Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 駒 澤 大 學 佛教 學 部 論集 第 16 號 昭和
60
年10
月Brahm
α
sitlr
α
1
−1
−4
の
解
釈
を
廻
って
一 samanvaya を中
心
に 一金
沢
篤
Brahmasntr
α(BS
) の 冒頭の4
ス ー ト ラ は 以下 の 如 きである。i
)athato
brahmajijiasa
(BS
I
−1
−1
,BSBh
,P
.46
,1
.2
)ii
)janmady
asyayatah
(BS
I
−1
−2
,
ibid
.,p
,83
,1
.5
)五
i
)Sastrayonitv
註t
(
BS
I
−1
−3
,ibid
.,p
.95
,1
.5
)iv
)tat
tu
samanvay 註
t
(
BS
I
−1
−4
,ibid
.,p
.100
,1
,7
) 「ブ ラ フ マ ・ス ー ト ラ は た とひ一つ の ス ー ト ラで も, 註 釈な し に は理解 する こ とが困難で ある。 一 文 章の 主語 或ひ は 述 語の 省 略 されて ゐ る こ とは普通 で あ り , 省 略 する こ との で きな い最
も重 要 な 語を さへ も強い て 省 略 してゐ る。 各 ス ー トラ は, 大 体二語か らせ い ぜい 十 語よ り成っ て ゐ るの で あっ て , そ れ よ りも以上 に 語 を 含ん で ゐ る こ と は稀であ る。 時に は ス ーF
ラが 一 語 よ り成 るこ と もあ る。 丈章
とい ふ よ りはむ し ろ符号
の 集 合に近い もの に よっ て 構 成 さ れ てゐ る。 ス ー ト ラだ けを読 んだ の で は , 何を意 味し て ゐ るの か 全 然不 明な箇
所 も少な く ない の で , 註 釈の助 けを借 りな け れば, ス ー ト ラ 自体
の解
読 さへ も不 可能
で ある1 ) 。」 「「プ ラ フ マ ・ス ー ト ラ』 は 極 端 に 簡 潔な文 体で 書か れ, 文 章 とは言い 難 く, い わ ば記号の 組 合せに 近い た め に , お よそ注 釈な し に, あるい は師の直
接の教
授な しに そ れ を 理解
するこ とは 不可 能で あ る。 こ の事 実
は ,後
世 の 学 者 達が原 意 とは異
な る ばか りで な く, 相互 に 全 く矛盾
し た 哲 学 説を も, 原典の 中に 読み込む こ とを容 易に し た2 )。」 とい う事情
を充
分に踏
ま え た 上 で ,BSI
−1
−4
の 解 釈 例 を 見て み よ う 。4
)But
that
(Brahman
is
to
be
known
from
Scripture
),because
it
is
connected (withthe
Vedanta
−texts
)astheir
purport
.(
Thibaut
,i
,p
.22
,11
.6
−
8
)4
’)
MAIS
CE
〔brahman
abien
pour
sourcele
Text
〕PARCE
QU
’IL
YACONCORDANCE
. (Reno
%,p
.19
,11
.7
−
8
) 一 565 一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Umversrty
Brahmastitra
I
−1
−4 の 解 釈を 廻 っ て (金沢 ) (47 )4
” )され どそ れは 〔世 界 生 住 滅の 因 と認め ら る〕。 〔ヴエ ー ダー ン タ の
文章
の間に 〕密 接 なる連
絡
あるが 故 に 。(金 倉 ,上,
p
.23
,11
.6
−7
) ノ以上 の 三例は
孰
れ も厂
現存
最古
3)」
の もの と考え られるSa
血kara
の 注 釈 に 従っ て の解
釈であ
る とい うこ とを顧慮
した な らぽ如
何で あろ うか 。 単 なる表 現 上の 差 異 とは ど うし て も見な し難い こ の事
態を ど う考え た ら良い の か。Safikara
の 注 釈 を解
読 する際
に 依拠
し た さ ら なる 注釈 の 差 異 と考え るべ き もの な の か 。 こ れに 際 し て は , 金倉圓
照博
士 の 次 の 言葉
が身
に染
み る。「
こ の 釈 論で, 複 雑 な 思 想を現 す た め の 長 い章
句 は と もか く として , 比較
的単 純な文 章で も, その 趣 旨を 的確
に 把 握 し難い 場合 に往
々 遭 遇 する 。或
い は む しろ余
りに短い の で ,却
っ てその真
意 が は っ きりし ない の で ある。 換 言す
れば, ど うに で も とれ る よ うな こ とが現れ て くる。 か よ うな時に は , 各 種の翻 訳及 び原 文の 註 記を参照 した。 併 しそ れ らの 見解
は必 ず しも一致
しない 。従
っ て丈意
が 明確 不 動に なる とは限
らない 。 結 局 自己 の 判 断に よ っ て こ れ を決 定せ ざ る を え ない こ とが, しば しば生 じ た 4〕。1
それは ともか くこ こ で は 一応問 題 を こ の
BS
1
−1
−4
に絞
っ て , と りわ け 重 要な 意 義を担っ て い るで あろ う samanvaya5 ) の 概 念を詮議
し よ うと考
える 。 その 為 に も 先 ず は こ のBSI
−1
−4
に 到 る まで の 三 ス ー ト ラ の 意 味 する所を見て お こ う。1
)さて そ れ故に 梵 〔の 〕 研 究 〔あ り〕。
(金
倉
, 上,p
.8
,1
.10
)2
) それ よ り此 の 〔世 界の 〕生 等 〔の あ る ものな り〕。 (ibid
., 上 ,P
。15
,1
.13
)3
) 教 典の 母胎た る こ との 故 に 〔梵は 全 知 な り〕6) 。 (ibid
., 上 ,p
.20
,1
.7
) ノこ の 冒 頭の 三 ス ー ト ラ に 続 く第四 ス ー ト ラを
Safikara
の 注 解をた よ り に読み 解 くに 当っ て 問題 とな るの は 次の 二 点で ある。tat
tu
samanvayat 中のtat
の意 味 と samanvayat の 意 味 とで ある。 上引の 三 解 釈 例の 差 異は ま さ し くそ の 二 点を 廻 っ て の もの で あ る。 就 中 最 新の 金 倉 圓照博士 の もの が 前二者の もの , ある い は 他の 多 くの 訳例 と
較
べ て その 独 自性の 点で 際 立 っ て い る と言 え よ う。tat
の 解 釈に 関 し て はThibaut
とRenou
は ほ ぼ同 じ で あ り, 金倉博
士 の もの は 明 らか にそ れ ら とは異 な る。 samanvayat に関 し て は 三 者 と も その奪格
をtat
とい う 主 張 (pratijfia
)に対 す る 理 由 (hetu
) を表わす もの と解
して い るが, 少な くと も samanvaya の 意 味に関 して はThibaut
と金 倉博
士 の 間に は 著しい 相 違が 見 られる。Renou
の そ れに 関 す る理解は補い が充分で な くこ こ か らだ けで は 明瞭に な ら ない 。さて
BSI
−1
−4
に対 する三者三 様の 解 釈を全 く大 まか に 眺め て み た が, 以 下に 一564
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 University (
48
)B
・ahm ・ ・tit・aI
−1−4
の 解釈 を廻 ・ て (金 沢) ノ は そ うし た種 々 の 解 釈を もた らす こ とに な っ た筈のBS
I
−1
−4
に 対するSahka
「a自身
の 注 釈 を見
て み よ う。v)
t
。S
。bd
。h
Pu
…p
・k6
・vya ・rtty
・・th
・h
!
t
・t
b
・ahm ・ ・a・v・jfi
・m
sarva6akti
jagadutpattisthitilayakarapa
エp
vedanta 首astrad
evavaga −my 。
t
。1k
・th
・m ? ・am ・nvayatノ
・a・v・§・hi
・ ・da
・t
・§・ vakya ”i
tatp
。,y
。i!・it
・・ya
・th
・ ・y
・pratipad
・k
・t
・ ・na ・am ・n・g
・ta
・i
1
(BSBh
・p
.102
,11
.2
−4
)こ れ に 対 す るやは り
Thibaut
とRenou
と金倉
博士 の 訳文
は以 下の 通 り で あ る。5
)Th
。 w 。.d
・but
・i
・ meant
t
・ rebutth
・pa
・va −P
・k
・h
・ (th
・p
・ima
facie
view as urged above ).That
a11−knowing
, all・
powerful
Bra
一hm
。 。, whi 。h
i
・the
ca・ ・e ・
f
th
…igi
・, ・・b
・i
・t
・nce ,・・
d
di
… ’lution
ofthe
world,
is
known
from
the
Vedanta
−
part
ofScriptu
一旦
H
・w ?Because
i
・ ・11
・th
・V
・da
・t
・・t
・xt ・the
sentences c°n ’
strue
in
sofar
asthey
have
for
thelr
purport
, asthey
intimate
that
matter (viz .Brahman
). (Thibaut
,5
’)
Le
mottu
〔sMAIS ’〕signifiequ
’on6carte
l
oplnlon anterleure .i
,p
.22
,11
.9
−
16
), ・ .
CE
〔。・。 、t
.a
.dire
ce 〕 う・・hm
… mnisci ・nt , ・m ・ip
・t
・・t
・ ca ・sed
・1
・。,
igi
。。,d
。1
… n・e・v ・ti
・n ・t
d
・
1
・diss
・1uti
・nd
・ m ・nd …’
est
accessible
que
par
l
’enseignementdu
Vedanta
.RCE
QU
’IL
Y
A
CONCORDANCE
(samanv のya
),dans
tous
les
textes
du
Vedanta
les
propositions
concordent (Pourquoi
?PA
−c’
est ・
a
−dire
que
sa ・manug 。
ta
)a
・6t
・bli
・ un mem ・ ・en ・, ・n vi・ant un ・mem ・
but
(’4”Parya
). 「−5
” ) さ れ ど (Renoec
,P
.19
,11
.11
−18
) (tu
) とい う語 は , 論 老の 申し立 て (pUrvapak
§a)を 斥け るた めで あ る。 そ れ 〔即 ち〕全 知 全 能で , 世 界 の 生 ・住 ・ 滅の 原 因で ある梵は, ヴエ ー ダ ー ソ タ教 典
に よっ て の み 理解
される。 が 故に(
samanvayat ) で ある。 ける聖 句は, そ の 〔梵の〕 何とな れ ぽ,何
故か。密
接 なる連 絡
ある 一切の ヴエ ー ダー ン タに お 意味
を教え る とい う趣
旨に よ っ て密 接に 連 絡し て い る (samanugata )か らで ある。 金倉
,上,p
.23
,11
.8
−11
) 一563
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Brahmasutra
卜 1−4 の 解釈を廻 っ て (金沢 ) (49)ス ー ト ラ中の
tu
の 意 味は 明 瞭で あろ う。 但しこ の場 合PUrvapaksa
とは い か なる もの か。 そ れ に先 立つ na
brahmarPah
Sastrayonitvam7
) (イ ) と 考えて よい だ ろ う。「
brahman
が 甑 stra をyoni
(=pramapa
) とする こ と が ない 」 ノとい う意 味で あ る。 つ ま り
Sahkara
がBS
I
−
1
−3
Sastrayonitvat
に与 え た第
二 の
解
釈…rgvedadi
甜 stra 単yonih
kara
箪a卑pramaOam
asyabrahma
ロoyathavatsvarttpadhigame
!
e) (ロ )の否 定で ある。 そ うし た反主
張
に 対 す る主 張 を表わす もの が ,tat
で ある と§
ahkara は考 えて い る よ うで ある。 (ロ ) に 続 く甑 strad eva
pramapaj
janmadikararParp
brahmadhigamyateg
) (ハ )に パ ラレ ル な
brahma
sarva節
alp sarvaSaktijagadutpattisthitilayakarapa
卑 ve −,
danta6astrad
evavagamyate (二 )が , ま さ し くそ れで あ る 。 だが , そ のSaf1
−kara
の 注 解に 従 っ た筈の 金 倉 博士 のBS
1
−1
−4
の 訳 文4
” )で は 如 何な っ てい るだ ろ うか。 「そ れは 〔世 界生住 滅の 因 と認め られ る〕」と 「そ れ 〔即 ち〕全知全能
で, 世 界の 生 ・住・滅の 原 因で あ る梵 は , ヴエ ーダ ー ン タ教 典に よっ て の み 理 解され る」 の 両者 が, 同 一 の こ とを言 っ て い る と考
え るべ きなの か1D)。Thibaut
とRenou
の 場 合が ほ ぼ整 合 的で あるの を 目の あた りに する と, こ の事 態
は ど う して も尋常
な もの とは 見な し難い 。 さ らに (ハ ) (二 ) 中の eva の解
釈で ある。 即 ち, こ れ をRenou
訳5
’) 中の … n ’est accessible
que
par
1
’enseignement …や, 金 倉 博士 訳
5
”)中の 「ヴエ ー ダー ン タ 教典
に よっ て の み理解
さ れ る」
の よ うに訳す
べ き なの か ,4
),5
) 中の よ うに 実質 的に は eva が 付 さ れ て い ない か の 如 く訳 すべ きな の か , 或い は 実の とこ ろ それ らは 孰 れ も 同 じこ とな の か , ま た違っ た とし て も大 事 な相 違で は ない の か , 等 々 とい っ た 問題で ある 11) 。 孰 れの 場合 も ,本稿
で の考察
の 眼 目に 置か れ て い る samanvayat の 解 釈に大 き く関わ りを持
つ と考えられる か らであ る。 次い で
katham
の 意 味で ある。Thibaut
のHow
? とRe
− nou のPourquoi
? 金 倉 博士の 「何 故か 」の 間の 相 違は 無 視で き る もの なの か。孰
れ の 問 題 もお い それ とは 「明確不動 」 の 答えを 見い 出せ まい とは 思い つ つ も, 以 下順を追っ て検討
して行 く他 ある まい 12)。先ず eva で ある。 言 う まで も ない こ とで あ る が, そ れ を如 何 解 する か に よ っ て 定 説 者の 主 張の 内 容が変 わ っ て くるの で ある。 即 ち
先
に挙 げ
た金倉
博士 の 訳に従
っ て 考 察 す るに ,「
ヴ エ ーダ ー ソ タ教典
に よ っ て の み 理解
さ れ る」
と 「ヴエ ー ダ ー ン タ教 典に よ っ て 理解 される」と或い は屡
々 eva の 訳 語 と して用 い られ る「
こ そ 」を使っ て の 「ヴエ ー ダ ーン タ 教典
に よっ て こ そ 理解
さ れ る」
との 差 異が 考 慮 一562
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
50
)Brahmastitra
I
−1
−4
の 解釈 を 廻 っ て (金 沢 ) さ れ ね ば な ら ない とい うこ とで ある。 日本 語 として の 「の み」 や, 「こ そ」の 持つ 意 味は軽ん じて よい もの で は な い で あろ う13 )。 する と主張の 内 容が変わ る こ とに よ っ て , 次 のkatham
を その 主張に対 する理 由を導 出す る為の もの と解し た 上 で の 理 由 samanvayat が担 っ て い る意 味に も変 化を来たす こ とに な る。仮
りにVedanta
学派
の 定 説とし て 三様の 解釈 が 妥 当 す る と して も, こ こ での 問題は そ れ とは全 く別の 事 柄で ある こ とを忘れ て は なる まい 。 論 理 的に 議 論 を進め て きて い る筈 の (?)こ の文 脈で の こ の 箇 所の 意味
が如何
か とい うこ とが 今の 問 題 点 なの ノ で ある。Saflkara
の 注 釈に従
っ てBS
I
−1
−4
の 解釈 を 提 示 す るに あた っ て ,Thibaut
に せ よRenou
に せ よ金倉 博士 に せ よ些か 不 用意で あるとの 観は否め ない と思 わ れ るの だ が, 如 何であろ うか。 ともか くもkatham
をHow
?と解 する
Thibaut
も,Pourquoi
? と解 す るRenou
も, 「何 故に 」 と解さ れ る金倉 博士 も, ス ー ト ラ中の samanvayat を
tat
で示 され る主張に 対 する理由
と理解
す ノる点で は 一 致し て い る。 つ ま り, 三 氏 とも
Sahkara
の 釈 論 中の
sarve $u
hi
vedante $u vakyani
tatparyerpaitasyarthasya
pratipadakatvena
samanuga 一ノ
tani
(ホ )を, samanvayat に 対するSahkara
に よ る注解
と解
して い る とい う ノ こ とで ある。 として も, こ れ がSaflkara
に よ る samanvaya の 語 義説明で ある, と言 うの で は ない 。 「 一文章の 主 語 或ひは 述 語の 省 略 され て ゐ る こ と は 普通 で あ り, 省 略 する こ との で きない 最 も重 要な語を さへ も強ひ て省
略 し て ゐ る 。」 と 言 ノ われ るBS
の1
−1
−4
中の samanvayat の 部 分が担 っ てい る もの のSafikara
に よ る解 明に 他な ら ない 。 三 氏は 従っ て (ホ) 中のhi
を samanvayat の 奪 格が 意 味 する もの と解 して い る。 即 ち (ホ )をtat
が担 う主 張,「
…梵
は , ヴ エ ー ダ ー ン タ教 典に よ っ て の み理 解 され る」 若 し くは 「…梵
は, ヴエ ー ダー ン タ 教 典に よっ て (こ そ)理 解され る」に 対 るす 理 由 句 と解し て い るの で ある。 で は こ の 文 は ど うい うこ とを 言わ ん と して い るの か 。 ス ー ト ラ中の ま さし く samanvaya に 対 応 する で あろ う (ホ ) 中の samanugata は如何
なる意 味なの か , それこ そが 闇 雲に 始め られ て しま っ た本 稿の 中心 課 題で ある。筆
者の 知 る限 りSahkara
自 身はその 膨 大 な 釈 論 中で 一度 と して samanvaya 乃至 samanugata の 語 義 を 説 明 し て い ない よ うで ある。 とい うこ とは ,Sa
血kara
に と っ てそ れ らの 語が特別 に 難 解な用語 と意識 され て い なか っ た と考 えて 良 い の だ ろ う。 な らば 「 …梵は , ヴ エ ー ダ ー ソ タ 教 典に よ っ て の み 理解
され る」若
し くは 「…梵は, ヴエ ーダー ン タ 教 典に よっ て (こ そ)理 解さ れ る」 とい う主張に 対す る 理 由とし て の (ホ )を ど 一561
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service KomazawaUniversity
Brahmasatra
I-1-4
eDeewtigas.vC(eZFI)
(51)
S
L
N5
Mt,
eik
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-S-2L
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"C samanugata]bS
samanvayact
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kara
EI
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eD samanvayaJTbS
samanugata8
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Sahkara
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ti)BS
pF,`D samanvaya<or
samanugata)oHlenh:t
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Pif-Dvefo6etltueSbLitelivC,
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SrecD'(!Zk
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5.
BS
I-1-4
tat
tu
samanvayatoglre'`)
Ef
ua
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Mav
vt
J}LTo
me
b
-(Ffo
6.
vi) mahgalasya ca vakyarthe samanvayabhavat
!
kta
evahy
athaSabdahgrutya
mahgalaprayojanobhavati
f
(BSBh,
p.
47,
1.
1-p.
49,
1.
1)
ni)
na catadgatanam
padanam
brahmasvarapavisaye
niScitenvaye 'vagamyamane 'rthantarakalpana
yukta
;kalpanaprasahgat
/
(ibid.,
p.105,
11.3-4)
viil)
sarppadadirapehi
brahmatmakatvavijfiane
'bhyupagamyamane`tat
tvam
asi' `ahambrahmasmi'
`ayamatma
brahma'
dinarp
vakyanambrahmatmaikatvavastupratipadanaparah
samanvayah
pidyeta
1
(ibid.,
p.
123,
11.
7-9)
ix)
tasman
napratipattividhivi$ayataya
Sastrapramanakatvam
hmarpah
sambhavatlty atah svatantram evabrahma
rpakdm
vedantavakyasamanvayaditi
siddham1
(ibid.,
p.
153,
1.
4-p.
154,
1.
1)
x) evarp
tavad
vedantavakyanambrahmavagatiprayojananarp
hmatmani
tatparyena
samanvitanam antarerpapikaryanupravegam
brahmarpi
paryavasanam
uktam!
samkhyadayastu
parini$thitam
vastu
pramanantaragamyam
eveti manyamanahpradhanadini
rapantarany anumimanas
tatparatayaiva
vedantavakyaniti
!
(ibid.,
p.
161,
11.
1-4)
xi)
tatra
prasiddher
vayuhprarpa
iti
prapte,
idam
ucyateSabdam
brahma
vijn-eyam!
kutah?
tatha'nugamat
!
tatha
hi
paurvaparyerpa
paryalocyamane
vakyepadarthanam
samanvayobrahmapratipadanapara
upalabhyate・・・(ibid.,
p.
218,
11.
10-12)
-
560
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty
(
52
)Brahmasatra
I
−1
−4
の解釈 を廻 っ て (金 沢 )xii)
… samanvaye
hi
samastasyajagato
janmadikara4arp
brahmeti
sthapitam …
(
ibid
.,p
.996
,11
.7
−8
)因み に 以上 の 用例に 対 す る金倉 博士 の 訳 文を
部
分 的に 引い て お こ う。6
−P
・)さ らに 〔こ の atha の 語は〕 祝 福 (瑞
祥
mahgala ) の 〔意 を 表わ すとす るこ ともで きない 〕。 〔そ の 意 味に 於て〕聖句の 趣 旨に 連絡 しない (sa −
manvaya −abhava )か らで あ る。
(金 倉
,上 ,
p
.8
,11
.14
−15
)7
−p
.)ま た 其 (聖 句) に 含まれた 語 (
pada
) が, 梵の 本 性に 関 係 し てい るこ とが
確実
で 〔互 に〕 密 接 な 連 絡 が 理解
せ られる場 合に, 別の 意 味を 想 像(妄 分別 ) す るの は 正 し くない 。 (
ibid
., 上 ,p
.23
,11
.15
−16
)8
−p
.)…《汝はそ れな り》 《予は 梵な り》… とい うこれ らの 聖 句の/ 梵 我一如の実 在の 提唱を 目指し た 言
葉
の/ 密接
な連 絡が, 破 られ るで あろ うか らで ある。 (
ibid
., 上 ,p
.31
,11
.11
−13
)9
−p
.)… で ある か らし て, 梵は ま さに 独立 し て 教典を認識基準 として い る 。
ヴエ ー ダー ン タ の 聖 句が 〔こ の
意味
で 〕 密 接に 関連 するか ら と証明せ られた。 (
ibid
., 上 ,p
.44
,11
.17
−18
)10
−p
.)
ま
ず
, か よ うに , 梵 我 〔 一 如〕 の確 認を 目標 とし, 趣 旨の 上 で梵
我に
密
接に 連 絡 し た ヴエ ー ダー ン タ の 聖句は , 所作
(karya
即 ち祭の 行為
)に 関係 が な くて も, 梵に 帰 着 するこ と
(
brahma
・paryavasana
結局
梵の理
解
に 到達
する こ と)を述
べ た 。 (ibid
., 上,p
.48
,1
.18
−p
.49
,1
.1
)11
−p
.) 即 ち,前 後
の関
係に よっ て聖 句 を 観察
する時
は , 語 義の 連 絡 (sam −anvaya )は, 梵の 解明 を 目的 とし てい る と認め られ る。 (
ibid
.,k
,p
.113
,11
.5
−6
)12
)…何と な れ ぽ, 〔
本経
の〕密接
なる連絡
に 於て, 梵は全 世 界 の 生 等 のく原 因で ある〉 とすで に
確
立 され たか らであ る。(
ibid
., 下,p
.562
,11
.10
−11
)以 上 の 如 き金 倉 博士の 訳 文か らは
博
士 が, samanvaya (or samanvita )を 一 様に 厂連 絡 」 若 し くは 「密 接な連 絡 (関連)」
と解 されてい る こ とが明 白で ある。 し か もそ こ に は , 『… ブラ フ マ ・ ス ー ト ラ の 釈 論 の 全訳』 の 「序言」 で言われ る如
く 「…そ れ らの 言 葉の 間に どれ だ けの微 妙な 区別が ある の か。 それ と も, 単に文
章の 綾か らい ろい ろ 言 い 換 えて い るの か , は っ きりしない 場合が 多い 。 で きる だけ 違 っ た原語 に は異
な っ た訳語
を 当て て , 忠 実に 本文
に 倣お うと心 が けて …15)」 一559
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
Brahmastitra
I
−1−4
の 解釈 を廻っ て (金 沢) (53
) とい う意 識 的な姿勢
が 具体化
し て い る の を 見る こ とが 出来るの であ る。 さ らに こ れ を博士 の 「… の 理 由 samanvayat に 関 し て は解 釈が一致しない 。 サ マ ン ヴ ァ ヤ は通 例直接の 結合 連 絡, 会 合を表わす 語である。 しか し転
じて , 「同 じ意味
を表
わす こ とに 於て 一致
する」
, 即 ち「
同義
を 表わ す 」 「同 義 」とい う意味
に も な る16) 。 例え ば, 『ヴ エ ー ダー ン タ 経 』 一 ・一 ・四 に 出る こ の 語に関し て シ ャ ン カ ラの 与えた 解 釈の 如 きは そ の 適 例で ある 。 17)」 とい う 記 述 と比較 し て み る と , 一 層興味
深い の で は なか ろ うか 。実
の とこ ろ こ の samanvaya (or samnvita ) と い う語は 如何 なる意 味に 解 し た ら良い の か 。 暫 し金 倉 博士 の 訳 例に 沿 っ て考 えて み よ う。4
” ) に よれ ば, その 「密接
な連 絡 」は「
ヴ エ ーダ ー ン タ の 文章
の 間」に ある とき
れ る。5
” ) に よれ ば, そ の 「密 接
な る連 絡 」は「
一 切の ヴエ ー ダー ン タ に お け る聖句 」 問に あ る とされ る。6
−P
.)に よれ ば, 「atha の 語 」の「
聖 句の 趣 旨」 と の 「連 絡 」で ある1s )。7
−p
.)に よれ ば , 「(聖 句)に含
ま れ た語 」 相 「互」 間の 「密
接な連 絡 」か , 「(聖 句)
に含
まれ た語 」 と「
梵
の 本性」 との 「密接
な連
絡」
か であ
ろ う(
訳文
の意味
が 明確
で はない )19 )。8
−p
.)に よれ ば , 訳語
の 懸 り方 を 明確に せ ん との 翻 訳 技 術上 の 発明 「/ 」 記号2°) に 助 け られ て, そ の 「密 接な連 絡 」 とは 「聖 句 の 」もつ 「言葉 」 の 間の もの と さ れ る。9
−p
.) に よれ ば , 「ヴ エ ー ダ ー ン タ の 聖 句 」の 間に あ る 「密
接 な 連 絡」
で ある 。10
−p
.)に よれば , 「ヴェ ー ダ ー ン タ の 聖 句」の 「梵 我 」 との 「密接
」な「
連
絡 」 であ る。11
−p
.)に よれば, 「語義
」の 問の 「連 絡 」 で ある。 だ が この よ うに も眺め られ るこ の「
密接
な連
絡 」 21) とは実
際 如 何な る意味
に 解 した ら良い の か 。 筆 者の 本 稿での関
心 の 所 在を 明確
に する為に も以 下の 比較が 必要で あろ う。sarve $u
hi
vedante §uvakyani
tatparye
りaitasyarthasyapratipadakat
・vena samanu atani α
「何 とな れ ぽ,
一切 の ヴエ ー ダー ン タ に お け る聖 句は
, そ の 〔梵 の 〕 意 味 を 教
える とい う趣
旨
に よ っ て 密 接に 連 絡 し て い る (samanugata )か らであ
る 。」
vedanta
堕
kyana
卑夏
胆h
塑
胆 墨重
iR
胆X9
趣
堕
璽
辺h
週h
塑 迦
璽i
垣
tRi
迎 型哩samanvi
垣
nam β antarenapikaryanuprave6a
卑brahmapi
paryavasanam
uktam
「梵 我 〔一如〕 の 確 認を 目標 とし, 趣 旨の 上 で梵 我に密 接に
連
絡し た ヴエ ー ダ 一 ン タ の聖垉
は, 所 作 (karya
即 ち祭
の 行 為 )に 関 係が な くて も, 梵に 帰着
する 一558
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (
54
)Brahmastitra
I
−1
−4 の 解釈 を廻 っ て (金 沢 ) こ と (brahma
−paryavasana
結局
梵 の 理解
に 到達
する こ と)を述べ た 。」訳
語
の 上 か らも 「同 義 」 と考 え られて い る samanugata とsamanvita とを含
む 二つ の 部 分 α と βの解 釈に は 決 定 的な差 異 (或い は齟 齬 )が見 られる とい うこ とである。BS
I
−1
−4
の 解 釈に端 的に関わ る, 前 者の … vakyani … samanugatani … とそれ とほ ぼパ ラ レル な …−vakyanap
…samanvitanam … との 解 釈 で あ る 。 前 者は 「聖句 」 (vakya )相
互 が「
密
接に 連 絡 し てい る」の であ り, 後 者は 「梵 我 に 密 接に 連 絡 した」 「聖句 」 (vakya ) で ある。 こ れは金 倉 博士 の 読 解上 の 混 乱 と見
なすべ き もの で あるの か 。 こ の 金倉
博士 ご自身の うちの 解 釈の 相 違に 対 応 する のが本 稿 冒頭 部に 引い たBSI
−1
−4
の 訳例4
)と4
” ) の 相 違で あ る (4
) と5
) との 相違
22)でもあ
る)。4
) 中
の …because
it
is
connected (withthe
Vedan
−ta
−texts
)astheir
purport
のit
はBrahman
を指 すの であろ う。 こ のThi
−
baut
の 訳 例4
) に 例 えば 比較 的 最 近のK
.H
.Potter
の4
’ ”)
But
that
(is
so,
that
is
,Brahman
is
known
from
scripture ),because
(the
passages
in
question
)are connected (to
23)Brahman
)through
(their
) meaning .(.
4
V
,
p
.124
,11
.27
−29
)を 付 け 加 えた 上 で 比 較 し て み れ ば 両者の 差異 は 一層 明瞭に 成 る か も しれ ない 。
要
するに 複 数の もの の 間の 「何某
か の 関 係」
を 意 味 す る と考え られるこ の sama − nvaya を用い てBS
I
−1
−4
で は 一体如
何な る複
数の もの の 間の 「関 係 」が意図 されてい たの か とい うこ とである。 ヴエ ー ダー ン タ の 複 数 の 「聖句」 (vakya )間 の samanvaya で あるの か , そ れ ともヴ ェ ー ダー ン タ の 任 意の 厂聖 句」(vakya )と 指示対象
で あ る 「梵
」の 間の samanvaya で あるの か , 或い は またそ の 孰 れで も ない他
の 複数
の もの の問
の samanvaya で あるの か 。 また v)中 (
ホ )で示 されて い る…vakyani … samanugatan1 …は孰 れの samanvaya を
含
意 して の もの でノ
ある の か とい うこ とで ある。 vi)か ら xii)に掲 げた
Sahkara
の samanvaya(or samanvita )の 用 例か らそ れ を
特
定 する こ とは果た し て 可能
で あるの か 。 そ れと もや は りそ れ は 「師 の 直接の 教 授」に なか なか与 りに くい 現 代に あっ て ,我
々 銘 々 が 「自己 の 判 断に よ っ て」 全 く恣 意 的に 「読み込む」 他ない もの で あ るの ノ か。 そ れ と も普通 に 行われ て い る,Sahkara
の 釈 論に 対 する種 々 注 釈やBS
に 対 す る他の 種 々独立 の 注 釈を やは り全 く恣 意 的に 「読み込 む 」 こ と を 通 じて の み 達 成 されるの か. 実の とこ ろ筆 者
の こ こ で の 細やか な 目論 見は 容 易に 結 論に 辿 り着 ノ か ない こ と, 能 う限 り判 断を保 留 する こ とで あ る。 従 っ てい ま しば ら くSahkara
一557
一Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University Brahmasfitra I − 1−4 の 解 釈 を 廻 っ て (金沢) (55 ) 自身 の
著
作と され て い る もの の 内に , こ の samanvaya (or samanvita or sa − manugata )の 用 例 を 探 っ て み よ う24)。働
θ茲 訪 α如 7砂砌お
α4
(SU
)に 次の如
き用 例 がある。xii )
aflgu $
thamatro
ravitulyar 且pah
sa甲kalpaharpkarasamanvito
yah
!
buddher
gupena
”tmagu
ひena caivaaragramatro
hy
aparo ’pi
dr
$tab
〃25)(
SU
5
−8
,SUBh
,p
.73
,11
.1
−4
)この 一samanvita に 対 して は,
Sahkara
は次 の 如 く注 釈 して い る26)
。
xiii )
salpkalpahalpkaradina samanvito
buddher
gupena
”tmagupena
ca
jaradina
1
(
ibid
.,73
,11
.13
−
15
)また
YogasUtrabhaLs
.ya
(YSBh
)に 次 の如
き一節
が あ る。xiv )
tasya
samanyasyaSabdadayo
vi 首eSah!
tatha
coktameka −
jatisamanvitanam27
) e§
am
dharmamatravyavrttir
iti
!/28) (YSBhV
,p
.298
,11
.4
−5
) ノそ れに 対 し て は,
Sahkara
の 真 作で あ るこ とに 疑念
が寄
せ られ るこ と もま まあ
る 29)Vivaraua
(YSBh
V
)をこは次の 如 くある。xv )
ekajatisamanvitanam sattvadigunasamanugatanam e§
am
bha
−tana
叩prthivyadinam
samanyana 坩6abdadidharmam
証tra
靼 vyavar −tate
〃(
ibid
.,p
.298
,11
。17
−18
) ノこれ らの こ とか ら何が
判
るで あろ うか。Sahkara
に よ っ てA
−samanvita がA
:
instr
.+ samanvita と分 解 された 事 実, −samanvita が 一samanugata で 置換
された事 実が 明 らか に な るだ けで あろ うか 。 ノ次い で ,
BS
I
−1
−4
中の samanvayat に 対 するSahkara
の 解 釈 を示 す (ホ ) 中の samanugata 乃至 ス ー トラの samanvaya の 語 義を闡 明 すべ く ,tat
で 担 わせ られて い る主張を可 能 とする理 由とし ての samanvayat は お よそ如 何な る もの で あるべ きか , との 観 点 よ り考察
を 進め て み よ う 。 それに 際 し て は や は りS4
・ 解 肋 丿α兢 7魏4
(S
幻 中の 用例を検 討 する に 及 くは ない であろ う。xvi
)
bhedanarp
parimap
註t
samanvayac chaktitahpravrtteS
ca!
ka
−ra 耳akaryavibhagad
avibhagad
vai6varupyasya
〃
3a)(
S
、酷15
,TK
’ ,p
.116
,11
.9
−11
)こ こ で の 議 論の 成 り行 きを把握す るた めに も,
y
毳観4
砂 罐σ (YD
) とTatt
− vahaumudi (TK
)の 当該
箇所 を引
こ う。 一556
一 N工 工一EleotronioKomazawa University Kom 三1z三1w三1 University
(
56
)BrahmasUtra
I
−1
−4
の解釈を 廻 っ て (金 沢)xvii )
iha
yena
bhedanal
ロ samanugatistasya
sattvamdr
爭tam
!tad
yatha
mrdaghatadinam
!
asti ceya 卑 sukhaduhkhamohaihSabda
・dinalp
samanugatih !tasmat
te
’pi
santiye
ca sukhadayo ’stami −tavi
きe $as
tad
avyaktam!tasmad
asty avyaktam1
(yZ
),
p
,64
,11
.19
−21
)17
−P
.)こ の 世 に は , そ れに よ っ て 個
物
が随 伴せ ら れ る もの (bhedanam
samanugatih )の 存 在が知 られてい る。 た と え ぽ個 々 の
瓶
の粘
土 に よ る随伴で ある。 そ して声 等に は苦 楽
癡
に よ る か の よ うな随 伴が存 在 し て い る。そ れ 故に 差 別 を 没せ る楽 等 も
存
在せ ね ぽ ならない 。 これが未
顕 現であ
る。(金 倉 ,
p
.126
,1
.21
−p
.127
,1
.3
)xviii )
SAMANVAYAT
.bhinnanam
sarapataSAMANVAYA
耳. su ・khadubkhamoha
−SAMANVITA
hi
buddhyadayo
,dhyavasayadilak
・§ap 夐
h
pratiyante
.yani
cayadrUpasamanugatani
tani
tatsvabhava
−vyaktakara4ani
yatha
mrddhemapiqdasamanugatahkUtamukuta
−dayo
mrddhemapipdavyaktakarap 誑iti
KARANAM
ASTY
AVYA
・KTAr
!
I
BHEDANAM
iti
siddham . (TK
,p
.118
,1L
10
−
15
)18
)同性で
あ
るか ら。 同性 で ある(samanvaya ) とは, 個 物に 同様な 本性
(samanarapata )が
有
る とい ふ 意 味であ
る。 決智
な ど (の作
用) をその 特徴 とする覚 等 (の 諸 原理)は 苦, 楽,
癡
に よ っ て 満た され て ゐる (saman ・vita = 苦 , 楽, 癡 と同性で ある) の を , われわれは 知るか らで ある。 そし
て , 或 本 性 と結 合せ る物は , それ を 自性とする
未
顕現 を, 因とし てゐ る。た とへ ぽ , 土 塊, 金 塊 と結 合 する瓶, 王 冠等は, 土塊, 金 塊 の未 顕 現を そ
の 因とするが
如
くで ある。 以上 に よ っ て , 個物
に未
顕 現な る因が存 在 す るこ とは 確 定 し た Sl) 。 (金 倉 ,
p
.57
,1L
12
−16
)さ らに こ の 議 論の 論理 的 性 格を 明確にする為に , ハ
砂
の α3醒 矯 兢 δ釧 α (NSBh
) 中の 用 例を引い て お くこ と も 無 駄 で は あ る まい 。xix )
ekaprakrtida 単 vyakta 単 vikarapalp anvayadarSanat ! mrdan −
vitanam
Saravadinam
drStam
ekaprakrtitvam ,tatha
cayam vyak −tabhedah
sukhaduhkhamohanvitodrSyate
!tasmat
samanvayadar −Sanat
sukhadibhir ekaprakrtidam vi≦vamiti
!
(湿 ),
p
.1197
,11
.4
−
8
)Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
BrahmasUtra
I
−1
−4
の 解釈を廻 っ て (金沢 ) (57
)19
)〔主 張 〕
r
顕 現せ る一 切は, 一 の本
性を もつ 」 〔理 由〕「
何
と な れ ば , 変異に は 〔共 通の 〕基 本が 見 らる るが 故に」。 〔
譬喩
〕 「粘
土 よ りな る 容 器 等 に は 一つ の 本 性が 見られ る」。 〔適 合 〕 「而 し て , 同様に , こ の そ れ ぞ れの顕 現せ る もの は , 快 感, 不 快 感, 無 知 よ りな る と見 らる」 〔帰
結
〕「
それ 故,快 感
等
に共 通的
な基 本 (samanvaya )を見
るこ とに よ りて , 身 体の 一切は一つ の 本 性 〔の 所 産 〕な り」と31 )。 (宮坂,
p
,409
,11
.12
−16
)xvii )か ら xix )に い た る まで の 三例 を通 じて,
我
々 は samanvaya(
or sa −manugati or samanvita ) とい う語に
対
する幾分
か 明瞭
な理解
を得
る こ とが出 来 る よ うに 思 わ れ る。XpL
gen
. 十 samanvaya (or samanugati )sg . nom .十Yinstr
.Xnom
.十Y
−samanvita (or − samanugata )nom .つ ま り複 数の
X
に (Xpl
.gen
.),Y
に ょっ て (orY
との ) (Y
instr
.), sa −manvaya
(or samanugati ) が あるな らば, 複 数の
X
に (Xp1
,gen
.), 共 通の 何 某か 原 因が存 在 する, と 主張 す るの で ある。 これ に 就 い て はやは り金 倉 博士
が 以下 の
如
くコ メ ソ ト され て い る。「とこ ろ で , 今の 場 合に ,
T
は サ マ ン ヴ ァ ヤ とは個 物の 同性を い う (bhi
−nnanam samanarttpata samanvayah ) と な し,
覚等
の 果はすべ て, 苦 楽癡の 同 じ性
質
を有
す る意となす。 金 七十
論 も同 一意 見で , 大等
雖不 同, 三徳性
是
一, 以此 一 性故 , 知 其 皆有
本, 故 知 有 自性 とい うて い る。今
此 処 で は この 解 釈に よっ た 。 即 ち個 物は 千 差万 別で あるが, 皆三 徳 よ り成 る点 に 於 て は
性 を 同 じくする 。 同 じ性 質で ある以上 は ,そ の
根
本に 唯 一 の もの が なけれ ばならぬ。 ゆ えに因 と し て の 未顕 現が
存
在す
る と 主張 す るの である。D
が この 語を
gleichartig
と訳して い るの も同じ意
味で ある。C
も全く
同 じ。J
も同 じ種 類に
属
す る個物
は同 じ性質
を有
す, ゆ えに苦 楽癡
を有す
る全 個 物は 同じ因即 ち未顕現を 予想す る と説 明 す る。 又
M
も略ぼ同 じ説明 をする 。Y
は… … …サ マ ン ヴ ァ ヤを随
伴
の義
とす る。 これ に 対 しG
は こ の 語 を 本 来の動
詞 sam +anu + ゾ丁 に 還元 し, 知 る, 推 知 する
意味
と な し て解釈
す る。 即ち青年
が戒
を守っ て い るの を見て , その 両 親が婆 羅 門な る こ とを推 知す る如 く, 三
徳
より成る大 等 を 証 相 と
認
めて , 因 あ り と証明するの をい う と な す。 彼に よれば(
2
) は 「推 理せ られるか ら」
とい う理 由にな り,G
独
特の解
釈 となる s2) 。」因み に 金 倉 博士 の文 中
T
,D
,C
,J
,M
,Y
,G
は 夫々SK
に対 する 注 釈TK
,P
. 一554
一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty (58 ) Brahmasutra I −1−4 の解釈 を 廻 っ て (金 沢 )
Deussen
の 訳 註, 注 釈C
αη” ’肱 ,ノ
ayamangala − ,Ma
’tha
「avrtti ,YI
),Gaud
’ αρ44
α肋 砺ッα を意 味
す る。ま た こ こ で 件の
SK
−15
の 和 訳3a)に 対し て 付された服 部正明 教 授の 注記
に 触れ て お く必要 を 感 ずる。 そ こ で 服 部 教 授は samanvaya に 就い て 次の如
く言われて い る。「
原
語 samanvaya は , (ある もの に) 従 っ て ともに 行 くこ とを 意 味 するが, 注 釈に よ っ て, 諸 個 物は 「と もに 」 sam 一 三種 の 構 成要 素に 「随 伴さ れ
て い る」 anvita
とい う点で , 「共 通 性 を も っ てい る」
(
互 い に他
の あ とに 従う)と理 解し た34)。
」
筆
者が今 敢え て こ の 服 部 教 授の簡
潔な注記 を 問題に し よ う とするの も, そ れ が 本 稿で の 眼 目,BS
I
−
1
−4
tat
tu
samanvayat 中の samanvayat に 対 する だ .Sa
血kara
に よ る解
釈 v) 中 (ホ)sarve $uhi
vedanteSu vakyanitatparyep
−aitasyarthasya
pratipadakatvena
samanugatani の 解 読に 大い に 関わ り が あ る と考 え られた 為で ある。 服 部 教 授が如 何な る 「注 釈」 に よっ た の か は ,今俄
に は 判 じ難い が, 「と もに」の 意 味が 釈 然 としないの で ある。 「諸 個 物は 「と もに」 sa 皿 ・三 種 の構
成要 素に 「随 伴されて い る」 anvita 」 とは如 何な る意 味か。 つ ま り諸 個物
が, 「共に 」 と書 き表わ すこ と が 出来る 「ともに 」sam ・ , 三種の 構成要
素に 「随 伴 され てい る」が為に 「共 通 性を もっ てい る」
と 「理解
」 される の で は な く, 諸 個物
が, 「い ずれ も」三 種の 構 成 要 素に 厂随 伴 されて い る」が 故に,「
共 通 性 を もっ て い る」 との 表 現が 可 能に な っ た と考え られた か らで ある。 「共 通 性 を もっ て い る」
を説 明す る か の 如 き もの とし て置かれ た 「(互 い に 他の あと に 従 う)」は , 「(ある もの に) 従っ て ともに行 く」を受けて の もの であ ろ うが , sama − nvaya とい う語を 「共通 性を もっ て い る」
こ と と訳す こ との 妥 当性 をよ り堅 固にす
べ く無理矢
理付
さ れ た (と筆
者に は 思わ れた ) 「(互 い に他の あ とに 従 う)」 は 徒 に 混 乱を招 来 するだ けであろ う。 ウ ロ ボ ρ ス に よっ て で もイメ ージ する他 ない 厂(互い に 他の あ とに従
う)」 こ とが ど うし て 「共 通 性 を もっ てい る」 こ との 説 明 に な るだろ う。 こ の 場 合の 「互 い に」 も 「い ず れ も」 と解して初
め て筋
が 通 ろ うとい う もの で ある。
bhinnanam
sarUpata (or samanarUpata ) samanvayahと率
直
に 注 釈 し たVacaspatimi6ra
はそ の よ うな こ とを 言 わ なか っ た筈で ある 。そ ろ そ ろ問 題の 文 章に 直 面 すべ きか も知 れ ない 。
tat
tU
SamanVayatKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
Brahmastitra
I
−1
−4
の解 釈 を 廻っ て (金沢 ) (59
) ノとい う
BS
I
−1
−4
に対 し てSa
血kara
に よっ て与え られたtat
brahma
sarvajia 卑 sarvaSaktijagadutpattisthitilayakara
−pa
卑 vedantaSastrad evavagamyate !… …sarve §uhi
vedante §uv訌
kytini
tatparyepaitasyarthasya
pratipadakatvena
samanuga ・tan1
ノとの 注 釈, さ らに そ れ を パ ラ フ レ
ーズ し ての
… … svatantram eva
brahma
6astrapram
的akalp vedantavakya −samanvaytid … …
… …vedantavakyanam
brahmavagatiprayojanana
!p
brahmatma
−nl
tatparyena
samanvlt 訌nam … …ノ
との 文
章
に で ある。確
か に これ らのSahkara
の 文章を受 けて,Vedanta
の 文章 (vakya ) が,Brahman
とい う 「同 じ意 味 を 表 わ す こ とに 於 て 一 致す る」 と表 現す る こ とは , 決し て誤 り とは言 え まい 。 そ れ どこ ろか sarve $uhi
vedan −te
$u vakyanitatparyepaitasyarthasya
pratipadakatvena
samanugataniに対 する
Renou
に よ るdans
tous
les
textes
du
Vedanta
les
propositions
concordent (samanugata )
a6tablir
un m6me sens , en visant un m6mebut
(ta
’tParya
) との 訳 文は見 事な もの と見な され る か も知 れ ない 。 だ が, 問 題の samanugata を concordent と訳 し, の 訳た る
4
’) に 明 らか な よ う に
samanvaya に 対 して concordance とい う訳 語 を与え, の vedantavakya
−
samanvayad の samanvaya に対し て や は り concordance とい う訳 語を与え35),
の samanvita に 対 して concordant とい う訳 語を与え る36)と な る とどうし て も 見 過 ご しに は 出 来 ない よ うに 思 わ れ る 。 こ の 場 合の concordance とは如 何な る 意
味
か37)。 「同 じ意 味
を表
わす こ とに 於て 一 致 す る」 と言 う時の「一 致 」 と解 し て 良い の か。 し て
Vedanta
の 文章
の (間の ) 卜 致 」 とは, 如 何な る意
味か 。 先 に 見た 服 部 教 授に よ るSK
−15
の 翻 訳に 対する注 記 中の 例の 「共 通 性 」 とい うこ とで ある か。 で あるな らばBS
L1
−4
中
の 主張
に対す
る理 由と して の samanva −yat
と,SK
−15
中の samanvayat は 全 く 同一 の 機 能を果た し て い るの か 。 こ こ に きて 初め て ,BS
I
−1
−4
とSK
−15
中に 於 て samanvayat が 共 に 理 由 と して機 能
して い る とこ ろ の 主張の 内実が比 較 さる べ きで あろ う38) 。SK
−15
の 場合は諸個
物
の (bhedanam
orbhinnanam
), samanvaya (or samanugati ) の 故に , そ れ らの 原 因た る avyakta (or