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近世市場経済史研究の課題と動向-香川大学学術情報リポジトリ

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近世市場経済史研究の課題と動向 植 村 正 治 Ⅰ 価格理論によると,市場経済とは稀少な財貨(商品)・サービスの生産と分配 がそれぞれの市場で決まる価格を通してなされる経済である。つまりより具体 的にいうと,どのような種類の財貨をどれだけ生産し,それらを誰にどれだけ 分配するかが市場を通して行われるのである。また個々の市場で需給活動を行 う経済主体は目的合理的に行動する経済人が想定される。たとえば,ある商品 市場で需要と供給が一・致し1つの商品価格が決まっていたとする。この時,な んらかの外的要因によりある所得階層(たとえば労働者階層)の所得が上昇し その商品に対する需要が高まったならば,その商品価格は上昇していき,これ に応じてその生産供給量は増加していく。その結果その階層にその財貨がより 多く分配されることになる。さらにこれはその本源的生産要素である労働と土

1) 地,そして中間的生産要素にあたる資本に対する需要を高めるので,その価格

は上昇しその生産(ないしは供給)畳も増加していくのである。 市場経済のおおまかな仕組は以上の通りであるが,希少な財貨の生産と分配 2) はこれ以外の方法によってもなされている。R。Lノ、イルプロ・−ナーは,それら 3) を伝統経済,指令経済と称したが,.J。R.ヒックスは伝統経済を慣習経済と称し, 後者についてはハイルブローナー・と同様に指令経済とした。両者の意味内容は はば同じで,伝統経済では財貨ないしはサービスの生産と分配がその社会の伝 統と慣習に従っているのに対して,指令経済は組織の長である専制君主などの 命令によりそれらが行われる経済としている。またヒックスは両経済に共通す る特長として,「収入経済」をあげている。たとえば慣習経済では宗教的な貢物, 慣習と指令の混合形態である封建制社会では,領主に納める年貢がこれにあた

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り,「それらは農民や耕作者,すなわち食料生産者によって,承認された権威に 4) 対して支払われるのである」とした。これに対して経済人額学者であるK…ボ ランニーほ,市場経済以外の経済原理として,互恵と再配分を唱えた。彼によ ると,互恵とは「財,サービィスの動き(あるいはそれらの配置)を,対称的 5) な配列の呼応する点の間にえがきだす」ときわめて抽象的に定義しているが, その具体例を見ると,ある程度その内容が理解できる。彼ほ,西メラネシアに あるトロブリアンド諸島のクラ交易をあげている。これは,首飾りや腕輪など の装飾品と,生活物資が島々の間で物々交換される交易である。島々には多く の村落があるが,それらの村民ほそれぞれ隣の島民とパートナ、一関係を持ち, 彼らの間でギブアンドテイクの互恵の関係が成立している。このような関係に ある村々の間でほ,時計回りに腕輪,その道回りに首飾りがそれぞれ生活物資 と交換されている。ボランニ・−・によると,そのような社会にあっては経済ほ社 会の中に埋没し,それと一・体となっていたとした。このようなボランニ、−の考 え方ほともかくとして,この経済は先の伝統経済ないしほ慣習経済に相当して いる。 また再配分ほ「一・集団内で(土地・天然資源を含む)財の配分にあたって, それらが鵬・手に集められ,そしで慣習,法,あるいは中央における臨機の決定

6) によって分配される」経済である。すなわち,ある種の中央組織が存在し,そ

れを通して再配分が行われるが,その背景にある再配分の指令原理は慣習と法, そして中央の臨機的決定の3種類あるとしている。慣習も生産と分配を規定し ているということであるが,この経済はヒックスとハイルプロ・−ナ・−がとらえ た指令経済に相当していよう。 以上のように,人間が生計を立てるために必要な物資ないしサービスの生産 と分配は,3つのシステム,つまり市場経済,伝統経済(慣習・互恵),そして 指令経済(再配分)を通してなされてきたと言えるが,歴史的に最も新しいシ ステムは市場経済であり,その展開は社会の一・定の経済発展を前提としている。 しかしボランニーはこの展開を否定的にとらえた。先の互恵経済や再配分経済 においては,その社会構成員は宗教的,呪術的,審美的,政治的な,いわば非 経済的な動機づけに従って財の交換や再配分を行っており,「経済システムは−

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7) 般的な社会的諸関係の内に沈み込んでいた」のである。ところが,産業革命を 契機にして人々は利潤動機に従いきわめて目的合理的に行動するようになるに 8) 応じて,市場経済が展開するようになったとした。ボランニーの言葉によると, それは「諸々の市場からなるひとつの自己調整的システムのこと」で,「市場価 格によって統制される経済,そして市場価格以外には何ものによっても統制さ れない経済のことである」とし,さらに「外部からの助力や干渉なしに経済生 活の全体を組織化することができるこのようなシステムは,たしかに自己調整 9) 的と呼ぶに催しよう」と指摘している。そして彼によると,このような市場経 済の弊害は,あらゆるものがこのシステムを通してなされることにあり,とく にその中で本源的生産要素である労働すなわち人間と,土地すなわち自然がこ れに捲込まれたことにあるとした。この結果,イギリスの産業革命期に典型的 に見られたように,「この国のおびただしい部分が,「悪魔のひき白」から吐き 10) 出された屠かすの山に急速に埋ずもれていった」と主張する。 これに対して古典派ないしは新古典派経済学でほ,市場メカニズムを通して 生産と分配がなされる市場経済が資源配分という観点から見て最も効率的であ ると評価する。その代表的人物であるアダム・スミスやパレートの言葉を引用 するまでもなく,多数の経済学テキストにそのことが触れられている。ただそ の場合,その条件を満たすことが困難な完全競争市場を想定している。Dいノー 11) スはこのような立場から「制度の革新」Jモ・デルを展開し,これを西ヨーロッパ 経済史に適応した。ノースの理論には必ずしも明示されていないが,古典派も しくほ新古典派の市場理論があてほまるような制度的条件が整ったために効率 的な資源配分が可能となり,これにより16・17世斉己西ヨーロッパにおいて1人 当たり国民所得が増加したと考えたと理解できる。R.P.トーマスとの共著『西 欧世界の勃興』において「西欧の効率的な経済組織の発展が,西欧の勃興の原

12) 困である」としているし,また生産性の増加は「不確実さや情報費用に起因す

る諸市場の不完全性からの脱却によって,ないしは,市場の不完全さを取り除

13) く制度上の変化の結果として,規模の経済性の実現を通じて起り得る」として

いることから,そのことが推測される。 以上のように,両者の市場経済の展開に対する評価は対照的であるが,いず

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れにしてもその展開は特定社会の経済発展を測る1つの指標であることは間違 いないであろう。近世社会においてはこのようなメカニズムが作動するための 制度的前提条件が未成熟で,生産と分配がこれに依存する程度ほ相対的に低く, それらほ他のシステムにも基づいて行われている。しかしそのような前近代経 済の中にあ って市場メカニズムを通して諸財貨の生産や分配がなされていたこ とに注目して種々の価格デー・タを時系列化し,このようなシステムの展開が あったことが明らかにされてきた。 ⅠⅠ 近世日本経済史研究に関して,このような観点から,もしくはこのような観 l・】 点からの分析を可能とするような時系列研究は古くからあるが,近年とみに増 15) えてきた。その代表的労作ほ,新保博『近世の物価と経済発展』,山崎隆三『近

16)17) 世物価史研究』,そして岩橋勝『近世日本物価史の研究』である。ここでそれぞ

れの内容を紹介するまでもなく,多くの書評が公にされ,それぞれの学術的貢 18) 献の高さが論じられている。新保氏の著作は生産物価格やその相対的価格のみ ならず,利子率,賃金,貨幣相場など非常に広い分野を研究対象としている。 価格分析に際しては価格理論を応用し,徳川社会はそれが適用できる経済であ ることを確認し,そしてそれを前提として有効需要論を展開した。新保和ま同 書刊行後に価格の地域間格差についても研究を進め,米価や相対価格などにつ 19) いて大坂と江戸との比較を行っている。 山崎氏は近世前期からの米価変動や,実綿・繰綿・菜種などの農産物・農産 加工品価格の変動を取上げた。その分析視角の中心は,近世社会においても価 値法則が貫徹していたことを物価変動の中に見出し,その過程でその背景に あった生産・流通構造変動との連関を探るというものであった。さらに市場経 済における需給変化や貨幣価値変化と,物価変動との連関をも明らかにするこ とも分析視角としたが,むしろこれらの側面は価値法則の貫徹を撹乱する要因 として取上げている。ただ内容的にほ後2者の観点も重要視している。また岩 橋氏ほ市場経済の生成と展開過程を明らかにするために,さらに「今日の近世 物価史研究の第一・の問題点ほ,データ史料の収集と整備が研究者のなんびとか

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らも叫ばれながら,必ずしも作業がスム・−ズにすすんでいないという一・事であ り,そのためにほ断片的かつ個別デ、一夕をも有効に利用できる方法の確立と, なによりもまず史料収集という地道な作業に大勢が立向かう努力が要請され 20) る」という観点から,生産物価格のうち米価に特定して全国各地の米価を収集 整理さらに詳細な分析を行った。 近年の近世価格史研究ほ上記3人の著書ないしは業績を中心に進展してきた と言っても過言ではないが,この他にも多数の研究が積重ねられている。その 中で最も多いのが米価を中心とする生産物価格の研究で,上記3人の他に作造 洋太郎・鶴岡実枝子・官本又郎・斎藤修・草野正裕・長谷川彰民らの研究があ る。作道民は「大阪物価沿革表」などを収録した宮本又次編『近世大阪の物価 21) と利子』を基礎史料として,米価変動のみならず菜種油・繰綿などの農産加工

22) 品価格の変動を考察した。鶴岡氏は近江地方の農村史料から米・種油・各種魚

23) 肥などの価格時系列を見出し,物価史研究に基礎的データを提供した。また宮

本又郎氏は米価変動を統計的に処理するために相関分析や畳回帰分析法を導入 し,さらにマクロモデル(IS−LM曲線)を適用することを通して,他の経済変 数と関連させながら米価変動を総合的に考察している。このほか随所に斬新な

24) 手法を導入して価格史研究をより分析的なものとした。

斎藤氏は近世物価史料と近代史料を利用して,1757年から1915年までの大

25) 坂卸売物価指数や農工間相対価格を連続的にあらわした。草野氏は,米価を含

む−・般物価水準や相対価格変動を取上げ,価格史において一L般均衡分析を行う 26) ことを企図した。また越前勝山と福井の米価を検出し,大坂米価との価格差を 27) 考察している。長谷川氏は播州竜野の醤油醸造家史料を利用して,米価を始め 醤油やその原材料である小麦・大豆などの価格時系列を整備し,京都・大坂と の価格差について検討し,加えて徳島阿波藍商史料から玄米・大豆・小麦・藍 28) 玉の価格時系列を得て大坂・徳島・竜野の3地域の価格差についても取扱った。 これらの業績に加えて,水原正字氏は前掲の『’近世大阪の物価と利子』や摂津

29) 地方の農村史料を用いて,種油・繰綿の価格変動とその要田分析を行い,鷹山

謙介氏は同書と『大阪商業会議所月報』から,讃州潟元塩や播州八家・的方塩 30) の価格時系列を天保元年から明治38年までについて整備している。

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以上,生産物価格に関する研究を見てきたが,生産要素価格に関する業績は 少ない。特に土地の要素価格にあたる小作料価格や,その資産価格の研究はご くわずかである。竹安繁治氏は河内国交野郡の農村史料から断片的ではあるが, 31) 同一・田畑の小作料(宛米)の長期変動を見出した。また同氏『■近世封建制の土 地構造』においては,農地価格がきわめで合理的に決定されていたことを豊富 32) な地方史料を利用して明らかにしているが,農地価格の変動に関しては取扱っ ていない。 これに対して,もう1つの生産要素である労働力価格,つまり賃金に関する 研究は比較的多い。しかしその多くは労働形態の変遷に関する研究に付帯して 取上げられてきており,市場経済の展開といった観点からの分析や,このよう な接近を可能にするような賃金時系列を取扱った研究は多いとは言えない。そ の中に速水融・梅村又次・佐野陽子・斎藤修民らの研究がある。速水氏は,武 蔵・下総国の8カ村に残る奉公人請状から各村ごとに奉公人給金の債向線を算 33) 出し,その長期趨勢を検出した。梅村氏は近世についてほ中井信彦編『近世後

34) 期における主要物価の動態』を利用して,京都の建築労働者の実質賃金を1726

35) 年から1958年まで時系列化し,佐野氏ほ金融研究会編『哉国商品相場統計表』

を基礎データとして東京(江戸)の建築労働者の実質賃金を1830年から1894年 36) まで時系列化した。江戸時代について両時系列を比較すると,1830年代後半か ら梅村系列ほ低下しているのに対して,佐野系列の方は1860年代中頃まで上昇 傾向にある。このような差が生じた理由として,佐野氏は地域差と京都賃金の 37) 硬直性ないしはタイムラグをあげているが,さらにデフレ一夕、−である物価指 数を構成する米価の地域差があげられる。幕末期には大坂米価は江戸に比して 38) 高くなっており,しかも梅村系列においてほ米価のウェイトを46.4%と想定 したのに対して,佐野系列では30%としたのである。 −・方,斎藤氏は大坂周辺地域や信濃諏訪地方の断続的農業賃金データを収集

39〉 して,近世ヰ期頃から大正期までの長期趨勢を検出した。また西摂上瓦林村岡

本家文書から農業日雇賃金時系列を享保期より文政末年頃までに関してほぼ連 続的に整備し,それと大工賃金や京都日雇賃金との格差時系列を作成して,そ れらの格差が縮小していったことを見出し,このような現象に理論的解釈をも

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40) 加えた。 最後に貸付資金の価格である利子率の研究について見ておこう。これも金融 史研究に付帯して考察され,取上げられた利子率時系列も断続的なものが多く, 連続的な時系列を取救った研究は多くない。これらの研究者をあげると,江‥頭 恒治・中村智・安岡重明・福山昭・水原正亨・新保博・斎藤修の各氏である。 まず江頭氏は近江中井家文書の借用証文などから安永6年より慶応2年までの 41) 利子率変化を数蓑化し,大名貸と町人貸の利子率格差についても検討した。ま た中村氏は泉州地方の農村史料から,断続的であるが長期間にわたる書入利子 42) 率と証文貸利子率の変化をたどっている。 安岡氏は鴻池家文書から契約利子率の変動を考察するとともに,同家算用帳 を用いて各年の「貸有銀に対する利入の比」を算出することによって,利子率 43) の長期変動を明らかにした。福山氏ほ摂津国嶋下郡の利貸経営史料から「利貸 利銀収入を貸銀から借銀を差引いた正味貸高で割って求めた自己資本に対する 利潤率」を計算し,これを利子率指標として天明元年から文化2年までをあと 44) づけた。水原氏は長崎の両替商の帳簿から608件の貸付事例を見出し,個々の 45) 利子率を時系列化した。その期間は文政4年から弘化3年までである。さらに 46) 新保氏は,安岡氏の利子率系列や三井家の同種データに基づいて貸付高と利子 率が相関していること,また前掲『近世大阪の物価と利子』収載の質屋利子率 47) 系列と物価とが逆相関関係にあることを指摘した。斎藤氏も後者の事実を見出 48) し,これに経済学的解釈を加えた。 ⅠⅠⅠ 以上,近世価格史研究における各種業績を概観してきたが,これらの多くは 中央市場である大坂や京都さらに江戸の価格であり,このため市場経済の展開 論は全国的視野からなされてきた。地方の価格を考察する場合においても中央 市場との連関をメインテーマとする研究が多い。このような流れの中で,価格 史とは若干趣を異にするが,数量的接近という点と地域史研究という点で筆者 と共通する穐本洋哉・西川俊作両氏の研究成果について触れておかなければな らない。

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両氏の利用した中心的史料ほ『防長風土注進案』であるが,すでに穐本氏ほ 49) これを用いて人口と経済の連関を追求し,のちに西川氏と共同でコブ・ダダラ

50) ス生産関数を適用して防長両国の農業限界生産力を計測した。そしてこの値が

最低生存水準と同じか,もしくほそれを上回っていたこと,さらにこの値が非 農業賃金にほぼ等しいことを検出した。また西川氏は石部祥子氏とともに防長 両国17宰判のうち三田尻宰判を取上げて「地域所得勘定」を推計し,同地域の 51) 可処分所得・消費支出・貯蓄率などを計算した。穐本氏も同様の方法を用いて 52) 防長両国全体の「地域所得勘定」を推計し,これと平行して周防国大島宰判の

53) 消費関数を計測し,各種消費支出の所得弾力性を検出した。同氏はさらにまた,

三田尻宰判において宝暦期から天保期にかけて農業生産性の成長があったこと 54) を明らかにし,その要因分析をも行った。 両氏ほ防長地域において市場経済が展開していたことを前提にして各種の経

55)56) 済数億を推計したのに対して,筆者ほ播州と讃岐を取上げ,市場経済の展開そ

のものを価格史的側面から考察してきたが,最後に地域市場に関する筆者の見 方を簡単に述べて終ろう。 価格史研究の多くほ全国的規模の市場圏を前提としているが,筆者はほるか に小規模な市場圏を想定した。その圏内にあっては農民は封建的諸規制下にあ りながらも一・定の自由な経済行動を取ることができ,諸市場において需給法則 57) が貫徹し得るいわゆる「経済社会」が成立していたと考える。すでに局地的市 58) 場圏という語が使用されてきているが,この語の多くは特定の市場村を中心と したより狭い生産物市場圏の意味に使われている。その村では定期的に市が開 催されているかも知れないし,取引が恒常化して常設店舗となっているかも知 れない。いずれにしてもその村は市場圏内における生産物の交換の場所であっ た。ここで想定した市場圏はこのような市場圏を包摂するばかりでなく,土地 や労働などの生産要素市場や金融市場をも包み込んでおり,言葉の便宜上,こ

59) れを地域的市場圏と称することにする。ただし生産物市場とは異なり,生産要

素や資金取引は地域全域にわたって個別契約でなされるが,その価格は需給法 則(市場メカニズム)に従って決められる点ほ同じである。

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注 1)P Aサムエルソン著・都留垂人訳『経済学』下巻(原書第7版),岩波書店,914頁。 2)RLノ、イルブローサ著・小野高治・岡島貞一・郎訳『経済社会の形成』東洋経済新報社。 3)IRヒックス著・新保博訳『経済史の理論』日本経済新聞社。 4)同上喜,38頁。 5)Kボランニw著。玉野井芳郎・栗本慎一郎訳『人間の経済』Ⅰ,岩波書店,90貢。 6)同上書,95頁。ボランニー は,『大転換』の中でもう1つの経済原理として「家政」を掲 げたが,『人間の経済』でほ再配分の範疇にこれを入れている。 7)Kポラソニー・著・吉沢英成・野口建彦ほか訳『大転換』東洋経済新報社,89頁。 8)同上書,53→55貢。 9)同上雷,57貫。 10)同上讃,52頁。

11)DNorth and RThomas,‘An Economic Theory of the GIOWth of the Western World,’EconHist Rev,2ndserVol23,1970;L DavisandDNorth,‘Institutional Change and American Economic Growth∴Joumof EconHist,Vol30,1970;D North and RThomas,‘The Rise and Fallof the ManorialSystem,’Joumof Econ Hist,Vol31,1971;−,TheRiseoftheWesternWorld:ANewEconomicHistory, 1973(速水融・柏木洋哉訳『西欧世界の勃興』ミネルヴァ書房)。ノース理論の紹介と批判 には角山栄『経済史学』東洋経済新報社,同氏「DCノースにおけるニュー・エコノミッ ク・ヒストリの方法」(秀村選三・原田敏丸ほか編『近代経済の歴史的基盤』ミネルヴァ書 房),大塚久雄,ダグラス・C・ノース「(対談)経済史の基本的問題をめぐって−−一近代西 欧社会の形成…」(『思想』1976年7月号,岩波書店),川北稔「エ業化社会への移行モデ ル」(『社会経済史学会編『社会経済史学の課題と展望』有斐閤),岡田泰男「制度史的アプ ローチ」(角山栄・速水敵編『一講座西洋経済史』第5巻,同文舘)などがある。 12),13)ノ、−ス=トーマス前掲雷,2・3頁。ノースによると,制度の革新は生産物(農業・ 非農業)や生産要素(労働・土地)の相対価格の変化,市場の拡大,そして政治的な意志決 定戦構の変化によって引き起こされ,これにより規模の経済性と交易コストの低下がもた らされたとする。後者には,外部経済の内部化,情報コストの引き下げ,リスクの分散を含 んでおり,いずれも新古典派的市場経済の効率性と矛盾するものではない。ただ経済学的に は前者の規模の経済性が作用する時,効率的な資源配分は阻害されるとされているが(たと えば,今井賢一・・宇沢弘文ほか著『価格理論』ⅠⅠ,岩波書店),少なくともここで用いてい る「規模の経済性」という言葉は,競争的市場が整備されたことにより経済が効率的になっ たことを意味している。 14)これらの研究史についてほ,宮本又次「物価及び利子の研究に関する覚書」(同氏編『近 世大阪の物価と利子』大阪大学近世物価史研究会),伊牟田敏充「物価騰貴と幣制混乱」(歴 史学研究会編『明治維新史研究講座』第3巻,平凡社),作道洋太郎「物価変動と貨幣政策 をめぐる諸問題」『歴史学研究』第278号(後に同氏『近世封建社会の貨幣金融構造』塙書

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房に収録),安岡重明「物価・度量衡」(井上幸治・入交好傾編『経済史.入門』広文社)など に詳しい。 15)新保博『近世の物価と経済発展』東洋経済新報社。 16)山崎隆三『近世物価史研究』塙書房。 17)岩橋勝『近世日本物価史の研究』大原新生社。 18)新保氏の著書に対して,尾高塩之助氏(『経済研究』第30巻1号),鶴岡実枝子氏(『社会 経済史学』第46巻4号),西川俊作氏(肝国民経済雑誌』第140巻3号)らが書評を・行って いる。山崎氏の著書に対してほ宮本又郎氏(『歴史学研究』第529号)と斎藤修氏(『社会経 済史学』第50巻2号)らの書評がある。また岩橋氏の著書に対して新保氏(『社会経済史学』 第49巻5号)が書評を行うとともに,宮本氏は「江戸時代物価史 ファインデソグスと問 題点」(『大阪大学経済学』第32巻2・3号)で同書をマクロ経済学的に.解釈した。 19)新保博「江戸後期における物価の地域差」『国民経済雑誌』第139巻5号,同氏「江戸の 物価変動」『国民経済雑誌』第142巻6号,同氏「幕末期における江戸の物価水準」『国民経 済雑誌』第145巻5号,同氏「煮末期における江戸と大阪の物価水準」『国民経済雑誌.』第 145巻6号。 20)岩橋前掲雷,26頁。 21)官本又次編『近世大阪の物価と利子』大阪大学近世物価史研究会。 22)作造洋太郎「幕末維新期の価格変動と幣制」『バンキソグ』第222号(後に同氏『近世封 建社会の貨幣金融構造』塙書房に収録)。 23)鶴岡実枝子「近世近江地方の魚肥流入事情」『史料館研究紀要』第3号,同氏「近世米穀 取引市場としての大津」『史料館研究紀要』第5号。 24)宮本又郎「近世後期大阪米価の短期変動」『大阪大学経済学』第24巻3号,同氏「近世後 期大阪における米価変動と米穀取引機構」『経済研究』第26巻4号,同氏「近世米価の変動 と大阪における米穀需給」『大阪大学経済学』第25巻2・3号,同氏「大阪蔵屋敷の米切手 供給関数」(秀村選三・原田敏丸ほか編前掲書),同氏「幕末明治初期京都の物価変動」『大 阪大学経済学』第30巻2・3号,同氏「江戸時代における諸地方米市場間の連関性につい て」『大阪大学経済学』第31巻2・3号,同氏「江戸時代物価史ファインディソグスと問 題点(1)」『大阪大学経済学』第32巻2・3号。 25)斎藤修「大阪卸売物価指数1757−1915年」『三田学会雑誌』第68巻10号。 26)草野正裕「徳川後期における生産物価格の変動」『六甲台論集』第20巻2号。 27)同氏「江戸後期における米価の地域差」『福井県立短期大学研究紀要』第8号,同氏「江 戸後期における米価」『福井県立短期大学研究紀要』第9号。 28)長谷川彰「近世中期物価の地域比較についての一・考察」『桃山学院大学経済経営論集』第 17巻2号,同氏「幕末期における筍油価格の動向」『桃山学院大学経済経営論集』第20巻3 号,同氏「幕末期における物価変動の地域比較」r桃山学院大学経済経営論集』第21巻2・ 3号。 29)水原正字「近世末期の物価」(宮本又次編『商品流通の史的研究』ミネルヴァ書房)。

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30)贋山謙介「大阪市場における塩取引と卸売価格についての覚書」『日本塩業の研究』第19 集。 31)竹安繁治『近世小作料の構造』御茶の水書房,139∼143真。 32)同氏『近世封建制の土地構造』御茶の水苔房,第6章。 33)速水融「近世関東における農村奉公人賃金」『三田学会雑誌』第51巻3号(後に同氏『日 本経済史への視角』東洋経済新報社に収録)。 34)中井信彦編『近世後期における主要物価の動態』丸著。 35)梅村又次「建築業労働者の実質賃金1726−1958年」『凝済研究』第12巻2号。 36)佐野陽子「建築労働者の実質賃金1830−1894年」『三田学会雑誌』第55巻11号。 37)同上,74頁。 38)新保前掲論文。 39)斎藤修「農業賃金の趨勢」『社会経済史学』第39巻2号。 40)同氏「徳川中期の実質賃金と格差」『社会経済史学』第41巻5号,同氏「徳川期の賃金格 差構造と実質賃金水準」(新保博・安場保舌編『近代移行期の日本経済』日本経済新聞社)。 41)江頭恒治「近江商人の利子率について」『彦根論叢』第65・66・67号(後に同氏『近江∵商 人中井家の研究』雄山間に収録)。 42)中村哲『明治維新の基礎構造』未来社。 43)安岡垂明『■財閥形成史の研究』ミネルヴァ書房。 44)福山昭『近世腰村金融の構造』雄山閣。 45)水原正字「近世の利子率に関する一・考察」『彦根論叢』第138号。 46)田中康雄「江戸時代後期における三井両替店の経営動向」『三井文庫論叢』第3号,賀川 隆行「三井両替店の経営と蓄積」『三井文庫論叢』第8号。 47)新保前掲喜,239貢。 48)斎藤修「徳川後期における利子率と貨幣供給」(梅村又次・新保博ほか編『日本経済の発 展』日本経済新聞社)。 49)柏木洋哉「近世農村社会における人口増加と経済」『三田学会雑誌』第64巻2・3号。 50)穐本洋哉・西川俊作「19世紀中葉防長両国の農業生産関数」『経済研究』第26巻4号,西 川俊作「農業生産性・生存水準・非農業賃金」(新保博ほか編『数鼠径済史入門』日本評論

社),同氏,“Productivity,Subsistence,and By−Employmentin the MidvNineteenth CenturyCh6shu”,ExplorationsinEconomicHistory,Vol15,No1,January1978 51)西川俊作・石部祥子「1840年代三田尻宰判の経済計算」(1)(2)『三田学会雑誌』第68巻9・ 10号。 52)穐本洋哉「幕末期防長両国の生産と消費」(梅村又次・新保博ほか霜前掲書)。 53)同氏「19世紀中葉周防大島宰判の消費関数」『三田学会雑誌』第68巻11・12号。 54)同氏「近世後期三田尻地区の農業発展」『東洋大学経済研究所研究報告』第8号,同氏「近 世後期周防大島地区の農業生産と食糧供給」『東洋大学経済研究会経済論集』第9巻1号, 同氏「周防地方における水稲作期の晩化と農業発展」『東洋大学経済研究所研究報告』第9

(12)

号。筆名が取上げた播州と讃州においては,実際面帯(南畝)と台帳面帯(本畝)との間に 著しい差が認められ,石盛の低い田畑ほど有畝/本畝比率が大きく,また畑地のそれは田地 のよりほるかに大きい値となっている。これに祀、じて,実際生産高も石高をはるかに上回っ ていたものと考えられる。実際生産高は不明であるが,作徳米と年貢諸役との合計である宛 米高がわかり,以上のことを検証できる。周防地方においても有畝と本畝とはかなり轟離し ていたであろう。同氏「近世後期三田尻地区の農業発展」で取上げた宝暦期の生産高は勿論, 公称生産高つまり石高であるが,天保期『防長風土注進案』「物産」は宥畝から得られた実 際生産高を示しているものと考えられる。同論文の第1∼4図ほ,反当り田島高ないしは反 当り畠高(両時期の面積はともに台帳面積を示していると考えられるから,これを言いかえ ると石盛)が低いほど,宝暦期から天保期にかけての成長率が高くなっているように示され ているが,これほ南畝と本畝との轟離によるのではなかろうか。 55)拙稿「播州農村における干鰯商の金融活動」『大阪大学経済学』第25巻1号,同「近世農 村の雇用労働に関する若干の数盈的分析」『大阪大学経済学』第25巻4号,同「近世中後期 農村における豊凶指標サイクルと人口・米価・賃銀について」『大阪大学経済学』第26巻1・ 2号,同「播州近藤家の魚問屋運営と帳合法」『大阪大学経済学』第26巻3・4号,同「近 世における金融構造の一・考察」(秀村選三・原田敏丸ほか編前掲雷),同「近世における小作 料水準の規定要因とその長期趨勢」『大阪大学経済学』第27巻2・3号,同「近世における 豊凶状態と出生数・出生性比」『大阪大学経済学』第27巻3号,同「近世農村における金融 貸借関係と訴訟出入」『大阪大学経済学』第28巻1号,同「近世農村における奉公人賃銀」 (新保・安場編『近代移行期の日本経済』日本経済新聞社),同「近世農村における利子率 とその変動要因」『社会経済史学』第45巻6号。 56)拙稿「近世讃岐農村における農地価格について」『香川大学教育学部研究報告』第Ⅰ部第 58号,同「近世後期高松藩領農村における農地価格と米価・利子率について」『香川大学教 育学部研究報告.月第Ⅰ部第60号,同「高松藩の年貢米永年販売について」『香川史学』第12 号,同「高松藩領農村における農民移動の地域的分布」『香川大学教育学部研究報告』第Ⅰ 部第63号。 57)「経済社会」の概念についてほ,速水融『日本における経済社会の展開』慶応通信,/、イ ルブローナ前掲雷に詳しい。 58)局地的市場論については大塚久雄氏がすでに展開され,それらは『大塚久雄著作集』第5 巻(岩波書店)に再収録されている。塩沢君夫・川滞康次『寄生地主制論』(御茶の水書房) では同一観点から近世尾張地方の局地的市場周の検証を地主制成立史との関連で行った。 59)「地域的市場圏」と称したのは,本文に指摘したことに加えて,以下3つの理由による。 1い 大塚氏によると,「地域的市場圏」はより広い範囲の市場圏をさしているが(たとえば 16世糸己中葉のイングランドは,3つの地域的市場圏から構成されていたとした),局地的と 訳されている「local」という語は,日常的には「地域」ないしは「地方」という意味で使用 されている。2.M ウェーバー著・黒正厳・青山秀夫訳『一\般社会経済史要論』上巻(岩 波書店,253貴)には「lokale」を「地域」と訳出しているし,ボランニー『人間の経済』

(13)

においても「localmarket」は地域市場となっており,必ずしも局地という言葉にこだわる 必要はないであろう。3.筆名が使用してきた言葉と整合するからである。たとえば奉公人 の出身地分布がどの程度であったかを言う場合,その地域的分布ないしはその地域的広が

参照

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