新生児における糖代謝・脂質代謝に関する研究
—胎児環境とインスリン抵抗性について—(要約)
日本大学大学院医学研究科博士課程
内科系小児科学専攻
氏 名 長野 伸彦
2015 年
指導教員 浦上 達彦
[要 約]
【目的】不当軽量児(small for gestational age:SGA)は、将来肥満やメタボリッ
クシンドロームになるリスクが高いことが示され、Barker 仮説として知られて いる。1)。胎児期は胎盤を介して母体から持続的にグルコースの供給を受けて いたので、胎児は低血糖に陥る事はないが、胎盤から隔離された児の血糖値は 出生後急速に低下する。通常の児であれば、低血糖に反応してインスリン分泌 の抑制とコルチゾールなどのインスリン拮抗ホルモンの分泌が生じ、グリコー ゲンや脂質の分解が生じて血糖値を上昇させるが、SGA 児は肝におけるグリコ ーゲンの貯蓄が少なく、解糖系酵素の活性が未熟であるために低血糖に陥りや すい。また、新生児仮死や SGA で出生した児は、胎児期のストレスが原因で、 一過性にインスリン分泌が亢進し低血糖を呈すると報告されている2-5)。また、 ヒツジ胎子では、血中コルチゾールの上昇は慢性的な低酸素ストレスの結果と しても認められ、将来メタボリックシンドロームを発症する有力なメカニズム の一つとして提唱されているが 6)、ヒトにおける十分な臨床的検討は行われて いない。今回著者は、母親と出生児の状態を診療録を基に後方視的に解析し、 在胎週数、出生体重、性別および胎児期や出生時のストレス状況が児のインス
リン抵抗性におよぼす影響について検討を行った。
【対象と方法】対象は、日本大学医学部附属板橋病院のNICU に入院した 49
人(男児27 人、女児 22 人)の新生児で、在胎週数は 32 から 40 週で、在胎週
数37 週未満の早産児 23 人、正期産児が 26 人であった。また、出生体重が在胎
週数別標準体重の10 から 90 パーセンタイル未満の児(appropriate for dates:AFD)
25 人、10 パーセンタイル未満の児(SGA)21 人、90 パーセンタイル以上の児
(heavy for dates:HFD)3 人であった。器質的な異常のあった児は研究から除外
した。 出生体重は、電子体重計を用いて最も近いグラムで測定した。Apgar スコア 1 分値が 7 点未満を新生児仮死 7)、血糖 40mg/dl 以下を低血糖 8)と定義した。 血中インスリン濃度(IRI)は、長谷川ら 9)が報告している高インスリン血 症の定義を参考とし、IRI2μU/ml 以上を高インスリン血症と定義した。 検査方法は、生後2 時間以内で、ブドウ糖の点滴静注前あるいは哺乳前の 児の静脈血を検体とした。そして血糖値、IRI、3-ヒドロキシ酪酸、遊離脂肪酸
(free fatty acid:FFA)、乳酸、Hb 、ACTH、コルチゾール、HOMA-R、QUICKI、
析として(1)インスリン抵抗性(IRI、HOMA-R、QUICKI、グルコース/インス リン比、インスリン/コルチゾール比)に影響を与える因子に関して多変量解析 を行った。次に副解析として(2)インスリン抵抗性を示す指標に関して、(2-1) 男児と女児、(2-2)早産児と正期産児、(2-3)SGA と AFD、(2-4)仮死ありと なし、(2-5)高インスリン血症で低血糖ありとなしの 2 群間で比較検討を行った。 本研究は日本大学医学部附属板橋病院の臨床研究審査委員会の承認(承認番 号RK-130308-5)の下で、全ての患者の両親に説明し、同意を得て行われた。 測定値は中央値(25%-75%)で記載し、統計解析は JMP9(シリアル番号 KXW0Y9JJ0B)を用い、2 群間の統計解析は Mann-Whitney U 検定およびχ2検 定によって分析した。多変量解析は、インスリン抵抗性の指標毎に在胎週数、 出生体重、Apgar スコア、血糖、母体の BMI、胎盤重量、3-ヒドロキシ酪酸、遊 離脂肪酸、乳酸、Hb 、ACTH、コルチゾールを変数として解析した。P 値<0.05 は統計学的に有意差ありと判定した。 【結果】IRI は低酸素の指標である Hb と正の相関関係である傾向があったが、 有意ではなかった(P=0.07)。HOMA-R は有意な相関関係を認める因子はなかっ た。QUICKI は栄養状態の指標である母親の BMI と負の相関関係である傾向が
あったが、有意ではなかった(P=0.07)。グルコース/インスリン比は、栄養状態 の指標である遊離脂肪酸と正の相関関係である傾向があったが、有意ではなか った(P=0.05)。インスリン/コルチゾール比は、在胎週数、出生体重と負の相関 関係である傾向があったが、有意ではなかった(P=0.08、P=0.05)。高インスリ ン血症で低血糖あり群は、男児 7:女児 3 であるのに対し、高インスリン血症で 低血糖なし群は、男児5:女児 6 であり、前群で有意に男児が多かった(P<0.01)。 在胎週数は、高インスリン血症で低血糖あり群が35.3(32.6-37.4)週、高インス リン血症で低血糖なし群が37.2(35.1-38.3)週で有意差は認めなかった(P=0.15)。 出生体重は、高インスリン血症で低血糖あり群が 1783(1639-2707)g、高イン スリン血症で低血糖なし群が 2340(2198-2515)g であり、前群で低値であった が、有意差はなかった(P=0.07)。IRI に関しては、高インスリン血症で低血糖 あり群では4.0(3.3-7.1)μU/ml、高インスリン血症で低血糖なし群で 2.9(2.2-3.6) μU/ml であり、前群において高値の傾向があったが、有意差はなかった(P=0.07)。 ACTH、コルチゾールに関しては、高インスリン血症で低血糖あり群では、それ ぞれ 22.4(6.8-51.9)pg/ml、8.4(4.4-27.1)μg/dl であり、高インスリン血症で 低血糖なし群の36.9(9.5-184.0)pg/ml、16.4(11.3-25.3)μg/dl と比較して低値
を示したが、有意差はなかった(P=0.28、P=0.15)。インスリン抵抗性の指標に 関しては、高インスリン血症で低血糖あり群のHOMA-R が 0.27(0.18-0.39)で、 高インスリン血症で低血糖なし群の0.43(0.37-0.47)と比較して有意に低値であ った(P=0.01)。インスリン/コルチゾール比は、高インスリン血症で低血糖あり 群が0.52(0.17-1.10)で、高インスリン血症で低血糖なし群の 0.18(0.12-0.29) と比較して高値を示したが、有意差はなかった(P=0.09)。 【考察】コルチゾールは代表的な副腎皮質ホルモンであり、その作用の多く はインスリンに拮抗的に働き、糖代謝に大きな影響を与える。今回の検討では、 インスリン/コルチゾール比は、在胎週数、出生体重と負の相関関係である傾向 があったが、有意ではなかった。 このことは、早産児や低体重児がインスリン抵抗性を獲得する要因の一つで ある可能性を示唆している。 また、IRIが高値にもかかわらず血糖や3-ヒドロキシ酪酸、FFAが正常である 症例が存在し、その原因としてコルチゾールの分泌増加に伴うインスリン/コル チゾール比の低下がインスリン抵抗性の増大に関与している可能性が考えられ た。インスリン抵抗性という概念は、1960年にBersonとYallow 10)により細胞、
臓器、個体レベルで、インスリン作用発現のために生理的レベル以上のインス リン需要のある病態として提唱された。インスリン抵抗性は、肝や骨格筋細胞 等のインスリン感受性が低下し、血糖の恒常性維持のためにより多くのインス リンが必要とされる状態である。Hofmanら11)は、胎生期の環境が後の2型糖尿 病などの生活習慣病を発症する機序としてfetal salvage説をあげている。これは、 低栄養状態になった胎児はまず末梢組織においてインスリン抵抗性の状態とな り、脳などの重要な器官にブドウ糖などの栄養分が配分されるように機能する というものである。この結果、骨格筋における永続的なブドウ糖輸送体の数お よび機能低下を生じ、糖代謝の調節のため大量のインスリン分泌が必要となり、 膵β細胞は疲弊して2型糖尿病を発症するに至るとしている。 発育分化に重要である胎児期に、低酸素や栄養障害などの過重なストレスに 曝された児は、環境に適応するために臓器や組織の構造と機能に何らかの変化 をきたすと考えられる。子宮内環境の変化に対するこの適応は、胎生期の生存 には有利に働くが、臓器や組織の変化はその必要のない出生後にも永続的に続 くことがある。その変化が出生後の児にさまざまな影響をおよぼすとする考え 方を胎児プログラミングと呼ぶ12)。胎児プログラミングを司る主な物質として
コルチゾールが考えられている。コルチゾールは胎児の肺の成熟を促す一方、 臓器の発育を抑制する作用のあることがわかっており、胎生期において多くの 遺伝子発現を調節する因子と考えられる。Seckl ら 13)はラットの実験で、低栄 養負荷により母獣及び胎児血中コルチゾールが増加すること、母獣にデキサメ タゾンを投与することで、胎子の成長後に肥満、耐糖能異常、高血圧を引き起 こすことから、コルチゾールの胎児プログラミングへの関与の可能性を報告し ている。一般的に母体ステロイドは、胎盤中の11β-hydroxysteroid dehydrogenase (11βHSD)によって代謝され、胎児には多く移行せず、胎児は母体がストレ ス環境に曝されたときも母体からの大量のステロイドホルモンが移行すること から守られている。しかし、母体が低蛋白栄養になると胎盤中の11βHSD の活 性が低下し、母体から児に多量のコルチゾールが移行すると考えられている14)。 Murotsuki ら 6)は、ヒツジの胎子胎盤に人工的に塞栓を繰り返した慢性低酸素、 胎子発育遅延実験の結果から、子宮内環境に起因する長期のストレスは胎子の
下垂体-副腎系(Hypothalamic-pituitary-adrenal axis:HPA axis)を慢性的に刺激し
て、コルチゾールが過剰に分泌するようなリセッティングが生じると報告して
果的に胎児におけるコルチゾール作用が増強すると報告している15)。このよう に母体低栄養と慢性の低酸素状態は、出生前より胎児のコルチゾール濃度の上 昇を引き起こし、これが胎児プログラミングの誘導に関与すると考えられてい る。このような症例では子宮内の低栄養環境に適応するためにインスリン抵抗 性が獲得されると考えられ、出生後もインスリン抵抗性が継続するために将来2 型糖尿病を含めたメタボリックシンドロームになり易い可能性がある。ただし、 新生児期に高インスリン血症が起こる機序に関しては、その他の複数の要因が 関与している可能性もあることから、さらなる検討が必要である。高インスリ ン血性低血糖症を示す症例では、ACTH、コルチゾールが低値であり、このこと はHPA axis の未熟性を示唆するものと考えられた。
[引用文献]
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