Seiko Matsuda Sweet Days
断言しよう。この 3 枚組 CD によってはじめて松田聖子の作 品を聴く人ほど幸せな音楽ファンはいないことを。ここに収録 されている魅力的な作品群に初めて接するという至福の音楽 体験が待っているからだ。そのような人に私は嫉妬心を感じ ないわけにいかない。もしあなたがそんな一人なら、私の能 書きなど無視して、若き松田聖子の歌声を堪能してください。 作曲家と松田聖子の化学反応ともいうべき楽曲の創造性を 感じてください。歌詞に表われる季節感あふれる風景とヒロイ ンの心の動きを心象風景として想像してください。そして、編 曲家が繰り出す多様な音の彩色を味わってください。いやは や、書き始めから興奮してしまったが、たいていの人は、いろ いろな媒体で聖子の歌を耳にし、動画を見てその魅力を知っ て、その結果としてこの CD を手にしているのだろうから、この 綺羅星のごとく輝く作品たちを前に私ごときが能書きを垂れる 必要などないのだ。 そうではあるが、一言いわせてください。松田聖子の 80 年 代の作品群は、彼女の才能に触発されて集結した最高レベ ルのスタッフたちが作り上げた日本のポップス史において例 をみないほど贅沢な作品群であり、あらゆる音楽ファンにとっ て輝き続ける永遠の宝物なのだと。そして、松田聖子自身も 気づいていなかったと思われる自己の才能を、スタッフとの相 互啓発を通じて顕在化させ、アーティストとして成長していく軌 跡でもあったのだと。3 枚の CD を通してこの宝物を味わい、 次のステップに踏み出す心の準備ができれば、もうまぎれも ない聖子信者の誕生である。そうした信者が若い世代から一 人でも多く生まれてほしい。それでこそ Seiko Matsuda Sweet Days がリリースされた意味があるというものです。ここまで書けば、これまで多くの人に愛されてきた松田聖子 の作品について新たに語るべきことなどないのだが、本作を 構成する 80 年代の作品の背景や松田聖子の活動ついて若 いファンの方々にも理解してもらえるよう簡単に触れておこう。
1980 年 4 月1日「裸足の季節」によって歌手松田聖子が誕 生した。パンチのきいた、突き抜けるような歌声がテレビの CM に流れることで松田聖子の名は全国に知れ渡った。そし て、デビューからほぼ 1 年の間にリリースされた 5 枚のシング ル(「裸足の季節」「青い珊瑚礁」「風は秋色」「チェリーブラッ サム」「夏の扉」)と 3 枚のアルバム(「SQUALL」「North Wind」 「SILHOUETTE」)で構成される作詞家の三浦徳子さん、作曲 家の小田裕一郎さんを中心にした初期聖子の作品は、普通 の歌手ならば、それだけでも後世に名を残せるほど聖子の声 の特質を生かした名作である。これらの名作によって松田聖 子の名は不動のものになっていた。とにかく声が前によく出る、 他の歌手に交じってもひときわ声が目立つ存在だった。そし て、TV 画面の彼女はとにかくかわいらしかった。マスコミも一 般ファンもそのかわいいしぐさに気を取られていた。しかし、 彼女の魅力の本質は見た目ではなく、歌のヒロインになりきる ことができる演出能力とそれにふさわしい変幻自在の歌唱力 だということをいち早く見抜いたもう一人の才能がいた。作詞 家の松本隆である。デビュー翌年の 1981 年 7 月 21 日「白い パラソル」から松本隆と松田聖子の時代が始まった。Seiko Matsuda Sweet Days 全 52 曲のうち、36 曲を松本隆作品が占 めている。「夏の扉」までの初期の 5 枚のシングル 10 曲を除 くと、残り 42 曲のうちの 36 曲、実に 85%が松本隆作品で占め られている。つまり、デビュー年を除く 1981 年から 1988 年ま での松田聖子は、松本隆ととともに歩んだのだ。レコード会社 では、聖子作品の制作は松本隆を軸とする聖子プロジェクト と呼ばれるようになっていった。この聖子プロジェクトにかか わったスタッフたちは、持てる力を余すところなく投入して、斬 新な作品を生み出していった。その意味で、Seiko Matsuda Sweet Days は、Seiko Project Sweet Days でもあるのだ。
聖子プロジェクトを特徴づけるのは、1970 年代に登場した ニューミュージックと呼ばれるジャンルのミュージシャン達であ る。1970 年代の日本の大衆音楽は、歌謡曲とフォークソング が中心だったが、その横でビートルズをはじめとする洋楽ポッ プスの洗礼を受けた若い人たちが、自分たちの欲する新しい 音楽づくりを始めていた。それがニューミュージックと呼ばれ ていたわけだが、彼らは TV などの一般のマスコミに登場せ ず、レコーディングとライブを中心に活動していた。新しい音 楽的才能を持った人の多くは、ニューミュージックに向かって いた。そのような才能あふれるミュージシャンを引き込んで、 従来の歌謡界とは一線を画した作品作りを狙ったのが聖子プ ロジェクトだ。松田聖子の作品が 1970 年代までのアイドル歌 謡と異なる印象を持つのは、このような背景からである。 ニューミュージック勢とのコラボは、4 枚目のシングル「チェ リーブラッサム」の財津和夫から始まり、続いて「夏の扉」、 「白いパラソル」と財津和夫作品が並ぶ。松本隆が作詞として 参加するのは「白いパラソル」以降である。松本隆の参加によ って、ニューミュージック勢の色合いがさらに強まり、それを全 面的に打ち出したのが、ニューミュージック界きってのポップ ス研究家で音作りの名人大瀧詠一を起用した 1981 年 10 月 21 日発売のアルバム「風立ちぬ」である。アルバムに先立っ てシングルが 10 月 7 日に発売された。このころの松田聖子 は、多忙な生活によって喉を酷使するあまり、声の不調に悩 まされており、デビュー当時の力で押し切るような歌唱スタイ ルから変化を余儀なくされていた。しかし、この逆境は、思わ ぬ福音をもたらした。喉に負担をかけない柔らかな発声でも 歌えて、それだからこそ得られる表情豊かな楽想を持った作 品が、松本隆の文学色の強い歌詞とあいまって、アルバム 「風立ちぬ」は、聖子ソングを一層彩り豊かなものにしていた のだ。そして、「風立ちぬ」に続いて 1982 年 1 月 21 日に聖子 ソングに一大転機が訪れる。ユーミン(松任谷由実)が呉田軽 穂名義で作曲した「赤いスィートピー/制服」のリリースである。 ユーミン自身が歌手でもあるので、松本隆がユーミンを誘う とき「ライバルに曲を書いてみないか」という誘い文句で口説 いたのは有名なエピソードである。そして、1982 年はユーミン の年となった。「赤いスィートピー/制服」に続いて「渚のバル コニー/レモネードの夏」、「小麦色のマーメイド/マドラス・チ ェックの恋人」がリリースされ、揺れ動く女性心理を、繊細なメ ロディーラインに乗せるユーミン作品は女性ファンをも惹きつ けた。そして、松田聖子を女性からも愛される存在に変えてい った。松田聖子も、ユーミン作品の持つ多様な作風に呼応し た歌唱を披露し、その潜在能力が奥深いものであることを 徐々に見せ始めた。ユーミンもアイドル歌手にお下がりの歌 を提供するといったことではなく、想像以上の表現力を持った
歌手松田聖子に触発され、新たな表現を開拓していく緊張感 を持つようになった。これら 1982 年のユーミン作品によって、 松田聖子は国民的歌手になったといってよいかもしれない。 1982 年の最後のシングルは、財津和夫の再登場による「野 ばらのエチュード/愛されたいの」である。このころは、制作 側がどんな冒険をしても聖子ソングとして成立するほど、聖子 の歌声は変幻自在であった。ここまでデビュー以来 11 枚のシ ングルと 6 枚のオリジナルアルバムをリリースしている。1981 年の「風立ちぬ」に続く 1982 年のアルバムは「Pineapple」、 「Candy」の 2 枚であり、いずれも聖子ソングに欠かせないア ルバムである。さらに、この 2 年半の活動の集大成として 1982 年の 12 月 25 日に聖子 in 武道館 X’mas Queen と題す る今や伝説となった松田聖子の第一回武道館コンサートが開 催された。そして、松田聖子が押しも押されもせぬ日本のトッ プシンガーの一人であることを強烈に印象付けた 1983 年が 始まるのである。 1983 年は、2 月 3 日リリースのユーミン作品「秘密の花園 /レンガの小径」で幕が開いた。これによって 10 作連続シン グルチャート 1 位を獲得する。続いて 4 月 27 日に登場したの がテクノポップ活動で世界的に有名になっていた YMO(Yellow Magic Orchestra)の一員、細野晴臣による「天国のキッス/わ がままな片想い」である。聖子がにこやかな表情で歌う「天国 のキッス」のパフォーマンスは、ぶりっ子聖子の真骨頂である が、音楽的には転調を繰り返す複雑な構成の曲だ。さらに B 面の「わがままな片想い」は、これぞ細野晴臣というべきテク ノポップ感にあふれた曲で、これが聴けるのも今回の Sweet Days ならではである。2017 年 11 月に英国の某ラジオ局が 15 時間にわたる細野作品特集を組んだ時に、松田聖子の歌で 流れたのがこの「わがままな片想い」だったこともついでに記 しておこう。8 月 1 日には再び細野晴臣でアイドルソングとは 思えない荘重な雰囲気の「ガラスの林檎」と、ジャズの香りが する「Sweet Memories」を両 A 面としたシングルがリリースさ れる。そして 1983 年を締めくくるのが 10 月 28 日リリースのユ ーミン&松田聖子の最高傑作「瞳はダイアモンド/蒼いフォト グラフ」である。この年は、アルバムで「ユートピア」「Canary」 の 2 作をリリースしており、「Canary」では、タイトル曲で聖子 自身も作曲に取り組むなど向かうところ敵なしである。1983 年 のこれらの多様な作品群は、松田聖子に次々と新しいハード ルを課したレベルの高いものだ。それを松田聖子がその都度 成長した姿を見せ、ハードルを次々とクリアしていく。その姿を 本作でまとめて聴くと、1人の歌手が 1 年のあいだにこれほど 成長するものかと驚嘆する他はない。これは、もともと持って いた潜在能力を発揮したということかもしれないが、いずれに せよ、これによって松田聖子は名実ともにトップアーティストと しての地位を獲得したといってよい。 1984 年も松田聖子の快進撃は続く。1984 年の最初の作品 は、1984 年 2 月 1 日「Rock’n Rouge/ボン・ボヤージュ」であ る。3 年連続のユーミン作品だ。躍動感あふれる A 面と、恋人 との宿泊旅行で不安と期待の混じったヒロインの気持ちを絶 妙に表現する B 面の対比が見事である。これにつづく 2 作、 1984 年 5 月 10 日「時間の国のアリス/夏服のイヴ」、1984 年 8 月 1 日「ピンクのモーツァルト/硝子のプリズム」は、ユーミ ン、Jazz トランぺッター日野皓正、そして細野晴臣が、各々思 うところに沿った自在な作品である。時間の国のアリスは、ユ ーミンが 80 年代に松田聖子に提供した最後の曲で、永遠の 少女を夢見る女の子をテーマにしたもの。これがリリースされ たとき、まさかこの歌のテーマがその後の松田聖子のテーマ になろうとは誰しも予想しなかったことだろう。「夏服のイヴ」 は同名映画の主題歌で、渋いバラードだ。22 歳の若い歌手 が歌うような作品ではないのだが、これをも歌いこなしてしま うのだから恐れ入る。「ピンクのモーツァルト/硝子のプリズ ム」は、クラシック風味とテクノ風味を組み合わせたユニーク な作品だが、聖子の軽やかな声が、音楽のジャンルを軽々と 飛び越えている。1984 年の最後のシングル 1984 年 11 月 1 日「ハートのイアリング/スピードボート」では、佐野元春が Holland Rose 名義で初めて聖子ソングにかかわっている。佐 野元春は、後に松本隆との対談(2009 年 8 月 NHK 教育「ザ・ ソングライターズ」)において、この作品の経緯について語って いる。松本隆から喫茶店に呼び出されて「佐野君、松田聖子 プロジェクトっていうのはね、ナンバー1じゃないとダメなんだ よ」と言われ、佐野はプレッシャーを感じ、聖子のシングルを 全部聴いたそうである。そして、それまでの聖子ソングになか ったブルースの翳りを表現したのが「ハートのイアリング」であ る。1984 年は、アルバムとして「Tinker Bell」「Windy Shadow」
の 2 作をリリースしている。 1985 年は、松田聖子独身の最後の年である。突然と言っ てよい神田正輝との結婚(1985 年 6 月)を前に、歌手活動は 控えめになる。その結婚騒動の中で、1985 年 1 月 30 日「天 使のウィンク」、そして 1985 年 5 月 9 日「ボーイの季節」と尾 崎亜美による2作品がリリースされる。「天使のウィンク」は、 尾崎亜美本人も歌っているが、聖子のスピード感あふれる歌 唱によって、この歌に生命が吹き込まれた感がある。「ボーイ の季節」は、結婚直前でもあり、TV ではほとんど歌われなか ったが、Sweet Memories とともにアニメ映画「幸福物語」の中 で歌われた。独身時代を振り返ったときの寂寥感のようなも のが感じられる佳曲である。これらは、独身最後のアルバム 「the 9th Wave」(1985 年 6 月 5 日)に収録されている。 結婚とともに休業に入り、歌手松田聖子はもう復活しないと 思われていたのだが、そうではなかった。結婚後は松田聖子 自身がこれから長く歌い続けるための歌手としてのありかた を考えていたのではないかと思う。少女のような若い未婚女 性の心の内を表情豊かに歌うスタイルをずっと続けるわけに はいかないし、どんな歌をどんなスタイルで歌っていけばよい のか、所属事務所、レコード会社含めて模索していたはずで ある。そして 1986 年の出産を経て 1987 年まで休業するのだ が、1986 年に妊娠中にも関わらずアルバム「Supreme」を録 音し、同年 6 月 1 日にリリースしている。the 9th wave で独身 へ の 離 別 と い う か マ リ ッ ジ ・ ブ ル ー 的 な 感 情 を 表 現 し 、 Supreme では、特定の異性との恋愛話よりも、もう少し広い世 界を対象にすることで結婚後の歌の方向を徐々に作り上げて いた。その代表曲が「瑠璃色の地球」だが、残念ながらシング ルカットされなかったため、この Sweet Days には収録されて いない。Supreme には、聖子自身が作曲した名曲「時間旅行」 も収録されているのだが、これも残念ながらここでは聴くこと ができない。 1987 年になって、松田聖子は歌手復帰を果たす。1987 年 4 月 22 日「Strawberry Time/ベルベット・フラワー」をシング ルとしてリリースし、1987 年 5 月 16 日にアルバム「Strawberry Time」をリリースしている。アルバムは多様な歌のミックスに なっていて、やや方向感が分かりにくいが、一聴して分かる通 り、タイトル曲はレベッカの土橋安騎夫の作品である。ノッコに 替わって、松田聖子がレベッカに参加している感じが面白い。 また、シングルカットはされなかったが、当時注目を集め始め ていた小室哲哉による「Kimono Beat」も楽しくユニークな作品 である。そして 11 月 6 日にはクリスマスソングとして「Pearl-White Eve/凍った息」がリリースされた。クリスマス・イヴに恋 人同士が一夜を過ごす風習が定着するのに Pearl-White Eve が相当寄与したに違いない。 1988 年は、松田聖子にとって大きな変化の年であった。新 しい聖子像を創造すべく、米国の著名プロデューサーDavid Foster にアルバム制作を依頼することになったのだ。録音場 所も米国であり、一緒に演奏するミュージシャンも米国人であ る。松田聖子は、David Foster から音程の不安定さを徹底的 に修正されたと証言している。歌唱技術的な指導を受けたの はもちろん、プロデューサーとしての David Foster は、松田聖 子ともっと広い話をしたはずである。プロデューサーとしての 狙いと歌手に何を求めているのか、そのためには何に取り組 まねばならないのかといった基本理念を共有した上での指導 だったと想像する。その基本理念の部分を語っている資料が ないので想像するしかないのだが、彼は松田聖子にどのよう な歌手でありたいのか確認したのではなかろうか。または松 田聖子が相談を持ち掛けたかもしれない。そして、成人女性 として歌い続けるための歌唱法の指導を受け、1988 年 4 月 1 日「Marrakech~マラケッシュ/No.1」をリリースし、1988 年 5 月 11 日アルバム「Citron」を完成させた。Citron 完成までの期間、 歌唱技術以外のところで、米国の音楽界のリーダの価値観に 触れたことが、松田聖子のその後の活動に大きな影響を与え て い る は ず で あ る 。 そ ん な こ と を 思 い め ぐ ら し な が ら 「Marrakech~マラケッシュ/No.1」を聴くと感慨深いものがある。 1988 年最後のシングル 1988 年 9 月 7 日「旅立ちはフリージ ア」では、聖子自身が作詞に取り組んでいる。これが 80 年代 にトップチャートを獲得した最後のシングルとなった。CBS ソニ ーのアナログシングルレコード発売も「旅立ちはフリージア」を もって終了し、Seiko Matsuda Sweet Days は、ここで終わる。
さなラブソング」は、1983 年にリリースされたベスト盤「Seiko Plaza」に収録されたシングル盤から収録されたものだ。この 隠れた名曲が聴けるのはありがたい。With You を作曲したの は、Sweet Memories を作曲した大村雅朗である。大村雅朗は、 松田聖子が全面的に信頼を寄せた松田聖子の盟友というべ き編曲家なのだけれど、作曲家としての才能を垣間見ること ができる。With You は、大村雅朗の残した唯一の A 面曲であ る。「小さなラブソング」は聖子自身の作詞による、いかにも可 愛らしい曲だ。作曲は初期聖子からおなじみの財津和夫。 こうして本作に収録されている作品をまとめて聴いてみると、 1980 年代の松田聖子の作品群は、どれも充実しており、ロマ ン・ロランがかつて楽聖ベートーヴェンの充実した作品群を形 容した “傑作の森”という称号を与えたくなる。本作で聖子作 品の魅力に触れた方には、是非アルバムにも耳を傾けてほし い。そこには、文字通り“傑作の森”と呼ぶにふさわしい多様 で魅力的な作品があることを発見していただけると思う。
さて、Seiko Matsuda Sweet Days のライナーノーツとしては、 ここで終わっても良いのだが、Sweet Days は松田聖子のキャ リアの最初の 8 年間に過ぎないので、その後の松田聖子につ いて少しだけ触れておこう。松田聖子が、自分の目指す道を さらに前に進めるために、大人のポップスが未熟な日本では なく米国での活動を選んだことは周知の通りである。その決 意を自身の言葉で歌ったのが、1989 年のアルバム「Precious Moment」に収録された「Precious Heart」である。「Precious Heart」は、オリコン 2 位にとどまった。松田聖子のオリコン連 続1位を阻止したのは、この後に 90 年代をリードすることにな る小室哲哉であった。 渡米後の聖子は、米国のポップスを消化することに力を注 いでいる。そして、等身大の自己表現をするために、自分自 身で作詞作曲をするようになった。その成果を定期的に日本 で披露するわけだが、日本の聴衆は聖子の目指す米国流の 大人のポップスになかなかついていけない状況が続いた。一 部のファンは離れていき、チャレンジを続ける聖子に共感を覚 える同世代の女性が聖子の活動を支え続けた。そこで妥協 すると聖子は自分の選択を否定することになるから、少なくと も作品やステージに関しては、聖子自身が納得できるものを 目指し続けた。それが 90 年代の聖子の戦いだったように思う。 90 年代の松田聖子の歌声は、透明感があって本当に美しい ものであった。聖子自身の作詞作曲による「あなたに逢いたく て~Missing You~」がミリオンセラーになったのも 90 年代の成 果である。それで 10 年間を過ごし、聖子もある程度やるべき ことをやったという思いを抱いて 21 世紀を迎えることになる。 2000 年からの数年間は原田真二とのコラボの時代である。 これはポップスとロックの融合路線で、それなりに面白い作品 を残している。だが、これも必ずしも日本のファンには完全に は理解されたとは言えなかった。ファンの多くは、昔の少女時 代のポップスを前提にした眼で見ていて、結局はポップス路 線に回帰することとなった。年齢が 40 代に差し掛かった松田 聖子は、自分のポップス路線を進めていこうという気持ちをし っかり持っていて、魅力的な作品を何曲も残している。年齢と ともに声質も変わってきて、若いころの輝きは失われた反面、 落ち着きのある歌声になってきた。 最後に、こうしたチャレンジを続けてきた松田聖子の到達点 を紹介しておこう。米国の Jazz 界でトップレベルのピアニスト として活躍している Bob James 率いる Jazz 演奏グループ FOURPLAY のアルバム「ESPRIT DE FOUR」(2012 年リリース) に松田聖子がゲスト出演して収録されている「Put Our Heart Together」を機会があれば聞いてみてほしい。英語の曲なが ら、松田聖子がいかに深い表現能力を持つ歌手に成長して いるか感じ取れるはずだ。この曲は、2012 年の東京 Jazz で も披露されており、そのラジオ中継音声が残っているが、演奏 後、Bob James がガッツポーズをしたほどの名演である。現在 の松田聖子は POPS に加えて Jazz への傾倒を見せており、 2017 年 3 月 29 日に初の Jazz アルバム「Seiko Jazz」を発表 し、名門 Jazz レーベル Verve から米国でもリリースされた。デ ヴィッド・マシューズの洗練されたアレンジと現在の聖子の落 ち着いた声の相乗効果によってエレガントなアルバムに仕上 がっている。Jazz という新しいフィールドで、これからどんな活 動を見せてくれるのか、Sweet days から 30 年経過した今日で も松田聖子から目が離せない。 2018.2.6