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TRAVELLING IN THE UTMOST COMFORT 来シーズンの実戦投入に向けてミシュランが開発を進めている MotoGP タイヤの走行テストが世界各地のサーキットにおいて実施されています タイヤの製造が行われているのはミシュランの本拠地であるフランスはクレルモンフェラン そして マレ

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A RETURN TO MORE

FAMILIAR SHORES...

ミシュランは今シーズンの

M otoGP各レースが開催された

翌 日のサーキットでMotoGP

タ イヤの走行テストを実施して

い ますが、中東、アジア、北&

南アメリカと続いた“遠征”もひと

段落し、舞台はヨーロッパに移

りました。

ミシュランMotoGPチームに

とっては、タイヤや機材の運搬、

スタッフの移動などに取られる

労力が大幅に軽減されることに。

それは慣れ親しんだ土地への

“喜ばしき回帰”でした。

agence

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#4

«Leaving the

suitcase

at home

»

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TRAVELLING

IN THE UTMOST COMFORT

来シーズンの実戦投入に向けてミシュランが開発を進めている MotoGPタイヤの走行テストが世界各地のサーキットにおいて 実施されています。 タイヤの製造が行われているのはミシュランの本拠地である フランスはクレルモンフェラン。そして、マレーシア、カタール、 アメリカ、アルゼンチンといったヨーロッパ圏外の国々での テストにはすべて航空貨物便を使用してタイヤを送り込んでき ました。しかし、送り先がヨーロッパ大陸の中であれば、運送 手段はトラックによる陸送になります。 もっとも、それはただのトラックではありません。特徴はタ イヤの収納方式にあります。ミシュランの二輪レーシングタ イヤ運搬専用のセミトレーラートラックは最大800本のタイ ヤを一度に運ぶことができますが、タイヤはハンモック式の 棚に乗せる形の収納方式を採用しています。これにより、運 搬時の衝撃などからタイヤがダメージを受けるリスクを排除 しているのです。また、荷室の温度はエアコンによって20℃ で一定に保たれ、タイヤのラバーコンパウンドなどに質的な 変化が起こらないよう配慮されています。 b a c k t o

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Eliminating the risk

of damage

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特製のハンモックに乗せられた

ミシュランのMotoGPタイヤ。

ゆりかごの中の赤ちゃんのよう

に、その取り扱いには万全の注意

が払われています。

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INSIDE THE

SPANISH

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CAULDRON

MotoGPを頂点とする世界

グランプリロードレース。

そのヨーロッパラウンドは

スペインのヘレス・サーキット

から始まるのが慣例です。

現在、世界グランプリを席巻

している数多くのスペイン人

ライダーたちはほぼ例外なく

このサーキットでキャリアを

積み、速さを磨いてきました。

そして、アンダルシア地方に

あるこのサーキットで開催

されるスペインGPには毎年

10万人規模の大観衆が押し

寄せ、同国出身のライダー

たちに熱狂的な声援を送る

のです。

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Michele Pirro

hard at work

at Jerez

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ホルヘ・ロレンソが優勝を飾ったスペインGPの翌日のヘレス・サーキットで、 アメリカとアルゼンチンに続いてのものとなるミシュランのMotoGPタイヤ テストが実施されました。ヨーロッパのサーキットにおけるミシュランの MotoGPタイヤテストはこれが今シーズン初めてのこと。ただし、参加したのは ドゥカティの1台のみでした。 「比較・参照を行うことができないため、1台だけで実施するテストは決して 理想的とは言えません。とはいえ、今回のテストはポジティブな内容のものと なりました」とミシュランの二輪レースプログラムマネージャーであるピエロ・ タラマッソは語っています。 「ドゥカティのテストライダーであるミケーレ・ピッロは連続周回によるロング ランを何度も行いましたが、彼がライディングのリズムを崩すことはありません でした。これは、異なるコンパウンドのタイヤを比較テストする際には不可欠な 重要なことなのです」 「ヘレスはタイヤへの攻撃性が高いサーキットであり、左右相称のレイアウトと なっています。おかげで我々はタイヤのケーシングの剛性を効率よくテストする ことができました」 次のミシュランMotoGPタイヤテストはフランスのル・マンで行われます。この テストにはスズキとアプリリアが参加する予定です。 「シリーズにおける唯一の公式タイヤサプライヤーとなるからには、MotoGPに 参加しているすべての二輪メーカーと緊密な関係を持つことが大切です。それに よって我々は、どのマシンに装着されても高いパフォーマンスを発揮する“懐の 深いタイヤ”を開発することができるのです」

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MotoGPタイヤの継続的な開発を図るために、ミシュランはMotoGPに 参戦している各二輪メーカーをそれぞれ専門に担当するタイヤ技術者 を用意しています。その中で、ヤマハのワークスチームであるヤマハ ・ファクトリー・レーシングを担当するのはパスカル・サッソです。 現在54歳の彼はこれまでに様々なカテゴリーのモータースポーツに おいて多彩な仕事をこなしてきており、ミシュランのモータースポーツ 部門の中でも最も豊富な経験を持つ技術者のひとりとなっています。 「私がミシュランに入社したのは1979年のことです。最初の7年間 を製造部門で過ごした後にモータースポーツ部門に移りました」 モータースポーツ部門に入ったサッソはWRC(FIA世界ラリー選手権) を戦うランチアのワークスチーム専任のタイヤフィッターとして 活動しました。そしてその後はモータースポーツ部門のITシステム の構築に携わりました。 「その後、私の仕事はタイヤの金型の設計になったのですが、 2000年に二輪モータースポーツ部門に転属となり、この年は 世界選手権スーパーバイクでドゥカティチーム専任のタイヤエンジニア を務めました」 翌2001年、サッソの活動フィールドは世界グランプリに変わり、 ホンダのサテライトチームであったチーム・ポンスの担当エンジニアに。 以後、チーム・グレシーニ、LCR、そしてワークスチームであるチームHRCと、 一貫してホンダ系チームを担当してきました。 「これまでの様々なチームやライダーとの仕事を通じて、本当に多くのことを学んできました」 そう真摯に語るサッソは今、新たなるパートナーであるヤマハとの仕事に情熱をかき立てています。

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CASEY STONER

Honda LCR

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MFP Michelin RCS Clermont-Ferrand 855 200 507 Photos : DPPI / Adolfo Fiori / La Souris sur le Gâteau / Illustration : inefecto. *Source : Centre d'essais et de recherche Michelin. 2012年をもってMotoGPから引退したケーシー・ストーナーですが、今日においても世界最速のライダーであり続けています。 2007年と2011年の2度MotoGPチャンピオンに輝いた彼がその絶頂期に引退の決断を下したことには誰もが驚かされました。 彼の現役復帰のウワサは絶えずありましたが、今年の鈴鹿8時間耐久レースでストーナーはついに2年半ぶりの実戦に登場し、衰えを知らぬ スピードを見せつけたのでした。 そんな男が放っておかれるはずがなく、ホンダはストーナーにMotoGP開発テストライダーとしての仕事を依頼し、彼もそれに応えて年に数回、 主に日本のツインリンクもてぎでテスト走行を行っています。そして昨年の10月には、まだ試作品の段階であったミシュランのMotoGPタイヤ のテストも実施しました。 ピエロ・タラマッソは次のように振り返ります。 「ホンダが我々に、ケーシーによるタイヤテストの話を持ちかけてきました。彼の能力や実績を考えれば、そのオファーを断る理由はありませんでした。 そしてケーシーは我々が評価を望んでいたタイヤを履いてツインリンクもてぎを何周か走り、素晴らしい速さを見せてくれました(※ページ左下 がそのときの写真です)。彼のフィードバックは何物にも代え難いものでした」 ストーナーのミシュランMotoGPタイヤに対する評価……それは最大級の称賛でした。

CHANGE TO THE STONER ARTICLE

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ストーナーにはミシュランタイヤで

MotoGPを戦った経験があります。

MotoGP参戦1年目だった2006

年、

彼はミシュランタイヤを履くLCR・

ホンダでフルシーズンを戦ったので

した。

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バリー・シーンがミシュランタイヤを履いて1976年、77年と2年連続で世界グランプリの最高峰500ccクラスを制したことにより、ミシュランの二輪ロードレースにおける 活動にはいよいよ拍車がかかることになりました。しかし、シーン&スズキRG500&ミシュランのパッケージはすぐに新たな脅威にさらされることになりました。 78年、世界グランプリにグッドイヤータイヤを履くヤマハYZR500に乗ったケニー・ロバーツが殴り込んできたのです。 果たして、1978年から80年までの3シーズンにわたって500ccクラスのタイトルはダートトラック育ちのロバーツが奪い、新時代のライディングスタイルを世界グランプリ に確立しました。そして83年からの10年間は、ただ1年を除いて、アメリカ人ライダーがチャンピオンの座に就き続けることになります。 ただし、その狭間の2年はまた例外でした。スズキのワークスマシンを走らせるイタリアの弱小チームが、1981年、そして82年と2年連続で世界の頂点に立ち続けたのでした。

AN ITALIAN

INTERLUDE

TOUGH AT THE TOP

1981

軽量な車体、コンパクトで十分な

パワーのエンジン、そして新開発の

ミシュラン16インチフロントタイヤ

による鋭いコーナーへの進入を武器

に、イタリアの伊達男マルコ・ルッ

キネリはタイトルへと突き進みまし

た。

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1980年までの3年間、世界グランプリ500ccクラスはケニー・ ロバーツ&ヤマハYZR500&グッドイヤータイヤによって席巻さ れました。これに対してスズキは、よりコンパクトで強力な スクエア4エンジンを軽量でバランスにも優れたフレームに搭載 したRG-Γを開発。この新鋭機を81年に投入し、ランディ・ マモラ、グレーム・クロスビー、マルコ・ルッキネリの3人の ライダーに託してロバーツ包囲網を敷いたのでした。 この3人のスズキのライダーでミシュランタイヤを使用したのは、 元レーシングライダーのロベルト・ガリーナが率いるチーム・ ガリーナから出場のルッキネリだけでした。そしてミシュランは、 従来の18インチより幅広で、特にブレーキング時のグリップ性能に 優位性のある16インチのフロントタイヤを新たに開発し、これ をチーム・ガリーナに供給。ルッキネリは全11戦で争われた シーズンの半数近い5戦で優勝を飾り、GP最終年となった グッドイヤータイヤのロバーツや、マシンは自分と同じRG-Γな がらダンロップタイヤを履いたマモラを退けてキャリア唯一の 世界チャンピオンを獲得しました。

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Curiosity

当時はサイドカーカテゴリーも世界グランプリロードレースに組み込まれており、1981年にミシュランはアラン・ミシェル/

ミハエル・バーカート組のセイマス・ヤマハに四輪F3用タイヤを供給。シリーズチャンピオンはロルフ・ビラント/カート・

ヴァルティスペルグ組にさらわれましたが、ミシェル組は2勝を挙げてシリーズ2位に食い込みました。

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ミザノ・サーキットでのイタリアGPを行くフランコ・

ウンチーニ&スズキRG-Γ&ミシュラン。ウンチーニは

この母国イベントを含めて計5勝をマークし、チャンピオン

へと駆け上がりました。

それまで4ストロークエンジンのNR500で戦ってきたホンダが、より戦闘力の高い2ストロークのNS500にスイッチした1982年。ただし、新しいホンダは すぐに勝つには至りませんでした。また、前年にタイトルを奪われたヤマハは新開発のV4エンジンを搭載したYZR500を投入しましたが、特殊な 設計のリアサスペンションが災いし、あのケニー・ロバーツでも乗りこなすことができませんでした。 かくしてシリーズは、ホンダ入りしたマルコ・ルッキネリに代わってチーム・ガリーナに加入したフランコ・ウンチーニが制することになりました。 この細面のイタリア人ライダーは開幕時点ではダークホース的な存在でしかありませんでしたが、前年型をリファインして性能を高めたスズキRG-Γと ミシュランタイヤのパフォーマンスをフルに引き出す巧みなライディングで、シーズン半ばまでに一気に5勝をマーク。まだ3レースを残した段階で早々と チャンピオンの座に上り詰めてみせたのでした。 これによりミシュランは最高峰クラスで通算4度のタイトル獲得を果たしました。

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Michelin’s local boy

1982年、ミシュランは世界グランプリの250ccクラスにおいてもタイトルを獲得しました。その立役者はジャン-ルイ・トゥールナドル。

ミシュランの本拠地であるクレルモンフェランのほど近くのオービエール出身のライダーでした。

この年、250ccクラスは12戦開催され、カワサキKR250に乗って1980年、81年と2年連続でチャンピオンに輝いてきた

アントン・マンクが5勝をマーク。一方、ヤマハTZ250に乗るプライベーターのトゥールナドルが挙げた勝利は、多くの

有力ライダーがボイコットしたフランスGPでの1勝にとどまりました。ただし、彼は全戦で完走し9戦で表彰台に上ってみせ、

マンクをわずか1ポイント差で下して世界タイトルを手にしたのでした。

1982

ミシュランのお膝元出身のトゥールナドル。プライベーターの

王道を行く戦い方を貫いてフランス人初の二輪ロードレース

世界チャンピオンに。

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TECHNICIAN’S CORNER

1978年、世界グランプリにグッドイヤーが

参入し、ミシュランとダンロップを交えた3社

による激しいタイヤ開発競争が繰り広げられ

ました。そして81年にはこのいずれのメーカーも、

標準的な18インチに加えて16インチのフロント

タイヤをラインアップ。その中で最も成功を収めた

のがスズキRG-Γ&ミシュランのパッケージであり、

81年にはマルコ・ルッキネリ、82年にはフランコ・

ウンチーニによってチャンピオンを獲得しました。

一方、グッドイヤーは81年をもって世界グランプリ

から撤退。そして迎えた82年には16インチフロント

タイヤを前提に設計されたホンダの2ストロークマシン、

NS500が登場します。

ミシュランタイヤを使って1982年を戦ったホンダ

ですが、彼らのNS500を使用しての“革新的な技術”の

初テストが同年の10月にイタリアのイモラ・サーキット

において行われました。

その“革新的な技術”こそ「ラジアルタイヤ」でした。

この件についての詳しいお話は次回のウェブマガジンで

ご紹介します。

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世界グランプリロードレース 通算360勝/チャンピオン獲得12回 スーパーバイク世界選手権  通算269勝 世界耐久選手権   チ ャンピオン獲得14回  そして世界各国の国内選手権における成功の数々……  安定性、耐久性、パフォーマンス、そして幅広い条件への適応能力 といった様々な要求性能をすべてハイレベルで実現させた妥協なき パフォーマンスパッケージ。ミシュランが二輪ロードレースで長年 にわたって示してきた高性能はすべてのミシュランタイヤでお使い いただくことができます。

Barry Sheene

(1977)

Freddie Spencer

(1985)

Kevin Schwantz

(1993)

Valentino Rossi

(2002)

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A MAGNIFICENT

RECORD

OF SUCCESS

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参照

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