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大学入試の諸問題--大学入試改革と統一テストを中心として---香川大学学術情報リポジトリ

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大学入試の諸問題

大学入試改革と統一テストを中心としで

宮 本 裕 は じ め に わが国の教育をゆがめている諸要因のうちノ,内部要因として,大学人試がも っとも重視すべきものであるこ・とほいうまでもない。また,大学入試の改革を 要望する声は,すでに世論にまで高まっていて−,いろいろの機関で大学人試問 題軋関する検討が進められている。中教審の入試問題合同小委員会ほ,44年暮 に.高校の調査書重視と調査書の学校差是正のための共通テスト,という「改善 .」案をまとめた。また文部省は大学入試「改善」を文部行政の最重点項目とし てとりあげ,48年秋をめどに,高校3年生を中心に受験生約8,000人を対象と し,全国共通テストを行なう構想をまとめている。国大協も入試調査時別委員 会を設け,大学人試問題を検討し,国立大学の鼠見とりまとめを急いでおり, 国公私立大学の45校の加盟する大学基準協会も大学入試制度改革研究委員会を 設け,その検討結果を発表した。(47年8月22日)これらの検討結果は,積極 的,消極的のちがいはあっても,全般の傾向として統一テスト賛成の方向にま とまりつつあるように見受けられる。 しかし,統一テストには多くの重要な問題点が指摘でき,十分な検討なしに 安易に賛成したり,拙速主義で実施にふみ切ることに・ほ賛成できない。香川大 学に.おいてほ,評議会, 入試委員会などでそれぞれに入試問題の検討が進めら れているが,香川大学構成員全員がさら紅討議を深め,この間題に関する理解 と合意を作りあげることが緊急であると考える。ここに紙面を借りて,大学入 試についていくつかの問題点を指摘したい。 本論に入るに先だって,大学基準協会の「報告酋」が大学人試問題を概観す るのに適当であるので,たたき台をかねて,その内容を簡単に紹介しておこ

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う。 「報告書」ほ総論と各論とからなり,各論は,(1)大学人試問題の根源(2)大 学入試改革の前提(3)大学人学者決定制度改革についての具体的検討(4)結語 の各項目からなる。「報告書」は,まず大学入試改革の基本的考え方として, その根本的解決は制度的改善によ.って達成できるものではなく,学歴偏重とこ れと結びついた−・部特定大学に対する事大主義的な現在の社会的風潮を清算す ることこそ大切である,と指摘し,具体的な改善については.拙速主義をとるぺ きでないとして,慎重な検討を要望している。「具体的険計」の項目では,大 学入試に考えられる方式として,①全員入学方式 ④抽選制 ⑨推薦制 ④大 学独自の学力試験 ⑨いわゆる「調査書重視」 ⑥統一・(共通)テスト ①以 上の諸方 式の併用 ⑧適性試験 をあげ,統一プ■ストの検討に最も多くの紙面 をさいているが,結論は出さず,プラス・マイナスの両面をあげるに止め, さらに.問題を統一テストにしばって,来春までに.具体的な鹿論を出すことにし ている。 ここで,私はわが国の中学,高校の置かれている事情をよく表わして∵いる挿 話として,立川第ニ中学の「オール3騒動」を引きたい。 もちろん,私も新聞その他の報道以上紅知っているわけではないが,一応事 件を経過を追って整理しておこう。 この事件の発端は,音楽を担当し,3年生の組担任でもあった鈴木晶子教 諭が,1学期の成績を「−みんな−・生懸命がんばった。区別できない」という考 えで「全員3」ときめた。この考えほ,たしかに.一・つの見識であるが,それを 直ちに実行にうつすには,問題がないとはいえない。そこで学校側は,一応音楽 欄を空白のまま通信簿を生徒に渡し,以後の音楽の評価についてほ.鈴木教諭も 考えなおす,ということでこの問題は解決したと思われた。ところが,このこと を問題にした一・部の父兄とPTA役員は,このような「無責任」な教師に子供 をまかせるわけにはいかない,という理由で鈴木教諭のクラス担任と教科の担 当とをおろすよう,「学校側」に強く迫る。「学校側」は,父兄の圧力のまえに鈴 木教諭のクラス担任をおろし,新しくクラス担任を決めるが,鈴木教諭は鮮任

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大学人誠の諸問題 73 を拒否し,2人の粗担任がいる,という異常事態が出現する。一−・方生徒は鈴木 教諭を支持し,新しい組担任を受け入れない。この事態に困惑した「学校側」は 新に任命した組担任も鈴木教諭もともに粗担任からおろし,代って徽頑を組担 任とするという案を出し,PTA役員ほこれを受け入れるが,生徒と鈴木教諭 ほこれを拒否する。窮した「学校側.」ほ,教頭を正式の組担任,鈴木教諭を 副の組担任とすることで生徒と話しあおうとするが,新しい組担任(教頭の) の話しの間に.,41人の生徒の中24人が席を立って,ボイコットするという事件 がおこる。しかし,鈴木教諭ほ聡員会議の席上,「子どもたちの混乱がかわい そうだ」との理由で事実上担任をおりる発言をし,ボイコットした生徒たらと 話しあい,「いまでは連日の聴員会議などで,もうもちこたえられなくなって来 た。・そのことをこ.どもたちに話したところ,ほ.じめのうち,やめてはしくない といっていたが,最後には先生白身が決めてはしい,とわかって−くれた。私は やめたくは.なく,やめさせられたのだと思っている」(鈴木教諭の話。9月3日 付朝日新聞紙に.よる)「学校側の強い姿勢とこどもたちの混乱という板ばさみ の中で鈴木教諭が屈した形」(同紙による)で落着,というのがあらましの経過 である。報道でほ,一・般取員の動きほ.浮び上って来ないが,取員会議のゆれ動 いたありさまは,想像に難くないところである。 この事件にほ.多くの教訓が含まれている。学歴主義にゆがめられた父兄,時 に.こりかたまったPTA役員が,ただ進学に有利かどうかの観点からだけで学 校に圧力をかけたこと。校長,教頭などの学校管理の衝にある人達が学校運営 の立場のみに目をうばわれ,PTA役員のいうなりになったこと。勤評体制下 におかれた−・般の教師がこれら学校上層部に抗しえず,正しい解決の方向を見 失なったこと。したがって,この「解決.」は教育不在,生徒疎外の収拾であっ たと批判されて−も止むを得ないであろう。 私が敢てこの挿話をもち出したのは,この「事件」が1中学校におこったも のではあっても,初等・中学教育および前期高等教育一・般に共通な情況,小中高 校をとりまく社会的背景をよく表していると考えたからである。このような事 情は,大学入試の改革と決して無縁のものでは.ない。

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統一テストの諸問題 すでに明かにされた大学入試改善策に.ほ,大学・高校,政府・文部省のいず れの側を問わず,必ずといってよいほど「■統一・テスト」の採用がうたわれてい る。しかし,統一・テストの実施主体,性格など具体的構想にほ.さまざまな考え 方があり,また統一テストを採用して具体的に.どのような大学入試の方式をと るのかに.ついても,考えはまちまちである。 実施主体に/ついてほ.,高校が主体となって行なうべきであるとする東大入試 改革委および全国高等学校長協会と,大学が主体となるべきであるとする国大 協とがあり,「報告書」では「高校側が中心となって行ない,必要に応じて大学 側が協力する方法に強い関心が示された」と述べて,高校が主体となる考え方 軋近いことを示している。統一テストの性格について,高校間の較差調整のた め行うとする中教審入試問題小委員会および高校長協会と,大学入試の一・次試 験ないし「足きり」のために行なうとする国大協と,高校側が大学資格者を推 薦する趣旨で行なうものとする東大の意見などとがある。大学入試の具体的な 方式としてほ,大学が独自で行う学力検査との組合せを考える国大協や東大と, 「調査書重視」方式と組合せを考える中教審や高校長協会があり,大学独自の 学力検査と組合せる方式には,統一ゲストを大学入試の欝一・次試験とするもの の他に,調査書の調整のためのものとするものが考えられる。 これらの問題に.ついて,われわれはどう判断すべきか。実施主体を高校とす べきだとする論披ほ.,束大の意見,高校側が大学進学資格者を推薦する趣旨で 行う,に.つきているであろう。これに対し,大学側が行うべきだとする主張ほ, 大学の入試は本来大学が主体的に行なうべきであるとの論壕に立つ。しかし, 大学を憲法・教育基本法にもとずき,国民の教育要求にこたえる場であるとの 側面を考えると,入学者の選抜に当って,大学側の便益の立場に固執して,大学 の主体性を過度に主張することには問題がある。 統一テストの性格および統一・テストおよぴそれと組合せた具体的方式につい ては,その長所,欠点をあげで比較検討することが必要である。 統一テストの長所,欠点について,「報告書」ほ(イ)過度の受験勉強が不必要に

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75 大学入試の諸問題 なる。(ロ)各大学で綿密な学力試験を行なう余裕ができる。の2点をあげ,欠点 としては(イ)大学,高校の教育に国家統制をもたらす危険性がある,(ロ)大学の多 様化に対応できず,大学の主体性を確保できない,H共通テストをめざして, 新たな受験勉強が始まり,高校の教育をゆがませる,などの点をあげている。 ほたして統一テストの実施に.より過度の受験勉強がなくなるだろうか。統一・ テストをもって大学独自の学力試験に.代えるときは,大学受験勉強を統一テス ト勉強紅肩がぁりさせるだけでほないだろうか。また統一テストを「−・次試 験」とし,大学独自の第2次試験と細合せる方式をとるときに.,受験勉強を解 消させるため紅は,どららの試験にもそれを保障する内容,形式が必要であ る。 現在の大学入試の出題内容と形式に問題のあることが早くから指摘されてい たにもかかわらず,依然として改善されないのは,1つには受験者数の圧力の もとで,制限された時間内に.採点,集計を終らなければならない,という実務 的な制約のため,出題が○×式や択一式などのいわゆる「客観テスト」形式に ならざるを得なかった点にあり,2つには,大学入試の実情が「ふるい落すた め」の入試になっている点に.ある。しかし,統一テストを実施すれば試験事務 が膨大なものとなるので,採点,集討などほコンピュータ一によらなければな らないので出題の形式は技術的にも「客観テスト」にならざるを得ない。第2 の問題については,統一テストの出題内容が十分吟味され,得点による順位を つけないなどの改善が加えられたならば,ある程度の効果は期待できる。しか しかかる統一・テストでは,第二次試験の受験者を制限する効果は期待できな い。しかもこの状況は,現在「優秀」な受験生が集中し,受験勉強激化の根源 をなしている劇部特定校にかえって顕著に現われるであろう。また「足きり」 の効果を期待すれば,出題が妥当性を欠いたり,1点を争うことに.なったりし て,これまた受験勉強を解消する効果ほ期待薄紅なる,という皮肉な結果とな る。 いずれにしても,統一・テストの採用で過度の受験勉強がなくなるという期待 は,幻想にすぎないようである。

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中教審,高校鳥協会は,統一テストを高校差調整のため,と性格づけてい 尋。こ・のばあい,高校は統一テストの結果紅より「評価」され,ランク付けさ れることになる。したがっですべての高校が統一・テストに.好成績をあげること を目標に,高校の立場から,生徒を統一テスト勉強にかりたてることになるであ ろう。一・方,大学間に格差があり,社会的にほ学歴を偏壷する風があるこ.とほ

厳然たる事実である。かかる社会情勢を反映して,父兄が子弟にほ受験勉強

を,高校には受験教育の実施を求めることになるのほ明かである。このように, 高校側と父兄との要求が−・致した形で,あげて統一テスト向けの教育に狂奔す るような事態になったならば,その弊は現状をほるかに.超えるものとなるだろ う。高校に.正しい教育観の持主である教師が数多く在阪しておられることはい うまでもない。しかしこれらの教師も,勤評体制と高校外からの圧力紅抗し て,はたしてどこまで高校教育を守りう るだろうか。このよう紅考えてくる と,統一テストにより「過度の受験勉強がなくなる」とは考えられないばかり か,かえって高校教育を統一テスト向けの教育として画一イヒし,ゆがめる危険 性が大であり,高校教育に国家統制を許す素地さえも胎んでいるといえよう。 統一テストが大学・高校の教育に.国家統制を許す危険性を胎むものであるこ とは,すでに「■報告書」などでも指摘されている。すで紅述べたよう紅,統一・ テスト実施が新たに受験勉強を生むような情勢紅なると,高校教育が統一・テス トの出題傾向に支配されて全国的に画山化する危険性が強い。このことは,統 一テストの出題傾向を左右することに.より,高校教育の内容を容易に支配しう るということに.外ならない。−・方,現在教科書には検定制度が敷かれている。 検定制度と統一テストの出題傾向とをあやつれば,高校数科苔の画一イヒは容易 であろう。このことはまた,高校教育を政府・文部省が間接的に統制すること が容易になることを意味する。このよう紅統一テストには,高校教育,ひいて は.大学教育に国家統制の途をひらぐ性格を含んでいるといわざるをえない。こ こにおいて,統一テストを通して政府。文部省の高校教育への介入を許さない最 低限の条件は,統一テストを完全に大学・高校の自立性のもとで行なうことで ある。しかし,現在大学・高校の置かれているような人的,物的貧困のなか

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大学入試の諸問題 77 で,大学・高校がそれだけの負担増に.耐えうるだろうか。また政府・文部省が 必要な条件の整備を約束したとしても,兵紅大学・高校の自立性のもとで登備 される保障がえられるだろうか。統一テスト実施を機に,政府・文部省が直 接・間接紅高校教育に介入して来る危険性ほ否定しうべくもないであろう。 統一テストの欠点の今一・つの側面として,大学格差の拡大の問題がある。統 一テストを安易に.実施すると,特定大学に集中する事大主義的な社会の風潮の もとでは,統一テストに好成綴をおさめたものが特定大学に集中し,大学の研 究教育に新たなひずみと矛盾を生みだすこととなる危険がある。この問題につ いてほ,統一テストの性格,大学入試の具体的実施方式と深くかかわりあって いるので,慎重に.総合的に検討する必要がある。 推薦制および「調査書重視」方式について これらの方式の最大の利点は,受験勉強・受験教育の解消に役立ち,高校教 育を正しく発展させる基盤を確立しうる点である。 欠点ほ同一・高校内に新しい競争をもちこむ危険性,大学の学生受入れについ て主体性が確保できるかという疑問,高校問の「較差」調整の問題,高校の推 薦,調査苔などの公平性,信頼性の問題などが指摘できる。 全員入学方式ほ国民の教育権紅こ.たえる点でほ,もっとも完全であり,受験 勉強も解消する。しかし,残念ながら現在の日本にほ.完全入学方式を実施する 条件は整っていない。また完全な抽選方式を採用するには,納得させるだけの 必然性がない。 なお,「報告苫」が全員入学方式に関し「異なった水準の学生を混在させて は,本来の教育は不可能である」と述べているの紅は異論がある。教育は本来 基本的人権にかかわるものとして,本質的に個人と個人との関係で遂行さるべ きものである。現実には,日本の学校教育ほ「学生」集団対教師の関係で行な われそれ紅疑問をもつものははとんどない。その理由は.,明治以来の国家目的 達成のための教育という間違った教育観が浸透している,歴史性によるもので あろう。「異なった水準の学生を混在させ」るときの困難性は,人的,物的貧困さ

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などの条件の不備に帰すぺきであり,「本来の教育は不可能.」とすべきでほな い。 さて,全員入学方式,抽選制が採用し難いとして,次に,推薦制またほ「調査書 重楓」方式を検討する必要がある。これらの方式は,本質的に受験生ないし高 校の側に立つ方式で,その点統一・テストを採用する諸方式が大学側に立つ色彩 をもつのと対席的であり,患法・教育基本法の精神紅照して−,正しい方式である といえよう。この方式ほ大学が高校時代の成果,とく紅高校の評価を信放し, それ把依存する方式であるので,完全に実施すれば受験勉強ははとんど完全に 廃絶できるであろう。反面,同じ高校内で競争を激化させる危険性があり,高 校生間の人間関係をゆがませ,人格形成紅も悪影響を与えるなどの欠点があ り,これらの弊害を除去ないし防止するよう,教育面ならびに推薦および調査 書の両面について高校の慎重な配慮が必要である。またこの方式を大学独自の 学力試験などの方式と組合せて採メ許するのでほ.,受験勉強の解消に十分な効果 をあげうるとほ.保障できず,上述のような新な弊害を生む危険性もあり,あま り有意義な方式であるとは考えられない。 高校差調整ほ,一見公平性を保障するものとして−,必須であるようにみえ る。現実に大学入試の得点に.は高校問の較差があり,統一テストにおいても, その成績に有意な差が見出せることは予想されるところである。しかしこれら の「較差」が,ほたして各高校生徒の能力ないし資質の差を正しくあらわすも のだろうか。 現在社会には,大学入試に「好成績」をあげる高校が「優秀」高校であるとみ なす傾向があり,受験をひかえた子女をもつ父兄には特に強い影轡を及ばして いる。また,多くの地方自治体ないし教育委員会ほこの風潮に輪をかけるよう に,「優秀.」教員を一部の特定高校に集めようとする傾向を見せている。また使 用される教科書はまちまちで,内容的に特徴をもち,項目により精粗の差ほき わめて大きい。 一・方,大学入試は一恐らく統一テストもーいわゆる「客観テスト」であ る。かかる現実のもとで見出される「較差」ほ,受験技術教育の巧拙や熱心さ

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大学入試の諸問題 79 の高校による違に.よって生ずるものおよび生徒がどのような教師に出会うか, 使用数科書内容と出題との適合がどうか,など偶然性に支配される要因による ものなどで生来の能力・資質以外のものの影響が大きく,必ずしも正しく能 力・資質を評価しているとほ/いえない。こ.のような見かけ上の「較差」に.かか わりあって調整するのが正しいかどうかほ.さらに検討を要する問題があり,テ スト方式で入学者を選抜することの正当性にほ,大学の独自テストによるか統 一ゲストによるかにかかわらず問題があり,慎重な検討が必要である。 能力・資質の判定に関しては,従来の大学独自の入学試験が「−・発勝免」で あって,正しい評価を下していないという批判がある。この弊害は統一・テスト でも解消しえないであろう。推薦または周査書ほ教育の一・方の当事者である教 師が,日常の教育活動のなかで下した判断によるものであり,責任をもって行 なわれる限り,「−・発勝負」であるテストよりも正しく評価できるという意見は すでに確立しているといってよい。したがって,推薦またほ.調査書について問 題となるものほ.,公平性,信頼性の問題である。 たしかに,先に.立川罪2中学の事件をあげて示したように,小・中・高校に ほその内外に.推薦またほ調査雷の公平性・信頼性に疑問を感じざるを得ない 情況があることは否定できない。しかし,今,大学側が高校の推薦またほ調査 苔の公平性・イ言頼性をとりあげて問題に.しても,何らのみのりも期待できない のみならず高校と大学とを分裂させる役割をほたすのみだろう。われわれが現 在なすぺきほ,大学と高校との問に信頼関係を確立することであるが,それほ 根本的紅は教育に関係しているものとして一正しい教育体制を追求してゆく,い ほぼ教育改革運動の中でこそ達成できるものであろう。 入試問題と香川大学 大学内外の情勢は大学が入試に対する態度の決定を迫っている。香川大学と しても,独白の問題としてまた国立大学の問題として意見をまとめなければな らない段階にある。問題検討にあたって,留意しなければならないいくつかの 点について述べることとする。

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大学人試問題の検討の基本姿勢紅ついて 大学が入試問題を検討するとき,往々にして大学の便益の立場や,個々の大 学の立場に立ち,せまい視野からの検討に終ることがある。しかし,大学入 試のあり方が,現在日本の教育全般に甚大な影轡を及ばし,歪曲させているこ とを十分認識するならば,大学入試を現数育体系の上に偲置づけて検討するこ とが必要で,各大学独自の入試であってもこ.の視点を失ってほならない。 また,大学人試問題を検討する基本的観点ほ,憲法。教育基本法紅もとずくも のであるのほ当然である。しかし,われわれほ無意識のうちにこの観点を見失 っていることがある。例えば,全員入学方式を,それが正しいか誤っているか をあいまいにしたまま,自明のこととして−排除している傾向がある。しかし国 民の教育腱を保障する,すなわち憲法。教育基本法の精神にもとずけば,全員 入学方式こ.そもっとも完全把.国民の教育費講檻応えるもので,軽々に捨てるこ とはできないはずである。もちろん,現在の日本に全員入学を実施する基盤は 登ていない。したがって−,今日,大学入試を実施して希望者から入学者を選抜 することは止むを得ない。それほあくまで「止むを得ない」ので,入試を実施 するのが正しいから行っている,のでほないことを忘れてほならない。したが って一大学が行なう入学試験のあり方は,大学の便益のため,換言すれば大学の 立場から行なうものであってほならず,従って選抜するばあいでもまず大学で 研究教育をうけるものの樟利を保障するとの立場をとらなければならない。 具体的方式について。 今日香川大学が態度を決定しなければならない問題ほ,欝1に統一テストに 賛成するか反対するか,第2に統一テストの内容(性格,実施の主体,内容お よび範囲など)に関する意見,第3に国立大学および香川大学が採用する入試 方式。特に香川大学としては,統一テストが採用されたとき,独自テストをど うするか,などであろう。 今日まで各方面から発表された意見によると,大学入試の方式は,共通テス ト,大学独自の学力試験,調査書の3者をくみ合せた方式の検討にしぼられて 来ているようである。中でも,大学関係からの意見は,統一・テストを一・次試験

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大学入試の諸問題 81 とした大学独自の入学試験,またほ共通テストを資料として調整した調査書と 大学独白の入学試験の組合せ,などの方式に賛成が多いようである。しかし, 検討の過程で抽選制,推薦制,純「調査書壷楓」などの方式が排除されたのに は,いほぼ「わかりきったこと」として,深くほ検討しないで除外された傾が あるのでほないか。 −・方統一・テストには理念的にも現実的紅も問題点が多く,その中に.はきわめ て基本的なものも含まれている。新聞論調などを見ても,統「テストを支持す るぼあいでも,とりあえず大学入試の弊害を少しでも軽減できる方策として評 価し,その採用を支持しているので,大学入試の弊害を抜本的に除去できると も,特効薬的な効果をあげうるとも期待してもいない。 他方,推薦制および「調査書重視」方式には一・概にすてされない長所がある。 したがって,私ほ.まずこ.れらの方式をとりあげて一再検討することを提案した い。たとえば,推薦制に抽選制を組合す方式や,純「調査書重視」方式などを 検討することが必要である。このばあい,両方式とも,入学者決定の母体とし て全志望者をとるか,高校別志望者をとるかをあわせ検討しなければならな い。また後者のばあいは,高校別志望者数によって按分することほ全志望者を 対象とすることに.外ならないので,各高校の定員または進学希望者数による按 分などの方法を検討する必要があろう。

あ と が き

大学入試の問題を考えていると,つねに大学入試とほ何か,という本質問題 につきあたる。さらに一・方でほ大学論,もう一・方では個人と社会ないし個と全 体の問題について考えをかためておかないと,この問題について考えをまとめ ることができないのに気づく。 どの方式紅も,理念的にまた現実的にはっきりした対立点が見出せる,大学 人試問題に判断を下すのは,一\人−\人の人生観ないし教育観にかかっていると 言ってもよさそうである。したがって,この問題庭.香川大学として一つの結論 に到達することはきわめて困難でほなかろうか。しかし香川大学をめぐる国立

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大学内外の情勢は,われわれの決定を迫りつつある。この時に当って,この文 がいくらかでも役立つならば幸である。 〔附託〕 ニュースは国大協入試調査特別委員会が中間報告を発表したことを伝えた。 その内容ほ,共通学力テストの基本的構想と利用方法について,相当に具体的 かつ細部に.まで言及していて,国大協はこの中間報告をもとに,共通学力テス トについて国立大学の意向とりまとめを急ぐものと思われる。 発表された中間報告ほ,はば予想されたとおりであって−,共通テストは「原 則として個々の大学が第二次試験を行なう」ことを前提として,「出題は多く の大学から作成委員が出て作成」し,「試験科目は少くとも5科目」とし,「高 校での学習達成度についてしらべる」としている。さらに,「第二次試験では 綿密な出題をすることによって総合力や専門への適性をしらペるととができ, 両者を総合利用するととに.より,現行の「−\発勝負.」の弊害を是正しうる.」と 述べている。しかしこの考え方紅はすでに述べた多くの問題点がそのまま残さ れている。例えば,共通テストの性格を一・次試験と規定しているが,出題が相 当むつかしいものに.及ばないと,一・次試験を実施する意味がなくなり,過度の 受験勉強ほ解消できないのでほなかろうか。出題を平易なものに限定し,共通 テストが検定試験の性格をもつようになり,特にそれを大学側が行うことにな ると,高校教育の自立性から問題があり,また「信頼関係確立.」の上からも問題 がありはしないか。試験科目を「少くとも5科目」とすることで,理科2科目 選択制の実施に.よって引おこされる高校教育のひずみをさらに助長することに. なりはしないか。大学間に新な矛盾鵬たとえば較差を拡げるなど−を引お こさない成算はあるのか。これらの疑問には明確な解答ほ出されていない。 また「専門への通性をしらぺる」ことの意味ほ何か。それには大学エゴまたほ 入学試験と進路指導の混同ほないか。今こそ教育の原点に立ちかえって,大学 エゴイズムなど不純な要素を−・掃して,大学入試を見つめなければならない時 機ではないだろうか。

参照

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