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密教研究 Vol. 1944 No. 88 001大山 公淳「護國の佛教 P1-29」

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予 は 眞 言 宗 報 第 三 十 二 號 ( 本 年 二 ・ 三 月 號 ) に 護 國 の 宗 教 と 題 し て 、 弘 法 大 師 が 如 何 に 護 國 の 理 念 に 徹 し 、 鑑 忠 至 誠 で あ つ た か。 そ の 教 學 が い か に 護 國 の 爲 め の も の で あ つ た か を 論 じ た 。 此 塵 に 記 す る 所 は そ の 前 篇 で あ り 、 後 篇 を 成 す も の で あ る 。 一 、 誕 國 の 輕 典 二 、 虞 言 宗 護 國 の 輕 典 三 、 弘 法 大 師 の 門 下 四 、 李 安 朝 時 代 ( 上 ) 五 、 同 ( 下 ) 一 、 護 國 の 維 典 國 家 と 共 に 生 き 國 家 と 共 に 歩 む 宗 教 で な け れ ば 現 代 に 於 い て そ の 存 在 が 許 さ れ な い 。 吾 人 と し て は 特 に 我 紳 國 を し で 眞 に 神 國 た ら し む る 宗 教 、 換 言 す れ ば 眞 に 大 政 を 翼 賛 し 奉 る 宗 教 を 考 へ て 今 日 に 塵 す る の で な け れ ば な ら ぬ 。 我 國 を 神 國 と す る は 肇 國 以 來 の 歴 史 が こ れ を 實 謹 し て 鯨 り あ る が 、 丈 獄 上 此 の 語 を 初 め て 見 る は 、 日 本 書 紀 紳 功 皇 后 撮 政 前 紀 に 出 す 所 と し な く て は な ら ぬ 。 印 同 雀 九 (皇 紀 八 六 〇 ) 冬 十 月 皇 后 西 征 の 軍 を 進 め 給 ふ に 、 新 羅 國 に 於 い て は 職 々 粟 々 と し て 何 等 な す べ き 所 を 知 ら す 、 諸 入 集 つ て 吾 聞 く 、 東 に 神 の 國 あ り 日 本 と い ふ 。 亦 聖 王 あ り 天 皇 と い ふ 。 必 す そ の 國 の 神 兵 な ら ん 。 兵 を 學 け て も つ て 距 ぐ 能 は す と て 王 船 の 前 に 降 つ た と 出 す 。 爾 來 諸 書 に 我 國 を 紳 國 と す る の 語 を 見 る に 到 る 。 此 の 神 國 を し て 如 何 に 神 國 と も て 護 展 せ し む べ き か は 歴 皮 に 徴 し て 深 く 考 へ な け れ ば な ら ぬ 。 護 國 の 佛 教 一

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護 國 の 佛 敏 二 綾 日 本 紀 第 十 六 天 卒 十 八 年 二 四 〇 六 ) 三 月 丁 卯 ( 十 五 目 ) の 條 に は ﹁ 三 寳 を 興 隆 す る は 國 家 の 幅 田 ﹂ と あ り 、 同 第 廿 二 天 雫 寳 字 三 年 ( 一 四 一 九 ) 六 月 丙 辰 ( 廿 二 日 ) に 少 曾 都 慈 訓 奏 し て ﹁ 護 國 を 修 行 す る は 僧 尼 の 道 ﹂ と あ り 、 同 第 三 十 六 寳 轟 十 一 年 ( 一 四 四 〇 ) 正 月 丙 戌 ( 二 十 日 ) の 條 に 僧 風 の 頽 塵 を 記 し て 後 ﹁ 宜 し く 護 國 の 正 法 を 修 め 以 て 韓 渦 爲 幅 の 勝 縁 を 弘 め ﹂ と あ る 。 こ れ ら は そ の 一 ・ 二 の 例 に 過 ぎ な い が 、 護 國 の 爲 に 我 佛 教 が 癩 取 さ れ 、 佛 教 徒 の 實 行 す べ き 指 針 が 示 さ れ た 。 從 つ て 佛 教 徒 は そ の 線 に 沿 ひ 此 の 立 場 を 守 つ て 進 ま な け れ ば な ら ぬ 。 文 部 省 編 纂 國 史 概 読 巷 上 奈 良 時 代 第 一 節 卒 城 京 建 設 の 項 に 此 の 時 代 の 前 後 に 見 ら れ る 著 し い 現 象 は 國 家 擁 護 の 意 昧 を も つ て 盛 に 寺 院 の 建 立 が 行 は れ た き 記 す 。 こ れ に 就 い て の 詳 述 は 略 す る も 、 聖 徳 太 子 ゆ 御 建 立 に 成 つ た 四 天 王 護 國 の 寺 の 如 き 、 興 幅 寺 縁 起 の 興 輻 寺 牒 歌 に 伏 し て 願 は く は 永 世 萬 代 断 絶 せ し む る 勿 れ 、 近 く は 天 朝 を 荘 嚴 し 萬 姓 に 幅 田 た ら ん と あ る 。 此 の 丈 書 は 天 亭 九 年 三 月 十 日 附 に な つ て ゐ る 。 興 幅 寺 濫 筋 記 に は 興 幅 は 朝 廷 に 櫨 り 國 家 の 輻 を 興 す の 謂⋮⋮⋮專 ら 鎭 護 國 家 の 漿 場 た る に 依 る 或 は 隆 池 院 縁 起 に 、 右 當 院 は 一 國 の 命 珠 萬 民 の 依 沽⋮⋮⋮天 長 地 久 の 御 願 に 諸 行 無 常 の 偶 を 諦 じ 、 鎭 護 國 家 の 所. 濤 に 佛 名 臓 悔 の 禮 を 致 す ( 下 略 ) 天 亭 十 年 戊 子 二 月 十 八 日 勧 進 沙 門 行 昌 基 と あ る 如 き は そ の 一 ・ 二 の 例 に 外 な ら ぬ 。

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蓋 し 我 國 民 は 常 に 外 來 の 丈 物 を 自 由 に 受 け 入 れ て 自 己 掌 中 の も の と し 、 國 力 の 獲 展 に 資 し 來 つ た 。 磨 神 天 皇 の 朝 十 五・ 六 年 ( 九 四 四・ 五 ) 百 濟 よ り 阿 直 岐 來 り 更 に 王 仁 來 朝 し 、 此 塵 に 儒 教 を 入 る 、 こ と 、 な り 、 次 い で 欽 明 天 皇 の 十 三 年 二 二 一 二 ) 佛 教 渡 來 、 そ の 當 初 に は 蕃 神 を 崇 拝 せ ば 國 紳 の 怒 り あ ら ん と て こ れ を 排 斥 し た 一 派 も あ つ た が 、 や が て 用 明 天 皇 の 朝 に 及 び ( 一 二 四 六-七 ) ﹁ 佛 法 を 信 じ 神 道 を 尊 び 給 ふ ﹂ こ と 、 な り 、 爾 來 佛 法 は 年 と 共 に 榮 え 、 儒 教 と 併 ぴ 國 蓮 の 興 隆 に 至 大 の 扶 翼 を 成 し 來 つ た 。 然 ら ば そ の 佛 教 中 如 何 な 経 典 が 主 と し て 護 國 の 爲 め に 使 用 さ れ た か 。 佛 の 教 法 八 萬 四 干 と い ふ も 、 そ れ ら の 全 部 が 常 に 用 ひ ら れ た の で は な い ゐ 日 本 書 紀 雀 二 十 四 皇 極 天 皇 元 年 二 三 〇 二 ) 七 月 廿 七 日 の 條 に は 、 大 寺 の 南 庭 に 於 い て 佛 菩 薩 像 と 四 天 王 像 を 嚴 り 衆 櫓 を 屈 請 し て 大 雲 経 等 を 讃 ま し め ら る 、 に 微 雨 あ り と い ふ 。 維 題 よ り 考 へ て 所 雨 の 爲 め に 韓 讃 さ れ た こ と を 知 る 。 同 書 雀 二 十 五 孝 徳 天 皇 白 雑 三 年 二 三 一 二 ) 四 月 十 五 日 沙 門 恵 隠 を 内 裏 に 請 じ て 無 量 壽 維 を 講 ぜ し む と あ り 、 同 雀 二 十 六 齊 明 天 皇 五 年 ( 二 二 一 九 ) 七 月 十 五 日 京 内 の 諸 寺 に 孟 蘭 盆 維 を 渤 請 し て 七 世 の 父 母 に 報 ぜ し む と い ふ 。 こ れ は 本 朝 孟 蘭 盆 會 の 最 古 の 記 録 で あ る 。 天 慶 六 年 ( 一 六 〇 五 ) 安 居 講 の 表 白 に は 、 天 武 天 皇 白 鳳 八 年 二 三 一二 九 ) 國 家 を 護 り 災 難 を 除 き 衆 生 を 利 し 佛 教 を 興 隆 せ ん が 爲 め 宮 中 及 び 五 大 寺 に 金 光 明 維 を 講 ぜ し め ら る と 傳 ふ 。 或 は 綾 日 本 紀 雀 十 七 天 拳 勝 寳 元 年 閏 五 月 癸 丑 ( 二 十 日 ) の 條 に 記 す る 如 く 、 花 嚴 経 を 本 と し て 一 切 の 大 乗 小 乗 維 律 論 抄 疏 等 、 必 す 爲 め に 韓 讃 講 読 し て 悉 く 講 寛 せ し め ん に 遠 く 日 月 を 限 り 未 來 際 を 窮 め ん と も あ る 。 如 上 諸 維 の 中 に も 金 光 明 経 が 最 も 多 く 用 ひ ら れ 、 大 般 若 経 ・ 仁 王 経 こ れ に 綾 き 、 金 剛 般 若 維 。 法 華 維 な ど も し ば し ば 用 ひ ら れ 、 大 集 経 ・ 藥 師 経 な ど も 時 に 用 ひ ら れ た 。 帥 天 武 天 皇 十 四 年 二 三 四 六 ) 十 月 十 七 日 金 剛 般 若 経 を 宮 中 に 護 ま し め ら れ 持 統 天 皇 六 年 二 三 五 二 ) 閏 五 月 三 日 大 水 あり 京 師 及 び 畿 内 に 金 光 明 経 を 講 論 せ し む 。 復 同 天 皇 八 護 國 の 佛 教 三

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護 國 の 佛 教 四 年 五 月 十 一 日 同 じ 金 光 明 維 一 百 部 を 諸 國 に 逡 り 必 す 毎 年 正 月 の 上 玄 に こ れ を 讃 ま し め 、 同 十 年 十 二 月 朔 日 同 維 を 講 読 毎 年 十 二 月 の 晦 日 澤 行 者 十 一 人 を 度 せ し む と い ひ 綾 日 本 紀 雀 二 丈 武 天 皇 大 寳 二 年 ( 一 三 六 二 ) 十 二 月 十 三 日 の 條 に は 太 上 ( 持 統 ) 天 皇 不 豫 、 天 下 に 大 赦 あ り 、 一 百 人 の 出 家 を 度 し 畿 内 に 令 し て 金 光 明 経 を 講 ぜ し め ら る 。 翌 大 寳 三 年 三 月 十 日 に は 四 大 寺 大 安 ・ 藥 師 勉 元 興 ・ 弘 幅 寺 に 大 般 若 経 を 讃 み 一 百 人 を 度 せ し め 、 同 年 七 月 十 三 日 に は 四 大 寺 に 令 し て 金 光 明 経 を 讃 ま し め ら る 。 慶 雲 二 年 二 三 六 五 ) 四 月 壬 子 に は 水 旱 時 を 失 ひ 年 穀 登 ら す 、 依 つ て 五 大 寺 前 四 大 寺 に 東 大 寺 を 加 ふ に 令 し て 金 光 明 維 を 讃 み 民 苦 を 救 は ん と さ る 。 か く て 金 光 明 維 や 大 般 若 経 は し ば ぐ 天 災 地 攣 疫 病 等 の 爲 め に 韓 護 さ れ て ゐ る 。 績 日 本 紀 雀 八 養 老 四 年 ( 二 二 八 〇 ) 二 月 十 八 日 都 下 四 十 八 寺 を し て 一 日 二 佼 藥 師 維 を 護 ま し め ら る 。 そ れ は 右 大 臣 藤 原 不 比 等 の 病 を 救 は ん が 爲 め で あ つ た 。 同 書 雀 十 紳 麺 四 年 二. 三 八 七 ) 二 月 十 八 日 僧 六 百 、 尼 三 百 を 中 宮 に 請 じ て 金 剛 般 若 維 を 韓 讃 せ し め ら れ た 。 か く 藥 師 維 や 金 剛 般 若 維 も 韓 護 さ れ た が 、 前 二 経 程 度 々 に 及 ん で ゐ な い や う で あ る 。 同 書 天 不 元 年 ( 一 三 八 九 ) 六 月 朔 日 仁 王 経 を 朝 堂 及 び 畿 内 七 道 諸 國 に 講 す る と あ る は 仁 王 経 に 關 す る 二 例 で あ る 。 綾 日 本 紀 雀 十 二 に は 、 天 卒 十 二 年 六 月 甲 戌 ( 十 九 目 ) 、 天 下 諸 國 を し て 國 毎 に 法 華 経 十 部 を 爲 し 井 に 七 重 の 塔 を 建 て し む と あ り て 、 法 華 維 信 仰 を 傳 へ 、 同 雀 二 十 三 天 不 寳 字 四 年 ( 一 四 二 〇 ) 七 月 癸 丑 ( 廿 六 日 ) 、 皇 太 后 ( 光 明 皇 后 ) 七 七 忌 に 際 し 、 天 下 諸 國 に 阿 彌 随 浮 土 の 豊 像 を 造 り 、 構 讃 浮 土 維 を 爲 し 、 各 國 分 寺 金 光 明 寺 に 於 い て 禮 拝 供 養 せ し め ら る 。 要 す る に 風 雨 順 時 五 穀 豊 熟 除 災 召 幅 國 家 安 寧 の 爲 め に そ れ ら の 諸 維 が し ば は 用 ひ ら れ た 。 蓋 し 般 若 経 は 室 思 想 を 表 現 し 一 切 皆 室 の 眞 理 を 關 明 し て ゐ る 。 故 に 二 切 の 災 厄 が 消 除 さ る 、 依 つ て 般 若 部 の 経 典 が 除 災 の 爲 め に 用 ひ ら れ た の は 當 然 で あ つ て 、 金 剛 般 若 経 は 大 正 大 藏 経 第 八 雀 に 後 秦 羅 什 課 と 、 元 魏 菩 提 流 支 課 、 及 び 陳 翼 諦 課 の 三 本 を 出 す 。 各 一 毬 あ り 、 復 金 剛 能 断 般 若 経 は 惰 笈 多 繹 、 能 断 金 剛 般 若 経 唐 義 漂 繹 各 扁 雀 あ り 、 こ れ は

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玄 焚 課 大 般 若 経 六 百 雀 の 中 、 第 五 百 七 十 七 雀 能 断 金 剛 分 と 同 本 と さ れ て ゐ る 。 中 道 の 正 理 た る 無 所 佳 の 心 歩 読 く を 維 の 要 諦 と し て ゐ る 。 か 、 る 般 若 の 正 智 を 護 國 の 要 髄 と す る に よ つ て こ れ ら の 維 が 用 ひ ら れ た の で あ ら う 。 仁 王 経 は 仁 王 般 若 経 と い ひ 、 西 晋 法 護 課 一 雀 、 後 秦 羅 什 課 二 雀 、 梁 の 眞 諦 課 一 雀 、 唐 不 室 課 二 雀 の 四 本 見 ら れ る が 、 そ の 中 現 存 す る は 羅 什 課 と 不 室 課 と で 、 大 正 藏 経 第 八 毬 に 輯 む 本 誌 第 七 十 四 栂 尾 教 授 丈 参 照 一。 不 室 繹 本 維 護 國 品 第 五 に 依 る に 世 尊 が 波 斯 匿 王 等 諸 の 大 國 王 に 國 を 護 る の 法 を 読 き 玉 ふ 。 帥 國 滅 せ ん と す る 時 は 國 土 餓 れ て 諸 の 災 難 あ り 、 賊 來 つ て 破 壊 す べ く 鬼 神 鑑 る 、 故 萬 入 簿 れ 、 萬 入 働 る 、 故 賊 起 つ て 百 姓 喪 亡 し 、 國 王 ・ 太 子. 王 子 ・ 百 官 互 に 是 非 し 、 天 攣 地 攣 あ り 日 月 衆 星 時 を 失 し 度 を 失 ひ 、 大 火 ・ 大 水 ・ 大 風 等 の 諸 難 起 る 。 そ の 時 此 の 経 を 護 調 せ ば そ れ ら の 災 難 除 か れ ん と て 、 本 経 護 諦 の 功 徳 を 読 い て ゐ る 復 同 経 奉 持 品 第 七 に は 、 此 の 経 を 受 持 す る こ と に よ つ て 國 土 に 起 る べ き 七 難 を 滅 し て 安 樂 を 得 ん と 読 く 。 七 難 と は 第 一 に 日 月 度 を 失 し 日 の 色 改 攣 し て 白 花 或 は 赤 色 ・ 黄 色 ・ 黒 角 等 と な り 或 は 二 ・ 三 ・ 四 ・ 五 の 日 娩 び 照 り 、 月 の 色 改 攣 し て 赤 色 ・ 黄 色 と な り 、 日 月 蝕 し 或 は 重 輪 と な る 。 第 二 に は 星 辰 度 を 失 し 彗 星 ・ 木 星 ・ 火 星 ・ 金 星 ・ 水 星 ・ 土 星 等 の 諸 星 各 々 に 攣 を な し 、 或 は 書 出 づ 。 第 三 に は 龍 火 ・ 鬼 火 ・ 入 火 ・ 樹 火 ・ 天 火 四 方 に 起 つ て 萬 物 を 焚 焼 す 。 第 四 に は 時 節 改 攣 し 寒 暑 常 な ら す 、 参 雨 降 り 雷 電 あ り 、 夏 に 霜 と 氷 と 雪 と が 降 り 、 土 ・ 石 ・ 山 ・ 砂 礫 、を 雨 降 ら し 、 非 時 に 電 あ り 、 赤 黒 の 水 降 り 、 江 河 汎 渋 し て 石 を 流 し 山 を 浮 ぶ 。 第 五 に は 暴 風 し ば ぐ 起 り 、 日 月 昏 蔽 し 屋 を 揆 き 樹 を 抜 き 砂 を 飛 ば し 石 を 走 ら し む 。 第 六 に は 天 地 充 陽 し 阪 池 澗 端 し 、 草 木 枯 死 し 百 穀 成 熟 せ す 。 護 國 の 佛 教 五

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護 國 の 佛 教 六 第 七 に は 四 方 の 賊 來 り て 國 ゆ 内 外 を 侵 し 、 兵 曳 競 ひ 起 り て 百 姓 喪 亡 す 。 こ れ ら の 災 難 は 一 切 の 人 民 父 母 に 孝 せ す 、 師 長 と 沙 門 と 婆 羅 門 と を 敬 せ す 、 國 王 大 臣 正 法 を 行 ぜ ざ る に よ つ て 起 る 然 も 此 の 仁 王 般 若 波 羅 蜜 多 を 信 仰 し 受 持 し 護 調 し 解 論 す る に よ つ て そ れ ら の 厄 は 除 か れ ん 。 此 の 般 若 波 羅 蜜 多 は 能 く 一 切 諸 佛 の 法 、 一 切 菩 薩 の 解 脱 の 法 、 一 切 國 王 の 無 上 の 法 、 一 切 有 情 幽 離 の 法 を 出 生 す と て 、 廣 く そ の 功 徳 を 読 い て ゐ る 。 大 正 藏 第 十 六 に は 北 涼 曇 無 識 課 金 光 明 経 四 雀 、 階 の 寳 基 合 繰 合 部 金 光 明 経 八 雀 と 、 唐 義 淫 諜 金 光 明 最 勝 王 経 十 毬 と の 三 本 を 出 す 。 其 他 陳 の 眞 諦 課 七 雀 本 、 後 周 の 閣 那 蠣 多 課 五 雀 本 が あ つ た ら し い 望 月 氏 佛 教 大 僻 典 滲 照 そ の 中 十 雀 本 が 多 く 用 ひ ら れ て ゐ る 。 十 雀 本 の 第 五 倦 に 四 天 王 鶴 察 入 天 晶 、 及 び 第 六 雀 に 四 天 王 護 國 晶 あ り 、 多 聞・ 持 國 ・ 増 長 ・ 廣 目 と い ふ 四 天 王 が 佛 の 化 盆 を 得 て 写 本 経 を 恭 敬 供 養 し 讃 講 し 受 持 す る も の あ ら ば 、 そ の 國 界 へ 往 い て 無 量 百 千 の 嚢 悩 災 厄 を 皆 悉 く 除 遣 せ ん と 誓 願 し て ゐ る 。 所 謂 四 天 王 謹 國 の 誓 願 を 明 に し 、 第 八 雀 王 法 正 論 晶 に は 王 法 正 論 治 國 の 要 を 読 い て ゐ る 。 法 華 経 は 諸 法 實 相 久 遽 實 成 の 深 淵 な 哲 學 と 高 い 信 仰 と を も つ て 、 唯 有 一 乗 法 無 二 亦 無 三 の 所 謂 一 乗 主 義 の 教 學 を 立 て 、 教 化 の 根 本 と し て ゐ る 。 我 國 民 精 紳 の 作 興 に 有 盆 な る べ き は 謂 ふ ま で も な い。 大 集 経 は 大 方 等 大 集 輝 と い ひ 六 十 雀 あ り 、 大 正 藏 経 第 十 三 に 牧 む 。 階 の 曇 無 識 等 の 課 に 成 る 。 室 の 思 想 を 表 は し 具 つ 密 教 的 な 表 現 を し て ゐ る 。 上 記 の 諸 経 は 佛 教 渡 來 以 後 本 朝 に 於 い て 護 國 の 爲 め に 使 用 さ れ た 経 典 と そ の 記 録 の 一 端 で あ る 。 猫 注 意 す べ き は 正 創 院 丈 書 中 に あ る 次 の 記 事 で あ る 。 そ れ は 天 卒 勝 寳 九 年 ( 一 四 一 七 ) 五 月 二 日 越 後 の 在 俗 信 女 が 法 華 経 一 百 部 八 百 雀 、 喩 伽 論 一 部 一 百 雀 併 せ て 九 百 雀 を 鹿 秩 十 八 枚 に 牧 め て 東 大 寺 へ 奉 納 し た こ と で 、 そ れ に は

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右 は 上 帝 上 天 皇 の 大 御 爲 め に 仕 へ 奉 り 、 退 い て は 聖 の 御 門 の 天 地 日 月 と 共 に 動 な く し て 大 坐 し ま せ と 欲 ひ 奉 る 。 次 に 天 下 季 安 に 公 の 御 門 に 退 る な く 仕 へ 奉 ら し め む と 欲 ひ た て ま つ る に あ つ た 。 願 主 は 越 前 國 足 羽 郡 江 下 郷 生 江 臣 家 道 女 と 、 母 生 江 臣 大 田 女 と な つ て ゐ る 。 名 も な き 片 田 舎 の 女 母 子 が 法 華 ・経 と 鍮 伽 論 と を 納 め て 帝 上 ( 聖 武 天 皇 ) と 、 今 上 孝 謙 天 皇 と の 御 安 泰 と 天 下 の 準 安 を 所 念 し 、 百 官 の 精 勤 を 念 願 し た 宮 本 正 尊 氏 著 不 動 心 と 佛 教 参 照 。 そ の 心 持 ち は 當 時 の 人 の 佛 教 信 奉 に 甥 す る 根 本 的 な 尊 い も の を 感 ぜ し め る 。 二 、 眞 言 宗 護 國 の 経 典 前 節 に は 佛 教 渡 來 の 後 奈 良 朝 時 代 に 及 び 護 國 の 維 典 と し て 用 ひ ら れ た も の 、 一 端 を 概 見 し た が 、 我 眞 言 宗 は 如 何 な 経 典 を も つ て 護 國 の 爲 め に 用 ひ た か 、 東 寳 記 雀 五 に は 延 暦 十 五 年 東 寺 草 創 以 後 、 毎 年 安 居 の 講 輕 を 修 す る は 聖 朝 睡 代 の 御 願 に 因 る。 最 初 は 唯 最 勝 王 維 を 講 讃 し 、 準 城 天 皇 大 同 元 年 ( 一 四 六 六 ) 勅 あ り て 仁 王 経 を 加 へ 講 ぜ し め ら れ 、 此 の 寺 を 大 師 に 賜 ふ て よ り 後 天 長 二 年 ( 一 四 八 五 ) 講 堂 を 建 設 し 、 此 の 伽 藍 に 於 い て 守 謹 維 を 講 讃 す る を 毎 年 恒 規 と さ る 。 其 の 後 元 慶 五 年 二 五 四 一 ) 宗 叡 檜 正 寺 務 の 時 、 陽 成 皇 帝 の 勅 に 依 り 法 華 講 を 加 講 さ る 。. か く て 前 後 の 講 維 既 に 四 部 に 及 ぶ と 。 東 寺 に 於 い て 講 ぜ ら る 、 所 か く の 如 く で あ る が 、 弘 法 大 師 の 丈 嶽 に は 如 何 に 記 さ れ て ゐ る か 。 性 難 集 雀 四 に 輯 め ら る 、 國 家 の 奉 爲 に 修 法 せ ん こ と を 請 ふ の 表 丈 に は 將 來 す る 所 の 経 法 中 仁 王 経 ・ 守 護 國 界 主 経 ・ 佛 母 明 王 経 の 念 諦 法 門 あ り と 、 述 べ ら れ 、 叉 護 國 の 佛 教 七

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護 國 の 佛 教 八 佛 國 王 の 爲 め に 特 に 此 の 経 を 読 い て 七 難 を 擢 滅 し 四 時 を 調 和 し 、 國 を 護 り 家 を 謹 り 己 を 安 ん じ 他 を 安 ん す る は 此 の 道 の 秘 妙 な り と 記 し 給 ふ 。 從 つ て 此 等 の 三 部 経 を も つ て 護 國 の 経 典 と す べ き は 論 無 し で あ ら う 。 そ の 中 仁 王 経 の 如 き は 前 節 に も 記 し た 如 く 、 古 く よ り し き り に 用 ひ ら れ 來 つ た 所 で 、 大 師 の 仁 王 維 を 講 す る 願 丈 に は 大 雄 の 調 御 は 天 中 の 天 、 仁 王 の 曾 維 は 玄 の 叉 の 玄 、 之 に 麟 し 之 を 仰 け ば 紳 力 能 く 救 ひ 、 若 し は 護 み 若 し は 講 す れ ば 萬 珍 忽 に 浩 え ん (申 略 ) 所 以 に 朝 庭 の 攣 怪 を 鎭 め 元 々 の 塗 表 を 濟 は ん と せ ば 、 謹 し み て 紫 微 の 極 殿 春 風 の 鳳 縷 、 五 畿 内 七 道 諸 國 に 於 い て 道 場 を 嚴 飾 し 妙 供 を 陳 列 し⋮⋮⋮五 種 般 若 を 奉 宣 し 、 内 外 の 國 を 守 護 せ ん と あ り 、 性 緊 集 第 八 公 家 仁 王 講 を 修 せ ら る 、 表 白 に は 天 長 二 年 閏 七 月 十 九 日 宮 中 及 び 五 畿 七 道 に 於 い て 一 百 の 師 子 座 を 設 け 、 八 百 怖 魔 の 入 を 延 べ 、 一 日 爾 時 に 仁 王 護 國 般 若 維 を 演 べ 奉 る と あ る 。 仁 王 維 開 題 に は ﹁ 般 若 の 功 は 必 す 國 土 を 守 る を も つ て 本 と な す ﹂ と 述 べ 、 叉 ﹁ 災 を 撰 ひ 幅 を 招 く 故 に 護 國 と 名 く ﹂ と 読 か る。 も つ て 本 経 に 樹 す る 大 師 の 仰 信 の 深 き が 察 せ ら れ や う 。 高 野 春 秋 雀 一 に は ﹁ 天 長 三 年 正 月 十 一 日 始 め て 大 仁 王 會 を 慈 尊 院 に 行 ぜ ら る 。 是 れ 東 寺 の 守 護 経 會 に 因 る 護 國 利 民 の 爲 め ﹂ と な す 。 高 野 山 麓 慈 尊 院 に も 此 の 仁 王 経 に 劉 す る 催 仰 よ り し て 、 護 國 の 爲 め に 仁 王 會 が 行 は れ た ら し い 。 守 護 維 に 就 い て は 東 寺 毎 年 の 安 居 に 守 護 経 を 講 ぜ ん こ と を 請 ふ の 表 丈 あ り 、 夫 れ 東 寺 は 遷 都 の 始 め 國 家 を 鎭 め ん が 爲 め に 柏 原 先 朝 の 建 立 し 玉 ふ 所 (申 略 )、 醐 を 韓 じ て 幅 を 修 し 家 を 護 る 者 、 今 此 の 守 護 國 界 主 陶 羅 尼 維 一 部 十 雀 は 、 丈 顯 密 を 括 姓 義 諸 乗 を 呑 み 、 韓 蝸 爲 幅 の 方 、 降 雨 止 雨 の 法 、 具 に 此 の 維 に 読

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け り 、 伏 し て 望 む ら く は 毎 年 夏 中 永 く 此 の 経 を 講 じ て 國 家 を 擁 護 せ ん と 記 さ れ た 。 こ れ は 天 長 二 年 三 月 十 日 の 丈 で あ る 。 申 に 當 今 天 下 の 諸 寺 、 毎 年 の 安 居 に 或 は 厳 勝 王 経 を 講 じ 、 或 は 法 華 経 を 演 べ 、 或 は 理 趣 般 若 を 読 き 、 或 は 海 龍 王 維 を 繹 す と 、 随 つ て 當 時 こ れ ら の 経 典 が 國 家 の 奉 爲 め に 用 ひ ら れ て ゐ た こ と を 知 る が 、 そ の 中 に あ つ て 特 に 守 護 維 を 重 用 さ れ た の は 、 大 師 の 強 い 信 念 に 基 か れ た も の と し な く て は な ら ぬ 。 高 野 春 秋 雀 一 に 東 寺 に 於 い て 高 租 守 護 國 界 主 陥 羅 尼 経 を 講 演 さ る 。 是 れ 併 に 清 渦 修 幅 、 降 雨 止 雨 、 饒 釜 年 穀 、 擁 護 國 家 の 爲 め の 故 な り と 記 す る は 、 大 師 の 眞 意 を 傳 へ た 語 と す べ き で あ ら う 。 性 鰻 集 雀 九 宮 中 眞 言 院 正 月 御 修 法 奏 歌 の 丈 は 、 承 和 元 年 十 一 月 乙 未 と あ る が 、 そ れ は 朝 日 新 聞 肚 版 六 國 史 に 示 す 如 く 十 二 月 乙 未 ( 十 九 目 ) に 作 る が 正 し い と 考 へ ら れ る 。 該 丈 の 中 に ﹁ 今 講 じ 奉 る 所 の 最 勝 王 経 は 但 其 の 丈 を 讃 み 室 し や 其 義 を 談 す る の み ﹂ と て 、 最 勝 王 維 が 軍 に 談 議 に 終 始 し 來 れ る を 慨 し 曾 つ て 法 に 依 つ て 像 を 垂 き 壇 を 結 び て 修 行 せ す ( 申 略 ) 自 今 以 後 一 に 経 法 に 依 つ て 講 経 七 日 間 、 特 に 解 法 櫓 二 七 入 、 沙 彌 二 七 人 を 撰 び 、 別 し て 一 室 を 荘 嚴 し 諸 尊 の 像 を 陳 列 し て 供 具 を 麓 じ 噂眞 言 を 持 講 せ ん 。 然 れ ば 顯 密 の こ 趣 如 來 の 本 意 に 契 ひ 、 現 當 の 繭 聚 諸 奪 の 性 願 を 得 ん と て 、 密 教 の 法 式 に よ り 建 壇 修 法 す る の 功 徳 大 な る を 表 し 給 ふ た 。 同 年 十 二 月 廿 九 日 の 太 政 官 符 、 毎 年 修 法 せ し む べ き こ と の 丈 に は 、 護 國 の 佛 教 九

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護 國 の 佛 教 一 〇 大 法 師 位 室 海 の 表 に よ の 毎 年 宮 中 に 金 光 明 會 講 経 一 七 日 間 、 眞 言 宗 解 法 曾 二 七 人 、 沙 彌 二 七 人 を 撰 び 、 一 室 を 薙 嚴 し 別 し て 修 法 せ し め 、 同 じ く 國 家 を 護 持 し 共 に 五 穀 を 成 就 す べ し と あ り 、 其 他 天 皇 の 奉 爲 に 大 般 若 経 を 韓 護 し 奉 る 願 文 が 性 漿 集 巻 八 に 牧 め ら れ て ゐ る 。 大 般 若 経 も 亦 前 代 以 來 の 風 と し て 依 用 さ れ た 。 さ れ ど 孔 雀 経 に 就 い て は 直 接 大 師 の 記 丈 を 見 な い 。 上 述 諸 維 中 、 海 龍 王 経 は そ の 経 題 の 如 く 降 雨 止 雨 の 爲 め に 用 ひ ら れ 、 そ れ だ け 護 國 の 用 あ り と さ れ た の で あ ら う 。 般 若 理 趣 経 は 金 剛 界 曼 茶 羅 の 理 趣 會 を 表 は し た 維 典 で あ つ て 、 無 染 無 着 な る 純 輝 清 澤 な る 世 界 の 眞 理 趣 を 読 い て ゐ る 。 そ れ だ け 人 心 浮 化 の 爲 め に 、 又 亡 者 得 腕 の 爲 め に 古 來 廣 く 依 用 さ れ 來 つ て ゐ る の で 、 護 國 の 経 典 と し て 墨 ぴ ら れ た の で あ ら う 。 然 し 直 接 護 國 の 思 想 を 表 は し た も の と し て は 、 金 光 明 経 や 仁 王 維 守 護 経 な ど に 越 し た 経 典 は な い と 考 へ ら れ る。 守 護 維 は 大 師 の 示 さ る ゝ 如 く 一 部 十 雀 あ り 。 守 護 國 界 主 随 羅 尼 維 と 構 し. 尉 賓 國 三 藏 沙 門 般 若 ど 共 に 牟 尼 室 利 が 課 し た 。 五 大 院 安 然 の 八 家 秘 録 に は 澄 ・ 海 ・ 珍 ・ 叡 請 來 と あ る 。 帥 最 澄 傳 教 大 師 も こ れ を 傳 へ た や う に な つ て ゐ る が 、 そ れ は 弘 法 大 師 の 請 來 と す べ き で あ ら う 。 弘 法 大 師 の 請 來 録 に は こ れ を 見 る も 、 傳 教 大 師 の そ れ に は こ れ を 見 な い 。 殊 に 弘 仁 三 年 ( 踊 四 七 二 ) 十 二 凋 八 日 弘 法 大 師 へ 宛 で た 傳 教 大 師 の 数 部 の 秘 本 を 借 ら ん こ と を 請 ふ の 書 中 に 、 虚 塞 藏 経 疏 四 巷 等 と 共 に 本 書 名 を 出 し て 、 返 畢 る と 註 し 、 弘 仁 五 年 二 月 八 日 催 徴 を 受 け て 守 護 國 界 主 経 等 を 返 上 す る 書 に は 、 ﹁ 書 旨 に 随 つ て 奉 上 す る こ と 件 の 如 し ﹂ と し て 本 書 名 を 載 す 。 か た ぐ も つ て 弘 法 大 師 請 來 に し て 、 傳 教 大 師 ゆ 請 來 に 非 る を 知 る 。 経 の 第 九 雀 陶 羅 尼 功 徳 儀 軌 品 に 依 る に 、 世 尊 が 秘 密 主 金 剛 手 の 爲 め に ﹁ 一 の 陥 羅 尼 あ り 即 是 れ 一 切 の 陥 羅 尼 母 に し て 守 護 國 界 主 と 名 く 。 若 し 菩 薩 有 つ て 此 の 陶 羅 尼 を 受 持 し 謎 得 す れ ば 、 則 其 身 如 意 寳 に 阿 す る を 得 、 衆 生

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の 見 る も の 所 願 満 足 し 亦 能 く 無 上 菩 提 を 得 ん ﹂ と て 呂 ( 庵 ) と い ふ 眞 言 を 読 ぎ 、 こ れ は 閃 (阿 ) 6 (烏 ) 凋 (葬 ) の 三 字 合 成. に し て 、 阿 字 は 菩 提 心 の 義 ・ 諸 法 門 の 義 ・ 無 二 の 義 ・ 諸 法 果 の 義 ・ 性 の 義 ・ 自 在 の 義 に し て 、 猫 し 國 主 の 黒 白 善 悪 心 に 随 つ て 自 在 な る が 如 く 、 叉 法 身 の 義 あ り と 読 き 、 次 の 烏 字 は 報 身 の 義 、 葬 字 は 化 身 の 義 を 表 は も 、 此 の 三 字 合 し て 庵 の 一 字 を 作 す 。 二 切 の 法 は 此 の 一 字 よ り 生 じ 、 三 世 諸 佛 も 皆 此 の 字 を 観 じ て 菩 提 を 得 、 二 切 諸 佛 菩 薩 の 諸 陥 羅 尼 も 此 の 一 字 の 中 に 集 會 す 。 そ は 國 王 が 王 城 に 住 し 諸 臣 こ れ を 補 佐 す る 如 し ﹂ と 読 く つ 要 す る に 此 の 経 は 國 王 を 守 護 す る 爲 め の 陀 羅 尼 を 元 本 と し て 、 國 王 印 國 家 、 皇 室 即 國 家 た る 我 國 膿 を 擁 護 し 奉 る の 経 典 と し て 用 ひ ら れ た 。 大 師 の 著 と 稻 せ ら る 、 守 護 経 繹 に は ﹁ 謂 ふ 所 の 守 護 國 界 主 陥 羅 尼 経 は 法 の 源 佛 の 本 訟 り ﹂ と い ひ 、 若 し 國 王 あ つ て 此 の 廣 大 甚 深 の 大 日 一 字 の 眞 言 を 諦 持 す れ ば 則 能 く 心 王 の 國 土 を 守 護 し 心 敷 の 春 屡 を 安 樂 に し 、 四 魔 の 災 を 除 き 四 徳 の 常 樂 を 得 ん 。 内 心 の 國 界 安 樂 な る を 得 ば 則 外 器 の 城 郭 悉 く 皆 安 泰 な ら ん 。 故 に 守 護 國 界 主 陥 羅 尼 維 と い ふ と あ る 。 も つ て 本 維 に 封 す る 考 へ 方 が 察 せ ら れ る で あ ら う 。 次 に 孔 雀 経 を 見 る に 、 詳 に は 佛 母 大 孔 雀 明 王 経 と い ふ 。 三 雀 あ り 不 室 三 藏 諜 に し て 、 八 家 秘 録 に は 海 ・ 仁 ・ 珍 ・ 圓 畳 の 請 來 と な つ て ゐ る 。 弘 法 大 師 の 講 來 録 中 に 載 せ ら れ 、 眞 言 宗 三 業 度 入 の 官 符 に は 聲 明 業 の 入 が 學 習 す る や う に な つ て ゐ る 。 護 論 佛 母 大 孔 雀 明 王 経 前 啓 請 法 に 依 る に 、 所 有 の 一 切 鬼 神 及 び 諸 の 藍 魅 人 非 入 等 あ り 、 諸 悪 毒 害 } 切 の 不 群 、 一 切 の 悪 病 、 一 切 の 怨 敵 等 來 つ て 皆 此 の 経 を 嘉 か ん に 、 そ れ ら は す べ て の 暴 悪 心 を 捨 て 、 慈 悲 心 を 起 さ ん と 主 張 し て ゐ る 。 本 経 は 佛 母 た る 大 孔 雀 明 王 の 徳 に 依 つ て 、 諸 悪 毒 を 除 却 す る を 読 く 。 中 に ﹁ 若 し 経 を 護 請 す る も の 願 求 す る 所 に 随 つ て 皆 其 事 を 構 読 せ よ 。 若 し 大 早 の 時 に は 願 天 降 雨 と い ふ べ く 、 若 し 大 湧 の 時 は 願 天 止 雨 と い ふ べ く 、 若 し 護 國 の 佛 教 二 二

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護 國 の 佛 教 一 二 兵 曳 盗 賊 疫 病 流 行 鰻 饒 悪 時 及 び 諸 の 厄 難 あ ら ば 、 其 の 事 に 随 つ て 陳 読 し て 一 心 に 求 請 せ よ 。 意 に 随 は す と い ふ こ と な し ﹂ と 註 す る 。 そ の 所 論 は 更 に 不 室 三 藏 謬 な る 佛 読 大 孔 雀 明 王 書 像 壇 場 儀 戦 の 所 読 と も な つ て ゐ る 。 邸 該 儀 軌 に は 諸 の 世 間 に 有 る 所 の 災 禍 逼 悩 刀 兵 飢 饒 尤 旱 疾 疫 四 百 四 病 憂 悩 闘 諄 あ り 。 及 び 八 萬 四 干 の 鬼 魅 あ り て 、 有 情 を 嬬 悩 し 求 む る 所 の 世 闘 出 世 間 の 勝 願 に 多 く 障 凝 あ る は 、 皆 無 始 以 來 の 貧 愛 無 明 虚 妄 分 別 の 三 毒 煩 悩 あ り て 實 相 を 了 せ す 、 不 善 を 積 集 す る に よ り て で あ る と 。 然 も 此 の 佛 母 大 孔 雀 明 王 の 法 に よ り て 、 そ れ ら 一 切 の 災 難 は 消 除 す る を 得 と な し て 、 そ の 明 王 の 書 像 壇 場 の 法 を 読 く 。 師 今 の 奪 を 信 仰 す る に よ り て 國 土 は 一 切 の 災 厄 よ り 菟 か れ る 。 要 す る に 天 下 泰 挙 國 土 安 穏 を 願 は る 、 大 師 の 意 は 、 護 國 の 維 典 と し て 本 繧 を も 重 要 と さ れ た 。 三 、 弘 法 大 師 の 門 下 金 剛 峯 寺 難 丈 に 掲 出 、 綾 弘 法 大 師 年 譜 雀 四 に 韓 載 す る 寛 弘 三 年 ( 一 六 六 六 ) 十 二 月 十 二 日 の 丈 書 に 依 れ ば 、 弘 法 大 師 入 唐 齢 朝 の 後 初 め て 眞 言 宗 を 立 て 密 教 を 興 隆 す 。 愛 に 顯 密 の 二 趣 、 如 來 の 本 意 に 契 ひ 、 現 當 の 幅 聚 國 王 を 護 持 す と い ぴ 、 復 ﹁ 吾 初 め 一 百 歳 に 及 ぶ ま で 世 に 佳 し 教 法 を 護 り 國 主 を 護 持 せ ん と 思 へ り ﹂ と て 、 大 師 の 本 意 を 傳 へ 、 ﹁ 諸 弟 子 悲 泣 を な す 莫 れ ( 中 略 ) 偏 に 翼 書 を 持 し 爾 部 の 尊 に 蹄 し 專 ら 聖 皇 を 誓 護 し 國 家 を 鎭 護 せ よ ﹂ と 遺 誠 さ れ た こ と を 傳 ふ 。 謂 ふ 所 の 教 法 と は 護 國 の 教 と し て の 貫 言 密 教 で あ る 。 東 要 記 上 毬 に も 大 師 邊 告 の 詞 と し て ﹁ 纏 に 傳 道 す る 所 の 教 、 こ れ を 護 持 し 國 家 を 安 鎭 し 萬 民 を 撫 育 せ よ ﹂ と あ り 。 か 、 る 大 師 御 一 生 涯 の 霧 忠 至 誠 は 、 よ く 御 入 定 後 の 諸 弟 子 に よ

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つ て 機 承 芯 れ 、 そ の 傳 燈 獲 揮 に 努 め ら れ た 。 弘 法 大 師 の 門 下 に は 幾 多 の 英 傑 が あ つ た 。 先 づ 學 ぐ べ き は 道 興 大 師 實 恵 大 徳 で あ ら う 汐 そ の 傳 歴 は 今 略 す る が 、 師 は 讃 州 の 入 に て 承 和 十 四 年 ( 一 五 〇 七 ) 十 一 月 六 十 二 歳 で 寂 し た 。 承 和 二 年 ( 一 四 九 五 ) 三 月 十 五 日 弘 法 大 師 は 諸 弟 子 に 、遺 告 し て ﹁ 吾 滅 度 の 後 汝 等 宜 し く 實 恵 を も つ て 師 表 と な す べ し 。 吾 道 の 興 ら ん こ と 專 ら 大 徳 の 力 に あ り 。 入 天 の 師 邦 國 の 寳 、 誰 か 此 人 の 如 き な か ら ん ﹂ と 。 よ つ て 諸 弟 子 は 相 共 に 師 を 奉 じ 事 ふ る こ と 大 師 の 如 し と 傳 ふ 。 弘 法 大 師 が 如 何 に 信 任 し て ゐ ら れ た か ゝ 察 せ ら れ る 。 同 二 年 十 月 七 日 太 上 天 皇 大 師 の 入 定 を 笑 す る 御 製 の 詩 一 章 を 賜 ふ 。 そ れ に 饗 し 奉 つ て 今 の 師 謝 歌 を 上 る 。 該 丈 に 自 ら を ﹁ 草 上 の 僧 ﹂ と し 、 太 上 天 皇 の 御 丈 に 樹 し ﹁ 玉 振 の 佳 句 ﹂ と か 、 ﹁ 金 聲 の 妙 僻 ﹂ な ど の 語 を も つ て 讃 じ 上 つ て あ る 。 承 和 四 年 正 月 九 日 上 表 し て 圓 行 を し て 入 唐 請 釜 せ し め ら れ ん こ と を 講 ふ た 。 そ の 丈 に 一 物 所 を 失 す る は 聖 皇 の 軽 み た ま ふ 所 、 今 眞 言 宗 新 に 聖 朝 に 傳 は つ て 遺 す 所 の 経 法 猫 疑 滞 多 く 開 求 す る に 由 な し 。 此 期 に 果 さ す ん ば 何 虚 に か 更 に 得 ん ( 申 略 ) 、 伏 し て 望 む ら く は 此 の 櫓 を も つ て 請 釜 と せ ん 。 但 留 學 は 停 止 に 從 ふ 。 若 し 斯 の 道 國 家 に 於 い て 要 な ら す ん ば 敢 て 望 む 所 に 非 す と 。 入 唐 求 法 は 專 ら 國 家 の 奉 爲 に の み な さ れ た 。 護 國 の 念 に 徹 し な け れ ば 不 可 能 で あ つ た と し な け れ ば な ち ぬ 。 観 心 寺 縁 起 實 録 帳 に 依 れ ば 、 同 年 閏 三 月 十 三 日 の 官 符 丈 は 、 實 恵 眞 雅 爾 師 の 奏 に 成 つ て ゐ る が 、 そ れ に 塞 に 是 れ 皇 道 潜 衛 の 伽 藍 、 上 乗 秘 密 の 精 舎 な り 。 後 世 の 末 資 等 宜 し く 此 旨 を 承 知 し て 朝 家 安 全 の 精 新 を 抽 ん で 、 佛 法 紹 隆 の 計 略 を 專 に す べ き な り と て 、 観 心 寺 の 伽 藍 の 殊 勝 を 読 き 、 鎭 守 詞 梨 帝 母 聯 に 就 い て ﹁ 除 災 與 樂 の 鎭 將 護 國 利 人 の 輻 田 と な す ﹂ と 読 く 。 詞 梨 帝 護 國 の 佛 教 一 三

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護 國 の 佛 教 一 四 母 は 印 度 の 紳 で あ る が 、 そ れ を 迎 へ て 今 の 伽 藍 の 鎭 守 騨 と な す の 趣 旨 を 明 に さ れ た 。 こ れ は 慈 畳 大 師 の 赤 山 紳 、 智 誼 大 師 の 薪 羅 神 等 と 同 じ く 、 外 國 の 神 を 迎 へ て 我 國 佛 法 擁 護 の 紳 と し 、 護 國 の 紳 と し た 著 例 と す べ き で あ ら う 。 承 和 十 年 十 一 月 十 六 日 に は 國 家 を 護 り 奉 ら ん が 爲 め 、 東 寺 に 於 い て 眞 言 宗 傳 法 職 位 を 定 め 、 井 に 結 縁 等 の 灌 頂 を 修 す べ き の 官 符 あ り 、 今 の 實 恵 大 徳 の 奏 に よ る 。 復 同 十 三 年 三 月 十 五 日 附 春 節 の 灌 頂 を 停 め 永 く 修 法 を 成 す べ き 事 の 表 丈 あ り 、 實 恵 大 徳 の 作 に 成 る 。 そ は 春 秋 二 季 鎭 護 國 家 の 爲 め の 東 寺 灌 頂 に 於 い て 、 春 季 の 灌 頂 を 停 め そ の 料 を も つ て 修 法 の 具 に 宛 て 、 永 く 、 れ を 櫃 綾 せ ん こ と を 奏 せ ら れ た の で あ る が 、 中 に ﹁ 但 秋 の 灌 頂 一 回 は 恒 に 行 じ も つ て 敬 っ て 國 家 の 爲 め に 右 の 二 法 を 修 せ ん ﹂ と あ る 。 印 春 の 灌 頂 料 を も つ て 國 家 の 爲 め の 修 法 の 資 に 充 て 、 秋 の 灌 頂 は そ の ま ゝ 國 家 の 爲 め に 綾 け よ う と い ふ 旨 趣 で あ る 。 東 寳 記 毬 一 に 東 寺 金 堂 本 奪 の 事 を 記 す 條 に 、 承 和 十 四 年 傳 法 會 表 白 丈 を 出 す 。 丈 に 昔 我 聖 朝 御 燈 不 豫 の 御 時 、 金 剛 乗 敏 中 の 五 佛 五 大 菩 薩 五 葱 怒 、 梵 天 帝 繹 四 王 等 の 謁 磨 像 を 渣 り 奉 り て 誓 願 あ り 、 又 像 成 る の 後 像 前 常 に 國 の 爲 め に 持 念 し 蕪 て 秘 密 乗 教 を 開 演 し 韓 諏 す と い ひ 、 果 寳 師 は こ れ に 註 し て 淳 和 天 皇 御 不 豫 の 時 ﹁ 新 願 あ り 堂 舎 を 建 立 し 佛 像 を 安 置 し 講 維 修 法 の 場 を 定 め ら る 。 教 王 護 國 寺 の 號 、 源 當 堂 の 建 立 に 因 る 。 安 置 す る 所 の 難 像 二 十 一 尊 同 じ べ 大 師 の 御 作 ﹂ と 述 べ ら る 。 當 時 は 造 像 講 経 修 法 な ど 、 佛 事 の す べ て が 國 家 の 爲 に な さ れ て ゐ た 。 そ の 東 寺 は 大 師 御 入 定 後 、 大 師 の 付 囑 に よ り 實 恵 大 徳 の 経 螢 さ る 、 所 と な つ た。 次 は 貞 観 寺 法 光 大 師 翼 雅 僧 正 で あ る。 弘 法 大 師 の 阿 弟 と 構 さ れ 、 元 慶 三 年 ( 二 汎 三 九 ) 正 月 三 日 世 壽 七 十 九 歳 で 入 寂 、 前 記 観 心 寺 縁 起 實 録 帳 申 に そ の 上 表 に 成 る 官 符 を 見 る が 、 そ の 他 天 長 二 年 二 四 八 五 ) 東 寺 大 講 堂 落 慶 、 軌 壇 を 設 け 始 あ て 仁 王 経 の 大 法 を 修 し 國 柞 を 祝 螢 し た ま ふ た 時 、 今 の 眞 雅 師 は 陪 從 し て 聖 天 壇 に 修 法 し 、 實 恵 師 は 護 摩 法 を 勤 仕 、

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眞 濟 師 は 十 二 天 供 を 行 ぜ ら れ た 。 何 れ も 弘 法 大 師 の 意 を 受 け て 國 家 の 奉 爲 に 精 誠 を 凝 さ れ た の で あ る 。 貞 観 元 年 二 五 一 九 ) 三 月 十 九 日 眞 雅 師 の 奏 に よ り 嘉 群 寺 へ 年 分 度 者 三 人 を 置 く べ き の 官 符 が 出 さ れ た 。 丈 に ﹁ 不 壊 ゆ 聖 艦 を 韓 法 の 力 に 保 ち 、 無 窮 の 法 壽 を 密 言 の 功 に 畢 げ ん ﹂ と て 聖 壽 の 無 窮 を 所 念 せ ん 爲 め の 上 表 と な つ て ゐ る 。 三 代 實 録 巻 八 貞 観 六 年 二 月 十 六 日 の 條 に は 眞 雅 僧 正 已 下 、 律 師 已 上 十 六 入 を 法 印 ・ 法 眼 ・ 法 橋 に 任 す る の 策 命 あ り 、 そ は 上 下 和 睦 し 朝 廷 を 卒 安 に 天 下 を 静 論 に 護 持 せ ん 爲 め で あ つ た 。 同 十 六 年 二 五 三 四 ) 七 月 十 一 日 復 上 表 し て 官 を 解 か れ ん こ と を 請 は る 。 そ の 丈 に ﹁ 唯 願 は く は 陛 下 一 老 曾 を 憐 れ ん で 骸 骨 を 賜 へ ﹂ と 述 べ ら る。 そ の 時 師 齢 七 十 四 歳 に 及 び 詔 あ つ て 許 さ れ す 。 次 月 重 ね て 上 表 す る 丈 に 陛 下 更 に 鳳 詔 を 降 し 賜 ふ に 鴻 慈 を も つ て し 、 優 渥 の 詞 を 獲 し 辮 退 の 請 を 許 し 玉 は す と て 、 頗 る 恭 敬 の 禮 を 厚 ふ し て ゐ ら れ る 。 審 忠 の 至 誠 な く ん ば 得 ら れ な い 語 で あ ら う 。 兀 慶 二 年 二 五 三 八 ) 二 月 五 日 復 奏 し て ﹁ 定 額 七 檜 を 嘉 鮮 寺 に 置 き 御 願 を 修 し て 國 家 を 念 ぜ ん ﹂ と 。 如 何 に 國 家 の 奉 爲 に 法 の 興 隆 を 念 願 さ れ 牝 か ゝ 察 せ ら れ る 。 第 三 は 高 雄 山 神 護 國 詐 寺 第 二 世 眞 濟 櫓 正 で あ る 。 高 雄 山 寺 は 和 氣 清 麿 が 宇 佐 大 神 の 神 願 に よ り 建 設 し 牝 寺 で あ つ で 、 後 弘 法 大 師 に 賜 は り 今 の 名 に 改 め ら れ た 。 寺 名 既 に 神 護 國 詐 と い ふ 。 如 何 に 護 國 の 爲 め の 寺 で あ つ た か を 知 る 。 櫓 正 は 貞 観 二 年 二 五 二 〇 ) 二 月 廿 五 日 六 十 有 一 歳 に て 入 寂 さ れ た 。 仁 壽 三 年 二 五 一 三 ) 四 月 十 七 日 上 表 し て 、 眞 言 宗 年 分 度 者 の 學 業 を 試 み 井 に 得 度 の 日 虚 を 定 む べ き の 太 政 官 符 を 受 け ら れ た 。 そ ゆ 丈 に 先 帝 去 承 和 二 年 ( 一 四 九 五 ) 正 月 廿 三 日 殊 に 年 分 度 者 を 賜 ひ 、 年 毎 に 九 月 廿 四 日 金 剛 峯 寺 に 於 い て 課 業 を 試 度 し 得 度 せ し め ら る (申 略 ) 伏 し て 望 む ら く は 六 度 に 准 依 し て 三 入 を 加 度 し 紳 護 寺 寳 塔 塵 に 於 い て 業 を 試 み 、 剃 髪 し 聖 躬 を 守 護 國 の 佛 教 一 五

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護 國 の 佛 教 一 六 り 寳 壽 を 増 長 し 奉 ら ん き 。 か く て 僧 正 は 齊 衡 年 中 醐 二 五 一 四-六 ) 表 請 し て 、 五 重 寳 塔 を 高 雄 山 紳 護 寺 に 建 立 し 、 大 虚 室 藏 菩 薩 像 及 び そ の 維 並 に 十 輪 経 を 安 置 し 、 年 分 度 者 三 入 を 加 度 し て こ れ を 韓 護 せ し め 、 春 秋 二 季 に 永 く 法 事 を 設 け も つ て 國 家 を 鎭 護 し 奉 ら ん と し た 。 宗 租 大 師 よ り 高 野 山 を 付 囑 さ れ た 眞 然 曾 正 に 就 い て 、 元 亨 繹 書 雀 十 四 に は 姓 佐 伯 氏 、 讃 州 の 入 に て 弘 法 大 師 の 甥 と し 、 大 師 よ り ﹁ 我 山 を も つ て 汝 に 付 す 。 汝 其 れ 志 を 働 ま し 螢 構 し て 鎭 護 の 籔 騒 眞 言 の 教 場 と な せ ﹂ と 。 蓋 し 大 師 御 入 定 の 頃 猫 高 野 山 金 剛 峯 寺 は 完 成 せ す 、 眞 然 僧 正 は 專 ら 大 師 の 遺 志 を 奉 じ て 鎭 國 道 場 と し て の 高 野 山 の 維 螢 に 專 心 さ れ 、 後 代 の 大 高 野 山 の 礎 石 を 築 か れ た 。 寛 平 三 年 ( 一 五 五 一 ) 九 月 八 十 有 鯨 歳 に て 入 寂 さ る 。 元 慶 八 年 ( 一 五 四 四 ) 三 月 以 後 寛 李 三 年 九 月 ま で 七 ケ 年 東 寺 長 者 職 に あ り 、 宮 中 後 七 日 御 修 法 に も 奉 仕 さ れ た。 次 に 洛 東 輝 林 寺 開 基 眞 紹 櫓 都 を 見 る 。 師 は 貞 観 十 五 年 二 五 三 三 ) 七 月 七 日 寂 、 壽 七 十 七 で あ つ た 。 貞 観 五 年 九 月 六 日 山 城 國 愛 宕 郡 に 輝 林 寺 を 建 立 す べ き 官 符 あ り 。 師 の 申 牒 に 依 る 。 該 表 丈 に よ る に ﹁ 至 心 に 獲 願 し て 毘 盧 遮 那 佛 及 び 四 方 の 佛 像 を 造 る は 、 聖 恩 に 報 ひ 奉 り 國 家 を 護 持 し 奉 ら ん が 爲 め ﹂ と な つ て ゐ る 。 師 の 暉 林 寺 式 を 見 る に 、 第 一 條 中 に 國 家 を 未 來 劫 に 護 持 し 有 情 を 無 蝕 界 に 利 釜 せ ん と 欲 ふ が 爲 め に 、 此 の 伽 藍 を 建 立 し 金 色 五 智 如 來 の 像 を 造 り 奉 り 、 兼 て 爾 部 諸 奪 の 容 を 圖 絡 し と い ひ 、 第 二 條 に は 法 を 久 佳 せ し め 國 家 を 護 持 し 有 情 を 利 釜 せ ん が 爲 め に 、 戒 場 を 此 寺 に 結 し 布 薩 を 萬 代 に 創 む

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と あ る 。 佛 像 の 造 立 圖 絡 読 戒 の 業 も 亦 國 家 の 奉 爲 に 外 な ら な か つ た 。 城 州 海 印 寺 初 租 道 雄 僧 正 も 讃 痔 の 人 に て 、 仁 壽 元 年 二 五 一 一 ) 寂 世 壽 詳 な ら す 。 師 の 上 表 に よ り 海 印 三 昧 寺 を 定 額 別 當 寺 と し 、 年 分 度 者 を 定 む べ き の 官 符 あ り 。 國 家 を 鎭 護 せ ん が 爲 め に 山 城 國 乙 訓 郡 本 於 山 峯 に 十 院 を 建 立 し ( 中 略 ) 書 夜 に 演 読 し て 永 く 退 韓 せ ざ ら ん O 修 傳 の 徳 廣 く 有 界 を 利 し 、 秘 藏 の 力 遠 く 無 邊 に 及 ぼ し 、 皇 天 皇 土 二 耐 の 紳 祇 共 に 輻 業 を 長 じ 、 同 じ く 威 光 を 増 さ ん と い ふ 。 嘉 祥 四 年 ( 一 五 一 一 ) 三 月 膏 一 日 附 に な つ て ゐ る 。 城 州 小 栗 栖 法 琳 寺 の 常 曉 は 貞 観 八 年 二 五 二 六 ) 十 一 月 寂 、 入 唐 求 法 の 師 で あ る が 生 壽 を 詳 に し な い 。 高 野 春 秋 雀 二 に は ﹁ 承 和 七 年 ( 二 五 〇 〇 ) 六 月 十 八 日 請 釜 信 常 曉 、 山 城 國 宇 治 郡 小 栗 栖 の 法 琳 寺 を 賜 ひ 、 太 元 明 王 修 法 院 と な す 。 是 れ 本 朝 太 元 法 を 修 す る の 椹 輿 ﹂ と 記 す 。 こ れ を 綾 日 本 後 紀 雀 九 に 就 い て 見 る に 、 入 唐 請 釜 櫓 傳 燈 大 法 師 位 常 曉 言 、 山 城 國 宇 治 郡 法 琳 寺 は 地 勢 閑 燥 に し て 太 法 を 修 す る に 足 る 。 望 み 請 ふ ら く 、 今 般 大 唐 よ り 請 じ 奉 る 太 元 明 王 像 と 秘 法 と を 此 塵 に 安 置 し 修 法 院 と な し 、 國 家 を 守 り 奉 ら ん と あ り 、 更 に 承 和 六 年 常 曉 師 の 請 來 目 録 に は 太 元 明 王 に 就 い て 佛 阿 難 に 告 ぴ 玉 は く 、 若 し 國 王 大 臣 あ つ て 敬 禮 し て 児 を 諦 す れ ば 、 其 の 人 の 境 土 に 悪 賊 怖 難 災 横 疾 疫 水 旱 風 霜 有 る な く 、 國 は 威 徳 を 増 し 諸 民 泰 亭 な り ( 中 略 )、 國 土 を 將 鎭 し 四 方 の 憐 敵 逆 心 等 を 起 さ す 。 然 れ ば 如 法 に 行 す れ ば 國 永 へ に 安 寧 を 存 し 、 刹 那 も 麟 依 す る 人 は 同 じ く 十 利 を 得 ん と 述 べ 、 大 聖 干 瞥 千 頭 金 毘 羅 童 子 像 一 騙 に 就 い て ﹁ 尤 も 鎭 國 利 物 の 寳 ﹂ と い ふ 。 又 六 童 子 像 を 出 し て ﹁ 國 を 護 り 入 を 利 す ﹂ と も あ る 。 以 下 鎭 國 利 人 の 爲 め に 請 來 し た 各 檬 の 像 ・ 壇 ・ 器 具 を 列 ぬ 。 入 唐 求 法 も 亦 護 國 利 民 の 勝 計 に 外 な ら 護 國 の 佛 教 一 七

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護 國 の 佛 教 二 八 な か つ た 。 承 和 七 年 六 月 、 右 の 法 琳 寺 を も つ て 修 法 院 と な す 官 符 に は 太 元 帥 璽 像 秘 法 を 此 虚 に 安 置 し 修 法 院 と な し 、 國 家 を 保 護 し 奉 り と い ひ 、 同 十 二 年 五 月 二 日 常 曉 師 の 太 元 法 初 奏 釈 に は 伏 し て 願 は く は 毎 年 正 月 王 宮 の 裏 に 於 い て 十 五 曾 を 請 じ て 此 法 を 修 行 し (申 略 )、 遽 く 萬 代 に 教 へ て 以 て 國 の 鎭 め と せ ん 。 然 れ ば 則 元 帥 國 の 外 に 佳 し て 百 悪 を 防 ぎ 、 秘 法 を 世 の 内 に 布 い て 萬 善 を 饒 に せ ん と 読 き 、 貞 鶴 十 九 年 二 五 三 七 ) 正 月 十 九 日 太 元 法 縁 起 注 申 駅 に は 、 難 宣 三 藏 の 語 を 載 せ て ﹁ 求 法 の 志 は 本 國 を 思 ふ が 爲 め ﹂ に て 太 元 尊 は ﹁ 如 來 の 肝 心 衆 生 の 父 母 、 衛 國 の 甲 冑 防 難 の 神 方 ﹂ と い ふ 。 も つ て 常 睦 師 が 太 元 尊 像 と そ の 秘 法 を 請 來 し 実 意 趣 ゆ 一 端 を 知 る べ く 、 求 法 の 高 い 志 と 護 國 の 深 い 信 念 と は 、 當 時 の 人 々 に 一 貫 し た 所 で は あ る が 、 特 に 今 の 場 合 崇 高 な も の を 感 ぜ し め ら れ る 。 國 難 に 際 し 随 時 本 法 が 修 せ ら れ 來 つ た の は 當 然 と い ふ べ く 更 に 法 琳 寺 に 年 分 度 者 三 人 を 置 き 、 受 戒 以 後 國 家 守 護 の 法 道 を 誓 つ て 護 ら ん こ と を 請 ふ の 歌 に は 、 太 元 帥 の 奪 法 は ﹁ 上 一 人 の 聖 鰹 を 護 り ・奉 る の 勝 法。 傍 弐 四 海 の 厄 難 を 嬢 ひ 除 く の 秘 道 ﹂ と 読 き 如 來 の 懸 攣 千 萬 な り と 難 、 國 家 を 護 る に 至 つ て は 別 し て 太 元 を 示 す と て 、 太 元 明 王 の 護 國 の 性 格 を 明 に し た 。 現 時 局 下 、 本 法 が 修 せ ら る 、 は か 、 る 深 意 あ る に よ る 。 然 も こ れ は 上 述 の 如 く 常 曉 の 請 來 す る 所 で あ る 。 難 巖 寺 圓 行 は 左 京 の 人 に て 仁 壽 二 年 二 五 一 二 ) 三 月 六 日 寂 、 春 秋 五 十 四 、 入 唐 求 法 の 師 で あ つ た 。 承 和 六 年 十 二 月 十 九 日 の 請 來 録 に 秘 密 経 に 言 、 一 善 男 子 道 場 を 建 立 し て 三 密 を 修 念 す れ ば 、 其 の 國 界 の 内 に 七 難 の 災 無 く 、 國 王 大 臣 日 々 に 幅 壽 を 増

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長 す と 、 是 れ 則 眞 言 の 功 な り と い ふ 。 請 來 し た 秘 密 翼 言 の 教 法 に 於 け る 護 國 の 理 念 に 徹 し た 所 見 で な く て は な ら ぬ 。 四 、 李 安 朝 時 代 ( 上 ) 日 本 逸 史 第 一 に 依 れ ば 延 暦 十 一 年 ( 一 四 五 二 ) 正 月 十 五 日 傳 燈 大 法 師 施 曉 奏 し て 臼 、 籟 に お も ん み れ ば 眞 理 に 二 な く 帝 道 亦 一 な り 。 故 に 萬 邦 を 衛 護 す る は 唯 佛 化 に 資 り 、 三 寳 を 興 隆 す る は 帝 功 に 非 る な し と い ふ 。 佛 教 丈 化 に 期 待 す る も の 、 大 き さ が 察 せ ら れ る 。 こ れ は 類 聚 國 史 第 百 八 十 七 に も 出 で ゐ る 。 復 同 十 二 年 正 月 十 四 日 三 十 口 の 檜 を 宮 中 に 請 じ 始 め て 藥 師 維 を 護 み 天 下 の 殺 生 を 禁 す 。 同 十 五 年 十 月 廿 二 日 に は 四 十 僧 を 請 じ て 一 七 日 宮 中 に 藥 師 悔 過 の 法 を 行 じ た と も 出 す 。 東 寳 記 第 一 に は 東 寺 草 創 の 條 に ﹁ 或 記 に 云 ﹂ と し て 桓 武 天 皇 御 宇 延 暦 十 三 年 手 安 城 に 遽 都 、 同 十 五 年 大 納 言 伊 勢 人 を も つ て 造 寺 長 官 と な し 東 西 爾 寺 を 建 て 、 近 く は 左 右 二 京 の 安 鎭 、 遠 く は 叉 東 西 爾 國 の 衛 護 と な す と 記 す 。 印 卒 安 の 都 に 東 西 爾 寺 を 創 め ら れ た の も 鎭 國 安 民 の 爲 め で あ つ た 。 綾 日 本 紀 巷 四 十 に は 延 暦 八 年 十 二 月 廿 三 日 中 宮 不 豫 に し て 讐 料 に 瞼 な く 、 依 つ て 畿 内 七 道 の 諸 寺 に 二 七 日 間 大 般 若 維 を 讃 論 せ し め ら る と 傳 ふ 。 瘡 氣 干 癒 の 爲 あ に 大 般 若 維 が 護 ま れ た 。 日 本 逸 皮 第 十 四 ・ 類 聚 國 史 第 百 七 十 九 に は 延 暦 廿 五 年 正 月 廿 六 日 の 條 に 災 を 嬢 ひ 編 を 殖 ゆ る は 佛 教 を 最 勝 と な す 。 善 に 誘 ひ 生 を 利 す る 斯 の 道 に し ぐ は 無 く 、 但 そ れ 諸 佛 の 世 に 出 現 す る 所 護 國 の 佛 教 一 九

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護 國 の 佛 激 二 〇 以 は 、 一 切 衆 生 を し て 一 如 の 理 を 悟 ら し め ん と 欲 す る に あ り 。 然 も 衆 生 の 機 に 或 は 利 或 は 鈍 あ り 、 故 に 如 來 の 読 に 頓 あ り 漸 あ り 。 所 有 の 経 論 の 所 趣 同 じ か ら す 。 門 を 開 く は 異 な れ ど も 途 に 期 す る 所 は 菩 提 の み と て 佛 教 の 目 的 と そ の 殊 勝 を 明 に し 、 類 聚 三 代 格 雀 二 に 出 す 延 暦 廿 五 年 四 月 廿 五 日 附 太 政 官 符 に は 、 十 五 大 寺 に 母 年 安 居 講 を 修 し 仁 王 般 若 を 講 ぜ し め ら る 。 そ は 國 土 を 護 持 す る は 仁 王 般 若 を 最 も 先 と な す と い ふ に あ つ た 。 東 費 記 第 一 に は 延 暦 廿 四 年 十 月 坂 上 田 村 麿 が 解 歌 を 得 て 私 寺 清 水 寺 を 創 立 し 、 弘 仁 元 年 ( 一 四 七 〇 ) 十 月 鎭 護 國 家 の 庭 と せ ん こ と を 請 ふ た と 記 す 。 元 亨 繹 書 第 九 繹 延 鎭 の 傳 を 見 る に 、 鎭 低 報 恩 法 師 の 徒 に て 清 水 寺 に 居 し た が 、 坂 將 軍 田 村 と 遇 ひ 親 友 と な り 、 將 軍 勅 を 奉 じ て 奥 州 の 逆 賊 高 丸 を 伐 つ 時 鎭 に 語 つ て 云 、 我 皇 詔 を 奉 つ て 夷 賊 を 征 す 、 若 し 法 力 な く ん ば い か で か 命 を 辱 か し め ざ る を 得 ん 、 公 意 を 加 へ よ と 。 鎭 諾 す 。 か く て 坂 將 軍 は 出 獲 し 東 夷 を 亭 定 し た が 、 そ の 時 延 鎭 の 修 し た 所 の 法 は 勝 軍 地 藏 像 と 勝 敵 毘 沙 門 像 の 造 立 と 供 養 と で あ つ た 。 東 征 の 途 に 露 験 表 は れ 、 二 像 は 矢 狐 刀 痕 を 受 け 脚 に 泥 土 が 塗 ら れ て ゐ た 乏 。 田 村 將 軍 の 至 誠 と 延 鎭 の 甕 忠 が か 、 る 難 瞼 を 現 は し た と 考 へ ら れ る 。 東 寳 記 第 一 に は 弘 仁 三 年 十 一 月 伽 藍 の 興 復 と 天 下 の 興 復 、 伽 藍 の 衰 弊 と 天 下 の 衰 弊 と 倶 な る べ き の 官 符 丈 を 出 し て ゐ る が 、 中 に 無 道 の 主 邪 賊 の 臣 有 り 、 若 し は 犯 違 し 若 し は 破 障 せ ば 、 是 の 入 必 す 三 世 諸 佛 一 切 賢 聖 を 破 辱 す る の 罪 を 得 ん と い ふ て ゐ る 。 此 の 丈 は 朝 野 群 載 第 十 七 に も 見 る 。 日 本 逸 史 第 三 十 二 に は 天 長 元 年 ( 一 四 八 四 ) 九 月 廿 七 日 高 雄 寺 を も つ て 定 額 と な し 、 井 に 得 度 の 経 業 を 定 む べ き の 丈 あ り 、 此 の 寺 は 和 氣 清 麿 が 宇 佐 八 幡 大 神 の 神 願 に よ つ て 私 に 建 立 し た 所 で あ る が 、 此 の 時 和 氣 眞 綱 及 び 仲 世 等 奏 し て 紳 護 國 詐 眞 言 寺 と 名 を 改 め ら れ 、 弘 法 大 師 を 山 主 と し て 迎 へ る や う に し た 。 そ し て

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大 悲 胎 藏 及 び 金 剛 界 等 に 依 め 、 眞 書 を 解 す る 櫓 二 七 人 を 簡 び 、 永 く 國 家 の 爲 め に 三 密 の 法 門 を 修 行 し 、 そ の 櫓 に 閾 あ れ ば 道 行 の 曾 を 揮 び て 補 ひ 、 文 貞 操 の 沙 彌 二 七 人 を 簡 び 守 護 國 界 主 維 及 び 調 和 風 雨 成 熟 五 穀 の 経 等 を 韓 護 せ し. め 、 書 夜 に 更 代 し て 其 聲 を 絶 た す 、 七 年 の 後 得 度 に 預 り 、 一 に は 大 紳 の 大 願 を 成 し 、 二 に は 國 家 の 災 難 を 除 け よ と 。 造 寺 造 塔 ・ 出 家 得 度 ・ 讃 経 等 皆 國 家 の 爲 め 以 外 に な か つ た の で あ る 。 天 長 七 年 ( 一 四 九 〇 ) 九 月 十 四 日 南 都 藥 師 寺 に 毎 年 最 勝 王 経 講 會 を 修 せ し め ら る 。 そ は 國 を 護 り 法 を 隆 に せ ん た め で あ つ た 。 大 師 入 定 の 年 脚 承 和 二 年 八 骨 廿 日 に は 眞 言 宗 年 分 度 者 の 學 業 を 試 瞼 し 並 に 得 度 の 日 震 を 定 む べ き 太 政 官 符 あ り 。 國 家 の 奉 爲 に 三 密 の 法 門 を 修 せ し め ん と 述 べ ら る 。 此 の 年 四 月 三 日 諸 國 に 疫 濡 流 行 し 病 苦 の も の 多 く 、 そ の 病 は 鬼 紳 に 從 つ て 來 る と い ふ の で 、 十 五 大 寺 に 大 般 若 経 を 韓 護 せ し め て 新 疇 を さ せ ら れ た 綾 日 本 後 紀 四 翌 三 年 三 月 廿 五 日 に は 毎 年 仁 王 ・ 最 勝 爾 部 大 乗 維 を 講 ぜ し め ら れ た 。 そ れ は 災 を 韓 じ 幅 を 成 す は 尤 も 般 若 の 力 に よ る べ く 、 國 を 守 り 民 を 利 す る は 大 乗 の 冥 助 に よ る と い ふ の で あ つ た 類 聚 三 呵代 格 二 同 年 五 月 に は 毎 歳 三 長 齋 月 に 東 寺 灌 頂 院 に 於 い て 三 七 の 比 丘 を 、 撰 び 、 息 災 増 釜 の 法 を 修 し 國 家 を 鎭 護 す る の 永 式 と さ れ 復 東 大 寺 眞 言 院 に は 二 十 一 櫓 を 置 い て 、 國 家 の 奉 爲 に 灌 頂 道 場 を 建 立 し 、 息 災 増 釜 の 法 を 修 せ し め ら れ る 東 大 寺 要 録 四 、 綾 日 本 後 紀 五 等 同 承 和 四 年 四 月 廿 五 日 櫓 綱 奏 し て 出 家 入 道 は 國 家 を 保 護 せ ん が 爲 め に て 、 寺 を 設 け 僧 を 供 養 す る は 禍 を 滅 し 幅 を 致 さ ん が 爲 め の み 。 然 る に 傾 者 天 地 災 異 あ り (中 略 ) 今 須 く 毎 月 三 旬 三 箇 日 間 諸 寺 に 於 い て 書 は 大 般 若 経 を 護 み 、 夜 は 藥 師 寳 號 を 讃 じ 以 つ て 國 恩 に 奉 答 せ よ 類 聚 國 史 第 干 一 、 綾 日 本 後 紀 六 と 、 此 の 時 代 國 の 災 攣 に 慮 じ て 藥 師 経 或 は 藥 師 智 號 或 は 三 密 の 法 門 を も つ て 息 災 増 釜 の 行 が 修 せ ら れ た 。 そ の 中 に も 般 若 部 の 維 や 最 勝 王 経 が 前 代 以 來 綾 い て 護 諦 さ れ た 。 然 し 類 聚 國 史 第 百 七 十 九 に は 承 和 九 年 二 五 〇 二 ) 十 二 月 制 し て 護 國 の 佛 教 二 一

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護 國 の 佛 教 二 二 ﹁ 國 家 を 護 持 し 群 生 を 利 釜 す る は 妙 法 最 勝 尤 も 其 の 先 と な す ﹂ と あ る 故 、 妙 法 即 法 華 経 に 翼 す る 護 國 的 信 念 も 漸 く 強 く な り 來 つ て ゐ る と 云 は ね ば な ら ぬ 。 績 日 本 後 紀 雀 九 承 和 七 年 六 月 十 三 日 の 條 に ﹁ 去 年 秋 稼 し て 登 ら す 諸 國 飢 を 告 ぐ 。 今 藪 に 疫 属 聞 獲 し 天 傷 未 だ 餌 ま す 。 加 之 季 夏 雨 降 ら す 。 嘉 苗 惟 に 擬 す ﹂ と て 、 五 畿 内 七 道 に 命 じ て 七 箇 日 間 、 書 は 大 般 若 経 を 韓. じ 夜 は 藥 師 悔 過 を 修 し 、 長 官 精 進 し 必 す 塞 感 を 致 せ 。 修 善 の 間 殺 生 を 禁 断 す と 。 同 九 年 、 同 十 四 年 に も 疫 紳 を 防 祭 し 蟹 年 を 疇 る 爲 に 金 剛 般 若 を 讃 み 藥 師 悔 過 を 行 つ て ゐ る 。 法 華 経 に 關 す る も の で は な い が 、 當 時 の 信 仰 の 様 相 が 察 し ら れ る で あ ら う 。 前 に も 記 し た が 天 下 の 災 難 に 際 し 殺 生 禁 断 を 命 じ て あ る こ と に 注 意 せ し め ら れ る 。 同 じ 綾 日 本 後 紀 雀 二 十 嘉 鮮 三 年 二 五 一〇 ) 正 月 廿 七 日 の 條 に は 國 家 を 鎭 め 疫 撹 を 壌 ふ こ と 佛 力 に 頼 る の 外 な く 、 宜 し く 五 畿 内 七 道 の 諸 國 を し て 灌 頂 維 法 を 修 撃 し む と あ り 、 灌 頂 経 が 用 ひ ら れ て ゐ る 。 三 代 實 録 雀 三 貞 鶴 元 年 ( 一 五 一 九 ) 七 月 十 三 日 の 條 に は 諸 國 の 定 額 寺 に 詔 あ り 堂 塔 破 壊 し 佛 経 曝 露 す 。 三 綱 檀 越 等 修 理 に 心 な く 、 傾 年 水 旱 時 な ら す 、 疫 属 閲 々 獲 す 。 静 に 其 由 を 思 ふ に 恐 ら く 彼 の 餐 に 縁 ら ん と て 、 五 畿 七 道 の 諸 國 に 下 知 し 、 各 部 内 諸 寺 堂 塔 を 修 理 す べ き こ と が 達 せ ら れ 、 そ の 費 用 に は 寺 家 田 園 の 地 利 を 充 て 、 若 し そ れ が な く ば 支 度 帳 を 勘 録 し て 言 上 せ よ と 指 示 さ れ た 。 こ れ に 類 す る 記 事 は し ば く 見 ら れ る 。 そ し て 時 に は 仁 王 般 若 経 、 時 に は 孔 雀 経 や 尊 勝 眞 言 な ど が 讃 論 さ れ 講 演 さ れ た。 要 す る に 止 雨 ・ 講 雨 ・ 嬢 災 ・ 疫 病 酒 除 等 諸 般 の 災 難 事 に 鷹 君 て そ れ ぐ の 佛 教 経 典 が 、 佛 教 徒 の 手 に よ つ て 護 諦 さ れ 、 穰 災 招 輻 の 隙 計 が 眞 劔 に な さ れ た 。 こ れ ら に は 輩 に 迷 信 と か 低 級 な 宗 教 行 事 と し て は 談 じ ら れ な い も の が あ る 。 何 れ の 場 合 を 見 て も 皆 國 家 を 加 護 し 天 長 地 久 護 國 安 昂

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の 爲 め で な い 場 合 は な い 。 そ し て 寳 教 事 相 の 盛 行 と 共 に そ れ ら は 漸 く 密 教 の 次 第 に よ る 行 法 と な つ て ゐ る 。 東 寺 要 集 下 毬 に は 、 安 鮮 寺 に 永 く 二 人 の 阿 闇 梨 を 置 き 、 毎 年 孔 雀 明 王 経 法 を 修 し て 御 願 を 誓 護 せ し む べ き の 太 政 官 牒 あ り 。 貞 翻 七 年 十 月 十 六 日 附 と な つ て ゐ る 。 東 寺 長 者 補 任 第 一 に は 貞 観 十 七 年 六 月 十 五 日 櫓 騨 泉 苑 に 大 雲 林 請 雨 維 法 を 修 す る に 、 十 六 日 申 刻 黒 雲 四 合 、 俄 に 雨 あ り と い ひ 、 そ の 時 の 阿 閣 梨 は 眞 雅 鰍 と い ふ 。 三 代 實 録 雀 三 十 三 に 依 れ ば 、 元 慶 二 年 二 五 三 八 ) 六 月 廿 八 日 、 彼 の 小 栗 栖 常 曉 の 門 下 寵 壽 は 七 櫓 を 率 ひ て 出 朋 の 國 に 到 り 降 賊 法 を 修 し た 。 こ れ ら は 皆 密 教 に よ る 修 法 で あ つ た 。 承 雫 六 年 二 五 九 六 ) 三 月 、 小 栗 栖 の 泰 舜 法 師 が 豊 樂 院 に 於 い て 番 櫓 を 率 ひ 太 元 法 を 修 し た と は 日 本 紀 略 後 篇 第 二 の 記 事 で あ る 。 同 月 十 二 日 治 部 省 で も こ れ を 修 し た 。 を れ は 藤 原 純 友 な ど の 一 黛 に 依 る 海 賊 の 難 を 穰 は ん が 爲 め で あ つ た 。 八 月 に は 同 じ く 南 海 の 賊 の 爲 め に 天 台 山 へ比 叡 山 ) に 五 壇 法 を 修 し 、 法 琳 寺 に 太 元 法 を 修 し た 。 共 に 異 賊 降 伏 の 爲 め で あ つ た 。 東 寺 長 者 補 任 第 ﹂ 及 び 元 亨 繹 書 第 十 の 記 事 に 依 れ ば 、 泰 舜 は 藤 原 氏 の 人 、 京 兆 に 生 れ 、 蓮 舟 阿 閣 梨 に 密 法 を 受 け 、 天 慶 三 年 ( 一 六 〇〇) 亭 將 門 の 謝 に は 、 詔 を 奉 じ て 太 元 法 を 修 し 、 壇 上 の 猫 鈷 杵 忽 に 牛 折 し 、 そ の 日 に 反 將 は 謙 に 伏 し た と 傳 ふ 。 泰 舜 は 天 暦 三 年 ( 一 六 〇 九 ) 十 二 月 三 日 壽 七 十 四 歳 で 寂 し て ゐ る 。 同 じ 元 亨 繹 書 第 二 十 四 の 記 事 に 依 れ ば 、 前 記 天 慶 三 年 の 齪 の 時 に は 諸 の 沙 門 に 降 伏 法 を 修 せ し め ら れ 、 澤 藏 は 延 暦 寺 に 、 明 達 は 美 濃 の 中 山 紳 宮 寺 に こ れ を 行 じ 、 宮 中 に は 仁 王 會 行 は せ ら れ 、 太 元 法 壇 中 に 血 出 で 、 東 大 寺 羅 索 院 執 金 剛 像 の 前 に て 降 伏 法 を 修 す る に 忽 に 像 失 し 、 寺 衆 は 催 れ を の ゝ い た 。 そ の 日 に 賊 亡 ぶ と 記 す 。 高 野 春 秋 巷 四 に は 此 の 天 慶 三 年 の 正 月 、 執 行 峯 宿 は 大 衆 を 勾 引 し て 調 伏 壇 を 設 け 大 法 を 行 じ た と い ふ 。 密 教 に 依 る 此 の 時 代 護 國 の 修 法 の 著 例 と す べ き で あ ら う 。 寛 李 元 年 二 五 四 九 ) 七 月 廿 五 日 圓 城 寺 を も つ て 定 額 寺 と し 、 仁 王 三 昧 安 居 講 経 を 修 し 井 に 三 會 の 嘉 衆 を 請 ふ べ き 太 護 國 の 佛 激 二 三

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護 國 の 佛 教 二 四 政 官 符 に は 仁 王 護 國 般 若 経 二 部 守 護 國 界 主 陀 羅 尼 経 一 部 十 雀 金 光 明 最 勝 王 維 一 部 一 雀 妙 法 蓮 花 経 一 部 八 雀 と 記 し 、 益 信 僧 正 は 奏 し で ﹁ 件 の 道 場 に 於 い て 聖 朝 の 奉 爲 に 門 徒 を 相 牽 ひ て 仙 齢 を 所 り 奉 る ﹂ と 述 べ ら る 。 釜 信 僧 正 は 寛 羅 法 皇 御 受 戒 入 壇 御 受 法 あ ら せ ら れ た 師 で 、 東 密 廣 澤 流 の 元 組 と さ る 。 謂 ふ ま で も な く 圓 城 寺 の 開 山 に て 、 眞 然 櫓 正 の 後 を 糧 い で 東 寺 第 七 代 の 長 者 と な り 、 延 喜 六 年 ( 二 五 六 六 ) 三 月 八 十 歳 で 寂 し た 。 後 本 畳 大 師 の 號 を 賜 ふ 。 寛 雫 法 皇 の 御 入 道 も 亦 さ う し た 護 國 の 教 に 齢 し 護 國 ゆ 理 想 を 實 現 し 給 は ん 爲 め で あ つ た 。 延 喜 五 年 九 月 廿 一 日 、 鋤 修 寺 を も つ て 定 額 寺 と し 井 に 年 分 度 者 二 人 を 置 く べ き の 官 符 が 見 ら れ る が 、 そ れ は 聖 朝 を 誓 護 し 國 民 を 利 釜 せ ん が 爲 め で あ つ た 。 即 年 分 度 者 を 設 け る こ と も 亦 護 國 の 爲 め で わ つ た 。 延 喜 十 八 年 十 月 十 一 日 観 賢 僧 正 は 大 櫓 正 室 海 に 論 號 を 賜 は る や う に 請 ふ た が 、 そ の 丈 の 申 に 塞 海 が ﹁ 請 來 す る 所 の 法 丈 都 盧 二 百 十 六 部 四 百 六 十 一 翁 、 皆 是 れ 國 を 護 る の 城 廓 世 を 濟 ふ の 舟 織 ﹂ と 讃 す 。 弘 法 大 師 の 教 學 に 樹 す る 護 國 の 確 信 を 述 べ た も の と し て 注 意 せ し め ら れ る 。 五 、 李 安 朝 時 代 ( 下 ) 國 家 國 民 に 災 厄 あ る 毎 に 仁 王 経 や 孔 雀 経 を 護 み 復 そ の 法 を 修 し 、 或 は 大 般 若 経 を 韓 護 す る 儀 は 綾 い て し き り に 行 は れ た 。 天 慶 二 年 ( 一 五 九 九 ) 七 月 二 日 に は 新 雨 に よ り 、 來 る 五 日 よ り 三 ケ 日 諸 砒 に 於 い て 櫓 綱 等 十 口 の 櫓 を 率 ひ 船 若 維 を 護 一

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む べ き 由 と そ の 供 養 料 と が 定 め ら れ 、 同 十 日 所 雨 の 爲 め 十 五 大 寺 井 に 延 暦 寺 の 供 櫓 有 る 寺 に 於 い て 仁 王 維 を 讃 む べ き 由 が 定 め ら る と は 本 朝 世 紀 に 出 す 所 に て 、 同 五 年 閏 三 月 廿 六 日 構 律 師 仁 揚 を 局 講 師 と し 、 徳 延 法 師 を 護 師 、 鋤 超 法 師 を 究 願 師 と な し 、 公 家 の 嘱 講 に よ り 仁 王 會 を 修 し た 。 時 の 究 願 丈 に ﹁内 護 外 護 國 土 安 寧 ﹂ を 所 つ て あ る 。 疫 病 浩 除 風 雨 順 時 を 所 つ て 臨 時 仁 王 倉 も 随 時 行 は れ た 。 古 事 談 第 三 に は 長 和 五 年 ( 一 六 七 六 ) 夏 炎 旱 旬 月 に 渉 り 人 民 深 く 愁 ふ 。 傍 て 公 家 所 疇 を 致 さ し め ら る ゝ も 数 瞼 が 得 ら れ な か つ た 。 藪 に 深 畳 曾 都 あ り 、 六 月 九 日 曉 所 雨 の 爲 め 軍 身 神 泉 苑 に 向 つ た。 内 府 此 事 を 聞 き 使 し て 止 め し も 櫓 都 は 、 自 ら 畠 作 ら す 炎 旱 を 愁 と せ す 、 但 國 土 人 民 の 爲 め に こ れ を な す と て 、 強 い て こ れ を 行 つ た 。 然 る に 未 刻 に 及 び 陰 雲 忽 に 起 り 雷 電 聲 あ り 雨 脚 沃 ぐ が 如 く で あ つ た 之 記 す 。 全 く 國 家 入 民 の 爲 め の 所 疇 に は か 、 る 緊 瞼 も 不 思 議 で な い で あ ら う 。 最 勝 王 維 ・ 法 華 會 孔 雀 経 法 な ど も 亦 恒 例 と 臨 時 と 共 に 行 は れ て ゐ る が 今 そ の 記 事 を 略 す る 。 そ れ ら の 場 所 に は 寺 塔 或 は 大 極 殿 ・ 八 省 院 ・ 紫 震 殿 ・ 清 涼 殿・ 騨 泉 苑 ・ 鳥 朋 殿 等 が 充 て ら れ て ゐ る 。 復 本 朝 世 紀 に は 康 和 元 年 ( 一 七 五 九 ) 六 月 廿 三 日 夜 太 上 法 皇 法 勝 寺 へ 遽 幸 、 延 命 御 修 法 を 始 行 、 翌 日 夕 還 御 と い ふ 記 事 も あ る 。 康 和 五 年 に は 正 月 八 日 よ り 十 四 日 に 至 る 一 七 ケ 日 御 齋 會 が 執 行 さ れ て ゐ る 。 叉 一 切 維 供 養 會 が い と な ま れ た。 天 慶 四 年 ( 一 六 〇 こ 八 月 廿 六 日 は 光 孝 天 皇 忌 に て 太 政 大 臣 が 本 願 の 極 樂 寺 に 於 い て 一 切 維 供 養 五 千 三 百 五 十 一 巻 の 法 會 を い と な む だ 。 そ の 時 の 願 丈 も 見 ら れ る 本 朝 世 紀 寛 弘 八 年 ( 一 六 七 一 ) 三 月 十 八 日 公 家 南 殿 に 於 い て 一 切 経 供 養 あ り 、 天 台 山 千 光 院 へ 納 め 給 ふ と は 百 錬 抄 雀 四 に 出 す 所 に て 、 康 和 五 年 ( 一 七 六 三 ) 七 月 十 三 日 太 上 天 皇 法 勝 寺 に 於 い て 金 泥 一 切 維 を 供 養 し 給 ふ 。 希 代 の 大 善 根 な り と も 記 録 さ れ て ゐ る 。 爾 後 か 、 る 一 切 経 供 養 會 は も ば く 行 は れ た 。 護 國 の 佛 教 二 五

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護 國 の 佛 教 二 六 本 朝 世 紀 に は 長 保 四 年 二 六 六 二 ) 十 且 廿 二 日 東 三 條 院 の 爲 め に 公 家 八 講 を 修 し 給 ふ の 初 日 と い ふ 。 こ れ は 法 華 八 講 尊 と 思 は る ゝ が 、 本 時 代 の 初 め 勤 操 櫓 正 の 頃 よ り 行 は れ て ゐ る 。 け れ ど 此 の 頃 に 及 び て 一 暦 盛 な や う で あ る 。 復 康 和 元 年 ( 一 七 五 九 ) 五 月 廿 四 日 に は 最 勝 御 八 講 始 め と あ る 。 最 勝 王 脛 に 依 る 八 講 も 行 は れ る に 到 つ た 。 か く て 各 々 の 法 會 が 形 式 的 に も 内 容 的 に も 漸 次 大 規 模 に な つ て 來 た 。 本 朝 世 紀 に 依 れ ば 天 慶 元 年 ( 一 五 九 八 ) 七 月 三 日 諸 寺 諸 肚 に 於 い て 仁 王 維 一 萬 部 を 讃 み 奉 る 。 こ れ 護 國 の 防 禦 、 濟 世 の 肺 符 な る に 依 る と 。 翌 二 年 六 月 骨 臼 所 雨 の 爲 め 百 櫓 を 大 極 殿 に 嘱 し 、 三 ヶ 月 大 般 若 経 を 韓 讃 せ し め 給 ふ 。 正 暦 五 年 二 六 五 四 ) 五 月 十 五 日 八 省 大 極 殿 に 百 高 座 を 設 け 仁 王 輕 を 講 護 せ し め ら る 。 こ れ 本 年 二 月 以 後 疫 属 に 依 つ て 病 死 す る も の 幾 千 な る を 知 ら す 。 種 々 所 疇 あ れ ど 其 慮 瞼 な く 、 路 頭 に は 死 入 蓮 々 た る に 依 る と 、 そ の 後 百 櫓 供 養 の 法 會 が し ば く 行 は れ た 。 或 は 五 壇 法 ・ 七 壇 法 の 如 き 、 或 は 千 部 法 華 維 供 養 と い ふ 如 き 法 會 も 行 は れ て ゐ る 。 康 和 元 年 五 月 廿 七 日 東 大 寺 に 於 い て 千 櫓 御 護 維 が 行 は れ た 。 疾 疫 浩 除 の 爲 め 観 音 維 を 讃 諦 し た の で あ る 。 寺 塔 供 養 は ま す く 盛 と い ふ べ き で あ る 。 東 大 寺 要 録 諸 院 篇 同 寺 奪 勝 院 供 養 の 條 に は 、 ﹁ 隼 勝 院 は 遠 く 永 代 を 期 し 聖 朝 の 寳 詐 を 所 り 奉 り 、 天 下 の 災 攣 を 擁 除 せ ん が 爲 め ﹂ と あ り 、 磨 和 元 年 二 六 一 二 ) 三 月 四 日 附 で あ る 。 永 観 元 年 ( 一 六 四 三 ) 圓 融 寺 ・ 比 叡 山 横 川 藥 師 堂 ・ 恵 心 院 等 の 供 養 あ り 、 長 元 三 年 ( 一 六 九 〇 ) に は 關 白 左 大 臣 が 法 成 寺 の 塔 を 供 養 し て ゐ る 。 延 久 二 年 二 七 三〇 ) 十 二 月 廿 六 日 圓 宗 寺 の 供 養 願 丈 に は 、 國 家 を 鎭 護 し 群 生 を 引 接 せ ん た め に 、 最 勝 の 妙 丈 を 講 じ 國 家 を 萬 年 に 久 し う せ ん と い ふ の 趣 旨 を 明 に し て ゐ る (扶 桑 略 記 ) 。 こ れ ら は 皆 日 本 佛 教 傳 統 の 精 神 を 表 現 し た こ と に 注 意 し な く て は な ら ぬ 。 朝 野 群 載 雀 十 七 内 供 奉 十 暉 師 の 職 葱 停 め ら れ ん こ と を 請 ふ の 歌 を 見 る に 、 右 十 灘 師 は 知 行 具 足 の 輩 を 揮 び 鎭 護 國 家

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