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4 大倉匡仁

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Academic year: 2021

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子どもたち一人一人が自分のよさを生かし、生き生きと表現する図画工作科授業の事例研究 ーイ固別学習場面における教師の言語行為の可能性について‑

教科・領域教育専攻 芸術系(美術)コース 大 倉 匡 仁

子どもに寄り添うとか、一人一人の思いを大 切にするとかの考えはとても崇高である。時代 がどう変わろうとも、子どもを見つめないでで きる教育などない。「支援Jの考え方に心酔して いるはずの教師が、顔は笑って言葉は優しくて も、子どもの活動には満足していないとか、言 葉はほめているけれど、違う解釈を子どもに求 めているとか、発した言葉の意味と教師の心、

子どもへの伝わり方は必ずしも一致していない と感じることが多い。

筆者は、今まで、教師の発話についてあまり 深く考えたことはなかった。しかし、授業を含 めてすべての教育活動が子どもと教師との心の 通い合いの上に成り立っているところが大きい のなら、なおさらその根源とも言うべき教師の 言葉がけは、もっと大切にされるべきではない だろうか。

元来、授業は「教師の活動である教授と子ど もの活動である学習とが統一された過程」でな ければならない。図画工作科では、教材(題材) 開発や、技術指導の研究に比べて「言語行為J の分析・検討は今まで十分になされているとは 言えない。これまでの実践事例を集めた出版物 は、ほとんどが新しい題材開発や、材料研究に 関するもので、授業の中身、それも子どもと教 師のかかわりや、言葉のやりとりなどについて 論述されたものはあまり見当たらない。特に、

指導教官 佐 々 有 生

個別学習場面において、教師が子どもと何を話 し、何を引き出し、どういう成果を上げている かの実践記録も少ない。筆者は、教師個々人の

「カン」や「コツ」に頼らないで、言語行為を 教授技術として少しでも一般化できないかと考 えて、本研究を始めた。

そこで、子どもに任せた活動か教師主導の活 動かという観点で見た場合、それぞ、れに違った 特徴をもっ

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つの授業を選び、次のように分析 を試みた。実践授業の様子をビデオカメラで録 画し、教師にはマイクを付け、教師と子どもと の会話を記録する。それを、授業原簿に起こし て、教師の言語行為をカテゴリー化し、効果的 な言語行為を抽出する。

これまでの分析が、どちらかといえば、教師 主導型の授業であったため、先行研究における いずれかのカテゴリーにうまく収まっていたよ うだ。しかし、言語行為が先行研究で行われて いた、従来のカテゴリーにすべて分けられると いうこと、つまりは、教師の言語行為が子ども に対して何かの機能を必ずもっているという教 授理論は、教師が子どもに教えるものであると いう偏った授業観から、完全に脱しきれていな いことに気づいた。このような考えをもとに、

カテゴリーを再検討した後、授業分析を行った。

A、B、D教諭の 3人は、子ども主体の授業 であったが、 C教諭だけは、一斉授業の色彩が

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強い授業を展開した。ただ、このような教師主 導の一斉授業が、授業としてよくないものなの かどうかは十分吟味する必要がある。語りかけ の技術はまねできたとしても、 C教諭の授業の ような雰囲気はだれにでもつくれるというもの ではない。筆者が、子ども主体の授業を追究す るのは、単に教師主導型になりやすい一斉授業 という学習形態を否定して、授業を個別学習中 心のものにすることが目的だからではない。一 斉指導中の教師の言語行為については詳しく観 察することができても、個別の活動に移ると、

教師がどのように子どもにかかわっているのか、

詳細に見たり、理解したりできないことが多か った。しかし、個別学習は、図画工作科の授業 の中で、優れた指導や支援を必要とする重要な 場面の一つである。

C

教諭のような授業からも わかることだが、子ども主体であると同時に、

『心を入れ込んだ表現』ができていると認めら れるような授業をしていかなくては、子ども主 体の理念もただ、の流行に終わってしまうに違い ないと感じた。

分析したグラフから見ても、 A、B、D教諭 の言語行為は、類似するところが多かった。た だ、

A

教諭の授業は、見守る行為である「まな ざし」が多くなっているため、言語の数が他の 教師に比べ少なくなっていた。また、「提案」に ついては、数が多ければいいというものではな く、その質が問われなくてはならない。実践事 例の授業の多くは、子どもに「多様なやり方が

・あることを知らせ、活動に幅をもたせる」行為 が少なく、指示的な要素が強くて、子どもへの 伝わり方は弱いことがわかった。「提案」を授業 前に子ども一人に一言ずつ、何を言おうかと考 えておくことは、その授業での教師の言語行為 がどのようなものになるかを決定づけるはずで

ある。それは、子ども一人一人を理解すること、

ひいては、よさを認め、さらに高めることにつ ながると考えられる。

その他として、子どもが話しかけてきた言葉 を、そのまま「問いかけJや「問い直し」にし て返すことにより、子ども自らに考え直させら れていることが明らかになった。「問いかけJを 繰り返し、子どもの考えを引き出し、さらに広

げることで授業をつくりあげていこうとする技 術も効果的である。

こうした言語行為の研究過程で見えたものは、

教師の姿勢であり、情熱であり、愛である。筆 者は、このような支援や指導を行っている授業 の中から、言語行為に関することについて事例 を挙げ、分析することを、優れた言語行為を一 般化することととらえたいと思う。また、本研 究では、学校の実態や子どもの様子、教師の考 え方など、授業を取り巻く多くのことがらを、

それも授業中だけに留まらず、考えられる限り 参考にした。なぜなら、現場の教師が目を向け なければならないのは、生の授業であるからだ。

教師の幅広い努力と、子と、もへのたゆまない働 きかけがあってはじめて、授業は改善され、言 葉は輝くのである。

なお、研究を進める中で、「よい言語行為」を 追求するだけでは、本研究を深めることにはつ ながらないと気づいた。むしろ、自らの授業が 自分の理念や支援・指導意図と食い違っていな いか、学級経営や教師の姿勢として矛盾したと ころはないかなど、教師としての能力や適性を 見直すとでもいうべき判断基準として、言語行 為を振り返っていくほうが、効果的なのである。

さらなるカテゴリーの研究や、「造形遊びJや

「鑑賞」の授業の分析、そして事例の蓄積など を試みる必要があると思っている。

参照

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