東京音楽大学リポジトリ Tokyo College of Music Repository
チェロ奏法におけるデュポールの奏法試論の重要性 について
著者 田代 櫻
学位名 博士(音楽)
学位授与機関 東京音楽大学
学位授与年度 平成29年度 学位授与年月日 2018‑03‑10 学位授与番号 32646甲第7号
URL http://id.nii.ac.jp/1300/00001179/
平成30 年 1月 15日提出
東京音楽大学大学院音楽研究科博士後期課程音楽専攻博士論文
チェロ奏法におけるデュポールの奏法試論の重要性について
D2015-01 チェロ専攻
田代 櫻
目次
序章 ...1
第1章 デュポールの奏法試論の位置付け 1-1 チェリストの系譜図に見る位置付け ...6
1-2 当時の奏法試論/エチュードにみる位置付け ...8
1-3 現代における位置付け ...13
第2章 デュポールの奏法試論の構成と内容 2-1 構成 ...15
2-2 現代の教則本との比較 ...18
2-3 同時代の奏法試論との内容比較 ...22
第3章 重音に関する記述の特徴 3-1 和声進行に鑑みた指使いの指定 ...26
3-2 重音を重複させた練習方法の紹介 ...31
3-3 同時代の文献との比較 ...37
3-4 基礎練習としての重音 ...43
第4章 特殊なボウイング 4-1 デュポールが主張するボウイングの特徴 ...48
4-2 バッテリーズと呼ばれる音型のボウイングについて ...49
4-3 他のエチュードにおけるバッテリーズの音型のボウイングの扱い ...54
4-4 エチュードの現代版楽譜におけるバッテリーズの扱い ...61
結論 ...66
参考文献 ...70
付録 1 系譜図 ...1
付録 2 デュポールの奏法試論より第10章の日本語訳 ...2
デュポールの奏法試論より第18章の日本語訳 ...27
序論
この論文では、ジャン=ルイ・デュポール1 Jean-Louis Duport (1749-1819)のチェロの ための奏法試論Essai sur le doigté du violoncelle, et sur la conduite de l'archet (1806) とエチュ ード 21 études pour le viloncelle avec accompagnement d’une basse を研究対象とする。
今日に至るまで、チェロのためのエチュードは目的に応じて多様化してきた。左手に特 化しているもの、右手に特化しているもの、基礎的なもの、より技術的に高度なレベルを 極めているもの等、さまざまなものが存在する2。その中でデュポールのエチュードは、技 術的には中程度という点で決して目を見張るようなものではないが、ルートヴィヒ・ファ ン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven (1770-1827)のチェロソナタOp.5 No.1, 2に作曲 時から関わり後の作品にも影響を与えた、という点で注目に値する教則本であると言える。
すなわちLockwood 1977によれば、ベートーヴェンの存命中にチェロの演奏技術が発展し、
ベートーヴェンはOp.5 No.1, 2(第1番及び第2番)の作曲時にチェロの演奏上の可能性を 知ったことによって、後のOp.69(第3番)やOp.102, No.1, 2(第4番及び第5番)の作品 で、チェロとピアノフォルテのアンサンブルが最大限の効果を発揮できるように試行錯誤 するに至った。彼は、Op.5 No.1, 2の作曲時にデュポールからチェロの奏法についてアドヴ ァイスを受け、自身のピアノとデュポールのチェロによって1796年に初演した。また、カ フカ雑録(ベートーヴェンの雑記帳)の中のfol.57vに、“Billet an Duport morgen frühe”(書き 付けをデュポールに明朝早く)という走り書きがみられ、fol.109rには、デュポールのエチュ
(1)有名なデュポール兄弟のうち、兄ジャン=ピエール・デュポール Jean-Pierre Duport (1748- 1818)ではなく、弟のJean-Louis Duportである。
(2) 左手に特化したエチュードではバーナード・コスマン Bernhard Cossmann (1822-1910)のStudies for Developing Agility for Celloやルイス・フィヤール Louis Feuillard (1872-1941) のDaily Exercises、右手 に特化したものとしては、前述のフィヤールが編集したオタカール・シェフチーク Otakar Ševčík (1852- 1934)のSchool of bowing technique Op.2、基礎的なものとしてはアルウィン・シュレーダー Alwin Schroeder (1855-1925)の170 Foundation Studies for Violoncelloやフ リ ー ド リ ッ ヒ ・ ド ッ ツ ァ ウ ア ー Friedrich Dotzauer (1783-1860)の113 Etudes for Cello 、高度なテクニックに特化したものでは、アルフレ ッド・ピアッティ Alfredo Piatti (1822-1901)の12 Caprices for Solo Cello, Op.25が挙げられる。
ードの中で標準化されたチェロのスケールとエクササイズ、中音域での重音、和音が指使い付 きで書かれている3。さらに、ベートーヴェンのOp.5 No.2の中にデュポールのエチュードと
(3)次の例はカフカ雑録(Beethoven 1970:fol.109r)の中で、ベートーヴェンの筆跡ではなく、デ ュポール兄弟、おそらく弟のジャン=ピエールが書き込んだとされるページを筆者が忠実にレ イアウトもそのまま清書したものである。これらの例は、デュポールのエチュードの中で標準 化されたチェロのスケールとエクササイズ、中ほどの音域での重音、和音である(Lockwood 1977:181) 。
酷似したパッセージが見受けられる4ことから、ベートーヴェンがデュポールの影響を大き く受けていたことがわかる(Lockwood 1977)。デュポールの奏法試論とエチュードは、チェロ 史全体から見ても早い時期に本格的にまとめられたものであり、音楽的内容が当時の作曲スタイル や演奏と関連している可能性があるという点でも、非常に興味深く、注目に値する存在である5。
ところで、現在デュポールのエチュードというと、21の練習曲集のことを指していると 考える人が多いと思われるが、実は、デュポールはエチュードの前半部分に、奏法に関す
(4)次に示すのはLockwood 1977に記載されているベートーヴェンのソナタ第2番op.5-2(例1)
とデュポールのエチュード第3番(例2)に見られる類似箇所の例(Lockwood 1977: 179)で ある。
例1の3小節目と例2の3、4小節目を比較してみると、リズムは違うもの明らかに同じ音 型であることがわかる。次は、同じくベートーヴェンのソナタ第2番op.5-2(例3)とデュポ ールのエチュード第20番(例4)に見られる類似箇所の例である。
異なる調で書かれているものの、同じオクターブの動き、さらには例3の冒頭と、例4の4 小節目が全く同じ音型になっていることがわかる。
(5)『ベルリン音楽家事典』によれば、「デュポール派は芯のある音を重んじていて、弓は短めに 使い、音を響かせる弾き方である。音はどの弦でも完璧、正確で強く十分である。」そしてこ の音は「オーケストラにおいて芯になる音」として重宝されていた。(Ledebur 1861: 120)
る事柄をまとめた奏法試論(原題はEssaiであるが、本論文中では奏法試論と呼ぶ。)を付 けている。しかしながら、現代では奏法試論の部分は省略され、エチュードのみが出版さ れている(Duport/Rummel 2005も同様)。このため、デュポールのエチュードが奏法試論 に続く後半部分であるということについて、知識として承知しているチェリストですら大 変少ないのが現状である。現在入手できるデュポールのエチュード(Duport/Rummel 2005) には、マルティン・ルンメルMartin Rummel (1974-)による序文があり、そこではもちろん奏 法試論の存在については指摘されているものの、奏法試論がどのようなものであったか読 者が想像できるほどの情報は含まれていない。また、筆者が本論文で取り上げた重音の取 り扱い方や特殊なボウイングについても、簡単に触れているにすぎない。これでは、エチ ュードを学ぶ者はデュポールの真意を汲まないまま、間違った練習をしてしまう可能性が あることも否定できない。
先行研究として、現在デュポールに関する基本的な情報はCyr/Walden 2001、及びMilliot 2016の二つからしか得ることができない。チェロ演奏上のテクニックの歴史の中で1800年 頃のチェリストの一人として論じた研究は、 Lockwood 1978の他に、Walden 1998、Zhao 2006などがあるが、これらからデュポールの奏法試論に関する新しい知見を得ることはで きなかった。また、デュポール本人に焦点をあてて論じているのは、Fritz KohlmorgenのDie Brüder Duport und die Entwicklung der Violoncelltechnik von ihren Anfängen bis zur Zeit Bernhard
Rombergs (diss., U. of Berlin, 1922)があるが、古い資料であるため入手することができなかっ
た。最近の研究においてデュポール本人に焦点をあてて論じているのは、筆者の査読論文
「チェロ演奏におけるデュポールのエッセイの真価について」(田代 2016)のみである。
このような状況を出発点として、本論文では、デュポールの奏法試論を同世代の他のエ チュードと比較し、特殊であると思われる重音の取り扱い、及びボウイングに関する記述 をその特徴として捉え、その内容を現在出版されているデュポールのエチュードと比べ、
精査することを試みる。これらの考察を通して、デュポールのエチュードの再解釈・再評 価を試みることが本論文の目的である。
なお、本論文で使用するデュポールの奏法試論は、1806年のフランス語による初版本
(Duport 1806)ではなく、1880年出版のオーガスト・リンドナー August Lindner (1820- 1878) 編集による英語訳のもの(Duport/Lindner 1880)を使用する。リンドナーはドイツ のチェリスト、作曲家であり、フランス語/英語/ドイツ語と並列に翻訳を並べ、図は同
一のものを使用している。なぜリンドナーはデュポールに着目したのか、という疑問は、
残念ながら資料が限られていたため、明証には至らなかったが、同名で同世代に活躍した 音楽家が存在するので注意が必要である。英語訳は初版の忠実な訳であり6、フランス語 の外に英語とドイツ語の翻訳を参照することで正確に内容を把握できる点から、この版を 考察の対象に選んだ。
(6 )東京音楽大学のアラン・クレギン教授のご協力の下に確認作業を行った。英訳において一箇所のみ、
フランス語、ドイツ語とは異なる内容の文(ミスと思われる)があったため、付録2のp.21の訳注に示 しておいた。なお、その箇所の日本語訳は原文(Duport 1806)に従って訳出した。また、音程に関する 記述において、英語版のみ、増音程及び長音程の記載(Augmented及びMajor)を混同している箇所が見 受けられたので、上記のような箇所は原文(Duport 1806)を参照した上で訳出した。再度、付録にて詳 しく指摘する。
第1章 デュポールの奏法試論/エチュードの位置付け
1 −1 チ ェ リ ス ト の 系 譜 図 に 見 る 位 置 付 け次に示す3つの図は、ベッキ 1984を基に筆者が作成した、チェリストの師弟関係の系 譜である。まず図1には、チェリストの系譜を簡略的に示した。ここから、デュポールが 属するフランス派が最も早く発達し、18世紀後半からイタリア派、ドイツ派が続いたこと がわかる。
図1
図2と図3では、四角の中に名前と生没年を記入した上で、エチュードを作ったチェリ ストは二重線で囲んで示し、エチュードの題名を記入した。★印は現在も使われているエ チュードを示している。図2は、フランス派の詳細を示したものであり、ここから、デュ ポールはフランスのチェリストの系譜の中では、ジャン=バティスト・キュピ Jean-Baptiste,
Cupis (1711-1788、キュピ兄弟の兄)を除けば、比較的早い時期にエチュードを出版した人物
であることが見てとれる。
図2
次の図3は、イタリア派及びドイツ派の系譜である。
図3
これらの関係図から、現在でも活用されているエチュード(★印)を作ったチェリストた ちは、流派に関わらず、デュポールよりも後の世代であることが明らかである。なお、全 体の系譜図は付録1に記してある。
1 −2 当 時 の 奏 法 試 論 / エ チ ュ ー ド に み る 位 置 付 け
表1は、現在使用されているかどうかに関わらず、デュポールと同時代に出版された 奏法試論及びエチュードの一覧である1。それぞれ後述の文中で引用するために番号を振 り、原語(複数の言語で対比して書かれている場合は仏/独のように示した)、ページ数
(1)
なお、表1で示したものの、図1〜図3に表記されていないエチュード/チェリストは、
師弟関係が明らかでないという理由により図中に明記することができなかった。
(奏法試論のページ数/全体のページ数)、出典、および著者の職業を示した。本論文で 取り扱っているデュポールの奏法試論は⑬である。
表1
作者 出版年 タイトル 原語
奏法試論/
全体のペー ジ数
出典 職業
①
Corette, Michel (1707-1795)
1741
Méthode pour apprendre le violoncelle, Op.24
仏 53/53 IMSLP2
オルガニスト、作 曲家、音楽教則本 著者。
②
Geminiani, Francesco (1687-1762)
1751 The Art of Playing on
the Violin, Op.9 英 9/61 OUP3 ヴァイオリニス
ト、教育者。
③
Mozart, Leopold (1697-1773)
1756
Versuch einer gründlichen Violinschule
独 299 H.L.Grahil4
ヴァイオリニス ト、作曲家、音楽 理論家。
④
Cupis, Jean- Baptiste (1711-1788)
1772
Méthode nouvelle et raisonée pour apprendre à jouer du violoncelle…
仏 11/43 BMB5
ヴァイオリニス ト、作曲家、教育 者。
⑤
Baumgartner, Jean (1723-1782)
1774
Instructions de musique theorique et pratique al'usage du violoncello
仏 31/31 BSB6 チェリスト、作曲
家。
⑥
Lanzetti, Salvatore
(1710-1780) 1779
Principes ou l'application de violoncelle par tous les tons de la maniére la plus facile
仏 0/14 UKB7 チェリスト、作曲
家。
⑦ Gunn, John (1764-1824) 1789
The Theory and Practice of Fingering the Violoncello
英 40/64 IMSLP
チェリスト、評論 家、フルートの教 授でもあった。
(2) IMSLPと記したものは、Petrucci Music Libraryのウェブページを参照した。
(3) OUPと記したものは、Oxford University Pressによるリプリントを参照した。
(4) H.L.Grahilと記したものは、H.L.Grahilから出版されたリプリントを参照した。
(5) BMBと記したものは、Bibliotheca Musica Bononiensis によるウェブページを参照した。
(6 )BSBと記したものは、Bayerischen Staatsbibliothek によるウェブページを参照した。
(7) UKBと記したものは、Universität der Künste Berlinのウェブページを参照した。
(8) Mullerと示してあるものは、Muller 2006によるリプリントを参照した。なお複数巻に及
んでいるので、v.数字は巻数を示している。
⑧ Raoul, Jean Marie (1766- 1837)
c.1797 Méthode de
violoncelle, Op.4 仏 43/110 IMSLP チェリスト、作曲
家。
⑨
Bideau, Dominique (????-????)
c.1802 Grande et nouvelle
méthode raisonnée 仏 105/155 Muller8 (v.1)
チェリスト、作曲 家。
⑩
Aubert, Pierre- François- Olivier.
(1763-1830)
1803
METHODE Ou nouvelles Etudes Pour le...violoncelle.(Oeuvr e Xie. Dans La 1re Partie se trouve 1o la manière...)
仏 4/59 Muller
(v.1)
チェリスト、作曲 家。
⑪
Bréval, Jean- Baptiste (1753-23)
1804 Traité du violoncelle,
Op.42 仏 5/205 Muller
(v.2)
チェリスト、作曲 家。
⑫
Levasseur, Jean-Henri (1764-1823)/
Baudiot, Charles- Nicolas (1773-1849)
1805
Methode de Violoncelle et de Basse
d'Accompagnement,
仏 28/81 Muller
(v.2)
Levasseur:パリオ ペラ座のチェリス ト、コンセルバト ーリの教授 /Baudiot: チェリス ト、作曲家、教育 者
⑬
Duport, Jean- Louis (1749-1819)
1806
Essai sur le doigté du violoncelle, et sur la conduite de l'archet
仏 175/267 Muller
(v.3)
チェリスト、作曲 家。
⑭ Alexander? 1813 未入手 - - - -
⑮
Muntz-
Berger, Josef (1769-1844)
c.1820 Nouvelle Méthode
pour le violoncelle 仏 61/61 Muller
(v.4)
オペラ=コミック 座のチェリスト、
作曲家。
⑯
Baudiot, Charles- Nicolas (1773-1849)
1826
MÉTHODE DE VIOLONCELLE adoptée pour l'Enseignement de l'Ecole Royale de Musique et de Déclamation.(1e Partie)
仏 18/119 Muller
(v.5)
チェリスト、作曲 家、教育者。
c.1826 Etudes pour le
violocelle 0/41
1827
MÉTHODE DE VIOLONCELLE adoptée pour l'Enseignement de l'Ecole Royale de Musique et de Déclamation.(2 Partie)
0/262
※
Tillière, Joseph
Bonaventure (ca.1750 — 1790)
c.1830 Méthode de
violoncelle 仏 29/36 IMSLP チェリスト、作曲
家。
⑰ Šťastný, Bernard (1760-1835)
s.d.1832 Méthode de
violoncelle 独/仏 0/50 Muller
(v.6)
チェリスト、作曲
家。
⑱ Depas, Ernest
(1809-1889) [s.d.] Méthode élémentaire
pour violoncelle 仏 0/32 Muller
(v.6)
作曲家、ヴァイオ リニスト。
⑲
Dotzauer, Friedrich (1783-1860)
1838 Méthode de
violoncelle 独/仏 62/110 Muller
(v.6)
チェリスト、作曲
家。
⑳ Hus- Desforges, Pierre-Louis (1773-1838)
c.1838 Méthode de
violoncelle 独/仏 全文未入手 Muller
(v.7)
チェリスト、作曲 家、教育者。
㉑ Miné, Adolphe (1797-1854)
c.1840 Méthode de basse ou
violoncelle 仏 全文未入手 Muller
(v.7)
オルガン奏者、宗 教音楽作家、教育 作家。
㉒
Romberg, Bernhard (1767-1841)
1840
Methode violoncelle adoptée par le Directeur du conservatoire Royal de Paris.
仏 110/137 Muller (v.7)
チェリスト、作曲
家。
表1から、デュポールの奏法試論及びエチュードの特徴をいくつか挙げることができる。
まず、デュポールの奏法試論/エチュードは、チェリストによって書かれた奏法試論 の歴史の中でも、比較的早い時期に書かれている。①ミシェル・コレット Michel Corette (1707-1795) の奏法試論の約60年後ではあるが、構想に20年かけた(Duport/
Lindner 1880: 2)ことを合わせて考えると奏法試論の発想を思い立ったのは1785年ごろであ
る。この頃まで出版されていたチェリストによって書かれたチェロの奏法試論は、⑤ジャ ン・バウムガルトナー Jean Baumgartner (1723-1782)と⑥サルヴァトーレ・ランゼッティ Salvatore Lanzetti (1710-1780)の2つしかなかった。これは図1、図2、図3の系譜と照ら し合わせても明らかである。
つぎに、情報量が多いということもデュポールの特徴としてあげられる。一覧表の中 においてデュポールの奏法試論のページ数は175ページとなっており、③レオポルト・モ ーツァルト Leopold Mozart (1697-1773)の299ページに次いで多く、チェロに関する教則 本のみで考えると一番多いと言える。しかし、モーツァルトは1ページに記載されている 文字数が少なく、1ページに文章のみが書かれているページを一例にとり比較すると、モ ーツァルトは177文字、デュポールは386文字であったので、ページ数だけで単純に比較は できない。次に、奏法試論をエチュードと総計した量と奏法試論の割合で考えると、 ⑪ ジャン=バプティスト・ブレバール Jean-Baptiste Bréval (1753-23)は205ページ中奏法試論 は5ページ(2%)、⑯シャルル・ニコラ・ボディオ Charles-Nicolas Baudiot (1773-1849)は 3冊のトータルが422ページ中奏法試論は18ページ(約4%)、というように、一見総計した ページ数はデュポールよりも多いが、デュポールは267ページ中奏法試論が175ページと、
約65%を占めている。⑪ブレバールと⑯ボディオに関しては、エチュードが全体の大部分 を占めているという違いが明白である。デュポールが奏法試論に全体の65%以上を費やし ているのは、チェロを弾くための技術を大変事細かく、譜例や応用例も挙げながら書き上 げているからであって、序章に「チェロの、特にフィンガリングについて、他のチェロの 教師陣があまり細かく指導していないため、すこしでも学習者の役に立つように詳しくま
とめた」(Duport/ Lindner 1880)と記されていることからも、この奏法試論にかけた思いを
伺い知ることができる。
さらに、奏法試論付きエチュードというものは特に珍しいものではないということも、
表1から知ることができる。現代の奏者は、元来奏法試論が付いていたことに驚きを感ず
るが、上記の表の22例のうち奏法試論が付いていないものは4例しかないことから、当時 はむしろ奏法試論付きエチュードが主流であったと言うことができる9。
1 −3 現 代 に お け る 位 置 付 け
表1から読み取れることとして、これだけたくさんの奏法試論とエチュードが執筆さ れた中で、現代のチェロの学びの場において、デュポールのエチュードは現役で使われて いる数少ないエチュードであるという点が指摘できる。Tunca 2003では、現在アメリカの 教育現場で使われているチェロのエチュードを取り上げているが、それら(ダヴィッド・
ポッパー David Popper (1843-1913)、 シュレーダー、ピアッティ、ドッツァウアー、オ ウギュスト・フランショーム Auguste Franchomme (1808-1884)、フリードリヒ・グリュ ツマッハー Friedrich Grützmacher (1832-1903)、アドリアン・セルヴェ Adrien Servais (1807-1866)、ヨーゼフ・メルク Joseph Merk (1795-1852)、記載順)は、現在日本で用いら れているものと大きな相違はない。これらと照らし合わせると、上記の表1のなかで、デ ュポール以外では、⑲ドッツァウアーのエチュードはよく使われることはあっても、他の エチュードは使われることはほぼないということが解る。また、チェロを学ぶ者にとって
㉒ベルンハルト・ロンベルグ Bernhard Romberg (1767-1841)も比較的親しみのある名前で あるが、エチュードではなくチェロ・コンチェルトやソナタなどの作品の方に触れる機会 が多く、エチュードの存在を知らないチェリストも多い。
また、上記のTunca 2003で挙げられたエチュードのどれをとっても、奏法試論を合わせ て出版されているものはなく、チェロを学ぶ者が奏法試論を目にする機会はないと言って よい。これについては、ウェルナー 1984との比較として、第2章で詳しく述べる。
上記のことから、デュポールの奏法試論がチェロ史の中では早い時期に現れ、大変詳 しく書かれているが、現代においてエチュードは活用されていても奏法試論そのものは利 用されていないということがわかる。こうした位置づけを知った上で、我々は、このデュ
(9) 無論、バッハ 2000、バッハ 2003のように、練習曲集が割愛され教則本のみが出版されてい る例もあるが、チェロの教則本のみで考えると、そのような例は異例である。
ポールの奏法試論からどのようなことを読み解き、学ぶことができるだろうか。次の第2 章では、デュポールの奏法試論とエチュードの構成について精査する。
第2章 デュポールの奏法試論の構成と内容
2 −1 構 成デュポールの奏法試論とエチュードの構成は以下のとおりである。まず奏法試論が、フ ランス語のテキストで初版のページ数では175ページ、18章に及んで記されている。この 部分は後にドイツ語と英語に翻訳され、長い間チェロの指導書の先駆として親しまれてき たが、日本語にはいまだに翻訳されていない。この奏法試論の後、第19章において21曲の エチュードが記されている(エチュードは92ページ、全269ページ)。
エチュードは、初版(Duport 1806)では2台のチェロで弾けるように書かれ、はるかに難 しい上部のパートを生徒が、伴奏の下パートを教師が演奏するように大譜表で書かれてい る(譜例1)。現代版の楽譜(Duport/Rummel 2005)では下パートをカットして上のパー トのみのソロとし、下パートがソロを弾く部分は省略・整理された形で出版されている
(譜例2)。
譜例1
Duport 1806: 176
譜例2
Duport/Rummmel 2005: 1
因みに、いつからこの2重奏が二段譜で掲載されなくなったのかを年代的に確定するの は難しいが、おそらく1885年から1890年あたりに転換期があったようだ。1880年の
Lindner版、1890年のHausmann版では、初版と同じように二段譜になっている。しかし、
1895年のGrützmacher版、1990年のKlingenberg版は下パートがカットされている。
デュポールの奏法試論は以下のように構成されている1。
お知らせ...1
序章...2
音部記号の異なる使い方について...4
指使いの表記について...4
第1章チェロのチューニングについて...5
第2章 チェロの構え方について...5
第3章 手のポジションについて...6
第4章 スケール...9
第5章 移弦せず、同じ弦をつかってのスケール...11
補足...20
第6章 第1ポジションについて...31
第7章 開放弦を使わず、3本指で弾くスケール...35
第8章 どの調にも応用できる半音階スケール...40
第9章 ハーモニクス...44
第10章重音について...55
1. 3度と3度のスケール...55
2. 3度と2度...58
3. 3度と2度と、6度のスケール...59
4. 3度と6度のスケール...60
(1) ページ番号については初版のDuport 1806を使用した。
5. 4度...61
6. 5度...62
7. 減5度から3度に解決する場合と例...62
8. 増4度(3全音)...64
9. 増4度と減5度のときの指使いの違いについて...66
10. 6度と6度のスケール...70
11. 6度と5度のスケール...76
12. 6度と7度のスケール...77
13. 減7度...77
14.再現部での重音について...78
第11章アルペッジョの指使いと それに伴って起きる指のエクステンションに関する話...80
第12章指使いのルールを学ぶための21のパッセージ...88
第13章トリル(shakes)...126
第14章ユニゾンやオクターブについて...130
第15章チューニングについて...132
第16章共振について...134
第17章ファーストポジションにおける指の関係...144
第18章弓について...156
1.弓の持ち方について...156
2.弓のポジション...157
3.弓を弦のどの場所に置くか...157
4.弓の操り方...159
5.弓をどのように弦に当てれば良いか...160
6.音の均一性、ぼかし、表現...162
7.音をいかに均一に出すかについての考察...164
8.ボウイングについて...166
9.バッテリーズとよばれる音型のボウイングについて...172
10.弓の長さ、形について...174
21の練習曲 ...176
この様に、楽器の構え方から始まり、チューニングや指使いの表記の仕方を含む全18章 のうち、第1章から第17章まではほぼ左手に関して述べられていて(計151ページ)、奏法 試論全体の約9割近くに及ぶ。残り1割の第18章はボウイング、すなわち右手に関しての記 述である。全体を概観した結果、奏法に関して現在の捉え方と大きく異なる部分が2つあ る。一つ目は、第10章、重音に関する章である。現代では基礎練習として、3度のスケー ル、6度のスケール、オクターブのスケールを日課にすることはあっても、目次にあるよ うな音程を混ぜたスケールを学ぶことは珍しい。この目次から読み取れる情報だけからし ても、現代のチェロ奏者の目には特異に映るであろう。二つ目は、弓について書かれてい る第18章、特に9節のバッテリーズとよばれる音型のボウイングについてである。素朴な疑 問としてバッテリーズと呼ばれる音型とは何か、予備知識として備えている現代のチェロ 奏者はほとんどいないであろう。この音型の弾き方についてわざわざ論じられていること は、注目に値する。
2 −2 現 代 の 教 則 本 と の 比 較
本章では、奏法試論の構成を比較するために、現在日本で使われている教則本との比較 を行う。「教本」や「教則本」と題されて、一般的に使われているものの例として、ここ ではウェルナー 1984とサポージニコフ 1998のチェロ基礎教本を比較対象とする。まず、ウ ェルナー1984の目次の一部を次に示す。
ウェルナーでは、デュポールと同じく、導入として音部記号の使い方やチェロの構え方 などを説明している。デュポールでは文字と楽譜だけであったが、ウェルナーでは写真も 用いて説明している。しかし、デュポールとウェルナーが似通っているのはここまでで、
続く「第一巻」は、最後まで楽譜と簡単な指示によって進んで行き、所々に小さな練習曲 を挟む形になっている。上の例には示していないが、続く「第二巻」も、同じように左手 例1
Werner 1984: 7
のポジションについて述べられ、最後に各調の音階と簡単なアルペッジョが載っている。
このことから、ウェルナーの内容の進み方は、左手のポジションを重視した学び方であ り、練習曲についてデュポールのような細かい説明もないということがわかった。また、
筆者が本論文で取り上げた特殊な重音の取り扱い方やバッテリーズとよばれるボウイング についても、もちろん記載されていない。
次にサポージニコフ 1998の構成を精査する。サポージニコフはウェルナーほど広く教育 現場で採用されてはいないものの、ソヴィエトの音楽教育の初歩教材の日本訳(サポージニ コフ 1998)であるとして着目することとした。目次の一部を次に示す。
例2
Sapozhnikov 1998:78-79
このように目次を概観すると、第1部ですでに左手の練習と右手の運弓の練習が整理され ないまま出てきていることがわかる。内容も合わせて比較する限り、順序良く指導者とと もに学べば右手、左手の技術にかたよることなく総合的な演奏技術をたかめることにつな がることは間違いない。K.ダヴィドフやS.リー、R.サポージニコフ本人による短い曲例に 注意点を添えたものを一曲一曲弾けるようにすることで、演奏技術の向上を計っている。
他方、デュポールの奏法試論との決定的な違いは、一つの問題に対して徹底的に論ずるこ
とは一切していないことにある。
次の譜例3は、弦を1本または2本超えて移弦する練習を、ドッツアウアーの練習曲を 用いて紹介しているものである。曲例の下に注意書きとして、右腕に関するわずかな指摘 があるのみで、どのようなボウイングで(ダウンから始まるのか、アップから始まるのか)
ということの指摘すらされていない。これでは、学習者は間違ったボウイングや癖を学ん でしまう可能性を否定することはできない。このボウイングに関する指摘は、第4章でさ らに言及することとする。
譜例3
Sapozhnikov1998: 47
このように、ウェルナー、及びサポージニコフは、チェロ奏法についてデュポールと同 程度に綿密に説明した教則本であるとは言えなかった。どちらかというと、この二つの教 則本は、指導者と共に学ぶエチュードの要素を強く持ち合わせていると言っても過言では ない。ここでは論じないが、エチュードや練習曲集と題している注2に挙げた様々なエチュ ード(ポッパー、シュレーダー、ピアッティ、ドッツァウアー、フランショーム、グリュ ツマッハ、セルヴェ、メルク)においても、デュポールと同じような構成になっているもの は見当たらない。つまり、デュポールの奏法試論と同様の構成をもつ現行の教則本は存在 しないと言ってよいであろう。
2 −3 同 時 代 の 奏 法 試 論 と の 内 容 比 較
それでは、上記のデュポールの特徴が同時代の教則本にも見られるものであるのかどう か、内容を比較してみよう。表2は第1章における表に記載したエチュードに、デュポー ルのエチュードの特徴である重音に関する記述(第10章)及び、バッテリーズの音型のボウ イングについての記述(第18章)がどの程度記載されているかを示している。
表2においては、デュポールの記述を基準とし、デュポールと同様の詳細な記述がある 場合には表中に◎、詳細ではないが明確な言及があるものは○、他の内容と明瞭に区別す ることなく言及されている場合は△、まったく言及がないものは×として示す。記述があ る場合には、その文章と譜例を含めた記述量をページ数で示す。また、バッテリーズのボ ウイングに関しては、内容はデュポールと同じことを説明しているがバッテリーズという 用語が用いられていない場合、およびバッテリーズという用語が用いられていてもボウイ ングではない説明をしている場合に△とする。
表 2 同 時 代 の 教 則 本 の 内 容 比 較
作者 出版年 タイトル
奏法試論/
全体のペー ジ数
重音 バッテリーズ
① Corette, Michel
(1707-1795) 1741
Méthode pour apprendre le violoncelle, Op.24
53/53
△ 1ページ以下
△ 1/5ページ以下
(p.35)
② Geminiani, Francesco (1687-1762)
1751 The Art of Playing On
The Violin,Op.9 9/61 × ×
③ Mozart, Leopord
(1697-1773) 1756
Versuch einer gründlichen Violinschule
299
△ 2/3ページ (p.186) 重音スケ
ールではない
×
④
Cupis, Jean- Baptiste (1711-1788)
1772
Méthode nouvelle et raisonée pour apprendre à jouer du violoncelle…
11/43 ×
△ 1/3ページ
(p.10)
⑤
Baumgartner, Jean (1723-1782)
1774
Instructions de Musique Theorique et Pratique al'usage du Violoncello
31/31
△
2ページ以下 (p.5,p.8) 一部
重音スケール
×
⑥
Lanzetti, Salvatore (1710-1780)
1779
Principes ou l'application de violoncelle par tous les tons de la maniére la plus facile
0/14 × ×
⑦ Gunn, John
(1764-1824) 1789 The Theory and Practice of Fingering the Violoncello
40/64 ×
△ 1/3ページ
(p.39)
⑧ Raoul, Jean Marie
(1766-1837) c.1797 Méthode de
violoncelle, Op.4 43/110
△ 2ページ (p.35) 重音スケールでは
ない
△ 1/3ページ
(p.9)
⑨ Bideau, Dominique (????-????)
c.1802 Grande et nouvelle
méthode raisonnée 105/155
△ 約1/2ページ
(p.90)
△ 計約3ページ
(p.30〜、
97,98)
⑩
Aubert, Pierre- François-Olivier (1763-1830)
1803
METHODE Ou nouvelles Etudes Pour le...violoncelle.(Euvre Xie. Dans La 1re Partie se trouve 1o la manière...)
4/59 ×
△ 計1/2ページ
(p.4,5)
⑪
Bréval, Jean- Baptiste (1753-23)
1804 Traité du violoncelle,
Op.42 5/205 × ×
⑫
Levasseur, Jean- Henri
(1764-1823)/
Baudiot, Charles- Nicolas (1773-1849)
1805
Methode de Violoncelle et de Basse
d'Accompagnement,
28/81 ×
○ (計3段)
(p.8)
⑬
Duport, Jean- Louis (1749-1819)
1806
Essai sur le doigté du violoncelle, et sur la conduite de l'archet
175/267
◎ 25ページ (p.55-79)
◎ 2ページ (p.172,173)
⑭ Alexander? 1813 ???? - - -
⑮
Muntz-Berger, Josef (1769-1844)
c.1820 Nouvelle Méthode
pour le violoncelle 61/61 ×
◯ 1/4ページ
(p.31)
1826
MÉTHODE DE VIOLONCELLE adoptée pour l'Enseignement de l'Ecole Royale de Musique et de Déclamation.(1e Partie)
18/119 × ×
c.1826 Etudes pour le
violocelle 0/41
⑯
Baudiot, Charles- Nicolas (1773-1849)
1827
MÉTHODE DE VIOLONCELLE adoptée pour l'Enseignement de l'Ecole Royale de Musique et de Déclamation.(2 Partie)
0/262
※ Tillière, Joseph Bonaventure (ca.1750 — 1790)
c.1830 Méthode de
violoncelle 29/36
△ 1/2ページ (pp.28,29)
×
⑰
Šťastný, Bernard
(1760-1835) s.d.1832 Méthode de
violoncelle 0/50 × ×
⑱ Depas, Ernest
(1809-1889) [s.d.] Méthode élémentaire
pour violoncelle 0/32 × ×
⑲ Dotzauer, Friedrich (1783-1860)
1838 Méthode de
violoncelle 62/110
△ 4と1/4ページ
(p.35-39)
○ 1/4ページ
(p.23)
⑳
Hus-Desforges, Pierre-Louis (1773-1838)
c.1838 Méthode de
violoncelle 全文未入手 × ×
㉑ Miné, Adolphe
(1797-1854) c.1840 Méthode de basse ou
violoncelle 全文未入手 × ×
㉒
Romberg, Bernhard (1767-1841)
1840
Methode violoncelle adoptèe par le Directeur du conservatoire Royal de Paris.
110/137 × ×
表2から見ても、デュポールの奏法試論の中では第10章と第18章の記述が特徴的である ことがわかる。
第10章にみられる重音に関しては、時代に関わらず、デュポールに匹敵するほど詳細に 記述した教則本は少なく、△と評価されたものが多い。多くても⑧ジャン・マリー・ラウ ル Jean Marie Raoul (1766-1837)が2ページ、奏法試論のページ数が多かった③モーツァ ルトでも2/3ページである。
第18章にみられるバッテリーズのボウイングに関しては、デュポールの前の時代からバ ッテリーズを示唆する内容がみられるものの、バッテリーズという名称で定義していなか ったり、ボウイングのみで示していたりするため、△印をつけたものが多い。他方、デュ ポールの後の出版物には、はっきりとバッテリーズという記述が見られるものが3つある。
そのうち⑲ドッツァウアーはデュポールの孫弟子であったので、デュポールの教えに影響 を受けた可能性が考えられる。
続く第3章と第4章では、これらデュポールの特徴的な記述内容について、それぞれ精 査することとする。
第3章 重音に関する記述の特徴
3 -1 和 声 進 行 に 鑑 み た 指 使 い の 指 定
ここでは、第10章のうち、特に和声進行に鑑みた例が多い9節に着眼する。現代のチ ェロ奏法において、指使いを決める手順というものは特に指定されておらず、演奏者各々 の手に合わせて無理がないように、音楽的な流れを壊さないことを考慮しつつ、ケースバ イケースで指使いを決める。しかしながら、デュポールは奏法試論の中で、指使いの決め 方を指定する方法を主張している。すなわち、和声進行を理解した上で、重音の指使いを 選択することを推奨しているのである。これは裏を返せば、和声を理解していなければ指 使いを決めることができない、とも言うことができる。
この考え方が特に顕著に表れているのは、9節の『増4度と減5度の指使い1の違いについ て』である。(以下、左側にLindnerによる英訳(Duport/Lindner 1880)、右側に筆者の訳を 示す。)
9.増 4 度 と 減 5 度 の 指 使 い の
違 い に つ い て
混同してしまいがちなのが、増 4度と減5度の指使いについてで ある。どちらも三全音で、おなじ ように1本の指を上の弦に、隣の 指をすぐ下の弦において弾く。 2
(1)なお、これより記載する指番号は、一般的なチェロの指使いの表示通り、1=人差し指、
2=中指、3=薬指、4=小指、 =親指、0=開放弦、を示すこととする。一部例外はその都
度指摘するものとする。
(2)
なお、引用した譜面に書かれている指使いにおいて、入手した時点で印刷が乱れて読みづ らくなっている場合に限って、筆者が清書した。
例3
Duport/Lindner 1880: 56
この2つの音程における指使いは疑い ようもなく酷似しているが、すこしでも チェロの知識を持っているなら、この2 つが全く異なる解決をするので間違いよ うがないであろう。減5度は3度に解決 する。
増4度と同じように、1と2の指を使っ て弾こうとしたら、次の3度の和音を同じ ポジションで弾くのは不可能である。
D[を含む]減5度の例を見てみよう。
自然とAに来ることがわかる。
Dからはじまる増4度の例をみると
Duport/Lindner: 57
先ほどとは逆に、E♭に導かれていった。
次に示すのは第二の指使いである。
増4度には2つの指使いがあるが、
前述した通り、減5度には一通りしか 指使いが存在しない。
次に示すのは、同じポジションで弾 くことができる隣りあった増4度2種 類、増5度1種類である。ここから先 に述べたことが裏付けられる。
このように、同じ音の重音でも、増4度として捉えるか、減5度として捉えるかによっ て、和声進行が異なることを理解した上で、指使いを考えている。むしろ、きっかけの重 音から、その指使いを使うことによってどのように和声を進行させ、解決させることがで きるかという可能性を探っているようにもみえる。
この考え方は、現代においては希薄である。
これに準ずる例として他には、減5度が必ず長3度または短3度に解決することに言 及し、その指使いを指定している例を見ることができる。
7 .減 5 度 に つ い て
減5度の重音は常に2と3の指を交 差した状態でとる。なぜなら、この和 音は、次の例でみられるように、通常、
短3度か長3度に解決するからである。
長 3 度 に 解 決 す る 減 5 度 の 例 。
短 3 度 に 解 決 す る 減 5 度 の 例
指使いは長3度でも短3度でもおな じである。
減 5 度 か ら 3 度 の 和 音 に 解 決 す る 例 あまりに無味乾燥にならないように 伴奏をつけておいた。
例4
Duport/Lindner 1880: 53
また、減7度とその解決法である完全5度について言及している例も挙げておこう。
13.減 7 度 に つ い て
減7度は1と3の指でとる。
次はいくつかの連続[した例]
である。
例5
Duport/Lindner 1880: 67
Duport/Lindner 1880: 54
Duport/Lindner 1880: 68
3 -2 重 音 を 重 複 さ せ た 練 習 方 法 の 紹 介
現代の奏法において、重音の音階では次のような指使いをとることが一般的である。
わかりやすいように6度の重音の例を挙げてみよう。斜線/数字(ローマ数字)/括弧は いずれも筆者が書き込んだものである。ローマ数字は使用する弦3を、数字は指使いを示 している。数字と数字を結ぶ斜線はその指が5度関係にあり、同じ指が隣の弦にずれるこ とを意味する4。また、譜例の上または下に書かれている指使いのどちらを選択するかは 奏者の自由であるが、上下の指使いを混ぜてしまうことは好ましくない。チェロの最低音 から最高音まで練習したい奏者のために、最初の二つの音(1小節目の小さな音符2拍分)
と、高音部の括弧に入っている箇所も表記してあるが、1小節目の3拍目から6小節目ま で、3オクターブ上行した後、下行してくるのが一般的である。これ以上高い音域まで弾 こうとすると指板がなくなってしまい、それまで上行形で上がってきた音質と同じ均一な 音質で弾くことが困難になるからである。
おそらく現代ではこのような3オクターブの重音の音階を練習するのが一般的であると 思われる。譜例4の音符の上に書かれている指使いは、開放弦を使うことがないため上級
(3)なお、Ⅰ= A線、Ⅱ= D線、Ⅲ= G線、Ⅳ= C線を示している。
(4)
チェロは5度調弦であるので、今抑えている指の真横を押さえると完全5度ずれた音程を 出すことができる。
譜例4
者向けで、3オクターブの最終音まで順序よく指を入れ替えて進んで行くことで、切りの 良い2と3の指5で最高音に到達することができる。
音符の下の指使いは開放弦を使うため、難易度は音符の上の指使いほど高くはない。
しかしながら、2オクターブめの終わりで切りの良い2と3の指を使ってしまい、あと1 オクターブ上まで演奏すると、切りの悪い1と2の指で最高音に達してしまうことを考え ると、3オクターブめまで弾かずに、2オクターブめで折り返す、初心者向けの指使いで あると言える。
また上記のように、現代の練習方法では、上級者向け、初心者向けのいずれにおいて も、同音の重複は見られない。
例えば、第2章でも挙げた、日本で普及しているウェルナー 1984では、第2巻の後ろ の方でようやく次のような例によって重音が紹介されている。ウェルナーの教則本の中で 重音を示しているのは次に示す譜例5の箇所だけである。これは、初心者にとって重音が かなりハードルの高いものであることを示すとともに、デュポールの教本ほど整理されて 書かれていないことからも、デュポールのように和声進行を踏まえた上で指使いを決めて いくという手段を問うことは現代では一般的ではないということを示している。
(5)ハイポジションでは4の指はほとんど使わないため、3の指で最高音をとれば余っている 指がなく、余分なポジション移動が省ける。よって最高音は2と3で取るのが切りの良い指使 いとなる。
(写真左:切りの良い最高音の取り方/写真右:切りの悪い最高音の取り方。)
それでは、デュポールが主張する重音の練習法はどのようなものだったのだろうか。以 下は10章10節の引用である。特徴的な同音の重複部分は○印や鉤括弧をつけて示した。
譜例5
Werner 1989: 10
10. 6 度 、 連 続 す る 6 度
6度は特に長調で比較的簡単に弾 くことができるし良い効果をもたら すので、この章で重点的に扱う。
第1ポジションでは、以下のよう に3つの6度を手の位置を変えるこ となく弾くことができる。
しかしながら通常のフィンガリン グを考えた時、同じ手の位置で一度 に弾ける6度は2つまでである。な ぜなら均一な音質を保って弾くには 開放弦を避けなければいけないから である。したがって次の例/練習法 は説得力があると言える。
まずCdurのスケールを見てみよう。
次は異なるシリーズのCdurである
例6
Duport/Lindner 1880: 60
下行形も同じである。
cmollにおける重音のスケール
これらのスケールは短調ではさらに 難しくなる
異なるcmollのスケール
丸と括弧で囲った部分が重複する重音、及び音列を示したものである。ここから、音階 としての流れを重視するということのほかに、同じ弦を無理のない範囲で可能な限りハイ ポジションまで使い、そしてまたファーストポジション6から始め直す方法が繰り返し示 されていることがわかる。これによって、開放弦を使うこともなく、また、同じ重音でも
(6)注5で示した“ハイポジション”と同じく、左手のポジションを示す言葉である。ファース トポジション(または第1ポジション)において左手は耳の横あたりに置かれ、初心者がまず 初めに習うポジションである。ここから第2ポジション、第3ポジション、という具合に一音 ずつ左手を置く音程が上がって行き、親指が使えなくなるポジションあたりからハイポジショ ン、という総称で呼ばれる。ウェルナー 1984には第7ポジションまで載っている。
Duport/Lindner 1880: 61