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2013 年度 政治経済学・経済史学会 秋季学術大会 共通論題報告 2 札幌学院大学 経済学部 大場隆広

「養成工と高校卒ブルーカラーの代替と補完

――戦後日本の高度成長期を中心に――」

発表内容: 1. 問題関心 2. 高度成長期の新規学卒の労働市場 (1)高校進学率の推移 (2)学歴別の求人倍率 (3)中学卒・高校卒の就職者数(技能工・生産工程作業者) (4)産業別の新規学卒の就職者数の推移(中学卒・高校卒男女計) 3. 高校卒ブルーカラーへの転換事例(鉄鋼業) (1)ケース 1:八幡製鉄 (2)ケース 2:神戸製鋼 (3)ケース 3:日本鋼管 4. 養成工の活用事例(自動車工業) (1)ケース 4:トヨタ自動車 (2)ケース 5:デンソー 5. 養成工と高校卒ブルーカラーの関係 (1)養成工と高校卒ブルーカラーの代替関係(鉄鋼業) (2)養成工と高校卒ブルーカラーとの補完(分業)関係(トヨタ自動車・デンソー) (3)代替関係と補完(分業)関係の差異 6. まとめ 1. 問題関心 (1)1950 年代後半から 1960 年代前半 戦後日本の高度成長期に実施された新規学卒の中学卒業者の、農村から都市への移動(=集団就職)。 →なかでも製造現場で中心的な役割を期待された養成工(中学卒業後に3 年間の企業内教育を受けた者) (2)1960 年代後半以降 高校卒ブルーカラーの増加:労働供給の中心が中学卒から高校卒へ転換 =製造現場の中心的な役割も養成工から高校卒ブルーカラーへ転換 戦後の日本の製造業を支えた(ている)のは養成工と高校卒ブルーカラー →企業が養成工から高校卒ブルーカラーへ転換した要因、もしくは養成工制度を維持した要因は何だったのか。 問題関心:養成工と高校卒ブルーカラーの関係性について、企業内教育の効果という観点から考察してみたい。

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2. 高度成長期の新規学卒の労働市場:中学卒ブルーカラーの登場と高校卒ブルーカラーの台頭 (1)高校進学率の推移 →表 1・図 1 (2)学歴別の求人倍率 →表 2 :1960 年頃から求人倍率が上昇し、需要超過になっている。 (3)中学卒・高校卒の就職者数(技能工・生産工程作業者)→図 2 (4)産業別の新規学卒の就職者数の推移(中学卒・高校卒男女計)→表 3 総数:全体のトレンド=1965 年頃のベビーブーム世代の高校進学・卒業で、高校卒就職者数が中学卒就職 者数を上回るようになる。 化学工業:高校卒業者採用に最も積極的な産業 鉄鋼業:高校卒業者採用に前向きで、平均よりも早期に高校卒業者採用が中学卒業者採用を上回った。 輸送用機械器具製造業:全体のトレンドと近似しており、高校卒業者採用の点では平均的。 繊維工業:中学卒業者採用に最も積極的な産業=高校卒業者採用の点では遅れた産業 3. 高校卒ブルーカラーへの転換事例(鉄鋼業) (1)ケース 1:八幡製鉄 1940 年に旧日鉄に入社し、翌年に日鉄大冶(だいや)鉱業所に配属されて以来、1981 年に労働担当副社長で退 職するまで労務一筋であった小松廣によると(下線は引用者) 「その血のにじむような思いをして入れた新鋭設備(引用者:昭和 30 年代前半の第二次合理化で導入した戸畑 製鉄所の機械)を使いこなすためには、従前の小学校出の熟練工ではとても無理であった。例えばドイツから 輸入した新鋭機械の横文字が読めないとか、電気操作を行うにしても電気の基礎理論がわかっていないという ことでは困るし、また高炉にしても、火かげんをみてリンが多いか、少ないかを判断するような時代ではなく なっていた。 古い熟練工には、たしかに強い愛社心があったし、会社への帰属心も強かった。しかし、それだけでは日本 の鉄鋼業を世界の鉄鋼業界の中で発展させていくことはできなかった。そうしたところに高校卒の人達が、し かもどの学校からも成績一、二番という極めて優秀な人達がたくさん入ってきた。そうしたことが高卒採用に 切り替えていく大きな背景になっていた。」 (田中博秀「日本的雇用慣行を築いた人達=その一 小松廣氏に聞く(2)」『日本労働協会雑誌』No.276 号 1982 p.61) また同社の社史によると、 「この時期(引用者:1950 年代)の採用で特徴的なことは、第一次合理化の進展に伴う設備の改善と新技術の 導入が目まぐるしいなかで、労働の質も高熱重筋労働から知的・精神的労働へと変貌しつつあるところから、 必然的に新技術への順応性に富んだ質の高い労働力が要求されてきたことである。したがって、採用年齢を二 十五歳未満と制限し、学歴構成においても図表Ⅵ-6 に示すように、高校卒業者が圧倒的比重を占めることと なったのである。」(八幡製鉄所所史編纂実行委員会編『八幡製鉄所八十年史 部門史 下巻』1980 p.452) 「より計画的な要員対策という意味からの定期採用方式が昭和三十二年から確立され、さらに昭和三十三年後 半からは、労働力の質についてのより厳しいニーズに対応するために、高校卒満二十一歳までとの制限を採用 方針に織り込むこととしたのである。」(同上 p.454)

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「生産設備の高性能化・に伴い、優秀な熟練整備工の養成は、昭和二十七年整備部門統合以来の懸案であった。 当初は、社外訓練団体による養成も検討されたが、高度化する設備機械の「予防保全」に万全を期するため、 昭和三十五年度より工業高校卒新人を対象に、自家養成を開始することになった。」(同上 p.525) (2)ケース 2:神戸製鋼 人事部次長だった阿部薫によると、(下線は引用者) 「昭和三二年でございました。(中略) 社長のほうから「もう中卒はやめたらどうか」、当時は、ご承知のよう に鉄鋼というのは大変な技術革新の時代でございまして、新しくできる工場というのは、今までと全然変わっ てきているというような情況がありましたものですから、中卒を三年かかって教育するよりはむしろ、もっと 基礎的なあるいは一般的な教養を積んでいる高卒を現場へ使おうということを考えたらどうか、という話がで ました」 「中卒のほうは主として、今おっしゃったような大変腕の熟練を必要とする職種、たとえば機械工とか。(中略) それから仕上げ、木型、こういったものは中卒をあて、その他の職種は高卒でいこうということで、ずっとし ばらくやってきたわけです。そして、たえず追跡調査もやり、両方の比較を現場のほうで、いろいろしてもら ったりしました。」 「私どもの機械工場の場合に限るかもしれませんが、もう本当に腕のスキルを必要とするような機械自体もあ まり使わなくなったわけです。(中略) もう全く高卒のほうがいいという結論がでてまいりましたので、四〇年 から中卒は全部ストップということにしたわけです。」 ・養成工と普通高校卒の差についての問いに対して、「総合的にみて、たしかに高卒のほうがはるかにいいような 気がしますね。これは、一方では中卒の質の低下という問題もあるのかもしれませんが。」と答えている。 (労働法令協会「高卒現業員時代」『労働時報』第21 巻第 7 号 1968.7 pp.7-9) (3)ケース 3:日本鋼管 1936 年に日本鋼管に入社し、それ以後、労務を担当してきた折井日向によると(下線は引用者) 「技術革新の進展に応じて、より高度化・複雑化した装置の運転保守には、広い知識と判断力をもつ作業員を 必要とし、そのため「高校卒」の採用を希望する生産現場が多くなった。すなわち技術革新の進展に伴い、従 来のように三ヵ年も費やして技能教育をしなければならない熟練職種そのものが少なくなり、たとえば制御装 置の保守点検というようなむしろ論理的な頭脳を必要とする職種が次第に増加してきたのである。当社の場合、 三四年の水江製鉄所の操業の開始に備え、高校卒作業員を計画的に採用し始めたが、それもこのような技術の 変化に対応した処置だったわけである。」 「一連の検討の結果、「中卒養成工制度は時代の要請に沿いえなくなった」との考えに立って、三八年に一二月 に養成工制度の廃止を決定し、「保全要員の養成のためにのみ高卒者を一ヵ年間教育する」という制度を新しく 発足させることとし、四〇年から整備保全修習生教育を開始して今日にいたっている。」 (折井日向『労務管理二十年』東洋経済新報社 1973 pp.98-99) また同社の社史によると、 「戦後からはじめられた新制中卒者に対する養成工教育制度は、昭和38 年に廃止された。その背景には、進 学率の向上に伴い新制高校卒の採用が容易になったこと、技術革新により高度化、複雑化したした機械装置の 運転、保守要員として、教育程度の高い高校卒を希望する生産現場が多くなったことがあった。」 (日本鋼管六十年史編纂委員会編『日本鋼管株式会社六十年史』1972 p.591) <ケース1、ケース 2、ケース 3 のポイント> ・八幡製鉄・神戸製鋼・日本鋼管で共通しているのは、1950 年代後半から 1960 年代前半かけて新製鉄所・新設 機械への適応人材として高校卒業者が採用されたことである。 ・八幡製鉄の場合、高校卒業者の中でも、特に工業高校卒業者が「保全」部門の育成人員として期待されていた。

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・中学卒養成工については、「質の低下」(神戸製鋼)、「時代の要請に沿いえなくなった」(日本鋼管)などの要因 で廃止され、高校卒業者に全面的に切り替えられていった。 4. 養成工の活用事例(自動車工業) (1)ケース 4:トヨタ自動車 ①企業内学校の歴史 1937 年:トヨタ自動車工業株式会社設立 1938 年:豊田工科青年学校が開校し、トヨタでの技能者教育が始まる。 1939 年 4 月:豊田工科青年学校の中に「技能者養成所」が開校され、養成工教育開始。 生徒は社内選抜で募集され、養成工1 期生が誕生。 1951 年:技能者養成所の再開 1953 年:新制中学卒業者を試験で選別して 8 期生(1953 年入学)を採用した。 1967 年:通信制の科学技術学園高等学校と連携し、高校卒業資格の取得が容易になった。 1990 年:高等学校卒業者を対象とした 1 ヵ年教育の「専門部」が新たに設置され、従来の養成工教育は「高等 部」という名称になった。 ②教育目的、志願倍率、教育内容 ・トヨタ自工の養成工教育は「職場の中堅作業員として精励する、職種別に多能工の素地をもった有能な熟練工 を養成することを目的」としている。 ・志願倍率:発足当初の27 倍、7 倍の高倍率で、その後は 2 倍程度で推移した。→表 4 ・養成工の教育内容(1959 年時点):3 年間合計 →表 5-1、5-2 普通教科(1656 時間):国語、社会科、数学、物理・化学、体育、英語、 工業教科(1032 時間):製図、機械工作法、電気工学、機構学、金属材料、自動車工学、応用力学、工業経営 専門教育(3612 時間):専門学科、基本実習、応用実習 →数学、化学・物理の時間数(744 時間)は全日制工業高校(900 時間)には及ばないが、 定時制高校(756 時間)に匹敵していた。 専門教育、特に実習では工業高校(585 時間)の 5~6 倍程度の時間をかけて教育されていた。 ③配属 ・配属と技能の活用:工機部(工場の製造機械を作る部署)で技能を活用させていた(下線は引用者)。 「僕は、昭和21 年に入社し、機械の制作や修理をしていた工機部に配属された。この職場は 7 割以上が養成工上がりで、そのために僕は今でも養成工上がりと間違われる。」 (清水耕一「現場管理者が語るトヨタの現場管理」『岡山大学経済学雑誌』36(4) 2005 p.214) 試作部門で養成工(学園)が活用されている。→表6 参照(1982 年 8 月実施の調査) 試作部門の内訳・職場特性→表7 参照 ※試作部門とはどのような職場か? 「本社技術部に属するこの職場は、一品的に試作工場で整えられた部品を1 台の車輌に組み立てること

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を業務としている。熟練崩壊が著しい自動車企業においては相対的に伝統的熟練が温存されており、 学園卒業生の配属希望の集中する職場である。この職場は自動車労働者のいわばエリート職場であり、 ここでの実地訓練を経て他の職場の班長、組長に転出する、人材養成・輩出母体ともなっていると考 えられる。」 (小山陽一『巨大企業体制と労働者 トヨタ生産方式の研究』お茶の水書房 1985 p.137) ・養成工の卒業直後の配属先:養成工は生産部門(A 部門)中心に配属がなされ、現場の基幹労働力であり続け ていた。一方で、工機・保全・品質管理などの部門(C 部門)へ配属される者も少なからず、存在 していた。 →表8 ・養成工の勤続15 年時点の配属先:登用者(臨時工から正規採用となった者)に比べて、養成工が本社スタッ フとして活用されていることが分かる。養成工の中でも、卒業時点の成績優秀 者の本社開発部門での活用は顕著である。 →表9-1、9-2、9-3 本社スタッフ 工場勤務 学園教育 労働組合・その他 養成工(1954-1960 年採用計)全体: 40% 55% 3% 2% 成績優秀者(1954-1961 年採用計): 56% 31% 10% 2% 登用者(1960-1961 年採用計): 22% 77% 0% 1% ※本社スタッフ:技術部、生産技術部、工機部などの開発部門および総務部、人事部、経理などの部門 ※工場勤務:各工場における鍛造部、鋳造部、機械部、車体部、総組立部、工務部、検査部などの部門 ※学園教育:養成所におけるスタッフ ※労働組合・その他:労働組合役員、出張所・支社勤務、トヨタ病院勤務など <ケース4 のポイント> ・トヨタ自動車は「有能な熟練工」を育成するため、高い志願倍率を維持し、試験によって中学卒の優秀者を養 成工に採用した。 ・3 年間で定時制高校に匹敵する学科教育を行いつつ、実習では工業高校の 5-6 倍の教育を行っていた。 ・育成された養成工は、工場現場で生産を支える役割を担う者も多くいたが、工機部や技術部といった高度技 能が生かされる職場でも活用されていた。 ・登用者が工場生産を主としていたのに対して、養成工は本社スタッフとして活用されており、ゆるやかな分業 関係が成立していた。 (2)ケース 5:デンソー ①企業内学校の歴史 1949 年:トヨタ自動車の電装工場が分離独立し、日本電装株式会社が設立された。 1953 年 8 月:西ドイツの電装品メーカー、ロバート・ボッシュを社長の林が訪れ、そこで優れた技能訓練を目 にし、感銘をうける。 1954 年:中学卒業者を対象に 3 年間の養成工教育を実施する技能者養成所が設立された。 ※1 期生(1954 年 4 月入学)30 人の募集に 400 人以上が志願し、合格者の平均評定は 5 段階評価で 4.5。 1955 年:経営不振で採用が見送られる。 1956 年 4 月に 2 期生が入学する。 1966 年:中卒者 3 ヵ年教育にくわえて、高校卒業者の 1 ヵ年教育(高等専門課程)が開始。

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1971 年:科学技術学園との提携で、工業高校の卒業資格取得が容易となった。 1987 年:電子・情報系の実践的技術者を育成する高卒 2 ヵ年教育(短大課程)が新たに加わり、名称も日本電 装工業技術短期大学校になった。 2000 年:女子も養成工として入学するようになっている。 ②教育目的、志願倍率、教育内容 ・教育目的(開設時の林社長の訓示):「当社の作業に完全に適合する技術・技能を身につけ、将来作業者の指導 的立場に立つ人を養成するために技能者養成工を採用したのであり、先ず手と目から生きた技術・ 技能を身につけてほしい」(日本電装学園『30 年史』p.4) ・志願倍率:発足した1954 年は 30 人の採用予定に 400 人を越す応募がり、34 人が採用決定。 その時、採用された養成工の中学校内申書の成績は平均4.5。 ・養成工の教育内容(1959 年時点):3 年間合計 →表 5-3 普通教科(1233 時間):国語、社会科、数学、物理・化学、体育、英語、独語 工業教科(1136 時間):原動機、製図、材料力学、電磁事象、電気機械、電気応用、機械工作、機構学 専門教育(4915 時間):基本実習、応用実習 →数学、化学・物理の時間数(544 時間)は全日制工業高校(900 時間)にも、 定時制高校(756 時間)にも及ばない。 専門教育、特に実習では工業高校(585 時間)の 8 倍程度の時間をかけて教育されていた。 ③配属 ・企業内学校卒業後の養成工の配属について、1 期生(1954 年入学者)、10 期生(1964 年入学)、20 期生(1974 年入学)、30 期生(1984 年入学)の事例を見てみる(→表 10 )。 ※配属先に登場する「工機部」とは新しい生産設備を開発する部門 「試作部」とは量産化する前の新製品を試作する部門、 「保全」とは機械設備の保守管理を行う部門、 「指導員」とは企業内学校の技能教員のことである。 「五輪選手」とは技能五輪のために選抜された選手のことで、全国大会や国際大会に備えて 技能訓練に専念する養成工のことをさす。 「製造部・生産部門」はラインでの生産業務のことである。 ・1 期生~30 期生の共通点は養成工の配属先が工機部・試作部・保全業務だった点 ・20 期の「生産部門」配属は一時的な例外で、生産部門の労働者確保のために生産部門への配属を想定した特別 なクラスとカリキュラムを編成して育成された。(1976 年に廃止) ・基本的に、オペレーターと呼ばれる生産業務には、養成工以外の中学卒・高校卒労働者が従事していた。 五輪選手のその後 ・10 期生から 30 期生までの五輪選手の配属先(→表 11 )から、基本的には通常の養成工と同じで工機部門と 試作部門が中心の配属だった。 ・違いは開発部への配属や製造部の中でも加工・仕上げといった高度技能が要求される部門への配属、養成所で の技能指導員などがある点だった。 ・1983 年 8 月時点の企業全体での在籍状況(→表 12 )で、確認された在籍人員は 1312 人

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仕上、加工、試作、保全といった新製品や製造ラインの開発・保全業務が69% 製造ライン等での直接生産業務が28% 養成所での教育業務が 3% <ケース5 のポイント> ・デンソーは「将来作業者の指導的立場に立つ人を養成する」ことを目的に、工業高校の8 倍もの時間の実習教 育で技能者を育成した。 ・育成されたデンソーの養成工は設立以来、工機・試作・保全部門への配属が基本形であり続けた。 ・養成工以外の労働者が生産業務を担う一方で、養成工が工機・試作・保全部門を担当し、明確な分業関係が成 立していた。 5. 養成工と高校卒ブルーカラーの関係 (1)養成工と高校卒ブルーカラーの代替関係(鉄鋼業) ①高校進学率上昇による供給制約=中学卒労働者の減少 ②高校進学率上昇による供給制約から派生した労働力の質の低下 =優秀な中学卒業者は高校に進学してしまい、かつてのように優秀な中学卒業者を厳選採用できなくなる。 「中卒の質の低下という問題もあるのかもしれません」←神戸製鋼の阿部 ③技術革新の進展で、中学卒養成工制度は「時代の要請に沿いえなくなった」 「三ヵ年も費やして技能教育をしなければならない熟練職種そのものが少な」くなった。←日本鋼管の折井 →中学卒養成工教育からの撤退・高校卒ブルーカラー向け教育の新設 =企業内学校の廃止もしくは改革 (2)養成工と高校卒・その他ブルーカラーとの補完(分業)関係(トヨタ自動車・デンソー) ①トヨタ自動車: 養成工 → 工機・試作・保全・現場作業(オペレータ業務)、 高校卒・その他ブルーカラー → 工機・試作・保全・現場作業(オペレータ業務) ②デンソー : 養成工 → 工機・試作・保全 高校卒・その他ブルーカラー → 現場作業(オペレータ業務) トヨタにはゆるやかな分業関係、デンソーには明確な分業関係があった。 (3)代替関係と補完(分業)関係の差異 差異を生み出す要因:教育の効果(高度技能)の評価・必要性 =「技術革新によって必要とされる技能が変質したかどうか」 トヨタ自動車とデンソーの場合 高度技能 → 工機・保全・試作などの部門で能力を発揮、企業内学校での指導員 高校卒ブルーカラーへの代替: (高度技能の評価・必要性) < (育成コスト+ 質の低下) 補完(分業)関係=養成工の維持: (高度技能の評価・必要性) ≧ (育成コスト+ 質の低下)

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6. まとめ ・高度成長期以降、高校進学率上昇による中学卒労働者の供給制約とそこから派生する中学卒労働者の質の低下 への懸念は、企業を高校卒ブルーカラー採用に向かわせた。 ・中学卒労働力の供給制約と技術革新を背景に、中学卒業者を3 年間養成する企業内学校は廃止され、かわって 高校卒業者向け訓練プログラムが整備されていった。 ・一方で少数ながら、中学卒業者を3 年間養成する企業内学校を維持し、他の労働者との分業関係を形成した企 業(トヨタ自動車、デンソー)もあった。 ・養成工から高校卒ブルーカラーへ代替を進めるかどうかは、技術革新によって必要とされる技能が変質したか どうか、高度技能を必要とする職場が企業内に存在するかどうかなどに依存していたと考えられる。

参照

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