【特別講演】
漢方の魅力
松田 邦夫 松田医院、元日本東洋医学会会長 私は大塚先生に師事して 4 年間見学をしました。大澤先生というのは私の 1 級下の大変頭のいい男です が、彼は私より前に大塚先生のところに行ったんですね。それで大先生を凹ましてやろうとたぶんそう思って、 「先生、肺炎には何を使うんですか」という質問をしたそうです。大塚先生は言下に「ペニシリンを使う」という ことで、大澤君は大変感銘を受けた。大塚先生は役に立つものであれば何でも使おう、早く効くものであれ ば使おうという考えのようでした。大塚敬節(1900-1980)
昭和の代表的漢方医 1969年4月~1973年3月:診療見学した漢方の師. 大澤仲昭*「肺炎には何を使うか?」「ペニシリン」 *大阪医科大学名誉教授,藍野加齢医学研究所所長. 無言の行(自分で考えよ) 大匠は教ゆるに規矩をもってし,人をして巧ならしめず. 診療と読書は車の両輪.どちらに傾いても車は 真っ直ぐ進めない. 古典を読め.後は患者が教えてくれる. 古人はウソをつく.私の云ったことでもそのまま信ずる 必要はない.試してみて良かったらやってご覧.患者への愛情と厳しさ
(大塚敬節)
ヒビの入った茶碗も大切に使えばもつし,ヒビの入らぬ 茶碗もガチャガチャ使えばこわれる.腎臓が悪くても悪 くしないようにしていれば長命だよ.一病長命,無病短 命というではないか. 医師が患者に注ぐ愛情ほど,大切なものはないと思う. 慢性病は生活の反応だから,生活を切り替えなければ ならない.酒は飲む,多忙な生活はそのままというので は治らない.タバコをのんでいる!馬鹿だな!腹が 立ったらタバコを止めなさい.身体に悪いものを飲み食 いしながら薬で治そうとするのは本末転倒だ.私の方も 治そうと努力するから,あなたも治そうと努力しなけれ ばならない. 私が先生のところに行っていろいろ質問すると、最初は大変機嫌が悪い先生で、自分で考えなさい、ある いは本に書いてあることを質問するなということのようでした。何年かたって、ようやっと先生はいろいろ話して くれるようになって、私の心に残っているのは、「診療と読書は車の両輪。どちらに傾いても車はまっすぐ進め ない」「古典を読め。あとは患者が教えてくれる」「昔の人はうそをつく。私が言ったこともそのまま信ずる必要 はない。試して、よかったらやってごらん」。追試を勧めた先生でした。 患者に対して非常に愛情をもっておられた反面、厳しい面もありました。腎臓でずっとかかっていた患者で すが、テレビで腎臓は治らないというのを見て非常にがっかりしたということで、先生の前である日泣くんです ね。先生はしばらく泣かせておいて、そのあと静かな声で、「ひびの入った茶碗も大事に使えばもつし、ひび の入らぬ茶碗もがちゃがちゃ使えば壊れる。腎臓が悪くても、悪くしないようにしていれば長命だよ。一病長 命、無病短命と言うではないか」。この患者はそれで「ああ、そうでしたね」ということで、にっこりして帰ってい きました。 先生は、「医師が患者に注ぐ愛情ほど大切なものはないと思う」と書いています。ある咳が止まらない患者 に対して、先生は「慢性の病気は生活の反応だから、生活を切り替えなければならない。あなたのように酒は 飲む、忙しい生活はそのままというのでは治らない。たばこもまだ飲んでいるのか。バカだな」。そのとき患者 さんはちょっとムッとした顔をしていましたが、「腹が立ったらたばこをやめなさい。体に悪いものを飲み食いし ながら、薬で治そうとするのは本末転倒だ。私のほうも治そうと努力するから、あなたも治そうと努力しなければならない」。そんなふうに厳しい面がありました。 大塚先生が私に教えた漢方の勉強法は、「自己流は大成しない。最初は定石を学べ」。定石というのは昔 から多くの人が第一選択とする治療法で、治療の大本ですね。そして実際に使ってみる。それによって経験 を積め。あるいは、さらに古典もできれば読みなさい。あとは患者が教えてくれる。そういったことを私に教え てくれました。
漢方勉強法
(大塚敬節)
自己流は大成しない. 定石を学ぶ. 定石…先人が臨床的効果を認め,多くの人が第一選 択とする治療法.治療の王道. 実際に使ってみる. テキスト 大塚敬節『症候による漢方治療の実際』南山堂. 古典に興味を持つ. 「古典を読め,後は患者が教えて くれる.」(大塚敬節)漢方の存在を知ることのメリット
まず西洋医学をしっかりと学ばなければならない. 西洋医学を十分修得した上で漢方を学ぶことによ り,西洋医学の限界,漢方の利用価値と限界を知 ることができる. 西洋医学,漢方両方向からの幅広い治療手段を 得ることができる. めまい,頭痛,のぼせ,ほてり,…には西洋医 学では検査で異常がないと異常なしと判断して 終了となるが,漢方では治療手段がある. これからは私の考えですが、まず、西洋医学をしっかりと学ばなければならない。言うまでもないのですが、 西洋医学を十分に習得したうえで漢方を学ぶ。そのことによって、西洋医学の限界、あるいは漢方の利用価 値、また限界を知ることができます。そして西洋医学、漢方、両方向からの幅広い治療手段を得ることができ ると思います。例えばめまい、頭痛、のぼせ、ほてりといったときに、西洋医学の検査で異常がない場合には、 異常なしと判断して終了となりますが、漢方では治療手段があります。 私の初期の頃の患者の治療経験を少しお話しさせていただきます。家内の叔父で、当時 87 歳の男性。風 邪がこじれて、結局肺炎になって、主治医が会わせる人があったら会わせなさいということで、もうだめだろう ということで家内に連れられて私もお見舞いに行ったんですね。肺炎①
87歳男性.1969年.家内の伯父. 体格頑健.かぜこじれ発熱37~38℃,ペニシリン 注射と点滴,水枕,肺炎危篤となる. 診ると,ふだんの赤み失せ青くつやなく別人のよう. 低声,胸鳥肌,意識混濁.布団をひき寄せる.呼 吸早く,寝返り(煩躁).手が布団から出るとすっと 引っ込める(悪寒).脈浮遲弱.緊張弱く力ない. 手足冷.尿色水のよう.肺炎②
-真寒仮熱- 真寒仮熱☆と診断.水枕と点滴をやめさせた.真武 湯(附子1.0)温服.翌日,一時40℃となるも意識明瞭, 顔色良く食欲出る.夕方声出て脈緊張回復.10日後 床上げ危機脱出. その後94才で亡くなるまで元気. ☆真寒仮熱:陽証が陰証に変わるとき,内に寒があって,外に 仮熱が現れ,この仮熱を表熱と誤る場合が多い. 真寒仮熱 では熱があっても脈は遲で,大でも力なく,尿は清白である. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,35-37)意識はほとんどなくて青い顔をして、私が頼まれて診察しようと思うと、布団を無意識のうちに引き寄せる。 寒気があるというのは分かります。脈を見ると、熱があるのですから、触れやすい。脈は浮である。当然速い だろうと思ったのが、意外と遅いんですね。脈拍がそんなに速くはない。しかも弱い。さらに畜尿していたの ですが、尿の色は水のようなんですね。熱があったら、もう少し色が着くはずです。 そのとき真寒仮熱というのを教わったばかりだったのですが、体の中が冷えている。それでその反応で体 の表面に熱があるように見える。体の中が冷えているのだから、単に解熱剤を使って熱を下げるようなことを すると逆効果で治らないと教わっていたので、中のほうを温める真武湯を与えたんです。 翌日もういっぺん行ったところ、熱が 38~40 度くらいに上がって、家内の叔母である奥さんが、へんな薬を 飲ませるから熱が上がってといって騒いでいたんです。そのあいだに意識が戻ってきて、何か食べさせろと いうことになって、その日の夕方から声が出て、だんだん回復して、10 日後に危機を脱することができました。 94 歳で亡くなるまで元気でした。このように体内に冷えがある。数字として、表面的には熱があるように見える。 そういう症例の治療です。 これは 80 歳の男性で、北海道の人なんですね。私の母のいとこで、重い肺炎で北大病院に 80 日間入院 したんです。抗生剤でようやっと退院できるようになったのですが、どうもすっかり痩せて、食欲がなくなって 起き上がることもできない。そういう状態を続けていて、話を聞いて東京へ来られたんです。 そのとき初めて見たのですが、わりあいと背が高い方で、痩せてよろよろと、奥さんもあまり元気のいい方で はないのですが、片方を奥さんにもたれ、もう片方は杖をついてという格好で、ようやっと入ってきたんですね。 ほとんど声が出ない。真夏だったのですが、青い顔をしていました。 型のごとく診ても、おなかに全然力がない。特に下腹の力が抜けているんです。これは漢方で言う八味丸 の適応証と思ったのですが、あまりに全身衰弱がはなはだしいので、まず体力を回復させようと思って、人参 湯と真武湯を合方であげたんです。
慢性副鼻腔炎①
80歳男性.母の従兄.1970.肺炎のため80日入院. 強力な抗生剤で回復退院するも以来,食欲なく衰 弱.検査で胃腸異常なし. 背は高いが体重45㎏.痩せて夫人に付き添われ杖 をついて入室.口乾,声しわがれて,痰の切れ悪い. 体はふらつき,足がつり,真夏で足冷える.尿の出 悪く力ない.夜間頻尿. 腹部陥凹,力ない.心下痞鞕,臍上悸,小腹不仁. 脈数,舌滑らか,舌乳頭消失.背診で両志室圧痛あ り.便快通せず,夜間尿5回,血圧100-50.慢性副鼻腔炎②
-体調改善- 全体として漢方でいう陰虚証である. 八味地黄丸証のようだが,衰弱甚だしく,まず体力の 回復のため人参湯合真武湯を与える. 2ヶ月後再診.杖もなく,元気に入室.顔色は良く,声が 大きい.体重46㎏,血圧110-60. 開口一番,「あの薬は鼻にも効きますか?」実は20歳 頃から60年来の副鼻腔炎があり.10年毎耳鼻科の治 療を受けてきた.これが完治と云う.体調は頗る良好, 体が暖かく,息切れしない. 5ヶ月後終了.再発せず. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,277-278) ☆ 直接的に副鼻腔炎を治す薬ではないが,体調全体を改善したこ とで間接的に治癒したものと思われる.漢方の醍醐味のひとつ である. 2 カ月後に来ました。非常に元気で、奥さんは一緒でしたが、一人でもたれないで入ってきて、あれほど出 なかった声が大きな声で、口を開くと最初に「あの薬は鼻にも効きますか」。鼻が悪いなんて、聞いていなか ったなと思ったのですが、聞いてみると、20 歳頃から鼻が悪い。それでいろいろ診察、治療を受けたけれども、 効かないというので、10 年ごとに耳鼻科の偉い先生の治療を受けた。 なぜ 10 年ごとかというと、10 年もたてば医学は進歩するだろうという考えのようでしたが、全然よくならないので、とうとう耳鼻科通いもやめた。鼻が悪いなんていうことは言わなくなった。それがこの人参湯、真武湯で すっかり鼻がよくなった、通るようになったと言って喜んでくれました。私は長年の副鼻腔炎がこういう薬でよく なるとは信じられなかったのですが、結果的に 5 カ月後に薬をやめました。 90 歳を過ぎて亡くなりましたが、亡くなってから、夫人がいっぺん会いたいというので札幌でお会いしたと きに、「そういえば鼻はどうでしたか」と言ったら、「いや、おかげであれ以来、鼻がよく通って非常に喜んでい ました」ということで、その後の経過を知ることができました。体調全体を改善することで間接的に鼻もよくなっ たのか、漢方のおもしろさの一つだと思いました。 これは 28 歳の女性で、失恋して、それから不眠症になった。もちろん眠剤をいろいろ飲んで、だんだん効 かなくなって、それで来たんですね。入ってきた顔を見ると、まず全身がどす黒い。そして両方の目のまわり が黒い。「パンダが来た」と、ちょうどその年に上野動物園にパンダが来たというので、そう思ったくらいです。 そのほか便秘とか痔があるとかいろいろ言っていましたが、もちろん目的は不眠。 体格のいい人で、諸薬無効と書きましたが、これは 3 カ月後です。私は漢方を始めたばかりだし、自信が ないものですから、患者さんの前で漢方の本を何冊も広げて、さらに質問する。そういうことで不眠に効きそう な薬を次から次へと使った。自信がないから 2 週間、2 週間で効かなければ次の薬。ですから、3 カ月後とい うのは 6 処方使い切ったんですね。しかし、全然眠れない。もうそろそろ来なくなればいいなと思うのですが、 本人はすがるような目でやってくる。 そんな 3 カ月後に、しかたがないなと思って、おなかをいつものように診たら、「痛い!」と言って、いきなり 手を弾き飛ばされてしまったんですね。そのときに私はムッとしたんです。師匠からおなかは柔らかく触れと いうことで、決して私の触り方は強くはないんです。それがこんなに痛がるのは、ひょっとしたら漢方で言う瘀 血、古血、うっ血の訴えではなかろうか。それまであまり瘀血というのは信じていなかったのですが、あらため て考えると、下腹を押さえると痛がる。いろいろ本をひっくり返したけれども、いわゆる実証タイプで便秘はし ていない。桂枝茯苓丸がいいだろう。しかし、桂枝茯苓丸に眠れるということは書いてないし、逆に不眠症の ところに桂枝茯苓丸は適応としてない。しかし、ほかに使う薬もないので、今度は 1 週間だけあげたんです ね。
不眠症
に桂枝茯苓丸料
28歳女性.2年前失恋後不眠症になり睡眠薬常 用.顔色,目のまわり黒くパンダのよう.便秘,肩 こり,痔出血疼痛.実証,臍上悸強く,左下腹部 に強度の圧痛あり. 諸薬無効,桂枝茯苓丸料投与.2日目大量子宮 出血あり,産婦人科へ駆け込む.出血は5日間 持続.服薬翌日から眠れ,睡眠薬中止.痔全治, 便秘肩こり消失.7日目別人のように色白となる. 通算40日で終了,その後も順調. (松田邦夫『漢方治療の実際』創元社1992,153-154) ☆漢方の瘀血という病態概念は,必ずしも荒唐無稽なも のではないことを考えさせられた. 翌日から子宮出血が起きたんです。それも非常にひどい出血。そしてその日から眠れるようになって、睡 眠薬を中止することができたんです。痔もよくなって、便秘もよくなった。肩こりもよくなった。1 週間だか 8 日目だったかに本人が来たときに、「あれっ」と思ったんです。色白になっている。言葉は悪いですが、インディア ンみたいな黒い人だと思っていたのが、けっこう色が白いんだ、何で失恋したのかなんて余計なことを考えた のですが、非常に色白になったということが、眠れるようになったことももちろんですが、私にとっては驚きでし た。こういうことが、漢方の瘀血という考え方は必ずしも荒唐無稽なものではないのではないかと考え始めた 最初です。 これは 90 歳の男性でたまたま私の父の友人で、大変なお金持ちで横浜に住んでいて、頼まれて往診した んですね。聞いてみると足腰が弱って歩けないということで、あといろいろ腰が痛いとか、血圧が高いとかあり ましたが、本人はお金にあかせて現代医学の治療はもちろんのこと、漢方治療、鍼灸、いろいろ手を尽くした のだけれども、どうしてもよくならない。ある偉い先生から「年のせいだから」と言われて腹を立てたと、そんな 話でした。 診察してみると、全体に力は年相応なのですが、特に下腹の力がない。胃腸は丈夫で、そのくせいろいろ おいしいものは食べたい。そこで本人が処方を書いてくれというから、便箋に「八味地黄丸に人参 3g」という 処方を書いて帰ってきたんですね。外に出て、横浜までの交通費も診察料も、第一お礼の言葉も何もなかっ たな。この次、一緒にくれるのかなと思って帰ってきました。 1 カ月後に行きました。劇的によくなっていて、元気に歩けるようになっていたんですね。私が「ああ、よか ったですね」と思わず言ったら、本人は「何がいい。漢方薬がこんなに効くとは知らなかった。もっと早く飲ん でいればよかった。それにしても高いじゃないか。あまり飲めない」。だから、「いくらぐらいですか」と言ったら、 横浜の中華街で 100 円だと。「こういういい薬を保険扱いしないのは、あんた方の怠慢だ」と、さんざん叱られ ました。漢方エキス製剤が保険適用になるのは、この 5 年後です。 明治天皇の漢方の侍医をした浅田宗伯という人が、「巫を信じて、医を信ぜざるもの」、病気になって医者 の言葉よりもお坊さんを頼る人、「財を重んじて命を軽くするもの」、命よりお金が大事、そういう人は治しても 無駄だから、そういう人に会ったら急いで逃げてこいと弟子たちに教えているんです。もっと早くこの言葉を 見ればよかったと思いました。
歩行困難
に
八味地黄丸①
90歳男性.1970年.旅行中倒れて帰京. 父に頼ま れて横浜の豪邸へ往診.小柄で顔色悪く,痩せて 色黒の老人.数年来足腰が弱って歩けない.諸治 無効.年のせいと云われて立腹.腰痛,脚力なく, 歩行困難で庭の散歩も出来ない. 痩せて夜間頻 尿,高血圧,手が震え,気分いらつく. 腹診で腹力なく,臍上悸,臍下不仁.胃腸は丈夫. 依頼により出された便箋に八味地黄丸料加人参 3.0の処方を記す.家人に送られて辞去.(謝礼はな し.お礼の言葉もない.)歩行困難
に
八味地黄丸②
1ヶ月後乞われて再度往診.劇的に良くなり,腰痛なく足 が丈夫になって近所の散歩も出来るようになった.私の 賛辞に,本人不満の言葉「漢方薬がこんなに効くとは知 らなかった.もっと早く飲んでいれば良かった.それにして も高い.あまり飲めないではないか!」と怒った表情.(薬 価100円)「保険扱いしないのはあんた方の怠慢だ!」 注)漢方エキス製剤の保険適用はこの5年後. 浅田宗伯*「巫を信じて医を信ぜざるものと財を重うして命を軽くす るものは,速やかに辞し去るべし.」(栗園医訓) *浅田宗伯(1815-1894)幕末・明治時代の漢方医 (松田邦夫「活治験録」204b) ☆この例はいわゆる腎虚と考えて八味地黄丸を使用した. 結局、このときも往診料はいっさい触れないで、「今度、あんたはいつくる?」「いや、もうよくなったから、も う来ません」「それは困る。うちの娘、孫もいろいろ病気があるから、おれが呼んであげるから、また来てくれ」。 うーん、だからお金持ちになれたのかなと思いました。この例はいわゆる腎虚と考えて、八味丸を使って、私が劇的にその効果を実感した例です。患者の気持 ち、それも診断しなければいけないということを実感させられた最初の例です。 これは 55 歳の男性で、大きな会社の秘書室長、役員への登竜門なんですね。その部署で、おそらく頭を 使うことが多かったのでしょうね。もともとの知り合いで、やってきたんです。 「先生、あっちのほうが」といきなり入ってきたので、「どっちのほうですか」と言ったんです。聞いてみたら、 いつの間にかインポテンツになって人知れず悩んでいる。しかし、見るからにがっちりした、ブルドッグが立ち 上がったような、こういう人とはケンカしたくないなという感じのいかつい人です。とてもそんなふうには見えな い。診察してみると、みぞおちの辺から脇腹にかけて硬いんです。それで大柴胡湯を処方したんです。 2 週間後に非常に喜んであらわれて、「先生!」と言って、両手で私の手をパンとつかんで、握手なんでし ょうね。その痛いこと、痛いこと、すごい力なんです。それで手を振りながら、「先生、性欲が亢進して、青年時 代に戻ったようです」と大変な喜びよう。あまり喜んだものですから、私も何となくうれしくなって、4 年目の最終 のときで、まだ大塚先生のところに通っていたので、先生に報告したんです。 先生はその頃忙しくて、くどくどとしゃべる人に「うん、うん」とうなずいているのですが、患者のとめどない訴 えが止まっても、静かにうなずき続けている。寝ているんですね。それでパッと目を開いて、「うん、何日もって いくか」、なかなか古だぬきで、うまくやっているんですよ。 そこで先生の目を覚まさせるのは最近の著効例の話で、それを話すと急に目が覚める。そんなとき先ほど の桂枝茯苓丸で眠れるようになった例を話したら、先生は非常に喜んでくださって、そのあとでしたね。 「先生、実はインポテンツが大柴胡湯で著効を奏しまして、その患者が」とちょっと説明しかかったら、「そん なことは当たり前だ」と一喝されました。インポテンツに朝鮮人参、あるいは八味地黄丸と本にも書いてあるし、 そのように考える人も多いけれども、漢方的な診察が重要であるということを再認識した例でした。このとき大 塚先生が叱ったのは、古典にいくらでも書いてある常識だったようで、自分の不勉強を痛感させられました。
ED
に
大柴胡湯
55歳男性会社秘書室長. 「実は…」 見るからに実証 頑健精力旺盛,最近数年陰痿に悩む.日夜心労.がっ ちり,少し太り気味.心下部厚み堅く緊張.(胸脇苦満) 1969年. 大柴胡湯処方.2週後嬉々として現れ,性欲亢進青年 時代に戻ったようと感謝.ゴルフ会員権を縁故で譲られる. 大塚敬節に報告.「そんなことは当たり前だ.」 (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,417-418) ☆一般にEDには朝鮮人参や八味地黄丸と考える人もいる.そのよ うに短絡的に漢方薬を用いるのではなく,漢方的な診察が重要 であることを再認識した. ☆大塚敬節の言は,古典にいくらでも書いてある常識だというニュ アンスと思われる.自分の不勉強を痛感させられた. これはむち打ち症で、55 歳の男性。インドネシアをジープで走っているときに穴に落ちて、むち打ち症に なったんですね。現地の一番いい病院で治らなくて帰国した。それで私はすぐに、ある大学の脳外科の准教 授の方をたまたま知っていたものですから、優秀な方で、その方を紹介したんですね。帰ってきて、「どうだっ た?」と聞いたら、「いや、あんたのむち打ちは治らない」とこんこんと言われて帰ってきたと、本人は非常にが っかりしているんですね。それではと思って、葛根湯加苓朮附合桂枝茯苓丸という処方を考えて処方したんです。首筋から後頭部 が重苦しく痛い。それからおそらく内出血もあるだろうということで、この処方をあげたところ、大変よく効いて、 半年ですっかり元に戻りました。それで現地に帰っていったのですが、その前に同じ脳外科の大家の先生に もういっぺん診てもらえということで診察を受けさせたんですね。帰ってきた患者に、「先生は何と言ってい た?」と言ったら、「非常に不機嫌でした」。 私は桂枝茯苓丸を加えたのは、いわゆる瘀血が潜在しているのではないかと考えて、この処方を使いまし た。以後、むち打ち症でなかなか治らないという方はずいぶんこの処方で治療して、経過がよいという経験を いたしました。
むち打ち症
55歳男性.半年前,インドネシアで草原をジープ走行中 に,穴に落ち,むち打ち症で入院.治らず帰国.項部鈍 痛,後頭部痛,C4-8運動制限,肩こり,耳鳴り,足冷. 某大学脳外科で変形性脊椎症,不治と診断.体格良好. 葛根湯加苓朮附湯(附子1.0)合桂枝茯苓丸(1日90粒)処 方.2ヶ月後経過良好.4ヶ月後肩こり消失. 6ヶ月後, 全治終診.非常に喜んで現地に復帰. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,196-197) ☆西洋医学で不治といわれた症例が漢方で奏効した.桂枝茯苓丸 の併用は,いわゆる瘀血の潜在を考えたからである. これはニュージーランドで診た 40 歳の女の人です。現地の大きな商社の支店長の奥さんで、現地に来て、 しばらくしてからのどが詰まる。何かが引っかかっているようで、飲み込もうと思っても飲み込めない。吐き出 そうと思っても吐けない。耳鼻科の専門医の診断では異常がない。そのうちだんだん呼吸も苦しくなってくる。 気のせいだということで薬をもらったけれども、効かない。このままでは帰国を考える。そういう状態でした。 これは漢方では半夏厚朴湯の適応症なんですね。しかし、旅行中だし、何も持っていない。さらに聞いて みると、本人は日本では大阪に住んでいて、社宅で家事はもちろん何でも自分でやっていたんです。現地 に来たら支店長夫人ということで、大きな屋敷でお手伝いさんが二人いて何でもやってくれるんですね。楽だ なと思っているうちに、こうなった。 そこで私が、お手伝いさんを辞めさせて、自分で家事労働を一切やりなさいと言って帰ってきたんです。 やらないだろうと思っていたのですが、本人は必死だったんです。その通りにして、すっかりよくなったという ことを礼状で知ることができました。 和田東郭という人は、江戸時代を通じて最も優れた名臨床医で、これは大塚先生の言葉ですが、大塚先 生がおそらくいちばん尊敬していた古い医者なんですね。彼の書いたものに、穏やかな日が続く。ずっと続 くと、しばしば気が鬱して、気鬱になることがしばしば見られるということが書いてあります。 今の症例は使用人にすべて任せたために、気鬱に陥ったと推察されます。ですから、体を動かすことで気 のめぐりをよくするということを狙って、幸いに奏効したんですね。漢方薬を使わないで、漢方の考え方を応 用した例です。咽喉頭違和感①
40歳某大商社支店長夫人.1971年ニュージーランド・オー クランド(旧首都)で. 数ヶ月来のどつまる.何かがひっかかっているようで,飲み 込もうとしても飲めない,吐き出そうとしても吐けない.耳鼻 科異常なく気のせいと言われて服薬無効.息苦しく気分落 ち込み,帰国考慮. 内心快哉,手元に半夏厚朴湯なし.本人日本で狭い社宅, 当地大邸宅,お手伝いが一切行う. 「お手伝いをやめさせ,自分で家事労働をやるように」指 示して帰国.半年後,人に託して高価な香水と礼状,完治 と.咽喉頭違和感②
折衷派の泰斗-和田東郭(1742-1803)の『蕉窓雑話』; 平穏な日々が久しく続くと,誰でも気鬱をわずらうのは 世間によく見られることである.(意訳) ☆この例は,使用人に全てを委ねたために,気鬱に陥っていたと推 察される.そこで,治療は身体を動かすことで気のめぐりの改善を ねらい,奏効したと思われる. ☆漢方薬を用いずに,漢方の考え方を応用した. これは私の父親の話で、長い間、藝大の教授をしていた関係で弟子が多いんです。70 歳のお祝いという か、朝鮮人参のエキスを「元気でいてください」ということでもらって飲んで、それから全身に発疹ができて、そ れも非常にひどいんですね。夜も眠れない。それで私が呼ばれて、すぐに親しい同級生の皮膚科医に見せ て、「ああ、薬疹だね」というわけでステロイド軟こうをたくさんもらって、これが治るのに 11 カ月かかりました。 私はこの 2 年後に漢方の道に入ったので、このときは漢方を使うということは知りませんでした。 その 10 年後、ちょうど 80 歳の父はまた朝鮮人参を飲んで薬疹を起こしたんですね。弟子たちからもらった らしいのですが、「今度はティーバッグだから、いいと思った」といってしょんぼりしているんですね。見る見るう ちにぽつぽつと赤い発疹が全身に出てくるんです。「また半年かかるのか」と、嘆いている。人参薬疹?①
私の父,当時70歳.元来は,皮膚疾患には無縁. 某製薬の朝鮮人参エキスを飲み半日後発疹.全 身に大小の赤い発疹,10円銅貨大から大きいも のまで隆起,ひっかき傷で血がにじみ,かゆみの ため不眠. 1966年(昭和41年)当時私は大学内科在籍中.2年後 に漢方の道に入る. 皮膚科医は薬疹としステロイド軟膏投与.頑固に ふえ続け,2週後430個に達した.11ヶ月後,よう やく湿疹消退.人参薬疹?
に黄連解毒湯②
10年後,再び朝鮮人参茶で再発.今回は黄連解毒湯を服 用して熟睡,翌日湿疹は火に水をかけたように消失.父は 陽実症.その後,朝鮮人参を単独で飲むことはなかったが, 半夏瀉心湯などはいくら飲んでも平気であった. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,350-352) ☆朝鮮人参は漢方では温熱薬で補剤.これを適応でない陽実証の人 に使うとこのような反応が起こるということか. ☆ステロイドで難渋した湿疹が,黄連解毒湯で速やかに改善したこと は寒冷薬を示すと思われる. ☆冷やす,温めるという漢方の考え方にも臨床的意味があると感じた. 漢方で起きたものは漢方で治さなければと思って、黄連解毒湯を飲ませたんですね。翌日、起きてみたら、 火に水をかけたように発疹が消えていました。父は元気な暑がりの、いわゆる陽実証で、こういう人には朝鮮 人参はだめなんですね。半夏瀉心湯はいくら飲んでも平気なんです。人参も入っている。しかし、黄連など が入っていて、温める人参と冷やす黄連がうまく配合されている。そういうのは大丈夫なんです。 このように朝鮮人参は体を温めます。体力、免疫力を高める温熱薬、あるいは補剤。適応ではない陽実証 の人が飲むと、こういう反応が起こることがあるんです。ステロイドで難渋した湿疹が黄連解毒湯でひと晩でよ くなったということは、寒冷薬というものの働きを示すと思いました。このことから、冷やすとか温めるという漢方 の考え方にも臨床的な意味があると感じました。これは家内の母親、80 歳です。彼女は若いときに 3 回くらいおなかの手術を受けて、おそらく癒着が残っ たんでしょうね、便がよく出ない。いつもすっきりしないで、おなかが痛い、腰も痛い。頼まれて私が診たのが 80 歳のとき。おなかが非常に柔らかいのですが、ポンポンとたたくと、腸がムクムクと動くんです。 これはおもしろいなと思って、「入っていますか」という感じですね。そうすると、おなかがムクムク。いつまで もおなかをたたいているから、まわりの人たちは漢方の診断というのは不思議な診断をするんだなと思ったら しいのですが、ふっと気がつくと、本人は非常に痛そうな顔をしている。腸が動くと、おなかは当然痛いです。 それであわてて大建中湯をあげたんです。2 週間後にはすっかりおなかの痛みもなくなり、便がよく出るよ うになったんですね。104 歳で亡くなるまで、その後こういうことは一度もなかったです。術後の通過障害に大 建中湯はよく使われますが、私が昔その威力に非常に驚いた例です。
腹痛
に大建中湯
80歳家内の母.1985年.手術3回(30歳外妊,36,39歳 腸閉塞)腹痛持病.いやなことがあると腹痛を訴える.1年 来腹満痛悪化.シクシク腹痛,便快通せず残便感.下剤 は痛むばかり.腰冷え水中にいるよう.最近腰痛悪化. 143cm,47㎏.脈遅弱,腹壁軟弱無力,鼓腸顕著.腹壁を 叩くと腸がムクムク動き蠕動亢進触知.腸の動きわかり痛 む. 大建中湯エキス.2週後体調よく腹痛消失,排便良好.腰 の冷え,腰痛消失.一人で元気に出歩き皆喜ぶ.(2009年 死去,104歳) (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,96-97) ☆術後の通過障害に大建中湯が速効を示し,中止後も再燃しなかった.顔面発疹
に
当帰芍薬散
遠縁の若い女性.顔面を大きなマスクで隠し濃いサングラ スで来診.顔面全体ひどい発疹,地肌赤く腫れて汚らしい 感じ.ほてり強く痒い.月経前必ず悪化,月経終了で良くな る.皮膚科治療無効.腹診特記すべき所見なし. 月経時悪化で当帰芍薬散を処方. 次の月経時に顔面少し発疹,その次はまったく出ない.希 望により終診,その後再発せず. 大塚敬節「妊娠,出産に関連して発症する病状には当帰芍薬 散.」 (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,349) ☆これも広義の瘀血に該当するか. これは両親の郷里の石川県から来た親戚の女性で、すごい顔をして入ってきたんですね。まず大きなマ スクをして、大きなサングラスをかけて、これが男性だったら銀行強盗という感じで、顔が全然分からない。ど うしたんですかと聞いたら、サングラスとマスクを取ったんです。途端に、診察の訓練で体は動かなかったと 思うのですが、ギョッとしました。お岩さんという感じで、顔は発疹なのですが、潰瘍みたいにどす黒い。それ でもうほとんど顔全体、すごいんです。 聞いてみると、すごく火照ってかゆい。月経の前に必ずこうなる。月経が終わるとだんだんよくなるけれども、 次の月経が来ると、またこうなる。皮膚科の治療はずっと受けているけれども、全然効かない。 このとき使ったのが当帰 薬散です。大塚先生は妊娠・出産に関連して発症する病状には当帰 薬散と 言っています。私は妊娠・出産および月経に関連して発症する病状にいいのではないかと思って使っていま す。次の月経のときに少し悪くなりましたが、その次からまったく出ない。「もうよくなったからやめる」と言うから、 ちょっと早いのではないかと思ったんだけれども、「また悪くなったらいらっしゃい」と言っておきました。以来、 三十何年たちますが、二度と再発しません。これも広い意味の、広義の瘀血に該当するのではないかと思い ます。 これは歩くのが遅いという 58 歳の男性で、ある医学部の教授です。話を伺うと、歩くのが遅いというのが主 訴で、自分は元来せっかちで歩くのは速い。だから、奥さんと二人で外出すると、いつもさっさと歩いていっ て、曲がり角で大きな声で「何しているんだ、遅いじゃないか」といつも怒鳴りつけていました。いつの間にか 逆転して、もう家内と一緒に外出するのが苦痛なくらい、家内がサッサと先のほうに行って、振り返って、それも人がたくさんいるときに大きな声で「あなた、何しているの。遅いじゃない」と怒鳴られます。 私は思わず因果応報と思ったのですが、まさかそんなことは言えませんから、型のごとく診察したら、どうっ ていうことはないんですね。特に問題はない。足だけが遅いのだったら、八味地黄丸。食欲もあるしと思って、 1 カ月あげたのですが、効かないんです。それで 1 カ月たって、「うーん、効きませんか」と。 そうしたら、この患者さんのほうで、「いや、漢方というのはそんなすぐには効かないんじゃないですか。同 じので結構です」と言われたのですが、待て待てと思って、考えてみると、この人は脈が非常に弱いんです ね。脈が触れにくい。そしてさらによく聞いてみると、非常に疲れやすい。 それではと思って、補剤の補中益気湯に変えてみたんです。これはだんだんによく効いてきて、3 カ月後 にかなり速くなりました。そのときにご主人は、「家内と競争しています。二人で一生懸命歩いていますが、ど っちもどっちです。最近セックスがだめだったのですが、非常によくなりました」。補剤を使うことの奥深さを知 りました。
歩くのが遅い
58歳男性大学教授. 1988年.数年来歩行が遅い.易 疲労倦怠,口乾.肝機能低下.冬足冷. 172㎝,65㎏.体格,栄養,顔色,食欲普通.脈弱,舌乾 微白苔.腹壁緊張良好. 八味地黄丸無効.補中益気湯に変方後,歩行改善.3ヶ 月後歩行かなり早くなる.性機能回復と喜ぶ. 一見顔色よい実証タイプに,意外と補中益気湯有効例がある. 脈弱く,疲れやすい.要注意. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,438-439) ☆外見だけで判断できない例があることと,補剤を使うことの奥深さ を知った.胸痛
77歳女性.1999年.子供のとき足に霜焼け.若いとき から冷え症,平熱35℃.2年前にクーラーで冷えてから 右胸と右背中が強く痛む.冷えると痛みが増悪する.ペ インクリニックに通院するも不治.手足と腹が冷える. 155㎝,52㎏.脈沈小.足冷.当帰四逆加呉茱萸生姜湯 エキス7.5分3を与える. 1ヶ月後,体が暖まってきた.胸背痛消失.2ヶ月後完治. 冷えが良くなると同時に他の症状も消失.自分でも プールで水中歩行を始めている. (松田邦夫「活治験録」173b) ☆冷えると痛むという症状から温める処方を用いて奏効した例. これは胸が痛いということで、右胸から右の背中が強く痛いというのが主訴です。もちろん病院でいろいろ な検査。ところが、引っかからないんですね。結局、ペインクリニックで痛みだけ止めようと思ったけれども、こ れも効かない。どうもそういう痛みは、冷えると悪化するということで、脈も非常に小さいし、足も冷たい。少し 温めたらどうかというので、当帰四逆呉茱萸生姜萸を与えたんです。1 カ月後に体が温まってきて、何よりも 主訴の胸や背中の痛みはすっかり消えたんですね。冷えると痛むということで、温める処方を使って効いた 例です。 これは小児喘息の 8 の女の子。3 歳くらいから喘息でいろいろな治療を受けているけれども、よくならない。 風邪を引くと悪化する。いわゆる咳喘息で、私は小柴胡湯、麻杏甘石湯の合方をよく使うので、このときもあ げたんです。小学生なので薬だけおじいさんが取りに来て、そのおじいさんが「煎じかすをもう一度煎じて、 わしが飲んでもいいですか」というから、「どうぞ」と言っておいたんです。 その後、この本人と祖父だけ風邪を引かないんです。家族は引いても引かない。そういうことで 5 カ月くら いでこの子の喘息は完治しました。免疫系に影響があったのではないかと思われます。小柴胡湯、あるいは 麻杏甘石湯、それぞれ単独ではこういう効果はないんですね。小児喘息
8歳女児.3歳で湿疹.皮膚科で湿疹は治癒したが喘息を 発症.以来小児科の治療を受け治癒せず.体が弱く食欲 がない.風邪をひきやすく,ひくと咳が続き,喘鳴,呼吸困 難となる.口渇あり. 148㎝,24㎏.小柴胡湯合麻杏甘石湯(煎)を処方.二番煎 じ(煎じた後の生薬滓を再度煎じる)を祖父が飲んだ. 喘息消失.その後本人と祖父だけ風邪をひかない.その 冬の風邪の大流行時にもひかない.5ヶ月後治癒. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,32-33) ☆本例では,免疫系に影響があったのではないかと思われる. 小柴胡湯では同様の経験をするが,麻杏甘石湯だけでは,このよう な効果はない.副鼻腔炎
7歳女児. 1978年.小学2年.幼稚園児から副鼻腔炎 で鼻閉,黄鼻汁,後鼻漏.頭重痛,肩こり,項のこわば り,汗をかきにくく,冷たい飲食物を好む. 120㎝,24㎏.皮膚ざらつく.葛根湯加辛夷川芎各1.5, 石膏6.0,薏苡仁5.0を処方. 半年後,鼻閉,頭重痛消失.学校の成績抜群,ビリか らクラス一番となり,担任の先生驚く.同級生の母親 数人来診,「頭の良くなる薬をくれ」と云う.「あれば私 が飲む」と答える. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,271-272) これは 7 歳の女の子で副鼻腔炎。幼稚園のときから鼻が悪いんですね。もちろん耳鼻科にかかっているの ですが、なかなかよくならない。鼻が詰まる。黄色い鼻が出る。それで胃腸には問題がないので、葛根湯加 川芎辛夷に少し加えてあげたんですね。半年くらいで鼻の症状がすっかりよくなった。 問題は学校の成績が抜群になったんです。それまでクラスで一番下だったようです。それがクラスで 1 番 の成績になって、担任の先生が驚いたそうです。まもなく同級生の母親が 3 人来ました。「頭がよくなる薬をく れ」というから、「あれば私が飲む」と言ってお引き取りいただきました。 口訣というのは処方の使い方のコツというか、そういうものを日本の漢方の医師たちが考えたんですね。こ れは頭痛に釣藤散。旧ソ連の時代に、私が北里の東洋医学研究所の外来担当のときにおいでになったん です。高血圧で、なかなか血圧が下がらない。ときに 220、降圧剤を飲んでいてもずいぶん高い。 しかし、一番の主訴は頭痛なんです。それも朝 4 時から 5 時に激しい頭痛のために目が覚める。そのほか いろいろなことを言っていました。通訳を通じての質疑です。その頃は外国に一般人が出るというのはなかな か難しい国ですから、本人に「どうして日本においでになったんですか」と言ったら、「東洋医学の治療を受 けるために来た」というから、それでは責任があるなと思ったりしました。 この方を診察すると、いくつかの症状はありますが、決定的だったのは、大塚先生の「釣藤散は早朝の頭 痛に有効なことが多い」という言葉です。そのことを根拠に、釣藤散を少し下腹の圧痛もあったので瘀血もあ るかなと思って、桂枝茯苓丸も兼用にしたんです。 2 週間後にほとんど頭痛が消えたというので、どちらが効いているのかなと思って、釣藤散だけにしたんで すね。桂枝茯苓丸をやめた。順調によくなって、2 カ月半後に帰国しましたが、このとき血圧も下がっていまし た。この症例から、漢方薬というのは外国人にも効くときは効くんだなということと、口訣、古い口訣だけでなく て、こういう新しい口訣もときに参考になるということを知りました。口訣の面白さ:頭痛
に
釣藤散①
67歳女医(旧ソ連).1989年.北里東医研外来. 2年来高血圧治療中,時に最高血圧220.朝4時か ら5時に激しい頭痛のため目覚める.首こり,吐き 気,時々頻尿,悪寒.後頭部の圧迫感が取れない. 目の疲れ,みぞおちのつかえ,手足の冷え,不眠 傾向,易疲労.自国の脳神経専門病院で頭部血流 異常と診断され降圧剤等無効.東洋医学の治療を 受けるため来日したと云う.口訣の面白さ:頭痛
に
釣藤散②
160㎝,71㎏.腹部は柔らかで軽度心下痞鞕と右胸 脇苦満,腹部大動脈拍動を触知,右下腹部に圧痛. 血圧140-104.顔貌苦悶状,態度が硬い. 釣藤散料(食前)を処方.桂枝茯苓丸料(食後)兼用. 2週後著効.釣藤散料のみとし,4週後頭痛消失.2ヶ 月半後帰国時血圧130-90. (松田邦夫『症例による漢方治療の実際』創元社1992,129-131) 大塚敬節口訣「釣藤散は早朝の頭痛に有効」. 私が漢方薬を使い始めた頃は、飲んでくれる人がいないんです。当時、今から 45 年くらい前、大学をやめ てから、認知されていないので自分で飲む、あるいは身内の者、近親者に飲んでもらうということで効果を確 かめる。そして内科中心から、だんだんにほかの科の患者さんにも範囲が及んできました。 治ると患者、その家族が非常に喜びます。そのときに医師としての喜びを感じます。あるいは非常に気難 しい人だったのですが、よくなってくると、この人、笑ったこと、あるのかしらと思うような、いつも苦虫を噛み潰 したような人が、ときにスマイルを見せてくれる。そのように親しくなれたときも、やはりうれしいです。 私は漢方の世界に入ってから、昔はすぐほかの科へ回していた、専門外と思う患者を自分で診る機会が 増えました。すべて医療に携わる者は、誰でも広い知識を常に追い求めることが大切だと思います。 西洋医学のベテランの先生は漢方に興味をもつ人が多いです。漢方独特の視点に興味をもつからだと思 います。漢方には独特の世界があって、経験的に説明します。それは臨床的に有用なことが多いです。漢方の魅力①
初め漢方薬を自分から始め,近親者に飲んでも らって効果を確かめた.対象は,内科中心から次 第に各科へと範囲を拡げていった. 患者,そして患者の家族が喜ぶとき,医師として の喜びを感ずる. 気むずかしい人と親しくなれたときも同様である.漢方の魅力②
私は漢方の世界に入ってから,昔はすぐ他科へ 廻していた患者を自ら診る機会がふえた.すべて 医療に携わる者は誰でも広い知識を常に追い求 めることが大切である. 実際,西洋医学のベテラン医師は漢方に興味を 持つ人が多い.漢方独特の視点に興味を持つか らである.漢方には独特の世界があり,経験的に 説明する.それは臨床的に有用である. 私は漢方の世界に入って、大塚敬節先生という名医に会うことができたのは非常に幸運でした。半信半疑 だった私が先生の治療を見て、だんだんに引き込まれていったという感じです。しかし、治せない患者はいま す。理解できない患者もいます。そういうときの医師の態度、考え方が問われるということも知りました。 私は漢方を学ぶことによって、西洋医学と違う視点をもつようになりました。西洋医学の気づかない病態に 気づく、かつ幅広い治療手段を得られたというのは、この医学を学ぶことの醍醐味だったと思います。ただ、 漢方だけの専門にとどまったら、かえって漢方のよさは消えます。漢方治療では患者さん、あるいはそういう関係者と心の交流が深く、付き合いもまた長くなります。治療を 通じて医師の側も変わりますし、あるいは患者から教えられることもあります。患者が変わって、医師の側も変 わることがあります。 今申し上げたような症例を通じて、私は漢方の道にだんだんと魅了されて引き込まれて今日まで歩いてき ました。患者が教えてくれるという、かつての大塚先生の言葉を実感しています。