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ダニエル書第11章の研究 ―ヘレニズムと衝突するユダヤの宗教アイデンティティ―

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ダニエル書第 11 章の研究

―ヘレニズムと衝突するユダヤの宗教アイデンティティ―

佐  藤  友  梨

はじめに  以前,中国大連の国際色豊かな環境で働いていた。そこでの経験から,「異文 化を受容するとき,そこには限界性が存在するはずだ」という考えに至った。 例えば,現地の狗食の習慣に対して「狗肉を食すれば,自分のアイデンティティ が崩れるのではないか」と追い詰められた1。しかし,この拒否感の言語化は 困難であった。そこには自然科学的根拠がなく,己の価値観からきていた忌避 感しかなかったからである。そこで,この言語化し難いものを,言語化しよう と試みる。異文化を受容する際,ある種の価値観─非合理的判断─に基づいた 取捨選択もある。しかし,その限界を越す時には,人格を形成するアイデンティ ティが崩壊する危機に曝される場合もある。このような限界を,本論では「境 界線」と呼ぶ。 序.  本論文は,「ヘレニズムにおけるユダヤの異文化受容の境界線」の解明を目的 とする。  ヘレニズムとは,J.G.ドロイゼン2の提唱した歴史概念である。アレクサ 1 狗食を受容する日本人もいた。日本の歴史において,狗食を確認することもできる。 しかし,現代日本においては「イヌは食用ではない」という価値観が存在する。 2 J.G.Droysen(1808-1884 年)ドイツの歴史家。古代史家として「ヘレニズム」の歴史 概念を樹立した。

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ンドロス大王の東征以降,多数の都市国家が征服地域に建設された。その際に ギリシャ・マケドニア人の植民により,オリエント世界のギリシャ化が際立った 3。ギリシャ化していく中でオリエント世界は,どのように境界線を引いたので あろうか。  この問いに直接答えるものではないが,パレスチナにおける興味深い事件が ある。アレクサンドロス大王の遠征(前 334 ― 323 年)からおよそ 160 年経た ユダヤ4に起こったマカバイ反乱である。この頃,パレスチナはセレウコス朝 シリアに支配されていた。特にアンティオコス 4 世の治世で,ユダヤに対し強 硬なギリシャ改革が推進された。改革の波はユダヤ共同体の根幹を成していた 宗教面にまで及んだ。これに対し厳格なユダヤ教徒は,武力を以てセレウコス 朝に抵抗した。これがマカバイ反乱の始まりである。この事件は「ユダヤがギ リシャ文化を受容するか否か,決断を迫られた事件」5として捉えることがで きる。  そこで,マカバイ反乱の背景から,ヘレニズムにおけるユダヤの異文化受容 の境界線を模索していきたい。ここで問題となるのが一連の事件のどこに焦点 を絞り,どのように境界線を導き出すのかである。まず,ユダヤの中でもアン ティオコス 4 世の迫害に深く関わり,この時代を特徴付けることが可能な集団 を特定することであろう。また特定集団の保有している史料があれば,その史 料から彼らの精神性を読み取り,境界線を類推していきたい。 第 1 章  問題の所在  前 332 年にアレクサンドロス大王によりパレスチナが征服され,ヘレニズム 3 アレクサンドロス大王以前から,ギリシャとオリエントの間に一定の文化的・経済的 交流があったことは認められている。 4 バビロン捕囚後,エルサレムに再建した神殿を中心としたユダヤ教団が成立し,彼ら はユダヤとよばれるようになった。西暦 70 年ローマ帝国によりエルサレム神殿が破壊 され,世界各地に離散した。 5 大戸千之『ヘレニズムとオリエント』ミネルヴァ書房,1993,277-278 頁を参照。

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時代が始まった6  アレクサンドロス大王の死後,パレスチナはエジプトを中心としたプトレマ イオス朝の支配下に置かれる。他方,セレウコス朝シリアもコイレ・シリアの 支配権を巡り,プトレマイオス朝との争いを繰り返した。前 200 年頃,セレウ コス朝はパレスチナの支配権を獲得し,セレウコス朝による支配時代が到来し た7  セレウコス朝にアンティオコス 4 世エピファネス8【図 1】が即位したのは前 175 年である。ユダヤはアンティオコス 4 世の治世期において,社会制度をは じめ,文化的にも宗教的にも強硬なギリシャ改革を経験する。具体的な例とし て,エルサレムにおける体ギ ュ ム ナ ジ ウ ム育競技場や青エ フ ェ ペ イ オ ン年訓育場といったギリシャ風の建設物 の建立が挙げられる。神殿にギリシャ系のゼウス神を祀り,ギリシャ式の祭儀 が導入したことは迫害の極みとされる。こうして,アンティオコス 4 世の君臨 したセレウコス朝は,ユダヤ共同体のアイデンティティを危機に曝した。この ため,アンティオコス 4 世はユダヤ教の伝承において迫害者と解釈される9  このような時代背景をふまえて,第 1 章では問題の所在を明らかにしたい。 第 1 節 研究概要  問題の所在を明らかにする為にまず,どのような集団を扱うことが適切かを 検討する。そのために,マカバイ反乱を主導した集団に焦点を当てる。  前 168 年,アンティオコス 4 世によるエジプト遠征の時にパレスチナの状況 6 ヘレニズム時代のユダヤ史は大きく 3 つの時期に分けることができる。プトレマイオ ス朝支配時代(前 301-200 年),セレウコス朝支配時代(前 200-142 年),ハスモン朝 時代(前 142-63 年)である。年代の区分に関しては,以下を参照した。H.G. キッペ ンベルク,奥泉康弘 / 紺野馨訳『古代ユダヤ社会史』教文館,1986,141 頁 7 プトレマイオス朝とセレウコス朝の間で起こった戦争をシリア戦争と呼ぶ。シリア戦 争は第 6 次まで行われている。柴田広志「シリア戦争をめぐる考察」『古代史年報 4』 11-16 頁, 属州研究会,2006. を参照。 8 Antiochus IV Epiphanes(在位前 175-164 年) セレウコス朝第 8 代シリア王である。 9 アンティオコス 4 世の治世において行われたユダヤ教徒のアイデンティティを危機に 曝した一連の事件を,アンティオコス 4 世の迫害と呼ぶ。

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は一変した。ローマの干渉に屈服し,セレウコス朝は征服目前であったエジプ トへの侵攻を断念した。これは,反セレウコス勢力を力付けることとなり10 エルサレムでも反乱が起こった。それに対し,アンティオコス 4 世は武力を以 て対処した。のみならず,ユダヤ教徒にゼウス崇拝を強制し11,迫害が開始さ れた12  このような状況の中,武力闘争によってセレウコス朝からの解放を目指した のがマカバイ党13である。彼らの知能顧問的役割を果たしたのが,敬ハシディーム虔派14 呼ばれる宗教集団であった。マカバイ家と敬ハシディーム虔派の関係に関して,一致した見 解はない。しかし,両者は反セレウコス朝派という一点で結ばれていたと考え られる15  次に史料に関してである。どのような史料が適切なのか。この時代を記した 歴史書として,ハスモン朝時代に成立したマカバイ記一・二16がある。それに 10 M. ヘンゲル,長窪専三訳『ユダヤ教とヘレニズム』日本基督教団出版局,1983,32 頁 を参考。 11 マカバイ記二 6 章 1−11 節,マカバイ記一 1 章 54−64 節を参照。 12 マカバイ記二 5 章 11 節−7 章 42 節,マカバイ記一 1 章 20-64 節を参照。 13 マカバイ党は,後にセレウコス朝から独立したハスモン朝を立てるマカバイ家によっ て組織されていた。マカバイ家は,ユダ,ヨナタン,シモンといった兄弟らに指揮権 が受け継がれ,シモンによってセレウコス朝から独立したハスモン朝は立てられた(前 142 年)。 14 敬虔派とは起源こそ不明ではあるが,後期ユダヤ教の主流を作った集団である。特筆 すべきことは,アンティオコス 4 世の迫害に苦しむユダヤにむけて黙示文学ダニエル 書を著わしていることであろう。反乱勢力であるマカバイ党との関連から,中央の政 治勢力と結び付いていたユダヤ教とは隔たりのある集団であったと考えられる。彼ら の信仰的特徴として,律法に対する厳格な姿勢が挙げられる。M. ヘンゲル,前掲書, 289−295 頁を参照。 15ハシディーム虔派の著わしたダニエル書は,マカバイ家に対して「僅かの助け」という表現しか しておらず,マカバイ家の武力行使による反セレウコス運動を積極的に評価していな い。それはダニエル書の持つ制約─内容がアンティオコス 4 世の迫害を示しているこ とを,セレウコス朝側に知られてはならない─に起因することも考えられる。そのた め,「マカバイ家の働きを詳細に描写することは,敬虔派の著者にとり,非常に危険で あったため,敢えて消極的な描写に留めた」という推測は,的を外しているとは言え ない。M. ヘンゲル,前掲書,287 頁,H. リングレン, 荒井章三訳『イスラエル宗教史』 教文館,1976,391 頁を参照。 16 マカバイ記一はアレクサンドロス大王の東方遠征と死から後継者の争いに短く触れた

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対して,敬虔派によってマカバイ反乱初期に成立した黙示文学ダニエル書があ る。本論は境界線を検討するために,ダニエル書に焦点をあてたい。  ダニエル書はアンティオコス 4 世の迫害に苦しむユダヤ教徒を激励する為に 書かれ,反セレウコス朝の宣言書という性格を内包している17。非政治的であっ たダニエル書がどのようにして敬虔派以外のユダヤにも公表され,マカバイ反 乱に関わったかについて明確な答えはない。しかし,ダニエル書はアンティオ コス 4 世の迫害期に成立し18,敬虔派の信仰は後期ユダヤ教の主流を形成して いく19。つまり,敬虔派と呼ばれるユダヤ教集団は,マカバイ反乱の担い手を 精神的に支える集団であったと考えられる。したがって,ダニエル書の研究に よって,迫害を生きたユダヤの精神性の考察が可能となる20 第 2 節 研究史  次に,研究史における問題の所在を明らかにしていきたい。  アンティオコス 4 世の迫害に関する研究書として,まず M.ヘンゲルの『ユ ダヤ教とヘレニズム』21を取り上げる。これはヘレニズム期におけるユダヤ教   後,アンティオコス 4 世エピファネスの即位(前 175 年)からハスモン朝のヨハネ・ ヒルカノスの即位(前 134 年)に至る約 40 年に及ぶパレスチナにおけるユダヤとセレ ウコス朝の争いを記している。ハスモン家(マカバイ家)の功績を讃え,ハスモン家 による世襲を正当化する意図が認められる。前 134−124 年にヘブライ語で記されたが, 現在はギリシャ語が残っている。マカバイ記二は,マカバイ記一と平行する歴史を別 の視点から記した歴史書である。キュレネのヤソンと呼ばれるユダヤ歴史家の 5 巻本 の歴史書を編者が 1 巻に要約したもので,原語はギリシャ語である。旧約新約聖書大 事典編集委員会編『旧約新約聖書大事典』教文館,2001,1108−1109 頁を参照。 17 R.H.ファイファー,高橋虔訳『旧約聖書緒論 V』新教出版社,1964,233−238 頁を 参照。 18 マカバイ記一・二は後世に成立した歴史書である。 19 敬虔派の信仰は全ユダヤに広まったわけではない。しかし,敬虔派はファリサイ派や エッセネ派の起源であるとされ,その信仰は民衆に広く浸透したと思われる。 20 これは敬虔派を中心とした精神性である。 21 1969 年にドイツのテュービンゲンで初版が出版された。続いて第 2 版が 1973 年に出 版され,1983 年に長窪専三によって原書第 2 版の日本語訳が出版された。M. ヘンゲ ル,長窪専三訳『ユダヤ教とヘレニズム』日本基督教団出版局,1983.(Hengel,M., Judentum und Hellenismus,Tübingen,J.C.B. Mohr,1973.)

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を,膨大な史料分析によって考察した大著である。しかし,ヘンゲルの「『迫 害』の背景には,ギヘリシャ改革派と呼ばれたユダヤの存在があり,彼らの宗教レ ニ ス ト 的マイノリティとしてイデオロギーが存在するのだ」という結論は,宗教的な 要因に偏りすぎている22。古代においては,宗教的行為と政治及び経済的行為 が密接に結びついていたと考えるのが妥当であろう。  次に,大戸千之『ヘレニズムとオリエント』23を取り上げる。大戸はマカバ イ反乱を「ユダヤが異文化を受容するか否かに差し迫って問うた事件」24とし て扱い,ギリシャ-マケドニア系の王朝に支配されたオリエントの立場から考 えるヘレニズムという時代を描き出している。また,一連の事件を「異文化受 容の問題」としても扱っている。そのため,社会的な動向や文化面に関して基 本的文献となっている。しかし,「一連の事件は社会的なユダヤ共同体の制度や 体系のみならず,彼らの精神性25─信仰心の在り方─も論じていく必要があ る」とするべきであろう。  つまり,宗教・政治・経済の流れを把握し関連付けた上で,迫害の考察を行 う必要がある。その際に,迫害のあらましのみならず,ユダヤの精神性を明ら かにしていく必要もある。なぜなら,ユダヤの精神性こそが一連の事件を迫害 と解釈させたからである。そこで,ダニエル書を中心に据え,ユダヤ共同体が 危機に瀕した時代を精神的に支えたユダヤ集団の異文化受容の境界線を解明し ていきたいのである。 22 ギリシャ改革派と呼ばれるユダヤに,迫害の要因を求めたのはビッカーマンの研究か らである。ヘンゲルは「ギリシャ改革派は早くにギリシャ宗教に改宗しており厳格な ユダヤから諸々の迫害を受けていた」という。そのような時に,「セレウコス朝の意を 得ることに成功したギリシャ改革派が,それまでの迫害を払拭するかのように,他の ユダヤを宗教的に迫害し始めた」ともいう。M.ヘンゲル,前掲書,459 頁を参照。 23 日本で 1993 年に出版された。W.W.ターンの『ヘレニズム文明』がオリエントのギ リシャ化に重点を置いているのに対し,『ヘレニズムとオリエント』はセレウコス朝に 支配された地域ごとの考察を行っている。そうすることで,ヘレニズム王朝下で起こっ た事件やあらましを,ギリシャ文化を受容したアジア側の立場を重視している。大戸 千之『ヘレニズムとオリエント』ミネルヴァ書房, 1993. 24 大戸千之,前掲書,277-278 頁 25 ここでいう精神性とは,史学的な手法では語り尽くすことのできない,人間の内面に 迫った事柄のことである。

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第 3 節 方法と課題    ( 1 )ダニエル書─史料として─  ここでは,ダニエル書の持つ特性に触れ,史料としての妥当性と限界性を明 らかにしたい。  ダニエル書をアンティオコス 4 世の迫害に関する史料とすることが困難な第 1 の要因は,オリジナルテキストの現存しないことにある26。そのため,分析 対象として聖書研究に広く用いられる Biblia Hebraica Stuttgartensia(以下 BHS と略記する)27を用いる。オリジナルテキストが現存しないことを考慮しつつ BHS を研究対象とすることは,必ずしも的を外してはいない。BHS は学術的成 果であり,研究の底本として扱われてきた実績があるからである。  第 2 の要因として,歴史書ではなく黙示文学であることが挙げられる。した がって,歴史書のように登場人物の実名が記される事はなく,正確な地名や年 代も書かれているわけではない28。ダニエル書から歴史の正確な情報を取得す ることは難しいのである。また,ダニエル書は敬虔派による偏った視点で構成 されている。敵対関係にあったセレウコス朝やセレウコス朝に追随する ギヘリシャ改革派ユダヤの立場には全く理解を寄せていない。敬虔派に反する立レ ニ ス ト 場であれば峻拒する姿勢である。ダニエル書の記述が非常に偏ったものであり, アンティオコス 4 世に関する記述に誇張が含まれている事は,考慮されなけれ ばならない29 26 最古のテキストは,レニングラード写本といわれる 10 世紀のものである。死海写本は イザヤ書の他は完全なテキストは無く断片が多い。

27 W. Baumgartner,W. Rudolph,Daniel Esra Nehemia,Württembergische

Bi-belanstalt,1976. 28 ダニエル書は舞台設定が前 6 世紀である。しかし,成立は前 2 世紀(前 167-164 年) とされている。ダニエル書の中にもネブカドネツァルなどの王名は登場する。しかし, これらは全てダニエル書の物語の舞台設定である前 6 世紀の登場人物である。それに 対して,ヘレニズム期のアレクサンドロス大王やアンティオコス 4 世の実名は登場し ない。 29 田中穂積「アンティオコス 4 世エピファネスとゼウス・オリュンピオス」『西洋古典學 研究 29』日本西洋古典学会,1981,74-84 頁を参考。

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 しかし反面,誇張や主張に満ちているからこそダニエル書から敬虔派の精神 性が読み取れるともいえる。    ( 2 ) 研究方法  次に,史料から境界線を導き出すための方法を考えたい。  まず,ダニエル書は 12 章から構成されているが,アンティオコス 4 世の迫害 の記述が詳細な 11 章に焦点を絞ることにしたい。11 章の歴史性は史学研究に おいて一定の評価を得ている30。そこで,ダニエル書 11 章における迫害の記述 は,歴史的手法によって分析が可能なのである。ただし,オリジナルテキスト の存在しないダニエル書を歴史史料として取り扱うために,聖書批評を徹底し て行う31  そこで,迫害の中から分析する具体的な歴史的事件についてである。ここで は,11 章に記述があり,歴史的事件でもある,ゼウス像安置に注目したい。ギ リシャ改革の中で何故ゼウス像安置なのか。それは,この事件が境界線を越え たと考える為である。また,11 章が他のギリシャ改革に対しては静観している のに対し32,ゼウス像安置に対しては強烈な批判精神を読み取れる。  さらにこの精神性を,ある当事者の思想として位置付ける。ゼウス像安置事 件とは敬虔派ユダヤ教徒にとって何であったのか。ユダヤにおいてゼウス像の 持つ意味と,ユダヤが祭儀共同体であったことを考慮し,彼らの精神性の解明 を試みる。また,彼らの宗教祭儀に注目しユダヤ共同体と祭儀の関係を明らか にすることによって,ヘレニズムにおけるユダヤの異文化受容の一つの境界線 を検討したい。本論を通して注意したのは,社会的な動向を明らかにした上で, テキストの持つ意味を捉えたことにある。 30 田中穂積「ダニエル書 11 章について―支配者の驕慢と涜神」『人文論究 35(3)』関西 学院大学,1985,47-67 頁を参照。 31 ダニエル書は,前 6-2 世紀に至る歴史の要約を事後予言の形で難解に抽象的に語る。 ファイファー,前掲書,215-223 頁を参照。 32 エルサレムにおける体ギ ュ ム ナ ジ ウ ム育競技場や青エ フ ェ ペ イ オ ン年訓育場といったギリシャ風の建設物の建立に関 しては言及がない。ただし,ダニエル書以外の史料(マカバイ記一・二)には批判の 記載がある。マカバイ記一 1 章 14 節,マカバイ記二 4 章 9 節を参照。

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第 2 章 ダニエル書 11 章─「天の主」を中心に─  第 2 章においては,アンティオコス 4 世の迫害に境界線を越える何があった のかを焦点として論を進める。この問いは,最も対立を深めたゼウス像安置事 件で検討できる。そこでダニエル書 11 章全体を捉え,その中で 11 章 29-35 節 に注目する。この記述に,ゼウス像安置の描写があるからである。 第 1 節 テキスト分析    ( 1 ) ダニエル書 11 章と迫害  ダニエル書 11 章は,10-12 章とまとまった 1 つのストーリーの中に置かれて いる。ダニエルの祈りの場に守護天使ガブリエルが現れ(10 章),ダニエルに 真理を啓示し(11 章),終わりのときが語られる(12 章)。11 章でガブリエル によって啓示された真理とはペルシャ支配に続くヘレニズムの支配とアンティ オコス 4 世の迫害であり,一連の歴史がパノラマ(全景)的に描かれている。  次に,11 章における歴史描写を検討する。11 章はキュロス王からアンティオ コス 4 世即位前までの約 360 年間を凝縮した前半部分(2-20 節)と,アンティ オコス 4 世の即位からその最期の約 10 年間を詳細に描いた後半部分(21-45 節)に分けられる。この区分のうち,本論は迫害に関する考察を行うため,ア ンティオコス 4 世の治世における記述を分析対象とする。そこで,後半部分(11 章 21-45 節)をさらに 4 部〔「王の即位」(11 章 21-28 節),「王の迫害」(11 章 29-35 節),「王の驕慢」(11 章 36-39 節),「王の終り」(11 章 40-45 節)〕に分け る。アンティオコス 4 世の治世全体(11 章 21-45 節)は対象とするが33,直接 分析するのは「王の迫害」(11 章 29-35 節)となる。その際,史実としての迫害 とダニエル書における迫害記述の関連に焦点を当てる。なぜなら,黙示文学の 中に見られる歴史事実との関連からダニエル書に内包された精神性が浮かび上 33 ダニエル書 11 章 37-38 節にはアンティオコス 4 世が高慢になり,セレウコス朝代々の 王が拝してきたアポロを軽んじ,ゼウスを祀ったことを咎める記述がある。しかし,

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がってくると考えられるからである。    ( 2 ) 王の迫害 (ダニエル書 11 章 29-35 節)  アンティオコス 4 世が迫害を行ったという記述ダニエル書 11 章 29-35 節の私 訳を行う。   29) 定められた時に至り彼は再び南に侵攻するが34 しかし初めのようにはならず,最後のようにもならない35   30) キッティム36の船団が彼の内に侵攻し,彼は脅かされた。 彼は聖なる契約37に対し怒りを覚え,そのままに行動する。 また,彼は聖なる契約を捨てた者たち38に対し関心を寄せる。   31) 彼から軍隊が興り,彼らは39かの砦の聖所を穢し, 常タ ー ミ ー ド供の燔祭を廃止させ,荒ハ ッ シ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者40を据える。   32) そして契約に逆らう者らは41甘言を以て棄教させ, 他ならぬ神を知る民は力強く行動する。   セレウコス朝の祖であるセレウコス 1 世もまたゼウス・セレウコスと称されており, セレウコス朝の神はアポロンとゼウスの二柱であったと考えられる。そのため,アン ティオコス 4 世に対する批判は非常に狭い視野によって行われたとになろう。M. ヘン ゲル, 前掲書, 456-457 頁を参照。 34 アンティオコス 4 世が第 2 次エジプト遠征を行ったことを指す。 35 岩波訳では「今回は前回とは様相が違ってくる」と訳されている。旧約聖書翻訳委員 会訳『諸書』岩波書店,2005. を参照。 36 ローマ人に対する呼称として使われている。但し,マカバイ記一 1 章 1 節では,これ はギリシャ人を意味している。 37 神とユダヤの間で結ばれた契約を意味する。 38 ユダヤ教を棄教しギリシャ宗教に改宗したユダヤを意味すると思われる。 39 文脈からは節の主語である「彼からの軍隊」を指すことが確認できる。 40 「天の主」(バアル・シャメーン)を指す。東地中海沿岸で広く礼拝され,ギリシャの ゼウスとも同定される神である。 41 原文は「そして契約に逆らう者らを彼は棄教させる」である。マソラ本文は,「彼は棄 教させる」(יַחֲנִיף)と読めるが,七十人訳ギリシア語訳旧約聖書およびラテン語訳ウル ガタより「彼らは棄教させるだろう」(יַחֲנִיפוּ)が提案されてきた。主語に当たる「契約 に逆らう者達」(מַרְשִׁיעֵי בְרִית)が男性名詞の複数形であるため,この提案を採り,「契約 に逆らう者達〔彼ら〕は棄教させる」と訳した。

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  33) 他ならぬ民の中の知恵を以て行う者ら42は多くの者を悟らせるが, 彼らはある期間,剣と炎,また捕囚と略奪で以て,躓かされる。   34) 躓かされた人々は僅かの助け手43しか得ず, 多くの者が彼らに与するが,それは偽善を以てである。   35) かの知恵を以て行う者らの中には躓かされる者がある。 しかし,それは彼らの内で練り,清め,また白くされるためであり, 終わりの時44までである。 なぜなら,定められた時には至ってないからである。  ダニエル書 11 章 29-35 節は,以下の歴史的事件を背景にしている。  まず,迫害の記述はアンティオコス 4 世の第 2 回エジプト遠征45から始ま る。前回と様相が異なるという記述は,第 1 回エジプト遠征46とは異なりロー マの干渉によりエジプト侵攻を断念したことを意味している(29 節)。アンティ オコス 4 世はアレクサンドリア近郊まで迫り,プトレマイオス朝の征服は目前 であった。しかし,ローマの特使ポピリウスがアンティオコス 4 世にエジプト への侵攻を止めるように迫り,アンティオコス 4 世はエジプトから撤退するこ とを決め,憤怒と苦悶を胸に秘めながらシリアへと引き揚げた47。アンティオ コス 4 世のローマに対する屈従は,彼の死の噂と結び付いて,パレスチナやフェ ニキア諸都市(前 3 世紀はプトレマイオス朝に属していた)の反セレウコス勢力 42 敬虔派ユダヤのことと解釈される。ファイファー,前掲書,213 頁を参照。 43 マカバイ反乱を主導したユダ・マカバイ及びマカバイ家を指す。ファイファー,前掲 書,213 頁を参照。 44 黙示文学の特徴である終末論がここで示される。これは,迫害の時が神の介入により 断絶されるという信仰に基づく。 45 前 168 年である。 46 前 170 - 前 169 年である。プトレマイオス朝の領土であったペルシウムを奪取した。 その帰途,アンティオコス 4 世がエルサレムに入り略奪を働いた様は,ダニエル書 11 章 25-28 節,マカバイ記一 1 章 16-28 節に記述がある。しかし,関連性が薄いので省 略している。 47 ポリュビオス,城江良和訳『歴史』京都大学学術出版会,2004,184-185 頁を参照。

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を力付けた48。パレスチナではヤソンが反乱を起こしエルサレムを占拠した49 エジプトからシリアへ引き揚げる途上にあったアンティオコス 4 世はエルサレ ムに立ち寄り,武力を以てエルサレムを占領し,ユダヤの監視と治安維持の為 に軍隊をエルサレムに常駐させた(30 節)。  続く部分では,忠実なユダヤ教徒に対する迫害について述べられている50 セレウコス朝から派遣された軍隊は,エルサレムの住民を殺戮し,建物を破壊 させ,神殿の上に城ア ク ラ砦を強化し,守備隊を配置した。また,ユダヤ共同体の祭 儀常タ ー ミ ー ド供の燔祭51を廃し,神殿にゼウス像を安置し,ユダヤ教の神とゼウス神を 同一視した (31 節)。ユダヤの中にはギリシャ宗教に改宗したギヘリシャ改革派レ ニ ス ト がいたと考えられるが52,厳格なユダヤ教徒は彼らと対立した(32 節)。敬虔 派ユダヤは危機の中で力を尽くし,生命を代償とすることも厭わなかった(33 節)。マカバイ反乱におけるマカバイ家の活動は「僅かの助け手」と消極的な表 現に留められており,ユダヤ全体がマカバイ反乱に積極的に参加してないこと を暗示している(34 節)。そして,迫害の期間は定められているとされる。こ れこそ迫害に苦しむユダヤの希望であった(35 節)。    ( 3 ) 歴史記述との比較  ダニエル書 11 章はユダヤがエルサレムで起こした反乱については語らず, 48 M. ヘンゲル,前掲書,32 頁を参照。 49 ヤソンとはアンティオコス 4 世により前 172 年に罷免されていた元大祭司である。ヤ ソンの反乱が迫害の契機となったことは,チェリコヴァーが論じている。V.Tcherikover, Hellenistic Civilization and the Jews,translated by S. Applebaum,Philadelphia and Jerusalem,1959.,p188. を参照。 50 N. ポーチャアス『ダニエル書 : 私訳と註解』関根清三訳,ATD・NTD 聖書註解刊行 会,1980,253-255 頁を参照。 51 常燔祭,すなわち日毎の朝夕に絶やさずささげる燔祭を指し,「常供の燔祭」と訳出し た。ダニエル書 8 章 11,12,13 節,11 章 31 節,12 章 11 節。これは公的礼拝の重要 な部分であり,神との正規の関係,すなわち神との理想的な関係の維持,また日毎の 献身を象徴するものであった。馬場嘉市編『新聖書大辞典』キリスト新聞社,1971, 1124 頁を参照。 52 ユダヤの中にギリシャ改革を希求していた人々がいたことは確かである。しかし,彼 らの全てがギリシャ宗教に改宗したという見解には疑問も残る。

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「アンティオコス 4 世がローマによって受けた屈辱がユダヤに向けられた」と 読むことができる(30 節)。事実,アンティオコス 4 世がローマに屈服すると, 反セレウコス勢力が勢い付き,エルサレムでは反乱まで起きた。セレウコス朝 の王は軍事行動を国内外に示し,領土に対する王権の行使を知らせていた53 そのような王朝がローマに屈服し,反勢力の反乱に対しては,圧倒的な軍事力 を用いて権威を示す必要がある。そうでなければ,勢いづいた反勢力は各地に 飛び火しかねない。アンティオコス 4 世としては,エルサレムの反乱を軍事力 で圧迫することで,領内を牽制する意図もあったのだろう。それにもかかわら ず,ダニエル書 11 章では原因はローマに脅かされたアンティオコス 4 世の怒り にあるとしている。ここから,迫害に苦しむユダヤの主張が見えてくる。  そこで,ここで注目すべきことは 11 章 31 節にあるゼウス像安置事件である。 32 節から 35 節の記述は,マカバイ反乱における描写である。ギヘリシャ改革派レ ニ ス ト との対立,殉教の過酷さ,マカバイ党の活動などに関する様子は,曖昧な表現 に留められている。その中にあって,ゼウス像安置事件の描写は具体的である。 第 2 節 ゼウス像安置事件  迫害の極みと解釈されるゼウス像安置事件は,ダニエル書 11 章からどのよう に読み取れるのか。興味深いのは,迫害を実行したのはアンティオコス 4 世で はなく,王の軍隊であったという 31 節の記述である。この軍隊は,ユダヤを監 視する為にセレウコス朝から派遣された軍隊を指している54。無論,軍隊が独 断で迫害を行ったとは考えられず,セレウコス朝の意志を反映したと考えられ る。しかし,彼らはユダヤ共同体と直接に接触した存在である。彼らの存在を 迫害の中に位置づけることで,新たな局面が見えてくる。  ところで,セレウコス朝の軍隊はどのような構成員であったのか。ゼウス像 の安置は,ギリシャ系兵士が多数いたことを意味するのであろうか。しかし, 53 柴田広志「シリア戦争をめぐる考察」『古代史年報 4』属州研究会,2006,11-16 頁を 参照。 54 N. ポーチャアス,前掲書,253 頁を参照。

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この時期セレウコス朝はギリシャ系の軍人に不足しており,兵士の多くは地方 から集められたシリア人であった55。興味深いのは,シリア人が崇拝していた と考えらえる「天バアル・シャメーンの主」と呼ばれた神で,ゼウス神と同定されていた。  天バアル・シャメーンの主とは,前 10 世紀から後 2 世紀中葉まで,フェニキア人の勢力圏内にお いて礼拝された神である。フェニキア諸都市は古くからギリシャ諸都市との親 交が深く,天バアル・シャメーンの主はゼウス・オリュンピオスと同定されていた。この神の崇拝 は地中海を中心に広まっており,シリア人も天バアル・シャメーンの主を崇拝していたと考えられ る56  この神は,11 章 31 節において荒ハ ッ シ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者と著わされている。つまり, ゼウス神と同定された天バアル・シャメーンの主がシリア人によって安置されたことが読み取れる。 ユダヤ監視のためエルサレムに派遣されたシリア兵士が,彼らの祭儀を行える 場を求めた事は十分に考えられる57。シリア人の宗教祭儀の場としてユダヤの 神殿が用いられたのであれば,天バアル・シャメーンの主の礼拝がそこで行われていたであろう58  しかし,この解釈だけでは「何故ユダヤの神殿がシリア人に解放されたのか」 という問題が残る。 第 3 節 神々の混淆    ( 1 ) シンクレティズム  ここで検討したいのは,天バアル・シャメーンの主とユダヤの神がギリシャ改革を推進する 55 軍隊の構成員は雑多な起源であるが,大戸の研究において「シリア人」としていたた め「シリア人」と一括りに記述した。この辺りの考察は不十分であるため,今後の課 題としたい。大戸千之,前掲書,294 頁,Tcherikover,op.cit.,p.194f. を参照。 56 前 2 世紀のフェニキア人史家によれば前 10 世紀には両者が同一であったことが伺え る。つまり,ギリシャ神話のアフロディテやメソポタミヤ神話のイシュタルが愛の女 神として同定されるように,「天の主」も,天空の神であるゼウス神と同定されてい た。「なぜなら,彼らはそれを(すなはち,フェニキア人の間では天の主だがギリシア 人の間ではゼウスなるヘリオス)神と信じ,天の唯一なるベール・シェミーンと認め ているからである。」M.ヘンゲル,前掲書,474 頁 57 M. ヘンゲル,前掲書,453 頁を参照。 58 大戸千之,前掲書,294 頁を参照。

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ギヘリシャ改革派ユダヤの間で同一視されていた可能性であるレ ニ ス ト 59。ペルシャ時代 にユダヤは「天の神」というユダヤ的神名を愛好しており,「天」という語だけ で神の名の婉曲表現となり得ていた60。アフラ・マヅダや天バアル・シャメーンの主との同定を意 味したにもかかわらずである61。ヘレニズム時代において「異なる神々は基本 的に一つの神の現れにすぎない」とする宗教観がオリエントに広く存在した62 これは,ギリシャ系の神々とオリエントの神々との習合によって,オリエント 世界にギリシャ宗教を浸透させようとした支配層の思惑と捉えることができる。 現に,上層部を中心にこの宗教観は広まっていた63  また,天バアル・シャメーンの主との同定は,ユダヤにおけるギリシャ改革に対して深い意味を 有していた。なぜならギヘリシャ改革派にとって,ギリシャと親交の深いシリア・レ ニ ス ト フェニキア諸都市はギリシャ改革の模範であり,両者は密接に経済的・文化的 接触を保っていたからである64。エルサレムを中心に都市をギリシャ化し周辺 諸都市との交易を活発に行えば,ユダヤは経済的に潤う。そこにユダヤの祭儀 があるのは相応しくない。そのような思惑が,ユダヤの発展を望むギヘリシャ改革派レ ニ ス ト にあったのではないか65  そこで,都市のギリシャ化を求めるギヘリシャ改革派とセレウコス朝から派遣レ ニ ス ト されたシリア人の思惑が,天バアル・シャメーンの主において重なってくる。これは推論である。 しかし,ギヘリシャ改革派ユダヤがシリア・フェニキア諸都市と密接な交流を行っレ ニ ス ト ていたこと,天バアル・シャメーンの主崇拝が両者に利となったことから,蓋然性は高い。また, ユダヤの神殿がシリアの兵士に解放された問題を解決するためにも,両者が 天 バアル・シャメーン の主という共通の神を崇拝していたという仮説が必要となる。 59 M. ヘンゲル,前掲書,453 頁を参照。 60 M. ヘンゲル,前掲書,410,811 頁を参照。 61 この時点で「天の主」はギリシャ - マケドニア系の神であるゼウス神と同定されてい た可能性が高いことは,先に述べたとおりである。M. ヘンゲル,前掲書,475 頁を参 照。 62 M. ヘンゲル,前掲書,418 頁を参照。 63 M. ヘンゲル,前掲書,417-427 頁を参照。 64 M. ヘンゲル,前掲書,474-475 頁を参照。 65 大戸千之,前掲書,322 頁を参照。

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   ( 2 ) 異なる祭儀  では,ユダヤの神殿が天バアル・シャメーンの主を崇拝するシリア人に解放されたとして,どの ような衝突があったのか。ユダヤ発展のためのギリシャ改革は,改革を迫害に まで進めた。  ダニエル書 11 章 31 節の記述に戻りたい。ここに読み取れるのは常タ ー ミ ー ド供の燔祭 が廃止されたこと,神殿に天バアル・シャメーンの主が奉じられたことである。常タ ー ミ ー ド供の燔祭とは, ユダヤ共同体が神との契約に留まるために,欠かせない祭儀であった。では何 故,常タ ー ミ ー ド供の燔祭は廃止されたのか。それは,ユダヤ式祭儀がシリア・フェニキ ア諸都市からは迷信的で奇異に映ったために,ギリシャ的なシリア式祭儀が導 入されたと推測される。また,シリア式祭儀が導入されたのであれば,無形の 神を崇拝していたユダヤの神殿に有形の神「天バアル・シャメーンの主」像(ゼウス像とも言える) が安置されたことと推測できる。律法により,ユダヤ教は固く偶像崇拝を禁じ られていた66。その偶像を神殿に奉じられたユダヤの憤りは,如何ばかりであっ たか。その憤りが,ダニエル書で天バアル・シャメーンの主を「荒ハ ッ シ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」と呼ばせた。  これらの同化政策が全てギヘリシャ改革派ユダヤによってなされたと断定はでレ ニ ス ト きない。ユダヤ共同体の中に,都市のギリシャ化を希求していたグループがあっ たとしても,有形の像を神殿に奉じることを進んで行ったとは考えがたいから である。ギヘリシャ改革派の存在は,エルサレムにギリシャ改革がなされた要因レ ニ ス ト の一つではある。しかし,ある段階からギリシャ改革派の思惑を越え,セレウ コス朝の意図が働いていたとするのが妥当である67  したがって,セレウコス朝から派遣されたシリア人の存在は,大きな役割を 果たしていると思われる。 第 3 章 異文化受容の境界線 66 偶像の禁止は,イスラエルの神の像の作製と礼拝を禁ずるものである。しかし,ユダ ヤ教徒は異民族の礼拝祭儀に偶像崇拝を見出し,それらの神の礼拝の禁止と結び付け た。出エジプト記 20 章 4-6 節及び申命記 4 章 15-19 を参照。 67 大戸千之,前掲書,323 頁を参照。

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 シリア人との同化政策によりギリシャ的なシリア式祭儀が導入され,ユダヤ 共同体の宗教アイデンティティを成す宗教祭儀が廃された可能性を述べてきた。 ところで,宗教祭儀は敬虔派ユダヤの価値体系の主軸であり,ここに彼らの境 界線が存在した。そこで彼らの精神性を,その信仰の在り方を中心に論じてい きたい。 第 1 節 アイデンティティの主軸  敬虔派ユダヤに,宗教面以外でのギリシャ改革批判は見当たらない。例えば それは,ダニエル書 11 章における大祭司ヤソンによってなされたギリシャ改革 への沈黙から推測できる。前 175 年-前 172 年に大祭司職に在ったヤソンは, エルサレムにギリシャ風の建設物・体ギ ュ ム ナ ジ ウ ム育競技場や青エ フ ェ ペ イ オ ン年訓育場を建立し,ギリシャ 風の生活様式を持ち込んだ68。しかし,ダニエル書に,ヤソンに関する記述は ない69。ヤソンのギリシャ化政策に対する,ダニエル書 11 章の沈黙は何を意味 しているのか。それは,敬虔派ユダヤのヤソンのギリシャ改革に対する肯定も 否定もしない反応である。つまり,都市がどれほどギリシャ化され,生活がギ リシャ風に変わろうと,それは敬虔派の境界線には触れなかった。敬虔派はギ リシャ改革の境界線を,宗教的な事柄でのみ鑑みていた。  11 章 31 節にはアンティオコス 4 世が聖なる契約に関心を寄せていたという 描写がある。これは聖なる契約が脅かされたことを意味している。この契約こ そ,神とユダヤ教徒の間で交わされたのであり,契約に留まるためには律トーラー法の 遵守が必要であった。敬虔派はこの契約を固く守ることによって,ユダヤとし てのアイデンティティを保とうとした。 68 その様子はマカバイ記二に記されており,ヤソンがユダヤにギリシャ主義を奨励する 様を「律法に反する」とし否定的に記述している。マカバイ記二 4 章 7-22 節を参照。 69 前 175 年 - 前 172 年に相当する記述はダニエル書 11 章 23-24 節にあるが,厳密に歴史 的事件を述べているわけではない。アンティオコス 4 世による侵略と略奪の様,それ に略奪品を味方に分け与える様が度を越している事を記している。また,前述のヤソ ンの反乱に関しても沈黙している。ダニエル書 11 章 23-24 節及び N. ポーチャアス, 前掲書,250-251 頁を参照。

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第 2 節 反抗のイデオロギー  ダニエル書 11 章にて,ゼウス像は「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」と呼ばれているが, これは「天バアル・シャメーンの主」の誤記であるとも言われる70。ダニエル書において「荒らす 憎むべき者」は 3 回71現れる。「主バアル72」が「憎シ ッ ク ー ツむべき者73」に,そして「 天シャメーン が「荒メショメームらす」にそれぞれ対応しており,シャメーンとメショメームは音が近し い。しかし,シックーツは宗教的な穢れと関連しており単なる誤記である可能 性は低い。そこで,「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」は「天バアル・シャメーンの主」を積極的に批判した表現 であると考えられる74  「天バアル・シャメーンの主」を「荒らす憎むべき者」と風刺した理由について,次のように考え られる。  一つは,「無形の神を崇拝していた敬虔派ユダヤにとり,有形の像を神殿に安 置したことに対する『憤り』を表現した」という考えである。「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」 はマカバイ記一75にも見られ,厳格的なユダヤ教徒の中ではある程度広まって いた風刺の可能性が高い。そのためこの言葉は,律法を遵守するユダヤ教徒に とって,耐え難い宗教迫害が行われていた証とも推測される。  さらに,「敬虔派ユダヤもユダヤの神を『天バアル・シャメーンの主』と呼んでいた」という可能 性がある。ギヘリシャ改革派が神を「天レ ニ ス ト バアル・シャメーンの主」と呼んだ可能性は指摘できなくも 70 M. ヘンゲル,前掲書,473 頁を参照。 71 ダニエル書 9 章 27 節,11 章 31 節,12 章 11 節を参照。 72 バアルとは普通名詞の「主人」を意味するが,定冠詞が付いた時のみカナンの神の神

名「バアル」という意味になる。Brown,F., et al,The Brown, Driver, Briggs He-brew and English lexicon, Hendrickson Publishers,2004.,p.127. を参照。

73 旧約聖書に 28 回登場し,最多が 8 回のエゼキエル書である。特に,祭儀的・宗教的に 汚れたものや行為において用いられる。エゼキエル書で類語「忌まわしい(行為)」と 対で用いられる事が多く,エゼキエル書では常に複数形で用いられる。異教崇拝を指 す場合と偶像の類を指す場合がある。イザヤ書 66 章 3 節やエレミヤ書では「忌まわし い物」という意味である。 74 しかしまた,黙示文学の制限により「天の主」と表記できないために「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」 と表記したとも考えられる。M. ヘンゲル,前掲書,473 頁を参照。 75 マカバイ記一 1 章 54 節。「さて,第百十五年のキスレウの月の十五日に,王は焼きつ

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ないが,敬虔派まで同様であった可能性は低い76。しかし,ペルシャ時代にユ ダヤは「天の神」という神の呼称を有し,そのことはアフラ・マヅダや「天バアル・シャメーンの主」 との同定を意味していた77。そうであるならば,「天バアル・シャメーンの主」と呼ぶことに,敬虔 派が危機感を有していた可能性は低い。けれども,有形の神が奉じられたこと で,「天バアル・シャメーンの主」と区別するために「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」と呼ばざるを得なくなっ た。いずれにしても,有形の像に対する憤りと考えられる。  無形の神を崇拝するユダヤにとって,神々の同定が忌避すべきものであった とは考え難い78。具体的な神殿における宗教的な営みを続けることにこそ,敬 虔派ユダヤは共同体のアイデンティティを見出していた。祭儀共同体であるユ ダヤの在り方と矛盾していないことに,一定の蓋然性が求められる。また,エ ルサレム神殿がマカバイ反乱によりマカバイ家に奪取されると,かつて神殿が 穢されたのと同じ日に清めの儀式が行われた。ゼウス像(天バアル・シャメーンの主)は取り除か れ,再びユダヤ教の聖所として奉献された。これは宮清めの祭りと呼ばれ,現 代のユダヤにおいても祝われている79。この祭りの背景に,「荒シ ッ ク ー ツ ・ メ シ ョ メ ー ムらす憎むべき者」 に対する凄まじいイデオロギーが内包されている。 第 3 節 同化するアイデンティティ  ユダヤのアイデンティティが脅かされる事件があったことは確かである。そ れは単に,ギリシャ宗教の神をユダヤの神殿に祀ったのではない。セレウコス 朝の進める同化政策により,ユダヤはシリア人と同化することを求められ,祭 儀すら廃されたのである。それに反抗する敬虔派が,セレウコス朝の王である   くす捧げ物の祭壇上に『荒廃をもたらす憎むべきもの』を築き,また周囲のユダの町々 に異教の祭壇を築いた。」フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書 : 原文校訂による口語 訳』サンパウロ,2011,(旧)1114 頁 76 M. ヘンゲル,前掲書,475 頁を参照。 77 M. ヘンゲル,前掲書,410 頁を参照。 78 ユダヤの神と他の神の同定は,ヘレニズム時代以前に既に生じていた。M. ヘンゲル, 前掲書,475 頁を参照。 79 ハヌカ祭。ユダヤ歴キスレウの月の 25 日から 8 日間行われる祭りである。八枝の燭台 に毎夜一灯ずつ蝋燭を灯し加えていく。

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アンティオコス 4 世を迫害者としてダニエル書に描いた。  先行研究で指摘されているギヘリシャ改革派の存在もある。ユダヤ式祭儀がシレ ニ ス ト リア人の礼拝する天バアル・シャメーンの主と習合的に改革されていった背景には,ギヘリシャ改革派レ ニ ス ト によるユダヤと非ユダヤとの同化が推定される80。しかし,先行研究で指摘さ れているほどに,ギヘリシャ改革派が迫害を主導していたとするのは行き過ぎでレ ニ ス ト あろう。これはマカバイ記一 1 章 41-42 節からも伺える。    次いで王は,王国のすべての者に対して,すべての者が一つの民となる ために,各々自分の習慣を捨てるよう書き送った。  これは王であるアンティオコス 4 世が個人的に命じたものではない。徹底的 なシリア・フェニキア諸都市との同化への用意をしたギヘリシャ改革派が,ユダヤレ ニ ス ト の神を「天バアル・シャメーンの主」と同一視した時に同化政策を推し進めたのだと推測される81 しかし,偶像崇拝をギヘリシャ改革派がどのように認識していたかにもよるが,レ ニ ス ト 全ての改革がギヘリシャ改革派によって主導されたわけではない。また,アンティレ ニ ス ト オコス 4 世はマカバイ反乱を代理に任せていた82。そのため,アンティオコス 4 世の代理である軍隊も迫害を主導していたのである。  しかし,天バアル・シャメーンの主(ゼウス像)の安置がダニエル書 11 章に描かれていることに 注目したい。そのことにより,共同体或いは個人のアイデンティティにおいて, 宗教アイデンティティが深く関わっていることを示す事例となるからである。 第 4 章 同化政策とアイデンティティ  ダニエル書 11 章で焦点となったのは,境界線とアイデンティティであった。 宗教的な営みを奪われることが,敬虔派ユダヤにとっての異文化を受容する上 80 M. ヘンゲル,前掲書,453 頁を参照。 81 M. ヘンゲル,前掲書,452-453 頁を参照。 82 マカバイ記一 3 章 27-37 節を参照。

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での境界線であると論じた。境界線は,異文化と衝突することがなければ意識 されることはない。このような問題は,現代社会におけるどのような問題と繋 がっているであろうか。 第 1 節 現代における同化政策  前 2 世紀,パレスチナはユダヤのみが生活していたのではなかった。セレウ コス朝から派遣された役人や兵士らと雑居しており,ギリシャ改革はエルサレ ムの統一を促した。多民族が混在する国家において,同一の国家に属する一員 であるというイマジネーションを抱かせるために,一つのアイデンティティを 創造する政策は必然である。しかし,境界線を無視した同化政策は反発を生み, その反発がイデオロギーとなって紛糾するという事態が生じた。  同様の事件は現代においても広く生じている。近代以降,「国民国家」という 帰属意識によって国民を統合してきた国家の枠組みが揺らぎ始めている。その 根本にあるのは,国家という名の下に,搾取を余儀なくされてきたマイノリティ の存在がある。それは,国民国家の創造するアイデンティティから取り残され てきた人々である。  近年の同化政策で最も大きな事件へと発展したのは,中国における少数民族 への漢化ではなかろうか。例えば,ウイグル族のほとんどがスンナ派のイスラ ム教を信仰しているが,中国政府によって宗教に否定的な政策が実施されてい る。彼らが恐れているのは,開発主導を漢族に占められ,経済的な負担を強い られることばかりではない。民族としてのアイデンティティを担う,文化や言 語そして宗教が廃れることにも危機感を抱いていたのである83  スコットランドでは,中央政府の承認を得て英国からの分離独立の是非を問 う住民投票が実施された。人材や資源はロンドンに吸収され,スコットランド とイングランドの格差は広がるばかりで,スコットランドの言語や文化は廃れ 83 中国におけるウイグル族の同化政策については以下を参照。石田耕一郎「中国の少数 民族 母語の保護に協力しよう」『朝日新聞』2014 年 1 月 10 日,朝刊,オピニオン 2, 18 頁

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ていく。独立の気運が高まった要因としては,経済的な豊かさを求めたことが 挙げられる。しかし,それを支えたのはスコットランド人のアイデンティティ であろう。スコットランドの住民投票は,欧州の分離独立運動を刺激し,スペ インのカタルーニャ州で分離独立を問う住民投票がスペイン政府の承認は得ず に実施された。ユーロ危機で広がった不満が 8 割の独立賛成に繋がった。スコッ トランドとカタルーニャにおける独立運動は,欧州全土に影響を与えている84  今話題となっている,アイヌや沖縄におけるアイデンティティの高まりも同 様である。日本という国民国家に統合され,文化・言語・宗教に基づいたアイ デンティティを,同化政策により蔑ろにされてきたのである。彼らのアイデン ティティは日本という国民国家に融和されようとしている。彼らが自らのアイ デンティティを叫び,同化に抗うのは当然のことだ85  以上のような例は,多くの類例が挙げられよう。ここでは,同類の事件が世 界各地で生じていると言及するに留めたい。 第 2 節 終結と希望に向けて  国家による力の支配には限界があることが,近年続く民族や宗教の対立から 明らかとなった。民族を統合する国民国家の流れは,国民よりも小さな枠組み である民族に自治権を持たせることで危機を乗り切ろうとする。イギリスから の独立を住民投票で問うたスコットランドがその例と言えよう。思想と言論の 統制を強化するような政策は,かえって民族の反発を触発し,争いの連鎖を繰 り返すという事態になりかねない。問題解決に向けて政策の転換が求められて 84 スコットランドとカタルーニャなどの欧州における独立運動については以下を参照。 渡辺志帆「300 年の連合,選択は スコットランド住民投票」『朝日新聞』2014 年 9 月 19 日,朝刊,1 外報,11 頁,青田秀樹「カタルーニャ,独立へ強硬 正式な住民投票 を要求」『朝日新聞』2014 年 11 月 11 日,朝刊,1 外報,11 頁 85 日本における同化政策については以下を参照。「(耕論)揺らぐ国民国家」『朝日新聞』 2014 年 10 月 4 日,朝刊,オピニオン 1,15 頁,木村司 / 奥村智司「『沖縄の誇り』浸 透 翁長氏,対本土前面に 党派超えた国への怒り」『朝日新聞』2014 年 11 月 17 日,朝 刊,1 社会,35 頁,山吉健太郎「札幌市議『アイヌ民族もういない』,発言の根っこに は」『朝日新聞』2014 年 10 月 15 日,朝刊,3 社会,37 頁

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おり,政府の手腕が試される。  では,どのような政策が求められるか。これらのアイデンティティは数値化 が困難である。そのため,数値的根拠を求めるやり方では,これらのアイデン ティティを顧みることに限界がある。  ここで,ダニエル書 11 章 35 節の終わりの時について触れたい。終わりとは, 本来「切る」が名詞化した単語である86。つまり,ダニエル書で言及される終 わりとは,宗教的アイデンティティが奪われ,非暴力主義であるにもかかわら ず戦いに身を投じるという苦難の時が,神の介入により断ち切られる事を意味 している。これは,苦難の中にあっても希望を見出すという精神性である。こ のような精神性を,敬虔派はダニエル書に著わし,迫害に苦しむユダヤを精神 的に励まそうとした。このような人の精神性に寄り添う知恵こそが,現代人が 抱える問題を解決していく上で,求められている。 結.  最後に,本研究で残された課題を挙げ,今後の展望を示したい。  迫害の記述があるダニエル書 11 章から,ヘレニズム期におけるユダヤの異文 化受容の境界線を取り上げた。ダニエル書の著者が所属したのは敬虔派と呼ば れる集団であり,迫害期(前 167―164 年)に突如として脚光を浴び,その後の ユダヤ教の主流となるファリサイ派とエッセネ派の源流ともなる集団である。 しかし,ユダヤには様々な宗教集団が存在しており,他集団の中での敬虔派の 位置付けを明確にしていく必要がある。また,シリア人の検討が不十分であり, ユダヤ内のシリア人の位置付けや,両者の祭儀の比較など残された課題は多い。  宗教アイデンティティの重要性については言及できたが,現代における宗教 アイデンティティの問題との繋がりは不十分であり,現代の宗教アイデンティ ティ問題の具体的な解決案も提示できていない。  しかし,これまでの研究で取り上げられていなかったダニエル書による異文 86 Brown,F.,op.cit.,p.891-892. を参照。

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化受容の境界線について分析し,境界線と宗教アイデンティティの実態につい て明らかにすることはできた。また,あまり注目されることのなかったシリア 人との関係を迫害の背景に位置づける事ができ,黙示文学として捉えられてき たダニエル書を史料として扱うことの一つの具体例を示せた。宗教アイデンティ ティが歴史に与える影響と,現代における宗教アイデンティティの軽視による 諸問題との関連と解決への道を模索し,研究を発展させていく所存である。 おわりに  異文化受容の問題は,現代において欠かせないものであろう。しかし,日本 人は宗教アイデンティティに関して鈍感になっている。自然科学主義の渦中に おいて,致し方ないことでもあろう。けれどもこの鈍感さは,多くの民族や共 同体の持つ各々のアイデンティティの軽視にも繋がってくる。そのため,日本 のマイノリティが持つアイデンティティにも鈍感であるし,近隣諸国のマイノ リティの宗教アイデンティティが危機に瀕していても,何が問題なのかを理解 できず危機感も持てない。  日本人としか交流しないのであればそれでもいいだろう。しかし,グローバ ル化によって,人やモノの動きは民族や国家を超え行き来するようになった。 異文化の境界線を意識しないのであれば,それは異文化圏の人間のアイデンティ ティを否定することにもなりかねない。また,自己の境界線を把握していない のであれば,それは自らのアイデンティティを損なうことにもなる。経験や価 値観,そして非合理的な人間の心の在り様を,自然科学の言語運用は顧みない。 その洗礼を受けた現代日本においては,文化や宗教といった価値観から生ずる 境界線に鈍感にならざるを得ない。日本人にも境界線が存在するにも拘わらず である。まずは,同化政策に悲鳴を上げる声に耳を傾けることから始めたい。 参考文献 〈史料〉

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       【図 2】 《ユダヤ周辺地図》 1 )「プトレマイオス 1 世統治下の領土」バリー・J. バイツェル監修, 山崎正浩他翻訳『地図と絵画で読む聖書大百科』創元社,2008. 【図 1】 《アンティオコス 4 世胸像》 旧博物館所蔵(ベルリン) 紀元前 175 年頃制作       1 ) 情報は旧博物館のキャプション を参照       2 ) 写真は執筆者による撮影

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〈謝辞〉  本研究を進めるにあたり,ゼミの指導教官である本学 塩野和夫教授より,献 身的にご指導を頂いたことに対して心より感謝申し上げます。また,研究全般 にわたる多大なご指導を賜りました今井尚生教授に深く感謝しております。そ して,ヘブライ語の私訳についてご協力いただきました本学神学部・神学科 日 原広志准教授に深く感謝いたします。  本論文の一部は,本学国際文化研究科院生のスキルアップに関する実践的取 組みによります。  最後になりますが,論文作成にあたり貴重なご助言を頂いた先輩,最後まで 一緒に頑張って来た研究科の同期の皆様,研究を支えてくれた後輩に心より感 謝しております。

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