総説
日本の高度成長期を支えたフォトリソグラフィ
Photolithography as Supporting the High-growth Era in Japan
Masahiko ARIHARA*
有原正彦
*
*President Fine Tech Research Office
2-33-12, Hikarigaoka, Chuo-ku, Sagamihara-shi, Kanagawa, 252-0227 JAPAN
はじめに
日本での高度成長期とは,NHK がカラーテレビの実験 放送を開始した 1956 年(昭和 31 年)頃からオイルショッ クと呼ばれた 1974 年(昭和 49 年)頃までを指す.ちょう どその頃,写真製版技術を使った IC 半導体や電子機器が つぎつぎと開発され,商品化された.それにともなって, 日本に電子産業が台頭してきた.一方,IC 半導体の加工 分野では,しきりにフォトリソグラフィなる言葉が飛び交 うようになってきた.ここでは,この言葉が世に出てきた 背景や経緯につき調べ,それを略記した.また,カラーテ レビ用シャドウマスクと液晶用カラーフィルターはフォト リソグラフィを使った代表的な製品であるが,筆者はその 両製品の事業化にも多少関わってきた.そこで,これら製 品の開発から量産,販売に至るまでの主要な技術的課題や 営業課題などについて,筆者の体験談を交え,できる限り 史実にもとづき言及する.1
.フォトリソグラフィとは
1.1
フォトリソグラフィの歴史 フォトリソグラフィとは,半導体・金属用語辞典1)に よれば,英訳で「Photolithography」となる.一方,日本 語訳では,「光リソグラフィ」となっている.さらに,こ の説明では,「光リソグラフィとは,写真食刻法を用い, 半導体電子回路のパターンをウエハに転写する技術であ る.その源流は,17 世紀ヨーロッパで発明されたリトグ ラフ(銅版画)と,その後発達した印刷技術である.さら に,その加工は, 1)レジスト塗布, 2)プレベーク, 3)露 光, 4)現像,5)ポストベーク,6)エッチング,7)レジ スト除去,の順を経る.」となっている.一方,フォトリ ソグラフィに関して,小関敬三氏による「フォトエッチン グ」なる成書2)がある.ここでは,フォトリソグラフィ に関する歴史的事項について,以下のような記述がある. 「1813 年,フランス人のニエプスが,カメラを使ってア スファルトの写真を始めて得ることに成功した.さらに, 1850 年代には,イギリスのタルボットが,銅板をエッチ ング加工した「写真彫刻」を発明した.その後,写真技法 を印刷に取り込んで,凸版,平版,凹版の三大印刷法が確 立された.20 世紀に入る頃には,写真製版法の基礎が固 まった.その後,1942 年(昭和 17 年)にイギリスのポー ルアイスラーが,プリント配線法を発明した.その時のラ ジオ回路が,電子工業に導入された始まりとなった.次い で,1951 年(昭和 26 年)に,米国の RCA 社がカラーテ有
原
正
彦
Profile
1969年神戸大学大学院工学研究科修士修了, 大日本印刷(株)入社,その後,ザ・インクテッ ク(株)および東洋紙業(株)を経て印刷関 連の技術コンサルタントとなり現在に至る. * ファインテック研究所 (〒 252-0227 神奈川県相模原市中央区光が丘 2-33-12)レビの研究を始め,シャドウマスクを使ったブラウン管を 発明した.さらに,1959 年(昭和 34 年)頃から,RCA 社, ウエスチングハウス社,テキサス・インスルメンツ社など によって,電子回路の超小型化に関する研究が積極的に進 められた.そこでは,マイクロモジュール,集積回路など に製版技術が応用されるに至った.そのとき,この加工法 はマイクロ・フォトエッチングといわれた.」 この中で使われているマイクロ・フォトエッチングは, 冒頭のフォトリソグラフィとまったく同じ意味をもつ.ち なみに,この成書が著されたのは,1968 年(昭和 43 年) であった.この時点では,フォトリソグラフィなる言葉は 一切使われておらず,この用語はそれ以降に出てきたこと になる.実は,1958 年(昭和 33 年)に,米国で集積回路 (IC)と呼ばれた重要な発明がなされた.それを受けて, 日本でもその重要性に鑑み,日立,東芝,富士通をはじめ, ほとんどの大手電機メーカーが米国と技術提携を行ってい る.それ以降,国内で IC の研究開発が活発に邁進される ようになった.その結果,IC が日本で開発された時期は, 1970 年(昭和 45 年)初頭とされている4). 以上のことを総合すれば,フォトリソグラフィは,従 来,印刷業界で使われてきた写真製版やフォトエッチング と同じ概念であり,写真製版技術を使って,印刷版や半導 体 IC 素子等を製作するための加工技法といえよう.この ような観点からすると,フォトリソグラフィは半導体の業 界用語ではないかと推定される.しかも,日本で IC の加 工が始まった頃から頻繁に使われるようになってきたもの と思われる.その結果,フォトリソグラフィは,今日では すっかり市民権を得た用語として,多くの業界でも通用す るに至っている.その一方で,フォトリソグラフィの概念 が広くなっている面もある.たとえば,たとえ,エッチン グ加工工程がなくても,写真技術を使ってパターニングを 行なう場合もフォトリソグラフィと呼ばれている.ちなみ に,後述するカラーフィルターの製作で使われる顔料分散 レジスト法は,まさにこれに該当するものである.
1.2
微細加工とフォトリソグラフィ 一般的に,フォトリソグラフィを使えば微細な加工がで きるといわれている. それは,写真機能の中でレンズをうまく使えば,大き な画像を小さな画像に縮小できるからである.たとえば, IC の加工において,被加工物の画像寸法はミクロンサイ ズ以下という小さい値である.しかし,写真手法の焼付け に使われるマスクの画像は,その 5 倍も大きくてよいわけ である.すなわち,元のマスク画像サイズはたとえ大きく 作られていても,縮小レンズ機能を使うと,マスク画像サ イズの 1/5 まで小さな画像が,レンズを介して被加工物上 に形成できる.それゆえ,もし,このレンズ機能がなけれ ば,IC もここまで発展できなかったことになる.ちなみ に,IC における最小加工寸法は,1962 年(昭和 37 年)で, 10 ミクロン以上と比較的大きかった.しかし,2008 年(平 成 20 年)には 0. 045 ミクロンまで微細な加工ができるま でに進歩してきている. しかし,最近,このようにレンズ機能を最大限に使って も,IC 加工では,加工寸法に限界があるのでは,とささ やかれてきている.一方,後述する液晶用カラーフィルター では,IC に比べると,それほど精細なパターンは必要ない. すなわち,デイスプレー関連では,人間の目が物体を識別 できる最小サイズまで加工できればいいことになる.ちな みに,実際の画素サイズは,32 インチの液晶テレビで約 600 ⊗ 500 ミクロン,モニターテレビで,約 250⊗250 ミクロ ン,液晶携帯電話で,約160⊗160ミクロンである.すなわち, これらでの加工寸法は,写真機能にはまだ充分に余裕のあ る大きさである.このように,フォトリソグラフィを使え ば微細化加工ができるとしても,その目的によって,微細 化の程度がこんなにも異なっているのである.1.3
IC
とフォトリソグラフィ IC とは,シリコンウエハ上に,トランジスタ,コンデ ンサー,抵抗体などの素子を高密度に集積して回路配線が なされた半導体素子であり,半導体 IC とも呼ばれている. IC では,これら素子をウエハ上にどれだけ微細化して高 密度に詰め込むことができるかが,開発のキーポイントで ある.IC の発明以来,日本でも大手電気メーカーのほと んどが,IC の研究開発に手を染めていったとされている. しかし,電気メーカーにとって,フォトリソグラフィは初 めての技術であり,当初は,この技術を熟知した印刷会社 に指導を仰ぎにきた時期があったと聞く.IC の歴史は微 細化の歴史であるともいわれている4).それはとりもなお さず,フォトリソグラフィ技術がその中心にあったためで ある.そのため,フォトレレジスト材料,露光方法を含む 露光機,フォトマスク等の研究開発が不可欠であった.こ れには,電気メーカーだけで解決される問題ではなく,数 多くの関連する周辺企業から,研究や開発支援を得ていた ことになる.こうした国内での幅広いバックアップ体制が IC の基礎技術や量産技術を確立し,世界一の生産シェア を確保するに至る直接の原動力になったといえる.しかし ながら,量産後の価格競争段階に入るにおよび,韓国や台 湾の後塵を拝することとなり,日本の半導体産業は衰退期を迎えることとなる.
1.4
IC
露光用原版とフォトリソグラフィ IC の研究開発を行うには,いくつかの副資材の調達が 必要であった.その一つに,フォトマスクがある.これは, IC 加工を行う際,フォトリソグラフィにおける露光用原 版になる.それゆえ,IC の加工精度は,このマスクの品 質に左右されるといわれるほど,極めて重要な役割を担っ ている.マスクは,フォトリソグラフィによって石英ガラ ス板の上にクロム金属の IC パターン画像を形成させたも のであるが,画像の解像性や,不良欠陥等のとりわけ厳し い品質が要求された.そのため,日本では,印刷製版で実 績を持っていた大日本印刷と凸版印刷の 2 社に IC 用マス クの製造が委託されたのである.(後に,HOYA も参入し た.)フォトマスクに関して,元大日本印刷の武内敏氏が, 日本印刷学会誌に“技術雑感”として投稿5)されている. そこには,大日本印刷で,フォトマスクの製造が始まって 以来,問題となった種々の技術課題に対し,如何なる手段 で解決したのかなど,苦労された経験談が詳細に記されて いる.2
.カラーテレビ用シャドウマスク
2.1
カラーテレビとシャドウマスク シャドウマスクは,カラーブラウン管テレビに使われる 部材である.図1
には,ブラウン管の構造とその構成概略 図を示した.(a)に示すように,シャドウマスクはブラウ ン管の前面に位置し,蛍光体面のすぐ裏面に装着される. また,(b)に示すように,テレビでは,電子銃より発射 された三本の電子ビームがマスクを通過し,その先にある 無色の蛍光体をたたくことで赤,青,緑の 3 色に発色する 仕組みになっている.その場合,それは,いつでも,3 色 がセットで発色ができるよう電子ビームを誘導する役割を している.このように,シャドウマスクは,テレビをカラー でみるためには不可欠な電子部品といえる.これには,孔 形状の違った丸孔およびスロットマスクの 2 種がある.そ のうち,図2
には丸孔マスクの概観図とその断面形状を模 式的に示した.これを見るとわかるように,その断面はす り鉢状になっており,板の表裏で孔形状が異なっていると ころに大きな特徴がある.このような加工が出来るのは, もっぱらこのフォトリソグラフィを使うしか手がなく,打 ち抜きによる機械加工はできない. (b
) 図1
ブラウン管の構造(a
)とその構成概略図(b
) (a
) (a
)概観図 (b
)断面形状 図2
丸孔マスクの概観図(a
)とその断面形状(b
)2.2
シャドウマスクの開発から生産に至る経緯 カラーテレビの国産化を推進するため,1957 年(昭和 32 年)に,(財)電波技術協会がカラー受像管試作委員会 を発足させた.委員会では,各関連企業に対し,受像管を 製作するための分担支援を求めた.そのうち,シャドウマ スクの調達には,印刷会社に是非依頼したい,との強い要 望があり,シャドウマスクの製造には,大日本印刷,凸版 印刷,大日本スクリーン,ソニー,東芝,日立等の会社が かかわることになった.1958 年(昭和 33 年)に,大日本 印刷は 17 インチサイズのシャドウマスクの試作にはじめ て成功した6). 日本では,1960 年(昭和 35 年)にカラー放送が開始さ れたが,テレビは高価で番組も少なかったため,あまり普 及しなかった.しかし,1964 年(昭和 39 年)の東京オリ ンピックを契機に需要が急拡大した.その頃を目途に,シャ ドウマスクは大量生産できる体制になっていた.それゆえ, カラーテレビの増産とともにシャドウマスクの生産も急増 していった. ブラウン管テレビ用の,シャドウマスク製品の実生産が 本格化した頃は,民生用として比較的ピッチ幅の大きなも のであった.しかし,パソコンなどのモニターテレビ市場 が急拡大するのにともなって,ピッチ幅が小さく高精細な シャドウマスクが求められるようになった.それに対応す べく,製造元では,後述するような 2 段エッチング法8) と呼ばれる新規な腐食方法を開発した.その結果,1980 年(昭和 55 年)以降の生産では,ファインピッチ(ピッ チ幅が 0. 1 ~ 0. 3 mm)マスクと呼ばれる高精細マスク製 品が主力を占めるようになった. シャドウマスクが実生産されるようになってから,その 生産量は毎年右肩上がりに増大しつづけた.しかし,1990 年(平成 2 年)頃をピークにしてそれ以降の生産は,下降 線をたどった.そして,2009 年(平成 21 年)には,つい に生産量はゼロとなり,日本からシャドウマスクは完全に 消え去ってしまった.この理由は,ブラウン管テレビが 1990 年(平成 2 年)頃から本格化しだした液晶テレビに とって替わられたためである.このようにして,日本での シャドウマスクの歴史は,約 50 年間でピリオドを打った. 日本では,大日本印刷と凸版印刷の 2 社だけが最後まで製 造を継続させたが,その背景には,その製造技術の高さが 反映されている.シャドウマスク事業は,印刷会社にとり ドル箱と呼ばれるように年々,高収益をもたらし続けた. 通常,このような高収益事業に対しては,国内を含め外国 からの企業参入が考えられるものである.しかし,シャド ウマスクの製造技術が,輸出されたり,不法に外国に持ち 出されることはなかった.それは,製造が,いわゆる「擦 りあわせ型」と呼ばれる複雑な管理技術にもとづくもので あったためである.他社が真似るには難しく,外国への技 術流出が容易でなかったものと推察される.2.3
シャドウマスクの技術的進歩 シャドウマスクのこれまでの進歩を見るうえで,ごく大 雑把ではあるが,マスクにあけられた孔数や孔径寸法など の指標数字で比較するのがわかりやすい.そこで,時代の 変遷に伴うマスク孔の物性比較をしたのが表1
である.こ こでは,金属の材質と板厚みは,必ずしも同一の比較となっ ていない.まず,当初の品物に比べると,ピッチ幅および 孔径寸法は,いずれも約 1/3 と小さくなっている.これに 対し,孔数は約 10 倍も多くなっている.ここ 40 年間のう ちに,加工が非常に高精細化されてきたことが読み取れる. また,ここで注目されるのは,最近での孔径寸法が,加工 板厚みより小さくなっていることである.通常,エッチン グ加工する場合,サイドエッチング現象のため,板厚みよ り小さな孔を明けることは,不可能とされてきた.それを 可能にしたのが,この 2 段エッチング法という新規な加工 手段(後述)であった.一方,シャドウマスクの価格が, 開始当初に比べ,約 1/75 と格段に安価になっている.な ぜこんなにも安価な製造が可能になってきたかについて, 大日本印刷の場合には,以下のような要因が考えられる. 1) 製造ラインが連続加工できるように工夫され,各工程 での生産および品質管理が徹底して行われた. 2) 加工で使われる,フォトレジスト,露光用マスク,エッ チング液などの副資材が,自社内(もしくは関連会社) で容易に,しかも安価に調達できた. 3) 一部クリーン環境の設備対応がなされているものの, おおむね特別高価なクリーン設備は必要としなかった. また,設備ラインをたえず更新する必要性がなかった. 4) 産業用ファインピッチマスクへの対応が,2 段エッチ ング法の適用で可能になった.それにより,製品の品 質が大幅に安定化した. 表1
時代の変遷に伴う17
インチマスク孔の性状変化 1960 年代6) 2005 年7) ピッチ幅(mm) 0.71 0.25 孔径寸法(mm φ) 0.29 0.09 孔数(個) 200000 2100000 材質 銅 インバー 板厚み(mm) 0.15 0.1 価格(円 / 枚) 15000 200以上のような要因から,高歩留りの製造加工が維持確保 でき,非常に安価な製品対応が可能になったものと推察さ れる.
2.4
2
段エッチング法による品質改善 シャドウマスクは,断面形状がすり鉢形状になっている ことを,すでに図2
にて示した.通常,このような複雑な 形状の孔あけは図3
のようにして行なわれる.まず,金属 板の両面に,レジストが塗布される.ついで,パターン形 状の異なるマスクを使い,紫外線露光および現像が行なわ れる.それにより,上下板で異なるレジストパターンが得 られる.その後,板の両面より同時にエッチングを施すと, 板の上下で孔形状の異なる貫通孔が得られる. ここで問題になるのは,得られたマスクの断面形状と孔 径寸法である.正確な孔径や形状を得るには,貫通した瞬 間にエッチングを停止できるのが理想である.しかし,実 際には,それは無理である.そのため,通常,孔が貫通し た後,少しの時間エッチングを延長させてから停止させ る.したがって,どの時点でこの加工を停止するかが,最 も重要なポイントになる.それによって,形状や寸法が微 妙に変化するからである.ここでの製造管理技術は,いわ ゆる「擦り合わせ型」と呼ばれている所以である.すなわ ち,製造には,この管理技術を含めたノーハウが必要であっ た.これが,他社から真似られることがなかった最大の理 由である. ところが,民生向けのシャドウマスクにおける孔径寸法 やピッチ幅が比較的大きかった.そのため,要求仕様は何 とか技術でカバーすることもできていた.ところが,産業 向けモニターテレビでは,視認距離が数十 cm と短いため, 技術ではいかんともしがたく,より高精細なシャドウマス クが必要となってきた.そこで考案されたのが,2 段エッ チング法である.図4
に,その方式の工程を示す.レジス トのパターニングまでは,図3
とまったく同じ工程ゆえ, 途中,一部省略して示した.図4
から判るように,1 段目 図3
シャドウマスクの製造法 図4
2
段エッチングによるシャドウマスクの製造方法のエッチング終了後,樹脂の埋め込みをおこない,片面ず つ 2 段階にエッチングを行うことが,この方法のポイント である.2 段エッチング法の実用化に際し,孔に埋め込む 樹脂の選択およびその埋め込み方法は,かなり難易度の高 い開発事項であったと考えられる.すなわち,樹脂の選択 には,後でレジストとともにアルカリ剥離ができ,連続ラ インのため,速乾性であるという条件面で高いハードルが あった.一方,樹脂の埋め込み手段については,さらに困 難を極めた.すなわち,1 段エッチングであけられた孔周 辺部には,オーバハングしたレジストが残る.そのため, 塗布時,それが気泡を巻き込む障害を起こしていた.この ように,塗布機の選定は,ままならず難航していた.幸い にも,この開発には,多くの樹脂メーカーおよび塗布機器 メーカーの協力が得られ,やがて,2 段エッチング法の開 発も無事終了し,高精細ファインピッチマスクの安定した 生産が可能になった.その結果,1980 年(昭和 55 年)頃 から急速に高まってきたモニターテレビ市場のニーズに, タイミングよく対応できるようになったのである.
2.5
カゼインフォトレジストの問題点 通常,シャドウマスク用のフォトレジストには,ポリビ ニルアルコール(PVA)ー重クロム酸塩もしくはカゼイ ンー重クロム酸塩のどちらかが使われていた.両者は光硬 化性に優れ,水現像ができて取扱が容易であった.そのた め,以前から金属などの安価なエッチング加工用のフォト レジストとして重宝に使われてきていた.しかし,両者に はレジストとして使用する場合の長所と短所があった.す なわち,PVA は分子中に規則正しい水酸基をもった合成 高分子であり,所望した分子量のものが自由に入手でき た.また,PVA レジストの露光感度は非常に安定していた. しかし,レジスト剥離にいささか問題があった.すなわち, このレジストは,アルカリ剥膜がまったく不可で,特殊な 薬品と手段を必要としていた.一方,カゼインは分子末端 にカルボン酸基を持った数種の蛋白質からなる天然高分子 である.カゼインレジストは,露光感度の面で,PVA レ ジストにやや劣るものの,実用上,問題なく使われ,しか も,アルカリ剥膜が容易にできるという特徴を持っていた. このように,フォトレジストとして比較すれば,カゼイン レジストは,PVA レジストより優れているとの見方が一 部にあった. ところで,PVA とカゼインの原料としての両物性には 大きな違いがあった.すなわち,カゼイン原料には,天然 物ゆえに,品質上の問題を起こすことがあった.カゼイン は,牛乳に約 3 %含まれた数種の蛋白質の混合物である. 通常,粉末状で供給されるが,これには,微量の乳脂肪が 含まれている.これをレジスト液として使うには,塗布時 にハジキを起こさないよう,あらかじめ,この乳脂肪分を 精製して取り除くことが不可欠であった. 1980 年(昭和 55 年)当時,精製したカゼイン水溶液を, 主として,ザ・インクテックと富士薬品工業の 2 社が販売 していた.通常,精製カゼイン水溶液はつぎのようにして 製造されている.まず,溶解釜の中で原料のカゼイン粉末 が加熱したアルカリ水溶液によって溶解される.ついで, そこに,珪藻土の微粉末を投入し攪拌すると,珪藻土の スラリーができあがる.ここでは,原料中にあった微量の 乳脂肪が珪藻土中に吸着される.このスラリーは,ポンプ によってフィルタープレスと呼ばれる濾過機に送り込まれ る.すると,スラリーが固液に分離され,精製カゼイン溶 液が取り出される.精製カゼイン水溶液はこの方法で問題 なく製造できていた. ある年,年明けの 1 月から 2 月にかけて入庫されたロッ トのカゼインに限り,濾過機にフィルター目詰まり事故が 度々起こるようになった.未溶解のカゼインが,濾過機に あるフィルターの目を詰まらせたのである.この原因につ いては原料ロット間の差異等種々の検討をおこなった.し かし,明確なる原因を追求するまでに至らなかった.原 料の調達先であるニュージランドでは,8 月から 12 月に, いわゆる草が芽吹く季節を迎える.ちょうどその頃には, 大量の子牛が生まれ,そこでは,大量の良質の牛乳が得ら れるよう仕組まれている.そこで得られる牛乳は,国内消 費分だけでは過剰になる.それゆえ,過剰になった牛乳は, カゼインや脂肪などに加工され,日本などに輸出されてく るわけである.そのため,実際,日本に輸出されたカゼイ ンは,8 月頃から翌年の 2 月頃までに採取されたものであ ることが確認されている. 化学大辞典によれば3),「カゼインとは,蛋白質の混合 物で,3 種の成分(a,b,g)から成る.これは,乳分泌 の時期によって,乳中の含量が変化する.」と記されてい る.以上のことから,当時, 牛乳の搾乳された時期の違い で,カゼインのロット振れが起きるのではないかと推定し た.そこで,これらの品質事故を防止するため,以下のよ うな対策が行なわれた.すなわち,ニュージランドからは, あらかじめ,製造ロット毎に,先行サンプルを取り寄せる ことにしてサンプルの溶解テストを行い,合格ロット品の みを使うようにした.このような対策を行なってからは, 濾過不良の問題は発生しなくなった. 以上のように,カゼインなどの天然原料は,環境にもや さしく,今後も多方面で使われることも多いと思われる.しかし,これには合成原料とは違って成分が微妙に変化す る.天然原料を扱う際には,このような品質事故を起こさ ないよう,上手に付き合うことが望まれる.
3
.液晶用カラーフィルター
3.1
液晶デイスプレー(LCD
)とカラーフィルター そもそも,液晶とは,液体と固体(結晶化)の性質を併 せ持った,通常は液状の有機化合物である.この液晶が 発見されたのは 1888 年であったが,工業的な応用はそれ よりずっと後になった.1962 年(昭和 37 年)に,液晶に 電圧をかけると液晶分子が乱流状態になって光が散乱さ れ白濁することを見つけたのは,米国 RCA 社の Williams であった.彼は,この現象を動的散乱(DS)と名づけた. その後,1968 年(昭和 43 年)に,RCA 社の Heimeier が DS モードを使って,LCD の試作品(デジタル置時計)を 発表した.このニュースはマスコミによって広く報道され たが,彼は同時に IEEE 誌へ論文発表も行った.これが契 機になり,各国で液晶の工業的応用に向けた本格的な開発 の口火が切られることとなった.当然,日本でも LCD の 商品化に向け,研究開発がスタートした.その結果,1973 年(昭和 48 年)に,シャープが世界初の液晶電卓の商品 化に成功した.通常,これが LCD の歴史のはじまりとも 言われている.カラーフィルターは搭載されておらず,こ の時の画面は白黒対応であった.1980 年(昭和 55 年)代 に入り,LCD としての商品開発が進み,文字や数字表示 のみから,動画表示の出来る環境が整ってきた.動画像を テレビで見るには,従来の白黒画像だけでは物足らず,動 く画像をカラーで見たいという世の切なる願いは強かっ た.実際,カラーフィルターの必要性が議論されるように なってきたのは,ちょうどこの頃からである.カラー化 に関しては,1981 年(昭和 56 年)に東北大学の内田龍男 教授がマイクロカラーフィルターを用いた反射型カラー LCD の提案をしたのが最初であるとされている. 図5
には,広く使われている TFT 液晶パネルの構成を 概念図として示した.ガラスの裏面からバックライトから の光が入射するが,単色光のため,これに色はまったくつ いていない.そこで,この光を色付きにして人間の目に見 えるようにしたのが上面にあるカラーフィルターである. ビデオカメラ等である画像を撮影する場合,カラー画像で は,一旦,入力データ用のカラーフィルターを使って色分 解がなされる.この色分解されたデータは電気信号にして 保存される.保存された画像を LCD で見る時は,保存さ れたデータ信号を出力用のカラーフィルターに通すと,保 存されたカラー画像がその上で再現できることになる.こ のように,カラーフィルターには,データの入力および出 力用の 2 種が存在することになる.ここでの液晶用カラー フィルターは,この出力データ用に使われるカラーフィル ターを指している.3.2
カラーフィルターの製作方法9) カラーフィルターは,図5
に示したように,1. 1 ~ 0. 7 mm 厚みのガラス板の上に,約 150 ~ 600 ミクロンのピッチサ イズで,R(赤),G(緑),B(青)色に着色された画像 が整然と並べられた光学部材である.その RGB 画像のワ ンセットを画素と呼ぶ.1980 年(昭和 55 年)代になって LCD のカラー化が現実のものになるにおよび,カラーフィ ルターをどのように製造するかが最大の課題となった. そこで,真っ先に試されたのが染色法で作製された入力 データ用のカラーフィルターであった.これは,ずっと前 から,凸版印刷がテレビの撮像管用に開発し,製造してい たものであった.このフィルターは,フォトリソグラフィ を使い,ゼラチン層に染料を染色することで作られていた. 当初から,このフィルターは,透過率やコントラストなど の光学特性に大変優れていることがわかっていた.実際, 凸版印刷が液晶用のカラーフィルターとして開発したのが 1983 年(昭和 58 年)であったとされている.しかし,こ の染色法によるカラーフィルターは,使用しているうちに, 思いがけない問題のあることが判明してきた.それは,デ イスプレーに組み込まれる際の加熱温度や,バックライト による光によって,フィルターの色が退色することであっ た.この不具合については,すぐさま,関係者によって改 図5
TFT
液晶パネルの構成概略図善対策が色々検討された.しかし,改善は思ったほど容易 ではなかったようである. カラーフィルターの製作には,カラー化が現実のものに なる前から数多くの企業が興味を示し,各社が独自の技術 を駆使した取り組みをしていた.たとえば,1990 年(平 成 2 年)頃には,大日本印刷,凸版印刷,光村印刷,東洋 紙業,共同印刷などの印刷会社,シャープ,日立,東芝, カシオ,ミクロ技研,アンデス電気などの電機会社や富士 フィルム,東レ,シントーケミトロン,キャノン等の化学 会社など多くの企業がカラーフィルターの製作に参加して いた.その頃,実用化されていた製作方法には,1)染色 法,2)顔料分散レジスト法,3)顔料分散エッチング法, 4)フィルム転写法,5)印刷法,6)電着法などがあった. 上記のうち,印刷法を除いていずれの方法も,フォトリソ グラフィが適応されていたが,加工性および製品品質の両 面から,どの製作法も一長一短であった. その頃,本命と見られていた染色法の改善が思うように 進まなかった背景にあって,注目されだしたのが顔料分散 レジスト法であった.その理由は,染色法と比べ加工が容 易だったからである.顔料分散レジスト法とは,顔料を微 分散したフォトレジストを使って,フォトリソグラフィ 加工をしてカラーフィルターを作る方法である.これは, 1985 年(昭和 60 年)に工業技術院,大日本印刷,諸星 インキ(現 DNP ファインケミカル)が共同で出願した特 許10)がその基本となっている.元来,顔料は基材を被覆 する着色剤であるため,光(紫外線)を通しにくい.その ため,写真的なパターン形成は,到底不可能と考えられて いた.しかし,特許では,「顔料を,微分散化してその粒 径を小さくし,高感度のフォトポリマーをうまく選べば, 着色パターンの形成が可能になる.」ということが,実施 例で具体的に示されていた. しかし,この特許は基本的には満足できるものの,実用 化するには種々の問題を抱えていた.ところが,この特許 が公開されてから,レジストメーカーがつぎつぎとその問 題点に対する解決に向け,研究開発を推し進めた.とりわ け,大手レジストメーカーであった東洋インキ,JSR,富 士ハントケミカル,ザ・インクテックの各社が顔料分散レ ジストに特化して,熾烈な開発競争を繰り広げた.その開 発には,顔料,感光性樹脂,開始剤,分散剤などの素材 メーカーや分散機メーカーなど多数の企業が輻輳してこれ に巻き込まれていったことはいうまでもない.それによっ て,露光感度や,分光透過率の問題がつぎつぎと解決され ていった.1991 年(平成 3 年)には,凸版印刷がこれま での染色法をあきらめ,顔料分散レジスト法にギアをシフ トさせてきた.それによって,顔料分散レジスト法がカラー フィルター製作法の主流となっていった. 他の製作法を採用したカラーフィルタメーカーには,液 晶の小型製品に限定し,いまだに,販売を継続させている 会社もある.他方,生産はしていたが,途中で撤退してし まったメーカーもあった.実用化になっていたこれらの製 作法には,技術的にすばらしいと思われるものもあった. しかし,悲しいことに,1 社だけで,開発を推進するには, 少なからず限界がある.それを成功させるには,関連する 多くの企業が賛同し協力することが不可欠である.顔料分 散レジスト法は,幸いにも,関連した多くの協力者があっ たため,今日の発展をみたものといえる.
3.3
カラーフィルターの製造における課題 顔料分散レジスト法を使ったカラーフィルターの製造で の課題を大別すると 1)価格のコストダウン対策,2)品 質の改善,3)カラーフィルターを含む LCD の事業展開, があったと思われる.価格のコストダウンについては,製 造当初から抱えていた重要な課題でもあった.それは, LCD の製造コストをブラウン管テレビの価格並みになる まで,下げなければならないという大目標があったためで ある.当時,カラーフィルターは,液晶パネル材料費の約 40 %を占めていたため,コストダウンを図ることが急務 でもあった.一方で,顔料分散レジスト法がカラーフィル ターの製作法として有力視されかけ始めた時期には,種々 の品質事項が問題となっていた.とりわけ,透過性アップ による光学特性の改善が最大の品質懸案事項であった.他 方,日本において,カラーフィルターを含む LCD 事業が 進められてきた事業展開には,コスト競争などの大きな問 題点があった.3.3.1
カラーフィルターのコストダウン対策3.3.1.1
静電気によるゴミ異物 カラーフィルターの生産で,顔料分散レジスト法が主流 となり進められることになったものの,その生産が始まっ た頃,歩留まりは驚くほど低く,大問題となっていた.そ れは,カラーフィルター中に取り込まれたゴミ異物にあっ た.図5
を見て分かるように,LCD では,カラーフィルター の裏からバックライトが当てられる.その透過光を人が見 ることになるため,フィルター中に数ミクロンの小さなゴ ミは,その検査で NG と判定されていた.なぜならば,普通, 人間の目に見えないような小さなゴミでも,光が当たると, よく見えるようになるからである.以下のように,この微 小なゴミ問題に,悩まされたことがある. 赤外線分光光度計を使って,カラーフィルター内に取り込まれた不良品の異物分析を実施していたことがあった. 分析の結果,ゴミ異物として,レジストくず,繊維状くず, 髪の毛,お化粧材,硫黄含有物質などが確認されていた. その後,ゴミを目視で確認できるように,投光器を使いな がら生産ラインを監視していることがあった.そのとき, 空中に浮遊していた小さなゴミが,カセットに収納された ワークガラス板(以後,ワーク板と略称)間の狭い隙間に 飛び込んでいくのを,何度か目にした.空中に浮遊したゴ ミが,ワーク板の表面に蓄積された静電気により吸い寄せ られていたのである.それまでの不良品分析で,靴底由来 と思われる硫黄含有成分が検出されていた.しかし,地面 より 1 m ほど上を搬送されていくワーク板のレジスト皮 膜内に,作業者が履く靴底成分がどのようにして取り込ま れていたのかという疑問をつねづね持っていたが,ここで はじめて,その謎を解き明かすことができた. すなわち,ゴミが空中に浮遊するようになれば,多少そ の距離が離れていても,静電気で容易にワーク板側に引っ 張られていくと考えた.ちなみに,ワーク板は加工中,駆 動ロールの上を搬送されていく.その際,ワーク板には駆 動ロールとの摩擦によって,高電圧の静電気が溜まって いる.通常,カラーフィルターのフォトリソグラフィ加工 はつぎのような工程で行われる.ワーク板出庫→水洗洗浄 →乾燥→レジスト塗布→乾燥→露光→現像→水洗→乾燥→ ベーキング→カセットへワーク板収納であり,この同じ工 程が,黒色,赤色,緑色,青色のパターンを得るため 4 回 繰り返される.その際,加工工程のはじめには必ず,水洗 洗浄が行なわれる.付着ゴミはここで落とされ除去される. しかし,一旦,静電気でワーク板に付着したゴミは,水洗 処理をしても完全に除去できないから厄介である.このよ うに,水洗工程で除去されないまま,その上に,次のレジ ストが塗布されてしまう場合もある.また,レジスト塗布 後,インキが未乾燥の状態で,空中に浮遊するゴミがワー ク板に付着する場合もある.これらは,いずれもフィルター 皮膜中にゴミが固定されることとなり,検査で NG と判定 される. 通常,製造設備は,クラス 1000 の性能を持ったクリー ンルームの建屋内に設置されている.また,加工処理機は 上記工程順に連続して並べられ据付けられている.さらに, 外部からのゴミが付着しないように,トンネル型をしたク リーンブースが各加工処理機を覆っている.そのクリーン ブースの天井には,クラス 100 の性能を持った空気清浄機 が設置されており,そこから,清浄なエアーが下(ワーク 板)に向かって噴出している.以上が,カラーフィルター 製造時での一般的な設備環境である.このような厳密なク リーンエア設備が整えられた環境下のもとでは,ゴミが外 部から持ち込まれることはなかった.問題は内部から発生 するゴミということになる. 加工工程中に発塵する主なものは,異物分析で明らかに なったように,レジストくずと作業者から出る着衣や皮膚 くずであった.前者は,ブース内で塗布されたレジストが 加工中にレジストくずとなるためである.一方,後者は, 作業者がワーク板をハンドリングすることに起因してい る.すなわち,作業者が,カセットに収納されたワーク板 を,色替え工程毎にラインから取り出し,カセット毎,つ ぎの工程ラインまで台車で運搬していた.また,作業者が, 異物確認検査のため,一時,ワーク板をライン外に持ち出 すこともあった.このように,カラーフィルターの製造で は,厳重なるクリーンルーム設備環境のもとに,外部から のゴミは完全にシャットアウトされていたが,内部で発塵 したゴミが,静電気の影響を受け,生産歩留まりを著しく 低下させていたのである. このようなゴミ発塵に対し,フィルタメーカーは手をこ まねいているだけでなく,以下のような対策を実施してき た.まず,作業者が関与する発塵をなくすために取られた 対策は,作業者に代り,AGV と呼ばれる自動搬送ロボッ トを活用することであった.無論,AGV が完全に作業者 の代わりをするわけではないが,この導入によって,作業 者に関る発塵の問題はかなり少なくなったといえる.一方, レジスト塗布の際のレジスト液の飛び散り対策は,数社の 塗布機メーカーによるスリットコーター機の改良によっ て,発塵のない工夫がなされてきたのである.他方,静電 気の除電のために一部導電材料の使用も検討されている が,ワーク板がガラスでできている限り,本質的な解決に は難しいようである.ゴミの発塵については,カラーフィ ルターメーカーの懸命なる除塵対策によって,生産歩留ま りも高く,安定しているようである.しかしながら,煎じ 詰めれば,加工工程内でレジストの塗布が行なわれている 限り,本質的に発塵の発生要素は皆無ではない.それゆえ, 今後もゴミ発塵の問題は,継続して残ることになる. 先述したシャドウマスクの製造では,カラーフィルター の場合と同じく,加工工程内でレジストの塗布が行なわれ ていた.それにもかかわらず,シャドウマスクの加工では, カラーフィルターのようなゴミによる大きな問題は発生し ていなかった.その理由として,シャドウマスクの加工で は,加工基板に,静電気の発生やその蓄積のない軟鋼板を 使っていたことがあげられる.無論,これだけが理由では ないが,静電気の有無は,製品の加工にとって非常に重要 な課題であると考えられる.
3.3.1.2
マザーガラスの大型化 LCD は,当初,携帯テレビやカーナビゲーションなど の小さなサイズの用途からはじまったが,とりわけ,小さ な画面の液晶テレビを見ることに対して,ユーザーは大い に不満足であった.そのため,LCD の開発には,少なく とも,ブラウン管テレビ並みのサイズと販売コストが要求 されていた.これを両立させるために,製造に投入する元 のガラス基板(マザーガラス)のサイズを大きくすること となった.すなわち,大サイズで製造し,それをカットす ることで,多面個の同一製品が取れるような工夫が求めら れた.これが,マザーガラスの大型化に進んでいった最 大の理由であった.また,図5
から分かるように,TFT-LCD では,カラーフィルターとアレイ基板は全く同じサ イズのガラス板が使われている.そのため,マザーガラス の大型化は,両基板で同時対応して進められていったので ある. このようにして,年々,マザーガラスサイズはどんどん 大きくなっていった.また,そのサイズに対し,年代別の 名前がつけられた.たとえば,1990 年(平成 2 年)頃のマザー ガラスサイズは 300 ⊗ 400 mm であった.これには第 1 世 代と名づけられた.この板からは,4 インチのフィルター であれば 16 枚,10. 4 インチのフィルターであれば 2 枚が それぞれ取れていた.それが 2006 年(平成 18 年)になる と,マザーガラスサイズは2160⊗2460 mmと大きくなった. これは第 8 世代と呼ばれた.その結果,45 インチのフィ ルターが 8 枚も取れるようになった.このように,マザー ガラスサイズは,第 1 世代から年々大きくなっていった. 今日,2850 ⊗ 3050 mm サイズの第 10 世代までの板が実用 化されてきている. しかし,これ以上サイズを大きくすれば,ガラス板の搬 送や加工処理設備の信頼性などの問題が新たに発生するこ とになる.このようにして,マザーガラス基板を大きくす る度毎に,新たな仕様変更に伴う技術対応と設備の更新が 不可欠であった.とりわけ,設備の更新には,巨額の資金 が必要となる.日本では,財務体質のしっかりしていた凸 版印刷,大日本印刷,STI テクノロジーの 3 社だけしか大 型カラーフィルターメーカーとして生き残れなかったわけ である. ガラス基板の大型化に伴い,レジスト塗布工程において 塗布手段の変遷があった.すなわち,当初,レジスト塗布 には,スピンコーターと呼ばれる高速回転塗布器が使われ ていた.これは,ガラス基板上に,レジスト液をノズルか ら滴下させた後,それを,高速回転させ,レジストの薄皮 膜を形成させたものである.ごく初期の頃,レジストの塗 布効率は 2 ~ 5%と非常に低く,大問題になっていた.な ぜならば,当時,レジスト液の価格は,数万円 /Kg と高 価であった.この塗布法では,ほとんどのレジスト液が飛 ばされ,捨てられていたためである. マザーガラス板が,つぎつぎと大きくなるにつれ,レジ ストの塗布方法にも変化の兆しがでてきた.すなわち,ガ ラスサイズが大きくなると,これまでのように,板自体を 高速回転させることが物理的に不可能になって来たのであ る.なぜならば,コーターのモーターへの高負荷や,設置 面積の限界などがあったためである.そのため,板サイズ が 1 m を超えた第 5 世代(1100 ⊗ 1300 mm)からの新ライ ンは,全面スリットコーター方式に替わってきた.これに よって,レジストの塗布効率は,ほぼ 100 %にまで向上し てきたのである.このように,マザーガラスの大型化は, 塗布手段の変更を余儀なくさせ,それによって生産効率を 向上させたことになる.このようなガラスサイズの変更は, 露光用マスク,露光機,加工および搬送設備,クリーン環 境設備,レジスト材料,検査機器,システム機器などの新 規改善や開発を余儀なくさせた.これには,カラーフィル ターメーカーを中心に,それに関連した多くのメーカーが, マザーガラスの変更される都度,技術的な協力支援をおこ なってきたのである.3.3.1.3
フォトレジストによるブラックマトリックスの形成 図5
に示すように,カラーフィルターには,ブラック マトリックス(BM)と称して,赤,青,緑の絵素間を囲 む格子状の黒色画像が形成されている.これは,カラー画 像のコントラストを増大させ,フィルター下部にある半導 体膜への光遮光膜として,重要な機能を果たしている.従 来,この BM は,金属クロムのパターンで構成されていた. そのため,これは,レジストを使った着色(R,G,B)パター ン画像とは全く別に作製されていた.すなわち,あらかじ めガラス板上に形成された金属クロムの蒸着膜にフォトリ ソグラフィ加工を行うことで,金属クロムのパターン画像 が形成されていた.この BM は,薄膜で光学濃度(OD 値) が 3 以上と遮光性に優れた特徴を持っていた.しかし,こ のような BM を作製する方法では,真空成膜のため加工 工程も多く,コスト高であった.そのため,もっと簡便で, コスト安な BM 製造方法の出現が早くから待望されてい た.ところが,この金属クロムに替わる方法はまったくな かった. この難題を克服する直接的なきっかけは,先述の顔料分 散レジスト法にあるのではないかと思われる.すなわち, 光を通しにくい顔料を使っても,フォトレジストさえ選べ ばパターン化が可能になることが証明されたからである.実際,ブラックレジストは,東京応化,新日鉄化学,三菱 化学,富士フィルムなどのレジストメーカーによって研究 開発が行なわれ,実用化されるに至った.このレジストが 出されてきた時期や,レジスト物性等については,東京応 化の信太勝氏の記述9, 11)があるので,以下に引用する. 「まず,ブラックレジストが実用化されたのは,1993 年 (平成 5 年)で,RGB レジストより数年遅れたといわれて いる.この時のレジストは,カーボンと有機顔料を混ぜた タイプで,OD 値が 2 程度,感度は 300 mJ/cm2であった とされている.2000 年(平成 12 年)代に入ると,OD 値 で 3. 5 以上,感度で 150 mJ/cm2の物性値が達成されたよ うである.また,2009 年(平成 21 年)時点で,OD 値が 4. 0 程度で,感度が 100 mJ/cm2の特性値のレジストが得られ ている.今後,画面の明るさ向上のため,バックライトの 高輝度化が求められている.そのため,レジストには,さ らなる高 OD 化が必要となる.」 少し時期は前後するが,1996 年(平成 8 年)頃に,OD 値が 3 を超えるブラックレジストが開発されている.その 時,第 3 世代のガラス板(550 ⊗ 650 mm サイズ)にブラッ クレジストがはじめて適用されている.これ以降,大型ガ ラス板仕様の BM の作製には,金属クロム方式から,ブラッ クレジスト方式に完全移行がなされたのである.無論,こ れによって生産性の大幅な向上が図られたことはいうまで もない.
3.3.2
カラーフィルターの品質課題3.3.2.1
ゴミ異物とイオン性不純物 レジスト皮膜中のゴミは,3.3.1.1 項でも述べた通り,静 電気に関連して生産阻害の問題であった.それは,また同 時に重大な品質問題でもあった.一方,カラーフィルター の製造では,その加工に,レジストや超純水,エアー等の 素材や処理剤が使われている.もしこれら素材の中に,イ オン性の不純物を含有する場合には注意が必要である.な ぜならば,もし,それがカラーフィルター中に取り込まれ ると,電気的な品質問題が発生するからである.LCD では, カラーフィルターと液晶物質が常に接触した構造になって いる.そのため,もしフィルター中のイオン性不純物が液 晶側にブリードすると,表示ムラなどの電気障害をおこす からである.これまでの具体例では,緑色顔料や重合開始 剤に含まれた微量の塩素イオンがあった.前者は,製造に おける顔料の精製不良によっていた.後者は,加熱工程で トリアジン系の重合開始剤から塩素イオンが遊離したため であった.顔料の場合には,精製が行われることで対策が なされた.一方,この重合開始剤の場合は,問題が発覚し てからカラーフィルターには一切使われなくなってしまっ た.カラーフィルターに使われる原料や処理水,エアーに は,イオン性不純物が微量含まれている.無論,すべての イオン性不純物が品質問題になるわけではない.それは, カラーフィルターから液晶側に移行しなければ,特別問題 とはならない.3.3.2.2
カラーフィルターの透明性(透過率)アップと 微分散顔料の作製 カラーフィルターには,画面が明るく,色調のコントラ ストが大であることが,とくに重要視された.そのために は,レジスト中の顔料の粒径を 0. 1 ミクロン以下に小さく する必要性があった.通常,印刷インキを製造するために, 分散機を使って顔料を小さくつぶしている.通常は,顔料 の粒径が数ミクロンから数十ミクロンと大きい.印刷物を 見るときは,光の反射でみるため,顔料の粒径が大きくて も特に問題にはならないが,図5
からわかるように,カラー フィルターでは,光を透過させて画像を見るため,顔料の 粒径が大きいと不透明に見える.そのため,画面が暗くなっ てしまう.このように,カラーフィルターでは,顔料の大 きさが非常に重要となる.実際,顔料分散が始まった頃に は,透過率が低く,画面が暗かったため,大きな品質問題 になっていた. 顔料分散レジストでは,顔料の粒径を小さくしていけば 透過率を上げられることはわかっていたが,実際に顔料粒 径をどこまで小さくすれば,透過率を何%アップできるか はわらなかった.これまでは,印刷インキ用に顔料を分散 する経験はあっても,顔料の粒径について議論されること がほとんどなかったからである.前述した工業技術院,大 日本印刷および諸星インキによる共同出願特許を起点とし て,レジストメーカーを中心に顔料の分散方法や分散機の 選定,さらには粒径の評価方法などに向け,まったく新た な挑戦が始まった. ちょうどその頃,タイミングのいいことに,粒径の評価 機器が外国から導入され,試運転テストが始まったばかり であった.これは,分散した顔料の粒径やその分布をナノ 領域に渡って,自動的に測定できる粒度測定装置であっ た.レジストおよび分散機器メーカーにとって,ナノ領域 まで評価できる手段ができたことは,これから研究開発を 進める上で非常に幸いなことであった.それまでは,ナノ サイズの顔料粒径を簡便に数値で評価できなかったからで ある.逆にいえば,これまでは,数値で評価する必然性が なかったといえる. 顔料分散レジスト法がスタートした頃,分散機としては, ロールミル,ビーズミル,ボールミルが主として候補に挙 がっていた.これらのうち,ロールミル法とビーズミル法が,実用試作に供されることになった.そのとき,両者に はそれぞれ問題も抱えていた.すなわち,前者では,微細 な分散は可能であったが,加工後に大粒子の顔料が残存し, それを取り除くために,新たに別な工程が必要であった. 一方,後者では,ビーズのサイズが大きく,分散効率が悪 かった.しかも,分散中にビーズの表面が削られ,コンタ ミネーションの問題があった.ロールミル法は,しばらく の間実用されたが,作業効率が悪いことから,次第に使わ れなくなっていった.ここで,残されたのが,ビーズミル 法である. 通常,ビーズミル機は,密閉式のベッセル容器の中に, 高速回転できるデイスク羽根を備えたものである.その中 に,顔料配合物とビーズを入れ,デイスクを高速回転させ ると,ビーズ同士の衝突により,顔料が細かく分散される ことになる.ビーズミル法には,問題点はあったが,それ を解決する手段も残されていた.それはビーズを改良する ことであった.まず,コンタミネーションをなくすために, セラミックビーズが推奨された.さらに,使用実績のある セラミックの中で,密度が最大であるジルコニアビーズが 選ばれた.分散効率は,密度の大きいビーズほど良好とい われていたからである.このビーズは,高価であったため, コンタミネーションを嫌う特殊な分散にしか使われていな かったため,ビーズサイズは大きいものしかなかった.ナ ノ分散を行うには,小サイズで粒のそろったビーズを何種 類か開発する必要性があった.一方,ビーズ径が小さくな れば,ビーズとペーストとを分離するための,新たな分散 機の開発が必要であった.ここから,ジルコニアビーズに 特化したビーズミル機やナノ分散するためのソフトの開発 が本格的にスタートしていった.それは,ちょうど顔料分 散法が主流になっていった時期とも符合する. 分散機メーカーが保持している独自のソフトをもとに, 最適分散条件の確立テストが,レジストおよび分散機メー カー間で繰り返し行われた.無論,ここでは,分散剤,安 定剤や配合素材などの要素技術の確立に,各素材メーカー からの協力があったことはいうまでもない.また,この分 散関連の開発に際し,外国企業からの参入が多く見受けら れた.おそらく,分散に関しては,欧米の方がそれに実績 を持った企業が多かったためと思われる.このように,カ ラーフィルターのナノ分散で培われた技術は,近年,カー ボンナノチューブや金属ナノワイヤーなど機能性を持った 材料に適用されてきている.
3.3.3
LCD
の事業課題 日本で,カラーフィルター事業は,LCD 事業の一環と して進められてきた.そのような観点から眺めると,LCD 事業は,2000 年(平成 12 年)頃,パネル生産量において 世界一であった.しかし,2002 年(平成 14 年)になると, 生産シェアは,韓国や台湾に追い抜かれ,3 位にまで転落 した.それ以降,両国にはその差をぐんと広げられる一方 である.これより約 10 年前には,IC の事業が,LCD 事 業と酷似した事業展開になっていた.いずれも,生産シェ アでは世界一になりながら,いつのまにか,韓国や台湾に そのシェアを奪われている.さらに,その後は,衰退を辿っ ていく構図となっている. このように,日本で事業が衰退していく理由として,多 くの意見がある.たとえば,液晶事業に関しては,「グロー バル化が進む過程で,開発を推進してきた国や企業から, 多くの技術の流出が起こった.その結果,事業では,競争 力の低下を招くこととなった.」との意見12)がある.一方, IC 事業に関しては,「日本は,過剰技術で,過剰品質,過 剰性能の製品を作ってしまう病気に罹っていた.」との穿っ た見方をする識者13)がいる.さらに,液晶事業や携帯電 話事業では,「日本で売れる製品は,必ずしも世界で売れ る製品でなくなった.さらに,日本の製品は,単価が高く, 余計な機能が満載されたカスタム製品であった.ちなみに, 世界で使われている商品は,ほとんどが,低価格品である.」 と指摘する識者14)がいる. 以上のことを纏めると,つぎのようになると考えられる. 日本では,企業間同士の競争が熾烈なあまり,過剰品質な 商品を多く作ってきた.確かに,それらは一部の人には販 売できた.しかし,世界のニーズは,もっとずっと低価格 な商品にあった.それらをうまく取り込み,販売に結びつ けたのが韓国,台湾であったといえる.LCD 事業は,今 後もまだ発展の余地がある.そのような観点から,今後, 事業を進めていくには,再度,どの顧客層に,商品のター ゲットをあてるかを決めることが重要になる.そのために は,顧客ニーズを徹底してマーケット調査を行なうことが 不可欠である.このように,ニーズにマッチングした商品 作りをすることこそが,事業の衰退を防ぐ唯一の方策では ないかと考えられる.おわりに
フォトリソグラフィとは,従来,印刷業界で使われてき た,写真製版やフォトエッチングと同じ概念であった.テ レビ用シャドウマスクおよび液晶用カラーフィルターの両 事業はフォトリソグラフィによって加工されたものであ る.両事業に共通していることは,どちらも,ある技術課 題を解決するには,関連する数多くの企業の協力が不可欠であったことである.また,日本において,半導体 IC と LCD の両事業は,その事業化過程が酷似していた.すな わち,両事業は,外国で生まれたシーズを国内に取り込み, 製品化し,世界一の生産シェアを誇るに至ったのである. しかし,その後のコスト競争時期には,急速にそのシェア を落とし,韓国や台湾の後塵を拝した.今後,同じ轍を踏 まないために,事業では,マーケットリサーチを徹底させ, ニーズにマッチングした商品作りを行うことが重要と考え られる. 参考文献 1) 高橋 清監修,“半導体・金属材料用語辞典”,工業調査会 発行,(1999). 2) 古関敬三,“フォトエッチング”,日刊工業新聞社発行,(1968). 3) 化学大辞典編集委員会編集,“化学大辞典”,共立出版発行 (2003). 4) 岡崎信次,鈴木章義,上野 巧,“はじめての半導体リソグ ラフィ技術,工業調査会発行,(2006). 5) 武内 敏:日本印刷学会誌,38, 127(2001). 6) 社史編集委員会編纂,“大日本印刷百三十年史”,大日本印 刷発行,(2007). 7) 今村八洲男:私信, 8) 特開平 05-28912 9) 市村國宏監修,“最先端カラーフィルターのプロセス技術と ケミカルス”,シーエムシー出版発行,(2006). 10) 特開昭 60-129707 11) 木浦成俊,“2009 LCD 部材技術大全”電子ジャーナル発行, P.96,(2008). 12) 内田龍男監修,“電子デイスプレイのすべて”,工業調査会 発行,(2006). 13) 湯之上隆,“日本「半導体」敗戦”,光文社発行,(2009). 14) 宮崎智彦,“ガラパゴス化する日本の製造業,東洋経済新 報社発行,(2008).