鎌 田 恭 一 郡
元稿は米国ミシガン大軍教授ペートン博士乎﹃合計単﹄︵W≡iaヨ普drewPa什○コ︰芽cOuコt茸こ浩ム︶第二十五睾よ牒 第二十七草にいたる損益計算に関する詭述の大意を、幾分牧約して詳述したものである。もとよりこの間蒐の性 質上、他の寄頓に開聯して各虞に詮明されてはゐるが、その包括的記述はこの三草にまとまつてをり、また他の 個所に詳説された問超についても大抵何ほどかはぎ及してあるから、ペートン所論の概要はこれにより把捉し得 ると思ふ。 ペートンの桝静二般は、なほ本書のほか、その以前に出版された二審圭スチーヴンリンとの共著﹃合計原理﹄ ︵PatOコaコdSt㌢eコSOコ︰PriコCipiesO竹語cOuコ什首こ望00︶及び葦猫の著﹃合計理論﹄︵pa什○コ︰芽cO亡コt言↓heOryこ冶N︶ − に桜速されてゐる。苦闘でも耽咋諸種の著書や難詰論文に屡々引用論議されてゐるが、そのうち本稿の内容 と関係の密接なる紹介批評としては、上野博士の﹃ペートン教授の損益勘定埋輪﹄︵﹃経済畢論集﹄第七巻第一耽朗 載、単行本﹃籍詑埋諭の研究﹄に収録︶があるから蓼附されたい。 爪−トソの損益計算論 ︵一︶ペートンの損益計算諭
︵六九︶ 六九 嘉節夫谷 井一味
O ︵七〇︶ 七〇 ペ﹂トンの桝論に初めて接する人のために、その特典なる用語若干を、主として本吉節二軍堅二軍第六軍 第八輩により極めて簡単に解説しておく。 普通に謂ふところの負偵及び資本は、これら身二つの概念に紘指してEqui︷訂s︵﹁請求碓﹂︶と名づける。これは 資産︹僧侶︺に劉する樵利・資産︹慣伯︺の所有を指弼し、OwコerA﹁資本所有主﹂︶のOwコerShip︵﹁東本所有関係﹂︶を 表示する。これにより、関係常串者問における資産︹低値︺組額の衡平なる割雷equ芽b−ea=OCatiOコが示されるの である。それからこの﹁請求樵﹂の内容空虚額に分ちて﹁許≡訂︵負債︶及びPrOP﹁致OrS音︵﹁啓発主資本﹂即ち謂 はゆる資本、ペートンはまた崖名r。Prietary︹旦邑﹁事業卓資本﹂なる語をこれに代用する︶となし、ここで普通 の用語に一致させる。 次にペートンはP﹁。fi曾なる言葉を斥けExpeコSA費用︶刀eくeコue︵収益︶−コCOヨe︵﹁利益﹂︶訂○ヨe芽cOuコ音叉﹁損益 計算﹂︶等の語を探用する。収益とは例へば繋ヒである。その内容は、これを根本的に分析してみれぼ、資産偵値 の消失減少と﹁請求械﹂の増加又は減少との二要素よりなる。但しこの資産低値は絶原憤であつて、仕入又は製造 原債ではない。そして費用とは、収益位相の際、収益蛙待のために生する桝の資産憤他の消失減少である。それ は野上の原偵︵∩。St。㌫a−es︶収益の原償︵nOStO−Reくeコue︶であり、収益に劃する賦課︵Re<eコuenha﹁笥︶℡ある。 00 しかして収益より費用を差引きたる筏飴が利益である。即ち総収益に封する純収益また純利益である。もしまた 費用の方が大なる場合には収益との差額が﹁。SSO﹁ロe芳ieコny︵損失︶となるのであるCかくの如く郁々の項目が存するのであるが、そのうち眞に﹁請求椎﹂の増減たるものは利益又は損失のみである。費用は資産慣倍の消失 であり、従って﹁請求椎﹂を減少させるかの如くであるが、その蟹、磯生と同時に収益教生により墳祁されてゐ るのであつて、もし喋補し姦されざる部分が生するならば、それが初めて﹁請求椎﹂の減少たるのである。同じ く収益もその悉くが﹁請求標﹂の増加とはならない。その大部分は費用と相殺されてゐるのであつて、残敵のみ が﹁請求樵﹂の増加たるのである。故に費用や収益はたゞ中間的・暫定的∴時的の性質を有するに過ぎない。 設腑Structuresや物品nOヨヨOd≡esのみならす、用役serくicesもまた悉く資産である。またすべて資産︵別役を含 む︶購入の際には、原憤︵cOSt − 記述を平明ならしめるため時にはとの原語を﹁出費﹂と詳した︶は蟄生するが、 費用は塾生しない。次にこれらの設備・物品・用役が使用されると、その原偵が販賛晶の組原債に綺換する。そし て最後に放資されたとき、版賛品に照現せる絶原偵偶伯が企業より離れ去り、収益原椚となる。こ1に初めて資 産慣倍は満失し費用は餞生するのである。 しかしこれは鞘論上の厳密なる置別である。晋際にお.いでは勿論かくの如く置別して記録することはない。日 常記録するのは資産の購入のみである。即ち、資産の購入原憎が勘定に記入されるだけであつて、購入原慣より 紙原慣への時換、及び絶原憤より収益原偵への柑換即ち費用化は山々記録されないのである。但し製造原債計算 制度の探用されてゐる場合には、裂池原慣への瞞換だけは記録される。従つて放琵品に関する勘定記録は、叫般 に、仕入又は製造原偶にて示されたるその増加額の記入のみにとゞまゎ、その消失減少額は、原償計節制度又は ぺ−寸yの指轟計鈴論 ︵七こ 七︼
麓六番 第一兢
︵七二︶ 七二 恒久棚卸制度の採用されてゐる場合のほか、全く記録されない。かくて前述の如き瞳換は、期末に至り、各横資 産︵用役を食む︶の項目につき、︼期間を通じての合計額にて計節記録され、一期間の常葉原偵︵periOdic COS什 。︻○召ati。コ︶として表示されるに過ぎないのである。それであるから、購入された期に全部若′\は大部分費用化 する物品や用役kついてみれば、購入原償の発生と費用の蟄生とが、叫期間の合計覇においては、全部署くは大 部分咄致することになるのである。自然、驚際の取扱上よりみれば、期末における原償の残存高を除き、両者の 区別がなくなる、。例へぼ二種の用役資産たる放資員の労務を購入したときは、給料勘定に倍記する。この勘定は 理論上、資産原慣を記入する資産勘定である。しかし隅末になつてこの記入頗を顧みれば、それは全部費用化せ る金額を表はしでゐる。即ちこの勘定は今や費用塾生叡を示してゐるのである。だからこれを更に費用勘定に振 替へるが如き理論的なる手輯は、蜜際において必要でない。故にかくの如き勘定は、便宜上初めから費用勘定と みても、驚際問題としては芸文は・ないのである。︵右の意味において﹁原債﹂を﹁費用﹂と詳した場合もあること を断っておく。︶ なほ以上述べたるほか、収益の原償となることなくして単に資産償倍が消失することもある。これは単なる﹁OSS ︵損失︶である。また費用を少しも要せすして特殊のlコCOヨeOrGaiコ︵﹁利益﹂︶¢接待することもある。 利益はまた本来、事業の利益であ少、﹁請求樺﹂について生する利益である。従つて利子も配営も同じく利益の 分配物たるのであつて、たゞ分配の傭件が興るに過ぎないのである。ペートンは、前の二者において財産評債上の時慣主義を大に弧調したことにより、有名であるが、本書において はその主張む授和し、部分的に修正してゐる。例へば、商品の評慣基準としては原則として原慣をとり、却賢商の
場合或賃憤欒動の甚宣誓きに是替罵を、誉特殊の場合には修正繋宿を探ると至︵野蛮紀如聖
また固定費崖の評慣については、獲得原償より減債を差引いたものを現在の慣額となす、といふ通詮にも大鰐の 賛意を表し、使用中の固定資産を取替原償で再評憤するのは考へものであると述べ、物憤欒動の甚しき場合とか 其の他企業の解散や組織攣吏の如き慧の警に、時倍量讐すべしと強調するのみである︵軍計針嗣︶。こ の評憤主義における政談は、本稿にもその片鱗を現はしてくるから、務め了解しおかれたい。第一葦 基 本 問 題
1原審第二十玉串−コ︹○ヨeaコd ltsロeすヨiコat5.コu PP・uuul諾﹂ −
−純金の盈要さー1こ 串類別盛の根本概念 − 1ニ串寒剤金の超臍的箪藩 − 四 倍想の艶月−1玉 串発 生への給料及び利子を控除†る場合の巌理法 − 六 串染野用ミ経済的に朗㍗ろ原情 − 七 契約資本に封すろ 利子 − 八 利巷ミ資産ミの関係 − 九 利金の分配にこ際し考慮すべき癒忘㍗−−︼0 撹央ミ役用Ⅰ−︼ 資 産智加ミ設用費生−1〓−評僻ミ利令Tl〓ニ利金畢現の基池丁
叫 純 益 の 粛 要 さ
純益は合計上甚だ意味深き項目である。愈計者の仕事の焦鮎は茸に各期の純益決定にありといひうる。かの二 八−トンの増益計算論 ︵七三︶ 七三第六番 第一既 ︵七凹︶ 七四 大決算報督書の一つたる損益衷は、この純益観を示し、その由つて解れる経路を明かにするのをその本質的目的 としてゐろ。利益を表示する計数の完全性 − その眞瞥詭碓の舵持こそは、合計の方法事蹄を考案改良するにあ たり、これに封し最も大なる注意を沸ふべき肝嬰寄たるのである。 純益殊に営業純益は経営上極め七重婁なる項目をなす。これは叫昏計購の皆英機続を表示するところの唯劇最 重要なる指梗である。その動きにより財政状態の傾向を敏感に示すバロメーターである。されば損益的資料は、 経営方針決定上、基本的意義を有する。さらに螢柴の成績如何を経営の安住に鐸するのが合甥的である限りにお いては、利益額は経営能率測定の尺度となる。この尺度は、資本投下着みづから経営の任に常らす他の者を府僻 して経営せしめる場合、殊に重安な役割をつとめる。 しかし事業経螢の安住にも限度のあることは︰任意む要する。事業の遂行は技術的過程たると1もに経済的過程 である。多くの催件や要因に依存してゐる。故に或る特定の年度において利益が少かつても、或は数年に冒すさ うであつても、この事嘗が、事業経螢の不能率を決定的に表明するものではない。−般物偶の欒勤・労働市場の 状況・需要の欒化・法規の改厳・政治の展開・等々のどときは、啓発経営者が統制し得ること少く、或は全く統制し 得ない事柄であるにもか1はらす、なほかつ、事業の利益にたいし決史的なる影響を及ぼす。故に総督者に勤し 純益に関する第一次的安任を鐸L得ることも得ないこともあるのである。 各密計凋の利益禎は﹁資本用有産﹂すなはち資本投下者にとつても重大なる意童を宥する。純益は、番業に資本
を投じたる者の﹁請求椎﹂の増加を、従って財産の増加を測定する.その金覇は寄紫綬皆の結光として﹁資本所有主﹂ の投資高に累加したる額を示す。されば純益の決定は叫般に﹁資本所有主﹂の最も関心する問題だといひうる。 合理的なる基準にもとづいて各偶の純益を決定するの必婁は、﹁所有関係﹂が幾多の何人・利害関係者に分散し でゐるとき特に大なるものがある。けだし、か1る場合の純益額は﹁請求横﹂を有する各棟の関係者に分配せらる ペき金額だからである▼。脅敵の場合には殊にさうであつて、筍くも各種の投資者の問・同種投資者中の個々人の 問に公正を似たんとする限り、純益は定期に正確に之を算定せねばならぬ。 純益はまた朗得釈に閲聯しても重要である。納税者・収税者の何れの側からいつても、毎期二貰せる合理的な る方法による純益算定の必要頗を大なるは言ふまでもない。
〓 事柴利益の根本概念
合計者として如何なる利益概念を採用すべきか。如何なる場合にも同一の見方を固執すべきであるか。これら の問題については眈に本書の初めの方でも吾及したのであるが、詮明の順序上、こ1にその嬰鮎を再改する。要 するに、利益に勤しては各棟の観鮎が存在し得るのである。 第叫に、狭義の﹁資本所有主﹂即ち啓発主prO蔓e冨′の立場から定義してみると、利益とは、草葉経営にたいし 第⋮吹的統制力を保有し法律上企業の所有者と認められてゐる濱への報酬・その投下財産の増加額である。それ ぺートンの招益計算論 ︵七五︶ 七五は事薬毒の純益であるっ個人事菜辛組合員・株主にとり嘗現したる利益である。
第二に、経営者の立場から定義すると、利益とは、資本がいかなる源泉から出てきたかを間はす、この資本に
封する報酬姦本の利得である。経営者にとつては、事業主から出た資金と借入資本との問に何等の差異はない。
その何れたるかをとはす、この自由に魔現しうる資金を最有数なる方放で運用するのが、その任務である。彼は
黎本拉得方法・財務企宣については、利害関係も責任も有しない。彼にとり利益は、本質的に、放牧益より経営
費を差引いた痩胡である。企共に資本を提供した老に勤し利子その他として分配すべき額を、葦だ控除せざる金
額である。か1る見解は、勿論、直接の経螢任務が﹁所有関係﹂より完全に切り離されてゐる場合、換言すれば経営者が﹁資本所有主﹂の傭ひ人たる場合に、特に重要である。
利益はまた、相恩期間、相常覇の資本を提供した凡ての老への定期的報酬・その提供者のものとして易加せる財
産額であるとも定義される。即ち、投資の種類を間はす、長期資本投資者金牌にとつての利得と考へられるので
ぁる。この意味の利益は原則として、その金額の斯からみれぼ、経営者の立場からみた利益に近似する。しかし
同叫の概念ではない。
ぁる者はまた、事業主の提供せる労務に封する報酬を、時にはさらに事業主資本に封する普通利率の利子を、控
除した竣高を利益と解すべしといふ。この意味の利益は事業主資本そのものとしての利得であつて、表に﹁資
本所有毒﹂により蛙供せられる他の諸要因∴謂條件に封し、悪芸額の拉除をなしね竣高である。だから幾分か
第大谷 第一購
︵七六︶ 七六経臍塾の所詮に基いた概念であり、いはゆる利潤概念と大腰において一致してゐる。しかし、この見解の採用に たいし合計者の立場から大に異議のあることは、迫って述べるであらう。 利益はさらに、個々の収益者の立場からも悪童される。すると企業の利益は、﹁資本所有主﹂即ち投資者に対す る配雷その他の支出額といふことになる。しかし、原則として合計者は、この概念をも不合理なものとせねぼな らぬ。合計の立場からは、企業は明瞭なる墾皿牒。別個の存産物である。従って、流動資金その他の財産の・﹁訴 求椎﹂所有者への移動を以て企業の利益なりとすることはできない。企柴の毎期の利益は、之に輿かる樺利ある 者への毎期の報酬額・その著の毎期の引出高に∴致する必嬰は少しもないのである。この隈別は合敢の場合殊に 注意する必要がある。 かく種々の定義が考へられるが、そのうちで密計者にとり一般に最も意義のあるのは、初めの二つ、すなはち 事業主よれ見たる利益と経営者よりみたる利益とである。
三 事業利益の経済的要素
事業別益の構成琴素を経酒麺的に硯察してみると、それが明確に軍一なる要素より成れる場合は殆どない。す べて各種の要素が種々の割合に混在せる合成物として現はれてゐる。賓際いづれの場合にも利子と利潤とが存在 し、また僅かしか存しないこともあるが労賃も存在する。さらに、天然物が利周されてゐるときは地代の要素も ペー下シの撹恭計算論 ︵七七︶ 七七成る程産まで加ってゐる。 小規模の小安商店を例にとつていへば、店主は通常、資本を提供すると∼もに、経営上の任務を負ひ普通の労 役に服する。また資本の提供には、これにより安住を引受け危険を負瘡するとの意味のみならず、単なる利子収 得の意味をも食んでゐるのである。故にか1る場合の啓発主の利益なるものは、利子。利潤壷通の賃銀及び経営 者としての俸給・また地代の要素から成立ってゐるわけである。これに封して大なる合祀では、通常の株主が経 営上の任務を魚ひ又は普通の労役に稚ふことは仙般に比較的少い。柴紡執行の任忙雷ってゐる株主があつても、 これは、株主ならざる者を合祀が屈僻したのと同様な状態にあるのである。故に企業利益の大部分は智本に鐸す る。即ち利益は資質上利子と利潤とから出来上ってゐることになる。 この桶極端の聞に各種の状態があり、また例外的冬場合も起るのである。例へぼ、僅少の株主により組織され 仙般的の加入を許さぬ脅敢nl。sen。rP。﹁島。コでは、主たる株主の占める役割が、個人啓発主や組合員のそれと大 差はないが、小規模の令址でも時に墜直接経常の任が資本投下額の甚だ少き・姦は皆無の者に委ねられてゐる。 また偶人企発車や組合員が、常に必しも日常の業務を執行してゐるとは限らないとともに、仙株主でも、大株主 ヽ﹂y ならば大倉計の重役になつてゐる。また株主でありながら、その愈眈の単なる劇使用人となり命政より俸給を受 けてゐる者もある。 かやうな次第であるから、株式合祀の場合には、利益は原則として利子及び利潤であると見てよいが、しかし
芽六懸 第一携
︵七八︶ 七八また、柴務執行の任にあたつてゐる株主が配常として報酬を受取るため、合計の利益中に経鹿稟への俸給を含ん でゐることもあるし、戊封に虞の資本利得が俸給の帳面にかくれて分配されてゐることもあるのである。 労務の掠供を業とする事薬の利益は根本において、まづ賃鋭・俸給の要素より成ってゐる。摺謹士・計理寺仲 立人・等の利待の主要部分が原則として資本に封する報酬だとは謂へない。何となれば、資本も投下してはあら うが、その重要さは、労務の主要さに比L一般に甚だ少いからである。
四 慣 想 の 費 用
嘗際的必要以上些畢業利益を分析せねぼならないものであるか。殊に仮想的なる敬慕賦課即ち費用を計上して いはゆる企巣窟報酬と想定される金融を算出するのが、愈計者の正常なる任務であるか。これ次に考察すべき問 題である。 これに封し或老は然りと答ふるであらう。事業の眞の利益は、純粋に利潤であらねばならぬ。外部より雄得せ ると否とを問はず、あらゆる労務にたいし、また投下されたる資本の悉くに勤し、通常なる報酬を撞除した残高 が利益たるペきである。換言すれぼ、普通の費用ならびに借入資金に封する眈彿利子及び累加利子を計上するの みならす、事業主労務に封する合理的なる賃銀・俸給、かつまた、啓発主賓本に封する公正なる利子をも計上し これら凡てを粗収益から差引いて利益額を野山せねばならぬ。かう主張するであらう。 凡−−yの損金計鈴論 ︵七九︶ 七九第六悠 第一抗
︵八〇︶ 八C この利益概念・利益計算法は、幾分経網畢ヒの原理を根底とし、或る方面の賛同を大に博したものである。な るほど、かやうに決定された純益は、眞に筒先成績を指示し、異なれる期間・部門・企琴産柴の成果を比較する には有益なる計数である。従つて﹁資本所有主﹂にとり至上の意義を有するであらう。 けれども賛際的見地からはこれを非とせねばならぬのである。収益に封する恨想的なる賦課、その他すべて架 杢の・基想上の安来は、決してこれを固有の合計組緻中に誘導してはならない。刷般に合計者の職分は、特偶の 000000 企業および特偶の﹁資本所有主﹂・﹁資本朗有主﹂の集困に紬して、寅際敬生せる事件の記録を作成し保存するこ とである。決して恨定的・想像的な事件に閲はるべきものではない。固有の勘定は、毎朔嘗在せし取引を表示す べきある。代行的・預想的・または革に可能的なる獲生事件を表明するの手段たるペきではない。 この間の事情は、純然たる個人啓発主について考へればよく判るであらう。寄柴主自ら常共に舵寄しても、そ れは給料のためにのみ働いてるのではない。自分の事業に澱資しても、それは銀行その他明かに利子の得られる 場所に資本を減塩するのとは異る。資金の一部を螢兼用の土地建物に固定させたからといつて、その土地建物を 他人に賃貸するのではない。であるから、この事業主は労琴利子・地代の収得を念頭に置い七ゐるのでもなく、 000000 叉これらを事業の費用と考へてゐるのでもない。彼にとつての費用は、その購入せる設備・物品・用役の消失よ少 0000000 なる。彼自身の提供せる諸傑件の仮定的慣備には関係しない。そしでか1る費用に組収益の超過する額が、彼の 利益なのである。だからこの利益の叫部を事柴主の労務や資本に鐸するものとし、この恨定の金額を費用と看倣し、購入し消費せる労務原料の慣額と同様にこれを取扱ふならば、かくの如きは即ち、事業主の立場を離れ顧客
の立場に移動することである。この事業主の利益は、彼の資本・労力・経常的平準等々が同等に働き、財産の増
加・購買力の増加となつて賛現する桝のものである。彼自身の労務の僧侶・彼自身の資金の位川偵倍は、仕入商
品代金・努力琴靡督資など1同じ意味で収益の原慣たるものではない。たゞ哲生の横倉があり縛るといふに過ぎぬ。もしそんな考へ方をやつて行くなら、種々の想定の下に稜々の費用・をいくらでも考へ出せるだらう。
要するに、事業壷が嘗際いくら利益をあげたか、または、寄柴秦が自分の資本で何か他の方法でやつたと仮定
した場合より賛際いくら多く儲けたか、の何れに答ふべきかである。勒定の職分が第叫の質問に答ふるにあるの
は明白である。
企糞を以て仙佃の猫立鰭とし、その﹁資本朗有毒﹂より切離して考察すべきは、もちろん合計上の根本要件で
ぁる。だがこれを極端にまで推しっめると不合理をきたすから望息を聾する。法律上完全なる猫立惜たる愈赦の
場合でさへ、尊茸をありのま1に示すためには、合計上、右の置別を峻別Lてはならぬ軋もあるのである。いはんや小規模の個人事業においておやである。例へば︼人で商聾をやつてゐる商人について、或る叫つの事業が彼
の労働を購入し彼の資本を借入れ被の建物を賃借してゐると考へるが如きは、重く夢想的である。輩嘗は明々白
ミ彼はある額の資金を建物や商品に投下し朝夙くから夜晩くまで稼いで攣bかの金を描けようと励んでるだけである。この場合合計の職分は彼の発務の叙述である。轡竺人の外部的関係者とせる想像的宥鹿物の事件の叙
ぺーーソの掠泰計鈴論 ︵八〓 八一勿論、事業主の麓得する報酬が、投下資本に封する利子・経常的その他の労務に封する通常なる報償・負胎危 険にたいする十分なる剰飴の悉くに相雷するものでないならば、車菜は成功したと謂へないであらう。また純益 をこれらの要素に分離することは、特殊の婁合、﹁資本所有主﹂にとり典痛があり有益であらう。しかし、だから といつて、恨想的な費用を計上し、その結英、茸際拉得した利益の一部を表示しないのが、正常だといふ理由は 決して生じない。もし利益額を分析し構成率素を明かにする必嬰があるのなら、叫先づ営業純益を算出した後さ らに別個の計静として行ふべきである。営業純益算出前には、決して右の項目を計算にいれてはならない。 椴恕的要用の計上に刻する非難は、個人事業の愈計におけると同様、食酢や組合の合計においても、勿論加へ 得る。といつても、高級社員や組合員などに茸際支沸った俸給を費用として記帳してはいけない、といふ藷昧だ ととられてほ因る。同時に株主たる桝の使用人に支排ふ俸給は、叫般に正常なる費用である。企柴白鴎すでに猫 立せる存在物である。偶々投資者たる省から労力を購入しても、その支彿額が合印的なるかぎり、この原偶は他 の賃鋭・体給と同じく眞の姥用である。組合員に文緋ふ俸給についても同様である。その癖が賞際の奏約により 定められてをり、拉供された特殊の労務にたいする公正なる城償融たる以上、これ■を費用として計上するもなん ら不常ではない。 節六谷 井一班 逃をなすことではない。 ︵八二︶ 八二
もし少しも引出さないならば 甲 − 給 料 串葉虫資本制手
この何れもが不碧芸魔球放たるは明白である。臓想の費用額だけ収益勘定に貸記するなら、純益に及ぼす影響
は尭引無しとなり、この事輯の無用なることを推然と示す。これを積立金勘定に貸記するなら、総収益の二印を
積立金勘定に直接振替へる結果となり、その方淡は全く不常である。また定期に引出す場合とても同株であつて、
費用は過大に表示され嘗際の利得は隠蔽され、その結果他の者の判断を親らしめるやうになる。これは費用をふ
鼠 事菜まへの給料及び利子を柊除する場合の虞灘怯
前節の論旨を一隊明かにするため、鶉業主に封する給料および利子を費用として拉除するとき必要となる記帳
法を吟味してみよう。
例へば甲が五高弟を投じて皆柴をはじめ、自ら業務を執り、その資本に封する年六分の利子及び労務に封する
月三日弗の給料を計上するとせぼ、之をいかに鹿町すべきか。これは甲が恨想の費用を計上すると1もに、同額を現金その他にて嘗際引出すや否やにより頻ってくるが、もし毎月末これを引出すとせば仕鐸は
ぺー下シの招呑計算論 三〇〇 二玉○ 甲﹁−−給 料柑憎桝詔熊媚碩㍍恒㌻定︶霊○
︵八三︶ 八三 玉東〇くらませ、利得を利益として示さず、聞から闇に慶分することである。なほ偶人事業では、定期の引出は不佗不 必姿であり、軍蜜、郁合のよいとき必姿のあるとき随時行はれてゐる。それだけこの場合には侶想的死用の記帳 が秩序茸たなくなる。 鬼に巽大なる紋鮎がある。事業主は如何にして労務や資本使用の封慣を決定するか。難雑なる印象或は他よ少 労務や資本を調達したのならかうなつたであらうといふ臆測に立脚し、慈意的な見税をなすの外なきは明白であ るが、さてか1る見積藍典の費用・嘗際の資産消失高と同様に取扱つてよいであらうか。もし﹃公正﹄なる貿銀や ﹃合理的﹄なる資本報酬が茸際得られなかつたらどうする。順想的な見梢利益が賛現しなかったら、これをしも利 益と弼し得るか。さきの例で、両年の純益がたつた二千弗だつたとせば、甲の資本が六%の利得を雄待しなかっ たこと、その収益中よ旦二千六訂弗の給料を自身に彿へなかったことは明瞭である。だからこんな恨想的金額を 費用だとかなんとかいつて計上するのが、全く不條埋だと判るであらう。またこの二千弗は労賃・利子・地代・利 潤の何れだとも定められない金額である。もしこれを割雷てるのだとせば、それには次の如き前損保件が必要で ある。即ち利益なるものはその癖の大小をとはす、之を幾らかづ1各要素に分配するものである、との恨鑓が必 要となるのである。 恨想的費周の拉除は、常葉成績の比較を便利ならしめないのみか、反ってその邪魔になる朗以を、や1極端な例 をもの′て説明しょう。仮に前記の甲が一九二二年に粗収益二十萬弗賛際費用十九蘭弗従つて嘗際純益一筋弗なる 第六懸 第一鱗 ︵八四︶ 八四
計数を待たりとし、さらに自らの労務にたいし三千六百弗を費用として追加計上したとせば、純益埜ハ千四百弗
となる。さて聖叫九二≡年甲は年俸三千弗の経営者を虐僻し、自分空年間旅行をし、少しも柴務に従事しなか
ったとする。その年の総収益はやはり二十萬弗、費用は経営者の給料を除き前年同様だつたとせぼ、純益は七千
弗となり、甲は不在だつたにも拘はらす、なほ前年より六日弗の増収となつたやうな計算になるC事業主として果してこん急昇方法に満足できるであらう・か。かくの如く算出された二筒年の純益を比較しても、正確な結論
の得られないのは明白でないか。驚際純益を示してこそ、串の眞粕が明瞭となるのではないか。との故に、啓発
利益む紋所的質素に分析するのが禽計者の正規の仕事であるとなす桝詮には、疑問を懐く。この割常が如何にし
て、また何人によりなされても、寄葉主にとり多くの低値を有すとの意見に疑惑をかける。
されば筍くも事業主の捉供する特佃條件の僧侶を見積少、これを勘定に囁別表示せんとするならば、必ヰ螢柴
純益額の炭質1E碓を害せざ牒方法で行はねばならない。例を以て示さう。由述の甲が自分の労務と資本利子とを計上し、かつ毎月貰際に引出すものとせば毎月末
そしてさらに ぺー下yの相姦計算諭と仕鐸する。次にその月の茸際純璽ハ胃弗とせば之を甲の常川勘定に振替へるのである。
= 六〇〇 甲−−嘗m㌫脚定 現 金 五荒○ 六〇〇 ︵入五︶ 八五こゝで甲の常用執定には利得と引出の金額が硯はれ、事業案特偶の職能に劉する見積偵倍の記録が出来上る。 しかも本質的な計数は少しも素されないのである。 引出が不規則に行はれる場合には、前述の方法は搾川できなくなる。それでも、控除高を計上するとき備忘的 仕繹をなし、貰際に引出したときその反封仕繹をなして相殺する方法により、記録のできぬことはない。 地代・家賃についても同じく捧除せよといふものがある。例へば自己の建物を使用する者が、止むを得ザ・或 は自ら進んで他の建物を賃借して常葉する同来者と費用の比較をなすためには、公正な家賃額を費用として計上 せねばならめといふのであるが、これまた重富でない。建物の所有者は、建物の維持撃滅憤鏑却琴保険料・税 金の如き費用を聾するのであるから、もし恨想の家賃をそのま1計上したら費用が二重になる。尤も、この見積 家賃と、所有建物につき貰際生する費用との差巧大鰐において建物に投下せる資本の利子に相常するであらう。 そこでこの額を計上せよといふかも知れぬが、この利子部分を費用とすべからざる次第は、既に述べた通りであ る○ かくの如く家賃額だけ控除すれば不嘗の表示となり、これを避け左やう正確に記録すれぼ、それは結局無用の 手繚になけをはるのである。また特仰の企菜の原慣を、異れる事情の下にある企業の原摺と同じ状態に引直して 第六巻 範一紙 甲−1懲用勘定 五五〇 甲!給料控除苗 甲 − 利子控除高 ︵八六︶ 几六 − 三〇〇 こ五〇
比較することが可能であるとか、望ましいとか主眼する潜もある。しかしかゝる恨定をなすの根梯は、これを牽 00 見すること困難と思ふ。繰返していふが、費用勘定の職能は、特定の場合における有償物の嘗際の消失を示すに ある。槙準的・典型的な場合のことを示すのが役目ではないのである。勿論、かく謂へぼとて、例へば所有建物 に閥聯して生する賢際費用を基礎として、原償要素を分類したり、或は賛際原惜と可能的・隷想的原偶とを比較 したりするのが、無用だとか誤謬であるとかいふ意味では決してない。︵未完︶ A−トソの掘盛計鈴論 ︵八七︶ 八七 笥感