通塞の案内者
□高祖日蓮大士御妙判(『弥源太殿御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 八〇六頁) 法華経は三世の諸仏、発心の杖にて候ぞかし。ただ日蓮を杖・柱とも頼み給うべし。険しき山、悪しき 道、杖をつきぬれば倒れず。ことに手を引かれぬれば、まろぶことなし。(中略)日蓮、法華経の文の如く ならば、通塞の案内者なり。ただ一心に信心おはして霊山を期し給え。銭と云うものは用にしたがって変 ずるなり。法華経もまたまたかくの如し。闇には灯となり、渡りには舟となり、或いは水ともなり、或い は火ともなり給うなり。もし、しからば、法華経は現世安穏、後生善処の御経なり。 北条弥源太は、北条一門の要人であったとされますが、比較的早い時期からの篤信のご信者でもあった ことは、「もし私が先に臨終すれば、後から来る貴方を迎えましょう。そのとき、あらかじめ貴方の熱心な ご信心ぶりを閻魔法王に詳しく話しておきます。これは冗談ではありませんよ」といった内容が本書にあ ることからも想像できます。 前掲のお言葉は、文永十一年(お祖師様五十三歳)に佐渡から出されたお手紙の一節ですが、法難相次ぐ 鎌倉でのご信心は困難を極め、ベテランの信徒も迷わせる厳しさがあったのでしょう。そんな事情を踏ん で、お祖師様を信じ、御題目を杖としてご信心を貫けば、必ず現在も幸せを呼び、来世も浄土参拝の果報 を得ると力強く励まされる内容です。 御文の意味は「法華経はあらゆる仏様が、修行の中で道を誤らないよう頼りにされた杖です。その杖を 得て法華経信仰を護る私の教えを、杖とも柱とも頼りにしてご信心に励みなさい。杖があれば、険しい山 道も、どんな悪路も、倒れず、転ばずに歩むことができるのです。私は法華経の教えの通りに修行する者 ですから、功徳を勧め、罪障を止める道を熟知した、寂光への最良の案内者です。一心に御題目を唱えて、 み仏の待つ霊山浄土へ参らせていただきましょう。お金は用い方で価値が変ります。法華経も同じです。 浄土参詣のための杖として用いれば、闇に灯火を得るように、渡りに舟を得るように、あるいは水の用も 火の用もなす、私たちの助けとなるのです。法華経には、御題目を唱える者は現世も安穏に護られ、後世 は浄土という善処に生まれると説かれるのはこのことです」というものです。 お祖師様を信じ、その教えを頼りに未来成仏を願うご信心をさせていただきましょう。 □開導聖人御教歌 吾祖師の教へを守るこゝろこそ 利益をうくるもとゐ也けれ ★ ★ ★ご生誕
□高祖日蓮大士御妙判(『妙法比丘尼御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一五五三頁) 日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり。この国は仏の世に出でさせ給ひし国よりは 東に当りて二十 万余里の外、遥なる海中の小島なり。しかるに仏、御入滅ありては、既に二千二百二十七年なり。月氏・ 漢土の人の、この国の人々を見候へば、この国の人の伊豆の大島、奥州の東のえぞなんどを見るようにこそ候らめ。しかるに日蓮は、日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり、袈裟 をきたり。 お祖師様は貞応元年(一二二二)二月十六日、黒潮の洗う房総半島南端にあたる安房国長狭群東条郷片 海(現在の千葉県安房群小湊)で、土地の有力な漁師・貫名重忠、梅菊を両親としてご生誕されました。 その日は深海に住む鯛が浅瀬に群れ、浜には清水が涌いて蓮の花がいっせいに開花するなど、不思議な現 象(奇瑞)が起こり、天地が祝福したと各種の伝説は伝えていますが、お祖師様ご自身のご文書の中には、 あまり出生に関する記述はありません。ただ、「東海道十五ケ国の内、第十二に相当たる安房の国、長狭の 郡、東条の郷、片海の海人が子也」(本尊問答抄)、「安房の国、東条、片海の石中の賤民が子也。威徳なく、 有徳の者にあらず」(善無畏三蔵抄)、「日蓮は日本国東夷東条安房国の旋陀羅が子也」(佐渡御勘気抄)等、 封建的な階級意識の強い社会で、とかく貴種を誇示しがちな世相に反し、むしろ最下層に視線を置かれる お姿が印象的です。 右の御文は、「私は仏様の言われる南閻浮提の日本国に生まれました。ここは仏様の国から見れば、東の 果ての海中の小島で、インドや中国の人からすると、日本人が伊豆大島や東北の人たちを見るほど辺境の 生まれと言えるでしょう。しかし私は、そんな辺境の庶民の家から出て仏弟子となり、仏様の真実の法を 継いでいるのです」というものです。 もちろん「安房の国、東条の郷は辺国なれども日本国の中心の如し」(新尼御前御返事)とのお言葉もあ りますから、お祖師様は生地を卑下されているのではありません。つまり最高最尊の御題目だからこそ末 法の愚人・悪人を救うという法華経の信仰は、その生き方にも反映すべきことを教えるものと受け止める ことが大切でしょう。お祖師様のご生誕を語る数少ない言葉の中に、最高のご信心を学ぶほんとうの謙虚 さを再確認したいものです。 二月十六日は、御宝前にお赤飯を供えて、家族みんなでお祝いさせていただきましょう。 □開導聖人御教歌 人界に示同遊す御師匠 弟子も其気で愚者を助けよ ★ ★ ★
立教開宗
□高祖日蓮大士御妙判(『開目抄』昭和定本日蓮聖人遺文 五五六頁) 日本国にこれをしれる者、ただ日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば、父母・兄弟・師匠に国主 の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等にこの二辺を合わせ見 るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕べし。言うならば三障四魔必ず競い起こるべ しと知ぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は、退転すべくは一度に思い止むべし、としばらくや すらいし程に、宝塔品の六難九易これなり(中略)法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと説かるるはこ れなるべし。今度強盛の菩提心を起こして退転せじと願じぬ。 建長五年(一二五三)四月二十八日早朝、お祖師様は末法の凡夫を救済するための妙法・上行所伝の御題 目口唱の宗旨開きを宣言されました。混乱した世の中を仏様の慈悲に包み、地上に寂光を実現するための長年の教典研究の末の結論が、この立教開宗の慶事でした。 しかし、法華経本門八品の御法門で、久遠本仏から上行菩薩に伝えられた御題目の口唱以外に、末法の 人々を救う法を仏様が説かれていないことを、当時の人々は誰も知らない、つまりまだ、お祖師様お一人 しか知らない真実でしたので、同時にそれは、御題目以外の様々な経典や仏・菩薩を信じる人々をはじめ、 法華経に示される三類の強敵からの怨嫉迫害を覚悟の上の選択でもありました。なぜなら法華経には、人々 の煩悩の炎が燃え上がる末法に、真実を説く妙法弘通がいかに困難かが示され、宝塔品の六難九易等の譬 えを以て、あらかじめ不退転の覚悟が促されていたからです。言うべきか言わざるべきか、苦悩の末の答 えは、法難を覚悟して真実を語ろうとのものでした。 はたしてお祖師様のご弘通は、大小の難を振り払っての凄まじいものとなりました。小難は数知れず、 国家的な弾圧も二度に及んだのです。開目抄を著されたこのときは、佐渡流罪の最初の冬で、この御書の 内容はお祖師様の遺言的なものとしても知られますから、まさに命を削ってのご日常であったことでしょ う。 そんな絶体絶命の状況で、なお「今度強盛の菩提心を起こして退転せじと願じぬ」と、さらに強い信心 を固められるお祖師様。私たちご信心の源流には、このお祖師様の決死のお覚悟があったのです。 □開導聖人御教歌 たすけんと思ふ心のさきだてて にくまるゝともわらはるゝとも ★ ★ ★
日蓮の名乗り
□高祖日蓮大士御妙判(『四条金吾女房御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 四八四頁) 闇なれども灯入りぬれば明らかなり。濁水にも月入りぬれば澄めり。明らかなること、日月に過ぎんや。 浄きこと、蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮、また日月 と蓮華の如くなり。 ご生誕のとき「善日麿」と名付けられ、十二歳で清澄寺に勉学にあがられたときに「薬王麿」の名を与え られて、十六歳で出家されてからは「是聖房蓮長」と名乗られたお祖師様が、「日蓮」の名に改めらせれた のは、立教開宗の頃とされています。 お名前の典拠は、まず法華経の如来神力品に、「日月偈」でお馴染みの「日月の光明の能く諸々の幽冥(暗 くて見えないところ)を除くがごとく、この人、世間に行じて、能く衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして、 畢竟して一乗(仏の悟り法)に住せしめん」とある御文にあります。つまり一切の心の闇を払い、人々を み仏の世界へと導く妙法五字が、法華経では太陽と月の光に譬えられることから、お祖師様は最も明るく 輝く「日」の字を用いられたのです。そこには、真実法華経の魂である御題目を以て、末法濁世に迷う人々 の心の闇を明るく照らそうとの、立教開宗の目的が込められています。 次に「蓮」の字は、法華経の従地涌出品に「この諸々の仏子等はその数量るべからず。久しくすでに仏 道を行じて、神通智力に住せり。善く菩薩の道を学して、世間の法に染まざること、蓮華の水に在るがご とし。地より涌出し、皆恭敬の心を起こして、世尊のみ前に住せり」とある、久遠本仏の本弟子・地涌の 菩薩について述べられる御文に典拠があります。知徳円満の完成された人の相手より、煩悩渦巻く悪人凡夫の教導は困難です。しかし本弟子地涌は、泥田に咲く美しい蓮華のように、末世の塵に染まらない浄い 信心を持ったまま、敢えて悪世に弘通する任に就かれました。「蓮」の字の選択は、お祖師様がその地涌の 菩薩の流れを継ぐ法華経の行者として、苦難に屈せず濁世に花を咲かそうとのご決意が込められているの です。 日月と蓮華、それは妙法五字とその担い手の地涌の菩薩を象徴する命名です。立教開宗から七五〇年の 節目を迎える私たちは、そのお祖師様立宗のお意を再確認し、苦難に負けず、御題目の光で人々の心の闇 を照らす任を継がねばなりません。 □開導聖人御教歌 吾祖師の御なは日蓮世の人の こゝろのやみを照す妙法 ★ ★ ★
小松原のご法難
□高祖日蓮大士御妙判 (『南条兵衛七郎殿御書』 昭和定本日蓮聖人遺文 三二六頁) 今までも生きて候は不可思議也。今年も十一月十一日、安房国東条の小松原と申す大路にして、申酉の 時、数百人の念仏等にまちかけられ候いて、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあう者はわずかに三 四人也。射る矢はふる雨のごとし。打つ太刀はいなづまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は 大事のてにて候。自身もきられ、打たれ、結句にて候いし程に、いかが候いけん。うちもらされて今まで 生きてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候へ。 本書は文永元年十二月十三日付けで、駿河地方の有力信徒の南条氏(上野殿)に宛てられた書簡で、約 一カ月前に起こった小松原のご法難について記されています。 この頃、お祖師様は、蓮華寺(千葉県茂原)を拠点に故郷のご弘通を進められ、着々と成果をあげつつあ りました。が、ご弘通の進展と共に、地頭で熱心な念仏者の東条景信の恨みは高まり、ついに十一月十一 日の夕刻、工藤吉隆の招きに応じてその館に向かわれるお祖師様のご一行を、景信は軍勢を伏せて襲撃す るという暴挙に出るのです。 場所は東条郷松原大路(千葉県鴨川市広場)、時間は闇に包まれた午後七時頃で、十名ほどのお祖師様の ご一行の中で、防戦できるのは三~四人でした。武家出身の鏡忍房は傍らの松を抜き、それを得物に雨の ように降る矢や暗闇に閃く白刃から必死でお祖師様をお護りしますが、やがて力尽きて落命。乗観房と長 永房も深手を負い、また急を聞いて駆けつけた工藤吉隆も奮戦の末に戦死するのですから、いかに激しい 戦闘であったかが伺えます。お祖師様ご自身も騎乗の景信に切りつけられ、眉間に疵を負われるのですが、 不思議とこの絶体絶命の危機も凌がれて、九死に一生を得られるのです。 本書でお祖師様は、景信が絶体絶命のお祖師様を討ち損じた原因を、景信の信じる念仏の力と、お祖師 様のお持ちする御題目の経力の違いにあるとされ、「いよいよ法華経こそ信心まさり候へ」と仰せになって います。 御仏の御魂である妙法五字を正しくお持ちする行者であれば、いかなる困難も御題目の功力で護ってい ただけます。妙法五字のご守護を信じ、振りかかる火の粉を恐れず人助けの折伏行に精を出すことを、お 祖師様は身をもって教えられたのです。□開導聖人御教歌 妙法は仏の種といふことを さづけたきゆゑにくまるゝなり ★ ★ ★
龍ノ口ご法難
□高祖日蓮大士御妙判(『種々御振舞御書』昭和定本日蓮聖人遺文 九六七頁) 左衛門ノ尉申すやう。只今なりと泣く。日蓮申すやう。不覚の殿ばらかな。これほどの悦びをば笑えか し。いかに約束をば違えらるるぞ、と申せし時、江の島の方より月のごとく光りたる物、毬のようにて辰 巳の方(東南)より戌亥の方(西北)へ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面も見えざりしが、物の光り、 月夜のようにて人々の面もみな見ゆ。太刀取、目くらみ、倒れ臥し、兵共おぢ怖れ、興さめて一町計りは せのき、あるいは馬より降りてかしこまり、あるいは馬の上にてうずくまれるもあり。日蓮申すやう。い かに殿ばら、かかる大いに禍なる召人には遠のくぞ。近く打ちよれや、打ちよれやと高々とよばわれども、 いそぎよる人もなし。 本書は波乱に満ちたお祖師様のご生涯中、最大のご苦労であった龍口法難から佐渡ご流罪の前後のご様 子を中心に、躍動するようなお筆をもって語られる御書として知られます。 龍口法難は、文永八年(一二七一)九月十二日、鎌倉幕府に逮捕されたお祖師様が、同日の深夜に龍口の 刑場で斬首されようとした事件ですが、この法難はお祖師様だけでなく、多くのお弟子やご信者方にも徹 底的な弾圧が及びましたので、特に鎌倉のご信者の大半が退転するなど、お祖師様の教団は壊滅的な打撃 を蒙る結果となりました。 直接の原因は同年六月、お祖師様に雨乞い祈願の対決を挑んで敗れた律宗の忍性という僧が、お祖師様 の他宗門の非を折伏する活動を、社会不安を募る危険思想と幕府に訴えたことによりますが、その遠因は 立教開宗以来の御題目のご弘通が進展し、幕府や諸宗門といった既成の権威を脅かす存在にまでなった反 動と見ることができるでしょう。 さて、突然の逮捕のあと、謀反人のように市中を引き回されたお祖師様は、同日午後六時頃には早くも 佐渡流罪が決定され、同深夜に鎌倉を出発します。しかし幕府の目的は、当初より途中の刑場で首を切り、 お祖師様を亡き者にすることにありました。 右の御文は、急を聞いて駆けつけ、お祖師様に随伴していた四条金吾が「もうダメです。ここで首を切 られます」と泣くので、「うろたえないで、法華経のために命を捨てる尊さを祝福してください」と諭され る対話に始まる、法難のご様子を描写されたものです。 かくてこの事件は光物の現証によって、法華経のご守護を証明する結果となるのです。 □開導聖人御教歌 江の島の光物にて疑ひの むねのくもりぞはれわたりぬる ★ ★ ★大悪は大善の来るべき瑞相
□高祖日蓮大士御妙判(『智慧亡国御書』昭和定本日蓮聖人遺文 一一二九~一一三一頁) 今の世は外経も小乗経も大乗経も一乗法華経等も、かよわぬ世となれり。故いかんとなれば、衆生の貪・ 瞋・癡の心のかしこきこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし(中略)今の代には正嘉の大地震、文永の 大彗星のとき、智慧かしこき国主あらましかば、日蓮を用いつべかりしなり。それこそなからめ。文永九 年の同士討ち、十一年の蒙古の責めのときは、周の文王の太公望を迎えしがごとく(中略)すべかりしぞか し。日月は生盲の者には財にあらず。賢人をば愚王のにくむとはこれなり。しげき故にしるさず。法華経 の御意と申すは、これていの事にて候。外のこととおぼすべからず。大悪は大善の来るべき瑞相なり。一 閻浮堤うち乱すならば、閻浮提内広令流布は、よも疑い候はじ。 本書は富士山麓の賀島の荘に在住の信徒、高橋六郎兵衛入道の妻・持妙尼に宛てられた書簡で、ご執筆 の年は、内容から文永の役のあと、建治元年頃とされています。 高橋入道はお祖師様の鎌倉弘通時代の入信とされ、北条家に近い武士で、同地の有力信徒でした。その 妻の持妙尼は、お祖師様の高弟・日興師の叔母に当たります。 さて、お祖師様は本書に、仏様がお隠れになってから経過した時間が悪世末法を作るのではなく、そこ に住む人の心が不安定な社会を生み出すと説かれます。つまり国が衰退するのは、そこに住む人の煩悩が 次第に強盛になってきたためで、裏返せば御題目で人々の煩悩を退治さえすれば、自然と世の中に幸福を 呼び戻すことができると教えられるのです。 右の御文は、「末法では仏教以外の教えも、仏教の様々な教えも、法華経でさえも人々に幸福をもたらし ません。なぜなら人々の煩悩が、仏様の智慧に匹敵するほど盛んだからです。近年は大地震や大彗星が人々 に不安を与え、また北条家の内乱や蒙古来襲と不穏な事件が続きます。賢い為政者があれば、悪世を救う 御題目を説く日蓮を用いるはずですが、残念ながらないようです。所詮、目が見えなければ太陽も月も拝 めず、愚かな国主は賢人を遠ざける道理です。詳細は省きますが、仏様が法華経を説かれたのは、そんな 時代のためなのです。世情の混乱は真実の仏法の弘まる良き前兆です。ますます世が乱れれば、多くの人 を御題目の御利益が救う日も近いのです」と言うものです。 悪世体験を深める困難は忌むものではなく、「大善の来るべき瑞相」なのです。 □開導聖人御教歌 末法は悪世と聞けど妙法の 弘まるみれば善世也けり ★ ★ ★積み重ねの一粒となるご信心
□高祖日蓮大士御妙判(『撰時抄』昭和定本日蓮聖人遺文 一〇五四頁) 衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは、日本国には 一渧一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千萬億人、唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は、これよりほかに、又もとむる事なかれ。 本抄は、佐渡流罪を赦免された翌年の建治元年六月(お祖師様五十四歳)に身延で著された、古来日蓮門 下では五大部に数えられる重要御書です。内容は題号の示す通り、末法という時に相応しい仏様の御法門 は、八万四千と言われる膨大な経々の中でも、唯一法華経に限ることが論述され、このことを知るご自身 の責務の重要性、つまり時期を外した仏法を学び、御利益の顕れない教えに迷う仏教諸宗を、たった一人 からでも断固折伏して、正法に導かねばならないという決意を述べられるものです。 よく創業者の偉業を誉め称える美談がありますが、思えばお祖師様の立教開宗以来の御奉公は、正しく ご自身お一人からの孤独かつ険難なご弘通の日々であったと推察します。今日の私たちのように先輩の跡 を継ぐのでもなく、励ましあえる仲間もありません。ご自身が根負けすれば、なし崩しに全てが壊れる状 況の中、一人また一人と折伏され、今日の礎をコツコツと積み上げられてこられたのが、お祖師様でした。 右のお言葉は、そんなお祖師様から、「大きな海は、一滴(一渧)一滴のしずくが集まったものです。宇宙 の中心に高々と聳える須弥山も、小さな塵が積み重なった結果です。一天四海皆帰妙法の大願も、まずは 一人ひとりが一滴・一微塵となることで、必ず成就します。私はこの最初の一滴になるつもりで励んでき ましたが、後に続くご信者たちも、コツコツと積み上げる大切さを忘れずに、根気よく信行に努めなさい。 日々の積み重ねが事を成し、仏様の果報を手にすることにもなるのです」とお教えいただくものです。 すぐに結果が表れないと、投げやりになり、諦め、物事を雑に処理しがちなお互いですが、家庭内の信 心相続も、組内の充実やお寺の発展も、皆自分が最初の一粒になる覚悟があれば、必ずそれは、大きな成 功への着実な前身になります。今の一つひとつのご弘通御奉公を大切に、そして確実に行うことが大事で す。 □開導聖人御教歌 ひとりでも御題目を持たせば これぞ如来のつかひ也けり ★ ★ ★
身命を惜しまず
□高祖日蓮大士御妙判(『撰時抄』昭和定本日蓮聖人遺文 一〇五九頁) されば我弟子等、心みに法華経のごとく身命も惜しまず修行して、このたび仏法を心みよ。南無妙法蓮 華経、南無妙法蓮華経。そもそも、この法華経の文に、「我、身命を愛せず。ただ無上道を惜しむ」(中略) いかなることのあるゆえに、身命を捨つるまでにてあるやらん(中略)雪山童子の半偈のために身をなげ、 薬王菩薩の七万二千歳が間、臂を焼きしことか、なんど思いしほどに、経文の如きんばこれらにはあらず。 経文に我不愛身命と申すは、上に三類の敵人をあげて、彼らがのり、責め、刀杖に及んで身命をうばうと も、と見えたり。 万人にとって、命ほど大切なものはありません。その大切な命さえ、惜しみなく御法に捧げる決定心に、 現証の御利益と直結をする信心があるとお祖師様は教えられました。 本抄は、大難相次ぐご弘通ののち、後進の指導のために身延に退隠された翌年のご著述ですが、内容は 釈尊の滅後より末法の今日に至る歴史を述べて、仏法の弘通には「時」の問題が重要なことを証明し、ご 自身の苦難に満ちたご弘通が、末法の衆生救済の法である法華経といかに符合しているかを論じていかれるものです。 しかし、命を捧げるというのは、口で言うほどやさしいものではありません。お祖師様は不惜身命を説 かれるとき、仏典にある雪山童子や薬王菩薩の物語りをたびたび引用されますが、これらは「命を捨てる」 ということではなく、「捨てる覚悟」によって永遠の生命を拾うことを教える、大切な御法門です。ちなみ に雪山童子は、「諸行無常是生滅法」に続く「生滅滅已寂滅為楽」の半偈を得るため、大鬼神の口に身を投 じるのですが、この求法の純信が、童子に成仏の道を開かせます。薬王菩薩もまた、自らの肘を燃やして 灯明とし、仏に供養した正法護持の志しによって、未来成仏が約束をされるのです。 ところでお祖師様は、「我不愛身命」のほんとうの意味は、三類の強敵に屈しない信心であると述べられ ています。「久遠本仏が示された純粋信仰を志す弟子信者たちよ、試しに法華経に説かれる通り、御法のた めに人生を捧げ、不惜身命の思いで御奉公に臨ませていただきなさい。そこに久遠本仏の説かれる真実の 世界は開かれるのですよ」とのお祖師さまの呼びかけに応え、身を厭わず、時間を厭わない信心を目指し ましょう。 □開導聖人御教歌 法のため命捨てよに驚きて 浄土参拝うち忘るとは ★ ★ ★
悪世で苦労する功徳
□高祖日蓮大士御妙判(『報恩抄』昭和定本日蓮聖人遺文 一二四八頁) 日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひ らける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は伝教・天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。これはひとえに日蓮 が智のかしこきにはあらず。時のしからしむるのみ。 易々と平穏に御奉公できる環境を求めるお互いは、その反対の状況、つまり「まさに末法だ」と思える 困難を迎えたとき、ご信心に迷いを生み、ときに懈怠をしがちです。「こんなはずではなかった」「なぜ信 心をして辛い思いをしなければならないのか」……と。 しかし、お祖師様はそこにこそ、真の菩薩行の舞台があると教えられました。本文中の「極楽百年の修 行は穢土一日の功に及ばず」のお言葉は、劣悪な環境で、信心を奮い立たせて御奉公すれば、苦労した分 だけ功徳も深いという真理を、端的に示される名言です。 右の御文は、「はるか未来に生まれる人々も、この御題目で幸せになって欲しいという願いをもって、ど んな困難にも負けずに真の法華経信仰の土台を築いていますから、きっとこの御題目のご信心は、末法万 年の先まで人々を幸福に導くでしょう。未来に御題目を伝えて、すべての人々の心の闇を照らし、地獄へ 堕ちる運命を転じる功徳は、インドや中国、日本の仏教史に名を遺す偉人方の活躍にも優れます。なぜな ら仏様は、楽々と法の弘まる極楽で百年もの修行を重ねるよりも、困難に満ちた末法でたった一日、苦労 して法を弘める方が、功徳が優れると教えるからです。偉大な先師に優る功徳が得られるのは、決して私 の才覚によるものではありません。末法という時代に御奉公できる果報が、大きな功徳を与えてくれるの です」と言うものです。長引く不況で大企業が倒産し、庶民の生活を脅かします。為政者のスキャンダルが絶えず、得体の知れ ない病気が蔓延し、天候は不順で大きな地震も頻繁に起こります。家族はバラバラで信じがたい青少年の 犯罪が頻発し、不気味な新宗教が世間を騒がせて、素直に信仰を求める人は減っています。まさに「世は 末法」の感が深まる世相ですが、だからこそ敢えて困難に立ち向かい、大功徳を積むチャンスと喜ぶのが、 お祖師様の信者なのです。 □開導聖人御教歌 苦しみてつとむる中におのずから ありとし聞けり御仏の道 ★ ★ ★
雪漆の信心
□高祖日蓮大士御妙判(『西山殿御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一二五二頁) それ、雪、至って白ければ、染むるにそめられず。漆、至って黒ければ、白くなることなし。これより うつりやすきは人の心也。善悪にそめられ候。真言・禅・念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば、必ず地獄 に堕つ。法華経にそめられ奉れば、必ず仏になる。経に云わく、諸法実相云々。また云わく、若人不信乃 至入阿鼻獄云々。いかにも御信心をば、雪・漆のごとくに、おもちあるべく候。 大内安清氏は、駿河国富士郡西山郷の地頭職であっため、お祖師様から西山殿と呼ばれていました。幕 府の御家人として出仕する一方で、もっぱら僧とも俗人ともつかない山法師の格好で暮らし、仏教各宗の 教えも一通り学ばれていたので、西山入道とも称されています。たびたび教えを受けるようになるのは、 お祖師様が西山郷に程近い身延に入られてからのようですが、「真言・禅・念仏宗等の邪悪の者にそめられぬ れば、必ず地獄に堕つ」とのご注意をいただかれるところをみると、まだ各宗の知人との交誼があり、様々 な教義を学ぶ知的好奇心が旺盛であったことを窺わせます。 さて、右の御文は、西山氏からの銅銭の供養に対する返書に添えられた、建治二年(お祖師様五十五歳) の短文の書簡です。意味は、「目映く輝く純白の雪は、あらゆる色を吸い込みますし、真っ黒な漆も色が褪 せません。それに対して人の心の、なんとたわいもなく善悪に染まりやすいことでしょう。今まであなた が学んだ真言や禅、念仏等の方便経(仮の教え)を、仏様に背いて教える者たちに心を染められると、地獄 に堕ち、逆に真実の説かれる法華経の御題目に心が染まれば、仏に成ることができるというのは、み仏が お経文に述べられる通りです。どうかあなたの法華経のご信心が、真っ白な雪や真っ黒な漆のように、な にものにも染まらない堅固なものとなりますように……」と諭されるものです。 後に西山氏の帰寂後、家内の後家尼が身延のお祖師様に手厚い供養をされたようで、「涙が溢れるほど感 激しました」との後家尼に宛てられた礼状が遺りますから、きっと西山氏はお祖師様の教えを守り、最後 まで御題目の信仰を貫くことができたのでしょう。 善悪の影響を受けやすいのが私たち凡夫の心です。最良の善根・法華経の信仰に、深く心を染め上げて、 不動のご信心を得ることが大切です。 □開導聖人御教歌 しらいとのそむればそまる人ごころ なるるをえらめ色のよしあし ★★ ★
志を重ねる
□高祖日蓮大士御妙判(『乙御前御消息』昭和定本日蓮聖人遺文 一一〇〇頁) いかなる男をせさせ給うとも、法華経のかたきならば随い給うべからず。いよいよ強盛の御志あるべし。 氷は水より出でたれども、水よりもすさまじ。青き事は藍より出でたれども、重ぬれば藍よりも色まさる。 同じ法華経にてはおわすれども、志を重ぬれば他人よりも色まさり、利生もあるべき也。木は火にやかる れども、栴檀の木はやけず。火は水に消さるれども、仏の涅槃の火はきえず。華は風に散れども浄居の華 はしぼまず。水は大旱魃に失すれども、黄河に入りぬれば失せず。 本書は乙御前の母、日妙尼に送られた書簡ですが、文末が「乙御前もさぞ立派に成長したことでしょう。 どれほど賢くなられたか楽しみです」と締められるため、『乙御前御消息』と置題されています。ご著述さ れたのが蒙古来寇(文永の役)の翌年(建治元年)八月ですので、お祖師様の予言が的中したのは、法華経 の教説が優れているためであることを詳しく述べられる内容となっていますが、右の御文はその中で、寡 婦の日妙尼がどんな素晴らしい男性を夫に選ぶ場合も、この優れた法華経信仰の妨げとなる人なら、敢え て避けるほどの強い信心前を今後も養うことを勧められるお言葉です。 志を深くするということを、本書は巧みな譬喩で説かれます。「水から出来る氷は水よりも冷たく、藍も 重ねればより青くなるように、ご信心も志を重ねれば更に御利益をいただく身となれるのです。火に焼け ない栴檀の木や、水に消えない仏の荼毘の火が、涅槃経に説かれます。聖者の住む浄居天では花びらも風 の影響を受けず、大旱魃でも大河は水を湛えます。ですから人並みで満足せず、常識の外にある究極を目 指しなさい」……と。 この御文の背景には、お祖師様が非常に高く日妙尼の篤信を買っておられたことがあります。本書には 「鎌倉にいた頃は、ご信者の志の厚薄はよく見えなかったが、国の罪人として訪ねる人もない佐渡に渡っ たときは、女性の身ではるばる会いにきてくれた貴女の志の深さがよく分かった」という一文があります し、別の日妙尼への書簡には、その強信を「日本第一の法華経の行者の女人」と賛嘆し、「日妙聖人」の名 を授けられています。そんな志の深い日妙尼だからこそ、「ご信心には上限はないのだぞ」「もっと深い志 を磨きなさい」と励まされたのです。ご信心の深みを知るには、現状に甘んじない姿勢が大切です。 □開導聖人御教歌 信心の功徳のふかさ御利益の ひろさは仏とかせ給はず ★ ★ ★火の信心と水の信心
□高祖日蓮大士御妙判(『上野殿御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一四五一頁) そもそも今の時、法華経を信ずる人あり。或いは火のごとく信ずる人もあり。或いは水のごとく信ずる人もあり。聴聞するときは燃え立つばかり思えども、遠ざかりぬれば捨つる心あり。水のごとくと申すは、 いつも退せず信ずる也。これはいかなるときも、つねに退せず問わせ給えば、水のごとく信ぜさせ給える か。貴し貴し。 本書は建治四年(お祖師様五十四歳)に、身延から南条氏に送られたお手紙で、ご供養の品のお礼に寄 せて、供養の功徳の大きなことと、南条氏のいつも変らない信心の貴さを「火の信心」「水の信心」に譬え て褒められる内容です。 右の御文は、「そもそも今の末法の時代、法華経のご信心をする人に、火のような信心と水のような信心 の二種類があります。御法門を聴聞して燃え立つように発奮しても、少し遠のくと冷めてしまい、ついに ご信心を捨ててしまうのは火の信心の人です。水の信心というのは、大地に水が循環するような、いつま でも絶えないご信心を言うのですが、貴方はいつも変らずご信心に熱心で、いろいろ質問してこられます から、正しく水の信心の人と言えるでしょう。これは本当に貴いことです」と仰せなのですが、ご信心は いくら一時やる気になっても、熱しやすく冷めやすいのでは意味がありません。なぜなら、三毒強盛の我 の強い凡夫が仏様の徳を身に付けるには、そんな付け焼刃では済まされないからです。 たとえば凡夫の悪い癖を直すのは難しく、たいていの人は悪いと分かっていながら矯正に挫折して、一 生涯その悪癖を持ち続けるのも同じことです。口が悪い、姿勢が悪い、何でも後回しですぐに出来ないと いった欠点は、誰もがすぐに自覚できますが、自分の癖のまま生きる方が楽ですから改めようと誓っても、 いつか元の姿に戻るのです。ですから、本気で直そうと思えば、身に付くまで地道に取り組む強い意志が 必要です。 まして煩悩に迷い、罪障を積みがちなお互いが、煩悩を離れて功徳の積める信者になろうというのです から、そこは身に付くまで根気良く続ける信行の姿勢は不可欠です。 世間でも「石の上にも三年」と言います。朝参詣が身に付くまで、お給仕が身に付くまで、信者らしさ が身に付くまでは……と、ともかく倦まず弛まず続ける「水の信心」を忘れてはなりません。 □開導聖人御教歌 をこたりの心のよごれあらはんと おもはゞせめてみとせつとめよ ★ ★ ★
姿にあらわす
□高祖日蓮大士御妙判(『千日尼御前御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一五四五頁) 日蓮が庵室に昼夜に立ちいて通う人もあるを、まどわさんと責めしに、阿仏房にひつ (櫃)をし負わせ、 夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ(中略)法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こ そ、今生には退せぬとは見えて候え。されば十万億供養の女人なり。その上、人は見る眼の前には心ざし 有りとも、さし離れぬれば、心はわすれずとも、さてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まで はすでに五ケ年が間、この山中に候に、佐渡の国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。 大地よりもあつく、大海よりもふかき御心ざしぞかし。 佐渡ご滞在中のお祖師さまの命をつなぐ、最も功のあったご信者は、阿仏房と千日尼の夫妻です。雪嵐の舞う日も、千日尼は夫の阿仏房に櫃を負わせて塚原の草庵を訪ね、干飯や餅、衣類をご供養されました。 夫の阿仏房は、佐渡の守護代・本間重連より流人僧・日蓮の身柄を預けられた念仏の入道でしたので、 はじめはお祖師様を念仏の敵と嫌悪しましたが、お祖師さまの泰然不屈の口唱と仏道考究のお姿に感銘さ れ、ついに地頭らの監視の目を盗んで、お祖師さまが佐渡に住まわれた約千日(正確には九百十五日)の 間、お給仕の誠を捧げるのです。 右のお言葉は、阿仏房が身延を三度目に訪れたおりに、妻の千日尼に宛てられたお手紙の一節ですが、 「佐渡の時代は官吏の目を恐れず、不退転の決意でお給仕くださったこと、その篤い志は何度生まれ変っ ても忘れることはないでしょう。こうした強いご信心は、過去世で十万億の仏を供養した証と法華経に説 かれますが、貴女こそまさにその人です。しかも人は普通、人目があるときは志篤く振舞えても、疎遠に なれば、気にはしつつも、近くにいた頃ほどは御奉公もできないものですが、遠く離れた今も、志の深さ を夫に託してお給仕くださるとはくださるとは……。ほんとうに素晴らしいご信心です」と、いつも変わ ることなく気持ちを姿・形に表し、身を以って功徳を積むこの夫妻に対し、深く感動されると同時に、常 に絶大な賛辞を贈られるのです。 なお、阿仏房は、翌弘安二年三月二十一日、九十一歳の高齢で帰寂されています。 □開導聖人御教歌 みほとけに供へし徳は身につきて 生々世々にはなれぬときく ★ ★ ★
冬は必ず春となる
□高祖日蓮大士御妙判(『妙一尼御前御消息』昭和定本日蓮聖人遺文 一〇〇〇頁) 法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、見ず、冬の秋とかえれる事 を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。 本書は建治元年五月(お祖師様五十四歳)に、妙一尼に宛てられたお手紙で、夫を亡くした尼の悲しみ を慰められる内容です。 妙一尼の夫についての詳細は分かりませんが、本文中に「しかるに聖霊は、或いは病子あり、或いは女 子あり。われ捨てて冥土に行きなば、枯れたる朽木のようなる年寄り尼が一人とどまりて、この子どもを いかに心苦しかるらんと、なげかれぬらんとおぼゆ」とありますから、年老いた婦人に病気の子供と女の 子を残し、一家の柱を失うという最悪の状況が察せられます。しかも「聖霊は法華経に命を捨てておはし き。わずかの身命を支えしところを、法華経の故に召されしは、命を捨つるにあらずや」とあるのは、生 活を支える僅かの所領を、法華経信仰のために召し上げられて亡くなったのは無駄死にではないという励 ましですし、またお祖師様の言葉に違えず蒙古の襲来のあったことを生前に知れば、どんなに喜んだこと かとの内容もありますから、お祖師様の佐渡流罪中に弾圧に屈せず、幕府に抗して信心を貫き、殉教され た方ではないか、とも推察できるのです。 これらの御文から、命に代えても信仰を護った信心堅固な夫像が浮かびますが、その代償は一見厳しい ものでした。そんな妙一尼に対して語りかけられたのが、先のお言葉です。 御文の意味は、「御題目のご信心は、必ず我が身の罪障を消滅し、大いなる功徳を積ませていただけるものですから、唱えれば唱えただけ、確実に身の果報を増します。と言うことは、熱心な信仰のある人は、 現在より状態が悪くなることはありません。あとは浄土参拝の大果報に向けて、前進あるのみです。この ことを季節に譬えれば、厳しい冬は着実に生命の躍動する春に向かっているようなもので、季節の逆戻り はあり得ません。法華経の正しい信心を得た人が、再び凡夫に逆戻りしないというのも同じです。きっと ご主人は、生前の功徳で浄土を謳歌していることでしょう」と、力強く諭されるものです。 逆境に立ったときこそ、こうしたお祖師様の言葉を思い出して、日々の信行を怠りなく務める信者とな らせていただきましょう。 □開導聖人御教歌 つとむれば罪障滅しつつしめば 身をおこすべき利益蒙る ★ ★ ★
功徳行の目的
□高祖日蓮大士御妙判(『種々御振舞御書』昭和定本日蓮聖人遺文 九六六頁) 今夜、頸切られへまかるなり。この数年が間、願いつることこれなり。この娑婆世界にして、雉となり し時は鷹につかまれ、ねずみとなりし時はねこに喰らわれき。あるいは妻に、子に、かたきに身を失いし こと、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度も失うことなし。されば日蓮、貧道の身と生まれて、 父母の孝養、心に足らず。国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて、その功徳を父母に回向せ ん。そのあまりは弟子旦那等にはぶく(配当)べしと申せしこと、これなり 龍口法難で、追い腹を切ろうと悲壮な覚悟で随伴する四条金吾に、お祖師様は「不覚の殿ばらかな。こ れほどの悦びをば笑えかし」と仰せになりました。理由は、ご弘通のために命を捨てる功徳が、多くの人 の幸せに向うことを諭されるためでした。 御文の意味は、「これから首を切られに行きますが、これは数年来、私が待ち望んでいたことです。なぜ なら、生まれ変わりを繰り返す私の魂は、今まで何度も娑婆に命を得てきたでしょうが、雉と生まれた一 生なら鷹の餌食となって寿命を終え、ねずみに生まれた一生なら猫に食べられて命を終えたことでしょう。 あるいは人と生まれても、妻のために人生を終え、子供のために命を捨て、また敵のために幕を閉じた生 涯なども、星の数ほどあったと思います。しかし、法華経に身を捧げ、法華経のために捨てた命は一度も なかったはずです。ですから私は、ご弘通に生きる貧しい身の上で、両親に人並みの孝養も尽くせず、ま た私を生かしてくれた国の恩に報う力もありませんでしたが、法華経を説くことで怨嫉を受けて命を終え、 法華経のために命を捧げたという最大の功徳を、今から両親に贈ろうと思うのです。この大功徳は、両親 の幸福のために使っても余りあります。ですから両親のほかに、一生懸命にご信心に励まれる、私の弟子 やご信者方の幸福のためにも届くことでしょう。私はそんな機会を、ずっと待っていたのです」と言うも のです。 「回向」というと、亡くなった方の弔いと理解される方が多いのですが、本来は自分の積んだ功徳を、 他の方の幸せのために「回らし」「向わしめる」ことを意味する言葉です。私たちが御奉公に励むのは、そ んな他の人を幸せにする功徳を積むためにほかなりません。□開導聖人御教歌 よの人に施すのみの功徳ぞと おもへばわれにかへるなりけり ★ ★ ★
六度万行を満足する功徳
□高祖日蓮大士御妙判(『日妙聖人御書』 昭和定本日蓮聖人遺文 六四四頁) この妙の珠は、昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して、身を飢えたる虎にかい(飼)し功徳、鳩にかひ(貿)し功徳、 尸波羅蜜と申して須陀摩王としてそらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、 能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を、妙の一字におさめ給いて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざ れども、六度万行を満足する功徳をあたえ給う(乃至)経に云わく、如我等無異等云々。法華経を心得る 者は、釈尊と斉等なりと申す文なり。 上行所伝の御題目には、釈尊が過去世に積まれたすべての功徳が包まれます。この偉大な功徳を、御題 目の口唱を通して譲り受けることができると教えられる御文です。 御文の意味は、「この御題目には、まず檀波羅蜜(布施行)と言って、釈尊が過去世に、七子を生んで飢え る虎に自身を供養した功徳(菩薩本行経)や、尸毘王と生まれた過去に、鳩の身代わりとなって、鷹に身を 与えた功徳(本生鬘論)等が包まれています。また尸波羅蜜(持戒行)と言って、須陀摩王と生まれた過去世 に、鹿足王に捕らわれ断罪となりますが、七日の暇を乞い、城へ戻って布施行をし、王位を譲り、首を切 られる約束を守って鹿足王のところに戻り、戒行を果した功徳(六度集経)も包まれています。忍辱仙人と 生まれた過去には、宮女を集めて忍辱行を説いたところ、王が怒って仙人の手足を切るのですが、これを 忍んで忍辱行を遂げた功徳(賢愚経)を積まれ、また能施太子と生まれた過去世には、龍王の如意宝珠を得 て心のままに布施行を行おうとしたところ、龍神がこの珠を奪って海底に沈めたので、大海の水を汲み干 して、人々の幸せのために再び如意宝珠を得るという功徳(大意経)を積まれますが、それらも御題目に包 まれています。釈尊が前世に積まれた、これら数々の菩薩行の大功徳は、とても私たちに真似できるもの ではありませんが、仏様が法華経本門八品の御法門の中で、その功徳を御題目に包んで私たちに与えてく ださったので、口唱の中に釈尊の積まれた大功徳を頂戴できるのです。お経文に、仏様と私たちは異なる ことが無い、とあるのはそのことです」と言うものです。 六度というのは、菩薩の基本的な六つの修行ですが、それらの功徳を含めて、一切万法を具足するのが 妙法五字です。他を願うことなく、一心に口唱に励みましょう。 □開導聖人御教歌 本仏の本智をさまる宝篋は 妙法蓮華経の五字也 ★ ★ ★御題目は琥珀と磁石の如し
□高祖日蓮大士御妙判(『法華題目抄』昭和定本日蓮聖人遺文 三九三~三九五頁)琥珀は塵をとり、磁石は鐡をすう。我等が悪業は塵と鐡の如く、法華経の題目は琥珀と磁石の如し。か く思いて、常に南無妙法蓮華経と唱うべし(中略)問うて云わく、妙法蓮華経の五字には、いくばくの功徳 をおさめたるや。答えて云わく、大海は衆流を納め、大地は有情・非情を持ち、如意宝珠は万宝を雨(ふら) し、梵王は三界を領す。妙法蓮華経の五字もまたまたかくの如し。一切の九界の衆生、並びに仏界を納め たり。十界を納むれば、また十界の依報の国土を収む。 『法華題目抄』はお祖師様が自ら置題された御書で、お題の示す通り、御題目を唱える功徳の広大なこ とを述べられるものです。相手の方は諸説がありますが、「御題目を一日に六万遍、十万遍、千万遍も唱え て、それでも時間があれば念仏でも唱えなさい」等の内容から、浄土信仰を持つ女性に宛てられたものと 推察できます。 本抄に説かれる御題目の功徳は多岐にわたりますが、ここにあげた御文では、「琥珀は塵を取り、磁石は 鉄を吸いますが、譬えれば御題目は、私たちの持つ悪い因縁を、塵や鉄のように吸い取る琥珀や磁石と思 って、常に唱えなさい(中略)御題目にはどのような功徳が包まれているかを答えましょう。大きく深い海 は、あらゆる流れを納めます。大地は心を持つ生き物ばかりでなく、草や木や岩石なども含めたすべてを 支えています。思いのままに様々な物を出す如意宝珠という珠はあらゆる宝を生み出し、大梵天王は欲界 や色界、無色界を治めています。御題目も、そのようなものです。妙法五字には、地獄・餓鬼・畜生・修 羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩という九つ世界と仏の世界、つまりこの宇宙のあらゆる生命が納めら れています。そしてこの十界が納まることで、それらの住む一切の国土も納まっているのです」と、譬え をもって示されています。 つまりこの御題目に、宇宙のあらゆる存在を包み込む功徳が備わっているために、御題目を唱えれば私 たちの様々な罪障が吸い取られ、苦悩の原因が取り除かれるということで、平たく言えば人間関係を良く する法も、健康になる法も、家庭が円満になる法も、人格を磨く法も、そして世界平和を実現する法さえ も、とにかく一切法の功徳が包まれるのが御題目なのです。口唱信行は、その広大な功徳を我が身にいた だく方法です。 □開導聖人御教歌 万法を含み給へる妙法を たもちてなんの不足やはある ★ ★ ★
口唱は情愛の心で
□高祖日蓮大士御妙判(『妙一尼御前御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一七四九頁) それ信心と申すは、別にこれなく候。妻のをとこ(夫)を惜しむがごとく、をとこの妻に命をすつるが ごとく、親の子をすてざるが如く、子の母に離れざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩、諸 天善神等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを信心とは申し候也。しかのみならず、正 直捨方便、不受余経一偈の経文を、女の鏡をすてざるが如く、男の刀をさすが如く、すこしもすつる心な く案じ給うべく候。本抄は弘安三年五月十八日付けで、身延より妙一尼へ与えられた書簡です。 妙一尼については、六老僧筆頭の日昭師の母ではないか等の諸説もありますが、これは年齢的に疑問が 残り、検証の余地を残します。ただ、鎌倉に在住して法難に耐え、多くの弟子信徒が退転する中でも信仰 を堅く貫かれたことや、お祖師様が流刑地の佐渡へ渡られるときには、自身の下僕・瀧王丸を随身させて、 佐渡から身延に至るご晩年のお祖師様にお給仕をさせたこと等が知られ、篤信の婦人であったと推察でき ます。 さて、右の御文に示されるのは、法華経信仰の肝要ともいうべきお言葉ですが、説明の必要もないほど 分かりやすい譬えをもって、「仏法の最高峰にある法華経のご信心というと、何かとても難しいことのよう にも思えますが、実はそうではないのです。譬えれば夫婦や親子といった家族の情愛ように、み仏を恋い 慕う気持ちで心を入れて、一心に御題目をお唱えすれば、それが仏様の智慧をいただくご信心になるので す」と、実に簡潔に述べられています。そしてその際の大事な心得として、真実法華経に仏様が述べられ た「正直に方便(法華経以外の仮の教え)を捨てなさい」(方便品)、「法華経以外のお経文は一句も用いて はなりません」(譬喩品)等のお言葉を肌身離さずにいることを、「女性が鏡を離さないように、武士が刀 を常に携帯するように」と、これも巧みな譬えを添えられて、ご教示をされるのです。つまり御題目以外 は眼中にないほどの無我夢中の口唱、これがお祖師様の教えられたご信心なのです。 ところで他のご消息文から、お祖師様の佐渡ご滞在中に妙一尼は夫に先立たれ、幼子と老母が残された ことが知られますが、そんな境涯の婦人に家族の情愛に譬えて口唱の心得を諭されたこの書簡は、きっと 心に染みる最高のメッセージとなったことでしょう。 □開導聖人御教歌 恋したひ唱へかさねしこゝろより 法の光の顕れにけり ★ ★ ★
聖人の口唱と凡夫の口唱
□高祖日蓮大士御妙判(『松野殿御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一二六五頁) 聖人の唱えさせ給う題目の功徳と、我等が唱え申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云々。更に勝 劣あるべからず候。その故は、愚者の持ちたる金も、智者の持ちたる金も、愚者の灯せる火も、智者の灯 せる火も、その差別なき也。但し、この経の心に背いて唱えば、その差別、有るべき也。 松野六郎左衛門入道は駿河地方の中心的信徒で、次男はお祖師様の六老僧に数えられるお弟子となり、 海外弘通を志して中国大陸へと渡られた日持上人。また娘は、お祖師様の四大檀越の南条氏(上野殿)に 嫁ぎ、「上野母尼御前」の宛て名で書簡が遺る篤心一家です。 右の御妙判は、御題目の功徳についての松野氏の質問に応えるものですが、そもそも末世の悪人凡夫を 導く御題目なのですから、ご信心の達人の口唱も、煩悩の盛んな初心者の口唱も、皆そのときの信心に応 じて等しく御利益を顕すのであって、御題目そのものに変わりはないことを述べらて、御利益の有無の決 め手になるご信心の相違は、法華経の御意にどこまで添えるかにかかっているとご注意をされています。 ところで本抄は、別に『十四誹謗抄』の名があって、先の御文に続いて十四誹謗について記され、これ らを廃して純粋な口唱に励むことが説かれます。十四誹謗というのは、法華経譬喩品で舎利弗尊者に示された戒めを、中国の妙楽大師が十四に分類され たものです。具体的には憍慢(おごり高ぶる)、懈怠(なまける)、計我(我見で計る)、浅識(浅い知識に頼る)、 著欲(欲心に囚われる)、不解(耳をふさぐ)、不信(仏説を信じない)、顰蹙(しかめっ面)、疑惑(疑いや惑い)、 誹謗(口で謗る)、軽善(信者を軽しめる)、憎善(信者を憎む)、嫉善(信者をねたむ)、恨善(信者を恨む)の 十四の謗法罪です。 これらは皆、仏様が法華経に述べられた、純粋に御題目の経力を信じて唱えるご信心を邪魔する謗法で すので、お祖師様は松野氏に「この十四誹謗は在家出家に亙るべし。恐るべし、恐るべし」と厳しく誡め られています。 法華経の心に背かない口唱というのは、弘通の心で唱えることはもちろんですが、同時にこうした謗法 の汚れのない口唱を心がけることで、私たちはお祖師様と等しく、いつでも御宝前のお智慧をいただける と仰せです。ご信心の純化に努めましょう。 □開導聖人御教歌 み仏のをしへのまゝにうちもたれ 唱ふるのみの身こそやすけれ ★ ★ ★
懺悔と滅罪
□高祖日蓮大士御妙判(『光日房御書』昭和定本日蓮聖人遺文 一一五九頁) それ針は水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺せる者は地獄に入り、死にかばね(屍)を切れる者 は悪道をまぬがれず。いかに況や、人身をうけたる者をころせる人をや。ただし大石も海にうかぶ。船の 力なり。大火も消ゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬがれず。大逆なれ ども、懺悔すれば罪きえぬ。 建治二年(一二七六)三月、五十五歳を迎える身延のお祖師様のもとへ、故郷の安房に住む老女より懐か しい便りが届きます。この光日房からの書簡には、お祖師様への一つの質問がありました。「息子の弥四郎 が親に先立つという憂き目に遭ったのですが、子を亡くした悲しみよりも気になるのは、現在の息子の境 涯です。息子は武士でしたから人を殺したこともあります。それを思うと、死後、どのように生まれ変わ るのか心配でなりません。どうか教えをいただきたい……」。右の御妙判は、その質問へのご返事です。 お祖師様のお答えは、次のようなものでした。「針が水に沈み、雨が地に降る道理が変わらないように、 殺生罪を犯した者は地獄に堕ちるのは必然です。しかし、大きな石も船の力を借りて水に浮かぶように、 妙法の功徳で罪を滅することができます。小さな罪も放置すれば悪道に堕ちますが、大きな罪も懺悔すれ ば、悪業を転ずるのです」と。 このお手紙の最後には、「親は悪人でも、子が善人ならば親の罪が許されることがあります。また子が悪 人でも、親が善人ならば子の罪が許されることもあります。貴女のご子息が、たとえ悪人でも、母親が御 宝前で昼夜に悔いて弔っているのですから、どうして彼の罪が問われるでしょう。ましてご子息は、熱心 に法華経を信じていたのですから、地獄どころか、こうして母親の信心を高め、仏に成る道へ親を導く身 となられたのですよ」とあって、よき信者であった貴女の息子に限って、心配には及ばないと保証されて います。武士の殺生罪に対する救いは、他の書簡にも見られます。お祖師様のご指導は、確かに武士は昼夜殺生 の悪人ですが、今の世に殺生を犯さず生きることは誰にも不可能なのですから、要は罪を自覚し、御題目 にすがって懺悔改良に励む心が大事であるという一環したものでした。「小罪なれども懺悔せざれば悪道を まぬがれず。大逆なれども懺悔すれば罪きえぬ」。心させていただきましょう。 □開導聖人御教歌 さんげせば心の罪やきえぬらん 身におひきつるおも荷おろして ★ ★ ★
ご祈願の心得
□高祖日蓮大士御妙判(『日厳尼御前御返事』 昭和定本日蓮聖人遺文 一八一九頁) 法華経の御宝前に申し上げ候畢ぬ。その上は、私に計り申すに及ばず候。叶い叶わぬは御信心により候 べし。全く日蓮がとがにあらず。水、澄めば月うつる。風ふけば木ゆるぐごとく、みなの御心は水のごと し。信の弱きは、濁るがごとし。信心のいさぎよきは、澄めるがごとし。木は道理のごとし。風のゆるが すは経文(御題目)を読むが如しとおぼしめせ。 日厳尼については諸説があり、明確な素性は分かりません。ただ『御本尊集目録』によると、この年に お祖師様は日厳尼に御本尊を授与されていますし、「日厳」という法号も受けられていますので、ご信心の 勝れた婦人であったと考えられます。 さて、このお手紙は、弘安三年(一二八〇)十一月、日厳尼がご祈願の筋あって、祈願文とお布施をお 祖師様のもとへ送られたことへのご返事です。お祖師様は依頼を受け、早速御宝前にご祈願されるのです が、同時に本書を日厳尼に送り、本人の祈願が何より大切なことをご指導されるのです。 御文の意味は、「ご祈願はしっかりとさせていただきましたが、私がご祈願したからと安心し、油断をし てはなりません。これが叶うか否かは、これからの貴女のご信心にかかっています。これ以後は私にばか りお願いせず、貴女の責任で励みなさい。御宝前とご感応するのは、水が月を映し、風が樹を揺るがせる ようなものです。月は変わらず空にありますが、映す水が濁れば映るものも映りません。私たちの心はこ の水と同じで、ご信心が清らかに澄めば、本仏の智慧が貴女の心に映り、ご信心が弱くなれば濁り水と同 じで映らなくなるということを忘れないように。また、願えば叶うという道理を実際に現すのは、風の力 で樹々がそよぐのと同様、貴女の働きかけが必要です。要は貴女が信心を固め、口唱に励んで仏様に働き かければ、きっと願いは叶います」と言うものです。 御利益は本人のご信心が御宝前に通じて顕れるのですから、御導師が毎朝ご祈願してくださると安心し て、本人が口唱を怠るようでは困ります。 月を映すような、澄んだ心を口唱で整え、樹々を揺るがすエネルギーを口唱から発散すれば、必ず願い は御宝前に通じるのです。 □開導聖人御教歌 ねがひある身でありながら信心が きらひといふはわけのわからぬ ★ ★★
参詣の思い
□高祖日蓮大士御妙判(『日妙聖人御書』昭和定本日蓮聖人遺文 六四七頁) いまだ聞かず、女人の仏法を求めて千里の路をわけしことを(中略)日本第一の法華経の行者の女人な り。故に名を一つ、つけ奉りて不軽菩薩の義になぞらへん。日妙聖人等云々。相州鎌倉より北国佐渡国、 その中間一千余里に及べり。山海はるかにへだてて、山は峨峨、海は涛涛、風雨時にしたがうことなし。 山賊・海賊充満せり。宿々、泊まり泊まり、民の心、虎のごとし。犬のごとし。現身に三悪道の苦を経る か。その上、当世は世乱れ、去年より謀反の者、国に充満し、今年二月十一日合戦。それより今五月の末、 いまだ世間安穏ならず。しかれども、ひとりの幼子あり。預くべき父も頼もしからず。離別すでに久し。 かたがた筆も及ばず。心、弁へがたければ、とどめ畢ぬ。 日妙聖人については現存の書簡が少なく、生没年も不詳で詳細を知ることはできませんが、「日本第一の 法華経の行者の女人」とまでお祖師様に称賛され、また日妙聖人と名を賜った婦人として、その名はお祖 師様のご信者の中でも著名です。 このお手紙は、日妙聖人がお祖師様の御法門を聴聞するために幼い女の子の手を引き、若い女性の身で 危険な長旅を押して、文永九年五月に鎌倉から佐渡へ訪ねてこられた信仰に対し、驚きを込めてその信心 を褒めたたえられる内容です。 右の御文の前に、お祖師様は仏典に説かれる捨身の行者や、仏教史に知られた死身求法者の玄奘三蔵、 伝教大師等について述べられます。実際、死を覚悟で仏様の教えを求め、インドや中国に渡った先達のお 陰で、仏教は各地に伝播するのですが、しかし彼らは男子であり、賢人、聖人であるのに対し、女性の身 でそこまでするのは前代未聞であると、お祖師様は舌をまかれるのです。当時の政情不安で治安が乱れ、 物取りの横行する山中の旅は、遠路であるばかりでなく、命を賭しての信じ難い冒険であったことでしょ う。「かたがた筆も及ばず。心、弁へがたければ、とどめ畢ぬ」は、「何と言ってよいか筆にも表せず、心 にも推し量れません」とのご心情でしょうか。まさに感極まる最大の賛辞を贈られるのは、その参詣に、 法を求めるひたむきな信仰姿勢が表れているからにほかなりません。 朝参詣も御講参詣も、多くは易々とはできないでしょう。しかし様々な障害を乗り越えて参る姿の中に、 御宝前のお智慧を授かることを忘れてはなりません。 □開導聖人御教歌 信心のあるとなしとは参詣を するとせんとに顕れにけり ★ ★ ★育成は厳しく
□高祖日蓮大士御妙判(『上野殿御返事』昭和定本日蓮聖人遺文 一六三六頁) 子を思う故にや、親、つぎ(槻)の木の弓を持て、学文せざりし子に教えたり。しかる間、この子、打たてかりしは父、にくかりしはつぎの木の弓。されども終には修学増進して、自身得脱を極め、また人を利 益する身となれり。立ち還てみれば、つぎの木をもて我を打ちし故なり。この子、そとば(卒塔婆)にこの 木をつくり、父の供養のために立ててむけりと見えたり。日蓮もまた、かくの如くあるべきか。日蓮、仏 果を得んに、争か正法が恩を捨つべきや。いかに況んや法華経の御恩の杖をや。かくの如く思いつづけ候 えば、感涙おさえがたし。 上野殿と呼ばれたのは、駿河国富士郡上野郷の地頭、南条七郎次郎時光です。 お祖師様に教化を受けたのは父の兵衛七郎でしたが、その父の訃報を聞いてお祖師様が墓参されたとき、 時光はまだ七歳でした。この時光が、後にお祖師様が身延へ入山されると、駿河地方の筆頭信徒として最 も身近で外護に務められ、活躍をされるのです。 本抄は弘安二年四月付けで、南条時光の篤い信心をほめ、ますます強盛な信心を勧められる書簡の一節 で、叡山座主延昌僧正の故事(三国伝記)を引かれて、厳しく育てることの大切さを述べられる内容です。 御文の意味は、「勉強嫌いの子に、つぎの木の弓で打ちながら学問をさせた父親がいました。子は最初、 父を恨み、弓を憎みましたが、お陰で成人して大成し、人を救う身となります。そのとき、初めて厳しく 育ててくれた父の恩を悟り、つぎの木で卒塔婆を作って供養をするのです。私が今あるのも、厳しく信心 を教えてくれた法華経のお陰なのです」と言うものですが、お経文に忠実な信仰とはいえ、実際に三類の 強敵の迫害に耐え、数々の法難を忍んで法華経の行者であり続けるというのは、大変なご苦労が伴ったこ とでしょう。しかし、ご自身を甘やかすことなく、み教えに忠実な信行に励まれた結果、今日の自分があ ることを述べられて、学ぶ途上の段階では、厳しい教えに感謝するゆとりはないかも知れないが、決して 挫けることのないようにと、若い信徒を諭されるのです。 育成の段階では真意が伝わらず、反感を買うこともありがちですが、それも一人前に育って信心をつか む過程です。正しくご信心を伝える「折伏の人」になりましょう。 □開導聖人御教歌 かあいさに気随きままにそだておく 子の身ばかりの不仕合なし ★ ★ ★