破唯物論
著者名(日)
井上 円了
雑誌名
井上円了選集
巻
7
ページ
521-666
発行年
1990-04-10
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00002912/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja非僧非俗追講述
落俗論退治
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(タテ×ヨコ) 2.サイズ 185×127㎜ 3.ページ総数:293
緒言:3
3 目次: 本文:287 4.刊行年月日 初版 明治31年2月26日 底本:再版明治31年8月18日 1 全全川 治 十 年年イじ 八..__ 月刀月 十’i]『’li’ 獲著 八六三行作 日日日者m”. ・1 .di印 者兼版行刷 態九秘6藁&拐悦 、. 曜 ヴコ tキ ”t の3所版念
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巡,破唯物論 緒 言 本書は近年有志の依頼に応じて諸方において演述せるものを編集して一冊子となし、余が唯物論に対する意見 の一端を示したるものなれば、これを題して﹃破唯物論﹄と名付く。 本書はもっぱら通俗をして読みやすく解しやすからしめんと欲し、文章は殊更に言文一致体を用い、讐喩、例 証等はなるべく世間にありふれたる事柄をとれり。故にこれを読みて、あるいは論理証明のあまり浅近簡略に過 ぐと評するものあるべきも、余があえて辞せざるところなり。 本書は往々先輩に対して敬意を失するがごとき言語を用うることあるも、これ先輩その人を斥するにあらずし て、学説そのものを疑するにあるのみ。もし先輩諸士の請責をこうむることなくんば幸甚。 本書の建正門は余が自ら工夫せる一家の私見を述べたるも、わずかにその端緒を開示せるに過ぎざれば、他日 更に一大論を起草してその全旨を明らかにすべし。 本書の目的は主として近来流行の唯物論を破斥するにあれども、傍ら神儒仏三道の再興をはからんとするにあ り。しかしてその再興は神儒仏の身体へ西洋学説の滋養を与えて、いずれの点まで発達し得るやを試みんことを 期す。近日この目的をもって有志を誘導し神儒仏三道復興会、もしくは三道研究会を設くる計画なきにあらず。 故にもし同感の諸君は、あらかじめ一片の葉書を投じてその意を報ぜらるるあらば、余が本望これに過ぎず。右 に関する郵書は左の名宛にて投函を請う。 田 東京市小石川区原町一八番地︵哲学館構内︶四聖堂
本書の神儒仏三道を論明せるところは、先年撰述の﹃忠孝活論﹄に譲りてここに略したれば、 ついて見るべし。 本書の目次は左︹前出︺のごとし。 明治三一年二月一日 東京鶏声ケ窪なる護国愛理学堂において 講 よろしく同書に 述 者 誌 522
非僧非俗道人講述 門人筆記
第一回緒論
破唯物論 近来︵ちかごろ︶西洋より唯物論と名付くる、いとなまぐさき風がわが学問社会へ吹き込み、おいおいこれに なびく徒︵ともがら︶ありて、神州の清潔もこれがために汚されんとする有様になりました。最初のうちは軽躁 なる生意気書生が物好き半分にはやし立てたるまでなれば、さほど心配するには及ばぬことと思いおりしが、こ のごろになりては明治の大家と呼ばるる人達が、だいぶんその波に巻き込まれ、大先輩、中先輩、小先輩に至る まで、だんだん引き続きて唯物の旗色を現すようになり、その勢い一犬虚をほえて万犬実を伝え、とうとうたる 天下みなこれに雷同唱和せんとする傾向なれば、とても傍観座視しておることはできなくなりました。諸君はこ の有様につきいかが考えていますか。唯物論の流行と共に、わが従来の神儒仏三道が立つと思いますか。忠孝人 倫の大道が、依然として存するものでありましょうか。万国に卓絶せる一種無類の国体も、将来いかようになり 行きましょうか。右はあまり杞憂に過ぎるようなれども、今より深く考えておかなければなりますまい。唯物論 は元来無神論にしてかつ無心論であるから、神道や仏教で一般に唱える霊魂説や未来説は、その論によりて第一 番に打ち壊さるるのみならず、儒道で申す仁義も忠孝もさんざんに打ち砕かるるに相違ない。そのわけは唯物論 珊 者の目よりみれば、道徳などは人間の製造したるもので、善も悪も自然に定まりておるものでなく、社会の発達に伴ってやむをえずできたるものでありて、いずれも利己心より起こり、経験より生じたるものに過ぎぬと申し ております。しかして人に忠孝の本心の存するは、遺伝もしくは習慣の結果なりとし、これを先天あるいは天賦 と考えたるは古人の妄想であるといい、真理は優勝劣敗の外に決してあるべからず、先天の道などは腐儒の寝言 である頑夢であると評し、はなはだしきに至りては儒教の主義を根本から打ち砕かなければ、日本は文明国にな る見込みなしとまで叫ぶものがあります。その口振りを察するに、秦の始皇でも黄泉から呼び起こして、思う存 分に書を焚︵や︶き儒を坑︵あな︶にしてやりたいほどに祈りておるようにみえます。もし仏教僧侶に対して与 うるところの評語のごときは、一層激しく、往々これを呼ぶに修羅、悪魔の名をもってし、あるいはなまぐさ坊 主とか、あるいはみそすり坊主とか、悪口ほとんど至らざるところなきほどに達し、その心中を察するに、機会 あらば頭から一口にかみ殺してやりたいくらいに思っておるかと考えられます。このとおりに世間から排斥せら れ、嘲弄せられ、罵署せられても、なお黙然として気楽を構えておるのが、果たして堂々たる大人、丈夫と申す ものであろうか。あるいは無気力、無精神の意気地なしというものであろうか。余はこれを意気地なしの最上と 考えます。すでに神儒仏三道に衣食する方々はもちろん、いやしくもその道に遊び、その教えを受けたるものは、 憤然として立ち、大いに呼んで同志を叫合し、口を極めてこれと一大決戦を試みなければ、その本分が立ちます まい。今日の形勢︵ありさま︶は目にこそ見えぬけれども、敵はほとんど破竹の勢いをもって、四面の砲台を陥 れ、まさに神儒仏三道の城門に向かって迫らんとする有様であります。もしこれを仮に国家の上にたとえて申さ ば、敵すでに観音崎の砲台を占領し、更に進みて皇城を攻めんとするがごとき危急の場合に迫り、夜は深し四面 楚歌の声の観を呈しております。しかるに無形のことは人の感覚に触れぬ故、だれ一人として慷慨奮起するもの 524
破唯物論 がないとは、実に不思議ではありませぬか。ああ、数千年来わが皇室国体と共に栄え共に盛んなりし神儒仏三道 が、一朝唯物論の秋霜に接してまさに凋落せんとするとは、サテサテ残念至極ではありませぬか。余輩なんの面 目ありて古人に答え、祖先に対せんや。たとえ今日三道の存亡いまだかくのごとき危急に達せぬとするも、今よ りこれが防御の策を講ずるにあらざれば、早晩︵いつか︶この極に陥るは必然の勢いであります。諸君なんぞ大 いに精神の勇気を励まし、思想の馬にむちうちて、斯道のために華々しき決戦をなさざるや。ああ、わが皇国国 体の根基となり、神儒仏三道の神髄となりて今日に至れる忠孝人倫の大道が、今まさに崩れんとするをみて、切 歯拒腕せざるものは、決して憂国の男児とは申されませぬ。諺に﹁時窮まりて忠臣始めて出つる﹂というがごと く、今や三道の忠臣義士の出つる時節であります。余は微力といえども積年三道の再興を一身に任じて、東洋学 術の真相を日本の舞台にえがきあらわし、日本文明の特色を世界の劇場に映し出さんことを期して今日に至るも のなれば、及ばずながら三道軍の先鋒となりて唯物論退治の戦端を開く決心であります。およそ戦争には有形と 無形との二とおりありて、日清戦争ばかりが戦争ではありませぬ。堂々たる論陣を張りて、学問の戦場に真理の 勝敗を争うも、やはり一種の戦争であります。かれは有形の戦争、これは無形の戦争、甲は腕力の戦争、乙は道 理の戦争であります。今や道理の戦争を宣告するのやむをえざるに至りました。諸君よくその別を知りて、請う 速やかに三道のために義兵を挙げよ。 わが三道の敵はここに一口に唯物論というも、その中にはいろいろの分子が混じております。すなわち余が近 来新聞に雑誌に著書に講演に、その他談話中にひとたび見聞していやしくも三道の敵と認めたものは、みなこれ を一束︵ひとつかね︶にまとめて、これに唯物論の張り札を付けました。故にもし細かに分けて申さば、その中 525
には唯物論、進化論、実験論、感覚論、自利論等が一緒になりております。なおその外に唯物論の小使いか人足 かは知らざれども、拝金宗、体欲宗、御幣連、いも虫連も加わりてみえます。しかしてその仲間はいずれも西洋 舶来の看板を掲げ、しきりに西洋風を吹き立てて、なんとなくいばりたる風体でありますが、その中で唯物論が 大将らしくみゆるをもって、余はその総名を唯物論あるいは唯物派と申します。もし神儒仏三道に比較してみる ときは、いずれもわが国の正論にあらずして、舶来の俗論なれば、一名これを俗論派と呼び、これに対して三道 の方は正論派と称します。その外に舶来の学派中にも非唯物派、すなわち先天派、唯心派、理想派等ありて、多 少︵いくらか︶三道と一致するものもありますから、これらはみな正論派の仲間に入れて、客席に据え置くつも りであります。かくのごとくあらかじめ敵味方の旗印を判然分けておいて、戦争に取り掛からなければなりませ ぬ。俗論派の方は近来大先輩、中先輩、小先輩が続々相加わり、その人数少なきにあらざれども、正論派の方は 神官、僧侶だけにてもその数一〇万に下らず、これに漢学者を加うれば一〇万以上の大勢を得べく、そのほか三 道を奉信するの徒を合すれば、幾十万の多数を得ることができますから、敵はいかに強くとも、わが方にて今の うちによく一致団結すれば、決して負ける気遣いはありませぬ。しかしながら無形の戦争は有形の戦争とは違い、 ひとり道理の力をもって真理の勝敗を争うものなれば、人数の多きはすこしもたのみにはなりませぬ。必ず学問 に明らかにして、学理に通じたものでなければ、かえって邪魔になるばかりであります。しかし人数の多い中に はせめて一〇〇人に一人、もしくは一〇〇〇人に一人ぐらいは、十分道理の戦争のできる人物はあるに相違ない。 ただ憂うるところはなにぶん近来大先輩の方々が俗論派に加わりたるため、余輩の味方の方で大いに失望したよ うに見受けらるる一条であります。さりながら真理に対しては、いかなる大先輩といえども一歩もこれに譲るに 526
破唯物論 及ぼず、また決して恐るるにも及びませぬ。すでに大先輩のごときは老い去り衰えきたりて、その気力も論理も 今日の青年に匹敵することは覚束ないから、勇壮なる諸君において辟易することは全く無用であります。余が聞 くところによれば、戦場に臨み敵陣と相対するに当たり、たまたま軍気の振るわざることあるも、大砲を発射し て、その砲丸まさしく敵陣の中に入りて破裂するときは、士卒の勇気一時に振るい起こるといいます。よって余 もその例にならい、東洋の論理、いな世界の論理をもって製造したる一発の破裂丸を俗論派の陣中へうち込んで、 正論派の士気を鼓動するつもりであります。その破裂丸とはなんぞや。すなわちこれより述ぶるところの駁論に して、これを俗論退治の一着手といたします。 さて余は貧乏くじを引き当てたと申してよろしかろうか。近来退治専門家になり、今度目で三回の退治を引き 受けます。すなわち最初ヤソ教の気炎のさかんなるに際し、ぜひ国のため教えのためにこの邪教をうち払わなけ ればならぬと信じ、数年間もっぱら邪教退治に従事し、その後民間の迷信依然として行われ、ややもすれば宗教 の改良、教育の進歩を妨ぐる勢いあるをみて、迷信退治に着手いたしました。しかるに今度また俗論退治の役割 に当たり、前後都合三度の退治とはナント珍しきことではありませぬか。そのうち邪教退治と迷信退治とは相手 が相手であるから、ほとんどひとり相撲を取るような話で、骨も力も入らず、たやすいことでありましたが、今 度は学者相手の戦争なれば、これまでよりはよほど手ごたえがあろうと考えます。もっとも余は最初、邪教退治 のときに、早晩︵いつか︶俗論退治に着手せねばならぬと感じ、いささかその準備の心得もありましたが、その 後更に音も沙汰も聞きませぬから太平無事はなによりの幸せなれば、自ら求めて退治するにも及ばぬと考え、そ 田 のことは一切捨て置き、もっぱら迷信退治の一方に力を尽くしていました。その上に先年余が欧米より帰朝以後、
わが国に東洋諸学なかんずく国学、漢学、仏学の三科を専攻する道を開くの急要を感じ、かつて自ら創立せる哲 学館をもってその根拠とする目的を起こし、爾来同志誘導のために地方遊説に五、六年の歳月を費やし、その傍 らに朝夕学生を監督し、館務を裁理し、終年︵ねんじゅう︶ほとんど講学の余暇なく、西洋の書籍などはおよそ 一〇年間も取り調べたることはありませぬ。それ故にひとたび学び掛けたるドイツ語は、半途にて廃したからも とより読むことはできず、わずかに修め得たる英語も過半忘るるようになりたるは、誠に自分ながら恥ずかしく 思います。しかし余は元来失念術の先生でありて忘るることの名人なれば、一〇年廃学して英語を忘れたるは当 然︵あたりまえ︶のことであります。かく一〇年廃学とは申すものの、英書をひもとくことを廃したまでにて、 東洋の書籍は幸いに寸暇あれば、怠らず取り調べて今日に至りました。そのわけは余が西洋漫遊の際深く感じた ることなるが、近年欧州各国に東洋学大いに流行し、かの国々の学者がインド学はもちろん、シナ学、日本学ま で盛んに研究するようになりたる一事であります。従来わが国は東洋学中、国学、漢学、仏学の研究最も盛んな りし国柄なれば、なにほどわれわれが西洋学を勉強しても、かの国の学者に及ぶはずなきも、東洋学だけは日本 で専売特許権を得ることは難からずと考え、帰朝後自らおもえらく、梅と桜を両手に持とうとするは、あまり欲 張りたる話にて、かえってあぶはちとらずにならんことを恐れ、むしろ西洋哲学を廃して東洋哲学ばかりを専門 に研究するにしかずと心得、まず日本伝来の仏教哲学より始め、つぎに孔孟︹孔子、孟子︺哲学、老荘︹老子、荘子︺ 哲学に及ぼし、なお余力あらば神道哲学を研究せんとの一大決心を定め、館務の余わずかに寸暇を得れば、仏書 をひもときて教理を探り、爾来もっぱら仏教哲学系統論の撰述に着手せしが、幸いにしてその大綱だけまとまり ましたから、昨年その緒論として﹃外道哲学﹄と題する一編を発行いたしました。これより順を追うて小乗哲学、 528
破唯物論 大乗哲学の系統を世に示さんと欲し、その一事に講学の全力を注ぎ他を顧みるのいとまなき有様なれば、近頃学 者間に唯物論のごとき舶来の俗論起こりたるも、かくのごときは神儒仏三道に志すものの中に、余輩より一段も 二段も上手の学者あればその人達の責任なりと考え、俗論退治は余輩浅学の当たるところにあらずと思っており ましたが、あにはからんや、今日今時に至るまで一人のこれに反対する呼び声を挙ぐるものなく、とうとうたる 天下知らず識らずの間に、これに腐化しさらんとする勢いに立ち至りました。よって余輩のごとき東洋学を専攻 するものにありては、もはや黙々に看過する秋︵とき︶にあらずと思い、はからずも正論派の先鋒となりて、俗 論派に対して開戦を宣告するの貧乏くじを引き当てるようになりました。諸君よく気をつけてみたまえ。俗論派 の余毒は日に増しはびこりて子弟の教育、道徳を傷つけ、なお進みて国体の上にも及ばんとする傾きがみえてお ります。我人の恐るるものは決してコレラ病や赤痢病ばかりではありませぬ。俗論の余毒の方はこれより一層は なはだしくあるに相違なきも、なにぶん直接に目に触れぬ故にだれもやかましく申さぬまでにて、その実これく らい恐ろしきものはありませぬ。願わくば、諸君決してこれを対岸の火災視することなかれ。その火炎はすでに 諸君を取り巻きておりますから、請う、よく活眼を開きてみたまえ。 ただ今申し述べたるとおり、余は久しく西洋学の研究を廃したるため、西洋哲学は先年一とおり講釈も聞き、 カントやへーゲルの書はその一端をうかがったこともありますが、ヘーゲル以後の哲学はさほど取り調べたるこ となく、へーゲル以前といえども十二、三年前に研究したるままにてその後久しく中止しておりますから、とて も今日の俗論に抵抗することはできまいと、内々あきらめておりましたが、熟々︵つくづく︶近刊の雑誌もしく は著書にて俗論派の論ずるところをうかがうに、ヘーゲル以後どころか、カント以前のホッブス、ロック、ヒュ 529
ームを繰り返して新しそうに吹聴しておりますには、実に一驚を喫したる次第であります。これぞ世のいわゆる 30 二度ビックリと申すものならんか。最初は近年舶来の実験説と聞きて一︵ひと︶ビックリしたるところ、西洋に 5 て二〇〇年前の古説を繰り返すのであるを聞けば、第二のビックリであります。いかにわが国の進歩が西洋に少 なくも二、三百年遅れたとは申しながら、彼が二〇〇年前の陳腐説を繰り返す必要はありますまい。もしこの有 様を西洋人に知られたならば、実に恥ずかしきことであろうと考えます。ここにおいて余は大いに奮い、浅学な がらかかる俗論には十二分の相手になることができると思いました。それ故今回は自ら進んで俗論退治の先鋒隊 となりたる次第であります。余輩の一生はなにをするにも国のため道のためより外に目的はありませぬから、東 洋学を再興するも、俗論派を退治するも、同じくこれ世道人心を益することなれば、当分のところしばらく仏教 哲学の研究を中止して、もっぱら俗論退治の一事に力を尽くすも、また護国愛理の一方便と信じ、ここに開戦の 一砲を放つことになりましたが、ドウゾ諸君よくこの意を了せられんことを願います。
第二回 学問論一
すでに俗論退治の開戦を宣告したる上は、あらかじめその陣立配置の順序を定めおかなければなりませぬ。ま ず余が陣取りは破俗門、建正門の二段を構え、破俗門にありては唯物の俗論を打ち砕くをもっぱらとし、建正門 にありては余が工夫せる正論の組織を説き示すを主とするつもりであります。つぎに更に破俗門を分かちて実際 門と理論門との二部を置き、実際門にありては、この俗論派がわが国の実際上に与うる誤解と利害を挙げてこれ を退け、理論門にありては、かの唯物論が真理らしくみせかけたる偽論妄説を捕らえてこれを駁する心得であり破唯物論 ます。
俗論退治誘縮
なおその上に実際門を分かちて、学問上と国民上との二段となし、学問上にありては、俗論派の西洋学に対す る誤解と、東洋学に対する誤解とを弁じ、国民上にありては品行上に与うる利害と、精神上に与うる利害とを論 ずる見込みであります。 以上の順序を追っていちいち弁駁する予告を定め、これよりその第一の俗論派が西洋学に対する誤解を述ぶれ ば、諺にいわゆる﹁坊主を憎めば袈裟まで憎い﹂の反対でありて、坊主を愛すれば袈裟までかわいいと申すよう に、西洋の学問とさえいえば、一も二もなく至極結構のものと心得、手を合わせて拝み上げんばかりに崇信して いるものがずいぶん俗論派中におるようにみえます。若き青年の人達がかく心得るはいわゆる先入主となる道理 にて、最初より西洋学に育てられたる眼︵まなご︶より見ることなれば、なにもかも西洋のものがよく見ゆるは 無理ならぬことなれども、先輩も先輩も大先輩の老公方が幼時のみならず、長年まで東洋学にて育てられたるに 531もかかわらず、一から十まで西洋でなくてはいけないといわるるは、少し合点のゆかぬことでありますが、余が 考うるところによるに、これは先入主となるではなくして、先廃主となることとみえます。先廃主となるとは、 明治維新の際ひとたび東洋のものは善いも悪いも分からずに一切廃すべしと思い込みたる一念が、引き続きて心 中を支配しているから、今日になりては、西洋のものにも一得一失あり、東洋のものにも一長一短あることが、 分かりそうなものでありながら、さようには考えられぬとみえます。余も先入主となるという格言は昔から聞き 伝えていましたが、先廃主となるということは、今度初めて発見いたしました。これにつきて西洋と東洋とに各 長短得失のあることを申さなければなりませぬ。 今余がみるところに従ってその要点を較すれば、まず器械工芸は西洋の長ずるところにして東洋の欠くるとこ ろであります。また物理化学、天文学、動植物学、生理学のごとき有形の実験学は、西洋の長所なれども、美術 に至りては西洋は必ずしも東洋に優れりと断言することはできませぬ。今日アメリカは百般︵いろいろ︶の工業 最も盛んにして、わが国のはるかに企て及ぶところにあらざるも、美術の一点に至りてはだれもアメリカを推し てわが国の上に置くものはありますまい。ひとり美術のみならず宗教においても、西洋の宗教が果たして東洋の 宗教より進んでおると速断することができましょうか。もしまた国民の有する尊王の精神に至りては、西洋人の わが邦人に及ぼざること遠しと申してよろしい。少々これとは話が変わりて、余談俗話にわたるけれど、西洋は 文明の度が進んでおるから、したがってなにごとも分業が進んでおるとは、だれびとも一般に申すことなれども、 中には日本の方が分業の進んでおることがあります。その中で最も手近き例は飲食店であろうと思います。わが 国にては三都はもちろん、田舎の都会までも蕎麦屋、汁粉屋、蒲焼屋、牛肉屋、しゃも屋、すし屋、天ぷら屋等 532
破唯物論 みなおのおの専門の分業になりております。これはあながちわれわれの自慢にはならぬけれども、分業の進んで おる一例に備えても差し支えありますまい。またわが国にて大小便を肥料に用い、死体を火葬に付するなどはあ まり感服せぬという人もあろうけれども、西洋人のわれに及ばざる一点であるように考えます。その他、天性と して事物の清潔を好み、風流の思想に富むなどはわが邦人が断じて西洋人より進んでおるところと申して差し支 えない。もしまた盆栽、挿花、茶の湯、囲碁の類を数えきたらば、東洋いなわが国の長所もたくさんあるべきも、 なにぶん器機工芸の発達せざりしため、有形上のことは彼に数歩を譲らなければなりませぬ。もし無形上に至り てはたとえ彼の長ずることあるも、その長所をとりてわが短を補うことのできぬものがある。これもよく心得て おくべきことであります。要するに身体以外に関するものは彼が長をとることができるけれども、身体以内に関 することはできませぬ。たとえば衣食住を始めとし器械道具の類はわが従来用いきたれるものを廃して、一切西 洋をとることはできますが、わがひげを赤くし目を碧︵みどり︶にし、皮膚を白色に変ずることはできませぬ。 西洋人はいかに怜倒なるも日本の下駄をうがち箸を握ることはむずかしいと同様に、日本人がいかに願った祈っ たとても、体格を西洋人のようにすることはむずかしくあります。もしそれ言語文章に至りては、わが国語を廃 して西洋語を用うることは全くあたわざるにあらざれども、国家の独立上みだりに動かすことはできませぬ。こ れをもってなにほど西洋の文学が美を尽くし善を尽くすとするも、わが国の文学を全廃して彼を用うることは到 底できない相談であります。いわんや、かの文学が果たしてわれに優るの証拠なきをや。風俗習慣もこれと同じ く、たとえ彼によきところあるも、みだりにこれをとりてわれに代うることはできませぬ。儀式礼法に至りては 33 5 なおもって変更することは禁物であります。これを要するに西洋と東洋いな日本とはおのおの一長一短あるのみ
ならず、交換変更のできることとできぬことがありますから、有形上のことはわれより彼の方が大いに進んでお るという点をもって、一切の芸術も学説も、みな彼をとりてわれを捨てなければならぬと申す道理はないことと、 余は断言いたします。 つぎにまさしく学問上に移り、西洋学と東洋学とを比較するに、すべて実験学はわれに欠けて彼に備わるも、 哲学は双方に行われて、しかも彼にも一長あり、われにも一長あることは十目のみるところであります。たとえ ば彼は経験に重きを置きわれは先天に重きを置くの異同がありますが、すでに東西の間にかかる異同がある以上 は、二者中いずれが果たして真理なるや、確実なるやを熟思し、もしその結果いずれも長短なしとせば、むしろ 東洋流の先天をとるは当然︵あたりまえ︶のことと考えます。なぜなればわれわれは東洋人にして日本固有の学 術を拡張するの責任を有するものであります。もしこれに反してその結果、先天は経験にしかざることを認めた るも、なお退きて東洋の先天説に一段の進歩を加えたらばいかん、これと西洋説とを混合したらばいかん、二者 を折衷したらばいかん、かつその取捨によりてきたすところの利害得失はいかんなどと、精細︵こまか︶に調査 してのち始めてこれに対する向背を定むるを講学の順序ならんと信じます。今仮に東洋諸国はある零落したる旧 家の大尽とみて考えてよろしい。その家財道具を検するにすでに朽ちたるものもあり、まさに壊︵やぶ︶れんと するものもある中に、実に希有なる貴重の珍器奇宝もあるがごとく、東洋の諸国はいずれも数千年来の旧家のこ となれば、その中に西洋にて見ることも作ることもできない稀代の宝物の残りおるべきは疑いありませぬ。すな わち余はその宝物の一つは哲学であると考えます。世間の諺に﹁腐りても鯛﹂というがごとく、東洋の哲学は数 千年来打ち捨てて置いたゆえ腐りているとするも、鯛はやはり鯛であるから、腐りたる鰯や鯵とは天地の相違で 534
破唯物論 あります。しかるに俗論派は必ず西洋哲学も新奇に製造したるのでなく、ギリシアの古物が再び世に出で、これ に近世の実験学をもって金めっき銀めっきしたものなれば、とても東洋の及ぶところにあらずと申すかも知れま せぬ。なるほど余も西洋の近世哲学はギリシア哲学を再興してこれにいろいろの模様を付けたるものに過ぎぬこ とは、百も承知しておりますが、今日となりてはたびたび学者が出て、同じものを繰り返して、煎じつめ煮つめ た跡であるから、いかに土佐鰹節の上等でも、この上うまい味の出る気遣いはありませぬ。これに反して東洋の 哲学はいまだ一回︵ひとたび︶も煮出さざる鰹節のようなものであるから、今より研究をその上に施さば、西洋 未発の新趣味をあらわすことは余の保証するところであります。諸君よくその点を考えてみらるるがよろしい。 そもそも我人の講学上の目的は古今東西の別なく、広く宇宙の真理を探究するにあることはもちろんなれども、 すでに西洋東洋と相分かれておる以上は、西洋人がその国固有の学問に重きを置くがごとく、われわれは東洋固 有の学問に重きを置くが、いわゆる平等中に差別あるところであります。それ故にわれわれの西洋学を修むるの 本意は、永く彼の奴隷となりてちょうちん持ちや太鼓持ちをするのではなく、早く彼を学び得てわが不足を補い、 もってわが学問の独立をはかるにあることは申すまでもありませぬ。なおこの方針につき世間の注意を願いたき 一条は、余輩はしきりに東洋主義を唱うるも、決して昔日の撰夷家のごとく、ただみだりに排西洋主義を唱うる ものではなく、超西洋主義をとりて従西洋主義を退くるものであります。超西洋主義とは西洋の学問はわが養料 すなわち食物としてこれをとり、もってわが学問を育成して彼の上に超出せしむるか、もしくは東西両洋を折衷 調合して、別に一機軸を出し、もって一種の新哲学を構造するをいい、従西洋主義とは一から十まで良いも悪い 35 5 もその弁別なく、あざや黒子︵ほくろ︶に至るまで、西洋くらい美しきものなしと偏信し、唯物論は西洋にあり
て東洋になき説なれば、これに超えたる真理なしと速断するがごとき、西洋崇拝家が一般にとるところの主義を いうのであります。もしこの二主義の中で従主義はやすく、超主義は難く、人真似するはやすく、新工夫するは 難いからして、俗論者があるいは今日のわが国を見て人真似時代にして新工夫時代にあらずと申さば、いたし方 がありませぬけれど、すでに三〇年間も西洋の真似ばかりしてきたりしことなれば、モウそろそろ新工夫を始め てよろしいと考えます。それをするには今から断然、従主義を廃して、超主義をとる決心を蓄えておかなければ なりませぬ。ずいぶん有形上のことにはだんだん新工夫の出るを見るも、学問上にありてはみな西洋の寒天版が 多くて困ります。ここに寒天版と申すは、西洋の真似をしてそのとおりに複写しようと思うも、手際の悪いため にうまく写りませぬは、あたかも寒天版で字を写すようなものであるというたとえであります。余が平常、人に 向かって話すことであるが、せめてわが学問が人力や牛鍋や氷水のようにできておるとよろしいけれども、それ までに参らぬは、残念であると思います。そのわけは人力は西洋の馬車の考えを一転してきたり、日本の現状に 適合するように工夫したものであり、牛鍋は西洋の牛肉調理法を一変して、わが一般の社会に適するように考え たものであり、氷水もこれと同様にて、この三種は明治の三大発明と申しても苦しくありませぬ。今わが学問も せめてその原料を西洋より持ちきたるにもせよ、これをわが社会に適合するように変化させて日本新発明として 恥ずかしくないようにしたいと思います。なおその上に西洋の原料を仰がずして、東洋独立の学問がみごとにで き上がるようになれば、最上至極であります。余輩は及ばずながらその目的をとりています。ところがとかく俗 論派の主義が超西洋主義に出でずして、従西洋主義のようにみゆるから、そのことを学問上における誤解の一と してここに述べたる次第であります。 536
破唯物論
第三回 学問論二
つぎに俗論派が東洋学なかんずく神儒仏三道に対する観察批評は、現時の状況︵ありさま︶すなわち三道の積 弊をみて、わが国の文明をして進歩することを得ざらしめたるの罪は、全くこの三道にありと憶定し、今後わが 国勢をして西洋と同等の地位に至らしむるには、儒教や仏教を廃して、これに代うるに西洋の学術宗教、いな唯 物論をもってせざるべからずと速断する点に帰するように考えます。これ実に妄評謬見のはなはだしきものにし て、儒教や仏教はこれを相手どりて冤罪を訴えなければなりませぬ。すなわちその論法は西洋諸国はいずれも富 強にして、東洋諸邦はみな貧弱なるより推演して、東洋に行わるるものはなにもかもその貧弱の原因であると妄 断せる誤解にして、日本人は米飯、味噌などを常食とするを見て、たちまちその体格の西洋人に及ばざる原因は、 全くこの常食の体育に害あるによると速断し、先年味噌、豆腐の排斥論大いに行われたると同一の論法でありま す。かくのごとき論法は病犬論法と名付けまして、病犬はだれにても己の触るるものあれば、これにかみつくを 性とするがごとく、東洋にありふれたるものはなににても、みな有害無功とみなして、これに傷を付けんとする ものなれば、すなわちいわゆるかみつき主義であります。ナント諸君かかる病犬が世の中に流行しておりては困 ることではありませぬか。よく気をつけてけがをせぬようにするが肝要であります。かくのごとき謬見は畢寛す るに、表面を見て裏面を見ざる皮相の見解より起こるに相違ありませぬ。今これを西洋の上に考うるに、彼の中 古の暗世時代はその文明果たしてわれより栄えしか、彼の五〇〇年]80ギリシア文学のいまだ再興せざる当時と、 37 5 わが五〇〇年前とを比較し、彼の三〇〇年前ベーコン、デカルト等のいまだ世に出でざる当時と、わが三〇〇年前とを比較して、彼果たしてわれより盛んなりしか、また今日にありてもギリシアのごときスペインのごとき国 勢の振るわざるものあるはいかん、今日のギリシアと今日の日本とはその国勢その文明いずれが優れるや、いか に西洋崇拝の俗論者も、ギリシアをもって日本の上に置くことははばかるに相違ない。これらの点を比較して考 えてみれば、東洋の学術宗教が果たして日本を貧弱に陥れたる原因となすは、はなはだしき誕罪であるというこ とは余が弁明を待たざるも、諸君においてはすでに分かったでありましょう。 かく申す余輩もやはり今日の神儒仏三道が、このままこのなりで東洋の文明を維持し西洋と競争することはは なはだ困難であると信じています。またその社会には今日なおいろいろの弊害がありて、文明の進歩を妨ぐる恐 れあることも承知しています。しかし弊害は矯正することができるものなれば、今より一大改良を行うようにす るがよろしい。ただ根本の教理に至りてはみだりに改変することはできぬというも、余の説にては神儒仏三道が 世間を利すると利せざるとは根本の教理いかんにあらずして、応用、活用の点にあると考えます。たとえば俗論 派のいうがごとく、仏教は厭世教なれば今日の競争社会に用うべからずとなすがごときは、仏教の一面を見て他 面を知らざる妄評に過ぎませぬ。今、世間話を引きて申さば、摂州有馬に鳥地獄と名付くる炭酸水の湧き出つる 泉がありますが、鳥がその気に触るれば下へ落つるより、従前はこれを毒水とみなしだれも飲む人なかりし由な るが、近来︵ちかごろ︶試験の結果、炭酸水なることを知りてより、人争うてこれを服するようになりました。 そのとおり仏教は有害と思うのは、いまだこれを試験せずしてその活用法を知らざるからであります。西洋のヤ ソ教も中古までは厭世風を帯びていましたが、ルターひとたび出でて一大改良をその上に行って以来、にわかに 変じて楽世教となりました。これと同じく仏教の上にも一大改良を施さば、厭世を変じて楽世となすことはたや 538
破唯物論 すくできます。その実、楽世教どころか富国教にも強兵教にも自在に応用することができるに相違ない。人間の 廃泄物ですらも田畑の肥料となりて、米穀や野菜のごとき人生に最も必須の食物を造り出す一事に比して考えて も、応用のいかんによりてはいかなる有益の結果を産み出すこともできる道理であります。しかるに今日の仏教 をみて厭世教なれば役に立たぬとして廃するは、あまり無理なる賞罰ではありませぬか。もし己の子に生来病眼 もしくは近眼のものありとせんか、この者の眼力が人並みでないから役に立たぬとして捨つべきではありますま い。もしこれを名医の手にかけなば全治するかも知れず、たとえ全治せざるも、これに適当せる眼鏡を与えなば 人並みの仕事はできるに相違なく、都合によりては人並みに優れたる働きができるかも知れませぬ。故に仏教の 弊害も療治の仕方によりては国家を富強にするのみならず、世界を併呑するくらいの働きをあらわすかも知れま せぬ。まずこれを一変して楽世教となすことのできる証拠は、その経文に娑婆即寂光ということがありますが、 これは天堂はこの世界のことであるという意味にして、日本ならば日本すなわち天堂なりとの経意であります。 この意を敷祈すれば立派に楽世教ができるに相違なけれども、今日までは社会の事情が厭世の方へ傾いていまし たから、だれも楽世の方へ振り向けようとしたりし改革者もありませぬ。しかしインドの仏教と日本の仏教なか んずく真宗、日蓮宗などとはその間に大いなる相違ありて、日本仏教の方は厭世よりは楽世の方に傾いています。 もし今日、親鷺や日蓮のごとき豪傑が再び世に出でて改良を加えたならば、みごとに楽世教、富国教ができるに 相違ありませぬ。また俗論者が、厭世の名前を聞いたばかりでただちにはねつけますけれども、余の考えにては 世の中は厭世でなければ決して進歩するものでないと信じております。厭世の観念は必ず世間のことに不平があ 39 りて、思うように運ばぬから起こりますが、この不平不満足が世を進むるの原動力となりて、今日の文明もでき 5
たに相違ありませぬ。貧乏人は貧乏をいとうから憤発勉強して金持ちになるがごとく、わが国人も今日の国勢の 貧弱をいとうて、始めて愛国心も起こるのであります。もしこれに反して金持ちの子供が財産に安んじて道楽に なるがごとく、始終楽世主義にて満足ばかりしていては、決して国も家も盛んになるはずはありませぬ。故に厭 世の観念はかえって憤発の刺激となるものであります。仏教にて末代悪世と呼び悪人と呼ぶは、今日の人に精進 勉強せしむる奨励のかけ声であります。また女人を斥して五障三従の悪人と叱するも、同じく女人をにくむの意 にあらずして、愛するの極ここに至るわけであります。あたかも親が他人の子はその功を挙げてこれを誉め、己 の子はその非を挙げてこれを責むるは、真に己の子をにくむにあらずして、愛するの極ここに至ると同様であり て、これらはみな消極的奨励法であります。故に仏教の厭世もこれを消極的奨励法とし、これに加うるに娑婆即 寂光の積極的奨励法をもってせば、仏教の力よく世界を震動するに至ること決してできぬと断言したものではあ りませぬ。これ古語のいわゆるあたわざるにあらず、なさざるの罪であります。諸君よ、われわれ日本人は決し て永く西洋人の髭塵を払い、垂誕をすするが目的でなく、この国に固有せる学術宗教を改良して、これを世界に 活用するこそ、余輩の本務であると考えます。たとえば農工が自国の物産を改良して、なるべく輸入品を防ぐを もって、愛国の本分となすも、有形と無形との差はあれ、その実は同じことであります。 神儒仏三道中仏教が最も多く、わが民間に勢力を有ししたがってその弊害もすくなからざれば、俗論派の砲撃 もっぱら仏教軍の方に集まり、この要塞だけ抜きとらば全勝の功を収むべしと心得、その攻撃最も急なる故、余 は第一着に仏教の弁護をいたしましたが、そのつぎに俗軍の衝路に当たる要塞は儒教でありますから、漢学者に 代わりてその方の弁護の労をとらなければなりませぬ。俗論者中に漢方医の益なきをみて、漢学、儒教の無用を 540
破唯物論 喋々するものあれども、これ大なる方角違いにして砂視的論法であります。漢学と漢医とを同一視するは、石垣 と串柿とを同一視するがごとく、その間になんたる関係もありませぬ。もしシナ固有のものはなにもかもみな廃 物同様というならば、シナ画も漢方医と同様なれば全廃すべし、シナ字も漢方医と同様なれば全廃すべしと叫ぶ がよろしい。だれもこれを聞きてもっとも千万と申すものはありますまい。あるいは俗論派中には孔子の語中に ﹁富貴われにおいて浮雲のごとし﹂とあるを見、孟子の論中に﹁なんぞ必ず利をいわん、また仁義あるのみ﹂と 述ぶるを見て、かかる排金宗は今日の国家に大害ありと速断するものもありますが、これ孔孟二子が時弊を矯正 するために説かれたる本意を知らざる愚評に過ぎませぬ。今ここに暴飲過食して胃腸を傷めたる病人あらんに、 医師これを診察して当分食事は毎回粥一杯より多かるべからずと申したとて、医師に対して一個の男子たるもの が、三度の食事に粥一杯ばかり用いて決して働けるものではないというたら、実に無理の責め方ではありますま いか。世間はいつも病人と同じ有様にて、聖人賢人は医者のようなものである故、その教えは必ず時弊に応じて 説いたものである。よりて顔回が貧乏の廉にて孔子にほめられたとて、今日のわれわれが顔回のまねして随巷一 生を望むには及びませぬ。なにぶん孔孟の学問も、数千年間ほとんどなんらの発達なしに今日に伝わりきたりし 故、大いに遅れをとるようになりましたけれども、今よりこれに西洋学の肥料を与えて養成に力を尽くさば、堂々 たる一家の新学派を組織することができるに相違ない。西洋今日の学問は近世新しく起こったようにみゆるけれ ども、その源はギリシアより発し、近世の先天派の倫理は二千余年以前のストア学派より漸々発達してきたこと は、だれも承知しています。しかしてストア学派の倫理と孔子の倫理とは誠によく似ていることも、哲学者の一 皿 般に申すところであります。故に今日、孔孟もしくは老荘の倫理に西洋倫理を調合したならば、一種新奇の倫理
ができるに相違ない。今日の儒者が飯食い字引同様にて役に立たぬとても、孔孟道徳の根本が腐りているのでは ありませぬ。易や﹃中庸﹄などはすこぶる高尚深遠の哲理を含んでおることは、西洋学者も感心しています。老 子や荘子も、かの学者の愛読するところであります。ナント諸君、儒教の胃袋の中へせいぜいたくさん西洋実験 学の食物を入れて消化︵こなれ︶させてみたいものではありませぬか。俗論派の見識のここに及ばざるは実に欄 然の次第でありますから、余輩はこの連中に気︹の︺毒千万の四字を献上いたしましょう。 俗論派では神道のことは儒仏二道のごとく、あまりかれこれとくちばしをさしはさみませぬはいかんと案ずる に、これは始めより神道などは学問として論ずるに足らぬと見下げているからであります。よりて神道のために も一言弁護の労をとらなければなりませぬ。余輩の意見では、神道にも西洋の学問の滋養を与えて世界の舞台に 持ち出し立派な宗教を作りてみたいものと思います。ユダヤの創世史の半文の価値なきものすら、モーゼとかキ リストとか使徒とかいう働きものが出たために、世界を動かすような宗教になりました。これに比例してみれば、 わが国の神代史は決してユダヤの創世史に優るとも劣りはしませぬから、これを発達伸長すれば、また必ず世界 の宗教となりて五大州に行わるることもできます。もし今日平田の大人︵うじ︶のごとき人物が出たなら、きっ とそれくらいの働きはいたすに相違ないけれども、いかんせん俗論派の自卑尊他の主義が社会に勢力を有するた めに、神道などは度外視されているのははなはだ残念の次第であります。
第四回 学問論三
さて前回において神儒仏三道は決して東洋の陳腐説として廃物視すべきものでなく、今よりその弊害はこれを 542破唯物論 除き、その教体はこれを存し、西洋の哲学、理学はこれを培養する肥料として用い、もって東洋の思想を発揮し、 日本の国光を顕揚しなければならぬことを一とおり述べましたが、諸君も必ず了解せられたであろうと考えます。 これより神儒仏三道を合してこれを東洋学を代表するものとして、その功績とその特色とを論ずるつもりであり ます。神儒仏三道が、積年繁昌の余弊として多少の妨害を社会の進歩に与えたとするも、その功績に至りては実 に偉大にして、永く記念せざるべからざるものあることは明らかであります。今そのいちいちを列挙するいとま なけれども、二六〇〇年間の歴史上国民の教育道徳を維持し、国家の独立を全うして今日に至れる功績は覆うべ からざる事実であります。言葉を換えて申さば、一系連綿の下にこの国体を保護しきたりたる一事は、千古朽ち ざる功労と称さなければなりませぬ。その他、文学、技芸、美術より通商、開墾等に至るまで、この三道の力あ ずかりて多きにおるは、また事実に徴して疑いなき功績であります。かかる恩恵に対してその道の拡張を図るは、 ひとりこの道に報ゆるのみならず、祖先に対し国家に対し尽くすべき義務であると信じます。しかしてその義務 として尽くす方法は、この三道を再興して世界にその光を発揚するより外になかるべしと考えます。今日西洋に ありてプラトンの説が再興してドイツ哲学の源泉︵みなもと︶となり、アリストテレスの学が再興してイギリス 哲学の濫膓となりたるがごとく、神儒仏三道が再興して東洋の新哲学いな日本哲学の根基を開き、ドイツ哲学、 イギリス哲学と対立して、鼎足の勢いをもって世界の舞台にあらわれ出でんこと、これ余輩の切望するところで あります。もし果たしてこの目的をして達せしむるを得ば、日本の名誉たることは申すまでもありませぬ。もし これに反し俗論派のいうがごとく、われわれはこの三道を全廃して顧みざる間に、これを再興しこれを統合する 認 の功を西洋人に収めらるるに至らば、われわれの恥辱ではありますまいか。俗論派のごとく西洋哲学の仲買いや
受け売りや取り次ぎをなすも、なんらの名誉がありましょうか。ドウゾ早く西洋哲学の千金丹売りは、やめても らいたいものであります。諸君よ、諸君は今より資本を積んで日本哲学の製造元になるように願います。 つぎに東洋学の特色を述ぶるに当たり、最初話しましたる俗論派が西洋学に対する誤解の続きを申さなければ なりませぬ。西洋学の長所は理化学のごとき有形の実験学上にありて存し、われわれの学ぶべき点もこの実験学 であります。しかるに西洋ではその実験の主義が哲学の範囲内に推し移りて倫理学、宗教学までも物理、化学な どと同じ方法をもって研究するようになりましたが、かかる無形の学問にはその方法の適用できる限界がありて、 その限界を超えて進むことはできませぬ。この点は純正哲学の力をかりて補わなければならぬのに、実験主義の 連中は痩せ我慢を起こして、純正哲学の世話にならずに独力で一切の仕事をなそうと思うから、不都合千万の始 末をきたします。しかるに己の不始末は自身に見えぬから、大いばりをきめ込み、かまきりの鎌を振り立てて、 純正哲学を追い払わんとしております。誠に笑うべきの限りではありませぬか。ここに近眼をもって名高き俗論 派は目の前の汽船、電信、電話などが実験学の結果なるをみて、なにもかも実験実験と騒ぎ立ててかまきりの仲 間入りをしたとは、あきれた話であります。さて実験哲学の不結果はいろいろありますが、その中に実験主義を もって倫理、道徳を立てようとしたことと、実験学をもって純正哲学および宗教に代用せんとしたことの二つが 主なる点であります。しかしこれらのことはのちに述ぶるつもりでありますから、ただここには東洋哲学の長所 だけを申しましょう。その長所の要点は左の三力条であります。 O 総合の観察に長ずること ⇔ 理想の趣味に富むこと 544
破唯物論 日 実際の応用を先とすること およそ学問の方法に分析と総合との二種ありて、理学もしくは実験学は分析法に基づき、哲学もしくは純正哲 学は総合法に基づくの傾向︵かたむき︶があります。しかるに東洋学は最初より総合の一方をとり、分析は更に なき有様なれば、自然の勢い総合の観察に長ずるようになりしに相違ありませぬ。しかしてその観察は直覚によ るものなれば、これを直覚の大観と申してよろしい。そもそも東洋の学問は主として世情人心を観察するにあり て、これに処する方法等を講ずる点は往々その妙を示せるは、全く直覚の大観すなわち総合の観察より得たる結 果であります。たとえば韓非子のごときは、別に実験学や心理学や社会学を知りたるものにあらざれども、世態 人情を観察せる点に至りては、実に今日の学者を驚かすほどであります。また﹃易経﹄のごときは、天地万象の 観察より世道人心に及ぼして説きたるところ、また実に感ずべき点が多い。仏教のごときも、端座沈思によりて 宇宙の大観を放ち、もって真理に直達せる結果を示したるものなるが、その経文幾万巻のおびただしきに至れる は、これまた驚くべきことでありませぬか。西洋美術と東洋美術との異なるも、要するに観察法の同じからざる によると考えます。通例西洋の研究法を客観法とすれば、東洋の研究法は主観法となるも、必ずしも主観ばかり にあらずして、客観上に総合的観察を下したるものであります。けだし西洋人はその思想、精にして密、東洋人 は粗にして大なる風ありて、その結果、彼は分析法に適し、われは総合法に適するところあるように思います。 その証拠は東洋に古来総合的の学問ばかりありて、分析的の学問がない一例につきて知ることができます。もっ とも今日の東洋は一般に衰えておるから、西洋と比較することはむずかしいけれども、古代にさかのぼりてこれ 鵠 をみるに、ギリシアの文明とシナ春秋戦国の文明とは大抵年代を同じうするところなるが、双方の学問の性質は
大いに異なりております。しかしてギリシアの学問においては、帰納分析の方法いまだ盛んならざりしも、すで に大いにその傾きを有し、これに反してシナの方は、諸学がみな総合的性質を有しておりました。そのことは両 方の学問を比較してみればすぐに分かります。インドはその学風シナよりはいくぶんかギリシアに似ておるとこ ろあれども、実際はシナとギリシアとの中間に位しておる有様にて、ギリシアと大いにその性質を異にしておる ことは、これまた双方を比べ合わせてみればたやすく分かります。 つぎに東洋人なかんずくシナ人、日本人が理想の趣味に富み雅致風韻を愛することは、説明するまでもありま せぬ。あるいは雪見あるいは花見あるいは月見等、下等人民までこれを楽しみ、その直接に目に映じ耳に触るる ものの外に、理想上の別趣を味わいかつ楽しむはみな人の知るところであります。その一例は梅見である。四時 の花の中でわが目に触るる点では、梅は最も物さびしく、人の気を引くほどの物にあらざれども、日本にては諸 方に梅林を設けて梅樹を培養し、毎年二、三月の交︵ころ︶になれば、見物人四方より集まりて山をなし、イト にぎわしきことであります。東京だけにても向島の百花園、亀井戸の臥竜梅、木下︵きね︶川梅園、蒲田梅園を 始めとして遠くは杉田梅園のごときを数えきたらば、何カ所あるか知れませぬ。これらの梅園が花見の時節にな ればいずれもその群集一方︵ひとかた︶ならず、さほど文字を知らず学問もなき連中が、花下に鋸して一瓢を傾 け発句俳譜をつづりて枝に下げもって無上の悦楽となすがごときは、西洋人に到底解すべからざる一種の風味で あります。この風味たるや決して感覚上の楽にあらずして、感覚以上の理想的快楽なることは疑いありませぬ。 東洋美術の特色も全くここにあり、その哲学の高尚なるもまたこれによりて生ずと申してよろしい。なかんずく 老荘哲学、仏教哲学のごときは純然たる理想哲学と名付くべきものであります。 546
破唯物論 つぎに実際の応用を主とする点は、かかる高尚の学なるにかかわらず、必ず実践躬行を目的とする風あるをみ て明らかであります。たとえばインド哲学は仏教もヴェーダ教もその哲理をすぐに宗教に応用して、安心立命の 法を講じ、シナ哲学は儒教も道教もその哲理をすぐに道徳に応用して、修身斉家の道を講ずるがごときは、みな 人の知るところであります。その他、神儒仏三道の目的は人の知識を進むるというより、むしろ人の心胆を強く する方に傾きておるのも、やはり実用を先とするからであると考えます。それ故にわれわれ東洋人は器械工芸を 始め、有形学あるいは実験学においては、西洋に譲らざるを得ざれども、文学、哲学、美術、道徳、宗教に至り ては、更に彼に譲るべき道理なく、、むしろわれはわが特色をもって誇りてよろしい。たとえ彼に軍艦や兵糧が多 くあるからというても、なんぞ殊更にわれに有るものを捨てて、彼を仰ぐの必要はありましょうか。われよりあ まり卑劣に出掛けると、かえって彼に軽蔑せられますから、俗論派の人々もよくその辺に注意ありたいものであ ります。
第五回 国民論一
さて俗論派が学問に対する誤解は大略︵ほぼ︶述べたから、これより国民の上に及ぼせる影響を述べましょう。 およそ唯物論に通俗的と学科的との二とおりありて、通俗的唯物論は古来わが国の学者の一部分と俗人との問に 行われ、学科的唯物論は近年西洋より伝来したるものであります。しかして俗論派の唱うるところの唯物論は西 洋伝来の学科的唯物論にして、その影響はわが従来の通俗的唯物論の上に及ぼすは、必然の勢いであろうと思い 47 5 ます。今この二種の唯物論の異同を述ぶるに、学科的唯物論は理化学、動植物学、生理学等の実験に基づき、人の精神は神経組織の物理作用より起こり、物質の外に精神なしとの論にして、すなわち唯物無心論であります。 48 これに反して通俗的唯物論は別に学術の道理に照らすにあらず、ただ通俗の見解によりて人の死後には霊魂もな 5 ければ未来もなく、その死するや煙の散ずるがごとく火の滅するがごとしと唱え、主に宗教の霊魂説に反対して 起こりし論でありますが、その説は一方にては従来の漢学者の一部分これを唱えて神道および仏教に反対し、一 方にては無学の俗人これを唱えて宗教を無用とするの口実にいたしました。その中にて漢学者の方は未来世界の 賞罰を説かぬまでにて現世の道徳に至りてはほとんど専門にこれを講ぜしも、俗人の方は未来の賞罰なきを口実 として﹁飲めや歌えや一寸先は闇だ﹂と唱え、己が酒色の欲をたくましうし、もって世の道徳品行を蔑視するに 至りました。それ故、学者の方は別に世を害する恐れはあらざりしも、俗人の方は大いに道徳を乱るようになり ました。しかしてその説の火元は学者の方より起こり、仏教家が喋々せる天堂地獄説に反対せんとするより出で たるに相違ない。しかるを俗人の方では平素︵つねつね︶道徳などは大嫌いのところ、未来の賞罰が恐いばかり で、嫌ながら道徳の装いをいたしておりましたが、学者の説に地獄も極楽もなしというを聞きて大いに安心し、 人間は政府の法律に触れなければ、いかなることをなしても勝手であると心得、大いに世の道徳を乱るの結果を きたしました。さりながら漢学者の説も仏者に反対したまでで、別に実験も証拠もない空想憶断であるから、俗 人はこれを信じながら折々は未来がありそうに思うて、なんとなく気味が悪いように考え、さほど思いきりて不 道徳を行い得るものもなかりしは幸いでありました。しかるに今度舶来の唯物論はいろいろの証拠や実験を並べ 立てて説くばかりでなく、西洋より新たに仕入れたる無類飛び切り上等の看板を掲げ、天晴︵あっぱれ︶近代の 新発明などと吹き立つるから、ただでさえも西洋と聞けばありがたがる今日の俗人社会が、ひとたびこの広告を
破唯物論 見たならば、開いた口に牡丹餅が落ちてきたように感じ、躍り上がりて駆け出すに相違ない。これらの愚人は道 理や理屈は分からずして、ただ朝夕己の欲をたくましうすることのみを願いおるところへ、かの唯物論にて霊魂 がない未来がないのみならず、人間の道徳は天然に備わっておるものでなく、便利上できたもので善悪などは世 と共にいろいろに変わるものである、元来善と申しても自利より起こり、一切の道徳は自利を離れてあるはずは ないなどと述べ立てたなら、俗人社会はかねて待ち構えていたところであると申して、非常に歓迎するに相違な いと同時に、わが社会の徳義はにわかに破壊をきたして、取りまとめることのできないようになるは必然であり ます。実に恐るべき病毒をまき散らしたと申してよろしい。それ故に今度の唯物論の害は、昔日︵むかし︶の唯 物論の害より百倍も千倍もはなはだしいことは、心あるものの決して疑わざるところであります。さきに明治の 初年にありて自由民権説が入りきたり、人間は自主自由のものである、自由は天賦である等と唱えたために、世 間大いに誤解して自由とはわがまま勝手のことであるように考え、一時人倫の破壊をきたさんとせしこともあり ましたが、幸いにその内に自由の本義も分かるようになりて、ただ今ではその方の恐れは全くありませぬが、今 度の唯物論一条はコレラ病や赤痢よりは、一層はなはだしき害毒を社会に流すであろうと信じます。今つらつら わが社会の現状をみるに、学者と金持ちは上流社会に位せる者と定め、学者は金を持たず、金持ちは学問を知ら ず、故に表面は学者と金持ちにして、裏面は貧乏と無学との集まりであります。そこで金持ちの方は自利一方の 欲張り主義で、己に利のあることなら、義理や面目を欠きても構わぬくらいに思うておるものが多い。かくして 積み立てたる金は、社会のためとか慈善のために費やすならよろしいが、己の酒色の欲に費やし、なお余りあれ 珊 ば、盆栽や骨董や書画ならまだよけれども、妾宅の新築装飾にばくだいの金を費やし、人に対しては傲然として
その美を誇るのみにて、隣家︵となり︶に貧民の飢渇に迫るものあるも、これをみること犬猫のごとくすこしも 50 同憐の感さえも起こさざる有様であります。かかる金持ちはいかに表面は紳士を装うても、内実は禽獣の戸籍に 5 身を置くものと申さなければなりませぬ。すでに社会の上流にかかる体欲連、情欲連がおりて、ひとたび不道徳 の手本を出せば、中等以下もみなこれをならい、身分相応いな不相応の不道徳、不品行を犯し、人生の目的はこ の外になきように考え、上下一般に自利体欲の奴隷とならんとする状態︵ありさま︶であります。世に自利ある を知りて利他を知らず、己ひとり財産を積みて酒食の欲をたくましうし、更に社会を益し国家を利することを知 らざるの徒をいも虫連と名づけます。なぜなればいも虫は己ひとりコロコロ太りておるのみにて、なんらの用を もなさざるものなれば、今日の金持ちとやや似ておるからであります。ああ日本の畑はなんぞいも虫のおびただ しきや、実に嘆息の至りではありませぬか。現今わが社会の事情かくのごときところへ、わが国の大先輩、中先 輩、小先輩の方々がおいおい西洋の唯物店を開きて、自利の外に真理はないという主義で、現金かけなおしなし の商法をいたさるるから、いも虫連は大いに喜びて蟻のごとくその店頭︵みせさき︶に集まるに相違ない。もっ とも先輩方の望みは、ドウカして自利山唯物寺が一力寺立ちさえすれば、それで大願成就のつもりでありましょ うけれども、その今日の勢い自利山唯物寺はたちまち変じて拝金山体欲寺や、いも虫山コロコロ寺となりて、日 本全国至る所にできるようになるは疑いありませぬ。果たしてしからば、わが国の道徳はこれよりようやく大い に敗頽して、その影響を国体の上に及ぼすは必然の勢いであろう、と考えます。畢寛この禍源は、先輩の唯物論 者すなわち学者中の俗論家の開くところなれば、憂国の男児は鼓を鳴らしてこれを攻めてよろしい。これが余が 俗論征伐に着手したる次第であります。余がかく申したならば俗論派は必ずいいましょう、西洋には唯物論あれ