第70巻 第2号 1997年 9月 169-181
研究ノート
トゥーランドット物語の変遷
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l i r -+ 1 . は じ め に ヨーロッパの神話や民話の歴史において,謎解きを重要な題材とするものが数多く スフインクスの謎であろう。ギリシアの 見られる。その中でもっとも有名なものは, テーパイの近くに住み,女性の顔と獅子の姿を持つ怪物スフインクスは,通りかかる 旅人に謎をかけ,謎が解けないと命を奪っていた。ある日,オイディプスが謎を簡単 スフインクスは恥じて断崖に身を投げて死んだ、という。その有名 に解いてしまうと, な謎は「朝は四つ足,昼は二本足,夕べは三本足」で,答は「人間」とされている。 テーパイの王として迎えら 謎解きに成功しスフインクスを退治したオイディプスは, れる。その後,テーパイが疫病に襲われ,先王ライオスの殺害者を探し追放せよとの 神託が下り,殺害者を見つけるという新たな謎に直面する。そして実はオイディプス が自分の父ライオスを殺害し,実の母と結婚したという事実が判明し,眼をえぐって 放浪する。この謎解きを主要なモチーフとして根幹に内包するオイディプス王の物語 は,ギリシア悲劇などでよく知られている。 スフインクスの謎は,解けなければ命を失う点で, Halsratsel (首を賭けた謎)と言 (1) えるカミ この種の謎としては, トゥーランドットの謎もスフインクスの謎と並び有名 である。中国の王女トゥーランドットは,結婚の条件として3
つの謎を解くことを求 婚者に出し,それに正しく答えられなければ首をはねるという内容である。このトゥー der Bayerischen Staatsoper, ( 1) Gaertner, M. Uber das Ratsel.In: Programmheft Puccini: Turandot 1987, S. 44.170 香川大学経済論叢
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ランドットの物語は,古来,多くの劇作家や作曲家の興味を喚起し続けてきた。もつ とも有名なプッチーニのオペラ以外にも,様々に扱われている。また昔話の研究家リユ ティは, このタイプの昔話をR
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(謎かけ姫)の昔話と分類し,謎かけ (2) を題材とする昔話にも多様な形態のものが存在することを示している。 この研究ノートでは,謎かけ姫トゥーランドットの物語を, これまであまり詳しく 追求されては来なかったこの物語の起源を探り, その後の謎の内容などの変遷にも考 察を加えながら,今後のさらなる研究への糸口を探りたいと思う。 II.ゴッツィ以前のトゥーランドット物語の原型 「トゥーランドット」は今世紀に入って, フやゾーニとプッチーニの二人の作曲家に よってそれぞれ別個にオペラ化されている。特にプッチーニの遺作となったオペラが この物語の知名度を高めているとは言えよう。このどちらのオペラの台本も,1
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世 紀 のイタリアのコメディア・デ・ラJレテの劇作家ゴッツィ (1720~1806) の「トゥーラ ンドットJ(
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が原作となっていることもよく知られている。しかしながら, ゴ子ツ ツィが「トゥーランドット」を書くにあたって何を典拠としたかについては, これま でにいろいろ詮索されてきてはいるものの, あまり明快に論じられているとは言えな いようである。プッチーニ研究の基本的文献を執筆しているカーナは,以下の2つの 物語から題材を得たのだろうと推測している。 どちらもペルシアのアラビア文学で,1
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世紀末にフランス語に翻訳された『妖精の小部屋(Le C
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世紀初めにアントワーヌ・ガランのフランス 語訳でヨーロッパに紹介された有名な『千一夜物語』だという。しかし,前者の物語 集に関しては,具体的にどの物語で、どんな内容を持っているかには触れられていない。 また後者の『千一夜物語』にしても, カーナが指摘し実際に分析しているのは, マル ドリュス版にのみ収録されている「九十九の晒首の下iでの問答」であるが, このマル ドリュス版が出版されたのは,1
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( 3) カーナ, M rプッチーニ』下 加納泰訳 音楽之友社,1
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頁。171ー トゥーランドット物語の変遷 325 参照したとは考えられない。ガラン版にトゥーランドットの原型となる物語が収録さ このカーナの説による解説が,現在 れていたのかどうか不明である。いずれにせよ, (4) の日本で広く流布しているようである。 それ以外の説についても紹介されている。例えば, さて海外の資料に目を移すと, ミュンへンのバイエルン州立歌劇場での上演プログラムに掲載されている論文では, クリステンもゲルトナーもペルシアのロマンス叙事詩人ニザーミー (1141~ 1209)の 名を挙げている。彼らによると,ペルシアに昔からあった謎かけ姫の伝承を初めて後 世に伝えたのがこのニザーミーの『七人像~ (翻訳では『七王妃物語~)であるという。 「五部作」で後世に名を残したニザーミーの 1197年に完成された 4作自の『七人像』 は彼の最大傑作とされているが,全体は枠物語で構成され,皇帝パアラームが7人の それ それぞれ別々の宮殿に住まわせ,曜日毎にそれぞれの宮殿を訪れ, 王妃を迎え, l l l i p h e l -i l l i t -B S I F E E l -T t t t } E l p t t E ぞれの王妃が自分の出身地にまつわる様々な話を皇帝に語るという構成になってい その中の一部で,全体の中心 4番目のロシア王妃が語る (5) 物語に含まれる。黒柳恒男氏の翻訳により話の概要をまとめると次のようである。 る。謎かけ姫に関する話も, ロシアの広大な・領土に住む王に,美貌と知性に恵まれた娘がいた。彼女は始終 求婚者に悩まされていた。そこで高い山を探し,堅固な砦を築き r砦の婦人」と してそこに住むことにした。その高い砦に通じる道に魔像を配置し,砦の門も空 高くそびえ立ち,容易に見いだせないようにした。自分に求婚するために4つの 条件を課した。第1が名声高く美男子である,第2が砦に到る道の魔力を取りの ぞく,第3が砦の門を探し出す,第 4が父の宮殿で謎解きに成功すること。 数多くの者(何万とも何千とも何百とも書かれている)が失敗して命を失った 後,ある美青年が,ある賢者に教えを請うた後に挑戦すhる。赤い服を着ることで, 魔像の魔力を解くのにまず成功し,太鼓の音で砦の門も発見。あとは4つの謎を 解くだけとなった。その謎のやりとりの内容は以下の通りである。 東洋文庫 191,平凡社, 1971年, 157~174 頁。 (4 ) 高崎保男「プッチーニ:歌劇《トゥーランドット}Jポリグラム【カラヤン盤 CD,レヴァ イン盤 LD] など。 (5 ) ニザーミー『七王妃物語』黒柳恒男訳
-172 香川大学経済論叢 326 王女の行為 求婚者の対応 1 耳たぶ、から 2つ真珠を外して渡す その 2つに別の 3つを加えて返す 2 砂糖を加え一緒に磨りつぶす 乳をかけて返す 3 指輪を送る 光輝く真珠を渡す 4 彼の真珠に自分の真珠を結びつける 青い破璃の玉を聞に通し返す こうしたやりとりによって,最終的に王女とこの求婚者は結ぼれることになる。 この物語で興味深いのは,謎といっても「なぞなぞ」のような謎ではなく,質問者 も解答者も秘儀的な行為によってやりとりする点である。それぞれの行為の意味は, 以下のように解釈されるという。 王女の行為 求婚者の対応 1 あなたの命はあと 2日だけ たとえ5日でもすぐ過ぎる 2 一緒に磨りつぶされた真珠と砂糖 一滴の乳で見分けられる は分離できるか 3 結婚への同意を示す この真珠のように私に匹敵する者 は得られない 4 私こそ相応しい伴侶 邪視を防ぐ 謎の内容はかなり秘儀的・錬金術的な要素が濃厚であると言える。謎かけ姫の物語が ペルシア起源だとしても,当初はこうした要素がかなり強かったのだろうと推測され る。まだ登場人物に名前はつけられていなしミ。以上がニザーミーの物語の中での謎か け姫の話の概要である。 カーナは, ゴッツィが「トゥーランドット」の典拠としたのは『千一夜物語』の中 の「九十九の晒首の下での問答」であるとして詳しく分析している。この物語は先に
327 トゥーランドット物語の変遷 -173 も触れた通り,マルドリュスによるフランス語訳に収録されているもので,佐藤正彰 氏による邦訳の第 844~847 夜の物語で読むことができる。 99 人もの若者が姫の出す 謎解きに挑戦して失敗し晒首になり, 100人目の挑戦者の王子が成功するという話で ある。聞の数は特に決まっておらず,長時間に渡って延々と謎解きが行われる。この 物語では, 12個の謎を解答し終えたところで,姫の声が疲れることを気遣った挑戦者 が,逆に姫に謎をかける。この謎を姫は解くことができず,この王子の青年と結婚す るという結末である。この12偶の謎の内容については,別表にまとめた通りであるが, 神秘主義的・錬金術的な問も存在する一方で,その後のトゥーランドット物語でも使 われる「一年」が答となる問も既に存在するなど,やや過渡的な内容を持っていると いえる。王子が逆に質問をするというのも,ゴッツィ以降の物語と類似している。 「九十九の晒首の下で予の問答」 問 空に主ヨ 1 自分(姫)とその周囲の女性たち 偶像と侍る女,太陽と陽光,月と とが似ているもの 周りの星々 2 西方の花嫁と東方の王子から一人 西方の湿気で東方の土を腐蝕すれ の子が生まれ,輝かしい帝王とな ば,全能の水銀を生む るとは 3 護符に霊験を与えるもの それを構成する文字 4 2つの永遠の仇敵 死と生 5 12の校を持ち,各々2つの房をつ 一年 け,一方は30の白い果実,他方は 30の黒い果実をつけている木 6 太陽を見たことのない地 紅海の海底 7 銅鐸を発明した者 ノア 8 なすもなさざるも法に違う行為 酒に酔った者の祈鵡 9 地上で点に一番近い場所 メッカの聖殿カアパ 10 人の秘めておくべき苦々しき事 貧窮 11 健康に次いで最も貴いもの 濃やかな友情 12 矯め直すのに一番難しい木 惑しき品性
-174 香川大学経済論叢 328 ところで, この「九十九の晒首の下での問答」の筑摩書房版での邦訳で,佐藤正彰 氏は,次のような注を付している。 これは『千一夜物語』には元来なく,前出の類書『千一日物語』に含まれる「カ ラフ王子とシナの王女JLe Prince Calaf et la Princesse de la Chinaとかなり似 た物語という。「カラフ」のアラビア語テキストは知られていないらしい。 (ショーヴァン『書誌』による) また, その『千一日物語』については,次のように記載されている。 『千一臼物語』全5巻は, Petis de la Croixの訳編により, 1710~1712 年にガラ ン訳の刊行中公刊され,非常に読まれた。しかしそのペルシア語その他の原典が あるかどうか疑わしい模様である。 (ショーヴァン『書誌』による) この注釈は大変に注目すべきものである。謎かけ姫の物語は『千一夜物語』ではなく 『千一日物語』に存在するらしいこと, しかも王女の居住地が中国,王子の名前がカ ラフ, このその後のトゥーランドット物語の骨子となる原型が,既にこの物語に端を 発することが了解されるからである。この『千一日物語』の中のトウ}ランドットの 物語の謎かけの部分は, (7) リュティの『昔話の本質』の「謎かげ姫」の章に引用されて いる。 「あらゆる国に住んでいて, あらゆる人の友達で,自分と同等の者を我慢できな いものは何ですか ?J カーラフが答えた。「ご主人様, それは太陽です。」学者が みんな叫んだ。「その通り。太陽です。」姫は言葉を続けた。「子どもたちを生んで, その子が大きくなると,飲み込んでしまうものは何ですか ?J ノガイ族の王子が
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頁。 ( 7 ) Luthi, M. ebd.. 102頁の文献表にdaspersische (Tur.andot) in Tausendundein Tag Leipzig, 1925. との表記がある。なお引用は野村滋訳 E昔話の本質』による。329 トゥーランドット物語の変遷 175ー 答えた。「海です。なぜなら川は海へ流れ込みますが,もとは海から生じたものだ からです。」 トーランドット姫は最後の質問のとき,謎を解く人をどぎまぎさせようとして, ヴェーJレを上げ,輝くばかりに美しい顔を見せる。けれどもカーラフは3度目も 勝つ。(この3行は,リュティによる説明) 「全部の葉が一方は白くて,もう一方は黒い木は何ですか?Jカーラフが言った。 「その木は年です。一年は昼と夜から成り立っています。」 引用に際して,謎の内容などかなり簡潔にされているのではないかと思われるが,謎 の数が3つであるのも,その後のトゥーランドット物語と同じである。シナの王女の 名前がトゥーランドットという名前かどうかはこの資料だけでは断言できないが,ク ロイパーによると「シナの王女トゥーランドットは『千一日物語(1001Tag)~ のペル シアの物語のヒロインである」とのこと,またブロックハウスの百科事典でも,トゥー ランドットの項で『千一日物語』のヒロインとの記述があり,おそらくこの物語で, 謎かけ婚の名前がトゥーランドットとされた可能性も高いように思われる。クリステ ンも, トゥーランドットの題材はニザーミーの叙事詩に登場したあと r千一日物語』 に盛り込まれ,これが1710年にFrancoisPetis de la Croixのフランス語訳でヨー ロッパに初めて知られるようになり,ゴッツィはこのPetisからこの題材を知ったと (8) 述べている。トゥーランドットの典拠探しの今後の研究は w千一日物語』に焦点が絞 られてきそうである。 以上のことから,ゴッツィ以前のペルシア起源とされる「謎かけ姫」物語について 次のようにまとめられる。もっとも初期のものと考えられるニザーミーの『七王妃物 語』では,謎の内容がかなり神秘主義的なもので,一般的な「なぞなぞ」の内容とは かなりかけ離れたものとなっている。「九十九の晒首の下での問答」では,問の数が
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と多く,神秘主義的・錬金術的な問も存在する一方で,その後のゴッツィ以降でも使 ( 8 ) Christen, N. Am Epochenende des Belcanto Giacomo Puccinis Schwanengesang }Turandot{ In: Programmheft der Bayerischen Staatsoper, 1987, S..9330 香川大学経済論叢 -176-われる「一年」が答となる問も存在するなど七王妃物語』とその後のトゥーランドッ トの直接の源泉になったと考えられる r千一日物語』の間に位置するような内容となっ ている。 ゴッツィ以降のトゥーランドット
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アラビア語テキストの存在が未確認だっ ゴッツィの「トゥーランドット」の典拠が, たりと,いささか正当性が判然とはしない『千一日物語』の可能性が高いことを,前 (1720~1806) は, 18世紀後半のイタリアの 章、では確認してきた。カルロ・ゴッツィ と相争った劇作家である。ゴルドーニはウゃエ ゴ lレドーニ (1707~93) 喜劇の領域で, ネチアで,従来の伝統的な即興喜劇であるコメディア・デ・ラルテに対し,新しい写 実的風俗劇で,市民・庶民性を取り入れた新しい喜劇を確立しようとしたが,ゴッツィ は日常世界からかけ離れたお伽話の世界を題材にして,伝統的なコメディア・デ・ラ ノレテの手法を再度復興させた。「トゥーランドット」以外にも, プロコフィエフがオペ ワーグナーが処女作「妖精」の題材とした「蛇女」 などがゴッツィのものであり,後世のメノレへン的な色彩を持つ作品の成立に関しでも, ( 1曲 かなりの影響を与えている。 ラ化した「三つのオレンジの恋J, このゴッツィが「トゥーランドット」を1762年にコメディア・デ・ラルテとして劇 ドイツの文豪 その後の物語の受容史に多大の貢献を果たしている。f
乍イじしたことは, シラー自身が1801年にドイツ語に翻 シラー (1759~1805)にも強い興味をいだかせ, ドイツ語圏にもこの物語を広めたからである。劇の中にコメディ 訳することにより, ア・デ・ラルテではお馴染みの 4人の仮面道化を登場させたのはゴッツィの発案であ (9 ) 岩倉具忠他『イタリア文学史』東京大学出版会, 1985年, 218頁。 (10) Rシュトラウスのオペラ「影のない女」の創作にあたっても,ゴッツィの影響が指摘さ れている。カイコパートとパラクという2人の人物の名前が,ゴッツィの「トゥーラン ドット」に登場していること。「蛇女」とそれに基づくワーグナーの「妖精」におけるい くつかのモティーフ。例えば妖精の娘が動物に変身すること,その動物を将来の夫が狩り で射ること,石に変身させられることなど。Borchmeyer, E Romantischer Feenzauber und sizilianischer Kamaval-Wagners Debut auf dem Musiktheater. In: Programmheft des Bayerischen Staatstheaters am Gartnerplatz, Wagner: Die Feen 1989, S.5 参照。
331 トゥーランドット物語の変遷 -177-ー ることは容易に想像できるが,中国の王女トゥーランドット,謎解きに挑戦する王子 カラフ,この 2人の主要登場人物の名前,それから謎の数が 3つであるという枠組み は,既に触れてきたように『千一日物語』に基づくものと思われる。ただし,
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つの 謎の内容については,ゴッツィもシラーも自分なりに翻案するにあたっては,いろい ろと考えたようである。謎の内容がそれぞれ異なっていることも興味深いので,次に まとめてみる。 千一日物語 コ。ツツィ シフー (1710) (1762) (1801) 太陽 太陽 年 2 海 年 目 3 年 アドリアの獅子 鋤 「年(一年)Jを答とする謎は千一夜物語』の中の物語でも用いられていたが,こ れら3つのいずれにも使用されている。ゴッツィでは,第3の謎の答だけが『千一日 物語』とは違って独自にヴェネチアの都市の紋章である「アドリアの獅子」になって いる。これは「海洋と陸地を支配する強大な動物」を問う謎への解答であり,ゴッツィ にとっては世界最強のシンボノレであった「アドリアの獅子'Jを第3の謎の答とするこ とで,自分の故郷への栄誉を讃えたものと理解される。またシラーが第3
の謎の答に 「鋤」を選んだのは,この農耕具を国家形成の基礎と考えていたことによるという。 この「鋤 (derPflug)Jに対する問は「傷はつけるが,血は流さない。誰も奪おうとは しないが,豊かにする。最大の帝国も最古の都市も築いたが,戦争を引き起こすこと はない」といった内容である。 シラーによる翻案は,その後,作曲家のウェーパー (1786"-'1826)によって付随音 楽も作曲され, 1809年にシュトウツトガルトでの上演の際に演奏された。今日では滅 多に演奏されない音楽ではあるが,ウェーパーは東洋的な雰囲気を出すために,ルソー (11) Rueter, G “N achwort" In: Gozzi, C. Turandot Stuttgart, 1965, S 96-178 香川大学経済論叢 332 の『音楽辞典n(1768)の巻末の譜例の中から「中国の歌 (AirChinois)Jという旋律 02) を引用しているのが面白い。この旋律は次のものである。 手存在半世a
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Paris, 1826)1943 年にヒンデミット(l 895~1963) が「ウェーパーの主題による交響的変容」という 曲を作曲しているが, この作品の第2楽章の「トゥーランドット・スケノレツォ」で,
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この旋律が一層効果的に使用されている。 IV. 20世紀のトゥーランドット ブ除ゾ一二、 (1866~1924)は1905年からゴッツィの「トゥーランドット」のための組 曲を作曲し,この音楽を 1911年にベルリンでのゴッツィの戯曲のラインハノレト演出に よる上演で使用した。その後,自作の台本を作成してオペラ化し, 1917年にチユ}リ ヒで初演した。一方, プッチーニ (1858~1924) は, たまたまベルリンでのゴッツィ の上演を見てはいたが,実際に作曲に取りかかるのは, 1920年,台本作者シモーニの 提案を受けてからである。 しかし1924年死去し,最後の未完の部分を弟子のアル ファーノが補筆した後, 1926年にミラノで初演された。 今世紀初頭のオペラともなると,謎の内容は, ゴッツィからかなりかけ離れ,独自 の個性が発揮されるようになる。まずブゾーニに関しては,以下の通りである。(12) Kemp, 1“Preface" In: Hindemith, P Symphonic Metamorphosis of Themes by Carl Maria von Weber for Orchestra London, 1984 によると, }レソーの譜例の出典 は次のものに拠るという。Jean-BaptisteDu Halde, Description geographique, histori -que, chronologique, politique et physique del'empire de la Chine et de la Tartarie Chinoise Paris, 1735
(13) ウェーバーとヒンデミットの両曲を 1枚に収めたCDに次のものがある。
Weber, Turandot Overture and March / Hindemith, Symphonic Metamorpho-sis The Philharmonia Neeme Tarvi, conductoL Chandos CHAN8766 にD),
333 トゥーランドット物語の変遷 -17 9-人心(dermenschliche Verstand) 這ったり飛んだり,暗中模索したり明りをつけたり,過去を探ったり未来を考え たり,惰性に流されたり意欲旺盛だ、ったり,慎重で従順だったり反抗的で思い上 がったりするもの。 習慣(dieSitte) 絶えず、変わるがいつも存在し,今日与えられでも明日は禁じられ,初めは皆が従 うがすぐに噸笑されるもの。 芸術(dieKunst) 人類の歴史の大苦から長年かけて成長した樹の校の先に高貴な花を咲かせるもの で,皆が魅惑されるが本当の価値を評価する者は少なく,選ばれたものだけがつ かさどる。人聞に喜びをもたらすために,天から与えられた贈物。 プ、ゾーニでは,第
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の謎の答が「芸術」ということで,芸術を称揚する意図も感じら れるが,全体としてやや硬い感じがする。これに比べると次のプッチーニのオペラで の謎は,かなり情熱的な印象を受けるものとなっている。 望み(Speranza) 深い夜に虹色に輝く幻が舞う。高く昇り翼をひろげる黒い無数の人々の上に人々 はそれを呼び,人々はそれを求める。しかし,明け方に幻は消える。心の中によ みがえるために,夜毎に生まれ,そして夜明けに死んでゆく。 血潮 (Sangue) 炎のように燃え上がるが,炎ではない。時には熱にうかされ,激しく燃えるよう な激情の熱となる。 無気力はそれを沈滞に変えてしまう。お前が敗れるか死ね ば,冷たくなる。お前が勝利を夢見るならば,燃え上がる。それには,お前が心 をときめかし耳を傾ける声があり,夕暮れの太陽に似た輝きがある。334 香川大学経済論叢 -18(}ー トゥーランドット (Turandot) お前の火からより冷たいものを取り出す。白くて黒いも お前に火を与える氷で, もしお前を奴隷とし お前をもっと隷属させ, の。もしお前を自由にしたければ, お前は王となる。 て受け入れるならば, 最後に第2次世界大戦後のトゥーランドットに関連して書かれた2つの作品に簡単 (1898~ 1956)の『トゥーランドットまたは潔白証 に触れておきたい。まずブレヒト であるが, 明者会議(Turandotoder Der Kongreβder Weiswascher) 1 (1953~4)
「真理を述べることにより知識人たちの立つ経済的土台が危機に陥る時は,知識人た ちはweiβwaschenして(黒を白と言いくるめて)嘘をつかざるをえない。(中略) 『トゥーランドット』は「知性の濫用」をテーマとする。(中略)現実を変革すること
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の出来ない非実践的思考が,インテリ遠のトゥーランドット姫を獲得するための滑稽 な演説に濫用され,インテリは人々の信頼を失い,ギャングの暴力によって逮捕され, 処刑され,また追放される」といった内容で,従来の気品ある姫のイメージがまったく 欠けたトゥーランドットであり,いささか滑稽な感じのする戯曲である。もう 1つ, ヒ Jレデスハイマー(1 916~9 1)の『龍の玉座 (DerDrachenthron)j (1955)でもトゥー トゥーランドット ランドットが登場するようだがr
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龍の玉座』に登場する王子は, 姫の難問の数々をよどみなく答えて求婚試験に合格しても,国家権力を援ろうとはし じつは結婚詐欺であることが判明する。詐欺師ζそ最高の知識人なの だ。この事笑は,権力のみ大上段に振りかぶ、って演説ひとつできない本物の王子の登 。 日 場によって,はっきり裏付けられている」といった内容を持つようで,いずれも,イン ない。やがて, テリや知識人の問題を扱う方便として,伝統的なトゥーランドットの物語が利用され ているようである。戦後のトゥーランドット物語の扱いについても,今後のトゥーラ ンドット研究の課題になるであろう。 (14) 根本萌騰子 rrトゥイ小説』と『トウランドット』におげるブレヒトの知識人問題Jrド イツ文学J69, 1982年, 301~331 頁。 (15) 丸山匠「ヒルデスハイマーについて」。ヒルデスハイマ_rモーツアルトは誰だったの か』丸山匠訳【所収}【, 210頁】,白水社, 1976年。335 トゥーランドット物語の変遷 -181-参 考 文 献 A 物語のテクスト ニザーミー『七王妃物語』黒柳恒男訳東洋文庫191,平凡社, 1971年。 「九十九の晒首の下での問答」佐藤正彰訳『千一夜物語IVI世界古典文学体系第34巻,筑摩 書房, 1970年。『千一夜物語 8Jちくま文庫, 1988年。
Gozzi, C [Ubertrag巴nvon P G Thun-HohensteinJ Turando.tStuttgart: Rec1am, 1965
Schiller, F Turando.tStuttgart: Rec1am, 1959/1987
Busoni, F Turandot [Busoni: Arlecchino/Turandot (CD) Vergin Classics, 1993J Adami, G..ISimoni, R Turandot 坂本鉄男対訳 [Puccini:Turandot (CD)ポリグラム,
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