 ~ 292 ページ、参照。 

1 明治6年11月 表1(明治6年11月) 正院左院外務省 大蔵省文部省教部省工部省司法省開拓使 大内史土方久元議長寺島宗則大隈重信租税六等森清蔵伊藤博文大木喬任長官 権大内史箕作麟祥副議長伊地知正治大輔大輔租税七等渋沢喜作大輔大輔宍戸璣大輔山尾庸三大輔福岡孝弟次官黒田清隆 権大内史杉浦譲二等議官西岡逾明少輔山口尚芳少輔吉田清成租税七等長岡義之少輔少輔黒田清綱少輔少輔五等出仕山内提雲 権大内史小松彰二等議官細川潤次郎少輔上野景範大丞渡辺清租税七等立田彰信大丞長炗大丞三島通庸大丞平岡通義五等出仕大鳥圭助 権大内史熊谷武五郎二等議官高崎五六大丞花房義質大丞岡本健三郎租税七等笠貞継大丞野村素介七等出仕鈴木魯大丞吉井正澄大丞河野敏鎌五等出仕西村貞陽 少内史巖谷修二等議官松岡時敏大丞宮本小一大丞林友幸租税七等横山貞秀少丞西潟訥七等出仕土持綱幸少丞大野誠少丞丹羽賢六等出仕北垣国 少内史日下部東作二等議官伊丹重賢少丞田辺太一少丞大鳥圭助租税七等星亨少督学柳本直太郎少丞竹田春風大丞渡辺驥六等出仕荒井郁之助 少内史塚本明毅三等議官大給恒少丞子安峻少丞吉田次郎租税七等川元宣長三等出仕田中不二麿六等出仕竹内正義少丞岸良兼養七等出仕馬島春 大外史中村弘毅三等議官高崎正風少丞鄭永寧三等出仕陸奥宗光租税七等市川正寧四等出仕町田久成六等出仕宇都宮三郎少丞得能良介七等出仕調所広丈 権大外史武井守正三等議官永井尚志少丞石橋政方四等出仕郷純造出納頭馬渡俊邁四等出仕相良弘庵六等出仕福原恭輔三等出仕樺山資綱七等出仕安田定則 権少外史野口常共三等議官宮島誠一郎少丞平井希昌三等出仕前島密出納助林信立五等出仕司馬盈之六等出仕石田英吉三等出仕島本仲道七等出内海利貞 権少外史井上瑞枝三等議官生田精四等出仕塩田三郎五等出仕北代正臣出納七等能勢久成五等出仕長与専斎六等出仕戸田亀之助三等出仕楠田英七等出仕金井信之 権少外史久米邦武四等議官丸岡莞爾五等出仕中山信彬六等出仕岩橋轍輔統計七等奥村尚柔五等出仕辻新次七等出仕土山盛有五等出仕中島錫胤七等出仕新宮拙蔵 三等出仕楠田英世四等議官中井弘六等出仕何礼之六等出仕坂田伯孝統計七等河北俊弼五等出仕中嶋永元七等出仕田代苗臣六等出仕早川勇七等出仕時任為基 四等出仕町田久成四等議官藤沢次謙六等出仕大原重実六等出仕竹内綱駅逓頭前島密五等出仕畠山義成七等出仕塩田真六等出仕池田弥一七等出仕折田平内 四等出仕細川潤次郎四等議官本田親雄六等出仕伊地知貞馨七等出仕深沢勝興駅逓権助山内頼富六等出仕入江文郎七等出仕加藤斌七等出仕名邨泰蔵大判官松本直温 五等出仕長松幹四等議官海江田信義六等出仕桜田親義七等出仕三守柳圃戸籍頭田中光顕六等出仕田中弘義七等出仕伊藤慎蔵七等出仕沼間守一中判官杉浦誠 五等出仕川本清一四等議官三浦安六等出仕野村靖七等出仕川路寛堂戸籍権頭郷純造六等出仕長谷川泰工学助林董七等出仕海老原穆中判官榎本武揚 五等出仕鈴木唯一五等議官北沢正誠六等出仕林有造戸籍七等松岡重美六等出仕坪井為春工学権助河野通信七等出仕芳野親義少判官長谷部卓爾 五等出仕栗本貞二郎五等議官新田義雄六等出仕柴田昌吉造幣権頭 遠藤謹助戸籍七等齋藤次郎太六等出仕河津祐之工学助村田文夫明法頭楠田英世幹事堀基 五等出仕畠山義成五等議官鈴木貫一七等出仕瀬脇光壽造幣権助久世喜弘検査頭安藤就高六等出仕田中芳男工学七等赤司欽一明法助鶴田皓幹事大山重 五等出仕作間一介五等議官横山由清七等出仕森山茂造幣助谷敬三検査助小森安治六等出仕杉山孝敏工学七等真鍋知足権大法官鷲津宣光幹事中綱紀 六等出仕堀越愛国五等議官増田長恭七等出仕広津弘信造幣権助山口忠良検査権助杉山一成六等出仕肥田昭作鉱山頭吉井亨大法官水本成美権幹事山田致人 六等出仕川北長顒五等議官中金正衡七等出仕厚東樹臣造幣四等長谷川方省検査七等坂部長照六等出仕三宅秀鉱山助大島高任中法官小原重哉 六等出仕大島貞益五等議官浅井晴文弁理公使鮫島尚信造幣六等三島為嗣検査七等大竹良平六等出仕植村長鉱山助朝倉盛明中法官荒木博臣 六等出仕関沢明清五等議官安川繁成弁理公使佐野常民造幣六等長谷川為治土木頭小野義真六等出仕田中義廉勧工助香川真一鉱山助中島佐衡宮内省 六等出仕山高信離五等議官馬屋原彰弁理公使河瀬真孝造幣七等丘秀興土木助高石和道六等出仕島邨鼎勧工権助石黒寛二鉱山権助一条基緒徳大寺実則権大侍医林洞海 六等出仕牟田口通照二等書記官重野安繹代理公使森有礼造幣七等羽太紀克土木助石井省一郎六等出仕石井信義勧工七等佐々木長鉱山権助伊東保義大輔万里小路博権大侍医竹内正信 六等出仕井上廉三等書記官細川広世代理公使柳原前光造幣七等加藤延治土木助今井兼利六等出仕桐原真節電信頭石丸安世鉱山七等津田弘道少輔吉井友実少侍医船曳清脩 六等出仕谷森真男総領事井田譲造幣七等矢島庸保土木権助羽田謹六等出仕足立寛電信権頭石井忠亮鉱山七等長野桂次郎三等出仕福羽美静少侍相良安定 七等出仕谷森善信総領事中山譲治造幣七等青木光仲土木権助平岡熈一六等出仕伴正順電信助福田重固鉄道権頭太田資政四等出仕加藤弘之侍従徳大寺実則 七等出仕阿部泰蔵二等書記官何礼之領事品川忠道造幣七等阪倉郁蔵土木五等中村孝禧七等出仕三崎嘯電信七等奥村基晴鉄道助佐藤政養大丞孫七郎侍従長東久世通禧 七等出仕林正明二等書記官矢野次郎副領事林道三郎造幣七等森信一土木七等福岡元利七等出仕木村正辞電信七等松村文亮鉄道助河口淳少丞児玉愛次郎侍従番長高島鞆之 七等出仕三田葆光二等書記官渡辺洪基副領事冨田銕之助造幣七等大野直輔土木七等小野修一郎七等出仕奥山政敬灯台頭佐藤与三鉄道助下村盛俊少丞香川敬三侍従堀河康隆 七等出仕横田香苗二等書記官中村博愛一等書記官本野盛亨造幣七等大野規周記録権頭立嘉度七等出仕坂井直常灯台権頭原隆義鉄道権助佐畑信之少丞堤正誼侍従富小路敬直 七等出仕山田時章三等書記官岡田好樹一等書記官田辺太一租税頭陸奥宗光記録助伊東武重七等出仕九鬼隆一灯台権助西牟田玄才鉄道権助田尻義隆少丞山岡鉄太郎侍従番長米田虎雄 七等出仕薗鑑三等書記官鈴木金蔵一等書記官吉原重俊租税権頭松方正義記録七等池田寛治七等出仕永松東海灯台権助長谷川嘉道鉄道権助花房端連五等出仕元田永孚侍従北条氏恭 七等出仕林直庸三等書記官小松済治一等書記官青木周蔵租税権頭中島信行紙幣頭芳川顕正七等出仕市川盛三郎製作頭平岡通義鉄道七等和田義比七等出仕八田知紀侍従東園基愛 七等出仕長沼熊太郎三等書記官長田銈太郎一等書記官中野健明租税助瓜生寅紙幣助青江秀七等出仕永田健助製作権助伊勢煥鉄道七等伊東勅典七等出仕桜井純造侍従綾小路有良 七等出仕金井之恭三等書記官志賀親朋一等書記官花房義質租税助石渡貞夫紙幣七等岸有憙七等出仕小林儀秀製作権助岡部利輔鉄道七等小野友五郎七等出仕家村幸之進侍従高城重信 七等出仕深江順暢租税権助若山儀一紙幣七等渡辺温七等出仕高木秀臣測量正河野通信鉄道七等野田益晴侍従片岡利和 七等出仕須藤時一郎租税権助古谷簡一紙幣七等小林雄七郎七等出仕伊藤圭助(清測量正村田文夫鉄道七等財満実信大侍医伊東方成侍従西四辻公業 七等出仕長森敬斐七等出仕桜井能監租税権助桜井勉国債権頭吉田次郎七等出仕前田元温測量七等室田秀雄鉄道七等安田壽隣大侍医岩佐純侍従太田左門 七等出仕木梨信一七等出仕杉亨二七等出仕永松東海少侍医高階経徳侍従山口正定 七等出仕市川文吉権大侍医伊東盛貞侍従高辻修長 ※各寮出仕は、造幣寮六等出仕を造幣六等のように、寮名官等で略記した。

(7)

2 明治7年11月 表2(明治7年11月) 正院左院外務省 内務省大蔵省文部省工部省司法省宮内省開拓使 大内史土方久元議長伊地知正治寺島宗則大久保利通勧業権河瀬秀治大隈重信租税権助長岡義之伊藤博文大木喬任徳大寺実則長官黒田清隆 権大内箕作麟祥副議長佐々木高行大輔大輔勧業助古谷簡一大輔租税権助立田彰信大輔田中不二麿大輔山尾庸三大輔山田顕義大輔万里小路博次官 権大内巖谷修二等議西岡逾明少輔山口尚芳少輔勧業助岩山敬義少輔租税権助横山貞秀少輔少輔少輔少輔杉孫七郎五等出仕山内提雲 少内史日下部東作二等議細川潤次郎大丞花房義質大丞村田氏壽勧業六田中芳男大丞熊谷武五郎租税権助星亨大丞野村素介大丞吉井正澄大丞青山貞大丞香川広安五等出仕田中綱紀 少内史塚本明毅二等議高崎五六大丞宮本小一大丞杉浦譲勧業七佐々木長大丞郷純造租税七等市川正寧大丞小松彰大丞芳川顕正少丞丹羽賢少丞児玉之修五等出仕荒井郁之助 権少内金井之恭二等議松岡時敏大丞森有礼大丞前島密勧業七富田冬三大丞得能良介租税七等宍戸昌少丞九鬼隆一少丞大野誠大丞渡辺驥少丞堤正誼五等出仕大山重 権少内野口常共二等議伊丹重賢大丞塩田三郎大丞河瀬秀治勧業七青山純大丞遠藤謹助租税七等柳谷謙太郎少丞畠山義成少丞林董少丞早川勇少丞山岡鉄太郎六等出仕時任為基 大外史中村弘毅二等議岩村通俊大丞宗重正大丞林友幸警保権村田氏壽少丞岩橋轍輔租税七等小池国武四等出長与専斎少丞福原恭輔六等出仕桜井直養三等出仕福羽美静七等出仕馬島春庭 権大外作間一介三等議大給恒少丞子安峻少丞新田義雄警保六石井邦猷三等出松方正義租税七等渡辺牧太五等出辻新次六等出石田英吉七等出仕名邨泰蔵四等出仕加藤弘之七等出仕内海利貞 少外史谷森真男三等議高崎正風少丞石橋政方少丞武井守正警保七西村亮吉五等出大江卓租税七等笠貞継五等出中嶋永元七等出田代苗臣七等出仕井上毅五等出仕元田永七等出仕金井信之 権少外井上瑞枝三等議永井尚志少丞平井希昌少丞松平正直戸籍頭杉浦譲五等出立嘉度租税七等林正明六等出入江文郎七等出仕原田種成六等出仕桜井純造七等出仕新宮拙蔵 権少外久米邦武三等議宮島誠一郎四等出田辺太一少丞北代正臣戸籍権船越衛五等出関義臣租税七等阪井保佑六等出肥田昭作工学権小林雄七郎七等出仕吉永成徳六等出仕津田信弘七等出仕折田平内 権少外横田香苗三等議生田精五等出中山信彬五等出何礼之戸籍権村上政養六等出土山盛有出納頭馬渡俊邁六等出三宅秀工学七赤司欽一七等出仕藤田高之七等出仕八田知紀七等出仕八木下信之 権少外山田時章四等議藤沢次謙五等出野村靖五等出岩村高俊駅逓頭前島密六等出坂田伯孝出納助林信立六等出内村良蔵工学七加藤斌七等出仕古荘嘉門七等出仕赤星研三七等出仕小牧昌業 権少外藤田健四等議海江田信義六等出大原重実六等出平岡熈一駅逓権山内頼富七等出深沢勝興出納助能勢久成六等出桐原真節鉱山頭吉井亨七等出仕高木秀臣七等出仕竹内節七等出仕柳田友卿 権少外牟田口元学四等議三浦安六等出柴田昌吉六等出坂部長照駅逓権真中忠直七等出川路寛堂出納権助与倉守人六等出足立寛鉱山助大島高任七等出仕和田八之進大侍医伊東方成大判官松本十郎 四等出町田久成四等議尾崎三良六等出森山茂六等出山田武甫駅逓七塚原周造七等出佐伯惟聲統計権頭深江順暢六等出永松東海鉱山助朝倉盛明明法頭楠田英世大侍医岩佐純中判官杉浦誠 五等出長松幹四等議牟田口通照六等出長田銈太六等出伊地知貞馨土木頭林友幸七等出北村泰一統計七等河北俊弼六等出小林儀秀鉱山助中島佐衡明法権頭鶴田皓権大侍医伊東盛貞中判官長谷部卓爾 五等出川本清一四等議井上廉七等出瀬脇光壽六等出前山清一郎土木権石井省一郎七等出天野仙輔統計七等山下正辰七等出三崎嘯鉱山権一条基緒大法官水本成美権大侍医林洞海少判官堀基 五等出鈴木唯一四等議横山由清七等出広津弘信七等出浅井晴文土木権小野修一郎七等出河鰭齊統計七等小島永貞七等出奥山政敬鉱山権伊東保義権大法官鷲津宣光権大侍医竹内正信少判官西村貞陽 五等出栗本貞二郎五等議北沢正誠七等出古沢経範七等出西村亮吉土木権岩田三蔵七等出大谷靖検査頭安藤就高七等出市川盛三鉱山権津田弘道権大法官平賀義質少侍医高階経徳幹事調所広丈 六等出堀越愛国五等議増田長恭七等出島田胤則七等出桃井宣三地理頭杉浦譲七等出川元宣長検査助南部広矛七等出永松東海鉱山六狛林之助中法官荒木博臣少侍医船曳清脩幹事安田定則 六等出重野安繹五等議中金正衡特命全鮫島尚信七等出池田寛治地理五桜井勉七等出岩崎小二郎検査権助杉山一成七等出馬込為助鉱山七長野桂次郎中法官小原重哉少侍医相良安定 六等出川北長顒五等議馬屋原彰特命全榎本武揚七等出岡谷繁実地理五村田文夫検査五等橋本安治七等出諸葛信澄鉄道頭井上勝権中法官長野文炳侍従長徳大寺実則 六等出大島貞益五等議依田董特命全河瀬真孝七等出岡田好樹地理五塚本明毅造幣権石丸安世検査七等大竹良平七等出萩原三圭鉄道権太田資政侍従長東久世通禧 六等出阿部泰蔵五等議矢島直方特命全柳原前光七等出林茂平地理六室田秀雄造幣権久世喜弘検査七等海老原和一七等出渡辺温鉄道助佐藤政養侍従堀河康隆 六等出田中芳男五等議長森敬斐特命全青木周蔵七等出森醇地理七福岡久造幣権大野直輔記録頭熊谷武五郎七等出秋山恒太郎鉄道助竹田春風侍従富小路敬直 六等出関沢明清五等議矢田堀鴻特命全吉田清成七等出木梨精一郎地理七宮島信吉造幣四長谷川方省記録五等伊東武重七等出島田泰夫鉄道助瓜生寅侍従番長米田虎雄 六等出山高信離五等議桜井能監特命全上野景範七等出国貞廉平地理三水野行敏造幣六三島為嗣記録七等神山聞五等教市川盛三鉄道権佐畑信之侍従北条氏恭 六等出杉亨二五等議村田保弁理公使佐野常民造幣六長谷川為治記録七等本田親英一等教穎川重寛鉄道権田尻義隆侍従東園基愛 七等出谷森善信五等議紅林武治総領事中山譲治造幣六豊原百太郎記録七等小菅揆一鉄道権花房端連侍従綾小路有良 七等出安川繁成五等議原忠順総領事河瀬真孝造幣七丘秀興記録七等吉田二郎鉄道権飯田俊徳灯台頭佐藤与三侍従片岡利和 七等出三田葆光五等議浦春暉領事品川忠道造幣七羽太紀克紙幣頭得能良介教部省鉄道六財満実信灯台権頭原隆義侍従西四辻公業 七等出薗鑑五等議秋月胤永領事福島九成造幣七加藤延治紙幣権頭渡辺弘鉄道七伊東勅典灯台権助西牟田玄才侍従太田左門 七等出林直庸一等書本田親雄領事中村博愛造幣七矢島庸保紙幣権助一川研三大輔宍戸璣鉄道七小野友五郎灯台権助長谷川嘉道侍従山口正定 七等出長沼熊太郎二等書細川広世副領事林道三郎一等書吉田次郎造幣七青木光仲紙幣助須藤時一郎少輔黒田清綱鉄道七野田益晴製作頭平岡通義侍従高辻修長 七等出小河一敏三等書太田卓之副領事冨田銕之二等書桜田親義造幣七阪倉郁蔵紙幣助岸有憙大丞三島通庸鉄道七安田壽隣製作権頭香川真一侍従森寺常徳 三等書紅林武治副領事高木三郎二等書矢野次郎造幣七森信一紙幣助矢島作郎六等出鈴木魯鉄道七頴川君平製作助高石和道 三等書北川泰明副領事安藤太郎二等書市川文吉造幣七大野規周紙幣権助田口太郎七等出土持綱幸電信頭芳川顕正製作権助伊勢煥 一等書本野盛亨二等書品川弥二郎造幣七足立太郎紙幣七等日下義雄七等出足立正聲電信権石井忠亮製作権助羽田均 一等書中野健明三等書鈴木金蔵租税頭松方正義国債頭郷純造電信助福田重固製作六等岡部利輔 一等書花房義質三等書志賀親朋租税助石渡貞夫国債助齋藤次郎太電信権奥村基晴製作六等宇都宮三郎 一等書鄭永寧三等書厚東樹臣租税助吉原重俊国債六等土山盛有電信七石丸源作製作六等渡辺蒿蔵 一等書渡辺洪基三等書鈴木貫一租税助若山儀一国債七等松岡重美電信七原田隆造製作七等藤本盤蔵 一等書平井希昌三等書本間清雄 ※書記官は書記と略記した。  ※特命全権公使は特命全権と略記した。 ※地理寮三等少技監は地理三等と略記した。 ※各寮出仕は、勧業寮六等出仕を勧業六等のように、寮名官等で略記した。

参照

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