雑穀畑作文化論 : 東北日本畑作文化の地域性
著者 立柳 聡
学位授与大学 東洋大学
取得学位 博士
学位の分野 社会学
報告番号 甲第37号
学位授与年月日 1996‑03‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1060/00000139/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
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さ て 、序論 第3 節で 本 研究 の方 法論に 触れたが、人間 の生活を 規定 す る一方 の次 元で あ る社 会構造 に注 目して 考え てみようとい うのが、 第H 部の目 的であ る。 第1 部で 触れ た雑穀畑 作文化を担う人 々の 社会と は、
一 体ど のよ うな特 色を 持つ もので あろ うか。 すで に、序 論 第2 節で は研 究史を 振り 返り 、 正確 には、 東北 日 本に限らず、 全国的 に は、 畑作農村 の社 会構 造上の特 色 の解明 はすぐ れて 今後 の課題であ ることを 指摘した。
こ の第 H部 はそ うし た問題 意識を 踏 まえ て 課題に迫ろうと する事例 研究 であ る。
文化と の連関を 考 察す る展望を 念 頭に 置き、事 例として 選ば れるのは、
第1 部第2 〜5 節で 検討し た四つ の ムラで ある。 福島県 の大石田と山 形 県 の 南沢は、日 本 の東半 分の地 域 にとり 分け大 きな 影響力 を持つとさ れ て き た同族( 特に、 典型と さ れる マキ型同 族)の特 色を 主とし て考え て みよ うと する事 例で あ る。 一方 、同 じ山形 県 の毒 沢は、同族とと もに、
東北 地方 に比較的広 い分 布を持 ち、村落 構造を 規定する重 要な 制度とし て知 ら れて きた契約 講( 組) に注 目して 、両 者の機能連関を 探り なが ら、
課題を 検 討して みよう とす る事 例であ る。 最後 の北村、原村 は、東北日 本を 代表 する もう一つ の タイプ の同族 = ジルイ型同 族と、し ばしば そこ に 付 随する仮 親子= 擬制的 親子 慣行 の特色を 考察 し、課題 に迫 ることを
企図 し た事 例で あ る。
方 法論的 には、すで に序 論第3 節E で、 村落構造類型 化の指 標と なっ た、 東北日 本の婚姻 、家族 、同 族の一 般的 性格を 整理し たが、 それを 基 準と して、 それと の偏差、 違いを 可 能な限り 明ら かにし ていく ことで、
東北 日本畑 作農村 の社会 構造上 の特 色を 考察す ることと し たい。
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第1 節 事例 研究1 福島 県 大沼郡三 島 町大 石田 の社 会構造 一畑作 農村 の同 族−
A. ム ラ の 概 況
第1 部で ほぼ 整 理しつ く さ れてい るが 、後 の議 論と の関係で 特に 重要 と 思 われる点 のみ、 再 確認 してお き たい。
ムラ内 の主 な 姓と して 五十 嵐(I 8戸 )、 秦(1 7戸 )、 渡部(9 戸 ) 渡 辺(4 戸) 、 飯塚(7 戸 ) が知 られ るが 、 後述す るよ うにそ れぞ れ同 族を 構成して おり 、 村落 構造 的に は、同 族 制村 落と して 基本的 な特徴を 把握 すること が適 切と 考え る。
また、 共有 林( 面積 の詳 細 は判明 せず )が 過去 にあり 、 焼畑 は主 とし てここで 行な われて い た。共 有 地は ムラ の周 辺 の山林 原野 中に1 1 ヶ所 が知ら れ、最大 の もの は、 面積1 2 0 町歩 を 記録 して い る。土 着と され る5 3 戸 の連名で 登 記さ れて きた入会 地で あり 、 かって な売買 はで きな い。 伝統的 には 、こ の入 会地 の杉 や桧を 売 却 して、 ムラ運営 の経費と し て用 いてい た。( 今日 的 には 、 ムラの 運営 経 費は区 費と して全 戸か ら徴 収さ れてい るが、一 律 徴 収にな る ものと 、所 得 によ って 差のあ るも のの 双方 が併用さ れてお り 、一 面で は真 の平 等 性が 貫か れてい る。) カ ノ=
焼畑 は、 この共 有地 内を 入 会権を 持つ 家 が自 由 に使 って行 われて きた。
希望 者は区 長 に申し 出 るが 、使用 す る場所 は早 い者勝 ちで 決まり、 何年 続 けて利 用して もよ い習 い とな ってい た。 区 長 は入会 地利用 の目安 とし て 焼畑の台 帳を 保管 して い るが、 若干 の利 用料 が 課さ れる以 外、細 かな 決 まり はな く、 また、 そ れで いて特 に問 題 も生 じて こ なか ったとさ れる。
自 分の耕地を 十 分に持 たな い家 にと っ て は、後 々他 家 に阿 ねる必要 のな いあり かた い生 活 の支え で あ った のであ る。
また、自給自 足的 な 大石 田 の生活 にあ って 、 伝統的 な 第一の 換金手段 は炭 焼きで あ った が、 その ため の木 材 資源を 供 給し たのが この共 有林で あ っ た。 大石田 で は、 急激 な 資源の枯 渇を 避 け るた め、全戸 で木 炭生産
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組合を 組 織して 、通年 で炭 焼き に従 事する家と、冬 期の み従事 する家と に 分けて 、生産 調整を して きた のであ った。 ムラ全体が生 きの びて いく ため の不 可欠な 制度で あっ た。 こ れ らを 念頭 に置きつつ 、族制上 の特 色 の考 察に 移り たい。
な お、 調査拒否 等があり 、 実 際の調 査対 象 は5 0戸であ った。以 下の 分析 はそ れらか ら得ら れたデ ータに基づ く ものであ る。
B 。 家 族 の 構 成 と 動 態
I 。 家 族 の 規 模
大石 田 の平均 家族員 数 は4.54 人であり 、全国平均 の3.04 人 は もちろ ん、 福島県 レ ベ ルの平均 値3.53 人より も一人 分も多 い状 況( 1 ) であ る。 事 実家 族員数 の 分布 幅は1 〜8 人 の間であり、6 人家族 の事 例 が最 も多 く、1 2 事 例 =24 %を 占 めてい る状況であ る。 また、同 居 世 代数か ら みると三 世 代家族 が2 4 世帯 で ほぼ半分を占めて いる。
要す るに 大石田で は家族員 数5 〜6 人の三 世代家族が多 いとい うこと であ り、 こ の点を 規 模の面 から みた 大石田 の家族の特色と して把 握す る こと がで きる。
2 。 家 族 構 成
同 居 する家族員 は世帯主 と の続 柄 において 子供、配偶者 、孫 の順で多 い。 ま た、 世帯主 が自 分の 親と同 居し ている場 合には、三 倍弱 の割合 で 父 親より 母親が多 く、特 徴を 成 し てい る。
次に、家 族構成 類型か ら みると、 まず夫 婦家 族につい て は、世帯主 夫 婦 のみの 例が7 例あ るが、 こ れら はみな子 育てを 終え た老 夫 婦で、5 0 歳台以 上 の年齢層 にあ る。 近い 将来 世帯主 の みの事例が 増加 すること に なる であろ う。続い て直系家 族 の特 色を 検討 して みよう。 世帯 主の祖 母
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の同居 が4 例(8 %) もあり、 注目 さ れ る。 す な わ ち、大 石田 の多 世代 に わた る直系 家 族は女性 の長 命によ って 支え ら れて い るこ とが わかるの であ る。
最後に2 例の報 告があ る傍系家 族を 考え て み よう。 二 つ の事 例に示 さ れた 傍系血族 は、具 体的に は世帯主 のオ バと弟 で あ るが 、前 者は一度 婚 出 後 に配偶者と 死別。身 寄り のない 状 況 の中で 生 家 に もど って きた もの で あり 、後者 は病気が原 因で生 家に 居留 まっ た ケ ー スであ る。 従ってど ちら も家 庭の特 殊な事情を 反映 した 事 例で あ って 、 慣行 に基づ く ものと は 考え にくい。 し かし、 大石田 には そう し て慣 行 が全 くな かっ たとする こと は少 々早 計に思 われ る節があり 、 言 わば そ うし た 伏線( 傍系 血族と の同 居を 肯定で きる考え 方) があ って 、 各 々の 事 例で は両 者を 受け いれ て い る可能性 もあ る。 詳細を 次の家 族 類型 の分 析の 中で 検討 して みたい。
3 。 家 族 の 類 型 一 過 去 と 現 在 −
前掲表5 9「 員数 別 世代 数・夫 婦組 数 ・家 族 類 型 別家族員 数 」から明 ら かなよ うに、大石 田の家 族は 直系 家 族 が3 3 例(66 %)と圧 倒的多 数を 占めて いる。 し か も、三世代 は固 より 四 世 代 に も及ぶ多 世代 な構成 とな ってい る点 で特 徴を 示し てい る。 し かし 、 従来 か らそう であ ったか につ いては疑問 があり 、 傍系家 族的 大家 族 で あ った こと が推 察さ れるの で あ る( 2 ) 。以 下二つ の事 例を 通し て、 変 化 の背 景 と その他 の特 色を 考 察して みたい。
< 事 例1 〉 5 0 4 世 帯 主 夫 婦 の 婚 姻
5 0 4 の現世帯主夫 婦 は実 は交 叉 イト コ同 志で あ る。 親達 は6 0 5 の 現 世帯 主の 二世代 前の世帯主 の子 とい う立 場 で もあ る。 5 0 4 の現世帯 主 夫 婦は夫6 8 歳、 妻6 5 歳(19 8 9 年8 月 現 在)で あ るが、約 半世 紀 ほど 前は それぞ れの両親と と もに6 0 5で 暮 らし てい た。 この 結果日
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常的な 接 触を 介して 情意 が通じ、 また、年 齢的な 差が 適当 であ ったこと など から婚 姻が成立。 そ れを 機 会に 分家し たのだ った。つ まり 、約半世 紀 ほど 前 の昭 和10 年 代 には、605 はいず れ かの配偶者同志 がキョ ウ ダイで あ る( 兄 妹) 二組 の夫 婦 がい っし ょに暮 らして いたこと になる。
いず れにせよ 、当 時 の6 0 5には一 時的 にせよ十数 名に及ぶ家 族員を 有 する 傍系家 族的 大家 族であ った こと が判明 する。同 様な事 例を もう一つ 紹介し て みよ う。
< 事 例2 〉5 0 8 世 帯 主 夫 婦 の 婚 姻
こ の夫 婦 は平 行 イト コ同志( 父 親同 志が兄 弟)であ る。 夫7 4 歳、 妻7 3 歳(19 8 9 年8 月現 在)であ り 、や はり それぞれの両 親とと もに5 0 8で同 居しな が ら育 ったのだ っ た。 なお 、 世帯主夫 婦 の親達の姉 は 婚出 してい ったこと が知 られる。 傍系家 族 にあ って も女性 のキョ ウダイ の夫婦 と の同 居は 歓迎さ れない 傾向 にあっ たと いうことか。 もしそう な ら〈 事例1 〉 の背 景 の追究 は重要 な意 味を もつ。大 間知篤三 は、子女 の う ち娘た ちは嫁 がせ、 息子 たちの みを残 留さ せ る多子残留 によ って形成 され た大家族 が天草・ 会 津・ 青森 など にみら れ る、と 報告し たが、こ う した 先行研究 の知 見と も一致 する 様相と 言え る。とこ ろで 、先 行研究 の 指摘 する東北地方 の大 家族 制は大 規模 な水田 稲作経営 にと もなう多量 の 家内労 働力 の必 要性の 見地か ら説明 さ れて きたが、大 石田 は伝統的に 焼 畑を主 体と する畑 作農 村であ って、 そこから かつて の傍系家 族的大家 族 の背 景を 説明 すること はで きな い。 果 たして 焼畑を生業 基 盤と した場 合 にお いて も、 そうした 傾向が生 じ る可 能性 はあ るのだ ろう か。
佐 々木高明 によ ると、 焼畑 の収量 は年 により 豊凶 の差が大 きく、 また 耕地 の造成と除 草に大 きな労 働力を 必要 とす る、とさ れる。さ らに、 東 南 アジ アか ら日 本 も含 め、一 戸( 成員5 人 )当 り の焼 畑経営 面積 は1 .4
〜1 . 8ヘ クタール まで の範囲 に納 まると い う(3 ) 。つ まり、 逆に 考え れば 、 もし大石田 におけ る一 戸あ たり の焼 畑経 営面積 が2 . 8ベ クタ ー
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ルを 越え るほど の もので あ ったな ら、 計算 上はそ の世帯 の成 員 は10 人 以 上であ るこ とが望 まれた はずで、 大家 族化 の背 景が 理解 さ れる。 過去 の焼畑 の実態を 数量 的 に正確 に把 握で き る資料が ない ので もど かし いが 仮 説と して指 摘して お きたい。
いず れにせ よ大石 田の 調査 か らは、 東北 地方 におけ る水 田稲 作 農村と 焼 畑・ 畑作農 村で は、家 族類 型を指 標と して み ると家 族 の社会 構造上 の 特 色に 東北地 方の一 般的 傾向 と目立 っ た違 いは認 め にくい と 報告 せざ る をえ な い。今 後同地 方の 調査 事 例を 積 み重 ね、こ の点 に明 確な 展望を 求 め たい。
4 . 家 族 の 展 開
さて 、家 族の動態 の 分析に 移り たい。 最 初に 世代 別の家 族 の展開 を考 察して みよう。 筆 者は 世帯主 の キョ ウダイ 、前 世帯主 の キョ ウ ダイ、世 帯 主 の子 供が成長と と もにど のよ うな 展開を とげ た かを 分析 して みた。
まず世帯主 のキョ ウ ダイ =18 9 例を みると、 ① 長男 の残留 =相続が 約9 割を 占 めること 、② 次男以 下 は明 ら かに転 出の 傾向 にあ るが 、職 出 が 分家 と婚 出の2 倍強 の割合を 示 すこ と、 ③さ ら に分家 と婚 出 の比較で は婚 出の数 値が高 く、長 男・ 長子 相続 的慣 行の 下で 、長 男以 下 の男子 の 処 遇として は、 ムコに 出すこ とが 好 まれ る傾向 にあ るこ と、 ④女 子 につ いて は9 5 パ ーセント 強の 割合で婚 出 が 選択さ れて い るが、 分家 によ る 転 出が2 例=約6 パ ーセ ント あり 、ど ち ら も長 女が 対 象にな って い るこ と 、⑤ 従って、③を 念 頭に 置くと 、女 性で も長 子で あ れば 単 に男 系を 選 択 するこ とより も、重 きが 置か れる 価値 観を読 みと り う ること 、と いっ た 特色を 抽出 すること がで きた。
また、 こうし た傾向 は前 世帯主 の キョ ウダ イ =16 9 例につ いて も認 め られ、 否、長女 によ る分家 の 創設 は3 例=約9 パ ーセ ント、 家 の相続 は5 例 =約1 5 パ ーセ ント に も達して い ること が 判明し た。 や はり 長女 に対す る特別な 価値 観の 存在を 認識 しう るよ うに 思 われ る。
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一 方 世帯 主 の子供 =1 I 7 例で は、 長男の同 居(2 6 例 =約6 7 パー セント = 職出 の約2 倍) が目立 ち、成 人女子で は7 5パ ーセ ントが婚 出 によ る転 出とい う状 況を示 してい る。
5 。 相 続 の 一 般 的 傾 向
次 に、 相続と い う観点 から検討を 加え て みよう。 現世帯主5 0人 につ いて みると 、前 世帯 主と の続柄 にお いて長 男であ るケ ースが実 に4 2 例 あり 、 さ らに、 長女 によ る相続 の事例一つを 加え ると、長子 によ る相 続 の割合 は実 に8 6 パ ーセ ントに も達 し、長 子相続 的傾向が はっきり把 握 さ れ る。 事実 次・ 三男 が相 続して いる場合 も長男 が何等かの理由で欠け た こと に 起因し ての ことであ って、実 質的 な長男 相続になってい ること も裏づけ と なろ う。
また 、4 代以 上継 続す る家で 、過 去三 代 に わた る相続者の続 柄が明 確 な2 2 例 について 代 々の相 続者を 明 らかに す る相 続継承線の 分析を 行な うと 、 過去 三代 の相 続者が すべて男 性だけと いう家 が1 5例、しか も長 男 によ って の み代 々相続さ れた ものが1 2 例を占め ており 、男系、特 に 長男 相 続 の傾向 がより 一層明 確とな る。 一方 女性 が相続者になる場 合は 専 ら長 女 が対象で あり 、 その背景 には、 ① 他にキョ ウダイがいない、 ② 何等 か の理 由で 長男を 欠いて いるとい う共 通項があり、 留意さ れる。
以 上 か ら大石 田にお け る相続者 決定 には、 ①長 子相続、②男系 優位、
③ 前者 より も後 者の 側の優 位、 とい う三 つ の基準 が機能してい るものと 推測 さ れ、 一般 に長男 →次男と いう順 位を原 則とし つつ、たとえば 次男 より も長女 の方 がかなり 年長であ る場 合など 、③ の基準が崩 れて長女 に よ る相 続と な ること が多 か った ものと みら れる。 東北地方に多 い姉家督 の 慣行 はこ の ムラで も比較的明 確で あ る。「 女が キョ ウダイの中で年長 であ っ た場 合に は、必 ず、相続さ せるが、 分家を 出 す。 」と語 るイ ンフ ォー マント もい ることを 御紹介い たしてお き たい。
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6 。 祖 名 継 承 法
この相続 慣行と関 連し て注 目 さ れる の は、 祖名 継承の慣 行 =先祖 の個 人 名の全部 もしく は一部を 継 承し て 子ど もに命名す る方 法で あ る。 筆者 が 調査し たと ころ で は、家 族 の一 人で もいず れかの先 祖か ら祖 名継 承が 認 め られる世帯 は実 に3 3 世帯 に も及 んで い る。
そこで 、ど のよ うな立 場 の家 族 に祖 名継 承が多 いかを 調 べて みると 、 男 性であ る世帯主 、そ の長男 、 さら に そ の長男、 世帯主 の父と いう 順 に 割 合が高いこ とが わかっ た。 因 みに 女性 の祖 名継 承者 も2 例を 確認 し た が、 と もに長 女であ った。 で は、 こ れら の人 々がど のよう な関 係の 先祖 か ら 祖名 継 承し た かを 調 べ て みる と 、 父 か ら( 総 事 例数 =59 例 の内4
3 例=73 %)、父 の父 か ら(17 %) 、父 の父 の父(5 %) の 順で あり 、父系 単系 的な価 値指向 か みご と に見 通さ れてく るのであ る。
7 。 養 子
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こ の点 と の関 連で、 次男以 下 の男 子 の 処遇方 法 として用 いら れ るこ と
が多 い ムコ養子 の実態を 検 討し て み たい。
:
現 世帯主 を中 心に その子 供 と過去 二 代 につい て、 ムコ養子 がど れ だけ行 われたかを みたところ 、 実 に50 戸 中1 4 戸で こ の間 ムコ養子 が少 な
く と も1[a]行 われて い たこ とが 判明 し た。 これ は長子 相続的 な慣 行 によ
「
り 、女性が 相続者 にな る機 会が比 較的 多 い大 石田 の慣 行に対 応す る もの、
と 考え られ よう。な お、一 般の養子 は少な い が、 世帯 主 と その親 の代、子 の代 とい う三
世代 につ いて みた場合 で も、 養子を 出 し た 例が2 例、受 け と った 例が3
j
例あ る。 こ れは、そ もそ も食 料 も限ら れて い るよ うな経済的 に脆 弱 な畑 I・作農 村にあ って は、一 面で 矛 盾し た状 況 に思 われ るが 、必 ずし もそ うで はな かっ た。
三 島町文 化財 報告書 第1 3 号 『会 津 御蔵 入 大 石田 の民俗 』( 会 津民
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俗研 究会 編 19 7 3 三 島町教 育委員 会 P 7 4 )に は、次のように 記さ れて いる。
「 大石 田部落 の山 林や耕 地を 多く もった5 〜6 軒 の地主 は、大正 の中 ごろ 奉公人 をか かえて いた。 その うち家内奉 公人 は家族同 様の待遇を受 け、 給料を も らい、 中に は分家で きたもの もあ る。 大石田 の地主 は、広 い山 林の育 成と 管理、 とく に狭い 階段 状水田 耕作 は、里平( 会津 盆地 の 平 坦 部の ことを そう 呼んで いる) に比 べて三 倍の労力 が かか るので、1 町2 反 く らいで も若夫 婦二人 では困難で あ った。 し か も大正時代 は養蚕 の全 盛期で もあ った ため、ど うして も奉公人を 必 要とし たのであ った。
渡部 某家 の例で は、子ど もを 里子 にもらい うけて 育て、成 長したあと 奉 公人 とし、 その後 、分 家さ せて い る。 五十嵐 某家 の場合 は、最 も奉公人 が多 く、幾 家族 もお り 、全 部で1 7〜2 0 人 くら いにな っていた。 」
要 する に、大石 田 には、田を 大量に所 有す る地主 はい なかったが、山 林地主 が少 数なが ら存 在し、 養子 の育成 に当 たれ る家があ ったのであ る。
8 . 家 族 の 役 割
で は、 役 割面か らはど のような 特色が 見い出 せるであ ろう か。 戦 前に おけ る家 長 の地 位 は高く 、特 に家 族の移動 と、 財産管 理に は絶対的な権 限を 持 って いたと 語る人 々が多 い。 また 、カ カザと 呼ば れる主婦権 も強 力で 、 姑は 概ね6 0 歳 頃までこ れを 保持 する のが普 通で あ った。 特に、
著 しく 貴重な 食料で あ る米 の管理 は厳し く、米 置き場 は常 に姑の目が届 くと ころ にあ ったと 伝え られてい る。 ハレの日 の食物・ 献立 の決定、日 常 のお かず 作り も姑 の役 割で あっ た。
相 続 慣行等 から みて 、かつ ての 大家 族 制の下で も、男 系 優位、直系家 族指 向 の価 値観が潜 在して いたと思 われ るが、こ うし た強い戸 主権がと もな って い たと すれば 、こ れは正 に「家 」と 呼ぶ べ き家 族制 度と認識せ ざ るをえ ない。 ここで も東北 地方に一 般的な家 族 慣行を 確認 すること が で き る。
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C 。 親 族 の 拡 大 と 組 織 化
1 。 親 族 を め ぐ る 諸 概 念
大石田 には、今日主 従関係を 含む 実 態 的な 権利 義 務関 係はな いが、 相 互 に系譜関 係を はっきり 認 識しあ った 本 分家 集団 が 認め られ る。 筆 者の 調 査から は、九つ の本分家集団 が 発見 さ れて い るが 、そ の内同 族の 性格 を 有す ると 思 われるのは七つで あ る。 総 本家 を イ チバ ン ノホンケ、 本家 を ホンタクまた はオマエ 、 分家を シ ン タ クもしく はワ カサレと 称し、 本 分家 集団 全体を イッケ、マ キ、 もし く は イ ッ ケマ キ、 その各構 成戸を イ ッケ ナカと 呼ぶ。 すで に触 れたよう に 、 大石 田 にお け る男系 =父 系 出自 強 調の 価値 観は明 確であ って 、こ のイ ッ ケマキ は同 族 の典型 =マ キ型同 族 の一つと 考えてよ いで あろ う。筆 者 が 調 査した50 戸 のう ち3 9 戸 =7
8 パーセ ントがいず れか のイッ ケマ キ に組 み込 まれて いた。 本家 格の 家 =1 1 戸 、分家格 の家 =2 2 戸、 本 家 かつ 分家 格 の家= 6 戸 であ る。
詳 しく は図9 を 御参照 いただ きた い。 因 みに特 定 のイ ッ ケマ キ全 体で正 月 元日 稲米 のモ チを 食す るこ とを タブ ーと す るな ど 、 イ ッケマキが 畑作 文 化の 重要な伝承 母体として も機 能す る こ と は、 す で に第1 部で 御報告 し た通りで あ る。
こ の他、「 姻 戚関 係にあ る家」と ほぼ 同義 で シン ルイとい う概 念 も抽 出さ れた。
2 。 分 家 ( シ ン タ ク) の 形 成
さて 、大石田 が村落構造 上基本 的 に同 族 制村 落と 考え う ること はすで に指 摘したが 、同 族制を有 す ると い うこ と は、 何 代に もわたり 、 分家 の 拡大と 相互 の系 譜関係 の認知に基づ く強 い むす びつ きを 維 持しよ うと す る 願望 が、 本来大石田 の人 々に は潜 在し て い る ものと 考え られよ う。
そこで、 次に第一義的 な親族 拡大 の契 機 とし て の分 家 の慣行 に注目し 、
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そ の法則 性や背 後 にあ る観念を 検討し て みたい。
現世帯主 を 基準 に ムラ内5 3 戸(20 L 30 に 5 0 7 について は 世帯 調 査表を 作成し ていな いが 、分家側 から の情 報で実 態が わかってし
まった ので、検討対 象とし た。) の過去三 代に 潮る分家形 成の事 例(1 2 例
)を 、 タ イト ル の視点 から集 計、分析し て みた。 出生順 の不明 な一 つを 除 く他 の全 事例を 概観して 気づ くこと は、①男 性が分家 を 創設する場合 はす べて 次男( の立場 に当た る者)であ ること、②一 方女 性の場合 はす べて 長女であ る こと、で あ る。 男系 優位・ 長子相続的 な価 値観を 背 景に
、次男 、 長女が それ に準じ る ものと して 相応の重 きを 置かれ、結果的 に 家を 相続で きな かっ た場合 に与え られた一 つの待 遇と い う解釈が適 切で あろ うし 、実 際特に 次男 につ いて はそうし た コメ ントを多 くの インフ ォ ーマ ント から聞 かさ れた。
し かし 、一方 分家を 作 ること につ いて の一 般的 な考え 方を 尋 ねる中で は、 「 うちの村 はそ んな に分家 は多 く ねえ 。」と も聞 かさ れた。 全体の 約8 割 の家が 何等 かのイ ッ ケマキに組 み込 まれてい る事実 に照 らして、
こ の発 言は実 態を反 映す る ものとは考え にくい。 しかし 、 そうし た認識 が 導か れてく る背 景があ るはずで 、そ れは以下 のような ものであ った。
す な わち、分家 を 出す ために は、それが生 き残 れ るだけ の 財産を 持 たせ て や らねばな らな いが、 焼畑主 体の貧し い ムラにあ って は、 それだけ の ものを 持 ちうる家 は限 られて いる。 だ から 分家を 出 そうと 思って もなか なか そう はいかな い、と いう のが人 々の説明な のであ った。
だ が、 これを その通り に受け とめ れば、 わざ わざ ムコを 得て まで 長女 を 分家 に 出すとい っ た事例は、 大石田 の相 続を めぐ る価 値観 も念 頭に置 きつつ 、 明ら かにそ れと の矛 盾を 示 すも のと考え られよ う。 言 わば この 点 を 理論 的にど う理 解で きる かが、大 石田 の分家 慣行なり 、より 広く家 族・ 親 族の社 会構造 の特色を 考え る上で ポイ ント となろ う。
そこで 、分家 の場合 の諸条 件に注目 して みると 、財産 分与 は、 正式の 場 合、 本家6 分、分家4 分に 分割す べき ものと伝え ら れて きて いる。従 って、 かなり均 分相 続に近い ものであ った ことに なる。 なお、 分割の対
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象とな る財産 は、山 林、 耕地、 所帯 道 具、生 産用 具が中心 で 、さら に家 を 新築して や るとい う。
また、 シンタ クが 出ると 、区 長に 申し込 んで ムラの1 戸 と 認めて もら う が、 シンタ クにと って著 しく 不利 な のは、共 有地 へ の入会 権が取得 で きな いこと であり 、生 活上多 く の不 便が生 じ るこ ととな った。 こ のため 何 等かの 都合で ムラを 離 れる事 情が生 じ た家 があ る場 合等、 入会権を 譲 り受 けると い ったこと もあ ったと 伝え ら れて い る。 なお 、当 地で は分家 制限 につい ては特 に聞 かれ なか った が、共 有 地へ の新 規参入 の困難等を 考え ると、 ムラが存続 して いく ため に、 ムラの適 正規 模につ いて、人 々 の 間で 一定 の了 解があ った ものと 思 われ る。
3 。 コ モ タ ズ ( 養 子 分 家 )
と ころで 、大 石田の 相続 と養子 分家 の問 題を 考え る上でど うして も見 おと せない 慣行とし て コモ タ ズ( 養子 分家 ) があ る。 続いて 本論 の核心 であ るこ の慣行を 紹介 して みたい。
コモ タズとは、 その 意味 すると ころ を漢 字で 表 現す れば「 子持 たず 」 とな る。 あ る家で た またま子 供が な かった 場合 、 そ の家は やがて 絶家 と な る。 こ れを 避け るた めに は何等 か の形で 相 続者を 得 なけ ればな らない わけ だが、 別の家 から夫 婦 ごと( もし く は養 子に な ると同時 に結 婚す る ことを 前提 に、 そのど ちら かを ) 養子 にとり 、 家を 相 続さ せ る、 という ものであ る。 こ の結果 姓は 従来と 変 わらな い のだ が、 実質 的に はあ る家 の 分家であ るよ うな家 が大 石田 には 存在 す るので あ る。 な お、一 般的 傾 向 性として 言え ば、男系 優 位な 価値 観の中 で男 子 の 養子、 もしく はそ れ と その妻と いう 形の夫 婦が多 か ったよ うで あ る。
この慣 行を 考え る場 合に 興味深 い のは、 たと え ば、「 あ の家 はコモ タ ズな ので うちか ら送り こん だ」と い う表現 に示 さ れ るよう に、 絶家 にな り そうな家 の事 情を 察 して 、 親戚や近 隣の家を 中 心 に、そ れを 積極的 に 救 済しよ うと する意図( もしく は何と して も家 を 存続 、相 続さ せたい と
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いう 願望 )か ら 養子を 提 供してい る節があ ることであ る。かつ て及川 宏 は、 分家 は家 族員 の 単な る分居で はなく 、超 世代 連続の予定と 村落 社会 の 承認が 必 要であ る(*)こ とを 指摘し たが、 すで に述べ たよ うに、 ムラ 内 の人 々 は該 当家 が コモ タズに よって維持さ れたことを 十分に了 解 して おり 、 こうし た こと から、そ れを ある家の 実質的分家とし て承認 するこ と も妥当 と 考え る。 以 下三つ の事例を紹 介する。
<事 例1 〉 606 の 場 合
6 0 6は現 世帯 主を 基準 に八世代 ほど前 に5 0 1の分家とな った。 し かし 、少 なく と も四代以 前 に一 度絶家 の心 配が生じ、6 0 3 より そ の男 子 夫 婦を コモタ ズによ って迎え た。こ のた め6 0 3 は現 在 ムラ内唯一 の k 姓 であ るが 、こ う したつ ながり から親戚関 係を 拡大しており 、501 を 本家と す る同族 の一 員 とし て認 められて いる。 また、6 0 3 は6 0 6 を 「 う ちか ら養子 を 出して 再興し たんです。 」と も語 っており、 先の コ
モ タズ の説明 を裏 づ けてい る。
< 事 例2 〉 610 の場 合
610 で は現 世帯 主 の祖父母(FF とF M)夫婦が コモ タズによ って6 0 7か ら養子 と して 迎え ら れた。 ただ 、本事 例で 興味深い のは、6 10
、6 0 7と も身近 な 親戚とし て相互に 認識し ていないこ とであ り、 事 例1 と極 めて対 象 的な 様相を示 してい ることであ る。 今 のところ理 由は 判明し な い。
< 事 例3 〉 4 0 8 の 場 合
408 の 現世帯 主 は もと もと6 0 8 の養子と して育て られてい たが、
た また ま408 に絶家 の心配 が生じ たため、 コモタズ により 今度 は4 0
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‑
8 の養子 となり、 家を 相続し た。 608 で はこの 間の 事情を 、「408
へ( 養子を )送り こんだ。 」と 称し 、「実 質的 な 分家 にな るわけで す。 」 と も語って い る。 また、408 も現 在 ムラ内 唯一 のI 姓で あるが 、608
他で 構成 する五十 嵐姓 の同族 の一員 とな って おり 、 その 他の構成戸 と 日 常的 に 強い結びつ きを 維 持し てい る。
すな わ ち、 大石田 の同族 に姓 の異な る家 が含 ま れて い るのはこ のため で ある。 一般 にこう したこ とが生 じ るの は、他 村 か らの転 入戸が所 謂、
ワラ ジ ヌギ( 草鞍脱 ぎ)分家 とな ったり 、 奉公 人 分家 の場 合等が多い 。 こ の点 大石田 の同族 は顕著 な違い があ る。
4 。 コ モ タ ズ の 機 能 を め ぐ る 仮 説
そこで 、私 の解釈を一 つ の仮説と して 提示 して みたい。
つ まり 、同族 の価 値観の中で 、大 石田で は分家 創 出が 可 能な状況 の下 で は積 極的に それを 意図 す ることと なり 、男 系・ 長 子 相続 の優位性を 背 景 に、主 として 次男 と 長女 がそ れに当 たる。 し かし 、中 心 とな る生業 = 焼 畑・畑 作炭 焼きの経 済力 は極めて 脆弱(5 ) であ って、 分家を 出す だけ の力 量 のあ る家 は限 られてい る。 人 々の潜 在的な 願望 の実 現にかなり の 制約が 加わ るこ ととな る。 こ のため 、 本来 分家を 創 出 する ことが期待 さ れる次男以 下 の男 子 の多 くが ムコ に出さ れ る形で 処 遇さ れ る結果とな る
( やがて ムコ入り し た家で 世帯 主と なり う る可 能性 が 高く、一 定 の代 償 と なりう る) のであ ろう。 さ らに、 分家 の増 大 によ る ムラ の規模 の一 方 的 な拡大 も困 るが絶家 が生じ ること は、 ムラの 存続 にと って これ また大 きな 脅威 とな ることが 想像さ れる。 言 わば こ こ に現 存 する家 の維持、 な い しは 何とか 絶家を 避け る工夫 の必 要性が 生 じ、 こ れが コ モタズ の慣行 を 定着さ せ る要因にな ったので あろ う。 し か もそ れ は実 質的 分家であ る か ら、 分家を 創出し たい とい う ムラの人 々 の潜在 的 要求を も満たす もの とな る。 何より 重要な こと は、 絶家 の入 会権を 相 続で きることで あり 、 一 戸前 の家とし て、 ムラに暮 らすこと がで き る のであ る。
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こ のよ うに大 石田 の家 族・ 親族の社 会構造 は、同 族、焼畑・ 炭焼 きの 脆 弱な 経済力、男 系 優位・ 長子 相続的 価値観 の矛盾を 調 整する仕組 みと し て のコモ タズ( 養子分家 ) によって 、最 も特徴づ けら れる( 6) と考え
られよ う。
5 。 同 族 の 結 び つ き
と ころで、 そうし た コモ タズ によ る分家 も含め、 イッ ケマキの本分家 は、 日常、及 びハ レの場 面で 、ど のような 結 びつ きを 維持してい るので あろ うか。
当 地で は、家 格 とか、 名家 とい った表現を ほと んど 聞 かない。旧 名主 の家 が「 オメイ」 と呼ば れ る位 の もので、 本家 格だか ら尊重されるとい っ た特権 もほと んど ない。 万一 分家 に 何か問題 が生じ れば、本家が手伝 う ことにな るとい った話を 語 るイ ンフ ォ ーマ ントは多 いが、逆に、分家 が 本家 のために尽 くさな け れば ならな い義務 はないとい う。 田 も限ら れ てお り田 植え や 稲刈り の共 同労 働 もあ まり 発達し なか ったとみられ る(7 )。
年忌と 盆、正月 に 集ま ったり 、相互 訪問 す ることは今 で も続いており 、 墓 も イッ ケマ キ の 仲 間 同士 隣接 し て おり 、 本 分家 が 互 い に参 拝す る。
( 大石田 には複 数の 墓所 があり 、 ほぼ イッ ケマキごと に、使い分け られ て い る。 )一 応同 じ イッ ケマ キの仲 間として の共属感 情は認めら れるが、
とに かく日常的 にあ まり 意識し ないと 語る インフ ォーマ ント が多い。 す で に第1 部で、当 地 の民 間信 仰対象と なる 神格につい ては紹 介し たが、
こ の内 イ ッケマキの同 族 神なり 、氏 神と みられる ものはな い。 祭祀 面で のつ ながり も当 地の 同族 は弱い のであ る。 同 族の一般 的性格と大 きく異 な る点 が多 々認 め られる。 より 具体的 に言え ば、日常 の生活 互助 機能が 特 に稀薄であ る。
たとえば、 大石田 におい て は、葬式 の手伝 いや、 屋根のふ き替え は、
近 所の人 々と 、イ ッ ケマ キに限 定さ れない 様々なつ ながり の親戚 全般を 対 象に 依頼さ れてお り、ど ち らかと言え ば、 隣組なり 、地 縁関 係が重視
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さ れてい るのであ る
すでに 紹 介し たよう に、そ もそ も分家を 出す 本家 も、 経 済的 に脆 弱で あり 、仮 に均 分に近い 財産分与で 分家 を 出し て し まうと 、 両者に 大きな 経済 力の 差 は認 めにくい状 況とな る。 互い に 積極 的に援 助 に入 れる条件 を持 ってい ない。 また、 共有地 の利 用 こそ が、 当 地で生 活 してい く上で は、 一層 重要な 意味を 持ってい たと み られ るこ と か ら、少 なくと も入会 権を 獲得で きれば、 分家 の本家 に対 す る、 もし く は イッ ケマ キ全 体に対 す る依存 は かなり 減少し たで あろ う。 自 ず と父 系 重視 の系 譜上 の本末関 係 の認識 に基づ く結 びつ きに関 係 は限定 さ れて く るこ と にな る。 当地 の 同 族の特 色 の形成に は、生業、 経済 的な 背 景 が強 く 影響し て いる ものと 思 わ れるのであ る。
D 。 総 括
最後 に、こ れまで の議論を 振り 返り 、序 論で 述 べた「東 北 日本畑作 農 村の類 型試 論」で設定 した指 標を 活用 して 、 こ れ までご 紹 介して きた 議 論を 再整理 し、村落 構造類型 論の 立場 か ら、 大石 田の社 会 構造の 特色を 総 括し て みたい。
①指 標とな る畑作物:
第I 部で ご紹 介し たよう に、当 地 の伝 統的 な 畑 作物 の主 体は、 ソバ、
ア ワ、キビ の雑 穀類と小 豆で あ る。 こ の内、 ソ バ、 アワ、 小 豆の三 者が 焼畑 の輪 作作物であ った。 第1 部 第1 節で 明 ら か にし た東 北地 方の畑 作 の特 色を十 分把 握す ること がで きよ う。
②共 有財 産の有 無:
「A. ムラの概況」で詳 述し たよ う に、 当 地 に は、 ムラの周 辺の山 林 原 野中に1 1 ヶ所の共 有地があ る。土 着の5 3 戸 の 連名で 登記 さ れて き た 入会地で あり 、そこ に育った杉 や 桧を 売 却し て ムラの 運営 経費を捻 出 し たり 、 主要 な生業であ った焼畑 の 耕地 、 唯一 の 換 金手段 で もあ った製 炭 のため の木 材 資源 の供給地と して 、正 に ムラ人 の 生活を 支え る生 命線
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であ った。 それ故 に、 木炭 生産 組合 によ る資源保 護のため の生 産調整が 行わ れたり 、焼畑 台 帳の 作成 によ る最 低限の耕地 利用の管 理 も行われて きた のだ った。 いず れにし て も、こ うした共有地 が経済的 に一層貧しい 家 の 存立を 支え る一 方、 そ の管 理を 通じて ムラの統制 に も一 定の機能を
発揮して きたこ と は注目さ れなけ ればならな い。
③共同 労働:
本 項目につい て の筆者 の 調査 は手薄であ るので 、先 行研究 の知 見を 参 考 に考え て みた い。 筆 者の 調査 に先立つ こと約1 5 年 ほど前、 会津民 俗 研究 会と三島 町文化 財 専門 委員 会、同 教育委員 会の協力で、4 日 間とい う 短 い 調査 期 間な が ら、 当 地 の 包括 的 な民 俗 調 査が 行 わ れた。 報 告書
( すでにご紹 介し たが、19 9 5 、三 島町文化 財報告書 第1 3号=文化 財基礎調 査報告書VI r 会津 御蔵 入 大 石田の民 俗』、三 島町教育委員会)
の発行 は大 幅に遅 れた が、 ここ で もそれを 参照 すると、 当地では各種の 共 同( 労 働)を 「 ユ イ」と 呼 び、代 表的な場 面の一 つと して、限ら れた 面 積の水 田なが ら、田 植え が 指摘さ れてい る。 しかし、「 相当多く の人 を 集めて一 挙に片 付け てし ま う 傾向 があっ た。 」と の記 載だけで は、何 と も判断 できな い。 焼畑を め ぐ るユイの報 告はない。日 常生活で問 題と な るのは薪の運 搬であ り、 「1 戸 分を1 5 人 位頼 み、1 日で1 戸 ずつ片 付け、 順番に 次々と 各戸を 回り 、1 週間位で やってし まう。 」とあ る。
概 ね各 戸から一 組 の夫 婦 が参 加して いた ものと みら れるが 、興味深いこ と は、本分家 間の ユイと は 報告 されていな いことと、 関係戸 の輪番制で 機 能してい る点 であ ろ う。 また 、ど ちら かと言え ば相互 扶助と概念化し た方 がよい か もし れない が、 葬式で は、「 葬儀委員 長を ここでは総指揮 官 と呼 び、 親類の ものが や って いる。 親類と近所 の主婦 は内 働きで まか な いの ほうを 分担 する。 穴堀 の 六尺 は隣組、あたり 近所 の人がや る。死 亡の知 らせと 寺へ の連絡 は近 親 が受 け持 ち、買い 物、 料理は近所 の人が する。 」、屋根がえ の手 伝 いで は、「あ たり 近所 と親 類の人 たちがで る。
…萱 かり に1 日、 運搬 に1 日 、当 日の屋 根ほごし に1 日 、計3 日 は手伝 う。 」と されてい る。残 念 なが ら、ここで いう「 親類 」の 概念が不明確
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・mm
であ り 、 イ ッ ケマ キ =同 族 の メ ン バ ー シップ と ど れ ほど 重 複 す る のか
( しな い のか )判明 し ないが、近 隣組 の家 の役割 の大 きさ が 理解さ れよ う。 同 族が 存在 しな が ら、地縁的 な関 係が重 要な地 位を 占 めて いる こと がよく わか る。
④家 族:
すで に「B . 家 族 の構成と 動態 」で詳 述し たよ うに、当 地 で は、伝統 的 に長男 相続を 理 想と しなが らも、 姉家督・ 長 子相 続 の慣 行が認 めら れ る。 また、 今日 的 に は長男夫 婦と の同 居を 基本と す る直系 家 族が 支配的 な家族 類型 とな って い るが、少な くと も戦 前まで は、複数 のキョ ウダイ 夫婦 の同居 によ る、 傍系家 族的な 大家 族が かなり み られ た ものと推 察さ れるこ と も明 らか にし た。 参考 まで に 、同様 な 見解 は先 の報 告書 にも記 載されて い る。
以 上を 総 括す ると 、当地 の家族 は、伝 統的 には 蒲生 のい う 拡大指向 型 であ っ たと みら れ、今 日的 には現状 維持 型に ほぼ一 致 す ると みられ る段 階 まで 変 化し て きてい ると判 断さ れよう。
⑤婚姻 体系 :
本 項目 も筆 者の 調査 が及んで いな いので、 先 の先 行研 究 の報 告によっ て確認 して い きた い。 す でに「B. 家 族の構 成 と動 態 4 . 家 族の展開 」 で 明ら かに し たよう に、当 地 の婚 姻 は基本的 に 嫁入 婚であ る。 婚姻 慣行
の細部 は、「 見合いを す る仲人婚 が大半で 、 し か も仲人 と親 の話で6 分 どおり 決定 す る。 … 親の 権力 が強 かっ たから 恋愛 結 婚は少 な かった。 し かし男女 が 知り 合う 機会 はお 祭りや 盆 に多 く、 子ど もがで きて から一 緒 になっ た例 もあ る。 少 ない 例であ る…婚姻 の成 立 し たし るし は、 酒定 め であ る。 仲人 がく れ る方 にい って披 露し、 もら う方 に帰 っ て きて披露 す る。 両 親、お じお ば、 本家 分家 、あ たり 近所 の 人 た ちを20 〜30 人 く らい 招いて 酒 盛り を 盛 大にす る。 」 とあ る。 仲 人の 役割 の 大 きさ や婚 前 性交渉 に 対す る否定 的 な態度 が理解さ れよ う。 なお 、 ムラ 内婚率 は現 世 帯主 から 過去3 代 の平均 で、約30 %で あ る。
こう して 嫁出 し た女 性たち は、既述 のよう に、 婚家 の 強 い「 家 」的な
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規制の下で ヨ メと なり 、 やがて 世代交 代により カカザ =主 婦権を 得て シ ュ ート メとな って いった。以 上を 総括 すると、蒲生 のいうヨ メイリ婚 姻 体系 の特色が す べて 出揃 ってい ると認 識されよう。
⑥イデ オロ ギ ー:
さて 、こ れまで の議論を 振り 返 って 考えて みると 、特に、家 族・ 婚姻 慣行 の中に、「 状 況不変 」の 価値 観を 把握す ること は容易であろ う。 ま た、共 同労 働の場 面か らは、 地縁関 係重視、幾 分状 況に応じ た流動的な り ーダ ーシップ も窺え るが、一 定 の原 則を 確立した制度的な もので はな く、 規範的 なイ デオロ ギ ーと は考え にく いものと思 われ る。当 地の伝統 的イ デオロ ギ ーは「 状況 不変 」と 理解さ れよう。
⑦ 親族体系:
すで に「c. 親族の 拡大と 組織化 1 . 親族をめぐ る概念」で紹 介し たよ うに、 当地 の主要な 親族 概念 は二つで ある。一つ は、マキ型同族と して の イッ ケマキであり 、 もう一つ は、 姻戚関係 にあ る家とほぼ同義 の シン ルイで あ る。 問 題は後 者であ って、 世代深度等、ど の程度 の範囲ま で この関 係が 拡大して い るか、妻 方・ 母方の割合等 、関 係の細 部につ い て、 筆者 の調 査は十 分踏 み込 めて いな い。 しかし、 大事な点を 補足的に 確認す れば、 シンルイは各戸 ごと に組 織され るものであ って、自 己( 家)
中 心的な 親 族の組 織化であ ること に疑 いはない。 従って、 蒲生 のいう 親 族体系 の分 類に基づ いて 判断す れば、当 地の親族 体系 は、 出自 集団 と 親 類の共 存す る親族組 織 の内 の、「 同族を 形成 する」もの に該当 すること にな るであろ う。
なお 、 ムラの人 々に 親戚に当 た る家を 尋 ねると 、 イッケマキの仲間 の 家 は次 々と回 答さ れるが、 シンル イの回 答 には一 瞬間があ くといっ た状 態で 、 シンル イに対す る意識は 明ら かに希薄であ る。大 石田の人 々にと って 親戚と は、 現実に は多 分に イ ッケマ キと同義で あ ることが わか る。
シン ルイは概 ね姻戚とい う関係 の確認 に止 まる結 び付 きとみら れ、 何等 か の固有 の場面で の積 極的 な共同 やつ ながり は、 ほとんど 確認で きな い。
あえ て イッ ケマキと シンルイを 比較す れば、相対 的な認 識なが ら、 親族
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︲一一
関 係におけ る重 要性 は明 らかに 前者の 方が重 い。
⑧村落構 造:
当地に は、同 族で あ るイ ッ ケマキが七つ あり 、 筆者 の調 査し た各戸 の 約8 割がいず れか のイ ッ ケマキに組 織さ れてい る。 すで に 報告 したよ う に、 イッ ケマキの統 制や 機能 はマキ 型同 族一般 に比 べると 、かなり 脆 弱 と みられるにし て も、当 地の村 落構 造の形 成 に最 も主 要な 役割を 有す る のは同 族と考えて よ いであ ろう。
なお 、当 地 の同 族 のこ のような 特 色が形 成さ れ た背景 につ いて 、筆 者 は以下 のよ うな仮 説を 提示 してお き たい。 先の 報 告書 は、「 大石 田部 落 の山 林や 耕地を多 く もった5 〜6 軒の 地主 は、 大正 の中 頃奉 公人を 抱え てい た。 大石田 の地主 は、広 い山 林の 育成と 管理 、 とく に狭 い階 段状 水 田耕作 は、 里平( 会津 盆地 の平 坦 部) に比 べて3 倍 の労力 が か かるので 、 I 町2 反く らいで も若夫 婦 二人で は困難で あ っ た。 し か も大 正時 代は 養
蚕の全盛 期で もあ った ため、ど うし て も奉公 人を 必要 とし た のであ っ た。 」 と記述して いる。地 主 の名前 は○ ○ 某家と 表 現さ れて い るが 、周 囲の文 脈からこ れが同族 の本家 を指 して いるこ と は明確 であ る。 また、「 炭焼 きの人の多 くは零細 な小 作百 姓が多 く、 山を 持て るよ うな 身 分で はな か った。部落 内の山 もち から5 反 歩 から1 町歩 くら い の雑木 林を 譲り受 け る。 」と もあ る。 筆者 は過去 に、当 地にお い て分 家 に際し て 分割 の対象 と な るものが、山林 、 耕地、所帯 道 具、生 産 用具で あ るこ とを 報 告し た。
要するに、当 地の同 族 本家 は、 水田 、 もし く は耕 地 の所有 こ そ限 られて いたが、こ の山林と い う財産を 保有 す る立 場 にお いて 、平 地 村、 水田稲 作農村の同 族本家に 準じ た機能を 発揮す ること がで きた もの と考え ら れ よ う。 自然 その影響力 は平 地村 の典 型的な 同 族本家 の もの に比 べて小 さ な ものにな らざ るをえ ない として も、 また 、共 有地 だけ で は生 活が 成り 立 たない人 々に対し 、否、 入 会権を 持てな い人 々に対し て は一 層、地 主 とし て多 少と も支配的 な 影響力を 保 持で きた はずで あ る。 た とえ ば、 後 述 する山形県 の二つ の ムラ もまた同族 の統 制、 本家 の 権威 は比 較的弱 い 点で 共通して いなが ら、 大石田で はヨ コ連帯 の システ ムが 発達 せず、 村
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落統 合の主 体的 な力 が同 族 におい て維持 されてきたの は、 こうした 背景 があ ったためと 思 われ る。 実 際山 形県 の例で は、山林地主 は認め られず、
また、 大石田で は、地主 は 在村地 主で あ って、地主と小 作が同 じ ムラの 一員で ある のに対 し、多 分 に不 在地主 の土 地 も耕作して いる点 で 大きな 違い があること は留 意さ れよ う。
と ころ で、 筆者 は、一 応年 齢 集団 的な ものとして、 青年団、共 栄会、
老人 会を 指摘 した が、 先の 報告 書は、老 人会に言及 せず( 従って 、近年 の創設であ る可 能 性があ る。 任 意加入で あ る点 も留 意されよう。 )、 ま た、 共栄会 は「 青 年団を 抜け た2 5 歳 から4 5歳 まで の相続人だ けで 戦 争 中に結成さ れた 会であ る。 」と 指摘し 、「 こ の部落には はっきり し た 年 齢集団 はな か った」 と も報告して い る。 さ らに、 地縁関 係は重要であ るとして も、輪 番や当家 が明 確 に制度化 してい る慣行は認 められな い。
大石田は基 本的な 特色 にお いて、 同族 制村落と認 識さ れよ う。
⑨典型的社 会体系 の パ ターン:
こ れまで の考察 を総 括して 、 大石田 の社 会体系を パ ターンとして把 握 して みたい。 蒲 生の 考え 方を 踏 まえ て 各 々の 指標の特色を 整理す ると:
拡大指向 /現状 維持 型家族・ ヨ メイリ 婚・同 族・状 況不変 イデ オロ ギ ー と表 現さ れよう。 蒲生 が提示 し た三つ のパ ターンの内の一 つで あ る(6
−1 ) に完全に一 致 する もので ある。
脚 注
( I )自 治省「 全国人 口・ 世帯 数表・ 人口動 態表」(19 8 8年 )中 の 統計によ る。
(2 )「 戦前 は家族 数9 〜10 人の家 は普 通であ っ たが、19 7 0 年 頃 から減少し 始め た。 」とす るイ ンフ ォーマント もいる。
(3 )佐 々木 高明 19 7 1 『稲作以 前 』 日 本放 送出版 協会 pp. 192 〜1 9 3
(4 )及川宏 19 6 7 『同 族組織と 村落生 活』 未来社
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・.・ │
(5 ) 今後 何等 かの 具体 的な数 値に よって その実 態を 示 せ るよう、 有効 な 方 法を 検討 中で あ る。 残 念だ が ムラの人 々の 発言を 踏まえて 抽象 的 な表現 に止 め たい。
(6 ) 山梨県 南巨 摩 郡早川 町硯 島地区 北村・ 原 村にお い て もリョ ウ イレ と いう コモ タズ に酷似 した 慣行 がみら れる。 果 たし て畑 作 農村にこ う した慣 行がど れほど 普遍 性を もちう るの か、興 味 深 い課 題と認 識 して い る。
(7 )当 地の 限ら れた 水田 は小さ な棚田 が多 い ので 、 大 き な潅 漑施設 は 必 要とさ れな い。 各家 の使 い水 は沢を 任意 に利用 す る ことと なって い る。水利 慣 行 も発達し て いない。
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第2 節 事例研究2 山形県 尾 花沢市 南沢 の 社会構造 一畑 作 農村 の契 約講・ そ の1 −
次に、 山形県 の状況を みてい くこ とと しよ う。 第1 部で紹介したよう に、南沢 は現在4 1戸 から成 る ムラで 、 筆者 は全戸を対象とする調査を 目 指し た が、 結 局2 戸 の協 力を 得 ら れな か った。 以 下 は3 9 戸 の調 査 デ ータに基づく ものと 御理解い ただ き たい。 表60 は、 タイト ル通り、
南沢 の各世帯 に関 す る最 も基 本的な デ ー タを まとめ た資料であり、最 初 に掲げて おくこ ととし た。 空 欄は 未調 査、 ?は インフ ォーマント の忘 却 を意 味して いる。 適時 御参照 いただ け れば 幸いであ る。
A 。 家 族 の 構 成 と 動 態
1 。 家 族 の 規 模 と 類 型
南沢の平 均家族員 数 は4.12 人であ る。(19 9 3 年8 月現在)最 少 は2 人 から最多 は7 人 の家 族まで 認 めら れ る。 この内夫婦家族の類 型 と な るものは1 4戸。 直系家 族類 型 は2 4 戸 であ る。すな わち、 傍系家
族類型 は例がない。
念 のため筆者 は、 た またま入手 し た文政2 年(18 19 年) の宗門 人 別改 帳により 、 過去の状況を 確認 した とこ ろ、当 時の 南沢 は総戸数3 7 総人ロ1 5 6 名であり 、 第1 部で も触 れたが 、ほとんど ムラの規模が変 化して いない。 従ってこ の当 時 の平均 家 族員 数は4.21 人となり 、実 に約1 7 0 年 強を 経て 、ほとんど 家族 の規模 が変化して いないこと がわ かり 、注目さ れる。 最少1 人か ら最多7 人 まで の間 に家 族員 数の分布が みられ、こ の点 も今日と ほとんど 違い がな い。 し かし、 家族類型を 確認 す ると、夫婦家 族=20 戸 、直系 家族 =1 1 戸 、 傍系家 族D 戸、単身=
1 戸となり 、最 も主 要な類型 は夫婦 家族 であ ったこ とが判明 するので あ る。 因 みに、最 も家 族員 数の多 い 傍系家 族を 構成して いたのは、東海
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林 姓の 儀右 工門 マ キの 本家 = 今は絶家 となった 儀兵 衛と 、 同じ く七 郎 兵 衛 マキの 本家 =七郎 兵 衛の 家であ った。3 0 7 のイ ンフ ォ ーマ ント によ れ ば、「戦 前 まで は、 傍系 の 大家 族の時 期を 経て 、次男 以 下 の男 子が 分 家 に出 ること が多 かっ た。 」と いう。 今日、 直系家 族 が増え たと す れば、
こ の傍系家 族か ら 直系 家 族 へ の変 化が 増加した ためであ ろ う。
いず れにし て も注 目し なけ れば ならな いの は、 そ もそ も当地 の家 族慣 行 は、小家 族指向 で あ ったと みられる点 であり 、一 般 に 傍系 親族 の同 居 で 大家族 制と な る傾向 が強 い東北 地方 にあって、 すぐ れて 例 外的で あ る。
特 に、全国的 に みて 、 最 も大家 族傾向 が強い山形県 にあ って こ うし た状 況で あ ること は 看過で きな い特 色で あ る。 焼畑主 体 の貧 し い ムラで 、 食 料 も限定的 な状 況にあ って は、多 くの家 族を 養いきれな い と い うこ とで あろ う か。 先の 儀兵 衛( 今日 的 にはそ の直接 の分家 であ る儀 右 工門 =307
)と七 郎兵 衛 は、 単に同 族 の本家と いう に止まら ず、 近 代以 降 は ム ラ内三つ の地 主 の一 角で あ って、 耕地と 食料 に最も恵 ま れて い た家で あ っ たことを 想 起す る必 要があ ろ う。
2 . 家 の 相 続
表6 日 こ目を向 けて みよ う。 これは 各家の過去3 代 の 世帯 主 の キョ ウ ダイについて 、成 長 後ど の よ うな人生を 歩んだ かを 明 ら か にし た もので あ る。 数字 は件 数を示 してい る。 相続 の項を 見て み ると、 ど の 世代 も、
第一にこ の役割を 担って い る のは長男 、二番目 が長女 で あ る点 で一 致し て い る。さ ら に、表6 2 を 御 覧いただけ れば、 長子相 続 = 姉家 督、 父系 出 自重 視の価 値観 は明 確で あ る。 この点 で は東 北地方 の ムラ に一 般的な 傾向と一致 して い る。 先の3 0 7 のイ ンフ ォーマ ント は 、「 こ こで は女 で も一 番上の キョ ウダ イ の場 合は惣領 と呼ぶ。 」と 語り 、 長女 に は家 の 相続 者とし て の位 置付 けが多 分に与え ら れてい たことを 示唆 し て い る。
また、 文政2 年 の宗 門 人別 改 帳に も「惣 領 つ る」等 々の記 載 が多 く み られ、 古くか らこ の慣 行が 保 持さ れて きてい たことを 物 語 って い る。
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3 . 分 家 と 絶 家 再 興
一 方、 分家を創 設す る役割を 主に担 って いるの は次・三 男であ る。 ま た、 古い時 代に は、長女 による分家 の創設 の例 もあ る。 表6 1を 改めて 御参 照い ただき たい。あ るイ ンフ ォーマ ント によ れば、「 惣 領と もなり う る女 は、経済的 に余 裕があれば ベッカ( 分家) に出し た。女 の分家 の 時 は、 財産を多く や る。 」とさ れており 、 ここで も長 女の地 位の高さ が 確認 さ れる。。
表60 を 御確 認い ただきたい。古 いこと な ので、 分家時 の財産分与の 状 況 は先 祖 か ら聞 い て いな いと い う イ ンフ ォーマ ント が多 く、 十分 な
デ ータ収集 に至 れな かったが、1 2 戸 か ら得 られた デ ータを「 財産分与 」 の項 に紹介し た。 家 屋建築や畑 も含めた耕 地 の分与 は正 に恵 まれた 例で あ って 、 分与なしと す る事 例まであ る。 概ね 田3 〜5 反 程度が相場とい った ところ であ ろ うか。当地で は、一つ の家 族が生 きて いく ため の米を 得る のに、7 反の 田が必要と 伝え ら れてお り 、自 ずと足り な い分は小 作 を 担 うこ とにな ったと みられる。
な お、当 地の 分家慣 行で 注目さ れるのは、 絶家 再興型 の 分家 が多 いこ とで あ る。 特に 何の 財産も分与さ れない 状況 の下で の 分家 に多 かったと さ れ る。 たとえ ば1 0 5 は、3 代 ほど 前に、 今 は絶家と な った本家から 分家 す ること になっ たが、家敷がな いため、 た また ま絶家 が生じて空屋 と な って い た家 =現 在の居所に住 みつ いた。 こ のた め家 号は「 空屋敷 」 で あ る。 また、3 0 1は、 儀右門 マキの本家 が 絶家と なり 、空いた屋 敷 地を 譲り 受けて 家を 建ててい る。なお 、301 は七 郎兵 衛マ キの分家で あ る。 5 0 5 は2 代 前に3 0 7 から分家し た が、た また ま長左 工門 マキ の本家 が 隣り の ムラヘ 転居したた め、そ の屋敷 地を 譲り 受 けてい る。208
は、一 般に ムラ内最古と呼ば れる家であ るが、 実は 一度 絶家とな っ ており 、4 代ほど 前に、七郎兵衛 マキの本家 =308 が夫 婦 養子を 送り 込 み再興 し、自 己の実質分家として マキ の仲間 にとり 込 んだと いう背 景 があ る。 なお、 再興当時、家屋 はかつ て の208 が 残し た ものを そのま
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ま用 いたとさ れ、 現2 0 8 は、 旧208 が 残した 位牌を 自 己の 先祖 とし て 祭祀 してい る。 「 あ くまで も自分達 は旧2 0 8 の養子であ るか ら。 」 と いう。 しかし 、同 族レ ベ ルで は七郎 兵 衛マ キに組 み込 まれて い るので あ る。( 旧208 はそ もそ も七 郎兵 衛マ キの 仲間で はな かった と伝 わっ て い る。 )なお 、308 の 側に も一時 絶家 の危険 が生じた が、 上述 の背 景があ ったため 、今 度 は208 が婿を 提供 してこ の事態を 解 決した のだ った。 残念なが ら土 地 の登記 など の詳 細 は調 査に及べな かっ たが、 い ず れにして も、何 の 財産 分与 もなく 分家 が生 きていく こと は困 難 であり 、 絶家 の財産を 引 き継ぐ こ とで 、こ の問 題 は解決 の糸口 が 得ら れた のであ
第1 部で 触 れたよ うに 、 南沢 には明 確な 分家 制限の定 めはな い が、 ム ラの適 正規模につ い て は、 暗黙 の了 解 があ ったと みられ る。 藩 政 期より 、 ムラの規模が ほとんど 変 化し てい ない 事実 はすで に指摘し た。 分家 が 出 て も極度に戸数 は 増加し ない 仕組 みが ここ にあっ たのであ る。 し かし 、 このこ とは親族を めぐ る認 識を 複雑な ものにす る背 景とな っ たこ とが 考 え ら れる。 208 にと って 、 出自 と本 分家関 係 は同 じ次元 の問 題で はな
いのであ る。
4 。 通 婚 圏
表6 2 から明 ら かなよ う に、当 地 の女性 達 は一 部の長女を 除 き、成 長 とと もに概ね嫁 出 する人 生を 歩む 。問 題 はど こ に嫁出す るかで あ って 、 そ の後の生家と の関 係等を 考 え る上で 重要で あ る。 表6 3 は 、筆 者 の調 者で 判明した ムラ内 の夫 婦が 、夫 、妻 と も ムラ内 の出身で あ る 割合 = ム ラ内 の通婚 の割合を まと め た ものであ る。G =Generation で あり 、G 十 〇は現世帯主 の 世代を 意 味して い る。率 直なと ころG +3 とG −1 の 世代 は事 例数 が限 られて い るので 、一 応除 外して 考えて みる と、 概 ね過 去3 代の平均 は4 5. 6 %と な る。お そ らくより 古い時 代にあ って は、5
割を 越え る ムラ内婚率 と なって い たこと は 確かであろ う。
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な お、 ムラ外婚 の 事例 は表にし ていない が、筆 者の調 査で 、G +3 〜 G −1 まで の世 代に5 7 例発 見さ れており、 この内 、寺内 、 名木沢等、
同じ 旧 福原村内 の ムラと の通婚 は1 8 例(31.5 %)で あ る。最 も多 い の は、 尾花沢 市に 隣接 する大 石田町との 通婚の場 合で2 2 例(38.5
%)と なって い る。 逆 に県 外地域との通婚 の例 は6 例(10.5 %)
で、G 十 〇、G −1 に集 中して いる。
B 。 親 族 の 範 囲 と 交 際
1 。 親族 を め ぐ る認 識
次に、 親族関 係 の特 色を 検討 して みたい。 南沢 で は、 親族について考 え る場合、五つ の基 本的 な 概念を 確認して おく必 要が あ る。 一つは、何 等 かの 親戚関 係のあ る家を す べて含む シンセ キ。 こ れと ほぼ同一と言わ れ るが、 もはや はっ きり とし た関係 はわからな いが、 言 わば親戚と伝え ら れる家( 遠い親 戚) のこと はオ ヤグマキと呼ん でい る。 さらに、本家 は ホ ンケ、分家 はベ ッカ( 別家 )であ る。 南沢 は家号 と家印 が著しく発 達し てい る。 詳し く は表6 0を 御参照い ただ きたい。 第1 部で御紹 介し た よう に、 ムラ内 の姓 は ほぼ三 つに集約さ れ、同 姓 の家 が多 い ので、今 で も専 ら屋号で呼 び合 っており 、たとえ ば「 ○○ =本家 の家 号のベ ッカ 」 と いっ た表現で 分家 を 呼ぶ のが一般的であ る。 さら に、 本分家を まとめ た 同族 にはマキ の名称 が用 いられてい る。
表6 4 〜6 5 は、3 9 戸 から得ら れた親戚( 近い 親戚 )と 認識してい る家 に関 するデ ー タを 、血縁 と姻戚を 基準に 分類、 整理 し たものである。
さ ら に、表6 7 は、 これら三つ の 資料 のデ ータを 総 括し て比 較し たもの で あ るが、親 戚( 近い 親戚)と 認識して い る家 の半 数弱 が姻 戚関 係の家 で あり 、し かも、そ の半数 強=全体 の約4 分 の1 が妻・ 母方 姻戚の家と なって おり、 親戚と認 識して い る家 の割合で みると 、血 縁 =本分家関 係 の家 の割 合を上 回 る結果と なり 、注目さ れる。 先 に確認 し たように、ム
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