「造形遊び」における子どもの探究
「造形遊び」に関する現象学的考察
村 田 透
*Exploratory Behavior in Children s Artistic Play
Phenomenological Consideration about the Artistic Play
Toru MURATA
キーワード:造形遊び、探究、意味生成、現象学 1.はじめに 本研究の目的は、図画工作科「造形遊び」に おける子どもの論理(見方・考え方)に基づく 探究(身の周りの環境に関わりながら意味や価 値をつくりだし、理解や納得に至る)の仕方を 明らかにすることである。 村田(2018,2019)は上記の研究目的に基づ き、西野範夫(1997)の<意味>生成としして の「造形遊び」、松本健義(2009)の「出来事生 成としての学び」、佐伯胖(2004)の「課題探 究の多重構造」の諸理論を援用して小学生対象 の「造形遊び」を分析・考察し、以下 4 点を明 らかにした1) 。1 つ目は、「造形遊び」において子 どもは身の周りの環境(もの、こと、人)と相 互作用して、3 つの世界(文化的世界、社会的 世界、経験・活動的世界)の<意味>を相互に 生成する。2 つ目は、子どもの表現は多様な特 徴(「材料遊び」、「操作遊び」、「構成遊び」な ど)がある<いま―ここ>2) で成り立つ。3 つ目 は、子どもは身の周りの環境(もの、こと、人) と関わり、多様な<意味>をつくりながら、そ れまでの経験や学びを基にして多様な<意味> 群を「自己、視点」、「方略選択」、「課題解決」、 「展開」という多重構造的なものとして位置づ * 滋賀大学 け、<意味・問題>を創出し、<意味・価値> を吟味する探究を行い、理解や納得に至る。4 つ 目は、子ども個々の探究による理解や納得と子 ども達がその場に固有の文化的価値を受容・創 出することは、表裏一体となっている。つまり 子どもは個々に<意味>をつくりつつ、お互い の<意味>を取り込んだり、自他の<意味>を 関係付けたりして、その場に固有の文化的価値 をつくると共に、個々の<意味・問題>や<意 味・価値>を創出して、理解や納得に至る。 ただし、これまでの研究において、分析・考 察が途上の点がある。それは、「課題探究の多重 構造」(第 3 章、図 1)から導き出した結論 3・ 4 についてである。「造形遊び」における子ども の<いま―ここ>の在りようは、この理論の原 理的な在りよう(様々な層での内的問いかけが レベルⅣからⅠへと順調に問われ答えられると いう一方向の進行)ではなく、「つくり、つくり かえ、つくる」という流動的で算定不能な在り ようである。「課題探究の多重構造」によって、 子どもの論理に基づく探究の仕方が可視化でき ると同時に、この理論では説明しきれない「造 形遊び」の在りようが明らかとなった。 そのため本研究では「造形遊び」の概念的な 根拠である「遊び」について考察を行う。くわえ て、意味や価値をつくりだして理解や納得に至 る在りようについて考察を行う。研究方法として「造形遊び」の導入と位置づけに関わった西野の 論考、現象学的視点からの「遊び」と「企て」に 関する西村清和の理論、竹田青嗣の「<世界> と「身体 = 欲望相関性」の構造」の理論を採り 上げる。その上で、「造形遊び」における子ども の論理に基づく探究の仕方を明らかにする。 2.図画工作科「造形遊び」 2-1 図画工作科「造形遊び」の導入と変遷 図画工作科「造形遊び」は、昭和 52(1977) 年の学習指導要領改訂において、「造形的な遊 び」として低学年に導入された。さらに平成元 (1989)年の改訂では、「造形的な遊び」は「造 形遊び」として低・中学年に示され、平成 10 (1998)年の改訂では、全学年に示され現在に至 る(以降、「造形遊び」と統一して記す)。 平成 29(2017)年改訂の学習指導要領(以降、 新学習指導要領と記す)において「造形遊び」 とは、子どもが材料などに進んで働きかけ、自 分の感覚や行為を通して捉えた形や色などから イメージをもち、思いのままに発想や構想を繰 り返し、技能を働かせるという遊びがもつ教育 的な意義と能動的で創造的な性格に着目した造 形活動であり、資質・能力(「知識及び技能」、 「思考力、判断力、表現力等」、「学びに向かう 力、人間性等」)を育成する意図的な学習であ る。この「造形遊び」は、以下の「つくり、つ くりかえ、つくる」という特徴がある3) 。 児童は一度つくって満足することもある が、つくっている途中で考えが変わって、つ くりかえることもある。次々に試したり、前 につくったものと今つくりつつあるものの間 を行きつ戻りつしたり、再構成したり、思っ たとおりにいかないときは考えや方法を変え たりして、実現したい思いを大切にして活動 している。 2-2 「造形遊び」の導入の経緯 昭和 52(1977)年と平成元(1989)年の学習 指導要領改訂における図画工作科「造形遊び」 の導入と位置づけに直接的に関与した西野の論 考を採り上げる。 昭和 52 年の学習指導要領改訂のための具体 的な審議では、児童の造形活動や造形表現に本 来の生気等が見られなくなっている状況の指摘 があり、その要因として以下 3 点が採り上げら れた。第一に図画工作科の指導内容の過多の問 題である。昭和 43 年度改訂の学習指導要領で は、指導事項や児童に課せられる題材が多くな り、じっくりと造形活動に取り組めない状況に ある。第二に作品主義や指導過多の問題であ る。作品としての効果をめざすあまり、必要以 上の技法指導や児童の心情などを無視しがちな 指導等がなされている。第三に児童の造形活動 の発達段階の特性を無視した指導等が指摘され た。西野は、以上 3 点の要因は互いに関連して、 結局は児童主体の創造的造形活動が展開できる 教育的条件が保障されていなかったと述べる。 さらに、児童の造形活動や造形表現に本来の生 気等が見られる場合として以下 2 点が採り上げ られた。第一に児童の自由さや主体的な活動が 認められる割合の多い場合には絵や立体などに 限らず生気が見られるが、指導方法が形式的な いし画一化した場合にはその姿が失われる。第 二に各活動内容に自由性を強化した内容(粘土 遊び、材料遊びなど)、つまり遊び的なものを盛 り込んだ内容の場合に生気が見られる4) 。 西野は、上記で述べた当時の停滞している造 形教育の活性化を図るとともに、造形教育がね らう創造性豊かな人間形成の教育を確立するこ とを目的として、昭和 52 年の学習指導要領に <遊び>の持つ有効な教育機能に着目した「造 形遊び」を導入したと述べる5) 。くわえて、西野 は、造形教育の停滞の根底には西洋近代主義の 負の影響(過度な合理主義や効率主義、科学主 義、客観主義などを中心とする社会や文化の在 りよう)があると述べる6) 。 2-3 「造形遊び」の本質・意義 西野は、R・カイヨワ(Roger Caillois)、E・ フィンク(Eugen Fink)、M・J・エリス(Michael J. Ellis)などの諸理論を援用して「遊び」の本 質を以下に述べる7) 。 遊びは本来、個の内部から動機付けられた ものであり、従って主体的で能動的な有り様 のそれである。その主体的であることが主た
る要因となって、探索、調査、操作を創造的に 経験する人間形成上の価値ある過程である。 (略)また、遊びは自己保存的生存であり、そ の行為乃至状況に遊び性を持たせることは、 生気ある活動を展開させることになるといえ る。(略)遊びは本質的には創造的反応であり、 人間性として望ましい思考や行為に柔軟性を 発揮させることにつながるといえる。 さらに、西野は H・リード(Herbert Read) の「芸術による教育」の考えを採り上げる。H・ リードの命題は「芸術を教育の基礎とすべき」8) であり、教育の目的を以下に述べる9) 。 民主主義に関する自由主義的な概念の中 に暗示されています。すなわち、教育の目 的とは、個人の独自性と同時に、社会的な意 識あるいは個人の相互関係を発達させるこ と以外にはありえないのです。(略)教育と は、個別化の過程であるだけではなく、「統合 (integration)」の過程でもなければならない、 というものです。「統合」とは、個人の独自性 と、社会的な結合との調和です。 その上で H・リードは、教育とは成長を促す ことであり、芸術教育の重要性を述べる10) 。 教育とは表現の方法を養うこと、と定義す ることも可能でしょう。(略)思考、論理、記 憶、感受性、知性などのあらゆる能力が、そ のような過程には関係していますし、教育の あらゆる側面が、そのような過程に含まれて います。そして、それらの過程すべてが、芸 術を含んでいるのです。(略)教育の目的とは、 芸術家、すなわち、さまざまな方式による表 現に優れた人びとを創造することなのです。 H・リードは、人間の表現(芸術)行為には、 心理学的な精神活動の四類型(思考、感情、感 覚、直観)があり、子どもの遊び(自然で自発 的、それ自体が目的であり、子どもの自由な表 現のもっとも明確な形式)が四類型の心的機能 に対応する四つの方向へと調整され発達され得 るとする。四つの方向とは「感情」は演劇、「感 覚」は視覚的・造形的なデザイン、「直観」はダ ンスや音楽、「思考」は工芸であり、初等教育段 階において個別の教科の明確で人工的な枠組み をなくし、全体的な創作活動への統合として再 編成されることの必要性を述べる11) 。 西野は、先に述べた「遊び」の本質や H・リー ドの「芸術による教育」を採り上げながら「造 形遊び」の本質・意義を以下に述べる12) 。 第一に<造形的な遊び>を子供たち自身 が、創り出すことによってはじめてその意義 がある。(略)子供たちが、見る、触れる、感 じる、思考するといったことを主体的に経験 をし、発見、冒険、工夫等がふんだんに入り 込み、その展開は子供の主体性に委ねられる。 (略)第二、その指導は、子共自身が自ら造 形的な遊びを工夫したり、新しい活動の仕方 を創り出していけるかに向けられる必要があ る。(略)第三に、子供の主体性に委ねた造形活 動―遊び―をさせ、子供たちが創り出したそ の有り様とその創り出し方から、造形教育全 体の有り方を吟味する必要があり、そこにこ の教育の活性化の視点があるといえる。(略) 第四に、この教育が造形という具体的な操作 を伴う活動を通して行われる故に自然な状況 において可能であり、それは秘宝を安易に教 えず、創造的に生きる味と意味を獲得させる ことの可能な教育の方法であるといえる。 2-4 「造形遊び」と「新しい学力観」 「造形遊び」は昭和 52(1977)年改訂の学習 指導要領において、これまでの閉塞的な造形教 育からのパラダイムチェンジを目指して導入し たものである。さらに平成元(1989)年改訂の 学習指導要領においては「新しい学力観」が示 された。「新しい学力観」とは、これまでの教育 に陥りがちであった一定の共通的な知識や技能 を学力の中心とする学力観・指導観からの転換 であり、個性を生かす教育と基礎・基本の教育 とは一体のものである「個性と基礎・基本はと もに育つ」という学力観である。この学力観に 立つ図画工作科では、子どもたち一人一人が、 表現の喜びを深く味わうようにすることと造形 的な創造活動の基礎的な能力(造形への関心・
意欲・態度、発想や構想の能力、創造的な技能、 鑑賞の能力)を培うことを一体的なものとして 捉えることを目標としており、「造形遊び」を 「新しい学力観」に立つ図画工作科の中心的な 内容として位置付けた13) 。 西野は「新しい学力観」に立つ「造形遊び」 は、再現 = 表象としての作品づくりを目指すも のではないとともに、子どもたちによるとどま ることのない<意味>生成の活動として、「造形 遊び」の定義を以下に述べる14) 。 造形遊びをあえて定義するならば、子ども たちが、自分の可能性としての有能さ、例えば ものなどを感じ、関わり、そしてなにごとか を手がけ、そこにとりあえずの、あるイメー ジをつくりだすものを存在させ、それをテク ストとして関わり、さらに新たな意味を生産 ないし生成するテクスト的な意味空間におけ る限りない意味生成の活動のことである。 西野は、行動の内容の統制が子ども自身の 統制下にあるとき(つまり「造形遊び」におい て)、自由さや柔軟さなどの<遊び性>を発揮 しながら様々な材料・用具や場所などの自分を 取り巻く世界と関わり、世界を理解するととも に、世界に新しい意味をつくりだし<私>に出 会いながら、<私>の可能性を実現し、主体的 な<私>と出会うと述べる15) 。<私>とは、私の 可能性を実現した私、あるいは実現しつつある 私のこと、つまり、他のなにものかによってつ くられる私ではないという意味である16) (本稿 の事例分析・考察では<私(子ども)>がつく りだした可能性をもった幅や広がりのある意味 に相当する事柄を< >にて表記する)。 2-5 「造形遊び」と「生きる力」 平成 10(1998)年改訂の学習指導要領で示さ れた「生きる力」の理念は、「新しい学力観」に 立つ教育の一層の充実を期したものである。「生 きる力」が提唱されたのは、平成 8(1996)年 の中央教育審議会であり、当時の社会や学校教 育をとりまく課題を以下に述べている17) 。 今日の変化の激しい社会にあって、いわゆ る知識の陳腐化が早まり、学校時代に獲得し た知識を大事に保持していれば済むというこ とはもはや許されず、不断にリフレッシュす ることが求められるようになっている。(略) 加えて、将来予測がなかなか明確につかない、 先行き不透明な社会にあって、その時々の状 況を踏まえつつ、考えたり、判断する力が一 層重要となっている。 その上で、これからの子供たちに必要となる 資質や能力を「いかに社会が変化しようと、自 分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体 的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する 資質や能力」、「自らを律しつつ、他人とととも に協調し、他人を思いやる心や感動する心など の豊かな人間性」、「たくましく生きるための健 康や体力」として「生きる力」と称した。 西野は、「生きる力」が提唱された当時の社会 や学校教育をとりまく課題を踏まえ、以下の意 味において「造形遊び」はそのような教育の実 現のために大きな伴をにぎると述べる18) 。 対象などが、教師によって提示されたとし ても、子どもたちがそれを与えられたものと してではなく、自分から対象としてとらえる (する)時点の営みを子どもの側の働きからと らえるならば、それはとりも直さず子どもが 対象を「つくった」ことになるだろう。(略) このような対象などに対して、「私の疑問を つくり」、「私の問題や課題をつくり」、(略)、 「私の納得をつくり」、「私の知識をつくり」、 「私の解決をつくる」という「つくりだす」過 程こそ「私の問題解決をつくりだす」ことで あり、そのことによって「私の可能性を実現 し、私をつくる」ことになる。もちろん、こ のような営みは、友だちと関わり合いながら 展開され、やがて社会や文化を「つくりだす」 こととなる。 「生きる力」が提唱された当時の社会や学校 教育をとりまく課題は、新学習指導要領の改訂 の経緯にも通じる19) 。 今の子供たちやこれから誕生する子供た ちが、成人して社会で活躍する頃には、我が
国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想さ れる。(略)このような時代にあって、学校教 育には、子供たちが様々な変化に積極的に向 き合い、他者と協働して課題を解決していく ことや、様々な情報を見極め知識の概念的な 理解を実現し情報を再構成するなどして新た な価値につなげていくこと、複雑な状況変化 の中で目的を再構築することができるように することが求められている。 この現代の学校教育の課題に応じるために 必要となるのが「主体的・対話的で深い学び」 であり、その伴となるのが子どもが学習活動に おいて「見方・考え方」を働かせることである。 「見方・考え方」とは「どのような視点で物事を 捉え、どのような考え方で思考していくのか」20) であり、図画工作科における「造形的な見方・ 考え方」とは「感性や想像力を働かせ、対象や 事象を、形や色などの造形的な視点で捉え、自 分のイメージをもちながら意味や価値をつくり だすこと」である21) 。 3.「課題探究の多重構造」 「造形遊び」を子ども(<私>)が主体的に 「造形的な見方・考え方」を働かせて<意味>を 生成しながら、自らが問題や課題を発見し解決 をつくりだす活動とらえた場合、我が国の教育 の課題解決に欠くことのできない学習活動とい うことができる。ただし、「造形遊び」は、必ず しも作品が残るとは限らないため、教師には子 どもが<意味>を「つくり、つくりかえ、つく る」という学習過程の意味や価値を実感できる ようにすると共に、子どもの「造形的な見方・ 考え方」の理解が求められる。 そのため村田(2018,2019)は、「造形遊び」 における子どもの論理に基づく探究の仕方を明 らかにするために、西野の<意味>生成の理論 と佐伯の「課題探究の多重構造」を援用して、 「造形遊び」における子どもの探究を可視化す ることを試みた。 佐伯は「人は、生まれながらにして、わかろ うとしている」とした上で、「わかろうとする人 間」が、何らかの「課題解決」の作業の中で、 「信じる」とか「本源的疑問をもつ」ためには、 さまざまな層(レベル)での内的問いかけが、 次々と順調に問われ、答えられる必要があり「課 題探究の多重構造」(図 1)を提唱する22) 。 図 1 「課題探求の多重構造」23) 一般に、課題探究は四つのレベルで進行す る。表面的にはレベルⅡ「課題解決(Task)」が 進行しており、何が問題かは明確に規定され、 制約条件、解法の手続きが決まっている。あと は適切に、正しい手順に従って、解を生み出す 操作を実行するのみである。 レベルⅢ「方略選択(Meta-Cognition)」は、 レベルⅡの背後にあり、事態や文脈の中での当 面課題の位置づけ、役割、重要性や緊急性の考 慮や、得られた答えと当初の問題の「答え」と のつじつまを吟味するレベルである。 レベルⅣ「自己、視点(Belief)」は、「どうし て 自分 はいまこの問題を考えなければなら ないのか」、「自分にとって、何が本当に重要な 課題なのか」、自分の役割や立場、過去の経験や 学びとの関連などを考えるレベルである。 最上位のレベルⅠ「展開(Signifi cance)」は、 他の問題(これから直面するであろう新しい問
い)との関連、よりよい解き方、答えのもつ意 味や意義、どういうことに使えそうかなどを考 えるレベルである。 佐伯は、学校教育の問題として、授業などに てレベルⅡ「課題解決(Task)」だけが採り上 げられることにより、子どもたちはレベルⅠ、 Ⅲ、Ⅳでの吟味を次第にしなくなり、知識を実 感と切り離された、人工の出来事としてとなら えるようになっていくと指摘する24) 。 その上で佐伯は、学校教育において「信念を 育てる教育(「価値観のおしつけ」ではなく「価 値吟味の育成」)」の重要性を述べる。そのため、 第一に「本源的疑問を生み出せる場」を教室に とりもどすことが必要である。「本源的疑問(問 い)」とは、実生活で活躍している人たちの知識 や技能と、学校で教えられる知識や技能との連 続性、また学校で教えられる知識や技能を導入 したり展開したりするとき、それらの知識や技 能がどのような場面で生かしうるかなど、知る ことの意義や役割を問うことである。第二に課 題をつねに多重構造的なものとして扱うことが 必要である。それは子どもたちが目の前の課題 解決(レベルⅡ)に終始することなく、レベル Ⅰ、Ⅲ、Ⅳを話題にして、問題における立場や 視点を明らかにし、立場や視点が変われば「問 題」そのものも変わることに子どもが気付くこ と、知ることの意義を求めることである25) 。 4.「造形遊び」の分析・考察 4-1 研究の手続き 本章では、村田(2019)による「課題探究の 多重構造」を援用した「造形遊び」の分析・考 察を採り上げる。「造形遊び」の授業は、研究 協力者(滋賀大学教育学部附属小学校の教師) が行う。授業記録は、研究スタッフ(筆者、学 生 3 名)がビデオやカメラを用いて行う。研究 スタッフは「発達心理学的還元」26) と「臨床的還 元」27) をしながら、活動の場の「関与観察」28) を 行う。授業後、研究スタッフと教師が子どもの 行為を振り返り、エピソード記述29) を作成する。 さらにエピソード記述の精度を担保するために ビデオ映像を基に相互行為分析30) を行う。 4-2 事例の概要 ・ 対象:滋賀大学教育学部附属小学校第 6 学年 ・ 題材名:「紙コップをならべて、つんで、〇〇 〇して」 ・ 目標: 知識・技能 紙コップや空間の特徴 (形、色、 数量、面積など)に気付き、いろいろな方法 (並べ方、積み方など)を工夫している。 思考力、判断力、表現力等 自 分 の 思 い や 問い(大きさ、頑丈さ、美しさなど)をもっ て、形の構造や構成を考えている。 学びに向かう力 紙 コ ッ プ や 空 間 の 特 徴 に 気付き、自分の思いをもって造形的な活動に 取り組もうとしている。 ・ 材料:紙コップ(白色無地、150ml、約 15,000 個)、ワークシート。 ・ 指導計画(全 3 時間):第 1 次(2019 年 6 月 14 日)、第 2 次(6 月 21 日)、第 3 次(6 月 28 日)。 4-3 事例(第 2 次)の分析・考察 本事例は、B 児を中心とした事例である。全 3 回を通して、B 児は一人で「造形遊び」を行 うが、友人(A、C 児)の造形行為・造形物を 見聞き可能な位置関係にいる。本稿では紙面の 都合上、第 2 次を採り上げる。 4-3-1 B 児のエピソード(第 2 次) B 児は、開始早々、材料ケースからコップの 束を持ってきては繋ぎ続けて、第 1 次のように ホース状にして、蛇のようにうねらせる。時折、 B 児は A 児の造形物(正方形にコップを並べる) や C 児たちの造形物(円錐状にコップを積む) を見たりする(経過 06:36 ∼ 11:33、図 2)。 B 児は、第 1 次のようにホース状のものの長 さを自分の身長を基に測り、「まえ(第 1 次)7 倍あったけど(.)いま 3 倍しかない。」と研究ス タッフ M(村田)に言う。B 児はホース状のも のを長くしたいものの、余分なコップが無いた め手持無沙汰となる(経過 11:56 ∼ 14:24)。 教師が補充用のコップが入った材料ケース を持ってくると、B 児は即座にコップの束を 取ってホース状のものに継ぎ足し続ける。ホー ス状のものはホールの窓側から中央に広がる大 きな U 字形となる(経過 14:41 ∼ 17:12)。 B 児は教師に「えっ( )巻いているあ れをつくりたいねん(.)あれを(.)ソフトク
リームみないな。」と言いながら、身振りで螺 旋状の形を示す。B 児は広い場所を求めて大き な U 字形を切り離して 3 つの輪をつくり 3 段重 ねにしたり、1 次と同じ場所に移動したりする。 その後、B 児は 3 つの輪をほどいて一本のホー ス状に繋ぎ、さらにコップを継ぎ足して、ホー ルの半分に広がる大きな U 字形にする(経過 17:46 ∼ 27:14、図 3)。 教師が活動終了 5 分前を皆に伝えると、B 児 は、大きな U 字形の端に寝て、自分の身長を基 にして長さを測り始める。U 字形が自分の身長 の 13 倍あることがわかり、満足した様子を見せ る(経過 27:14 ∼ 33:09、図 4)。 4-3-2 B 児の「課題探究」(第 2 次) B 児の<意味>生成について「課題探究の多 重構造」を基に考察すると、レベルⅡ「課題解 決(<一人でホース状のもので長い立体物がで きるのか?>)」という問題発見・問題解決に取 り組む「造形遊び」ということができる。 A 児のレベルⅡ「課題解決」の問いの創出の源 は、レベルⅣ「活動前の自己、視点」(<もっと 立体的で長いホース状のものをつくりたい>) である。この「自己、視点」は第 1 次の「活動 後の自己、視点」が源である。ただし、第 2 次 の「活動中の自己、視点」は、<コップを繋げ たホース状のものを活かしたい。>、<立体的 で長いものをつくりたい。>、<立体的(螺旋 状)にしたい。>というように変化し続ける。 B 児は、ホース状のものをうねらせたり長くし たり、3 つの輪をつくり 3 段重ねにしたりする。 しかし B 児の活動する場所が狭いため移動が必 要であることやホース状のものを立体的にする ための残り時間が少ないこと気付き、「活動中 の自己、視点」を<前回よりもホース状のもの を長くしたい。>というように現状を考慮して 修正する。その過程で、レベルⅢ「方略選択」 においてコップの確保や繋ぎ方や活動場所を考 え、レベルⅡ「課題解決」における様々な「解 法の手続き」を試みることにより、新たな<意 味・価値>(レベルⅡ「課題解決」の答え<一 人で、前回より長いホース状のもの(身長の 13 倍)ができた。ただし、立体的ではない。>) ᅗ ⤒ 㐣 㛫 ᅗ ⤒ 㐣 㛫 ᅗ ⤒ 㐣 㛫 ϫ ⮬ ᕫ 㸪 ど Ⅼ Ϫ ᪉ ␎ 㑅 ᢥ ϩ ㄢ 㢟 ゎ Ỵ Ϩ ᒎ 㛤 ( S 1R % 䥹 䥺 ά ື ๓ ࡢ ⮬ ᕫ 㸪 ど Ⅼ 㸺 ࡶ ࡗ ❧ య ⓗ ࡛ 㛗 ࠸ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ࡘ ࡃ ࡾ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 ά ື ୰ ࡢ ⮬ ᕫ 㸪 ど Ⅼ 㸺 ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ⧅ ࡆ ࡓ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ά ࡋ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 㸪 㸺 ❧ య ⓗ ࡛ 㛗 ࠸ ࡶ ࡢ ࢆ ࡘ ࡃ ࡾ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 㸪 㸺 ❧ య ⓗ ⼺ ᪕ ≧ ࡋ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 㸪 㸺 ๓ ᅇ ࡼ ࡾ ࡶ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ 㛗 ࡃ ࡋ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 ά ື ᚋ ࡢ ⮬ ᕫ 㸪 ど Ⅼ 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ά ࡋ ࡓ ❧ య ≀ ࢆ ࡘ ࡃ ࡾ ࡓ ࠸ ࠋ 㸼 ၥ 㢟 㑅 ᢥ 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ά ࡍ ࡣ 㸽 㸼 ゎ ἲ 㑅 ᢥ 㸺 ࡶ ࡗ ❧ య ⓗ ࡛ 㛗 ࡃ ࡍ ࡿ ࡓ ࡵ 㸪 ࡢ ࡼ ࠺ ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ☜ ಖ ࡋ ࡚ 㸪 ⧅ ࡆ ࡓ ࡾ ✚ ࢇ ࡔ ࡾ ࡍ ࡿ 㸽 㸼 㸪 㸺 ఱ ฎ ࡛ ࡘ ࡃ ࡿ 㸽 㸼 ┠ ᶆ 㑅 ᢥ 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ά ࡋ ࡓ 㛗 ࠸ ❧ య ≀ ࢆ ࡘ ࡃ ࡿ ࠋ 㸼 ၥ 㢟 㸺 ୍ ே ࡛ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࡛ 㛗 ࠸ ❧ య ≀ ࡀ ࡛ ࡁ ࡿ ࡢ 㸽 㸼 ゎ ἲ ࡢ ᡭ ⥆ ࡁ 㸺 ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ࡓ ࡃ ࡉ ࢇ 㞟 ࡵ ࡚ ⧅ ࡂ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡍ ࡿ ࠋ 㸼 㸪 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࢆ ࠺ ࡡ ࡽ ࡏ ࡿ 㸼 㸪 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࡽ ࡘ ࡢ ㍯ ࢆ ࡘ ࡃ ࡾ ẁ 㔜 ࡡ ࡍ ࡿ ࠋ 㸼 㸪 㸺 ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ࡛ ࡁ ࡞ 8 Ꮠ ᙧ ࡍ ࡿ ࠋ 㸼 ⟅ ࠼ 㸺 ୍ ே ࡛ 㸪 ๓ ᅇ ࡼ ࡾ 㛗 ࠸ ࣍ ࣮ ࢫ ≧ ࡢ ࡶ ࡢ ㌟ 㛗 ࡢ ಸ ࡀ ࡛ ࡁ ࡓ ࠋ ࡓ ࡔ ࡋ 㸪 ❧ య ⓗ ࡛ ࡣ ࡞ ࠸ ࠋ 㸼 ࡢ ၥ 㢟 ࡢ 㛵 㐃 㸺 & ඣ ே ⤌ 㸸 ࡢ ࡼ ࠺ ࡋ ࡚ 㗹 ࡢ ሪ ࢆ ࡘ ࡃ ࡿ 㸽 㸼 ࡢ ྍ ⬟ ࡞ ᪉ ␎ ࡢ 㛵 㐃 㸺 & ඣ ே ⤌ 㸸 ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ 㝽 㛫 ࡞ ࡃ ᙧ ✚ ࡴ ࠋ 㸼 㸪 㸺 & ඣ ே ⤌ 㸸 ಶ ࠎ ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ୪ ࡚ ㍯ ࡸ ๓ ᪉ ᚋ ቡ ࢆ ࡘ ࡃ ࡿ ࠋ 㸼 㸪 㸺 & ඣ ே ⤌ 㸸 ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ୖ ྥ ࡁ ୗ ྥ ࡁ ࡋ ࡚ ᙧ ✚ ࡴ ࠋ 㸼 ࡢ ⤖ ᯝ ࡢ ࡴ ࡍ ࡧ ࡘ ࡁ 㸺 & ඣ ே ⤌ 㸸 ࢥ ࢵ ࣉ ࢆ ᙧ ẁ ✚ ࡳ 㸪 㗹 ࡢ ሪ ࡀ ࡛ ࡁ ࡓ ࠋ 㸼 ͤ % ඣ ࡣ $ ඣ ࡢ ⾜ Ⅽ ࡶ ぢ ࡿ ࠋ 表 1 B 児の課題探究の多重構造(第 2 次)31)
を創出する。 さらに B 児は、興味・関心がある他児(C 児 たち<円錐の塔>、A 児<ピラミッド(四角 錘)>)の造形行為・造形物からレベルⅠ「展 開」やレベルⅣ「活動後の自己、視点(<ホース 状のものを活かした立体物をつくりたい。>)」 を創出する。 4-3-3 事例分析・考察の成果と課題 「課題探究の多重構造」理論を用いた分析・考 察により、B 児が「造形的な見方・考え方」を 働かせて<意味>を生成しながら、自らが問題 を発見し解決をつくりだす在りようを可視化す ることができた。 B 児は、身の周りの環境(もの、こと、人) と関わり、多様な<意味>をつくりながら、そ れまでの経験や学びを基にして多様な<意味> 群を「自己、視点」、「方略選択」、「課題解決」、 「展開」という多重構造的なものとして位置づ けるするとともに、<意味・問題>を創出し、 <意味・価値>を吟味する探究を行い、理解や 納得に至る。この B 児の理解や納得は、一人で 成されたものではない。B 児は一人で<意味> をつくりつつ、A・C 児の造形行為・造形物を自 らの<意味>あるものとして取り込んだり、自 他の<意味>を関係付けたりして、その場に固 有の「造形遊び」という学習活動の文化的価値 をつくりながら、<意味・問題>や<意味・価 値>を創出して、理解や納得に至る。 このような B 児の「造形遊び」における探究 は、「課題探究の多重構造」を援用して可視化す ると、表面的にはレベルⅡ「課題解決(Task)」 が進行しているかに見える。佐伯の「課題探究 の多重構造」に基づく「信念を育てる教育」は、 目の前の課題解決(レベルⅡ)に終始すること なく、レベルⅠ、Ⅲ、Ⅳを吟味することで、子 どもの多重構造的な問題の理解や、知ることの 意義の実感を目指すものである。はじめに課題 解決(レベルⅡ)が明示される学習は、自然科 学に代表される実証学(仮説を立て、実験をす ることによって、一定の条件から一定の結果が 繰り返し得られる)によって得られた目的原因 論的因果関係がある「世界像」を学ぶ場合は成 立しやすい。しかし、「造形遊び」において、B 児は教師から「何が問題や課題であるのか」を 明示された訳ではない 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 。「造形遊び」は、子ど もが主体的に「造形的な見方・考え方」を働か せて<意味>を生成しながら、自ら対象、問題 や課題、解決や納得などをつくりだすという行 きつ戻りつする在りようである。つまり「造形 遊び」は、「課題探究の多重構造」の原理的な在 りよう(様々な層での内的問いかけがレベルⅣ からⅠへと順調に問われ答えられるという一方 向の進行)とは異なり、全てのレベルが白紙の 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 状態 4 4 からはじまる未決定で算定不能な流動性が ある学習活動である。 このことは、「造形遊び」 において、子どもが多様な<意味>をつくりだ す<いま―ここ>の在りようと、<私>の問題 解決をつくりだして理解や納得に至る在りよう とは、位相を異にする学習行為であることを意 味する。 5.現象学的視点からの「遊び」 5-1 社会学における「遊び」(R・カイヨワ) 「課題探究の多重構造」により、「造形遊び」 における子どもの論理に基づく探究の仕方が可 視化できると同時に、「造形遊び」に位相を異に する学習行為が何故生じるのか、如何にして位 相が異なる学習行為が一体となって理解や納得 に至るのかを明らかにする課題が生じた。 そのため、図画工作科「造形遊び」の本質に 関わる「遊び」の構造を遊ぶ主体(子ども)の 視点から明らかにするために、現象学的視点か ら「造形遊び」を捉え返すこととする。 現象学における「遊び」研究を採り上げる前 に、R・カイヨワによる社会学的アプローチの 「遊び」研究を採り上げる。その意図は、次節に 述べる現象学における「遊び」研究との違いを 明確化するためである。 R・ カ イ ヨ ワ は、J・ ホ イ ジ ン ガ(Johan Huizinga)の「遊び」概念(文化創造機能とし ての「遊び」)を継承しつつ、さらに「遊び」概 念を拡大する。R・カイヨワの「遊び」の定義 は、以下 6 点である。(1)自由な活動、(2)隔 離された活動、(3)未確定の活動、(4)非生産 的な活動、(5)規則のある活動、(6)虚構の活 動32) 。 R・カイヨワは「遊び」の根源的相貌・原動
力・原理として「パイディア(Paidia)」と「ル ドゥス(Ludus)」を示す。「パイディア」とは 気晴らし、騒ぎ、即興、無邪気な発散であり、 統制されない気紛れの原理である(遊びの根源 の「自由」を意味する)。「ルドゥス」とは恣意 的だか強制的で窮屈な規則に従わせる原理であ り、目標に対する努力、忍耐、技、器用を求め る(遊びの根源の「規則」つまり無償の困難を 求める嗜好を意味する)33) 。 この相反する「遊び」の両極の原理が結びつ くことで、「アゴン(Agon:競争)」、「アレア (Alea:運、偶然、 け)」、「ミミクリ(Mimicry: 模倣、擬態)」、「インクリンス(Ilinx:眩暈)」 という「遊び」の四分類が生じる34) 。この「遊 び」の四分類において「アゴン」と「アレア」、 「ミミクリ」と「インクリンス」が根源的組み 合わせである。R・カイヨワは、「ミミクリ」と 「インクリンス」の組み合わせは原始社会(混沌 の社会)、「アゴン」と「アレア」組み合わせは 比較と競争を前提とする計算の社会であり、原 始社会から計算の社会へと脱出することにより 文明が誕生するという近代社会への道筋を示し た35) 。 5-2 現象学的視点 現象学は「確信(妥当)の成立条件」を明ら かにする哲学である。ヨーロッパにおける形而 上学的な認識論上の「真理」の問題(つまり<主 観>と<客観>の一致であり、あるがままの 客観を主観が正しく認識することを意味する) は、<主観/客観>という前提から出発するか ぎり、論理的には必ず極端な「決定論」、「相対 論」、「懐疑主義」、「不可知論」のいずれかに至 るため「真理」問題は解決できない36) 。そのた め E・フッサール(Edmund Husserl)は現象学 において「認識論上の問題を解くためには<主 観/客観>の「一致 4 4 」を 4 確かめる 4 4 4 4 こと 4 4 に意味は ない(それは不可能である)、むしろ<主観>の 内部だけで成立する「確信 4 4 」(妥当)の 4 条件 4 4 を 4 確 4 かめる 4 4 4 こと 4 4 に問題の核心がある」37) とする。 そのため現象学では現象学的還元を行う。現 象学的還元とは、自然なものの見方に含まれる 「ドクサ(憶見)」およびそれにつきまとって いる暗黙の信憑 4 4 4 4 4 の根、その条件を吟味するため に、「ドクサ」を意識的にエポケー(取り払って みる)することである。それにより、最も単純 な、ものがここに実在する、という確信の条件 を明らかにすることである38) 。 5-3 現象学における「遊び」(J・アンリオ) J・アンリオ(Jacques Henriot)は、J・ホイ ジンガや R・カイヨワ(共に社会学)の「遊び」 研究は、文化創造機能としての遊びというスタ ンスであり、「すべてが遊びに由来し、すべて のなかに遊びがあるのだとしたら、なりゆきと して理論的には、遊びの観念そのものが解消さ れてしまう」と指摘する39) 。そして J・アンリオ は、「遊び」には、「遊戯構造」という以下の特 有の性格があると述べる40) 。 遊戯構造は非可逆的、通時的な性格をもつ。 (略)すべての遊びは、構造として考えられるか ぎり、まず始まり、進行し、やがて終わる「何 ものか」の図式として現れる。しかも、その何 ものかを構成する要素群は決してそれ以外の異 なる順序で継続発生することのないはずのもの である。 この「遊戯構造」は次の特徴がある。第一に、 通時的構造は理論的(抽象的)な時間のなかに成 立する(現実的な計測可能な時間とは異なる)。 第二に、この抽象的時間(遊びの伸縮可能な時 間)は非可逆的である(遊びのはじまりから終 わりを逆向きに遊ぶことはできない)。第三に、 遊戯構造を構成するプラクシスの要素連続は、 程度の差こそあれ射倖的に継起する(仕事のプ ラクシスの要素連続は必然的な連鎖であり、働 き手にはあらかじめ決められているプログラム に一致しない操作系列を勝手に実行することは 思いもよらない)41) 。 さらに J・アンリオは、R・カイヨワ(社会学) や J・ピアジェ(心理学)の「遊び」研究は、 「遊び」には多種多様な形式とカテゴリーがあ り、「遊び」に構造性を与える規則群の集合とし て客観的に定義することはできているが、「なぜ 遊びが成立するのか(何が人を遊ばせるのか)」 という問いを放棄していると指摘する42) 。 その上で、J・アンリオは「遊び」の概念は伸 縮自在であるが、その理由はこの用語の二つの 意味作用であるとする。≪もの≫として構造と しての遊び(客観的、外部的な面)、≪こと≫と して意味としての遊び(主観的、内面的な面)で
ある。そして、自分が遊んでいるという「遊ぶ 意識」こそ、第一の構成要素である。つまり構 造(規則体系としての遊び)に対する意味(遊 ぶこと)の優位である43) 。J・アンリオは、「遊び をその根源とその本性そのものにおいて捉えて みると、結局遊びとは行動の形式ではなく主体 的態度なのだ」44) と述べる。 5-4 現象学における「遊び」(西村清和) 西村は、従来の実証学に基づく遊戯論(教育 学、生物学、生理・心理学、文化史、社会学な ど)は、遊びの現象そのものを、「実証的認識 にとって唯一の客観的対象たる、現実の自然や 社会、文化のコンテクストに還元してしまわず にはおかない」と指摘した上で、問われるべき は個々さまざまな遊びの形式の記述や分類では なく、「当の遊び手にとって、遊びとはなにか」 であると述べる45) 。 西村は、「遊び」と「企て」という対極にある 概念を用いて、この両者の存在様態の違いを以 下に述べる46) 。 企ての実践にあたって、さまざまの行動、 行為は、手段と目的、原因と結果、あるい は、逆に結果から原因へとたどる道筋に配置 され、目的論、因果性、あるいは帰責判断と いった、一義的な方向と理論によって構造化 される。これに対して、遊びにあたっては、諸 行動、諸行為は、これとはまったくことなっ た、遊びの骨格、遊戯関係や遊伱、遊動を支 える遊びのルールによって構造化される。 「企ての実践」において、主体には明確な「意 図」がある。「意図」とは主体がねらい照準した ものとまむかいに対向して、当の対象の目的と しての一義的な意味と、その目標へ最短距離を とってむかう身構えであり、目的を確実に手に 入れようとする全体的な「見通し、展望」が属 している「主体の能動の座」である47) 。 これに対する「遊び」は、「遊びの中動相」と いう独特の存在様態がある。「遊びの中動相」は 「遊伱」と「遊動」から成る。「遊伱」とは遊び が生じる伱・余地の意味であり、誤 をゆるさ ない安定した秩序の一義性とは異なる、未決定 で不安定で自在な余裕である。「遊動」とは「遊 伱」によって生じる遊びの振りや運動様態であ り、算定不能な多義性である48) 。 西村は、「遊び」とは、ある特定の活動であ るよりも、ひとつの関係・存在様態・存在状況 であり、遊ぶ主体と他者やものとのあいだで、 「いずれが主体と客体ともわかちがたく、つか ずはなれずゆきつもどりつする遊動のパトス的 関係」という独特の「遊戯関係」がある49) 。そ して「遊びの構造」とは、「遊戯関係」におけ る「宙づりの相互期待と同調という共有の関係 の枠組みこそ、われわれがさがしている遊び構 造の、もっとも単純な骨組み」と述べる50) 。「宙 づり」とは、解の宙づりの意味であり、つぎの 瞬間には確実に充実されるはずの猶予としての 不在である。「相互期待と同調」とは、仕組まれ た不在の間(「いまかいまか、もうちょっともう ちょっと」という気をもてはぐらかす遊動)に 対する同調である。「共有の関係」とは、遊ぶ主 体とものや他者との遊戯関係に、いまだ充実さ れないひとつの不在があるということである。 「遊び」と「企て」の比較に関しては、「遊び」 における「玩具存在」、「企て」における「道具 存在」という主体とものとの異なる関係性にお いても顕著である。「道具存在」とは、一義性、 適在性、可能性を有し、「企て」において道具を もちふるまうということは、行為主体がひとつ の目的を、予見と予握、算定としての未来への 展望のもとにねらいつつ、道具と手の動きとを 全体的機能関連が支持する適在性や有用性に準 拠して、統御し組織立てることである。「企て」 の一義的 = 一方向的展望のもとでは、行為主体 は道具をあやまってもちいることも、自由にも ち遊ぶことも許されない。「玩具存在」とは、多 義性、相即性、現在性を有し、ひとが「もち遊 ぶ」という現象そのものである。行為主体と玩 具のあいだに遊びがあるということは、企てと 統御の一義性ではなく、多様なもちかたが、行 為主体と玩具の交渉の多様性を基礎づける、ゆ きつもどりつ遊動する両義性が支配するという ことである。そして「玩具存在」は、ものにふ れるふるまいの現在に行為主体をとどまらせる という意味で現在性を有する51) 。 以上の「企ての実践」に対して特有の構造が ある「遊び」のはじまり(加入)は、「僥倖」で
あるとして、以下に述べる52) 。 遊びは自由な主体の企てや算定によるの ではなく、むしろ、ことばの厳密な意味で、 偶然にはじまるというべきである。それゆえ、 遊びの存在、すなわちわたしに遊びがおとず れるかどうかは、わたしの意志や企てによっ てねらわれた目的ではない。(略)遊び行動が わたしにもたらすのは、僥倖としての遊びの よろこびである。 5-5 「企て」と「遊び」のあいだの「造形遊び」 J・アンリオの「遊び」研究から「遊び」には 二側面(≪もの≫として構造としての遊び、≪ こと≫として意味としての遊び)があり、遊ぶ 主体の意識の重要性をみてきた(構造に対する 意味の優位)。西村が述べる「遊び」と「企て」 の概念は、J・アンリオ同様に「遊び」における 行為主体の意識の重要性を示している。 図 5 は、西村が述べる「遊び」と「企て」の 概念を基にして、図画工作科「造形遊び」の制 度的位置づけと行為主体の在りようを示したも のである。この図における横軸は、行為主体の 意識・存在様態を示しており「意図・目的・反 省(能動の座)」と「遊びの意識(主客分かちが たい遊動のパトス的関係)」が両極を成す。縦軸 は、行為主体(に許される、求められる)の見 方・考え方の幅を示しており、「道具存在的な見 方・考え方(一義性、適在性、可能性)」と「玩 具存在的な見方・考え方(多義性、相即性、現 在生)」が両極を成す。この図の左上の領域が 「企て」、右下の領域が「遊び」に相当する。こ の両極の概念は、二項対立というよりも一人の 行為主体の意識や存在様態の在りようという意 味において連続体(スペクトラム)である。 図画工作科「造形遊び」は、西野が述べるよう に西洋近代主義の負の影響を背景とした画一・ 一斉的な指導や作品主義的な閉塞的造形教育か らのパラダイムチェンジであり、遊びがもつ教 育的な意義と能動的で創造的な性格に着目した 意図的な学習行為である。さらに「造形遊び」 は、学校教育における「新しい学力観」、「生き る力」、「三つの資質・能力」と連動しており、 子どもが主体的に「造形的な見方・考え方」を 働かせて<意味>を生成しながら、自らが問題 を発見し解決をつくりだす学習である。 以上のことから、大人(学校教育関係者、教 師など)の視点から図画工作科「造形遊び」の 制度的位置づけをみた場合、図 5 における「企 て」と「遊び」の中間に位置するといえる。 さらに、「造形遊び」を行為主体である子ど もの視点からみた場合、大人の視点からみた場 合と同様に「企て」と「遊び」の中間に位置付 くと考えられる。ただし、子どもの一人一人の <いま―ここ>の状況によって、「造形遊び」は 遊戯関係に没頭する「遊び」の在りようが濃く なったり、目的・問題を発見して実現・解決に 取り組む「企て」の在りようが濃くなったりす ることが考えられる。その理由は、「造形遊び」 は学校教育における意図的な学習行為であり、 題材には目標があり、子どもには学習成果(造 形的な「見方・考え方」を働かせて意味や価値 をつくりだすこと)が求められるためである。 西村は「遊びの意識」と「反省」という異な る意識の在りようを述べる。「遊びの意識(遊 びのメタ・コミュニケーション的了解)」とは、 現実の遊ぶ自我であり「自分が端的に、全面的 に「遊び・にある」ことについての、ただひと つの意識であり、自己存在の了解であり、遊び への集中そのもの」である。その一方、「反省」 とは、「自分がいま、そのただなかに位置して いる遊びやファンタジーの主体的行為状況から いったん退出して、この状況のそとからこれを 対象化し、こうしてはじめて、これを分析し判 断する、認識行為の一様式である」。「反省」に 図 5 図画工作科「造形遊び」の制度的位置づけ、 および行為主体の在りよう ព ᅗ ࣭ ┠ ⓗ ࣭ ┬ 㸦 ⬟ ື ࡢ ᗙ 㸧 㐟 ࡧ ࡢ ព ㆑ 㸦 ࣃ ࢺ ࢫ ⓗ 㛵 ಀ 㸧 య ࡢ ព ㆑ ࣭ Ꮡ ᅾ ᵝ ែ ⋵ ල Ꮡ ᅾ ⓗ ぢ ᪉ ࣭ ⪃ ࠼ ᪉ 㐨 ල Ꮡ ᅾ ⓗ ぢ ᪉ ࣭ ⪃ ࠼ ᪉ ぢ ᪉ ࣭ ⪃ ࠼ ᪉ ࡢ ᖜ ࠕ ࡚ ࠖ ࠕ 㐀 ᙧ 㐟 ࡧ ࠖ ͤ Ꮚ ࡶ ࣭ ே ࡢ ᅾ ࡾ ࡼ ࠺ ࡼ ࡾ 㡿 ᇦ ࡣ ఙ ⦰ ⮬ ᅾ ࠕ 㐟 ࡧ ࠖ
おいては、「遊び」を一時中断せざるをえず、そ のときの行為主体は、もはや遊んでいるのでは なく、まさに反省している53) 。 「造形遊び」において子どもは「企て」と「遊 び」という位相を異にする意識・存在様態のあい だを往還しながら、射倖的に継起する<いま― ここ>の「遊ぶ意識」で「遊び」に没頭したり、 目的・問題の実現・解決に取り組む「企て」を したりして多様な<意味>をつくり、時には授 業成果(造形行為・造形物の意味や価値)を分 析・評価する「反省」をすると考えられる。 5-6 B 児の「遊び」と「企て」 第 4 章で採り上げた B 児の「造形遊び」(表 1)の在りようについて、西村の「遊び」と「企 て」の概念を援用して考察する。 第 2 次の「造形遊び」において、B 児の<意 味>生成の行為は、「課題探究の多重構造」を 基に考察すると、レベルⅡ「課題解決(<一 人でホース状のもので長い立体物ができるの か?>)」という問題発見・問題解決に取り組 む「意図」ともった「企て」の在りようが濃い 「造形遊び」ということができる。 ただし、B 児の「企て」は、目的原因論的因 果関係が明かな課題に取り組む在りようではな い。B 児のレベルⅡ「課題解決」の問いの創出の 源は、レベルⅣ「活動前の自己、視点」(<もっと 立体的で長いホース状のものをつくりたい>) である。この「自己、視点」は第 1 次の「活動 後の自己、視点」が源である。 第 1 次における B 児の<意味>生成は、「課 題探究の多重構造」を基に考察すると、レベル Ⅱ「課題解決」としては「問題」→「解法の手 続き」→「答え」という構造が明確化・具体化し ておらず、レベルⅣ「自己、視点」は、その都度 の<いま―ここ>での興味・関心に応じて多様 に変化する(< C 児と共に(神戸ポートタワー を)つくりたい>、<コップを繋げたホース状の ものを活かしたい。>、<立体物(前方後円墳) をつくりたい。>、<ホース状のものを長くした い。>)。B 児は「自己、視点」に応じる多様な <意味>をつくりながら、興味・関心がある他児 (A 児<円柱>、C 児<神戸ポートタワー>)の 造形行為・造形物を見聞きしたりして、第 1 次 の活動の終盤において、自らの「造形遊び」の <意味・価値>(<逆の字形の長さを測る(身 長の 7 倍の長さ)。>)や、レベルⅣ「活動後の 自己、視点(<もっと立体的で長いホース状のも のをつくりたい。>)」を創出する。 第 1 次の B 児の「造形遊び」は、「意図」を 有した一義的・一方向的展望がある「企て」と いうよりも、<いま―ここ>で射倖的に継起す る算定不能な「遊戯関係」を背景とした「遊び」 の在りようが濃いものである。B 児は、たくさ んの紙コップと出会い、それらが多様に並べた り積んだり重ねたりすることが可能な「遊伱」 (遊びを生じさせる伱・余地)があることに気づ く。そして B 児は、「遊伱」によって生じる算 定不能な多義性(神戸ポートタワー、前方後円 墳、ホース状に繋いで輪→Ω形→ 9 字形→両端 が交差した輪をつくる)である「遊動」に没頭 する。B 児にとって紙コップは一義性や適在性 がある「道具存在(水を飲むための道具)」では なく、多義性や相即性がある「玩具存在(並べ たり重ねたり積んだり)」である。 このような第 1 次の「造形遊び」における B 児の「遊戯関係」は、第 2 次においても継続す る。ただし、第 1 次と異なるのは、第 2 次にお いては B 児に明確な「企て」(レベルⅡ「課題解 決(<一人でホース状のもので長い立体物がで きるのか?>)」)があるということである。た だし、B 児の「企て」は一義的・一方向的に実現 される訳ではない。第 2 次において B 児のレベ ルⅣ「活動中の自己、視点」は、<コップを繋 げたホース状のものを活かしたい。>、<立体 的で長いものをつくりたい。>、<立体的(螺 旋状)にしたい。>というように変化し続ける。 この「自己、視点」の変化は、B 児の「造形遊 び」が「企て」と、その都度の<いま―ここ> で射倖的に継起する「遊伱」「遊動」に応じた 「遊び」とのあいだを往還する流動的な在りよ うである。 第 2 次において B 児の「造形遊び」は、「企 て」からはじまり、「企て」と「遊び」との往還 へと変化しながら、活動終盤には学習活動の成 果を意識した「企て」の在りようが濃くなる。 B 児はレベルⅡ「課題解決(<一人でホース状 のもので長い立体物ができるのか?>)」という 「企て」に対して、明確な「意図」(レベルⅣ「活
動中の自己、視点」<前回よりもホース状のも のを長くしたい。>)をもって取り組む。そし て B 児はつくりだした多様な<意味>を「自己、 視点」、「方略選択」、「課題解決」、「展開」とい う多重構造的なものへと再構築する「反省」を して、授業成果である<意味・価値>(レベル Ⅱ「課題解決」の答え<一人で、前回より長い ホース状のもの(身長の 13 倍)ができた。ただ し、立体的ではない。>)を創出する。 このような B 児の「造形遊び」を絶えず突き 動かすのは、B 児が紙コップと関わることで出 会った<遊びへのよろこび = 僥倖:ホース状の ものが増殖したり変形したり有機的に動いたり する混沌とした在りよう>である。 6.意味や価値の創造と理解や納得 6-1 <世界>と「身体 = 欲望相関性」の構造 本章では、「造形遊び」において「企て」と 「遊び」という位相を異にする意識・存在様態を 往還することによってつくりだした<意味・価 値>を理解や納得する在りようを明らかにする ために、竹田の「<世界>の「身体=欲望相関 性」の構造」理論を採り上げる。 竹 田 は E・ フ ッ サ ー ル や M・ ハ イ デ ガ ー (Martin Heidegger)の現象学を基にして、現象 学的に認識される<世界>とは、客観的世界(世 界を物質としての実在世界=自然世界と捉える 世界)ではなく、ある「主体(=意識の有る生 き物)」に生きられている固有の意味と価値の 領域性であり、「欲望=身体」としての「主体」 の相関者として現れる「世界」(人間存在の意味 に関わる実存的な意味としての<世界>)であ るとして、これを「<世界>の「身体=欲望相 関性」の構造」と述べる54) 。 さらに竹田は人間の<身体性>の特質とし て、「エロス的感受」、「能う」、「価値対象性」が あると述べる。「エロス(快、欲望)」とは、<身 体>が一定の対象に対して生じる引きつけと遠 ざけの心的な力動性のことである55) 。 「エロス的 感受」とは、<身体>は主体にとってエロス的 な情動を告げ知らされるようにあり(内的な到 来性)、エロス的な情動を受け取ることが主体 の行動の動因(動機)となることを意味する56) 。 「能う」とは、エロス的情動が主体に行為の目 標や目的をつくり出し、世界は目標相関的に分 節され、これに応じた意味関連を編み上げるこ とを意味する57) 。「価値対象性(審級性)」とは、 人間の価値(「きれい−きたいない」、「よい− わるい」、「ほんとう−いつわり」)の秩序は二 項対立的構図ではなく審級的秩序であり、人間 の<身体>は原則的により 4 4 「きれい」より 4 4 「よ い」ものを求めるというエロス的感受に応じた <世界>の基礎的秩序をつくり出すことを意味 する58) 。 6-2 意味や価値の創造と確信の成立 竹田は、人間が<身体性>を働かせて<世 界>と関わって<意味>や<価値>をつくり出 すことの意味について以下に述べる。 人間にとって<意味>があるということは、 私の<欲望>にとって対象となるような仕方で 現れるということであり、人間が内省の中で自 己了解を行うとき、ひとつひとつの事象は、必 ず言語的<意味>分節の中でのみ把握される。 <意味>とは、自体的なものではなく、人間 が「あるということ」を知的に把握しようと する観点の中でとり出された 意味づけ であ る。59) 。<価値>とは欲望存在たる主体が意味文 節化した<世界>とのエロス関係を根源的に規 定する審級性を有しており、主体にとって<世 界>とは意味関連を開示する「生への意志」で ある60) 。 竹田は「<世界>の「身体=欲望相関性」の 構造」を基にして、現象学の課題である「確信 (妥当)の成立(了解)」とは「人間的な自己理 解、つまり自己と世界との関係の理解というこ とだけではなく、もっと広く自分のうちに生じ たエロス的情動、あるいは欲望を 感じ取る ということ」61) であると述べる。 人間存在の本質は「エロス(欲望、存在可能 性)」であり、「快い」のみならず「ほんとう、 よい、きれい」をめがけるという特質がある。 「よい」とは、原初的には親との関係感情の快 さが自我感情へと転化したもの(感性化された もの)であり、単なる生理的身体的に「気持ち いい(快)」ではなく、「関係が気持ちいい」を 意味しており、関係上の「価値あり」という世 界の秩序づけ(動機づけ)である62) 。
「きれい」とは、 ある対象の形象を介して人間 の情動を喚起するものであり、そのことによっ て感性的なエロス(快)を与えることを意味す る。「きれい」という情動は、「ロマンティシズ ム」、「センチメンタリズム」、「エロティシズム」 という情緒の形をとる。「ロマンティシズム」と は未来やどこか遠くに思いを投げかける情緒、 「センチメンタリズム」とは過ぎ去った事柄へ の思い返し、「エロティシズム」とは現在的なエ ロスの沸き立ちを象徴している63) 。 現象学における「ほんとう」とは、何らかの 理念形としてではなく、人間の経験の中に潜ん でおり、生活の中で「ほんとうだ」と感じる場 面の中で生きている実存的な意味での「ほんと う」である。この実存的な「ほんとう」は、次 のいくつかの意味で成り立つ。(1)誤りでない こと、(2)嘘、偽りでないこと、真実性、(3) 「かくあるべきだ」という本来生、(4)価値にお ける「完全性、最高性、至上性」を意味するこ と。(1)から(3)の意味が「ほんとう」という ひとつの言葉で表現される場合は、(4)の意味 の「ほんとう」が含まれる場合である64) 。 「よい」とは、自分の「ありうる」をめがける ひとつの「選び取り」の了解である(ひとつの 「価値」の「選び取り」)。「きれい(美しい)」と は、自分の「ありうる」の「味わい」としての 了解である(「価値」の深い味わい)。そして人 間の実存は、「よい」と「きれい」の了解が同時 に深い「味わい」(エロス)としてやってくると き「ほんとう」を直観する。 竹田は、現象学の課題である「確信(妥当) の成立(了解)」とは、「信の構造(=確信、疑 い、確かめの構造)」として捉えることができる として以下に述べる65) 。 「ほんとう」とは人間にとって、原理的に ひとつの「信の構造」として存在すると言え ます。この「信」とは、単に「思い込むこと」 や「信じ込むこと」を意味するのではありま せん。それは「確かめ」と「確信」の構造と して存在するのです。(略)対象に向かう自 分の心がこの上なく「よきもの」であるとい う確信が崩れれば、必ず「疑い」がやってく る。(略)疑いを持ち、確かめようとし、そし て何らかの確信を得ること。人間は誰でもこ の行為を繰り返し、その経験の中でさまざま なかたちで「ほんとう」を直観します。(略) このような「信の構造」の中を生きるという ことのうちにのみ、人間の実存の本質が隠れ ているのです。 6-3 B 児の理解や納得(確信 = ほんとうの成立) 「造形遊び」において B 児は「企て」と「遊 び」のあいだを往還しながら、<いま―ここ> の「遊ぶ意識」で「遊び」に没頭したり、目的・ 問題の実現・解決に取り組む「企て」をしたり して、多様な<意味>をつくりだす。 第 1 次の「造形遊び」は未決定で算定不能 な「遊び」 の 在りようが 濃く、B 児は多 様な <意味>をつくりだす(<神戸ポートタワー>、 <ホース状に繋いで様々な形(輪→Ω形→ 9 字 形→両端が交差した輪)をつくる>、<前方後円 墳>、<ホース状のものをうねらせる>、<ホー ス状のもので大きな逆の字形にする>)。その 多様な<意味>から B 児は第 1 次の<意味・価 値>(<逆の字形の長さを測る(身長の 7 倍の 長さ)。>)を創出する。 第 2 次の「造形遊び」(第 4 章、表 1)におい て、B 児は、「企て」からはじまり、「企て」と 「遊び」との往還へと変化しながら、多様な<意 味>(<コップをたくさん集めて繋ぎホース状 にする>、<ホース状のものをうねらせる>、 <ホース状のものから 3 つの輪をつくり 3 段重 ねにする>、<ホース状のもので大きな U 字形 をつくる>)をつくる。その多様な<意味>か ら B 児は第 2 次の<意味・価値>(<一人で、 前回より長いホース状のもの(身長の 13 倍)が できた。ただし、立体的ではない。>)を創出 する。 B 児の「造形遊び」を絶えず突き動かす<遊 びへのよろこび = 僥倖:ホース状のものが増殖 したり変形したり有機的に動いたりする混沌と した在りよう>は、B 児の<身体性>が感受し た<エロス(快、欲望)>である。B 児は<僥 倖 = エロス>を感受して、「遊び」と「企て」 という位相を異にする意識・存在様態のあいだ を往還しながら、<いま―ここ>で射倖的に継 起する未決定で算定不能な「遊戯関係」に「遊
ぶ意識」で没頭したり、目的・問題の実現・解 決に取り組む「意図」がある「企て」をしたり して、多様な<意味>をつくりだす。そして、 自らの「造形遊び」を分析・判断する「反省」 (<意味>群を多重構造的に再構築)をして、授 業成果(<意味・価値>)をつくりだす。 さらに、B 児はつくりだした複数の<意味・ 価値>のなかから、より 4 4 「よい」より 4 4 「きれい」 より 4 4 「ほんとう」な<意味・価値>をつくりだ そうとする(「価値対象性」)。B 児は第 1 次の <意味・価値>(<逆の字形の長さを測る(身 長の 7 倍の長さ)。>)に比べ、第 2 次の<意 味・価値>(<一人で、前回より長いホース状 のもの(身長の 13 倍)ができた。ただし、立体 的ではない。>)の方が、より 4 4 <意味・価値> があると位置づける。この B 児の<身体性>を 働かせた<意味・価値>の選び取りには、「信の 構造(= 確信、疑い、確かめの構造)」が背景に ある。 B 児の「造形遊び」は<僥倖 = エロス>に突 き動かされたものである。そして B 児が創出 した第 2 次の<意味・価値>は、<僥倖 = エロ ス>に対して「快」のみならず、「ほんとう、よ い、きれい」を満たすものである。 B 児が感受した<意味・価値>の「よさ」と は、<僥倖 = エロス>を源とした自らの造形行 為・造形物が教師や友人(A・C 児)から共感 されつつ、友人の造形行為・造形物(A 児:円 柱や四角錘、C 児:神戸ポートタワーや円錐の 塔、)と比して固有(唯一無二)であるという 関係上の価値の選び取りである。B 児が感受し た「きれい」とは、2 次の「造形遊び」におけ る「遊び」と「企て」の往還による未決定で算 定不能な冒険のはじまり(問題発見)に対する よろこびであり(つまりロマンティシズム)、第 2 次で創出した<意味・価値>が、1 次で創出 した<意味・価値>よりも「よい」ことの思い 返しであり(つまりセンチメンタリズム)、冒 険(問題発見・問題解決)において常に沸き立 つ<僥倖 = エロス>の感受である(つまりエロ ティシズム)。 B 児が感受した「ほんとう」とは、<僥倖 = エ ロス>を源とした<意味・問題>(<一人でホー ス状のもので長い立体物ができるのか?>)」に 対して、「よい(価値の選び取り)」と「きれい (価値の深い味わい)」の了解が同時に満たされ た<私>にとって実存的な意味としての「完全 性、最高性、至上性」の直観であり、この「信 の構造」の成立により、自ら創出した<意味・ 価値>の理解・納得に至る。 7.まとめ 本研究の目的は、図画工作科「造形遊び」に おける子どもの論理に基づく探究の仕方を明ら かにすることである。そのため西野の<意味> 生成とししての「造形遊び」、佐伯の「課題探究 の多重構造」、西村の「遊び」と「企て」、竹田 の「<世界>と「身体 = 欲望相関性」の構造」 の諸理論を援用して考察を行った。 図画工作科「造形遊び」は、西野が述べるよう に西洋近代主義の負の影響を背景とした画一・ 一斉的な指導や作品主義的な閉塞的造形教育か らのパラダイムチェンジであり、遊びがもつ教 育的な意義と能動的で創造的な性格に着目した 意図的な学習行為である。さらに「造形遊び」 は、学校教育における「新しい学力観」、「生き る力」、「三つの資質・能力」と連動しており、 「造形遊び」は、子どもが主体的に「造形的な見 方・考え方」を働かせて<意味>を生成しなが ら、自らが問題を発見し解決をつくりだす学習 活動である。 「造形遊び」は、必ずしも作品が残るとは限ら ないため、教師には子どもが<意味>を「つく り、つくりかえ、つくる」という学習過程の意 味や価値を実感できるようにすると共に、子ど もの「造形的な見方・考え方」の理解が求めら れる。そのため村田(2018,2019)は、佐伯の 「課題探究の多重構造」を援用して、「造形遊び」 における子どもの探究の可視化を試みた。 「課題探究の多重構造」を援用して「造形遊び」 を考察することにより、子どもは身の周りの環 境(もの、こと、人)と関わり、多様な<意味> をつくりながら、それまでの経験や学びを基に して多様な<意味>群を「自己、視点」、「方略 選択」、「課題解決」、「展開」という多重構造的 なものとして位置づけ、<意味・問題>を創出 し、<意味・価値>を吟味する探究を行い、理