Kyushu University Institutional Repository
書評 : 恒川邦夫『サン=ジョン・ペルスと中国』:
〈アジアからの手紙〉と『遠征』
山田, 広昭
東京大学大学院総合文化研究科 : 教授
https://doi.org/10.15017/4355460
出版情報:Stella. 39, pp.211-215, 2020-12-18. Société de Langue et Littérature Françaises de l’Université du Kyushu
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権利関係:
《 書 評 》
恒川邦夫『サン=ジョン・ペルスと中国』
──〈アジアからの手紙〉と『遠征』──
山 田 広 昭
抜群に面白い読み物である 1)。とくにその冒頭は,サン=ジョン・ペルスが 何者であるかにまったく昏い評者のような読者にとっては,まさに一篇のサス ペンス小説である。というのも,本書の真の主題は,詩人であることを一度は 封印し,外交官アレクシ・レジェとして生きることを選んだ人間が,後半生に おいてふたたび詩人となったのちに,ほとんど例を見ないようなかたちで行っ た自己神話化のありようを解き明かすことにほかならないのだが,この狙いは
「あとがき」から先に読み始めたへそ曲がりの読者以外には,80 頁あまりを読 み進んだのちに初めて明かされるからである。
*
本書は,著者自身による詩人の墓詣でのいきさつが一種後日談的な装いのも とで語られる「エピローグ」を含め,全部で 6 つの章からなるが,序章は 1940 年における外交官アレクシス・レジェの,53 歳というキャリアの絶頂期を迎え るべき年齢を目前にした失脚とアメリカへの「亡命」の経緯を解き明かすこと に当てられる。いくぶん唐突な印象を与えるこの始まりは,しかし,サン=ジョ ン・ペルスに不案内な読者を次章以降へと効果的に導いていくために周到に用 意された助走である。この助走の終わりに,著者は自らの目標を次のように記 す。「本書の本題はアレクシ・レジェの中国時代と,帰国後,初めてサン=ジョ ン・ペルスの名前で発表した『遠征』(1925 年)の訳と注解である。」
目次へと戻って確認してみれば,そのボリュームから言っても本書の中核を なす第 2 章と第 3 章は,たしかにこの見取り図の通りに配列されている。とこ ろで『遠征』の新訳,解題ならびに注解からなる第 3 章の大部分が「翻訳」で あるのは当然のこととしても,驚かされるのは,レジェの中国赴任時代の記述
にあてられるはずの第 2 章もまた,ほぼ全篇がレジェが書いた手紙の「翻訳」
によって構成されていることである。問題の書簡はプレイアード版サン = ジョ ン・ペルス全集に収録されており 2),1916 年 11 月の中国赴任直後から帰国直前 にまたがる,27 通の母親宛の手紙と,宛名のすべて異なる 11 通の手紙からなっ ている。こうした構成をまずは「一次資料をして語らしめよ」という著者の禁 欲的な姿勢を示すものとして受け止め,一通,一通と読み進めていこうと決意 した読者は,さほど間をおかずに何かがおかしいという思いに捕らわれること になる。この違和感の原因は,手紙に付された訳注の中で,本書の著者によっ て淡々とした筆致で指摘される数々の事実誤認,とりわけありえないようなア ナクロニズムにある。
赴任直後の手紙として第 2 章冒頭におかれる 1917 年 1 月 3 日付のフィリッ プ・ベルトロ宛の手紙からしてすでにアナクロニズムと無縁ではない。将来サ ン=ジョン・ペルスとなる新人外交官レジェは,赴任前の上司だったベルトロ に向けて次のように書いている──「あなたの友人ボン・ダンティとも知り合 う機会がありました。赤痢に罹って病状は重篤ですが,彼も横浜汽船が戻って くるのを待って帰国しようとしています。極めて自由で辛辣な精神の持ち主,
わくわくさせるほど独創的で,最悪の事態が起こっても,それをすかさず痛罵 一蹴する人ですね」。ボン・ダンティが何者かを知らない読者は,そこに注番号 が付されているのを見れば,もちろん訳注へと頁を繰らずにはいられない。該 当する注は,一個の事実をこれ以上ない簡潔さをもって告げる──「Pierre- Rémy Bons d’Anty(1859-1916),1916 年 1 月に没しているので,この手紙に 書かれているように,レジェが中国で知りあう可能性はない」。これはいったい どういうことなのか。
読者の当惑はその数通後におかれた 1917 年 9 月 3 日付のポール・ヴァレリー 宛の書簡ですでに頂点に達する。手紙は『若きパルク』の成功を通じて文壇に 復帰したばかりの詩人に向かって次のように語りかける──「シャン=ゼリゼ のベンチに腰掛けて,7 月中旬のある日──私が中国へ発つ数日前でした──人 影もまばらなパリで,あなたと交わした意想外の会話のことをいまでもはっき りと覚えています。我々がそこで様々な問題について交わした,人間的,かつ,
知的な意見交換は,パリにおける精神生活の通常の域を越えていました。嘘で はありません,私はしばしばあの時のことを感動的に思い出します。またある
晩,ヴィルジュスト通りのあなたのアパルトマンの戸口で交わした言葉のこと も思い出します。」注番号が付されているのは,今度は,「数日前のことでした」
という文の末尾である。該当の注は,やはり一個の事実を記すのみである。「レ ジェが中国へ出発したのは,1916 年の 10 月 5 日だから,﹁中国へ出発する数日 前﹂ というのは矛盾している」。
直近といってよい時期についてのこのような「思い違い」ははたしてありえ ることなのだろうか。いや,まずありえないだろう。ただし,それはその手紙 がその日付通りの日に書かれたとしてのことである。種明かしがなされるのは,
この注から 2 頁先で始まる,皮肉にも「余談」と題されている節の冒頭におい てである──「『全集』所収の〈アジアからの手紙〉は,詩人没後の調査による と,ほとんどすべて創作された手紙である。ということは,レジェは,29 歳か ら 34 歳まで過ごした中国時代を,およそ半世紀後──『全集』を編集した 79 歳から 82 歳の間に──手許に残されていたわずかな資料を参照しながら,書い たことになる」。
これは「余談」どころではない。そんなこととはつゆ知らぬ評者は,たとえ ば,ベルトロ宛の手紙に読まれる,ロシア 10 月革命の前に書かれたとすれば驚 くべき先見の明を示している次のような予想を読んで,思わずメモを取りかけ たことを告白しておかなければならない──「カール・マルクスやエンゲルス の思想は,すでに中国の若い知識人に密かな牽引力として作用していますが,長 い時間のスパンで見れば,数多くの蜂起や中間的な形態の実験を経て,恐らく 中国統一が実現される以前に,中国社会の歩みが最も正統的なレーニン主義的 集団統治の形へと向かっていくことは,誰にも停められない流れになるでしょ う」。この予想は,しかし,1917 年から半世紀を経たのちに,タイムマシーン に乗せるべく新たに創作された「予想」なのである。
サン=ジョン・ペルスのトリックにはまりそうになった評者の慰めとなるの は,ヴァレリー研究の第一人者たるミシェル・ジャルティもまた,このペルス の詐術を真に受けているという事実である。その浩瀚な伝記『ポール・ヴァレ リー』で 1917 年 7 月ごろのヴァレリーの活動を描くにさいして,ジャルティは 上に引いたレジェの 1917 年 9 月 3 日付のヴァレリー宛の手紙からシャン=ゼ リゼでの会話のくだりを引用しているが,その真実性を疑っている様子はまっ たくない 3)。しかし,1917 年 2 月 12 日付の母親宛の手紙にヴァレリーから『若
きパルク』を受け取ったとの記述を平気で紛れ込ませてしまうサン=ジョン・
ペルスである(『若きパルク』の出版は,1917 年 4 月であり,2 月にそれを受け 取るのは不可能である。このこともまた本書の訳注で指摘されている)。これに 続く次のような記述もまったく疑わしい──「この本〔『若きパルク』〕が出版 されるまでには,ひとつの人間ドラマがありました。ぼくは個人的にそれを知っ ていたので手紙を書いたのです」。ましてや,当時中国に赴任中の彼が(この赴 任自体が虚偽でない限りは)1917 年の 7 月にシャン=ゼリゼでヴァレリーと会 話を交わすことなどありえない 4)。このエピソードそのものが高名な詩人との 親密さをアピールしたかったサン=ジョン・ペルスの創作であると考える方が 理にかなっている。
では,本書の著者はなぜ,〈アジアからの手紙〉という表題のもとに『全集』
に収められているこれらの手紙を,それが後年の創作であることを知りつつ,
中国時代のサン=ジョン・ペルスに焦点をあてた本書で訳出することを選んだ のだろうか。それはすでに書いたように,本書の狙いが中国時代の彼について の「歴史的事実」を汲み出すこと自体にはないからである。著者は「余談」と して,これらの手紙が創作であることを明らかにしたあと,次のように続けて いる──「したがって,〈アジアからの手紙〉から,歴史の真実を読み取ろうと しても得るところは少ないが,詩人が中国時代の自分をどのように見せようと しているか,レジェによるペルスの肖像──〈自画像/虚像〉──は,かえっ て鮮明にとらえることができるように思われる」。
この狙いは,「終章」では,さらに一歩突っ込んで次のように表現される──
「アレクシ・レジェ/サン=ジョン・ペルスには ﹁虚ミ ト マ ニ ー言癖﹂ という際立った特性 があることは,本書の随所で指摘してきたことなので,読者はいまさら驚かな いだろう。そもそもミトマニー(mythomanie)とは何か。それは一口に言え ば,〈自己神話化〉である」。著者はこれに加えてこの自己神話化がたんなる嘘 とは異なることを強調している。自己神話化とは「「自分を顕揚するための幻 影」を創出することで,単純な嘘とちがうのは,他者の眼をくらますと同時に,
自分自身をもそのなかにまきこんで姿をくらます点である」。ポール・ヴァレ リーというやはり自己神話化の達人の第一級の研究者ならではの視点というべ きだろう。
上記の紹介は,本書の著者が精魂を込めて行ったであろう,サン=ジョン・
ペルスの詩の翻訳と注解についてはほとんど言及できていない。訳の対象はそ の代表作『遠征』のみならず,まだ外交官になる以前の初期詩編にまで及んで いる。デレック・ウォルコットやエドゥアール・グリッサンによってカリブ海 現代文学の祖として讃歎の念をあつめたペルスの詩業にクレオール詩人に通暁 する著者の練達の日本語を通して接近できることの価値は言うまでもないが,注 解も含めてその真価を評することは,残念ながらペルスについての読書経験に 乏しい評者の能力を超えている。
註
1 ) 恒川邦夫『サン=ジョン・ペルスと中国──〈アジアからの手紙〉と ﹃遠征﹄』,法政 大学出版局,2020 年。
2 ) この『全集』の編者は,プレイアード叢書としては異例なことに,サン=ジョン・
ペルスその人である。
3 ) Voir Michel JARRETY, Paul Valéry, Paris : Fayard, 2008, p. 408.
4 ) それを思ったからか,ジャルティは,アレクシ・レジェは 1917 年 7 月にフランスに 一時帰っていたとの想定を(おそらく根拠なしに)行っている(voir idem)。