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旅 の 思 ひ 出

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Academic year: 2022

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(1)雜. 2283. 報. と も解 釋 して あ る の を知 つ た こ とも あ ります.從. 旅 の思 ひ 出. 而私 の感 覺 が 果 して正 鵠 を得 て ゐ るか 否 か に 就 て 渡. 邊. 傳. 二. も不 安 を持 ち,徒 に讀 者 諸賢 の 物 笑 ひ の種 とな る の で は あ る まい か と危 惧 の 念 を抱 き發表 を尠 か ら. 目. 次. ず 躊 躇 した ので あ ります.併. し私 と し ま して は眞. は しが き. に純 情 な氣 持 を以 て 外 國 の 事 物 を觀 察 した 積 りで. 車 中偶 感. あ り,故 國 を遠 く離れ て故 國 を視 る とい ふ こ とは. 獨 逸 の食料 及 び物 資. 又 と得 が たい經 驗 で もあ り,そ れ に 又前 古 未 曾 有. 獨 逸 の 民族 主義. の聖 戰 の 最 初 の1箇 年 を遠 く國 外 よ り觀 察 す る こ. 獨 逸 の猶 太 人問 題. との 出來 ま した の も何 よ りの機 會 で あ りま した.. 獨 逸 人の 見 た 日本. 斯 様 に私 個 人 と して は洵 に貴 重 な る經 驗 で あ りま. 日本 を 認識 せ しむ るの要. した ので 之 を本 誌 上 を藉 りて活 字 と して生 か して. ハ イ デ ルベ ル クの思 ひ出. お く と言 ふ こ と も徒 爾 な らず と考 へ,又 其 の 内 に. ベ ル ンの思 ひ出. 何 か讀 者 諸 士 の興 昧 をお惹 きす る こ とが あれ ば幸. 留 學制 度 の 復 活. 甚 で あ る と考 へ ま した の で不 恪 の筆 を弄 して この. 伯 林春 秋. 一 文 を草 した次 第 で あ ります.. 滯外 中 に經 驗 した 日支 事 變 車 中偶 感 35日 間 に及 ぶ郵 船 白 山丸 の航 海 も大 して倦 怠 を は しが き 昨 春1箇 年除 に 及 ぶ外 遊 よ り歸 りま して以來 醫. 感 ず る迄 に到 らず して終 つ た.前 途 に 多 大 の 期待 を持 つ と同 時 に,他 面 多 少 の 不 安 の念 を も抱 い て. 學 方 面 に 關 す る見 聞 記 は既 に數 囘 に亙 り本 誌 上 を. 伊 太 利 の ナ ボ リに 上 陸 した の は 昭 和12年(1937). 藉 りて 發表 した ので あ りま すが,此 度 は醫 學方 面. 3月11日. 以 外 の こ と に就 き在 外 中,時 に觸 れ 折 に觸 れ て. 伊 太 利 見 物 を終 へ て,舊 墺 太 利 國 を通 過 し,伯 林. 「メモ」に書 き留 め てゐ た こ とを補 綴 し敍 述 して見. に着 い た の は3月16日. 度 い と思 ひ ます.. 一行6名 で 「コ ンバ ー ト」を占 め てゐ た が 爲車 中は. 實 は之 を發 表 す るに就 き ま して は私 は 少 か らず. で あ つ た.焦 躁 な 氣持 ち の 中 に 一通 りの. の 夕刻 で あ つ た.日 本 人. 大變 賑 かで は あ つ た が 羅 馬 か ら伯林 迄25時. 間を. 躊 躇 した ので あ ります.何 故 か と申 しますれ げ 現. 直 通 列車 で 突 走 つ た の で 之 に は尠 か らず 疲 勞 し. 今吾 國 の諸 種 の 状勢 か ら考 へ ま して も洋 行談 の持. た.伯 林 の ア ンハ ル タ ー驛 で 小 田助 教 授 に迎 へ ら. て囃 され る時 節 で は な いの で あ ります,尚 ほ 又斯. れ,直. 様 な視 察 談 な る もの には各 自の滯 外 中の期 間 の長. に 伴 はれ,そ. 短 に よ り,專 門 に よ り,立 場 に よ り,又 滯 外 中 の. の 異 國 に來 て早 々下 宿 を探 す 程 焦 躁 な こ とは無 い. 心 の持 ち方 等 に よ りま して も各 人 相 當 の差 異 が あ. の で あ るが,私 は幸 に して既 に充 分 外 國 慣 れ して. る もので あ ります し,私 も出發 前 可 な り多 くの 洋. ゐ られ る小 田 君に 下宿 を探 して貰 つ て ゐ た の で何. 行 記 な る もの を讀 破 して豫 備 知識 の 吸收 に努 め た. 等 の 不 安 もな く最 初 か ら落 着 い た 氣持 ちで 獨 逸 の. ので あ ります が或 る同 一事 物 に對 しま して も夫 々. 生 活 に 浸 る こ とが 出 來 た.私 は 此點 同 君 に 大 變 感. 違 つ た感覺 を持 つ て描 寫 され,又 甚 しきは 白 を黒. 謝 して ゐ る所 で あ る.. 275. ち に豫 め 同 君が 約 定 して ゐ て下 さつ た下 宿 こに落 着 い た ので あ る.土 地 不 案 内.

(2) 雜. 2284. 報. て ゐ るが何 だか 話 を しか け て見 度 い様 な人 懐 つ こ い 感 じ を起 させ る と こ ろ が あ る.. 入 獨 の時 は旅 券 の檢 査,携 帶 品 の 税 關 檢 査 を受 け,又 所持 金 の申 告等 を しな けれ ば な らぬ.現 今 で は 日本 か ら海 外 へ の 旅 行 者 は 僅 々500圓 迄 しが 携 帶 出來 な い の で,到 底 之 だ け の費 用 で は歐 洲 へ の 旅 行 は不 可能 で あ るが 當 時 は 自 由 に持 ち出 せ た も の で あ る か ら皆 相 當 多 額 の 費 用 を所 持 して ゐ た.こ. の 費 用 は 現 金,信. 用 状,「 チ エ ツ ク 」等 に 分. け て ゐ るの で あ るが之 等 を 正直 に國 境 で 申告 しな けれ ば な らぬ.出 獨 の時 は獨 逸 の 國 貨 を10「 マル 柏 林 の象 徽 「ブ ラ ンデ ンブ ル グ 」門(1788‑91に. 建 設 さ る). ク」 以 上 は 決 して持 ち 出せ な い.之 は國 貨 の海 外 私 は外 遊 の 期 間 中其 の大 部 分 を獨 逸 に過 した の. 流 出 を禁 ず るた め で あ ら う.之 等 の 諸 檢 査 は可 な. で あ る が,其 の 間時 々國 外 に も出 て歐 洲 の主 だ つ. り嚴 重で は あ るが吾 々 は聊 も之 が た め に不 愉 快 な. た諸 國 は一 通 り見 物 して廻 つ た.面. 感 じを抱 く様 な こ とは な かつ た.. 白い こ とには. 之 等 諸 國 の國 民 性,國 民 の信 念,又 は 國情 と言 ふ. 私 は 獨 逸 の國 内旅 行 に は何 時 も3等 車 を利 用 し. 様 なも の が夫 々汽車 の 中迄 も反 映 して ゐ る こ とで. た の で あ るが,獨 逸 の3等 車 は 日本 の それ と違 ひ. あ る.各 國 間 を連絡 す る國 際 列 車 は何 れ も直 通 で. 腰 掛 に「ク ツ シ ヨ ン」が無 く,板 張 りで あ るか ら2,. 國 境 で乘 り換 へ る必 要 は無 く,唯 國 境 の驛 で乘 務. 3時 間 も乘 る と腰 の邊 りが痛 くな り,洋 服 の 臀 部. 員 が全 部 交替 す るだ けで あ る.獨 逸 の乘 務 員 は體. は ピ カ ビ カ光 つ て くる と言 ふ 工 合 で 餘 り樂 な こ と. 格 堂 々 として 制 服 も大 變 立 派 で あ り,整 然 と した. も無 い が,3等. 服 裝 を して ゐ る.其 の上 比較 的 年長 の乘 務 員 が 多. それ と比 べ て 全 く雲 泥 の 差で,又 車 内 で秩 序 や 禮. い ので,一 見 した所 老 將 軍 の 様 に も見 え,態 度 も. 儀 の 守 られ て ゐ る こ と も立派 な もの で あ る.吾 國. な かな か立派 で信 頼 の 念 を起 さ しむ るに充 分 で あ. の 様 に狸 寢 入 りをする旅 客 も無 く,床 上に 唾. る.獨 逸 以外 の國,例 之 伊太 利 で も獨 墺 合 併 前 の. く不 作 法 な 人 も 一度 も見 か け た こ とが 無 い.「コ ン. 墺 太 利 國 で も車 掌 に向 つ て「煙 草 を吸 は な い か」と. バ ー ト」 は 喫 煙 者 用 と非 喫 煙 者 用 とに 區 別 して あ. か 「ワ イ ン」を一 杯 ど うか」等 とすす めれ ば 喜 んで. 車 で も車 内の 清 潔 な こ とは 日本 の. を吐. るが た め煙 草 を喫 はな い 者 が 紫 煙 の た め に不 快 な. 其 の 意 に應 じ,更 に其 の 男 が 同 僚 を誘 つ て來 る と. 目に遭ふ こ とも無い理 で あ る.こんなこと. 言 ふ 様 な こ と もあ り得 るの で あ るが,獨 逸 の車 掌. に 來 て迄 感 心 しな く とも良 い 様 な もの で あ るが,. に は そ ん な こ とは此 方 か ら言 ひ 出 し難 く もあ り,. 吾 國 と比 べ て全 く羨 望 に堪 へ な い所 で あ る.. 又 譬 へ す す め て も決 して應 じな い.更 に強 ひれ ば Cesetzlich. verboten法. 律 上 禁 止 され て ゐ るか ら. は外 國. 食事時になれば相當の人でも車内で手辨 當を開 い て食 つ て ゐ る.多. く は 「サ ン ド ウ イ ッ チ 」で あ る.. と言 つ て拒 絶 す る ので あ る.こ の様 に 一面 な かな. 列車には食堂車もあり,驛で は簡單な辨當 を. か 堅 い所 もあ る が,又 他 面 獨 逸 人 一般 が さ うで あ. て はゐるが,之 等 を求 むる人は非常 に少い.吾 國. る 様 に極 め て正 直 で,親 切 で,物. で は3等客 で も食 堂 車 に行 くの が普通 で あり,驛. ご と を尋 ね て も. 賣つ. 親 身 に な つ て相 談 に乘 つ て呉 れ,不 慣 れ の旅 人 を. 辨 で 我 慢す る 人 は甚 だ 少く,手辨. 當 の人 は 皆 無 と. 何 彼 と良 く世 話 して呉 れ るの で あ る.堂 々 とは し. 言 つ て も過言 で は あ る まい.斯様. な所に も獨逸 人 276.

(3) 雜. 2285. 報. 吾 國 も今 日で は歐 米 諸 強國 に堂 々 と伍す る こ と. の 質實 さ を偲 ぶ こ とが出 來 る. 驛 の 「ボ ー タ ー 」も「タ ク シー 」も 「ホ テ ル 」も 外 人. が 出來 るの み な らず,日 支 事 變 を契 機 と して或 意. だ か らと言 つ て高 値 を吹 きか け る様 な こ とは,獨. 味 に於 て 之等 を指 導 す べ き立 場 に さへ 立 ち得 るの. 逸 では 先 づ先 づ無 い と言 つ て も差 支 へ あ るま い.. で あ るが 國 民 的 の訓 練,社 會 的 陶 冶,特. 獨 逸 の 都會 が清 潔 で整 然 として ゐ る こ と も世 界. に公 徳 心. の缺 け てゐ る點,行 儀,作 法 の甚 し く不 良 な事 等 未だ變 風 の 域を脱 しな い もの が 多 々 あ り,中 に は. 中之 の右 に 出 る も のは無 い.. 之 を以 て 質實 剛 健 の氣 象 と考 へ てゐ る人 々が あ り は しな い か と思 はれ る.眞 に痛 嘆 に堪 へ な い所 で , あ る.. 獨逸の食料及び物資 獨逸 人 の 日常 食 事 は質 素 で實 質 的 で あ る.之 は 第 一次 世 界 大 戰 後 斯 様 に な つ たの で あ らう か と も 考 へ て ゐ た の で あ るが 大 戰 前 滯 獨 され た 方 々 にお 話 を聽 い て見 て も略 ぼ 同様 で あ る所 か ら見 る と ど うも獨 逸 人の國 民性 に因 る様 であ る.併 大 戰 後 の快 復 の た め食料 品 は無 論,あ. 伯 林の路 り「ウンテルデンリンデ ン」〓. し第 一 次. らゆ る方 面. に渡 り物 資 の輸 入 を制 限 した が爲 一 層食料 も質素 に なつ たの は無 論 の こ とで あ る.第 一 次 大 戰 當 時 伯林に例を とれば市 内 の建 築物は全 部5階建. で. の食 料 饑 饉 は 到 底 お話 に な らぬ 程 で,當 時 を偲 ぶ. 唯 教 會 の尖 塔 のみ が群 を抜 い て聳 えて ゐ るに過 ぎ. 大切 な 資 料 は 伯林 のZeughaus遊. 就 館 に保 存 され. ない.町 名,番 地 の鮮 明 な く と も吾 々旅行 者 には. てゐ るが之 を見 て も文 化 を誇 る獨 逸 人 が よ く も こ. 大變 有 難いこ とで,岡山 で 人を訪 ねるより も伯林. んな 物 を喰 つ た もの だ と驚 くと共 に 憐れ み の情 を. で 人 を探 す方 が 遙 に容 易 で あ る.之 か ら見 で も都. 禁 じ得 な い も ので あ る.當 時 獨 逸 は 「バン 」の原 料. 市計 畫 等 は 隨分 古 くか ら實 施 され て ゐ た もの の様. で あ る小 麥 を歐 米 の各 地 か ら輸入 しな けれ ば 國 内. で あ る.街 路 の 隅 々迄 立派 に舗 裝 され て ゐ る こ と. の 需要 を充 す こ とが 出來 な かつ た ので あ る が,周. は無 論 で あ るが,路 上 には一 片 の紙片 だ に見 出 す. 圍 の國 境 を完 全 に封 鎖さ れ た が爲こ の輸入 は全 く. こ とは 出來 な い.之 は 清掃 が 行 き屑 い て ゐ るば か. 杜 絶 して 了 つ た.そ. りで な く,人 が路 上 に 物 を捨 て ない か らで あ る.. 終 に は「バ ン」の 不 足を補 ふ爲に「バン」の中に 葉. 電車,「 バ ス」に乘 つ て も下車 す る時 に車 掌 に切符. 木 材 の粉 末 迄 も混 入 するこ と さへ 考 へ 出 され た.. を渡 さな くて,乘 客 は 各 自停 留 所 に設 け て あ る紙. 更 に肉 の缺 乏 は甚 し く,國 民 は1週1片. 屑 籠 に之 を投 入 し,又 は「ボ ケ ツ ト」に 入れ て持 ち. ふ こ と きへ も 出來 な くな つ た.吾 々で 見 れ ば 肉 を. 歸 り,處分す. 勵 行 され. 喰 は な く と も そ れ 程 迄 に苦 しむ こ と も無 か ら う. て ゐ る が ため,停 留所に は一 片 の紙 片 だ に落 ち て. と想 はれ るが,彼 等 に は死 に近 い苦 痛 で あつ た に. ゐ な い.斯様 な制度 が吾國 で行 はれちならば 果 し. 違 ひ な い.そ. て路上はどんなになるだらうか等と 考 へさせ られ. 人 造 肉 を造 る こ と を考 案 した の で あ る.之 が 聯 合. た と とで あつ た.. 軍 側に 依 つ て 「獨 逸 は赤 ん 坊 を殺 して 腸 詰 や 肉 を. 277. るのであるが,之が嚴重に. こで「バ ン」の供 給 を制 限 し, や. の 肉 を喰. こで獨 逸で は酵 母 と空中 窒 素 とか ら.

(4) 雜. 2286. 報. 造つ てゐ る 」と.其の非 人道 振 りの宣 傳 の 具 に使 は. 興 し,國 内 の需要は全部 國 産 品 で補 へと言 ふ 立前. れ た ので あ る.珈 琲 も無 くな り麥 や 草 の芽 を燻 燒. を採つ て ゐ るが爲,食 料 の粗惡 に な るの も已 む を. した もの が代 用 され た.斯 様 に當 時 の食 料 品 の缺. 得 な い事 で あ り,又日 本 と同様 代 用 品時 代 を出現. 乏 は とて もお 話 に なる な かつ た も のの様 で あ る.. して ゐ るの も當 然 の事 で あ る.現 今 獨逸 で は あ ら. 更 にベ ル サ イュ條 約 が締 結 され て 軍備 の大 部 分,. ゆ る方 面,部 門 に於 て一つ と して統 制 され て ゐ な. 植 民地 と商船 との全 部 を失 ひ,戰 時 中 に獨 逸 は900. い もの は無いので あ るが,2, 3食 料 品 の統 制 振 り. 億 「マル ク」の戰 費 を費 した ので あ るが,更 に賠 償,. を述 べ て見 よ う 獨 逸 で は小 麥 を原料 とす る白「バ. 金 として330億. ン」 と 「ライ」麥 を主 原 料 とす る黒 「バ ン」との2種. 弗 と言 ふ 天 文 學 的數 字 の巨 額 を聯. 合 國 側 よ り要 求 され,本 國 の生 産 地 域 の2割,人. 類の 「バ ン」が 市場 で賣. 口 の1割,石. 料 で あ る小 麥 は大 部分ウク ライナ,波蘭,匈. 炭 産額 の1/3,「 バ ン」粉及 び馬 鈴 薯. られ て ゐ る.白. 「バ ン」の原. 牙利. の全 額 産 の1/4,鐵 〓 の4/5を 失 つ て ゐ る.斯 くて. 等 が ら輸 入 され るの で あ るが,こ の輸 入額 を減 少. ベル サ イュ 條 約 は獨 逸 の手 を〓 ぎ,足 を切 斷 じて. せ しむ るため に 白「バ ン」の 原料 の 中 に は玉 蜀黍 と. しまつ たの で あ る.其 の 上 大 戰 中200萬. の精 鋭 な. 馬鈴 薯 と を混入 してゐ る.從 而 白「バ ン」とは 名 の. る中 堅 男 子 を失 ひ,共 産 賞 は 蜂 起 し,引 き續 い て襲. み で 日本 で見 る様 な純 白で はなく灰白 色「バ ン」で. 來 した 未曾 有 の「イ ン フ ラチ ョン」及 び平 價 切 り下. 味 も極 め て不 味 い.之 等 の 混 入 も似 前 は各 自 「バ. げ の爲 獨 逸 の 紙幣 は紙 屑 同様 とな つ た ので あ る.. ン」製造 所 で なされ てゐたも の で あ るが,今. 日で. は製 粉 工場 で 政 府 の 指 定 に 從 つ て 一 定 の率 で行 は れ て ゐ る.面 白いことに は出 來 上 つ た「バシ」を24 時間經過し なければ決 して市賣させない 其 の理 由 をた づ ね て見 る と,24時. のであ る. 間經 過 す る と. 「バ ン」の 中 の酵 母 が 充 分 に發 育 して消 化し 易 くな る とか,新しい. 「バ ン」は切る時廢り が 多く出 る が. 爲 等 とも言はれ て ゐる が,一説には. 新し い. もの は. 軟 くて 一 食 に大 量を要す るが 爲 で あ る等 と眞 しや か に言 は れ て ゐ る.又 「バ ン」の小 片と雖 も決 して 捨 て る勿 れ と言 ふ こ と を 「バ ンは神 聖なり 」 とか 獨逸 ハイデルベル ク市の市出身大戰戰歿者 の墓 各〓氏名,年齡,階 級を記す.參 拜者後を たたす. 「無 駄 を省 け」等の「ボ ス ター」を街 角 の廣 告 塔 に貼 り着 け,又 は 活 動 寫 眞 を以て 旺 ん に宣傳 して ゐ る.. 今 で も當 時 を知 つ て ゐ る連 中 は之 等 の こと を話. 又「バ ン」の代 用 と して國 内の生産 だ け で 充分 需 要. し て肩 を竦 め慄 然 と して ゐ る.獨 逸 國 民 が 之 の 苦. を充 し得 る馬鈴 薯 を澤 山 食料 とす る こ と を獎 勵 し. 難 の 中 に立 つ て大 した 暴 動 も起す ことな く,陰 忍. て ゐ る.斯 様 に して 小 麥 の輸 入量 を減少 せし む る. 自重 して國 家 的 難 局 を切 り抜 け た,其 の 國 家 感 念. こ とに努 め て ゐ るの で あ る.野菜と類 で も市場 を歩. の熾 烈 な る又 勤 勞精神の 旺 盛 な る全 く感服 の他 は. い て見 る と,日 本 な らば捨 て る様 な下葉 や鄙 び た. 無 い.吾 々 も今 日の 時 局 に際 して採 つ て以 て範 と. もの迄 も店 先 に 陳列 して ゐ る.洋 食 と「バ ター」と. な す べ き點 が 多 々あ る と信 ず る ので あ る.. は 切り 離 す こ との 出來 ぬ生 活 必需 品で あ るが,之. 第 一 次 世 界 大 戰 の 時 の極 度 の食 料 難や 物 資 の 饑. も切 符制 度 で販賣 し,決 して贅 澤 に求 め る こ とは. 饉 の苦 しい經 驗 か ら「ナチ ス」政 府 は國 内 産 業 を振. 出 來 な い ので あ る.鷄 卵 を市 場 に出 すこと も統 制 278.

(5) 雜. され,非 て ゐ る.砂. 常 に 高 價 で,鷄. 2287. 報. 卵 は 贅 澤 な 食 料 品 とな つ. 糖 は 日 本 で は 砂 糖 黍 か ら採 る の で あ る. が 獨 逸 で は 主 と し て 砂 糖 大 根 か ら採 つ て ゐ る.こ. 獨 逸 婦 人 ら し い や り方 だ と感 心 した こ とで あ つ た 又 ヒ ト ラ ー 青 少 年 隊,勞. 働奉 仕 隊等 の 食事 す る様. を 見 た 時 の こ と で あ る が,彼. 等 は皿 に附 着 して ゐ. の 砂 糖 大 根 も從 來 國 外 か ら大 部 分 仰 い で ゐ た が,. る 汁 迄 も餘 す と こ る な く平 げ て し ま つ た.軍. 最 近 砂 糖 を材 木 か ら採 り,更. は1日1兵. に 之 を 「ア ル コ ー ル 」. に 變 化 さ す こ と に も 成 功 し,今 糖,「. 日で は 材 木 か ら砂. ア ル コ ー ル」等 を採 取 す る こ と を工 業 化 して. ゐ る との こ とで あ る.獨. 逸 人 の 生 活 と 切 り離 す こ. と の 出 來 ぬ 「ビ ー ル 」に 含 ま れ て ゐ る「ホ ツ プ」は 舊. 士 に對 して何 千. 隊 で. 「カ ロ リ ー」 の 食 料 と. 規 定 し て 供 給 す る こ と は 各 國 と も 同 様 で あ る が, 多 く は 其 の 總 「カ ロ リ ー 」の 何 割 か は 喰 ひ 殘 され る も の と し て 必 要 量 以 上 に支 給 され る と の こ と で あ る.併. し獨 逸 軍 隊 で は こ の 總 「カ ロ リ ー 」全 部 が 攝. チ エ ッ コ ス ロ バ キ ャ 國 か ら多 く輸 入 し て ゐ た の で. 取 さ れ る も の と 假 定 し て必 要 以 上 の 食 料 を供 給 し. あ るが 近 時 化 學 的 の 合 成 に 成 功 した と か 聞 い た.. な い と の こ と で あ る. 食 料 品 で は 無 い が 生 活 必 需 品 で あ る 護 謨 も其 の 原 料 を從 來 は 全 部 國 外 か ら輸 入 して ゐ た も の で あ る が,之. を制 限 して 合 成 護 謨 … … 之 を 「ブ ナ」 と言. ふ …… の 生 産 を 獎 勵 し,自. 動 車 の 「タ イ ヤ」等 に も. 大 部 分 之 を用 ひ て ゐ る との こ とで あ る.又. 手術用. の 護 謨 手 袋 に も 用 ひ られ て ゐ る.「 ブ ナ」製 の 手 術 用 手 袋 は 天 然 護 謨 製 の も の よ り も値 段 は 高 い が, 國 策 に 從 ふ の だ と 言 ふ 觀 念 の 下 に 旺 ん に 用 ひ られ て ゐ る.純. 毛,純. 絹 の 製 品 が 禁 止 され,人. 絹又は. 「ス ・フ」 を 混 織 し な け れ ば な ら ぬ の は 勿 論 の こ と で あ る.寫. 伯林ティヤーガルテンの晩秋 水禽 を集む る人々. は 決 して 必 要 以 上 の 物 を 註 文 せ ず,註 の 物 は 必 ず 全 部 喰 つ て し ま ひ,飲. 文 しただ け. ん で し ま う.私. が 或 時 「レ ス トラ ン」で 畫 食 を取 つ て ゐ る と,傍. に は 小 犬 を1疋. 食 事 して ゐ る.其. 連 れ て ゐ た.私. の. の足許. は其の日はどうも. 食 慾 が な く皿 の肉 塊 の 大半 を殘 した ので あ るが, 其 の 婦 人 は 私 に 向 ひ 其 の 肉 を 食 べ な い な らば 下 さ らな い か と言 ふ.私. は 人 の 殘 り物 を ど う す る の だ. ら う か と不 思 議 に 思 ひ つ つ も之 を與 へ た 所 ドバ ツ ク 」 か ら紙 片 を取 り出 し,こ 再 び 「ハ ン ドバ ツ ク 」に藏 ひ 込 ん だ.私. 279. 「ハ ン. の殘 肉 を包み は 不審 に堪. へ な い ので其 の理 由 を質 した とこ ろ ,其 く,之. 逸 と言 へ ば 寫 眞. 器 を 聯 想 す る程 寫 眞 器 の 本 場 で あ り,日. 「レ ス ト ラ ン」で 屡 々 目 撃 した こ とで あ る が 彼 等. 卓 子 に 中 年 の 婦 人 が1人. 眞 器 と 言 へ ぼ 獨 逸,獨. は 犬 の 夜 の た め の 食 料 で す よ と,私. の婦 人 曰 は成 程. ら く高 級 品1箇. 本 人 は恐. は 必ず 求 め て歸 る習 慣 に な つ て ゐ. る の で あ る が,其. の 寫 眞 器 特 に 「ラ イ カ 」,「 コ ン. タ ッ ク ス」,「 ス ー バ ー シ ック ス」等 の 最 高 級 品 が な か な か 手 に 入 ら な か つ た こ と も あ る.豫 註 文 し て2, 3箇. め商 店 に. 月 も待 た な けれ ば手 に這 入 らな い. こ と が 屡 々 で あ つ た.寫. 眞 器 は 漸 く入 手 し て も,. 其 の 附 屬 品 例 之 革 「ケ ー ス」等 は な か な か 手 に 這 入 らな か つ た.之. は光 學 器 械 工 場 が軍 需 器 具 の製 造. に 忙 殺 され て 寫 眞 器 迄 手 が 廻 ら な い と言 ふ こ と も あ る で あ ら う が,私. が 或 寫 眞 器 店 か ら聞 い た と こ. ろ に 依れ ば 寫 眞 器 は重 要 な獨 逸 の輸 出 品で あ る か ら最 高 級 品 は 先 づ 外 國 に輸 出 し て 外 貨 を 獲 得 し , 餘 力 あ る 場 合 に の み 國 内 に 賣 り出 す 方 針 だ と の こ とで あ つ た が 之 が 眞 實 だ ら う と思 ふ..

(6) 雜. 2288. 報. 獨 逸 の各 大 學 の外 科 教 室 で 斷種 手術 の多 い の に 驚 く,私 は 外 科 醫 生 活10餘. 年 の 間 男性 の斷 種 手 術. と言 ふ も の は 一 度 も 見 た こ と も な く經 驗 も な か つ た の で あ る が,彼. 地 で は 多 い 時 に は1日. 4つ の 斷 種 手 術 を 見 た.專. に3つ,. ら古 參 の 助 手 が 之 に 當. り,而 も非 常 に 愼 重 で あ る.男 子 は輸 精 管 を 約2cm 結 紮 離 斷 す る の で あ る.女. 性 に 對 し て も斷 種 手 術. を 行 つ て ゐ る の で あ る が 之 は 專 ら婦 人 科 教 室 で 行 は れ て ゐ る の で 見 る 機 會 が な か つ た.こ の 詳 細 に 就 て は 略 す が,要 伯 林 テ ィ ヤ ーガ ル テ ンの 夏. 市の中央 を占むる大森林地 域に して,早 朝の乘 馬を 樂しむ人々亦多 し. 以 上 の 様 に獨 逸 で は 日常 生 活 に 缺 くべ か らざ る. の 斷種 法. す るに 獨 逸 民族 の 質 的. 向 上 を計 る一 つ の 方 法 で あ る. 第 一 次 世 界 大 戰 前 に は5人. 乃 至10人. の子女 を. 持 つ て ゐ る 人 も稀 で は 無 か つ た さ う で あ る が,大. 必 要 品 も極 度 に統 制 され て ゐて,國 民 は可 な り不. 戰 後 は 經 濟 難 の 爲 も あ り,世. 自 由 な,質 素 な 日常 生 活 を送 つ て ゐ るの で あ るが,. 産 兒 を 少 くす る傾 向 に な つ た が 爲,人. 餘 り不 足 が ま しい話 も耳 にせ ず統 制 が 圓 滑 に遂 行. も 次 第 に低 下 す る に 至 つ た の で あ る.「 ナ チ ス」政. され て ゐ る様 に吾 々素 人 目に は見 え感 心 した もの. 府 は之 を防 止 せ ん が た め に色 々の 方 法 を講 じて ゐ. 界 一 般 の 風 潮 と して 口 の 増加 率. で あ る.其 の當 時 私 は こんな こ と も考 へ て見 た,. る が,其. の 一 つ と し て 子 供1人. 日本 は食 料 にだ け は不 自 由せ ず,こ の點 は非 常 に. の25%宛. を 減 額 して ゐ る.經. 恵 まれ て ゐ るが其 の他 の資 材 は 非 常 に 不 足勝 な國. 子 も折 角 良 い 對 手 を 見 附 け な が ら正 式 の 結 婚 が 出. で あ る.日 本 で獨 逸國 内 に於 け る様 に何 も彼 も嚴. 來 な い 様 な 場 合 が 多 い の で あ る が,斯. 重 に統 制 され た な らば果 して國 民 が默 つ て ゐ るで. は 政 府 か ら結 婚 費 借 用Ehedarlehenの. あ ら うか と少 か らず 危惧 の念 を抱 い た も の で あ. け る こ と が 出 來 る.先. る.併. Klinil. し今 に して考 へ れ ば この 危 惧 は 全 く〓 憂 で. fur Erb‑und. 産 れ る毎 に 税 金 濟 難 の爲 男 子 も女. 恩 恵 を受. づ 兩 人 は國 立 の遺 傳 研 究 所 Rassenpflegeに. 行 き遺 傳 的. あ つ た.即 ち 日本 に於 い て も この1箇 年 の 間 に獨. 疾 患 の 有 無 を 檢 査 さ れ,疾. 逸 に勝 る と も劣 らな い程 の嚴 重 な 統 制 が あ らゆ る. て 貰 ひ,初. 方 面 に行 は れ つ つ あ り,又 益 々 これ が 強化 され る. ル ク 」(1「 マ ル ク 」 は 邦 貨 の 約1圓40錢)を. 傾 向 にあ るの で あ るが,そ れ に も拘 らず 國 民 か ら. る こ と が 出 來 る の で あ る.斯. 一 言 の不 服 の言 葉 も聞 かず. ,擧 つ て國 策 に順 應 し. てゐ る様 は 眞 に心 強 い 限 りで あ る.. 優 秀 な る獨逸 民族 を造 り,こ の優 秀 な る全 獨 逸. 病 の 無 き こ と を證 明 し. め て 政 府 か ら結 婚 費 用 と し て1000「. 借用す. くて正 式 に結 婚 した. 併 し 一兒 を擧 げ る 毎 に こ の1000「. マ ル ク」の 中 か. 減 額 され る.つ ま り結 婚 獎 勵 と 出 産. 獎 勵 と の 一 石 二 鳥 の 方 法 で あ る. 醫 科 大 學 の 學 生(獨 逸 に は 醫學專. 門 學 校 は 無 い). 民 族 が大 同 團結 を な して 大 獨 逸 國 を建 設 しな けれ. は 大學 に 入 學 す る 前 に 勞 働 奉 仕Arbeitsdienstを. ば な らぬ と言 ふ の が「ナチ ス」政府 の理 想 で あ る.. 半 箇 年 間,兵. 現 今 獨 逸 で 旺 ん に行 はれ つ つ あ る各種 の 民族 主義 も其 の根 本 觀 念 は茲 に胚 胎 して ゐ るの で あ る.. マ. な ら ば 月 賦 で 逐 次 之 を 償 還 し て ゆ か ね ば な ら ぬ.. ら其 の25%宛. 獨逸の民族主義. 様 な場 合 に. 役 義 務Militardienstを2箇. 年間果. さ な け れ ば な ら な い.又 醫 科 大 學 の 課 程は11學 (1箇. 年 を2學. 期 と し,5箇. 年 半 を要 す)か. 期. ら な り, 280.

(7) 雜. 2289. 報. こ とは國 家 の爲 に洵 に惜 しい こ とで も あ り,又 母 親の健康上 にも良ろし くな いと言 ふ ので 斯様 な設 備 が營まれたも ので ある.此處 4週 間,分娩後6週間収容. で は 妊婦を 分 娩 前. しで費用も赤 十 字 社 又. は健 康 保 險 局等 か ら支 出 し安 心 して 分 娩 せ しめ, 産れ た乳 兒 は母 親 が 自分 の手 許 に引 き とれ ば それ で も良 ろ し く,又 引 き取 らな い場 合 に は 他 の 家 庭 から貰 ひ に來る の を待 つ て ゐ る.大 抵1箇年半. 乃. 至2箇 年 の間に は貰 は れ て行 くの で あ るが,若. し. 貰 ひ 手 の無 い場 合 に は 之 を孤 兒 院 に収 容 し て ゐ る,私 の見 學 した當時 も母 親12名,乳 獨逸青年の勞働奉仕の實況.馬鈴薯. の収穫に從事する所. 幼 兒126名. が収容 されて ゐ た.之も出 産獎勵 の一施設 で あ る. を. 又 優 秀 な兒 童 は其 の天資 を充 分 に延 ば してや る こ. 要 し結 局6箇 年 を費 さな ければ大學 の課程 を終 了. とも考 へ られ て ゐ る.一 夫婦 に3人 以 上 の子女 が. するこ とが 出來 ぬ.卒 業 後更 に1箇 年間 は「 プ ラ. あり,其 の夫婦 が生 物 學 的に 優 秀 な 素 質 を有 す と. ク チ カ ン ト」 と して殆 ど無 報 酬 の見 學 生 活 を しな. 認 め られた な らば 第3兒 以下 に對 し生 後1箇 年 間. 其の 上臨牀試 驗Klinisches Examenに半箇年. けれ ばな らぬ ので 一 人前 の醫 師 にausbildenさ. れ. は毎 月30「. マ ル ク」,次 年 よ り14歳 迄 は毎 月20. る爲 には7箇 年 の長 年 月 を要す るこ とにな る.從. 「マル タ」宛 を支 給 して家 庭 の 負擔 を輕 減 し,子 女. 而結 婚 期 も遲れ る理 で あ る.之 が 爲 に當 局 で は修. の成 育 を助 成 して ゐ る.又其 の 子女 が就 職 す る場. 業 課 目の 改訂,臨牀 試 驗 の受 驗 期 間 を短縮 す る等. 合 に は特 別 の考 慮 が拂 はれ る との こ とで あ る.. を考 慮 し修學 期 間 の 短縮 を計 つ て ゐ る とのこ とで あ つ た.. 凡 そ國 家 の 隆 昌は其 の 國 の 人 的資 源 に俟 つ こ と が大 で あ る.獨. 逸 に於 て は斯 様 に 第2,第3國. 民. 日本 と違 ひ職 業婦 人が非常に多い のであ るが,. の量 的増加 と質 的改善とを 計 る ことに 非 常 な る努. 之 等 の職 業婦 人 は女 醫等 の特種 職 業 にあ る もの,. 力 を拂 つ て ゐ る ので あ る.國 を接 し,利害 相 反 す. 又 は 男 子1人 の収 入 の み に ては夫 婦 の生 活 を支 へ. る佛 蘭西 は 人口 に於 て 獨 逸 の 約 半 分 で あり,人. 得 な い場 合等2, 3の 例 外は あ るが大 部 分結 婚 と同. の増 加率 は獨 逸 に比 して著 し く低 い.之. 時 に職 業 戦線 か ら引 かね ば な らぬ.之 は結婚 後 何. 爲 政 者 の大 な る不 安で あり,焦 躁 で あ る に連 ひ な. 時 迄 も其 の職 場 を塞 がれ て は新 し く職 を求 め る婦. い.. 人 の 邪 魔 に な る と言 ふ點 もあら うが,結 婚 した な らば 善 良 な る妻 とな り,又 良 き母 となれ と言ふ 意 味 で あ ら う.. 80萬 乃至100萬. Entbindungsanstalt,. Sauglings. und. rheim. Rotenkreuzesを. Mutte‑ 見學 し. の 人 口の 自然. 増 加 が あ り,人口増 加 率 か ら見 る も世 界 で1, 2を 競 つ て ゐ るのであ つ て,今日の國運隆. 私 は 伯 林 の 獨 逸 赤 十 字社 産 院竝 に 母 兒 収容 所. des deutschen. 吾 國 は 毎 年 約7,. 口. は佛 蘭 西. 昌 も眞 に當. 然 な こ とでは あ るが,更 に之 に 加 ふ るに 國 民 の質 的 改 善 を以 て したな らば 更 に一 段 と國運 の發 展 を 期 待 す る ことが 出來 るで あ ら う.. た 時 に驚 い た こと には そ こで 取扱 はれ る のは 殆 ど 私生 兒分 娩 で あつ た.將 來 獨 逸 の國 民 とな るべき もの を譬 へ私 生 兒 とは言 へ,聞 か ら聞 に葬 り去 る 281. 獨逸の猶太人問題 猶太 人に就て關心 を持 つてゐ るのは獨,伊 のみ.

(8) 雜. 2290. 報. で は無 く世 界 一般 の 風潮 と言 つ て も過 言 で は あ る. の 眼 に 如 何 に 映 じ た か は 想 像 す る に 難 くな い と こ. まい.吾 國 に於 て も猶 太 人研 究 は 可 な り熾 烈 で あ. ろ で あ る.夙. つ て,相 當 深 刻 に取 扱 つ た著 書 も公 に され て ゐ る. 具 と し て 民 衆 を 自 派 に 引 き つ け た の が 「ナ チ ス」で. 様 で あ る.私 が 茲 で 獨逸 に於 け る猶 太 人排 斥の 實. あ る.. に こ の 情 勢 を 看 取 し,之. を恰 好 の 道. 相 を記述 す る か ら と言 つ て,吾 國 に て も獨 伊 と同 様 に猶 太 人恐 怖症 に 罹 らね ば な らぬ と言 ふ意 味 は 毫 末 もな い ので あ る.彼 我 話 は別 で あ る. ヒ トラー は 其 の 著 「我 が闘爭Mein. Kampf」. の. 中 に 「歐 洲 大戰 は英 國 の 宣傳 と國 内 に於 け る猶 太 人 の裏 切 り とに據 つ て 負け た」 と喝 破 して ゐ る様 に猶 太 人排 斥 は「ナ チ ス」政策 の最 も重 要 な もの の 一 つ とな つ て ゐ る ので あ る.併. し獨 逸 に於 け る猶. 太 人 排 斥 は 必 ず しも「ナチ ス」の政 府 に なつ て か ら 始 まつ た もので は な く非 常 に長 い 歴 史 を持 つ て ゐ る ので あ る.獨 逸 國 内 の猶 太 人 は過 去 幾 世 紀 に渡 り繁 榮 と迫 害 との 時代 を交 互 に 繰返 して ゐ る と言 つ て も過 言 で は あ るま い.最 も新 しい と ころで は ピ スマルク が獨 逸聯 邦 帝 國 を建 設 した當 時 に も獨 逸 國 内 に國 家 主 義 的思 想 が鼓 吹 され,猶 太 人 は種 族 を異 に し,傳 統 を異 に す るが爲 獨 逸 帝 國 の統 一. 伯 林 テン パ ル ホ ー フ空 港 の1景. 中央は風速計,其 の右 に數臺 の旅客機 を見 る.現 在 大擴張 工事中に して完成の曉は世 界最大最良 の空港 ミなるミ言ふ 旅客機の發着す る様洵に輕快 にして其 の數亦 多く,聊 の不 安或 を も興 へす 1935年9月15日. ニ ユ ル ン ベ ル ク の 「ナ チ ス」 黨. 大 會 に於 て獨 逸 國 民 の 純 血 を制定 した法 律. 「ニ ユ. を妨 害 す る もの と して排 斥 され た ので あ る.世 界. ル ンベ ル ク 法 案 」Nurnberger. 大戰 の 時 に は ヒ トラーの 著書 の 中 に あ る様 な賣 國. れ たの で あ るが其 の 中 に獨 逸 人 の血 統 竝 に榮 譽 保. 的 行 動 に出 た猶 太 人 も確 に多 か つ た に違 ひ な い. 全 に 關 す る 法 律Gesetz zum. が,獨 逸 を祖 國 と して銃 を執 つ て戰 線 に馳 せ 參 じ. tschen. た もの も亦 多 く,又 ラー テ ナ ウは兵站 の 供給 に抜. ふ 條 項 が あ り,そ. 群 の 功 が あ り,伯 林 「カ イ ゼル.ウ イル ヘ ル ム」研. 1.. Blutes. und. der. Gesetzが. Schutze deutschen. 發布 さ. des. den‑. Ehreと. 言. れ には. 猶 太 人 と獨 逸 國 民 との 間 に は婚 姻 をな す こ. 究 所 の ハ ーバ ー は 空 中窒 素 の固 定 法 を發見 して獨. と を得 ず.之. 逸 軍 の戰 闘 力 を大 な らし め た等 猶 太 人 の 中 に も職. の 制 裁 を 免 れ る 爲 國 外 に 脱 出 す る こ と あ る も,其. 線 に於 て又 銃後 に於 て獨 逸 の爲 に盡 した者 も少 く. の 婚 姻 は 無 效 な り.. は な かつ た.世 界 大 戰 の終 了後 獨 逸 は 極端 な疲 弊. 2. の 中 に あ り,大 衆 は 生 死 の境 を彷徨 して ゐ た ので. らず.. あ る.併 し獨り 猶 太 人 の み は天 賦 の卓 越 した 才能. 3.. を以 て此 未 曾 有 の難 局 に處 して獨 逸 人 を壓 倒 して 斷 然頭 角 を現 は し,言 論,經 濟,科 學,刀 圭 界,. に違 反 して婚 姻 せ る夫 婦 は譬 へ 法 律. 猶 太 人 と獨 逸國 民 との 間 に於 て私 通 す べ か. 猶 太 人 は45歳. 以 下 の 獨 逸 婦 人 を 自己 の家. 庭 内 に 使 用 人 と し て 雇 傭 す べ か らず. 4.. 猶 太 人は 獨 逸 國 旗 の 掲 揚 及 び 獨 逸 國 色 の使. 又 は法 曹 界 に於 て も斷 然 優 位 を占 め,大 學 に は猶. 用 を禁 ず.反. 太 系 の秀 才 が 肩 を並 べ るに 到 つ た の で あ る.こ の. 使 用 す る こ と は 許 容 す.. 主 客顛 倒 した猶 太 人 の顯 著 な 發 展振 りが,獨 逸 人. 5.. 第1條. 之 猶 太 人 た る こ とを表 示 す る旗 章 を. に 違 反 せ る も の は 懲 役 に 處 す.第2. 282.

(9) 雜. 2291. 報. 條 に違 反 せ る もの は禁 錮 又 は懲 役 に處 す.第3,又. テ ー」 の外 科 教 授 ザ ウエ ル ブル フ氏 の 助 教 授 と し. は 第4條 に違 反せ るも のは1箇 年 以 下 の 禁錮 及び. て名 聲 噴 々た る もの が あ つ た が今 は 土耳 古 のイー. 罰 金 刑 を以 て處 罰 す.等 々 と規 定 してあ る. 「ナ チ ス」政 府 に な つ て か らこの猛 烈 な 猶太 人排. ス タ ン プ ー ル に 亡 命 し て ゐ る. 私 が 伯 林 市 立 結 核 病 院Tuberkulose. 撃 は 第3者 か ら見 れ ば少 か らず神 が か りの所 もあ. haus. る かに思 へ るが,彼 等 に して 見れ ば實 に眞 劍 で あ. 外 科 を 見 學 す る爲 暫 く醫 局 生 活 を送 つ て ゐ る 時 某. る.其 の排 撃 の理 由に就 ては ヒ トラーの 著 書 「我. 日 伯 林 市廰 か ら伯 林 市 内 開 業 の 猶 太 人 醫 師 の 名 簿. が闘 爭 」 の 中 に も明 記 して あ る通 り第 一 次 世 界大. を送 附 して 來 た こ と が あ つ た.其. 戰 慘 敗 の原 因 の一 半 は猶 太 人 の 賣 國的 行 爲 に據 つ. 人 開 業 醫 の 氏 名,開. た の だ と言 ふ獨 逸 國 民 の國 民的 憤 激 に も よ るが其. 獨 逸 人 醫 師 と は截 然 と差 別 待 遇 を し て あ つ た.又. の他 私 は 次 の様 な諸點 を有力 な 理 由 と して掲 げ る. ハ イ デ ル ベ ル クで 見 た こ とで あ る が 開 業 醫 の 看 板. こ とが 出來 る と思 ふ,即 ち第1に 獨逸 國 民の 完 全. に 赤 字 で 獨 逸 人 醫 師 な らばArischer. な る統 一 を計 るた めに は精 神,習 慣,宗 教 等 を異. と は 純 潔 の 意)と. に し,國 家觀 念 の缺 けた猶 太 人 が 國 内 に介 在 す る. て區 別 出 來 る様 に し て あ つ た.1937年. こ とは甚 だ 不都 合 で あ る.而 も この猶 太 人が 國 内. れ ば 獨 逸 の 全 開 業 醫 師 數 は37525名. の經 濟 界,言 論 界 等 凡ゆ る方 面 に於 て獨 占的 優 位. 人 醫 師 は3749名即. を占め てゐ た ので は 到底 國 民的 發 展 は望 まれ な い. 猶 太 人 は 醫 師 と な る道 は 塞 か れ て ゐ る の で あ る か. か らで あ る.第2に. 「ナ チ ス」政 府 は國 民 に勞 働 の. 神 聖,勤 勞 奉 仕 等 を鼓 吹 す るの で あ るが,猶 太 人 は生 來勞 働精 神 を有 しな い人 種 で あ つ て彼 等 は 農 民 とな り又 は工 場 勞働 者 とな つ て 富 の生 産 に 從事 す る こ と を欲 せ ず,生 産 者 を〓 使 し又 は生 産 品 を. der. Stadt. BerlinでDr.. Kranken‑ Ulriciの. 業 場 所,專. 明 書 し,猶. 肺結核. の名 薄 に は猶 太. 門 科 名等 を掲 げ て. Arzt. (Arisch. 太 人 醫 師 とは一 見 し. ち 約10%で. の統計 に よ で 其 の 中猶 太. あ る が,現. ら こ の 數 は 益 々 減 少 す る 筈 で あ る.彼. 今で は. 等 は原 則 と. して 健 康 保 險 醫 と な る こ と は 出 來 な い.唯. 世界大. 戰 に 從 軍 し て 勲 功 あ り し猶 太 人 醫 師 の み は 例 外 と し て 保 險 醫 た る こ と を許 さ れ て ゐ る. 伯 林 で は 街 角 の 人 目 に つ き易 い 所 に掲 示 板 を建. 賣 買 す る こ とに よつ て利 益 を得 る側 に しか立 た な. て,そ. い の で あ る.斯 様 に獨 逸 人 と猶太 人 との間 に は 民. 等 を 張 り出 し,猶. 族 的 に根 本 か ら相 容れ な い もの が あ る.. 業 々 し く書 き 立 て て 行 人 に讀 ま し て ゐ る.獨. 猶 太 人 は小學 校 を初 め上 級 の學 校 に 到 る迄 官 公. れ に 猶 太 人 排 斥 の 機 關 新 開Der. Sturmer. 太 人 の寫 眞 を載 せ て其 の罪 惡 を. 經 營 の 商 店 に は 其 の 入 口 にDeutsches. 逸 人. Geschaft. 立 の學 校 に は絶對 に入 學 を許可 され な い か ら猶 太. と張 り 出 し 一 見 し て 猶 太 人 商 店 と區 別 出 來 る 様 に. 人 兒 童 の み を収 容 す る特 別 の小 學 校 を彼等 は 單獨. して ゐ る 町 も あ つ た,又. に經 營 して ゐ る.猶 太 人 は 官公 署 又 は 官 公立 病 院. エ ー」 等 の 入 口 に も猶 太 人 お 斷 りの 掲 示 を 出 し て. に就 職 す る こ とは絶 對 に 出來 ない の で あ つ て,多. あ る 所 さ へ あ つ た.南. くの碩學 が猶 太 人 な るが故 に榮 職 を奪 はれ て國 外. に或 日京 城 醫 專 外科 の 白 教 授. に亡命 しな けれ ば な らな か つ た こ とは吾 々に尚 ほ. ル ク か ら快 適 な 「ド ラ イ ブ 」を 試 み た こ とが あ つ た. 耳新 しい こ とで あ る.吾 々 の聞 き慣れ た學 者 で は. が,と. あ る1軒. ア イ ンシュ タ イ ン,レ ワル ド,ニ ッ セ ン等 が あ る.. と,其. の 硝 子 扉 にJuden. 甚 し き は 公 共 浴 場,「 カ フ. 獨 逸 の工 業 都 市 マ ンハ イ ム と共 に ハ イ デル ベ. の 喫 茶 店 に 憩 ふ べ く扉 の 前 に 立 つ ist unerwunschtと. 大. 相對 性原 理 の ア イ ン シュ タ イ ン氏 は北 米 合衆 國 に. 書 し て あ る の を 見 て,茲. 亡命 して ゐ る.レ ワル ド氏 に獨 逸 の「スボ ー ツ」界. 斥 熱 も 少 し鼻 に つ く こ とだ と互 に 語 り合 つ た こ と. の 大 恩 人で あ り,ニ ッ セ ン氏 は伯 林 大 學 「シャ リ. で あ る.之. 283. 迄 來 る と獨 逸 の 猶 太 人 排. に 類 し た 街 頭 「ス ナ ツ プ 」は ま だ ま だ 幾.

(10) 雜. 2292. 報. 等 で も見 られ る ので あ る.然 らば 斯 様 な 極端 な猶. 求 め ん と し て,極. 太 人排 斥運 動 に獨 逸 人 は 全部 共 鳴 して ゐ るか と言. た と の こ と で あ る.. 東 に も 少 か らざ る 數 が 逃 れ て 來. ふ に 決 して さ うで もな い 様だ.前 經 濟 相 と して大 戰 後 の 逼迫 し た 獨 逸 の經 濟 を巧 に切 り盛 り し て 「ナ チ ス」政 府 に磐 石 の 重 き をな し,一 昨 年 退 官 し た シャ ハ ト氏 の如 きは,政 府 の 高官 で あ りな が ら 「ナ チ ス」の猶 太 人排 斥 は餘 りに常 軌 を逸 し,國 辱 で あ る との 信念 を堅 持 し「ナ チ ス」の猶 太 人 排 撃 の 嵐 の 中 に立 つ て敢 然 と して 自己 の意 見 を吐 露 した 人 で あ つ た.そ れ に就て 一 つ の挿 話 が あ る.ケ ー ニ ヒ スベ ル ク市 に催 され た或 る式 典 に臨 席 した 際 氏 は猶 太 人 問題 につ き堂 々 と 自己 の信 念 を開 陳 し て,猶 太 人排 斥 の常 軌 を逸脱 せ るを指 摘 し,更に 進 ん で 之 に籍 口 して 私 怨 を晴 さん とす るが 如 きは 大. 伯林郊外の國立競技場の水泳「 スタヂオン」 1936年「 オリンピツク」 大會の際日本の水泳選手の活躍せる 所にして現在は一般に公開してゐる. 獨 逸 國 民 の なす べ き行 爲 に あ らず と述 べ た.此 演 説 を傍聽 して ゐ た「ナ チ ス」親 衛 隊 の某 有 力 者 は 自. 私 が この 猶 太 人排 斥問 題 に何 故 斯 様 な關 心 を持. 黨 の 政策 を こ き下 され て 憤懣 措 く能 はず 席 を蹴 つ. つ た か と言 ふ に,吾. 々日本 人 は 白 色人 種 か らは極. て退 席 した.演 説 終 了 後 この 由 を知 つ た シャ ハ ト. 最 近 迄 人種 的 偏見 を以 て見 られ て ゐ た者 で あ り,. は 彼 を呼 び 寄せ 親 し く意 見 を交 へ ん と したが,彼. 獨 逸 國 内 に於 て ま ざ まざ と見 せ つ け られ た猶 太 人. は 遂 に 委 を見せ な かつ た,そ こで シ ャハ トは毅 然. の哀 れ さ には 一掬 の憐 愍 の情 を さへ 抱 か ざ る を得. た る態 度 を示 し,上 司に 交 渉 して 此親 衛 隊 員 を被. な か つ た か らで あ る.. 免 した.又 此演 説 は翌 朝 の新 聞 に も大 々的 に掲 載 され た が,之. を見 た宣 傳 相 ゲベ ル スは新 開 を差 押. へ て し まつ た.併. 獨 逸 人 の 見 た 日本. しシャ ハ トは 自費 を投 じて此 記. 最 近 日本 の 國 威 發 揚 と共 に一 般 外 人 の 日本 及 び. 事 の小 冊 子5萬 部 を印 刷 し,何 の遠 慮 もな く是 を. 日本 人 に對 す る認 識 が大 變 是 正 され て來 た の は事. 知 己 友 人 に配 布 した との こ とで あ る.又 猶 太 人 の. 實 で あ る.特 に防 共 協 定締 結 以後 獨 逸 國 内 に於 て. 中 に も この 運動 に抗 した豪 の者 もゐ るに は ゐ たが. 日本 に對 す る關 心 が 著 し く高 揚 され,日 本 研 究 熱. 大 勢 如何 とも な し難 く,結 局私 財 を賣 却 して安 業. が擡 頭 して來 た こ とは 眞 に喜 ば しい こ とで あ る.. の地 を他國 に求 め るか,又 は 國 内 に て職 を奪 は れ. 日本 に 關 す る著 述 も書肆 の店 頭 を賑 は してゐ る.. 乞 食 同様 の生 活 に甘 ん ず る他 は無 い ので あ る.新. 夫等 の 書籍 は 日本 書 を飜譯 し た も の も多 い が獨 逸. 聞 の傳 ふ る所 に依 れ ば 昨 年 末 巴 里駐 在獨 逸 大 使 館. 人 自身 の執 筆 に な つ た も の も多 い様 で あ る.又 日. の 一 館 員 を波 蘭 系 猶 太 人 が射 殺 した とかで,獨 逸. 刊新 聞,雜 誌 等 に も日本 の 風俗,習 慣,景. 國 内 の反 猶 太 熱 は之 を きつ か け に再 び一 段 と燃 え. 治 等 を紹 介 した 記事,寫 眞等 が非 常 に多く 現 はれ,. 上 り,國 内 の猶 太 人 は莫 大 は賠 償金 を取 られ た上,. 特 に 日支事 變 以來 は 皇軍 の 勇猛 果敢 な る攻 撃振 と. 本 年1月 か ら國 内 に ては 商社 を開 く こ とを禁 じ ら. か 連 戰 連勝 の 記事 等 が 毎 日掲 載 され,時. れ た とか言 ふ こ とで あ る.之 等 猶 太 人 は獨 逸 に止. 入 りの大 見 出 しで 一 面 全 部 を埋 め て ゐ る こ と さへ. りて餓 死 を待 つ よ り,せ め て 生 命 の 安 全 を他 國 に. 色,政. には赤線. も あ る.又 一 部 識 者 に よ りて 日本 精神,武. 士道, 284.

(11) 雜. 2293. 報. 家 族 制 度等 の我 國 固 有 の精 神 丈化 が研 究 され つ つ. てゐ る獨 逸 人 も可 な り多 い が,日 本 人 と餘 り關係. あ る こ と は 眞 に 心 強 い こ とで あ る.伯. 林 で 日獨 協. の 無 い地方 都 市 で は ま だ ま だ 日本 を知 る人 は極. 會 等 に 出 席 し て 見 る と 日本 語 を 話 す 獨 逸 人 が 案 外. め て寥 々 た る もの で あ る.途 方 も無 い 質 問 を受 け. 多 い の に 驚 く.尤. も之等 の 人は 嘗 て 日本 の學 校 に. て辟 易 す る こ と さへ あ る.私 はハ イ デ ル ベ ル ク大. 傭 教 師 と して 滯 留 し た こ と の あ る 人 々 が 多 い の で. 學 の外 科 を見學 中,滯 在 も割 合 長 かつ た ので キ ル. あ る が,中. に は 一 度 も 日本 の 土 を踏 ん だ こ と も 無. シ ュ ナ ー教 授 の お宅 に お 伺 ひす る機 會 もあ つ た.. 學 で 日本 語 を稽 古 し た と言 ふ 篤 志 家 も あ つ. 元 來 此 處 の教 室 に は 日本 人 が屡 々留 學 す る の で,. く,獨. 教 授 御 一家 は 日本 及 び 日本 人 に對 して は相 當 理 解. た. 大 學 で 日 本 學Japanologieの る 所 も あ る.伯. 講 座 を開 い て ゐ. 林 大 學 で は嘗 て 阪 大 の外 科 教授 と. Krankenhaus,. Berlinの. るが,其 の 令 嬢(當 時21歳)の. 私 に試 み られ た 日本. に 關す る質 問 た るや全 く日本 を傳 説 の國,夢 の 國. し て 在 任 され た こ と の あ る ヘ ル テ ル 教 授(Oskar‑ Ziethen. を持 つ て ゐ て下 さ る筈 だ と思 ひ込 ん で ゐ たの で あ. 外 科 醫 長)が. 位 に しか理 解 して ゐ られ ない 様 で あ つ た.私 に向. イ プ. け られ た2, 3の 質 問 を紹 介 して見 よ う.「日本 の 女. イ デ ルベ ル ク 大. 性 は結 婚 した な らば獨 歩 き も 出來 な い し,他 の 男. 學 に も近 い 内 に 開 講 され る ら し い との こ とで あ つ. 性 と話 す こと さへ も出來 な い ど旨ふ で はな い か 」. た.又. の 東 京 「オ. とか 「日本 婦 人 は 小 さい靴 を穿 い て ゐ る と言 ふ が. リ ン ピ ッ ク 」 を 目 指 して 日本 語 の 講 習 會 を開 い て. 歩 行 に困 りは しな い か」 等 々,之 等 の 質 問 は 日本. 之 を擔 任 し,毎. 週1囘. 講 義 し て ゐ られ た.ラ. チ ヒ 大 學 に も 開 講 され て ゐ た.ハ. 伯 林 の 某所 で は 主 と し て1940年. ゐ た.日. 本 の 商 品 も澤 山 輸 入 され て ゐ て,日. 本品. と支 那 とを混 同 して ゐ る ので あ る.又. 「日本 の家. の み を取 扱 ふ 商 店 も私 の 眼 に 留 つ た だ け で も 伯 林. は紙 で 造 つ てあ る さ うだ が,雨 の時 に は ど うす る. 市 内 に4, 5箇 所 あ つ た.併. か」 等 とたづ ね て ゐ た.之 は障 子,襖. 澤 山 混 入 し,日. し其 の 中 に は 支 那 品 も. 支 の 商 品 が 呉 越 同 舟 で 仲 良 く並 ん. を意 味 す る. の で は あ らうが 見 當外 れ の質 問 に一 驚 した こ とで. で ゐ る所 も あ つ た.又. 百 貨 店 に も 日 本 部 を特 設 し. あ つ た.又 外科 教 室 に派 遣 され て見 學 に來 て ゐ た. て ゐ る所 も あ つ た.其. の 他 の地 方 都 市で も日本 品. 獨 逸 の陸 軍 軍 醫某 が 日本 軍 の優 秀 さ を激 賞 して ゐ. を少 量 な が ら店 頭 に 陳 列 して ゐ る店 は 大 抵1箇. 所. た が,彼 曰 く 「日本 の軍 隊 は〓 の無 い兵 舍 に起 居. 位 は あつ た.店 頭 に 出 て ゐ る 商 品 は 絹 物(之 に は 特. して ゐ る さ うだ が 本當 か 」 と尋 ね た.私 は 其 の餘. にJapanische. 磁器. りに愚 問 な るに 驚 い た.〓 無 き兵舍 とは何 か ら聯. 器 等 が主 で あ る. 想 した も の か,獨 逸 軍 醫 の 中 に も未 だ斯 様 な認 識. (珈琲,紅 が,フ. Seideと. 明 示 し て あ る),陶. 茶 の 「セ ッ ト」,香 爐),漆. ラ ン ク フ ル ト・ア ム ・マ イ ン の 某 店 で 提 燈 と. 不 足 の徒 輩 も ゐ る もの か な と驚 愕 す る と共 に,彼. 脊 中 を掻 く熊 手 と を業 々 し く 日 本 産 と銘 打 つ て 釣. 氏 の無 智 を憐 ま ざ る を得 な か つ た の で あ る.私 は. る し て あ つ た の に は 苦 笑 さ せ られ た こ と で あ る.. 言 葉 を改 め,思 はず 語 氣 を荒 らげ て 「〓 な き家 に. 伯 林 で は 日本 人 經 營 の 日本 料 理 店 も4, 5軒 つ て 三 食 共 日 本 食 で 濟 ま す こ と も 出 來,之. はあ. 等の店. で は 日本 か らの 新 聞 雜 誌 も豊 富 に 供 へ て あ る か ら, 之 等 の 日本 料 理 店 に 行 き さへ す れ ば 同 胞 は 何 時 も 澤 山 詰 め か け て ゐ て,遠 しな い.斯. く身 異 郷 に あ る の 思 ひ は. 様 に 比 較 的 日本 色 に 強 く染 つ て ゐ る 伯. 林 では 日 本 及 び 日本 人 に 深 い 關 心 と理 解 と を持 つ 285. 人類 が住 め る か」と答 へ ざ る を得 な か つ た.同 氏 も 相 濟 ま ぬ事 を尋 ね た といふ 様 な態 度 を して ゐ た. 日本 の美 術 品 に就 て も一 般 の人 は 殆 ど知 る所 が 無 い.博 物 館 の東 洋 美 術 の 部 には 大 部 分 支 那 の美 術 品 を陳 列 し,日 本 の美 術 品 は極 め て 少 い.東 洋 一美 術,即 ち支 那美 術 と彼 等 は考 へ て ゐ る様 で あ る. 本 春 伯林 のペ ルガモン 博 物 館 に於 て 日本 の 古 美 術.

(12) 2294. 雜. の粹 を陳 列 して大 展 覽 會 を催 し非 常 な 成功 を納 め た こ とは 日本 の 新 聞 に も掲 載 され てゐ た し,獨 逸. 報 逸 人 を宣傅 し,之 を相 介 す るに努 め て ゐ る. このAuslandsamtは. 詳 し く言 へ ばAusland‑. 人 の友 某 氏 か ら詳 報 を得 て ゐ る が眞 に喜 ば しい こ. samt der Dozentschaft Universitat und Ho‑. とだ と思 ふ.日 本 の 都會 と言 へ ば東 京 位 しか知 ら. chschulen. ない.斯 様 な工 合 に,獨 逸 で 日本 研 究 熱 が 旺 ん に. 屬 病 院で あ るChariteの. 近 く に事 務 所 を持 つ てゐ. な つ た とは言 ひ なが ら,そ れ は極 一 小部 分の 人で. て,其 の使 命 は 獨逸,主. と して伯 林 に滯 在す る諸. あ つ て,一 般 人 は まだ まだ 日本 に就 て は殆 ど無 智. 外 國 よりの留 學生 に. と言つ て も差 支 へ な い で あ ら う.只 日本 の 軍 隊 の 優 秀 で 戰 ひ に強 い こ とだ け は 誰 しも認 め て ゐ る.. 1.. Berlinで. あ つ て 伯林 大 學 醫 學 部 の 附. 現 獨 逸 の政 策 的諸 事 業,文 化 的 諸 設 備,科. 學,藝 術 及び 「スボー ツ」界 等 の 一 般 的 見 學 を行 は しめ る.. 2.. 獨 逸 の「ア カ デ ミーケ ル」と公 私 の接 觸 の機. 會 を 與 へ る.. 等 々で あ つ て,要 す るに獨 逸 特 に伯 林 に滯 在 す る各 國 の 「ア カデ ミー ケル 」に對 して獨 逸 の姿 を紹 介 し,之 を正當 に理 解 せ しめ んた め の 機 關 で あ る. 私 は滯 伯 中專 門 の見 學 に 差支 へ な い範 圍 に於 て, こ の機 關 を利 用 し この紹 介 に よつ て各 方 面 の見 學 をす る こ とが 出來 た.其 の主 な もの2, 3を 擧 げ て. 見 る と勞働奉 仕團道場,獨 逸醫師 訓練 學校,ヒ ト ラー 青年團指導員養成所,國 立母乳集 配所,遺 傳 及 び種族 研究所,醫 史展覧 會,伯 林大學附屬 植物 園,獨. 伯林ペルガモン博物舘入口本春日本古美術品展覧會を開催し好評を博したる所 日本 を 認 識 せ しむ る の 要. 逸 博 物 館,テ. ン ベ ル ホ ー フ 飛 行 場,「. ビー. ル」 醸 造 會 社 等 の見 學 をす る こ とが 出來 た.. 前 に も述 べ た様 に,外 國 で 彼 等 が 日本 を知 る こ との極 め て淺 く,吾 々 を して憤 慨 せ しめ る こ とが 屡 々で あ る.お 伽 の 國,神 祕 の國 としての 日本 を 想 像 す るの み に て新 興 日本 の偉 大 さは一 般 には殆 ど知 られ て ゐ な い.之 は吾 國 が長 い 間鎖 國 政策 を 採 つ てゐ た こ とに も因 るで あ ら うが 日本 人 の國 民 性 惹 い て は宣 傳 下手 に も因 る こ とが大 で あ らう. 獨 逸 で は 政府 に 宣傳 省 が あ り,政 府 の有 力 閣僚 で あ る ゲベ ル スが宣 傅 大 臣 に据 り政 府 の最 も重 要 な 位置 を占 め て ゐ る.之 は政 府 と して の仕 事 で あ る が,之. を小 に して は一 つ の大 學 の 中 に も之 に類 似. した機 關 が 設 け られ て ゐ る とこ ろ もあ る.例 之 伯 獨逸醫師訓練學校Fuehrerschule deutschen Aezte(Alt‑Rehse,いMecklenburg)の本部前にて見學者の群 又 上 流家 庭 の茶 會,又 林 大 學 der に は外事 課Auslandsamtと ふ特 種 の 機 關 が あ つ て外 國 か らの留 學 生 に對 して獨 逸 及び 獨. は晩 餐 會 へ の 招待,觀. 劇. 等 々甚 だ得 る所 が多 か つ た.之 等 の 見 學 箇 所 を見 286.

(13) 雜. て も 判 る 通 り「ナ チ ス」獨 逸 の 宣 傳 と言 ふ 意 味 が 多 分 に 含 ま れ て ゐ る の で,其. の案 内 た るや懇 切 丁 寧. で 自 動 車 に よ る 送 迎 は 無 論 の こ と食 事 か ら 「ビ ー ル 」 茶 菓 の 饗 應 迄 も受 け る こ と さへ あ る.. 2295. 報. ひ,こ の點 を當 局者 に立 ち 入 つ て 質 問 を試 み て見 た ので あ るが 全 く其 の様 な こ とは無 く,純 然 た る 「プ リバ ー ト」の 機 關 で あ る.平 常 事 務 室 に は女 事 務 員2人 が 執 務 して ゐ るだ けで,會. の經 常 費 と し. て は彼 女 等 の 給料 と通 信 費位 な もの で は あ るが, 此 費 用 は 大學 の現 舊 職 員 か らな る Dozentschaft の 會員 が 各 自分 擔 して ゐ る ので あ る. この機 關 の 主宰 者 は,創 設 者 で あ る と こ ろ の 「シャ リテ ー」 婦 人科 教室 のDr.. Baatzで. あ る.. 創 設 以 來 僅 々數 箇 年 を閲 した に過 ぎ な いが,公 私 の理 解 あ る援 助 に よ り充 分 其 の機 能 を發 揮 しつ つ あ り,現 在登 録外 人 は400名. に達 して ゐ る.之 等. 外 人 の中最 も多 い の は希 臘 人,匈 牙 利 人等 で,其 の 他 バ ル カ ン諸 小 國 人 が大 部 分 を 占 め,英 米 佛 等 の諸 大 國 人は 殆 ど無 く,大 國 とし て は 日本,伊 太 獨 逸 醫 師 訓 練 學校 視察 中 其 の 「ボ ー トハ ウ ス に て清 遊 す. 利 人位 な もので あ る.元 々 この 會 の 目的 は 外 國 か らの留 學 生 を對 手 と した もので あ るか ら,大 國 か らの 留學 生 は少 く,小 國 か らは 非 常 に 多 い 關 係 も あ るだ ら うが,國 際 關 係 に も左 右 さ る る所 が あ ら う と思 はれ る. 外 國 に暫 くで も滯 在 して ゐ る と何 か 其 の 國 に 惹 き着 け られ る もの を感 じ,其 の國 贔 負 に な り勝 な も ので あ る.其 の上 この様 に して 各 種 の 見 學 に 便 宜 を與 へ られ,其. の國 人 に接 す る機 會 を多 く與 へ. られ,至 れ り盡 せ りの款 待 を享 け る とな る と人 情 とし て惡 い氣 持 に は なれ ぬ も ので あ る.臀 へ それ が 自國 宣 傳 の た めで あ る とは つ き り判 つ て ゐ て も 同上 獨逸醫師 ミ語 る著者(向 つて右 より3人 目). 不 知 不 識 の間 に其 の國 に好 意 を抱 く様 に な る もの 而 も之 等 の費 用 は 全 部 招 待 者 側 の 支 出 に よ る の で. で ある.茲. あ る.又. て ゐ るの で は あ るま い か.. 家 庭 に招 待 され た る場 合 で も費 用 は全 額. 其 の 家 庭 の 負擔 で,少. くて5, 6名,多. い 時 は2, 30. 從 來,支 那 か らは 多數 の 留學 生 が 我 國 に 派 遺 さ. 流 の 音 樂 家 を聘 し て. れ,大 學,專 門 學 校 に笈 を 負つ た もの で あ るが 之. 當 な 出 費 だ と思 は れ る. 等 の 人士 の大 部 分 が 歸 國 後 反 日分 子 とな り,今 度. に 篤 志 な 人 も あ る も の だ と感 心 し た こ と. の事 變 に見 る も抗 日戰 線 の 頭 株 は當 て の滯 日留 學. 名 も招 か れ 晩 餐 を倶 に し,名 客 を款 待 す る の で あ る.相 の に,眞. に於 て この 機 關 の 目的 は既 に 達 せ られ. で あ る.. 生 か,何 か の形 に於 て我 國 と因 果 關係 深 か り し も 府 の宣 傳. の で 占 め られ て ゐ る との こ とで あ る.大 い に考 へ. 省 邊 りか ら相 當 な 補 助 を受 け て ゐ る の だ ら う と 思. させ られ る こ とだ と思 ふ.彼 等 が滯 日 中劣 等 國 人. 私 は最 初Auslandsamtは. 287. 大 學 か,政.

(14) 雜. 2296. 報. 扱 ひ を受 け,講 堂 で は 天 井 裏 に追 ひ上 げ られ,日. とて快 く引 見 して戴 き,其 の後 何彼 と見 學 の便 宜. 本 人 の 友 も持 ち得 ず,見 度 き所 に も顔 を 出 し得 ず. を與 へ られ つ つ愉 快 な 數箇 月 を過 し た の で あ つ. して下 宿 に燻 つ て ゐ た ので は日 本 贔 負 に な らう に. た.私 の下 宿 は「レ ス トラ ン」と縁 が 深 く,伯 林 で. も なれ まい と思 ふ.私 の友 人海 軍 軍醫 少佐 某 氏 は. も小 田君 に世話 して戴 いた 下 宿 も「レ ス トラ ン」の. 事 變 前 特 別 陸 戰 隊 附 と して上 海 在 勤 中某 日電 車 の. 2階 で あつ たが,此. 處で も「レ ス ト ラ ン」の2階 に. 中 で岡 山 在 學 時 代 の親 友 で下 宿 を共 に した こ とも. 一 室 を 借 りた.「 レス トラ ン」 と言 つ て も絃 歌 さ ん. あ る中國 人 醫 師 某 氏 に 邂 逅 し,懐 し さの餘 り近 寄. ざ め く騒 しさは 少 しも無 く,却 而 食 事の 爲に 外 出. りて 呼 び か け た ところ,某 氏 は「暫 く」と一 言 答 へ. す る煩 は し さが な く又,食 事 時 に「レ ス ト ラ ン」に. た の み に て次 の停 留所 で 下車 した との こ と,同 少. 集 つ て くる各 階 級 の 人 々 と接 す る機 會 が 多 くて何. 佐 は 感慨 無 量 で あ つ た と述 べ て ゐ た.. 彼 と便 利 を得 た.其 の 上食 事 附 きに す る と下 宿 代. 名實 共 に東 洋 の盟 主 た る日本 は亞 細 亞數 億 の 民. も割 安 で あ る.. を指 導 す べ を立 場 にあ り,日 本 の偉 大 さ を識 ら し. 教 室 の 日課 は毎 日午 前7時 に始 ま る ので あ るが. め,日 本 人信 じて可 な りとの念 を抱 か さね ば な ら. それ に間 に合 ふ 様 に毎 朝6時 に 下宿 の主 婦 に起 さ. ぬ であ らう.斯 様 な點 か ら して も今 後 益 々多數 の. れ るの は な か な か辛 かつ た.殊 に 冬 の6時 は ま だ. 留 學 生 を誘 致 し,之 を厚 遇 し 日本 を充 分 認 識 せ し. 暗 く,「 ネ カー ル」河 にか か る 「フ リー ドリッ ヒ」橋. む る こ とは極 め て必 要 な こ とで は あ る まい か.私. を,1間. が 茲 に伯林 大 學 のAuslandsamtに. の襟 を立て て 毎 日渡 つ た も ので あ るが,こ ん な 時. 就 て略 記 した. の も思 ひ を茲 に 致 したが ため で あ る.. 先 も見 え ぬ濃 霧 を突 い て寒 風に 「オ ーバ」. に は そぞ ろ旅 愁深 き ものが あつ た.併. し伯林 の 様. に惶 しさ も無 く,人 事 に煩 は さ る る こ とも無 く, 心 ゆ く迄讀 書 も出來 る し見 學 も 出來 大 い に張 り き. ハ イ デ ル ベル クの 愚 ひ 出 ハ イデ ル ベ ル ク は南 獨 逸 の學 都 で,獨 逸 最 古 の 大 學 の あ る 所 で あ る.ビ フェ ル(1826…. …1886)の. タ ト ー ル ・ フオ ン ・セ ツ. つ て眞 に愉 快 な 毎 日 を過 し,1日. の短 き を嘆 じた. もので あ る.. 有 名 な 「ア ル ト・ハ イ デ. ハ イ デル ベル ク大學 外 科 の キ ル シュ ナ ー教 授 の. ル ベル ク」の 詩 に も書 かれ てあ る通 り古 跡 に富 み,. 所 に は 日本 か ら來 獨 され た外 科 醫 は必 ず1度 は 訪. 風 光の 明 媚 な る こ と國 内第 一 と稱 へ られ,私. れ るので あつ て,私 が 教 室 に滯 在 中 に も望 月(京. にと. りては 追憶 の情 の盡 きせ ぬ所 で あ る. 私 は渡歐 前 か ら此 地 に切 な る憧 を抱 い て ゐ たの で あ る.そ れ は 大學 外 科 の キ ル シュ ナ ー教 授 の學 徳 を慕 ふ こ と切 な る ものが あ つ た許 りで な く,其. 府 犬),荒 木(京 大),竹 林(阪 大),今 白(京 城 醫專),藤. 永(九 大),. 原(京 大)等 の諸 博 士 が 來 訪 さ. れ た. ハ イデ ル ベ ル ク は「ライ ン」河 の支 流 「ネ カ ー ル 」. の土 地 柄 に も幾 分 多感 的 な憧 れ を さへ持 つ て ゐ た. 河 の河 岸 に あ り,人 口 僅 に8萬6千. の で あ る.. な いが,古 城 を初 め,名 所 古 蹟 に富 み 詩趣 も亦 豐. 伯 林 を中心 と し て の 見 學 を一 通 り終 つ た 私 は 1937年. の9月. 上 旬大 い な る期 待 を持 つ てハ イデ. の小 邑 に過 ぎ. な 所 で あ る.. 古 城 は17世 紀 の 初 期 フ リー ド リッ ヒ5世. の時. ル ベ ル グ に轉 じ た の で あ る.町 の 中 央 を流れ る. 代 に漸 く完 成 した もの で あ るが 同世 紀 の 末 葉 には. 「ネ カ ール 」河 岸 の 或 る「レ ス トラ ン」の2階 の 一室. 既 に佛 軍 侵 入 の爲 破 壊 され て,今. に 暫 くの居 を定 め,即. 日キ教 授 を教 室 にお 訪 ね し. イ ー ネ」 と して遺 殘 して ゐ る.其 の癈 墟 と化 し蔦. た ので あ るが 前 以 て手 紙 で お願 ひ してあ つ た こ と. は茂 り雜 草 の蔓 るに委 され た と ころ に捨 て難 い趣. 日迄 其 の儘 「ル. 288.

(15) 雜. 2297. 報. され た の は11月 末 日で あ つ て渡 米 を急 が るる 多 忙 な御 旅 程 で はあ つ た が,共 に この古 城 の秋 色 を 漁 つ た こ とで あ る.. ハ イ デ ル ベル ク古 城 の1部. シエツフェル(1826……1886)の鋼像 「ネ カ ー ル 」 の 河 を隔 て て 古 城 と相 對 し て ゐ る ハ イ リゲ ンベ ル ク に も中世 紀 の 遺 跡 が 非 常 に 多 い.「 ネ カ ー ル 」は 水 の 流 れ も 暖 で,獨 て は 割 合 に 清 澄 で,夏. 逸の河 と し. の 河 岸 で の花 火 は 古城 の 照. 明 と相 映 じ其 の 美 觀 は こ の 地 の 名 物 で,國 論,國. 内は勿. 外 か らの 遊 覧 客 も亦 非 常 に 多 い.「 バ イ ブ」. を衝 へ て 悠 々 と鈎 糸 を垂 れ る老 翁 の 姿 も懐 し く, 河岸 の廣 瀾 な 芝 生 と共 に忘 れ 得 ぬ思 ひ 出 とな つ て 蔦や雜 草に取卷かれた古城. き が あ る.古. き を 慕 ひ,遠. ゐ る.. き歴 史 を囘 顧 し祖 先 の. 遣 業 を偲 ぶ とい ふ 心 は 東 西 を 問 は ず 同 じ と見 え 見 物 客 引 き も 切 ら ぬ 有 様 で あ る.其. の 周 圍 を取 り卷. く 「シ ュ ロ ス ・ガ ル テ ン」 も逍 遙 に 良 ろ し く,其. の. 秋 色 は 又 格 別 で あ る.「 ア ル ト ・ハ イ デ ル ベ ル ク」 の 詩 の 作 者 シ エ ツ フェ ル の 銅 像 も こ の 園 内 に 建 て られ,遠. く 「ネ カ ー ル ・ タ ー ル 」 を見 下 ろ し て ゐ. る. 城 の 背 山 は 「カ ス タ ニ ェ ン」,「 タ ン ネ ン」,「 ブ ツ フ ェ」(ブ 林 で,栗. ナ),落. 葉 松,〓. 等 の 獨 逸特 有 の混 合. 拾 ひ の 子 供 達 が 澤 山 ゐ て 私 も子 供 の 相 手. と な り童 心 に 返 つ て 栗 拾 ひ に 日 曜 を 過 し た こ と も あ つ た.本 289. 學 の 八 木 教 授 が ハ イ デ ル ベ ル ク を來 訪. 「ネカ ール」の流 れに糸を垂 ろる人.前 方 に見 え るのは ハイデルベル クの街 こ の 地 の 大 學 は 既 に5百. 有 餘 年 の 輝 け る歴 史 を.

(16) 雜. 2298. 報. 有 し,獨 逸 最 古 の も の で あ り,「ナ チ ス」政 府 とな つ. 藤(東. て か ら例 の 猶 太 人 排 斥 の 爲 多 數 の 碩 學 が 其 の 位 置. て ゐ られ た.. を奪 は れ た の で あ る が,そ. れ 迄 は哲 學 及 び法 學 方. 文 理 大)諸. 氏 が 俗 塵 を離 れ て 研 究 に 没 頭 し. 昔 の 獨 逸 學 生 は 血 闘 と「ビ ー ル 」の 鯨 飲 と を盛 ん. 面 に於 て は碩 學 が 肩 を並 べ て教 職 に就 て ゐ た との. に や つ た も の で あ る が,之. こ と で あ る.醫 學 部 は ま だ 比 較 的 新 し く,そ れ で も. ボ ラ チ オ ン」で あ る.「 コ ル ボ ラ チ オ シ 」 と は 學 生. 百 餘 年 の 歳 月 を閲 し,外. 結 社 と で も譯 す べ き も の と思 ふ が,バ. ナ ラ ー ト,ウ. 科 教 室 で は,チ. イ ル ム ス,エ. ェ ル ニ ー,. ン ダ ー レ ン等 諸 教 授 を. 經 て 現 在 の キ ル シ ュ ナ ー 教 授 に 至 る迄 代 々 斯 界 の 第 一 人 者 を シ エ フ と し て ゐ る.附. Studenten. Akademisches. Krankenhausの. 捗 しつ つ あ つ て,其. の 第1期. は 郊 外 の 「ネ カ ー ル」河 畔 に2箇. 總 改築 も漸 次 進 工 事 で あ る外 科 教 室 年 間 の 歳 月 と巨萬. イ エル ン と. か ブ ロ イ セ ン と か の 出 身 地 別 に よ り,又 ー ツ」,宗 教,音. 屬病 院 で あ る. を 助 長 し た の が 「コ ル. Verbindungを. 新 入 生 は 必 ず 何 れ か の 「コ ル ボ ラ チ オ ン」に 加 入 し て 先 輩 の 指 導 と訓 練 と を受 け た も の で あ る.「. 獨 逸 第1の. 要 な る 要 素 と され て ゐ た も の で あ る.併. 生 の 精 神 訓練 の 重. は 教 室 の 移 轉 を 間 近 に 控 へ て 内 部 の 造 作 を急 い で. 結 社 は 徒 に 黨 派 觀 念 を 助 長 し,地. ゐ た.國. す る 弊 害 も あ つ て,一. 事 多 端 而 も經 濟 力 の 不 足 を言 は れ て ゐ る.. 獨 逸 に 於 て,斯. 様 な 大 教 室 の 改 築 を ド シ ドシ 實 現. し之 等 の. 方 的 感 情 を戟 化. 國 一 黨 擧 國 一 致 の 「ナ チ ス」. 政 策 に 相 反 す る が た め,「 ナ チ ス」政 府 と な つ て か ら嚴 禁 され た の で あ る.け. し て ゐ る の は 眞 に 羨 ま し い こ とで あ つ た.. ビ. ー ル」 の 鯨 飲 も血 闘 に 因 る 顔 面 の 刀 痕 も當 時 は 大 學 生 の 誇 と し て ゐ た も の で,學. の滯 在 中. 「ス ボ. 造 つ た も の で あ る.. の 國 費 とを費 して壯 麗 な る白堊 の殿 堂 を現 は して 教 室 建 築 と言 は れ て ゐ る.私. は. 樂 等 の 趣 味 に よ り學 生 連 中 は 必 ず. れ ど もハ イ デ ル ベ ル ク. の 様 な古 い學 都 には あ り し日 の學 生 生 活 の 名殘 り を 留 め る酒 場,又. は 血 闘 所 等 が2, 3殘. つ て ゐ る.. 血 闘 は全 然 禁 止 され た と言 ふ 理 で は な い が 世 相 を 反 映 し て 餘 り行 は れ て ゐ な い 様 で あ る.私. も市 内. に あ る 血 闘 所 の 一 つ を見 せ て 貰 つ た が 「ホ ー ル 」の 周 壁 に は 團 旗 を 飾 り,闘. 士 の 相 對 し た 椅 子,腰. け て 顔 面 の 切 創 を縫 つ た と言 ふ 椅 子,血 し た 劍 等 を 保 管 し て あ つ た.案. 掛. 痕 の附 着. 内 の 婆 さん は 歴 史. 的 の 寫 眞 帖 を 取 り 田 して は 長 々 と血 闘 の 模 様 を 説 明 し て 呉 れ た も の で あ る. 學 生 の 酒 場 の 一 つ にRoter. Ochsenと. 言 ふの. 「ネカール」河 を隔 てて新外科教 室を遠 望す が あ る.之 ハ イ デ ル ベル ク には 大學 とは全 然 別 個 に …. 新. は ウ ニ ベ ル ヂ テ ー トの 程 近 い 所 に あ り. 赤 牛 の 彫 物 を 看 板 に 出 し た,如. 築 外 科 教 室 と隣 り合 せ て ゐ る … … 「カ イ ザ ー ・ウ イ. る 酒 場 で,「. ル ヘ ル ム 」 研 究 所 が あ る.之. の 學 生 連 中 の 落 書 や,「. は まだ 歴 史 は 比較 的. テ ー ブ ル 」か ら天 井,壁. 新 しい が 其 の 陣 容 は 大 した も の で マ イ ヤ ー ホ ー フ. 生 連 中 の 寫 眞,優. (生 理),ク. れ て あ る.今. ー ン(化 學),ボ. 授 が ゐ られ る.當 學 部),寺. 坂(徳. ー テ(物 理)等. 時 こ の 研 究 所 に は 郷 田(東 島 高 工),今. 永(九. の諸 教 大理. 大 醫 學 部),遠. 何 に も古 色 蒼 然 た にい た る迄 昔. ナ イ フ」の 跡 が 刻 ま れ,學. 賞 杯,旗. 等 が所 狹 きまで に 飾 ら. 日 で は こ の 地 の 名 所 と な つ て ゐ て,. 遊 覧 客 は 必 す 一 夕 こ の 酒 場 に 清 遊 を試 み る べ き と こ ろ と な つ て ゐ る.老. 若 男 女 の 別 な く,「 ビ ヤ 」を. 290.

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