因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
127
論 説因果的共犯論と共同正犯
谷 岡 拓 樹
第 1 章 はじめに
第 1 節 因果的共犯論と二つの最高裁判例 第 2 節 学説の議論状況とその問題点 第 3 節 本稿の目的
第 2 章 二つの「共同」
第 3 章 「共同」の具体的内容
第 1 節 第 1 類型の「共同」についての検討 第 1 款 総論
第 2 款 共謀共同正犯についての検討 第 1 項 意思連絡の意義
第 2 項 「支援の期待」についての検討 第 3 項 「心理的拘束」についての検討 第 2 節 第 2 類型の「共同」についての検討 第 1 款 総論
第 2 款 結合犯の実行共同正犯についての検討 第 3 款 結合犯以外の実行共同正犯についての検討 第 1 項 一般的な実行共同正犯についての検討 第 2 項 付加的共同正犯についての検討
第 4 款 構成要件要素の共同充足による共同正犯についての検討 第 1 項 構成要件的状況の作出
第 2 項 身分者と非身分者の「共同」
第 3 節 小括
第 4 章 具体的問題の検討 第 1 節 承継的共同正犯の成否
第 2 節 特殊詐欺組織における包括的共謀 第 5 章 おわりに
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
第 1 章 はじめに
第 1 節 因果的共犯論と二つの最高裁判例
因果的共犯論とは、法益侵害(危殆化)の(間接)惹起に共犯の処罰根 拠を求める見解である(1)。このような因果的共犯論は、共犯論全体に「因果 性」という共通の視座をもたらし、共犯論の理論的発展に大きく寄与して きた(2)。また、因果的共犯論は、学説だけでなく、判例にも影響を及ぼすに 至った。すなわち、共犯関係からの離脱に関する最決平成元年 6 月26日 刑集43巻 6 号567頁や最決平成21年 6 月30日刑集63巻 5 号475頁、承継的共 同正犯に関する最決平成24年11月 6 日刑集66巻11号1281頁には、因果的共 犯論の影響を確かに見て取ることができるのである(3)。
しかし、近時、共同正犯に関する二つの最高裁判例が出されたことによ り、現在、そのような状況に動揺がみられる。
その一つは、最決平成29年12月11日刑集71巻10号535頁(以下、「平成29 年決定」とする。)である。同決定は、いわゆるだまされたふり作戦の開始 後に関与した特殊詐欺の受け子について、詐欺未遂罪の承継的共同正犯の 成立を認めた(4)。このような同決定の判断は、承継が認められることはあり 得ない、と説明してきた因果的共犯論の立場(5)とは整合しないのである(6)。も
( 1 ) 山口厚『刑法総論〔第 3 版〕』(有斐閣、2016年)310頁などを参照。
( 2 ) 山口厚『新判例から見た刑法〔第 3 版〕』(有斐閣、2015年)92頁参照。
( 3 ) 原田國男「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成元年度)』(法曹会、1991 年)181─182頁、任介辰哉「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成21年度)』(法 曹会、2013年)180─181頁、石田寿一「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成24 年度)』(法曹会、2015年)454頁以下参照。
( 4 ) 川田宏一「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成29年度)』(法曹会、2020 年)256頁参照。
( 5 ) 山口・前掲注( 1 )371頁などを参照。
( 6 ) 川田・前掲注( 4 )256頁は、「本決定は、判文上、詐欺罪の承継的共同正犯
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
129
っとも、学説では、因果的共犯論の立場から、同決定を説明しようとする もの(7)もあり、これだけでは、因果的共犯論の立場が揺らぐことはなかった のかもしれない。しかし、それに続く、最決平成30年10月23日刑集72巻 5 号471頁(以下、
「平成30年決定」とする。)も、因果的共犯論との関係で議論を呼ぶことと なった。同決定は、いわゆる付加的共同正犯とみなしうる事案について、
「共同して危険運転行為を行った」ことを理由に、危険運転致死傷罪の共 同正犯の成立を認めており、このような同決定の判断は、「付加的共同正 犯の既遂結果に対する正犯としての処罰根拠を心理的因果性と実行行為の 共同の双方に求める見解に親和的といえる」(8)と解説されている。しかし、
因果的共犯論の立場からは、これまで、付加的共同正犯の場合について、
実行行為の共同が意味をもつわけではなく、意思連絡に基づく心理的因果 性によって共同正犯の成立が基礎づけられているにすぎない、との説明が なされてきた(9)。そのため、同決定も、やはり因果的共犯論との整合性が問 われることになるのである(10)。
今では、これら二つの最高裁判例を理由に、判例は因果的共犯論から距 離をとる傾向にある、との評価(11)がなされるに至っている。
を認める理論的根拠については明示しておらず、……因果的共犯論による立論を含 めその具体的な理論構成は特定の立場を採ることを明らかにしたものではない」と する。
( 7 ) 橋爪隆『刑法総論の悩みどころ』(有斐閣、2020年)399─400頁、十河太朗「騙 されたふり作戦と詐欺未遂罪の共犯」同志社法学70巻 2 号(2018年)25頁以下など を参照。
( 8 ) 久禮博一「判解」『最高裁判所判例解説刑事篇(平成30年度)』(法曹会、2021 年)184頁参照。なお、同185頁は、心理的因果性のみで共同正犯の成立を認め得た かという点について、「疑問の余地があるようにも思われる」としている。
( 9 ) 西田典之(橋爪隆補訂)『刑法総論〔第 3 版〕』(弘文堂、2019年)371─372頁、
橋爪・前掲注( 7 )327頁、小林憲太郎『刑法総論〔第 2 版〕』(新世社、2020年)
330頁などを参照。
(10) 豊田兼彦「共同正犯の構造の再検討─ 2 つの最高裁決定を契機として─」
佐伯仁志ほか編『刑事法の理論と実務②』(成文堂、2020年)86頁以下も参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
第 2 節 学説の議論状況とその問題点
このような判例の動向に対して、現在、学説の対応は分かれている。一 つは、因果的共犯論の立場をなお維持するものであり、もう一つは、因果 的共犯論を共同正犯に適用せず、それと異なる立場を採用するものであ る。
前者の立場は、共同正犯について、概ね次のような理解を採用する。ま ず、(広義の)共犯を、他人の行為を介して因果性を拡張するものとして 理解し、そのような他人の行為を介した因果性による(広義の)「共犯」
の成否の問題と、共同「正犯」の成否の問題とを区別する(12)。そして、後者 の問題を、他人の行為を介した因果性が認められるにすぎない部分(自ら 実行行為を分担していない部分)について(も)正犯性を肯定し得るか、と いう問題、つまり、共謀共同正犯の問題として理解するのである。このよ うな理解の特徴は、全ての共同正犯を(少なくとも一部)共謀共同正犯と して理解する(13)点にある。
しかし、そのような理解は成り立たないように思われる。というのも、
例えば、甲が(財物を奪取するため)V に暴行を加えて反抗を抑圧したと ころに現れた乙が、甲と意思連絡のうえ V の財物を奪取した、という承 継的(実行)共同正犯の事例では、乙の関与後の実行行為を全て乙が分担 しているため、乙に甲の行為を介した因果性は認められず、ここでの乙に ついて共謀共同正犯の問題は生じていない。そのため、ここでの乙につい ては、共謀共同正犯とは別の論理によって共同正犯の成立が基礎づけられ ているとみなさざるを得ない。そして、そうであるならば、承継的(実 行)共同正犯の場合だけでなく、通常の実行共同正犯の場合も、共同正犯
(11) 樋口亮介「平成の刑法総論」法律時報91巻 9 号(2019年)36頁参照。
(12) 西田・前掲注( 9 )372頁などを参照。
(13) 島田聡一郎「共謀共同正犯論の現状と課題」川端博ほか編『理論刑法学の探究
③』(成文堂、2010年)45─46頁、橋爪・前掲注( 7 )329頁、小林(憲)・前掲注
( 9 )329─330頁などを参照。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
131
の成立を基礎づけているのは、やはり共謀共同正犯とは別の論理であると 考えざるを得ないと思われる。したがって、承継的共同正犯の成立を認め る立場(平成29年決定の立場)を前提とするならば、実行共同正犯を含め た全ての共同正犯を共謀共同正犯として理解する上記のような理解は、も はや維持し得ないのである。もちろん、このようにいえば、そもそも因果的共犯論の立場から承継を 認めようとするのが誤りなのである、と考えるかもしれない(14)。しかし、承 継を否定すれば、それで問題が解決されるわけではない。なぜならば、実 行行為の全部を分担する関与者についても、(共謀が認められる限り)問題 なく共同正犯の成立が認められているからである。そのような関与者につ いても、他人の行為を介した因果性は認められず、やはり共謀共同正犯と は別の論理によって共同正犯の成立が基礎づけられているとみなさざるを 得ないのである(15)。
それでは、後者の立場、つまり、因果的共犯論を共同正犯に適用しない 立場を採用すべきなのであろうか。この立場は、実行共同正犯と共謀共同 正犯とを区別し、それぞれについて次のように説明する。すなわち、前者 については、協調行動による刑法規範への共同違反によって共同正犯の成 立が基礎づけられる(16)のに対し、後者については、共謀=合意による心理的
(14) 因果的共犯論の立場から、承継を否定するものとして、山口・前掲注( 1 ) 370─371頁、小林(憲)・前掲注( 9 )320頁以下、松原芳博『刑法総論〔第 2 版〕』
(日本評論社、2017年)410頁、町野朔『刑法総論』(信山社、2019年)416頁以下、
林幹人『刑法総論〔第 2 版〕』(東京大学出版会、2008年)380頁以下、浅田和茂
『刑法総論〔第 2 版〕』(成文堂、2019年)435頁以下、関哲夫『講義刑法総論〔第 2 版〕』(成文堂、2018年)419頁などを参照。
(15) 島田聡一郎『正犯・共犯論の基礎理論』(東京大学出版会、2002年)110頁注
(202)は、このような場合の共同正犯と、60条の適用により、はじめて処罰が基礎 づけられる共同正犯とを区別し、前者は訴訟法上や量刑上の考慮から共同正犯とさ れているにすぎず、処罰拡張事由としての本来の共同正犯ではない、とする(橋 爪・前掲注( 7 )302頁注 5 )も参照)。しかし、そのような場合であっても、60条 が適用されることに変わりはない以上、やはり本来の共同正犯とみなさざるを得な いと思われる。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
拘束や心理的障壁の除去によって共同正犯の成立が基礎づけられる(17)、と説 明するのである。
しかし、この立場が、因果的共犯論の代わりにどのような処罰根拠を採 用しているのかは判然としない。共同正犯に因果的共犯論を適用するのが 妥当でないというのであれば、最低限、それに代わる別の処罰根拠を示し たうえで、それが因果的共犯論よりも妥当なことを示すべきであろう。そ れがなされないまま、いわば場当たり的に因果的共犯論を放棄したので は、かえって(別の)問題を生じさせてしまうだけだと思われる。そもそ も、因果的共犯論は、正犯と共犯の処罰根拠を(基本的に)同一に解する ものなのであるから、因果的共犯論を適用しないということは、狭義の共 犯だけでなく正犯とも異なる処罰根拠を採用することを意味する。そのよ うに、共同正犯についてだけ、全く異質な処罰根拠を採用すること自体が 極めて不自然であるように思われる。
また、そもそも、そこで放棄されているのは因果的共犯論なのか、とい う疑問もある。すなわち、そこでは、因果的共犯論にとどまらず、個人責 任の原則まで放棄されているようにもみえるのである(18)(19)。仮にそうなのだと すれば、やはりそれは妥当でないといわざるを得ない。近時の判例に、因 果的共犯論と整合し難い面があることは確かであるが、だからといって、
判例が個人責任の原則まで放棄しているようには思われない。
以上のように、学説では、現在、二つの立場が対立しているものの、そ
(16) 樋口亮介「実行共同正犯」『井上正仁先生古稀祝賀論文集』(有斐閣、2019年)
145─146頁参照。
(17) 樋口亮介「共謀共同正犯における共謀の意義」研修844号(2018年) 7 頁参照。
(18) 松原芳博『行為主義と刑法理論』(成文堂、2020年)265、284頁は、因果的共犯 論が個人責任の原則を共犯論において具体化するものであることを指摘する。な お、近時の共同正犯論が集団責任論に接近していることを指摘するものとして、照 沼亮介「近年の共同正犯論とその問題点」佐伯ほか編・前掲注(10)112頁以下を 参照。
(19) この立場が、(因果的共犯論に代わる)共同正犯の処罰根拠を問題としていな いのも、それが、個人責任の原則を放棄するものであるからなのかもしれない。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
133
のいずれについても、問題を抱えているといわざるを得ない。確かに、二 つの最高裁判例によって、因果的共犯論を基礎とした従来の共同正犯論 は、変革を迫られているといえる。しかし、それは、単に因果的共犯論(ひいては個人責任の原則)を放棄すればよいというものではない。今求め られているのは、因果的共犯論の基本思想を尊重しつつも、判例の問題意 識を踏まえ、共(同正)犯論を再構築することであると思われる。
第 3 節 本稿の目的
筆者は、別稿において、因果的共犯論を再構成することにより、強盗罪 等の手段・目的型の犯罪類型について、承継的(狭義の)共犯の成立を認 め得ることを示した(20)。そのような理解に従えば、因果的共犯論を放棄する という極端な手段を採ることなく、その基本思想を維持したまま、承継的 共同正犯の成立を認めることができるように思われる。もっとも、既に述 べた通り、承継的共同正犯の成立を認めるのであれば、従来の因果的共犯 論のように、共謀共同正犯の論理(のみ)によって共同正犯の成立を基礎 づけることはできない。そのため、承継的共同正犯の成立を認めるのであ れば、その点について、さらなる検討を要する。しかし、そのように、共 謀共同正犯とは別の論理によって共同正犯の成立を基礎づけることができ るのであれば、平成30年決定のように、実行行為の共同によって(も)
(付加的)共同正犯の成立が基礎づけられると理解することも可能となる。
本稿は、因果的共犯論を再構成した立場を前提として、共同正犯の成立 を基礎づける新たな論理を探究することにより、因果的共犯論の基本思想 と上記二つの最高裁判例が、十分に調和し得るものであることを明らかに することを目的とする。
(20) 拙稿「因果的共犯論と承継的共犯」早稲田法学会誌71巻 1 号(2020年)251頁 以下参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
第 2 章 二つの「共同」
筆者は、別稿において、次のような主張をした。すなわち、共犯におい ては、法益侵害(危殆化)結果との間の条件関係(結果回避可能性)までは 要求されておらず、促進関係で足りると解されている。そうであるとすれ ば、共犯の処罰根拠は、法益侵害(危殆化)自体の惹起ではなく、それを 促進することによる「結果」(「(現実に生じた正犯結果に対する)寄与」)の 惹起に求められることになる(21)、と。このような理解に従えば、狭義の共犯 と同様に促進関係で足りると解されている共同正犯(22)についても、同様の理 解が妥当することになる(23)。
もっとも、共同正犯の場合、狭義の共犯の場合とは異なり、共犯の処罰 根拠のみから、その成立要件が導かれるわけではない(24)。というのも、共同 正犯は、狭義の共犯とは異なり、「共犯」でありながら「正犯」として処 罰されることになるため、上記の共犯の処罰根拠とは別に、それを基礎づ けるための要件が必要になるからである。
現在、学説においては、そのような共同正犯の成立要件について、全て の共同正犯に共通する一般的成立要件のみを問題とする立場(25)と、実行共同
(21) 拙稿・前掲注(20)251─252頁参照。
(22) 山口・前掲注( 1 )325頁などを参照。
(23) 実行行為の分担者については、自ら法益侵害(危殆化)を(直接)惹起してい る以上、共犯としての「結果」惹起を認め得ないのではないかと思われるかもしれ ない。しかし、共犯としての「結果」惹起は、(正犯としての)法益侵害(危殆化)
惹起とは別次元の問題である(拙稿・前掲注(20)257─258頁参照)から、法益侵 害(危殆化)を(直接)惹起しているからといって、それにより共犯としての「結 果」惹起を認め得なくなるわけではない。実行行為の分担者については、当然に共 犯としての「結果」惹起を認めることができる。
(24) 狭義の共犯においては、「従属性」要件が課されることになるが、これも、共 犯の処罰根拠から導かれるべきものである。この点については、拙稿・前掲注
(20)252─253頁参照。
(25) 島田・前掲注(13)45頁以下、橋爪・前掲注( 7 )330頁以下、小林(憲)・前
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
135
正犯と共謀共同正犯とを区別し、それぞれについて別個の成立要件が妥当 すると解する立場(26)とが対立している。前者の立場は、因果的共犯論を基礎 にした立場であり、後者は、共同正犯に因果的共犯論を適用しない立場で ある。既に述べた通り、共同正犯には、他人の行為を介した因果性が認め られない場合も含まれていることから、全ての共同正犯を(少なくとも一 部)共謀共同正犯として理解する前者の立場は貫徹し得ない。しかし、そ のような理解の問題は、それだけには限られない。そのような理解の真の 問題点は、そもそも、それが実行共同正犯を単なる「一部共謀共同正犯」として把握する点にある。
例えば、甲が暴行を乙が財物奪取を分担するという典型的な(強盗罪 の)実行共同正犯の事例において、甲に強盗罪の共同正犯の成立を認める ことは、乙の財物奪取に対して共謀共同正犯の成立を認めることとイコー ルではない。というのも、単に乙の財物奪取に対して共謀共同正犯の成立 が認められるだけでは、暴行罪の単独正犯と窃盗罪の(共謀)共同正犯の 成立が認められるにすぎないはずだからである(27)。例えば、甲が乙に被害者 の殺害を命令し、乙がそれを実行したという典型的な(殺人罪の)共謀共 同正犯の事例では、乙という殺人罪の構成要件をみたす正犯が存在するた め、甲に殺人罪の共犯の成立が認められることに問題はない。しかし、上 記の実行共同正犯の事例では、強盗罪の構成要件をみたす正犯は存在しな い。そのため、上記の実行共同正犯の事例では、甲(乙)に強盗罪の共犯 の成立を認める前提として、そもそも強盗罪の構成要件が実現されている のかが問われなければならないのである。
掲注( 9 )326─327頁などを参照。なお、機能的行為支配説の立場から共同正犯の 成立要件を提示するものとして、照沼亮介「共同正犯の理論的基礎と成立要件」町 野朔先生古稀記念『刑事法・医事法の新たな展開 上巻』(信山社、2014年)249頁 以下を参照。
(26) 樋口亮介「特殊詐欺における共謀認定─実体法に基づく構造の解明」法律 時報91巻11号(2019年)62─63頁、伊藤嘉亮「詐欺罪における共同正犯の限界」法 律時報92巻12号(2020年)30─31頁参照。
(27) この点については、松原・前掲注(14)374頁も参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
他方で、上記の共謀共同正犯の事例では、甲に殺人罪の共犯の成立が認 められることを前提として、甲と乙を「単独正犯+狭義の共犯」として扱 うべきなのか、それとも全員を(共同)正犯として扱うべきなのかが問わ れることになる。これに対して、上記の実行共同正犯の事例では、甲と乙 のいずれか一方を強盗罪の(単独)正犯とし、他方を狭義の共犯とするこ とはできないのであるから、このような問題は生じない。
以上から明らかとなるのは、上記の二つの事例においては、いずれも共 同正犯の成否が問題となっているものの、そのそれぞれにおいて問われて いる内容は、大きく異なっているということである。すなわち、強盗罪の 実行共同正犯の事例では、共犯成立の前提として、そもそも強盗罪の構成 要件が実現されているのかが問われているのであり、それを肯定すること ができれば、甲と乙に強盗罪の共同正犯の成立まで認められることにな る。これに対して、殺人罪の共謀共同正犯の事例では、甲と乙を「単独正 犯+狭義の共犯」として扱うべきなのか、それとも全員を(共同)正犯と して扱うべきなのかが問われているのである。
このように考えると、共同正犯の成立を基礎づける「共同」には、次の ような二つの類型が含まれていたことが分かる。すなわち、全員を(共 同)正犯として扱うことを基礎づける「共同」(第 1 類型の「共同」)と、
構成要件実現を基礎づける「共同」(第 2 類型の「共同」)の二つである(28)。 そして、上記の説明からも明らかなように、これら二つの類型は、基本的 に、それぞれ共謀共同正犯と実行共同正犯に対応することになる。このよ うに考えると、一部の学説や実務が、実行共同正犯と共謀共同正犯とを区 別していたことにも、理由がないわけではなかったということになろう。
もっとも、両者は、必ずしも実行行為の分担の有無によって区別されるわ
(28) 従来から、60条には、これら二つの類型に対応する法的効果が認められること が指摘されていた(西田典之ほか編『注釈刑法 第 1 巻』(有斐閣、2010年)878頁
〔島田聡一郎〕などを参照)。しかし、そこでは、全ての共同正犯において、その双 方が問題となるわけではないという点が、見過ごされていたように思われる。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
137
けではない(29)。第 3 章 「共同」の具体的内容
第 1 節 第 1 類型の「共同」についての検討
第 1 款 総論
ここからは、前章において示した理解を前提として、それぞれの「共 同」の内容について、具体的に検討していくことにする。
まずは、第 1 類型の「共同」から検討を始めよう。
第 1 類型の「共同」は、既に述べた通り、複数の関与者を「単独正犯+
狭義の共犯」として扱うのではなく、全員を(共同)正犯として扱うこと を基礎づけるものである。従来、それを基礎づけるのは、「重要な役割」
(「重大な寄与」)であると考えられてきた(30)。しかし、既に指摘されている通 り、そのような理解は、共同正犯と教唆犯との区別について問題を抱えて いる(31)。また、そもそも、「重要な役割」が認められる場合には正犯として 扱ってよい、という理解は、感覚としては理解できるものの、そのことを 正当化し得る根拠が不明である。「重要な役割」が認められる場合には正 犯として扱ってよい、との理解の前提には、実行行為の分担が認められる
(実行共同正犯の)場合に正犯として扱われるのであれば、それに準じるほ どの重要な役割を果たしている場合にも同様に正犯として扱ってよい、と いう発想(準実行共同正犯論)があった(32)。しかし、実行行為の分担が認め
(29) もっとも、実行共同正犯と共謀共同正犯とを区別する立場も、必ずしも実行行 為の分担の有無のみによって両者を区別しているわけではない(樋口(亮)・前掲 注(16)155頁以下参照)。
(30) 西田典之『共犯理論の展開』(成文堂、2010年)51頁、佐伯仁志『刑法総論の 考え方・楽しみ方』(有斐閣、2013年)404頁、井田良『講義刑法学・総論〔第 2 版〕』(有斐閣、2018年)506─507などを参照。
(31) 山口・前掲注( 1 )341頁、橋爪・前掲注( 7 )332頁、松原・前掲注(14)
384頁などを参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
られる場合であっても、それが一部分担にすぎないのであれば、それによ って当然に(それ以外の部分も含めた犯罪全体の)正犯性が基礎づけられる わけではない(33)。したがって、準実行共同正犯論の前提は、既に崩れている のである。第 2 類型の「共同」が問題となる場合のように、そもそも正犯 が存在していないような場合には、複数の関与者の中から重要な役割を果 たした者だけを選び出し、それらを正犯として扱おうという発想も理解で きなくはない。しかし、第 1 類型の「共同」が問題となる場合には、既に 正犯が存在している以上、(その正犯に劣るはずの)「重要な役割」が認め られたからといって、それだけで正犯として扱うべき理由はないはずであ
(34)る
。
それでは、第 1 類型の「共同」を基礎づけるのは、どのような事情なの であろうか。それは、次のように考えることができる。
例えば、甲が乙に犯罪の実行を教唆し、乙がそのとおり犯罪を実行した という場合、甲は乙の犯意を惹起するという重要な役割を果たしてはい る。しかし、犯意を惹起したというだけでは、乙が自ら犯意を抱いて犯罪 を実行した場合(単独犯の場合)と比べて、何ら異なるところはない。そ のため、このような場合には、乙のみを正犯として扱えば十分であり、甲
(32) 西田・前掲注(30)51頁参照。
(33) 島田・前掲注(13)46頁参照。
(34) 現在では、「重要な役割」だけでなく、「共同性」という要件を要求することに より、「重要な役割」という基準の問題点を補おうとする見解が有力である。すな わち、共同正犯には、共同正犯と教唆犯・幇助犯とを区別するための要件と、共同 正犯・教唆犯と幇助犯とを区別する(刑の軽重の差異を基礎づける)ための要件が 存在し、前者が「共同性」であり、後者が「重要な役割」であると考えるのである
(嶋矢貴之「過失犯の共同正犯論(二・完)─共同正犯論序説─」法学協会雑 誌121巻10号(2004年)1696頁以下、島田・前掲注(13)54頁以下、橋爪・前掲注
( 7 )330頁以下、小林(憲)・前掲注( 9 )326─327頁参照)。しかし、共同正犯は、
正犯の刑が科されるにすぎない教唆犯とは異なり、そもそも正犯として扱われるの であるから、共同正犯と教唆犯・幇助犯とを区別するための要件のみを問題とすれ ば足り、「正犯の刑」という点のみを取り上げてそれと別個の要件を課すべき理由 はないと思われる。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
139
までを正犯として扱う必要はないと考えられる。幇助犯についても同様で ある。たとえ犯行に不可欠な道具を提供した場合であっても、それだけで は、最初からそのような道具を所持していた(単独犯の)場合と比べて、何ら異なるところはないのである。このように、複数人が関与する場合で あっても、それが、単独犯の場合と比べて、何らのプラスαも生じさせな いのであれば、「単独正犯+狭義の共犯」として扱えば足りると考えられ る。しかし、逆に、複数人が関与することによって、単独犯の場合と比べ て、何らかのプラスαが生じるのであれば、先ほどの場合とは異なり、
「単独正犯+狭義の共犯」として扱うだけでは不十分であると考えられる。
そのような場合には、そのようなプラスαの存在を理由に、全員を正犯と して扱うことが正当化されると考えることができる。つまり、単独犯の場 合と比べて、何らかのプラスαが生じている場合には、第 1 類型の「共 同」を認めることができるように思われるのである。
第 2 款 共謀共同正犯についての検討 第 1 項 意思連絡の意義
以上の理解を前提として、具体的な検討に移ろう。
第 1 類型の「共同」が問題となるのは、いわゆる共謀共同正犯の場合で ある。それでは、共謀共同正犯の場合に、一体どのようなプラスαが認め られるのであろうか。
この点を明らかにするために、まずは、次のような分析を参照したい。
すなわち、双方向的な意思連絡がなされた場合には、①自分の支援を相方 に期待させることにより、相方が単独で犯意を簡単に放棄することを阻止 できる。また、②一方の関与者は、他方の関与者が自分に寄せている行動 の予期・期待を裏切ることに心理的抵抗を感じざるを得なくなり、自己の 独断ではその意思を翻し得ないという心理的拘束を受けることになる。そ れが、寄与の重大性を示す要素として、共同正犯性を基礎づける(35)(36)、という
(35) 杉本一敏「意思連絡について」高橋則夫ほか『理論刑法学入門─刑法理論の
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
分析である。
本稿の立場からは、このような分析が示す、「支援の期待」と「心理的 拘束」という二つの要素は、共謀共同正犯の場合に認められるプラスαを 基礎づける要素として捉え直すことができる。もっとも、上記の説明だけ では、それらがプラスαを基礎づけ得ることの説明として十分でない。と いうのも、上記の説明だけでは、それらが単なる心理的促進の場合(プラ スαが認められない場合(37))とは異なることを説明できていないからである。
そこで、ここからは、「支援の期待」と「心理的拘束」という二つの要素 のそれぞれについて、さらに検討することにしたい。
第 2 項 「支援の期待」についての検討
まずは、意思連絡の相手方に「支援の期待」が生じることによって、ど のようなプラスαが生じることになるのかを明らかにしよう。
上記のように、「支援の期待」は、相手方に支援を期待させることによ り、相手方が犯意を放棄することを阻止することをその内容とするもので ある。確かに、このような説明だけでは、「支援の期待」も、単なる心理 的促進の場合と異ならないように思われる。しかし、ここでの「支援の期 待」は、相手方に支援を授ける用意があることを前提として、それを認識 することにより生じるものだとされている(38)。そうだとすれば、「支援の期 待」が認められる場合というのは、実行者が単に(相手方からの)支援を 期待しているというだけでなく、実際に相手方からの支援を期待できる
(その相手方に支援を授ける用意がある)場合だと考えることができる。
味わい方』(日本評論社、2014年)229─230頁参照。
(36) 「心理的拘束」については、松原・前掲注(18)238頁、伊藤嘉亮「共謀共同正 犯の構造( 2 ・完)─心理的拘束力の解明を目指して─」早稲田大学大学院法 研論集159号(2016年)40頁以下、樋口(亮)・前掲注(17) 7 頁なども参照。
(37) 単独犯の場合でも、心理的促進が認められる(それにより犯意が維持・強化さ れた)場合と同程度に犯意が強固な場合があり得るからである。
(38) 杉本・前掲注(35)229頁参照。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
141
「支援の期待」の内実が以上のようなものだとすれば、それが、単独犯 の場合と比べて、プラスαを生じさせるものであることは明らかであろ う。なぜならば、相手方からの支援を期待できる(その相手方に支援を授 ける用意がある)場合には、単独犯の場合(当該犯行が単独でなされた場合)よりも、明らかに犯罪実現の可能性が高まっているといえるからである。
もっとも、このように考えると、そこでプラスαを生じさせているのは、
(相手方が実行者を支援する心構えを有しているという)「支援」の存在だけ であって、実行者側がそれを期待している必要はないということになろ う。つまり、(第 1 類型の)「共同」を基礎づけるために必要なのは、「支 援」の存在だけであって、「支援の期待」までは必要ないと解されるので ある(39)。
もっとも、このような理解に対しては、意思連絡をする(実行者に知ら れる)ことなく、一方的に「支援」がなされている場合であっても、第 1 類型の「共同」が認められることになってしまい、共同正犯(特に共謀共 同正犯)の成立に意思連絡を要求する判例(40)・実務の立場に反するのではな いか、という疑問を抱かれるかもしれない。確かに、判例・実務は、共同 正犯の成立を認めるために、意思連絡を要求しているようにもみえる。し かし、判例・実務が、意思連絡が認められない場合に、一律に共同正犯の 成立を否定するものであるとはいいきれないと思われる(41)。また、本稿の立 場からも、ほとんどの場合には、事実上意思連絡が要求されることにな
(39) それにもかかわらず、「支援」そのものではなく、「支援の期待」が問題とされ ていたのは、それが因果的共犯論の立場を前提とするものであったからだと思われ る。すなわち、「支援」の存在そのものは、(実際に支援がなされない限り)結果に 対して因果性をもたない。そのため、それ自体ではなく、(それを心理的因果性と いう形に捉え直した)「支援の期待」が問題とされていたのだと思われる。
(40) 大判大正11年 2 月25日刑集 1 巻79頁参照。
(41) 例えば、小林憲太郎『刑法総論の理論と実務』(判例時報社、2018年)659頁 は、一部の学説が前掲大判大正11年 2 月25日を根拠に「『判例は片面的共同正犯否 定説だ』と短絡するのは、判例の読み方として最も典型的な誤りである」と指摘す る。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
る。まず、ここで「支援」として要求されているのは、あくまでも実行者 を支援する可能性だけであって、実際に実行者を支援することまでは要求 されていない。そのように、実際に実行者を支援していない場合には、共 犯の処罰根拠をみたすために、意思連絡が必要とされることになる(42)。ま た、犯行現場まで実行者に同行していないような場合には、通常、意思連 絡が認められない限り、「支援」の存在を認定することは困難であると思 われる。このように考えると、本稿の立場からも、実際に意思連絡が不要 とされるのは、実際に何らかの支援をした(共犯の処罰根拠をみたした)う えで、犯行現場まで同行し、支援に備えていた、というような場合に(ほ とんど)限られることになると思われる(43)。そのため、共同正犯の成立要件 として、意思連絡を要求しないからといって、それが直ちに判例・実務の 立場に反することにはならないと思われる(44)。
それどころか、共同正犯の成立要件として、意思連絡を要求する立場の 方が、判例・実務の立場と相容れないものであるように思われる。という のも、意思連絡を共同正犯の成立要件として位置づける場合、意思連絡に 共同正犯の成立を基礎づける何らかの意義を見出すことになり、その結 果、意思連絡の内容として、それに足るだけの内容を要求せざるを得なく なる(45)。しかし、判例・実務において、意思連絡として要求されているもの の内容は、学説の想定するそれとは大きく異なっている(46)。その意味では、
(42) 前掲大判大正11年 2 月25日が、そもそも因果性が認められない事案であったこ とを指摘するものとして、松原・前掲注(14)399頁参照。
(43) そもそも、実際に何らかの支援をした場合には、そのことを認識した実行者と 意思連絡が認められることが多いであろうから、このような場合は、相当に限られ ることになると思われる。
(44) 上記のような限定的な場合に、判例・実務が共同正犯の成立を認めないのか、
また、そのような結論が妥当なのか、という点は再考の余地があると思われる。な お、山口・前掲注( 1 )367─368頁の指摘も参照。
(45) 例えば、杉本・前掲注(35)222頁以下、樋口(亮)・前掲注(17) 7 頁などを 参照。
(46) それが顕著にあらわれるのは、黙示の意思連絡の場合である。例えば、松原・
前掲注(18)209頁は、スワット事件(最決平成15年 5 月 1 日刑集57巻 5 号507頁)
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
143
判例・実務も、意思連絡を不要としているに等しいのである。このように 考えると、上記のように、意思連絡を事実上の要求にすぎないと解してお く方が、むしろ判例・実務の実態には合致するように思われる。以上のように、「支援」の存在によって、第 1 類型の「共同」が認めら れることになるのであるが、このような理解に対しては、次のような疑問 を抱かれるかもしれない。すなわち、上記のように、「支援」の内容とし て、実際に実行者を支援することが要求されないのだとすれば、そのよう な支援の可能性だけで正犯として扱うことを正当化することはできないの ではないか、という疑問である。確かに、実際に重要な役割を果たしてい ても幇助犯にとどまる場合があり得るのに、支援の可能性だけで共同正犯 の成立を認めるのは、不均衡であるように思われなくもない。しかし、そ れは、実際に果たした役割の重要性(寄与の重大性)によって、共同正犯 と狭義の共犯(特に幇助犯)を区別すべきだという従来の理解を前提とす るからであって、そのような理解は当然のものではない。まず、支援の可 能性で足りるとはいっても、それとは別に、共犯の処罰根拠をみたしてい なければ、当然共同正犯の成立を認めることはできない。つまり、本稿の 理解は、共犯の処罰根拠がみたされることを前提として、それに加えて支 援の可能性が認められる場合に、共同正犯の成立を認めるものである。そ うだとすると、本稿の理解も、共犯の処罰根拠をみたすことを前提とし て、それとは別の事情によって正犯性を基礎づける点では従来の理解と共 通しており、あくまでもその内容の理解が異なるにすぎない(47)。そして、本 稿の理解からは、確かに現実の支援までは要求されないものの、そこで想
で認められた黙示の意思連絡について、「その本来の意味とは異なり、主観的な認 識・認容が被告人とスワットに同時平行的に存在しているということ以上のもので はない」と指摘する。この点は、この後の検討でも、たびたび問題となる。
(47) このような理解の相違は、役割の重要性を現実に果たした役割によって判断す るのか、それとも計画上の役割によって判断するのか、という形で、従来の議論の 中にも見出すことができる。この点については、伊藤嘉亮「特殊詐欺における承継 的共同正犯と共謀の射程」法律時報91巻11号(2019年)70─71頁参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
定される支援の内容は多岐にわたり(48)、また、その支援の可能性は犯罪実現 に至るまで認められることになる。そのため、ここでの「支援」に、「重 要な役割」と比べてマイナスな面があることは否定できないものの、そこ で想定される支援が包括的かつ継続的なものであることを踏まえると、特 定の寄与のみを問題とする「重要な役割」よりもプラスの面があることも また否定できないはずである。しかも、既に述べた通り、「支援」が認め られる場合には、単独犯の場合よりも明らかに犯罪実現の可能性が高まる のである(49)。以上を踏まえれば、支援の可能性によって正犯として扱うこと が正当化されるという理解も、十分に成り立ち得ると思われる。また、役 割の重要性は量刑上考慮可能であることまで踏まえると、そのような理解 が不当なものとも思われない。
以上の検討によって、「支援」の存在が第 1 類型の「共同」を基礎づけ 得るものであることを明らかにすることができた。そこで、ここからは、
その具体的基準を明らかにすることにしたい。
上記のように、ここでの「支援」というのは、(包括的かつ継続的な)支 援の可能性を意味するのであるが、それは具体的にどのような場合に認め 得るのであろうか。この点は、次のように考えることができる。すなわ ち、実務では、これまで、「自己の犯罪」として関与しているような場合 には、共同正犯の成立が認められる、と解されてきた(50)。そのような「自己 の犯罪」か否かという判断は、本稿の立場からは、(「共同」を基礎づけ得 るほどの)「支援」の存在の有無を判断するものであったと理解すること
(48) ここで想定される支援の内容は、ある程度包括的なものでなければならない。
そのことは、あらかじめ金庫の鍵を用意して窃盗を行う単独犯の場合と比べて、金 庫の鍵が必要になることを見越して共犯者が鍵をもって(そのためだけに)待機し ていた場合の方が、犯罪実現の可能性が高いとはいえないことからも明らかであ る。
(49) 「重要な役割」が認められるからといって、常に単独犯の場合よりも犯罪実現 の可能性が高まるとはいえないことは、既に述べた通りである。
(50) 杉田宗久ほか「共犯( 1 )─共謀共同正犯の成立要件(下)」判例タイムズ 1356号(2011年)64─65頁などを参照。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
145
ができる。つまり、「自己の犯罪」といえるだけの積極性が認められると いう事情は、犯罪実現に対して支援を惜しまないという「支援」の存在を 基礎づけていたと考えられるのである。これまで、主観的な積極性を重視 する実務の立場に対しては、学説から批判がなされることも少なくなかっ(51)た
。しかし、本稿の立場からは、そのような実務の立場も正当なものであ ったと再評価することができる。
以上のように、「自己の犯罪」という基準を採用するならば、従来の理 解と比べて、共同正犯の成立範囲が過度に拡張されることはないと思われ る。
第 3 項 「心理的拘束」についての検討
続いて、「心理的拘束」についての検討に移ろう。
「心理的拘束」が及ぼされている場合には、それを及ぼしている相手方 の意向に反して、一方的に犯罪を中止することは困難となる。このような
「心理的拘束」は、単なる心理的促進の場合と何が異なるのであろうか。
それは、実行者による犯罪実現(あるいは、その中止)についての意思決 定が、「心理的拘束」を及ぼしている相手方の意向に(も)左右されると いう点だと思われる。つまり、「心理的拘束」が及ぼされている場合には、
実行者は、「自己のため」だけでなく、「相手方のため」に(も)犯罪を実 行することになるのである(52)。「心理的拘束」の内実をこのように理解する と、それには、単独犯の場合に認められる犯意の強固さとは異なるものが 含まれていることが分かる。すなわち、単独犯の場合、いかに犯意が強固 であっても、それは「自己のため」のものであるにすぎない。これに対し て、「心理的拘束」が及ぼされている場合には、それに「相手方のため」
(51) 例えば、西田・前掲注(30)58─59頁などを参照。
(52) この点については、樋口(亮)・前掲注(17) 9 頁も参照。さらに、大審院以 来、判例における共謀には、「自己のために且つ他人のために犯罪を遂行する意思」
が含まれていたと分析するものとして、黄士軒「共謀共同正犯に関する基礎的研究
(三)」法学協会雑誌134巻 4 号(2017年)604─605頁も参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
という要素も加わることになる。それにより、単独犯の場合であれば、犯 罪を中止するような場合であっても、相手方の意向を慮り、犯罪を中止す ることができなくなるのである。このように考えれば、「心理的拘束」が 及ぼされている場合には、単独犯の場合よりも犯罪実現の可能性が高ま る、つまり、プラスαが認められると考えることができる。
以上のような理解からは、「心理的拘束」の内容として、相手方の意向 が(何らかの形で)実行者に伝達され、その意向が実行者の決定的な動機
(の一つ)になっていることが必要であり、またそれで足りるものと解さ れる(53)。また、このような理解からは、意思連絡は、「心理的拘束」を生じ させるための手段(の一つ)にすぎないことになるから、それ自体が要件 とされることはない(54)。そのため、具体的な意思連絡を認定することができ ない場合であっても、何らかの手段によって「心理的拘束」を及ぼしてい ることさえ認定できれば、共同正犯の成立を認め得ることになる(55)。さら に、ここでは、上記のような「心理的拘束」を及ぼしてさえいれば、「自 己の犯罪」といえるだけの積極性は必要ない。そのような事情は、「心理 的拘束」を認定するための間接事実として意味をもち得るにとどまる(56)。
(53) ここで問題とされるのは、あくまでも「相手方のため」という要素が加わって いるか否かであって、拘束力の強さではない。
(54) ただし、既に述べた通り、共犯の処罰根拠をみたすために、意思連絡が必要と されることはあり得る。
(55) このような理解は、前掲スワット事件決定や実務上有力な主観的謀議説(小林 充「共謀と訴因」大阪刑事実務研究会編著『刑事公判の諸問題』(判例タイムズ社、
1989年)31頁参照)と親和的なものといえよう。
(56) もちろん、多くの場合、相手方にとっても「自己の犯罪」である(犯罪実現を 積極的に望んでいる)(そして、そのことを実行者が認識している)からこそ、「心 理的拘束」が生じることになるのだと思われる。しかし、そのような事情がない場 合であっても、例えば、両者の上下関係等から、「心理的拘束」が生じることはあ り得る。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
147
第 2 節 第 2 類型の「共同」についての検討
第 1 款 総論
ここからは、第 2 類型の「共同」についての検討に移る。
構成要件実現を基礎づける第 2 類型の「共同」は、どのような場合に認 められ、また、それは、どのようにして根拠づけられるのであろうか。
別稿で述べたように、法益侵害(危殆化)の惹起にみたない促進による
「結果」の惹起を共犯として処罰するためには、その前提として(促進の 対象として)(基本的)構成要件が実現されていなければならない(57)。そうだ とすると、共同正犯の場合も、狭義の共犯の場合と同様の処罰根拠が妥当 すると考える以上、それを処罰するためには、その前提として(基本的)
構成要件が実現されていなければならないことになる。しかし、このよう な理解からは、例えば、甲が暴行を乙が財物奪取を分担するという強盗罪 の実行共同正犯の事例においても、(甲の暴行と乙の財物奪取とをあわせる ことによって)強盗罪の構成要件が実現されているとみなし得る限り、(強 盗罪の正犯の有無にかかわらず)甲(乙)に強盗罪の共犯の成立を認め得る ことになる。そうすると、ここで問題となるのは、強盗罪の幇助犯ではな く、共同正犯の成立まで認められる理由である(58)。もっとも、その理由は、
次のように説明することができる。すなわち、構成要件は(少なくとも)
違法行為類型なのであるから、それを実現する行為は、それが単独のもの であるか複数人のものであるかにかかわらず、同様に禁圧されるべきであ る。60条は、以上のような理由から、複数人の行為によって構成要件が実 現されているとみなし得る場合について、単独犯の場合と同様に禁圧する ことにした、つまり、全員を正犯として扱うことにしたものと解されるの
(57) これが、いわゆる「従属性」の要請である(拙稿・前掲注(20)252─253頁参 照)。
(58) もちろん、62条 1 項が条文上「正犯」の存在を前提としていることから、その 形式的な理由を説明することは容易である。しかし、ここで問題としているのは、
その実質的な理由である。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
である。このような理解からは、複数人の行為によって構成要件が実現さ れているとみなし得る場合には、第 2 類型の「共同」が認められることに なる。
もっとも、強盗罪の実行共同正犯の事例には、上記のような場合だけで なく、例えば、甲が暴行と財物奪取の双方を乙が暴行(のみ)を分担する というような事例も含まれる。このような場合には、甲の行為だけでも強 盗罪の構成要件を実現していることから、上記の議論は妥当しないように 思われなくもない。しかし、そのような場合であっても、(乙の暴行も含め た)構成要件該当事実全体を実現しているのは、やはり甲と乙という複数 人の行為である。その意味では、この場合も、上記の場合と事情は異なら ない。このように考えれば、複数人の行為によって一体的に構成要件が実 現されているとみなし得る限りでは、上記の議論は同様に妥当すると考え ることができる。
以上の検討をまとめると、第 2 類型の「共同」が認められるのは、複数 人の行為によって一体的に構成要件が実現されている場合だということに なる。従来、複数人が相互に利用補充し合って犯罪を実現している場合に は、共同正犯の成立が認められる、といった説明がなされてきた(59)。本稿の 立場からは、そのような「相互利用補充関係」は、複数人が一体的に構成 要件を実現していることを表現したものとして理解することができる(60)。 もっとも、以上のような理解に対しては、実行行為を一部でも分担すれ ば、常に共同正犯の成立が認められることになり、結論として妥当でない のではないか、という批判(61)も予想される。しかし、甲と乙が実行行為の一
(59) 例えば、大塚仁『刑法概説(総論)〔第 4 版〕』(有斐閣、2008年)300頁、大谷 實『刑法講義総論〔新版第 5 版〕』(成文堂、2019年)410頁、川端博『刑法総論講 義〔第 3 版〕』(成文堂、2013年)557頁などを参照。
(60) もちろん、「相互利用補充関係」という説明は、必ずしも第 2 類型の「共同」
が問題となるような場合のみに用いられてきたわけではない。しかし、その説明が 最も適合するのは、第 2 類型の「共同」が問題となるような場合であろう。
(61) 島田・前掲注(13)46頁、佐伯・前掲注(30)410頁参照。
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
149
部を分担し合ったという事例において、乙を幇助犯にとどめた場合、この 場合の甲をどのように処理するというのであろうか(62)。この場合、(相手方 である)乙が幇助犯にとどまる以上、共同正犯の成立を認めることはでき ない。また、乙を道具とみることもできないため、間接正犯の成立を認め ることもできない。もちろん、甲は単独で構成要件を実現しているわけで もないから、直接正犯の成立を認めることもできないのである。学説の中 には、このような場合の乙を、刑の軽さ以外の点では共同正犯と異ならな い「ミニ共同正犯」としての幇助犯とすることにより、甲について共同正 犯の成立を認めようとするものもある(63)。しかし、「共同(性)」が認められ る 2 人の関与者のうち、一方が共同正犯で他方が幇助犯という帰結を認め ることは、60条の「すべて正犯とする」という文言に反するように思われ(64)る
。やはり、このような場合には、全員を正犯として扱うのが60条の趣 旨であると思われる。また、共謀共同正犯を含め、広く共同正犯の成立が 認められている現状からすると、そのような帰結が不当であるとも思われ ない(65)。
第 2 款 結合犯の実行共同正犯についての検討
それでは、以上の理解を前提として、具体的な検討に移ろう。
まずは、強盗罪のような結合犯の実行共同正犯について検討したい。既
(62) このような問題を指摘するものとして、橋爪・前掲注( 7 )336頁、佐伯・前 掲注(30)411頁、髙橋直哉「承継的共犯論の帰趨」川端博ほか編『理論刑法学の 探究⑨』(成文堂、2016年)185─186頁注57)参照。
(63) 小林(憲)・前掲注(41)626─627頁参照。
(64) 論者は、62条 1 項の「正犯」の解釈として、「共同正犯とされるべき(一部の)
関与者」を含めることも許される(小林(憲)・前掲注(41)627頁参照)、とする が、60条の文言も含めて考えるならば、そのような解釈には無理があると思われ る。
(65) 特に結論が妥当でないように思われるのは、詐欺罪(恐喝罪)で受領行為のみ を機械的に分担したような場合だと思われる。しかし、そのような問題は、そもそ も受領行為を実行行為として理解することに起因するものである。この点について は、次款を参照。
早法 96 巻 3 号(2021) 因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
に述べた通り、第 2 類型の「共同」が認められるか否かは、(複数人の行為 による)一体的な構成要件実現の有無によって決せられることになる。も っとも、強盗罪のような結合犯の場合には、その判断にやや特殊な考慮が 必要となる。というのも、強盗罪は暴行・脅迫を手段とした財物奪取を禁 圧するものであるから、強盗罪の構成要件が実現されたとみなすために は、暴行・脅迫と財物奪取との間に手段・目的の関係が認められることが 必要であるが、それで足りると解されるからである。つまり、強盗罪の場 合、(複数人の行為による)一体的な構成要件実現の有無は、(別人格によっ てなされた)暴行・脅迫と財物奪取との間に、手段・目的の関係を認め得 るかという観点から判断されることになるのである(66)。
それでは、それはどのような場合に認められるのであろうか。それは、
次のような場合だと考えられる。まず、暴行・脅迫が財物奪取の手段とし て行われており、また、財物奪取がそれを利用して行われていることが必 要とされるべきである。もっとも、他人の財物奪取の手段として暴行・脅 迫を行っても、それは(暴行・脅迫を手段として)窃盗を幇助しているにす ぎない。そのため、ここでは、財物奪取の手段としての暴行・脅迫とそれ を利用した財物奪取とが、同一人格の意思に基づいて行われていることが 必要とされるべきである。暴行・脅迫と財物奪取が別人格によってなされ ていながら、それを認め得るのは、財物奪取が(そのための手段として)
暴行・脅迫を行った者との意思連絡に基づいてなされているか、あるい は、暴行・脅迫が(それを手段として)財物奪取を行おうとする者との意 思連絡に基づいてなされている場合だけだと思われる。
以上の検討をまとめると、結局、意思連絡と実行行為の相互分担が認め られる場合に、強盗罪の(実行)共同正犯の成立が認められることにな り、結果的には、従来の理解と一致することになる(67)。
(66) 暴行同士(あるいは、財物奪取同士)が一体と評価できるだけでは、暴行罪
(あるいは、窃盗罪)の限度で「共同」が認められるにとどまる。
(67) このような理解は、強盗罪だけでなく、他の手段・目的型の結合犯についても
因果的共犯論と共同正犯(谷岡)
151
もっとも、詐欺罪や恐喝罪についても同様の理解が妥当するのかは、な お検討を要する。学説の中には、受領行為がなされなければ既遂に至らな いことを理由に、受領行為も当然実行行為に含まれると解するものがあ(68)る
。そのような理解によれば、詐欺罪や恐喝罪も結合犯的に理解されるこ とになり、強盗罪の場合と同様の理解が妥当することになる。しかし、そ のような理解には、次のような理由から疑問がある(69)。すなわち、詐欺罪や 恐喝罪の場合、財物の交付の相手方は第三者の場合も含まれると解されて いる(70)。そのため、例えば、甲が友人である乙に利益を得させる目的で V を騙し、乙の自宅に現金入りの荷物を郵送させたところ、乙は(甲と意思 連絡することなく)そのような事情を認識したうえで配達員から荷物を受 け取った、というような事例でも、甲に詐欺罪の単独正犯の成立を認め得 ることになる。そうだとすると、そこでは、乙の受領行為によって詐欺が 既遂に至るにもかかわらず、乙の受領行為は実行行為ではないと解されて いることになる。つまり、受領行為も実行行為であるとの理解は、欺罔行 為者との意思連絡を欠く第三者が受領した場合には、必ずしも貫徹されて いないように思われるのである。それでは、(欺罔行為者と意思連絡した)
共犯者が受領した場合にだけ、受領行為が実行行為として扱われているの はなぜなのであろうか。
その理由は、次のように説明することができる。すなわち、上記事例で は、乙の方から(積極的に)荷物を交付させているわけではなく、配達員
同様に妥当することになると思われる。
(68) 安田拓人「判批」法学教室441号(2017年)126頁、橋爪隆「共同正犯をめぐる 問題( 3 )─承継的共同正犯をめぐる問題について」警察学論集70巻 9 号(2017 年)160頁、十河・前掲注( 7 ) 6 頁、樋口(亮)・前掲注(16)149頁、原口伸夫
「特殊詐欺の事案においてだまされたふり作戦が実施された場合と不能犯の法理
─同時に、未遂の場合の承継的共犯に関する一考察─」駒澤法学19巻 4 号
(2020年)54─55頁などを参照
(69) 詐欺罪を結合犯的に理解することに対して疑問を示すものとして、高橋則夫
『規範論と理論刑法学』(成文堂、2021年)296、469頁も参照。
(70) 山口厚『刑法各論〔第 2 版〕』(有斐閣、2010年)256、284頁などを参照。