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6) 一 任用制度の改革を中心 に一一

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(1)

フランス第三共和政初期 の教員養成改革 に関す る考察 ( 6)

一 任用制度の改革を中心 に一一

尾上 雅信

本稿 では,1886年初 等教 育組織 法 (ゴブ レ法) お よびそ の関連法規 の規 定 を中心 に, 1880年代 の教員任用制度改革の法制的な概要整理 を行 な うとともに,その改革 を立案 ・推 進 した主体の改革意図の解 明を行 なった。 この教員任用制度改革 は,教員 を正教員 と試補教 員に二分 し,正教員 として任用 (任命)す るための条件 として2年 間の試補期間 とその修了 認定 を導入す るものであった。 この改革 は,その立案 ・推進主体 にあっては,狭義の養成教 育 ‑師範学校教育の改革 と密接 に連動す るもの として構 想 され,改革全体 として,教員の資 質 (とくに 「教 える」技術)の向上 を図 り,教職の専 門性 を確立す ることを目指す改革 とし て企図 されていたことをあ きらかに した。

Keywords :第三共和政,教員養成,教員の任用,ゴプ レ法, ビュイッソン

l. は じめに (1)本稿の主題

これ までの論考 にお いては'11,1879年 の 「師範 学校設置法」の議会審議過程 における改革立案 ・推 進主体の意図 ・期待 をあ きらかにす ることをとお し て,第三共和政初期の初等教員養成改革 を検討 して きた。その結果,議会 (下院ならびに上院) におけ る 「師範学校設置法」審議過程 において,立案 ・提 出主体 ‑改革の立案 ・推進主体 (ポール ・ベールや ジュール ・フェ リーなど)は一貫 して,既存の男子 師範学校 な らびに新 たに創 出されるべ き女子師範学 校の教育の特質を 「教授法の教育」お よび 「附属学 校」 における実習 を中核 とす る 「教育学的教育」 に 置 き,その さらなる充実 を期待 していた ことが,あ きらか となった。それはまた,師範学校教育 ‑教員 養成の改革によって教員 に期待 された 「資質」の内 実 をあ きらかにする作業で もあった といえる。 これ らの検討において対象 としたのは,教員養成におけ る狭義の 「養成」す なわち教員養成の基礎 的 ・専 門 的教場 ‑師範学校 における養成教育であった。 とこ

ろで, よ く知 られているように,今 日では教員養成 ない し教師教育 は,上述の ような狭義の 「養成」 に とどまる もの とは考 え られてはいない。その,いわ ば基礎 的な 「養成」教育 に もとづ き,つ ぎに重要な 段 階 と して 「採 用」 あるいは 「任用 (任命)」が,

そ して教員 としての現職教育 ない し 「研修」が位置 づ け られ る こ とが ,一般 的であ る (2)。 それで は,

この よ うな位 置づ け方 ,換 言す れば,狭義の 「養 成

」 ‑

「養成教育」 と広義の 「養成」の重要な一面 である 「任用 (任命)」 とは,教 員養成改革の歴史 のなかで, どの ように とらえ られ,構想 されて きた のであろうか。本稿の初発の問題関心は, この点に ある。

本稿 では, フランス第三共和政初期の教員養成改 革 を具体的事例 として,上記の問題関心 にもとづ き.

そ の 改 革 過 程 に お け る , 教 員 の 「任 用 (任 命 (nomination))」制度の改革 を検討す ることとした い。具体 的 には,①1880年代教育改革期 における 教員の 「任用 (任命)」 に関す る法制の制定状況 と 規定の内容 を整理す ること,② その審議 ・制定過程 における改革立案 ・推進主体の言説の分析‑改革意 図の解 明, を検討課題 とす る。

岡山大学大学院教育学研究科 学校教育学系 700‑8530 岡山市津島中3‑1‑1 EssaisurlaReformedelaFormationdeslnstituteursenlaTroisi色meR6publique(6) MasanobuONOUE

DivisionofSchoolEducation,GraduateSchoolofEducation,OkayamaUniversity,3‑1‑1Tsushima‑naka,Okayama 700‑8530

‑ 123I

(2)

(2)先行研究の検討

本研究にかかわる全般的な先行研究 に関す る検討 は,すで にみた とお りであ るが̀3', ここでは,上 記の 「任用 (任命)」制度に関 して,あ らためて検 討 してお こう

任用 (任命)制度 に関す る教育 史的な研究は少な い。 フランスにおける研究では,①個別 ・具体的な 師範学校の学校 (変遷)史の研究,②個別特定地域 (地方や県単位) にお ける教員の実態解 明 をめ ざす 研究 において,部分的 ・断片的に取 り扱 われている にす ぎない。た とえば,① では, トウール‑ズの複 数の師範学校沿革史 をあつか ったテ ラールの研究, オー ト‑ソーヌ県の師範学校の歴 史 とその教育お よ び学生生活の実際 をあつかったクラ ドの研究な どが あるが,師範学校卒業生の事例 として個別的にあっ かわれているにす ぎない (4'。また,②の教員の実態 ・

日常生活 をあつかった もの としては,古 くはデュボ ウの研 究 ̀5), さらに,七 月王政か ら1880年代初頭 までを と りあげたルブール ・シュ レールの研究

川 J ,

第二次世界大戦期 まであつかった ヴイランとルサー ジュの研究 ̀7)があるが,任用 (任命) については, や は り個別事例 的にあっかわれているにす ぎない。

調査法 (ア ンケー ト)によって第三共和政後期の教 員の実態 (史)の解明にせ まるなかで当時の師範学 校制度 と教育体制 ・実際をあ きらかに しようとする オズ ッフらの研究 もまた,その調査法の独 自性が注 目されるものの,教員の任用 (任命)の実際につい ては,わずか に個人的な追想が記載 されるにとどま り,任用 (任命)制度 さらにその改革 まではまった く言及 されていないのである

わが国において も,従来のフランス教育史研究に おいては,教員の任用 (任命)制度については,わ ずか に志村 の論 考が,19世紀初頭 の教 員採用規程 (1816年の 「初等教育令」)お よび七 月王政期 の師 範学校規程 を論述す るなかで,その概略 を述べ るに とど まって きた ̀9㌔ また,近年 の社 会史的研 究で は,庶民教育の教員の 日常態 ・勤務状態の一端 をあ きらか にす る もの もあ るが ,や は り19世紀 半 ば, 七 月王政期が中心 となっているだけでな く,教員の

「任用」の仕組みや実態 にまで,あるいはその観点 か ら解 明す る もので はないのが,現状 で あ る ̀10)。 その一方で,教育行政史の研究 においては,梅淳の 論文があ り, これが この問題 (第三共和政期の教員 の任用 (任命)制度な らびにその改革) における本 格的な研究 となっている̀11)。

梅洋の論文 は,第三共和政教育改革のひとつの到 達点 といえる 「初等教育 に関す る1886年10月30日

の組織法 (「初等教育組織法」 :通称 , ゴプ レ法) の成立過程 と規定内容の検討 を中心 とす る。その問 題 関心 は, ゴブ レ法 によ り,「初等公教育」の 「組 織主体」が 「コミュー ン」か ら 「国家」へ と転換 さ れるなかで, コミュー ン教員の 「位置」が どの よう に変化 したのか,お もに教員の 「任命権」の移行 に 注 目して解明 しようとい うところにある。その研究 内容 は, ゴブ レ法の成立過程 について,その原案 を 検討 ・作成 した委員会 による提案 とそれへの対案の 分析か ら始 ま り,ゴプ レ法案の議会審議の議論 まで, 詳細 に検討 しつつ, ゴブ レ法 によって教員の 「任命 権」 (または 「関与権

」 )

は県知事へ と移行 された こ と,そ こには初等教育編成の 「コミュー ン主体の原 則」か ら 「国家の役務の論理」への転換があった と する もので, この成果か ら学ぶ ところは多い。 しか しなが ら,本稿で注 目したいのは,梅津が ゴブ レ法 の規定 した 「試補教員制度」 について,つ ぎの よう に述べている点である

「初等教育組織法か ら試補教員制度が確立す る と すれば,それ以前の助教員制度 との関連が問題 とな る。 日本で 『試補制度』の ような ものを導入す る動 きもある。 フランス近代公教育制度における試補教 員制度 とは何 を意味するのかを歴 史的に位置づける 必要がある」 と ̀12)。

本稿では,すでに述べた初発の問題関心 とともに, 梅樺の研究成果 と問題提起 を継承 ・発展 させ るもの

と して,1880年代 フラ ンス教育改革 にお ける教 員 の任用制度の改革 をとりあげることとしたい。 (1) の 「本稿の主題」であげた検討課題 をさらに具体的 に述べ る と,以下 の ようになる。す なわち,1881 年6月16日の第‑法律 に よ り新 たに導入 された教 員資格 ・各種免許状 と教員 としての資格要件, さら に1886年10月30日の法律 (ゴブ レ法) とその関連 の政令お よび省令 によって法制的に確立 される教員 資格制度 と任用制度の概要 を整理すること,そ して その制度改革 を立案 ・推進 した主体の改革意図に関 する考察 を行 なうこと,である

Il.本論 一 教員任用 (任命)制度の改革 とその改 革意図

(1)1880年代教育改革 における任用制度の法的規

第三共和政初期 における,そ してその後の教員制 度の基盤 が確 定 されたの は,1880年代 で あ った

それ まで第二共和政末期の1850年3月15日の教育 法 (通称, フアルー法) によって長 く規程 されてい

(3)

た教員制度は, この時期以降,大 き く変更 されるこ ととなった。その先鞭 をつけたのが,初等教育の資 格証書 に関す る1881年6月16日の第一法律で, こ れは

,

「初等教育資格免許状」し13Jを導入 し, これ を 教職従事のための必須要件 とした。 これを定めた本 法第1条は,つ ぎの ように規定 している。

capacit6pourl'enseignementprimaire)を所持 しな い ものは何人であれ,公立 もしくは私立学校 におい て,男女正教員 (instituteurouinstitutricetitulaire), 学級担 任 の男女助教 員 (insititututeuradjointe charged'uneclasse)の職務 を遂行す ることはで き

ない。

1850年3月15日の法律第25条第二段落で認可 さ れた同等の資格 は,廃止 される。」 (ll'

この規定 は,公立 ・私立の初等学校 で 「正教員」

あ るい は 「助教員」 と して勤務す る ものすべ て に

「初等教育資格免許状」の所持 を義務づける もので, 同時に, 77ルー法が認可 した,聖職者の資格 をも って初等教員資格 とす る規定 を廃止 したのであ る。

しか しなが らなお も,教員 ‑初等教員には 「正教員」

「助教員」 の区別が残 され,その区分 さ らに任用 に 関しては,フアルー法の規定が温存されたのであったO

この1881年6月16日の第‑法律 によって先鞭 を つけ られた教員の資格制度お よびその もとでの任用 制度を整合 ・確定 したのが,梅津論文が分析対象 と している1886年の初等教育組織法 (通称 , ゴブ レ 法)であった。 この 「初等教育 に関す る1886年10 月30日の組織法」は,その直前に施行 された 「(初

の第二法律」

,

「就学義務 と世俗性 に関す る1882年 3月28日の法律」 によって定め られた 「無償

「義 務」そ して 「世俗化」の初等教育三原則の法制化 を は じめ とす る公教育政策の頂点 をな し

,

「以後長 く 初等教育憲章 として,初等教育の制度運用 な らびに 行政 を規制 しつづ ける」 (15)と評価 され る ものであ

る。 これが 「ゴブ レ法」 と通称 され るのは, ときの 文相で ジュール ・フェ リー (Ferry,∫.;1832‑1893) の後継者であったゴブ レ (Goblet,R.;1828‑1905) の名にちなんでのことであるが,それはまた 「延 々 二十数回の審議」のす えにようや く成立 した法律 で もあった。そのお もな内容は,以下の四一酎 こ整理で きる(16'O

① 初等教育の範囲の確定 :これ まで さまざまな 種類 の学校がバ ラバ ラに存在 したが

,

「小学校」

をは じめ 「高等小学校」 な ど 「四種類 の学校」

が初等教育段 階 として一括 され,さらに 「公立」

と 「私立」 に分類 されたOお よび,各学校 は原 則 として男女別学 とされ,女子校 と共学校 は女 子教員が,男子校は男子教員が担 当す るとされ たこと。

② 教員の世俗化 と資格要件の確定 :公立学校の 教育は 「世俗教員」 にまか されること,な らび に

,

「上級免許状

「教員資格免許状」な どの教 員の資格要件が確定 され,職務 に応 じた資格取 得の必須化が確定 されたこと

③ 私教育の 自由 と規制 :監督当局の許可の もと で,私立学校 の教育 内容 ・方法等 の 自由が確 認 ・確立 された ことO

④ 中央統括 の強化 :各県 における 「初等教育評 議会 (県評議会)」 (後述す る)の設置 による指 導 ・監督権 の急速な移管。すなわち,中央統括 が強化 されたこと。

以上の ようなゴブ レ法 について, とくにその教育 職員関係規定 については,さきの梅揮論文 を除いて, 従来の わが 国の フラ ンス教育史研 究 は,その第17 条,す なわち 「あ らゆる階梯 の公立学校 において, 教育 は専 ら世俗的職員 (personnella‑1que)にゆだ ね られる十⊥7)の条文 をと りあげ

,

「教員の世俗化」

がはか られた点 を強調 して きた (1㌔ しか しなが ら, 本稿では梅津論文が指摘す るように,教員を 「正教 良 (titulaires)」 と 「試補教員 (stagiares)」 "∩)に二 分 し,前者 に任命 されるためには 「最低 2年間の教 職経験」が必須化されたという点に注 目したい。これ にかかわるゴブレ法の規定は,以下のとお りである。

「第22条 男女教員 は,試補教員 と正教員に区分 される

第23条 何 人 も,公立又は私立の学校 において, 最低2年間の試補期 間 (unstage)が な く,教育適 性証書 を所有せ ず,かつ 第27条の定め に したが っ て県評議会 (leconseild6partemental)の作成する 教職従事候補者名簿 に登録 されなければ,正教員に は任命 されない

(20)

この ように規定 ・区分 された 「試補教員」 と 「正 教員」であるが,それでは,試補教員 を正教員 とし て任命するための機 関 また仕組みは, どの ように立 案 ・規 定 され たの であ ろ うか。 上記 の条項 で は,

「県評議会」が正教 員任命のための基礎 資料 となる

「教職従事候補者名簿」 を作成す ることが規定 され てい る。 この 「県評 議会」 とは,同 じゴブ レ法 第 44条 に定 め られた初等教育行政機関であ り,県知 事がその長 とな り,学区 (アカデ ミー)視学官,県

‑ 125‑

(4)

会議員,師範学校長 などで構成 されることとなって いる。 この評議会が,正教員任命のための候補者名 簿を作成す ることとされたのである。 この候補者名 簿の作成 につ いては

,

「初等教育組織法の実施 にか かわる1887年1月18日の政令」第20条 に,つ ぎの

ように規定 された。

「県評議会は毎年,県知事 の定め る時期 に,男女 の正教員に就 くために大学区視学部 に登録 されたす べての志望者の要望お よび資格 を確認 し,かつ任命 す ることがで きると判断 された者の一覧表 を作成す

るもの とす る

」 (21)

ここに記 された名簿 に もとづ き,かつ続 く第21 条が 「男女の正教員の任命 に関 して,大学区視学官 は知事 に文書で もって提案 しなければな らない」̀22' と規定す るように,大学区視学官の提案 (推薦) を 受けつつ,最終的には県知事が任命す るという,い わば二段階の仕組みが採用 されたのである。 この任 用 (任命)の仕組み によれば,初等教員 を志望す る 者 はすべ て,最低2年間の 「試補教員」の期間を過 ごし,その後,法制上 は県評議会による適性の 「判 断」 を くだされ,候補者名簿 に登載 され, さらに大 学区視学官の推薦 も受けることで,最終的に県知事 によって正教員 としてあ らためて任命 されるという ことになる。 これがすなわち,新たに創 出された任 用 (任命)制度なのであった。

ここで注 目 してお きたい こ とは, こ う した任用 (任命)制度の改革が,すでにみて きた1879年師範 学校設置法 には じまる師範学校の改革,すなわち狭 義の教員養成である養成教育 と密接 に関連づけ られ て構想 されていた点であ る。 これ は,1886年初等 教育組織法第23条第2項に

,

「師範学校就学期 間は, 男子生徒 は18歳か ら,女子生徒 は17歳か ら,試補 期 間に算 入 される」(23)と新 たに規定 された ことか

らも理解で きる。師範学校在学の期間 を試補期 間に 読み替 えることで,師範学校卒業生 を事実上,優先 的に正教員 に任用 しようとしていた ととらえること がで きる。 この方向性すなわち師範学校卒業生の優 先的任用の方 向性 は, この後, さらに強化 されてゆ く。20世紀 に入っての こ とであ るが,1905年8月 4日の政令に よって

,

「三年 間の学習の後,姉範学 校 を卒業す る生徒 ‑教師 (61台ves‑maitres‑姉範学 校生徒)は,その所有す る資格 に応 じて,県 に空席 のある公立学校教員 (instituteurpublique)に第‑‑ に任用 され る権利 を有す る もの とす る

J

(24)とされ たのであ り, これ に よって

,

「空席」 さえあれ ば, 師範学校卒業生はほぼ 自動 的に公立学校教員 として

任用 されるルー トが法制的に確立 されることとなっ たのである。 これはまた,公立小学校教員の任用 を 師範学校卒業生だけで独 占す る可能性 と危険性 一 後者 につ いては,すで に1879年 師範学校設置法案 審議の過程で反対論者が指摘 していた 一 をは らむ こととなるのであった。

では, この ような教員養成改革, とくに任用 (任

は, さきの1879年師範学校設置法 の立案 ・推進主 体 と同一の共和派 となる ‑ は,何 をめ ざ し,如何 なる意図を もって立案 ・推進 しようとしていたの か,換言すれば, この制度の確立にかけ られた期待 ない し課題 は何であったのか,つ ぎにはこの点 につ いて,考察 してみたいD

(2)任用 (任命)制度改革の意図 ‑ 法案審議議事 録お よび コメ ンター ルの分析か ら

ここでは,任用 (任命)制 度改革の立案 ・推進主 体の意図をさ ぐるための素材 として,改革の基本法 ともいえる1886年初等教育組織法 (ゴブ レ法) に かかわる資料 をとりあげる。具体的には,議会 (上 院お よび下院) における同法の審議の議事録,お よ び重要 な立案 ・推 進主体 が論述 した コメ ンタール (注釈論文)であ る。 まず は,議会議事録 による法 案審議の過程か ら, とくに立案 ・推進主体の発言 を

とりあげてゆ くこととしたい。

すでに触れた ように,当時の不安定 な政治情勢 を 反映 して, この法案の審議 も 「二十数回」 に もわた ってお こなわれた。 この法案の作成 ・提案の中心 と なったの は, さきの師範学校設置法 と同様 , ポー ル .ベール (Bert,P.:1833‑1886)であったoその原 型 ともいえる法案 は,すでに1882年2月に下 院に 提 出された。組織法 として成立する,実 に4年前の ことであった。 この提案者 もまた,ポール ・ベール がつ とめた。 これ は2月7日に提 出されたのである が, まず は,同年6月20日のポール ・ベー ル報告 か らみてみ よう。 この報告 において,任用制度の改 革理 由または意図について,ポール ・ベールはつ ぎ の ように述べている。

「われわれの提 案す る制度では,若 い教員 は最低 2年 間,試補教員 としてつ とめ始めることとなる

その期 間,その者は調査 を受け,試 されるわけであ り,それゆえ, こんにちの ようにその適性 と使命感 が明確 に確立 されていないような者 に正式な任命 を して しまい,公教育 に大損害 を与えて しまう危険は, もはやな くなると言 えるのである。 この期間を通過

(5)

すれば,試補教員は正教員 として任命 されることが 可能 とな り,その ときには, われわれが (この ‑

引用者)保障を享受す ることもで きるようになるの である。」(25)

この報告か らは,教員の 「適性」 と 「使命感」の 確立 をめ ざすために 「試補教員」期 間を設けようと い う意図がみ られる。 この意図 と課題意識 は,実際 に制定 されることとなったゴブ レ法 (莱)その もの の審議過程において も継承 されてゆ く。原型 となっ た法案提 出か ら4年後の1886年2月13日の上院 に おける新たな法案,す なわちゴブレ法案 にかかわる 審議のなかでの文相 ゴプ レ自身の発言か ら,その こ とを読み取 ることがで きる.彼は.つ ぎの ように発 言 しているのである

「正教員 として,あ らゆる保障が享受 され ること を許可す る前 に, まず はその人物 を調べ,その道徳 性,その性格,すなわちその人物が教職 をつ とめる のに必要 な資質 (qualit6snecessariespourfaireun instituteur) を有するか否か を確認す る必要がある

と,われわれは考えたのである。それは,外 国の法 制か ら借用 した確信である。諸外 国では実際,教員 を正 教 員 と して任 命 す る前 に, た とえ補 助 教 員 (adjoint)としてで さえ,試補教員 として,あるい はそれ と同等の者 として,その人物 の確認 をしてい る。 これ こそ,われわれが,われわれの法制 に導入 しようと望んだことなのである」 と (26)0

ここにおいて も,教 員 としての 「適性」が

,

「教 職 をつ とめるために必要な資質」 と換言 され,それ を調査す るための期 間 として 「試補教員」の制度 を 導入す るのであると説明 されていることが,見て取 れ よう。それは,試補期間を設定 し,その期 間に教 員 としての 「適性

「資質」 さらに 「使命 感」 な ど

を評価 ・確認 したうえで正教員 として任用す る, こ れをとお して全体 として教員の 「資質」向上 をめ ざ そ うとしていた と言 うことがで きる。 この ことをさ らに確認す るために,つ ぎには,改革の立案 ・推進 主体 によるゴプ レ法の コメンタールをとりあげてみ よう。

ここで とりあげるのは, まさにこの法案が議会で 可決 され ようとしていた とき,1886年4月15日付 の 『教育雑誌 (RevueP6dagogique)』に掲載 された, 当時の初等教 育局長 ビュイ ッソ ン (Buisson,F.;

1841‑1932)のコメ ンタール

,

「初等教育の新 しい組 織法 に関す る注釈」t27)である. この資料 を とりあ

げる理 由は, ビュイ ッソンが1880年代教育改革の 陰の立役者 と評価 されていること(28', 『教育雑誌』

が,当時の初等教育関係者 に広 く読 まれた雑誌であ り,立法 ・行政主体の見解 を伝達する半官製の媒体 であったこと,の二点である

この 「注釈」 は,おお きく三つ に分けることがで きる。第一 に,全体の趣 旨をあ きらかにするととも に,新 たな法律の基本的性格 について,歴史的叙述 をまじえて説明す る部分,第二に,法律全体の構成 の紹介 をふ まえ,各編,部分的には逐条的に解説す る部分,そ して最後 に,全体の まとめ,であるO以 下, この区分 に したがって概要 を紹介 しつつ, とく に教員の任用 (任命)の制度改革 にかかわる部分の 特徴 をあ きらかに しよう

① 本 コメ ンタールの趣 旨について

この法案が上 院の審議 を終 えたばか りであるが,

「数週 間後」 には成立す る ことになっていることを ふ まえ,その 「法案の総括 的分析」 を行 なう必要が あること, これを十分理解 した うえで,この注釈で は

,

「われわれの読者 の, と りわけ直接 的な関心 を 引 く部分,す なわち教育 (学)的性格(uncaractとre p6dagogique)を有す る条項 だけを強調 して」解説 する, と述べ (盟',その審議の詳細は 「教育博物館」(33) に資料集 として収め られていることを紹介す る。 こ こに, この解説全体の特徴がみて とれ よう。

② 法案の基本的性格 について 一 歴史的叙述 をま じえて ‑

この法案の重要性 を判 断す る観点 として

,

「新 し い法律 は,何 よ りもまず

,

『成文法化』の所 産であ る」 こ とを強調す る(31'。 ここでい う 「成文法化」

とは, さまざまな慣習法や統合 されていない諸法 を ひとつの法律で統一す ることである。 この観点か ら 考察 しなければな らない根 拠 は

,

「現時点では,初 等教育 に関す るわれわれの さまざまな法 は,古い も の も新 しい もの も調和が とれてお らず,常に調整が 困難, ときには不可能な寄せ集めになっている」か らであ り, この状況 を打開するのが, この新たな法 律であるか らだ とす る。 しか し,そ うしたさまざま な法の統一その もの よ り重要なことは,そ うす るこ とによって,い まだに初等教育全般 を統制 している とみなされている 「ひとつの基本法」 を完全 に消滅 させ ることにあるとして, ここか らいわゆるフアル ー法の解説 には じま り簡単な教育法制 史の素描 に入 ってゆ く。その素描 は,簡単にまとめれば,以下の ようになる。

フ アルー法 は

,

「偉 大 に して賢明 な法律 であ る」

127 ‑

(6)

が,それは 「われわれの ものではない政治 と教育学 の所産」である。そ こにこめ られた 「陰謀」 をあは き,改革 を断行 しようとしたのが,ヴイク トール ・ デュルイ (Dumy,Ⅴ.;181‑1894)であった。彼の努 力 は具体的には,高等小学校 と上級免許状の復活,

「歴 史お よび地理」教科の充実 な どとして実現 され た。 この努力の方向性 は第三共和政 にも引 き継がれ たが,共和政が確立 して もなお フ アルー法 を擁護す る力が強かったため,共和派 も初等教育全般 にわた る統 一 的な法案 の提 出をあ きらめ ざるを得 なか っ た。それ ゆえ,共和派 は

,

「作 業 を分割 し, このた いへ ん な事業 を細分化す る ことで1850年法 を細 か く分割す るこ ととなった」。 こう して 「断片的な諸 法」が,1879年か ら1883年 にか けてつ ぎつ ぎと採 択 されていったのである。具体的には,高等評議会 に関する法律,師範学校 に関す る法律,無償 に関す る法律 ,義務 と世俗化 に関す る法律,学校建築 に関 す る法律である。 これ らは今なお実効性 をた もって いる。すなわち,個々の法律 によって個 々の領域 を ば らば らに決めているのが.現状 なのである, と

この ように, フアル

法 を中心 に した教育史素描 とそれにもとづ く現状の解説 を したのち, コメンタ ールは,ふたたび新 たな法の 目的を明確 にす る。す なわち,「上 院で採択 され たばか りの法 の 目的は, 諸法の この不統一 を終若 させ,1850年法の Ⅰ章 と

Ⅱ章,つ ま り初等教育に関す る部分のすべてを終蔦 させ,廃止することなのである」 というのである 。2'。

③ 逐条的な解説

この部分は, さらに二つ に分 け られる。法案の全 体構成の紹介お よび第 1編 を紹介す る部分 と,お も に第2編 を重点的に紹介する部分である。順 を迫っ て,みてみ よう (う3'。

最初 にこの法案が,6つの編か ら構 成 されること, そ して,それぞれの編お よびその各章の タイ トルを 紹介 しているが, この法案 には第7番 目に 「財政的 組織」 に関す る編 も予定 されていたこと, しか しそ れは切 り離 されて 「初等教育経 費」 に関す る法案 と

「教員給与」 に関す る法案 として独立 した こと, こ の後者 についてはさらに延期 されることになったこ との,三点 を補足 してい る̀34)。つづ いて第 1編 第 1章か ら紹介 ・解説 してゆ くのだが,その内容 は最 初の うち,文字通 りの紹介 にす ぎないO注 目される のは,第2章 『視学 について』で, これ まで 「学級 あるいは寄宿舎への立ち入 り禁制」の理 由ゆえに定 め られていた 「特定の修道会に対 してあ らゆる視察 の免除 を認める特権」 を廃止 した 「1882年12月26

日の規則」 を 「法律 のなかに」包括 した と説明 して

いる部分である。 この ことは,ひとつ には, この法 案の基本的性格つ ま り 「成文法化」 を示 してお り, そ して第二に,教育の世俗化を推進す るもの として 説明 されているのである。 この点 も含め, さらに注 目されるのが,第 2編第 2章 『教員の資格要件』の 解説 である。 さ きにみた第17条 「あ らゆる階梯 の 公立学校 において,教育 は専 ら世俗的職員 にゆだね られる」について,つ ぎの ように敷宿 して解説 して いるのである

「(この ことによって ‑ 引用者)教会が 自由の名 の下 に国家か ら奪 い取 っていた もっとも例外 的な権 利のひとつが,ついに学校 に関する法律か ら消滅 し

教会の選んだ男女教員 をほかの教員たち とはまった く異 なる条件で公立学校 に配属 させ る自由,一種の 神権 として至上権 をもってその教員 を配属 し,その 勤務条件 を国家の学校 において さえ も好 きなように 決定する自由,国家の学校 においてさえ,修道会が 好 きなように計画 を立ててみずか らの会員を至上権 をもって配置 し,勤務年数 と勤務条件 を決める権利 を,一種の神権 として国家にお しつ ける自由,なの である。そ して今後 は, まった く同 じ方法,同 じ資 格 を有 し,同 じ法 に従 う,ひとりひとりが責任 を負 うとともに選出される権利 も有 し,異動 また免職 も あ り得 る教員 しか認めないことを宣言することによ って,国家が教会か ら奪 うことになるのは, こうし た自由なのである」 と (35)。

の世俗化の意味説明 をもふ くめて長い解説が なされ ていることか ら, この条項すなわち教員の世俗化の 実現 にビュイッソンが本法案の重要な意義 を見出 し ていること, またその ように .「読者」 にとらえて も らお うと努めていることがわかるのである。 しか し なが ら, この こと以上にビュイッソンが重要 ととら え, またそのことをはっ きり意識 して意図的に強調

して解説す るのが,つづ く第20条か ら24条の規定 する教員の資格要件 についてであった。 この ことを ビュ イ ッソ ンは,「第20条 か ら24条 は ・ ・ ・中 略 ・・・教育 (学)的にみて,本法案のなかで もい っそ う重要 なものに数え られる」 と注釈 しているの である。 これ らの条項 は

,

「上級免許状

「教員資格 免許状

「師範学校教授適性証書

「付随的教科のた めの特 別免許状」 な どにつ いて定め, これ に よ り

「公立学校 にお いては,その職務 に応 じた資格証書 を所持 していなければ,何人 もいかなる教育の仕事 に従事で きない」 ことを明確 に規定 した ものである

(7)

が, この点をビュイッソンは,試験等によって認め られた技術の ヒエ ラルキーの形成 とともに,情実や 権威 によらない任命 をめ ざす ものであ り, これによ って教員にいっそ うの まとま りと安定性 を与 えるも のだ と解説 している。 さらにこの任命 (任用) とい う点 につ いての解説 で ビュイ ッソ ンが 強調す るの が,本法案によって導入 されることとなった新 しい 仕組みであるO その こ とにつ いて ビュイ ッソンは,

「今後,初等教育の教員は二種類 に大別 される

『試 補教員』 と 『正教員』である」 とす る。「試補教員」

とは,「上級免許状」 を所持 し就任期 間二年末満 の

「新 人」 の ことで, これが一定の 「研修期 間」 を経 て 「教職適性証明」 を得 ることで 「正教員」 となる ことがで きるとい う仕組みである。ビュイ ッソンは, これは近隣諸国のほとん どが採用 している措置 をフ ランスにも適用するだけのことだ と説明 し,さらに, その意義 につ いて,つ ぎの ように解 説す るのであ る

「(教職適性の ‑ 引用者)候補者が,単 に知識が あるか どうかだけではな く,教 えることがで きるか 否かを示す こととなる実践 的かつ専 門的な考査であ る教育適性試験で修了す る研修制度がわが国に導入 しようとす るのは, この区別 ‑ す なわち,知識 を 有するか否か,だけでな く,教 えることがで きるか 否か, ということなのである。 どれほ ど多 くの若者 たちが教 える とい うこ とを学 んで こなか った こと か! 免許状,少 な くとも上級免許状がすべてを証 明 していて,それを所有するだけで十分だ と, どれ だけ想像 されて きたことか ! 本法案 は, こうい う 人たちを 目覚めさせたのだ。候補者 たちは, 自分た

始めたことを証明することによって,正教員 となる ことがで きるのだ。教職は,ほかの何 よりも高貴で むずか しい職業であ り,多 くの学習が必要 とされる

ある人たちは,いつ まで も自分の生徒 を犠牲 に して 学んでい るのにす ぎない。 この者 たちには今後 は, 国家が人々を養 っていること,われわれの学校の子 どもたちに教育 を受けるために与 えられたあま りに 短い時間を浪費あるいは下手な使 い方 をさせ ること などで きないこと,そ して, もしその人たちが 自分 では十分勉強 したつ もりになって, この職業 につい ての十分 な学習 と実践 的教育学 の謙虚 な方法 (辛 脂) ‑ 教育方法 ・教授法のこと :引用者 一 につい ての深 い知識の獲得 を拒むのであれば,国家はその 人たち とは何 ら契約せず,正規の教員 にす るために は,その証明 をす ることを待つ だけであることが, 通告 されるだろう。 ・・・中略 ・・・この方策の大

きな効果 は,とくに道徳的な効果であろう。つ ま り, 今 はたいへ ん頼 りなげ なわれ われの若い教員 た ち

を,刺激 し励 まし指導す ることとなる。それはまた, 彼 らの監督者 に,若 い教員 を導 き,学 ばせ,職業的

(専 門的)教育 を実施す る必要性 をいっそ う実感 さ せ ることとなるだろう

」 (3b‑

ここには,「試補教員」制度の導入 の意図が,明 確 に述べ られている。教職 を 「高貴でむずか しい」

「多 くの学習が必要 とされ る」職業,いわば専 門職 として とらえる とともに,その学習,換言すれば教 員 に求 め られ る職 能 あ るい は資 質 の内実 と して,

「教 えること」がで きること,す なわち教授法の習 得 をあげていることが理解 され よう。 この ことはま た, さきにみた ように, このゴブ レ法による教員の 任用 (任命)制度の改革が,それ単独で構想 されて いるのではな く,教員の養成教育 ‑師範学校教育の 改革 と連動 し密接 につなげ られて構想 されていたこ

とを示 しているのである

この 「試補教員」制度の導入 に関連 してビュイッ ソンは,教員の任命権 をめ ぐる議会での議論 を くわ しく紹 介 している。法案では任命権は県知事 におか れたが, これ をビュイッソンは議会での公教育大臣 の答弁 を引用 しつつ

,

「初等教育 に関す る各県の長 官」が設置 されるまでの 「例外的かつ一時的な措置 として,知事 による教員の任命が構想 された」 と説 明 している。本法案 の各条項の説明ない し解説で, ビュイ ッソンがかな りのスペースを割 き,力 をこめ て解説 している箇所 は,以上の点 にあった。それは 教員の世俗化の断行 とともに,各種免許状 による教 員資格要件の制定, さらに新 たな 「試補教員」か ら

「正教員」 にいたる研修制度の導入 による任用 (任 命)制度の改善 ・導入 を詳 しく説明することによっ て,本法案が教員の職能 ・資質向上のための条件整 備 を図る ものである ことを強調す るものであった。

ここに,この コメ ンタールの大 きな特徴がみ られる とともに,それはまた,この時期の教育改革の重要 かつ実質的な立案 ・推進主体 のひ とりの言説 として 重要な意味 をも 。教育改革の実質的な推進主体 と して教員 をとらえ,ひと りひとりの教員 にその職務 遂行のための努力 を求めるとともに,そのための条 件整備 を進め ようとする意図を知 ることが出来るの であるo

lll.おわりに 一 本稿のまとめと展望

本論で確認 した ように,第三共和政初期の初等教 員養成改革 は,新 たな師範学校改革 ‑ それは 「師

‑ 129‑

(8)

範学校設 置法」審議過程で確認で きた ように,師範 本校 での教授学的教育 と附属学校 での実習 による専 門的 (職業的)教育の充実 ‑ と,教員の任 用 (任 命)制度の改革 ‑ 「試補教員」制 度の導入 に よ り

ともに密接 に連携 して立案 され,かつ推進 され よう としていた。その実際のプロセス をみれ ば,た とえ ば

,

「初 等教育 に関す る権 限 を国家 に集 中」 しよう とす る意 図が あ った と評価 す る こ と もで きるL;7㌧J

しか しなが ら,本稿 であ きらか となった ように,第 三共和 政1880年代 の初等教 員養 成改革 を全体 的す なわち,狭義の養成教育 と任用 (任命)制度の改 革 として総合的に とらえた とき,それが教 員の職能 ・ 資質向上のための制度的な整備 をめ ざす改革であっ た点 を見逃す ことは出来ない。 この ことは,本稿で みた, ときの文相 ゴプ レや初 等教育局長 ビュイッソ ンの言説な どか らも,あ きらかであろうo また, こ れ までの師範学校設置法審議過程 の検討 を もふ まえ た うえで まとめるな らば,彼 らの改革意 図ない し課 題意識 のなか には,義務教育段 階の教 員養成改革 を, 専門的 な学校 による準備段 階 としての養成教育 の改 革 と,教員 として採用す るための任用 (任命)改革 とを密接 に連携 させ 統 合 的 な計 画 養成 の形 態 で立 案 ・推進 しようとい う発想 ない し思想があった点 に 注 目す るべ きである。教員養成 を,狭義 の養成 だけ に限定 して部分 的かつ項末な改革です まそ うとす る 現今の動 向にたい して,任用 ない し採用 の仕組み と 密接 に結 び付 け広 く教員の養成 ととらえて構 造的に 改革 しようとした この時代 の改革意図あるいは課題 意 識 か らは,学 ぶべ きものが多 い と考 え るの で あ る

(1) 拙稿 「フランス第三共和政初期 の教 員養成改革 に関す る考察」 の侶〜 (5)

(

『岡山大学教育学部研 究集録』第134,135,136号,2007年,お よび 『岡 山大学大学 院研究集録』第138,139号,2008年) (2) 「採 用」 あるいは 「任用 (任命)」 のつ ぎには,

「研修 (現職教育)」 の段 階がおかれ ることが,〟

般 的である。た とえば,秋 田喜代美 ・佐藤学 (編)

『新 しい時代 の教職 入門』有斐 閣,2006年,159‑ 166頁,あ るい は,文部科 学 省 (編) 「教 師の ラ イフステー ジと研修 (文科省 ホームペー ジよ り) な ど。

13) 拙稿 「フラ ンス第三共和政初期 の教 員養成改革 に関す る考 察(1)

『岡 山大学 教 育学 部研 究集録 』

第134号,2007年,参照の こと。

('4J Terral,H.(6d.),:LaFom αtiondosmaitresaurr

XIXeetXXL'si∂cles,INRP,2007,Clade,I.‑L∴

EcolesetinstituteursenHaute‑Sa∂neautemps deJulesFeryy,EditionCab6dita,2001,

(5)Duveau,G∴Lesinstituteurs,Seuil,1957.

(6) Rebou1‑Scherrer,F.:Lam'equatidiennedes premiersinstituteurs1833‑1882,Hachette,1989.

(7) Villin,M.etLesage,P.:Lagale7iedesmal:tres d'e'coleetdesinstituteurs182011945,Christiande Bartillat,1990.

(8)Ozouf,I.etOzouf,M.:LaRe'publiquea,esinsti‑ tuteurs,Paris,1992.

(9) 志村鏡一郎 「国民教育制度の成立 と教員勢力の 模索 ‑ フラ ンス」,梅根悟 (監修) 『世界教育 史 30教員 史』講談社,1976年, な ど。

(10) 谷川稔 『十字架 と三色旗 ‑ もうひ とつの近代 フランス』 山川 出版,1997年,な ど。

帥 梅揮収 「フラ ンス義務教育制度における教 員の 位置 一 初等教育組織法 (1886年)の成立過程 を 通 して

‑ 」

東京大学教育行政研 究室紀要』第9 号,1989年

(12) 同上論文,38貢

(13) 以下に登場す る 「初等教育資格免許状 (lebrevet decapacit6pourl'enseignementprimaire)」 な ど の訳語 につ いて は,お もに,梅根悟 (監修) 『世 界 教 育 史 大 系10フ ラ ンス教 育 史Ⅱ』 講 談 社 , 1976年, また,前掲 『世界教育史大系30教員史』

に よっている

(14) Chevallier,P.etGrosperrin,B∴L'EnseignemenJt franE'aisdJeLaR6uolution

a

nosjours:tomeII:

Documents,Paris,1971,p.272.ただ し

,

「初等教 育資格免 許状」 な どの訳語 は,前掲 『世界教育 史 大系30教員 史』 によった。

凋 前掲 『世界 教育 史大系10フラ ンス教育 史』, 138‑139頁

(16) 以下の概略 は,同上書,138‑143頁

(17) Chevallier,P.etGrosperrin,B.:op.cit.,p.290.

(18) た とえば,前掲 の 『世界 教育 史大系10フラ ン ス教育 史Ⅱ』 な ど。

(19) stagiaireの訳語 として 「試補教員」 は適切 では ない との意 見が あ る。単 に 「見習 い」 あ るい は

「教育 実習 生」 とす るほ うが 良 い と も言 われ る

しか しなが ら

,

「見習 い」 あ るいは .「実習生」 と はいえ,給与 を得 てクラス担任 もす る場合 もある ことか ら,あえて梅津の訳語 を踏襲す る

(20) Sirey,LoisAnnote'es,etc.,1887,pp.183‑184.

(21)Ibid,,p.204.

(9)

(22)Loc.cit.

(23)Ibid.,p.183.

(24)Buisson,F.(6d.):Now/i)eauDictionnairedela

Pe'dagogleetd'InstT71′CtionP7imaire,Paris,1911. p.1452.

(25)Sirey,op.cit.,p.183.

(26)Ibid.,p.186.

(27 Buisson,F.:"NotesurlaNouvelleLoi OrganiquedeL'EnselgnementPrimaire",Re,i)ue Pe'dagogLque,Nouvelles6rie,tomeVTII,No.4,

1886.

鯛 た とえば,上垣 は,つ ぎの ように述べ ている

「彼が初等教育局長 を務 めていた期 間, とくに最 初の十年間は教育改革関連諸法が可決 され,実施 されてい く時期であ り,その法案作成やその具体 化 に直接携 わ り,重要案件の どの書類 に も関わっ ているので黒幕的存在 と目されていた」 と。上垣 豊 「ラ イシテ と宗教的マイ ノリテ ィ ー フランス

田幸男 ・橋 本伸也 (編) 『ネイシ ョンとナ ショナ リズムの教育社会史』,昭和堂,2004年,147頁 (29) Buisson,F.:"Note.",op.cit.,p.289.

教育博物館 とは,19世紀後半 に各国で開催 さ れた万国博覧会 における学校展覧会に展示 された 展示品や資料 を残 して,それ らを基盤 に設置 され た資料館で,具体的には,ウィー ン万博後には ヨ ーロッパ各地で,ローマの王立博物館, ウィー ン 学校博物館,ブタペ ス ト教育博物館,チュ‑ リッ

ヒのペス タロツチ博物館が設置 された。 フランス で も,1878年パ リ万博 の後, ジュー ル ・フェ リ ー や ビ ュ イ ッソ ン らの 努 力 で , 開 設 され た

Gueissaz‑Peyre,M.:L'Imagee'mtgmatiquede FerdinandBuissoli:LavocatioILre'publicaine d'unsaintpuritain,PaLris,2003,pp,2191220.

(31)以下の基本 的性格 についての叙述 は とくにこと わ らないか ぎ り,Buisson,F∴ "Note.'',op.°it., pp.290‑291.

(32) ビュ イッソンによ り, この ように特徴づけ られ たゴブ レ法の本質は,現代の教育史事典 において も 同 様 に 叙 述 さ れ て い る。 Demnard,D∴

D,iJCtionnaired'Histoiredel'EnselglLement, Paris,1981,pp.349‑350.

(331 以下の逐条的な解説 についての叙述は,Buisson, F.:"Note.",op.lit"pp.292‑309.

瑚 ゴブ レ法の構成 は,以 下の とお り。第1部 「す べ ての公 ・私初等教 育 に適用 され る 『全般 的規 定

」,第2部 「公初等教育 について (学校施設, 教職員,任 命,処遇 ,報酬 ,その他)」, 第3部

「私初等教育 について」,第4部 「初等教育の評議 会について :県評議会,カン トンの代表,学校委 員会」,第5部 「移行規定」,第6部 「アルジェリ アと植民地 に関す る規定」. ibid.,p.292.

(351 Ibid.,p.295. (36)Ibid"p.301.

(37) 梅揮収,前掲論文,32‑33頁

‑ 131‑

参照