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シェルドンの『経営の哲学』についての一考察

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(1)

シェルドンの『経営の哲学』についての一考察

牧  浦  健  二

本旨 ヴェブレンは,わが国では,第一次世界大戦後に紹介されたが,彼を制度派経済学 の創始者とみなし,ビジネスの経済学として検討する意義は大きい。本稿で検討した,シェ ルドンは,彼の著『管理の哲学』で,ヴェブレンが重要な用語として用いた,産業の総師

(captain of industry),製作者気質 (workmanship),職人気質 (foremanship) や事業体

(concern) などを用いる。しかし,ヴェブレンのように,アメリカの産業ではなくて,シェ ルドンは英国の製造業 (industry) での管理 (management) と経営管理 (administration)

の機能を研究する。本稿の作成では,ヴェブレンでは,business management を経営管理 と訳したにも係わらず,シェルドンでは,サイモンの翻訳と同様,administration を経営 管理とした。しかし,本稿の作成により,シェルドンには,製造現場 (shop) を志向する,

テイラーを批判する考えが存在することは確認できた。

キーワード シェルドン,管理の哲学,制度派経済学,経営経済学 原稿受理日 2019年12月1日

Abstract  Veblen, T. was introduced in Japan, after the first world war. He is the founder of institutional economic, but we must approach his writings from Business Economic. In this treatise, we research on O. Scheldon's book "The Philosophy of Management". He used terms "captain of industry", "workmanship", "foremanship" and

"concern", which Veblen made them as key terms. Veblen inquired into American Business Enterprise,while Scheldon investigated the functions of administration in English industry. We have the problem awaiting the solution, when Veblen uses the term "business management", while Scheldon uses the term "administration", such as Simon, H. We can not distinguisch between their signication. We comfirmed that Scheldon has critical opinion toward Taylor, who aimes at Shop Management, by making this treatise.

Key words Scheldon, O.,The Philosophy of Management,institutional economic,

Business Economics

(2)

は じ め に

わが国は第二次世界大戦の敗戦国である。 戦後のベビーブームに生まれた私の経験か ら,自ら受けた教育,特に,経営経済学について検討してみた。この点,ドイツも敗戦国 であり,しかも,第一次世界大戦でも敗戦国であったため,貴重な体験を有意義に活かし た,経営経済学を展開したのかを検討すると,G. フィッシャーが,ニックリッシュの経 営経済学を巧みに活用しながら,ゲマインシャフトを,米語の Partnership (パトナーシャ フト) に読み替え,現場の労務管理を中心に用いられてきた Management を企業全体を 対象にした,企業目標の設定と実施のために活用したことを知った。また,アメリカの制 度派経済学 (institutional economic) では,イギリスのマーシャルと,ドイツの歴史学派 のゾンバルトなどの著作を検討しながら,ウェブレン< Veblen, T. 1857-1929 >が,19 世紀の後半から世界恐慌まで,積極的な業績をあげてきた。しかし,20世紀から世界恐慌 までに公表された,テイラー< Taylor, F. 1956-1915 >,フォレット< Follett, M. 1868- 1933 >,メイヨー< Mayo, E. 1880-1949 >・レスリスパーカー< Roethlisberger, F.

1898-1974 >などの著作は,自らの経験に基づく報告であるが,他の事例への転用がか なり難しいため,歴史的資料とみなすことは困難であることが明らかになった。また,

ヴェブレンは,進化論的経済学についての検討から開始したが,制度派経済学の創始者と 評価された。彼の主張は,経営学も含めた,経済科学を内容とするものであり,特に,

Veblen, T. (1904) : The Theory of Business Enterprise. : 小 原 敬 士 訳 『 企 業 の 理 論 』 1965年 (新装版 2002年) は,経営学が課題とする,ビジネスの事業 (business enterprise)

を対象とするモノである。彼の研究姿勢は,アメリカでは,世界恐慌後に出版された,

Berle, A. and Means G. (1932) : The Modern Corporation and Private Property. : 北島 忠男訳 『近代株式会社と私有財産』 1958年や,第二次世界大戦の終戦直後に公開された,

Gordon, R.A. (1945) : Business Leadership in the Large Corporation. : 平井泰太郎 ・ 森昭夫訳『ビジネス・リーダーシップ:アメリカ大会社の生態』 1954年に継承されている。

ヴェブレンは,ニックリッシュが注目してきた,J.B. クラークの弟子であり,歴史学 派の A. ワグナーの弟子である,ゾンバルトや,マーシャルらにより影響されている。た とえば,彼の『企業の理論』は,アメリカの business management を検討したモノであ るが(1),ヴェブレンの表記は,たとえば,シェルドン< Scheldon, O. 1894-1951 >と比べ  ⑴ ヴェブレン著『企業の理論』では,第7章以降,イギリスと対照とする記述が目立っている。

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れば,非常にむずかしいため(参照。宇沢弘文 2000. 56頁),英語圏でも理解者を見付け ることは困難であったと推察される。

本稿は,Sheldon, O. (1923) : The Philosophy of Management. : 田代義範訳『経営管 理の哲学』 1974年を検討するが,制度論としての経営経済学の特徴を明らかにするという 目的で作成した。なお,論文の作成では,田代義範氏などの翻訳本に大変お世話になった。

は し が き

シェルドン著『管理の哲学』には,はしがきに,この本の論述の基本姿勢と各章の概要 が記載されている。ここで,基本姿勢についてのみ纏めれば,第1に,「現在の産業

(industry) での管理 (management) の……実践は,科学的な観点と倫理的な (ethical)

観点の両面から,審査されている (overhaul)」 (Sheldon, O. 1923. p. ⅸ.; 参照。田代義範 訳 1974. 3 頁) と述べる(2)。第2に, 「管理 (management) は,入念な (elaborating),計 画 制 度, 雇 用 部 門, 福 利 の シ ェ ー マ (welfare scheme), 時 間 研 究, 職 長 教 育 コ ー ス

(foremen's development course),原価計算制度 (costing system),研究機関 (research body) と, 無数の (a thousand and one other) 活動の分野である」 (Sheldon, O. 1923. p.

ⅸ & see.p. ⅹⅰ-ⅹⅱ.; 参照。田代義範訳 1974. 4 頁 6 頁) と主張する。結果として生ずる モノは,管理の特殊な部門の解説ではなくて,むしろ,全体としての管理の実践で与えら れるべき,目標 (purpose),成長の経路 (line) と,原則を決定する試みに係わるべきで ある (see.Sheldon, O. 1923. p. ⅸ.; 参照。田代義範訳 1974. 4 頁)。

第1章 社会と産業の背景

さて,1914年から1918年の<【筆者補足】第一次世界>大戦は (see.Sheldon, O. 1923.

p.4-5.; 参照。田代義範訳 1974. 17頁),イギリスの国民の発展 (progress) を規定する要 因に新しい要素を導入したが,前世紀の開始を特色付け,歩み (step) に付きまとった,

問題<【筆者補足】因みに,1914年では,産業での不満の原因,国民の最低賃金,協力と 利益配分,不適合の問題,失業の問題,生産の能率 (efficiency) などが討議されていたが,

 ⑵  この点,シェルドンは, 「管理 (management) と広く呼ばれる機能による産業 (industry) の 指導 (direction) は,科学と倫理の両者の,原則の主な問題である」 (Sheldon, O. 1923. p.ⅹ.; 参 照。田代義範訳 1974. 4 頁)と述べ,管理の原則を哲学の第2命題としてあげる (see.Sheldon, O.

1923. p.285.; 参照。田代義範訳 1974. 284-285頁)。

(4)

>を決して払いのけなかった (sweep away) (see.Sheldon, O. 1923. p.1-2.; 参照。田代義 範訳 1974. 14-15頁)。今や,地域社会の重要な進化論の法則 (evolutionary law) から逃 れられない (see.Sheldon, O. 1923. p.2.; 参照。田代義範訳 1974. 14頁)。産業の主な特徴 の展開 (evolution) の大雑把な考え (rough idea) を少なくとも有しないと,産業の現代 の状況の意義を掴むことは期待できない。昨日の生の資材 (raw material) が,実際,明 日の完成品になるため, 将来の見通し (perspective) を獲得すべきである (see.Sheldon, O. 1923. p.3.; 参照。田代義範訳 1974. 15頁)。この点,シェルドンは,産業に,直接,間 接に影響力を及ばしている, 近代の地域社会 (community) の一般的な生活の特徴とし て,⒜ 産業の内部活動との大衆の親密さ (intimacy) である,「公共性」,⒝ 仕事(work)

の新たな哲学を創造する精神 (spirit) である,「自己発展」 (self-development),⒞ 異な る種類の結合 (combination) のために異なるグループで創られる精神の発展である,「合 同」 (association) と,⒟ 特殊な分野での研究だけでなくて,より広範囲に普及した,批 判的 ・ 分析的な精神の発展である,「科学」 を選ぶ (see.Sheldon, O. 1923. p.4-5.; 参照。田 代義範訳 1974. 17頁)。そこでは,まず,人口の,以前より,遙かに多くの割合が,産業 の事業体 (industrial concern) での株主であり,出来事に,彼らは自然に関心を有する

(see.Sheldon, O. 1923. p.4-5.; 参照。田代義範訳 1974. 17頁)。しかも,<【筆者補足】

たとえば,教育,新聞,産業関係法 (industrial legistlation) の拡大と増加した急務

(urgency) などによる>大衆の理解力 (intelligence) の発展の長い過程 (course) が,産 業での出来事での大衆の関心の増大 (intensification) に先行してきた。更に,1835年の Municipal Corporation Act 以降の,市営事業 (municipal enterprise) の普及の効果,労 働組合と< 【筆者補足】 1918年から国会議員として活躍し始めた>労働党の相互活動によ る産業と政治の結び付き,労働組合,協働組合 (co-operative society),共済組合 (friendly society) の件数,組織と力での成長と,戦争が,国民の産業活動と一般的な生活の間での 不思議な (singular) 親密さという最終結果になったが,これ<【筆者補足】公共性に対 する社会の要求が近代社会の第1の特徴であるが (see.Sheldon, O. 1923. p.7.; 参照。田代 義範訳 1974. 19頁) >はわれわれ自らの時代< 【筆者補足】 第一次世界大戦後の時代>の みの現象である (see.Sheldon, O. 1923. p.6.; 参照。田代義範訳 1974. 18-19頁)(3)。近代社会

 ⑶  この点,シェルドンは, 「かつて,個人の不思議な繁栄の不可解な仕事とみなされた,ビジネ ス (business) は,今や,その所有者の幸運ではなくて,生産でのサービスの能率 (efficiency)

により判定されるようになってきた」 (Sheldon, O. 1923. p.7.; 参照。田代義範訳 1974. 19頁) と 述べる。<【筆者補足】なお,シェルドンは,管理による能率の発展を哲学の第5命題としてあ げる (see.Sheldon, O. 1923. p.286-287.; 参照。田代義範訳 1974. 286-287頁)>。

(5)

に直接影響力を及ぼしている,第2の一般的な特徴は,日々の仕事を支配している刺激

(incentive) 以外の刺激の内で,自己発展の,望ましい,かつ,本能的な要求が増大する 意識 (augmented sense) である。われわれの忠誠 (allegiance) は,利得<【筆者補足】

賃金>のみの衝動 (impulse) の下での仕事の概念から,関心の衝動の下での仕事のそれ に移転している (see.Sheldon, O. 1923. p.8.; 参照。田代義範訳 1974. 20頁)。労働者は,

自らの関心が導く,他の従事 (occupation) に自ら捧げるレジャー (leisure) を要求する。

自己発展を可能にする,レジャーに対する近代の需要 (demand) は,更に,利得の動機

(motive) の失敗からのみではなくて,また,リクエーション (recreation) の社会的価値 の認識からも,生じている (see.Sheldon, O. 1923. p.9.; 参照。田代義範訳 1974. 21頁)。 産業に非常に影響力を及ぼす,われわれの時代の第3の特徴は,合同 (association) の広 範な精神である—,ただし,人の本来の衝動 (impulse) である,合同 (association) の 精神ではなくて,自らの間で一般的な問題において広い相違を有するが,自らの合同の生 の事実から引き出された,増大する意識 (augmented sense) による,促進され,強化さ れた見方 (view) のために,1つ,あるいは,2つの見方を共通して有する,個人の意識 上 の (conscious), 慎 重 な (deliberate) 結 合 (combination) で あ る (see.Sheldon, O.

1923. p.10.; 参照。田代義範訳 1974. 22頁)。しかし,今日では,合同の精神は,しばしば,

意見,場所 (locality) と利害 (interest) に基づく,多数の小グルーブに社会を分割する 傾向がある (see.Sheldon, O. 1923. p.11.; 参照。田代義範訳 1974. 22頁)。シェルドンは,

労働と資本の産業上での合同で, 「合同の精神は,一方で再分割の傾向,他方で合同の執 行役員 (executive officer) による権威の強奪 (usurping) の傾向がある結果, 創り出 した,組織により,益々,制限される (circumscribe) 傾向が認められる」 (Sheldon, O.

1923. p.11.; 参照。田代義範訳 1974. 23頁) と述べ, 「産業上での管理には,このため,階 級より,むしろ,工場が合同の基礎を創る,機会を提供する」 (Sheldon, O. 1923. p.13.;

参照。田代義範訳 1974. 24頁) と考える。産業に決定的な影響力を有する,近代社会の 発展の第4の一般的な特徴は,通常では「科学的」と呼ばれる,分析的・批判的な (ana- lytical and critical) 精神である (see.Sheldon, O. 1923. p.14.; 参照。田代義範訳 1974. 25 頁)。労働者は,現在の産業構造の倫理上での正当性 (justification) < 【筆者補足】 管理 者と同様に,管理の方法>を問うている (see.Sheldon, O. 1923. p.14.; 参照。田代義範訳 1974. 25頁)。このため,シェルドンは, 「産業での管理の科学 (science of managemen in industry) はわれわれの時代の自然な結果 (natural outcome) である」 (Sheldon, O.

1923. p.15.; 参照。田代義範訳 1974. 25頁) と考える。また,「管理は,産業の1機能として,

(6)

容易に, < 【筆者補足】 労働と資本の>いずれとも区別できる。管理は両者の相互作用

(interplay) で は 安 定 し た 要 素 と し て 存 続 す る (remain)。 管 理 は, 通 常, 指 導 す る

(direct),ビジネスでの財務上の利害を,少し,あるいは,全く有さないため,資本とは 結び付いてない。管理は,その機能が労働の指導 (direction) と制御 (control) であるた め,労働に所属しない (attach)。管理は,冷静に (dispassionately) 自由であり,両方の パートナーに等しく批判的である。しかし,その仕事 (work) では,状況 (situation) の 事実だけではなくて,そのパートナーの,地域上 (local) と同様に,一般的な精神状態

(mentality) の理解力 (comprehension) により,絶えず導かれる (guid) べきである。

特に,労働の経営管理 (labour administration) の場合では,工場は孤立していない。産 業のビジネス (business) の境界を越える,労働の問題……本体としての労働 (labour as a body) の精神上での態度(mental attitude)の問題—が存在する。産業の管理 (in- dustrial management) は,個別の産業と工場で実践的な労務政策を成功裏に実施する前 に,この主題 (subject) に対する意見 (mind) を明らかにする必要がある」 (Sheldon, O.

1923. p.15.; 参照。田代義範訳 1974. 26頁) と述べる。この点,労働の態度を評価する方法 は,労働を特徴付けると予想される個人を選ぶか,労働の理論家と批評家の言葉を引用す るかであるが,適切に「労働」と呼ばれる,グループの心理 (group-mind) が存在する ことを否定することが通常であるが,外れている (see.Sheldon, O. 1923. p.16.; 参照。田 代義範訳 1974. 26頁)。また,理論家と過激論者の 「興奮」 (ferment) <【筆者補足】 扇動 の内部分裂的な (internally disruptive) 要素>と,一般的な組織化された労働の本体

(body of organized labour) の「実質上,あるいは,大衆」 (material or mass) <【筆者 補足】組織化とは離れた精神状態 (mentality) >を区別すべきである。より大きな精神 生活に対するあこがれ (desire) が青年の間で特に目立っているが (see.Sheldon, O. 1923.

p.17.; 参照。田代義範訳 1974. 27頁),シェルドンは, 「労働の大衆が,大部分,革命的で あることを否定することは無駄で (idle) ある」(Sheldon, O. 1923. p.16.; 参照。田代義範 訳 1974. 27頁)が, 「教育が, 益々,求められる所では,過激な革命の精神は消滅する」

(Sheldon, O. 1923. p.17.; 参照。田代義範訳 1974. 28頁)と考える。また,基本的には,

労働の大衆の権利としての主張 (claim) は,物質上での公平,富が得られる手段と係わ りのない富ではなくて,自己実現 (self-realization) の公開された進路 (road) が与えら れる自らのモラル上の権利 (own moral right) に対するモノであるため (see.Sheldon, O. 1923. p.19.; 参照。田代義範訳 1974. 29頁),「労働問題は,物質上より,むしろ,倫理 的である」 (Sheldon, O. 1923. p.20.; 参照。田代義範訳 1974. 30頁)と述べる。更に,労

(7)

働の精神状態 (mentality) は,自らの地位 (status) < 【筆者補足】 相対的な問題>と作 業条件に対する態度に最も明らかに現われる (see.Sheldon, O. 1923. p.20-21.; 参照。田代 義範訳 1974. 31頁)(4)。「労働の権利としての主張 (claim) は,今でも,賃金,時間,作業 環境と,失業に対する経済上の保証,疾病と老齢に関係している。しかし,このような権 利としての主張は倫理上での正当性 (ethical justification) の問題である」 (Sheldon, O.

1923. p.22.; 参照。田代義範訳 1974. 32頁)と述べる。そして,組織化された労働 (organized labour) は,実際には,国有化,婦人の雇用,産業上での制御 (industrial control) と賃 金制度に非常に大きな関心があるが,労働者の大衆は,不当利得 (profiteering) と贅沢

(extravagance) で表わされる,社会の良心 (social conscience) に反する違反 (sin) < 【筆 者補足】 たとえば,ヴェブレンの 「顕示的な (conspicuous) 浪費」 >により非常に影響さ れてきた。産業での管理 (management) は,大部分,ヒト (men) の管理であり,ヒト の精神状態を理解しなければ,非能率的であるに違いない。大衆の精神状態の解釈が管理 の予備的な課題 (task) である (see.Sheldon, O. 1923. p.23.; 参照。田代義範訳 1974. 33 頁)。なお,全体としての資本は,精神状態と呼びうるモノには到達していない (see.

Sheldon, O. 1923. p.24.; 参照。田代義範訳 1974. 33-34頁)。この点,資本の近代的な形式 は,1862年の有限責任の株式会社の導入まで,規定されなかった。これは,雇用者からの 資本家の分離,資本と管理の間での分割を意味した。ビジネスの所有者は何千人という株 主かもしれない。直接の雇用者は,少し,あるいは,全く資本を所有しない,有給の職員

(salaried official) かもしれない。近代的な形式での資本は,今日< 【筆者補足】1923年 では>,僅か60年前に生まれたが,産業でのその場所は,非個人的 (impersonal) である

(see.Sheldon, O. 1923. p.24-25.; 参照。田代義範訳 1974. 34頁)。しかし, < 【筆者補足】

今日では従業員持ち株制度もあるが>,資本家が経験豊かな労働者 (practical worker)

と合体すると,資本は人間化される (humanize) (see.Sheldon, O. 1923. p.25.; 参照。田 代 義 範 訳 1974. 35頁 )。 ま た, 産 業 は 機 械 で は な い。 そ れ は ヒ ト の 合 同 (human association) の複雑な形式である。このため,産業の真の理解は,産業に従事する者の考 えを理解することである。科学の発展と能率 (efficiency) への憧れ (cult) は産業の基本 的な人間性 (humanity) を曖昧にする傾向がある。われわれは大いに応用産業科学< 【筆 者補足】 たとえば,経営心理学,経営社会学など>については考慮したが,しかし,ヒト

 ⑷  この点,シェルドンは, 「社会的に利用できる貢献に従ってヒトの価値 (human value) を評価 することができる,それを社会的な倫理 (social ethics) と呼べるかもしれない」 (Sheldon, O.

1923. p.21.; 参照。田代義範訳 1974. 31頁)と述べる。

(8)

の (human) 理解はほとんど破滅している。産業の物質上の側面はその地位を占めている が,しかし,従属的である。実際,産業の基本的問題が唯一の問題の範囲に縮小されうる ならば,その問題は次のようである。すなわち,生産のモノ (things)—機械,建物,

資材,システム (system) と,生産の人間性 (humanity) —労働者,職長,マネジャー

(manager),株主の間での公平な均衡を最も良く達成し,維持できるのか。これが,産 業の管理が直面している問題の総ての根底にある,問題である。産業が主に人間的

(human) であるという基本的な事実が認識されない限り,産業は能率を提供されえない。

産業は,機械と技術のプロセスの集合 (mass) ではない。それは一団のヒト (body of men) である。それは,物質の複合体 (complex) ではなくて,人間性 (humanity) の複 合体である (see.Sheldon, O. 1923. p.27.; 参照。田代義範訳 1974. 37頁)。<【筆者補足】

なお,シェルドンは, 管理での能率をヒトの能率 (human efficiency) と非個人的な能率

(impersonal efficiency) に区分することを哲学の第4命題としてあげるが (see.Sheldon, O. 1923. p.286.; 参照。田代義範訳 1974. 286頁) >, 現在の産業の 「袋小路」(impasse) は,

物質上の要因に対するヒト (human) の従属による。イギリスの産業が,益々,科学的に 成長してきたにも係わらず,リーダーシップ,申し合わせ,協力 (leadership, under- standing and co-operation) のヒトの技術 (human of art) でスピードを合わせることに 失敗してきたため,努力の成果 (fruit) を与えられていない。モノ (things) を追求し,

ヒト (men) を否定してきた。機械からの能率を獲得しながら,労働者の能率は没収され てきた (forfeit)。……われわれの生活の要求—身体上,精神上とモラル上で—に合 わせて企画された,産業は,生き延びなければならない。管理の狙い (aim) は,産業を より能率的に,人間的 (human) に—共通の客観的目標 (object) のために統合し,共 通の動機により活動する,ヒトの協働の努力をより真摯に—することにあるべきである。

その目的 (end) を達成するために,最初に,動機と理想,第2に,リーダーシップと調整,

第3に, 労働と協力を必要とする。総てのこれら要素は相互依存的である (see.Sheldon, O. 1923. p.28.; 参照。田代義範訳 1974. 38頁)。続く章では,産業の本源的な動機 (ultimate motive) が,地域社会に対するサービスのそれであること,リーダーシップの技術が科学 の成長と,管理の社会的責任 (social responsibility) と共に発達すること,動機,あるい は,理想が正しい時,リーダーシップが強要される時に,協力が生ずることが明らかにな る。能率的な管理のみが労働によるより大きな能率の要求の正当な (justly) 理由である

(see.Sheldon, O. 1923. p.28-29.; 参照。田代義範訳 1974. 38頁)。その際,管理は,産業の 指導 (guidance) を委任されているため,その理想を定義し,追求することで,率先しな

(9)

ければならない。管理は,新しい理想の立ち上げ (setting up) がほぼ自然に出てくる,

本体 (body) である。産業の未来はその掌中にある。しかし,地域社会の何れかの部門の 進歩は全体の進歩により決定される (govern)。産業がはつらつとした大衆の感情,知識 のある大衆の意見と,断固とした (resolute) 大衆の意思により支えられないと,産業に 従事する者の共通の人間性を基礎にした,産業の発展の大きな機構 (scheme) を実施する ことは不可能である (see.Sheldon, O. 1923. p.28-29.; 参照。田代義範訳 1974. 38-39頁)。

第2章 管 理 の 基 礎

産業の構造の何れの取り扱いで,しばしば,再現される,3つの用語—経営管理

(administration),管理 (management) と組織 (organisation)—があるが,ある程 度の正確性で定義することが重要である。この著のためには,次のように定義する。「経 営管理」 は,会社の政策 (corporate policy) の決定,財務,生産と配給 (distribution)

の調整 (coordination),組織の指針 (compass) の設定,管理者 (executive) の本源的な 制御 (ultimate control) に関係した産業での機能である。「管理」 の本体は,経営管理

(administration) により設定される限界内での政策 (policy) の執行 (execution),経営 管理 (administration) で設定された,特殊な客観的目標 (object) のための組織の使用

(employment) に関係した産業での機能である。「組織」 は,個人,あるいは,グループが,

そのように形成された,義務 (duty) が,利用できる努力の,能率的,体系的 (system- atic),積極的 (positive) に調整された適用のための最善の経路 (channel) を提供する,

執行のために必要な能力 (faculty) により果たすべき, 仕事を結合するプロセスである。

<【筆者補足】 要するに>,組織は,能率的な機関 (machine),管理は,能率的な執行,

経 営 管 理 は, 能 率 的 な 指 導 (direction) の 各 編 成 (formation) で あ る。 経 営 管 理

(administration) は組織を規定し,管理はそれを用いる。経営管理 (administration) は 目標を明確にし,管理はその目標に向けてすすむ。組織は,経営管理により決められた帰 結 (end) の達成での管理の機関である (see.Sheldon, O. 1923. p.32.; 参照。田代義範訳 1974. 42頁)。その際,管理は,一般的な意識 (sense) では,経営管理 (administration)

と組織の両者を含み,産業,家計,あるいは,国家であるとしても,ヒトの合同 (human association) の自然な結果である。人員 (person) が,共通の目標のために,一緒にグルー プになる場合には,政策 (policy) を決め, 権限の範囲 (sphere) を設定し,組織し,努力 の適用を制御する,リーダーシップの要求が生ずる (see.Sheldon, O. 1923. p.33.; 参照。

(10)

田 代 義 範 訳 1974. 43頁 )。 こ の た め, 「 結 合 (combination) で の ヒ ト の 能 力 (human faculty) の執行は管理のヒトの能力の執行を本質とする」 (Sheldon, O. 1923. p.33.; 参照。

田代義範訳 1974. 43頁)ため,管理は,産業に,附随するのではなくて,固有のモノであ る (see.Sheldon, O. 1923. p.33.; 参照。田代義範訳 1974. 43頁)。更に,特殊なヒトの能力 の執行であるため,管理は技術 (art) である (see.Sheldon, O. 1923. p.33.; 参照。田代義 範訳 1974. 43頁)。この点,科学的な知識は技術の実施にとり本質的な準備 (preliminary)

であるが,しかし,技術自体ではない。管理の科学は,容認されうる形式にまだ変えられ ていない (reduce)。管理の科学の実施 (practice) では,一部科学的,一部非科学的な基 礎に基づいて働いている (see.Sheldon, O. 1923. p.33-34.; 参照。田代義範訳 1974. 43-44 頁)。「このため,管理の実施 (practice) は,この意味では,科学ではなくて,科学のヒ トの適用 (human application) である」 (Sheldon, O. 1923. p.34.; 参照。田代義範訳 1974.

44頁)。加えて,管理するヒトの能力—ある方法がある結果をもたらすであろうことを 知るだけでなくて,それを特殊な環境に適用できる能力—が要求される (see.Sheldon, O. 1923. p.34.; 参照。田代義範訳 1974. 44頁)。 < 【筆者補足】なお,シェルドンは,管 理を,経営管理 (administration),管理の本体と,組織に区分した管理の構造を哲学の 第3命題としてあげる (see.Sheldon, O. 1923. p.286.; 参照。田代義範訳 1974. 285-286頁)

(5)

工場制度の開始まで,通常の意味での管理は開始されない。工場での労働と機械装置

(machienery) の集中により,産業での管理 (industrial management) が必要になった。

これはなお資本家の機能として残された。このような初期の産業の総師 (captain of industry) は,……非常に厳しい倹約 (thrifty) と,生活の断固とした簡素化により資本 を集めたが,……資本家,マネジャー (manager) と工員 (operative) の機能を兼ねてい た (combine) (see.Sheldon, O. 1923. p.37.; 参照。田代義範訳 1974. 46-47頁)。資本家の マニュファクチャー (capitalistst manufacturer) は,最新の機械装置の改善から生じた 利益の有利さを受け取るには,機械労働の専門家を必要とした。このため,彼は,新しい 機械の据え付けと作業を監督する (supervise) ため,機械工 (mechanician) を雇った。

 ⑸  この点,シェルドンは, 「管理の科学 (science of management) は,ヒト (men) の仕事の各 要素のための決定的な結論 (conclusion) に到達できるかもしれないが,このような結論を実施 するようにヒトを誘導する (induce) のは,マネジャーの技術のみである。原価計算,製造と発 送 (dispatch) の科学は存在するかもしれないが,協力 (co-operation) の科学は全く存在しない」

(Sheldon, O. 1923. p.35.; 参照。田代義範訳 1974. 45頁) とか, 「管理の科学は,管理者層と労働 者の関係を取り巻く環境に影響力を及ぼすのみである。それは直接的なヒトの関係 (human relation) には触れない。このことは精神状態 (mentality),精神 (spirit),理想の問題を残す に違いない」(Sheldon, O. 1923. p.36.; 参照。田代義範訳 1974. 46頁)と考えている。

(11)

蒸気船のサービスによる海外市場,鉄道の能力による国内市場の発展により,生産物の販 売を監督する (supervise) ため,市場と郵送の手段の知識により資格のあるヒトを雇った。

管理のビジネスは大きな事業体 (concern) になった。このような急速な発達はほぼ19世 紀の前半とみなせる (see.Sheldon, O. 1923. p.38.; 参照。田代義範訳 1974. 47-48頁)。し かし, < 【筆者補足】 ヴェブレンが体験したように (参照。宇沢弘文 2000. 25-32頁) >,

1873年から1879年の不況に続いて,1894年に長期の不況が到来し,第1に,外国,特にア メリカとドイツで,産業の事業 (industrial enterprise) と技術が発達し,第2に,現存 の産業体制に対する哲学上での反発 (reaction) のため,第1に,外国の競争者と,英国 の産業が競える,より良い技術,研究と,生産の科学的な方法の教化 (cultivation),第 2に,産業でのヒトの要因 (human element) に対する新しい態度の発展 (development)

という,産業の管理の技術 (art) の2つの新しい部門に対する,要求が生じた (see.

Sheldon, O. 1923. p.38-39.; 参照。田代義範訳 1974. 48頁)。この時期に,株式会社の所有 での有限責任の完全な特権 (privilege) について立法により承認された。また,産業の リーダーシップは,勢力 (force) と決定を無くし,指導力と株式所有を逓減させたため,

産業の管理の実体 (entity) の特色を示した (see.Sheldon, O. 1923. p.39.; 参照。田代義範 訳1974. 48-49頁)。第1に,大規模な生産を可能にし,増加した資本は活動の拡大をもた らし,巨大な組織の掌握(wielding)が技術となり,第2に,古い独立独歩の (self-made)

資本家の代わりに,専門職 (profession) として産業の事業体 (industrial concern) の指 導と編成 (organizing) に従事するヒトが現われ,分散された所有は専門家の管理に附随 していた。第3に,会社の間での合併 (amalgamation),協定 (agreement) と申し合わ せ (understanding) が回避できなくなった。これは,各事業が常設で,一団のヒト (body of men) により指導され,政策 (policy) は同業者 (trade) の全体により調整 (co-ordinate)

されることを要求した (see.Sheldon, O. 1923. p.39-40.; 参照。田代義範訳 1974. 49頁)。 シェルドンは, 「管理 (management) は,20世紀の初めに,以前より,より明確に規定さ れた地位に就いた。それは,次第に,資本との同義から分離し,一方で資本と,他方で労 働と同様に区別されうる,産業の有機体 (organism) での規定された機能として,それ自 らの実体 (entity) を引き受けた」 (Sheldon, O. 1923. p.40.; 参照。田代義範訳 1974. 49頁)

と考える。このためには,各ビジネスの所有者から有給のマネジャー (salaried manager)

と職員 (official) への権限と責任の大規模な移譲 (transference) ができなければならな いが,これには,第1に,管理での専門職としてのモラル上での (morality) の向上,第 2に,団体精神 (esprit de corps) と呼ばれるモノ< 【筆者補足】 ヴェブレンは「製作者気

(12)

質」(workmanship) と名付けたが,会社としての工場精神 (corporate factory sprit) を,

株式会社制度が切り離したが,工場への献身 (devotion to factory) >の産業での重要な 発展,第3に,産業関連法 (industrial legislation) の成長である(6)。第4に,組織化され た労働 (organized laber) の発生によるが,所有権と管理を分離することを促進した (see.

Sheldon, O. 1923. p.41-42.; 参照。田代義範訳 1974. 50-51頁)(7)

「管理 (management) は徐々に1つの専門職 (profession) となった」 (Sheldon, O.

1923. p.43.; 参照。田代義範訳 1974. 52頁)。このため,管理は,機知 (tact) と理想,最 高の科学的な資質 (qualification),組織とリーダーシップのための強い能力 (capacity)

を有する,人材に,自らへのサービス (service) を要求している (see.Sheldon, O. 1923.

p.43.; 参照。田代義範訳 1974. 53頁)。管理は,2つ (資本と労働) の間で調整する地位

(co-ordinating position) にあり,どちらにも忠誠を義務付けられず,地域社会 (com- munity) の 公 共 の 意 思 (public will) の み を 主 人 と み な す こ と を 承 認 し て い る (see.

Sheldon, O. 1923. p.44.; 参照。田代義範訳 1974. 53頁)。しかし, < 【筆者補足】主として 第一次世界大戦であるが>,戦争により途方もない刺激 (impetus) が与えられたが,管 理の古い方法は戦時の圧力の重さに耐えるには充分ではなかった。たとえば,第1に,<

【筆者補足】 兵器の開発をする者は,科学の目的が人類の生活に役に立つことにあること を忘却しているが>,戦争の要請により巨大な活発さにまで刺激された,多くの工科大学 の戦時研究により促進された,産業科学の進歩,第2に, < 【筆者補足】 デマよる物価,

為替レートの操作,破廉恥な投機を行った金融機関と投機家,増税と,無節操な通貨量の 増加,返済できない戦時国債の発行を決議した政治・行政機関は,戦時を過ぎれは (大衆 の熱狂が解消されれば),相応の責任を負担しなければならないことを自覚すべきである が>,戦時と戦後の,変動する物価,膨張した通貨量,感情に支配された (demoralized)

為替レート,法外な (excessive) 原価,破廉恥な (unprincipled) 投機と,耐えられない 課税,第3に,< 【筆者補足】 信頼できない同盟国に呼びかけをして,戦争の規模を拡大

 ⑹  この点,制度法であるため,労働時間は,1819年に始まり,1842年,1844年,1893年,1908年 に累進的に制限された。また,危険な作業,工場の安全点検も同様である (see.Sheldon, O.

1923. p.41-42.; 参照。田代義範訳 1974. 51頁)。

 ⑺  この点,シェルドンは,労働組合運動の 「発展が,管理の責任 (responsibibility of management)

の拡張を本質的にしただけではなくて,管理が果たすべき仕事の主要な方針を与え,マネジャー の技術の大きな部分 (proportion) を決めてきた。工場と社会立法の知識,社会上での条件への 詳細な配慮 (intimacy),労働者 (labour) に関係した,交渉と機械類の有能な使用の能力

(capacity) が,産業の経営管理者 (industrial administrator) の技術での最重要な (supreme- ly), 必要な条件 (term) となってきた。 管理の成長は,産業の総ての分野で起こったが,しかし,

労働の経営管理 (labour administration) の分野では他の分野より大きかった」(Sheldon, O.

1923. p.43.; 参照。田代義範訳 1974. 52頁) と述べている。

(13)

した者は,戦争をできる限り未然に抑制し,利害の不一致を拡大しないという,政治の常 識を無視したが>,戦争のための同盟国を探した指導者の行動,第4に,< 【筆者補足】

たとえば, 中小企業では,資本力の不足により即時に実施できなかったモノもあったが

>,産業上での管理のあらゆる領域での能率に対するアメリカからの電撃的な刺激

(electrifying),第5に,原価計算 (costing) での最高の (utmost) 正確性と,生産プロ セスでのあらゆる詳細についての考慮が緊急のモノとなった。<【筆者補足】 この点,

フィッシャーは,工業製品のほとんどは管理価格下で販売されていると述べたが (Vgl.

Fischer, G. 1964. S.348-349.; 参照。清水敏充訳 1962. 350-351頁),販売価格競争を行う ためには,生産プロセスの改善と共に,原価計算を正確に実施する必要がある>。第6に,

産業と外部の両方での会議 (conference) の重要性の認識。< 【筆者補足】 この点,ニック リッシュによれば,企業間競争の時代になっており,バリューチェーンを形成しているの であれば,当然であるが,企業内でも,職場で情報の共有を図ることが,より大切である

(Vgl.Nicklisch, H. 1929/32. S.103.)>。第7に,戦争の刺激が発生の意欲 (intentiveness)

を刺激し,復興 (reconstruction) の刺激がそれを維持してきた。< 【筆者補足】 この点,

戦争により,海外に依存することが困難になるため,生産が高原価であることを認めつつ,

国内生産を行ってきた分野から撤退し,貿易に頼ることが,国の間での相互依存を認識す ることになり,戦争を防止することを自覚すべきである>。この点,シェルドンがあげた,

7つが総て管理の発展を促進したとは,本稿ではみなさない。本稿では,敗戦国では,賠 償の責任と同様に,戦勝国より,より深く反省し,戦争をもたらす要因を抑制する試みを 実施することが,反省の中に含まれると考える (see.Sheldon, O. 1923. p.44-46.; 参照。田 代義範訳 1974. 53-55頁)。

「新しい管理の本質的な特徴は,1つの専門職になりつつあることである」(Sheldon, O.

1923. p.46.; 参照。田代義範訳 1974. 55頁)。その際,専門職は, (まだ,実験段階であり,

経験の巨大な源泉が未使用で (untapped) 残されているが),科学,あるいは,真理,事実 と原則の成文化された配列の存在を予め前提とする。また,「管理」(management) と 「マ ネジャー」 (manager) という用語を,産業の,指導 (direction),編成 (organization)

と促進 (facilitation) に係わる者の全体としての主要部 (whole body) に対する普遍的な 用語 (catholic term) として用いる (see.Sheldon, O. 1923. p.46-47.; 参照。田代義範訳 1974. 55-56頁)。そして,このような科学と専門職の存在は,明らかに,管理の安定性に 依存している。つまり,管理が何れの事業 (enterprise) の行為 (conduct) でも1つの固 有の必要なモノである (see.Sheldon, O. 1923. p.48.; 参照。田代義範訳 1974. 57頁)。近代

(14)

的な管理は発達すると,ほとんど無意識に,益々,科学的になる。管理は,日々の出来事 で,より分析的になる。近代的な管理はより確かな基礎の上に創造される傾向がある。リ スクはより大きく,失敗の罰 (penalty) はより重くなっている。競争はより接戦になっ ている (closer)。原価が取りあげられ,操業 (operation) が研究され,作業の進捗度が 調査されている。製造のビジネスでの問題は,事実についての当然の配慮 (due consider- ation) なしに決められる (settle) 程,些細なモノではない。知識のない直感は過大にリ スクを負わせる (see.Sheldon, O. 1923. p.49.; 参照。田代義範訳 1974. 57頁)。「管理の科 学 (science of management) は,産業での管理の職務 (task) と,その職務の各分野

(branch) を分析する科学であり,最終的には,管理が,生産の共通の帰結に向けて,他 の科学 (たとえば, 化学や工学) の使用,編成 (organization) と,調整 (co-ordination)

で,作用する (act),知識の基礎を据える (lay down)」 (Sheldon, O. 1923. p.50.; 参照。

田代義範訳 1974. 58頁)。このため,管理の仕事は, (職務の区分から),生産の職務の基 本的な分割 (division) に基づく,相互依存的な機能 (function) のグループとして描ける。

このため,「管理の機能は,以下のように決められるべきである。第1に,各機能は,親 密に (intimately) 組み合わされた活動の簡潔な (compact) グループを形成する。 第2 に,各機能は,他の機能から明確に区別されうる。第3に,各機能は単一の制御 (single control) に適している」(Sheldon, O. 1923. p.52.; 参照。田代義範訳 1974. 60-61頁)。シェ ルドンは,管理の機能 (function) について図表 1 を示した。

そこでは,資本の準備 (provision) と配分に主に関係した,「財務」 (finance) を上位に 置き (see.Sheldon, O. 1923. p.52.; 参照。田代義範訳 1974. 61頁),会社の活動の調整 (co- ordination) と編成 (organization),ビジネスの政策 (business policy) の決定と, 監督 者,最高管理者 (executive,general manager),アメリカでは,社長 (president) の本 源的な制御 (ultimate control) に関連した, 「経営管理」 (administration) をその下に配 置した上で (see.Sheldon, O. 1923. p.52.; 参照。田代義範訳 1974. 61頁),管理の本体

(management proper) の全体の領域に到達すると述べる。そこには,製品を実際に作る

「生産」 (production), (原材料 (raw material) の購入を含む,デザイン (design) と装備

(equipment) に分けられるが),このような製造 (manufacture) に先行した活動である

「準備」 (preparation),(輸送 (transport),受注・製造・配送の計画設定 (planning),

資材・プロセス・方法・時間・品質・価値などの記録と基準の比較に大別されるが),生 産に貢献する活動である「促進」 (facilitation) と(8),(販売計画設定 (sales planning) と  ⑻  シェルドンは, 「促進の第4の機能は労務のそれ—産業でのヒトの要素の適切な取り扱いに

(15)

販売執行 (sales execution) に分けられるが),製品を処分するビジネスとしての 「配給」

(distribution) がある (see.Sheldon, O. 1923. p.55.; 参照。 田代義範訳 1974. 63頁)。<【筆 者補足】 この点,シェルドンは,財務を除いた,管理を構成する機能の区分を哲学の 第7命題としてあげる(see.Sheldon, O. 1923. p.287-288.; 参照。田代義範訳 1974. 287- 288頁) >。

ところで,上記の管理の機能を組織に結合するという見地から見れば,「組織は,機 能の問題より大きい。組織は,むしろ,職務 (work-function) とヒトの能力 (human faculty) の組み合わせである。実際,組織は,ヒト (man) が働くべき,根拠の断片 (piece of ground) だけではなくて,しかもまた,その労働で彼が執行すべきである,能力

(faculty) を決定する。従って,幾人かが1つの機能の作業に従事するが,しかし,各々 は異なる能力—助言,監督,書記(clerical)などの能力—で貢献する」 (Sheldon, O.

1923. p.64.; 参照。田代義範訳 1974. 70頁)。この点,シェルドンは,メモ,記録をとるヒ トは,書記であり,「書記の仕事 (clerical work) は,職務 (work-function) ではなくて,

総ての機能で使用されうる,特殊なヒトの能力の執行 (exercise) であることを認めるべ きである」 (Sheldon, O. 1923. p.64.; 参照。田代義範訳 1974. 70頁)と断っている。また,

各機能の適切な執行に必要な能力の性質を考えると,「各能力は,能力の機能的な部分が 1 人 の 個 人 に 集 中 さ れ て い る, 「 ワ ン・ マ ン 」 の 産 業 の 仮 想 上 で の 条 件 か ら の 移 譲

関係している。…… (しかし,雇用 (engagement) は準備の機能であるが),労務の大部分は,

雇用後の被雇用者の維持に関係しており,このため,促進機能である」 (Sheldon, O. 1923. p.61.;

参照。田代義範訳 1974. 68頁)と述べている。

図表1 管理(management)の機能(see.Sheldon, O. 1923. p.53.;参照。田代義範訳 1974. 60頁)

経営管理(administration)

    と 組 織 経営政策の確定 政策の執行

(execution)の調整

管理者(executive)

の制御 ビジネスの 組織編成 財 務

資本の準備 最終計算 と監査 現金 賃率設 定(rating)

税金 保険

準 備

生 産

促 進

配 給

デザイン 装 備 製 造 輸 送 計画設定

比較(comparison)

販売計画設定 販売執行

(16)

(devolution) とみなされるかもしれない。事業 (concern) の成長は,仕事の移譲だけで はなくて,その履行 (performance) で執行されるべき能力の移譲も含まれる。従って,

装備 (equipment) の据え付けとメンテナンスの技術者への移譲と共に,その仕事の執行 に必要な,監督上,執行上,調査上と,他の能力も,また,移譲される。このため,実施 されるべき仕事は,既に列挙された機能に従って分割され,必須の (requisite) 能力は,

このような機能の実施のために必要な,様々な責任 (responsibility),資格 (qualification)

と技術により分割される。必要な能力により規定された,確定された等級 (definite grade) の労働者が,機能の能率的な執行という共通の帰結 (common end) に対して各自 の分担 (quota) で貢献する段階に到達する」 (Sheldon, O. 1923. p.65.; 参照。田代義範訳 1974. 71頁)。なお,シェルドンは,肩書き (title) に解釈が無いこと,機能の分析が無 いため, 組織の基礎 (groundwork) の半分であるという断りを行ったが,管理の能力

(faculty of management) についての図表2を示した (see.Sheldon, O. 1923. p.65-66.;

参照。田代義範訳 1974. 71-73頁)。そして,5つの主な項目 (heading) が広義の分割

(broad division) を示唆する。組織の最高位での最初の能力は事業体 (concern) の政策 を決定する。この (決定上の (determinative)) 能力が無ければ,ビジネスは翻弄される。

第2の (経営管理上の (administrative)) 能力は,その政策の一般的な適用を制御する機 能と,個別の機能に分流する (spill) 分割を調整し,執行上での (executive) 能力を制御 する。第3の (執行上での) 能力は,部分の (local) 監督と,部門 (department) と部局

(section) での調整を提供する。第4の (サービス上の (service)) 能力は,データを調査 し,調整し,このようなデータに基づいて,機能に対する支援力 (advisory capacity) で 活動する。最後の (操業上の (operative)) 能力は,実際に職務を達成し,実際の操業に 対して技能を適用するモノである。これらの等級による進行 (running) は,諮問上の

(consultative) と呼ばれる能力をもたらす (come)」 (Sheldon, O. 1923. p.67.; 参照。田代 義範訳 1974. 73頁)。なお,最後の諮問上の能力は,会議や会合 (conference and meet- ing) によりもたらされるモノで,近代的な組織の特徴であるが,産業での労働者を管理 のビジネスに誘導する,特殊な能力である (see.Sheldon, O. 1923. p.67.; 参照。田代義範 訳 1974. 73頁)。

ここで,本節で用いた,3つの基本原則を纏めると,第1に,管理の科学的な基礎が存 在することを確信すべき地位 (position) にある。産業での管理というビジネス (business of industrial management) が部局 (section) で分析できることと,事実の累積に基づい て,このような部局が,管理の仕事の標準的な分割として究極では容認されうるように,

(17)

これら部局が担う (cover) モノを決定することが可能であることは,もはや疑えない。ま た,管理が,資本と労働から同様に明確に区別できる,産業での1つの実体 (entity) で あることを確信できる。そして,管理に従事する者の必要なモノ (need) の内,第1位の モノ (foremost) が科学的な思考である (see.Sheldon, O. 1923. p.68.; 参照。田代義範訳 1974. 74頁)。第2に,管理は科学的な手段 (mean) により影響力を及ぼせる (operate)

という結論に到達した。その職務は,もはや,仕事を成し遂げるコトではない。むしろ,

図表2 管理の能力(see.Sheldon, O. 1923. p.66.;参照。田代義範訳 1974. 72頁)

(1)決定的 取締役会 政策の決定

(2)経営管理上で 代表取締役 政策の一般的な適用

 (a)経営管理的 (managing director) 機能の間での調整         執行役の制御

(b)下位の経営管理的 一般取締役, 政策の詳細な適用

      あるいは, 機能グループの制御

 グループ・マネジャー

(3)執行上    (4)サービス上

(a)執行的     マネジャー       部門の監督   機能の部分の調整 部分での政策の決定

(b)下位の執行的 下級マネジャー      主な執行上での指導の        具体的な適応        部局の監督

(c)監督的     職長           作業の直接的な監督と            作業者のリーダーシップ

(5)諮問上

(a)調査的 専門家     調査上の作業

(investigational)         方法,応用,比率(rate)など

(b)調節的 専門家       データの文章,統計,記録と         比較の処理

(c)助言的  専門家  調査されたデータの総合的な         開示

創業上(operative)

(a)技術上の 製図者 製造と機能上の施行(operation)

(b)書記の 化学者(chemist)

(c) 熟練者の 書記

(d)半熟練者の 労働者

(e)未熟練者の  など

(f)見習者の

(18)

活動の多くで,調査と,問題の解決で訓練された能力 (capacity) の適用により,管理は 影響力を及ぼす (operate)。実際,管理は,それ自体が法則であるのではなくて,管理が 従うべき法則であることを見付けた (see.Sheldon, O. 1923. p.68-69.; 参照。田代義範訳 1974. 74-75頁)。最後に,管理が科学に基礎を置く,その実施が専門職であるならば,将 来,高い才能 (ability) と最高の知識のあるヒト (men)—自らの専門で卒業し, これ により,実施が課す責任を委任される資格があるヒト—が代表であることを予測する

(see.Sheldon, O. 1923. p.69.; 参照。田代義範訳 1974. 75頁)。

第3章 管理の社会的責任

これまでは,産業での管理 (management) は,産業の累進的な複雑性と共に発展し,

一定の良く確定された分野を包括し (cover),一定の一般的な方策 (method) により執行 され,特殊な能力を伴う (involve),必要な活動として,取り扱われ,これらの組み合わ せが組織の基礎であった。しかし,組織は管理でないし,ビジネス (business) を組織す る職務 (task) はビジネスを管理するという同様な職務でもない (see.Sheldon, O. 1923.

p.70.; 参照。田代義範訳 1974. 77頁)。経営管理 (administration) はデザイン (design)

を形成し,組織はデザインであり,管理 (management) はデザインを用いる。しかし,

管理は,単に (simply),機械,レイアウト,勘定 (account) と科学上の方法に関連した,

機能 (function) ではない。特に,管理はヒトに関する技術 (human art) である。管理は,

実際,特に,仲間 (fellow) の物質上の必要 (need) を満足させること (satisfaction) と,

自らの物質上の必要条件 (requirement) と,モラル上と精神上の能力を満足させること と 発 展 の た め に, 人 間 (human being) の 活 動 を 指 導 し, 規 制 す る 技 術 で あ る (see.

Sheldon, O. 1923. p.71.; 参照。田代義範訳 1974. 77頁)。強調すれば,産業での管理は,

本来,ヒト (men) の管理である。近代の発展は,管理の職務に対して,多少,技術上で の科学的な性格という多くの補足上の機能を追加したことは否定できないが,ヒトの管理 がより能率的になる時のみ,正当である。応用される工場の科学 (factory science) は,

ヒト無しには,生まれないが,ヒトは,科学が無くても,生産できる。ヒトは基本であり,

科学は補足である (see.Sheldon, O. 1923. p.71.; 参照。田代義範訳 1974. 77-78頁)。管理 の顕著な (pre-eminent) 職務は,生産と促進の総ての様々なチャネルによる,人間

(human being) の活動の指導である。このため,管理の執行 (exercise) ではヒトの能力

(human faculty) が要求される。管理は,機械の操作ではなくて,むしろ,複雑な,神

(19)

経の有機体 (nervous organism) の指導である (see.Sheldon, O. 1923. p.71-72.; 参照。田 代義範訳 1974. 78頁)。管理は,機械の構成企画 (construction) で注意深く執行された,

固定した比率 (rigid ratio) で生産されるべき,単なる,機械の科学的な使用 (employment)

ではなくて,むしろ,唯一の均衡した事業 (enterprise) に,ヒトの要因 (human factor)

と物質上での要因を結び付ける技術 (art) であるという基本的な事実を見過ごすならば,

管理の様々な特徴の科学的な分析は役に立たない (see.Sheldon, O. 1923. p.72.; 参照。田 代義範訳 1974. 79頁)。管理の責任は,技術の適用よりむしろ,ヒトの制御により惹き起 こされる,ヒトの責任 (human responsibility) である。このため,管理は,産業内での ヒトの要素 (human element) に対してだけでなくて,しかもまた,産業がサービスする,

ヒトの要素に対しても責任を有する。< 【筆者補足】 この点,産業は従業員の疾病・雇用 に配慮するだけでなくて,たとえば,アレルギー物質・発癌物質,産業廃棄物などにより 提供するサービスから使用者の健康,生活,環境を害してはならない>。結果として,管 理の社会的側面を考慮すると,2つの広義の分割,すなわち,第1に,産業での絶対必要

(integral) で,指導的 (directive) な圧力 (force) としての,地域社会の一般的な本体

(general body) に対する,管理との関係,第2に,産業に従事するヒトの要素に対する,

管理の関係である (see.Sheldon, O. 1923. p.73.; 参照。田代義範訳 1974. 79頁)。<【筆者 補足】 この点,前者の関係から,地域社会全体に対するサービスの責任,後者の関係から,

従業員に対するサービスの責任を負担する>。ここで,全体としての産業の地域社会に対 するサービスの責任について検討すると,「実際に,産業の製品の価値を評価するのは,

産業ではなくて,地域社会である。このため,産業の目的は,財の純粋な生産ではなくて,

地域社会の一部分,あるいは,全体の視点で,ある種の価値を有する,財の生産である。

……管理は,社会上で必須の (requisite),あるいは,需要が存在する,財の生産の責任 を負担させられている」 (Sheldon, O. 1923. p.73-74.; 参照。田代義範訳 1974. 80頁)。 <

【筆者補足】 この点,たとえば,軍需などの産業が,国家の支援により,大きな力を有し ていたため,不完全な主張になっている>。しかし,役に立つ財の生産が総てではない。

地域社会は,このような財を,支払うことが合理的に許容される,価格で利用できること と,これら財が満足させるようにデザインされた要求を満足させることを合理的とする特 徴があることを要求する。これが,能率的な経営管理 (admistration),管理と組織,熟 練した製作者気質 (skilled workmanship),公平な利益 (fair profit) と,正当な賃金

(legitimate wage) の手段による,能率的な生産に対する地域社会からの需要を構成して いる。このため,産業,より専門的には,産業の管理は,とにかく,経済上での意味では,

(20)

地域社会に従属している。これが,産業の主な動機と基本的な基礎として,「地域社会に 対するサービス」を仮定する (postulate),理論の基礎である。現実に,産業が,まず

(primarily),国のサービス (national service) として認識されなければ,つまり,私的 な利得 (private gain) が公的な善 (public good) に従属してないと,立派な家庭 (the House Beautiful) を創造するという望みはない (see.Sheldon, O. 1923. p.74.; 参照。田代 義範訳 1974. 80頁)。< 【筆者補足】 この点,シェルドンは,産業の倫理的基準を哲学の第 2命題としてあげるが (see.Sheldon, O. 1923. p.285-286.; 参照。田代義範訳 1974. 284- 285頁),たとえば,死の商人が裕福になっても,故郷は荒廃する>。産業の動機が,サー ビスの動機である限り,全く経済的 (economic) ではありえない。それは,性格上では経 済的であるかもしれないが,動機では,倫理的 (ethical) である。この動機が,産業によ り行われる (render) サービスの近代的な解釈を他と区分している。産業が地域社会に対 して経済上でのサービスを行うことは決して疑えない。 新しい哲学 (new philosophy)

は,地域社会の善 (good) が,このようなサービスにより促進され,このようなサービス に附随している,金銭上の利益より,むしろ,決定する要因であると主張する (see.

Sheldon, O. 1923. p.75.; 参照。田代義範訳 1974. 81頁)。管理は,サービスの精神,つまり,

地域社会のサービスに産業を向ける,社会的な圧力としての産業での管理の概念を見付け ている。 これが, 管理と労働の両者が分担すべき,動機である (see.Sheldon, O. 1923.

p.75.; 参照。田代義範訳 1974. 81頁)。マネジャー (manager) の専門職は公的なモノにな りつつある。彼は地域社会に対する自らの義務 (obligation) に気付き (sense) 始めてい る。事実,少なくとも,利益,あるいは,個人的な出世 (advance) についての配慮と同 様に,政策 (policy) で決定する要因として倫理上の配慮が産業の方針に入れられること を目撃しつつある。このような配慮は,地域社会が科す (impose) 条件に関する産業での 責任 (responsibility) を引き受ける。地域社会の良心 (conscience) に対する一般的な容 認可能な動機により,管理が動かされるのに比例して,社会的な支援は与えられる

(afford) であろう (see.Sheldon, O. 1923. p.76-77.; 参照。田代義範訳 1974. 82頁)。サー ビスの動機が,管理により指導される産業が目指すべき,理想を決定すべきであれば,産 業の前面には,ラウントリー< Rowntree, S. 1871-1954. イギリスの社会調査家,社会改 革家,実業家>により要約された,3つの具体的な目標が立てられる。⑴ 産業は,地域 社会にとり有益な,種類,分量 (measure) の財を創造するか,あるいは,サービスを提 供すべきである。⑵ 富 (wealth) の生産のプロセスで,地域社会の一般的な富に関して最 大可能な考慮 (regard) を払い,地域社会に対して有害な政策を全く追求できない。⑶ 地

(21)

域社会の最高の帰結を最良にサービスする,方法 (manner) で創られた,富を,産業は 配分すべきである。実際 (in fact),サービスの精神は,—個人ではなくて,地域社会 の構成部分の総ての福利 (well-being) —福利のより高度な必要に,富 (wealth),創造

(creation) と配分 (distribution) を従わせる (see.Sheldon, O. 1923. p.77.; 参照。田代義 範訳 1974. 82-83頁)。これに関連して,低い物質上の基準 (standard),少ない生産,あ るいは,富の不適切な配分 (mal-distribution) は低いモラル上の基準を伴う (involve)

ことを常に忘れるべきではない (remember) (see.Sheldon, O. 1923. p.77.; 参照。田代義 範訳 1974. 83頁)。「財は,何れの,その経済上の価値に対する比率では評価できない

(assessable),倫理上の価値を有するかもしれないことが考えられる」 (Sheldon, O. 1923.

p.78.; 参照。田代義範訳 1974. 83頁)。この点,産業の方法が,二重の評価,すなわち,

経済上と同様に,倫理上の評価に服従すべきであれば,明らかに,管理は,その観点で再 調整する (readjust) ことが要求される (call upon) (see.Sheldon, O. 1923. p.78.; 参照。

田代義範訳 1974. 84頁)。< 【筆者補足】 たとえば,エネルギーとしての化石燃料や原子力 の利用などが,経済上でのコスト (財の生産の側面) だけでなくて,環境破壊のなどの社 会・生活の側面 (地域社会に対するサービスの精神) での負担 (陶冶 (mould)) から再調 整されるべきである>。現状では産業の活動はほとんど実施してないが,地域社会に対す る産業の物質上でのサ-ビスが,実際に,能率的であっても,より高度な能力を発達させ る最大の機会を,産業に従事している者に認めなければ (近代社会の必須の条件 (sine qua^non) とみなしている,産業主義 (industrialism) の現在の形式を変えなければ),サー ビスは完全ではない (see.Sheldon, O. 1923. p.79.; 参照。田代義範訳 1974. 84-85頁)。<

【筆者補足】 たとえば,生産方法の改善により,作業時間が短縮されるならば,作業から 解放される時間を生産量の増大に用いるのではなくて,より高度な知識や技術の習得に利 用できるようにするとか,作業場の外で,地域社会にとりより有益に (more profitably), 自らの能力を利用できる,他の関心のあるコトに自ら献身することを,労働者に認める

(see.Sheldon, O. 1923. p.79.; 参照。田代義範訳 1974. 85頁)>。そこでは,第1に,現在 の形式で,産業は,経済上と同様に,倫理上での基準で,政策と方法を評価すべきである。

第2に,産業は,各個人が最善を尽くし,彼が実施する実際の操業内ではなくて,少なく とも,彼の同僚と管理者層との関係で,自らの人格 (personality) を表わす,構造を目指 すべきである。第3に,産業は,そこに従事する総ての者が,地域社会上で最高であるモ ノに最高の能力で献身する機会を有するように,ビジネスを行う (conduct) べきである。

これらが,サービスの動機の3つの意味 (implication) になる (see.Sheldon, O. 1923.

参照

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