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アントニオ・ビアンキーニ「諸芸術における純粋主義について」(翻訳と解題)

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Academic year: 2021

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【翻訳】 文筆家たちの閑暇は,消え去ると同時に忘れられてしまうような,つまらぬ論争に 費やされることしばしばである。今日にあっては,言語やロ!マ!ン!主!義!についての論争 がそうであった。芸術家たちの間では,純!粋!主!義!(purismo)と非!純!粋!主!義!(impurismo) をめぐる論争もまた同様であるように思われる。すべては自尊心から生まれた論争で あって,真実への秩序ある愛から生じたものではない。何が問題となっているのかを 検証することも,定義づけることも,あるいは同じことだが,それをよく知ることも ないままに,ただ他人の言葉のみを借りて意見が出されることから判断して,これは 明らかである。いやしくも真実を正しく愛する者であれば,新しいものを知る前にそ れを糾弾することはないであろうし,新しいものを知るためには,それを表明してい る者たちの方を向かねばならないのだが。そのために,多くの者たちが純!粋!主!義!を公 然と非難し,この慎ましい一派に数多の偽りをなすりつけて,かくも些細なことに対 してあらゆる種類の権威を行使しようと待ち構えた何とも無分別な人々が,この一派 に不快感を抱くこととなったのだ……。 俗に純!粋!主!義!者!た!ち!のものとされる過ちは,以下のものである ―― 1.自然をあらゆる欠点とともに惨めにかつ執拗に模写すること 2.成人した絵画がチマブーエとともに再び子供に戻り,チマブーエやその同時代 人たちから素描や絵画を学ぶのを望んでいること 3.陰影を施すための技巧,およびマ!ッ!ス!やキ!ア!ロ!ス!ク!ー!ロ!の名のもとに理解され

アントニオ・ビアンキーニ

「諸芸術における純粋主義について」

(翻訳と解題)

松 原 知 生

西南学院大学 国際文化論集 第25巻 第2号 129−138頁 2011年3月

(2)

るすべてを忌み嫌っていること 4.コッレッジョやミケランジェロのみならず,《聖体論議》以後のラファエッロ の絵画すべてを非難していること 5.他の者たちがフランス風に風!俗!(costumi)と呼ぶような衣装や建築の違いに よって,さまざまな時間と場所に区別を設けようとしないこと。他にも思いつ いたのだが忘れてしまった。 さて,純!粋!主!義!の見解と起源を述べよう。この一群がすべてドイツからやってきた とは私は信じない。少なからぬ芸術の研究者たちが,各地にいていまだ互いに知り合 うこともないまま,ある改革について考え,言い始めてから,20年あまりが経っただ ろう。そしてこの改革は,おそらく彼らの言葉や範例によって,あるいはたぶん自発 的な運動によって,イタリアのいくつかの地方,またドイツとフランスの多くの土地 に到達し,今も広まりつつあるのである。私が純!粋!主!義!について話すことになったの は1833年のことである。その少し前に,言語についての大きな論争があり,その際ト レチェント〔14世紀〕の信奉者たちは純!粋!主!義!者!と呼ばれた。当時芸術よりも言語の 研究に専心していた私は,これと同じ名前を上述のたぐいの芸術家たちに与えた。そ れが口伝えに広まり,短期間のうちに広く用いられるに至ったのである。これらの芸 術家たちが言うには,人間の生と働きが壮年の卓越性から衰えざるを得ないように, 素描の諸芸術もまた,齢を重ねるとともに壮年の卓越性から凋落してしまったのであ る。すべてがあるひとつの目的のために作られ,すべてがそれに適っていることを示 すことにより,自然があらゆる部分においてその創造主の叡智を証するように,わ!れ! わ!れ!人!間!と!そ!の!意!志!お!よ!び!理!解!の!効!力!に!対!し!て!も!,!や!は!り!あ!る!ひ!と!つ!の!目!的!が!示!さ!れ! て!い!る!の!で!あ!り!,!そ!の!目!的!に!ど!の!程!度!達!し!て!い!る!か!に!よ!っ!て!,!各!々!は!称!讃!さ!れ!た!り!叱! 責!さ!れ!た!り!し!な!け!れ!ば!な!ら!な!い!。絵画の目的とは,眼の働きによって何らかのことを 魂の中にもたらすことであり,それは言葉の目的が,耳の働きによってそうすること であるのと同様なのである……。 それゆえ彼らは,素描と彩色は芸術の素材と手段であり,その目的は教えることと 動かすことであるということを思い起こした。そのため,農夫が曲がった木を真直ぐ にするだけでは満足せず,反対側に曲げるのと同様に,彼らも若い人々をラファエッ ロの時代へと連れ戻すのではなく,時間をさらに遡らせて,ジョットとその同時代人 −130−

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たちに学ぶよう助言したのである。だが,ここで注意したいのは,彼らが,裸体の素 描や複数の顔料の配分,諸平面の正しい際立たせ方,その他の類似した効果をいにし えの画家たちから学ぶことができると信ずるほどには,視覚も知性も失ってはいな かった,ということである。むしろ彼らはそこに,表現された諸事物すなわち絵画の 主題の,厳格で単純で明白な表明を探し求めるのである。したがって,人間は不足し ていても過剰であっても完璧へと到達することはできない以上,彼らはよりましな欠 点の方を優先すべきだと考えるのである。すなわち,無益だがそれを用いるものに とっては好ましい手段を愛するあまり,目的を投げ出したりなおざりにしたりするよ りも,それ自体としてはほとんど人を楽しませないがしかし効果的な手段によって目 的を目指す,ということである。私が先に述べたように,ジョット,ガッディ一族, ブォナミーコ〔・ブッファルマッコ〕,シモーネ〔・マルティーニ〕が,偶!有!性!に拘 泥することなく明白に理念を表明しているかどうかを論じても無駄であろう。という のも,このことを否定する人々はほとんど皆,いにしえの絵画について知ることを嫌 がりつつ嘲笑するからである。その抜け目なさたるや,〔マンゾーニの小説〕『いいな づけ』など読んだことがないと言ったり書いたりしながらその悪口を吐いていた者と 同様なのである。したがって,いにしえの画家や純!粋!主!義!者!た!ち!のことを知りもしな い者たちが言うところとは異なり,自然を微に入り細に入り模写することは,いにし えの人々の習慣というわけでもなければ,純粋主義者たちの意図するところでもない ことが,誰にでも分かるだろう。というのも,存在する物体(とりわけ人体)を厳密 に模倣することは,主題にふさわしくない多くの性質を模写するよう作者をしばしば そそのかし,また観者をして外見をうっとりと眺めるよう仕向けるため,精神でもっ て表現の真髄に到達することを遅らせてしまうからである。これに加えて,視覚の下 賤な刺激のためにではなく,誰もが感じ,望み,体験し,行なうことを表現するため の至高の活字として,人間の形態が芸術家に奉仕するならば,顔に刻印された怒りや 喜びを彼に易々と示すような人間の動的な活力を抑えこむことはできないであろうし, 君主〔の顔〕に現れる怒りや喜びを乞食のものととり違えることもありえないだろう。 ところで,力強く明敏な話し手になることを望む者はまず,言葉の真の意味と音を記 憶し,あらゆる想念が思考の中で適切な記号をまとって表現され,その記号とともに 言葉へと心地よく下り来たるよう,知性と言語を少しずつそれらに慣らさなければな らない。これと同様に,若い人たちは人体のかたちを忠実に模写し,それらをすべて アントニオ・ビアンキーニ「諸芸術における純粋主義について」(翻訳と解題) −131−

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記憶し,老人を若者から,健常者を病人から,洗練された人を粗野な人から,弱い人 を剛健な人から,何としてでも区別する必要がある。こうしたことは,ごく些細な兆 しによって現れることがあり,注意しなければ感じとることはできないのである。こ うして,純粋主義者たちの間では,大人がすべきでないことを少年たちが行なうこと が望まれると説明することにより,第1の告発は取り除かれる。またこれは,ドイツ 人が考え出したことでもなければ,新しい考えでもないし,ゴシックの古美術によっ て呼び覚まされた考えでもない ―― われらが告発者たちはもう少しよろしく歴史を読 まれるとよいのだが!いにしえの素描において熟考されるならば!それがレオナルド, ラファエッロ,ミケランジェロによって教えられたものであることを,誰が否定しよ うか。純!粋!主!義!者!た!ち!は,芸術をあるひとつの目的へと整え,決してこの目的を見失 わず,常に魂に語りかけるべきであることを仄めかし,いにしえの画家たちの範例を それ自体よきもの,欠点においてより非難すべき近代人たちの過剰とは対極にあるも のとして推奨したが,何ものも無理に模倣したりしないし,ある様式よりも別の様式 の方と友情を保つようなこともない。彼らはむしろ,眺められたものを,各々にとっ てより好ましい外観において,想像力の中で錬成し,それを自身の気質と力に応じて 再現するよう勧めるのである。光をよく理解する者は影でもって語ればよいし,色に より敏感な者は色調で語ればよく,形のことをより考える者は素描で語ればよいが, 皆が語るべきであり,声を聞かせるだけでなく自分を理解させなければならない。そ れゆえ,純!粋!主!義!者!でない者たちが,そうあろうとせず,またそうなっていないにも かかわらず,純!粋!主!義!者!と呼ばれることもあれば,おそらく本人は望んでいないのに, われわれによって純!粋!主!義!者!とみなされる人もいる。この名がいまだ存命中の人々に 憎しみを抱かせるものにならないよう,私は次のことにだけ触れておこう。すなわち, ボローニャの絵画館において鑑賞されている,グイド・レーニが描いたかの《十字架 から降ろされたキリスト》〔《メンディカンティのピエタ》を指すか〕が,純!粋!主!義!者! た!ち!によって,他のいかなるより高貴かつ雄弁な絵画にも劣らず崇拝されている,と いう事実である。ここで私は一連の非難のうち4番目のものへの回答に移ることがで きるように思われる。すなわち,われわれがミケランジェロ,コッレッジョ,そして 《聖体論議》以後のラファエッロその人までをも侮蔑している,という非難である。 彼らのいずれの作品においても次の2つの側面を区別しよう ―― 1.魂に語りかける という責務あるいは目的。2.諸手段の外面的な美。画家が自分の栄光のために,芸 −132−

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術のさまざまな困難に挑み,勝利しようとした場合は常に,この画家は高潔なる目的 よりも自己愛の方を優先したのだと,われわれは考える。したがって,われわれはラ ファエッロ晩年の絵画群に困難なるものを見出すのであり,この点で晩年作を初期の 作品群と対置する。だが,よりわれわれの心の琴線に触れるのは《聖体論議》の効果 的で控え目な単純さの方であり,そこには技巧の洗練もまったく欠けてはいない。と はいえわれわれは,ラファエッロの技巧は決して過剰に陥ることはなかったと明言す るのだが。他の画家たちについても同様に論ずることができる。われわれは神のご加 護により,ミケランジェロの高貴な苛烈さを前にして精神が目覚めないほどには愚鈍 ではなく,完全に自己に没頭した精神は,イメージよりも生ける人間たちの至高の創 造精神に敬意を表することはないのである。5番目の非難に対しては,衣服や建築に おいて,扱われている物語の時代と場所の習慣に従うことを禁じるような純粋主義者 がいるなどとは聞いたことがないため,何と答えてよいか分からない。また,純!粋!主! 義!者!の名をもつひとりふたりが行うことに基づいてその原則を論じるのは,賢明な人 のやることではなかろう。われわれが考慮すべきはただ,髪型や建物もまた絵画言語 の一部であり,物語を表明するという目的のために秩序づけられた手段なのだから, 十分に気を配るべきである,ということであり,それ以上ではない。つまり,過度に 研究熱心な装飾の探究者たちが,観者が特に注意すべきものから気を散らさせない程 度に,ということだ。こうした隷従的な見せかけ,こうした幼稚な博識のひけらかし に,私はいにしえの画家たちの無骨な単純さを対置する。彼らは,たとえば捕われて 連行されるキリストを表現するにあたって,彼らと同時代の悪党どもや兵士たちを目 立つように描いたが,それは,悪党や兵士という観念が民衆の記憶に刻みこまれてい るのは同時代の衣服を着た姿によってのみであり,その記憶を呼び覚ます必要がある ということを理解していたからである。何においても中庸こそは最良である。だが誰 がいつも中庸に留まっていることができようか。私は幾人かの酷評家たちに尋ねよう, 彼らが時おり表現するかの英雄たちは,家にいても戦争でも,夏でも冬でも,いつで も裸でいたのか,と。ホメロスは英雄を頭から足まで覆う服を描き出している。フェ イディアスはその手足をすべて露わにしており,彼らも同様である。したがって,近 代人たちがあまりに厳格すぎるか,彼ら以前には絵画というものが存在しなかったか, どちらかである。父祖や使徒たちの衣装を16世紀の習慣に従って描いた廉でラファ エッロを告発する幾人かの人々の無様な振る舞いは,非難よりもむしろ同情に値する アントニオ・ビアンキーニ「諸芸術における純粋主義について」(翻訳と解題) −133−

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ように私には思われる。この天使〔ラファエッロ〕は,自らの天上的な知性の最後の 証として,〔ヴァチカン宮殿の〕ロッジャ群に新しい言語を残した。それは,聖書を 堂々と表現し,ほとんど色づけるために,彼がまったく独力で見つけ出した言語であ る。人物像や頭部,行為,衣服といった諸々の特徴=文字に認められる様式は,見る 者の思考をナイル川からヨルダン川へと心地よく導くのであり,感覚を芝居がかった 華美さによって刺激することは決してないのである。教会のための絵画がそれに訴え るのが望ましい,いっそう厳格な法のいくつかについても述べておくべきかもしれな いが,別の機会に論じたことであるし,またとりわけこれについて私より適切な裁判 官たりうるに違いない人々に異議を唱えては無益であろうと思う。さらに言えば,純! 粋!主!義!者!と呼ばれる人々が皆これについて同じ掟に従っているというわけではなく, 各々が他人ではなく自分の精神に基づいて判断しているのである。 アントニオ・ビアンキーニ 賛同者 F.オーヴァーベック トンマーゾ・ミナルディ ピエトロ・テネラーニ 【解題】

ここに訳出したのは,A. Bianchini, Del Purismo nelle arti, Roma s.d. の全文である。 1842年,ナポリの雑誌『ルチーフェロ』に発表されたこの文章は,同年ローマで抜刷 (パンフレット)として再刊された。訳出にあたってはバロッキによる校訂版を使用 した(Barocchi 1998, pp. 496‐501)。なお抄訳ではあるが英訳も存在し,そちらも適 宜参考にした(Harrison et al. 1998, pp. 211‐213)。原文でイタリック体になっている 箇所には傍点を付している。〔〕内は訳者による補足である。 著者アントニオ・ビアンキーニ(1803‐1884)は,ローマ生まれの文筆家・古典文 学研究家。当初はセミナリオやローマ大学で神学を修めるとともに,ドメニコ・コ ルヴィのもとで絵画も学び,細密画や水彩画を制作した。1827年にはメルクーリらと ともに印刷会社を設立し,自ら訳出したギリシア教父たちの註釈集などを出版した −134−

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が,翌々年に会社は倒産してしまう。その後,1833年より「ローマ美術愛好家協会 (Società romana degli amatori e cultori di belle arti)」の秘書を20年にわたり務めた。 1850年代には,スビアコのサンタ・スコラスティカ聖堂地下礼拝堂の壁画や,オル ヴィエート大聖堂コルポラーレ礼拝堂のフレスコ画など,プリミティヴ絵画の修復も しばしば行なっている(ビアンキーニの経歴については,Di Genova e Orioli 1968 お よび Barocchi 1998, pp. 697‐698 を参照)。 さて,「諸芸術における純粋主義について」は,ビアンキーニが1830年代末から40 年代初頭にかけて,ローマ美術愛好家協会において行なった複数の講演がもとになっ ており,純粋主義について書かれた最初の理論的な宣言文として知られている。19世 紀前半から統一期にかけてのイタリアにおいて隆盛をみた「純粋主義(プリズモ)」 とは,古典主義的な芸術規範を拒絶し,チマブーエから初期ラファエッロまでの「プ リミティヴ」な絵画に回帰,そこに霊的・道徳的な価値を見出そうとした芸術傾向で ある。その契機となったのは言うまでもなく,1810年代に始まるオーヴァーベックを 中心としたナザレ派の画家たちのローマ滞在であった。他方,彼らの動向にいち早く 応答したイタリア人として重要なのが,ビアンキーニの師でもある画家トンマーゾ・ ミナルディである。彼は1834年,聖ルカ・アカデミーにおいて,「イタリア絵画の本 質について,その復興から完成期まで」と題した講演を行ない,翌年に刊行した。そ の中で彼は,14世紀こそ芸術が最も崇高であった時代であり,絵画は簡潔ではあるが キリスト教的感情を十全に表現していたと主張する。しかし15世紀になると,マザッ チョやアンジェリコ(いずれも「ジョット的(giottesco)」とされる)などの例外を 除き,技術の向上と反比例して道徳が低下していき,さらに16世紀になると,《聖体 論議》のラファエッロを頂点として,その後の絵画は衰退の一途をたどっていくとい う。 さらに,建築家・批評家のピエトロ・セルヴァティコもまた,『今日のイタリアの 物語画家の教育について』を1842年(ビアンキーニによる文章と同年)に刊行した。 その中で彼は,芸術の目的とは「真(il vero)」の表象と「情動(movere)」であるが, ジョット,オルカーニャ,アンジェリコ,ペルジーノ,ラファエッロに見られた宗教 感情は,古代の模倣やアカデミーの教育により衰退してしまったと嘆いている。こう した前ラファエッロ芸術再評価の傾向をさらに助長したのが,フランス人アレクシ ス=フランソワ・リオの『キリスト教の詩情について』(1836年),とりわけそのイタ アントニオ・ビアンキーニ「諸芸術における純粋主義について」(翻訳と解題) −135−

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リア語訳である。1836年から翌年にかけて,著名な政治家・歴史学者チェーザレ・カ ントゥーが抄訳し,その後1841年に全訳が出版されると,前出のミナルディ,セル ヴァティコ,そしてビアンキーニその人によっても高く評価された。 だが他方,このような流れに批判的な批評家たちも根強く存在した。たとえば建築 家兼ジャーナリストのフランチェスコ・ガスパローニは,『ローマでのカーニヴァル の一日』(1838年)の中で,古典主義的な立場から純粋主義を批判した。彼によれば, 「純粋主義」とは語義的に,超越論的な理想を追求するものであるはずだが,今日の 「純粋主義者」たちは,中世という不適切・不完全な規範に従っている点で矛盾して いる。つまるところ彼らは「トレチェントの奴隷」,偽装したロマン主義者にすぎな い,というわけである(純粋主義をめぐる論争の経緯は Cardelli 2005 に詳しい)。 こうした批判に応えるかたちで執筆されたのが,ここに訳出した「諸芸術における 純粋主義」である。 その中でビアンキーニはまず,「純粋主義」という語と運動の起源について述べる。 彼によれば,この語は元来,言語に関する論争の中で,14世紀のイタリア俗語の信奉 者たちを指すために用いられていたが,それを1833年,彼が初めて造形芸術に応用し たのだという。続いて,この運動の起源がドイツ人(ナザレ派)にあるという一般的 な説を否定し,それが各地で同時多発的に生じたものだとする。自国の中世美術再評 価をめぐるドイツへの対抗意識,あるいはかの国に〈お株〉を奪われることへの危機 感は,当時の他のイタリア人たち(タンブローニやセルヴァティコ)にも共通するも のであった。ビアンキーニによれば純粋主義とは,「ドイツ人が考え出したことでも なければ,新しい考えでもないし,ゴシックの古美術によって呼び覚まされた考えで もない」のである。だが,純粋主義という新語を冠した運動が「新しい考え」でもな ければ,通常理解されているところとは異なり「ゴシックの古美術」という過去に回 帰するものでもないとは,一体どういうことなのか。ビアンキーニの考える純粋主義 の内実を今しばらく探ってみよう。 ビアンキーニによれば,造形芸術は唯一の目的しかもたない。それは「魂に語りか けるという責務あるいは目的」であり,言い換えれば「眼の働きによって何らかのこ とを魂の中にもたらすこと」,「教えることと動かすこと」,つまり教育と情動である。 この目的を果たしうるものであれば,素描,色彩,明暗法など,どのような様式的手 段に訴えても,どの造形要素を強調(あるいは除外)してもよい。逆にいえば,上記 −136−

(9)

の目的にさえ到達できれば,こうした様式上の「外面的な美」は問題にならないので あり,純粋主義者がキアロスクーロを放棄しているといったような批判は,まさしく 「外面的な」ものにすぎないのである。 ビアンキーニはまた,プリミティヴ画家たちの「厳格で単純で明白な表明」,「無骨 な単純さ」を,絵画の目的に適うものとして評価しながらも,純粋主義者たちは「何 ものも無理に模倣したりしないし,ある様式よりも別の様式の方と友情を保つような こともない」とも書く。だとすれば純粋主義とは,通俗的に理解されているような, 中世絵画へと回帰しその表現様式を「外面的」に模倣する歴史主義的な運動ではなく, その「目的」の達成度によって規定されるものであるということになる。むしろ彼ら は,キアロスクーロの劇的な対比を用いたバロック画家グイド・レーニの作品も崇拝 しているし,プリミティヴ的簡潔性とは相容れない「ミケランジェロの高貴な苛烈 さ」に刺激を受ける感性と寛容さをももちあわせている,というわけである。さらに ビアンキーニは,純粋主義的な考え方の起源にあるのは中世絵画ではなく,レオナル ド,ラファエッロ,ミケランジェロという盛期ルネサンスの3大巨匠,特にその素描 であるという,古典主義者と紛うような見解さえ述べている。 こうした論述から明らかとなるのは,様式的相対主義ともいうべき特異な立場であ り,それが1830年代から40年代初頭にかけての論争の中で形成された,協調的な妥協 の産物であることは否定しがたいように思われる。近代美術史や批評史の概説書,あ るいは辞典類において,この文章はしばしば「純粋派宣言」として言及される(たと えばヴェントゥーリ,1971年,176頁)が,これは通常の意味での宣言(マニフェス ト),つまり,純粋主義というムーヴメントの起源にあってその方向性を明確に規定 する予言的なテクスト ――「未来派宣言」あるいは「空間主義宣言」のごとき ―― で は決してない。純粋主義への5つの批判に対する弁明という形式をとっていることか らも分かる通り,ビアンキーニのテクストは,論争に対応するかたちで,いわばネガ ティヴな仕方で徐々に形成され,しかるのちにオーヴァーベックやミナルディといっ た権威から〈お墨付き〉を得ることでようやく自己の積極的な正当性=正統性を確保 しうるような,一連の論争の「事後的な決算書」(Barocchi 1998, p. 698)とも言うべ きものなのである。 したがって,このテクストの中に,純粋主義の絵画様式の根拠となったような表現 上のモティーフ=動因,あるいは同一の「掟」を探そうとしても徒労に終わる。むし アントニオ・ビアンキーニ「諸芸術における純粋主義について」(翻訳と解題) −137−

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ろ,そうした具体的な様式規定をかわす曖昧さこそが,この文章の最大の特徴をなし ている。そして,様式的に〈なんでもあり〉が認められるとすれば,「純!粋!主!義!者!で ない者たちが,そうあろうとせず,またそうなっていないにもかかわらず,純!粋!主!義! 者!と呼ばれることもあれば,おそらく本人は望んでいないのに,われわれによって純! 粋!主!義!者!とみなされる人もいる」という奇妙な事態に至るのは必然である。ビアン キーニの定義する純粋主義は,明確な様式的定義づけ(definizione)を拒むことによ り,逆にその境界線(confine)を果て(fine)なく伸張させ,批判者たちの足元まで なし崩し的に侵食してしまうような,戦略的かつ〈けじめなき〉純粋主義である。こ の意味において,それが「規定的というよりもイデオロギー的」な純粋主義であると いうカルデッリの指摘(Cardelli 2005, p. 107)は,的を射たものであると言えるだろ う。 【参考文献(文中で言及されたものに限る)】

‐ P. Barocchi, Storia moderna dell’arte in Italia. Manifesti, polemiche, documenti. I. Dai neo-classici ai puristi, 1780‐1861, Torino 1998.

‐ M. Cardelli, I due purismi. La polemica sulla pittura religiosa in Italia 1836‐1844, Firenze 2005.

‐ G. Di Genova e G. Orioli, “Bianchini, Antonio” ad vocem, in Dizionario biografico degli italiani, vol. X, Roma 1968, pp. 180‐182.

‐ Ch. Harrison, P. J. Wood, J. Gaiger (eds.), Art in Theory 1815‐1900. An Anthology of Changing Ideas, Malden-Oxford-Carlton 1998.

‐ リオネッロ・ヴェントゥーリ『美術批評史』第 2 版,辻茂訳,みすず書房,1971 年 【附記】

本稿は,「近代西欧に於ける「ラファエッロ以前」問題の研究」(科学研究費補助金, 基盤研究(B),2007∼09 年度,代表者喜多崎親)による研究成果の一部である。 −138−

参照

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