教育実践
マクスウェル方程式から始める電磁気学
小 宮 山 進
東京大学名誉教授1.はじめに
大学初年級の電磁気学の講義は,クーロンの法 則から始めて静磁気から電磁誘導に至り,最後の 電磁波に入る前あたりでマクスウェル方程式が やっと顔を出す,という順番が定番だと思われま す.これとは違って,ファインマンがその昔,カ リフォルニア工科大学の 1,2 年生に対してマク スウェル方程式から電磁気学の講義を始めたこと がよく知られています1).
現在では,マクスウェル方程式を書名に冠した 大学初年級用の参考書や教科書もいくつか現れて いますが2‑4),それでも,1,2 年生に対する講義 をマクスウェル方程式から始める先生方は,現在 でもまだまだ絶対的少数派のようです.そんな中 で,私は東京大学の 1 年生に対して 30 年間余り,
マクスウェル方程式から始める電磁気学の講義を 続けてきました.私は,電磁気学の初級者に対し て,マクスウェル方程式から始める電磁気学の講 義法が,さまざまな教育現場で広がっていくこと が望ましいと考えます5).本稿では,そのきっか けになることを願って,私の講義の実践例につい て述べたいと思います.
2.人生初めての講義
電磁気学の授業は私にとっての大学で担当した 初めての講義でした.講義の冒頭で,「これから 私がやる講義は伝統的なやり方とは少し違う.こ れが最良だと思うが,私の独りよがりでうまくい かないかもしれない.学期末に講義が終わる時点 で,君たちにうまくいったかどうか,でき具合を 教えてもらいたい」といって講義を始めたことを 鮮明に覚えています.さて,学期が終わって「こ
れで終わりです」といった私に対して,驚いたこ とに,学生たちから大きな拍手が起こりました.
大学での講義が初体験だった私には何のことかわ からず,きっと,学期の授業の終わりには拍手を する慣習があるのだろう,と思っていました.と ころが,先輩の先生方に聞いてみると,そんな慣 習などないとのことです.それどころか,1 度で も拍手を経験したことのある先生すら 1 人もいな いとのことでした.私自身,その後 30 年余りの 教師人生の中で,あのとき以外に拍手を経験した ことはありません.とすると,あの拍手は一体何 だったのか⋯.未だにはっきりとはわからない のですが,講義のやり方に対する学生たちの支持 の意思表示だったことは間違いないと思われま す.講義が進行する中で,教室の雰囲気から学生 たちが興味をもってついてきていることがわかっ たので,講義を終えるころには危惧の念は消えて おり,私はあえて最終回に学生たちに講義の首尾 を尋ねることはしませんでした.しかし,それで も初回の講義での私の言葉を覚えていた学生たち が,わざわざ YES の意思表示をして私を勇気づ けてくれたのだ,と思うのです.
その後再度担当した講義では,毎回の授業で学 生全員から感想や質問を提出してもらいました.
担当は物理系や数学系だけではなく,バイオ・医 学・薬 学 系 の ク ラ ス の 年 度 も あ り,あ わ せ て 1500 人程度の学生に講義したと思いますが,「マ クスウェル方程式が難しい」という感想をもらっ たことは一度もありません.むしろ,「別のクラ スの友人は,授業が各論的でわかり難いといって いる.なぜすべての授業がこの方式で教えないの か」といった意見をしばしばもらいました.その 大学の物理教育 22(2016) 79
後,この講義を何度も繰り返す中で,このやり方 への信頼をさらに深め,いまでは,マクスウェル 方程式から始める方法が初学者に対する最善の講 義の方法だと考えています.
3.実際の講義内容
講義のための参考書として,学生には『ファイ ンマン物理学』の(Ⅲ)電磁気学と(Ⅳ)電磁波と 物性1)を指定しました.ただし,この 2 冊は学生 にとって少々内容が豊富すぎ,またかなり高価で す.そこで「無理に購入しなくてもよいが,その かわり授業には必ず毎回出席し,短時間でよいか ら復習すること」と伝えました.その後現れた,
マクスウェル方程式を正面から扱う大学初級用の 参考書・教科書2‑4)はどれも,純粋にマクスウェ ル方程式から始める私の講義スタイルには合わな かったため,学生にはあえて紹介せず,むしろ異 なるやり方ではあってもオーソドックスな教科書 の例として,砂川先生の『電磁気学』6)を参考資 料として挙げました.
1 学期間の 15 回の講義(毎回 90 分)において,
以下に記すように,マクスウェル方程式の微分形 まで示す最初の 3 回が肝になります.
1 回目:偏微分,ベクトル場の流束と循環を説 明した後,マクスウェル方程式の積分形(および ローレンツの力の式)を導入.そこからクーロン の法則,直線電流による磁場,ファラデーの電磁 誘導を導出.
2 回目:マクスウェル方程式の積分形を微分形 に変形するための準備として,スカラー関数の勾 配,ベクトルの内積と外積,ベクトルの微分(発 散と回転)を説明.
3 回目:前回に続きベクトルの積分(線積分,
流束,循環),ガウスの定理,ストークスの定理 を説明し,マクスウェル方程式の微分形を導出.
4 回目以降は,クーロンの法則から始めるオー ソドックスな講義の順番と大差なく,静電気,静 磁気,電磁誘導,電磁波と進めます.ただし違う のは,すべての項目をマクスウェル方程式がもた らす現象の具体例の一つとして,マクスウェル方
程式から導出して示す点です.そのことで,常に 全体の論理構造が明確になるよう意図しました.
4.実際の講義での注意点
最も注意を払ったのは,最初の 3 回の授業の間 に学生の興味とやる気を持続させることです.実 際に講義を受講した学生の専攻分野は,バイオや 薬剤系まで含む幅広いものがあり,その中には数 学を苦手とする学生も多くいました.そこで,実 際の授業では偏微分やベクトルの微分,積分など 新しい事項を説明した後には,必ずごくやさしい 例題を板書し,「これから授業を 3 分間中断する から,めいめい自分のノートに答えを書いてくだ さい」といって,教室を学生のノートをのぞきこ みながらまわります.普段それほど熱心に授業を 聞かない学生でも,教師が近寄って来て自分のノ ートをのぞきこむとなると,真剣に問題に取り組 むものです.計算で引っかかっている学生には立 ち止まってアドバイスします.そしておよそ半分 程度の学生が解き終わったころを見計らって,
「まだ途中の人もいるでしょうが気にしないでく ださい.授業が終わった後に自分で確認してもら えればよいです」といって,解答を板書して次に 進みます.このような,わずか 3 分程度の自習時 間を 90 分授業の中に 2 回程度挿入するだけで,
教室の雰囲気が俄然よい方向に変わります.
毎回授業の終わりには,出席票を兼ねた質問・
感想アンケート票を学生から回収して理解度を チェックします.毎回の授業での重要な数学事項 や,若干面倒な証明(たとえば 発散がゼロのベ クトル場は,ある別のベクトル場の回転で表せ る といった定理)などは,まとめのプリントを 作って配布します.さらにほぼ毎回,宿題として 自習用の練習問題を配布し,翌週の授業開始時に 解答を配布します.また,1 学期間の中頃に,授 業の 1 回分(90 分)を使って「小テスト」を行っ て学生の理解度をチェックします.
ちなみに,マクスウェル方程式から始めるため に,数学を丁寧に解説することで,1 回半程度余 分に講義が必要となりますが,それはオームの法 80 大学の物理教育 22(2016)
則にかかわる運動方程式や移動度の議論を省き,
プリント配布と練習問題にまわすことで補ってい ます.
5.マクスウェル方程式から始めることは可能 か? それはよいことか?
マクスウェル方程式から始めることに対して,
多くの先生方が私に示した典型的な戸惑いや違和 感を以下で取り上げ,それに対して授業を通して 私が感じたことを記します.
数学としての敷居が高い?
同僚の先生方からしばしば「マクスウェル方程 式から始めるのもよいが,数学が得意な学生以外 には無理でしょう」と言われます.この疑問につ いて考えるために,国内で出版されている大学初 年級用の電磁気学の教科書を 15 冊選んで,マク スウェル方程式から始めるために必要な数学的事 項がどの程度解説されているかを調べました.表 1 は,各数学的事項が解説されている場合,それ が現れる章に教科書の事例数を記入したもので す.比較のために,本稿で記しているマクスウェ ル方程式から始める私の講義に基づく教科書7)の 場合を網かけの枠で示します.
ここで調べた教科書のほとんどはクーロンの法 則から始まり,終わりの方でマクスウェル方程式 に至る,オーソドックスなスタイルのものですが,
そこで現れる数学が,結局,マクスウェル方程式 から始めるやり方が必要とする数学とほとんど変 わらないことがわかります.異なるのは,オーソ ドックスな教科書では,数学が多くの章にまた がって現れたり付録にまわされているのに比べ,
マクスウェル方程式から始める場合には,最初の 数章に集中することだけです.これは当然の話 で,マクスウェル方程式から始めるにせよ,終わ りの方で導出するにせよ,結局,マクスウェル方 程式を理解するためには同じ数学が必要だという ことです.マクスウェル方程式から始めるからと いって余分な数学が必要なわけではありません.
ただし,最初の数学で学生がつまずくと,その 学生は結局何も得ることなく終わってしまうとい う危険性が生じます.これはもっともな心配です が,最初の数回で数学を集中的に講義すること が,学生の負担を増すかどうかは,授業の進め方 におおいによるでしょう.4 節に記した注意点 は,まさにこの点を配慮したものです.必要な数 学をきちんと明示して省略せず,集中的に,演習 を行いつつ丁寧に説明することで,かえって学生 にとっては学びやすい,ということがおおいにあ ると思われます.学生にとっては,内容の難しさ より慣れの問題が大きいようで,そのために丁寧 にかつ系統立てて教えることで,多くの学生がそ れほどの抵抗なく理解するように思えました.少
大学の物理教育 22(2016) 81
表1 マクスウェル方程式の理解に必要な数学.
1章 2章 3章 4章 5章 6章 7章 8章 9章以降 付録 記載なし 多変数関数の偏微分 2 1 1 1 0 0 0 0 0 5 5 ベクトルの内積・外積 4 0 1 0 0 0 0 1 0 6 3 ベクトルの微分 勾配 5 2 2 3 0 0 0 0 0 2 1 発散 3 2 2 2 0 1 1 0 0 1 3 回転 3 1 2 0 0 1 0 1 2 2 3 ベクトルの積分 線積分 6 5 0 1 0 0 0 0 0 2 1 流束 6 3 1 1 0 0 0 0 0 3 1 循環 2 3 0 3 0 0 0 0 0 1 6
ガウスの定理 3 3 1 2 0 0 0 0 0 2 4
ストークスの定理 2 2 1 0 0 0 0 0 2 3 5 ベクトルの2階微分 2 1 0 0 0 1 0 0 2 2 7 電磁気学I(長岡,岩波書店),電磁気学(兵頭,裳華房),よくわかる電磁気学(前野,東京図書),新・基 礎 電磁気学(佐野,サイエンス社),電磁気学(鹿児島,丸善出版),ベーシック電磁気学(河辺,裳華 房),はじめて学ぶ電磁気学(太田,丸善出版),電磁気学(横山,講談社),理工系のための電磁気学(野 田・管野,培風館),基礎電磁気学(近角,培風館),グラフィック電磁気学(後藤,朝倉書店),理工学の基 礎 電磁気学(大島・大澤・鈴村,培風館),エッセンシャル電磁気学(田口・井上,森北出版),電磁気学 入門(中田・松本,日新出版),電磁気学 初めて学ぶ人のために(砂川,培風館),網かけの枠は文献7.
なくとも私が講義で担当した学生たちは,落ちこ ぼれずにメリットの方を享受していたと思いま す.ただし,私の体験は東大の 1 年生に限られま す.異なる教育現場では,また異なる工夫が必要 になると思われるので,そのような取り組みを,
是非知りたいところです.
なお数学の話からは外れますが,電気や磁気に もともとなじみが薄い学生に対しては,授業を始 める前に電磁気の諸現象を理論的解釈抜きに演示 し,電磁気学で理解しようとする現象が一体どん なものなのかをまず示すことも重要と考えられま す.私自身の講義では,電磁誘導のおもちゃの演 示や,携帯電話を使った電磁波のデモ実験などを 工夫して,授業の合間に適宜取り入れました.
最初にマクスウェル方程式を示しても,学生に その意味がわかるはずがない?
「式がわかる」ということには,式の数学的な 意味がわかることと,式の包含する物理的な内容 がわかる,というまったく異なる 2 通りの意味が あります.講義において,学生はまずマクスウェ ル方程式を数式として理解すればよいのであり,
それはすでに記したように可能です.後者の意味 (つまり物理)を最初から理解できないのは当然 です.
学生は 1 学期間をかけて,授業を通して具体的 な物理の問題へ適用し学ぶ中で,物理的な意味を じっくりと理解していくことになります.
天下り的で好ましくない?
最も多くの先生方に共通するのが「マクスウェ ル方程式を最初に与えたのでは,天下り的になっ て本当の理解にむすびつかない」という危惧のよ うです.これは「練習問題を解く前に模範解答を 与えたのでは力がつかない」といった種類の誤解 に思えます.マクスウェル方程式は,練習問題の 解答とは異なります.むしろ,学生が授業の全期 間をかけて理解すべく挑戦する,雄大な理論体系 だからです.
大学初年級の力学のほとんどの授業は,ニュー トンの運動方程式から始まりますが,それが天下 り的で学生の理解にとって好ましくない,といわ
れることはありません.運動方程式は考察の出発 点であり,その後に,角運動量や力のモーメン ト,角運動量の運動方程式,歳差運動やコリオリ 力といった量を導入することで,より複雑な効果 や現象を理解することをできるようになります.
また,もう一つ別の物理的考察を加えることで,
運動エネルギーの概念やエネルギー保存の考えに 到達します.運動方程式という基本法則から始め るからこそ,全体的な構造を学生が自然に理解す ることができるわけです.電磁気学もまったく同 じです.力学と同様にマクスウェル方程式から始 めることではじめて,論理の展開と連鎖を起こす ことができると思います.このように,電磁気学 をマクスウェル方程式から始めることが天下りで よくない,とする合理的根拠はあまりないように 思えます.
6.おわりに
マクスウェル方程式から始める教授法の実際例 を,東京大学での私の経験をもとに記しました.
異なる教育現場でマクスウェル方程式から始める 授業をさまざまな工夫をこらして行っている先生 方が,私のほかにもおられるものと思います.今 後,異なる教育現場での教授法の経験知が蓄積さ れ,全体として教育法の改善につながっていくこ とを願います.そのために,本稿が何らかのきっ かけになれば望外の喜びです.
参考文献
1) ファインマン,レイトン,サンズ『ファインマン物理学 (Ⅰ) ,(Ⅴ)』岩波書店(1969).
2) 渡邊靖志『基礎の電磁気学―マクスウェル方程式から始 める』培風館(2004).
3) 室岡義広『図解マクスウェル方程式』裳華房(2007).
4) ダニエル・フライシュ『マクスウェル方程式 電磁気学 がわかる 4 つの法則』岩波書店(2009).
5) 小宮山進,竹川敦 大学の物理教育 22(2016)75.
6) 砂川重信『電磁気学(物理テキストシリーズ 4)』岩波 書店(1977).
7) 小宮山進,竹川敦『マクスウェル方程式から始める電磁 気学』裳華房(2015).
連絡先 E‑mail : csusukom@mail ecc u‑tokyo ac jp
82 大学の物理教育 22(2016)