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密教研究 Vol. 1942 No. 82 001大山 公淳「高野山に於ける覚鑁聖人 (上) P1-31」

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お こ と わ り 高 野 山 上 に 於 け る 興 教 大 師 覺 鑁 聖 人 に 就 い て は 、 先 づ 聖 人 の 傳 歴 と 行 蹟 を 考 察 し 、 次 に 聖 人 の 思 想 と そ の 影 響 を 攻 究 す る の で な け れ ば 意 を 端 し た も の に は な ら な い と 思 ふ 。 思 想 と そ の 影 響 と い ふ 中 に は 所 謂 事 相 や 教 相 の 問 題 も 含 ま れ る 。 け れ ど そ れ は 少 々 の 時 間 と 紙 數 と を も つ て 忽 忙 の 間 に 研 究 を 途 行 す る こ と は 期 し て 得 ら れ な い 。 依 つ て 今 は 聖 人 の 傳 歴 を 中 心 に そ の 行 蹟 の 一 端 を 記 し て 、 聖 人 八 百 年 忌 に 際 し 追 慕 の 資 と し た い 。 尤 も 聖 人 の 傳 歴 に 就 い て は 昭 和 九 年 院 秋 の 頃 富 田 大 信 正 に よ つ て 公 刊 さ れ た 故 中 野 達 慧 氏 選 述 す る 所 の 興 教 大 師 正 傳 一 巻 が あ る 。 奮 菊 版 五 百 二 十 頁 に 及 び 、 古 來 傳 へ ら る ﹂ 各 種 の 大 師 傳 を 評 釋 し 、 多 く の 史 料 を 出 し て そ れ ら を 統 合 整 理 し 委 細 を つ く し て あ つ て 、 そ れ 以 上 に 必 要 と す る 記 述 は 存 し な い か も 知 れ な い が 、 今 は 予 の 所 見 の ま ゝ に 敢 て 稿 を 起 し 大 方 の 叱 正 を 仰 ぐ こ と ゝ し た 。 但 し 今 記 す る 所 は 大 師 傳 を 編 年 體 に 検 覈 し よ う と し た の で あ つ て 、 記 述 は 成 る べ く 根 本 文 獣 に 依 る こ と ゝ し 、 時 に 密 嚴 尊 者 年 譜 や 高 野 春 秋 な ど を 参 照 し た に 過 ぎ な い 。 從 つ て 時 に そ れ ら の 書 と 年 次 の 前 後 や 記 事 の 相 違 が あ る か も 知 れ な い 。 且 つ 用 ふ る 所 の 書 中 密 嚴 上 人 縁 起 を 披 見 す る こ と が 出 來 ず 、 興 教 大 師 正 傳 院 に 援 引 さ る ﹂ 所 を 續 群 書 類 從 巻 二 一 五 に 出 す 大 傳 法 院 本 願 聖 人 御 傳 に 照 合 し な が ら 記 し た こ と を 謝 し て 置 き た い 。 一 高 野 山 に 於 け る 覺 鑁 聖 人 の 生 活 は 永 久 二 年 二 十 歳 の 暮 十 二 月 か ら 始 ま る の で あ る が 、 聖 人 述 懐 の 詞 や 保 安 四 年 九 月 二 十 七 日 附 に な つ て ゐ る 請 授 法 書 状 、 高 野 山 大 傳 法 院 本 願 靈 瑞 縁 起 並 寺 家 縁 起 (略 し て 靈 瑞 緑 起 と い ふ ) 等 の 文 を 列 擧 し 高 野 山 に 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 一

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高 野 山 に 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 二 て 、 高 野 入 山 以 前 の 上 人 を 追 想 す る こ と に し た い 。 先 づ 述 懐 の 詞 に 云 ふ 。 余 未 だ 八 歳 に 満 た す し て 生 界 を 厭 ひ 佛 道 を 欣 ぶ 。 次 に 兩 年 を 歴 て 二 親 を 離 れ 一 師 に 付 き 、 十 三 に し て 求 法 の 爲 め に 西 海 の 萬 波 を 渡 り 東 寺 の 一 流 を 學 す 。 二 十 に し て 成 佛 せ ん と 欲 し 北 京 の 聚 落 を 出 で 南 山 の 禪 林 に 入 る 。 請 授 法 書 状 に は (前 略 ) 弟 子 自 讃 に 似 た り と 錐 其 の 機 に 非 る に 非 す 、 生 年 八 歳 に し て 始 め て 道 心 を 獲 し 大 日 を 本 尊 と し て 眞 言 を 所 歸 と な し 、 諸 有 の 善 根 盡 く を 自 他 の 成 佛 に 廻 し 、 三 世 の 行 業 繊 芥 も 名 利 の 爲 に 非 す 。 縦 ひ 急 難 に 遭 ひ 設 ひ 重 病 に 沈 む と も 未 だ 行 業 を 退 か す 除 舍 を 祈 ら す 、 況 や 餘 事 に 於 い て を や 。 十 八 歳 に し て 十 八 道 を 受 け 十 九 歳 に し て 兩 部 の 法 を 得 。 と 、 八 歳 に し て 道 心 を 獲 し 大 日 を 本 尊 と し て 眞 言 を 所 歸 と 決 し 、 二 十 に し て 成 佛 せ ん と 欲 し て 高 野 の 山 に 入 る と い ふ 如 き 、 そ の 自 覺 の 高 き と 信 念 の 強 き と に 驚 か さ れ る 。 靈 瑞 縁 起 巻 上 に は 聖 入 の 家 系 父 母 誕 生 生 長 を 叙 す る も 、 そ の 丈 甚 だ 簡 素 で あ つ て 、 多 く の 修 飾 を 混 じ て ゐ な い 。 今 取 意 し て 録 す れ ば 、 ﹁ 傳 法 院 本 願 覺 鑁 聖 人 ( 本書 は上 人に 作 る 己 下 同 ) は 柏 原 天 皇 五 代 の 苗 裔 、 將 門 季 軍 六 葉 の 氏 族 、 父 は 肥 前 藤 津 の 庄 の 惣 追 捕 使 伊 佐 平 次 兼 光 (今 の 本 兼 元 に 作 る ) 或 は 悪 平 三 杵 木 の 黨 で あ り 、 母 は 同 國 有 徳 の 娘 橘 氏 の 女 で あ つ た 。 父 太 宰 の 小 気 に 補 さ れ 四 國 を 領 し て 武 威 あ り 、 四 人 の 息 を 設 く 。 嫡 男 を 千 歳 と い ひ 材 答 房 と 號 す 。 二 男 は 二 千 歳 入 道 し て 上 洛 し 成 佛 房 と 號 し た 。 三 男 は 彌 千 歳 に て 正 覺 房 と い ふ 、 四 男 は 鬼 四 郎 耀 覺 房 と 號 し た 。 以 上 四 人 の 中 今 の 聖 人 は 第 三 男 と し て 嘉 保 二 年 誕 生 、 幼 敏 の 相 に 凌 雲 の 性 あ り 。 康 和 四 年 九 ( 八 力 ) 歳 の 時 長 兄 材 答 房 に 問 尋 せ ら る ゝ に 、 此 の 庄 の 本 家 は 成 就 院 大 僧 正 御 房 の 御 領 と 申 す か 。 此 の 僧 正 御 房 に 超 過 し た 上 萬 も あ る か 。 兄 の 聖 人 答 へ て 云 ふ 。 大 日 本 國 の 國 王 に は 僧 正 御 房 も 御 祈 り を 勤 仕 し 給 ふ 。 又 問 ふ て 云 ふ ⋮ ⋮ 答

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へ て 云 ふ 佛 で あ る 。 又 問 ふ 佛 に も 上 下 坐 す か 。 答 へ て 云 ふ 大 日 如 來 は 最 頂 の 佛 で あ る 。 又 問 ふ 此 童 も 其 の 佛 に 成 り 得 ら れ 候 か 。 答 へ て 云 ふ 花 を 摘 み 香 を 焼 い て 旦 暮 に 供 養 し 佛 道 を 欣 は " 途 に は 成 佛 し 得 ら れ る で あ ら う と 。 其 後 此 の 幼 童 花 を 折 つ て 佛 に 供 じ 水 を 結 び て 壇 に 備 え 曙 に 急 ぎ 暮 に 勤 む 。 爰 に 成 就 院 大 僧 正 御 房 の 弟 子 に 慶 照 入 寺 と い ふ あ り 、 鎭 西 に 山 寺 を 建 立 し 見 共 を 相 尋 ぬ る 内 に 此 の 幼 童 を 得 。 猶 他 の 小 童 二 人 を 相 具 し 海 を 経 て 仁 和 寺 成 就 院 に 還 住 し た 。 聖 る 十 三 歳 嘉祥 二 年 の 夏 の 頃 で あ つ た 。 慶 照 入 寺 は 小 童 三 人 を 相 具 し て 西 海 の 波 浪 を 凌 ぎ 成 就 院 の 一 庵 に 歸 り 大 僧 正 に 謁 し た 。 大 僧 正 は 長 簀 櫃 に 三 人 の 幼 童 を 召 し 寄 せ 面 々 の 易 を 並 べ 置 き 南 方 に 向 つ て 祈 念 し て 云 ふ 、 此 の 中 に 若 し 佛 法 の 明 器 あ れ ば 其 の 扇 を 取 ら せ よ と 、 即 上 人 は 幼 稚 兒 の 扇 に 取 り 當 つ た 。 其 の 易 に 、 佛 は 大 日 、 法 は 眞 言 、 所 は 高 野 、 高 野 に は 定 尊 と 書 か れ て ゐ た 。 大 僧 正 は 幼 童 に 問 ふ て 此 の 詞 は 誰 人 の 手 か 、 答 へ て 云 ふ 此 の 童 と 、 即 大 僧 正 は 只 今 の 所 念 成 就 す と て 再 三 歡 喜 し 給 ふ 。 そ の 容 貌 神 妙 に て 聰 恵 に 見 え た 。 更 に 嘉祥 三 年 の 頃 、 高 野 大 師 の 御 記 丈 に も 法 相 三 論 を 兼 學 せ よ と あ り 、 か た ぐ 寛 助 大 曾 正 に 伺 ひ 、 興 福 寺 圓 如 房 得 業 恵 曉 の も と に 移 り 研 鐙 の 道 に 進 ん だ 。 然 る に 圓 如 房 靈 夢 多 く 、 或 時 に 大 師 降 伏 の 相 を 現 じ て 、 吾 佛 法 の 棟 梁 を い か で か 他 所 に 久 し く 相 具 す る ぞ と 。 又 聖 人 の 夢 の 中 に 神 女 現 じ て 膝 の 上 に 掻 き 載 せ 額 の 髪 を 撫 で ゝ 、 汝 は 佛 法 の 明 器 な る も 我 寺 の 寳 と な る ま じ 他 山 の 佛 法 を 興 隆 せ よ 、 我 宗 を 破 し て は な ら ぬ 。 我 も 亦 他 山 に 通 じ て 汝 が 佛 法 を 擁 護 す る で あ ら う 。 我 は 是 れ 春 日 の 第 四 殿 で あ る と 告 げ ら れ た 。 か ゝ る 靈 異 あ つ て 途 に 仁 和 寺 に 歸 住 、 天 永 元 年 十 月 干 六 日 十 六 歳 の 時 出 家 の 志 を 遂 け 、 再 び 興 福 寺 に 往 い て 五 重 唯 識 の 法 門 を 伺 ひ 、 東 大 寺 に 三 論 八 不 の 教 理 を 學 び 、 そ の 間 に も し ば み く 諸 神 の 夢 告 を 得 た ﹂ こ と を 記 し て あ る 。 そ の 中 高 野 の 大 師 の 御 記 文 と い ふ は 大 師 の 二 十 五 箇 條 御 遺 告 の 第 + 二 に 末 代 の 弟 子 等 に 三 論 法 相 を 兼 學 せ し む と い ふ 一 條 の あ る こ と を 指 し た も の と 思 は れ る 。 興 福 寺 圓 如 房 得 業 に 就 い て 上 る 縁 起 は 大 僧 正 の 御 弟 子 と い ひ 、 大 傳 法 院 本 願 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 三

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高 野 山 に 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 四 聖 人 御 傳 に は 大 僧 正 の 御 弟 と 在 す 。 御 弟 と い ふ は 他 の 諸 傳 に 見 す 、 誤 り か も 知 れ ぬ 。 頼 喩 上 人 の 眞 俗 雜 記 問 答 砂 第 二 十 三 巻 に 傳 法 院 本 願 上 人 銘 と し て 、 録 す る 所 は 簡 單 で あ る が 大 約 上 文 の 意 味 を つ く し て ゐ る 。 從 つ て 靈 瑞 縁 起 の 所 論 は 相 當 信 用 す ゝ に 足 る と 思 ふ 。 但 し 上 人 縁 起 や 聖 人 御 傳 は 圓 如 房 の 坊 に て 倶 舍 法 相 の 奥 義 を 極 め 、 又 東 大 寺 右 大 臣 僧 都 覺 樹 院 家 並 に 東 南 院 の 門 跡 に 寄 住 し て 花 嚴 三 論 を 習 ひ 給 ふ と い ふ も 、 上 記 の 書 に は こ れ を 見 な い 。 元 亨 釋 書 巻 五 並 に 大 覺 寺 法 悟 院 僧 正 頼 我 の 付 法 相 承 血 脈 鈔 の 傳 法 院 流 の 條 に 聖 人 の こ と を 記 し て 紀 州 高 野 山 は 弘 法 大 師 定 隠 の 地 、 彼 に 定 尊 阿 閉 梨 と い ふ あ り 、 密 學 に 粋 で あ る 。 子 そ れ 往 け と 、 是 れ よ り 遊 學 に 志 す と 、 そ の 出 據 を 明 に し て ゐ な い が 、 前 記 靈 瑞 縁 起 に い ふ ﹁ 高 野 に は 定 尊 ﹂ と い ふ 文 と 相 通 じ 、 述 懐 の 詞 に 出 す 如 く 、 二 十 に し て 成 佛 せ ん と 欲 し て 高 野 登 山 を 決 行 さ る ゝ に 至 つ た 事 情 が 察 せ ら れ る 。 註 ① 興 教 大 師 全 集 下 ・ 一 三 三 九 頁 ② 同 一 三 三 五 頁 ③ 興 教 大 師 僧 傳 五 八 頁 援 引 ④ 續 群 書 類 從 二 一 五 、 同 完 成 會 本 八 下 ・ 七 五 七 ⑤ 佛 教 全 書 本 六 七 頁 下 二 鳥 羽 帝 永 久 二 年 十 二 月 晦 日 聖 人 二 十 歳 で 高 野 山 に 登 嶺 さ れ た こ と は 諸 傳 一 致 の 読 で あ る 。 靈 瑞 縁 起 巻 上 に は 當 時 の 有 様 を 述 べ て ﹁ 大 和 路 よ り 初 め て 高 野 山 に 登 嶺 、 阿 波 の 上 る 青 蓮 浮 心 房 は 歳 末 入 堂 の 爲 め 大 塔 に 詣 し 本 願 聖 人 に 參 會

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し て 物 語 せ ら る 。 阿 波 の 上 人 云 、 我 身 は 生 年 七 歳 よ り 發 心 、 性 世 人 に 異 な り 、 漸 く 長 大 に 及 び 其 心 猶 切 な る も の あ り 、 屡 々 熊 野 の 寳 前 に 詣 し 鎭 に 出 離 の 要 道 を 所 る 。 明 神 感 應 を 垂 れ 靈 験 他 人 に 超 え た 。 こ れ に 因 つ て 國 郡 の 人 々 我 を 尊 び 我 を 仰 い で 牛 槽 現 と 名 く 。 さ れ ど 世 間 の 衆 務 を 厭 ひ 極 樂 の 來 迎 を 期 し 、 往 生 の 勝 地 を 尋 ね 入 定 の 靈 洞 に 詣 す 。 幸 に 本 願 聖 人 に 値 ふ 。 我 願 の 既 に 満 ず る を 悦 ぶ と て 、 老 體 に 懈 倦 を 忘 れ 給 仕 す る こ と 童 子 の 如 く 、 途 に 往 生 院 の 弊 坊 に 召 請 し て 本 願 聖 人 の 雅 訓 を 仰 ぐ L と 。 本 願 聖 人 御 傳 に は 阿 波 の 上 人 の 物 語 中 に 興 隆 佛 法 の 人 當 山 に 令 二 出 來 一給 へ と 祈 念 申 す 事 既 に 成 就 す る 哉 と 信 心 致 し 申 さ れ け る と い ふ 語 を 加 へ て ゐ る 。 高 野 春 秋 巻 六 の 如 き は 阿 波 の 上 人 豫 め 此 の 夕 に 鑁 師 の 登 山 を 識 り 延 い て 往 生 院 の 艸 庵 に 入 る 恰 も 奮 知 の 如 し と 記 し て 、 聖 入 の 來 山 を 豫 知 し て 出 迎 へ た や う な 口 吻 に な つ て ゐ る が 、 無 條 件 に は 信 用 し 難 い 。 更 に 靈 瑞 縁 起 巻 上 に は ﹁ 同 年 ﹂ と し て 次 の 記 事 を 出 し て ゐ る が 、 既 に 十 二 月 晦 日 に 登 山 し た の で あ る か ら 、 そ の 翌 年 頃 の こ と か も 知 れ ぬ 。 聖 人 は 往 生 院 よ り 最 禪 院 隠 岐 の 上 人 明 寂 の 許 に 往 還 し 常 に 事 相 の 秘 談 を 聽 く 。 其 間 明 寂 上 人 俄 に 回 祿 の 難 に 遭 ひ 新 造 の 坊 を 設 け 、 又 本 願 聖 人 往 生 院 の 居 所 を 去 つ て 西 谷 に 移 住 、 中 の 別 所 長 智 大 蓮 房 の 住 坊 を 得 た 。 件 の 場 所 は 當 時 の 月 上 院 に し て 聖 人 が 干 日 行 法 を 勤 修 せ ら れ た 所 で あ る 。 そ の 本 尊 は 月 上 院 の 中 尊 で あ つ て 、 聖 人 の 上 足 と な つ た 浮 法 房 院 主 兼 海 の 安 置 す る 所 と さ る 。 聖 人 の 残 さ れ た 障 子 書 文 に ﹁ 密 嚴 上 人 御 房 西 谷 千 日 無 言 の 間 持 佛 堂 の 障 子 に 書 か る ﹂ と 録 さ れ て ゐ る こ と を 思 へ ば 、 當 時 此 庭 で 千 日 無 言 の 行 を 修 さ れ た こ と は 事 實 で あ ら う 。 密 嚴 尊 者 年 譜 に は 聖 人 が 最 禪 院 明 寂 上 人 に 師 事 し 、 秘 印 密 言 を 受 け 院 の 別 房 に 寓 し た こ と を 永 久 三 年 の 條 に 出 し 、 高 野 春 秋 巻 六 に は こ れ を 同 年 二 月 と し 、 三 月 に は 最 禪 院 回 祿 、 鑁 衲 西 谷 に 索 居 す と い ふ 。 年 次 と し て は こ れ が 眞 實 で あ つ た か も 知 , れ ぬ 。 復 同 書 に は 永 久 四 年 冬 月 日 と し て 、 初 春 よ り 冬 末 に 至 り 求 聞 持 法 を 奥 院 に 修 す る こ と 三 箇 座 な れ ど 悉 地 現 ぜ す 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 る (上 ) 五

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 六 と い ふ 。 年 譜 永 久 五 年 の 條 に は 何 の 記 事 も な く 、 次 に 元 永 元 年 尊 者 二 十 四 歳 の 條 に 丙 申 (永 久 四 年 ) よ り こ の 年 八 月 に 至 る ま で 求 聞 持 法 を 修 す る こ と 凡 そ 八 度 、 明 寂 閉 梨 常 に 助 成 す 。 是 の 年 八 大 願 を 立 つ 等 と 記 録 し て ゐ る 。 求 聞 持 法 は 何 回 に も 修 行 さ れ た か 知 れ ぬ け れ ど 、 八 大 願 を 立 て た こ と に は 根 據 が 求 め ら れ ぬ 。 求 聞 持 法 立 願 の こ と は 下 に 述 ぶ る 如 く 保 安 三 年 ・ 保 安 四 年 の こ と で あ つ て 本 年 に は 求 め 得 ら れ ぬ 。 復 同 書 に は 是 年 千 日 護 摩 を 修 す 。 其 中 間 言 談 を 絶 す 。 世 に 謂 ふ 千 日 無 言 の 行 と は こ れ で あ る と 。 此 處 で は 前 の 千 日 無 言 の 行 を 千 日 護 摩 と 解 し た 。 興 教 大 師 全 集 下 巻 に は 同 じ く 永 久 四 年 四 月 十 七 日 醍 醐 の 賢 覺 法 眼 よ り 授 け ら れ た 灌 頂 印 信 秘 読 が 出 て ゐ る 。 彼 の 請 授 法 書 状 に は 二 十 二 の 春 よ り 二 十 七 の 秋 に 至 る ま で 凡 そ 許 可 の 職 位 に 預 る こ と 再 三 、 傳 法 灌 頂 を 受 く る こ と 八 度 と あ り 、 當 時 出 て は し き り に 明 師 を 尋 ね て 受 法 學 修 し 、 入 つ て は 修 法 観 行 に 精 進 さ れ た こ と が 察 せ ら れ る 。 そ れ で は 如 何 な 人 に 就 い て 傳 法 さ れ た か 。 遂 に そ の 記 録 を 明 に す る こ と が 出 來 な い が 、 賢 覺 法 眼 に 就 い て 受 法 さ れ た こ と は 前 記 の 如 く 、 同 全 集 上 巻 に 輯 載 さ れ た 金 剛 界 沙 汰 及 び 胎 藏 界 沙 汰 は 、 そ の 奥 識 に よ つ て 奥 州 東 大 寺 君 よ り 受 け た 口 決 で あ る こ と を 知 る 。 興 教 大 師 正 傳 に は そ の 東 大 寺 君 を 圓 勝 阿 閣 梨 と さ れ た 。 血 脈 類 集 記 第 四 大 法 師 覺 鑁 の 條 に 彼 の 上 人 は 盧 空 藏 聞 持 の 法 を 修 し 精 勤 年 久 し く 悉 地 日 に 新 二、 常 に 大 僧 正 に 随 ひ 執 事 提 錫 し 、 兩 部 大 法 數 年 に 訓 を 蒙 り 了 る と あ る の み 。 眞 俗 雜 記 問 答 鈔 第 二 十 三 に ﹁ 身 を 南 嶽 に 入 れ 或 は 定 尊 に 就 い て 宗 義 を 習 ひ 、 或 は 永 尋 を 伴 つ て 興 隆 を 祈 る 。 爰 に 永 尋 早 く 靈 夢 を 感 じ て 途 に 宿 願 を 成 す ﹂ と 読 く 。 此 の 年 代 の 間 の こ と で あ ら う 。 か く て 聖 人 高 野 登 山 の 後 保 安 二 年 に 至 る ま で の 七 年 間 の 事 歴 に 就 い て は 、 上 記 す る も の ゝ 外 殆 ん ど 知 る を 得 な い 。 保 安 二 年 九 月 二 十 云 日 仁 和 寺 成 就 院 に 於 い て 寛 助 大 僧 正 に 随 ひ 灌 頂 入 壇 し た こ と は 諸 傳 の 一 致 す る 所 で あ る 。 時 の

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色 衆 六 人 、 教 授 阿 閉 梨 兼 覺 法 眼 、 育 経 導 師 最 嚴 法 橋 、 護 摩 師 平 等 房 永 嚴 に て 、 後 朝 の 儀 式 は 行 は れ な か つ た 。 眞 言 傳 巻 七 の 覺 鑁 傳 に は 或 説 に 寛 助 僧 正 に つ い て 入 壇 の 時 眉 間 よ り 白 光 を 放 つ と い ふ 。 此 事 實 読 を 尋 ぬ べ し と 。 靈 瑞 緑 起 や 本 願 聖 人 御 傳 等 は こ れ を 表 は し て ゐ な い 。 眞 言 傳 は 正 中 二 年 六 月 勧 修 寺 慈 尊 院 榮 海 僧 正 の 記 す る 所 で あ つ て 、 聖 人 寂 後 百 八 十 年 の 書 で あ る 。 元 亨 釋 書 巻 五 に も ﹁ 仁 和 に 回 つ て 密 灌 を 稟 く 、 其 夜 場 室 光 香 有 り ﹂ と 記 す 。 大 い に 注 目 を 要 す る 記 事 に 考 へ ら れ る 。 靈 瑞 緑 起 巻 上 に は ﹁ 同 年 醍 醐 理 性 院 賢 覺 法 眼 に 随 つ て 灌 頂 を 受 け 又 求 聞 持 法 を 併 せ 傳 受 し 了 る ﹂ と 記 す 。 述 懐 の 詞 に は 二 十 有 七 に し て 更 に 一 願 を 加 ふ 。 所 謂 臨 終 の 剋 り 入 滅 せ ん と す る 時 、 若 し 生 を 離 る ゝ を 途 け す 成 佛 を 果 す こ と な く ん ば 、 亦 正 念 を 得 て 定 め て 倒 想 を 離 れ 、 忽 に 大 日 の 來 迎 に 預 り 速 に 遍 照 の 引 接 を 感 ぜ ん 云 云 求 め て 端 き す 修 行 し て 止 ま な い 聖 人 の 意 志 に は 吾 人 の 胸 を 打 つ も の が 多 い 。 眞 言 傳 巻 七 の 覺 鑁 傳 に ﹁ 保 安 二 年 仁 和 寺 寛 助 大 僧 正 に 随 つ て 入 壇 灌 頂 、 其 外 華 藏 院 宮 聖 恵 親 王 ・ 醍 醐 定 海 大 僧 正 ・ 賢 覺 法 眼 ・ 勸 修 寺 寛 信 法 務 等 に あ ひ て 、 法 流 の 奥 旨 を と ふ ら ふ 。 又 三 井 覺 猷 僧 正 に 随 つ て 一 流 の 祕 旨 を き は む ﹂ と 出 す 。 當 時 の 求 法 の 態 度 を 察 知 す べ き で あ る 。 註 ① 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 五 八 頁 上 ② 佛 全 本 八 八 頁 下 ③ 興 教 大 師 全 集 上 ・ 三 六 九 頁 ④ 佛 全 本 八 九 頁 上 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 七

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 八 ⑤ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 八 二 五 頁 ⑥ 同 一 三 三 六 頁 ⑦ 眞 言 宗 全 書 三 九 ・ 九 五 頁 下 ⑧ 如 言 宗 全 書 三 七 ・ 三 八 六 頁 上 ⑨ 佛 教 全 書 本 ︼ 六 ︼ 頁 上 ⑩ 佛 教 全 書 本 六 七 頁 ⑪ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 一 三 三 九 頁 ⑫ 佛 教 全 書 本 一 六 〇 頁 下 三 保 安 三 年 聖 人 二 十 九 歳 七 月 二 十 日 ( イ 本 二 四 日 ) 求 聞 持 法 立 申 大 願 の 文 を 作 ら る 。 ﹁ 宗 祖 大 師 の 請 來 録 並 に 三 學 録 中 の 眞 言 の 一 切 経 、 大 師 御 作 の 書 、 兩 界 曼 茶 羅 各 一 舖 、 虚 空 藏 菩 薩 像 三 舖 、 大 師 明 神 法 樂 の 爲 め に 般 若 心 経 一 千 二 百 巻 を 各 々 書 爲 し 供 養 し 勤 仕 師 事 し 、 眞 言 宗 の 章 疏 を 撰 集 し て 密 教 の 壽 命 を 繼 ぎ 行 者 の 心 眼 を 開 か し め 奉 ら ん ﹂ と 申 し 、 更 に ﹁ 去 る 六 月 二 十 四 日 の 農 朝 よ り 來 る 八 月 十 七 日 の 早 農 に 至 る ま で 、 偏 に 無 上 菩 提 の 爲 め に 求 聞 持 の 法 を 修 行 し 奉 り 、 甚 深 廣 大 の 自 然 智 を 開 發 せ ん ﹂ と 祈 請 し 、 又 ﹁ 百 萬 遍 の 一 行 を も つ て 必 す 上 中 下 の 諸 願 を 成 す る を 得 ん 、 況 ん や 今 一 百 萬 遍 の 諸 行 に 於 い て 過 現 未 來 の 萬 善 を 加 へ ﹂ と も 述 べ ら る 。 そ し て ﹁ 八 箇 百 萬 遍 の 功 徳 並 に 三 世 一 切 の 善 根 を 以 て 皆 悉 く 少 分 を も 餘 さ す 悉 地 成 就 の 爲 め に 廻 向 せ し む ﹂ と 。 期 せ ら る 、 所 甚 だ 廣 大 で あ る 。 此 處 に 八 箇 百 萬 遍 と あ る の で 、 此 の 頃 ま で に 八 度 求 聞 持 法 を 修 行 せ ら れ た こ と を 知 る 。 從 つ て 高 野 春 秋 巻 六 に ﹁ 秋 七 月 鑁 衲 求 聞 持 法 を 奥 院 道 場 に 梱 修 し 悉 地 を 得 第 九 度 な り ﹂ と い ふ は 相 違 と し な く て は な ら ぬ 。 こ れ に 就 い て 求 聞 持 法 第 八 度 の 大 事 あ り 。 頼 喩 僧

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正 の 相 傳 に 依 れ ば 、 密 嚴 上 人 こ れ を 七 度 ま で 修 し 給 ふ も 悉 地 成 ぜ す 、 此 の 印 を 醍 醐 理 性 房 法 眼 よ り 傳 脅 し て 修 し 給 ふ に 第 八 度 に 悉 地 成 就 す と 。 眞 俗 雜 記 第 十 八 求 聞 持 秘 印 事 の 條 に は 前 述 相 傅 の こ と を 記 し て 、 此 の 印 を 傳 受 し 給 ふ に 就 い て 二 読 あ り 、 高 野 の 相 傳 に は 理 性 房 の 坊 に て 障 .子 の 外 に 在 り 、 文 挿 み に さ し は さ ん で 傳 受 さ れ た と 云 ひ 、 醍 醐 の 説 に は 理 性 房 高 野 參 詣 の 節 、 湯 屋 に 二 人 居 合 ふ て 互 に 物 語 し て 脅 ひ 傳 へ 給 ふ と 。 二 読 の 是 非 は 評 し て な い が 、 第 二 説 が 自 然 の や う に 考 へ ら れ る 。 尤 も 湯 屋 云 々 と い ふ こ と は ど う か と も 思 ふ 。 同 書 求 聞 持 印 明 事 と 題 す る 條 に は 悉 地 成 就 の し る し に 酥 乳 の 懸 つ た 佛 具 に 關 す る 説 を 掲 け て ゐ る が 今 は 略 す る 。 上 人 縁 起 や 本 願 上 人 御 傳 に は ﹁ 聖 人 求 聞 持 祕 法 を 既 に 八 箇 度 修 せ ら れ た け れ ど 悉 地 な く 、 こ れ を 理 性 房 僧 都 に 正 さ れ た 。 僧 都 は 聞 い て 打 ち 笑 ひ 、 悉 地 の 成 じ な い の は 道 理 で あ る と て 、 相 傳 の 求 聞 持 大 事 祕 決 を 残 す 所 な く 授 け ら れ た 。 聖 人 は こ れ を 得 て 根 來 寺 へ 歸 つ て 百 日 籠 居 し 修 行 せ ら れ 途 に 悉 地 を 得 た ﹂ と 記 す 。 八 箇 度 と い ふ の は 前 述 の 如 く 七 度 で な く て は な ら ぬ が 、 そ の 第 八 度 の 行 を 密 嚴 年 譜 は 明 年 野 山 へ 歸 つ て 修 し た と 云 ひ 、 高 野 春 秋 は 上 述 の 如 く 奥 院 道 場 に 悃 修 す と い ふ 。 此 の 頃 は 未 だ 根 來 山 寺 は 出 來 て ゐ な い の で 今 は 高 野 山 説 が 正 し い と 思 は れ る 。 春 秋 に は 唯 ﹁ 奥 院 覺 鑁 道 場 別 園 あ り 是 れ そ の 遺 跡 で あ る ﹂ と 註 す る も そ の 本 據 を 明 に し な い 。 前 在 立 願 文 に は そ の 時 の 助 成 僧 明 寂 の こ と を 述 べ て あ る け れ ど 今 は 略 す る 。 保 安 四 年 僧 月 二 七 日 求 聞 持 立 願 文 を 作 ら 、る 。 そ れ に 依 る と ﹁ 眞 言 の ︼ 切 経 ・ 顯 教 の ︼ 切 経 を 書 寫 供 養 し 、 理 智 法 身 の 佛 塔 各 一 基 、 秘 密 眞 言 の 堂 一 宇 を 建 立 供 養 し 、 等 身 皆 金 色 の 兩 界 大 日 各 一 體 、 兩 界 五 智 如 來 像 各 一 體 を 造 立 し 、 兩 界 曼 茶 羅 並 に 本 尊 の 像 各 一 舖 を 圖 絡 し 供 養 し 奉 る べ く 、 又 三 七 日 夜 不 断 に 尊 勝 陀 尼 羅 を 勤 修 し 、 師 長 父 母 眷 屬 無 縁 の 修 學 者 に 勤 仕 教 事 し 、 眞 言 宗 の 章 疏 を 勵 勤 し て 撰 集 し 奉 る ﹂ と 發 願 さ れ て ゐ る 。 前 年 七 月 二 十 日 の 立 願 と 併 せ 考 へ る 時 如 何 に 荘 大 な 護 法 と 興 隆 の 念 に 燃 え て ゐ ら れ た か " 察 せ ら れ る 。 此 處 に も 明 寂 上 人 の こ と を 記 し て ゐ ら れ る が 今 は 略 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 九

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 一 〇 す る 。 本 年 九 月 二 七 日 附 聖 人 の 請 授 法 書 状 に は ﹁ 三 世 の 勃 駄 は 大 慈 を 先 と し 十 方 の 陳 多 は 大 悲 を 本 と な す 。 罪 過 に 悪 意 を 厭 ふ な く 違 逆 に 棄 捨 の 念 を 離 れ 、 還 つ て 愛 を 加 へ 憐 を 増 す 。 そ の 抜 苦 與 樂 に 住 す る を 大 慈 悲 と い ふ 。 抜 苦 與 樂 の 基 は 源 を 絶 つ に し か す 。 源 を 絶 つ の 本 は 授 法 に 過 ぐ る な し 。 然 も そ の こ と 未 だ 御 許 を 被 ら す 、 是 れ 生 前 の 深 恨 死 後 の 大 妨 で あ る ﹂ と い ひ 、 既 に 述 べ た や う に 十 八 歳 以 來 受 法 ・ 許 可 ・ 傅 法 を 重 ね ﹁ 日 夜 持 念 し て 未 だ 曾 つ て 闕 怠 せ す 。 或 は 境 界 の 中 に 本 尊 に 遇 ひ て 授 記 を 被 り 、 或 は 夢 想 の 裏 に 大 師 よ り 灌 頂 を 受 く 。 況 ん や 復 宿 命 の こ と を 告 げ 當 生 の 相 を 示 さ る 。 (中 略 ) 修 學 に 倦 む な く 深 心 彌 々 堅 く 道 心 倍 々 切 で あ る (中 略 ) 伏 し て 乞 ふ 。 慈 悲 の 大 阿 閉 梨 耶 早 く 彼 の 法 藥 を 授 け 速 に 此 の 心 箭 を 抜 か し め た ま へ (下 略 ) ﹂ そ の 言 に 至 誠 あ ふ れ 慇 懃 を 極 む 。 首 に ﹁ 金 剛 弟 子 覺 鑁 稽 首 接 足 し て 大 和 尚 に 白 し て 言 く ﹂ と あ る だ け で 宛 名 を 明 記 し て な い の で 、 誰 れ に 請 授 法 さ れ た の か 分 明 し な い が 、 恐 ら く 仁 和 寺 寛 助 大 僧 僧 に 請 は れ た の で あ ら う 。 そ の 結 果 授 法 の 願 が 達 せ ら れ た か 否 や 、 こ れ ま た 文 獻 を 得 な い の で あ る が 、 興 教 大 師 正 傳 に も 論 ぜ ら る ゝ 如 く 、 翌 天 治 元 年 に は 鳥 羽 上 皇 に 雇 從 し て 寛 助 大 僧 正 は 登 山 さ れ た の で あ り 、 復 再 度 の 請 授 法 状 と い ふ や う な も の も 見 な い の で 、 恐 ら く 本 願 は 何 日 に か 達 せ ら れ た も の と 思 は れ る 。 血 脈 類 集 記 第 四 大 法 師 覺 鑁 の 下 に 彼 の 作 る は 虚 空 藏 聞 持 の 法 を 修 し 精 勤 年 久 し く 悉 地 日 に 新 な り 、 常 に 大 僧 正 に 随 ひ 執 .事 提 錫 し 、 兩 部 大 法 數 年 に 訓 を 蒙 り 了 る と あ る は 、 今 の 請 授 法 書 状 に も 何 等 か 触 觸 る 意 味 を 傅 へ た も の で は な か ら う か 。 天 治 元 年 十 月 二 七 日 鳥 羽 院 初 め て 高 野 山 御 幸 、 前 年 の 白 河 院 の 時 の 如 く 奥 の 院 に て 御 佛 事 あ り 。 導 師 三 井 寺 勝 元 (覺 力 ) 、 咒 願 長 者 大 僧 正 寛 助 、 理 趣 三 昧 導 師 良 禪 に て 、 表 白 の 間 に 西 塔 を 作 る べ き 由 宣 下 さ る 。 白 河 院 の 時 の 如 く と は 、 白 河 院 は 寛 治 二 年 二 月 と 同 五 年 二 月 と 既 に 兩 度 御 登 山 あ ら せ ら れ て ゐ る の で そ の 時 の 例 に 準 じ 給 ふ た こ と を い ふ 。

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高 野 春 秋 巻 六 に は 此 の 時 法 華 八 講 あ り 、 結 願 の 後 良 禪 検 校 を 導 師 と す る 理 趣 三 昧 法 會 を い と な ま せ ら れ 、 そ の 法 事 の 間 に 東 塔 西 塔 造 立 の 旨 宣 下 あ ら せ ら る と 記 す も 、 高 野 山 御 幸 御 出 記 に は 東 塔 の こ と は 記 さ れ て ゐ な い が 大 治 二 年 東 塔 供 養 の こ と が 行 は れ て ゐ る か ら 、 此 の 時 宣 下 あ ら せ ら れ た こ と 、 思 は れ る 。 智 山 板 本 心 月 輪 祕 釋 の 奥 に 天 治 元 年 の 記 あ る も 、 こ れ は 興 教 大 師 僧 傳 記 者 の 説 の 如 く 專 ら 密 觀 を 凝 ら し 給 ふ た 圓 熟 の 晩 年 の 作 と 見 る べ き で あ ら 、う 。 天 治 二 年 正 月 十 五 日 成 就 院 大 僧 僧 寛 助 入 滅 壽 六 十 九 歳 、 権 大 僧 都 勝 覺 一 の 長 者 法 務 井 に 座 主 に 進 む 。 七 月 某 日 秘 密 荘 嚴 不 二 義 章 を 撰 し 、 眞 言 不 二 の 深 義 を 詳 釋 し た 。 密 嚴 年 譜 に は 本 年 孝 養 集 三 巻 を 作 る と の こ と を 出 す も 、 そ の 書 眞 偽 未 決 な れ ば 今 は こ れ を 見 な い こ と に し た い 。 註 ① 興 教 大 師 全 集 下 ・ 九 三 三 頁 ② 佛 教 全 書 本 九 〇 頁 ③ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 九 六 五 頁 ④ 眞 言 宗 全 書 三 七 ・ 三 二 一 頁 下 ⑤ 同 三 一 九 頁 下 ⑥ 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 五 九 頁 上 ⑦ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 九 四 一 頁 ⑧ 興 教 大 師 正 傳 一 二 六 頁 ⑨ 眞 言 宗 全 書 三 九 ・ 九 五 頁 ⑩ 高 野 山 御 幸 御 出 記 、 續 群 書 類 從 二 八 上 ・ 二 九 二 頁 下 ⑪ 佛 教 全 書 本 九 一 頁 上 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 一 一

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 一 二 ⑫ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 一 〇 七 五 頁 ⑬ 興 教 大 師 正 傳 四 二 八 頁 ⑭ 東 寺 長 者 補 任 二 、 續 々 群 書 類 從 二 ・ 五 三 八 頁 下 高 野 春 秋 六 ・ 佛 教 全 書 本 九 一 靈 瑞 縁 起 上 巻 ⑮ 興 教 大 師 全 集 上 ・ 二 九 二 頁 四 大 治 元 年 聖 人 三 十 二 歳 、 六 月 十 日 解 状 を 奉 つ て 傳 法 二 會 を 興 立 せ ん と し 奏 し て 石 手 の 庄 を 請 は る 。 文 に 件 の 二 會 は 大 師 が 遺 弟 に 勤 命 し て 毎 隔 二 季 に 勤 行 、 春 を 修 學 會 と 名 け て 秘 密 の 経 教 を 授 け 、 冬 を 練 學 會 と 號 し 更 に 文 義 の 紕 繆 を 糺 す 。 實 恵 僧 都 ・ 眞 然 僧 正 聖 跡 を 承 け て 勤 修 、 學 業 を 傅 へ て 紹 隆 し 給 ふ 。 而 も 年 序 推 移 し て 漸 次 廢 絶 す 。 近 く 又 仁 和 寺 大 僧 僧 殊 に 丁 寧 を 端 し て 奮 に 伍 て 勤 め し む 。 其 後 亦 絶 え て 今 に 空 し く 過 ぐ (中 略 ) 覺 鑁 慶 を 興 し 絶 を 繼 ぐ の 心 時 と し て 休 む な く 。 弘 法 利 生 の 願 逐 日 彌 苦 な り 。 こ れ に 因 つ て 常 に 思 は く 二 會 の 供 料 を 儲 け 三 密 の 法 筵 を 弘 め ん と 。 志 大 な れ ど 力 微 に し て 事 心 と 違 ふ 云 云 文 に 件 の 二 會 と は 傅 法 二 會 の こ と で あ る が 、 眞 然 僧 正 の 金 剛 峰 寺 契 定 傳 法 二 會 式 目 の 記 述 に ょ つ て 往 時 に 於 け る 二 會 の 規 模 が 知 ら れ る 。 即 三 月 一 日 よ り 二 一 日 に 尾 る 三 七 箇 日 間 三 業 の 法 門 を 書 し 且 つ 傳 受 す る を 修 學 會 と 名 け 、 十 月 五 日 よ り 十 八 日 に 尾 る 二 七 箇 日 間 は 受 學 す る 所 の 経 論 の 謬 を 糺 し 邪 を 正 す 。 こ れ を 練 學 會 と 云 ひ 、 そ の 二 會 の 間 は 心 を 利 民 に 繋 け 講 法 談 義 を 嚴 に す べ き こ と を 定 め ら れ て あ る 。 そ れ が 實 恵 ・ 眞 然 兩 大 徳 以 後 漸 次 塵 絶 し 、 寛 助 大 僧 正 に よ

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つ て 再 興 さ れ た け れ ど 續 か な か つ た 。 そ れ で 今 適 當 の 供 料 を 得 て 再 興 し た い と い ふ 趣 意 で あ つ て 、 聖 入 の 止 む に 止 む 能 は ぬ 興 法 利 民 の 熟 誠 が 今 の 一 文 と な つ た も の と 考 へ ら れ る 。 蓋 し 教 育 の 事 に は 相 當 の 資 本 を 要 す る 。 こ れ な く し て 完 全 に 行 は る ゝ 筈 は な い 。 聖 人 の 着 眼 も 亦 至 當 と し な く て は な ら ぬ 。 け れ ど そ の 願 は 即 時 に 實 現 さ れ す し て 大 治 四 年 に 及 ん だ 。 密 嚴 尊 者 年 譜 に は 保 安 三 年 求 間 持 法 修 行 の 時 助 成 僧 と な つ た 永 尋 閣 梨 の 進 言 あ り て 傳 法 院 を 建 て 傳 法 會 を 啓 い て 密 教 を 恢 弘 し 群 生 を 利 濟 し よ う と 欲 し た や う に 記 し て あ る 。 或 は そ う で あ つ た か も 知 れ ぬ が 、 今 の 解 状 は 正 し く 聖 人 の も の と 思 は れ る 。 密 嚴 上 人 行 状 記 上 巻 に は 、 此 の 年 七 月 平 爲 里 が 、 紀 伊 國 那 賀 郡 石 手 村 の 私 領 一 處 を 高 野 山 僧 覺 房 上 人 傳 法 供 料 と し て 寄 進 し た 文 書 を 出 す 。 こ れ に 依 つ て か 、 密 嚴 年 譜 や 高 野 春 秋 巻 六 に は 本 年 根 來 山 寺 創 建 の こ と を 傳 へ た 。 先 づ 密 嚴 年 譜 に は ﹁ 是 の 年 靈 攸 を 根 來 山 に 相 し て 伽 藍 を 創 め ん と 欲 し 、 云 祠 を 石 手 の 荘 に 螢 立 し 日 本 國 中 の 大 小 神 明 一 千 餘 社 を 請 じ て 鎭 守 と し 、 傍 に 僧 坊 を 構 へ て 神 宮 寺 と 名 く 。 今 の 圓 満 院 が こ れ に 當 る ﹂ と い ひ 、 高 野 春 秋 に は ﹁ 本 年 十 二 月 根 來 寺 別 鄭 圓 満 院 社 頭 共 に 成 る 。 そ れ は 根 來 の 寺 中 坤 方 よ り ︼ 里 許 り を 去 り 岩 手 荘 林 中 に あ り 、 社 内 に 三 部 權 現 を 勸 請 す ﹂ と 。 根 來 山 寺 の 創 建 を 考 察 す る 場 合 貴 重 の 記 録 た る を 思 ふ 。 但 し 行 状 記 に は 聖 人 東 寺 に 止 住 の 時 稻 荷 神 詞 に 參 籠 し 、 そ の 靈 應 を 得 で 平 爲 里 よ り 此 の 地 を 寄 進 せ ら る 、 に 至 つ た 由 來 を 叙 し て ゐ る が 、 本 願 上 人 御 傳 や 靈 瑞 緑 起 に は 唯 ﹁ 石 手 荘 は 稻 荷 明 神 の 託 宣 に 依 つ て 寄 附 せ ら る ﹂ と あ る の み で 、 そ れ も 大 治 五 年 の こ と に 屡 し て ゐ る 。 或 は こ れ ら の 読 は 前 述 解 状 に 聖 人 が 何 故 石 手 の 庄 を 指 定 し て 請 は る ・ に 至 つ た か 、 そ の 緑 由 を 分 明 に し て ゐ な い 所 か ら 生 じ た 後 代 の 附 會 説 で あ る か も 知 れ な い 。 猶 密 嚴 上 人 行 状 記 巻 上 第 二 二 節 に ﹁ 寳 珠 の 傳 ﹂ と し て 、 聖 人 御 作 と す る 夢 想 の 毘 沙 門 靈 験 の 記 を 出 す 。 そ れ に 依 れ ば ﹁ 大 治 元 年 三 月 十 九 日 聖 人 信 貴 毘 沙 聞 の 靈 場 に 攀 登 參 籠 し 、 堅 固 の 菩 提 心 を 發 し 祈 精 を 致 す に 、 異 香 四 方 に 薫 じ 光 明 赫 高 野 山 己 於 け る 覺 銀 聖 人 (上 ) 一 三

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 一 四 々 と し 、 中 に 毘 沙 聞 天 顯 現 し 種 々 法 談 の 後 、 天 尊 は 密 教 の 深 意 を 盡 し 慮 知 の 分 限 を 振 ふ て 一 巻 を 製 し 吾 に 與 へ ば 汝 が 所 望 を 成 就 せ し め む と 。 依 つ て 五 段 の 講 式 を 綴 り 獄 じ 奉 る 。 毘 沙 門 は 歡 喜 適 悦 の 餘 り 三 顆 の 如 意 珠 を 荷 葉 の 上 に 置 い て 下 し 賜 は つ た 。 更 に 大 治 三 年 八 月 十 五 日 能 作 性 の 玉 を 作 つ て 其 の 上 を 包 み 、 建 立 す る 所 の 伽 藍 根 來 寺 を 豊 福 寺 と 號 し 中 に 八 角 の 室 を 造 つ て 不 動 明 王 と 共 に 安 置 し た L (取 意 ) 、 終 り に 長 承 元 年 十 二 月 覺 鑁 上 人 生 年 三 十 八 歳 、 淨 法 房 三 十 二 歳 等 と 記 す 。 さ れ ど そ の 文 言 は 蕪 雜 で あ つ て 、 到 底 他 の 聖 人 の 御 作 に 見 る や う な 力 の あ る 文 章 で は な い 。 靈 瑞 縁 起 巻 下 に は ﹁ 多 聞 天 よ り 一 顆 の 寳 珠 を 授 與 せ ら る ﹂ と て 、 或 は 聖 人 多 聞 天 の 靈 地 に 於 い て 參 籠 す る こ と 三 箇 日 、 爰 に 天 王 顯 現 し て 一 顆 の 寳 珠 を 授 與 す 。 上 人 云 此 の 寳 珠 猶 暫 く 預 け 奉 る 。 一 伽 藍 造 り 畢 る の 後 重 ね て 申 し 賜 は れ 。 當 時 は 安 置 す べ き 寳 所 も 候 は ざ る 由 天 王 に 能 々 契 約 申 さ る 。 そ の 賽 報 に 五 段 毘 沙 聞 講 式 を 作 り 、 句 々 玉 を 螢 き 段 々 に 金 を 投 じ 施 入 せ ら る 。 其 後 傳 法 院 を 造 り 畢 つ て 將 に 寳 珠 を 安 置 す べ く 兼 海 淨 法 房 を 彼 の 靈 地 に 差 し 遣 は し 、 參 籠 六 日 を 満 す る の 夜 、 件 の 寳 珠 を 申 し 出 し 、 翌 日 高 野 に 歸 山 、 密 嚴 院 の 南 の 岡 に 埋 め ら れ た 。 兩 來 そ の 岡 を 寳 珠 岡 と 號 す 。 聖 入 そ の 洞 中 に 十 徳 を 設 く る 故 十 徳 岡 と も い ふ 。 或 は 件 の 多 聞 天 の 靈 地 を 大 和 信 貴 山 と な す 。 件 の 山 に 聖 人 參 籠 の 坊 舍 現 在 す と 。 或 は 山 城 鞍 馬 寺 で あ る と い ふ 。 傳 に 彼 の 講 式 は 毎 月 三 日 講 演 し て 式 師 禮 盤 の 上 に て 封 を 付 け て 下 る 。 其 外 の 寺 僧 は 都 て 披 覧 に 及 ば す 。 爰 に 鞍 馬 寺 焔 上 の 時 件 の 一 本 燒 失 す 。 此 の 説 最 も 信 用 さ れ る 。 和 州 信 貴 山 は 先 年 焼 失 の 時 、 彼 の 式 の 有 無 沙 汰 に 及 ば す 。 明 に 知 る 。 其 の 寺 に は 昔 よ り 安 置 し て ゐ な か つ た こ と を 。 但 今 に 於 い て 執 論 す る こ と 兩 方 共 に 詮 な し 」 と 。 そ の 鞍 馬 寺 焼 亡 に 就 い て 百 錬 抄 巻 六 に は 、 大 治 元 年 十 二 月 十 九 日 と し 、 長 承 二 年 八 月 八 日 該 寺 供 養 上 皇 御 沙 汰 と 記 す 。 そ の 後 暦 仁 元 年 焼 亡 、 毘 沙 門 靈 像 取 り 出 し 奉 る と あ る 。 そ の 何 れ に 就 い て 今 の 読 を 考 ふ べ き か 、 そ れ も 分 明 し な い 。 且 つ 此 の 二 つ の 読 を 比 較 す る に 前 本 は 年 月 日 を 決 定 し 、 場 所 を 信 貴 山 に 限 り 、 寳 珠 を 三 顆 と し 、 根 來 山 寺

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に 納 め た . と に 作 り 、 葉 に は 年 月 日 を 決 定 せ 霧 所 に 二 傳 を 出 し 、 簀 珠 は 一 顆 で 高 野 山 の 欝 院 に 納 め た 。 然 し て 後 本 の 成 立 は 正 應 五 年 で あ つ て 、 根 來 寺 豊 福 寺 西 南 院 の 僧 覺 満 七 十 九 歳 の 時 の 記 で あ る 。 前 本 は 著 者 年 代 と も に 明 で な い が 、 密 嚴 上 人 縁 起 を 本 と し て ゐ る こ と に 疑 な い 。 勿 論 後 代 の 作 で 或 は 室 町 中 期 以 後 の も の か と も 考 へ ら れ る 。 從 つ て 信 用 は 靈 瑞 縁 起 を 本 と し て 考 へ ね ば な ら ぬ 。 年 次 に 就 い て 後 本 は ﹁ 一 伽 藍 を 造 り 畢 つ て 後 重 ね て 賜 は ら ん ﹂ と 契 約 し た と あ る か ら 、 聖 人 の 生 涯 々 ら 考 へ れ ば 此 の 年 次 の 頃 と な る で あ ら う 。 此 の 読 話 は 古 來 有 名 で あ つ て 蜘 言 傳 巻 七 覺 鑁 傳 に も 掲 け ら れ て ゐ る 。 丈 意 は 靈 瑞 縁 起 の 読 に 合 致 す 。 異 る 所 は 傳 法 院 を 造 り 終 つ て 弟 子 の 兼 海 が 再 び 申 し 受 け に 往 つ た こ を 、 高 野 の 或 所 に 埋 め 訖 ん ぬ と て そ の 場 所 を 具 體 的 に し て ゐ な い こ と で あ る 。 興 教 大 師 全 集 下 巻 に 多 聞 天 講 式 あ り 、 奥 識 に 覺 鑁 上 人 傳 法 院 を 建 立 せ ん が 爲 め 此 の 式 を 草 し 行 ぜ し め 給 ふ 云 々 と あ る も 、 そ の 文 中 何 れ に も 寳 珠 に 關 す る 話 を 戴 せ て ゐ な い 。 且 つ 製 作 年 代 も 明 で な い 。 大 治 二 年 十 月 三 十 日 白 河 ・ 鳥 羽 兩 院 高 野 山 に 御 幸 御 塔 供 養 あ り ど は 百 錬 抄 巻 六 に 傳 ふ る 所 で 。 高 野 山 御 幸 御 出 記 に は 士 月 四 日 白 河 院 第 三 度 、 鳥 羽 院 第 二 度 御 幸 、 白 河 院 は 東 塔 御 供 養 、 鳥 羽 院 は 西 塔 御 供 養 の 爲 め で あ つ た 。 そ の 時 鳥 羽 院 は 兩 塔 色 衆 三 十 る の 爲 め に 供 料 と し て 安 藝 國 可 部 庄 用 途 百 八 石 永 代 に 仰 せ 下 さ る 。 註 ① 興 教 大 師 僧 傳 一 四 一 頁 ② 弘 法 大 師 全 集 和 本 一 五 ・ 一 二 六 頁 ③ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 九 三 八 頁 ④ 佛 教 全 書 本 九 一 頁 下 ⑤ 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 六 〇 頁 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 一 五

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 一 六 ⑥ 國 史 大 系 一 四 ・ 二 四 二 頁 ⑦ 佛 教 全 書 本 一 六 一 頁 ⑧ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 一 二 二 五 頁 ⑨ 國 史 大 系 一 四 . 七 五 頁 ⑩ 續 群 書 類 從 二 八 上 ・ 二 九 二 頁 五 大 治 三 年 の 記 事 を 見 な い 。 大 治 四 年 聖 人 三 十 五 歳 。 二 月 三 日 高 野 山 沙 門 覺 鑁 の 解 状 が あ る 。 紀 伊 國 那 賀 郡 石 手 村 を も つ て 永 く 傳 法 院 の 庄 領 と し 、 其 の 地 の 利 を 毎 年 傳 法 二 季 會 の 供 料 に 充 て 、 往 時 の 如 く こ れ を 勤 修 し 太 作 皇 の 奉 爲 に 祈 り 奉 る 。 こ れ 國 家 の 法 城 を 鎭 護 し 秘 密 の 智 海 を 崇 重 す る に 依 る の 趣 意 を 明 に し て ゐ る 。 同 年 八 月 再 び 禪 定 聖 靈 御 菩 提 を 祈 り 奉 ら ん が 爲 め に 石 手 庄 申 丈 を 上 ら る 。 こ れ は 大 治 元 年 の 解 状 に よ つ て 實 現 さ れ な か つ た の で 、 此 處 に 再 度 の 奏 請 と な つ た も の で あ ら う 。 國 家 の 奉 爲 に 興 隆 密 教 を 願 は る 、 聖 人 の 至 情 に 非 ざ れ ば 得 ら れ な い 大 文 獻 に 思 は れ る 。 そ れ に よ つ て 十 一 月 三 日 の 院 宣 牒 状 、 十 一 月二十 一 日 の 國 司 郡 司 検 注 状 と な つ て 現 れ た 。 但 し そ の 匠 域 は 前 記 平 爲 里 の 寄 進 地 と 相 一 致 す る 。 或 は 前 は 私 の 寄 進 で あ つ た も の が 、 此 の 時 公 許 さ れ る こ と に な つ た か 。 何 れ に せ よ 聖 る の 熟 試 に よ り 茲 に 傳 法 二 會 が 高 野 山 上 に 復 興 さ る 、 に 至 つ た こ と は 、 一 山 の 繁 榮 は 勿 論 鎭 護 國 家 と 密 教 興 隆 と の 爲 め に 満 腔 の 敬 意 を さ ゝ ぐ べ き で あ ら う 。 本 年 七 月 七 日 白 河 法 皇 御 崩 去 、 兩 來 當 日 御 國 忌 法 會 を 修 し 奉 る 。 此 の 七 月二十 七 日 と 翌 閏 七 月二十 六 日 と に 密 嚴 院 瑞

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夢 頌 と 十 徳 頌 を 撰 せ ら る 。 十 徳 頌 は 閑 静 獨 一 ・ 居 内 處 中 ・ 壇 地 堅 淨 ・ 形 月 金 色 ・ 幽 平 高 臺 ・ 山 岳 旋 遶 ・ 明 朗 温 涼 ・ 林 泉 常 豊 ・ 東 北 卸 長 ・ 理 事 相 應 と い ふ の で あ る 。 但 傳 法 院 建 立 の こ と は 順 次 記 す 如 く 梢 々 多 く の 文 厭 を 見 る の で あ る が 、 密 嚴 院 に 就 い て は そ の 文 獄 甚 だ 少 く 確 と 決 し 難 い 。 紀 伊 續 風 土 記 第 五 輯 密 嚴 院 の 條 に は 、 勅 に よ り 大 治 五 年 創 建 、 四 月 八 日 落 成 と い ふ も 典 據 が 明 で な い が 、 小 傳 法 院 が 大 治 五 年 に 建 立 さ れ た の で 、 そ の 年 を も つ て 密 嚴 院 に 宛 て た の で あ ら う 。 或 は 次 下 に 記 す 如 き 華 藏 院 の 宮 御 登 山 の 際 に 申 し 上 げ た 聖 入 の 語 の 中 に ﹁ 年 來 の 宿 願 に て 小 堂 一 宇 建 立 仕 り 度 ﹂ と あ り 、 復 長 承 元 年 の 密 嚴 院 供 養 諏 育 文 が あ る 。 大 治 五 年 に は 未 だ 聖 人 の 座 禪 堂 も 出 來 て ゐ な か つ た か の や う に も 考 へ ら れ る け れ ど 、 今 の 十 徳 頌 ・ 瑞 夢 頌 述 作 の 年 時 を 信 用 す る 限 り 、 此 の 頃 小 規 模 の 禪 堂 が 出 來 て 居 り 、 聖 人 は そ こ に 住 し て ゐ ら れ た や う に 思 は れ る 。 唯 そ の 規 模 小 に て 未 だ 多 く の 學 徒 を 収 容 す る 程 の も の で は な か つ た 。 そ れ が 長 承 元 年 に 完 成 し 、 幸 に 御 願 堂 と も な つ た の で 、 密 嚴 院 供 養 が 改 め て 執 行 さ れ た の で あ ら う 。 大 治 五 年 聖 人 三 十 六 歳 、 高 野 春 秋 巻 六 に は 二 月 某 日 と な つ て ゐ る が 、﹁ 華 藏 院 の 宮 聖 恵 親 王 が 前 年 御 崩 去 の 白 河 院 御 菩 提 の 爲 め に 如 法 経 を 書 爲 し て 高 野 山 に 御 持 參 、 阿 波 の 上 人 青 蓮 房 を 召 さ れ 、 何 事 か 有 る や と 御 尋 ね あ の 、 答 ふ 受 け 難 き 人 の 世 界 に 生 を 受 け 、 如 來 の 出 世 に も 値 は す 又 大 師 の 御 在 世 に も 漏 れ て 心 憂 く 候 に 、 正 覺 上 る に 値 過 し て 今 生 の 思 ひ 出 こ れ に 過 ぎ す 候 。 此 の 上 人 は た " 人 と も 覺 え す と 。 宮 は 仁 和 寺 に て も 能 く 青 蓮 房 を 知 り 給 ひ 、 今 度 御 登 山 に 際 し 便 宜 御 尋 ね あ ら せ ら れ た 。 即 宮 の 仰 せ に よ り 上 る 參 ぜ ら る 義 に 種 々 御 物 語 り あ り 、 次 で の 言 上 に 年 來 の 宿 願 に て 小 堂 一 宇 建 立 仕 り 度 く 候 も 今 に 途 け す と 。 宮 の 仰 に 日 、 其 れ 程 の こ と は 易 き 事 で あ る 。 今 度 院 參 の 時 此 の 趣 を 委 細 奏 聞 し よ う 。 能 々 祈 念 あ れ よ と 。 伍 て 浮 法 房 院 主 大 乗 房 青 運 房 各 不 動 供 を 勤 修 し た 。 か く て 宮 御 歸 洛 の 後 奏 聞 あ り 、 院 宣 を 賜 ふ て 聖 人 不 日 院 參 、 龍 顔 に 近 づ い て 直 に 伽 藍 造 螢 の こ と を 奏 し 、 勅 願 所 と し て 早 々 螢 作 の こ と を 宣 下 あ ら 高 野 山 に 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 一 七

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 一 八 せ ら れ た 。 更 に 四 月 八 日 小 傳 法 院 に 丈 六 の 尊 勝 佛 を 安 置 、 琳 覺 を も つ て 供 養 を 途 け 、 小 傳 法 院 と 號 し 、 石 手 の 庄 を 寄 せ ら れ 、 學 衆 二 六 人 を 補 任 せ ら れ た 。 凡 そ 石 手 の 庄 は 稻 荷 明 神 の 託 宣 に 依 つ て 寄 附 せ ら れ る や う に な つ た 。 ﹂ 以 上 靈 瑞 縁 起 上 巻 の 記 事 を 取 意 し た の で あ る が 、 高 野 春 秋 は 聖 恵 親 王 の 御 登 嶺 を 御 蓮 枝 覺 法 親 王 尊 訪 の 奉 爲 と の み 記 し た 。 法 親 王 は 白 河 院 の 第 四 王 子 に て 聖 恵 親 王 は 第 五 王 子 に あ ら せ ら れ 、 大 治 二 年 法 親 王 は 兩 院 に 随 從 し て 御 登 山 以 來 御 歸 洛 が な か つ た 爲 め で あ る 。 さ れ ど 靈 瑞 緑 起 の 読 も 宮 の 切 な 御 思 召 で あ つ た に 相 違 な い 。 然 し て 小 傳 法 院 創 立 の 縁 由 も 上 記 の 文 に よ つ て 知 ら れ る 。 聖 人 の 残 さ れ た も の に 本 年 四 月 八 日 の 傳 法 院 供 養 願 文 が あ る 。 ﹁ 寳 形 造 一 間 四 面 の 傳 法 堂 云 宇 、 丈 六 金 色 尊 勝 佛 頂 像 一 體 を 造 り 、 金 胎 兩 界 大 曼 茶 羅 を 圖 絡 し 、 又 梵 字 兩 界 眞 言 並 に 尊 勝 大 佛 頂 随 求 等 の 陀 羅 尼 各 一 巻 、 大 日 経 七 巻 ・ 教 王 経 三 巻 等 眞 言 の 経 疏 章 を 書 爲 し 、 長 日 兩 部 行 法 各 一 時 ・ 尊 勝 供 養 法 云 時 を 勤 修 し 、 毎 年 二 季 秘 密 曼 茶 羅 傳 法 會 を 修 し 奉 る 。 已 上 は 禪 定 聖 靈 佛 果 圓 満 の 奉 爲 、 太 上 天 皇 寳 祚 延 長 の 奉 爲 め に て 、 又 長 日 愛 染 法 一 時 、 當 日 内 尊 勝 陀 羅 尼 二 萬 遍 を 念 じ 奉 る 。 こ れ は 太 上 天 皇 御 息 災 安 穏 増 長 寳 壽 の 奉 爲 め に 勤 修 す ﹂ る こ と を 述 べ 、 更 に 法 王 の 安 駕 を 記 し ﹁ 素 懐 を 注 し 上 皇 に 奏 達 し 幸 に 院 宣 を 蒙 り 、 今 宿 願 を 果 す 。 誠 に そ れ 紹 隆 時 を 待 ち 感 應 機 に 任 す る も の か ﹂ と て 、 欣 快 禁 す る 能 は ぬ 法 悦 の 衷 情 を 披 瀝 さ る 。 稻 荷 明 神 の 託 宣 に よ つ て 石 手 の 庄 が 寄 進 さ る ゝ に 至 つ た こ と は 上 記 の 如 く で あ る が 、 こ れ に 就 い て 靈 瑞 縁 起 下 巻 に は 、 ﹁ 聖 人 上 洛 の 度 毎 に 東 寺 の 護 法 神 南 山 の 歸 依 神 た る 稻 荷 明 神 に 詣 し 給 ふ た 。 或 時 最 も 奇 な る 晉 女 出 で 、 聖 人 を 見 て 伽 藍 を 建 立 し 庄 薗 を 祈 請 せ ら る 、 や と 申 し た 。 聖 人 は 何 事 言 ふ や ら ん と 聞 き 入 れ 給 は ぬ 氣 色 で あ つ た の で 、 彼 の 晉 女 謳 に て そ の こ と を 顯 は し た 。 そ し て 先 づ 明 朝 急 き 紀 州 へ 還 り 吉 野 川 の 岸 に て 吉 と 思 ふ こ と も 有 ら ば 見 よ と 託 宣 さ れ た 。

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そ こ で 翌 朝 霧 を 梯 ひ 紀 州 に 還 り 吉 野 川 の 岸 を 見 わ た せ ば 文 書 一 結 落 ち て ゐ た 。 見 れ ば 石 手 庄 相 論 の 丈 書 で 訴 陳 二 三 通 結 び 合 せ て あ つ た 。 依 つ て 此 の 丈 書 を 奏 覧 に 供 し 、 傳 法 院 の 寺 領 と せ よ と 不 日 宣 下 さ る L と 。 本 願 上 人 御 傳 に は 聖 人 が 石 手 庄 相 論 の 丈 書 を も つ て 東 寺 に 歸 り 、 東 寺 の 門 に 高 札 を 立 て 落 し 主 を 尋 ね 求 め ら れ 、 こ れ を そ の 主 に 渡 し た 所 が 、 そ の 落 し 主 は 聖 人 の 廣 大 な 慈 悲 を 有 り 難 く 思 ひ 、 永 代 聖 人 御 房 へ 寄 進 す る こ と を 申 し 出 た 。 そ の 寄 進 状 が 大 治 元 年 七 月 の 平 爲 里 の も の で あ つ た こ と を 出 す 。 此 の 物 語 は 多 少 作 爲 的 な も の に 感 ぜ ら れ る が 元 年 と 五 年 と の 相 違 は 前 述 の 通 り 大 治 四 年 の 廳 許 が 、 傳 法 院 建 立 に 結 び つ い て 本 年 に 移 さ れ た こ と に 考 へ た い 。 本 年 六 月 聖 恵 親 王 は 再 び 御 參 籠 、 一 宇 を 創 し 阿 彌 陀 佛 を 安 じ 一 向 に 專 念 さ る 。 勿 て 引 攝 院 と 號 す 。 谷 上 金 剛 心 院 の 内 に あ り と は 高 野 春 秋 巻 六 の 記 事 で あ る 。 註 ① 興 教 大 師 全 集 下 一 三 四 一 頁 又 續 高 野 山 寳 簡 集 一 一 一 頁 ・ 大 日 本 古 丈 書 高 野 山 の 部 八 ・ 一 五 一 頁 ② 興 教 大 師 僧 傳 一 四 七 頁 ③ 同 一 四 八 頁 ④ 興 教 大 師 全 集 下 ・一 三 八 七 頁 ⑤ 総 分 方 三 九 七 頁 上 ⑥ 佛 教 全 書 本 九 三 頁 上 ⑦ 巳 下 靈 瑞 縁 起 上 巻 取 意 ③ 興 教 大 師 全 集 下 一 三 五 三 頁 ⑨ 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 七 三 頁 上 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 る (上 ) 一 九

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 二 〇 ⑩ 佛 教 全 書 本 九 三 頁 上 六 天 承 元 年 聖 人 三 十 七 歳 。 靈 瑞 縁 起 巻 上 に は 本 年 各 傳 法 院 斧 始 め と 記 す 。 上 人 縁 起 並 に 本 願 聖 る 御 傳 ・ 密 嚴 作 人 行 状 記 巻 中 等 に は 天 承 元 年 冬 の 比 、 小 傳 法 院 は 餘 り に 狭 小 で あ る と て 大 傳 法 院 に 申 し 成 し 七 間 四 面 の 御 堂 を 建 立 せ ん と 思 ひ 立 ち た ま ふ 。 帥 院 宣 を 申 し 下 し て や が て 斧 始 め 畢 る と い び 、 又 續 高 野 山 寳 簡 集 第 百 十 一 僧 覺 鑁 略 年 譜 に は 本 年 三 月 二 十 一 日 傳 法 一 院 を 建 立 せ ん こ と を 申 し 丈 六 の 大 日 如 來 と 金 剛 薩 錘 を 加 へ 安 す と 記 す 。 興 教 大 師 全 集 巻 下 に は 大 傳 法 院 建 立 奏 状 の 文 を 出 す 。 年 次 は 不 明 な れ ど 本 年 頃 の こ と ゝ 思 は れ る 。 ﹁ 殊 に 鴻 慈 を 蒙 り 傳 法 一 院 を 建 立 し 丈 六 の 大 日 如 來 と 金 剛 薩 睡 を 加 え 安 ぜ ら る 、 を 請 ふ ﹂ の 状 と な つ て ゐ る 。 前 の 略 年 譜 の 記 事 と 符 合 す る こ と に 注 意 さ せ ら れ る 。 丈 に 依 る に ﹁ 早 く 三 間 四 面 の 精 舍 並 に 鐘 樓 經 藏 を 建 立 し 、 丈 六 の 三 體 と 兩 界 曼 茶 羅 を 安 置 せ ん と す 。 久 し く 斯 の 願 を 發 し 庶 幾 す と 難 道 人 清 乏 、 志 あ れ ど 力 無 く 、 藪 に 因 り て 且 く 傳 法 密 行 の 大 願 を 遂 げ ん が 爲 め 聊 か 一 間 四 面 の 梵 宇 を 締 構 し 畢 ん ぬ ﹂ と い ひ 、 そ の 地 勢 を 述 べ て ﹁ 此 處 は 幽 平 寛 弘 林 泉 荘 嚴 に し て 神 徳 云 に 非 す 。 瑞 夢 屡 々 多 い 。 中 院 前 後 の 流 れ は こ れ よ り 一 味 の 水 勢 を 振 ひ 、 南 山 東 西 の 嶺 此 に 三 辮 寳 形 を 備 ふ 。 西 に 近 く 賓 塔 の 本 場 を 得 、 常 住 僧 徒 の 草 庵 檐 を 比 べ 、 東 は 遙 に 禪 院 の 奥 院 を 受 け て 化 來 梵 侶 の 柴 戸 窓 を 蓮 ぬ (院 略 ) 但 數 く 所 は 道 場 最 少 法 籏 極 め て 狭 く 、 尊 像 足 ら す 經 藏 亦 缺 ぐ ﹂ (下 畧 ) と 。 即 前 年 の 小 傳 法 院 の 狭 少 な る 爲 め 、 こ れ を 改 め 替 え て 多 數 の 學 徒 を 収 容 し 得 ら る ゝ 大 傳 法 院 を 造 ら ん と さ る ゝ の で あ る 。 文 中 ﹁ 中 院 前 後 の 流 れ ﹂ と い ふ に 就 い て 、 眞 俗 雜 記 問 答 鈔 六 に ﹁ 本 願 傳 法 院 の 地 境 を 褒 美 し て 云 事 ﹂ の 條 に ﹁ 私 云 中 院 は 壇 上 を 指 さ る ゝ か 、 壇 上 前 後 の 河 は 傳 法 院 の 前 に 流 れ 合 ふ が 故 に ﹂ と 、 然 ら ば 現 在 の 金 剛 峰 寺 境 内 が 正 し く そ れ に 當 る こ と を 知 る 。 現 在 の 金 剛 峰 寺 は 昔 の 青 巖 寺 で あ つ て 、 青 巖 寺 は 傳 法 院 屋 敷 に 作 ら れ た

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こ と は 相 違 な い 。 そ し て 小 傅 法 院 と 大 傳 法 院 の 關 係 に 就 い て 密 嚴 上 人 行 状 記 巻 中 ﹁ 傳 法 院 を 興 す ﹂ の 條 に は . 小 傳 法 院 狭 隙 な る を も つ て 大 傳 法 院 に 改 め 名 け 、 三 間 四 面 の 寳 殿 を 造 立 せ ん と 志 願 せ ら れ 院 宣 を 賜 は り て 是 を 螢 み 給 ふ と あ り 。 南 山 記 に は 大 治 五 年 建 立 の 傳 法 院 を 長 承 元 年 三 間 四 面 に 改 め た こ と を 録 し 、 前 の 建 立 奏 状 の 丈 に も ﹁ 此 の 處 は 幽 平 寛 廣 ﹂ 等 と 述 べ て 、 前 の 一 間 四 面 の 梵 宇 の 狭 き を か こ ち 、 そ の 場 所 を そ の ま ゝ に 指 定 し た 如 く に 記 さ れ て ゐ る こ と に よ つ て も 讃 せ ら れ る で あ ら う 。 此 の 大 傳 法 院 の 完 成 し た の は そ の 翌 年 十 月 で あ つ た 。 密 嚴 尊 者 年 譜 に ﹁ 天 承 元 年 冬 十 月 十 七 日 大 傳 法 院 落 成 す ﹂ と い ふ は 一 年 誤 つ て ゐ る 。 長 承 元 年 聖 人 三 十 八 歳 。 靈 瑞 緑 起 に は ﹁ 本 年 宇 治 平 等 院 僧 正 行 奪 (中 略 ) 高 野 に 參 籠 し て 手 自 ら 傳 法 院 を 造 螢 せ し め 、 十 月 已 前 に 造 り 畢 り こ れ を 供 養 す る 時 御 幸 あ る べ き 由 を 奏 聞 す 。 伍 て 御 幸 あ り 、 十 月 十 七 日 に 供 養 、 御 導 師 成 就 院 僧 正 の 弟 子 信 證 、 十 七 日 夜 傳 法 大 會 を 開 白 、 御 導 師 は 同 じ く 、 開 白 は 胎 藏 供 養 法 、 住 心 品 を 談 じ 初 め ら る 。 堂 の 供 養 法 は 金 剛 界 、 同 日 夕 方 密 嚴 院 禪 堂 を も 勅 願 に 申 し 寄 せ て 同 導 師 供 養 せ ら る 。 時 の 傳 法 舍 最 初 の 學 頭 は 信 恵 耀 覺 房 に て 本 願 聖 人 の 舍 弟 で あ つ た ﹂ 。 密 嚴 院 供 養 が 大 傳 法 院 の 供 養 と 同 日 に 成 さ れ た こ と に 注 意 を 要 す る 。 密 嚴 院 供 養 諷 誦 文 に 依 れ ば ﹁ 建 つ る 所 八 角 の 精 盧 ﹂ と あ り 、 南 山 記 に は ﹁ 八 角 一 間 四 面 の 堂 舍 を 立 て 密 嚴 院 と 號 す ﹂ と あ る 。 そ の 規 模 大 約 察 す べ き で あ ら う 。 即 此 堂 は 前 に も 記 し た 密 嚴 院 十 徳 頌 の 丈 に ょ つ て 考 へ ら る ゝ 如 ぐ 前 年 來 聖 人 の 坐 禪 堂 成 り 、 茲 に 復 今 の 堂 が 新 築 落 慶 さ れ た の で あ ら う 。 そ の 場 所 を 靈 瑞 縁起 下 巻 に は ﹁ 傳 法 院 と 其 路 程 十 二 町 許 歟 ﹂ と い ひ 、 一 本 に は ﹁ 山 を 隔 て 、 十 二 町 ば か り 鰍 ﹂ と 記 す 。 同 書 上 巻 に は 別 廓 に し て 上 院 八 角 下 院 同 前 、 上 院 は 祕 處 、 下 院 は 御 社 ・ 拜 殿 三 間 等 と あ る 。 鎌 倉 時 代 信 堅 師 の 高 野 山 院 號 帳 に は 、 密 嚴 院 は ﹁ 覺 鑁 上 人 入 定 處 と し て 建 立 す る 所 ﹂ と だ け あ つ て 、 そ の 位 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 る ( 上 ) 二 一

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 (上 ) 二 二 置 が 分 明 し な い が 、 文 明 五 年 多 聞 院 の 重 義 泉 慶 坊 が 六 十 九 歳 で 記 し た 高 野 山 諸 院 家 帳 に は 、 東 谷 道 の 南 の 部 に 本 院 を 現 は し て ゐ る 。 高 野 山 通 念 集 や 高 野 山 の 古 地 圖 も 大 約 相 云 致 す る 。 即 現 在 の 密 嚴 院 は 大 約 そ の 下 院 の 地 で あ つ て 、 強 い て 云 へ ば 今 少 し 南 の 山 邊 に 寄 つ て ゐ た や う で あ る 。 十 月 十 七 日 大 傅 法 院 供 養 願 文 が あ る 。 三 間 四 面 一 宇 の 檜 皮 葺 の 堂 に し て 、 金 色 一 丈 六 尺 の 大 日 如 來 、 尊 勝 佛 頂 ・ 金 剛 薩 種 等 の 像 各 一 體 、 金 泥 七 幅 の 兩 界 曼 茶 羅 各 一 舖 を 安 置 し 、 金 字 大 日 経 等 の 法 費 も 書 爲 し て 置 か る ゝ こ と ゝ な つ て ゐ る 。 本 願 聖 る 御 傳 や 行 状 記 に ﹁ 大 傳 法 院 は 二 階 寳 形 造 檜 皮 葺 ﹂ と あ る も 古 記 は 二 階 と 傳 へ て ゐ な い 。 靈 瑞 縁 起 巻 上 に は 鄭 内 十 三 宇 と 列 ぬ 。 そ れ ら の こ と は 同 緑 起 、 本 願 人 御 傳 、 密 嚴 上 入 行 状 記 巻 中 等 に 詳 細 で あ る 。 か ゝ る 院 宇 を 作 る に 三 井 の 僧 正 行 尊 が 來 て 手 傳 つ た こ と は 特 筆 に 値 す る 。 落 慶 供 養 に は 信 誰 僧 都 を 導 師 と し 、二十 口 の 名 徳 列 し て 虚 空 界 の 聖 衆 を 驚 か し た こ と は そ の 供 養 願 文 に 明 で あ つ て 、 傳 法 院 座 主 補 任 次 第 に も こ れ を 傳 ふ 。 十 月 十 四 日 作 皇 高 野 に 御 參 詣 と は 百 錬 抄 巷 六 の 記 事 で あ つ て ふ 御 幸 御 出 記 に は 十 月 十 七 日 鳥 羽 院 御 幸 第 三 度 、 同 十 一 月 一 日 安 藝 國 海 庄 の 用 途 を も つ て 西 塔 佛 聖 入 供 に 充 て ら れ た こ と を 記 録 す 。 靈 瑞 縁 起 下 巻 に は ﹁ 同 年 佛 聖 燈 油 料 と し て 山 東 ・ 山 崎 ・ 弘 田 ・ 岡 田 を 院 廳 よ り 寄 附 ﹂ あ ら せ ら れ 、 ﹁ 廣 博 の 朝 恩 莫 大 の 皇 化 ﹂ と 讃 す 。 本 願 聖 入 御 傳 に は ﹁ 供 養 會 の 後 大 傳 法 院 に 於 い て 大 會 開 白 、 開 白 の 後 大 會 の 爲 め に 七 箇 庄 御 寄 附 ﹂ と 傅 ふ 。 七 箇 の 庄 と 嫁 前 の 四 箇 所 の 外 に 石 手 ・ 相 賀 ・ 志 富 田 の 三 所 を 加 ふ 。 蓋 し 長 承 四 年 の 條 に 出 す 三 月 二 日 附 眞 譽 へ の 讓 状 に ﹁ 四 箇 所 の 御 庄 ﹂ と あ る 故 、 當 初 は 四 箇 所 で あ つ た か 、 後 何 年 か を 維 て 三 所 が 加 え ら れ た も の と 考 へ ら る 。 そ れ が 今 の 本 願 聖 人 御 傳 の 説 と な つ た の で あ ら う 。 更 に 同 書 に は 院 宣 あ り 死 後 菩 提 の 爲 め に 遠 江 國 初 倉 庄 三 千 貫 の 御 寄 進 が あ つ た 二 と を 出 し 、 又 勅 し て 駕 輿 丁 六 人 を 賜 ひ 、 供 養 曼 茶 羅 の 儀 式 殊 勝 な る こ と 無 類 で あ つ た と 稱 美 さ れ た こ と を 記 す る 。 此 の 記 事 は 行 状 記

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巻 中 に 及 び て 一 暦 詳 細 と な る も 、 靈 瑞 縁 起 に は 出 て ゐ な い 。 高 野 春 秋 巻 六 の 説 に 依 れ ば 、 右 の 山 崎 ・ 志 富 田 の 兩 所 は 高 野 山 御 手 印 緑 起 の 境 内 地 で 、 後 年 寺 院 静 論 の 基 を な す こ と に な つ た と い ひ 、 復 古 の 傳 法 會 の 時 、 堂 前 に 榜 を 掛 け て ﹁ 門 徒 の 人 に 非 す ん ば 聽 聞 す る を 許 さ す ﹂ と し た 。 か た み く 本 寺 末 院 確 執 の 本 と な つ た こ と を 傳 ふ 。 け れ ど 堂 前 に か ゝ る 梼 が 果 し て 事 實 ⋮掛 け ら れ た か ど う か 。 本 願 聖 人 御 傳 に も 傳 へ て ゐ る の で あ る が 、 こ れ を 穿 鑿 す る に 由 が な い 。 南 山 記 に は ﹁ 傳 法 ・ 密 嚴 の 兩 院 を も つ て 同 じ く 鳥 羽 法 皇 の 御 願 に 寄 進 す ﹂ と い ふ 。 兎 に 角 本 年 は 密 嚴 院 ・ 大 傳 法 院 の 落 慶 供 養 行 は れ 、 上 皇 の 臨 幸 を 辱 ふ し 、 大 治 四 年 以 來 の 傳 法 會 は 道 場 を 得 て 再 興 を 確 實 に し 愈 々 盛 大 に 趣 く ご と ゝ な り 、 聖 人 の 本 懐 は も と よ り 、 一 山 一 宗 の 歴 史 的 幸 慶 成 就 し た と 云 は ね ば な ら ぬ 。 野 澤 血 脈 集 第 二 覺 鑁 傳 に は 、 兼 海 が 信 貴 山 に 使 し て 寳 珠 三 顆 を 授 か つ た と 記 す も 、 こ れ は 大 治 元 年 の 條 に 論 じ た 通 り で あ る 。 註 ① 興 教 大 師 正 傳 一 六 七 頁 ② 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 六 〇 頁 下 ③ 大 日 本 古 丈 書 高 野 山 の 部 八 ・ 一 五 四 頁 ④ 興 教 大 師 全 集 下 ・ 一 三 四 九 頁 ⑤ 眞 言 宗 全 書 三 七 ・ 一 二 二 頁 上 ⑥ 興 教 大 師 正 傳 一 八 ○ 頁 ⑦ 同 一 七 八 頁 ⑧ 續 群 書 類 從 八 下 ・ 七 六 一 頁 ⑨ 同 四 下 ・ 五 四 五 頁 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 二 三

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 る ( 上 ) 二 四 ⑩ 國 史 大 系 一 四 ・ 七 八 頁 ⑪ 續 群 書 類 從 二 八 上 ・ 二 九 三 頁 上 ⑫ 同 八 下 ・ 七 六 四 頁 上 ⑬ 同 七 六 四 頁 下 ⑭ 佛 教 全 書 本 九 五 頁 上 ⑮ 同 九 四 頁 下 ⑯ 績 群 書 類 從 八 下 ・ 七 六 一 頁 上 ⑰ 眞 言 宗 全 書 三 九 ・ 六 四 頁 上 七 長 承 二 年 聖 人 三 十 九 歳 。 靈 瑞 縁 起 巻 下 に は 鳥 羽 僧 正 覺 猷 よ り 台 密 三 井 流 の 灌 頂 を 受 け た 當 時 の 事 情 を 出 す 。 寺 門 傳 記 補 録 第 十 三 法 務 前 大 僧 正 鳥 羽 法 輪 院 覺 猷 の 傳 に は 依 院 宣 、 長 承 二 年 九 月 二 十 日 於 鳥 羽 證 金 剛 院 授 覺 鑁 和 尚 ( 野 山 正 覺 房 萬 歳 小 ( 光 イ ) 院 弟 子 ) と て 受 法 の 月 日 を 明 に し て ゐ る 。 園 城 寺 に 藏 さ る 、 傳 法 灌 頂 受 者 帳 も 同 じ 日 附 に な つ て ゐ る ら し い 。 靈 瑞 縁 起 下 巻 に は そ の 時 三 井 の 門 入 等 此 の 作 人 は 他 門 で あ り 且 つ 非 職 で あ る と い ふ の で 妨 げ た 。 依 つ て 院 宣 を 請 ふ て 授 け ら る ゝ を 得 た 。 道 具 等 は 彼 の 平 等 院 行 尊 僧 正 の 別 の 志 に 依 つ て 取 り 出 さ れ 、 九 體 の 阿 彌 陀 堂 に 密 壇 を 構 へ 、 道 場 の 支 分 支 度 等 す べ て の 雜 事 は 皆 院 廰 の 御 沙 汰 に 從 つ た 。 正 し く 道 場 に 入 つ て 印 璽 を 授 け ら る ゝ 時 聖 人 の 牙 よ り 光 明 を 放 ち 異 香 室 に 満 ち た 。 そ の 時 の 同 法 者 に は 浮 法 房 、 大 乗 房 、 浮 心 房 、 聖 順 ・ 神 力 等 が あ つ た 。 こ の こ と を 上 人 縁 起 や 本 願 上 る 御 傳 に は 非 常 に 丁 寧 に 傳 述 し た け れ ど 今 は 記 述 の 比 較 を 略 す る 。 但 眞 言 傳 巻 七 覺 鑁 の 傳 に ﹁ 三 井 覺 猷 僧 正 聖 人 に 灌 頂 を 授 く る 時 聖

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人 光 明 を 放 ち て 異 香 室 に 満 ち 、 僧 正 希 異 の 靈 瑞 を 見 て 信 仰 す る こ と 甚 し ﹂ と 傅 ふ 。 此 の こ と は 有 名 で あ つ た こ と に 察 せ ら れ る 。 又 靈 瑞 祿 起 巻 下 に は ﹁ 聖 人 四 十 歳 の 時 云 、 凡 そ 自 他 門 の 灌 頂 其 外 の 祕 訣 傳 授 等 百 餘 人 に 相 逢 ふ て 習 學 せ し め 畢 云 々 ﹂ と 。 當 時 猶 し き り に 傳 法 受 法 の こ と に 努 力 し て ゐ ら れ た こ と を 知 る 上 人 縁 起 や 本 願 聖 人 御 傳 に は 本 年 ﹁ 六 月 六 日 院 の 御 所 白 川 殿 に 參 じ て 、 性 海 の 源 底 を 尋 究 す べ き 人 自 宗 に 四 人 、 即 仁 和 寺 親 王 二 人 、 醍 醐 の 法 印 定 海 、 勸 修 寺 の 律 師 寛 信 に し て 、 餘 人 は 皆 尋 ね 畢 つ た 。 他 門 に は 二 人 、 三 井 の 経 藏 法 印 公 伊 、 同 鳥 羽 僧 正 覺 猷 で あ る 。 此 の 人 女 院 宣 に よ つ て 謁 を 請 は ん の み ﹂ と 奏 し た 。 眞 言 傳 巻 七 覺 鑁 傳 に は ﹁ 保 安 二 年 仁 和 寺 寛 助 大 僧 正 に 随 つ て 入 壇 ﹁灌 頂 、 其 外 華 藏 院 宮 聖 恵 親 王 、 醍 醐 定 海 大 僧 正 、 賢 覺 法 眼 、 鋤 修 寺 寛 信 法 務 等 に あ ひ て 法 流 の 奥 旨 を と ふ ら ふ 。 又 三 井 の 覺 猷 僧 正 に 随 つ て 一 流 の 祕 旨 を 究 む 。 此 れ 皆 鳥 羽 院 の 叡 信 深 き に よ り て 院 宣 な ら び に 勅 使 を つ か は し て 其 の 流 の 極 位 を の こ さ す 授 く る よ う 、 誓 状 を 召 さ る ゝ 故 ﹂ と 記 す 。 か く て 鳥 羽 僧 正 か ら 受 法 し た 。 三 井 の 公 伊 は 老 闌 の 作 所 勞 發 し て 萬 死 に 一 生 と い ふ の で 途 に 受 法 す る を 得 な か つ た 。 同 六 月 十 六 日 上 人 又 院 參 の 次 い で に 仰 せ ら れ て 、 他 流 の こ と 毎 事 盡 し 畢 ら ば 小 野 に 參 ぜ ら れ よ 、 四 合 の 箱 を 我 所 持 す 。 又 八 合 の 箱 あ り 披 見 せ し め ん と 。 同 二 四 日 三 寳 院 灌 頂 道 場 に 於 い て 宗 の 淵 源 を 究 め 、 流 々 の 源 底 を 盡 し て 傳 授 さ る 。 同 二 七 日 勸 修 寺 寛 信 法 務 の 室 に 入 つ て 底 を 彿 ひ 傳 授 畢 、 同 七 月 二 日 花 藏 院 宮 に 於 い て 最 極 秘 密 の 一 本 書 等 を 授 け ら る 。 又 上 人 院 奏 申 さ れ て 、 ﹁ 秘 密 秘 書 等 悉 く 拝 見 し 書 寫 せ し め 候 ひ 畢 ん ぬ 。 又 當 所 寳 藏 は 天 下 無 隻 の 御 寳 藏 で あ れ ば 拝 見 申 し 度 き 由 言 作 、 早 速 聽 許 さ れ 御 奉 行 に 付 し て 寳 藏 を 開 か し め 給 ふ 。 時 に 勅 を 蒙 つ て 、 寳 藏 内 何 物 と も 所 望 に 随 つ て 進 覺 せ ん と て 漢 家 本 朝 之 重 寳 を 納 め ら る 、 中 、 等 身 の 大 師 御 筆 の 御 影 、 同 善 如 龍 王 眞 影 二 舖 を 賜 は る ﹂ と 。 か く て 古 來 有 名 な 鳥 羽 の 御 寳 藏 を 拝 見 さ れ 、 復 前 に は 六 月 十 二 日 の こ と に な つ て ゐ る が 、 高 野 の 聖 人 若 し は 秘 書 若 し は 祕 訣 尋 ぬ べ き 由 申 さ る 、 一 事 已 上 祕 惜 す る こ と な く 其 意 に 高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 る ( 上 ) 二 五

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高 野 山 己 於 け る 覺 鑁 聖 人 ( 上 ) 二 六 随 ふ べ し ﹂ と て 小 野 の 官 庫 を も 拝 見 さ る ﹂ を 得 た 。 如 何 に 盛 に 求 法 さ れ た か " 知 ら れ る 。 興 教 大 師 全 集 下 巻 に は 本 年 六 月 八 日 勸 修 寺 律 師 の 口 説 、 同 二十 三 日 醍 醐 定 海 僧 正 よ り 授 け ら れ た 灌 頂 印 信 、 賢 覺 法 眼 よ り 得 た 灌 頂 印 信 最 極 密 傅 ・ 六 月 二十 七 日 寛 信 法 務 よ り 授 け ら れ た 同 印 信 等 が 見 ら れ る 。 甚 だ 尊 い こ と に 思 ふ 。 本 年 九 月 、 傳 法 院 並 に 密 嚴 院 の 御 庄 の 國 役 を 停 止 す べ き 廳 宣 が 發 せ ら れ た 。 そ れ は 該 寺 領 地 に 於 い て 日 前 國 懸 宮 の 造 役 や 種 々 の 國 役 が 充 て ら る ゝ に 就 い て 訴 申 が あ つ た の で 、 そ は 專 ら 兩 院 の 庄 で あ つ て 、 そ れ 以 外 の 國 役 を 課 し て は な ら ぬ こ と を 宣 せ ら れ た も の で あ る 。 十 月 に は そ の 旨 を 伊 都 ・ 那 賀 の 兩 郡 司 に も 達 せ ら れ た 。 次 に 丈 面 は 分 明 し な い が 又 續 寳 簡 集 巻 一 一 一 の 僧 覺 鑁 略 年 譜 に は 、 十 月 九 日 石 手 等 五 ケ 所 解 状 の あ つ た こ と を 記 す 。 十 一 月 に は 相 賀 の 庄 の 奏 状 が あ る 。 そ れ は 該 庄 を も つ て 偏 に 太 上 天 皇 の 御 願 寺 た る 密 嚴 院 の 領 と な し 、 官 物 國 役 臨 時 の 雜 事 等 を 停 止 す べ き 由 の 官 符 を 請 ふ た の で あ る 。 こ の こ と は 傳 法 院 に 樹 し て も 同 じ で あ つ た と 考 へ ら れ る 。 即 石 手 ・ 山 崎 ・ 弘 田 ・ 岡 田 ・ 山 東 五 ケ 所 の 庄 を も つ て 大 傳 法 院 領 と し 、 永 く 官 物 國 役 臨 時 の 難 を 停 止 す べ き 太 政 官 符 が あ る こ と に よ つ て 智 れ る 。 本 願 上 人 御 傳 並 に 密 嚴 上 る 行 状 記 巻 中 に は 、 十 一 月 二 日 に 阿 閉 梨 眞 譽 の 申 請 に よ つ て 、 彼 の 建 立 に な る 持 明 院 を 大 傳 法 院 の 末 寺 と し た 。 尤 も 聖 入 御 傳 は 明 三 年 十 一 月 に 作 る も 今 は 本 年 と し て 置 く 。 元 亨 釋 書 巻 五 覺 鑁 傳 に は 鳥 羽 上 皇 御 不 豫 、 ひ そ か に 弘 法 大 師 を 祈 り 給 ふ 。 夢 に 一 沙 門 あ り 南 方 よ り 來 る 。 手 に 柳 枝 を 執 り 香 水 を 濯 ぐ 、 覺 め て 後 病 癒 ゆ 、 適 々 宮 門 を 見 給 ふ に 鑁 の 儀 状 あ り 、 宛 も 夢 想 の 如 く 、 敬 崇 日 に 熾 ん と な ら せ 給 ふ た こ と を 記 す 。 靈 瑞 縁 起 巻 下 に は 鳥 羽 上 皇 御 叡 信 事 と し て 、 御 不 豫 の 時 は 必 す 高 野 の 方 に 向 ひ て 御 祈 念 あ り 、 御 夢 の 中 に 墨 染 の 衣 を 着 た 僧 院 參 し て 加 持 し 奉 る 。 其 體 貌 聖 人 と 靈 變 ら す 、 彌 々 御 叡 信 深 し と い ひ 、 復 聖 人 院 參 の 時 は 前 夜 に 必 す そ の こ と を 夢 感 し 給 ふ に 、 或 は 八 葉 運 花 或 は 月 輪 或 は 恵 果 の 影 な ど 御 靈 夢 の 中 に 顯 現 し 聖 人 そ こ に 着 座 し 給 ふ こ と 返 す 返 す も 不 思 議 に 仰

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