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男らしさ と横綱柏戸の表象 例えば, 表 1. は国立国会図書館デジタルコレクション ( 5) で, 柏戸 大鵬 という見出しが掲載されている雑誌の数を検索した結果である. ただし, デジタルコレクションでは, 全ての所蔵雑誌のデジタル化が完了しているわけで

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Academic year: 2021

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<研究ノート>

「男らしさ」と横綱柏戸の表象

―柏戸の何が男性的なのかー

The Relationship between “The Masculinity” and The Representation

of Yokozuna-Kashiwado:What is the Masculinity of Kashiwado?

川野佐江子(大阪樟蔭女子大学)

Saeko KAWANO (Osaka Shoin Women's University)

1.はじめに

1960 年代の日本の高度経済成長期に,大相撲で活躍した力士に大鵬1)と柏戸2)という横綱がいる. 彼らが大相撲人気を牽引した時代を特に「柏鵬時代」と呼び,戦後相撲史に大きな足跡を残している. それは,若い彼ら二人が互いに切磋琢磨しながら番付を駆け上り,二人同時に横綱に昇進していく様 に多くの人々が魅了され,また新たな相撲ファンを獲得していった特異な時代だったからだ.終戦と ともに引退した双葉山以降の戦後の大相撲の歴史を見ると,この柏鵬時代のような相撲ブームが何回 か訪れている.柏鵬時代の直前 1950 年代には,栃錦と若乃花という二人の横綱が作った「栃若時代」 という相撲ブームがある.両名とも力士としては小柄な体型3)で,技の栃錦,力の若乃花というライ バル構図で人気を博した.彼ら小兵の栃若が,苦難を乗り越え克己と努力によって横綱に昇進してい く物語は,敗戦から復興していく小さな日本人を象徴したとも言えるだろう.この栃若時代は,また NHK のテレビ放送 4)で相撲中継が始まる時代と合致している.中継放送により,多くの人々に「動 く相撲」が届けられるようになったことは,力士の個性や相撲競技への関心を高めることに貢献し,大 相撲が大きな娯楽として注目を集めることに繋がった. そして新聞,雑誌,ラジオ,映画,テレビというメディアが揃った1960 年代に登場してくるのが大 鵬と柏戸である.この両名は,常に「柏鵬」という対立構図におかれて語られていくが,注目度とい う点では大鵬が柏戸より大きく抜きんでていたことが知られている.それは,メディアでの登場の状 況に明らかである. 表1. 国立国会図書館デジタルコレクション検索による 「柏戸」「大鵬」記事の掲載雑誌数(2014 年 8 月 29 日調べ) 検索キーワード 出版年 柏戸 大鵬 1950 ~ 1959 50 5 1960 ~ 1969 278 433 1970 ~ 1979 28 126 1980 ~ 1989 20 94 1990 ~ 1999 14 42 2000 ~ 2009 0 12 合計冊数 390 712

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例えば,表 1.は国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)5)で,「柏戸」「大鵬」 という見出しが掲載されている雑誌の数を検索した結果である.ただし,デジタルコレクションでは, 全ての所蔵雑誌のデジタル化が完了しているわけではないことと,またそれぞれ一語による検索のた め,ごく希に力士柏戸や力士大鵬を表していない場合もあり,表1. の数値は今後修正される可能性が 高いが,それを考慮しても合計の掲載雑誌数を見れば,大鵬の方が柏戸の約1.8 倍の数であることが分 かる.これはもちろん大鵬が優勝回数や連勝記録など競技上の実績で柏戸に大きく差をつけていたこ とが要因の一つに挙げられるだろう. また,川野の調査(川野,2014,p.79)によれば,NHK に残されている柏戸と大鵬の映像数は,大鵬 の614 本に対して柏戸は 243 本となっている.こちらは,大鵬が柏戸の実に 2.5 倍の映像記録を残して いることになる.もちろん,これには柏戸(鏡山親方)が1996 年に 58 歳で逝去しており,大鵬のほ うが長命だった6)ことも要因ではあるだろう.しかし,表 1. から分かるのは,彼らが力士として現 役力士だった1950 年代~ 60 年代においても,柏戸 328 冊,大鵬 438 冊と 1.3 倍の違いがあることだ. 表1 で注目したいのは,1950 年代は柏戸が大鵬の 10 倍である点である.これは,柏戸の方が 2 歳年長 であり,2 年先に初土俵を踏んでいることと関係している.また,柏戸が,本名の富樫からしこ名を柏 戸に改名するのが1959 年 3 月である.したがって,表 1. の「柏戸」50 冊というのは 1959 年の 3 月か ら12 月までの 10 カ月間に限定された結果になる.一方同じく大鵬も 1959 年 5 月場所以降本名の納谷 からしこ名を大鵬へ改名する.この大鵬が5 月から 12 月までの 8ヶ月の間に 5 冊であったことは,こ の時期の柏戸と大鵬では,圧倒的に柏戸が注目されていたことが分かるのである.しかし,この両者 への注目度は 1960 年代になると逆転していく.柏戸と大鵬が初めて本場所で顔を合わせるのは 1960 年1 月場所で,大鵬は前場所の十両優勝による初入幕となった場所である.当時柏戸は,すでに小結 にまで昇進しており,この最初の勝負は柏戸勝利で終わるが,以降相撲記録を更新していく大鵬と,彼 に唯一土を付けられる敵役柏戸という構図で,両者の取組はたいへんな熱狂を人びとに与えていくこ となる.このように「柏鵬時代」と称される大相撲の 1 タームは,当初は柏戸がその人気を牽引した が,後に大鵬の人気が柏戸を圧倒していったことが,以上の資料からも分かるのである.

2.目的

以上のように,1950 年代~ 1960 年代の大相撲界が,大鵬と柏戸を中心に注目されていた状況を踏ま え,本論はとくに柏戸の身体に着目し,そこに表れる男性性の表象7)について検討していく.そのこ とから,「男性性」というものがどのように表象され構築されていくのかを考察することを目的とする. 本論でなぜ男性性の表象を検討するために柏戸に着目するのかと言えば,まず,柏戸には「男臭い 力士」という表象があるからだ.対立構図に置かれた大鵬が,「巨人・大鵬・卵焼き」というキャッチ フレーズで,女性や子どもから支持を受け国民的人気者の代名詞とされたこととの差異化を強調する 意味で,柏戸には「阪神・柏戸・ウィスキー」8)というキャッチフレーズが与えられた.これは,柏 戸の支持者が女性性や子ども性を従属させることで優越性を獲得しようとする者たちであることを表 している.この女性性や子ども性への優越性を,コンネルの「ヘゲモニー」すなわち「『ヘゲモニー』 は,全面的な文化的優越,つまりそれ以外の選択肢の抹消を意味するわけではない.それは力関係す なわち競争状態の中での優越性である.したがって,それ以外の文化パターンや集団は,排除される のではなく従属させられるのである.」(コンネル ,1993,p.267)であるとすれば,柏戸支持者は大鵬支 持者―オンナ・コドモ―との競争的対比構造の中でこそ柏戸に「ヘゲモニックな男性性」を期待した と言えよう.もちろん,各時代の人気力士たちが,その時代の現実の男性の姿と完全に一致するもの

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ではないが,「男性たちは〈ヘゲモニックな男性性〉を支持することで,想像の世界で自分とはかけ離 れた男性性を体験し欲求を充足することに加えて,西欧近代的家父長制の成立に加担していた」(田中 ,2009,p.62)のであり,「マスコミの発達した社会では,主導的な男らしさは広告としてしか存在しえな い」(コンネル,1993,p.267)のであれば,柏戸という「男臭い」力士の表象を通してその時代の「ヘゲ モニックな男性性」を俯瞰することができるだろう. さらに本論で柏戸を取り上げる理由にはもう一つある.それは「「剛」の柏戸,「柔」の大鵬」という 常套句の存在である.これは,筋肉質の固い肉体から速さと力で相手を攻め立てる柏戸と,相手の攻め をその柔軟で重い体で受け止める守りの大鵬との技術的対比をより鮮明にさせる効果を持つ.その結果 この常套句は,柏戸の相撲技術の特徴を肉体的な力業にのみ収斂させ,その後の柏戸表象に「ヘゲモニッ クな男性性」を読み取らせることになったと考えられるからだ.コンネルは「ヘゲモニーは物理的な力 による優越を意味してはいないが,それにもとづく優越と両立不可能ではない」(コンネル,1993,p.266) と述べており,これに依拠すれば肉体的パワーは,それだけで「ヘゲモニックな男性性」を支える一つ の要素となる.大鵬にパワーが無いという意味ではなく,剛健さ(パワー)を表象されてしまった柏戸 には,よりヘゲモニーの要素が強く付与されたといえるだろう.一方でこの「剛」の表象は,柏戸の社 会的役割や人格とどのように結びつき,それが柏戸自身とどのように関係したのかも検討していきたい

3.方法

柏戸は,後に「昭和の大横綱」と言われた大鵬とともに,「柏鵬時代」と呼ばれる高度経済成長期の 相撲人気を担った一方の力士であり,そこでは「柔」の大鵬に対して「剛」の柏戸としてイメージがメ ディアを通して固定化されていることは述べた.また出世が早く順調であったために注目度が高く,メ ディアへの露出が多く,メディアにおいて数多くの資料が残されている.ここでは雑誌『相撲』9)から 1956 ~ 69 年に掲載された柏戸(富樫時代も含む)の身体と顔の変遷を,①三段目~十両,②幕内~三 役,③大関,④横綱と分け,それぞれで柏戸イメージがいかに構築されていったのかを検討する.補足 資料として『大相撲画報』(朝日新聞社)を使用する.また,写真資料の他,記事などから言説分析も 行う.理論背景には,男性性と身体表象を検討するために,男性学,現象学的身体論,消費社会論など をおく.

4.雑誌『相撲』に見る「柏戸」の表象

今回,本論で調査したのは表2. の通りである.主に写真ページを中心に検討を行った. 表2. 本論用に調査した『相撲』掲載の柏戸写真ページ数 番付の区分(1956 ~ 70 年:15 年間) 閲覧ページ数 ①  三段目~十両(富樫時代) 60 ② ③幕内~大関 410 ③  横綱 676 合計 1,146

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①三段目(1955 年 5 月~ 1957 年 9 月)~十両(1957 年 11 月~ 1958 年 7 月) 柏戸は,1954 年 9 月に前相撲でデビューしてから 1959 年 1 月前頭 16 枚目までの 4 年半ほどを本名 の「富樫」を名乗っていた.彼の最初の『相撲』掲載は1956 年 3 月増刊号 157 頁の集合写真である (図1.).記事は「有望力士座談会“鳳雛の夢”よ輝け」というイトルで,三段目の力士 4 人が掲載さ れている.この集合写真は頁の左上に小さく掲載され,4 人の中で柏戸(富樫)が特別目立っているわ けではない.とはいえ,すでに将来を期待される若い力士として注目されていたことが分かる.図 2. は幕下時代で,十両昇進が期待される力士たちの一人として掲載されているが,左下に無表情に写っ ているだけである.いずれも,未熟な少年の表象であり,彼の個性はまだ伺うことはできない. しかし,十両に昇進し優勝をすると様子は急激に変わってくる.図3. は十両優勝直後の見開き頁で の特集グラビア記事である.見出しにある「駿馬」は,速攻相撲を特徴とした彼の個性と若さを表現 している.また,出世も早く番付を駆け上がるイメージが含まれているかと推測できる.ここでの柏 戸(富樫)はほとんど無表情であるが,これはむしろ世慣れしていない若者の初々しいイメージを演 出することになっているだろう. 図3.『相撲』1958 年 5 月号 p.26~27 19 歳 図1.『相撲』初掲載(右奥)17 歳 図2.『相撲』1957 年 11 月号(左下)18 歳

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②幕内~三役(1958 年 9 月場所~ 1960 年 7 月場所) 相撲界では,十両になるとやっと大銀杏が結え紋付き羽織の着用が許されるようになるが,これは いわば正式に力士になったという意味になる10).そして正式の力士にも十両と幕内との間には区別が あり,基本的に両者の取組は発生しない11).同じ大銀杏でも,横綱との対戦が組まれる可能性のある 幕内に昇進することは,たいへんな出世であるといえる.その新入幕でのグラビアの一部が図4. であ る.図4. では,表情はまだ少ないが,図 3. 以前と比べる,わずかに柔らかくなってくるのが分かる. 図4. のコメントには「うれいをふくんだ富樫の表情.この有望力士はスポーツマンライクな近代的感 覚を身につけている.知性的でもある」とあり,新しい時代を象徴する,美しく知的な青年としての イメージが作られていく.成績とともにさらに注目度が上がる中,「秋場所入幕三人衆」(『相撲』1958,11 月増刊号)では,同年代の若秩父・豊ノ海とともにハイティーントリオとして注目され,グラビアや 座談会のページが増えていく.その中で,とりわけ若者らしい明るさや素朴さが好漢,好男子として イメージされていくことがこの時代の柏戸表象に多く見られる. このようなメディアへの露出が増えてくると,柏戸の表情にも変化が見られるようになる.図5. は 『相撲』では唯一のウィンクの写真である.他の資料にも見られない珍しい表情である.番付を上げる ごとに笑顔が増えていく中で,無邪気さ,天真爛漫さが全面に押し出されるようになる.そして次第 に「美男」という形容が増えてくる.図 6.「柏戸は美男におわす」,図 7.「幕内でも一,二を争う美 男・柏戸の素顔」など美丈夫として視覚化されていく.また巡業先や仕度部屋などでのスナップ写真 は(図8)表情豊かで,人の良さ,明るさ,若者らしさ,素朴さ,飾り気の無さ,を表出させ,次第に 「物事にこだわらない」「外連味のない」「正攻法な」という柏戸表象が作られていく. 図4.『相撲』1958 年 9 月号 19 歳 図5.『相撲』1959 年 5 月号 図6.『相撲』1959 年 9 月号 図7.『相撲』1959 年 10 月号 図8.『相撲』1960 年 6 月号

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柏戸が小結であった1960 年 1 月場所,新入幕の大鵬と初めての取組が組まれるが,以降,柏戸と大 鵬は常に比較される形でそのイメージが展開されていく.『相撲』1960 年 3 月号では二人の比較記事が 特集されている.同54 頁には,初めて二人が並んで写真に撮られ,55 頁からは「前進する柏戸,大鵬  サラブレッド 12)と北海の白熊」というタイトル記事が続く.さらに二人の対談や記者による比較 分析が続くが,64 頁に初めて「相撲ぶり 柏戸の剛,大鵬の柔」という見出しが登場する.これまで に作られた柏戸の美男子で真っ直ぐな性格で若々しく明るく逞しい好男子というイメージは,大鵬の 登場と同時に「剛と柔」の一 、 方 、 の 、 「剛」へと回収されていく.もともと「剛の柏戸,柔の大鵬」は,柏 戸の鋼鉄のような固く強い筋肉質の体格で一気に力で攻める取り口と,大鵬の柔軟な身体で相手のど のような動きにも対処してしまう巧さを表現したものであったが,そのイメージしやすさから,両者 の生い立ちや人間性にまで踏み込んで読み替えられていくのである. また外見に関しても両者はわかりやすい対比構造で表象される.たとえば,『相撲』1960 年 5 月号の グラビアには「最近肥って,やや丸みをおびてきた柏戸の顔.大鵬が女性的なのにくらべ,柏戸は男 性的である.」(下線筆者)と言うコメントが掲載されている.同じ美男子であっても,女性的男性的 と区分することは,彼らを支持するファン層を設定させることになる.相撲界はホモフォビアとミソ ジニーを文化としている世界13)でもあり,その点で女性的美しさの力士を好むのは,「ヘゲモニック な男性性」を支持する層ではないことが予測できる.反対に,柏戸の容姿を好むのは,「ヘゲモニック な男性性」を支持する層であり,換言すれば,「標準」の男性たちとそれを支持する層の人たちである. これが具体的にどのような層なのかは,柏戸が大関に昇進した後の言説に明らかになってくる. ③大関(1960 年 9 月~ 1961 年 9 月) 大関とは本来相撲番付の最高峰を指しており,横綱はその大関を神格化した存在である.したがっ て,大関は横綱への登竜門である前に,大相撲の興行にとって非常に重要なポストである.人気力士 が大関になることは,興行収入の上で大きな利益をもたらすことになるため,相撲協会にとって強い 大関を輩出することは至上命題の一つである.そういった思惑の中で柏戸は大関に推挙される.この とき,栃錦は既に引退し若乃花と朝潮というベテランの横綱がいたが,同時に大鵬も関脇に到達して, 実質は柏鵬という二人の人気力士を中心に大相撲興行は展開される.1961 年 1 月には大鵬も大関に昇 進し柏戸に番付上で追いついたことになる.両者がいよいよ横綱を争う形で大相撲は展開していくこ とで,相撲ブームはさらに加熱していく時期である.そのさなかの柏戸の表象の例が図9. である. 図9.『相撲』1961 年 7 月号「嵐を呼ぶ二人 柏戸 大鵬」

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図9. は「嵐を呼ぶ二人 柏戸 大鵬」という特集記事のそれぞれ 1 頁である.ここでは,柏戸が筋 肉質な肉体を踊らせて猛稽古をする表象であるのに対し,大鵬は電話口で肩越しにカメラに視線を流 すアングルや,女学生ファンとの交流など,ソフトで柔らかい表象になっていることが分かる.これ は明らかに「剛と柔」を意識させる構造となっている.また,この特集記事で着目すべきは,大鵬の 方が前の頁に掲載されていることである.大鵬は,女性や子どもたちから圧倒的は支持を受けたが,こ れは新たな相撲ファンの開拓でもあった.「ヘゲモニックな男性」をファンの中心にしてきた大相撲興 行は,大鵬の強さとその容姿から新しい市場を開拓したと言える.図9. の大鵬には「電話をかけてい る表情をみると,なにか少年のいたずらっぽさを感じさせるのだが…」,柏戸には「時津風部屋へ出げ いこにきた柏戸.たくましい体,気合いの入った仕切り.」「グッと力を入れると,たくましい筋肉が 肩に腕に盛り上がる.」などのコメントが付き,両者の違いは明らかである. そのほか『相撲』1961 年 5 月号では「柏戸,大鵬ムード合戦」という特集記事が掲載されている.こ こでは両者の違いを,「渋さとスィートな味」「柏戸の剛,大鵬の柔」「かもしだすムードの差」などの タイトルで表現している.その記事では「大鵬の甘いムードに酔いきれない女性ファンは柏戸にもっと 成長した“男”を感じるようである.」という記述があり,柏戸には単なる人気力士と言うだけでなく, 「大人の男性」というイメージが強調されていく様子が分かる.また,『相撲』1961 年 8 月号グラビア では「明日は横綱 柏戸剛」というタイトルで「土俵上サッとチリを切る柏戸の姿には,もう青年大関 と呼ぶにはふさわしくないような,重重しい充実した貫禄を見つけることができる.」(下線筆者)と言 うコメントとともに無邪気さの一切消えた厳しい稽古での顔がアップになっている.同じく神妙に懸賞 を受け取る写真では「勝名乗りをうけて懸賞金をうけとる.手刀をきらず,無造作につかんで斜め下に サッ.いかにも柏戸らしいさわやかさにあふれている.」(下線筆者)というコメントが付けられてお り,その無造作な所作を批判することもなく,むしろ柏戸らしい振る舞いとして賞賛している. 大関昇進後の柏戸は,豪快さ,逞しさなど男性性が強調されていく.また,オフショットも,笑顔 よりも稽古で乱れた髷姿や,喫煙姿など,大人の男としての振る舞いが表象されていく.このことは 同じ『相撲』1960 年 9 月号に掲載のグラビアを見ると明らかである. 図10. は柏戸の稽古後のオフショットであるが,煙草や「稽古帰りの乱れ髪」 14)というコメントな どからも無邪気さが消えて成熟した大人の関取として表象されている.そしてそこに,男性のセクシュ アリティを含んだ成熟した男性として「玄人好み」という表象がなされていく.一方,大鵬は柏戸と はまったく逆の表象で描かれていく.たとえば図11. は,図 10. と同じ号であるが,子犬を抱き微笑む 大鵬が掲載されている.こういった愛らしさを表現するようなモチーフは,柏戸には見ることがない. 図10.『相撲』1960 年 9 月号 稽古後の柏戸 図11.『相撲』1960 年 9 月号 子犬を抱く大鵬

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この,乱れ髪や喫煙姿と子犬の対比は,柏戸と大鵬の対比構図を非常に端的に表したグラビア記事だ と言えよう. 柏戸は,大鵬に遅れて1961 年 1 月場所で初優勝をする.その 1961 年 2 月号の『相撲』では,「でか したり!柏戸」の特集記事で,柏戸は次の様に語られている.「大鵬は若い女性にファンが多いが,柏 戸のファンはどっちかといえばくろうと筋の女性に多かった.事実柏戸の人気は,年増に集中してい た.」(p.57),「どっとまわりをかこむのは若い女性より二十代,三十代であった.ハイティーンの女学 生たちが大鵬をとり囲むのとは,いかにも対照的.」(p.58).柏戸ファンの「くろうと筋の女性」とは 「ヘゲモニックな男性性」社会に適合する男性たちを相手にビジネスを行う女性たちと言い換えること ができ,ここでも柏戸の支持者は「ヘゲモニックな男性性」を担う層であることが分かる.一方大鵬 のファンは10 代の少女たちで「ヘゲモニックな男性性」の外側にいる層であることが分かるのである. このように見てくると,柏戸は,大関に昇進した後「ヘゲモニックな男性性」を共有する層からの 支持に応える表象になっていることが分かる.これは,大相撲を支える従来型支援者たちでもあり,相 撲協会は永年の顧客とも言えるこれらの好角家たちを満足させるべき役割を,柏戸に担わせたとも言 えるだろう.一方大鵬は,その従来的ファン層とは異なる新しい支持者を獲得していくことで,相撲 協会に貢献する役割を担ったと言える.このように「ヘゲモニックな男性性」を挟んで,柏戸と大鵬 は大相撲人気を支えていたと言えよう. ④横綱(1961 年 11 月 ~1969 年 7 月) 相撲協会の思惑もあり,1961 年 11 月場所に柏戸と大鵬は同時に横綱に昇進する.すでに述べたよう に,横綱は大相撲の象徴として格付けされると同時に,勝つことが義務づけられる.柏戸と大鵬の対 戦成績を見ると,横綱昇進以前は柏戸が7 勝 3 敗だが,横綱同士での対戦では大鵬が 18 勝 9 敗となっ ている.横綱昇進後,大鵬は連勝記録や優勝回数記録を次々に打ち立てる大横綱になり,単なる美男 力士ではない唯一無二の実力を備えた完成された横綱へと変化をする.一方,柏戸は怪我や病気に見 舞われ休場を余儀なくされるなど,不運が続く.注目度もその状況に呼応して大鵬に集中していくが, その偏重的な大鵬人気は,逆に柏戸にアンチ大鵬の役割を期待していくことになる. 柏鵬の人気が,明らかに大鵬に傾いていく様子が分かるのが図12. と 13. に表れる両者の関係構図で ある.図12. は,横綱昇進前の表紙であるが,柏戸に視点が行くような構図になっているのが分かる. 柏戸が見上げる視線の先に大鵬があり,柏戸の肩にそっと手を置く大鵬は遠慮がちである.また二人 の関係が笑顔で繋がっており,兄弟のような構図になっている.しかしそれが横綱昇進後の表紙にな 図12.『大相撲画報』1961 年 7 月号表紙 図13.『大相撲画報』1962 年 1 月号表紙

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ると様相が大きく変化している.図13. は,柏戸がアップになってはいるが,彼の特徴である筋肉質の 身体は構図から切れており,この構図の焦点は奥にいる大鵬の顔であることが分かる.ここでの柏戸 は大鵬の添えもののような構図になっており,この構図はまさに大鵬と柏戸の関係の象徴的表象だと 言えるだろう. 柏戸は力士としての15 年間中 8 年間を横綱として過ごしたが,同時代の大鵬が記録尽くめの横綱で あったゆえに,その比較で過小評価されがちだが,従来なら「見る」側だった「ヘゲモニックな男性 性」を「見られる身体」として具現化した点は,注目に値する.たとえ活躍不足の横綱だと批判を受 けても,「ヘゲモニックな男性性」を体現することに徹していた(本人の意志とは無関係に)ことは, 「標準」な男性たちがいかにその社会的期待を背負わなければならないことになっているか,の具体的 事例として検討できるだろう.たとえば図14. は,「“男の魅力”柏戸」というグラビアで,「柏戸を称 して,山形生まれの江戸っ子というそうだ.義理に固くて,人情にゃもろい.男らしくて,気っぷが いい」,「ファンはいう『柏戸の負けっぷりが,たまらない魅力.それは負けるのはくやしいでしょう. でもそのくやしさをさらっとした感じで,受け流すあたり,その顔に魅了を感じる』と―」と記述さ れる.成績がままならない場合にも,「勝ち負けにこだわらない」柏戸の男らしさとして語られてしま うのである.それは,重厚長大時代のアイコンとして,大きく堅牢な身体と若く速攻という時代性を その身体に表象した横綱柏戸の物語化と言えるだろう. 横綱という格付けは,本人の意志とは関係なく「横綱」としての振る舞いを強要させるものである. 特に,力士は髷とその特徴的な肉体から,常に見られる存在であり続けることになる.とくに柏戸は 早熟だったゆえに,10 代から注目され常に見られる存在で有り続けた.その中で,彼に表象されたの は「剛」であり「玄人好み」という「ヘゲモニックな男性性」そのものであった. 最晩年の横綱柏戸は,満身創痍の中もっとも体重を増やし 140 キロ代になり,美男子という形容は 消滅する.『相撲』掲載の写真もうつむき加減が増え苦悩の横綱として表象される.体調が整わないま ま相撲を取り続けるが,「剛の柏戸,柔の大鵬」というイメージは固定化されている.そして老練な巧 さとなった大鵬とは異なり,むしろ「左前褌を取って一気に走る」という型を変わらず貫き通すこと で,「ヘゲモニックな男性性」に応えていたのだと考えられる.

5.考察

柏戸表象の変遷を見ると,若きスターの溌剌さから始まり,「紅顔の少年」(『相撲』1960.3, p.62)で ある大鵬の登場によって美男子であることが希薄になり,同時にその大鵬との「柔と剛」という明確 な対比構図によって,成熟した男性性がとりわけ強調されていくのが明らかになった.柏戸の豊かだっ 図14.『相撲』1964 年 4 月増刊号 p.16~17 図15.『相撲』1969 年 6 月号 最晩年の柏戸

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た表情は大関以降に急激に減少し,横綱になるとさらに均質的な厳しい表情が中心になる.このよう な柏戸の表象の変遷は,単に無邪気な少年が心身ともに成熟した男になった,と言う成長物語なので はなく,柏戸がその社会からの要請である「ヘゲモニックな男性性」にどのように応えていったかと いうことを俯瞰させることになるのである. 「柏戸の表象」は,力士としての彼のイメージを表象するものである一方,個人としての彼自身を覆 い隠す仮面にもなっている.彼が「ヘゲモニックな男性性」に対してどのような態度であったのかは, 関係者への聞き取りや文献から調査中である.この調査を元に男性性とアイデンティティの問題とし て今後明らかにしていきたい. なお,本研究はJSPS 科研費 25380720 の助成を受けたものである. 脚註 1 ) 第 48 代横綱大鵬幸喜(1940 ~ 2013 年)初土俵 1956 年 9 月場所 引退 1971 年 5 月場所 横綱 1961 年 11 月場 所~引退まで. 2) 第 47 代横綱柏戸剛(1938 ~ 1996 年)初土俵 1954 年 9 月場所 引退 1969 年 7 月場所 横綱 1961 年 11 月場所 ~引退まで. 3) とはいえ,栃錦は身長 178 センチ,体重 132 キログラムであり,若乃花も身長 179 センチ,体重 109 キログラ ムであるので,一般男性の体格に比べれば大きいことは分かる. 4) 1953 年 5 月 16 日放送開始.NHK ラジオ放送による相撲中継は 1928 年 1 月 12 日から開始されていた. 5) 国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービス. 6) 大鵬は 2013 年 1 月 19 日逝去した. 7) 「ある記号がある現象を表象=代行していること」(ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』法 政大学出版局1984)とする. 8) ほかに,「大洋・柏戸・水割り」などもある.いずれも「巨人・大鵬・卵焼き」へのカウンター的あるいはア ンチ的表現であるが,固定化されていないとことが興味深い. 9 ) ベースボール・マガジン社発行の日本相撲協会機関誌.発行部数は未公表だが,『平成26 年度日本相撲協会事 業報告書』に「機関誌「相撲」をベースボール・マガジン社に刊行させ,相撲の普及を図った.」とあり,平 成26 年 1 ~ 12 月の実売合計部数は 144,845 部と報告されている. 10) 日本相撲協会定款第 51 条に「力士養成員(幕下以下の力士)」とあり,十両以上の力士と区別されている旨の 記述がある. 11 ) 場所中の成績によっては,番付格の異なる取組が組まれることもある. 12) 土俵を一気に走るような速攻相撲を持ち味としていたので,このように呼ばれていた. 13 )川野佐江子 2014, p.85 参照 14)「お相撲さんにはどこ良うて惚れた 稽古帰りの乱れ髪」という都々逸から引用か. 参考文献 朝日新聞社(1961,1962)大相撲画報.朝日新聞社:東京 川野佐江子(2014)大相撲とその力士の身体表象に関する研究―NHK テレビ番組で描かれる力士の身体性につい て―.大阪樟蔭女子大学研究紀要 4:大阪 , p.77-88 財団法人日本相撲協会(2014)平成 26 年度日本相撲協会事業報告書.財団法人日本相撲協会:東京 ――――――――――(2015)日本相撲協会定款.財団法人日本相撲協会:東京 田中俊之(2009)男性学の新展開.青弓社:東京 ベースボール・マガジン社(1955~1970,1996)相撲.ベースボール・マガジン社:東京 R.W. コンネル(1993)ジェンダーと権力―セクシュアリティの社会学.三交社:東京 (かわの・さえこ) 2015 年 10 月 31 日受理・2016 年 1 月 29 日掲載決定

図 9. は「嵐を呼ぶ二人 柏戸 大鵬」という特集記事のそれぞれ 1 頁である.ここでは,柏戸が筋 肉質な肉体を踊らせて猛稽古をする表象であるのに対し,大鵬は電話口で肩越しにカメラに視線を流 すアングルや,女学生ファンとの交流など,ソフトで柔らかい表象になっていることが分かる.これ は明らかに「剛と柔」を意識させる構造となっている.また,この特集記事で着目すべきは,大鵬の 方が前の頁に掲載されていることである.大鵬は,女性や子どもたちから圧倒的は支持を受けたが,こ れは新たな相撲ファンの開拓でもあった. 「

参照

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