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利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

金子・佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予幸め

利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報)

金子之史

香川大学教育学部生物学教室 (〒760 香川県高松市幸町1−1) 佐藤雅彦 利尻町立博物館 (〒097−03 北海道利尻郡利尻町仙法志字本町)

Identification and Distribution of

Red−backedVolesfromIs.Rishiri,Hokkaido (PreliminaryStudy)

By

YukibumiKANEKO BiologlCalLab;oratory,FacultyofEducation,KagawaUniverslty (1−1,SaiwaiCho,Takamatsu 760,Japan) Masahiko SATO RishiriTown Museum (Senhooshi,Rishiri−Cho,Hokkaido,097−03,Japan) 採集した宮尾(1968)は、形態的な大型化は島と いう特殊な環境で生じやすい変異であるとして、 利尻島には島型の大きいエゾヤチネズミが棲息す ると、太田(1956)‘、と同様な学名を採用した。

ところが、3年おくれてImaizumi(1971)は、

利尻島には開けた草原に分布するムクゲネズミと、 針葉樹林にすむそれより大型で尾長も相対的に長 く毛皮も黒いリシリムクネズミC.reズが棲息す るとして、後者を新種として記載した。その識別 形質は後者では上顎第三臼歯紋が複雑型、下顎第 二臼歯の後端の前にあるエナメル質で囲まれた三 角形が開放型、さらに口蓋末端の側橋(1ateral bridge)が未完成なことである。さらに、今泉(197

2a)はリシリムクゲネズミがムクゲネズミとは異

なった種であることを形態的な特徴と分布の比較 により明らかにし、識別形質である第三臼歯紋は 遺伝的特徴であることを飼育により示唆した。 はじめに 利尻島に棲息する短尾・プリズム型の有根の臼 歯をもつヤチネズミ属CZe£ん「わ托OmツS(留歯目J ハタネズミ科)の分類学的位置付けには、いくつ

かの異なった見解がある。そこで、利尻島のこの

ネズミに関する簡単な研究史を述べてみよう。 利尻島の野ネズミ類の記載は太田(1956)によ

りはじまった。彼は野鼠ではエゾアカネズミ

Apo(ゴem乙‘SαZ托比αi几比とエゾヤチネズミCZe£んri− oJlOm)′Sr叫わcα托比Sわe的「(プ£αe、家鼠ではドブ ネズミ月α己£比S托OrUeg£c乙↓Sとクマネズミ月.rα££㍑S を採集した。その後、今泉(1960)は、北海道の 属島である色丹島と大黒島に分布するムクゲネズ ミC.s£ゐ0己α花e花Sigを、利尻島鴛泊の利尻神社で 1頭採集したと述べ、その標本についていくつか

の形態的特徴をしめした。一方、利尻島の姫沼湖

畔と利尻岳(260m、390mおよび440、m)で28頭を − 37 −

(2)

しかし、Tokuda(1932)が記載した模式標本の

特徴から判断すると命名上の問題が残されている と阿部(1984)は指摘している。 以上みてきたように、利尻島に産するヤチネズ ミ類は1種であるのかそれとも2種であるか、ま たどのような学名を採用すべきなのかということ に関してまだ決着はついていない。学名を決める ためには大陸・サハリン・北海道および近隣の 島々におけるこのネズミ類のもつ形態的変異をま

ず明らかにする必要がある。そのためにも、分布

・繁殖期・形態的変異などの生物学的基礎的資料 を集めていかねばならない。 今回、利尻町立博物館主催の「平成4(1992) 年度利尻島調査研究事業」として、筆者らの一人 (金子)が同島をおとずれ、このグループのネズ ミを56頭採集した。現段階では、頭骨・骨格標本 が完成しておらず充分な形態的分析がおこなえな いが、上顎第三白歯紋から種の識別をおこないあ わせて採集地点・繁殖状況の分析をおこなったの で、ここに予備的に本調査研究事業報告の責務と して報告する。 採集地点と標本作製の方法 1992年8月に、北海道利尻郡利尻町沓形の2地 点でネズミ類の採集をおこなbた(図1)。採集

地点A(図2A・C・D)は、沓形小学校の南側

をはしる車道利尻登山線の南北両側にある畑地 (ダイコン、カボチャ、インゲンなどを植栽)と チシマザサ助sαた比riZerLS云s原(標高40∼50m) である。この地点は利尻登山線と一般道東利尻自 転車道の交差点よりやや東の位置にある。利尻登 山線の舗装道路の両脇にはオオイタドリアoZogo一 花比m SαCんαZ£几e71S£sが生えている。ここでの採 集期間は8月5∼10日である。 採集地点B(図2B)は、沓形にあるトドマツ Aわ£essαCんαZi托e71S£sが生えた森林公園(標高40 m)とより山側にある畑地およびチシマザサ原で ある。ここでの採集は8月5∼7日である。 採集方法としては、8月5日より毎日ワナを設 置し翌朝捕獲されたネズミ類と食虫類を回収し、 利尻博物館で標本番号をつけて計測・解剖後毛皮 ・骨格標本をつくり、午後より一部ワナを移動し た。ワナには金属製のギロチントラップとシャー マン式生け捕りワナを用い、餌にはギロチント Abe(1973)は、北海道本島や大黒島のエゾヤチ ネズミを飼育して形態的な比較をおこない、リシ リムクネズミの第三臼歯紋の複雑性はエゾヤチネ ズミの飼育個体の成長にともなう変化と比較して も特異的であると述べた。 ところが、Aimi(1980)が利尻島産ヤチネズ ミ類13頭を調べたところ上記の3識別形質(Ima− izumi、1971)がいっも揃ってみられるとは限ら ない結果をえたことから、リシリムクネズミはエ ゾヤチネズミのひとつの型(form)であると結論

づけた。それに対して、阿部(1984)は、Aimi

(1980)がとりあげた標本数や形質は少なく、ま た個体変異や年齢的変異への分析が不充分である として、リシリムクネズミをみとめる見解をしめ している。また、阿部(1984)は、リシリムクゲ ネズミは北海道日高山脈で採集されたミヤマムク ゲネズミC.mo7扉α几㍑S(今泉、1972b)と同一種 であると述べている。 ここでふたたび時代を遡ることになるが、To−

kuda(1932)は、北海道本島の東側にある色丹

島の野ネズミの一種をシコタンヤチネズミⅣeo− αSCんizom)ノSぶ淘iた0とα花e那£sと記載した。しかし、 その特徴が新属を設ける程度ではなく北海道産の エゾヤチネズミがより変化した程度のちがいであ ると考え、Tokuda(1941)はCZeとん「わ花Om)′S s£た0£α花e托S£sと属名を変えた。一方、今泉(1949) は北海道厚岸湾にある大黒島産のネズミをムクゲ ネズミⅣeoαSCんizomッs siゐ0£α花e托Sisα兢es/1よ とし、さらに今泉(1960)では属名を変更して上 述したように利尻島利尻神社の1頭を色丹島・大 黒島とおなじムクゲネズミCZe摘「わ花OmγSSもi− た0£α托e71gisと考えた。しかし、Imaizuml(1971) の段階ではこの1頑は新種のリシリムクゲネズミ と同定されたから、今泉(1960)にしめされたム クゲネズミCZe亡ん「わ托Om)′SSiた0とα几e71Sisの記載 は廃棄される(今泉、1979)。さらに、阿部(1984) は利尻島産に2タイプのヤチネズミ類を認めてい るものの、エゾヤチネズミに類似したネズミにつ いての具体的な記述をしていない。 最近のロシアの研究者はサハリン(樺太)南部 ・色丹島・志発島に2種類のヤチネズミ頬が棲息 することを報告しており、そのうちの1種はリシ リムクゲネズミによく似た第三臼歯紋の形状を示

している(Koschenko&Arrenova、1978)。

− 38 …

(3)

金子・佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報) 園1.北海道利尻島沓形における2採集地点(AとB). ラップにはカボチャの種子を、生け捕りワナには ヒマワリの種子をそれぞれ用いた。延べワナ数は A地点では765、Bでは177である。 外部計測には体重・頭胴長・尾長・後足長・耳 長をさおばかり(最小目盛0.5g)ディバイダー・竹 製物差し(最少目盛りは0.5mm)を用いてそれぞれ 小数点1桁まではかり、雌では乳頭の有無を確認

した。その後、解剖をおこない、雄では精巣長を

はかり副葦丸尾部が管状かどうかを判別し、雌で は恥骨結合の有無・子宮の状態・胎児の有無を観 察した。 標本番号のついた骨格標本は乾燥してから、カ ツオブシムシを用いて筋肉の除去をおこなった。 現段階まで充分に観察・計測できる頭骨標本は完 成していないので、臼歯紋の状態のみNikon製双 眼実体顕微鏡(SMZlO)で観察し、一部の標本は 20倍にてスケッチをおこなった。臼歯紋の構造に よりヤチネズミ類の種の同定をおこない、その同 定にもとづき、繁殖活動の状態と採集地点の分布 図について整理をおこなっ ヤチネズミ類の同定結果

採集されたネズミ填ではアカネズミApode−

m乙↓S印eCios㍑SがA地点で3頭、B地点で1頑で

あり、食虫類のトガリネズミぶoreこじ属はA地点で

18頭、B地点で2頭であった。トガリネズミ属の

種の同定はまだおこなっていない。ヤチネズミ属

はA地点(図5)で53頭、B地点の森林公園内で

ー 39 −

(4)

吏忌勅端銭間m卜﹂堪瑚ⅡN簑3§U︹盲L.U〃氷ヰ小㌢へ﹁−†へ㌣吋り刃吏べ剥簑せ掛刃♯ベベ時

簑ぜCり仙壁卑生けふ小Q墾Q薯軍 占‖吏長姉鎌迷γや︵慧LSh∈○だ〇.で票薫○︶ 告〇㌻ご∵〓て二−P吋り刃

(5)

金子・佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報) 表1.フィンランド産タイリクヤチネズミ(αeとゐ「わ几OJTWSr乙〃bcα花比S)の頭蓋基底長 にともなう第三臼歯紋の変化(Kaneko′1990). l 頭蓋基底長 図4のC 図4のF 図4のD 図ゾ4のE 22.0∼ 23.0′〉 24.0∼ 25.0∼ 26.0∼ 27.0∼ 28,0∼ 計 0 い 1 0 8 0 10 2 1コ 6 7 2 1 い 39 10 0 0 0 6 6 2 0 14 4頭であった。A地点でもより山側にむかった東 のチシマザサ原(図5の上方の破線で囲った地点) とB地点の森林公園周辺の畑地では食虫類および ネズミ類はなにも採集されなかった。ヤチネズミ 類のA地点における捕獲率は6.9%、B地点では2. 3%であった。 ヤチネズミ類の上顎臼歯紋には図3にみられる

ような構造がみとめられた。まず、図3AとBの

ような第三臼歯が完全に萌出していない幼体6頭 についてはあとから同定していくことにする。他

の個体は図3C∼Lにしめされるような臼歯紋で

あった。これらの臼歯紋は単純に同一種内の変異 であると割り切るにはあまりにも変化が大きすぎ

る。Imaizumi(1971)では、リシリムクゲネズ

ミは第三臼歯紋の内・外側で凹角数=3・凸角数 =4をしめすとされているが、単にその数だけで はこれらの臼歯紋は識別できない。そこでまず、 エゾヤチネズミと同一種のフィンランド産のタイ リクヤチネズミCZefん「わ几Omツざ「乙的cα乃㍑Sの成

長にともなう臼歯紋の変化をKaneko(1990)を

参考にして同定することにした(図4および表 1)。頭蓋骨底長の成長にともなう第三白歯紋の 変化では、若いときには図4Cのような臼歯後端 がうしろに伸びたような形をしめす。つぎは図4 Fの形で第三臼歯の後端は図4のCのように長く のびず内側がやや窪んでいるだけである。これは、 頭蓋骨底長の短い段階から引き続き成長しても観 察されるタイリクヤチネズミでもっとも多い歯紋 である。図4DあるいはEの形は頭蓋骨底長が中 間の大きさでみとめられ、Dはあきらかに内側凸 角数=4と凹角数=3をしめている。これらに共 通している特徴は、図4Ⅰ〕∼Fの前環に続く内側 第一の三角形が外側第一の三角形に比べて大きい ことである。 そこで、このような判断基準にしたがえば、図 3KとLはあきらかに内側第一の三角形が大きい ことでタイリクヤチネズミと同一型とみなせる。 また、囲3ⅠとJは図4Cに頬似した構造である ことから、この標本もタイリクヤチネズミと同一 型とみなせる。図3と図4は同一の拡大率で描い ているので、タイリクヤチネズミの図4と比べれ ば、図3の利尻島産のものは大型化していること があきらかである。ここでは、これらの標本はタ イリクヤチネズミCZe£んrio710m)′S r乙(わcα乃朋ぶと 同定しておき、今後北海道本島産や大黒島産のエ ゾヤチネズミの形態的変異をあきらかにしたうえ ー 41−

(6)

F

A

β

C

J〕

熱い・・耕′・・軒、か.・畑‥」ゼ

顎雷

ミ≦二‡

嗣M憮

図3.採集されたヤチネズミ類の上顎臼歯紋図. A,K6636:B,K6630:C,K6668:D,K6601:E,K6587:F,K6602: G,K6667:H,K6661:I,K6637:),K6638:K,K6639:L,K6608. AとBは幼体にみられた臼歯紋で,第三臼歯紋の後端部が未萌出である.A∼Hまではリシリムクゲネズミ Cge£ゐ「われ0汀W5re£と同定し,Ⅰ∼LまではタイリクヤチネズミC r乙的cα乃比5と同定した. − 42 −

(7)

金子■佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報)

A

8

C

図4.大黒島産(A∼B)とフィンランド産(C∼F) 臼歯紋図.A,K6468:B.K6469:C,K5107 ある. で、もういちど分類学的検討をおこないたい。 つぎに、図3CとDにしめした第三白歯紋は、

Imaizumi(1971)にしめされている写真の形状

と完全に一致するので、リシリムクゲネズミCZe− £んrio710mγS n㍑と同定できる。図3E∼Gはタ イノリクヤチネズミにみられる形状とはまったく異 なっており、臼歯に歯根ができないのであれば本 州産のヤチネズミ(金子、未発表)や中国大陸の 且0£んe7甘OmツSぶんα托Se£比β(Kaneko,1992)に類 似している。今泉(1972b)は北海道日高山脈産の ヤチネズミをミヤマムクゲネズミαefゐrわ乃Omツ∂ mo71ね托㍑Sとして新種記載したとき、本州産の 「ニイガタヤチネズミ属AscんizomγSに似ていて、 白歯が有根でなければ識別が困難なはどである」 と述べているが、この説明に一致した現象である。

事実、図3Gは今泉(1972b)の完模式標本の第

三臼歯紋図にきわめて頬似する。 図3Aと引こ類似した形状をしめしたK6604、

K6609、K6630、K6636およびK6666はいずれも

タイリクヤチネズミ(αe亡んr£0れOm)′βr乙的cαれ比S)の上顎 :F,5078、AとBは第三臼歯紋の後端部が未萌出の幼体で 体重が20g未満の幼体であり第三臼歯後端は完全 に萌出していなかった。現在、フィンランド産や 北海道本島産でそのような形状をした標本を保管 していないので、大黒島産の第三臼歯末萌出の標

本で代用することにした(囲4AとB)。図4A

とBの形状は図3AとBとは異なっており、前者 はすでに図4CとFにちかい形状である。それに 対して、利尻島で採集された幼体ではすべて第三 臼歯のエナメル質が完全に閉じた三角形をつくら ずにヘビのように長くのびた形状をしめす。この ことから、今回これらの幼体はタイリクヤチネズ ミ系のものではないと判断し、これらの標本をリ シリムクゲネズミCZe£ん「わ乃Om)′Sreズと同定した。 最後に、臼歯の曖耗がすすみ第三臼歯紋がわか

らない個体(K6661:図3H)について考える。

この臼歯のエナメル質は大変厚く、利尻島産のタ イリクヤチネズミよりもリシリムクゲネズミによ く似ている。そこで、一応ここではリシリムクゲ ネズミと同定しておく。 − 43 −

(8)

表2.採集されたヤチネズミ類(αeとんrZo7107乃ツS)の同定結果と体重別繁殖活動状態. 〟沓形小学校裏の畑とチシマザサ原(A) 体重(g) と.r乙直cα托“S C.reェ 雄 雌 雄 雌 森林公園(B) C.reェ 雄 雌 55∼ 1/1 1/1 1/1 仁1 ト1 1/1 1/0 1/1 5/1 2/2 3/0 4/0 6/0 5/0 1t 卜し〕 1ミ4 5/0 3/0 1/0 3/0 1/0 1/0 1/0 1/0 1/0 1/0 1/0 合計 4/1 2/1 27/2 120/4 3/1 1/1 表示方法:雄,個体数/副精巣尾部が管状個体の数. 雌,個体数/恥骨結合の消失個体数:Eと数字は胎児とその数でそれぞれ1個体のみ. ー 44 −

(9)

金子・佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報) lt

N−イ :

国fie・d 団ho†9rq∬

田b血00gm∬

国ⅦCqn†ground ★C.rex ☆C.rufoccmus r C.rex(you咽) O K‘661r⊂.rex∼)

25m

: 1 図5.採集地点Aにおけるタイリクヤチネズミ(CZe£んr去0710m)′Sr乙的cα花uS)とリ シリムクゲネズミ(C reェ)の分布.x印は3個のワナを設置したポイント − 45 −

(10)

みであった。ここにはトドマツが生えているが、 まだ高いものではない。ちなみに、沓形市街は1964

年5月15日に火災があり、今回の採集地点AとB

の地点付近は山火事にあっているという(松野、 1974)。

さて、Imaizumi(1971)および今泉(1971a)

ではC.reェ(リシリムクゲネズミ)の棲息場所 は森林で、C.s£ゐ0£α托e花S£s(ムクゲネズミであ るが今回はタイリクヤチネズミと別種であるかど うかの識別はしていない)のそれは草本であると

述べている。しかし、今回の採集結果では両種は

そのような森林と草本といった棲息場所のちがい をしめしておらずチシマザサ草原に棲息していた。

したがって、少なくともImaizumi(1971)や今

泉(1972a)が述べるようにリシリムクゲネズミ は森林性のネズミであるという記述に対して今回 の結果は否定できる。 さらに細かくみれば、リシリムクゲネズミは比 較的草本の端で畑地との境目でよく採集されてい るのに対して、タイリクヤチネズミはチシマザサ の密生したほうが優勢のようにみえる(図5)。 北海道大雪山の低標高地でムクゲネズミC.reこじ と土ゾヤチネズミC.「乙的cα花㍑占わe(ぴodiαeの生 け捕りワナを用いた結果において、ムクゲネズミ はクマイザサが疎で草本が混成した場所に棲息し たのに対して、エゾヤチネズミは主としてクマイ ザサが密集した場所であったという(中田、1978)。 今回の採集方法が捕殺による取り除き法であるの で、両種の棲息状況の厳密な意味での状態はあら わしてはいないが、今回の結果はこの中田(1978) の報告に類似している。

摘 要

1992年8月5日∼10日に、北海道利尻郡利尻町

の沓形の2地点でヤチネズミ頬の採集をおこなっ た。地点Aの沓形小学校の南側をはしる車道利尻 登山腺の南北両側にある畑地とチシマザサ原では ヤチネズミ属は53頭、B地点の森林公園内では4 頭であった。採集標本の上顎第三臼歯紋を、タイ リクヤチネズミや大黒島産のエゾヤチネズミ幼体 のそれと比較して同定した結果、A地点ではタイ リクヤチネズミ6頭とリシリムクゲネズミ47頭、 B地点ではリシリムクゲネズミ4頭となった。妊 娠雌も採集されたが、この時期では両種とも繁殖 同定結果にもとづく2種の繁殖と分布状況 以上の同定結果にもとづき、採集地点別・雌雄 別3g階級の体重別に表を作製し、さらに繁殖状 態をしるした(表2)。妊娠雌は、B地点の森林 公園では捕獲されていないが、A地点の沓形小学 校裏の畑とチシマザサ原ではタイリクヤチネズミ およびリシリムクゲネズミがそれぞれ1頭と2頭 採集された。

A地点におけるリシリムクゲネズミでは、雌の

妊娠個体および恥骨結合が開いた個体の最少の体 重は31gであり、雄の副精巣尾部が管状である個 体の最少体重は34gであるので、この辺りから雌 雄とも性的成熟に達すると考えられる。性的成熟 可能個体のうち雄では2/7=29%が繁殖活動を しており、雌では2/9=22%が妊娠しているの で、繁殖活動はそれほど高いとはいネない。雄で は体重43g以上がとれていないこと二雌でも40∼ 48gの個体がいないことから、繁殖の後期と考え られる。A地点におけるタイリクヤチネズミでも 同様な傾向があるが、充分な標本ではないため確 実なことはいえない。 A地点において、各標本が採集された場所を地 図上に記録した(図5)。この結果、タイリクヤ チネズミは限られた地域、すなわち道路の北側で しかも山側のチシマザサが密生した部分(図2A) とその周辺のススキと草本の生えた場所(図2D) で採集されていることがわかる。図2Dにおいて は連続した採集日においてタイリクヤチネズミが 採集された。一方、リシリムクゲネズミは畑の周 辺で比較的多く採集されている。道路の南側では リシリムクゲネズミだけである。ここでは二枚の 畑が棚状になっているので、その間にある畔は高 さ50cmぐらいの土手となっている(図2C)。こ の土手斜面の草本が生えている下の土壌の表面に はネズミのランウェーがみられるが、それは本州 ・九州・佐渡島に棲息するハタネズミ且グ£cro己㍑S moJlとeわeZZ£ほど明確なものではない。このよう な土手斜面はハタネズミが好む通路であるので、 リシリムクゲネズミがこのような場所で捕獲され たのは大変興味深い。ただし、連続してその場所 にワナを設置したが翌日にはネズミは捕獲できな かった。 さらに、採集地点Bの森林公園では、タイリク ヤチネズミは採集できずにリシリムクゲネズミの − 46 −

(11)

金子・佐藤:利尻島のヤチネズミ類の同定と分布(予報) 期の終期と推測された。A地点で両種の分布図を つくると、両種とも畑地とチシマザサ原に棲息し、 タイリクヤチネズミはササの密生しているところ を好む傾向がみられた。リシリムクゲネズミはサ サ原の周囲でとれ、草本の生えた土手状の畔にラ ンウエーがみられ1頭採集された。 謝 辞 今回この利尻島の自然調査を企画された、利尻 町教育委員会教育長で利尻町立博物館館長でもあ る五十嵐国夫氏に深く感謝する。利尻町立博物館 学芸係長の西谷栄治氏および同博物館主事の川合 広恵さんは今回の事業遂行にさいしていろいろな ご便宣を計って下さった。北海道酪農学園大学獣 医学部医動物学教室の浅川満彦氏は利尻島におけ るヤチネズミ類の採集地を快く御教示下さった。 京都大学理学部動物学教室の川島美生さんはじめ 帯広畜産大アザラシ研究会の皆様は大黒島のヤチ ネズミの標本を提供してくださった。これらの 方々に対して心より謝意を表したい。また、採集 に同行してワナかけを手伝ってくれた妻金子康乃 および息子金子背丈にも深く感謝する。 引用文献

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参照

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