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J.ヴィーラント「ガバナンス倫理」に関する一考察 : ホーマン学派との比較から-香川大学学術情報リポジトリ

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J. ヴィーラント「ガバナンス倫理」に関する一考察

―― ホーマン学派との比較から ――

柴 田

Ⅰ は じ め に 本稿の目的は,ヨーゼフ・ヴィーラント(Josef Wieland))の提唱する「ガ バナンス倫理(Governanceethik)」を取り上げ,その基本的主張を検討するこ とで,ドイツにおける経済(学)的な企業倫理論の学説史的意義と可能性,限 界を検討することである。 われわれはこれまで,ドイツ経営経済学における経済学的な企業倫理論を検 討し,その意義や限界を明らかにしてきた(柴田 ; 柴田 ; 柴田 を参照)。そこでの問題意識は,企業の「経済性」と「道徳性」,あるいは「利 潤」と「モラル」の対立と克服であった。企業は確かに社会的存在であり,社 会に対する貢献を果たすことを求められているが,しかし企業は社会における 「経済的制度」であり,財やサービスを社会に提供することで利潤を得て,経 済的な責任,すなわち利益を得るという,所有者への責任をも果たさなければ ) ヴィーラントは, 年ドイツ・ベートブルク(Bedburg)生まれで, 年にブッ パタール大学を卒業したのち(経済学・哲学専攻), 年に経済学博士号(Dr. rer. oec.) を取得した。 年から 年にはミュンスター大学経営倫理講座ディレクターを務め, 年にヴィッテン=ヘルデッケ大学にて経営経済学教授資格取得, 年から 年までコンスタンツ応用科学大学の経営経済学・経営倫理教授ならびにコンスタンツ価 値マネジメント研究所科学ディレクターを務め, 年よりツェッペリン大学制度経済 学・組織ガバナンス・インテグリティマネジメント・文化間リーダシップ研究所所長, ツェッペリン・リーダーシップ・エクセレンス研究所所長を務めている。ヴィーラント の略歴については,http://www.htwg-konstanz.de/Prof-Dr-habil-Josef-Wieland. . .htmlな らびに http://www.lcbs.htwg-konstanz.de/en/JosefWieland_ .htm を参照(最終アクセス 日 年 月 日)。

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ならないのであり,この利潤とモラルは時に対立することもある。従来の企業 倫理はモラルの側面を強調する傾向があったが,そのような企業の経済的な機 能をも把握でき,従来からの経営学との接点を持つことのできる企業倫理を展 開するために,われわれは経済学的な企業倫理論の展開を学説史的に明らかに するという問題意識を持っている。)この問題意識に沿って,本稿では,ヴィー ラントの提唱する「ガバナンス倫理」を取り上げたい。) ヴィーラントは,われわれがこれまで検討してきたホーマン(K. Homann) 学派に属する学者ではないが,ホーマン学派と同様,企業倫理の経済的側面に 関心を寄せ,新制度派経済学,とりわけ取引コスト理論にもとづき,「取引」を 分析単位として,取引を「ガバナンス」する制度の比較という観点から,企業 の経済行為における倫理の実現を目指している点で,ホーマン学派との類似性 が想像される。しかし,彼の学説にはホーマン学派の考え方との強い類似性が 見られると同時に,見解の相違も見られるのであり,この意味で,企業倫理の 経済(学)的展開に関心を寄せるわれわれにとって,ヴィーラントのガバナン ス倫理は学説史的な意味で検討に値するものだと言える。 よって本稿ではまず,ヴィーラントの「ガバナンス倫理」の基本的想定とそ の理論的主張を彼の主著に沿って確認し,その後でヴィーラントのホーマン学 説に対する異論とそれに対するホーマンの反論を検討することで,ヴィーラン トの学説の特質をより際立たせ,彼の学説の特質,意義や限界を学説史的に考 察することにしたい。 Ⅱ ガバナンス倫理の基本的想定:取引コスト理論・機能分化社会 先に述べたとおり,ヴィーラントはホーマン学派と同様,経済活動における 倫理規範やモラルの遂行に関心を持ち,経済学的アプローチに注目する。また ヴィーラントは,企業倫理は「規範的アプローチ」,すなわち企業倫理のある ) 同様の問題意識を持つ数少ない研究として,たとえば田島( )がある。 ) 本稿で取り上げるヴィーラントのガバナンス倫理に関する文献は,Wieland( ); Wieland( ); Wieland( )である。またヴィーラントのガバナンス倫理に関する 研究として,たとえば Khomeriki( ); 田中( ); 永合( )などがある。

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べき姿を志向するアプローチでなければならないと考えており,この点でもホ ーマン学派の見解と基本的に軌を一にするが,しかしながら彼の議論は,企業 倫理問題を「ガバナンス」という観点から考察する点に独自性がある。 ヴィーラントが目指すのは,「競争条件下における協調」(Wieland , S. u. )によって「協調レントの獲得」を実現することで,倫理問題を解決 するということである(Vgl. Wieland , Kapital )。つまり,社会関係の中 で各々が自己利益の最大化を図るのではなく,協調した行動を取ることによっ ていかにして社会全体のメリットを追求できるのかということが問題となるの である。 この意味でも,ヴィーラントの分析はホーマン学派の「ジレンマ構造」から の制度的な経済倫理・企業倫理分析との強い親和性を示しているといえるのだ が,しかしながら,ホーマンが「枠組み秩序」,つまり制度的な視点から,ど ちらかというと経済倫理を考察の中心としているのに対し,ヴィーラントは考 察の対象を「組織」の倫理に集中させる。というのも,現代社会は何よりもま ず,企業をはじめとする様々な組織が社会的問題に深く関わっている「組織社 会」であり,組織におけるモラル行為の実現が現代社会に不可欠だからである (Vgl. Wieland , S. ff.)。)であるからこそ,彼は企業倫理を考察するにあ たり,規範倫理学ではなく,経済学や経営学,組織論などの「社会(科学)理 論」へ関心を寄せるのである。 以上の議論に基づき,ヴィーラントは自身の議論の基本的考察単位を「取引」 とし,企業における取引をいかに「ガバナンス」することで協調レントの獲得 を実現し,倫理問題を解決するのかということから分析をスタートさせる。そ して彼は,そのための基礎理論として取引コスト理論に注目する。 取引コスト理論は,コース(R. Coase)の先駆的な研究を契機として,ウィ リアムソン(O. Williamson)の精力的な取り組みによって確立された経済学的 ) ヴィーラントによれば,「社会的に必要な機能(Leistung)が,政治組織から私的な組 織へ移っている」(Wieland , S. )傾向が見られるという。また彼は,企業を「個 人(ミ ク ロ レ ベ ル)と 経 済 シ ス テ ム(マ ク ロ レ ベ ル)の 間 を つ な ぐ ヒ ン ジ 機 能 (Scharnierfunktion)を持つ協調プロジェクト」(Khomeriki , S. )と見ている。

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アプローチであり,「新制度派経済学」あるいは「組織の経済学」を構成する

代 表 的 理 論 で あ る(cf. Coase ; Williamson ; Williamson ; 丹 沢

; 菊澤 ; 伊藤 ; 伊藤 ; 髙橋 )。 コースは,従来の新古典派経済学が市場を唯一絶対的で効率的な資源配分シ ステムだと見なしてきたことを批判し,取引は企業のような組織内でもなされ ることを指摘することで,企業組織の存在理由を理論的に解明した。その際彼 は,市場でも組織内でも,取引を行うために発生するコストには,財そのもの の費用に加え,取引相手についての情報を獲得したり,取引相手を監視したり するための無駄なコスト,つまり取引コストが発生すると指摘し,その取引コ ストの比較によって,市場取引か組織内取引かを選択するとした。このことか ら見れば,「なぜ企業組織が存在するのか」という問いに対する取引コスト理 論的解答は,「市場取引にかかる取引コストが,企業組織内で生じる取引コス トを上回ったから」となる。 取引コスト理論は,「取引」を基本的分析単位とし,それに付随して発生す る取引コストをいかにして削減して,社会的に見てより効率的な取引を遂行す るのかということを,「市場」や「組織」など,取引を統御する「ガバナンス」 形態の視点から比較的に考察する,比較制度アプローチである。 以上の取引コスト理論の基本想定をヴィーラントは企業倫理に応用しようと する。すなわち彼は,企業における個々の経済的な「取引」においていかにし て道徳性を実現するのかを,取引の「ガバナンス構造の選択」という観点から ミクロ分析的,契約論的かつ比較制度的に考察しようとするのである。 しかしここで特筆すべきことは,ヴィーラントが取引コスト理論にナイーブ に依拠しているわけではないということである。 まず取引コスト理論では,比較されうる制度として,「市場」と「組織」,そ してその中間形態としての「中間組織(ハイブリッド型組織)」が挙げられる。 市場では価格が,組織では権威が作動メカニズムとして働いており,限定合理 性,機会主義,不確実性や契約の不完全性などから生じる取引コストの上昇, あるいは非効率性を制度的措置によってできる限り削減していくことが目指さ れる。

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ナイーブな取引コスト理論では,制度比較に際して経済的効率の観点のみが 考慮されるが,ヴィーラントはここに「モラル」という観点を付け加える。す なわち,モラルの存在が,限定合理性や機会主義から生じる取引コストの上昇 を抑え,取引を円滑に遂行させることを可能にすると考えるのである。ナイー ブな取引コスト理論では,基本的に効用最大化を追求する経済主体の機会主義 的行動と,それを抑制するガバナンス制度という観点が前面に出ているが, ヴィーラントはむしろ,経済主体のモラル的行動が,取引コストを抑制し,社 会全体の強調利得の獲得を実現するガバナンス制度の一種であるとさえ見なし ているといえる。 また,取引コスト理論は経済学的アプローチであり,基本的に社会システム における「経済」的観点,つまり効率的な制度の選択という観点に焦点を当て ている。しかしヴィーラントは,企業倫理やモラルを考察するに当たり,現代 社会を特定の観点からのみ考察することを批判する。彼はこれを,ルーマン(N. Luhmann)の社会システム理論における「機能分化(funktionale Differenzierung)」 の考え方に基づいて説明する(Vgl. Luhmann )。 ルーマンは,社会を「システム」という観点からとらえる際,社会は法,経 済,教育などの機能的サブシステムから構成されていると考える。この考えは パーソンズ(T. Parsons)にも見られるものだが,ルーマンは社会において特権 的な地位を占めるサブシステムは存在せず,むしろそれぞれのサブシステムの 視点から社会全体に関するコミュニケーションがなされていると考えている。 それぞれのサブシステムは「二元コード」と呼ばれる独自の観点からコミュ ニケーションを行う。たとえば法システムは「合法/非合法」という二元コー ドを用いて,合法か非合法かという観点からのみ社会的コミュニケーションを 行う。経済システムは「支払い/支払わない」という二元コードである。 ルーマンのいう(全体)社会システムは,そのような独自のコミュニケーショ ンを行うサブシステムが折り重なって,結果的に構成されたとも言うべきもの だが,このことから見れば,社会においては,何らかの特権的な地位や観点が あるわけではなく,それぞれのサブシステムがそれぞれ固有のコミュニケー ションを行っているのである。

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ヴィーラントが倫理において「ガバナンス」に注目するのも,現代社会にお いては,社会全体を統治するような中心がもはや存在しないため,多数の機能 システムが同時に存在している中で,社会活動の基本的単位である「取引」を 円滑に遂行するための「ガバナンス」こそが,企業をはじめとする様々な経済 主体の行動を制御し,社会全体を方向付ける役割を果たすものと考えたからで ある。 そのような機能分化した社会において,企業をはじめとする「組織」はどの ように位置づけられるのだろうか。ルーマンによれば,組織は経済システムや 法システムのような機能システムと異なり,「多言語」システムである(Wieland , S. ; Vgl. Luhmann )。すなわち,たとえば経済システムという機能 的サブシステムが「支払う/支払わない」という二元コードを用いてしかコミュ ニケートできないのに対し,組織は「支払う/支払わない」の他に,「合法/ 非合法」などの二元コードを用いてコミュニケートできる。もちろん,たとえ ば企業という組織は「経済システム」との結びつきが強い組織であり,「支払 う/支払わない」というコミュニケーションが中心的となるが,しかしそれだ けではなく,企業倫理に関するモラル的コミュニケーション(「良い/悪い」) にも関わることができる。このように多言語的システムとして企業をとらえる ならば,利潤追求という経済的コミュニケーションの観点からだけで,あるい は倫理規範の追求というモラル的コミュニケーションの観点からだけで企業組 織を考察するのは適切ではないことになる。 ヴィーラントは,このルーマンの発想を自身の「ガバナンス倫理」に応用す る。すなわち彼は,「倫理」を社会における特権的な地位にあると見なさず, 他のサブシステムと同様に地位にあるものとみるのである(Vgl. Wieland , S. ff.)。 ヴ ィ ー ラ ン ト に よ れ ば,従 来 の 倫 理 学 は モ ラ ル や 規 範 の「根 拠 付 け (Begründung)」とその「実行(Implimentierung)」いう観点から考察を行って きたが,とりわけ企業倫理の文脈では,「根拠づけ」に重点が置かれていたと いう(Vgl. Wieland , S. ff.)。モラルや規範は,時空間を超えたあらゆる 場面で普遍的に成立するものと見なされ,そのような根拠づけられたモラル

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が,すべての行為主体が実行すべき行動として提示されるのである。

従来の企業倫理がモラルや規範を「根拠付け」として,その普遍的規範を経 済行為への推奨として与えてきたこと,つまりヴィーラントが,経済に対する 「倫理学の優位(Primat der Ethik)」と言うべき事態は,先に説明した機能分化 社会においては成り立ち得ない。倫理は,あくまで経済や法などの他の機能シ ステムと同等に地位にあるのみであり,倫理学において定式化された倫理規範 を企業やその他社会実践に押しつけることはできないのである。) ヴィーラントは,従来の企業倫理が以上のような「根拠付け」優位の思考に よって自己満足的な議論に終始し,企業倫理の諸学説間の対話ができなくなっ ており,そのような普遍的な倫理の追求が企業実践との関わりを遮断し,企業 倫理学説の企業実践への「応用」を困難にしてきたとみている。たとえばナイ キの事例のように,)とりわけ多国籍化する企業活動の中で,本国での価値規範 と進出国の価値規範が異なることによる企業倫理問題が発生しているが,従来 の根拠づけ志向の企業倫理学説では,そのようなグローバルな企業倫理問題の 解決に寄与できないのである。 ヴィーラントは,このような状況を打破すべく,「根拠づけと応用の脱連結」 (Wieland , S. )を目指す。すなわち,「根拠づけられた」企業倫理を実 践に応用するという根拠づけ優位の立場ではなく,「応用」志向の企業倫理論 を展開しようと試みているのである。ヴィーラントによれば,倫理の「根拠づ け」ではなく,「応用」を基準とすることで,これまで各学説で閉じていた経 済倫理・企業倫理学説における諸学説間の対話が可能となる。すなわち,価値 の根拠づけを客観的に議論することができないがゆえに,「応用」を基準とし て,その議論が応用されうるのかどうかによって,学説の比較,検討ができる ) ヴィーラントによれば,「モラル」と「経済」はリカーシブな関係にあるのであり (Wieland , S. ),「分析の焦点は,経済行為の倫理的基礎づけでもなく,倫理的行 為の経済的基礎づけでもない」(Wieland , S. )。 ) ナイキは 年代に,途上国下請け企業の工場における労働問題などについて,当初 無関心な姿勢を見せたため,メディアからのバッシングを受け,業績悪化,株価の下落 など,広範囲な影響を被った。この事例について詳しくは,たとえば谷本( ), − ページを参照。

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ということである。このような考え方は,企業倫理が提唱される際に常に問題 となる,「倫理規範の根拠付け問題」に対する つの解決策だといえよう。 Ⅲ ガバナンス倫理の形式モデル 以上の基本的想定に基づいて,本節ではヴィーラントの「ガバナンス倫理」 を具体的に検討したい。先に述べたとおり,ガバナンスの対象は「取引」であ り,経済的取引における反倫理的行為をいかに「ガバナンス」し,協調レント の獲得を実現するのかということが彼のガバナンス倫理の目標である。 その際ヴィーラントは,ガバナンス倫理の理論的含意を以下のような関数に よって表している(Wieland , S. )。

*20"/#+&)0!,%&01!-&%01!.(''0$

#+%."!#!"!#$0"特殊な取引 $1"特殊な場 $

ここで Tm は,「明確に区別できる経済的取引の道徳的次元(die moralische

Dimension einer distinkten wirtschaftlichen Transaktion)」(Wieland , S. )を

表す。これは,企業やその他経済主体に対する経済的取引への道徳的要求を表 すものであり,たとえばある企業が取引先との契約において児童労働の禁止条 項を盛り込むことなどがそれに該当する。

ISは,個々のセルフ・コミットメントあるいはセルフ・ガバナンス体制(das

Regime individueller Selbstbindung oder Selbstgovernance)である。これは,取引 主体が自発的にモラル的行為を行うことであり,個々人の合理的計算によるも のであったり,純粋な利他的行為であったり,その動機は様々である。たとえ ば,児童労働撤廃に向けた経営者の個人的取り組みがそれに該当する。 FIは「公式の制度(formale Institution)」を意味する。そこでは「経済的取 引に対する道徳的要 求 が 競 争 中 立 的 に 成 文 化 さ れ て い る」(Wieland , S. )。例として,児童労働を禁止するための法律の制定が挙げられる。 IFは「非公式の制度(informelle Institution)」を意味する。これに属するの は,たとえば宗教的信念や,ある組織文化における道徳的信念などである。た とえば児童労働の問題は,それぞれの社会の文化的背景に影響を受けるため,

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地域ごとにこの問題に対する倫理的,道徳的解釈は異なる。

OKKは,「ある特定の組織の調整と協調のメカニズム(Koordinations- und

Kooperationsmechanismen einer bestimmten Organisation)」を意味する。これは 組織内の取引を制御,コントロールするものであり,組織の存在それ自体,あ るいは組織による様々な措置がそれに該当する。組織においては手続きや指 針,ポリシーなどが確立されているはずであり,それが,たとえば児童労働を 防止させるような手続きとなって組織内に確立されている状態であれば,道徳 的な行為が実現されていると言える。 係数 a,b,c,d は,− か か の値を取り得る。− は,それぞれのガバ ナンス形態が有効に機能しておらず,むしろ負の影響を及ぼしている状態, は有効に機能している状態, は影響がない状態である。 以上の考察から,経済的な取引における道徳的次元の実現は,IS,IF,FI, OKKの関数となる。これらは,特殊な取引 i と特殊なコンテクストである j へ の影響という観点から考察される。 係数 a,b,c,d に各数値を導入したマトリックスが,下の表 である。 たとえば「徳の倫理」では,経営者の純粋なモラル的決断のみが企業の倫理 的行為を決定づけることになり,「秩序倫理」では法規制が倫理的行為を方向 付ける。「グローバル倫理」では倫理的な組織文化によって自発的にモラルが 実現され,「企業倫理」ではたとえば「倫理綱領」などの制定によりモラル的 "%& a= !"&' b= "!&' c= $##& d= 徳の倫理 (Tugendethik) − , − , − , 秩序倫理 (Ordnungsethik) − , − , − , グローバル倫理 (Globale Ethik) − , − , − , 企業倫理 (Unternehmensethik) − , − , − , 表 :係数マトリックス(Wieland , S.

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"%& a= !"&' b= "!&' c= $##& d= マネジメントにおける管理の倫理 (Führungsethik im Management) − , − , 表 :マネジメントにおける管理の倫理(Wieland , S. 行為が実現するといえる。 またヴィーラントは,この基本的考え方は応用も可能だとしている。たとえ ば「管理者の倫理」を考える場合,たとえば以下の表 のようになるという。 表 では,個々人の徳や倫理,モラルに基づく経営者の個人的なモラルが, 「倫理綱領」などの適切な組織的な調整メカニズムと相俟って企業の倫理的行 為を可能にすることが明らかにされている。 Ⅳ ガバナンス倫理の実践への応用:「倫理マネジメントシステム」 以上のようなガバナンス倫理の応用志向性に基づいて,ヴィーラントはガバ ナンス倫理の企業実践への応用のための具体的枠組みとして,「倫理マネジメ ントシステム(EthikManagementSystem)」を提唱している(図 参照)。 具 体 的 に こ れ は,成 文 化 す る(Kodifizieren),コ ミ ュ ニ ケ ー ト す る (Kommunizieren),実行する(Implementieren),組織する(Organisieren)という 段階からなるとされる。最初の「成文化する」段階では,「アイデンティティ を特定し,その意思決定を構造化するような,企業あるいは協調プロジェクト の価値を規定し,成文化する」(Wieland , S. )。ここでは給付,相互作 用,モラルに関する価値が規定されているが,これらは具体的には企業行動規 範などの形で明文化される。重要なことは,給付,相互作用,モラルの つの 価値がそれぞれ混合した形で設定されているということである。企業は多言語 的システムであり,様々な側面を持つため,これは企業の行動の選好,あるい は意思決定のための選択基準となるのである(ebenda, S. )(図 を参照)。 次の「コミュニケートする」段階では,成文化された価値が企業内外にコミュ ニケートされる。この段階では,情報内容のみでなく,その遂行的な性格もま

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価値マネジメントの組織 倫理/コンプライアンス・ オフィス 経営者の専任事項 (Chefsache) 機能的統合 (たとえば監査,QM) 価値マネジメントの手段 コンプライアンス・ プログラム 価値プログラム 倫理監査システム 企業のコミュニケーション チーム内 チーム間 チーム外 企 業 価 値 業 績 相互作用 モラル コミュニケーション 協 調 段階 : 成文化する 段階 : コミュニケートする 段階 : 組織化する 段階 : 実行する 図 :倫理マネジメントシステムのプロセス段階(Wieland , S. Ⓒ Josef Wieland

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た重要である。 続いて「実行する」段階では,外部あるいは内部の制御を通して倫理的な行 為を実現することが目標とされる。ここではコンプライアンス・プログラム, 価値プログラム,倫理監査システム(EhikAuditSystem)などが問題となるが, 内部制御としては,倫理教育,倫理訓練なども有効である。 最後の「組織する」段階では,倫理を実践するための組織,たとえば倫理/ コンプライアンス・オフィス,倫理担当部署の設置などが問題となる。ヴィー ラントによれば,アメリカでは「倫理オフィス」が重視されるのに対し,ドイ ツ語圏では,品質マネジメント,内部監査,コミュニケーション部門やより高 位のスタッフを統合する形が好まれるというが(ebenda, S. f.),いずれに 給付価値 !利益 !コンピテンス !給付準備 !柔軟性 !創造性 !イノベーション志向 !品質 コミュニケーション価値 !尊敬 !所属 !率直さ !透明性 !意思疎通 !リスク準備 協調価値 !ロイヤルティー !チーム精神 !コンフリクト能力 !率直さ !コミュニケーションの 方向付け 道徳的価値 !潔白さ !公平さ !誠実さ !契約の忠実さ !責任 図 :価値の 角形(Wieland , S.

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してもここでは,「トップみずからが処理すべき案件(Chefsache)」,つまり企 業管理層による,価値やイメージの転換についてのコミュニケーションが重要 である。 以上のようなモデルをはじめとして,ヴィーラントは多くの応用モデルを開 発し,企業実践への応用を重視した企業倫理論を展開するのだが,)このような 応用モデルの背景にあるのが,企業活動のグローバル化とそこから生じる企業 倫理問題である。 企業活動のグローバル化によって世界各国での調達・製造・販売が常態のも のとなっているが,そうしたグローバル企業のあり方が,人権侵害,児童労 働,環境問題など,企業倫理問題をも発生させている。たとえば本社がある先 進国の価値観と,進出先の途上国の価値観とが衝突することによって,重大な 企業倫理問題を発生させることもあり得るだろう。そうした問題には文化を越 えたガバナンスという発想が必要となる(Vgl. Wieland , S. ff.)。そう したガバナンスに役立つのが,倫理マネジメントシステムをはじめとする応用 モデルなのである。 ヴィーラントによれば,モラルの価値は文化の影響を受ける。それは彼の言 葉でいえば,もっぱらインフォーマル制度として作用し,取引にポジティブあ るいはネガティブに作用する。つまり,取引コストを上げる要因にも下げる要 因にもなる。よって,倫理マネジメントシステムのようなモデルによって,取 引コストを下げるような措置が必要となるだろう。 このような文脈では,たとえば文化の相対主義か,普遍主義かという二者択 一が問題となることもある。つまり,文化的相違にあわせてダブル・スタンダ ードをとるのがいいのか,あるいは自身の価値基準をすべての分野で適用しよ うとするのがいいのか,ということである。ヴィーラントによれば,ヨーロッ パ企業は前者を,アメリカ企業は後者をとる傾向があるというが,両者のどち らが良いかという二者択一的な見方は,真の問題のあり方をゆがめてしまうと ) 倫理マネジメントシステムの実践への応用について考究したものとして,例えば Wieland / Fürst( )がある。

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いう(Vgl. Wieland , S. )。モラルに関するコンフリクトは常に存在す るのであり,それを日和見主義あるいはダブル・スタンダードで解決するので もなく,価値の絶対視によって解決するのでもなく,「共通のモラル的学習プ ロセスと,それによって予期的に共通のモラル的文化を実現するような,制度 的組織的メカニズムを生み出すこと」(Wieland , S. )に解決の鍵があ るという。 これはヴィーラントの「ガバナンス倫理」の規範的側面を表したものだとい えるが,応用志向の企業倫理の展開を目指すヴィーラントにとっては,コンフ リクトはコンフリクトとして認めつつも,それを企業組織のメリットになるよ うに解決していかなければならない。 たとえばヴィーラントは,以下の図 のように,グローバルな価値とローカ ルな価値があるときに,価値が両立する場合,両立しない場合,補完しあえる 場合を区別している。多国籍企業が直面する多文化的,異文化的な局面におい ても,たとえば約束の遵守や信頼構築など,どんな文化においても妥当すると 思われる価値もあれば,児童労働のようなコンフリクトを引き起こす価値の対 立もある。これらをいかに両立可能なものにするか,あるいは補完し合えるも のにするのかが問題となる。コンフリクトがあることで,道徳的とみなされる ものとそうでないものが区別でき,そこから議論を出発することで,モラル的 学習やコミュニケーションによって,価値をできるだけ両立させる,あるいは 両立不可能でも,非両立を受け入れながら倫理問題を解決していくようなプロ セスを始動させることができるだろう。「両立しうる解決とは,両立しない原 則や信念をそういうものとして受け入れ,問題設定を,共通のモラル的学習プ ロセスをスタートさせ,促進するような,両立しうるローカルな価値に転換す ることである」(Wieland , S. )。 たとえば先進国のグローバル企業が,途上国の委託先企業で児童労働問題に 直面した際に児童のために学校を設立するなどの行動)は,コストのかかる行 ) このような対応をとった事例として,たとえばリーバイス社がある。梅津( ), ページ以下「第 章国際ビジネスの論理」におけるケース題材を参照。

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動であるが企業にとってはレピュテーション資本への投資だと言える一方,そ れは普遍的な価値レベルで問題を解決しようとする行動,つまり強制的に両者 の価値を両立可能なものとする行動ではなく,ローカルな価値のレベルで,相 補的な価値を追求する行動だともいえるだろう。このようなローカルな価値の 相補性への追求は,さらなるモラル的学習によって進化する可能性を持ってお り,たとえば先のケースでは,見出されたローカルな解決策が,義務教育や健 康保険制度の設立という結果につながる形で,より相補性が深まり,共通のイ メージに近づいていき,価値の両立への道が開かれていくのである。「企業あ るいは企業家には,モラル的原則や基礎付けられた信念を根拠付けることが求 められるのではなく,ローカルな価値コンフリクトのモラル的に受け入れら 補完しあえる 価値 両立できる 価値 両立しえない 価値 図 :グローバルな価値循環(Globaler Wertekreis)(Wieland , S. 秩序づけの問題: 例えば義務教育,公的な健康保 険制度,児童労働の制限のよう なローカルな解決策の受け入れ や尊重 デザインの問題: 児童に対するよりよい報酬の支 払い,学校や病院の建設のよう な道徳的原則や信念のローカル な応用 根拠づけの問題: 例えば児童労働の禁止のような 包括的な道徳的原則や信念

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れ,実践できる解決を求めることが求められる」(Wieland , S. )。つま り企業あるいは企業経営者は,起こりうる価値のコンフリクトを把握し,自身 の価値を無理に普遍的な観点から強制するのではなく,共同でモラル的学習プ ロセスを受け入れるメカニズムを実現できるようなガバナンスのあり方を模索 することが必要だということである。このような考え方はまさに,第Ⅱ節で検 討した,「根拠づけと応用の脱連結」の考え方に沿ったものだといえよう。 Ⅴ 「ガバナンス倫理」とホーマン学派の経済学的倫理学の比較 われわれは柴田( )において,ホーマン学派のズーカネク(A. Suchanek) による「経済学的倫理学」を検討した。そこでは,ホーマン学派の経済学の 方法による企業倫理の可能性が検討されたのであり,彼の議論は本稿で取り上 げたヴィーラントのガバナンス倫理との関連が想起される。しかしながら, ヴィーラント自身が論じているように,ホーマン学派の経済学的倫理とは意見 の相違も多く見られ,さらにそれは,とりわけ経済学に基づく企業倫理を考え る上で根本的な問題を含んでいる。よってこの節で,ヴィーラントとホーマン 学派の諸説を比較し,両者の相違点を浮き彫りにしたい(Vgl. Wieland ; Homann )。 まずホーマン学派の企業倫理は,ゲーム理論における「囚人のジレンマ」を 出発点として,「経済学」の方法を用いて,すなわち「メリット/デメリット 計算(Vorteils- und Nachteilskalkül)」の観点から,社会のメンバーすべてにとっ てメリットのある制度の正当性に関する分析を基本とする。それは,「現代に おける規範性」の可能性を検討するものであり,その「哲学的側面」(Wieland , S. f.)に焦点を合わせている。つまりホーマン学派のアプローチは, 倫理の普遍的妥当性に焦点を当てたものだと言える。 それに対してヴィーラントのガバナンス倫理は,「取引」を単位とした,モ ラル問題に対するミクロ分析的アプローチであり,何よりも倫理の「応用」に 重点を置いている。この意味で,ヴィーラントは両アプローチが補完的な関係 にあるとしている(ebenda)。 また両アプローチは,倫理規範やモラルの「根拠付け(Begründung)」と「実

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行(Implementierung)」に関しても主張の相違が見られる。 ホーマン学派のアプローチは倫理規範の「根拠付け」に主眼が置かれている のに対し,ヴィーラントのガバナンス倫理は「実行」の局面に主眼が置かれて いる。ヴィーラントにとっては,たとえば根拠づけられたモラルがあまりにも 高いコストを引き起こし,実行することが不可能であるならば,それは応用可 能とは見なされない。社会においては,確かに社会メンバーによって受け入れ られたという意味での根拠づけられた倫理規範が存在するが,それは応用の文 脈で必ずしも実行されるとは限らない。そして,ヴィーラントによれば,応用 の文脈で実行された倫理規範が再び,「根拠付け」の文脈へとフィードバック される。 しかしヴィーラントは,ホーマン学派が根拠付けの文脈と実施の文脈の区別 を受け入れるように見えて,実際には,「経済学的手法」,すなわち効用計算の 方法に基づいて,「倫理的な語法(Sprachspiel)を経済学の観点から翻訳する ことを強要する」(Wieland , S. )ことで,「実施」の文脈を優先させて いることを指摘している。すなわち,「モラル的規範がインセンティブに適合 しているということが,それ自体,そのモラルの根拠付け可能性(妥当性)の 条件なのである」(ebenda)。ヴィーラントによれば,ホーマンのアプローチは このようにして根拠付けと実施の統一を図っているのであり,効用計算やモラ ルへのインセンティブに焦点を当てる点でガバナンス倫理と意見を同一にして いるが,しかしホーマン学派がそれらを根拠付けの文脈で問題にしているのに 対し,ヴィーラントは応用プロセスでそれらを問題にする点で,明確な相違を 見せているのである。 またヴィーラントは,ホーマンの経済学的倫理学が,経済学の方法を倫理学 に応用するという立場によって,社会の機能分化という実態を実質的に否定し ていると批判する(Wieland , S. )。それは結局,経済学による「帝国主 義」をもたらすものであり,中心のない機能分化社会という発想とは相容れな い。実際ホーマンは,「経済学の基本概念を倫理学の観点から翻訳すること」 (Homann , S. )が経済倫理と企業倫理の課題であるとしているが,そ の際ヴィーラントは,なぜ経済学の方法が優先されるのかという基準が明らか

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にされていないと指摘している(ebanda)。 ヴィーラントは,ホーマンのこのような経済学主導の倫理学がブキャナン (J. Buchanan)とベッカー(G. S. Becker)の発想に基づくものだとしているが (Wieland , S. ),ヴィーラントのガバナンス倫理では,確かに取引コス ト理論という経済学理論を基礎理論とするものの,経済学的基準はローカルな 応用のコンテクストのレベルでの実施プロセスを重視する。とりわけ企業とい う組織は,先に見たとおり,経済システムに主に関わる一方,法やモラルなど の別の機能システムの二元コードにも関わるのであり,たとえば「経済におけ るモラルのインセンティブ」(Wieland , S. )という事象を考慮しなけれ ばならないのである。「経済学的翻訳はそれゆえ,必然的に,外部の観察者に よるモラル的命題の二元コード」である一方,「ガバナンス倫理は,真に道徳 的なインセンティブと経済的応用コンテクストにおけるその影響に関心を持 つ」(ebenda)のである。 以上がヴィーラントによるホーマン学派の議論との相違点に関する説明だ が,以上のような相違点があるものの,ヴィーラントはホーマン学派の議論を 高く評価しており,それが自身の議論と一致する点もあり,補完することで大 きなアプローチとなり得ることを指摘している(Wieland , S. )。 一方,先のヴィーラントの論文に続く形で,同巻号にホーマンのリプライ論 文が掲載されている(Vgl. Homann )。ここでホーマンは,基本的にヴィ ーラントの主張するような両アプローチの相補性を認めているものの,)ヴィー ラントのガバナンス倫理との相違点をも明確化している。 とくにホーマンが強調するのは,両者の議論における「問題設定」の違いで ある(Homann , S. ff.)。ヴィーラントのガバナンス倫理がモラルの実現 のための制御プロセスに関心を向けているのに対し,ホーマンはモラルが実現 するための条件を,経済学の効用計算の方法によって分析しようとしている。 いわば,ヴィーラントがより企業倫理の対象領域に関心を向け,そこから企業 ) その一例が,たとえば両アプローチとも「モラルの学習(moralisches Lernen)」を重 視するという点である(Homann , S. )。

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倫理の方法の議論に戻っているのに対し,ホーマンはまず倫理の方法を確定 し,そこから経済倫理・企業倫理の対象へ関心を向けているのである。ヴィー ラントの議論が応用科学志向であり,ホーマンの議論が規範的志向を持つのは このことに起因するだろう。その意味で両アプローチは相補性を持つといえる が,しかしホーマンによれば,「あらゆる実証的個別科学は,その給付能力 を,その問題設定の高度の選択性から得ている」(ebenda, S. )のであり,「た とえば心理学や経済学のような個別科学の高度に選択的な問題設定が,たとえ ば実施問題のような,倫理的問題の解決に根本的な貢献を果たす」(Homann , S. )。この発言から見れば,ホーマンは,両アプローチが相補的であ る以上に,自身のアプローチにより優位性があることを示そうとしているとも 読み取ることができるのである。 またホーマンは,上述のようなヴィーラントによる倫理の「実施問題」を重 視する立場に対しても異論を唱える。ホーマンによれば,「ヴィーラントがモ ラルを,成功を約束する方法である,その応用を通じて学習能力のあるように 保持したいのに対し,私は,いわば別の側面,つまり根拠付け問題の観点から 同じ目標を引き立てるために,哲学的倫理学のパラダイムを新しく再構成しよ うと試みる」(Homann , S. )のであり,ホーマンは,「…根拠づけ討議 はそれ自体−出発点問題としてのジレンマ構造を通じて−応用討議や履行討議 と体系的に結びつけられる」(ebenda)と考える。) 本稿で見てきたとおり,ヴィーラントはルーマンの機能分化社会の議論に基 づいて,企業組織がさまざまな機能システムに関わる「多言語的組織」であり, 企業倫理を考慮する際にそのような多数の機能システムの「ロジック」をその まま受け入れ,応用可能なモデルを構築しようしている。 しかしホーマンは,そのような多数の機能システムのロジックをそのまま受 け入れる議論は,結果的に問題をぼやけさせ,問題解決に寄与しないと見てい る。 ) ヴィーラントが「制御プロセスにおける社会的なモラル・イメージの作用」に関心を 向けているのに対し,ホーマンが問うているのは「人間が,すべきことを実際にも行う ための普遍的前提条件」(Homann , S. )である。

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ホーマンの議論はたしかに経済学を用いた議論だが,ルーマンの機能分化の 議論で言うところの,「経済」という機能システムのみに関わる問題を扱って いるのではなく,「当為の実行」という「問題設定(Fragestellung)」に関わる ものであり,当然経済のみでなく,法,科学,政治などさまざまな「機能シス テム」に関わるものである。ホーマンは,対象領域の複雑さを認めながらも, それを多様なまま理解しようとするのではなく,効用計算という「経済学的方 法」を用いて問題を解決しようとする,すぐれて「方法」重視の経済倫理・企 業倫理なのである。方法から出発することで,たとえば「ルール遵守」と「ル ール確立」の区別などを通して,倫理の「根拠付け」と「履行」の問題をバラ ンスよく解決していくのが,ホーマンのアプローチだと言える。) Ⅵ おわりに−ガバナンス倫理の特質と限界 確かにキュッパー(H. -U. Küpper)が言うように,ヴィーラントのアプロー チはホーマンのアプローチと強い関連性を持っており,さらにそれを発展させ たものだといえる(Vgl. Küpper , S. )。とりわけ,ホーマンが全体経 済的な観点から,経済と企業の「ガバナンス」によって倫理的行為を実現しよ うとするのに対し,ヴィーラントはより企業内部のガバナンス構造に着目し, 企業の倫理的行為を企業内のガバナンス構造から考慮しようとする。その意味 で,ヴィーラントとホーマンのアプローチは,秩序志向,ガバナンス志向であ り,経済学的アプローチに依拠するという点で類似的であり,相補的であると いえる。 ヴィーラントの議論の独自性は,何よりもまず倫理の実現を「取引のガバナ ンス」に見出し,とりわけ企業組織に関心を集中させて,企業組織内部の「ガ バナンス」のメカニズムを解明することで,企業倫理の実現を目指したという ) ホーマンは,従来の倫理学は当為を実施するという観点を等閑視してきたが, 世紀 以来,経済学がこの問題を取り上げてきたと見ている(ebenda, S. )。経済学は,人間 がメリットへの期待に従って行為を規定していることを基本的想定として発展してきた のであり,「自己拘束」という形で社会秩序へ投資を行う,すなわちルールを確立し, それを遵守するという形で,当為を実施してきたのである。

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点にある。ガバナンスという発想自体,ドイツにおける「制度志向」あるいは 「秩序志向」の経済倫理・企業倫理の流れに属するものであり,さらにそこか ら,企業組織内部のガバナンスに焦点を当てた研究はこれまでなかったもので あり,ホーマン学派と補完的であることと相俟って,ドイツ経済倫理・企業倫 理における「経済学的アプローチ」あるいは「経済主義的アプローチ」の代表 的学説として今後も注目され続けるものと思われる。 しかしながら,Ⅳ節でより詳細に検討したとおり,両アプローチには,とり わけ方法論的なレベルで大きな相違があるように思われ,このことは,ヴィー ラント学説の特質を浮き立たせると共に,経済倫理・企業倫理の方法論的考察 において注目すべきポイントになると思われる。 つまり,ホーマン学派の方法重視のアプローチに対し,ヴィーラントの対象 領域重視のアプローチは,確かに企業倫理の現場,実践をより重視した立場で あり,応用に適したモデルの構築が可能となるアプローチだといえるが,一方 で,対象領域の複雑さを受け入れ,それをアプローチに反映させることは,理 論の首尾一貫性を損ねることにもつながる。また応用の基準が不明確な場合, 複雑でカオス的な企業倫理の現場への応用を可能にするモデルは,あらゆる現 場への応用が可能なモデルにならざるを得ず,それは結果として,無内容なモ デルとなる恐れがある。 われわれはここで,ホーマンのいう「科学の高度な選択性」を再度考える必 要があるだろう。科学的アプローチの発展は,この選択的見地の確定により実 現してきたのではないだろうか。そして,現代企業経営におけるホット・ト ピックである企業倫理問題を考えるにあたっても,実践的な問題提起がなされ ているとはいえ,あくまでその科学的分析を遂行するのであれば,科学的選択 性を無視できないのではないか。われわれは今後さらに,経済倫理・企業倫理 の方法論的考察を推し進め,この問題を解明していきたい。

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参照

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