発掘調査区全景(南東から)
飛鳥藤原第 186 次調査 現地説明会資料
(独)国立文化財機構奈良文化財研究所 都城発掘調査部
藤原宮
大極殿院 の調査
大極殿院は藤原宮の中心部に位置し、回廊で囲まれた東西約 120 m、南北約 170 mの区画です。回廊内側(内庭)の中央には、
儀式の際に天皇が出御する大極殿があり、その南方には南門が 設けられています。一部の建物については、戦前に日本古文化 研究所が発掘調査を実施していますが、奈良文化財研究所都城 発掘調査部でも継続的に調査をおこない、主要な建物の配置と 構造を明らかにしてきました。今回の調査地は、大極殿院内庭 の中央部南側、大極殿の前面にあたります。
これまでの調査で、大極殿院内庭も朝堂院朝庭と同じく礫を 敷いて整備されていることがわかっており、また、下層には藤 原宮の造営に関わる遺構、上層には藤原宮廃絶後の遺構が存在 することが知られています。
今回検出した藤原宮期の遺構には、礫敷広場、大極殿南面階 段があります。幢幡遺構などの儀式に関わる遺構は確認できま せんでした。
礫敷広場は、拳大の礫を整地土の上に敷いたもので、今回の 調査区ではおおむね標高 71.2 m前後で検出されていますが、
北東側がやや低いことがわかりました。
大極殿南面階段は中央階段と東階段の痕跡を確認しました。
凝灰岩切石の底部が見つかり、その幅は 1.1 mあります。階段 の東西幅は中央階段の内々で 5.2 m、階段の出にあたる南北の 長さはいずれも3m以上あります。階段の凝灰岩はいずれも二 上山産出の白色角礫凝灰岩ですが、階段の周囲からは兵庫県加
古川西岸産出の流紋岩質溶結凝灰岩(竜山石)も出土しており、
基壇の外装石として両者を組み合わせて使用していたものと考 えられます。
藤原宮造営期の遺構としては、南北溝とその支線にあたると みられる斜行溝のほか、資材運搬に用いられたと考えられる運 河を確認しました。斜行溝は、南北溝と同時併存するとともに、
運河を埋め立てた後の窪地と一体で埋められていることがわか りました。窪地の埋め立てに際しては、最終的に異なる土を交 互に積み重ねて丁寧に整地がなされています。
藤原宮廃絶後の遺構としては、奈良時代から平安時代の掘立 柱建物を6棟とそれにともなう塀、耕作にともなう小溝群を確 認しました。掘立柱建物は多時期にわたっており、何度も建て 替えられていることがわかりました。これらは、大極殿院や朝 堂院で多数見つかっている、奈良時代以降の建物と関係するも のと思われます。また素掘りの小溝群との重複関係から、建物 の造営と耕地化が繰り返されていたこともわかりました。
遺物としては、古墳時代から平安時代までの土器や、藤原宮 期の瓦が多数出土しました。また遺構外からですが塼仏も1点 出土しています。
以上のように、今回の調査によって、藤原宮造営期、藤原宮 期、藤原宮廃絶後の土地利用の過程を知る重要な手がかりが得 られました。
斜行溝(北西から)
大極殿南面中央階段・東階段(南西から)
藤原宮 大極殿院の調査(飛鳥藤原第 186 次調査現地説明会資料)
2015.10.12
独立行政法人 国立文化財機構 奈良文化財研究所 都城発掘調査部
〒 634-0025 奈良県橿原市木之本町 94-1 [email protected] Edited by Y.Seino・M.Kuriyama 奈良・平安時代の掘立柱建物群(南西から)
大極殿南面中央階段(南から) 調査区位置図(1/8,000)※灰色は既往の発掘調査地 大極殿
大極殿
朝 堂 院 朝 堂 院 大極殿院 大極殿院
今回の調査区 今回の調査区
角田池
醍 醐 池
橿 原 市
0 200m
礫敷広場(北から)
大極殿南面東階段と竜山石の残片(北東から)
大極殿院内庭 大極殿院内庭
南北溝南北溝
運河運河
運 河運 河
礫 敷 礫 敷 小 溝 群
小 溝 群 小 溝 群小 溝 群
斜斜 行行 溝溝
塀 2塀 2
建物 1建物 1建物 2 建物 2 建物 6 建物 6
建物 5建物 5 建物 4建物 4
塀 1 塀 1
建物3
建物3 奈良時代奈良時代
整地層 整地層 東階段 東階段 中央階段
中央階段 藤原宮中軸線 藤原宮中軸線
0 10m
飛鳥藤原第186次調査区遺構平面図