第
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2
号
昭和5
6年 1
0
月
1日発行
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3東京都文京区本郷2-1-1 順天堂大学
目 次 法人だより・・・・・・・・・… 2 大学だより 病院…・ー…・・…・ー 3 本郷…・………一 4 習 志 野 … …… … 7 伊豆長岡・・・・・・・・・・・・10 Ai学だより・ー…・・・・・.10 同窓会だより"・ー・・・・ 11 ひろば・・...・・・・・ 1・1法人だより '81 No. 172
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二二
JlI真天堂浦安病院開設決定までの経過
IJ頂天堂理事会企画調査室
昭和52年秋,懸百i学長ら有,ぶが,将来の1)顕天堂医院の 充実,発展に備える日的をもって?病院の従り方を考え る会」という集りを作った。翌日年から小酒井教授を委 員長として情動を開始し, 54年春, 400床規模の分院を 千葉県浦安町に開設する案をまとめて有山理事長宛に提 出した。理事長l'i,これを良案であるとして,早速悦重 厳密に具体的調査を行った結果,n
下抱えている体育学 部移転その他のi1i要問題に優先して実行に移す価値あり と判断した。時あたかも市制施行を日前に控えて浦安田I が大学病院誘致に熱心であることを考J
仮に入れて,理事 長は 54年 9 月臨時理・J~ 会を関 L 、て浦安分院(仮称)問題 を審議し,その開設準備に踏み切ることを議決した。そ して浦安町に協力ノ7
を正式に要約して快諾を得た。町は 分院候補地の所有お日本生命保険相互会社と交渉を重ね て土地旗渡の諒解取り付けの労をとり,今年6月1日漸 く七地取得の運びに宝った。 この士地は急、速な発展確実とされている埋立地の中心 部 に 位 し 順 天 堂本院から高速道路で20数分の距離にあ って交通の使がよく,人1110万突破間近かの新興都市の 診療機関にとっては多くの好条件を備えている。 日下.病院設計は故終のg詰めに差し掛かつており,病 院運常細目について!ま,浦安病院建設本部長に任命され た小酒井教授を中心に多数の委員が,その決定を念、いで L、る。 以下,分院計画の要点を列挙する。永年勤続者表彰
6月10日(水)午後 4時から新館会議室において恒例の 永年勤続者53名の表彰式が行われた。長彰式は 5月15U の創立記念日現在で満10年, 20年,30年, 40年勤続の本法 人教職員に行われるもので,当日イ:rl
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理事長からねぎら いの '{LA~ と共に表彰状並びに記念品の附呈がなされた。4
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年勤続 初年勤続2
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年勤続 鈴 木 蛤s司 表彰者氏名 (j)眠不同,敬称略) 大 野 大 ( 総 務 局 ) 関恨隆光(生化学)H
倉和子(薬品管理課) 会津雅子 小酒井 盟 林 康 之 (ll名称 (2)Il的 ) 1慎天堂浦安病院(略称浦安分院) 1高水準の医療を市民に提供する。 (会大学卒後研修生及び在学生の臨床実習の場と する。3
純診球病院であって,大学病院そのままの延 長ではなし、。 (3)所 在 地 浦 安 市 日 間 3丁目12番地ω
規 模 激 地 約6,000坪,建物約6,000坪,病床数約400床。 (5)建 設 投 総 額 約8
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億円見当(建築計画完了後確定) (6)工期 昭和57年夏前に将工,?
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9年春竣工の予定。 (7)診療科目 ①1&初主として所謂「大科J
をもって出発 (8)職員数 し,診療成訟に応じて速かに他科を充実す る方針である。 c2:社会医療(救急,健診,新生児センター, 成人病等)についてはお.南病院と協定する。 初め医師約40名,イ?護婦約 200名,総数約三 百数十名をもって出発し,診療の繁閑に応し て人員を増減する。 有山理事長附記 経営期松初の卒業が,学内有忘から提案された浦安分 院開設であることは,その成併が今後の願天堂発展に彰 押するところ品大なものがある。よって順天堂全職員が 浦安分院に強い関心を持って,その成功に協力されるこ とを心より願う次第である。 太田鉄男 鹿 島 町11
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年勤続 大村治子 中rH八洲向 市議建 土 屋 基 山口正弘 西出美智子 武田行雄 泉田博之 市川銀一郎 戸間和維 瀬川昭子 持沸j美代 小泉浴司 添 加 芥 篠原俊樹 三森;;:男 竹 内 幹 夫 相川よし 横 田 健楽才;Tf
岡田敏栄 長部洋子 ~ 表 有 彰 山 を 理 受著書 け 長 る よ 臼 り 宕 永 和 年 子 動 さ 続 ん 者 2-'81 No.172 鈴木一雄 育出光孝 松川靖司 坂口森作 船橋孝成 木 村 美 智 子 宮 野 節 子 勝又俊雄 岡本正利 名 古 家 克 政 森 岡 哲 次 長岡和夫
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村 ま ゆ み 福 沢 千 鶴 子 工 藤 友 子 iぶ付信枝 高 橋 ち づ 子 大 場 久 子 小貫態下 海野節夫 月村正史 伊藤純江 難 披 文 五 郎 谷1-1寿美子 高木とみ 飯rH存美子立花久子H
Ii納窓美子 石川邦芳 秋山美どり 金子雅江 杉谷邦子 山口洋子 小柴ろえつゑ 相磯さち子 土屋浩子 大川美津チ大
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診療報酬改訂と
)1廃天堂
医院より協力のお願い
院 長 塩 川優一 全閣の医療機関にとって,今年6月1日は悪夢のよう な日であった。すなわち,健康保険下の医療において, 医療貨は物価の上昇とともに,つねに増加するものであ り,したがって医療費の改訂によって,少なくともいま迄 よりは収入の増加が計れるものと信じ込んで・いたのであ る。ところが予怨に反し,今般の改訂では,医療機関の 大部分は減収になり,それに加えて同時に行われた薬価 基準の改正により,さらに収入が落込むことになった。 発表後何日かたって卒業生で開業しているA
君に会っ た時, f開業医の立場として、 収入がずい分減少すると 思うが,医療費の改正をどう思うかJ
と聞いてみた。「問 の医療費が年々増している現状では,いまのままだと故 後には医療機関へ支払いさえ出来なくなることは同に見 えています。そうなったら,医療機闘は月給も支払うこ とが出来なくなるでしょうのそう考えれば,この辺で引 締めて,医療費のパンクを防ぐのは当然だし,むしろ政 府はよくやってくれたというべきではないでしょうかj と披は終えた。たしかに,その通りで、いずれ医療費に 対して何らかの手を打たなければならないことはよく分 っている。今迄医療において大きな問題になり.論議の まとになった事項は皆一応これに盛られている。医師会 の座談会などをみても,いま迄の薬,検査中心の医療か ら,技術中心の医療に大きな転換をしたと,一応の評価 が与えられているのである。却をしてもほめるというの よさすがに医師会で,わが身を忘れ天下同家を憂える, 大学だより(病院) 見上げた方々だとわたくしは感心した次第である。 以上が第一幕の総論であるが.つぎの第二幕の各論と なると,すっかり話は変ってくる。また.別の開業医のB
君にI
:l.t!¥,、てみた。彼の答は, f¥,、ま,方々の医師会で は必死で.どうやったら収入が上がるかという研究会が 行われています。また,製薬会社も検査会社も熱心に検 討しています。数カ月でその成果が挙がり.収入1戒を取 り返すでしょうJ
すなわち,この新しい保険点数表と薬 価基準とにらめっこして,新戦術をあみ出しているので ある。 さて,わがj煩天堂医院においても,当然のことながら この診療報酬改訂により大きな影符を受けている。しか し,順天堂医院は大きな病院であり,伝統ある医療機関 であるから,けっして新戦術などを立てる必要はなく, 全職只が最高の医療技術を発揮し,患者の診療に当るだ けで卜分だと思っている。しかし,ただ一つ注意すべき ことがある。それは,従来の医療費においては,医師が 行った診療行為を正確に記載しでさえいただければ,そ れを医務課,院療保険室で整理し,保険請求を行ってき た。そしてそれで十分だったのである。とζろが,新し い診療報酬の規則では,医師がつねにその規定に十分な 知識を持ち,それを理解し,努力していただかないと多 大の請求洩れが生じてしまう。 たとえば.慢性疾患指導料ではそれを行なった臼時と 内容の記I院が要求されている。これは医師が記峨しなけ れば:
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務ではどうしようもなし、。 つぎに,入院時医学管理料が変わり, 2週, 1カ月以 内, 3カ月以上と大きな差がついた。そこで.ぜひベッ ドの回転を早くするようと努力をお願いしたし、。その一 つの方法として,同窓会の協力を得て慢性疾患の収容に ついての協力システムが要望される。さらに,病名指示 薬.カルテに主病名,のみならず併発病名,発病年月日 を確実に記載していただきたし、。これは本院に勤務する 際師のぷ務であると考える。また.たとえば教室で独自 に行なっている検査で保険に採用されているものがあれ ば,これも記載していただきたい。もし,病院全体の協 力がないと,診療は行なったのに報酬は得られず,それ はj顕天堂医院の経営を妨げ,けっきょく全従業員の給与 に影響してしまう。これはけっして病院が欲張っている わけではなく,診療行為に対して正しく立払L、を受ける という当然の事柄なのである。 すなわち,健康保険制度というのは,政府や組合が, よくやっている病院だから訪求しなくても好意的に支払 ってくれるということは絶対ない。皆さんが最高の医療 を行なうためにも医師とともに活設部,事務部にもせひ ご協力をお願いする次第である。- 3ー
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第
7
回
医学教育ワークショッブ
医学教育研究室 真島英信 今年は8月31日と9月1日の2日間で,第7回底学教 育ワ{クシ詰ップを無事終了することができた。例年は 3 Aかけているが,内容をほとんど減らさずに2日間と したため,たいへんな強行日程となったが,参加者の熱 意によって,ほとんど所期の臼擦に到達することができ た。順天堂のワ{クショγフ1ま過去 7回とも,多少の相 違はあったが,だいたいカリキ旦ラム・プランニングを 主テ{マとしており,教育に関係している人々が,カリ キュラムの何たるかを知ることによって,より良い教育 ができるようになることを目的としている。すなわち, 一種のティーチャー ・トレーニソグといえる。医学教育 にティ{チャ-.トレ{ニングが必要かどうかは議論の あるところであるが,私は以下の理由かちその必要性を 確信している。シリーズ
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精神医学研究室
順天堂大学精神医学教室は昭和2
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年懸田克射前教授 3が創始され奄以来輝やかしい業績と多くの良医を輩出 ) しております。現在その流れを扱む多くの者が日本の 精神医学会で活躍し,その足跡の大きさを宗していま す。その後,態、回教授ご定年,精神医療そのものへの 批判的時流などがあり.一時閣難な時代をむかえまし た。しかし.昭和47年,当時ドイツのマーノレプノレグ大 学客員教授であった飯塚礼二先生を教授に迎え,井上 !助教授,秩谷,永田両講師と陣容強い再び活気を取り もどし現在に至っております。さらに, 2年前より心 身症外来を本館に開設し適3回の診療を行っておりま !す。主な診療内容は心疾患.内分泌疾患,膝原病,術j
前術後の患者 死期の迫った者,慢性疾患を持った者 の自殺など多くの関連分野への窓口となっておりま ;す こ 方 剛 腕 院 と し て 時 附 精 神 医 学1
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昭和5
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年4
月1
日付 小 酒 井 襲 j踊天堂浦安病院建設本部長併任・現教授 ll
安田 尚之 H 建設木部員併任・現課長 ; 昭和5
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年7
月1
日付 : j I制 労 銃 踊 天 堂 伊 豆 長 岡 病 院 副 院 長 併 任 ( 再 任 )i
!酒見 邦子 j願天堂浦安病院建設本部員併任・現課長j :昭和5
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年7
月1
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日付 │白 井 俊 一 医 学 部 病 理 学 第 2教室教授就任!
昭和5
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年8
月1
日付 : i鎌 田 輝 男 監進外国語研(独逸語)助教授に!
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!北 蘇 発 毘 体 育 学 部 ( 体 育 管 理 ) 助 教 授 に 昇 任-i
久 保 時 温 順 天 堂 伊 豆 長 岡 病 院 事 務 長 に 昇 任 昭和5
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年9
月1
日付 i 斎 藤 僻 医学部臨床病理学教授に昇任 第一の理由は医学部の特殊性によるものであるν大学 は本来学問研究の場で,学生は自学自習が原則であり. 教員としては良い研究を行なってみせることが最も良い 教育になるのだから,とくに教育に気を使うことはない という理由で,大学教員になる条件として教職課程の修 得は義務づけられていなし、。高校以下の教員なら教職課 程は必修で, ここでテイ{チヤ{・トレ{ニングを受け ている。このような大学教育の原則は,医学部以外の, たとえば理学部なら,確かにそうであろう。しかし医学 …ゲー~…一~~----~~~----~ハ__..._~~山内山内《 。永 井 ‘ 田 上 前喜
助
列
護
5
鐘 前 塚 原 教 医控
室
研究所附属病院は, 創設以来密接に協力しあいながら 発展し,現在約2
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床を有する専門病院となっておりま す。その役割は地域医療は勿論のこと.卒前卒後研修の 一興をにない,特に学生には第一線の医療を経験するま たとない機会を与えておりますっさらに本年より)
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越関 仁会病院.以前に比精神病院の代名詞ですらあった東京 都立松沢病院も当科の研修関連病院に加えられており. その他の繋がりを持つ病院とを合せ研移の場の拡大と貨 の向上がされつつあります。 現荏の医局員の数f
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余名ですが本学卒業者のみなら ず他大学からの入局希望者も多く‘年々その世帯は大き くなるばかりで,さしもの8
号館も手狭になってきてい るほどです。 研究面においては主に四つの部門に分かれておりま す。飯塚教授は厚生省特定疾患の一つである運動失調症 調査研究班の班長,世界神経学会の座長などを勤め多忙 ,、,、,、,角.;V'-'、-
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-部は,医学研究者よりは医師の養成を使命としているの で,一縄の職業教育の色彩が濃L、。興味の湧いたものだ
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を深く追求すればよいのではなく,好き嫌いをいわ ず,いろいろな科目を,それも知識や技術だけでなく, 医師としての態度を含めて修得することが要求されてし る。だから.
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過の教職課程とも迷う,なんらかのテイ{ チャー ・トレーニングが必要とされるのである。 第二の理由は制度より人という原則からである。医学 教育には以上のような特殊性があるため,世界各国のカ ワキュラムを調べてみると,突に沢山の穐類,やり方が ある。最近日本でも新設大学では新らしいカリキュラム を採用するところが多く,統合カリキュラムとか6年 貫教育とかいう設業もよく聞かれる。しかしカりキュラ ムすなわち教育計酪や教育制度をどのように整備してみ ても,結局教育は教員と学生の人間的接触に帰するもの である。だから最終的には良い教員なくして良い教育は あり得ず,良いカリキュラムも実行できなし、。これは誌 だ?s'識的な線だが, 実はWHO
が低開発閣の医学教育 を進めようとして長年努力した結論でもあるのである。 そんなわけで,WHO
はカリキュラム開発をやめてティ ーチャー・トレーニングに力を入れ始めた。現症世界中 で行なわれている医学教育者のためのテイ{チャー ・ト 大学だより(本郷) レーニングは, このような経過でWHO
によって開発 されて来た万法なのである。もちろん多数の教育学者の 協力によるもので,教育学の原則をとり入れてあるカ ら,問際的にも立派に通用する。私もこのようなワーク ショッツのやり方を初めて知ったときは,教育が科学と して体系づけられていることに驚き,教育のやり方も研 究のそれと同じたなあとしづ感を深くし,以来ティーチ ャー ・トレ{エングの必要性を認めるようになった。 これまで7
回のワ{クショップで2
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人以との方が受 講されたわけであるが,多くの方が私と同じような感想、 をワ{クショッフの評価のとき述べられた。 7!Qlもやっ ている割に願天堂の教育は改持していないではなし、かと いうご怠見もあるが,今年のコンサルタントの林氏や尾 山氏が指摘しておられるように, “順天堂の卒業生はレ ベルが向く,作業が速かった"。 Hワークシ五ツプの成果 が空気のように学内に行き渡っている。"というのは単 なるお世辞でなく,本当かもしれなし、。学内のワータシ ヨ yフを7[6Jもやっている大学は順天堂のほかには新設 の筑波大学があるだけで,やjも成果がないとは官ってい られなし、。それに医進や基礎はもうすべての教員が受講 してしまった。来年あたりはそろそろもう一段進歩した 企画をしなければならないところへ米ているのである。 をきわめておりますが,神経病理学部門に関しては直接 おります。特に精神分裂病に関する研究では単に学!日J~ 指滋に当られ,医局員や学内の有志にかぎらず他大学か 的な価値ばかりでなく,実際の治政場面で活用される; らの研修生を多く集めております。いくつかあるテーマ のなかでも特に変性疾患に力を住さ神経内科学,病理学教室'
東芸京〈都結 が栴仇{七'干脊r
髄小脳変性症,痴呆などの疾忠を得意として多く の成果をあげています。さらに従来の形態学的な手法に 加えj脳内の神経伝述物質や醇索活件を測定する生化学的 手法をも取り入れ一段と幅広い研究を発展させておりま す。井上助教授の担当になる精神生理学部門では脳の屯 気活動という側面から精神狭,也への接近を試みておりま す。従来から活発であった 1てんかんJ
などの発作性疾 患に関する研究は小児科その他の関連する専門分野の方 勺と協力し学内「てんかんJ
研究会を開催し意見の交換 をはかつています。又側頭集内側をさぐる鼻腔内福極も 他に先がけて試作し,さらにポリグラフは当部門の故も 得なとするところです。特に不眠とうつ病なととの関係 に:{fl
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し,睡眠の益;と質を客観的にとらえようと徹夜の 謝定を繰り返しております。昨年からは永年の希望であ ったテレメーターが噂入され,刻々変る精神状態をつぶ にl脳波上の変化として記録することが可能になり,新 たな可能性を広け'ております。新幹'
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病理学部W
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では永出 端師ちがI
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心となり臨床に密行したね神病理と,自由で-1 .ーブンな学風をそット{として活発な活動を行なって -、一←、,、-、内旬 ,、,、....、,、,、叫倒、,、""、,、,、,、,、,、J、d肉、,、~、,、,、,、,筒、,、,筒、,、-、,角》戸、~W、,向 という点において向く評価されてい主九え毎週定期 に行なわれる抄読会は自由な以囲気を持ち,rM
・に数名 の学生も参加して白由なデJ久カッシ司ンを楽しんで います。最後に臨床心理学部門についてですが,この 部I
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・こそは料神科ならではの分野であり,上智,塑心 大学など他人-学からの参加lも多く,活気に満ちていま す。秋谷講師のもとでは人格のとらえ方,面接法のあ り}],さらに力学的精神医学全般などに対する教育, 研究が行なわれています。特にローノレシャツハテス ト , WAISなとの心理テストを通しての見解は臨床面 に鋭いメスを入れております。病者のみならす,その 家族をも対慢とした家肱研究にも意欲的にとりくんで いるところです。 々の他粉神薬理学に対する機巡も高まりつつあるの ですが,紙面の都合上紹介できないのが銭念です。な お, “裁が研究室"は発展途上であり, 今後ともこ浬 解とごi
あ)Jをお願いしー.k!jの努 )Jを?仇、たいと思って し、ます。 なお現在の御学者は阿部耐火講師が:1ーネル大学に て研究 111で,後進への道を聞くべく;ff~関しています。 (医局長前原勝矢)5
-大学だより(本郷)
教授就任にあたって
としかず 第二病理白 井 俊 一
此の度,橋本敬祐教授の後任として病理学第二講鹿を 担当することになり,武任のi
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ノミ性を捕感して居りま す。 昭和38年に北大医学部を卒業後,インタ{ン時代に一 時外科に入ることを志したのですが,当時行われていた 肝移植実験の手伝いをしているうちに移植免疫学の援要 性を痛感致しまして,当時腫務の移植免疫学で多くの業 組を残しておられた北大医学部病理の武問勝男教授のも とに弟子入りをすることになりました。結局そのまま病 理墜としての道を歩むようになった訳ですが,現在迄, 主として化学発脳性並びにウイルスド1:腫瀦の免疫,糸球 体将炎及び血管炎の免疫病理[,J
毘細胞腫特にyolksac腫 桜の研究,重症筋無方症並ひYこ全身性エリテマト{デス を中心とした自己免疫疾患の発生機序などといった研究 課題を中心に仕事を続けてきて居ります。現在は自己免 疫疾患の病問解析を主な研究課題として居りますが,こ れは腿務免疫の研究で,免疫学的にきわめて向己に近い 越に如何に免疫を誘発出来るか,という課題に取組んで いた当時からの興味によるものです。この分!ff
の研究を 統けてきまして最近特に痛感することは自己免疫疾忠と いうものがきわめて広い生物学的基盤の上になり立って いるということであります。現在その病闘を免疫学的, 追伝学的,ウイルス学的,また環境要闘という多角的立 場から解析して賠りますが,研究が進むにつれ学際的研 究の必要性を痛切に感じて居ります。この意味からも, f当大学において他の分野の先生)Hこ今後色々と御指導願 わなければならないことが多いと思いますが立しくお願 い申し上げます。 信条についても日添えるようにとのことですが,敢え て取上げますと4つのCということになります。それM cooperation, collaboration, communication, coexlstence です。最近,特に免疫学の分野では研究の進歩が早く, もはや一人のブJでは世界に伍していけない状態になって 唐ります。各々の研究者が互いに仲良く助けあい,情報 と仕事の成果を突換しつつ共存すること,またこの様に 教室を organizeすることがきわめて重要なことと巧え て尉ります。 中学までは野球,高校では柔道,大学で市むi・{ケスト ラ (vioJin)に熱中して肘りました。妓近はコhルフも少 々やって居ります。家族は母を合めて6人,長女か高校 '81 No. 172 に通う織になりました。 【白井俊一教授略歴】 l昭和56年7月16円付第二病理教授 就任。昭和38年北大卒, 43年北大大学院修了, 44年 47年米国コーネル大留学, 49年市立札観病院中検副医 長,53年京大助教授を歴任。昭和11年8月 7日生れ45 歳。東京都小金井市東町在住。教授就任にあたって
しゅう 臨床病理学 斎 藤 惰 病理学第二講座に,人体病理解剖学の橋本名誉教授の 後任として,免疫学的方法を駆使して令名向い白井教授 が就任なされた誌は,福岡教授の第一講座と共に,病理 学教室に大きな改革と益々の発展充実が期待されます。 私は病院病理部門の独立性をもった運営と充実を悶る 事を職務として臨床病理に移りました。 私が病理学教室に入室した当時は「結核菌フラタショ ソ研究」の余越として大きな培養器や化学分析器機が立 ちならぶなかで,r
やもり」に実験腫癒をつくる話など されて酔易したり,木島技師の美術談義,)
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上武先生の 科学入門講義,黒川伸哉先生の血球発生論なと拝聴させ られながら,少数の教室員で多数の知j検B 実験,研究と 追われて正に寧日なき思いでした。 一方,凪i液学の森田久男教授,病理の吉田,赤崎・滝 沢・官時 ・木村哲ニ等々の当時鍔々たる諸教授,さらに は慈大の樋口学長,小児結核の大坪先生などが隈々教室 にお見えになり伴教授室で夜遅〈まで論議しておられる のを耳にしながら非常に役に立つ勉強をさせて頂きまし た。「本を読め, 本に説まれるな/標本を読め,臓捺組 織に ~Ha ろ /J とおわれ,血液疾患では病室に採血に行 かされる !J~が雌.々でした。このような事と, その後の長 い都立病院検査科での経験から,私は私なりに「病理の 在り方J
に一応、の考えをもつようになりました。 大学における病理学は,基礎底学の一環としての高度 に研究的な基礎病理学と,診療各科と共に病院の中に入 って剖検・生検を主とする臨床的病理のニつがあり,Z
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方相侠つてはじめて成立つと考えます。勿論,病院にお ける病理が現行の中検病理室のままであってはならなL、 し,中検機構全体をも含めて新しいノ'jl勾を考えなくては ならない時期に来ていると思います。 中検病理!,あるいは病院病理は routineworkとして の検査業務が大切ですが,決して routinepathologyぶ 堕する'
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は許されません。病理学教室,臨床病理学教室 - 6ー'81 No. 172 大学だより(習志野) の御協力の下に,臨床各科はもとより,中央検査室各部 門との緊密な連絡連携を図り,一般病理組織検査と細胞 診だけでなく,電顕を含めて組織化学,免疫病理的手法 を駆使して, routine workの遂行のなかから research を行なって行きたし、と思って腐ります。 在、は当今,次第に減りつつある generalpathologist でありたいと思って今迄やって来ましたので,特別な臓 器別専攻領域はありません。血液形態学,悪性リンパ腫, 骨腫場,心臓刺激伝説系,小児新生児病理,臨床細胞診 などを色々と手がけて来ました。気楽に過していた10余 年間の都立病院から願天笠に民って以来,難かしい症例 の組織標本をあらかじめ配布し,各
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検討の上,月一回 hからんかい 集まって討論する目的で病理若雌会を統けております。 初めのうちは物珍しさもあって教室の諸氏も多勢参集 して頂けましたが, 次第に家々たる人数となり,r
衆の ~・きを憂うる」思いでしたが,近頃は学外,他大学の参 加者も」人体一定して,毎月 10数人でビールなどのみなが ら歓談のうちにも厳しい討論が活発に行なわれる愉快な 会になりましたc 諸般の状況は激しい事と存じておりますが,関連各教 室の諸先生方の御指導,御協力の下に,中検藤沢技師長 をはじめとする技師の方々と共に病院における病理の充 実を図ってゆく所存です。 【斎藤教授略歴】 昭幸156年 9月 1日付臨床病理学教授に 昇任。昭和26年頗天裳医学専門学校卒業後,病理学教 室へ入局,第2
病理学講師歴任後,3
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1f都立大久保病 院検査科, 50年4月都立府中病院検査科長s問年7月 より本学第2病理学助教授(中央臨床検査室出向)。 昭和 3年 9月24円生れ 53歳。東京都大田区大森西在 住。医学部学生夏季活動報告
1 東日本医科学生総合体育大会 第24回東日本医科学生総合体育大会は,東京医科歯科 大学主管の下,酷暑の続く 7月24日から 8月 5日にかけ て都内を中心とした各所で熱戦が繰り広げられた。本学 戦献は,常勝女子卓球部が有力部員卒業のため5年連続 優勝を阻れたのは残念であった。しかし男子硬式テニス 部と野球部がそろって優勝を飾ったのは見事であった。 また剣道部は安定した力で-準優勝を続得した。なお総合 成都で願天堂は8位であった。 2 その他活動 (1)セツルメント無医地区活動班 7月30日...8月7日 山梨県上九一色村 団長:大家教授(寄生虫学)団員 35名 (Z)熱帯医学研究会 第18次東南アジア医学調査団 8月2日",8月17日 シγガポール・パンコック 団長:山崎講師(I外),山形助手(躍内)団員 4名 第18次沖縄調査団 8月5日...8月13日 沖 縄 団長:田内助手(臨床病理)団員6名「習
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啓心寮今日この頃
寮監
笠 原 嘉 介
昭和56年度啓心裂の活動 は, 3月末から4月にかけ ての室長研修会から開始さ れた。研修会は,新しい寮 三役,室長が参加し, 1週 間の日程で今年度の行事内 容と生活目標が真剣に討議 された。研修会には理事 長,学長,学部長先生が顔 を見せられ,技生活の芯;義 等について講話とともに激 励され,京三役,室長とも 大いに決意を新たにした。 入紫式,入寮コンパと予定された行事が進行し,新し い資生活も軌道に乗るかと忠われた。しかし間もなく風 疹患者が発生,直ちに寮駐室に収容する等の隔離措置を とったが, 思いがけない大流行に至ってしまった。結 局, 6月点までにま実生75名が権忠したが,夏休みに入る までにほぼ終息した。 この風疹騒ぎの中にも各担当者を中心に安祭の準備が 着々と進められた。本年は按創立35周年に当り,例年に も増して盛りあがった広囲気の中で,6
月4
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日 の3日間奴祭が行なわれた。天候にも恵まれ,計画され たプログラム内容を滞りなく消化し,故後に恒例の繰み こしが)1憤大生の心意気を大いに示した。按祭に際しての 関係各位の御理解と御協力に深く感謝申し上げます。 後期は9月13日の開競式で開始された。i
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休 み 中 に は,たいした'j~故もなく,元気な顔で関祭式に臨んでく れて寮監としてホッとした次第である。なお後期を迎え るに当たり,袋三役,室長は 9月 8,9, 10B の 3臼 間,河n
湖(ピュ{レイタホテル)での研修会を実施し た。研修会では前期の反省,そして後期の生活指針,行7
-大学だより(習志野) 本計画等が討議された。 寮三役から提示された後期の行事計画は次の通りであ る。①妓旅行,②来年度寮三役の選挙,③残寮生の選 出,④学閥祭の協力等である。狭旅行についてはすでに
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月1
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日(敬老の日)に実施された。九十九里,白盟梅 岸へ行き,地曳網をして楽しい一日を過ごしてきた。 啓心授の前期は風疹流行とし、う予測できなかった出来 事に巡過し,そして寮祭とあわただしく過ぎ,悲の研修 会で討議された生前目標が必ずしも徹底できなかっすこと 思われた。この前期の反省に立って,後期は落ち清いた 充5たした技生活と r~運営が行なわれるよう期待する次第 '81 No. 172第
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4
回保健体育指導者
研修会を終えて
卒後研修実行委員大津一義
第14凶保健体育指導者研修会(卒業生研修会)が,昭 和56年8月8日から27
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3fIの円程で,広島市の県スボ {ツ会館において開催された。プログラムは,研修部門 (部出,シンホジウム,尖技研修, 卒業生の研究,~践 発表),体育学部同窓、会, 全j阪天堂懇親会, の3部門か である。 らなり,いずれも今回の基調テ{マ r'81年,飛躍の歩み (保健体育学助教授・昭和3
4
年本学体育学部卒) を大きく踏み出そう jにふさわしく有怠裁であった。従シリーズ
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外国語研究室
外閑語研究室には現在8名の専任スタ γフがL、る。 英語を担当するのは,古賀・大竹・山内・池田・武田 の 5名。 ドイツ諾は,吉岡・鎌田・三浦の3名。育ij任 には英語に石川教授・泉谷講師・木村講師が, ドイツ 語には村山教授・中山教授がいた。そのうち村山教授 は著名な東洋話学者で,その流暢なドイツ訴は言説学 者のi
切でも有名。 IJ顕天堂から九州大学・京都産業大学 を経て現在は東京に在住,今もなお日木語の起源につ いて研究を続け,その方面のミ皆川も多い。中山教授は 臼本有数の Latinist,望まれて,今は阪大教授として 阪大言語文化部にいる。 現スタッフの研究領域等を簡単に紹介すると, 古賀苦住一一英文学, その中でも特に James Joyce を研究, 本年夏休みには Joyce出身地のアイノレラン ドを訪れている。 大竹敏雄一一英語学,印欧語中心の言語学,西洋古典 学。文学とは離れてことばそのものを扱う。現在,一 般教育委員長。 山内 陸一一Thucydidesなど歴史に関するものをは じめ,ひろくギリシア古典に明るい。新しい英語教育 と古い古典研究の対照の妙を示す。 池田繁太郎一一悲劇詩人Aeschylusを中心として西洋 古典の研究。アメリカに於ける大学院生活で鍛えられ た精力的な説1
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・研究は学生の良い挟簡となっている。 武田行雄一一アメリカ文学,中でも HenryJamesを 中心として, 19世紀の小説研究。誠実な人柄が学生指 前に比べて医学部の卒業生や父兄が多く参加した全lJ国天 謙 吉 三 池 武 田 田 靖 国 田 山 福 古 大 内 西 賀 竹 現にも表われ,英語再版習組が大変世話になっている。 吉田数郎ーードイツ文学,特に ThomasMannを中 心に研究。非常な読占家で学生の指導も厳格。怠ける 学生にとっては恐い存在。 鎌田輝男一-Nietzscheの思想と Kafkaの文学作品 を中心とする研究。親身な学生指導をし,いろいろと 面倒をかけた学生も多L。、 三浦尤三一一新進気鋭の Latinist。山校時代を合めて 長くドイツで生活してきたから、 ドイツ語の語感は日 本人離れしている。現在啓心寮副設監。 外関語研究室には,他にただ一人の非常勤誹師であ る福西ロ{ラがし、る。彼k
の明瞭なアメリカ英語には 英語好きの学生を魅了している。日本に来てから長い から,日本語も流暢であるが,学生に対しては,日本 語は一切使わなし、。 以上のメ γバーが外聞語の授業を分担しているが3 それぞれの特色があって学生に与える影響も少しずつ 異る。医進の学生は語学の時間も多L、から,習志野に いる聞に,スタッフ全員の授業を受けるように時間割 を組んでいる。 医学も体育学も,これからますます外因語の必要性 が増してくることであろう。その教育に説わるわれわ れとしても,絶えず up-to-dateなことばに接して, 時代後れになることは許されなL、。その為にも,外嗣 語研究室としては,数年前から,毎年一名ずつは夏休 みを利用して現地へ出かけ,語学の brushupをする ことに努めている。今年は古賀が英国へ出かけて研修 し て き た 。 ( 大 竹 敏 雄 ) - 8ー'81No. 172 一大学だより(習志野) の学授は,最近他学に比較して改訂を要する状況になっ たこと,吏に,第二臨調の答申をうけてきびしい経済状 勢が予想される中で対応を考えなければならないこと等 理事会は慎重に審議の結果,
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年度から授業料,施設設 備費とも5万円値上げして,それぞれ40万, 20万に改訂 することを決定した。 ここで後日の参考のため,過去10年間にわたる体育学 部学費変遷のあとを報告すると次のような経過であっ た 。 ( 単 位 千 円 ) 立懇親会や,地域衛生教育,小学校教育,鍛灸など,多 分野にわたった研究・突践発表会において,その感を特 に強く持った。 講演会では,山本貞夫氏(広島県立盲学校教頭)のf
障 害者教育における私の実銭J
と,千葉久三氏(順天盆大 学教授)の「わが国スポーツ界の現状と課題」につい て,お話を伺った。山本氏の場合,前回の群馬大会より 新設された“体育以外の分野の教育実践にもふれる"と いう主旨にそったものであったが,本年度が国際障害者 年であることや,本年度の体育学部卒業生より養護学校 教諭免許状が取得出来るようになったこともあって,時 宜を得たものであり,大変啓発された。 シンポジウムでは,r
勝負の結果にどのように対処し て来たか」と題して,佐久本捻(福岡大学教授), 寄川 正義(
3
3
年卒,鈴ケ峰よc子高),1
1
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崎容生(
3
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年卒,千葉 県立鎌ヶ谷高)の3氏から, クラブ活動の指導体験をふ まえた話題が提供され,活発な質疑応答がなされた。こ れは,群馬大会での課題を受けたものであり,勝つこと の意義を論議する過程で,負けたl時の対処の仕方もむず かしいとの戸が共通して出されたことから,特に問題と なったものである。 勝負の結果に対しては,認知的(言語,表情,気持, 感じ方なと), 身体的コミ斗ニケ{ツョンの重要性と, “失敗は成功のもと"に代表されるような“負け"の芯: 義が強調された。そこでは,全力を尽して負けた場合に は,短い宮・楽をかけるだけでなく抱きしめるなど身体的 働きかけをすること,感銘や説得力のあるJ
柴を投げか けたり自己の気持を数量化して評価させたりすること, スポーツと人生における勝負の怠味を現解させること, などが重要で・あるとし、う議論がなされた。 参加者からは,性jJlJ,年齢差によって勝負の結果にど ういう指導上の相迫が考えられなければならないか,日 常では勝負にこだわるなとL、う指導をしながら,試合で 負けると恥ずかしい思いにかられるがそれでいいのか, 勝負の結果に対する受けとめ点は時代によって変わって 来ているか,などの質問が出され九。これらは,主とし て勝負後の処理の問題であるが,このことをも含め,勝 負前,試合中の問題についても,より一層深く研究する ことが望まれるところである。 実技指噂では,広島県を発生地とするエスキ戸テニ^ や,勝亦紘一民(中京大助教授)によるストレッチ体操 が紹介された。これらは老若男女誰にも出来,生涯体育 の耐からもふさわしいものであった。体育学部の学費改
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体育界にあってその特色ある教育が尚く評価されてい ることは凶係者一同大いに励まされるところである。そ9
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に銅メダル
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月21日から24H迄,愛知県下の会場で開催 されていた昭和5
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年度秩父宮賜杯全日本パレ{ポール木 学男子選手権大会において,体育学部のパレ{ポ{ル部 (川合武司監督:昭和38年卒,浜野光之コ{チ:昭和47 年卒)は,第三位(銅メ〆ノレ)を獲得した。この成績は, 木学球技関係としては蚊尚の11
・であり,低身長,少数部n
の大学チ{ムとして,精一杯の健闘であったと評価さ れている。 なお,これに先き立ち, 7月初旬,Iレ{マニヤ国,プ カレストにて開催された1981年度,ユエパ{シア{ド大 会に選鉱された体2年古川蛸定、は,世界のナショナルチ {ムに伍して善戦,健闘第三位,銅メダルに輝いた。こ のチームは,文字通り将来の日本のオリンピックメンバ {といわれ,古川選手はそのセッタ{として熱い期待が かけら れてし , 匂 。No. 172 '81
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看学だ、よ
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大学だより(伊豆長岡)←看 学 創 立
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周年記念式典
I 1属天堂看護専門学校は,明治29年開設の!踊天堂医院完了I 護対養成所を前身として,その後看護教育関係の法律改 正にともない大正 5年に罰護婦誠習所,昭和26年に箔護 学院,昭和29年に准岩盤学院と発展し,昭和36年高等活 護婦学校,5
1
年君護専門学校となった。高着発足の時か ら数えて20満年を迎えることになり,下記により創立20 周年記念式典を挙行する乙ととなった。 H 時 昭 和56年10月3口(土) 場 所 願 天 堂 大 学 有 山 記 念 館 式 典 午 前10時...,11時(講堂) 講 演 午 前111時...12時30分(講堂) 祝賀会 12時30分...2時(地下食堂)伊豆長岡病院第
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期工事竣工
静岡県東部地区の救命救急医療の中心となるべき施設 として, Yr~及び地元の要望に応え,本学では昨年 10月よ り1I蹟天堂伊豆長岡病院第 4期 棟 新 築 工 事 を 進 め て き た が,このたび建物工事が完了し, 10月24日の開設をめざ しスタッフ, 設備等最後の調整を急いでいる。(詳細は おって紹介の予定) 一方,第 4期棟に隣接して去る 4月間病院敷地に開設 された,本学との提携による県農協共済福祉事業団「東 部健診センタ ~J は,コンピューターを使った 1 日人間 ドックとして県東部農協関係者にすこぶる好評を博して し、る。看学の学費改訂
(
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年度
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治護専門学校の学貨は,その必要経費を満たす迄にはi
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く及ばないが,少しでも経営努力を試みる必要から, 慎重に審議の結果,入学検定料2千円,入学金1万円, 授業料も同じく1
万円値上げして,5
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年度から7
千円, 3万円, 6万円にそれぞれ改訂されることとなった。 過去10年閣の学授の変遜は,次の通りであった。 門 -験 資 一 千 一 習 一 間 一 史実 一 一 一0
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入年'81 No. 172
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等で既報の通り,同窓会よ ;医 学 部 ; り,山下辰久君 (29卒・医・生理化学) 小川秀興君 (41卒・医・皮r
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科学)渋 谷 修 君 (24卒・体・健康管理学)の三君が本学教授に 就任され,先に就任活躍されているj'; 稽二君 (29卒・ 医・麻酔学)と共に,次第に本学問窓からの教授就任が 増えていることは,同窓会の名営であるばかりでなく, 今後の,本学の正しい発展と後進の指導にとってよろこ ゴしい事と思われます。 この趣旨から同窓会の主催で,三煮の教授就任祝賀会 がI 6月6日(土)ホテノレオ戸クラにて催され,有山理 官長,宮崎学長,菊池,高橋両学部長をはじめ,招待者 21名と会員88名が出席され,盛大でにぎやかな会となり ました。当日は,本学教職に在籍されている多くの会員 の方々も出席されておりましたが,益々のご活躍とご健 闘を祈り,毎年このような会が同窓会の主催でできるよ うにというのが会員からの声でした。ちなみに, 56年 6 月2日現在の!司窓会員の教授在籍者は 4名の飽に,学外 教授 7名,学内助教授 19名,学外助教授18名の多数にの ,まっております。 7月188 (土)定例理事会につづいて 5時より,同窓 会規約による初めての支部長会が開催されました。大A笠,だ
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同窓会だより一 一
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支部を合め全国の3
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支部のうち,遠く北海道や九州から も出席され計21支部(代理も合む)の多数の出席があり, 支部の状況や,本部や大学との交流等について活発な芯; 見交換が行われました。 (36年 卒 庶 務 背 木 誠 孝 ) ①昭和56年度より,組織の活性化に 体 育 学 部 ;力点をおいて,本会をパワF アップし ょうとする活動を開始しています。そ のために自分の支部の活動の現状を,しっかりつか み,もし不充分であればその原因を明確にし対策を立 てる話し合いが支部単位でおこなわれる様になってき ている。このことは今までにない活動化への動きとし て高く評価できる。 ②8月8日,広島市に於て第11回通常総会が行われ, 規約が改正された。現在,総会が本会の最高決議機関 であったが,今後は代議員会を最高決議機関とするこ とになった。改正の根拠は各支部の意見を本会が重視 し,支部を代表する代議員がその支部の問題点やJJ';見 を持って本会に臨む様にするなかで,組織の活性化を 計ろうとしたものである。 そのほか,この総会では会貨の徴収,名簿の有料 化,法人化の推進等について話し合われた。 (宮下 桂治)一一
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海外研修帰国リ ポルフィリン 取り組ん 千 葉 百 ニューヨ{ク市マン ハッタンにあるロッグ フエラー大学での 1年半の勤務を終えて 8月15日帰闘し ました。ロァタフエラー大学は 1981年に TheRockefeller Institute for Medical Research として設立されI 1965 年に TheRochefeller University と改称され,大学院 大学となりましたが,-
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して biomedicalscienceの分 野の卒後教育を旨としています。学生数は1
学年約8
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名 ですから大学としては小規模で,地元の人々は非常にユ ニ{グな大学と評しています。 そこに 16名のノーベル賞学者がL、ましたので.廊下を 歩けば Nobelprizerにあたるという言葉も耳にしまし た。北隣りにあるコ戸ネル大学医学部との連携のもとに - 11ーM D・PhDプログラムというのがあり,コーネ/レ大学に 在学中の 2年間をロックフェラ{大学に学び,卒業する とM DとPhDが同時に得られるというシ久テムで, M DとPhDを得る先生短コ{スであり, ロックフエラー では tuition(授業料)免除の上かなりの奨学金が支給 されるので,アメリカ中の秀才が一度は挑戦するところ ということです。 約60の研究室がありますが,私はDepartmentof Me-tabolism and PharmacologyとL、うところで,病院の 7, 8階に研究室がありました。 7階はポノレフィリン関 係,
8
階は内分泌関係の研究室に当てられています。こ の病院は clinicalresearchの病院としてはアメリカで 故も古く, 40床あります。一般外来はなく,全てよその 病院から紹介されてくる患者ばかりです。 ポリフィリン症の患者が入院すると私の研究室は忙し くなります。そこで私の仕事は主として高速液体クロマ トグラフイ~ (HPLC)を使つてのポルフィリン化合物 の分離定設でした。HPLCは珍らしいものではありませ んが,故近 reversedphase columnが開発され, 生体 試料に合まれるポノレフィリンをそのままの型で分析に供 しうる利点があります。 routineに使えるような条件の 設定にかなりの時間を要しましたが,ポノレフィリンのI 型と国型の異性体を分離する条件も確立できました。従 来使われていた normalphase columnでは試料をエス テル化した後に HPLCにかけていましたので,エステ ル化に要する手首!と時間(一昼夜)が節約できます。 患者の尿,血液,あるいは糞便抽出物を HPLCにか けますとそのクロマトグラムからどの型のポノレフィリン 〈 シリーズ@ No. 172 d 司 ロ ッ ク フ ェ ラ ー 大 学 '81 ひろぽ 症であるのかすぐ判別できます。ポノレフィリン症はそれ ど多い疾患ではありませんが,治療に先だってまず必 要な鑑別診断のための有効な手段であるわけです。 またロγタフエラー研究所はその創立の時から野口英 世が在籍し,数々の研究業績をあげたことはよく知られ ています。現在でも野口の存在を思い起す資料がありま す。 1-(71Jをあげると, Founder's HaUの 2階にある図2
館閲覧室の入n
に,創設者}ohnD. Rockefellerの胸 像と相対して野口の胸像があります。 野口がロックフヱラ{研究所に勤務するようになった 経緯や,この胸像のことについては滞米中に「遠き落日J
(渡辺淳一着)を読み詳しく知りました。野口と願天堂 との係わりについても忠はこの著訟で知りましたが,帰 国後にf
順天堂史上巻」を読み再確認しました。メキシ コシティーからロックフェラ{大学に来ていた女医さん に野ロのことを訪ねてみましたが彼女は黄熱病は知って いるけれども Dr.Noguchi は知らないと言っていまし た。メキシコに旅行した折に,メリダでパスに乗り合せ たメキシコ人の紳士は,彼の職業が医師というζともあ """'-ヘ〈ハハ"'"可'
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央写真室業務のカラ{搬影部門に患 者撮影,術中搬影,摘出物撮影,実験結 )果の記録撮影などがあります。カラ{写;n
払t
影は, 1;均月約 120件あり,撮影枚 数は,約 1,000枚です。その中で術中船 影は,約27件 で 撮 影 校 数 は 約 200枚で :す。術中撮影時には,手術えすにえな換えて 、手術室にはいります。神経を使う仕事でi
すが,色々な;な味で勉強になっていま ーみ.!
(絵と文術
中
撮 影 風 景
~"山J日ん---~‘・ 小野寿一郎) - 12ー 中央写真室'81 No. 17 り,私が円本人であると知ると“Dr.Hideyo Noguchi は突に偉大である"と'丘讃していました。 ニュ{ヨ{タに
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いた当初は珍らしいと思うことが多 かったのですが. 1年半の聞に馴化されてしまい当然の ように思えるようになってしまいましたが,図』館がし、 つでも利用できること,多数のlectureが学内で・行われ自 由に!lI'Jけますが,特に聴衆の多い広範囲の専門分野に及 ぶ講演は午後8時からであったこと等大変使利でした。 1年半の陪jにいろいろな国籍の友人を得,大変貴重な 体験をしました。この聞に得た知識や経験を今後に活用 したいと思っています。 ひろば 9月11日まで信濃町の神宮外苑グランドにおいて熱戦が 繰りひろげられ、 小児科が8年ぶり 2度目の優勝を飾っ た。なお,準優勝は第二外科,殊勲賞は小児科幸村克喜 選手,敢闘賞は第二外科八木議弘選手,首位打者1t・は病 院連合・栄長部小山正博選手であった。 第23同友子教職員パレーボール大会は,学内 8チーム が毒加, 9月7日より11日まで本郷校舎パレーコートに おいて行われ,中央臨床検査室Aが2年ぶり6度目の優 勝を飾った。準優勝は医務課, 3位体育学部であった。 なお兵休み中に行われた口本弘立医科大学協会職良野 球大会主立びに日本私立大学連盟教職員野球大会へ出場し た本学選銃チ{ムは.両大会ともカおよばず入賞'を逸し ポルフィリン症は.~主体色紫の ft謝異常でその大部分は先夫伎のもので, た。 級近PCBやBHC等の孫郊により活発されることが認められている。ポ ルフィリンに鉄が総み込まれグロビソと結合したものがへそグロピソ (血 色潔)。ポルプィ Pソが生体内で合成されるのにHf!以上の務系が関与する が, どの静与憶の欠副首によるボルフィ日 γf主であるかを現従 6~1の型に分T している。 (m者は臨正午1m術生学事X~ :先師)ロ 野 球 ム
学内教職員バレー大会成績
恒例の第22回順天堂大学教職員野球大会は,基礎,臨 床, iJ~務など各部署ーから 27 チ{ムが参加,8
月1
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日から「
佐藤進
」
伝記発行
郷里の常陸太田市より 三代1I蹟天堂主佐藤進先生の偉業を称えご郷里の茨戚 県常陸太田市では,今度『外科医佐藤進一近代日本の 歩みメスで支える』を発行した。 「佐藤進は日本随一の外科医で1I頂天堂医院長,軍医総 監として,常に患者に対して階用,貧富,人種の差なく 尽され,晩年には太田小学校雨天体操場兼講堂を寄付さ 明治 2年8月 8日,進が乗船したアリゾナ号は,パ てあった。うれしかった。日本を思わない臼のない毎 ナマのアスビオンオールを出港して,ニューヨークに 日である。兵郷でn
ぷをほめるJ
柴を見つけて,仔び 向った。ここまで来ると,臼本人ほ滅多にいない。船 はひとしお大きかったのである。この,j12'J~はまた,そ ;良たちもII本人は珍しいらしい。進を西洋人よりもい れ か ら 丙 洋 人 の 附s た だ ひ と り の 円 本 人 と し て 恥 くぶんI陸んじる様子が見えた。進は万一,白分を日本 す不安をいくふんやわらげ,自信を持たしてくれたの f 人とみて差別待遇したら,建を正して掛合おうと心に である。 ;決めていた。だが進がサンフランシスコから同船して いま こ の 日 批 読 み , こ の よ う な 訓 引 か ず に 来た外同人と親しく言葉を :一一...・P・--.……一一一 ...".,.,...,-.…一一一一一一一一一一 いられなかった進の不安や : 1 11慎天堂史余話シ リ ー ズ @ 1 交したり,いつも難解なJ京i
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,.十r : 点張がいかに大きかったで 占を読んでいる姿てを見て .磁復
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佐 藤 進 のj
あ ろ う と 思 い は そ こ に 行 か,いつの間にか船員たち 。ど翠 瓦 『渡 洋 の 記』 よ り(4)
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く。 の 進 を 見 る 日 が 変 っ て い : 摂 ι 医 学 史 研 究 室 講 師 酒 井 シ ヅ 船は8
Ll日にニューョー タに入港した。港はサンフi
乗船してから 5日日,進の部民を一等航海士が訪ね ランシスコとは比べものにならない賑わt、を見せてしi
て来た。進がヨ{ロッバに医学の勉強に行くことを問 る。税関であろう。十数人の官吏がなμ:
前で,ひとり!
~て感心し……し…あると打ち
吋 … … た 。 山 川M
とけて話をしていた。この数日の体験は進に日本人と は, .!r-物の他は,わずかの衣煩だけである。行き先は いえとも本人さえしっかりしていれば,西洋人は礼を ヨーロッパへ医術修業と!証)1.、て,近くの2
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人のrrt もって交際して, i軽んじることはないのだという自信 J吏が近ついてきて感嘆の日で見つめる。アメリカに来 をもたせた。 るだけでも大変であるのに,ヨーロッパまでもと略き!
一方,サンフランシスコで買った地理由には,日本 合っていた。 人がアジアのなかでいちばん優れた民族であると担れ 13-o.172 沢も,半ば窓識不明のまま歩いてしまった秘高のナイフ リッジの稜線も,もうこりごりとし、う気持にさせない魅 力をおみやげにくれるものです。 山には,音楽も,美術も,文学も,哲学や科学も,そ して生きるための知恵や我欲に対する戒めまでもある。 ふり返ると,自分のこの足の 1歩 1歩の都み藍ねでそ れを知ってし、ることが,何とも ;~P~j' らしいことだと思い ます。何の目的もなく,単に行きずり的な関わりから始 まったことが,ふり返ってみると,いつの間にか離れら れない古