鳥取大学教育学部妍究報告 教育科学 第17巻 第1号
139
教育の政治的宗教的中立性 と社会科教育
社会科教育教室糸田 (―
)は
じ め に 教育は現実の社会 を微妙 に反映す るもので あ り,特
に社会科教育は,現
実の政治的経済的社会 的諸現象をもその学習の対象 とす るだけに,現
実社会の,従
って政治か らの影響は,ま
ぬがれが たいものがある。 それは一定範囲までは現実的問題 として認容 し得 るとして も,政
治的社会的要 請が,特
定の政治的思想的性格や特定の価値観,イ デオロギーを教育の中に持 ち込まれる場合, 教育の個有の領域が侵害せ られ,そ
の 自律性 が失 なわれることになるのは,充
分警戒 されなけれ ばならないことで ある。 元来,教
育は政治と密接 な関係を持つ一 面を有す る。す なわち,戦
前の我が国の教育は,国
家 の手厚い保護の下 に発達 して来たもので,明
治維新以来,近
代資本主義,産
業制度の発展は,国
民を して職業教育,産
業教育を必要ならしめ,加
えて,ナ
シ ョナ リズムによる近代国家 としての 発展は,民
族意識,国
家意識の面からも教育の振興が要請せ られ,これ らが,
国家の教育 とい う 形 をとって,非
常に急速 に普及 していったもので ある。特 に近代国家の仲 間入 りをす る為 にも, 政府 は教育 に関 して非常に熱心であ り,政
府 自ら教育 に対す る責任 をおい,卒
先 して教育の普及 に努力し,法
令 によって,中
央政府か ら統一 的に教育方針 を指導 したので ある。そのことの是非 は別 として,我
が国 における近代教育が,政
府の手で推進せ られたことは注 目せ られなければな らない。 これは教育の普及とい う面や,特
定のイデオロギー,国
家意識の養成 とい う面 にrohいて は,効
果は大であったのであるが,そ
れと同時 に,教
育 に対す る政府の権 力とい うものを非常に 強大 ならしめる結果 となり,国
家や政府 が,教
育 を支配す ることになったので あり,特
に戦前の 公民教育が政治や政策の具 とせ られ,昭
和10年,文
部省内 に教学刷新評議会が設けられるや,「国 体の本義」に立脚 し,「
皇国の道」 にのっとった皇国教学思想の確 立をみることにな り,そ
の結 果,お
おみたか らとしての 「臣民の道」 を教示す ることこそ,公
民科教育の基本 目標で あるとさ れ,
自由主義的民主主義政治の行動原理 とは全 く,
くいちがった方向を示す もの となったので あ る。つ いで満州事変か ら支那事変へ と戦争の拡大 は,政
府の文教政策を,い
よいよ軍国主義国家 の方向にも りたて,政
府の思想統制はます ます きび しくな り,公
民科 もその内容は全 く「おおみ たか ら教育」 「皇民教育」 として,天
皇 に対す る随順の道徳 が打 ち出 され,民
くさとしての聖業 翼讃の道を教 えるもの となったのである。 斯の如 く戦前の教育特に公民教育が,そ
の本来の意義 を失い,政
府の思想統制の一翼 をにない, 国策の具 と化 して しまったことは,当
時の我が国の状況 か らはある程度,止
む を得 なかったとし て も,ま
ことに遺憾 に思 うものである。 折 口細 川 哲 :教 育の政治的宗教的中立性と社会科教育 戦後
,我
が国の教育は急速に民主化せ られ,教
育基本法も,「
教育は,不
当な支配に服するこ となく・・…・」 (傍点筆者)と
宣言 して,教
育の 自律性を認め,又
「普遍的にして,
しかも個性ゆ たかな文化の創造をめざす教育」 (傍点筆者)と
して,教
育の普遍性 と特定の政治的イデオロギ ーからの独立を要請 しているのである。 (二)政
治 と教 育 の基 本 的 関 係 にもかかあらず,教
育 と政治 とは本質的に密接 な関係 を払拭 し得ない面を有す る。すなわち, 政治は本来非常に現実主義的なもので あるが,
しか し現実の人間の協同体 をのぞましい形・理想 的姿 に引き上 げる方面 をもっている。 この点,教
育が現実の人間を理想的な,あ
るべ き姿 に (人 間に)高
める活動 と類似 し,こ
の意味 において政治は教育的で ある。教育は本来理想主義的なも のであるが,協
同体の生活に人間を適応せ しめ る現実的実際的方面をもっている点で,「
イ回々の 人間に向けられた政治」(1)と いえないことはない。いずれにしても両者 ともにか くあるべ き人間 や社会の姿す なわち理想的な人間像 または人間社会像を予定 し,現
実の人間や社会 をそれまで引 き上 げて行 くことを目的とする意味 において共通の面をもっているのである。個々の教育的活動 は個人を対象 とす るが政治は協同体 に向けられている。かような差異が存在す るにかかわらず, その窮極の理念においてはほぼ同一である。理想的な人間の型 を予定 しなければ教育は存在 し得 ないと同 じく,理
想的な社会の型 を予定 しなければ政治は存在 し得ないのである。両者ともに「現 実と理想,存
在 と当為の対立,つ
まり現実の状態 に対す る認識 と不満 とその改善向上の努力を前 提」②とす るのである。 政治は直接人間の 日常生活に関係す る諸価値例 えば対内的には社会秩序の維持,対
外的には外 国からの侵略 に対す る防衛,経
済の振興,国
民生活の向上等 を取 り扱 う面がある。 しか しなが ら これ らのむ しろ一層現実的な方面以外 に道徳,教
育,文
化等の精ネ申的価値の涵 養 もまた政治に関 係 して くる。かよ うな意味 において政治は,同
じく人間の理想,人
間についての世 界観 と密接 な 関係 をもつ教育 と根本 において共通 なものをもっていることになる。「教育は個人に向けられた 政治であ り,政
治は協同体 に向けられた教育で ある」oと いわれるゆえんで ある。 かよ うに教育 と政治 とは根本的に関連 してお り,相
互 に類似 している。 この類似,関
連は人生 と社会の目的が共通 なものであ り,こ
の共通な目的の実現 に教育 も政治も貢献す ることに由来す るので ある。 政治と教育のかよ うな使命の共通性 か らして,国
家は教育 に重要な意義を認め,教
育を以て文 化国家の政治的機能の重要な一部分 とし,義
務教育その他の方法を以て教育の普及 をはかってい る。 これと同時 に,教
育はその内容 として必ずや政治に関す る事項 を包含せ ざるを得 ない。政治 が教育内容の欠 くべか らざる部分 を構成す ることについては,教
育が 日本国憲法の理念に則 って 行なわれなければならず (教育基本法前文),また教育の 目的を定める教育基本法第1条
が,平
和 的な「国家及び社会の形成者」 として,真
理 と正義を愛 し,「
個人の価イ醐 をたっとG
働 労」 と「責任」 を重ん じ,「
自立的精神」 に充 ちた心身 ともに健全 な「国民」の育成を期 して行なわ れなければならぬことか らして明瞭である。 140酬目
串
計
翁
聯
法
の
輸
,有斐閣
,Ю∞
,岬
9鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第17巻 第1号 要す るに教育は個人的修養す なわち人格の完成 を目的とす るが
,人
格の観念の中には人間が所 属す るところの協同体の一員 としての適格性が当然 に包含 されている。従 って政治的な見識や訓 練 は,教
育の本質的内容 を形成 しているので ある。同時 に国家や地方公共 団体の よ うな政治社会 は教育を奨励す ると同時 に,正
しい教育が行 なわれ,そ
うして教育が正 しく行 なわれることにつ いて重大 な関心をもっているので ある。 かよ うな理由か らして,教
育 と政治との間には密接 な関係が発生す る。 教育 と政治とはその理念において互 に関連 してい る面のあるところか ら,両
者 を理想的状態に おいて考えるならば,そ
れ らの 間には矛盾衝突 はおこ り得 ないことになる。国家の意思が統一 し たもので あ り,国
家のすべての機能 が統合 された もの (integrated)で なければな らぬとすれは 国家の行 なうすべての教育はその理念, 目的において同一でなければな らない。国家 目的に反す るよ うな,国
家の根本理念に反す る教育は容認で きないことになる。果 して しか らば国家 として は教育の重要性 にかんがみ教育 を国家権 力によって統制 し,自
らの手によって教育 を行 ない,国
家以タトの者 による教育 を禁上 し,教
育 を独 占す るとい うことが考えられるので ある。 (戦前の我 が国の教育や,共
産圏社会主義諸国家の教育 に見 られる如 く) しか し政治と教育 とはおのず か ら相違 し,次
元 を異 にす るものである。例 えば,教
育は政治が 日標 とす る社会的秩序の保持 を直接 目的とす るものではない。教育は直接個人 に働きかけ,道
徳 智識,技
能,一
般教養等の点において人間を形成 し,人
格 を完成す ることを目的 とす る。教育の 中には政治に関す る事柄 も当然ふ くまれ,善
良です ぐれた国家公民を養成す ることは教育の 目的 で あ り人格完成の一部 をな してい る。 しか し教育は国家公民教育 に尽 きるものではない。 それは 広 く人格教育を目的とす るもので ある。 教育は政治以前 に存在 し,政
治の基礎 となるものであ り,人
間全体 に関係す るが,政
治 は主 と してその人間の一方面つ ま り社会的生活に関係 している。 か くして教育 と政治とは区別 されなければならない。特に現在の政治が対立抗争の政党政治で あ り,未
来社会・理想社会の建設よ りも,す
ぐれて 多 く現実社会の秩序維持 。現体制 (政権)の
確保 を目標 として,政
治が運営せ られ る一 面か らは,政
治 と教育 とは我然 と区別 されなければな らない。 か くして,諸
価値の相対性 を認識す る上 に立つ民主国家は,教
育t:対して原則 として不干渉主 義 をとっている。国家は間接管理,す
なわち教育 を専門家に任せ 自らはただ助長,奨
励の立場 を とり,直
接管理す なわち教育 自体 に立 ち入 って干渉す る態度をさし控 えているのである。 これは 補充主義 (Subsidiarithtsprinzip)° といわれているところの ものである。 ここの意味 において 教育は,た
とえ国家の機能 として行 なわれる場合 において も,行
政の他の範域例 えば警察や財政 や経済 に関す る政策の遂行 と大いに異 なるものがある。それは教育的活動は,教
育者 が被教育者 に働 きかけるきわめて個人的な性質のものであ り,そ
れは官僚的な統制,指
揮命令 に親 しまない 内面的倉J造的の活動であるか らで ある。 さらに田中耕太郎氏の所説によると教育は「教育立国」 といわれる如 く,教
育が国や政治の基 本 を形成 してい くところか ら,他
の行政 に対 して優位 に立たねばならぬ と言われ る。すなわち, 教育は国政の枠内で行なわれる場合で も,政
府 に対 して独立性 を与 えられているが,そ
れはまた 国家の他の活動範域に対 して,「
理論的には優先 した地位が与えられなければならない」とする。 (3)田中,前掲書,p.31細 川
哲:教育の政治的宗教的中立性 と社会科教育 ただ優位が与 えられるかどうかは国家がその涵 養 しようとす る諸価値の順位の問題に関係 してき, そうして
,そ
れは窮極において,そ
の国 家の政治理念 によって決定 される事柄で ある。 もし政治 理念が道徳 と文化の涵養を国家の諸 目的中最上位 にお くにおいては,教
育は経済その他行政の各 分野に対 し優越 した地位が認め られなければな らぬのである。 それは宗教 と政治 との関係につい て往々いわれるところの「精神的なものの優位 と同 じ趣 旨に出ずるものである」GJと される。 さらに教育の優位の根拠は,そ
れが国 家的協同体 を形成す る個々の人間の完成 に関係す ること にも求め られる。民主政治は多数決 による政治である。 もし多数決の基礎である個人がその倫理 性およびその識見において欠 くるところがあるな らば,民
主政治の複雑な機構の運営 は不可能 に ならざるを得ない。「教育の発達の程度 と民主主義の実現のそれとは正比例する」 といわれるШ ものである。た しかにわが国が戦前の軍国主義,極
端 な国家主義の誤謬に堕 し,ま
た全体主義の 危険にさらされていた主なる原因は,教
育の不完全,不
徹底 に求めることが出来 るで あろ う。 この教育の独立優位の理念は,民
主主義国家,民
主政治の下では承認 されなければならないで あろ う。 この面か らは教育の政治的中立性の意味は教育が政治や権 力から保護せ られ,で
きるだけその 独立 自主性 が尊重 されなければならない とい う原理 を引 き出す ことになり,教
育が特定の政治的 イデオロギーに影響干渉 された り,政
治か らの不当な支配 を受けることがあってはな らないこと を意味す ることになる。 しか し「教育の政治的中立性」のいま一面の意味は,教
育が個々の教師の政治的思想的偏見や 独断からも保護せ られなければならない ことを意味す る。 また教育の中立性の為には教育の政治 的中立性 と合せて宗教的中立性が要請 され ることになる。 わが国の教育の政治的宗教的中立 を検討す る前 に諸外国のこれに関する法制を概観 してお くこ とにす る。 (三)教
育 の 中 立 性 に 関 す る諸 外 国 の 法 制 まず公教育の宗教的中立性 についてで あるが20世紀的公教育法制においては,各
国 それぞれに 宗教教育 に法的制限を加え,全
体 として公教育の宗教的中立性 (religiOus neutrality)と ぃうべ き原理 を確立す るにいたっておる。 フランスでは兼子仁氏°によると,宗
教教育法制の しくみは法文上 に明瞭であるとす る。す な わち「公立小学校 は日H召のほかに週 1日 を休み,親
がその希望 どお り学校施設外 においてその児 童に宗教教育 を与 えられるよ うにす る。私立学校 においては宗教教育は任意である」 と定める。 この しくみは1959年法によ り,国
家 と「公教育への協同契約」 を結んだ私立学校 にも適用される。 かかる規定の解釈 として国公立学校 においては一切の宗 教教育 が排除 され るが,
自 由 な 礼 拝 (Culte)は み とめ られているとしてい る。 アメリカでは,宗
教教育をめ ぐる紛争の絶 え間がなかったが,比
較的早 くか ら公立学校 におけ る宗派教育 (sectarねn religiOus education)つ 卜除の建前が樹立され,9こ
れを前提 として1860(4)田中,前掲 書,p.32
(5)兼子仁
,教
育法,有斐閣,1969,p.36鳥取大学教育学部研究 報告 教育科学 第17巻 第1号
143
70年代 には大半の州憲法 に
,宗
派的学校 に対す る公金補助 を禁止す る条項がもりこまれた。い その後宗教教育に関す る州法 その他の措置の違憲審査事件が続出 し,か
ような憲法判例 によって アメ リカの宗教教育法制は確 定 されて きた とされる。た とえば,公
立学校における説明を加えな い聖書朗読(Bible Rcading Without Comment)は
,多
くの州裁判所 によって,聖
書 自身は宗 派的なものではないか らよいとされて きた。聖書朗読 は約40州で地方教育委員会の承認の もとに 行 なわれている。聖書朗読は朝礼においても讃美歌斉唱やお祈 り (Singing Hymns,Recitation of Prayers)
とともに行 なわれるが
,お
祈 りについては1962年 6月 に連邦最高裁 が,祈
濤文句を州教委で定め 公立学校で児童 にとなえさせ ることは強制的で ない として も信教の 自由に反す るむねを判示 し, 注 目されている。憾) イギ リスの宗教教育の しくみは米仏のよ うな宗教つF除的な世俗 的中立性はみ られず,よ
り相対 的な宗派的中立性 が樹立 されているといわれ る。101第一 に公立学校 においては,1944年
法が定め る公立私立 に共通の しくみ として,集
団礼拝(ColleCtiVe Worshp)に
よる始業,正
課 としての 宗教教育 (religiOus instruction),両者 における親の意思 に基づ く児童の欠席の 自由等 が ある。 そ して公立学校の集団礼拝および宗教教育は宗派的で あってはならず,宗
教教育は諸宗派・国教 会・教員団体・地方教育当局の代表か らなる審議会の勧告に基づ く「協定教義要 目」(Agreed
Syllabus)に したがって行 なわれなければな らない とされ る。は0これは1870年法で公立小学校 に 宗派教育 を禁 じたCowper Temple Clauseの
趣 旨を具体化 した もので あるといわれる。ドインにおいては
,教
育の宗教的中立性の原理は充分 には確立 されていない。 ワイマール憲法 以降宗派的宗教教育は必須科 目ではなくなったが,10西
ドイツ基本法の宗教教育条項 によれば,「宗教教育 (Rengionsunterricht)は
,国
公立学校 においては,無
宗教学校(BekenntnisfreieSchule)を
のぞいて,正
課 (ordentliChes Lchrfach)で ある」 とされているところか ら国公立 の無宗教学校か らは宗教教育が排除 されているが,キ
リス ト教諸宗派の共同学校および宗派学校 においては,宗
派的宗教教育はむ しろ正課 とされる。ただ「いかなる教員 もその意に反 して宗教 教育 をなす義務 を負 わせ られてはならず」,lDま た,教
育権者 (Erzichungsberechtigt en)た る 親 が「子 を宗教教育 に参加 させ ることにつ いて決定す る権利を有す る」 ところか ら,児
童 には親 の意思 どお りに欠席す る自由が保障 されることとな り,宗
教的中立性はこの面で部分 的に保障 さ れている。 つ ぎに公教育の政治的中立性 に関す る各国の法制はいまだ十分 明確で ないとされる。は0-般
に英・米・仏の諸国では,教
員 も学校外 においては市民 (citiZen,citoyen)と して政治活 動の 自由をもつ とい う考え方が根強い。 これに対 して,後
述の ごとく ドイツでは,伝
統 的にもっ ぱら教員の政治活動制限をいみす る教育の政治的中立論が支配的であって,邦
官吏たる公立学校 (7)兼子,前掲書,p.39(8)Steven I. Engel v Wilham 」, Vitale, 468(1962)30L.llr.4550
(9)兼子,前掲書,p.39,C.R.Barren,Teachers and the Law,1958,
は
0
兼子,前掲 書,p.39(11) Eisenhuth, Die Entwicklung der Schlgewalt und ihre SteHung Deutschland,1932,S.79,兼 子,前掲書,p.412よ り引用.
(121 Hans Peters, Etternrecht, Erzichung, Bildung und S chule, D ie
414-7,423-7,427 Anm,204,兼
子,前掲 書,p.40より引用.は
o
兼子,前掲書,p.43pp.127--8
im Verwaltungsrecht in
細川
哲 :教 育の政治的宗教的中立性と社会科教育
教員は
,今
日もなお,「
全体の奉仕者」(Diener der Gesamtheit)の
観 念に基づ く邦官吏 法 上の服務規律 としてかな りきび しく政治活動を制限 されている。dO一般 には教員の政治活動 を法 律で禁止す ることには慎重であるが,ア
メ リカにおいては,国
防政策の見地 か ら,共
産主義者の 教育界か らの追放 をめ ざす教員の 「破壊活動」(subVers e activities)禁上の動向が顕著 となっ ている。10すなわち合衆国の約半数の州 が法律で,教
員の忠誠宣誓 (loyalty Oath)を 免許状 交 付 または任用の条件 とし,破
壊的団体への加入 を欠格事 由 とし,
さらに破壊的教説 (subvers c doctrine)の 教授 を禁 じている。は0そ して連邦最高裁 も条件づ きではあるがかかる教 員忠誠法の 合憲性 をみとめる形 になっている。はη英・仏 においてはかかる立法はな く,一
般の政治活動の問 題 として処理 されているが,西
独では「 自由な民主的基本秩序」 (基本法18条)に
反対す る官支 の政治活動禁止 がやは り反共的措置 として,邦
の教員 に対 して もおよんでいる。10かような教員 の破壊活動禁止 は,ア
メリカでは学問の 自由・教育の 自由 (academic freedom,educatiOnalfreedOm)と
の関係で論議 されることが多いは9と いわれる。 (四)教
育 の 中立 性 に 関 す る わ が 国 の 法 制 わが国の教育の政治的中立性を保持する立場 か らは教育基本法第8条 2項
と義務教育諸学校 に おける教育の政治的中立の確保に関す る臨時措置法 (中立確保法)教
育公務員特例 法第21条 があ るが,以
下 これ らにつ いて検討 を加 え,中
立確保の方法につ いて考察 をしてみたい。 教育基本法第8条
第2項
は「法律 に定めた学校は,特
定の政党を支持 し,又
はこれに反対す る ための政治教育 その他政治的活動をしてはならない」 と規定 している。これは同条第1項
の,教
育 と政治 との相提携す る面 と異 な り,両
者 が相反携 してい る面に関す るものである。第1項
によ って政治的教養 とくに国家公民教育をさずけることの重要性が認められるにいたると,ど
の限度 まで政治的教養 をさず け得 るかとい うことが問題 となって くる。この場合 に教育者が個人 として 特定の政党,政
派 を支持す ることは 自由であるが,
しか し,そ
の者は政治的教養を与える名の下 に,教
育上教室等でその政党や政派 を支持 してよいものであろ うか。結論は言 うまで もなく,否
であ り学校その他の教育機関が教育的活動をなす にあたって特定の政党,政
派 に対 し支持 または 反対の態度 をとることは,教
育上好 ま しくないのである。 しか らば教育は何が故に超党派的で な ければならないか。それは教育 と政治との関係 に求め られる。 教育の 目的は人格の完成 に存す る。 そ うして人格の完成が国家社会の形成者たるに必要な諸条 件 を離れて考え得 られないもの とす るならば,教
育は政治に対 し大 きな影響 力をもつことになる。 かような意味 における政治教育すなわち国家公民教育は当然教育の目的の中に入 って くるのであ る。 ところで具体的な政治問題 をどう解決すべ きかとい うことになって くると,そ
こに思想や主 義や物の考え方や利害関係が交互 に作用 して,政
党,政
派の意見の間に鋭い対立が生ず る。 この 兼子,前掲 書,p.44 茉子,前掲 書,p.44議ξ
が 作機華搬 轄 韓 繁 働 移ご
え
紀」
F館
cf.H.G.Hullfish,EducatiOnal Freednm in an Age Of Anxiety,1953.
144 側 的 ⑩ 側 側 ⑩
鳥取大 学教育学部研究報告 教育科学 第17巻 第1号
145
場合 において教育の使命は人間をつ くることに存す るのであ り,特
定の政党の党貝たるに適 当な 人間を養成す ることではない。 この意味 において教育は具体的な政策の実現 を目的 とす る政党政 派の上 に超然たる地位 と使命を有す る。 も し政党的・党派的教育 を認め るとなると政党政 治のはげ しい対立抗争の面が学校 に持 ち込ま れ学校 を派閥聞争・ 階級 闘争の渦に巻 きこんで教育 に不必要・不当な混乱 を惹 き起すことになり, 憲法第26条 が保障す る児童 。生徒の「教育 を受ける権利」 が不当に侵害 され ることになるのであ る。 か くして教育の政治的中立の確保は,子
どもの学習権を保障す る為には是非,守
られなければ ならないのである。 教育の政治的中立確保の要請 か らす る政治教育その他政治的活動の禁止の義務者す なわち禁止 をうける者は,「
法律 に定める学校」で ある。 この種の学校は学校教育法 において規定 された全 部の学校をふ くむ ことになる。 またそれは国立および公立の学校 にか ぎられるものではな く,私
立学校 もふ くまれる。 この点は宗教教育が私立学校 において許 されてい ることと対照をなしてお り,
きわめて重大 な意味 をもっている。 これは政治と宗教 との性質上の差異 に由来す るものである。けだ し教育上は国家公民教育を除 いて政治教育 (党派的)は
人格の完成 に必要で はな く,む
しろ尚早有害であ り従 ってあ らゆる種 類の学校 において禁止 され るが,正
しい宗教教育は一般 に人格の完成のためにはなはだ有益 なも ので あ り,宗
派教育が国立 と公立の学校 において許 されないのは,憲
法第20条 が規定す る「信教 の 自由」 を保障す る為である。従 って この原則の圏外 にある私立学校 において宗派教育 をさずけ るのは,何
等支障がないと認め られるので ある。 しかるに党派的教育は私立学校 において も無益 有害 と認め られているので ある。私立学校 において党派教育が行 なわれ る場合 には,そ
の学校が 政党の機関となる。 さらに教育事業 が資金 関係 において政党に利用 され るよ うな弊害 も生ず るこ とな しとしないので ある。私立学校 につ いて,宗
教的中立性 を認める必要は存 しないが,政
治的 中立性は厳守 されなければならないことになる。 か くして「法律 に定め る学校」 とは,学
校教育法1条
の定める「小学校,中
学校,高
等学校, 大学,高
等専門学校,盲
学校,聾
学校,養
護学校及び幼稚園」であって,国
公私立を問わない概 念である。 「学校は,・…・・政治教育その他政治活動をしてはならない」として,禁
上の客体を「学校」 と しているが,法
律が「学校は」 といっているのは,学
校が教育的活動の主体 としての機能を果す 場合をいうものである。従って禁止は学校の施設が政党の政見発表会場や選挙演説会場 に利用さ れるような場合を包合 しないこと当然である。 しかし「学校は」 ということには解釈上疑義が存 在す る。本条の禁止に関し,学
校全体として特定の政党を支持 しまたはこれに反対する意思を表 示 したり,教
育上そうい う方針をとることを決定 した り,そ
の他政治活動をなすことはほとんど 考え得 られないところである。問題は学校の個々の職員がその中にふ くまれるや否やである。も し形式的概念的に見るならば,教
員は学校 と離れた人格者であるから「学校」 に対する禁止は教 員には及ばないものと認むべ きであろう。 しか しこの見解は正当ではない。各教員は学校の職員 すなわち構成分子 として教育的活動をなす ものであるから,従
って政治活動の禁止は教員にも及 ぶものと解するを正当とする。 かくして「学校とは」結局,学
校の人的構成員である学校長,教
員および事務職員の行動が学細川
哲 :教 育の政治的宗教的中立性 と社会科教育 校の行動 として認め られる場合 をい う (学生 も学校の人的構成貝 とみることがで きるが
,本
条の 「見出 し」 が「政治教育」 となってい るので,学
生は含まれないと見るべ きで あろ う)。文部省通 達(「教育基本法第8条
の解釈につ いて」昭和24・ 6。11)が
「教員が学校娑育活動として,ま
た は学校 を代表 してなす等の行為は,学
校の活動 と考えられる」 と述べているの も同様で ある。 し かし,教
員の行動が学校の行動 と認め られるかどうかの限界ははなはだ微妙で あって,具
体的場 合 について判断す るほかはないとされ る。90たとえば前記通達中に「(問)教
員が某政党 に入党 し たことを受持児童の父兄に話 し,且
つ入 党 したことに対 し意見を求めるため動務時 間外 に家庭訪 問を行 なった。訪間中に於ては某政党の宣伝 をな し且つ児童の教育問題 にも言及された節がある。 或 る父兄に対 しては意見を求めた点につ いて 尚懇談のため来校 も促 した。右の事 実の如 く特定政 党の政治活動の為教員が家庭訪間を行 ない学校教育活動の内容がふ くまれている場合 第8条
に抵 触す るものと思 うが如何ですか。 (答)教
員が家庭訪間を行 ない,特
定の政党を支持 し,又
これに反対す る政治活動 を行 なった 場合 に,そ
の家庭訪間に学校教育活動の内容が含 まれているときは,法
第8条
第2項
に低触す る もの と解す る」 とい う例 があげられてい る。 この問答 は,当
該教員の行動が学校教育活動 となる かいなか,に
ついて,微
妙 な問題 を投 げかけているが,こ
れについては,教
員の家庭訪 間が教育 活動 としてなされたのではなく,某
政党に入党 したことに対 し意見を求めるための個人的行為 と みるのが正 当とす る見解もある。90 この点につ いて,教
育的活動 とは時 間的に場所 的に如何 なる範囲の ものをい うかが問題 になっ て くる。学校内における授業時 間中の活動がそれにふ くまれることは疑いを容れない ところで あ る。 しか し教育的活動は,学
校の教室や構内 にか ぎって行 なわれるものではな く,野
外授業,見
学,修
学旅行等の場合 にも行 なわれ るもので ある。 これ らの場合は学校 における教育的活動の延 長たる性質をもっている。 しか らば教師が学校外 において全 く個人 として学生生徒等 に対す る場 合には差 し支 えないかが問題 となる。 しか し実際上は教師は 自己の関係す る学校の学生や児童生 徒 に対 して教育者 としての立場 を離れて接す ることはないか ら,個
人 として とい うことは党派教 育を隠蔽す る日実として用い られるおそれが多分 に存在 している。従 ってこれも禁止 されている もの と見 るを相 当とす る。ただ教師が個人 として父兄 に対す る場合は,具
体的事案に従 ってその 当・否 を検討せ ざるを得ないことになろ う。 禁止 されてい るのは特定の政党を支持 し,ま
たはこれに反対す るための政治教育その他政治的 活動である。 ここにい う「政党」 は一定の政治的理念,主
義,政
策の実現のために政権の獲得, これへの参与 または政治に影響 を及ぼす ことを目的とす る結社である。 それは国会 にFDhいて代表 者を有す ると否 とを問わず,必
ず しも政党にか ぎらず同一の政党内の分派 または政党の名称 を附 していない「何々会」 とい うごときもの も含 まれ るとす る¢2 禁止 されているのは,上
述の意味の政治教育 その他政治的活動である。 その中最 も重要なのは,教
育的活動が特定の政党を支持 しまたはこれに反対す るものであって ならないとい うことである。具体的 にい うならば,教
員が講義や演習その他授業中においてかよ うな活動をす ることである。 このことは教員が特定の政党に全然触れてはな らないとい うことを 有倉遼吉,教育法,(別冊法学セ ミナー), 日本評論社,1972,p.69 有倉,前掲書,p.69 日中,前掲書,p.616 146 側 卿 吻鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第17巻 第1号 意味 しない。たとえば大学において
,政
治学,政
治史,政
治学史,経
済学史,法
哲学等の社会科 学の諸分野の教授や研究 に関 しては,個
々の政党の理念や政策に触れる必要がなしとしない。か よ うな場合 において教員はあくまで教育者 としておよび研究者 としての客観的態度を失 ってはな らず,た
とえ自己が個人的にある党派 を支持す るもので あって も, 自己の立場 をとくに強調す る よ うなことは許 されないであろ う。 つ ぎに「特定の政党を支持 し,又
はこれに反対す るための」政治教育の意味が問題 となる。文 理か らいっても,「
ための」の有無 によってある種の相異が生ず ることはた しかである。「ため の」 が入 っている場合 には,若
千広いこととなるで あろ う。す なわち,「
支持 。反対させる教奇 は,直
接 に特定政党等を支持 させ,ま
たはこれ に反対 させ る教育,す
なわち教育内容および教育 方法を総合 して,教
育 と,支
持 。反対 なる結果 との間に直接的な関係がなければならない。 これ に反 し,「
本条項 には『ための』が入 ってい るか ら,教
育 と,支
持・反対なる結果 との間に,直
接 に関連ある教育のほか,や
や間接 な場合 をも含む こととなる」 とす る。90この点につ いては中 立確保法制定過程での衆議院において, Iた
めの」 を挿入 した提案者は,「
反対 させ る教育」 と は政党の名前 をあげてい う場合であ り,「
反対 させ るための教育」 とは,名
前は出 さな くて も潜 在意識 となってそこまで もって行 く教育であるとしている。 この「潜在意識」 の形成については, 有倉遼吉氏は教育内容・方法について「過激性」 と「継続性」 を要す るとされる。90しか し「潜 在意識」 が内心の精ネ申形成であ り,「
過激性」 も一種の精神作用で ある限 りは,そ
の相 関関係の 認定は極めて困難 なところがあるであろ う。 教育基本法第8条 2項
の精ネ申に基づ き,義
務教育諸学校 における教育の政治的中立性確 保 を目 的 として制定 された法律 に 「中立確保法」 (昭和29・ 6。 3・ 法律157号)が
ある。 この法律制定の背景 には,戦
後のわが国の教育界の実状 が必ず しも教育基本法第8条
2項
の精 神 が守 られなかったことを理由 とす るもので あろ う。すなわち,教
育者の待遇改善の要求か ら発 足 した日本教職員組合の活動は,朝
鮮戦争 の勃発,単
独講和の締結,日
本安保条約の成立等の一 連の政治的動向に大 きく影響 を受 け,一
般労働運動 と歩調 を合せて,急
激 に政治運動化 の一途 を た どり,教
員の政治活動・争議行為が頻発す るに及んで,教
育の政治的中立 を確保す る必要 に迫 られた もの と考 えられる。 か くして この法律第3条
は「何人 も,教
育 を利用 し,特
定 の政 党 その他 の政 治的 団体 (以下 F特定の政党範 という)の
伸長又は滅遅 に資す る目的をもって,学
校教育法 に規定す る学校 の 職員 を主た る構成員 とす る団体 (その団体 を主 た る構成貝 とす る団体 を含む)の
組織又は活動 を 利用 し,義
務教育諸学校 に勤務す る教育職員 に文すし,こ
れ らの者 が,義
務教育諸学校の児童又は 生徒 に対 して,特
定の政党等を支持 させ,又
はこれに反対 させ る教育 を行 な うことを教唆 し,又
はせん動 してはならない」 と規定 した。 この規 定 に違反 した者 に対す る制裁 は1年
以下 の懲役 ま たは3万
円以下の罰金で ある (同法四条)。 この法の対象 とす るせ ころは,教
職員 それ自体ではなく,「
何人 も」 とい うことになっている ので,教
職員団体 を政治的 目的 に利用 して教職員 に働 きかけたものは誰れで もその中にふ くまれ ることになる。例 えば現在 は教育職員たる資格 を表失 してい るような教員組合の幹部の ごとき者 はもちろん,組
合の友好 団体 に所属す る者や政党人や純然たる第二者 も入 って くる。20
有倉,前掲 書,p.709o
有倉,前掲 書,p.70 147哲:教育の政治的宗教的中立性と社会科教育 本条で犯罪 とされる教唆せん動行為は「政治的団体の政治的勢力の伸長又は減退 に資する」 目 的を有する目的犯である。刑法学の通説に従 えば
,目
的犯であるから確定的故意が必要であり, いわゆる未必の故意では構成条件 を満たさない。だから自己の行動が特定の政党などの政治的勢 力の仲長または滅退 に資する「 かもしれないが,そ
うなってもよい」 との認識だけでは足 りない とされる彗うまた,こ
の「 目白引 の存否が,裁
判 において争 われた場合,そ
の挙証責任は検察側 に ある。「犯罪事実については,検
察官が,そ
の存在を,合
理的な疑いをいれない程度に証明 しな い限 り,そ
の事実は存在 しないものと認めなければならないょこのことについて明文はないが'… 現代の刑事訴訟法の基本的な原則 として認められている」 とする。90なお,有
権的解釈を示す文 部事務次官通達 (昭和29・ 6。9文
初地 325号)に
よれば「学術的な意見の発表や研究成果の公 表を本来の目的 とする行為などが本法の禁上 に該当することはない」 としてぃるが,そ
れは当然 のことである。 「政党その他の政治的団f4」 とは 1条 にい う「党派的勢刑 よりも範囲が狭い。「政治的回TA」 の代表的例示 を「政則 とあらわしているように,「
政治的団イ刺 とは「政党」に近いものであ り,政
治的主義 を持 ちそれにもとづ く政策を実行 し,公
職の候捕 者を推薦 し支持 しもしくはこれ に反文↓することを主たる目的とす る団体のことをさす。 したがってかかることを主たる目的とし ない労働組合は,「
政治的団体」ではない。なお,「
特定の政党等」であるから,い
かなる政治 的団体の「政治的勢力の仲長又は減退に資する目的」であったかは具体的に特定されねばならな い。一般的な「革新政党」「保守政党」 や「社会主義政党」「資本主義政党」 など具体的に特定 できない政党などに資する目的をもったとしても,本
条の構成要件は満たされないとする。 本条で規定 された犯罪は,「
義務教育諸学校 に勤務する教育職員」(2条
参照)に
対 し,
これ らの者が,「
義務教育諸学校の児童又は生徒」 に対 して,「
特定の政党等を支持 させ,又
はこれ に反対 させ る教育 を行 な う」 ことを教唆せん動する行為,す
なわち「教唆せん動びE」 である。 「義務教育諸学校の児童又は生徒」 との文言が,「
義務教育諸学校に勤務する教育職員」 と別個 に規定 してある以上,「
菫該職員の勤務する学校の児童・生徒 に限るのではなく,従
って教育の 対象を職員の勤務する学校の児童・生徒 と特に指定 した場合のみ本法の禁示するところとなるの ではない」 とい うことになる。「特定の政党等」 との文言がある以上,政
党などは特定 されねば ならず,
したがって単 に保守・革新政党とか社会主義・資本主義政党とか左派 ,右派政党とか , 現に存在する政党のどれをさすのか明示 されていなぃ行為はここに含まれない。行為内容から 「特定の政党等」 を推涙1することは一切許 されない。行為内容 において政党名が明示 されている 場合だけに限る¢ηべ きであろう。 つ ぎに「支持 させ,又
は反対 させる教育」 について,前
掲文部事務次官通達は「 この教育には 児童,生徒の意識 を特定の政党等を支持 し又はこれに反対する行動に駆 り立てるような教育が含 まれることはもちろんであるが,そ
の程度にまで至 らないでも,児
童・生徒の意識 を特定の政党 等の支持又は反対1こ固まらせるような教育は,こ
れに該当する。単に,特
定の政党を支持,反
対 させる結果 をもたらす可能性があるとか,そ
れに役立つ とかぃ う程度では該当 しないが,必
ず し も政党等の名称 を明示 して行なう教育には限らず,暗
黙の うちに児童・生徒 に特定の政党等を推 有倉,前掲書,(森
英樹氏担当)P,91 有倉,前掲書,(森
英樹氏担当)P.92 有倉,前掲書,(森
英樹氏担当)P,92 糸田ザII 148 0 0 り鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第17巻 第1号
i49
知 させるという方法をとる場合にも,該
当す る場合がある」 としている。た しかに,児
童・生徒 が,「
支持 し,又
は反対す る教育」 との表現 をとらず に,児
童 。生徒 に対 して「支持 させ又は反 対 させる教育」 との表現 をとっている以上,被
教育者の対応が主要な問題 なのではなく,教
育者 の教育方法・教育内容 が問題になっていることはた しかである。教育方法・教育内容については, 政治教育ならびに教育の自由の問題が関連 をもつ。 したがって,た
とえば,「
良識 ある公民たる に必要な政治的教養」 (教基八 王)を
身につ けさせるため,科
学的中立的政治教育が行 なわれた とき,た
またま若干名の児童 。生徒 が,特
定の政党を支持 したり,反
対 した りす る考えをもった り,そ
れを行動にあらわしたとしても,本
条 にいう「支持 させ,又
は反対 させる教育」 には該当 しないであろう。科学的かつ効果的な教育方法・教育内容 に従って,攻
党名を明示 し,
ときには 特定の政党の政策などに科学的学問的な批判・評価を加えることは政治教育 を「教育上尊重 しな ければならない」 (数基八I)な
らば必要不可欠のことである。だから問題 となる「支持 させ, 又は反対させる」教育方法・教育内容 とは,科
学的効果的な政治教育 とはおよそ関連のない,あ
るいはそのような政治教育 にはるかにおよばない 1教育」 の方法や内容 をさすものと解すべきこ とになる。90 次に本法による犯罪行為は「教唆」「せん動」である。「教明 とは他人に対 して「犯罪 ヲ実 行セシメタ)朔(刑
611)こ
とを成立要件 とす るから,刑
法学説上「被教唆者が教唆行為の結果 として当の犯罪の実行 を決意 し,か
つ これを実行 したとき,は
じめて教唆犯の成立がみとめられ る」 とされている。20と ころが本条の教唆犯は独立犯でありしかも被教唆者の行為が犯罪でない ので,教
唆行為がそれ自体 として処罰 されることになり,
したがつて被教唆者の実行行為を要件 としていない。 ところで,当
該行為が教唆行為にあたるか否かは程度問題であり,文
部事務次官 通達 によれば,「
通常特定人に対 して,実
行の意思を生ぜ しめるに足 りる行為ど としている。実 行の意思を「生ぜ しめるに足 りる行為」 なのか,「
生ぜ しめる行為」 なのかは,程
度問題 として かなりのちがいがあるであろう。つ ぎに「せん動」概念は刑法典上のものではなく,戦
後のいわ ゆる治安立法のなかから生 じた概念である。「せん動」概念を実定法 に明文では じめて規定 した のは破防法4条 2項
であった。すなわち「『せん動魃 とは,特
定の行為を実行 させる目的をもって, 文書若 しくは図画又は言動 により,人
に対 し,そ
の行為を実行する決意 を生ぜ しめ又は既 に生 じ ている決意を助長 させ るような勢のある刺激 を与 えることをいう」「せん動』 も独立犯であるた め,文
部事務次官通達は「現実に実行の意思が生ぜ しめられまたは助長 されたことは必要 としな い」 と解 している。 しかし「せん動!が
漠然 としていて,そ
の認定上ひろく解釈 され濫用のおそ れのある概念である点は注意を要するであろう。 本法については教育の中立性確保の為のものとは云 え,憲
法論上・法律論上各種の問題が指摘 される。9。それは,第
一に,教
育 とい う場 に,「
刑罰」 をもちこむことの不当性 についてである。 「教育の政治的中立を保つため,刑
罰 を使お うとい う考えほど,奇
妙な考えは存在 しない。ただ し刑罰による『 中勘 が,そ
れ自身『 中由 になり得 るわけのないことは,あ
らゆる刑罰の歴史 が常に示 しているからである3)」 とする。つ まり,刑
罰による「 中Jと
は,刑
罰権 を独 占する 国家一権力への盲従 にしかす ぎないのである。教育二法が攻撃の的 とした日教組の活動 に批半」的90
有倉,前
掲書,(森
英樹氏担当)P,9390
有倉,前
掲書,(森
英樹氏担当)P.93
00
有倉,前掲書,(森
英樹氏担当)P,8600
戒能通孝「 法律時評」法時26巻4号P.2
哲:教育の政治的宗教的中立性 と社会科教育 であった人 も
,こ
の点を理由に教育二法 に反対 していた。3か 第二は,本
法の法益である「教育の政治的中立」 なる概念のあいまいさと,そ
れによって生 じ る危険性である。 とくに教基法8条
の「政治教育」の限界概念として「政治的中立」概念を措定 しているのに対 し,は
た して「政治教育」の限界を「特定の政党等を支持させ,又
はこれに反対 させる教育」 との文言で明確 にしうるのかとい う疑間が残 る。なぜなら「教育基本法第8条
の認 めている政治教育は,当
然今 日のよ うな政党政治の下では特定の政党のチ畔Jにならざるをえなし¶90 からであるとする。 したがって本法が「線 を引き得ないところに線を引き,そ
の線 を越 えた行為 を処罰の対象 としようとす るものであって,単
に濫用の危険を多分に包蔵する」80と する。 第二は,第
二 と関連 して,刑
罰法規 としての本法がもつ諸問題である。本法 による犯罰行為は 「特定の政党等を支持 させ,又
はこれに反対 させ る教育 を行 うことを教唆 し,反
はせん動」する 行為である。そして通常の刑法上の教唆犯と異 なり,本
法では教唆せん動を独立犯 として処罰 し ており,
したがって被教唆者のぢ巳罪の実行を要件 としない。39しかも,本
法では被教唆せん動行 為が犯罪ではなく,
したがって被教唆せん動者の実行行為がなんら刑罰をうけないのに教唆せん 動者だけが刑罰をうけることになっている。以上のことから,ま
ず,被
教唆せん動者が教唆せん 動されたことがらを現実に実行 しなかった場合です ら,教
唆せん動行為自体 を独 自に犯罪行為 と するには,こ
とが刑罰である以上刑法上め刑事責任の原則に矛盾するだけによほどの合理的根製 を必要 とするが,そ
の点が全 く不明である。 もちろん,被
教唆せん動者の行為が犯罪ではないといってもただちに違法行為でないとはいえ ない。国立義務教育諸学校の教育職員については,国
公法110条 17号の被教唆せん動者の行為は, 同法98条2項
にあてはまるがその行為は刑罰たる行政刑罰こそうけないとはいえ,同
法82条によ る懲戒罰 をうける可能性のある違法行為であることはたしかである。この点に関 し,公
立義務教 育諸学校の教育職員については教特法21条ノ3第 1項
により国公法の規定をうけるが同2項
によ って行政刑罰は うけない。 しかし公立においても被教唆せん動者の行んは違法行為として地公法 29条による懲戒罰をうける可能性のある違法行為であることはたしかである。本法はすべての義 務教育諸学校の教育職員を被教唆せん動者の対象 としているが,私
立義務教育諸学校の教育職員 を被教唆せん動者 とする場合 も,も
ちろんある。この場合は,当
該教育職員の行為は行政刑罰の 対象でもなければ公務員法の懲戒罰 もうけず,あ
りうるのは労基法89条にい う就業規則 に違反す る制裁だけである。いずれにせよ,「
教唆せん動者の行為を犯罰 とし,被
教唆せん動者の行為を 犯罪としなかったために生 じる混乱は明白である」 とする。90ま た本法は当該教唆せん動者が「学 校教育法に規定する学校の職員 を主たる構成員 とする団体の組織又は活動を利用」 することを要 件 としている。ここにい う「主たる」構成員との文言も非常にあいまいである。これを量的に理 解すれば,一
応2分
の1以
上 と確定 されようが,ひ
とたび質的に理解すれば,学
校職員が構成員 のごく一部でも,は
たす役割が指導的であると認定された場合「主たる」構成員になるなど,無
限に拡大 されて しまうで あろう。最後 に,本
法の教唆せん動の主体は,「
何人も」 である。 した がつて「義務教育諸学校の教育職員」 や,「
学校職員 を主たる構成員 とす る団個 にかかわりの ⑫ m m m m たとえば尾高朝雄「教育の政治的中立性」 ジュリM号
蟻山政道「教育二法案への疑義」 ジュリ54号P,32 尾高,前掲,P38
(同様の例 として破防412(又
),秘密保護 5Ⅲ,労基1211,国公■1,刑特 7Ⅱ,公選2341地公62) 有倉,前
掲書,(長
谷川正安,森英樹担当)P.87鳥取大学教育学 部妍究 報告 教 育科学 第17巻 第1号
ない
,た とえば大学教官や一般の学者文化人であつても,そ の言論
,活
動が前述 した「 目白
引 を
有し当該団体を「利用」 し,も って教唆せん動 したものであると認定されれば
,た
だちに処罰の
:と
aitti盈
誓 島
i塩
確 紫 愁″繁
t負岳 典 絶 猛 鰍 号
1急L写
itζ計 と挙双
札
0"
以上の諸点か ら本法は刑罰法規で あるにもかかわ らず その構成要件 がきわめてあいまいかつ 多 義的であるため,憲
法31条の罪刑法定主義の要請 には充分答 えきれていない。 また,あ
いまいか つ多義的 な構成要件で しかも合理的根拠 もとぼ しいまま,「
教唆せん動dの
名で表現 の 自由 を制 限す ることは,憲
法21条,23条
などに違反す る疑 いの余地 がある。 従 って本法の適 用 には通常の刑罰法規以上 に類推 や拡張解釈 を許 さない厳格 な解釈 を必要 とす るで あろ う。 以上の如 き,本
法 に対す る批判や反対 があるにして もわが教育界の状態 と教員組合の活動 とに おいて,教
育基本法第8条
第2項
の精神 に合致 しないものが見 うけられることはた しかで あるか ら,教
育の政治的中立性確保のために何等 かの措置 を講ず る必要がないとはいえないで あろ う。 ただ本法 がどの程度 に効果 を発揮 しているかにつ いては疑 問なきを得 ない。本法の適 用 にあたっ ては,立
証の方法 につ いて多 くの困難 が伴 うので あろ うか ら,現
実に,本
法 が適 用されることは, ごく稀 れで あろ う。従 つて実際問題 としてはこの法律の制定 によって教育基本法第8条
第2項
の 精神 を再確認 し,「
義務教育諸学校 における教育 を党派的勢 力の不当な影響又は支配 か ら守 り, もって義務教育の政治的中立 を確保するとともに,こ
れに従事す る教育職員の 自主性 を擁護 す る」 (同法1条
)必
要が現実 に存在 していることを教育界 と世 間一般 に同知せ しめ,警
戒 の必要 を感 ぜ しめることに本法の意義 を見い出すべ きで あろ う。 本法 において教育の中立性の確保 と教育者の 自主性の擁護 とは単 に義務教育学校 につ いてのみ 取 り上 げ られている。 しか しこの両者 は大学 をふ くめて上級の学校 について も必要で あ り,こ
れ を除外 したことは次の理由によるもの と考 えられる。す なわち義務教育学校の子供達 は年齢,判
断 力等か ら見て上級の学校 の者 よ りも教育 の政治化 によって害 を被 る程度が深亥」で あること,こ
の種類の学校 の教育職員の数 が圧倒 的 に大で あ り,教
貝組合の組織 が,そ
の規模の上 に建 設 され てお り,社
会的影響 において上級の学校の場合 と比較 にな らぬほど顕著であること,上
級 の学校 の教育 においては教育の内容 が専門化 されてお り,ま
た教育職員は比較的 に自主性 をもってい る ことにもとづいていると考 えられる。 さらに教育の政治的中立 に関 しては,教
特法21条の3の地方教育公務員の政治的行為の制限規 定がある。憲法第26条第1項
が保障す る「教育 を受 ける権不咽 とは「内容的 に中立 な教育 を受 け る権利の保障 をも意味す る」 といわれているが,「
中立 な教育」 とい う特殊 な教育 があ るわけで はない。中立確保法や教特法21条の3に よ り教育基本法第8条 1項
が要請す る「 良識 あ る公民た るに必要 な吹治的教養」 を養成す る教育 が阻害 されてはな らない。教育の政治的中立確 保 を重視 す る余 り,政
治教育 が不必要 に萎縮 してはな らないので あ り,こ
の点は法制の上 において も配慮 されてお り,第
一 に,教
特法は,教
育公務員の市民 としての政治活動の 自由の制限 に関す るもの で あって,教
育活動 自体 を対象 とす るもので はない。す なわち,原
則 として教場外の政 治活動 を 対象 とす るものなので ある。ただ し,例
タトとして,教
育活動 と結 びつ くものがないわけではない。 人事院規則14-7第
12号,13号 ,14号
等がこれにあた る。第二 に,中
立確保法 も,特
定 の政党等 を支持 させ,ま
たは反対 させ る教育 を行 な うことを「教唆 し,又
はせ ん動 して は な らない」 と細川
哲 :教 育の政治的宗教的中立性と社会科教育 し
,そ
の違反 に対 して刑事罰 を課 して い るので あ って,教
育 自体 が直接の対象 となるものでは ない。 もちろん,こ
の ことは,教
員が中立確保法 によって処罰 されることが絶対 にない とい う意 味ではない。3条
に「何人 も……教唆 し又はせん動 してはならない」 とあるのによって知 られる とお り,教
員 自身が教唆 ・せん動者で ある場合 には,同
条 に定め る他の要件 を満 たすか ぎり,処
罰の対象 となりうる。た とえば,教
員 が教育団体 の研究会 などにおいて他の教員 に対 し行 なった 言動で,法
定の 目的 をもつ教唆 。せん動行為 と認 め られた場合の ごときである。 しか し,そ
れは あくまで も教室 外での ことであ り,教
師の教室 内での教育 については,そ
の 自主性 と独立 が尊重 されているので ある。ただ教育基本法第8条 2項
に違 反 した場合は刑罰 に処せ られることはない が,教
員 が公務員で ある場合 には,法
律違反 として懲戒原因 とせ られ,私
立学校の場合 には解雇 原因 とせ られる危険性 はあるで あろ う。 しか し,か
かる場合は重大且つ 明白で極端 な偏 向政治教 育が継続 して行 われる場合 に限 らるべ きで あ り,か
かる場合で も校長・教育委員会等の教育行政 機関の指導助言行政 によ り是正せ られるのが望 ま しいのであ り,教
室 内の教育 につ いての権 力的 関与 は可能 な限 りつ:除さるべ きで あろ う。 教育の政治的中立は,教
師の教育の 自由 (或は独立)に
一つの制限を課す るものであるが,
こ の為 に教育 が八方美人的教育 に陥ってはならないので,教
育の政治的中立確保の「具体的方測 について,中
立性の問題 が最 も発生 しやすい「社会科の教育」 について特 に検討 を加えてみたい。 (五)社
会 科 教 育 に お け る教 育 の 中 立 性 政治的中立 における中立 とは如何 なることで あろ うか。中立 とは,そ
こに,な
ん らかの対立, 抗争 が存在 していることが前提 になる。そ して中立 とは,そ
の対立抗争 の当事者の立場で な く, それ以外の立場 をい うといえるが,そ
れ以外の立場 な らすべて中立 かとい うと,それは甚だ疑 問 であ り,対
立抗争 の当事者の立場 に少 しで も接近 しているものは,完
全 な意味での中立ではない のである。 しか しこの様 な完全な中立が,は
た して何能 なのであろ うか,こ
れを可能 ならしむ る 為 に,先
ず考 えられることは,社
会科教育の中か ら,社
会的対立事項や,政
治的係争領域 に属 す るものを,一
切教材 として取 り扱 わないよ うにす ることで ある。 このような教材 を取 り除 くこと が可能で あろ うか。勿論現場教師がその気 になり,そ
のよ うな教材 を一切,「
さけて通 れt劉、出 来 ないことはない。 さすれば社会科教育の中か ら,そ
の最 も重要 な部分9η が削除せ られることに なり,こ
れは社会科教育 が全 く形骸化 して しま うことで,到
底是認す る訳 には行 かないところで ある。 しからば第二 に考えられる中立性確保の方法 としては,社
会的対立事項や政治的思想的係争領 域 に属 している教材 も取扱 うが,教
材の中の対立 ・係争事項 には全 く触 れない方法で ある。例 え ば,「
我 が国の平和主義Jの
学習 につ いては,一
応 これを取 り扱 い平和 が極めて大切 なこと,戦
争 が罪悪で あること,我
が国が,戦
後平和主義 に徹す るよ うになったこと。新憲法 は平和主義 を 原則 とし,
日本国民は恒久 の平和 を念願 して戦争 を放棄 し第2章
第9条
が存在す ること等 は子学 習す るが,自
衛隊の問題や,我
が国の安全保障の問題 には全 く触れないものである。この場合は,eD例
えば,平和主義の問題,基本的人権 と公共の福祉 の問題,選挙 と政常,世論や言論の問題,国際平和 や国際関係の問題,憲法改正の問題,財産権・生存権の問題,労働三権の問題,天皇制の問題,資本主 義 と社会主義の問題,生産労働の問題,企業の形態集中の問題,労働争議,社会保障,失業の問題,農 業問題等々上 げれば数多いが鳥取大学教育学部研究 報告 教育科学 第17巻 第1号