消費者仲裁のADRとしての可能性
著者 吉田 史晴
雑誌名 同志社政策科学研究
巻 5
ページ 213‑231
発行年 2004‑02‑10
権利 同志社大学大学院総合政策科学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004780
あらまし
消費者を取り巻く環境は、1968 年の消費者保 護基本法制定以降大きく変化している。特に、わ が国の経済システムに、市場メカニズムを積極 的に取り入れる「規制緩和」が重要な政策課題と なった 1995 年は大きなターニング・ポイントで ある。規制はプレ規制緩和時代の国家による「事 前規制」から、規制緩和時代は「事後チェック」
へとシフトした。換言すれば、「法の支配」から
「私的自治」への移行である。それとともに、消 費者保護政策も消費者政策に転換することと なった。消費者政策には、自己責任原則と市場原 理に立つ自由で公正な経済社会の主役たる消費 者が、自身の安全と契約の公正さを確保するた めの、「私的自治」システムの確立が求められる ようになった。
これに対する政策の一つとして、仲裁、ADR
(裁判外紛争解決 Alternative Dispute Resolution の 略)を視野に入れた司法制度改革が挙げられよ う。消費者が自身の力で被害を救済していくた めに、司法制度改革は重要である。1999 年7月 から 2001 年6月にかけて行われた司法制度改革 審議会の『司法制度改革審議会意見書− 21 世紀 の日本を支える司法制度−』の中には仲裁、ADR は独立して言及され、それを受け、内閣に設置さ れた司法制度改革推進本部(2002 年 12 月設置)
においても仲裁検討会、ADR 検討会として議論 が現在も進行中であり、2003 年7月 25 日には新 仲裁法が成立した。
本論文では、先ず、現在の紛争解決システムの
中で消費者がおかれている立場を分析し、ADR の有用性に言及する。次に、司法制度改革推進本 部の仲裁検討会が新仲裁法制定の過程で 2002 年 8月に制作・公表した「仲裁法制に関する中間と りまとめ」のなかで、消費者政策に関する部分
「第2編、第4、[4]消費者保護に関する特則に ついて」とそれに対する各界の意見を概観し、消 費者仲裁はいかにあるべきかを考察する。
1.はじめに
消費者を取り巻く環境は、1968 年の消費者保 護基本法制定以降大きく変化している。特に、わ が国の経済システムに、市場メカニズムを積極 的に取り入れる「規制緩和」が重要な政策課題と なった 1995 年は大きなターニング・ポイントで ある。規制はプレ規制緩和時代の国家による「事 前規制」から、規制緩和時代は「事後チェック」
へとシフトした。換言すれば、「法の支配」から
「私的自治」への移行である。それとともに、消 費者保護政策も消費者政策に転換することと なった。消費者は法システム1が事業者を規制
(いわゆる「取り締まり行政」とよばれるもの)す ることによって生じる反射的利益を享受するも のから、自らが自己責任に基づき積極的に法シ ステムや事業者に働きかけ自己の利益を実現す るものへの変化を迫られた。そして、消費者政策 には、自己責任原則と市場原理に立つ自由で公 正な経済社会の主役たる消費者が、自身の安全 と契約の公正さを確保するための、「私的自治」
1 法システムとは、ある社会集団において、法規範に基づく根拠付けによって社会秩序のあり方を規制するためのもの、もろもろ の制度化された仕組みの複合をいう。六本佳平『法社会学』有斐閣,1986 年,125 頁より。
消費者仲裁のADRとしての可能性
吉 田 史 晴
2 司法制度改革審議会『司法制度改革審議会意見書−21世紀の日本を支える司法制度−』2001年,35頁〜38頁http://www.kantei.go.jp/
jp/sihouseido/report/ikensyo/pdf-dex.html(2004. 1確認)。
システムの確立が求められるようになった。
これに対応する消費者政策の一つとして、仲 裁、ADR を視野に入れた司法制度改革が挙げら れよう。消費者が自身の力で被害を救済してい くために、司法制度改革は重要である。しかし、
消費者側には、ADR、特に、仲裁は裁判を受ける 権利の剥奪に繋がるのではないかとの危惧があ り、また、事業者側には、一般に時間的・金銭的 コストがかかると思われている裁判の存続が、
消費者問題に対する交渉を有利に進められるの ではないかとの思惑が存在する。この消費者の 危惧と事業者の思惑が不幸にも一致したことが、
仲裁、ADR がわが国に根付かない−司法制度改 革の立ち後れの−一因であると考えられる。
1999年7月から2001年6月にかけて行われた 司法制度改革審議会の『司法制度改革審議会意 見書− 21 世紀の日本を支える司法制度−』(以 下、『最終意見書』と称す)の中にも仲裁、ADR は独立して言及され2、それを受け、内閣に設置 された司法制度改革推進本部(2002年12月設置)
においても仲裁検討会、ADR 検討会として議論 が現在も進行中である。そして、2003 年7月 25 日には新仲裁法が成立した。
本論文では、先ず、現在の紛争解決システムの 中で消費者がおかれている立場を分析し、ADR は消費者の危惧する以上に有用であることに言 及する。次に、仲裁機関の現状から現在の仲裁制 度の問題点を考察する。そして、その問題点を克 服すべく活動している司法制度改革推進本部の 仲裁検討会が新仲裁法制定の過程で 2002 年8月 に制作・公表した「仲裁法制に関する中間とりま とめ」のなかで、消費者政策に関する部分「第2 編、第4、[4]消費者保護に関する特則につい て」とそれに対する各界の意見を概観し、消費者 仲裁はいかにあるべきかを考察する。
2.消費者をとりまく環境
2.1 消費者問題の現状と消費者の実態
全国の消費生活センター、国民生活センター、消費者団体が1年間に受け付ける相談の件数は 毎年増え続け 2000 年度には、75 万件を突破した
(図1)。最近十年で見ると、前年度対比で 10%
を超える年も珍しくはない。しかし、それも「氷
◆
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◆ ◆
◆
◆
件
91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 800,000
700,000 600,000 500,000 400,000 300,000 200,000 100,000 0
392,760
434,086 448,274 510,566 577,863 611,154
626,640 684,369
757,091
356,852
国民生活センター『第 32 回国民生活動向調査』より 図1 相談件数の推移
3 内閣府『苦情処理・裁判外紛争解決のありかたについて』1頁。http://www.consumer.go.jp/info/shingikai/bukai11/shiryo1.pdf(2003.
4 . 1確認)
山の一角」で、国民生活動向調査によれば苦情の 申し出先に消費生活センターと答えたものは3
%前後、消費者団体と答えた者は、1%に満たな い(図2)。
また、総理府による「消費者問題に関する世論 調査」によっても、商品・サービスに不満があっ た場合の苦情の申し出先に、消費者センター・国 民生活センターと回答した消費者は1.5%、また、
消費者団体との回答は0.9%であった。逆に、「申 し出なかった」との回答が68.7%も及んだ。同調 査によれば、申し出なかった理由で最も多かっ たのは、「面倒だからあきらめた」47.7%であっ
た。以下、順に、「苦情を申し出るほどの損害で はなかった」40.4%、「苦情を申し出ても解決し ないと思った」25.8%、「時間がかかるからあき らめた」11.0%、「どこに申し出たらよいのかわ からなかった」10.8%、「自分にも不注意な点が あった」5.1%、「その他」2.4%、「わからない」1.5
%、「お金がかかるからあきらめた」1.3%との結 果となっている(複数回答)。
また、消費者相談を被害額でみると、被害額 100 万円以下が全体の 8 割以上を占めている(表 1)。
ここから、以下のことが言える。消費者問題の 60.0%
44.1%
46.5%
44.7%
47.7% 49.0%
26.2%
29.9%
27.6%
29.2%
29.5%
17.4%
17.0%
17.8%
20.1%
17.6%
4.0% 2.1% 2.4% 2.9% 3.4%
0.1% 0.2% 0.3% 0.8% 0.2%
50.0%
40.0%
30.0%
20.0%
10.0%
0.0%
97年 98年 99年 2000年 01年
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◆
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■ ■
▲
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▲ ▲
▲
× × × × ×
* *
* *
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×
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申し出率 販売店
・セールスマン メーカーに直接 消費生活センター など
消費者団体
国民生活センター『第 32 回国民生活動向調査』より 図2 苦情の申し出率の時系列推移
金額 既支払者
計 126,473人 374,857人 501,330人 100.00%
1億円以上 33人 129人 162人 0.03%
10,000,000円〜99,999,999円 2,328人 7,749人 10,077人 2.01%
1,000,000円〜9,999,999円 14,043人 57,368人 71,411人 14.24%
100,000円〜999,999円 39,520人 178,473人 217,993人 43.48%
10,000円〜99,999円 44,464人 93,621人 138,085人 27.54%
1,000円〜9,999円 21,099人 30,066人 51,165人 10.21%
〜999円 4,986人 7,451人 12,437人 2.48%
契約者 計 全体に
占める割 表1 消費者生活相談における消費者被害額の現状(平成 13 年度)
内閣府『苦情処理・裁判外紛争解決のありかたについて』3より
4 第 28 回〜第 32 回国民生活動向調査から集計。
5 内閣府『平成 14 年国民生活モニター調査(消費者問題における ADR(裁判外の紛争解決)に関する意識調査)』12 頁。
大半は被害額100万円以下で、それは年を追う毎 に増加し続ける傾向にあり、それに対し、消費者 の多数は、面倒であることや被害の少額を理由 に、また、最初から解決を当てにせずどこにも苦 情・相談その他を申し出ない。そして、たとえ申 し出たとしても、その先は販売店・セールスマ ン、メーカーといった関係者であり、第三者に対 して判断を求める消費者はほんの僅かしか居な い。
一方、ここ数年の国民生活動向調査4では、「苦 情を申し出てその結果に納得した割合」は 50%
前後を推移しており、ここから、消費者がたとえ 申し出たとしても必ずしも満足するとは限らな いといった現状も存在する(図3)。
2.2 ADR に対する消費者の希望
しかし、消費者のほとんどが第三者(ADR = 消費生活センター、国民生活センター、消費者団 体等)に苦情を申し出ないからといって、それに ニーズがないというわけではない。『平成14年度 国民生活モニター調査』5によれば、5人に1人
(18%)の消費者がトラブルに巻き込まれた場合
「第三者の関与を求めたいと思ったことがある」
と答えている。また、これらの消費者のうち実際 に第三者に関与を求めた消費者が 60%いる。残 りの「第三者の関与を求めたいと思ったが求め なかった」40%の消費者はその理由として、「ど こに連絡すればよいのかわからなかった」(30
%)、「それほどの問題ではなかった」(18%)、「時 間がかかる」(17%)、「第三者がどういう人かわ からず不安」(12%)、「費用がかかる」(11%)を 挙げている。
ここから、消費者にニーズがないわけではな く、消費者トラブルに対応する ADR が消費者に とって馴染みが薄く、当然、それに関わるコスト も不明であることから利用に踏み切れていない 現状が伺える。
では、いかなる ADR が消費者のニーズに合致 するのか。
2.2.1 交渉による和解の条件
消費者トラブルで典型的に問題となるのは、
係争利益をどのように分配するかについて合意 が得られない場合である。例えば、消費者が事業 者に対し契約義務の履行を求める場合において は、係争利益は消費者が履行された場合に見込 む利益であろう。交渉において、当事者はお互い 自己利益を追求し、係争利益のシェアを奪い合 う。しかし、交渉が成立せずに訴訟に進んだ場 合、訴訟費用が高価で、そのために係争利益の一 部が失われてしまう。そのため、当事者は分割さ れるべき係争利益、当事者の要求に加えて、訴訟 に進んだ場合の係争利益の一部の損失までをも 加味し交渉に挑まねばならない。
単純化するために以下では金銭請求の場合を 考える。消費者にとっての判決の期待利益をVcJ 60.0% 55.9%
53.4% 53.9%
50.6% 52.5%
50.0%
40.0%
30.0%
20.0%
10.0%
0.0%
97年 98年 99年 00年 01年
◆
◆ ◆ ◆ ◆
第 28 回〜第 32 回国民生活動向調査から集計 図3 苦情を申し出てその結果に納得した割合
6 今のところ、わが国においては弁護士費用は各自負担が原則であるためこのような式が成り立つ。
とし、事業者にとっての判決の期待損失をVbJと する。消費者にとっての期待判決額をJcとし、事 業者にとっての期待判決額をJbとする。さらに、
消費者にとっての判決費用をCcJとし、事業者に とってのそれを CbJ とする。同様に、消費者に とっての交渉による期待利益、期待交渉額、交渉 費用をそれぞれVcS、Sc、CcSとし、事業者にとっ ての交渉による期待損失、期待交渉額、交渉費用 をそれぞれ VbS、Sb、CbS とする。すると、消費 者と事業者それぞれにとっての判決の価値と交 渉の価値は次のように表すことが出来る6。
VcJ=Jc-CcJ VbJ=Jb+CbJ VcS=Sc-CcS VbS=Sb+CbS
したがって、消費者と事業者の両者が交渉に 入る条件は、
VcJ ≦ VcS かつ VbJ ≧ VbS となる。書き換えると、
Jc-Sc ≦ CcJ-CcS かつ CbS-CbJ ≦ Jb-Sb となり、他の要素が一定であるとすれば、消費者
の期待交渉額が期待判決額に近いほど、そして、
判決と交渉とで費用に差が大きいほど交渉に入 るインセンティブが大きくなることがわかる。
また、事業者の場合はそれぞれ逆となる。交渉に よる和解によって和解額Sが決定するが、交渉に よる和解が成立するためには次の条件を満たさ ねばならない。
Jc-CcJ+CcS ≦ S ≦ Jb+CbJ-CbS
したがって、消費者にとっての期待判決額と交 渉費用が小さく、裁判費用が大きいほど、そし て、事業者にとっての期待判決額と裁判費用が 大きく、交渉費用が小さいほど、和解額S のとり うる範囲が広くなり、交渉の余地が広くなる。
2.2.2 消費者の紛争処理における行動 のシミュレーション
以上の結果から、交渉費用に比較して期待判 決額が小さいときには、消費者は紛争を訴訟に まで発展させることはないであろう。さらに具 体的な費用を入れて、消費者の紛争処理におけ る行動をシミュレートし検討すると以下のよう なことがわかる。
ADR が整備されていない現在、消費者が紛争
交渉
−¥1000
訴訟 和解
和解
勝訴30%
−¥160000
¥1000000
50%−¥112000
¥700000
交渉せず
¥0
30% 70%
¥300000
−¥100000
和解せず
敗訴 70%
¥0
50%
−¥100000
図4 消費者の紛争処理における行動のシミュレーション
7 弁護士に対する着手金が(日本弁護士連合会の報酬等基準規程第 17 条第1項)、 1,000,000 円×8 % = 80,000 円。
裁判手数料が(民事訴訟費用等に関する法律第3条)、 300,000 円÷ 50,000 円× 500 円= 3,000 円
700,000 円÷ 50,000 円× 400 円= 5,600 円 の合計 8,600 円。
その他実費(印紙代、通信費、旅費交通費、鑑定費用、戸籍謄本、登記簿謄本交付手数料など)を加え概算し、100,000 円とした。
8 日本弁護士連合会の報酬等基準規程第 17 条第1項による。
1,000,000 円× 16%= 160,000 円
9 前掲(注 .11)と同様。
700,000 円× 16%= 112,000 円
処理をする場合にたどるプロセスは図4のよう になると考えられる。
訴訟を提起するには、消費者はたいていの場 合弁護士に依頼することになる。さらに、裁判所 に手数料を支払わなければならない。消費者が 合理人であるならば、訴訟を提起するか否かの 意志決定をする際に、訴訟提起の費用と法的請 求権の期待値とを比較する。この場合、法的請求 権の期待値は、訴訟提起後に裁判がどのように なるかについての消費者の予測によって決まる。
訴訟を提起するか否かの決定のためには、合理 的消費者は図4のプロセスの各々にそれが起こ る確率とそれによって得られる利益(利得)とを 付与しなければならない。今、仮に、弁護士の支 援の下に消費者が、図4に示したような確率値 と利得の値を付与できたとする。
図4によれば、訴訟上の和解まで進み和解し なかった消費者には、判決まで進むと 100,000 円 の 費 用 が か か る と す る7。 判 決 で 消 費 者 が 1,000,000円の勝訴を勝ち取る確率は30%であり、
敗訴する確率は 70%である。また、勝訴した場 合は、弁護士に支払う報酬金として 160,000 円の 費用がかかる8。よって、判決期待値は、
0.3 ×(1,000,000 円− 160,000 円)+ 0.7 × 0 円
− 100,000 円= 152,000 円 となる。
同様に、直接交渉による和解が成立しなかっ た 消 費 者 に は 、 訴 訟 を 提 起 す る の に 同 様 に 1 0 0 , 0 0 0 円の費用がかかるとする。消費者が 700,000円で訴訟上の和解が成立する確率は50%
であり、成立しない確率は50%である。また、和 解が成立した場合は、弁護士に支払う報酬金と して 112,000 円の費用がかかり9、成立しなかっ た場合は判決まで進むことになるが、その期待 値は上記計算の通り 152,000 円である。よって、
訴訟上の和解期待値は、
0.5×(700,000円−112,000円)+0.5×152,000
円− 100,000 円= 270,000 円 となる。
同じように、直接交渉による和解の期待値を 求めると、消費者が弁護士などを使わず費用を 1,000 円だけ費やしたとし、直接交渉による和解 によって300,000 円得られる確率は70%、交渉が 決裂する確率が 30%、決裂した場合、訴訟上の 和解期待値は上の計算の通り270,000円であるか ら、
0.7 × 300,000 円+ 0.3 × 270,000 円− 1,000 円=
290,000 円 となる。
以上のことから、合理的消費者は図4のよう な紛争処理のプロセスをたどる場合、その期待 値が最も大きくなる直接交渉による和解を選択 することとなる。
2.2.3 ADR を置いた場合の行動のシ ミュレーション
ADRが整備された場合、上記(⇒2.2.2)の 消費者の行動ははどう変化するかを考察するた めに図5のようなシミュレーションを考えてみ る。図4の交渉と訴訟の間に ADR を挿入したも のである。
図5によれば、図4と同様で判決期待値は、
0.3 ×(1,000,000 円− 160,000 円)+ 0.7 × 0 円
− 100,000 円= 152,000 円 となる。
また、訴訟上の和解の期待値も、図 4 と同じ、
0.5×(700,000円−112,000円)+0.5×152,000 円− 100,000 円= 270,000 円
となる。
ADR 期待値は、ADR に 10,000 円の申立手数料 がかかり、ADRによって500,000円で和解が成立 する確率が 7 0 %、その場合成立手数料として
10 ここでは京都弁護士会仲裁センターの申立手数料、期日手数料、成立手数料をモデルとした。
弁護士会が主催する ADR にかかる費用は各弁護士会により決められており一律ではない。
京都弁護士会仲裁センターの各手数料は以下の通り。
申立手数料 10,000 円
成立手数料 100 万円以下の場合8%
100 万円を超え 300 万円以下の場合5%+3万円 300 万円を超え 3,000 万円以下の場合1%+ 15 万円 3,000 万円を超える場合 0.5%+ 30 万円
を、申立人・相手方が半額ずつ負担する。
20,000 円かかり10、30%の確率で和解が成立しな かった場合、訴訟上の和解の期待値は 270,000 円 であるから、
0.7 ×(500,000 円− 20,000 円)+ 0.3 × 270,000 円− 10,000 円= 407,000 円
となる。
そして、直接交渉による和解の期待値を求め ると、消費者が弁護士などを使わず費用を 1,000 円だけ費やしたとし、直接交渉による和解に よって300,000円得られる確率は70%、交渉が決 裂する確率が 30%、決裂した場合、ADR 期待値 は上の計算の通り 407,000 円であるから、
0.7 × 300,000 円+ 0.3 × 407,000 円− 1,000 円=
331,100 円 となる。
以上のことから、図5のように紛争処理のプ ロセスに ADR を挿入した場合、その期待値が最 も大きくなるものは、ADR となり合理的消費者 はこれを選択することとなった。
2.3 小括− ADR に対する消費者の希望−
以上に述べたように、それぞれのプロセスに おける期待値が最高となるものを合理的消費者 は選択するが、実際の消費者にはそれぞれの生 起率を予想することは難しい。消費者が生起率 をそのコストに見合った以上と予想した場合、
紛争処理は高度なものを要求することとなる。
逆に、消費者がそれを低く予想した場合は事業 者との直接交渉や、そこまでも進まず「泣き寝入 り」することとなる。
現状のわが国においては、消費者は前述(⇒2 . 2)したように時間的・金銭的コストがかかる ことを理由にトラブルの解決を第三者に依頼す ることを「それほどの問題ではなかった」と回答 していることから、生起率を低く予想している と考えられる。現実にも、消費者は「ADR 利用 に際し望むものは何か」とのアンケートで時間
交渉
−¥1000
訴訟 和解
和解
50%−¥112000
¥700000
¥0
30% 70%
¥500000
−¥100000 −¥20000
ADR 和解
30% 70%
−¥100000
¥100000
和解せず
勝 30%
−¥160000
¥1000000 負
70%
¥0
50%
−¥100000
図5 ADR を置いた場合の行動のシミュレーション
11 内閣府前掲(注 .3)30 頁。
1位〜3位まで順位を付けた上で、1位の回答を3ポイント、2位2ポイント、3位1ポイントとし、合計。
12 小山昇著『仲裁法[新版]』有斐閣,1998 年,7頁〜8頁。
13 小島武司・伊藤眞編『裁判外紛争処理法』有斐閣,1998 年,6頁。
14 小島武司著『ADR・仲裁法教室』有斐閣,2001 年,86 頁。
15 弁護士会の仲裁センターの名称は「仲裁センター」、「あっせん・仲裁センター」、「民事紛争処理センター」等と区々である。本 論文に於いては「仲裁センター」で統一する。
的・金銭的コストの軽減を要望する回答がその 1位2位3位を占める(図6)11。
よって、ADR はシミュレーションからも現実 の面からも、消費者にとって低コストであるも のが望まれていると言えよう。では、現在の ADR、特に、本論文で問題とする仲裁機関の現状 はどうなっているか、以下に見ることにする。
3.仲裁機関の実情
仲裁制度の振興を図るためには、自己が行う 仲裁手続を定める規則を制定し、それを当事者 が手続規則として採用することを期待し、当事 者間に手続合意が存在しない場合に備えて手続 モデルをあらかじめ用意しているような常設仲 裁機関12を設置し、その整備・拡充を図るのが合 理的である13。なぜなら、こうした装置は、仲裁 手続の法制と予測可能性を確保することに役立 ち、また、法的予防作業の手間を省くことになる からである14。
3.1 わが国の主な常設仲裁機関
現在、わが国には以下のような常設仲裁機関 がある(( )内は 2000 年度の仲裁受理件数、仲 裁判断件数)。
①公害等調査委員会(0件、0件)
②労働委員会(13 件、14 件)
③船員労働委員会(0件、0件)
④中央(都道府県)建設工事紛争審査会(中央:
8件、8件 都道府県:29 件、35 件)
⑤日本海運集会所(TOMAC)(15 件、14 件)
⑥不動産適正取引推進機構(0件、0件)
⑦指定住宅紛争処理機関(0件、0件)
⑧国際商事仲裁協会(JCAA)(9件、6件)
⑨日本知的財産仲裁センター(旧 工業所有 権仲裁センター)(1件、1件)
⑩弁護士会の仲裁センター15(仲裁判断件数24 件)
上記、常設仲裁機関の内、特徴的な2つの仲裁 機関−弁護士会の仲裁センターと中央(都道府
迅速に解決できる
0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500
(ポイント)
費用が少ない 手続が簡便である 専門的な助言等が受け付けられる 非公開性 解決策の内容 中立的立場である 解決までのプロセス 情報が公開されている その他 無回答
内閣府『苦情処理・裁判外紛争解決のありかたについて』より 図6 ADR に望むものは何か
16 17ヶ所の仲裁センターのうち、新潟、埼玉、岐阜、兵庫の各弁護士会においては、あっせん、調停は行うが、仲裁は行われない。
17 小島前掲(注 .14),88 頁。
18 吉岡桂輔『弁護士会の仲裁センターの実情について』司法制度改革推進本部仲裁検討会 2002 年4月1日配付資料 http://
www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/tyuusai/dai3/3yosioka.pdf(2003. 4 . 1確認)参照。
19 東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会の各センターの解決までの日数はそれぞれ平均、81.3 日、90.75 日、101.7 日となっている。(大川宏・田中圭子・本山信二郎編『ADR 活用ハンドブック』三省堂,2002 年 18 頁〜 23 頁より。)
20 東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会の各センターの解決までの話し合い回数はそれぞれ平均、2.87 回、3.73 回、
3.5 回となっている。(大川・田中・山本前掲(注 19),18 頁〜 23 頁より。)
県)建設工事紛争審査会−について概観する。
3.2 弁護士会の仲裁センター
1990 年3月に、第二東京弁護士会が初めて弁 護士会による会仲裁センターを開設、以来、2002 年 12 月現在、16 弁護士会 17ヶ所(第二東京、大 阪、新潟、東京、広島、横浜、第一東京、埼玉、
岡山、名古屋及び同西三河支部、岐阜、京都、兵 庫、島根県石見、山梨、福岡)の仲裁センターが 開設されている16。対象とする事案は、民事・商 事のトラブル全般であり、特に紛争の種類、金額 等に制限は設けられていない。2000 年度の申立 受理件数(調停、あっせん、仲裁の合計)は 13 センター合計で874件であり、仲裁判断件数は13 センター合計で24件(うち和解的仲裁判断13件)
であった。
弁護士会の仲裁センターは、他の ADR と違い 扱う事件類型が限定されていない。裁判所にお けるADR以外でこのように事件類型に制限がな いADRは唯一弁護士会のあっせん仲裁センター のみである。また仲裁センターに持ち込まれる 紛争の数も、1997 年度 660 件、1998 年度 528 件、
1999 年度 748 件、2000 年度 874 件、2001 年度 930 件と ADR の中でもその質と量は「侮りがたい存 在17」といえる。このような常設仲裁機関の実情 をを考察することは、司法改革が成ったときの 仲裁機関を考える上で参考となろう。
3.2.1 制度の概要と特色
18 a)制度の概要各センターの仲裁は旧民事訴訟法第 786 条以 下の「公示催告手続及ビ仲裁手続ニ関スル法律」
を根拠とする。しかし、仲裁判断に至る前に和解 で解決する紛争も多く、また、本来的意味の仲裁
判断ではなく、和解内容の効力を担保するため、
合意の内容を仲裁判断の形にしたもの(和解的 仲裁判断)も含まれる。
手続は一方当事者の申立書の提出を受けて仲 裁センターがこれを受理する。この段階での仲 裁合意は無いものがほとんどである。もともと、
法律相談を行っても、その先の段階の救済が困 難であった少額事件などの紛争解決を弁護士会 が自ら行う趣旨もあったため、申立は弁護士会 備え付けの用紙に記入する方式で、当事者本人 でも簡単に行えるようにしている。また、土地管 轄はないので、東京都以外の事案を東京の弁護 士会に申立可能である。受理したセンターでは 仲裁人候補者名簿を備えているが、当事者の合 意による選択がない場合は経験ある弁護士(も と裁判官も多い)などその事件にふさわしい仲 裁人をセンターで選定する。仲裁は原則1人の 仲裁人でなされるが、事案内容によっては3人 の合議制で構成される。仲裁人補助者として建 築士、不動産鑑定士等の専門家が関与することも ある。また、当事者が名簿以外の仲裁人を各1名 づつ選定することもセンターの承諾があれば可能 で、その場合第三仲裁人はセンターが選任する。
第一回仲裁期日は仲裁人が決まって、およそ3 週間以内に原則として弁護士会館で開かれる(事 案により、現地その他の場所での開催も可能)。 必要に応じて事務局や仲裁人から相手方当事 者へ出席を呼びかけて効果を上げることもあり、
相手方が手続きに応諾する率は各センター平均 で約 80%である。
最初は、3回以内のあっせん手続きから入る
(但し、当事者双方の同意があれば仲裁手続きか ら開始することもできる)。一回の審理に最低2 時間はかけて当事者双方から事情を聞き、書類 など証拠となるものを示してもらう。一回の期 日で解決するケースも多く、次回期日を入れる ときも1〜2週間後に指定するなど出来るだけ 早期解決をめざしている19。
平均すると解決事案は3回程度20の比較的短期
21 中央審査会の場合、2002 年現在、委員、特別委員は 155 名からなり、うち法律委員は 66 名(43%)、技術委員は 69 名(45%)、一 般委員は 20 名(13%)である。
間で和解で解決する例が多い。なお、仲裁はあっ せん手続きの中で、当事者双方の仲裁合意のう え仲裁判断を行う。すなわち、仲裁合意が当初 からは無いものが多く、あっせん手続きの中で 仲裁人の人物なども見て貰い、また仲裁合意の 法的意味内容を説明し理解を得た上でセンター 所定の用紙で仲裁合意を取ることとしている。
手続き費用は、京都弁護士会仲裁センターの 場合、申し立て時に申立手数料1万円。解決し たときに成立手数料を解決額に応じ、100万円以 下の場合8%、100 万円を超え 300 万円未満の場 合5%+3万円、300万円を超え3000万円の場合 1%+15 万円、3000 万円を超える場合 0.5%+30 万円となっており、この成立手数料は申立人・相 手方が原則平等に負担するが、仲裁人が事案の 内容により30%の範囲で増減をすることもある。
また、事情により減免できる規定もある。
なお、この手数料規定は各センターで区々で ある。例えば、東京弁護士会あっせん・仲裁セン ターの手続き費用は、申立費用は京都弁護士会 と同じだが、京都弁護士会にはなかった期日手 数料が1回 5000 円かかる。成立手数料は解決額 に応じ、125 万円未満の場合8%、125 万円以上 500 万円未満の場合 10 万円、500 万円以上 1500 円未満の場合 15 万円、1500 万円以上1億円未満 の場合1%、1億円以上は0.5%+50万円となっ ており、この成立手数料は当事者が原則平等に 負担することとなっている。申立手数料、期日 手数料は東京の三弁護士会は同額だが、成立手 数料に若干の差がある。また、申立手数料を 12,000 円として第一回期日手数料のみ双方から 徴収しないもの(埼玉、新潟)、20,000 円として いるもの(兵庫)、期日手数料 10,000 円を申立人 のみ負担のもの(横浜、岡山)などそれぞれ利用 しやすい工夫をしている。
b)制度の特色
制度の特徴としては、以下のようなものが挙 げられる。
申立手続きなど簡易化されており、代理人な しに当事者だけで利用しやすい。
1回の期日に二時間以上の時間をかけられ、
また、夜間や休日また弁護士会館外や事案の現 場での仲裁ができる。早期解決が実現している
(申立だけで直ちに解決するケースすらある)。秘 密保持がしやすい。
裁判のように請求権や法的構成が必ずしも厳密 に要求されず、事案に応じた解決が可能。また将 来に向けての付随処置も適宜に決めることが出来 る。
一方「和解書」には、それ自体に裁判所の調停 調書のような執行力がなく、仲裁判断、として将 来の執行判決に備えることもあるが、例えば和解 の成立時に同時に支払いまでを行ったり、別途、
公正証書や即決和解にするなどの債務履行の工夫 をしている「仲裁判断書」は裁判所に寄託を行っ ている(旧民訴法第 799 条2)。
3.3 中央(都道府県)建設工事紛争審査会
弁護士会の仲裁センターは、その扱う紛争の質 と量で他の ADR に比べ特色があるが、こと仲裁 に限っては和解的仲裁判断が中心で、本来的な意 味での仲裁−仲裁契約に基づく仲裁−の実績に関 しては建設工事紛争審査会に一日の長があるとい える。3.3.1 制度の概要と特色
a)制度の概要建築工事紛争審査会は、1956 年に建設業法に 基づいて設立された。同審査会は国土交通省に置 かれた中央建設工事紛争審査会と、都道府県知事 の付属機関である都道府県建設工事紛争審査会と からなる。「あっせん」、「調停」、「仲裁」の3つ の手続を行い、その紛争処理を行う委員・特別委 員は、中央審査会の場合は国土交通大臣、都道府 県審査会の場合は都道府県知事が任命する。審査 会の委員は、弁護士を中心とした法律委員と、建 築・土木・電気・設備などの各技術専門分野の学 識経験者からなる技術委員、建築行政の経験者な どの一般委員から構成される21。
仲裁手続は、当事者間に審査会の仲裁に付する 旨の仲裁合意があることを必要とする(建築業法 第 25 条の 15)。また、建築業法による仲裁の利用 を促進するために、建設工事請負約款に仲裁事項
22 審査会事務局が書類などを送付する費用。後日不足が生じそうになったときは、別途事務局から請求され、逆に、紛争終了時に 余剰金が発生した場合は精算・返還される。
23 司法制度改革推進本部仲裁検討会第3回における本東信委員の発言より。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/tyuusai/dai3/
3gijiroku.html(2003. 4 . 1確認)
24 廣田尚久『紛争解決学[新版]』信山社,2002 年,290 頁〜 292 頁。
裁判所における調停が民事調停で約 318,000 件、家事調停で約 115,000 件、裁判上の和解が高等裁判所で 6,000 件、地方裁判所が 85,000 件の合計が 575,000 件である。
を挿入することが奨励され、また実行されてい る。
仲裁は3人の仲裁人でなされ、そのうちの1 人は少なくとも弁護士の資格が必要である(同 法第 25 条の 16 ①,③)。同審査会の行う仲裁に ついては、建築業法等に別段の定めのある場合 を除いて、委員または特別委員のうちから当事 者の合意によって選定した者を仲裁人とみなし、
「公示催告手続及ビ仲裁手続ニ関スル法律」の規 定を適用するものとなっている(同法第 25 条の 16 ②,④)。当事者の合意による選択がない場合 は、同審査会の会長が指名する(同法 25 条の 16
②)。
仲裁審理は、原則として両当事者の出席の下 に、主張・立証の整理、証人尋問等、月1回のペー スで行われる。1回の審議は2時間程度行われ る。また、審理回数は仲裁判断にいたるまで必要 な回数だけ行われ、解決までの日数の平均は1 年6ヶ月程度(中央審査会の場合)である。
手続にかかる費用は、「通信運搬費22」として 50,000円が申請時に申請人の負担で必要である。
また、申請手数料として−通信運搬費とは別に
−、請求額 100 万円までは 50,000 円、500 万まで は金額1万円毎に 100 円 +40,000 円、1億円まで は金額1万円毎に 60 円 +60,000 円、1億円を超 えるときは金額1万円毎に 20 円 +460,000 円を申 請者が負担することになる。弁護士会の仲裁セ ンターのように期日手数料や成立手数料は必要 ない。
b)制度の特徴
個人発注者(消費者)と請負人間の紛争(B to C 紛争)の処理が全体の約 70%(144 件)を占め ている。消費者の利用割合が比較的多い制度で ある。
建設工事紛争審査会における仲裁合意の殆ど が建設請負契約締結時点で交わされている。紛 争が生じた後に当事者双方が仲裁合意を交わす ことも可能であるがその例は希である23。これは 同審査会が、申請時点で申請者が紛争解決手段
を選択し申請すると言う仕組みに起因すると考 えられる。弁護士会の仲裁センターのように、最 初はあっせん手続から入り、調停そして仲裁に 移行する仕組みではないため、あっせん・調停が 不調に終わった場合、はじめから仲裁申請をや り直さねばならない。
また、同審査会の所管官庁は建設業者を所管 する官庁であるため、その上、処理に応じない場 合 10 万円以下の過料を科される(建設業法第 49 条2)ため、相手方が手続に応じる割合は 100%
であり、ADRが持つ欠点を一つクリアしている。
3.4 小括
以上、わが国の代表的な常設仲裁機関を概観 したが、それにかかるコストは裁判に比べかな り押さえられているにも関わらず、その利用率 は裁判所と比べあまりにも少ない。この章で紹 介した10機関を合計しても、調停判断件数は102 件である。因みに、廣田尚久弁の試算によれば 2000 年度の裁判所における ADR は、合計で約 575,000 件ということである24。
その理由の一つとして『平成 14 年度国民生活 モニター調査』にみられるように、消費者がトラ ブルの際「どこに連絡すればよいのかわからな かった」ように、仲裁機関(ADR 機関)に対す る認知度の低さ、それ以上に、仲裁自体が消費者 にとって馴染みの薄い制度であることが考えら れよう。新たに消費者仲裁制度を構築するにあ たっては、制度自身の信頼度の向上を基礎とし た認知度の向上を考えなければならない。以下、
如何にすれば信頼を得た消費者仲裁制度が構築 できるかを考察する。
4.消費者仲裁の課題
仲裁は、①仲裁合意をすること、②当事者が仲 裁人を選ぶことが出来ることにより私的自治を
25 廣田前掲(注 .24),306 頁。
26 2000 年度に消費生活センター、国民生活センターが受付けた消費者相談 757,091 件のうち 68.5%が契約・解約についてのトラブ ルであった。また、契約・解約についてのトラブルの相談の割合は過去十年間 65%前後で推移している。
27 東京消費者団体連絡センター『「仲裁法(*ママ)に関する中間とりまとめ」の消費者保護に関する特則について』http://
www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/tyuusai/dai8/8siryou̲ike2.pdf(2003. 4 . 1確認)。
28 全国消費者団体連合会『「仲裁法制に関する中間とりまとめ」に関する意見』 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/tyuusai/
dai8/8siryou̲iso1.pdf(2003. 4 . 1確認)。
重んずる制度であると言える25。しかし、消費者 契約の実態26から考えて、消費者が契約段階にお いて将来の紛争を見越した仲裁契約を、十分な 理解の上で締結することはほぼ不可能であると 考えられる。このことは、指定された仲裁機関以 外での紛争解決を不可能にし、事実上、裁判を受 ける権利が奪われることを意味する。
消費者団体はこのことを重大な権利侵害と考 えている27。全国消費者団体連合会は「消費者は 気付かずに仲裁契約を結び、紛争が発生すれば、
一方的に事業者が契約書に定めた仲裁機関で紛 争解決に臨まざるをえなくなる。そして、裁判を はじめ、指定外の機関での紛争解決への道が閉 ざされてしまう28」ことであると、仲裁制度に対 し危惧を示す。この消費者と事業者との間の仲 裁契約のうち将来の争いに関するものを無効に すべきか否かが消費者仲裁制度導入にあたって の重要な問題となる。
4.1 「仲裁法制に関する中間とりまとめ」
司法制度改革推進本部の仲裁検討会は 2002 年 8月、『仲裁法制に関する中間とりまとめ』(以 下、『中間とりまとめ』と称す)を作成・公表し、
同時に、広く各界からの意見を求めるためパブ リックコメントが実施された(同年9月 13 日ま で)。
4.1.1 「1 消費者と事業者との間の仲裁 契約の効力について」
消費者仲裁に関しては、『中間とりまとめ』「第 2編、第4、[4]消費者保護に関する特則につ いて」として触れられている。「消費者保護に関 する特則について」は、「1 消費者と事業者と の間の仲裁契約の効力について」、「2 消費者 と事業者との間の仲裁契約の方式等について」、
「3 書面による通知の効力について」、「4 国
際的な要素を含む消費者仲裁について」の4つ の問題を取り扱っている。
消費者と事業者との間の仲裁契約のうち将来 の争いに関するものを無効にすべきか否かは
「1 消費者と事業者との間の仲裁契約の効力に ついて」で扱われている。
『中間とりまとめ』「第2編、第4、[4]消費 者保護に関する特則について」の「1 消費者と 事業者との間の仲裁契約の効力について」では、
以下のように A 案と B 案(1〜3案)が提示さ れている(資料)。
(資料)
1(消費者と事業者との間の仲裁契約の効 力について)
消費者と事業者との間の仲裁契約の効力に ついて、消費者保護の観点からどのように 考えるか。
(A案)消費者と事業者との間の仲裁契約に ついては、消費者契約法第4条及び第 10 条 等の規律に委ねることとし、特段の規定を 設けない。
(B案)消費者と事業者との間の仲裁契約の 効力について、何らかの規定を設ける。
(B−1案)消費者と事業者との間の仲裁契 約のうち、将来の争いに関するものは無効 とし、ただし、消費者のみが無効を主張でき るものとする。
(B−2案)消費者と事業者との間の仲裁契 約のうち、将来の争いに関するものについ ては、消費者に対し、本案の答弁まで一方的 解除権を認めるものとする。併せて、消費者 に対する仲裁に関する説明義務を仲裁廷に 課するものとする(なお、事業者の義務につ いては、2(消費者と事業者との間の仲裁契 約の方式等について)参照)。
(B−3案)消費者と事業者との間の仲裁契 約のうち、一定の内容のものに限って効力 を制限する旨の規定を設けるものとする。
29 司法制度改革推進本部仲裁検討会『「仲裁法制に関する中間とりまとめ」に対する各界の意見の概要』http://www.kantei.go.jp/jp/singi/
sihou/kentoukai/tyuusai/siryou/0210/2-4.pdf(2003. 4 . 1確認)。
『中間とりまとめ』のパブリックコメントは氏名・団体名の公表を前提とせず行われたため、各意見の表明者の氏名・団体名は不 明である。
30 全国消費者団体連合会,前掲(注 .28)。
31 東京消費者団体連絡センター,前掲(注 .27)。
32 東京消費者団体連絡センター,前掲(注 .27)。
33 全国消費者団体連合会,前掲(注 .28)。
4.2 『中間とりまとめ』に対する各界識 者の意見
『中間とりまとめ』の「1 消費者と事業者との 間の仲裁契約の効力について」に寄せられた意 見の総数は192件、その内訳は表2の通りである29。 これによると、約 70%という多数が(B-1 案)を 支持していることが判る。
c)消費者団体
消費者団体で(A 案)に同意する団体はない。
また、(B案)の中でも(B-1案)のみに賛成する。
これは、消費者と事業者との間の情報力・交渉力 等の構造的格差故に、消費者は仲裁契約に限ら ず「契約」と名の付くものはその内容を十分理解 して締結できないし、また、実際そうであるとの 認識に立っている。
仲裁契約の場合、事前の合意は一律に規制を するとする。その規制の方法を、紛争発生前の仲 裁契約は一律に無効とし、その主張権を消費者 に限定する(B-1 案)採用する。(B-2 案)不採用 の理由は、以下の通りである。
(B-2 案)では、たとえ仲裁廷がその説明義務
に従い説明したとしても、尚、消費者は仲裁を十 分理解するとは考えられず、解除権を行使する ことは困難であると思われる30。また、取引契約 は事業者が作るため、事業者にとって一方的に 都合の良い仲裁廷(例えば、消費者の居住地より 遠隔地の仲裁廷)及び仲裁人を押しつけられ、消 費者にとって十分な説明がなされない可能性を 否定できない31からである。
また、「仲裁法と消費者と事業者の仲裁契約の ありかたに関しては、検討会だけの議論で終わ らせず、被害相談を担当している相談員や消費 者団体が参加した検討会を設け、消費者被害の 実態をふまえた丁寧な議論と合わせて結論を出 して欲しい32」や、「紛争発生後の消費者と事業 者間における仲裁契約のあり方については、具 体的な事例にもとづいた丁寧な議論が必要であ り、今回の議論と切り離して別途、国民生活審議 会をはじめとした、消費者団体も参加した場で の再検討を求める33」といった、慎重な態度を とっている。
d)消費生活相談員
消費生活相談員も消費者団体同様、(A 案)を 採用するものはいない。(B 案)の中でもほとん
属性 学者
1A案
7 4 5 1 3 20
弁護士・弁護士団体 6 60 1 2 4 2 75
企業・経済団体 2 2
仲裁機関 1 1
官公庁 1 3 1 5
消費者団体 10 4 14
消費生活相談員等 32 1 11 44
労働団体 0
その他個人 21 3 24
その他団体 2 2 4
不明 2 1 3
計 17 134 8 3 28 2 192
2B-1案 3B-2案 4B-3案 5その他 2+5 計 表2 各界識者の意見
司法制度改革推進本部仲裁検討会『「仲裁法制に関する中間とりまとめ」に対する各界の意見の概要』より
どが(B-1 案)を望んでいる34。その理由も、消 費者団体のそれとほぼ同様である。
消費者と事業者との間の、情報の量・質の格 差、情報を理解し、適切に判断するための知識・
能力の格差、交渉力の格差故、「一般消費者は仲 裁制度に関する十分な知識を持っていないので、
仲裁合意が契約に盛り込まれても、そのことの 意味をきちんと理解することは困難35」であると し、「こうした状況の下では、将来の争いに関す る仲裁契約は全て無効であることを法律上明記 することが適切36」、「紛争前の仲裁合意は無効と すべき37」と主張する。
(A 案)に対しては、事業者が仲裁契約の有効 性を主張した場合、消費者は先に仲裁契約の効 力を否定する訴えを起こし勝訴する必要性があ るため同意せず、また、(B-2 案)に対しては、や はり、仲裁廷が遠隔地にあった場合の懸念、(B-3 案)に対しては、「一定の内容に限って効力を制限 する」の内容が不明であることから不採用とする。
e)弁護士・弁護士団体
弁護士・弁護士団体も大半は(B-1 案)に同意 しているが、少数ながら(A 案)、(B-2 案)、そし て(B-3 案)を採用するものもある。(B-1 案)に 同意する理由は、消費者団体、消費生活相談員等 のそれとほぼ同様である。
(A 案)を採用する弁護士・弁護士団体は、「消 費者保護の特則については新仲裁法の制定後に 議論すべきであり、現時点では特段の規定を設 けず、消費者契約法の解釈に委ねるべきである38」 との仲裁法の立法を優先させる意見や、「仲裁、
仲裁契約を「違法」であるとか「悪」であるとい う前提で考える立場は取り得ないし、取るべき ではない39」との仲裁と消費者保護は別の価値体
系にあるとする意見である。
(B-2案)を採用する弁護士・弁護士団体は、「将 来の紛争に関する仲裁契約の効力は国際商事取 引の分野を除いて認めるべきではなく、消費者 契約については、紛争発生後の仲裁契約の効力 をも認めるべきではないが、仮に認めるとして も、仲裁手続のいかなる段階においても消費者 からの仲裁合意の解除を認める片面的な解除権が 付与されるべきである40」との意見を表明する。
(B-3案)を採用する弁護士・弁護士団体は、「一 律に解除権を定めるB−2案も考えられるが、
仲裁合意のうち消費者に不利なものを排除する ことで足り、現行の消費者契約法との整合性も ある。なお、消費者保護の必要性は明らかである が、仲裁法に規定するのか別の法律で規定する のかは、検討を要する41」との意見を表明する。
f)学者
学者の意見は(A案)採用が一番多いのが特徴 的である。また、(B 案)の中でも(B-2 案)に同 意するものが最も多い。
(A 案)に同意する学者の見解は、この問題は
「仲裁の問題というよりは、消費者と事業者間の 合意をどう考えるかという問題」であるとの認 識に立ち、仲裁法で取り扱うより「消費者保護関 連法等で規定すべき」であり、「仲裁法には特に 規定をおかない(A 案)に賛成である42」とする。
(B-1 案)とるす学者の意見は、基本的に消費 者団体、消費生活相談員等と同様である。また、
中には、「消費者保護の先進国スウェーデンの仲 裁法 6 条 1 項に同様の規定がある」ことを根拠に している学者43もいる。
(B-2 案)に対しては、(B-1 案)より「法的な 構成」が「優れている」との考えである44。また、
34 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29)には、(B-2 案)を選択する消費生活相談員等の意見(コメント)は採録されて いない。
35 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),191 頁。
36 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),191 頁。
37 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),191 頁。
38 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),184 頁。
39 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),184 頁〜 185 頁。
40 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),192 頁。
41 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),192 頁。
42 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),184 頁。
43 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),185 頁以外にも、神奈川大学荻原金美特任教授も同様の根拠を述べている(荻 原金美「仲裁と消費者保護−司法制度改革推進本部仲裁検討会「仲裁法制に関する中間とりまとめ」を読んで−」『判例タイムズ』
№ 1098,2002 年,41 頁〜 45 頁)。
44 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),191 頁。
東京大学の落合誠一教授は、「(B-1 案)では、無 効の主張を考える段階における情報提供は保証 されていないから、消費者にとって十分メリッ トのある仲裁にもかかわらず、消費者が無効の 主張をする場合が十分に考えられる」とし、仲裁 廷の説明によってそれを回避することの出来る
(B-2 案)を採る。
(B-3 案)を採用する学者は「EU 法、英国仲裁 法の立場をとる。これはA案の内容の一部を明 文化することと同じであろう45」との意見を表明 する。
4.3 小括
以上、仲裁検討会『中間とりまとめ』「1消費 者と事業者との間の仲裁契約の効力について」
に対する各界識者の意見を概観したが、消費者 仲裁を制度化する上での問題の要点は、消費者 の裁判所への訴権が奪われる不利益と、ADR 振 興の妥協点をどこに求めるかである。ADR の振 興に重きを置く(A 案)か、消費者の利益に重き を置く(B案)かどちらを選択するのかという問 題である。
ADRの最大の長所は、柔軟な手続によって、自 由に判断できることである。これは当事者の合 意を尊重する私的自治にその基本理念があるこ とから当然のことであって、ADR は本質的に規 制になじまない。確かに、ADR の中でも仲裁制 度は法的効果を付与されているので何らかの規 制が必要であるかもしれない、しかし、その規制 によって仲裁制度の長所をも潰しかねないこと も考慮されなければならない。
では、仲裁制度の長所を生かしつつ、なお、消 費者保護をも実現する消費者仲裁制度はいかに あるべきかを以下に考察する。
5.消費者仲裁の在り方
仲裁制度は、①仲裁合意をすることと、②当事
者が仲裁人を選ぶことができることの2点に私 的自治を重んずるADRの特徴が生かされている ことは前述(⇒4 .)した。これによって、消費 者は簡易・迅速・廉価な紛争解決というメリット が受けられる。しかし、この特徴が事業者に悪用 されたり、または、消費者が仲裁に関して無知 だった場合、公正な紛争解決の放棄に繋がると いうデメリットが発生する。言い換えれば、仲裁 制度のメリット・デメリットは同じコインの裏 表の関係にある。デメリットを警戒しすぎると、
せっかくのメリットを生かせずに終わることと なろう。
消費者団体、消費生活相談員等の消費者側の 仲裁制度に関する懸念は、仲裁機関及び仲裁人 が消費者にとって著しく不利な場合でも、消費 者はそれとは知らず、また、仲裁制度の意味さえ 知らず仲裁合意をしてしまう可能性の存在であ る。ここから、①仲裁人及び仲裁機関の公正・中 立の確保を如何にすべきか、②仲裁制度に関す る消費者教育を如何にすべきかの2つの問題が 浮かび上がる。
5.1 仲裁人及び仲裁廷の公正・中立の確保 5.1.1 適正な仲裁人の確保
現行におけるわが国のほとんどの常設仲裁機 関の仲裁人には弁護士と専門職があたる。専門 職とは、例えば、建設工事紛争審査会の一級建築 士や日本知的財産仲裁センターの弁理士等のこ とである。ここから、本来、ADR が持つべき全 ての紛争規範46に基づく柔軟な対応が実現せず、
結果、仲裁人が法律知識や専門知識ばかりを振 りかざして、不適切、非常識な判断をすることが 起こりうる。また逆に−消費者側が懸念するよ うな−、法律知識や専門知識がなく、誤った判断 を下すような仲裁人が出現する可能性も考えな ければならない。
まず、弁護士の問題であるが、廣田も指摘する ように、現状わが国の法曹養成過程においては、
彼らは「当事者の合意にもとづいて解決を見出
45 司法制度改革推進本部仲裁検討会前掲(注 .29),192 頁。
46 廣田前掲(注 .24)140 頁〜 207 頁。
廣田弁護士は紛争解決規範として、①成文法、②判例、③裁判上の和解、調停、仲裁の解決例、④学説、⑤諸科学の成果、⑥習 慣、⑦道徳、⑧自然法、⑨生きた法、⑩経済的合理性、⑪ゲームの理論、⑫新しく生まれる規範、新たに発見される規範、新た に想像される規範を挙げる。