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Academic year: 2021

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女性の生き方を巡る論争の現代的評価

一『母性保護論争』に見る女性の理想と現実一

専 攻 人間教育専攻 コース 幼年発達支援コース 氏 名 上 羽 ま ゆ こ

はじめに

明治30年代初めに成立した「良妻賢母思想j

は女子教育を復興させる思想的パックボーンと して重弼見され、女子教育を復興させていく原 動力となった。つまり、それは女の生き方を妻 や母であることに限定させ、教育レベルを低度 に抑えることにはなったが、女子教育を受ける 者の総数を増やし、女性の知的視野を広げ、学 校教育を終了してから結婚するまでの問、職に 就く女性達を増やした。こうして紅会に進出し た女性達が家庭を持つことで起こってきた論議 が「母性保護論争Jである。「母性保護論争Jは 女性達の中で対立が激しくなり、それを担会全 体に投げかけたもので、あった。

「母性保護論争Jは与語櫛晶子、平塚らし、て う、山川菊栄、山田わかの4人の女性を中心に 大正7,8年に行なわれた論争である。この論 争は、雑誌の紙面を中心に女性自身が自分達の 生きる場所は家庭内にあるのか社会にあるのか を議論し、婦人運動の先駆けとなった。本研究 は、大正中期において4人の女性たちが「母性 保護」に対する意見を論じ合った「母性保護論 争」を通して女性達の生き方に対する考えにつ いて探ることを目的とする。 4人の女性達の生 き方に対する考えは、「母性保護論争jの主張か ら職業従事や家庭内の役割点において読み取る。

また、「母性保護論争」において真っ向から対立 した与語櫛晶子と平塚らし、てうを取り上げ、息

指 導 教 員 橋 川 喜 美 代

子や娘の半生を通して、母としての彼女達の実 像に迫る。

1.社会進出積極派

与謝野晶子は、女性が母になることそのもの を否定しているわけではないが、国家に「母性 保 護Jを求める依頼主義に疑問を感じている。

国家における一国民として女性も経済的に自立 することが必要だと主張し、女性も男性と対等 に労働を行なうことで、男女平等が叶うのだと 訴えた。女性が経済的に自立する為には女子教 育の向上が不可欠で、あり、男子と同等の教育が 受けられる社会を望んだ。「良妻賢母思想」には、

女性は母性ばかりで生きているわけではないと 真っ向から反対した。

山川菊栄は女子教育の問題は労働者問題と深 く関係していると考えていた。そのため品子と 同じく女子教育を充実させることが重要である と説いている。そして、唯一社会主義の立場か ら、未婚・即世間わず事情が許す限り女性も 職業に就くべきだという。育児期の女性は晶子 の言う内職に従事すべきではなく、保育所など を整え育児を社会化すべきだと論じた。

2. 

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母性保護』擁護派

青轄時代には「元始、女性は太陽だ、ったJと 対生解放を唱えたらいてうも、「母性保護言命争J では「母性保護Jの重妻性を強く訴えた。自ら の結婚・出産によって、母性の素晴らしさに目 覚め、国家は分娩を個人の自由とするのではな

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く、固として子どもを保護しJ

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身共に健康に育 つように援助することが当然の義務であり、子 どもを保護する為には母親を保護する必要があ ると訴えた。そのため、経済的な独立を目指す 晶子とは真っ向から対立した。また、私生児問 題にも目を向け国家として保護することを望ん だ。

山田わかは、社会の単位は家庭であり夫婦は 互いの生活を完成させるために全てをあげて尽 し合うべきだ、と主張している。わかは唯一、婦 人の家庭外での就労に反対し、婦人は家事や育 児としりた家庭内における労働が何よりも重要 だと論じた。この労働に対して経済的な幸踊闘を 求め女性本来の仕事は次世代の労働者を育てる ことだと論じている。 4人の中で最も「母性保 護Jを主張し、国家が婦人を補助することは当 然の義務だと主張している。

3.与謝野品子の実際

品子には実に11人もの子どもがいた。家事・

育児が忙しくとも、子どもが寝た後、必ず勉強 する姿が忘れられないと息子が言うほど、大変 努力家であったO 家計は苦しかったが、子ども の教育には出費を惜しまなかった。しかし、勉 強に口出しせず、母の姿を見て自然と勉学に励 んだとしづ。家計において夫である鉄幹が頼り にならないため、晶子は孤軍奮闘したが、その ような姿を子ども達に見せることはなかったO

勅良の藤子には年晶、た不安もあり、もしもの 時は長兄に頼むことまで心配りを怠らない母だ ったと語っている。「母性保護論争」以後も女子 教育の充実を目指して日本で初めての男女共学 校である文化判完を設立した。また、各地に講 演に出かけ、精力的に活動する芯の強さと、常 に細やかに子どもを労わる母親像が浮き彫りに なったO

4.  平塚らいてうの実際

らいてうは自分の仕事が子どもに淋しい思い をさせていたことに心を痛めていた。晶子と同 様、夫の稼ぎで食べていくことは出来ず、らい てうが働く他なかったが仕事と育児を両立させ ることは大変難しく、様々な葛藤に思い悩んで、

いた。らいてうは家事や育児といった家庭的な 仕事の重要性を唱えたが、晩年の彼女は同居し ている嫁の綾子に家事から自分の仕事の雑務ま で、頼ってし花。外出もほとんどせず、文化判完 の教鞭を取っていた晶子とは対照的に、家にこ もり執筆活動に精を出し、努力することで日本 初の女性評論家として生計を立てていたことに 孫は素晴らしさを感じていた。

おわりに

「母性保護論争」を中心に、 4人の女性達が 求めた「母性保護jに対する論点を、その生育 歴から晩年までの女性としての生き方と絡めて 考察をした。世間的には号齢、女性のイメージが あるが、そこには人間としての弱さや一家を守 る母としての愛情深さで満ちていた。「母性保護 論争jは大正期に起こったことだが、女性の社 会進出に伴って起こってくる女性の生き方が家 庭か仕事にあるかとし、った論点は、現代の女性 達が避けて通れない問題と何ら変わりはない。

1994年のエンゼルプラン以降、女性が家庭も仕 事も両立出来るように、様々な政策が講じられ てきた。しかし、少子化傾向の歯止めには至っ ていない。「母性保護論争Jから90年以上がた ったが、女性達が安心して子どもを産み育てら れる社会には至っていない。現代でも女性の生 き方というものは、個人の意見が反映されるも のであり、これから先も女性の生き方の模索は 続いていくことになるのだろう。

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参照

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