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木蝋に就て(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

木蝋は本邦の晦産品であつて、英名をlapa≡喜︶JapPn諾getab−=蔓ハ又はJa篭n邑−OWといふ。 漆槙科に屈する撼︵HaN00︶の資より得られるが故にHa申印﹂言a国文は詳ze邑−芸とも科せられる。 媚は其の栽増北九州に盛んであり、.愛娘煤亦有名である。 キロウ といふ。輸出せられるものが後者である。 木蝋は家具類の雑損料とし、ポマード等の化粧料とし、叉近来人絹織布用経糊料として需蟄が増しっゝある。 木蝋の年産額は約七〇〇萬斤、其の七−八削が輸出せられ、輸出金額仙嵐C萬楓に近い。 木地は化拳上よりいへば、脂肪であつて蝋ではない。たゞ励鮎が高いために蝋の名があり、通俗に未蝉と科せ られる。 水域に就て

蝋=鹿 て ≡

椎 名 七

︵ニ〓ハ七︶ 七九 嵐

(2)

第十壷 弟四渋

︵ニ〓ハ八︶八〇

木場は之晶威する脂肪酸中竺垂蒜が来する至大特管し、此の二璧酸のため、結晶絢密是警

る特性を有する。

漆樹科に属し、水塊に類する固牌脂肪を苧る植物としては、櫨の外に漆、山攣篤漆、ぬるで等があるが、

央等の蛾の中、蜜用慣値あるものは、原料蓋雪見て、櫨の外に殆んど苧、僻に漆櫨が漆の副庶物とし

そ、少最生産される忙過ぎない。

余は改而よ是憾研究に肌ハ警有し箕胎中で雪が、其の蒜の給慧要録長の稿中に挿入書ことにした針 工牽博士辻本濾丸氏は、永嶋に掬し詳細なる研究をなし、左の疲告がある。 東京工業試愴併報督 明治四劇年 第四回 東京工業試験所報骨 明治凹四年 第大国 又は 工薬牝拳薙諒 明治四四年 偲二四編ニ〓〓−三ハ○寛 兼京工業試験所報昔 昭和五年 讐壷回 弟四壁 Tl克京 王土石頁 東京工業悪感応報曾昭和六年 第三ハ回 弟6班七九−八六貫 八七−九九貫 束京工薬試戯俳報昔 昭和九年 讐克回 彗義 こ九−望斎 辻本康の研究綴泉は、山崎利二郎氏妃より次の印刷物に相戦せら⋮併が多いO ﹁山埜大日本山慧暴行罪六=瓦解昭利二年二月 五九−八五見 廃

(3)

櫨樹は単名をRhl︼bJ SuCCeda諾a L.といふ。

植樹は温暖の他に適し、栽培地としては九州各願、愛媛、和歌山願等有名にして、山口、鳥取、島根、稲井の

諸憫にも産する。而Lて木蝋の庶坤は大鰭近故以西瀦であつて、紀州、伊勢、若狭、山城、大和の緒闊を以て其

の限界とする。

櫨には雄木上雌木とがあり、普通雄木一本に倒し雌木一d00本を栽培する。

増殖は古来接木によるを普通とする。菅生樹は上方に生長するのみにて、四方に枚を張ること少く、結安登又

多くない。接木によるものは、四−五年より結蜜を始め、こ○年に至れぼ三〇−閥○斤の英資を床する。 落基喬木であつて、高さ二丈た生長し、大なる1ものは日通周璽ハ尺に達するものもあり・特に盲犬なるものに て櫨 梯 ﹁感と東亜﹂放図法人愛媛山林食費行 昭和二年四月 非袋品 仙−八六寅 工牽博士佐久間巌氏は﹁木城色素漂白妃掬する研究﹂と過し、次の敬表がある。 桐生高等工塾聾校畢術報督 第三鶉 昭和四年六月 脚−二四三賞 此の稲を草するに富り 右記我のものを参考とする併が多い。 永蝋忙裁て

て櫨 椴 及 び 櫨 蜜

︵≡六九︶ 八⊥

(4)

ありては、軸椴にして三五〇斤の果賛を慶するものも奉るといふ。 沿革・埴は元々支部より侍乗せるものであるとの詮があ少、細説には天疋年間博多の商人、紳屋宗湛、島井宗 窒の両名が、支部より櫨の茸を得て肥前の図に裁増せるものであるといひ、叉他の詮としては、延寅年問支那よ り・琉球に侍り、東に薩摩の楼島に侍来したともいふ?此の櫻島詭には更に正保年間外賠が直接櫻島に俸へたとの 興詮もある、 櫨が経済的に栽培される様になつたのは、草保年間以後のことであつて、隔岡願で鱒高橋慈選民、大分願で憺 宇佐郡上軍容荘氏の如き熱心なる研究家によつて、其の基礎が確立せられたといはれ、前者は﹁櫨楷過言﹂後者は ﹁櫨育口俸百ケ條﹂なる著書があり、斯業に於ける大恩人と目せられてゐる。 明治維新迄は、燈火用としては、蝋燭及び菜種油の他に重安なる材料か無く、櫨妓蛸燭原料を供給するもの止 して重安成され、保護の下に増産が計登せられ、肥後の如智は、栽培、製蝋を閣僚とし、﹁櫨方﹂なる役所があ り、叉櫨の唱へ方も﹁ハジ﹂は恥に通ずる朗からして、重要弥彦品に﹁ハジ﹂と唱ふるを忌み﹁ハゼ﹂と唱へし めたとある。櫨の唱へ方には﹁ハジ﹂﹁ハゼ﹂の二様があり、今日にては普通に﹁ハゼ﹂と糾すれども、背は﹁ハ ジ﹂といひしものである。 明清維新後に於ては、燈用として石油が輸入され、蝋燭に代りて盛んに使用され、叉蝉燭も木場を原料とせる 従来のものは、輸入。ハラフインむ原料とする所謂西洋蛸燭のため駆逐される様になゎ、大悦の需要が激減した。 寛十±巻 弟四渋 ︵三七〇︶ 八二

(5)

叉輸出を見るに至甘二時相接傭せる木場も、大正の初期に於て、品質粗悪なるも憤格低廉なるがため、盛んに輸

入せられたる支那木蝋の歴迫患家ること甚しく、其の後関税政策により救はれたが、魚油に水素を添加して製造

する硬化油の出現によ・り、又々苦境に陥りて生産期愈々減少し、櫨椴は漸次薪と化する状態となり、現今に於て

は、以前の秦要製鳩巣者の二−三劉を穫存するに過ぎぬといふ。

最近に於ては、化拳工菜の費建と共に、木噺の新用途が拓ゼて需要が増し、港外への輸出も増加し、農林省も

林産副菜として、櫨梯の増殖奨励を見るに至った。

種簸甚だ多く、地質の好悪性大にして、各地方特殊の種類を慶するものであるが、適積の研究栽培を行ふこ

と肝要である。

︵イ︶昭和瞞磯 熊本苗肥後製岨株式禽敵の教見に係るものである。元芸仙岳の麓、表村杉谷村にありしも

のであるが、今日に於ては叔優艮品位と見られてゐる。右禽敢に於ては此の櫨梯の黎見を和する意味にて祀長本

拍武此ハ氏は昭和二年昭和隔櫨と命名した。丑ハの原産地カにては﹁新苗轍﹂と和する由であるが、是;年貯赦す

ることなき果驚、即新資より音質放と同様の優良蝋なるが得られるによる。新嘗及び苗蟹に就ては後に詮明する

朗がある◇

此の櫨は果質の収穫が多く、且年切れ即隔年結賛が少い。果驚は色浄非常に優艮、含蝋分甚だ多く約四〇〆、

果肉︵外、中果皮︶に封しては約七〇〆に富る蝋を含む。四囲では愛媛願周桑郡中川村に於て試棺してゐるが、 永嶋に就て ︵三七こ 入≡

(6)

峨繊は飴り芳しくないとのことである。

︵、こ確報櫨 果寛の粒故大にして其の庚叉長きにより此の名がある。合蝋分多く、今日改点されたものは二 八・%に達する。其の木蝋は色直りが速い特徴がある。肥碕地何れにも適してゐるが、結管畳比較的少く、鼠年切 れをなし′、叉児資は大粒なるが政日焼が多い快鮎を有する。8焼とは果寛が嫉を生じ、黒色を呈し且白粉が鎮ず る.ことである。日焼の婁合には本蚊の採取敦も叉減少するが、葡萄櫨匠放てはなほ二〇〆以上の探蝋が出来る。

蝉藤城は和歌山振有田部であるが、泥暖の地に適し、鹿児島、宮崎、及び肥後の天草地方に過し此の地方なち

ぼ日焼も少い。

︵ハ︶玉楼 享保年間、愛攻願周桑郡中川村大字志川の革桑野田文治氏の庭内にありし自然櫨梯が、今日の源

をなし、、同村を中心として、其の山背に産出する。優良なる品種忙厳し、界驚は房が長く、思案の下部にあろが

故採取が容易であり、虜の位落下するにより採集又容易、製蝋に際し木蝋の敬呈が多く、其の蝋は漂白︵後彗が

易く、夏季天日漂白に於て、由の種のものが三十数日を要するに此し、二十騎日にて目的藍苧東る。たゞ梯は

捕顔く樹命短く鼎驚は凪のため落ち易きを釈断とする。

六lこ伊舌櫨 隔㈹轡二井郡小郡町内山伊富民の磯見せるものであつて遠来九州地方忙栽増されたものは、多

くは之である。

結等質浪も多き種類に属する。但し肥料を多く要し、沃土に非ざれば結資最多くない。果蟹は合轍東和少い。

罪十こ怨∴ ∵鹿∴出船 ︵≡七こ︶ 八四

(7)

大伊昔と小伊曽との二郎がある。 ︵こ松山磯 原産地は筑後であつて、佐賀、福岡、大分願等殊に筑前に多く栽培される。 年切れの紋加があるが傭他にも生育する。英嘗は粒大、房が短い。含蝋率大にして蝋質も良好である。 右方樟は農林省の栽増助成に指摘されたものである 公望、銀貨、利太治一票盲、隆減、輿右循門、/百日、八貰成、白玉、安富、猪爪、小川、田中、閲白、吹止等と 科するもの 眉本の養成及び柘覿∴種草は健全な む兼肉︵外、中娘皮︶を除去して核賢とし、之を措辞する。果肉を除去し、蝋分を除去するには軽々の方法があ るが、普通の方法な、舷嘗を臼で蹄くつき、﹁あく汁﹂に浸潰してよく撹絆し、笈にて掬ひ上げ清水で洗ふもの である。 核葦は播程前二−三週閥水に浸して置く。而して日常り良き別に苗床豪設け、基肥として人糞尿、堆肥等を施 し、劇坪に封し種幸二合梓虔にて播柾する。播梯後は紬土を五分怖かけ、其の上を藁にて覆ふ。之揉根の顎芽期 間が長い鹿、其の間輩燥するの甘防ぎ、叉降雨により贋子が床面に欝出するのを防ぐによる。大開三1関羽開で 磯芽七、我芽率は約草○〆である。費芽を始めたる時基を取除き叉除茸する。 枇曝は著しく大となり、伸び過ぎる政客易に識別し得る。 水城忙放て ︵≡七ここ 八五

(8)

第十二啓 発四既 ︵ニ葛四︶ 八六 笛木は翌春床魯をする。畦幅約二尺、苗間五−六寸とする。な票田木は既に一尺内外に生長してゐる。 接木は翌年即三年目のものを蕎木として行ふ。授木は柑橘類と同様であるが、たゞ耀は枯れ込みの強い木であ るから、基本の地上五−六寸の朋で切断し其の根本に接木する。切断した朗より∴∫ニ苛は枯れ込む。接穂は約 三寸とし、二〇−二〇年の健全なる母樹より採取する。接木の時期は、容、夏及び秋何れにても長いが、多くは 容接であつて、最適朔は将に芽を割らんとする時である。 植栽は南向きの日常り良き研が敢も適し、反常り二C−三〇本とする。なるべく粗相して日光に充分浴せしめ る様にし、叉茶、穿、巽、大豆、芋等を間作するが長い。櫨畑の代りに、従来畦畔、堤、道路の滑側等の塞閑地 に栽増されてゐるのをよく見る。 改息の目的を以て、神宮に多い放任状態の櫨の成木に、優良品種を接木することば、大に推奨する桝である が、此の場合には車種式に表皮を仙廻り剥ぎ、其の下部へ接木する。寧ろ秋接ぎむ好都合とする。 櫨の檜殖奨励 櫨梯は漆及び油桐と同じく、農林省が昭和七年より林産副菜として増殖奨励をなしてゐるもの であつて、〓U少年間に新根太00町︵附︶、改良聖000町の増穂を細らんとするものである用品稀は主とし て前記の昭和描櫨、葡萄櫨り王櫨、伊昔櫨、橡山櫨の乱租を奨拗してゐる。経常の辛餞は檜相蟹行糾合とuふこ とになつて居り、郡町村等々置域として組織すれぽ良く、其の補助率は組合設立及び共同設備にありては経費の 三分の二以内、新楷にあつて些二分の山以内、改良四分の叫以内である。

(9)

右農林省の垣殖奨励に従ひ、櫨の奨励を行ってゐる願は、沖縄、鹿児島、熊本、大分、両岡、佐賀、島根、鳥 取、和歌山、変域の諸願である。 昭和九年迄の三ケ年に於ける増殖喫励結果巧新枯三富〇町に及び盛林省奨励計茸五〇〇町の七割に達し、叉 改良にありてゼ一、二〇〇町に及び四、000町の計喜に封し↓五割五分に達するの好成綴を奉げてゐる。 櫨樹の作付反別及び櫨の鷺、収穫高 最晦に於ては、大正叫○、二年の頃が故も多く、櫨の賓は大正一〇年 の九一二萬貰が扱高記録である。前項盤林省の増殖奨拗計宣も大鰐、大正劇○年頃を以て棟準とせるものと考へ ちれる。 墟樹作付反別及び櫨の葦、収穫高表 永蝋忙放て lこ 昭利 嵐

大正一一

年 次

八 七 六 作付 反 別 一〇、四三二町 九、四八四 五、七三〇 五、五〇八 諷、五七〇 五、四八八 櫨の賓、収穫 七、八七五千茸 七、二七五 四、五七七 四、八八劇 四、七五五 四、六八八 愕 格 二由九二†円 一、五〓一 七九九 ﹂ハ八八 七四五 七七六 ︵三七五︶ 八七 反常収穫高 七五箕 七七 八〇 八 八 入 五 五 九

(10)

構造 外寒波は甚だ薄く、背紋黄−褐黄色であつて、通常平鹿であるが、不艮のものは奴教生ずることがあ る。 中英皮は所謂英肉であつて、脆弱指にて跳搾潰すことが出来る。繊維状をなし之に蝮が附著してゐる。新Lき 茸に於ては褐色−暗褐色であるが、久しく貯蔵する時は漂白されて衣白色となる。 郁子︵核︶は内典皮とチ某ハ仁︶とより成り、内奥皮︵核皮︶は甚だ堅くして破砕し撒く、千葉︵仁︶は軟く、 果肉の蝋とは全ぐ異なる性質を有する抽︵核油︶を含有するα シン、ゝ ナカ ブ・lコミ 梅浦期を経過せるものを並苗葦といひ、なほ二年、三年真畔たる、ものを大夫二年苗資、三年石蟹と名町ぺ五† オホコ・ヽ 六年以上のものを大石篭といふ。 新暦蝋、直り蝋、苗蜜蝋と稲するは大夫新寛、直り、石蟹より製造した生娘せある。而して新嘗賦牒博褐色匿 二、櫨 第 第 第 の 三 二 位 個:ノ位 葦十こ藤一第四壁 有名掘削櫨構作付反別及び櫨の菅生席高 ︵昭利八牢︶ 成 大 変 閥 分 媛 岡 ヽ ヽ 四 (〕 九 ○ 四 七 九 二 七 町 叫、七五七†環 八四則 四二七 ︵≡七六︶ 八八

(11)

して多少軟かであり、苫蜜蛸は色淡く、褐色又は線色む帯びねる黄色であり、新蜜蝋に比し融鮎が高い。虹り噛

は品質新嘗蝋と古蜜蝋との中間にある。

薪蜜蝋は品賀最烏劣等にして、如何に永く貯撤する曳山貰蝋の如くならす、漂白も叉附警ある。木蝋製造業

者が︰貯戒め不利益を忍びつつ、石蟹より製蝋すンるは全く此の理由による。なほ昭和稲城に於ては、新蜜にして

なほ在来腰の古賛同戚の木城を製造し得ることほ、眈忙記した通りである。

櫨貧血六程の分析放低温高教値を取れば次表の如くなる。

憾 茸 分 析 免官二〇〇偶の雷魚 皮 果 枝

免 皮 水 分

果 皮 蝋 分

彼 の 水 分

仝 果 皮 の 賦分 水蝋把就て 表・︵辻本氏、明治四四年︶ 九・五入こ五1こ≡。茄七五五式 こ三。九卜嵐七●九% 四こ●∵−大〇・﹁% 二●〇五1六・七≡% 三九。八二1七〇・こ九% 九・二1−≡。四八% 〓ハ●仙二1四〇・七〇% ︵≡七七︶ 八九

(12)

と呼んでゐる。

て生蝋の製造法

水魔式埜搾法及びベンジン使用の抽出法の二法がある。

櫨暦は初め摺離磯又は廻緒機に通して、櫨嘗を房︵花梗︶ 愛窟に於ては、花梗の附着せる健の欝の誓﹁ボサLと編し、管り警質せしめるト主警ボサ落し﹂ 第十〓巻 弟四新 種子︵核︶の分析表 ︵辻本氏.昭和六年︶ −00個の璽魚 分 分 灰 分 咳 皮 仁 ︵子.黄︶ 仁 の 含 油 畳 〓、製

第 一 渋

七・〇〇西武 側〇・六こ% 八ェ九㌔. ㌻五七% 七七。四% こニュハ% ≡ニ;五六% 法 より際落せしめる℃ 葦 こ 鮮 六●C九七茸 九・山三% 九●︼こ% 七こ・八% こ七・二% ニニニ・七二% ︵ニ仙七入︶ 九〇

(13)

桟賓は次にローラーに掛けて紛細する。

粉砕せる櫨賓は、塵搾法による場合には、仙且蒸して魔搾横に掛け∵神田法による塩合には、其の健相田横に

掛けベンジンで蝋分を抽出する。

抽机法は雌の収量が多いが、蛸の品質は靡搾法によるものよりも不慮である。墟以外のもの迄抽出せれるから

である。

用⋮

る。警摘入する時、琴

高沼なる時は、製品に歴々亀裂を生じ、叉内外の凝固状態に不平均を来し、営業者の朗謂解を生するにより、徐

冷し漸く固まり始めんとする時を以て、通常なる注入況度とする。 ∴鱒班形の生賦は、目方山斤を普通とし、劇00斤を机入劇伐とする。 木蝋の牧蚤は二〇%前後、葡萄櫨に於て約二六%、昭和瞞櫨に於て三〇%近くと認められてゐる。 核油妄念み、融鮎低く且着色多く、蝋燭の地繊︵内部︶用等にしたものである。 未蛸に就て なほ以前は、低質は砕け易き果肉のみを紛辞し、密き由子︵核︶を粉砕せず、其の健蒸煮礫搾して製蝋し、先 づ側石蝋を得た。次に搾粕は師にて飾ひ、頻を館上に餞し、果肉を師粉とし二者を分離する。板は粉砕、踵搾し て核油を得、此の核油は其の少食を果肉粕である前記飾粉に加へ、蒸資し贋搾して二希蝮を得た。故に二番蝋は ︵三七九︶ 九∴

(14)

現今に於ては、墟の蜜は初より核迄も粉砕し、核を分離せすに袈蝋する。

葦法による搾粕、所謂義和は共の健燃料とすることがあり、火焚農守る必要がない。

完には露六よ警蟻が諾する。政に売品出機にかけて蝋を抽苧る。其の蝋の品伸ば杓董であ

る。其の粕は配合肥料等に利苧る。但し種子︵核︶の粕は菜種油忙暑等しき窒素宕するも、果肉卯は合窒京

菜少く肥料債倦が少い。

愛憲八幡莞方に於ては、初めより抽机療浸か望が、熊本地方に於ては、言質故により採蝋し、共の

搾粕を抽出法に附してゐる。

二、生敏より晒轍の製造法︵生蚊の漂白哲

晒蚊は生塊を漂白して製造するのであるが、其の漂白は日光漂白による。

生娘は務めアルカリ志和し讐、細片として是に曝すのである。其の歪に、讐及び撃の二つがあ

る0 ァルカ呈して誓搾警燃料与る特等る峨衣又は曹性ソーダを使用するC生噺製競に於て漂白をも兼

ね行ふ時は、聴衆を新藤するにより之を使用する方が連箇である。

︵イ︶筆法熔警る生域に蝋衣汀の連記︵生蝋−00夏封L、蟻衣五分トニ升、水五升−き志和

し、又雷ソーダ農用する警には、熔融生蝋蒜性ソーダ液︵歳て000斤還し、諾ソーダ宗ン

第十二啓 発閤渋 ︵ニ加入〇︶ 九二

(15)

ぺ永三石の割合︶を混和し、之を冷水上に滴下して急冷し、不規則なる細片即蝋花︵又は砂利ともいふ︶に鋸

化せしめる。﹀之を掬ひとり賛の上に盛りて水気を除去する。斯くして得たものは所謂荒照粉であつて、之を蔑き

木箱忙入れ日光に曝す。一日数回の蝋掻きを行払、脚様に白光に曝す様にする。約二C日間を経、.中煮と科し、

熔申し︵此の回に於てはアルか

光に曝す乙と、七ま叫○日間にして漠白を経る。

柿干法は多く愛媛、熊本地方に於て行ってゐる。

︵ロ︶違千法 熔融生蝋を細鉢中のアルカリに加へてよく練り、乳状牌とせるものを木箱に移して凝間させ、 之を飽別して蝋花︵砂利︶を造り、進上に凍げて日光漂白を行ふ。近来は蓮の代りに紅酒的なるアムベラを使用

する。中背を行ふこと前の箱干法の婁合と同じである。

漂白を経りたるものは集めて熔融し、樺を沈澱せしめ、通常の脱皮に冷却せる時、蝋皿に注入し同化せしめ

るり其の形赤E方形板状にして目方仙斤である。血CO斤又はしハ○斤を箱入とする。

ロ光漂白にょる晒櫨の製造は、日数を多く馨し、天候により漂白日数に嘩勤があり、叉日光曝露に廣き基地を

聾し、エ場地帯の蛛峻の多い朗にては、煤の落下がありて行ひ得す、瓦ハの他朝夕の出し入れ、鵬日数回の蝋掻

き、雨天の取込等に多くの手数を要し、生薦費不磨なる紋鮎を宿する。化拳的鹿理による漂白の方泣に就き、研

究すれども未だエ菜的に行ひ得るもの無く、暇令扮色を行ひ得るとするも、木蝋楷有の粘級煙が無くなる等の紋

大磯忙就て ︵三人こ 九三

(16)

三、木 蝋 の 性 状

木蝋は融鮎約五三度の固鰻脂肪である。緻細なる結晶賃より成り、組織綿密にして粘物性を有する。肘葦は固 鰻の位にては大凡水に等しく、貯蔵久しきに及ペば、表面が白色の粉末状・のものにて萩はれるに至る。 て生 蝋 原料櫨暦の新嵩により着色が異なり、新蜜蝋は通常褐色、苗蜜蝋は櫨の種類、産地により異なり、背紋黄†碍 慣格低下の目的を以て、木蝋に廉慣なる硬化油を混和するものもあるとのことであるが、斯の如きは、木蝋本 至る。 がある。蝋の品位を低下することいふ迄もなく、期る晒蝋は日を経るに従ひ、殊に内部に於て黄褐色に欒するに 木蝋︵生蝋︶に他の油を附加する時は、漂白を促進する性あるにより、抽入と科し、菜軽油等を混和する慣習 するといふ。 日光漂白に於てはアルカリを使用するのであるが、著しアルカリを使用せざる時は、木嶋特有の粘級性を減少 鮎あるによ少、古くより行はれてゐる日光漠白がなほ採用されてゐる次第である。 爽の特性を徒ら.に没却せしめることとな少、木城の輸出次第に進展の趨勢を示せる今日、絶鰻に逝くべきであ

・る○

第七二審 第四翫 ︵三八こ︶ 九四

(17)

地黄色である。

浄書に記載のものは、多くは漂白により性質の攣化せる晒観であつて、信用すべきもの殆んどなしといふ。

生蝋一の 特数等 ︵辻本氏、昭和五年、第四既のみは昭和九年︶ ヨー下僚︵ウイイス氏︶ ︵.− ネ ル 償 ライ︵ルーマイスル慣 比 酸 鹸 司Tl下僚︵ウイイス氏︶ 木蝋忙託て 蛮 化 寵︵誓 鮎 ︹度C︶ 借 概 北 ( dユ;:; 侶、、}/鮎 生蝋 の 特 数 等 ︵辻本氏、明治四四年︶ 寛一 鶉 ○。八大二六 五二1五二。五 四・五 こ〇五〇七 劇八。八 約 五 二山 鹿 ○●入漁五幽10,八六六九 二〇五・こ二1ニー○●九五 一〇・こ七1〓ニ・八〇 九四・三−九四●九 ÷〇七1;四九 第 こ 兢 ○●八六二七 四九・五1五〇 七●八 二〇七〇五 一七・嵐 第 三 戟 ○●八六二〇 五〇−五〇●五 ≡二 〓〇六・六 ニ〇・〇 ︵ニ仙八≡︶ 九五 弟 四 班 〇・八大〇八 重ニー五二号五度 二誉九 二〇八●一 一三・四 ノ′

(18)

右二塞正於て竺耽は熊本市肥後製蝋株式禽敢の昭和隔櫨新蜜蝋にして、外観帯初淡黄色のものである。

鎗二挽は熊本解雇伊普櫨並苗蝋忙して、外観第叫眈に似てゐるが着色が多い。

第三統は宮崎願東諸願郡塵の葡萄櫨新賛憤にして、外観帯褐黄色のものである。

第閃鍍は熊本解塵並盲資より搾取せるものでも特に核油︵乾性油に厳し、ヨード慣大︶を含まざる椋前、記倉赦

にて製造せるものである。故にヨード慣は市販のものよ少も純少である。

新蜜蝋と古費鹿との比較辻本氏、豊後日田郡藤櫨貨より抽出せるもの町?賢明治国○年三月茸験せるに次

の如き性状を有する。

ヨ 中 融 l 男十こ巻 罪四 威 へ ー ネ ル 憤 ライヘルーマイスル慣 不 鹸 化 物︵%︶ 鮎 ︵度C︶ ド 償 生蝋脂肪酸の特数 ︵辻本氏、昭和五年︶ 弟−渋 五九1五九●五 ニーニTこ 劇九・五 九四。翫六 ○●六〇 九掴・六川 ○●六〇 弟 こ 駅 六〇・五1六丁嵐 ニー二・三 脚七・入 九吾二四 〇・七七% 〇・五腑 ︵≡八川︶ 九六 第 二仙 斬 六〇−六劇 ニー〇・五 山九●九

(19)

右表によれば、若色に於て著しき某がある外、比重、融鮎忙於ては大差が無く、鹸化憤に於ては新嘗蝋の方粗 小、ヨード慣に於ては新贋塩の方大である。 二、晒 蝋 ︵自 蝋︶ 新鮮なるものゆ白色、熔融すれば淡黄色となる。 生蝋に比し粘敵性和犬にして挽き煙が無い。而して手指問にて痙ねる時は、他の謄肪に於ては見ざる桝である が、遂に餅状となすことが椚釆る。此の粘撤性は應用土大切なものであつて、常葉宥は歯間に噛むことにより、 其の適否を大鰐鑑定する。粘轍性に於て、陪観が生娘よりも大なるは、日光漂白中に、木蝋中の不飽和階硝酸が 酸化されるにより、或は木蝋申の核油、又は附加せられたる薬療油等が酸化されるによるものと考へられ、作久 尚氏は其の酸化酸を定盤せるに、〇・九六−二。〇六%であつた。晒蛾特有の粘轍性は日光漂白によつてのみ縛ら 未戚に就て 大 音 欝 二仙七年 産 古 賓 三 八 年 産 古 茸 三 九年 産 新 驚 料 新嘗蚊及び苗嘗岨の牲釈義 包 帯縁微韮 背線禍 帯紙褐 鼎 褐 比.蚤︵⋮じ 〇・八五九〇 〇・八六鵬一 〇〇八大〇七 〇〇八五九六 鹸 化 慣 二〇七●三≡ 二〇弄●九〇 二〇六〇〇二 二〇四〇九七 ︵一二八五︶ 九七 ヨ ー ド 償 ︵ゥイイス氏︶ 八・六大 l二・三四 −二・山〇 二ニ〇八七

(20)

発十こ巻第四渋

へこ仙八六︶ 九八 れるものであつて、他の化拳的顔白によりては博雅く、多大の日数と字数とを質する闇兇漢自が、今田な牒採用 されてゐる斯以であるととは、既に記した通りである。 思共著は、漂白促進性あるが故、抽入と科し製魔の際菜跡地を混和する習慣があるが、斯る生娘より得た肪 憾は、長く貯蔵する時変色著Lく、殊に内部に於て甚しい。辻本民︵明治期囚年︶は其の内外に於けるヨード臍 を測定せるに、次の如き差があるb 晒蝋の変色を防ぐには、抽入を無くすることが必蟄である。 試 料 ”r 比 地 鹸 ヨード償︵ウイイス氏︶ ︵ − ネ ル 偽 ライヘル†ヤイスル侶 晒 蝋 の 重︵瑞︶ 鋸 ︵度C︶ 倍 化 僻 内 部 四●九三 入ユニ八 特 数 等 ︵辻本氏、明治四四年︶ 〇・入七脚四−〇・八七七九 五〓。八−五ニγ八鹿 二ハ●〇七−ニ〓ニ。八二 ニー四。八七−〓一九●仙八 三・五一−一〇エハ〇 八八・九九1八九●仙一 三・〇二1ニ;〇四 ニT九二 列 部 七ユニ﹂ハ 一・〇仙 真 〟●〇二

(21)

生蝋た比癒すれば、比重少し︿高く、軸鮎は大差なきも、所謂視軸鮎を宥するを生蝋と異にし、閃○慶を超え

て〓嘩摘んど透明となり、恰も熔融せるが如き親を呈し、五〇皮付に至りて再び混濁し、約草三度諺於て全く透

明となる。、鹸化偵は著しく大、・ヨー下惜は減少してゐる。叉へーネル憤は減じ、不溶酸及び不胎化物が減じてゐ

る。しライヘルトマィスル憎即絆磯怖酸は少し︿増加してみる。夜分嬢大東なく○。0〇九二T〇・二首九〆であ

る。

なほ木蝋中には約表枠慶の揚油が含まれてゐることは、既に記したことであるが、舵の油は乾性油に展する

ものであつて、蚊分と共に同時に搾油する時は、蝋の融鮎を低くし、油臭を生じ、欒色し易からしめ、叉アルカ

リ液にて乳化或は鹸化する時は着色し、隅蝋の品位を低下せーめる。故に製蝋に際しては、櫨蜜の果肉と接とを

分離して搾油することが望ましい。

核油 の 僻 数等 ︵辻本氏、昭和九年︶ 大姉に献て 鹸 酸 屈 比 窮 寧 憲 / ( ヽ/ (・・・ヽ : ∴〕 第 − 賠 ○●九二八九 一●叩七Ⅲ七 二・五入 ﹁九二号六 第 二 賠 0〇九二七三 ;函七九七 四●≡二 劇九二・〇 ︵三八七︶ 九九 ㌔

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飽、木 場 の 償 却 物 木蝋に偏和文は混入せられる物質は、大憫硬化油、パラフィン、薬称油、椎杉油等である。 償和、混入物の鑑定は常葉者にとり大切なるも、簡罫に且正確に行ふことは困難である。 パラフィン 木蝋の粘調性を減じ、此盛及び鹸化償を低下せしめる。其の混入量は不鹸化物の測定により測定 し得る。 軟質硬化魚油 融鮎を降下、粘鞄悼を減じ、鹸化償を低下し・ヨード慎む用上界せしめる。 硬質硬化魚油 木蝋の精粗性を減じ、鹸化慣を低下せしめる。 硬化油の混入蚤は、鉛聯テルコール法による囲鰻酸のヨード慣よりイソオレイン酸の聾光、或は脂肪酸メチル の分溜に 菜種油融鮎を低Fし、鹸化債む低下L、ヨード償を上昇せしめる。共の混入風は硬化油の場合の如く、周頒 酸︵エルシン酸含有︶を分離し、其のヨード慣と中和償よりエルシン酸含有温む求め、之を○。六にて除して菜種 油を各衰哀し得る。 第十こ容 第四栗 ヨード償︵ウイイス氏︶ 不 鹸 地 物へ%︶ 〓山五・ニ ;竜六 ︵≡八八︶−00 〓ニ≡エー

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櫨核油 融鮎を卜げ、鹸化惜を低くしパヨード慣を上昇せしめる。北ハの混入筑は四臭化物の雲軋、又はヨード

偶の測定により、大約測定し得る。

木蝋の許債は辻本氏︵昭和五年︶の二艶基酸︵後述︶望遠によりても、目的敬遠することが出来やう。

他脂瑠に於ける生轍試鹸試料完告○苦糎のベンゾールに溶かし、アルコール作苛性ソーダ〇・議

定液の数滴を添加し、練色の呈色戊應あるや否やを検する。︵未完︶ 木蝋忙就て ︵三八九︶︼nこ

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